【寄稿】『京都新聞』にインタビューが掲載されました

『京都新聞』にインタビューが掲載されていました。じっくり時間をとって話を聞いていただき、また時間をとって順番を待って文化欄に大きめのスペースを確保してもらって、満を持しての掲載。

「100年前の状況に近づく中東混迷 「サイクス=ピコ協定 百年の呪縛」など関連著書出版 東大准教授・池内恵さん」『京都新聞』2016年11月22日(朝刊17面)

おそらくウェブ上では読めないのでしょうね。また、京都新聞のデジタル版を見ると、「バックナンバーは過去10日」「毎日朝刊の最大10頁のみ」ということなので、デジタル版を購読しても読めなさそう(紙版を購読しているとデジタルは無料だそうです)。

うーん、もったいない。京都情報なら他府県からデジタルのみで購読する人が大勢いるのではないかな、と思うのだが。

せっかく「京都にいないと読めないプレミアム」感が強いので、ここでも文面は公開しません・・・

秋は学会(1)日本国際政治学会(10月14日〜16日)

秋は特に学会が多いですね。週末がほとんど潰れてしまいます。今時の大学教員は事務作業が多く、平日は研究をほとんどできませんので、週末の学会のための準備を別の週末や深夜にやるということが多くなります。

今年の秋の学会は、自分で報告するよりも、「お世話する」ことが多くなりました。いくつか挙げておきます。一般聴衆向けの公開講演会も含まれますので、ご関心のある方はぜひ。

日本国際政治学会・2016年度研究大会(10月14日〜16日・幕張メッセ国際会議場)

日本国際政治学会では、任期2年間の企画・研究委員会という役を2015年から引き受けていましたが、昨年あまりに忙しくて企画を出せなかったので今年は部会企画を三つ出したところ全部通ってしまいました。そのうち二つは直接運営のお世話をしますので、作業で目が回っています(なお、内規により企画委員はパネル報告やコメントをしないのが原則なので、あくまで裏方です)。2年分のお仕事をして、無事放免される予定です。当分こういったお世話の仕事はやらないのではないかと思います。

10月14日(金) 13:00-15:30 部会2「多元的政軍関係」
司会・討論
宮本悟(聖学院大学)

報告
佐野秀太郎(防衛大学校)「21世紀における軍事組織の在り方~民間軍事警備会社(PMSC)が提起する課題」
山尾大(九州大学)「分断社会の多元的な政軍関係――戦後イラクを事例に」
吉岡明子(日本エネルギー経済研究所中東研究センター)「未承認国家の「国軍」形成における課題:イラク・クルディスタンの事例から」

討論
池田明史(東洋英和女学院大学)

 

10月15日(土) 9:30-12:00 部会7「インサージェンシーの地域比較」
討論・司会
中西嘉宏(京都大学)

報告
山根健至(福岡女子大学)「フィリピンにおけるカウンター・インサージェンシーと非国家主体の役割」
髙岡豊(公益財団法人中東調査会)「シリア紛争に伴う非国家主体の台頭:シリア北東部の事例から」
馬場香織(アジア経済研究所)「近年のメキシコにみる麻薬紛争と自警団の台頭」

討論
本名純(立命館大学)
小泉悠(公益財団法人 未来工学研究所)

 

10月16日(日) 9:30-12:00 部会8「帝国の解体と再生(サイクス=ピコ協定100周年)」
司会
浅野豊美(早稲田大学)

報告
坂元一哉(大阪大学)
「戦後日本と『帝国』再生の条件:憲法、平和条約、安保条約」
廣瀬陽子(慶應義塾大学)
「未承認国家の誕生と存続:帝国・連邦の遺産」
赤川尚平(慶應義塾大学)
「オスマン帝国の解体とイギリス外交」

討論
岡本隆司(京都府立大学)
佐藤尚平(金沢大学)

このうち上二つは「政軍関係」について、特に中東で非国家主体が大きく関わってきていることをどう捉えるか、という問題関心から企画したもので、連続性・一貫性があります。二つの部会で出てくる多くの事例から、新たな状況を踏まえた政軍関係論が立ち上がってくることを期待しています。

私自身がこのテーマを含む課題に取り組んでいるところでもありまして、企画をして様々な研究者に知見を報告してもらうことは、私個人に取っても有益であり、楽しみにしています。

また、部会8「帝国の解体と再生」も、タイトルと、括弧の中の添え書きを見れば、やはり私の最近の仕事と直接に関わっています。

これと・・・

これですね。

裏方をやって何が楽しいかというと、自分の興味のある対象について、自分ではできないことを他の人にやってもらうことができることです。

日本国際政治学会の研究大会の多くは、研究者向けですね。ただし一般向けを意識した「市民公開講座」もあります。

今年は60周年記念大会なのでひときわ規模も大きく、海外から招聘して英語パネルも多くなっています。

非会員でも登録して参加費を払えば聴くことができますが、専門的にその分野に取り組む訓練を受けたことがない人には、それほど強くお勧めしません。

専門家の間の議論の積み重ねの成果が、将来なんらかの形で一般読者の目に触れるところに来ると思いますので、その時までお待ちください。

【今日の一枚】(32)中東の国境線を引き直すなら(6)「イスラーム復興」の野望

中東再分割の地図をいろいろ紹介してきましたが、最も話題になった、印象に残っているのはこれかもしれません。

イスラーム国黒地図2世界
出典:“The ISIS map of the world: Militants outline chilling five-year plan for global domination as they declare formation of caliphate – and change their name to the Islamic State,” Daily Mail, 30 June 2014.

「イスラーム国」が目指すカリフ制の支配領域は、ここまでなのだ、と真偽は不明ですがウェブ上で出回っているものを、いろいろな新聞が転載して、よく知られるようになったものです。

日本の世界史の教科書に載っているような、イスラーム世界の栄光の時代に征服して支配していた土地は全部取り戻すというのですね。「イスラーム国」あるいはそれを支持する勢力がこのような世界観と地理感覚・地理概念を持っていることは確かです。

【今日の一枚】(31)中東の国境線を引き直すなら(5)イスラーム国の黒地図

中東再分割の地図でもっとも有名といえば、「イスラーム国」による中東、そして世界の再分割の野望を示したものとして出回っている、黒地図でしょう。真偽のほどは分かりません。このような発想は広くアラブ世界の民族主義的な界隈に広がっていることは確かですが。

イスラーム国の黒地図1
出典:“The Fall of Mosul to the Islamic State of Iraq and al-Sham,” Institute for the Study of War, June 10, 2014.

「イスラーム国」がモースルを占拠して大きな話題になってすぐに、ISWがブリーフィングのプレゼンテーションのスライドを公開して、その中に、どこからか入手した、「イスラーム国」側がもくろむイラクとシリアの新たな「州(wilaya)」への分割計画を示したものとみられる、このおどろおどろしい黒く塗られた地図が入っていました。これがその後の「イスラーム国」に関する議論でも使われ続けています。実際、その後の「イスラーム国」はおおむねこの地図に基づいた統治・行政区画を主張しています。

これまでに示したように、欧米の言論の場で中東再分割とその地図についての議論が盛り上がっていたところに、「イスラーム国」が出てきて、どことなく符合する独自の案を出してきた(ように見えた)ことが、様々な想像力を刺激したのでしょう。

【今日の一枚】(30)中東の国境線を引き直すなら(4)2007年末のゴールドバーグの記事

ロビン・ライトの中東再分割地図の記事がニューヨーク・タイムズ紙に出て議論の軸になると(この人は英語圏で中東に関していつもそのような役割を負うようですが)、例のArmed Forces Journalはじめ、「うちがこの件では元祖だよ」と言い出すようになったのですが、その中で話題なったのは、オバマ大統領とも近く、中東やイスラエルに強いジャーナリストのジェフリー・ゴールドバーグが2014年6月に出した論稿。「イスラーム国」がイラクのモースルを陥落させ、「中東の地図を塗り替える」と息巻いたところで、「うちは2007年にはこのことを予期していました」と「ドヤ顔」です。まあこういうのも「だからアメリカの陰謀だ」という話のネタになってしまうのですが。

中東分割案アトランティック2007
出典:Jeffrey Goldberg, “The New Map of the Middle East:  Why should we fight the inevitable break-up of Iraq?,” The Atlantic,  June 19, 2014.

この地図はアトランティック誌の2008年1・2月号に最初に載ったものでした。

Jeffrey Goldberg, “After Iraq: A report from the new Middle East—and a glimpse of its possible future,” The Atlantic, January/February 2008.

 

【今日の一枚】(29)中東の国境線を引き直すなら(3)米退役軍人作家の奇想

中東再分割の地図としてもっとも有名で、物議を醸したものが、これ。2006年に、米国の退役軍人の作家が、米軍人さん向けの雑誌Armed Forces Journalに載せたもの。民族や宗派に合致するように国境線を引いたら、こうなるよ、と大胆に引き直してみせた。

中東分割案2006Armed Forces Journal出典: Ralph Peters, “Blood borders,” Armed Forces Journal, June 1, 2006.

これは別に米国の政策でもなんでもなくて、ただ仮説として面白半分に書いただけなようだが、軍人さん向けの雑誌に載ったために、「米国の陰謀!」として中東及び世界の陰謀論で使いまわされる結果となった。

ウェブ版の記事には地図が載っていないのだが、話題になりすぎたから隠したというわけでもなく、単に紙媒体からウェブにデータを移行するときに載らなかったみたい。

2013年9月にロビン・ライトがNYTで中東再分割地図を、ネタとはいえ多少本気な感じで提案して話題になった時に、AFJの編集部も、「弊誌ではずっと先にやっていました」と、改めてウェブサイトに地図を載せている。悪びれた様子はない。「米政府の見解とは無関係、言論の自由です」ということなのだろうが、米国がやることはいちいち注目されるので、もう少し配慮がないものか。「イスラーム国は中東分割をたくらむ米国の陰謀」といった議論をする論者には、軍人さん向けの一般誌のお楽しみの記事でも「動かぬ証拠」になってしまいます。

“Peters’ “Blood borders” map,” Armed Forces Journal, October 2, 2013.

【今日の一枚】(28)中東の国境を引き直すなら(2)キング・クレーン報告書

中東を再分割するなら?という思考実験で用いられる地図のその2。1919年のキング・クレーン委員会の報告書で行われた提案。2013年にアトランティック誌が引っ張り出して来て、ちょっと話題になりました。

キングクレーン委員会

出典:“The Middle East That Might Have Been: Nearly a century ago, two Americans led a quixotic mission to get the region’s borders right,” The Atlantic, February 13, 2015.

1916年のサイクス=ピコ協定での植民地分割密約に固執する英仏に対して、民族自決を掲げたキング・クレーン委員会はキングとクレーンの二名を団長とするアメリカ人主体の調査団を送り込みました。

『サイクス=ピコ協定 百年の呪縛』(新潮選書)でも書いたように、実際には1920年のセーブル条約でいったん極端に分割されたオスマン帝国領土を、1923年までに新生トルコ共和国が一定程度奪い返して決着します。

しかし、より現地の民族・宗教・宗派を考慮して線引きすればこうなったかもしれない、というのがキング・クレーン報告書です。

その後人口構成が変わっているので、アルメニアのところなどは現在は全く現実味がありませんが。イスタンブルの国際管理など、現代には考えられないことですが。

【今日の一枚】(27)中東の国境を引き直すなら(1)ロビン・ライトが書いたもの

シリアの分割を考えるときに参照される歴史地図を先日示しましたが、中東全体に国境線を引き直すなら、という思考実験は多く行われています。いくつか紹介しましょう。

一つはこれ。

中東分割地図1(NYT)
出典:Robin Wright, “Imagining a Remapped Middle East,” The New York Times, September 28, 2013.

この地図に付された記事はこれ。筆者は中東ジャーナリストのロビン・ライト。ワシントンの政治家にも近い有力・有名な人なので、アドバルーンか?と噂されたものです。

Robin Wright, “How 5 Countries Could Become 14: Slowly, the map of the Middle East could be redrawn,” The New York Times, September 28, 2013.

【今日の一枚】(26)シリア内戦の地図と言えばInstitute of the Study of War

地図をいろいろ紹介していますが、これらはみな、英語圏の有力メディアやシンクタンクが上手にcartographyを駆使して作ってくれたものを借用しています(出典とURLは明記してあります)。

New York TimesとかEconomistとか、そういった地図を作るのが上手な人を囲い込んで投資しているから上手なのですが、地図を作る人自体は中東については専門ではないので、中東の情報はシンクタンクなどから仕入れてきています。最も多く参照されるのがInstitute of the Study of Warです。

Institute of the Study of Warのウェブサイトを見ると、逐一レポートが公開されていて、その目玉は戦況を描いた地図です。最近のものだと、
“RUSSIAN AIRSTRIKES IN SYRIA: JULY 28 – AUGUST 29 2016,” Aug 30, 2016.
でしょうか。このような地図が掲載されています(地図PDFへのダイレクトリンク)。

シリア内戦地図2016年8月ISW

トルコの支援で国境地帯に辛うじてへばりついている反体制派が黄色いエリアで塗られていたり、ロシアの空爆が、アラド政権が奪還を目指すアレッポに集中的に行われていたり、といったことが分かります。

【今日の一枚】(25)シリアを分割するなら フランス委任統治時代の試み

本日の地図はこれ。諸勢力が割拠して、徐々に複雑な戦線がまとめられていった先に、何があるか。思考実験ですが、かつてはこんな地図もあったよ、ということで時々参照される地図です。かつてシリアはこのように「分割」されていた時期がありました。

シリアのフランス委任統治分割案
出典:Wikipedia

第一次世界大戦後、サンレモ会議(1920年4月19-26日)を経てセーブル条約(1920年8月10日)が結ばれ、英・仏がイラクとシリアに委任統治領を確保しました。大戦中の英・仏のサイクス=ピコ協定は、その一部分・骨格が残りつつ、随所に変更されました。

当初よりも大幅に影響圏を縮小して、現在のシリアとレバノンにほぼ等しい領域を委任統治領として確保したフランスは、当初、委任統治領を6つの「国」「地区」に分けて統治しました。「国」といっても独立させたわけではなく、フランスが知事を任命して統治していたのですが。

1920年にまず、(1)大レバノン国、(2)ダマスカス国、(3)アレッポ国、(4)アラウィー国(あるいはアラウィー山国)の四つの「国」に分けられました。さらに1921年にはまずダマスカス国から(5)ドゥルーズ国(あるいはドゥルーズ山国)が切り分けられ、また、フランスとトルコ(アンカラ政権)と条約(10月20日)により、アレッポ国のうち(6)アレクサンドレッタ地区(Sanjak of Alexandretta; アレクサンドレッタはトルコ語ではIskenderun、アラビア語ではal-Iskandarunと呼ばれる)が特別な自治権を与えられました。

サイクス=ピコ協定は「民族・宗派の分布に合致していない」と批判されますが、フランスは当初6つの「国」「地区」に分けて、ある程度「民族・宗派の分布に合致した」領域の「国」に分けていたのです。しかしこれはうまくいきませんでした。

結局、1924年以降、ダマスカス国、アレッポ国、アラウィー国、ドゥルーズ国が順次統合されてシリアになります(1941年9月にフランスから独立宣言)。それに対して大レバノン国は分離して、1926年にレバノン共和国となります(1941年11月にフランスから独立宣言)。また、シリアに含まれていたアレクサンドレッタ自治地区は、住民投票を経て1938年に「独立」し、翌39年にはトルコに編入されハタイ県となります。

シリアの内戦により、中央政府(アサド政権)が国土の一元的支配を喪失して久しいですが、もし国家分裂が恒常化すれば、例えばこの地図のような「シリア分割」を行い、主権国家としてのシリアの外枠は残しつつ、連邦制を導入するといった方策が議論されるようになるでしょう。かつてのアレッポ国が、アレッポ周辺で政権は反体制派の複数の勢力が争う場になり、ラッカは「イスラーム国」の拠点となり、トルコとの国境付近のクルド人の多い地域は連邦制・自治領域化を主張するなど、争点となっています。かつてトルコに編入されたハタイ県の近辺も、トルコと関係の深いトルクメン人の反体制派勢力とアサド政権が激しく戦い、ロシアの空爆がトルコを刺激するなど、ホットスポットになっています。

かつての「アレッポ国」の中をさらに細分化する複数の勢力が激しく争っていることからも、この地図のようにシリアを分割して連邦国家を成立させることはそれほど容易ではないようです。中東に国境線を「適切に」引くことはそれほど困難なのです。

【今日の一枚】(22)英エコノミストのDaily Chartはやはり秀逸

昨日、英Economistのシリア内戦勢力図が、4月段階のものと8月段階のものを比べてみると、やはり簡にして要を得た、優れたものであることを見てきました。

日々の記事に添えられた地図やグラフがすばらしいのですが、こういったグラフィックを集めたDaily Chartというカテゴリのコーナーはお勧めですね。

拙著『サイクス=ピコ協定 百年の呪縛』は今年5月の100周年に合わせて出し、地図を多く作成して添えておきましたが、Economistも記念日に合わせてDaily Chartに地図を配信していました。

英エコノミストDaily Chart_May_16_2016
“Daily chart: Sykes-Picot 100 years on,” The Economist, 16 May 2016.

英仏だけでなく、より中東に密着したロシアが、この協定に加わっていたことを描いていますね。帝政ロシアはトルコ南東部の、当時アルメニア人やクルド人が多く住んでいた地域に、南コーカサスの勢力範囲を延伸して介入してきた。そして、イスタンブル周辺の戦略的要衝のボスフォラス・ダーダネルス海峡の支配圏も、英仏に対して認めさせた。結局帝政ロシアが翌年の革命で崩壊したので夢と終わったのですが。そうでなければ世界地図は大きく変わっていたでしょう。

サイクス=ピコ協定は、それが何かの原因というよりは、露土戦争と東方問題の「結果」であるという認識があると、現代の中東情勢を見る際にも、現地の地政学的環境を踏まえた視点が定まります。

【寄稿】『中央公論』9月号に宇野重規さんとの対談が

宇野重規範さんとの対談が『中央公論』9月号に掲載されました。

宇野重規・池内恵「宗教と普遍主義の衝突」『中央公論』2016年9月号(8月10日発売)


『中央公論』2016年9月号

テロや難民問題、そしてSNSの時代の民主主義そのものが、欧州に発し世界に広げてきた普遍主義の理念の限界をあらわにしていく、という課題について対談の席を設けていただきました。

お相手は最近『保守主義』(中公新書)が売れている宇野さん。

私自身は、自由主義や人権といった観念の普遍性そのものが捨て去られたり乗り越えられたりしているわけではないが、その適用の限界が見えてきている、そしてグローバル化の中でイスラーム教という別種の根拠を持った普遍主義との間で摩擦が生じている、という点を、日々の事件や事象の中に常に見出していますので、それについて理論的に考えられて、勉強になりました。

私自身は西欧起源の普遍主義は嘘だ!という立場では全くないのですが、自由や人権という理念を無自覚に内在化していることで、逆にイスラーム教の別種の普遍主義の主張が存在して力を持ち、現に世界の人口のかなりの割合を動かしていることに気づけなくなり、適切に対処できなくなる、そしてそここそが、西欧の近代の自由や人権の基礎が綻びるところなのだ、という問題を以前からあちこちで論じていますが、それをまとめて言う機会を、そして言って受け止めてもらうならもっとも適切な相手を得ました(宇野さんにとって私が適切な対談相手だったかはわかりませんが・・・)。

『サイクス=ピコ協定 百年の呪縛』の出版意図についても話したりしています。

対談した頃にNHKのスクープがあって、巻頭特集をそっちで組むために、編集部は忙しかったようですね。。。

縦横にお話できて、誌面に乗りきらないところも多くある、有益な対談でした。

【寄稿】Voice9月号に『サイクス=ピコ協定 百年の呪縛』についての談話を

長めのインタビューがVoice 9月号に掲載されました。

池内恵「甦るサイクス=ピコ協定」『Voice』2016年9月号(8月10日発売)、183−189頁


『VOICE(ヴォイス) 』2016年 09 月号

この雑誌は初登場です。

目次の前後はこんな感じ。「おもてなし」に経営マインドを持ち込もうとしているアトキンソンさんが英国議会主権を語っているらしい。門川大作京都市長の対談と混同してしまった。

連載コラムには山形浩生さんとか三浦瑠麗さんなど。

Voice2016年9月号目次

『サイクス=ピコ協定 百年の呪縛』の内容を土台に、現在の中東情勢についても議論しました。本を書きながら普段考えていることを活字にしたような形です。

『サイクス=ピコ協定 百年の呪縛』が日経新聞で書評されました

少し前になりますが、日本経済新聞で『サイクス=ピコ協定 百年の呪縛』が取り上げられていたので、記録して、リンクを貼っておきましょう。読み逃した方はこちらからどうぞ。

「サイクス=ピコ協定百年の呪縛 池内恵著 『中東混迷の主因』は真実か」『日本経済新聞』2016年7月17日付朝刊

「いまの中東情勢がサイクス=ピコ協定の結ばれた頃に似ていることを示唆する部分は特に興味深い。」

「中東情勢を考えるうえで的確な視座を得られる。巻末の参考文献のリストも便利だ。」

と書いてくださっています。ありがたい。

この書評が出た効果なのか、直後の20日には4刷が決定され、8月3日には出来てきました。奥付上は8月5日付けで4刷になっています。

新聞書評に出ますと、図書館など制度的な購入が書類上通りやすいといったこともあるのではないでしょうか。

【テレビ出演】本日夜8時から、ニコニコ生放送・モーリー・ロバートソン・チャンネルで『サイクス・ピコ協定 百年の呪縛』について

テレビ出演の情報です。

本日夜8時から、ニコニコ生放送のモーリー・ロバートソン・チャンネルで「池内恵×モーリー 諸悪の根源!?サイクス=ピコ協定」をテーマに出演します

モーリー・ロバートソン・チャンネル2016年7月8日

こんな感じの案内をしてもらっています。

【*先日発売されたばかり、『サイクス=ピコ協定 百年の呪縛(新潮選書)』を参考テキストとし進行していきます。

*百年前の「秘密協定」は、本当に諸悪の根源なのか? “わかりやすくスッキリする歴史観”では絶対悪とされるこの協定。しかし、中東の歴史と現実、複雑な国家間の関係を深く知らなければ、決して正解には至れない。 “わかりにくく複雑な現実”についてディープな議論を行っていきます。】

私はニコニコ生放送というものを視聴したことがないので、どうやったら見られるか分かりません。無料か有料かも存じ上げておりません。

なお、全く関係ないですが、以前に、とあるインターネットテレビ局から、日本人が絡むあるテロ事件の只中の喧騒の中で、電話で執拗に出演の依頼を受けた際、なぜ出られないのか、出る意志がないのかを懇切に申し上げて謝絶したのですが、先方は社会常識を逸脱するほどの長時間食い下がった挙句、電話を切って数分の後、当時は存在していたブログのコメント欄に、極めて口汚ない表現で、「ゴタゴタ言わずに出やがれ!」といった調子のコメントが書き込まれていたことがあり、堅気の世界ではないものを強く感じましたので、それからいっそうインターネット・テレビには関わらないようにしています。

しかし今回出る気になったのは、テロ問題ではなく、『サイクス=ピコ協定 百年の呪縛』(新潮選書)を題材にしたい、と先方が最初から提案してきたことと、モーリーさんと一度お会いしてみたいなと思ったことが理由です(その前の回のゲストが井上達夫先生だということもお伝えいただいたので、それも一つの後押し要因だったかもしれませんが)。

というのは、以前、BSスカパーの「ニュースザップ」のモーリーさん司会の日に出演を了承したことがあったのですが、モーリーさん担当の曜日は私が授業のために出演できないことを失念しておりました。その結果、詩人のアーサー・ビナードさんの司会の曜日に振替となって出演したことがありました。

モーリー→ビナードへの振替というのは、これはどう形容したらいいんでしょうか。今ちょっと頭が回らないので大喜利は他の人にお任せするといたしまして、とにかく、経験なので一度は行ってみて、それなりに楽しかったのですが、何しろ時間も長いしということで、それ以来行っていません。とにかくいい経験になりました。

で、その時はモーリーさんとお会いできなかったので、この機会に一度会ってみようかと思ってお引き受けした次第です。

この番組もやはり長時間のようで、今から先が思いやられます。

【今日の一枚】(20)ヴェルサイユ会議(1919)でのクルド人の国家・領土要求

シリアで、イラクで、そしてもしかすると将来はトルコでも、クルド人の自治や独立要求が強まってくると、そもそもクルド人の国家独立要求の範囲は最大どのあたりまでなの?という関心が沸きます。

国家独立や自治を要求する範囲は、政治状況による、としか言いようがありません。クルド人が住んでいるエリアはありますが、多数派として住んでいる場合と少数派として住んでいる場合が混在しています。時代によって、クルド人の居住範囲は移り変わります。

『サイクス=ピコ協定 百年の呪縛』でも取り上げましたが、第一次世界大戦中と直後が、1つの画期でした。

この時期にクルド人の独立・自治要求が公的に現れ始めました。

最初の国際的な外交舞台での独立・自治要求の範囲を、図示したのがこの地図です。1919年のもの。

クルド人の国家要求範囲1919
Hakan Özoğlu,”Lessons From the Idea, and Rejection, of Kurdistan,” The New York Times, July 5, 2014.

ニューヨーク・タイムズ紙のこのコラムに付された記事は、もともとこのコラムの著者が出した本に掲載された地図に依拠しています。本の中の地図が載っている該当頁を、著者がグーグル・ブックスへのリンクで示してくれているので、それを見てみましょう。

クルド人の領土要求1919シェリーフ・パシャ

地図に付された解説によりますと、1919年のヴェルサイユ講和会議に向けて、クルド人の有力者であるシェリーフ・パシャが、クルド人の独立あるいは自治の領域範囲を地図で示したとのこと。この地図を見てみますと、アルメニア人と領域要求が衝突しないように、アルメニア人が強く領土と主張するヴァン湖のあたりが除外されていたり、地中海岸に到達せず、キリキアのあたりも主張していない。ニューヨーク・タイムズ紙のコラムではこの地図をより見やすく現在の地図の上に被せてくれています。

しかしこれは妥協しすぎだと、別のクルド人有力者が異を唱え、もっと広くガバッとクルド人の領域を主張した地図を示していたようです。イギリスの外交文書館に残っていました。

クルド人領土要求ベディルハーン

こちらの地図では、ヴァン湖も含めており、地中海岸にまで主張する領域が到達しています。

出典はHakan Özoğlu, Kurdish Notables and the Ottoman State: Evolving Identities, Competing Loyalties, and Shifting Boundaries, State University of New York Press, 2004, pp. 39-40.