【テレビ出演】本日(10月30日)夜10時〜NHKBS1「国際報道2015」で解説

特集の文字起こしへのリンクを追加しました。2016年7月3日】

出演情報です。

本日(10月30日)夜10時から、NHKBS1「国際報道2015」に出演し、特集「『IS化』する中央アジア アジア最深部で広がる脅威」で解説を行います。

国際報道2015ロゴ

NHKの番組ウェブサイトの、特集の概要は下記の通り(太字部分)。今後、分析の内容を詰めていきます。

「IS化」する中央アジア アジア最深部で広がる脅威
シリアやイラクで勢力を維持する過激派組織ISが、じわじわと中央アジアに触手を伸ばし始めている。タジキスタンでは、今年5月に治安部隊の司令官がISに寝返り衝撃が広がった。また、キルギスでは今年7月、首都ビシケク中心部で治安部隊がISを支持する過激派の拠点を急襲。メンバー4人を射殺し7人を拘束した。NHKはこのほど、このビシケクの現場を取材。市民や治安当局の話から、失業などで生活に困窮した若い世代にISの勧誘が相次いでいる実態が明らかになってきた。ISが中央アジアに浸透しようとしている意図は何なのか。周囲のロシアや中国、そして世界にどのような脅威となり得るのか。現地からの報告をもとにスタジオで専門家とともに展望する。
リポート:塚越靖一(国際部記者)
出演:池内恵(東京大学先端科学技術研究センター准教授)

「中央アジア諸国での過激派の台頭」「イスラーム国とのつながり」は、安全保障アナリストの間では、2015年の注視すべき課題の一つとして挙げられていました。各国政府も取り締まりを強めていますが、中央アジアを拠点・発信源とする過激派ネットワークの最大手「ウズベキスタン・イスラーム運動」はすでに「イスラーム国」に忠誠を誓っています。7月にはキルギスで過激派組織の摘発がなされると共に、「イスラーム国」側がキルギスの過激派を扇動するビデオ声明を出す、タジキスタンでは過激派対策の司令官が逆に「イスラーム国」に寝返ると宣言してしまうなど、注目すべき動きがあります。

安倍首相は22日−28日にかけて、モンゴルに加え中央アジア5カ国全てを歴訪するという前例のない積極的な首脳外交を繰り広げておりますが、大陸の深奥部であるこの地域に日本は足場も土地勘も乏しく、メディアの報道もどう扱っていいか測りかねているようです。その中で、NHKは現地取材も行って今回の特集を準備してきた模様です。どのようなVTRを見せてもらえるか楽しみにしています。

なお、日本での安倍中央アジア歴訪への反応は、中国のシルクロード経済圏「一帯一路」構想への対抗策、という面を捉えたものが最も有力と思われます。

遠藤誉「安倍首相中央アジア歴訪と中国の一帯一路」『ニューズウィーク』2015年10月26日

ところで、「中央アジアに過激派台頭の兆し」という話題は、日本では一般にほとんど知られていなかったのですが、安倍中央アジア歴訪だけでなく、安倍歴訪を巡って『中央公論』11月号の佐藤優・山内昌之対談で中央アジアの過激派問題が取り上げられたことが、一部での関心の高まりの原因になっているのではないかと思います。

山内昌之・佐藤優「徹底討論ラディカル・ポリティクス−−いま世界で何が起きているか3 シリア難民が成田に押し寄せる日」『中央公論』2015年11月号、150−159頁

この対談の中で、山内氏は自身のカザフスタン・ウズベキスタン訪問で、現地の政府系研究機関の所長がキルギスからの「イスラーム国」勢力の侵入を危惧していたと話すのに対し、佐藤氏はタジキスタンが「内戦の様相が強まっている」と表現しています。それに応じて山内氏は中央アジア5カ国のうちタジキスタンとキルギスは「破綻国家」で「イスラーム国」の州になりかねない、とかなり大胆な予想まで披露しており、佐藤氏も「その認識が日本では決定的に弱いのです」と応じています。佐藤氏はさらにたたみかけて、山内氏が歴訪したカザフスタンとウズベキスタンの大使館員との会話の様子を聞いて、タジキスタン、キルギスの危険性への認識が甘いと推定し、「当然、さまざまな情報を掴んでいないといけないのですが、やっぱり、大使館員の意識は、そんなに高くないのかもしれませんね」と、お家芸である外務省批判につなげていきます。現地の大使館の人員の規模は極めて小さいでしょうから、接遇などで精一杯で、十分に分析までしていられない可能性は大いにあります。

ただし、ここで取り上げられている情報自体は専門家の間では広く流通しているので、まさか大使館員が知らないということはないでしょう。しかし官邸の上の方の政策判断に現場の認識が十分に生かされていない可能性もありますし、現場そのものが兵站の制約などから、首相歴訪で急激に高まる期待に応じるほど機能できていない可能性もあります。こういった指摘は政治の側で適切に受け止めるべきでしょう。

タジキスタンとキルギスを「内戦」「破綻国家」とまで評していいのかどうかはまだ定かではありませんが、確かにそのような激変を想定外にしていてはいけないでしょう。カザフスタンやトルクメニスタンのようなそれなりに安定した資源国と、タジキスタンやキルギスのような治安に不安があり、(過大視されている可能性もありますが)テロの拠点となりかねない国では、別種の対応策が必要であることも言うまでもありません。

この対談シリーズは、ロシアやイスラエルの政府治安当局の発想が露骨に出すぎている部分も多くあり、イラン分析などは一方的なこともあるのですが、中央アジアについては実際にロシアやイスラエルの分析以外に情報が少ないことからも、そのまま事実として受け止めるかどうかは別として、貴重な知見の一端を伝えています。10月26日付の読売新聞の論壇時評にも取り上げられていたようですし、やはり影響力は大きいな、と思います。

関係があるかどうかわかりませんが、結局私などもこうして解説で駆り出されているわけですし。

【寄稿】『中東協力センターニュース』に四半期に一度の中東分析まとめを

連載している『中東協力センターニュース』の10月号に、連載「中東 混沌の中の秩序」の第3回を寄稿しました。「『アラブの春』後の中東政治」の8回の連載から通算すると11回目になります。

中東協力センターニュース2015年10月号

連載の通しタイトルを改めて現在のものにしてから、寄稿の間隔を一定にして、四半期ごと、4・7・10・1月に寄稿することにしました。3ヶ月先はずっと先だと思っていると、すぐに次の締め切りが来てしまいます。結構大変ですが、無理をしても暫定的にでも、4半期ごとに中東情勢の全体像に関してまとめておかないと、どんどん変化して行ってしまって分からなくなってしまいます。

中東協力センターのホームページから、無料でダウンロードできます。

池内恵「ロシアの軍事介入による『シリアをめぐる闘争』の激化」『中東協力センターニュース』10月号、2015年10月、10ー17頁

ダイレクトリンクも貼っておきましょう。クリックするとPDFファイルでダウンロードされます。

中東協力センターの多くの業務は、直接的に中東に関わる企業や官庁などにのみ関係しますが、『中東協力センターニュース』については一般に公開されています。登録しておくと、毎号発行時にメールでリンクを送ってもらえます。ウェブサイトからは各レポートをダウンロードできます。

この連載には、一般紙・誌向けの通常の媒体に書くのとは若干異なる前提で望んでいる。中東協力センターという、中東に日常的に接してある程度事情が分かっている人が多く関与する主体の発行する媒体だから、一定の専門家向けに書いている。そのことが、読者からの評判、読者の浅い思い込み(中東という日本ではマイナーな分野に関しては)に「配慮」しなければならない日本の出版の負の側面から一定程度距離をおくことを可能にしていると私は考えている。

この一連の寄稿・連載はインターネット上で一般公開されていることから、中東について専門家の間で日々に話しているようなことが、より広く一般に伝わる機会となるといい、と考えてきています。

【歳時記】秋は学会

あんまり研究者の生活って知られていない気がする。

前回は、私の事例から「海外渡航」はどのようなペースでやっているのか、それが基本的な、「調べて書く」という作業とどう噛み合うのか噛み合わないのかについて書きました。これは個人差があり、専門分野によって大きく相違があります。私のスケジュール自体が毎年変わりますので、私というそれほど一般的ではないかもしれない研究者のある年の一例を出したまでですが、私は当分このようなペースで仕事をしそうな気がします。

今回は「学会」について。今回もまた、私のスケジュールに基づき、個人的な「歳時記」のように記して、大まかなイメージを持ってもらえればいいかな、と思います。(今年中、今年度中にあと何ができるか、何をすべきかについて目下のところ整理中のため、こんな内容のブログポストが続きます)

「学会」って言葉は安易に使われることもあるけれど、学会で、本筋としては何が行われているか、ということについて、一般にはあまり知られていない。専門の研究者にとっては当たり前のことなので、あえて初歩から書く人はあまりいない。しかしSNSなどで素人が「学会」に言及しているのを見ると、あまりに実態とかけ離れた認識があるようだ。

また、そのような一般読者の誤った学会像に影響を受けて記事を書く大手紙・誌の慣れてない記者までも出てきて、いっそう混乱を広めることすらあるので、このブログでも時折、実際に研究者はどこで何をしているのかについて、あえてミクロの視点で書いておきたい。

たとえば「学会ボスを囲む派閥の飲み会での陰口」の次元での評価とか(最近はそれが匿名SNSアカウントに漏れ出す)、「学会有志」の集団での何やら高みに立った政治的発言とかも、それが実際に研究資源の配分の場になっていたり、権力を行使する経路になっている以上、「学会」の活動であると言えないこともないが、それは本来の学会の機能や仕組みとは違いますよね。

学会は、通常は、本来なら、「研究発表」の場ですね。予算とかは直接学会を通して動くことはあまりありません。

学会とはもっと純粋に、大会で発表したり、学会誌に寄稿したりするためのものです。それを運営する際にはお金とか権力が発生しないこともないですが、たいしたことはありません(「学会で有力」という触れ込みを他所で使ってそれらを手にする人はいますが、学会としては関知しないのが原則です)。

よくある怪しいサプリなどの広告のように「学会で発表された」というのはそれだけではたいした意味を持ちません。それではどうなれば意味ある学説なのか、というと、これはそう単純ではない。ただし、確実に言えることは、「偉い人がお墨付きをしてくれたから正しい」ということにはなりませんし、そのような正しさを判定できる「偉い人」という主体は、学会内にはありません。実力者とか権力者っていうのはどこの社会にもいるわけで、そういうのは多くの学会にいたりしますが、その「実力」「権力」は、学説の正しさとは無関係であり、日頃の別種の努力の賜物です。それを学説の正しさと混同するかどうかは、本人およびそれを受け止める側の問題です。

重要なのは、学会の大会や学会誌で発表されたものが、その後どれだけ事実によって検証され証明されるかです。正しい知見を世の中に成立させる、一つの重要なプロセスとして学会発表や学会誌はあります。このプロセスは万能ではありませんし、一つ一つの行いはそれほど目立たず、報告や論文は時に間違ってすらいるものですが、それらを発表する場を確保して、適切に集合知を集め検討する場を提供し続ければ、やがてはそこから何かが生み出されます。しかし集合知が集まらないような制約を、権威主義や学閥等によって課せば、学会は面倒なだけで役に立たないものになります。

・・・といった学会の機能とその機能を発揮させるための条件を踏まえて、研究者は学会にほどほどに付き合うのがいいのではないでしょうか、というのが私の姿勢です。

ですので、私としては、学会での報告や寄稿が多い年と、そうでない年が交互にくるぐらいがちょうどいいと思っています。

2013年度は集中的に学会誌に寄稿していました。その成果を一般読者でも読めるようにコンパクトな新書に落とし込んだのが『イスラーム国の衝撃』(文春新書)でした。

今年度は大会報告が多い年になりそうです。秋の学会シーズンが始まっていますが、今後の発表の日程のうち、明確に「学会の研究大会」と謳った場所での報告は、以下のものになるでしょうか。

池内恵「中東の安全保障環境の激変と日本の関与」日本国際政治学会2015年度研究大会・共通論題「日本の安全保障―戦後70年からどこに向かうのか―」2015年10月31日(仙台国際センター、大会期間10月30−11月1日)

池内恵「拡大と拡散ーーグローバル・ジハードの展開の二つのモード」日本防衛学会平成27年度(秋季)研究大会・部会2「IS:イスラム世界の蠢動」2015年11月28日(防衛大学校、大会期間11月27日ー28日)

池内恵「オバマ政権の中東政策ー「アラブの春」とグローバル・ジハードに直面して」国際安全保障学会2015年度年次大会・部会4「オバマ政権の外交・安全保障政策再考」2015年12月6日(慶応義塾大学・三田キャンパス、大会期間12月5−6日)

「共通論題」や「部会」というのは、日本の学会の仕組みでは学会の企画委員会などが企画したパネルに依頼されて発表するというものです。理工系では「招待講演」というものにあたるようです。私は国際安全保障学会や日本防衛学会の会員ではありませんが、部会や共通論題で依頼を受けた時には報告することができます。

もちろん学会に入っていれば、公募に答えて応募してパネルを組んで、研究大会で発表することもできます。私は日本国際政治学会では自分が参加している研究プロジェクトのパネルを立てて報告したかったのですが、自分自身が企画委員会の委員である上に、共通論題の報告を引き受けてしまったので、同一あるいは連続する大会での複数回報告の禁止に引っかかってできませんでした(発表の機会をより多くの会員に開くためです)。

実際には、学会の研究大会と銘打っているものだけでなく、随時開かれているさまざまな研究会に呼ばれて発表するのが私の日々の主な仕事です。非公開の研究会で、自説を専門家の間に広めつつ、検証してもらい、そこから多くを吸収するのです。ただそれらは非公開なので、ブログ等で公表することはあまりありません。もう少し広い聴衆へ向けた講演などは、講演録・議事録が公開されることもあります。それらも重要な仕事です。

2013年度と2015年度の間の2014年度は、表向きは学会誌への発表は少なかったのですが(学会発表はありました)、むしろ学会誌の編集委員会の委員として編集のお手伝いをしたことが、記憶に残っています。そのうち一つが、日本国際政治学会の『国際政治』の編集委員会書評小委員会、というもので、委員会で議論していると、いつしか、私の興味を持った本やテーマについて、力の入った書評優れた書評論文が発表されるといった形で、間接的に集合知の形成に関われたりもするので、やりがいがあります。ただ、けっこう手間がかかって面倒ですけれども。

今年度・来年度は日本国際政治学会の企画委員も仰せつかっているので、いろいろ考えないといけませんが、中東の変化が激しすぎてそちらに取り組んでいるとちょっと頭が追いついていきません。いろいろご迷惑おかけしています。

理事(戦略研究学会)とか評議員(日本中東学会)といった役職を拝命している学会もありますが、支配的な立場には一切立っておりません。基本的には私は役職が似合う人間ではなく、皆さんもそれを分かっているので、「企画屋」としてスポットで呼ばれることが多いです。しかし私に企画を立てる時間もなくなると、懲罰で私が登壇させられたりしています。

「学会発表をしていなければ研究者ではない」とは言い切れませんが、あんまり長い間離れていると、やはり頭が錆びついてきます。一般メディアで根拠なく「大先生」のように扱われているうちに、知りもしない分野について語ることが当たり前になってしまう人を見ますが、「こんな内容をその専門の学会で話せるか?」と内省して自制してくれたらいいと思います。最近は学会もヘタレたものが出てきて、客寄せになるならといい加減な人を特別講演で読んだりすることもあると聞きますが、感心しませんね。学会は地味にやればいいんです。

それとやっぱり国際学会でも定期的に発表するようにしていないと、勘が鈍りますね。日本の機関のお膳立てで行く講演はあまりこの意味では役に立たないので、アウェーでの学会に応募して行くのが一番です。すごく緊張します。

【年末に向けて棚卸し】海外渡航の概要(2015)

あまりに忙しくて、今やること、先にやるべきこと、やるべきでないかもしれないがやらなければならないことなどが混乱していて回らなくなっている。

自分への整理のために。今年何をしていたのだっけ、と振り返る。

研究にはインプットとアウトプットという性質を異にする段階があり、しかも複数のテーマについて並行して考えているので、あるテーマについてのインプットを行いながら、別のテーマについてのアウトプットを出すべく踏ん張っていたりして、もともとバランスを保つのは難しい。

大学内にある「附置研究所」の所属なので研究が中心といえども、大学の中の各学部からの講義の依頼を受けると引き受けているので、普通の教師としての任務も多くなっている。授業はある時間、ある場所に固定するというコミットメントが必要なので、研究のインプット・アウトプットの作業の最適化を時に制約することがある。

その合間に海外に行く。よく「しょっちゅう現地に行かれるんですか?」と聞かれるが、地域研究をやっている人間にはイラっとくる質問だろう。地域研究者が経歴のある段階で「現地」に行くことは重要で不可欠だが、ある程度方向性を固めてからは、むやみに「現地」で見聞きしたことをそのまま書いたり話したりはしない。そんな簡単な問題ではないということが分かるようになるからである。現地で感じる新鮮な驚きのようなものを常に忘れてはならないが、「現地の現実」はそう簡単に、ちょっと行ってきたぐらいで見いだすことはできないし事実として確定して表現はできない。そのことにある段階で気づかなければ、ほとんど地域研究者失格と言っていい。だから素人の質問に「イラっ」とするのである。また、口々に皆そう訊くので、困ったことである。

実際には、海外出張に行っているときのほうが、忙しくないとも言える。会議であれば会議に集中するしかない。現地調査であれば、比較的自分の自由になる時間を最初から作っている。日本にいる時よりも自分のペースで仕事ができる。

ただ、海外にいる間は日本での仕事は止まるので、行く前と、帰ってからとてつもなく忙しくなる。月に一度ぐらい海外に行っていると、日本にいる間はきわめてせわしなくなる。

私の今年の課題はインプットよりアウトプットであり、そのためには日本にいて、かつ事務仕事や細々とした仕事に煩わされずに研究室にこもる時間をどれだけ作れるかが勝負である。そのためには、緊張する海外での仕事は刺激になるとはいえども、アウトプットの量を阻害しているのではないかという気がして常に不安である。もちろん海外でのやり取りやそこから自然に生まれるインプットは将来の仕事の質と量を支えるのだが。インプットをやめれば将来に制約要因となるので、苦しくとも行き続けるしかない。

今年は例年に比べて、海外渡航が多かった年ではない。どちらかというと、アウトプットを出そうと極力日本にいたが、それでも短期出張が飛び飛びに入ってしまった、といった具合の年だった。中東の現地調査をやりにくい国が増えてしまったこともあり現地渡航がそれほど多くなかったが、塵も積もればといった具合に海外渡航の数が重なった。年初からの海外渡航の記録を振り返り、3月の年度末までの今のところ入っている予定だけでも見てみよう。

2015年
1月 アメリカ合衆国(ニューオーリンズ)
2月 チュニジア(チュニス)
6月 アラブ首長国連邦(アブダビ)
8月 ドイツ(ミュンヘン)、ロシア(ウラジオストク)
9月 イギリス(ロンドン)
11月 インドネシア(ジャカルタ)
12月 アメリカ合衆国(ワシントンDC)

2016年
1月 プエルトリコ(サンファン)、カタール(ドーハ)
2月 イギリス(ロンドン)、中東某国

こう一覧にしてみると、中東の現地調査と欧米での学会・会議発表、それにちらほらと東南アジアやロシアも入ってきていたりする。プエルトリコは学会発表です。

1月には、7日のシャルリー・エブド誌襲撃事件と、20日の日本人人質殺害脅迫映像の公開の間に、アメリカで学会発表に行っていたのを思い出す。ちょうどその日に『イスラーム国の衝撃』が発売された。

1月20日の殺害脅迫映像で始まったこの事件が、2月1日の陰惨な結果に終わった後、予定通りチュニジアに調査に行った。その翌月、チュニスのバルドー博物館へのテロが起き、チュニジアへの攻撃と動揺が表面化した。

3月から5月は、新学期の立ち上げと同時に、人質事件への検証委員会というものに入って忙殺されていた。それが終わったころにアブダビに行ったが、その間にもクウェートやチュニジアでのテロなどがあって緊張した。

その後は、会議・学会・会議・・・という感じの短期出張の繰り返しですね。行って帰ってきて時差を直すだけでなく、書類なども大変だ。

しかしこうして渡航日程を見ると、私の年代の似たような仕事をしている研究者の中では、決して多い方ではないと思う。

どうも、国際問題に関して一般書であまりにも研究業績に基づかない発言を繰り返す論者が「学者」であるかのような誤解が広まってしまったため、実際に国際問題を扱って議論をするならどのような生活をしていなければならないかがあまり理解されていないような気がする。

私の適性に対応してそれほど会議の依頼が多くはこないのと、今年は特に、執筆のために、私自身が意識して海外渡航を減らしてしているがゆえにこの程度で済んでいる。

海外に行っていない月は、これは日本での職業上の制約からまったく行けないから行っていないのです。大学で教えていると学期中に海外に行くのはもともと大変だが(先端研という職場は特殊に自由にしてもらっています)、学期初めの4・5月などはまあよほど無理をしないと行けないですよね。

同世代の活躍している国際政治学者は、もっと頻繁に海外に行っている。近年は、アカデミックな教育を受けた人間が日本を代表して話すことが以前よりも強く求められる。またその意味がようやく理解されてきたこともあり、日本から送り込む人間が求められている。そういった選考にどこかで引っかかってきて依頼が来ると、日程が調整可能で、テーマが私に対応できそうなものであれば、極力対応している。しかしあくまでもアウトプットの邪魔をしない限りにおいてである。

また、依頼・招待ではない英語での学会発表は年に何回かは自発的にやることにしています。不利な条件下で、前提が全然違う人たちに向けて話すことは訓練になりますからね。また、世界中の、同じ問題について異なることを考えている人たちと会うことができます。

私は「会議屋」(この言葉は自嘲気味に使われることもあるが、ここでは肯定的にそういった能力を捉えている)としての適正な訓練を受けていないので、国際会議での発言は見よう見まねであり、できればより適性がある人に回したいという仕事も多い。問題はあまり適正のある人が多くないので、私などにも多く仕事が降ってきてしまう。適性のある人が多くないという事実については、教育の問題でもあり、教育にも最近は少しずつ携わるようになった人間として、やがては若干の責任も負うことになるかもしれない。今のところは、上の世代のツケが回ってきているということをひしひしと感じる。

しかし、教育は社会の需要がないことについては成果が出ない。社会はそもそもどのような人材を求めるべきか、という次元から問題提起をしていかなければならないのかな。

今日は少し取り止めのない話になってしまった。年の暮れが迫ってくると、今年の仕事の棚卸しをしながら、来年を考えるようになる。

片棒

・・・担いでまあす。

例の『文學界』の特集「反知性主義に陥らないための必読書50冊」が増強されて、「70冊」となり、10月26日に発売予定です。


「反知性主義」に陥らないための必読書70冊

雑誌掲載時の企画そのものに難癖をつけている苦言を呈するという私の文章の趣旨から、私の部分は掲載時のままで最低限の修正のみだが、他の論考を見ると、雑誌掲載時の私の寄稿に言及してくれている人もいる。

配列が50音順になったので私は4番目に来ています。

池内恵「『日亜対訳クルアーン』中田考監修」文藝春秋編『「反知性主義」に陥らないための必読書70冊』2015年、16−20頁

反知性主義必読書70表紙

【掲載情報】『週刊ダイヤモンド』の特集「『読書』を極める!」にインタビューが

『週刊ダイヤモンド』にインタビューが掲載されました。


週刊ダイヤモンド 2015年 10/17 号 [雑誌]

「池内恵 全ての文献を網羅して”知の体系”に近づく」『週刊ダイヤモンド』2015年10月17日号(10月10日発売)、43頁

特集「『読書』を極める!」の中に1頁ひっそりと掲載されています。

インタビューを受けてから私の校閲が入るのかと思ったら入らなかったので、私が責任を負った文章ではありません。かなり明確にニュアンスを伝えたにもかかわらず、なおも通俗的な書き方になって異なる印象を与えているところがいくつか見られました。

冒頭に、「読書について、広く一般の読者に向けた話をする際には、いつもちゅうちょすることがあります」と書き始めてくれたのは正解で、「あなたの本の読み方を紹介することで読書案内としたい」という依頼を受けた時にはまずこのことから始めます。私は職業として本を読んで書いており、時には本を買うことに予算がついていたりするので、その読み方や買い方は、趣味で読書をする人とは異なります。ですので、私の本の読み方、買い方はそのままでは参考にはできないのではないかな、と考えています。

以前『公研』で林望さんとまさに読書をめぐって対談した時に、冒頭でどちらかともなく、「本を読め」と勧めることへの「躊躇」を互いに話し始めましたので、同じような感覚なのだな、と思いました。職業だからたくさん読むこともできるし読まなければならない環境にあるのだから、一般読者に向けて「この本を読め!」なんてとても恥ずかしくて説教できない、という「含羞」の感覚です。

(なお、『公研』は会員頒布のみの非売品で、読者から依頼・問い合わせが多く来ると小さな編集部は回らなくなるだろうという配慮から、掲載情報を通知していません。売れることを考えなくていい会員頒布物なので、研究者などの普段話している視点がストレートに出た対談などが載っていることが多くあり、編集者の中には『公研』を入手して本の企画の参考にしている人もいるようです)

さて、この冒頭で、本の読み方指南をすることに躊躇する旨を述べた後、私はこう語ったことになっています。「ですから、職業として本を読み、物を書いている今でも、本の買い方、読み方、置き方など、全てが普通ではないのです(笑)」。

そう聞こえたのであればやむを得ませんが、実際には異なる意味を伝えようとしていました。しかし記者が文章のつなぎ方を次のようにしたために、伝わる意味が変わったのです。

記事では「職業として本を読み、物を書いている今でも・・・普通ではない」というつなぎ方をしていますが、そのように私は話していないはずです。「職業として本を読み、物を書いているから・・・普通ではない」というのが私の言っていたことで、そうすれば冒頭の「躊躇」にも自然につながります。さらに記事ではここで(笑)を入れているので、なんだかつまらない本読み自慢をしているようにも見えかねませんが、実際には「職業ですから、普通の買い方、読み方はしないので、あまりご参考にはならないと思います(ため息)」のような語り方をしているはずです。

文章というものは文脈をどう設定するかが大部分ですから、このように文章と文章をどう接続するかで、全く意味が変わり、印象が変わります。

もちろん「参考にはならないと思います」と書くと真に受けてがっかりする読者もいると思うので、記者は分かっていて違う意味に変えたのだと思います。ただし本当に完全に参考にならないわけではなく、「参考にならないような読み方を参考にする」ことは可能なはずですので、本来私が語ったように書いて欲しかったのですが。また、「参考にならないような買い方、読み方」についてもっといろいろ語りましたが、それらはほとんど記事に反映されていません。紙幅も足りないですし。それについては『書物の運命』などを読めば多くが書いてありあす。ただし絶版ですが。

読書をするとは、文そのものだけでなく、文脈を読み取ったり自ら構成していく力を身につけるためのものであると思います。読書が力になるということはそういうことです。職業的に文章を書かなくとも、日常的に、言葉によって文脈を作り、意味づけていくことで、生活は変わります。

さて、私のインタビュー記事はともかく、書店や図書館の使い方を含めた、様々な読書情報が載っている。特集の冒頭は「成毛眞と本を買いに」。

そして特集の第一部「知性を磨く読書術」の片隅に私のインタビューも掲載されているのですが、その冒頭は4頁を使って、やっぱり佐藤優。ここでも佐藤優。常になんらかの形では面白いと言える部分を含めることができる、一定のクオリティを保っているという意味では確かにすごいのですが、私のところに来る月刊誌や週刊誌、ほとんどあらゆる号に載っているので、正直、飽きてきます。

そしてここでも「反知性主義」にひっかけて話をしている。

そして「ただ、反知性主義ということで、一つ言えるのは、森本あんりさんが書いた『反知性主義』(新潮社)は読まない方がいいです」(34頁)なんて言っている。ありゃりゃ。

「反知性主義に陥りたくなければまず、声高に他人を「反知性主義」と罵っているような人々の名前で出た本は読まない、というところから始めることが鉄則だろう。」なんて書いた人への反撃か。森本あんりとホーフスタッター以外は全部便乗本、とか書いてしまったからなあ。事実だけど。

山形浩生さんはこのあともう面倒になっちゃったのか。多分本業が忙しくなったのだろう。

なぜ森本あんりさんの本を読んではいけないかというと、リチャード・ホーフスタッターの『アメリカの反知性主義』などに依拠していることから、「現在日本で問題になっている反知性主義の文脈とは異なるからです」とのこと。

だったら日本の現象については「反知性主義」ではない違う概念を考えたらいいのに、それこそが知性でしょ・・・と思いますが、もう言い出してしまったから仕方がないのでしょう。「反知性主義批判」を旗印に知性派をもって任ずる学者やコラムニストが衆を恃んでいくつも出版プロジェクトや言論集会などを立ち上げてしまい、出版業界がビジネスとして動き始めてしまった。インテリならちょっとだけ聞いたことのあるホーフスタッターの「反知性主義」の意味を、実はよく知らないで正反対に使ってしまって「バカ」を批判するちょっとかっこいい上から目線の言葉として使ってしまったらこれが出版や新聞業界でウケてしまった。佐藤さんは元の概念からのズレに最初から気づいていたかもしれませんが、日本の現代のインテリの運動としての(概念を取り違えて始まった)「反知性主義」批判の波に乗ってしまった以上、もう引っ込むわけにはいかない、ということでしょう。佐藤さんは日本型「反知性主義」批判の不可欠なポスターボーイです。行き過ぎたイスラエル諜報筋全知全能論とともに、(米国の元ネタとは全く反対の定義での)「反知性主義」批判も、佐藤さんの絶対譲れない議論となっていくのでしょうか。それを無批判に拡散する出版・新聞業界の知性こそが問われなければなりません。

この特集で佐藤さん自身が良いことを言ってくれている。

「ただし、「悪貨が良貨を駆逐する」として知られる”グレシャムの法則”は、どのような市場でも成り立ちます。出版業界には、再販売価格維持制度の下で、取材にコストを掛けることなく、損益分岐点を超えることしか考えず、納期を最優先して粗製乱造を続けている会社があります。中長期的には、消費者の信頼を失って、沈没してしまうと思います。」(35頁)

佐藤さんは物事の本質をついたことを、文脈とは無関係に頻繁にすらっと言えてしまう本能か才能をお持ちなのでしょう。思うに、啓示の言葉を読んできた人ならではの言と思います。啓示ってのは、唐突に真実を言ってしまうものです。

この一節は、「何でもかんでも佐藤優(か池上彰)に頼めば損益分岐点は超える商品にしてくれる」と頼りきって同工異曲の記事や本を濫造する出版業界への痛烈な批判にも読めました。

ああ、読書っていいですね。

韓国語版『イスラーム国の衝撃』

久しぶりに、『イスラーム国の衝撃』についてアップデート。

『イスラーム国の衝撃』には韓国語訳があります。かなり前に出ているはずです。しかし手元に送られてこないのです。翻訳されてもなかなか著者の手元に来ないということはよくあることです。日本語に訳されている外国語の本についても、日本語だとよく分からないということもあり、原著者の手に訳本が渡っていないケースは目撃してきました。私自身もそのような状態にあるわけです。

ふと思い出したので文藝春秋を通じて調べてもらっているのですが、とりあえず韓国語訳についての出版社のホームページはありました。

http://21cbooks.book21.com/book/new_book_view.php?bookSID=3979

タイトル(らしき)ところを見ると그들은 왜 오렌지색 옷을 입힐까とあります。自動翻訳にかけてみますと、「彼らはなぜオレンジ色の服を着るのか」といった訳が出てきます。

表紙の写真を見ると、そこにはISと大きく書いてあります。

韓国語版『イスラーム国の衝撃』表紙

たぶんこれであっているようです。

ホームページには日本語原著タイトルだけは日本語で表示されております。その下は私の名前のハングル表記。

이케우치 사토시, 그들은 왜 오렌지색 옷을 입힐까, 21세기북스, 2015.

ということでいいのかな、書誌情報的には(勉強していない言語なのであてずっぽうですが、自動翻訳という人工知能でこの程度はわかるものなのだなあ、あらかじめ知っている内容であれば)。3月29日に刊行されていたようです。日本語版が1月20日に出た後に交渉がありましたから、早いですね。かなりの速度で翻訳されて出たようです。

この本の韓国での翻訳権は競りにかけて、諸条件を勘案して比較的良さそうな条件を出してきた出版社にしました。競合して条件を提示した新聞社系の出版社も良さそうでしたが、新聞社系ではない文藝春秋の本ですので、同じような性質の出版社に出して欲しいですね。韓国の学者による独自の解説などをつけるという提案があると、かえって本文と別の議論がなされるかもしれず予測がつかないので、そのようなものがつかないこの出版社にした記憶があります。

例えば外国の本で、日本語訳では例えば佐藤優さんや池上彰さんの解説がついて、表紙でも帯でもそちらの名前と写真が大きく出ているようなことがありますが、そのような事態がなるべく起こらないようにと考えたのです。

ただ、韓国の出版事情にそれほど詳しくないので、出版社の性質や、どのような売り出し方、売れ行き、受け止め方であったかなどは、分かっていません。調査中。

 

 

 

【寄稿】『週刊エコノミスト』でモーゲンソー『国際政治』を取り上げたら学会誌『国際政治』でもモーゲンソーを

『週刊エコノミスト』で5回に1回担当する読書日記、15回目の今回は、このブログの「日めくり古典」で長期にわたって少しずつ紹介した、モーゲンソー『国際政治』を取り上げました。紙媒体とのメディア・ミックス(死語か)。


週刊エコノミスト 2015年 10/13号 [雑誌]

池内恵「日本人が理解できない民主主義の世界基準」『週刊エコノミスト』2015年10月13日号(第93巻第41号・通巻4418号)、10月5日発売、55頁

ブログで日めくりで紹介した勘所に、フェイスブックで配信したエッセーで書いたmajority rule, minority rightsの話も入れ込んであります。紙媒体だけを読む人向けには導入として、ブログを読んでから読む人には頭のまとめとして。

そして、今日、授業を終えて、その足で今月末に行われる日本国際政治学会の共通論題の報告者の事前打ち合わせに査問されていたので、会合の場所に急いだのだが、研究室の本の山から掴んで鞄に突っ込んで持ち歩いていたのが、届いたばかりの日本国際政治学会の学会誌『国際政治』第181号。

そこに掲載されていた書評論文がまさに、モーゲンソー『国際政治』と、E・H・カーの『危機の二十年』を取り上げるものでした。

当ブログ9月21日付「【日めくり古典】モーゲンソー『国際政治』から翻訳者に遡ってみた」でも、モーゲンソーの翻訳者つながりで、読みやすい新訳で岩波文庫に入って、今読むべき古典としてカー『危機の二十年』も併せて紹介しておりました。『国際政治』の編集委員・書評委員も、同じ取り合わせでの紹介を有意義と考えていたということで、なんとなくうれしい。

しかも筆者は渡邉昭夫先生。

渡邉昭夫「E・H・カーとハンス・モーゲンソーとの対話」日本国際政治学会編『国際政治』第181号「国際政治における合理的選択」(2015年9月)、159−169頁

渡邉先生の駒場の教養課程の国際関係論の授業、かなーり後ろの方の席で受けました。幾星霜、あちらは依然として現役で由緒正しい学会誌で、こちらはやさぐれてブログの野戦場と経済週刊誌の1頁もの瞬間芸で、同じ対象に取り組んでいたことを光栄に感じまする。

学会誌を読んで難しいと感じたら『週刊エコノミスト』を買って、当ブログを読んでね。

今号は不得意分野の合理的選択論特集なので、よく読んで勉強いたします。

【日めくり地図】アフガニスタンのターリバーンと「イスラーム国」による攻撃箇所

ターリバーンのクンドゥズ制圧を受けて、10月1日にアフガニスタンの地図を載せておいたのですが、アフガニスタン国軍による奪還作戦を支援した米軍のクンドゥズ空爆が、「国境なき医師団」の病院を誤爆したということで、大きな問題になっています。

今日はもう一枚アフガニスタンの地図を掲げておきましょう。

ターリバーンの攻勢激化
出典:“Afghan conflict: US investigates Kunduz hospital bombing,” BBC, 4 October 2015.

米軍の撤退を受けて、各地でターリバーンが復活し攻勢に出ています。また、ターリバーンの中で、これまで生きているとされていた最高指導者オマル師の裁可を受けて進められていた(ように見せられていた)アフガニスタン政府との和平交渉が不透明になり、分裂の様相を呈しているようです。つまり、ターリバーンをターリバーンも統制できない。そして、ターリバーンの一部、あるいはそれになびいていた勢力が近年に国際的知名度や維新を高めた「イスラーム国」に呼応してそれを名乗って攻勢に出る動きも出ています。

アフガニスタン政府軍はクンドゥズ中心部からはターリバーン勢力を放逐したとみられますが、周辺部に戦闘は拡散しているようです。

1970年代に始まった内戦以来のアフガニスタンの混乱は、収まりそうにありません。

なお、クンドゥズの誤爆は、アフガニスタン情勢にとどまらない意味があります。

アメリカとしては、ロシアのシリア介入で、名目としている「イスラーム国」を狙っていない、一般人を殺傷している、と批判を高めようとしたところにこれですから、即刻オバマ大統領が徹底的な検証を約束する事態になりました。

もちろんロシアとシリア・アサド政権の方は、テンプレートで「殺した相手は全部テロリスト」「誤爆は欧米メディアのでっち上げ」と言い続ければいいので、調査や検証が行われることもありません。「アメリカではホワイトハウスの前でアメリカ大統領の悪口を言えるが、ロシアでは赤の広場でアメリカ大統領の悪口を言える」という冷戦時代のジョークが復活している様子です。

日本の某公共放送局もホームページでうっかり「米ソ」の対立を報じてしまったそうですが、世界的に、冷戦時代を知っている論者たちが昔を思い出して小躍りするような状況が生まれています。

ただ、実際にロシアがかつてのソ連のような超大国としての力があるのかは、エコノミストやフィナンシャル・タイムズといった欧米の有力メディアでは疑問符が付されることが多いです。私はこれを「プーチン栄えて国滅ぶ」テーゼと呼んでいますが、それが一体どういう論拠での議論なのか、どの程度妥当なのか、そのあたりを考えていくことが、ロシアそのものの「台頭」や、その中東への影響について検討していく手がかりとなると思います。私自身もまだ結論は出せていませんが。

ただ、冷戦時代の初期の雰囲気はもしかしてこのようなものだったのかな?などとも思います。

【日めくり地図】ターリバーンが支配領域を拡大

今日の地図。

9月28日、アフガニスタン北部クンドゥズをターリーバンが制圧。アフガニスタン政府軍が奪還作戦を行っている。

アフガニスタン全土の地図を見ると、各地にターリバーンの活動地域が広がっている。

アフガニスタンのターリバーン活動地域

出典:”Taliban Presence in Afghanistan,” The New York Times, September 29, 2015.