【歳時記】秋は学会

あんまり研究者の生活って知られていない気がする。

前回は、私の事例から「海外渡航」はどのようなペースでやっているのか、それが基本的な、「調べて書く」という作業とどう噛み合うのか噛み合わないのかについて書きました。これは個人差があり、専門分野によって大きく相違があります。私のスケジュール自体が毎年変わりますので、私というそれほど一般的ではないかもしれない研究者のある年の一例を出したまでですが、私は当分このようなペースで仕事をしそうな気がします。

今回は「学会」について。今回もまた、私のスケジュールに基づき、個人的な「歳時記」のように記して、大まかなイメージを持ってもらえればいいかな、と思います。(今年中、今年度中にあと何ができるか、何をすべきかについて目下のところ整理中のため、こんな内容のブログポストが続きます)

「学会」って言葉は安易に使われることもあるけれど、学会で、本筋としては何が行われているか、ということについて、一般にはあまり知られていない。専門の研究者にとっては当たり前のことなので、あえて初歩から書く人はあまりいない。しかしSNSなどで素人が「学会」に言及しているのを見ると、あまりに実態とかけ離れた認識があるようだ。

また、そのような一般読者の誤った学会像に影響を受けて記事を書く大手紙・誌の慣れてない記者までも出てきて、いっそう混乱を広めることすらあるので、このブログでも時折、実際に研究者はどこで何をしているのかについて、あえてミクロの視点で書いておきたい。

たとえば「学会ボスを囲む派閥の飲み会での陰口」の次元での評価とか(最近はそれが匿名SNSアカウントに漏れ出す)、「学会有志」の集団での何やら高みに立った政治的発言とかも、それが実際に研究資源の配分の場になっていたり、権力を行使する経路になっている以上、「学会」の活動であると言えないこともないが、それは本来の学会の機能や仕組みとは違いますよね。

学会は、通常は、本来なら、「研究発表」の場ですね。予算とかは直接学会を通して動くことはあまりありません。

学会とはもっと純粋に、大会で発表したり、学会誌に寄稿したりするためのものです。それを運営する際にはお金とか権力が発生しないこともないですが、たいしたことはありません(「学会で有力」という触れ込みを他所で使ってそれらを手にする人はいますが、学会としては関知しないのが原則です)。

よくある怪しいサプリなどの広告のように「学会で発表された」というのはそれだけではたいした意味を持ちません。それではどうなれば意味ある学説なのか、というと、これはそう単純ではない。ただし、確実に言えることは、「偉い人がお墨付きをしてくれたから正しい」ということにはなりませんし、そのような正しさを判定できる「偉い人」という主体は、学会内にはありません。実力者とか権力者っていうのはどこの社会にもいるわけで、そういうのは多くの学会にいたりしますが、その「実力」「権力」は、学説の正しさとは無関係であり、日頃の別種の努力の賜物です。それを学説の正しさと混同するかどうかは、本人およびそれを受け止める側の問題です。

重要なのは、学会の大会や学会誌で発表されたものが、その後どれだけ事実によって検証され証明されるかです。正しい知見を世の中に成立させる、一つの重要なプロセスとして学会発表や学会誌はあります。このプロセスは万能ではありませんし、一つ一つの行いはそれほど目立たず、報告や論文は時に間違ってすらいるものですが、それらを発表する場を確保して、適切に集合知を集め検討する場を提供し続ければ、やがてはそこから何かが生み出されます。しかし集合知が集まらないような制約を、権威主義や学閥等によって課せば、学会は面倒なだけで役に立たないものになります。

・・・といった学会の機能とその機能を発揮させるための条件を踏まえて、研究者は学会にほどほどに付き合うのがいいのではないでしょうか、というのが私の姿勢です。

ですので、私としては、学会での報告や寄稿が多い年と、そうでない年が交互にくるぐらいがちょうどいいと思っています。

2013年度は集中的に学会誌に寄稿していました。その成果を一般読者でも読めるようにコンパクトな新書に落とし込んだのが『イスラーム国の衝撃』(文春新書)でした。

今年度は大会報告が多い年になりそうです。秋の学会シーズンが始まっていますが、今後の発表の日程のうち、明確に「学会の研究大会」と謳った場所での報告は、以下のものになるでしょうか。

池内恵「中東の安全保障環境の激変と日本の関与」日本国際政治学会2015年度研究大会・共通論題「日本の安全保障―戦後70年からどこに向かうのか―」2015年10月31日(仙台国際センター、大会期間10月30−11月1日)

池内恵「拡大と拡散ーーグローバル・ジハードの展開の二つのモード」日本防衛学会平成27年度(秋季)研究大会・部会2「IS:イスラム世界の蠢動」2015年11月28日(防衛大学校、大会期間11月27日ー28日)

池内恵「オバマ政権の中東政策ー「アラブの春」とグローバル・ジハードに直面して」国際安全保障学会2015年度年次大会・部会4「オバマ政権の外交・安全保障政策再考」2015年12月6日(慶応義塾大学・三田キャンパス、大会期間12月5−6日)

「共通論題」や「部会」というのは、日本の学会の仕組みでは学会の企画委員会などが企画したパネルに依頼されて発表するというものです。理工系では「招待講演」というものにあたるようです。私は国際安全保障学会や日本防衛学会の会員ではありませんが、部会や共通論題で依頼を受けた時には報告することができます。

もちろん学会に入っていれば、公募に答えて応募してパネルを組んで、研究大会で発表することもできます。私は日本国際政治学会では自分が参加している研究プロジェクトのパネルを立てて報告したかったのですが、自分自身が企画委員会の委員である上に、共通論題の報告を引き受けてしまったので、同一あるいは連続する大会での複数回報告の禁止に引っかかってできませんでした(発表の機会をより多くの会員に開くためです)。

実際には、学会の研究大会と銘打っているものだけでなく、随時開かれているさまざまな研究会に呼ばれて発表するのが私の日々の主な仕事です。非公開の研究会で、自説を専門家の間に広めつつ、検証してもらい、そこから多くを吸収するのです。ただそれらは非公開なので、ブログ等で公表することはあまりありません。もう少し広い聴衆へ向けた講演などは、講演録・議事録が公開されることもあります。それらも重要な仕事です。

2013年度と2015年度の間の2014年度は、表向きは学会誌への発表は少なかったのですが(学会発表はありました)、むしろ学会誌の編集委員会の委員として編集のお手伝いをしたことが、記憶に残っています。そのうち一つが、日本国際政治学会の『国際政治』の編集委員会書評小委員会、というもので、委員会で議論していると、いつしか、私の興味を持った本やテーマについて、力の入った書評優れた書評論文が発表されるといった形で、間接的に集合知の形成に関われたりもするので、やりがいがあります。ただ、けっこう手間がかかって面倒ですけれども。

今年度・来年度は日本国際政治学会の企画委員も仰せつかっているので、いろいろ考えないといけませんが、中東の変化が激しすぎてそちらに取り組んでいるとちょっと頭が追いついていきません。いろいろご迷惑おかけしています。

理事(戦略研究学会)とか評議員(日本中東学会)といった役職を拝命している学会もありますが、支配的な立場には一切立っておりません。基本的には私は役職が似合う人間ではなく、皆さんもそれを分かっているので、「企画屋」としてスポットで呼ばれることが多いです。しかし私に企画を立てる時間もなくなると、懲罰で私が登壇させられたりしています。

「学会発表をしていなければ研究者ではない」とは言い切れませんが、あんまり長い間離れていると、やはり頭が錆びついてきます。一般メディアで根拠なく「大先生」のように扱われているうちに、知りもしない分野について語ることが当たり前になってしまう人を見ますが、「こんな内容をその専門の学会で話せるか?」と内省して自制してくれたらいいと思います。最近は学会もヘタレたものが出てきて、客寄せになるならといい加減な人を特別講演で読んだりすることもあると聞きますが、感心しませんね。学会は地味にやればいいんです。

それとやっぱり国際学会でも定期的に発表するようにしていないと、勘が鈍りますね。日本の機関のお膳立てで行く講演はあまりこの意味では役に立たないので、アウェーでの学会に応募して行くのが一番です。すごく緊張します。

【年末に向けて棚卸し】海外渡航の概要(2015)

あまりに忙しくて、今やること、先にやるべきこと、やるべきでないかもしれないがやらなければならないことなどが混乱していて回らなくなっている。

自分への整理のために。今年何をしていたのだっけ、と振り返る。

研究にはインプットとアウトプットという性質を異にする段階があり、しかも複数のテーマについて並行して考えているので、あるテーマについてのインプットを行いながら、別のテーマについてのアウトプットを出すべく踏ん張っていたりして、もともとバランスを保つのは難しい。

大学内にある「附置研究所」の所属なので研究が中心といえども、大学の中の各学部からの講義の依頼を受けると引き受けているので、普通の教師としての任務も多くなっている。授業はある時間、ある場所に固定するというコミットメントが必要なので、研究のインプット・アウトプットの作業の最適化を時に制約することがある。

その合間に海外に行く。よく「しょっちゅう現地に行かれるんですか?」と聞かれるが、地域研究をやっている人間にはイラっとくる質問だろう。地域研究者が経歴のある段階で「現地」に行くことは重要で不可欠だが、ある程度方向性を固めてからは、むやみに「現地」で見聞きしたことをそのまま書いたり話したりはしない。そんな簡単な問題ではないということが分かるようになるからである。現地で感じる新鮮な驚きのようなものを常に忘れてはならないが、「現地の現実」はそう簡単に、ちょっと行ってきたぐらいで見いだすことはできないし事実として確定して表現はできない。そのことにある段階で気づかなければ、ほとんど地域研究者失格と言っていい。だから素人の質問に「イラっ」とするのである。また、口々に皆そう訊くので、困ったことである。

実際には、海外出張に行っているときのほうが、忙しくないとも言える。会議であれば会議に集中するしかない。現地調査であれば、比較的自分の自由になる時間を最初から作っている。日本にいる時よりも自分のペースで仕事ができる。

ただ、海外にいる間は日本での仕事は止まるので、行く前と、帰ってからとてつもなく忙しくなる。月に一度ぐらい海外に行っていると、日本にいる間はきわめてせわしなくなる。

私の今年の課題はインプットよりアウトプットであり、そのためには日本にいて、かつ事務仕事や細々とした仕事に煩わされずに研究室にこもる時間をどれだけ作れるかが勝負である。そのためには、緊張する海外での仕事は刺激になるとはいえども、アウトプットの量を阻害しているのではないかという気がして常に不安である。もちろん海外でのやり取りやそこから自然に生まれるインプットは将来の仕事の質と量を支えるのだが。インプットをやめれば将来に制約要因となるので、苦しくとも行き続けるしかない。

今年は例年に比べて、海外渡航が多かった年ではない。どちらかというと、アウトプットを出そうと極力日本にいたが、それでも短期出張が飛び飛びに入ってしまった、といった具合の年だった。中東の現地調査をやりにくい国が増えてしまったこともあり現地渡航がそれほど多くなかったが、塵も積もればといった具合に海外渡航の数が重なった。年初からの海外渡航の記録を振り返り、3月の年度末までの今のところ入っている予定だけでも見てみよう。

2015年
1月 アメリカ合衆国(ニューオーリンズ)
2月 チュニジア(チュニス)
6月 アラブ首長国連邦(アブダビ)
8月 ドイツ(ミュンヘン)、ロシア(ウラジオストク)
9月 イギリス(ロンドン)
11月 インドネシア(ジャカルタ)
12月 アメリカ合衆国(ワシントンDC)

2016年
1月 プエルトリコ(サンファン)、カタール(ドーハ)
2月 イギリス(ロンドン)、中東某国

こう一覧にしてみると、中東の現地調査と欧米での学会・会議発表、それにちらほらと東南アジアやロシアも入ってきていたりする。プエルトリコは学会発表です。

1月には、7日のシャルリー・エブド誌襲撃事件と、20日の日本人人質殺害脅迫映像の公開の間に、アメリカで学会発表に行っていたのを思い出す。ちょうどその日に『イスラーム国の衝撃』が発売された。

1月20日の殺害脅迫映像で始まったこの事件が、2月1日の陰惨な結果に終わった後、予定通りチュニジアに調査に行った。その翌月、チュニスのバルドー博物館へのテロが起き、チュニジアへの攻撃と動揺が表面化した。

3月から5月は、新学期の立ち上げと同時に、人質事件への検証委員会というものに入って忙殺されていた。それが終わったころにアブダビに行ったが、その間にもクウェートやチュニジアでのテロなどがあって緊張した。

その後は、会議・学会・会議・・・という感じの短期出張の繰り返しですね。行って帰ってきて時差を直すだけでなく、書類なども大変だ。

しかしこうして渡航日程を見ると、私の年代の似たような仕事をしている研究者の中では、決して多い方ではないと思う。

どうも、国際問題に関して一般書であまりにも研究業績に基づかない発言を繰り返す論者が「学者」であるかのような誤解が広まってしまったため、実際に国際問題を扱って議論をするならどのような生活をしていなければならないかがあまり理解されていないような気がする。

私の適性に対応してそれほど会議の依頼が多くはこないのと、今年は特に、執筆のために、私自身が意識して海外渡航を減らしてしているがゆえにこの程度で済んでいる。

海外に行っていない月は、これは日本での職業上の制約からまったく行けないから行っていないのです。大学で教えていると学期中に海外に行くのはもともと大変だが(先端研という職場は特殊に自由にしてもらっています)、学期初めの4・5月などはまあよほど無理をしないと行けないですよね。

同世代の活躍している国際政治学者は、もっと頻繁に海外に行っている。近年は、アカデミックな教育を受けた人間が日本を代表して話すことが以前よりも強く求められる。またその意味がようやく理解されてきたこともあり、日本から送り込む人間が求められている。そういった選考にどこかで引っかかってきて依頼が来ると、日程が調整可能で、テーマが私に対応できそうなものであれば、極力対応している。しかしあくまでもアウトプットの邪魔をしない限りにおいてである。

また、依頼・招待ではない英語での学会発表は年に何回かは自発的にやることにしています。不利な条件下で、前提が全然違う人たちに向けて話すことは訓練になりますからね。また、世界中の、同じ問題について異なることを考えている人たちと会うことができます。

私は「会議屋」(この言葉は自嘲気味に使われることもあるが、ここでは肯定的にそういった能力を捉えている)としての適正な訓練を受けていないので、国際会議での発言は見よう見まねであり、できればより適性がある人に回したいという仕事も多い。問題はあまり適正のある人が多くないので、私などにも多く仕事が降ってきてしまう。適性のある人が多くないという事実については、教育の問題でもあり、教育にも最近は少しずつ携わるようになった人間として、やがては若干の責任も負うことになるかもしれない。今のところは、上の世代のツケが回ってきているということをひしひしと感じる。

しかし、教育は社会の需要がないことについては成果が出ない。社会はそもそもどのような人材を求めるべきか、という次元から問題提起をしていかなければならないのかな。

今日は少し取り止めのない話になってしまった。年の暮れが迫ってくると、今年の仕事の棚卸しをしながら、来年を考えるようになる。