【論文】ジハード論の系譜学『国際政治』175号

やっと出ました。

池内恵「近代ジハード論の系譜学」日本国際政治学会編『国際政治』第175号、有斐閣、2014年3月、115-129頁

学会誌の号全体はこれ

「やっと」というのは、私が書くのが遅れたという以外の意味は一切含んでおりません。

完成が遅れて、お世話になった皆さんには大変にお手数・ご迷惑・ご心労をおかけいたしました。

また、先に論文を完成させて提出させ、刊行を待っていた多くの執筆者の皆様にお詫びいたします。

さて、これで2013年度の棚卸しが終わりました。

新学期に向かっていきましょう。

【寄稿】移行期政治の「ゲームのルール」『UP』4月号

 年度末の納入。もう一本。

池内恵「移行期政治の「ゲームのルール」──当面の帰結を分けた要因は何か」《転換期の中東政治を読む11(最終回)》『UP』東京大学出版会、38-45頁

 ほぼ2号に一回のペースで『UP』に2012年8月号から連載してきた「転換期の中東政治を読む」だが、そろそろ潮時、ということでひとまず締めます。今回告知したように、変化していく現状の分析から、2011年以来の政治変動の全体をまとめる本の執筆に全力を注ぎたいものですから。

 この連載では、『フォーサイト』などで行っている現状分析よりもさらに一歩踏み込んで、それらを論文に抽象化するためにはどのような概念構成が有効か、模索する作業をしていました。

 ですので、2カ月に一回、学術論文一歩手前にちょっと及ばないぐらいの文章を書かねばならず、それは大変でした。年に6本も論文のアイデアが出る人はあまりいません。

 この連載をしていると、『UP』のアカデミックな世界での訴求率の高さを再認識しました。本としてまとまりをつける作業が終わったら、また戻ってきたいと思っています。

 なお、今書いている本は、この連載をそのまま再録するという章は一つもなく、また、連載では書いていない要素の方が圧倒的に多いので、この連載でちらちら示した概念や視点は出てくるけれども、まったく別物と考えてください。

 『UP』の連載は「ほぼ2」でやってきましたが、途中から息切れして休んだり、長すぎて二号連続になったりとがたがたになりましたので、私自身にとっても覚書として、次項に一覧を載せておこうと思います。

【論文】「指導者なきジハード」の戦略と組織『戦略研究』14号

 年度末なので、成果物の取りまとめ。まずは論文。

 戦略研究学会の特集号が「戦略とリーダーシップ」だったので、会員になって投稿してみました。依頼される原稿ばかり書いていると自分のテーマが掘り進められませんので、意識して学会・学術論文誌に投稿するよう心掛けています。しかしそうして仕事を増やし過ぎて、依頼された原稿を落としたり遅らせたりするので、昨年は編者にとってはかなり「危険な香り」のする書き手になっていました・・・

戦略研究14号

池内恵「「指導者なきジハード」の戦略と組織」『戦略研究』第14号《戦略とリーダーシップ》、戦略研究学会、2014年3月20日、19-36頁

 9・11と「対テロ戦争」以後のグローバル・ジハード運動の側の戦略論の新展開を、特に2004年末に出たアブー・ムスアブ・アッスーリーの理論を中心にまとめたもの。

 関連論文としては「2013年に書いた論文(イスラーム政治思想)」(1月19日)で挙げておいた下記の(1)(2)と、「2020年に中東は、イスラーム世界はどうなっている?」で挙げておいた(3)があります。

(1)池内恵「グローバル・ジハードの変容」『年報政治学』2013年第Ⅰ号、2013年6月、189-214頁
(2)池内恵「一匹狼(ローン・ウルフ)型ジハードの思想・理論的背景」『警察学論集』第66巻第12号、2013年12月、88-115頁
(3)池内恵「アル=カーイダの夢──2020年、世界カリフ国家構想」『外交』第23号、2014年1月、32-37頁

 (1)では近現代のイスラーム政治思想史の文脈の上に、最近のグローバル・ジハード理論の展開はどのような意味があるのかを問題にしたのに対して、今回の論文「「指導者なきジハード」の戦略と組織」では、グローバル事・ジハード論の最近の展開が戦略論的にみてどのような性質を持ったものといえるのかを検討した。

 (2)ではより戦術レベルの話「一匹狼型テロ」を奨励する「個別ジハード」論や、それを国際的に宣伝するメディア『インスパイア』の分析など。

 これらはいずれもスーリーの理論についての分析を主にしていたのだけれども、(3)ではそれ以外の若い世代の認識や世界観、見通しについて、2005年に発表されたヨルダン人ジャーナリストによる研究をもとに議論している。

 ジハード思想がグローバル化し、かつ宗教・倫理思想よりも戦略論・戦術論の方向に流れていった2000年代前後について、地道にまとめる作業をしています。

【論文】アラブの春後の移行期政治

 年度末のためか成果が多く出てきています。

 原稿用紙(←もう使わないか)で165枚以上、の大論文が刊行されました。

中東レビューVol1

池内恵「『アラブの春』後の移行期過程」『中東レビュー』Volume 1、アジア経済研究所、2014年2月、92-128頁

 無料でダウンロードできます。(今見てみたら、93頁のフッター・ページ番号が欠けているようで、言って直してもらいます。内容は、ところどころ冗長なのを除けば大丈夫と思います)
 
 「アラブの春」で政権が倒れた国の、その後の移行期政治の事実を、ひたすら列挙して、それなりにまとめたものです。暫定的なものですが、事実関係を現時点で押さえておきたいという人向け。

 これで頭を整理して、各国や、比較論で論文を書くような人がいるといいのですが。その意味では、インフラ整備のための公共工事のような論文と考えていただけるといいかなと。

 対象国はチュニジア、エジプト、リビア、イエメン。

 だいたい皆さんもう、「アラブの春」後の各国の動きを理解できなくなっているのではないか。

 エジプト一国でも、専門にしている人以外にはもはや展開は意味不明だろう。いや、専門の人でも投げ出してしまっているかもしれない。

 ましてやリビアやイエメンなんて、ある程度中東に興味を持っている人にしても、「まったく何が起きているのかわからない」というのが正直なところではないだろうか。

 各国それぞれの前提や動きが異なっていて、かつ複雑で、また日本のメディアで報じられることがほとんどないので、訳が分からなくなってしまっても当然です。

 「革命」と比べて、国造り・体制づくりは地味ですし、法的な問題とかややこしいですから。

 「そもそもリビアでの今回の選挙は何回目で何のためのものなの?」「イエメンでは誰が何を話し合っている間に何が起こっているの?」

 といった当たり前のことだがややこしいことを、整理してくれる人がいないんですよね。

 本当はリビア研究者、イエメン研究者がやってくれないといけないんだが、日本にはほとんどいないか、あるいはいてもタイムリーに発信してくれていない。

 錯綜した移行期政治を、下記の三つの切り口から、各国ごとに時間軸で並べ直してみました。

(1)初期条件(旧政権の倒れ方)
(2)暫定政権のタイプ
(3)移行期の「ゲームのルール」

 何かセオリーを出したり結論づけたりする以前の覚書のようなものですが、事実関係を網羅して整理するための準備作業です。

 これを書いたところで「頭がいい」とか褒められたりしないようなものですが、ものすごい時間と労力がかかりました。この4ヵ国比較をまじめにやろうとしている人は世界中にほとんどいません。

 ひとまず事実関係を論文でまとめておかないと、アラブの移行期政治について何を議論しても、読んだ人には前後関係や事実関係が分からないので意味不明、ということになるというボトルネックがあって議論が進まない、広がらないため、ここで突貫工事で道路を作ったような、そういった趣旨です。

 意図して冗長ですが、経緯のうち必要なところは全部載っているはずです。

 論文では、英語のニュースへのリンクを大量に体系的につけてあります。中東専門ではない人へのアウトリーチを意識しています。

 掲載誌『中東レビュー』はアジア経済研究所がウェブ雑誌として創刊したもの(今号の目次)。中東の現代を扱った論文が載る論文誌は貴重なので、ぜひ発展していってほしいですね。私も論文を寄稿するという形で貢献していきたいです。

【寄稿】(高木徹氏と)「『日中関係の悪化』から考える国際世論を味方に付ける方法」

気が付いたらプロ野球が始まっており、桜が咲きかけていました。今日の風でもまだ大丈夫そうですね。

先日書いた(「日本と国際メディア情報戦」3月1日)、高木徹さんとの対談が『クーリエ・ジャポン』に掲載されました。

特集「世界が見たNippon Special 日本はなぜ「誤解」されるのか」の中での「特別対談」という枠です。

池内恵×高木徹「『日中関係の悪化』から考える国際世論を味方につける方法」『Courrier Japon クーリエ・ジャポン』Vol. 114, 2014年5月号、86-89頁

高木徹さんとは三度目の対談になります。

二人とも2002年に最初の本を講談社から出した、というところがたぶん一つの原因で最初の対談は講談社のPR誌『本』で2003年に行いました。

その時と比べると、国際情勢も、日本の立場も変わりましたね…

高木徹さんが最初の本から一貫して議論してきた「国際メディア情報戦」の重要性・必要性が、やっと国政レベルで議論されるようになりました。

数年に一度、高木さんとの対談や、文庫版解説、新刊書評などのご依頼を受け、「定点観測」をしているような具合です。

2003年の対談のファイルをもらってきたので、今度ブログに載せようかと思います(許可もらっています)。

【寄稿】オバマの「サウジ訪問」隠れた争点は「エジプト」『フォーサイト』

 ドーハから帰国しました。滞在中に合間に書いていた論稿が『フォーサイト』に掲載されました。

 明日28日の米オバマ大統領のサウジ訪問を迎える、サウジとGCCの現状について。

 池内恵「オバマの「サウジ訪問」隠れた争点は「エジプト」」『フォーサイト』2014年3月27日

 速報性を重視してブログの「中東の部屋」にアップすることが多かったので、「中東 危機の震源を読む」という連載枠ではここのところあまり書いていなかったのですが、こちらの枠での執筆も再開したいと思っています。ブログ「中東の部屋」と連載の「中東 危機の震源を読む」では、質にそれほど違いはないのですが、連載欄の方がもう一押ししつこくテーマを追い詰める傾向があります。

【友情出演】『デザインする思考力』東大EMP

 刊行されました。
デザインする思考力
 
池内恵「現象全体の仕組みを捉える分析力」東大EMP・横山禎徳編『東大エグゼクティブ・マネジメント デザインする思考力』東京大学出版会、83-123頁

 東大EMP(エグゼクティブ・マネッジメント・プログラム)という、大学と経済社会をつなげる特設プログラムが東大の赤門のそばの新しいきれいな建物の中で行われております。EMPで半年に1回、講師をしている関係で、ご指名を受け、プログラム・ディレクターの横山さんからインタビューを受けたものです。

 厳密には私の著作というよりは横山さんとEMPによる著作ということになるのでしょうが、テープ起こしをして提案されたテキストに私が抜本的に手を入れて書き直しています。けっこうな長さになりました。

 「私に対するよくある質問」にすべて答えた形になっています。

 もちろん私としては(今回のインタビューに限らず)、「もっとほかの事も聞いてくれ」と言いたい面はありますが、世の中の関心とはこういうものなのだ、という意味では私にとってもきちんと答える意欲を持たせてくれるものでした。書き直すの大変でしたけれども。

 「EMP」ということで企業人を読者に念頭にしていますが、新入学の学生が、大学で何をやっているのかを知り、自分が何をやるべきか考えるためのヒントにもなるでしょう。私としてはどちらかというと今からゼロの地点から考える人向けに話しています。

 内容は、「なぜイスラーム研究をするようになったのですか?」というあらゆる場所で聞かれる質問に対する答えが半分程度を占めます。

 この質問には過去にも応えており、『イスラーム世界の論じ方』中央公論新社、2008年に収録されていますが、それをさらに敷衍したのが今回のものです。

 私にとってイスラーム世界やイスラーム教への興味は、「冷戦後の国際秩序、特にその根底を方向づける理念はどうなっていくのか」という関心の延長線上にあります。

 最近の中東情勢を「米国の覇権の希薄化」との関係で論じていることも、ウクライナ情勢について狭い意味では「専門分野」ではないにもかかわらず熱心にこのブログで考えているのも、「冷戦後の国際秩序」に大きな変更を及ぼす可能性のある事象として共通しているからです。

 以下、今回の本で語ったことの項目の一部。

*イスラーム×政治というテーマの「戦略的選択」

*フクヤマとハンチントンが基調となる冷戦後の国際秩序理念(に関する議論)

*コーランは問題集ではなく「解答集」の形式を取っている

*中世の合理主義と啓示の永遠の対立は現在も続く問題であること

*イスラーム教はなぜ近代科学と衝突しないのか

*アラブの春は冷戦後の国際秩序という問題にどのようなインパクトを与えたのか

・・・

【掲載情報】「エジプトとチュニジア──何が立憲プロセスの成否を分けたのか」

ウェブ上に記事が掲載されました。無料でダウンロードできます。

池内恵「エジプトとチュニジア──何が立憲プロセスの成否を分けたのか」連載《「アラブの春」後の中東政治》第6回『中東協力センターニュース』2014年2/3月号、74-79頁

内容は、このブログに書いてきたことともかなり重なっていますが、もう少し整理してまとめています。

「下書き」の段階でブログで読んで下さった皆様、ありがとうございました。といっても今回の論稿も、このテーマに関する結論ではありません。なおも考え途中です。

【ご参考】
「チュニジアではなぜ移行期プロセスがうまくいっているのか」2014年1月25日

「チュニジアではなぜうまくいって、エジプトではなぜうまくいかないのか」2014年1月26日

「革命のクライマックスとしての憲法制定について:アレントを手掛かりに」2014年1月26日

「チュニジアで新憲法制定 組閣も」2014年1月27日

「答え合わせ(1)チュニジア立憲プロセス成功の理由」2014年1月27日

井筒俊彦のイスラーム学

あまりに忙しくて、中東情勢も、トルコ・途上国経済ウォッチングも、ウクライナ情勢横睨みも、合間に続けているけれどもブログにアップする時間が取れない。

それはそうと、本来の本業のイスラーム思想で、鼎談が出ました。

池内恵×澤井義次×若松英輔 「我々にとっての井筒俊彦はこれから始まる 生誕一〇〇年 イスラーム、禅、東洋哲学・・・・・・」『中央公論』2014年4月号(1566号・第129巻第4号)、156-168頁。

日本で「イスラームを学ぶ」というと、最初に手に取る人も多いであろう井筒俊彦。私自身もそうだった。

井筒俊彦のオリジナリティに私も大いに憧れる。

格調高く生き生きとした井筒訳『コーラン』 (岩波文庫)
は今でも最良の翻訳と言っていい。

『「コーラン」を読む』(岩波セミナーブックス→岩波現代文庫)ではコーランのほんの数行の章句の解釈が分厚い一冊に及んで尽きない、人文学・文献学の宇宙を垣間見せてくれる。

そして『イスラーム思想史』 (中公文庫BIBLIO)こそ、イスラーム世界に向かい合う際に座右に置いておいて無駄はない。

個人的には井筒俊彦『イスラーム文化−その根柢にあるもの』(岩波文庫)の、井筒の、井筒による、井筒のための、独断と価値判断に満ちた、一筆書きのような思想史・社会論が好きだ。「井筒個人のイスラーム観」は、このようなものだったと思う。

他の本では、概説のために、ある程度は網羅したり(でもイスラーム法学については興味がないから書かないとか数行で済ませたり)、ある方法論に則って順序立てて書いたりしているが、『イスラーム文化』は、講演ということもあり、さらっと彼の頭の中にある「イスラーム」の歴史と方向性を描いている。言わずもがなだが、「シーア派重視」「神秘主義こそ宗教の発展する道」ということですね。

だが、現代の中東社会の中でイスラーム教やイスラーム思想がどのような影響をもっているかを研究する際には、井筒のイスラーム思想史論がそのまま現地のムスリムの大多数から現に信仰されているものであると考えると間違える。

というか、教育の高いインテリにも「異端だ」と言われてしまう。

井筒を受容したイランのイスラーム思想はかなり変わっているからね・・・革命で無理やりイスラーム化しないといけないぐらい西洋化した国ですし(文化は日本などよりはるかに西欧化・アメリカ化しています)。そういう国でこそ受け入れられた最先端のポスト・モダンな解釈だということ。

私は別に井筒を批判しているわけではない(それどころか日本が誇るイスラーム思想だと思っている)。ただし、それはイスラーム世界の大多数の人にはまだ受け入れられないでしょうね、とは言わざるを得ない。

井筒の言っていることだけを読んでそれが「イスラーム」だと思い込んで、現実のアラブ世界の政治についてまで論評してしまう人が出ると、しかも「現代思想」の分野ではそれが主流だったりすると、頭を抱えます。

でも、そこが学問的には、「ビジネス・チャンス」だったりするんだけどね。

そうこうしているうちに井筒とイスラーム世界を同一視するような「現代思想」は絶滅しかけている。

でも井筒は生きている。

井筒から遠く離れてしまったように見える私の最近の仕事も、本当はどこかで、井筒を通してイスラーム学に入ったあの頃とつながっている。そんなことも想い出すきっかけになった鼎談でした。

あまりブログという形態では思想について語りにくいな、と思っているので、思想史に興味がある人は、例えばこの『中央公論』の鼎談を読んでみてください。

モンゴルとイスラーム的中国

見本が届いたばかりの、最新の寄稿です。


楊海英『モンゴルとイスラーム的中国』(文春学藝ライブラリー)、2014年2月20日刊(単行本は2007年、風響社より刊行)

ここに「解説」を寄せました(425-430頁)。

イスラーム世界を専門にしているといっても、中国ムスリムは私にとって最も未知の世界。勉強させてもらいました。

中国西北部、モンゴル系やウイグル系のムスリム諸民族を訪ね歩く。「民族」が縦糸、スーフィー教団の系譜が横糸か。

全体を通して導き手となるのは、回族出身で、文革期に内モンゴルで遊牧生活を送った作家・歴史家の張承志。

独特の文体。オリジナルな研究というのは通り一遍の解釈を拒むもので、解説を書くのは大変でした。

されどわれらが日々

引き続き体力の限界まで二本の論文を書きながら火曜日にある別の論文の報告会の準備。

というわけで中東情勢解説はお休みして、最近出たインタビューの紹介。
bungeishunju1403.jpg
「アメリカの覇権にはもう期待できない──大国なき後の戦略を作れ」『文藝春秋』2014年3月号(第92巻第4号)、158-166頁。

雑誌全体は、今回の芥川賞発表と、ちょうど150回になる芥川賞の歴史を振り返る号なので、なかなか面白いです。「レガシー・メディア」の面目躍如というべきでしょうか。

村上龍・宮本輝対談を読むと、村上龍(75回・1976年上半期)の方が宮本輝(78回・1977年下半期)よりも受賞が先だというのが今から見ると不思議な感じ。「泥の河」「螢川」を書いている最中の宮本輝が「限りなく透明に近いブルー」を読んで焦った、という話。歴史は一方向的には進みませんね。

両者は友好的・常識人的に対談していますが、最後の方で村上龍が「乱暴に言えば」とことわって、「近代文学の役割とは〔中略〕近代国家が発展するなかで、置き去りにされた少数派の声を代弁したり、個人と共同体の軋轢によって生じる「悲しみ」を描くことだった」と本当に乱暴にまとめてしまって、「レコード大賞」と「紅白歌合戦」と宮本輝的な小説を同列に並べ「近代文学の代表としてまだまだ頑張ってくださいね」と芥川賞選考会の後に声をかけたなんて言い放っています。

ようするに近代文学はもう「オワコン」だが、伝統芸能のように続けてくれる人がいるとありがたい、ということですか。

芥川賞=日本の近代文学の社会的機能のもっとも明確な表出、という意味では、記憶に残る受賞作として柴田翔「されどわれらが日々──」を挙げている人が多いのが興味深い。「作家」としてフルタイムで活動していた時期はほとんどないであろう、端正な独文学者のこの小説は、今この雑誌を読み、執筆を依頼される年代・階層の人生に深く影響を残したのでしょう。柴田翔さん自身のエッセーも載っています。毎回同じことを書いているような気がしますが、やはりいいですね。

小説が歴史を写すというよりは、この小説と柴田さん自身が、日本近代史の欠かせない一部なので、定期的に同じことを回顧するのが御役目のようで、それをいつも通り果しておられます。超秀才の近代西洋文学研究者が、日本のある段階に適用して近代文学を「実作」して、それが成功したという、学者作家の不滅のサクセス・ストーリーで、誰も真似することはできないでしょう。

この方に大いにお世話になったであろう、また憧れ、目標にした時期もあるであろうこの人、今こんなことをしているようで。

近所の商店街の本屋で街歩きガイドのところに平積みになっていたので表紙に衝撃を受けて思わず買ってしまった(汗)。不穏当な発言はありませんでした(安堵)。

柴田翔さんと同じことをやってもできないしやってはいけない、と思い定めるという意味で、その後の方向性に大きな影響を与えたのではないかと思います。

柴田翔先生は、本当に重要なことをして、それ以外では無用に「渦中」にいようとしない、一度当たったスポットライトを二度三度求めて右往左往しない、という生き方を示してくれているという点でも尊敬しています。それも、日本の近代史の一段階を体現するような作品を残してしまったことからくる余裕や責任感に由来するのでしょう。もちろん人間だから焦燥感とか、もしかして嫉妬心とかも一瞬湧くのかもしれませんが、と下世話に想像しますが(すみません)、それを表に出すことは決してない。

* * *

私のインタビューの方は、内容は、中東情勢を見ている人間が日本と東アジア情勢を見たらどう見えるか、というような内容。靖国参拝問題なども、遠ーくからはどう見えるか。

結論は「だから大学院を活用してください」だったりする。

日本は巨大な知の消費国であることは確かでそれは素晴らしいことなのだけれども、二次使用どころか三次使用・四次使用の方ばかり活発で洗練されていて、根本的なアイデア(第一次情報)を生み出しているかというと、そこに社会的関心(時間と労力)も、お金もたいして払われていないというところがある。

大学院は博士課程以上で第一次的な知を生産して、それを真っ先に有効に活用できる人材を修士課程で育成して企業・官庁に循環させる、というのが本来のあり方。

日本の大学は役に立たない、というのは、日本のエラいさんたちが自分が大学に通った(通わなかった)時代を回顧した、まったく現実に合わない認識に基づいている。

東大などは研究と共に、高度の教育機能を果せるような実態はある。なぜかというと教員は入れ替わっているから。大学の人事の流動性が低いと言っても、財界と比べればきちんと定年があるから入れ替わっていますよ。政治家と違って二世が学科を継いだりしないし。

日本の大学を企業や官庁などがもっと有効に使ってくれればいいのにね。社員が20代半ば、30代半ばで一回ずつ修士に一年ずつくるような人事をやっている会社はほとんどないので、国際的にみると個人の力が弱い、視野が狭いという点が否めない。「グローバル人材」というならまず自国の研究・教育機関を活用しないと。社会の側が利用しないなら、大学院ではこれまで通り研究者養成に特化するしかない。だって研究者になりたい人しか来ないんだから。

* * *

仕事でよくご一緒する先生方は、近年盛んにこういった場に出ていって発言してくださっていますので心強いのですが、私は純粋ドメスティック人材として、レガシー・メディア(日本の大学を含め)再興に尽くしていきたいと思います。

最終的に文化の水準というのはその国の言語でどれだけ活気のある議論が成り立っているかで測られると思いますので。

災後の文明

ものすごく重く重要な(私にとって)論文を二本、何が何でも金曜日までに、、ということで昼夜を問わず死力を尽くして完成(ほぼ)に漕ぎ着けましたが、もう頭が動きません。

途上国経済よりも私が低体温になっている感じがします。

外は雪。。

中東問題解説はお休みして、見本が届いた近日発売の共著をご紹介。


御厨貴・飯尾潤(責任編集)『「災後」の文明』阪急コミュニケーションズ、2014年2月

(Kindle版も出てた)

震災後の社会と政治を、政治学・行政学・思想史の研究者が集まって何度も研究会をして、読みやすい「教科書」のようにまとめました。

復興政策を国や自治体から見るだけでなく、社会学や思想史や経済学、国際関係論から見る章もあって多面的になっています。

遠藤乾、柳川範之、梅田百合香、牧原出、堂目卓生、川出良枝、苅部直、牧原出、村井良太、佐藤卓己、武藤秀太郎、伊藤正次・・・目についたまま挙げてみても壮観です。このメンバーが同じ部屋で同じテーマを議論をしたこと自体が信じられません。

*震災後に家族とかコミュニティの絆が高まった、という話があったけれども、それはデータを厳密に見ていくとどうなのか(大竹文雄さん)

*「ソーシャル・ネットワーク元年」としての東日本大震災の後の「リアリティ」はどんなものか?(五野井郁夫さん)

*リスボン地震後の知の変容(川出良枝さん)

といった話が「災後」という枠の中でぶつかり合っています。

時間ができたら他の人の章をじっくり読んでみます。

私は「二つのツナミの間で」(276-286頁)を寄稿しています。私のはたぶん最も短くて、他の章はもっと力作です。

論文を書きすぎて頭が動かないのでそれではまた。

トルコ経済はどうなる(3)「低体温化」どうでしょう

米国でのテーパリング(超金融緩和政策の縮小)がなぜトルコ経済に影響を与えるかというと、私は専門ではないので、関わったお仕事でエコノミストの皆様に教えていただいた話を引き写します。

PHP総合研究所で「グローバル・リスク分析プロジェクト」というのがあるのですが、これに2013年版から参加させてもらっていましたが、2014年版が昨年12月後半にちょうど出たところでした。
cover_PHP_GlobalRisks_2014.jpg
「PHPグローバル・リスク分析」2014年版、2013年12月

無料でPDFがダウンロードできます。

この報告書は2014年に顕在化しかねないリスクを10挙げるという趣向のもの。リスク②で「米国の量的緩和縮小による新興国の低体温化」という項目を挙げてあります。

それによると、

「(前略)2014 年は米国の金融政策動向が、新興国経済の行方を左右するだろう(リスク②)。近年の新興国ブームの背景には先進国、とりわけ米国の緩和マネーの存在があったが、2013 年12 月、連邦公開市場委員会(FOMC)は、2014 年1 月からの量的緩和縮小を決断し、加えて、今後の経済状況が許せば「さらなる慎重な歩み(further measured steps)」により資産購入ペースを縮小するだろうとの見通しを示した。量的緩和策の修正は、新興国から米国にマネーを逆流させることになる可能性が高い。」【6頁】

ということです。そこで新興国が「低体温化」するわけですな。

「2014 年は、2013 年末に開始が決定された米国の量的緩和縮小の影響で、新興国の景気が冷え込む「新興国経済の低体温化」がみられる可能性が高い。」【14頁】

「低体温化」という形容がどれだけ適切かは、今後の展開によって評価されるかな。

どういうメカニズムかというと、

「とりわけ、経常収支が赤字でインフレ傾向の新興国は、経常赤字をファイナンスすることが難しくなる上、通貨下落によりインフレに拍車がかかり、緊縮政策をとらざるをえなくなる。」【6頁】

なんだそうです。

しかも、この緊縮政策が政治的理由で取れなくて、いっそう危機を引き起こす可能性があるという。

「2014 年には4 月にインドネシアで総選挙、7 月に大統領選挙、5 月までにインドで総選挙、8 月にトルコが大統領選挙と重要新興国が選挙を迎えるが、これらの国々はまさにインフレ懸念、貿易収支赤字国でもある。有力新興国のうち、ブラジルでも10 月に大統領選挙が行われる。選挙イヤーにおける政治の不安定性に米国の量的緩和政策の修正が重なると、これらの国々の経済の脆弱性は一気に高まり、しかも適切な経済政策をとることが政治的に難しいかもしれない。」【6頁】

「これらの国々の経済政策は、中央銀行によるインフレ抑制のための金融引締め(金利引上げ)と、選挙対策を意識した経済成長を志向した政策との間で立ち往生する可能性も考えられないではない。」【15頁】

トルコ中央銀行の1月28-29日にかけての大幅利上げは、こういった疑念を払拭するため、というかもはや「立ち往生」していられなくなったのですね。

そして、日本にとっては、

「対中ヘッジに不可欠のパートナーであるインド、インドネシア、ベトナム、そしてインフラ輸出や中東政策における橋頭堡の一つであるトルコといった戦略的重要性の高い新興国が、米国の緩和縮小に脆弱な国々であるという点は2014 年の日本にとって見逃せないポイントである。」【7頁】

なのです。

トルコ内政の混乱に関しては、予想通りというよりも予想をはるかに超えた大立ち回りになってしまっていますが、それについてはまた別の機会で。

ちなみにこのレポートで挙げた10のリスクは次のようなもの。

1. 新南北戦争がもたらす米国経済のジェットコースター化
2. 米国の量的緩和縮小による新興国の低体温化
3. 改革志向のリコノミクスが「倍返し」する中国の社会的矛盾
4. 「手の焼ける隣人」韓国が狂わす朝鮮半島を巡る東アジア戦略バランス
5. 2015 年共同体創設目前で大国に揺さぶられツイストするASEAN 諸国
6. 中央アジア・ロシアへと延びる「不安定のベルト地帯」
7. サウジ「拒否」で加速される中東秩序の液状化
8. 過激派の聖域が増殖するアフリカ大陸「テロのラリー」
9. 米-イラン核合意で揺らぐ核不拡散体制
10. 過剰コンプライアンスが攪乱する民主国家インテリジェンス

1と2が世界経済、3,4,5が東アジア・東南アジア、6,7,8,9が中東を中心に中央アジアやアフリカに及ぶイスラーム世界。

(10はこういうリスク評価などインテリジェンス的な問題に関わっている専門家が感じる職業上の不安、でしょうか。)

なお、リスクの順位付けはしていないので、リスク①がリスク⑩よりも重大だとか可能性が高いとかいったことは意味していません。

念のため、私は執筆者の欄では50音順で筆頭になってしまっていますが、もちろん経済関係の箇所は書いていませんのでご安心ください。中東に関わる部分も、数次にわたる検討会や文案の検討に参加して議論しましたが、それほど大きな貢献をしてはいません。

所属先との関係で名前が出せない人も多いので、実際にはもっと多くの人が関わっています。

中東やイスラーム世界というと危険や動乱や不安定を伴うので、こういったリスクや将来予測についての地域・分野横断的な作業に混ぜてもらうことが多く、勉強させてもらっています。来年も呼んでくれるかな。

しかし「不安定のベルト地帯」と「秩序の液状化」を抱え、「テロのラリー」が始まっていて、それどころか「核の不拡散体制も揺らいでいる」って、中東・イスラーム世界は何なんでしょうか。そんな危険かなあ(自分でリスクを指摘しておいてなんですが)。

テーパリング自体は昨年後半ずっと「やるぞやるぞ」という話になっていたので、このリスク予測プロジェクトのかっこいいエコノミストのおじ様、お姉さまたちからさんざん聞かされており、分かったつもりになっておりましたが、実際にここまではっきり影響が出るとは、実感していませんでした。

まさに12月末というこのレポートの発表予定日あたりに、テーパリングが実施されるかされないか、という話になっており、もしレポートを発表した翌日に実施されたりすると一瞬にして古くなった感じになるのではらはらしましたが、エコノミストの方々は「予定原稿」みたいなものを事前に作っておられて、ちょうどレポート刊行直前に発表されたテーパリング翌月実施の決定に対応して、ささっと直して無事予定通りに最新の情勢を踏まえて刊行いたしました。さすが。

2020年に中東は、イスラーム世界はどうなっている?

出ました。

池内恵「アル=カーイダの夢──2020年、世界カリフ国家構想」『外交』第23号、2014年1月、32-37頁
外交Vol 23

「2020年東京オリンピックに向けて」ということで、「2020年に日本は世界はどうなっているか~」的なおざなりな(失礼)企画がメディアの各所で一巡したように思う。

そんな中で、「2020年の中東と国際秩序」というようなざっくりとしたイメージでの依頼を受けて、それに対して表面的には全く異なるテーマで寄稿したもの。

最近よく議論している、米国の覇権の希薄化による中東秩序の流動化・・・といった話を期待されたのかもしれないけれど、同じ話を何度もやって稼ぐのは私の流儀ではない。

むしろ、グローバルなイスラーム主義勢力の側は、2020年における世界をどのように構想しているのか。これについて、世界の中東専門家の間では話題になっている話を、ぜひ今一度考えてみるべき素材として、紹介した。

元ネタは2005年にヨルダンのジャーナリストで、アル=カーイダに関わったテロリストたちと一緒に政治犯の刑務所に入っていたフアード・フセインという人による調査報道。

『クドゥスル・アラビー』というロンドンのアラビア語紙に長々と連載されたこの分析記事によれば、2005年ごろまでに、ビン・ラーディンより若い「第2世代アル=カーイダ」が現れており、その代表格が、イラクで宗派紛争に火をつけることに「成功」したザルカーウィー。

彼らが思い描く、2020年に実現したい、実現するであろう世界とはどのようなものか。フアード・フセインはこれを詳細に紹介してくれている。

それによれば、2000年から2020年までの間に、グローバルなジハード運動は7つの段階を経て発展すると構想されているという。そして、第4段階の2010年から2013年にかけて、ジハード運動は「復活と権力奪取と変革」の時期に入る、と2005年の時点で予見されていた。

なんと、アル=カーイダの第2世代たちは、2010年から2013年にかけて、次々とアラブ諸国の政権が崩壊する、と見通していたというのである。「諸政権は、正当性と存在意義を徐々に失っていく」。

これは「ノストラダムスの大予言」のような、後になってから「実はこの部分がこれを意味していた」的なことをほじくる話ではなくて、実際に2005年に、世界中で読まれているアラビア語紙に大々的に連載されていて、「アラブの春」以前にも言及・論評・分析の対象になっていた記事の中に書いてあったことであり、私は単に紹介しているだけである。

(なおアラビア語が読めて根気が良ければ、元の記事をインターネット上で無料でダウンロードして読むことも可能です)

それでは2014年以降、2020年までの間に何が起こると、アル=カーイダの若手世代は考えていたのか・・・・

続きはコチラにて。

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革命のクライマックスとしての憲法制定について:アレントを手掛かりに

チュニジアの立憲プロセスに関して補足。

そもそも、「革命」の成果の確定としての「憲法制定」の重要性、というものが日本ではきちんと理解されていないのかもしれない。だからチュニジアでの成果について、日本と欧米とでここまで報道が異なるのかもしれない。

「革命」の最重要部分としての立憲政治については、ウェブ上で論説を書いたことがある。

池内恵「「アラブの春」は今どうなっているのか?――「自由の創設」の道のりを辿る」『シノドス』2013年12月9日
その一部分を引用しておく。

(前略)
ハンナ・アレントは、世界史上に数多く起きてきた「革命」の多くは実は「反乱」に過ぎず、それが「自由の創設」をもたらすという「奇蹟」を伴わない限り、多くは混乱と分裂のもとで再び独裁の軛に繋がれる結果に終わったと指摘する。しかし往々にして人々の関心は「反乱」の劇的な側面に向けられ、「自由の創設」の地味な側面への関心は高まらない。

「歴史家は、反乱と解放という激烈な第一段階、つまり暴政にたいする蜂起に重点を置き、それよりも静かな革命と構成の第二段階を軽視する傾向がある」(ハンナ・アレント『革命について』志水速雄訳、ちくま学芸文庫、1995年、223頁)

静かな革命における「構成」とはすなわち憲法制定(コンスティチューション)である。アレントによれば「根本的な誤解は、解放(リベレイション)と自由(フリーダム)のちがいを区別していないという点にある。反乱や解放が新しく獲得された自由の構成を伴わないばあい、そのような反乱や解放ほど無益なものはないのである」(アレント『革命について』224頁)。

アラブ世界の社会・政治変動に関するわれわれの関心も、ともすれば「反乱」の局面にのみ向けられてはいなかったか。デモよりも内戦よりも、自由の構成=憲法制定という地道で労の多い過程こそが、革命のもっとも重大な局面であるとすれば、「アラブの春」を経たチュニジア、エジプト、リビア、イエメンは、この段階での困難に直面しているといえる。それは成功を約束されたものではないが、失敗を運命づけられてもいないし、まだ終了してしまったわけでもない。

(以下はシノドスで)


ハンナ・アレント『革命について』 (ちくま学芸文庫)

2014年の注目点:中国は中東政治に関与を深めるか

『フォーサイト』の「中東の部屋」に寄稿した文章の冒頭です。有料ですが、時々一部の記事が無料公開になることもあるので、そうなったらまたお知らせします。

2014年の注目点:中国は中東政治に関与を深めるか
 
 2014年の中東情勢での一つの注目点は、2013年に顕著になった米国の覇権の再編と希薄化に対応して、ロシア、そしてついに中国が、安全保障を中心とした政治面で域外大国として中東に深く関与していくかどうかである。

 その意味で、年初の中国・王毅外相へのアル=ジャジーラのインタビューは注目すべきである【中国外務省による全文の英語アラビア語】。ここで王毅外相は、中国はアラブ世界に経済だけでなく政治・安全保障・軍事の分野でも(not only in the economic field, but also in the political, security and military fields)関与していく準備がある、と見得を切っている。

米覇権「希薄化」後の秩序の担い手は

 2013年は、イスラエル、サウジアラビア、エジプト、トルコといった、米との緊密な同盟関係を保ってきた地域大国が、米国の対シリア、対イランでの政策転換で、それぞれに「罰せられた」という印象を抱き、そこからフランス、そしてロシアや中国に秋波を送る事例が相次いだ【ロシアへの接近をほのめかして牽制するエジプト首相】【トルコが上海協力機構に加盟を希望】。

【これ以降は『フォーサイト』で】