【寄稿】『アステイオン』にムハンマド皇太子とサウジ政治体制の世代交代について

長めの論考が『アステイオン』に掲載されました。

池内恵「夏の日の陰り––––サウジ皇太子の試練」『アステイオン』89号, 169-180頁, 2018年11月

テーマは「ムハンマド皇太子の権勢の陰り」。このテーマは、イスタンブールのサウジ総領事館でのサウジ人記者殺害事件の顛末が大々的に報じられた後は、ごく当たり前のものに見えるかもしれません。しかしこの論考を書いていたのは8月から9月にかけてです。

2015年から現在までひたすら「上り調子」だったムハンマド皇太子の様子がおかしい、というある種の「勘」に基づいた認識から、この夏はじっとムハンマド皇太子とサウジ政治の動向を観察しながら過ごしたのですが、その結果を秋口の段階で暫定的ながらまとめて記録に残しておこうとして、『アステイオン』への寄稿論文としてまとめていたのですが、なんども書き直しをして、やっと完成、校了寸前、というところになって、10月2日のジャマール・ハーショクジー氏の殺害事件が起こりました。

事件についても末尾の節を加えて言及はしてありますが、しかし校了は10月初頭でしたので、10月の半ばから後半にかけてトルコ・エルドアン大統領がこの事件の機会を捉えて行なった対サウジのメディア・キャンペーンや、それに対するサウジの拙い反応、米国の反応などについては、この論考では扱っていません。

今年前半、特に夏の間の観察に基づいて、ムハンマド皇太子の権勢に、「落日」とまではいかないにしても「陰り」が見られる、という観察結果をこの論考では示していたのですが、論考が出版されるまでの間にこれをあからさまに印象づける事件が発生し、論考の趣旨が間違っていなかったことが分かったのは良いのですが、現実の進展の早さに追い抜かれてしまった感があります。

とはいえ、事件によって急激に高まった関心に慌てて答えた論説・報道は中長期的にはそれほど頼れませんし参照されることもないでしょう。長期的な観察に基づいた分析を、その根拠から詳細・着実に『アステイオン』のような媒体に書き留めておくことで、やがてはサウジについての議論の礎となるのではないか、と期待しています。

ハーショクジー氏殺害事件がなぜ起きたのか、どのような文脈で発生したのか、関心のある方は、おそらくこれについて現時点で最もまとまった論考と思いますので、読んで見ていただけると良いと思います。事件が起こる前に書かれていますので、事件の衝撃に合わせて遡って過去を解釈しておらず、その意味でより信頼おけるものと思います。

論考ではイブン・ハルドゥーン『歴史序説』から、世代交代による王朝の盛衰についての箇所を抜き出して長めに引用していたりします。ご関心ある方はぜひ。

【論文】『宗教法』第37号に、メディアの変化がもたらすイスラーム法学解釈の多元化について

宗教法学会の学会誌『宗教法』に論文を寄稿しました。

池内恵「何が宗教過激主義をもたらすのか––––イスラーム法学の権威的解釈主体にメディアの変化が及ぼす影響」『宗教法』第37号(2018年11月10日発行), 51–60頁

この論文は昨年6月に宗教法学会で共通論題に依頼されて行なった講演(池内恵「何が宗教過激主義をもたらすのか――イスラーム法学解釈の権威の構造とその近現代における変化」第35回宗教法制研究会・第74回宗教法学会、青山学院大学、2017年6月10日開催)を活字化したものです。見たところはアイデアのみをさらっと書いたような文章ですが、実際には、論理的に詰めてみるとかなり厄介な作業でした。

送られてきた学会誌で真っ先に目を通したのは、西澤宗英先生の「ルクセンブルク大公国における政教関係」でした。学会の場で(あと確か私が会場に忘れ物をして、開催校の西澤先生のところに取りに伺った際に長時間立ち話した際にも)この論文とその基礎となる学会報告について詳細にお話を伺うことができましたので、それが論文になるのを待ち遠しく過ごしておりました。

この論文が詳細にまとめているのは、ルクセンブルクで各宗教の「教会」を団体として認定し、それぞれの団体が代表者を選出して国と協議する、国は各「教会」に対して財政支援を行うと共に、一定の規制の対象ともする一連の法制の歴史的、そして最新の展開です。

この法制の中で、ルクセンブルクでは近年にイスラーム教もまた、あたかも「教会」があってその信徒団体があるかのように認知され、代表者を選出するようになったという点が、大変興味深いものでした。もちろんこれはフランスのような共和制・政教分離原則があるところでは難しく、ルクセンブルクのような小国の伝統の延長線上でこそ可能になったこととは思います。ルクセンブルクのムスリムの出身国や構成要素なども、西欧の教会と同様の組織形成・代表者選定を可能にした条件として、詳しく見てみないといけません。いろいろとヒントになる論文でした。

こういった学会に呼ばれて、講演を聞き、自分も講演をし、懇親会やその後まで議論をしなければ決して知ることがなかった研究に触れることは、何よりの喜びです。