『UP』連載のリスト

 2011年の「アラブの春」の勃発以来、『UP』では発表の場、思考の場を与えていただきました。

 ここで一連の寄稿をリストにして整理してみたいと思います。

 まず、チュニジアとエジプトでの政権崩壊と、アラブ世界全域への社会変動の波及で騒然としていた時期に、政治学からの分析の視角について、単発で書いたものがこれです。

池内恵「アラブ民主化と政治学の復権」『UP』第462号(第40巻第4号)、東京大学出版会、2011年4月、42‐50頁 

 政権の動揺の仕方やその後の展開を、(1)メディアの変容などに根差す中間層の厚さや性質、(2)政権の反応を左右する要素としての政軍関係、(3)宗派や部族などの社会的亀裂、といった点を提示しておきました。ここで書いていたことが、その後の展開に照らしてあまりに外れていたら、私も「アラブの春」をめぐる比較政治分析にそれほど力を入れることもなかったかもしれません。

 さほど間をおかず、2011年夏には、その後、短期集中での連載を依頼され、現状分析に基づいた先行研究の再検討を主題に「『アラブの春』は夏を越えるか」という緩~い連載タイトルで、3号連続で書きましたしました。
 
《「アラブの春」は夏を越えるか》
(1)
池内恵「中東の政変は「想定外」だったか 「カッサンドラの予言」を読み返す」『UP』第465号(第40巻第7号)、東京大学出版会、2011年7月、33‐40頁

(2)
池内恵「『理論』が現実を説明できなくなる時」『UP』第466号(第40巻第8号)、東京大学出版会、2011年8月、22‐29頁

(3)
池内恵「政治学は『オズィマンディアスの理』を超えられるか」『UP』第467号(第40巻第9号)、東京大学出版会、2011年9月, 12-20頁

 しかし先行研究の問題は明らかとはいえ、そうなるとこれから何を手掛かりにアラブ政治を分析していけばいいのか。現実を見ながら自分で分析枠組みを考える、これまでのものでなおも有効なものを拾い上げる、という作業が必要となりました。これにはかなりの準備作業が必要でした。

 多少はその準備作業ができたかと思われた2012年半ばから、見切り発車ながら、2カ月に一度というペースで、偶数月に「転換期の中東政治を読む」という、事態の変化次第でどうとも変えられる連載タイトルで、終着点もなく、回数も決めずに走りだしました。

《転換期の中東政治を読む》
(1)
池内恵「エジプトの『コアビタシオン』」『UP』第478号(第41巻第8号)、東京大学出版会、2012年8月、13-22頁

 第一回はエジプト。やはりアラブの春と言えばエジプト。話題が尽きませんし、イスラーム主義勢力が公的政治空間に参加を許され、ついこないだまで投獄されていたムスリム同胞団が選挙で台頭し、ムルスィー大統領を誕生させる。それと軍部がどう「コアビアシオン」するか、という前例のない事態を観察しました。

(2)
池内恵「『アラブの春』への政権の反応と帰結──六ヶ国の軌跡、分岐点とその要因」『UP』第480号(第41巻第10号)、東京大学出版会、2012年10月、36-43頁

 政軍関係の比較で、「革命」期の「アラブの春」の展開はかなり整理できる。このあたりはかなりまとまりの良い論文です。ただしまとまりがいいということは、世界中で研究者が同じようなことを考えているということですね。世界の最先端に遅れないでいることに意味はありますが、オリジナリティを出すにはもうひとひねり必要です。

(3)
池内恵「エジプト『コアビタシオン』の再編」『UP』第482号(第41巻第12号)、東京大学出版会、2012年12月、37-44頁

 連載三回目で早くもエジプトが激動。ムルスィー大統領がエジプトの強大な大統領権限を行使して軍に対して優勢に立ったかに見えました。

(4)
池内恵「エジプト政治は『司法の迷路』を抜けたか」『UP』第484号(第42巻第2号)、東京大学出版会、2013年2月、28-38頁

 ムルスィー大統領やムスリム同胞団の足を引っ張ったのは、司法。司法の独立性は民主主義の一つの柱ですが、判事が政治的に中立でなく、旧憲法体制を根拠に新憲法制定をことごとく邪魔するという事態。「司法と政治」という分析視角は途上国の政治を見るために有益ではないでしょうか。

(5)
池内恵「イスラーム主義勢力の百家争鳴」『UP』486号(第42巻第4号)、東京大学出版会、2013年4月、51-57頁

 政治的自由化が進んだ各国でのイスラーム主義の台頭をまとめました。

(6)
池内恵「正統性の謎──アラブ世界の君主制はなぜ倒れないか(上)」『UP』488号(第42巻第6号)、東京大学出版会、2013年6月、32-40頁

 「アラブの春」で政権が倒れなかった、比較的揺れが少なかった諸国は、産油国であるか、君主制であるか、あるいはその両方であることが多い。産油国はどのような意味で安定しているのか、君主制だから安定していると言えるのか。これは「アラブの春」が比較政治学に提示した一つの課題でしょう。二回にわたって取り挙げました。

(7)
池内恵「『石油君主国』とその庇護者──アラブ世界の君主制はなぜ倒れないか(下)」『UP』489号(第42巻第7号)、東京大学出版会、2013年7月、39-46頁

 産油国・君主制についての二回目。快調なペースですね。

(8)
池内恵「エジプトの7月3日クーデタ──「革命」という名の椅子取りゲーム」『UP』第490号(第42巻第8号)、2013年8月、東京大学出版会、24-32頁

 そうこうしているうちにもう一度エジプトで大変動が。ムスリム同胞団を放逐し、軍部が一気に台頭。

 このころからシリア問題で紛糾してオバマ政権が政策大転換、さらにイランとの和解に乗り出して、ことは中東に留まらず、中東発の世界政治構造転換の様相を帯びる。そういった点でのメディア向けの論稿なども書かねばならなくなり、しかし同時に私個人的には長年延ばしてきた重要な論文締め切り複数がもはや抜き差しならないところに来る。

 息切れして、2012年10月号掲載予定だったのが、一回休み。
 
(9)
池内恵「アラブ諸国に「自由の創設」はなるか──暫定政権と立憲過程の担い手(上)」『UP』第494号(第42巻第12号)、東京大学出版会、2013年12月、33-40頁

 一回休むと4か月間があるのだが、その間に、もはや「革命」の段階を振り返っている時期ではない、と移行期の4ヵ国比較論を構想し、書きはじめたら膨大な作業になりました。

 最終的には先日お知らせした(「【寄稿】アラブの春後の移行期政治」)『中東レビュー』に掲載された論文になりましたが、その準備段階の作業を『UP』連載で行った形です。

(10)
池内恵「アラブ諸国に「自由の創設」はなるか──暫定政権と立憲過程の担い手(下)」『UP』第495号(第43巻第1号)、東京大学出版会、2014年1月、41-45頁

 前回一回休んで書いていた4ヵ国移行期比較が長くなり過ぎたので、上・下で二号連続で掲載。もう偶数月がどうとか言っていられません。ぜえぜえ。



さらにたたみかける論文締め切りの嵐で追い込まれ、『UP』誌上では音信不通となり・・・

・・・今回の最終回となりました。ああよく死なずに済んだ過去半年。

(11)
池内恵「移行期政治の「ゲームのルール」──当面の帰結を分けた要因は何か」『UP』第498号(第43巻第4号)、東京大学出版会、2014年4月、38-45頁

 というわけで、最終回は、『中東レビュー』で書いた移行期政治の「ゲームのルール」についてさわりの部分を記したり、連載を振り返ったり、今年後半には出したい本の宣言をしたり、この連載ではじめてエッセー風になりました。それまでは毎回論文の準備稿みたいでした。

 毎号大変でしたが、いいトレーニングになりました。

【寄稿】移行期政治の「ゲームのルール」『UP』4月号

 年度末の納入。もう一本。

池内恵「移行期政治の「ゲームのルール」──当面の帰結を分けた要因は何か」《転換期の中東政治を読む11(最終回)》『UP』東京大学出版会、38-45頁

 ほぼ2号に一回のペースで『UP』に2012年8月号から連載してきた「転換期の中東政治を読む」だが、そろそろ潮時、ということでひとまず締めます。今回告知したように、変化していく現状の分析から、2011年以来の政治変動の全体をまとめる本の執筆に全力を注ぎたいものですから。

 この連載では、『フォーサイト』などで行っている現状分析よりもさらに一歩踏み込んで、それらを論文に抽象化するためにはどのような概念構成が有効か、模索する作業をしていました。

 ですので、2カ月に一回、学術論文一歩手前にちょっと及ばないぐらいの文章を書かねばならず、それは大変でした。年に6本も論文のアイデアが出る人はあまりいません。

 この連載をしていると、『UP』のアカデミックな世界での訴求率の高さを再認識しました。本としてまとまりをつける作業が終わったら、また戻ってきたいと思っています。

 なお、今書いている本は、この連載をそのまま再録するという章は一つもなく、また、連載では書いていない要素の方が圧倒的に多いので、この連載でちらちら示した概念や視点は出てくるけれども、まったく別物と考えてください。

 『UP』の連載は「ほぼ2」でやってきましたが、途中から息切れして休んだり、長すぎて二号連続になったりとがたがたになりましたので、私自身にとっても覚書として、次項に一覧を載せておこうと思います。

【論文】「指導者なきジハード」の戦略と組織『戦略研究』14号

 年度末なので、成果物の取りまとめ。まずは論文。

 戦略研究学会の特集号が「戦略とリーダーシップ」だったので、会員になって投稿してみました。依頼される原稿ばかり書いていると自分のテーマが掘り進められませんので、意識して学会・学術論文誌に投稿するよう心掛けています。しかしそうして仕事を増やし過ぎて、依頼された原稿を落としたり遅らせたりするので、昨年は編者にとってはかなり「危険な香り」のする書き手になっていました・・・

戦略研究14号

池内恵「「指導者なきジハード」の戦略と組織」『戦略研究』第14号《戦略とリーダーシップ》、戦略研究学会、2014年3月20日、19-36頁

 9・11と「対テロ戦争」以後のグローバル・ジハード運動の側の戦略論の新展開を、特に2004年末に出たアブー・ムスアブ・アッスーリーの理論を中心にまとめたもの。

 関連論文としては「2013年に書いた論文(イスラーム政治思想)」(1月19日)で挙げておいた下記の(1)(2)と、「2020年に中東は、イスラーム世界はどうなっている?」で挙げておいた(3)があります。

(1)池内恵「グローバル・ジハードの変容」『年報政治学』2013年第Ⅰ号、2013年6月、189-214頁
(2)池内恵「一匹狼(ローン・ウルフ)型ジハードの思想・理論的背景」『警察学論集』第66巻第12号、2013年12月、88-115頁
(3)池内恵「アル=カーイダの夢──2020年、世界カリフ国家構想」『外交』第23号、2014年1月、32-37頁

 (1)では近現代のイスラーム政治思想史の文脈の上に、最近のグローバル・ジハード理論の展開はどのような意味があるのかを問題にしたのに対して、今回の論文「「指導者なきジハード」の戦略と組織」では、グローバル事・ジハード論の最近の展開が戦略論的にみてどのような性質を持ったものといえるのかを検討した。

 (2)ではより戦術レベルの話「一匹狼型テロ」を奨励する「個別ジハード」論や、それを国際的に宣伝するメディア『インスパイア』の分析など。

 これらはいずれもスーリーの理論についての分析を主にしていたのだけれども、(3)ではそれ以外の若い世代の認識や世界観、見通しについて、2005年に発表されたヨルダン人ジャーナリストによる研究をもとに議論している。

 ジハード思想がグローバル化し、かつ宗教・倫理思想よりも戦略論・戦術論の方向に流れていった2000年代前後について、地道にまとめる作業をしています。

【論文】アラブの春後の移行期政治

 年度末のためか成果が多く出てきています。

 原稿用紙(←もう使わないか)で165枚以上、の大論文が刊行されました。

中東レビューVol1

池内恵「『アラブの春』後の移行期過程」『中東レビュー』Volume 1、アジア経済研究所、2014年2月、92-128頁

 無料でダウンロードできます。(今見てみたら、93頁のフッター・ページ番号が欠けているようで、言って直してもらいます。内容は、ところどころ冗長なのを除けば大丈夫と思います)
 
 「アラブの春」で政権が倒れた国の、その後の移行期政治の事実を、ひたすら列挙して、それなりにまとめたものです。暫定的なものですが、事実関係を現時点で押さえておきたいという人向け。

 これで頭を整理して、各国や、比較論で論文を書くような人がいるといいのですが。その意味では、インフラ整備のための公共工事のような論文と考えていただけるといいかなと。

 対象国はチュニジア、エジプト、リビア、イエメン。

 だいたい皆さんもう、「アラブの春」後の各国の動きを理解できなくなっているのではないか。

 エジプト一国でも、専門にしている人以外にはもはや展開は意味不明だろう。いや、専門の人でも投げ出してしまっているかもしれない。

 ましてやリビアやイエメンなんて、ある程度中東に興味を持っている人にしても、「まったく何が起きているのかわからない」というのが正直なところではないだろうか。

 各国それぞれの前提や動きが異なっていて、かつ複雑で、また日本のメディアで報じられることがほとんどないので、訳が分からなくなってしまっても当然です。

 「革命」と比べて、国造り・体制づくりは地味ですし、法的な問題とかややこしいですから。

 「そもそもリビアでの今回の選挙は何回目で何のためのものなの?」「イエメンでは誰が何を話し合っている間に何が起こっているの?」

 といった当たり前のことだがややこしいことを、整理してくれる人がいないんですよね。

 本当はリビア研究者、イエメン研究者がやってくれないといけないんだが、日本にはほとんどいないか、あるいはいてもタイムリーに発信してくれていない。

 錯綜した移行期政治を、下記の三つの切り口から、各国ごとに時間軸で並べ直してみました。

(1)初期条件(旧政権の倒れ方)
(2)暫定政権のタイプ
(3)移行期の「ゲームのルール」

 何かセオリーを出したり結論づけたりする以前の覚書のようなものですが、事実関係を網羅して整理するための準備作業です。

 これを書いたところで「頭がいい」とか褒められたりしないようなものですが、ものすごい時間と労力がかかりました。この4ヵ国比較をまじめにやろうとしている人は世界中にほとんどいません。

 ひとまず事実関係を論文でまとめておかないと、アラブの移行期政治について何を議論しても、読んだ人には前後関係や事実関係が分からないので意味不明、ということになるというボトルネックがあって議論が進まない、広がらないため、ここで突貫工事で道路を作ったような、そういった趣旨です。

 意図して冗長ですが、経緯のうち必要なところは全部載っているはずです。

 論文では、英語のニュースへのリンクを大量に体系的につけてあります。中東専門ではない人へのアウトリーチを意識しています。

 掲載誌『中東レビュー』はアジア経済研究所がウェブ雑誌として創刊したもの(今号の目次)。中東の現代を扱った論文が載る論文誌は貴重なので、ぜひ発展していってほしいですね。私も論文を寄稿するという形で貢献していきたいです。

【寄稿】(高木徹氏と)「『日中関係の悪化』から考える国際世論を味方に付ける方法」

気が付いたらプロ野球が始まっており、桜が咲きかけていました。今日の風でもまだ大丈夫そうですね。

先日書いた(「日本と国際メディア情報戦」3月1日)、高木徹さんとの対談が『クーリエ・ジャポン』に掲載されました。

特集「世界が見たNippon Special 日本はなぜ「誤解」されるのか」の中での「特別対談」という枠です。

池内恵×高木徹「『日中関係の悪化』から考える国際世論を味方につける方法」『Courrier Japon クーリエ・ジャポン』Vol. 114, 2014年5月号、86-89頁

高木徹さんとは三度目の対談になります。

二人とも2002年に最初の本を講談社から出した、というところがたぶん一つの原因で最初の対談は講談社のPR誌『本』で2003年に行いました。

その時と比べると、国際情勢も、日本の立場も変わりましたね…

高木徹さんが最初の本から一貫して議論してきた「国際メディア情報戦」の重要性・必要性が、やっと国政レベルで議論されるようになりました。

数年に一度、高木さんとの対談や、文庫版解説、新刊書評などのご依頼を受け、「定点観測」をしているような具合です。

2003年の対談のファイルをもらってきたので、今度ブログに載せようかと思います(許可もらっています)。

マニラ2000

 ミンダナオ和平の話のついで。

 そういえば2000年にもマニラに立ち寄ったことがあった。その時も新聞を開けばミンダナオ紛争ばかりだった。2000年にMILFとフィリピン政府は全面的な衝突を繰り広げていた。その時はエストラーダ大統領だった。

 マニラに着いて乗ったタクシーの運転手がムスリムで、興奮してメッカの写真を掲げて「ジハード・ジハード!」と言っていた。マニラでも熱くなっていたんですね。

 この時は外務省のサウジとの若者交流かなんかで、同年代の商社マンやメーカー社員や自衛官などと一緒に、サウジのリヤードに行った帰りだった。サウジ側から渡されたチケットがフィリピン航空だったので、帰りにマニラに一泊したのだった。
 
 商社マン達はフィリピンの歩き方などはよくご存じだったのだろうが、私と東大出のNHKのディレクターは一番無縁な感じで、並んで飛行機に座って、二人でフィリピン航空のキャビン・アテンダントに「マニラで一泊しないといけないんだけどどこ見物したらいい?」とうきうきと聞いたら、即座に「Girls」と言われて開いた口が塞がりませんでした。

一応ナショナル・フラッグ・キャリアの乗務員がこう答えるって・・・それにびっくりしている我ら(私だけか)が一番びっくりかもしれませんね。幼き日々。

 2000年は大学院生最後の年で、サウジ訪問でフィリピンに立ち寄った時にはちょうど翌年からの就職が決まったという通知も受けて、私にとっては考えてみればあの時が今の仕事につながる何もかもが始まるちょっと前の静かな時間だったかもしれません。

 中東とイスラーム世界そのものも、今につながる動きが始まる少し前。

 翌年の2001年の9・11事件から、あらゆることがある方向に動き出す。

 私自身のキャリアの方向性、将来への想定も、それ以前と以後で、まったく違うものになりました。
 
 サウジ訪問そのものはそれほど記憶にない(毎日3回おざなりに供される変わり映えのしないビュッフェとか、アルコールがないから一行がずらっとペリエを飲んでいたとかいった点は、その後湾岸諸国のいろいろな会議などに送られた際に、似たような状況があって思い出しますが)。
 
 むしろ、マニラに向けて戻ってくる途中の飛行機の中で読んだ新聞で、ミンダナオ紛争の前線の状況とか、タイでタクシンが首相になるための法的な障害とか(たしか大株主であることを隠蔽・偽装工作していた問題)を読んだことが記憶に残っています。大学に入って、特に大学3年からは中東の事ばかりしてきたけれども、日本と中東の間にはこんなにいろいろな世界があるんだな、と空を飛んでいて実感したのでしょうか。

 2000年はタクシンがまだ首相になっていなかったんですねーー。あれからいろいろなことがありました。

 そういえばこの時のサウジ滞在中に小さなテロがあったことを思い出しました。2001年への予兆はすでにありました。その時には将来を何も予想できませんでしたが。
 
 年度末につれづれなるままに。

ミンダナオ紛争で和平合意が調印

 3月27日に、フィリピンで政府とモロ・イスラーム解放戦線(Moro Islamic Liberation Front: MILF)が「包括和平合意文書」に調印した。

(リンクはなんとなくマレーシア・ボルネオ島のウェブ新聞にしてみました・・・マニラより近いし。フィリピンの新聞だと『フィルスター』とか『インクワイアラー』なのかな?)
 
 フィリピン南部のミンダナオ島の西部の一部とスールー諸島には、1990年以来、ムスリム・ミンダナオ自治地域(ARMM)が設定されているが、これを改組し、自立性を強化した「バンサモロ(モロ民族)」の自治政府を2016年に設立する。MILFは武装解除する、というのが和平合意の主要な内容。

 1970年代初頭から、40年以上続いてきたミンダナオ紛争だが、これで収拾に向かうとすれば歴史的な合意だ。

 今後は和平協議の段階から、自治の統治機構を創設する段階に入る。ゲリラをやっているのとはまったく異なる仕事が待っているが、MILFや「バンサモロ」にそういった人材はいるのだろうか。また、どのような統治を行うのだろうか。

 経済的な可能性はあるというけれども

 MILFは組織名に「イスラーム」を冠してはいるが、果たしてどの程度イスラーム的な統治を目指しているのか、また何を持ってイスラーム的な統治とするのか、あまりはっきりしていない。

 個人的には、大学に入ってイスラーム世界を研究対象にしようと決めたころから続くMILFの反政府武装闘争が終わるということで、一定の感慨がある。

 ミンダナオ紛争は当初、1970年結成のモロ民族解放戦線(Moro National Liberation Front: MNLF)が主導していた。1976年にリビアのカダフィの仲介でMNLFはマルコス政権とトリポリ協定を結んだが、MNLFが分裂して内戦終結ならず。翌年にMILFが結成される。

 結局1996年にMNLFが政府と停戦協定を結んで、武装解除して政治参加に踏み切る。ヌル・ミスアリMNLF議長はARMMの知事選挙に立候補して当選。
 
 しかし政治参加するとミスアリもMNLFもフィリピン政治のご多分に漏れず汚職・専横を極めて、政府からの切り崩し工作にもはまり、MNLFは分裂、ミスアリは失脚。

 並行して、1996年の和平合意を拒否して内戦を続行していたMILFが勢力を拡大し、MNLFをしのぐようになった。フィリピン政府もMILFの方を和平協議のカウンターパートとして認め、1997年以来交渉を続けてきた。

 マレーシアを仲介役にして行われてきた現在の交渉の大枠は2001年以来のもの。2003年に停戦合意を結び、それに基づいて交渉を進め、2008年8月にはいったん和平合意に調印する寸前まで行ったのだけれども、自治拡大で利権を奪われるミンダナオ島のキリスト教徒有力者層などが反発して、法廷闘争に持ち込み、最高裁が調印を寸前に差し止める、という形で頓挫した。その直後は武装闘争が再発して60万人とも言われる避難民が出た。

 私はその時偶然、マニラに2日ぐらい立ち寄っていたので、情報をかき集めてこんなものを書いてしまいました。フィリピン専門の人ごめんなさい。

池内恵「フィリピン政治で解決不能 ミンダナオ和平の「不遇」」『フォーサイト』2008年10月号

 ほんの数日で勉強しただけなので、多少のあらがあるかもしれません・・・

 和平への障害は、イスラーム主義とか民族意識といった理念の問題よりも、中央政府・地方政府の統治能力の問題だな、ということがマニラでいろいろ調べてみると見えてきた。和平協議破綻後に一時的に紛争は激化したけれども、MILFも政府軍も本気で武装闘争をやりたがっているわけではないな、とも感じた。

 全体の大枠としては、当時のアロヨ大統領が、一期6年で再任なしというフィリピンの大統領制の特性からも死に体になっていて(素人なんで分かりませんが、独裁・終身化したマルコス大統領を1986年のピープル革命で打倒した後に、大統領権力を制限したこんな制度になったんですよね?)、各地の支配層に抑えが利かなくなっているんだなあ、というふうに感じました。

 2001年1月に前大統領が弾劾されたことにより副大統領から昇格したアロヨ大統領は、2004年に自ら出た大統領選挙で勝利して例外的に2期目に入っていたが。2008年8月の段階では任期の終わりが見えてきて支持勢力が四散している感じだった。結局、自分の任期の初期に始まった交渉を任期中に終えられなかったので交渉が一度ご破算になったのだなあ、というのが外から見た漠然とした印象だった。

 それを考えると、2010年当選のアキノ大統領が、2012年の10月15日調印の「枠組み合意」を結んで、包括和平合意までの工程表に合意し、それに基づいて今回の和平合意調印まで進んだのは、フィリピン内政の時間軸からいうとぴったりというか、これ以上遅らせられないぎりぎりの日程に近い【2011年から今までの交渉のタイムライン】。

 任期が切れる2016年にまさにバンサモロ自治政府設立の期限が設定されているが、大統領の影響力が必然的に低下する過程でどうなるのかが若干心配である。

 大統領がふらついたり議会が邪魔する、というのが次にありうる展開。

 大統領の任期と議会有力者との関係というのはほんの大枠の大枠に関わる部分に過ぎない。和平と自治の実質に関わる土地や地方権力をめぐるローカルな事情はもっと重要なのだろうが、私にはよく分からない。たぶん非常に複雑で紛糾しているのだろう。

 和平を阻害する現象としては、MILFの統制下にない、あるいは対立・競合する組織が武装闘争や小規模のテロを行う、といったものが心配される。MNLFの一部が武装闘争に舞い戻って要求を突き付けるかもしれない。

 MILFは局地的な反政府武装組織としては有力だけれども、自治政府として半ば独立するバンサモロの領域一体にはMNLFの在地有力者が影響力を持っている。反政府闘争から自らを統治する段階に移ると、バンサモロ内部での新旧指導者層の権力争いから、紛争が生じかねない。ARMMの地方政府はいったん解体されるということだけど、ここに務めている人ってようするにMNLFのコネだったりするんではないか?それが(MILF主導となるであろう)バンサモロ自治政府で再雇用されるかを不安視する声なども早速挙がっている
  
 2013年9月9日には、MNLFの一派がミンダナオ島西南端の主要都市サンボアンガの市庁舎を攻撃し、人質を取って立て籠もった。同じころ、ザンボアンガの対岸のスールー諸島バシラン島のラミタンでは、2008年8月の和平協議崩壊の際にMILFから分派した「バンサモロ・イスラーム自由戦士(Bangsamoro Islamic Freedom Fighters)」と、イスラーム過激派のアブー・サイヤーフ(Abu Sayyaf)の残党が合流して、政府軍と戦闘を繰り広げた。

 2016年の大統領任期切れと、自治政府設立の期限に向けて、ちらちらと目を向けておこうかと思っています。

 なお、日本政府もミンダナオ和平には積極的な支援を行っている。

【寄稿】オバマの「サウジ訪問」隠れた争点は「エジプト」『フォーサイト』

 ドーハから帰国しました。滞在中に合間に書いていた論稿が『フォーサイト』に掲載されました。

 明日28日の米オバマ大統領のサウジ訪問を迎える、サウジとGCCの現状について。

 池内恵「オバマの「サウジ訪問」隠れた争点は「エジプト」」『フォーサイト』2014年3月27日

 速報性を重視してブログの「中東の部屋」にアップすることが多かったので、「中東 危機の震源を読む」という連載枠ではここのところあまり書いていなかったのですが、こちらの枠での執筆も再開したいと思っています。ブログ「中東の部屋」と連載の「中東 危機の震源を読む」では、質にそれほど違いはないのですが、連載欄の方がもう一押ししつこくテーマを追い詰める傾向があります。

アラブ連盟サミットに向けて

 カタールのドーハに来ています。

 先日書いたように(「オバマ大統領のサウジ訪問でGCCの内紛は収まるのか」)、オバマ大統領のサウジ訪問の際に行われる予定だった米・GCC首脳会議が中止になり、GCCの内紛の激化が印象づけられましたが、その渦中のカタールです。

 といっても、私の出る会議は宗教・政治の関係なので、直接外交問題については議論にならないだろう。若干、一人の参加者に陰で聞けたらいいなと思うことはあるが、そもそもこの状況下では来ないかも・・・
 
 クウェートで25・26日に行われるアラブ連盟首脳会議に先立って、22日にアラブ連盟外相会議が行われてアジェンダ設定がなされたが、シリア問題でも、エジプト問題でも、対イランでも歩調が合わず(「アラブ連盟サミットを対立が支配する」アル=ジャジーラ3月24日)、GCCの内紛の調停についても表立っては進展がなさそう

 今回の議長国はクウェートだが、サウジとカタールの対立ではクウェートは中間の立場におり、仲介役が期待されている。クウェートはGCC諸国の中で唯一、それなりに権限のある議会を選挙で選出しており、メディアの自由度も高い。ムスリム同胞団やシーア派にも政治的な発言権や事実上の結社の自由を与えている。

 この点で、「シーア派⇒完全に沈黙させる」「ムスリム同胞団⇒テロ組織と認定して完全に息の根を止める」というサウジ・バーレーン・UAEの立場とは異なる。

 かといってカタールのやっている、自国では政治的権利を厳しく制限しておきながら、他国ではムスリム同胞団などを支援し、カタールを批判しないという暗黙の了解の下で民主化活動家にカタール内に拠点を作らせ資金を与える、というような手法はクウェートは取っていない。

 こういった背景から、クウェートの立場はサウジとカタールの中間に位置する。

 カタールとしてはクウェートを引きつけておいてGCC内での孤立を防ぎつつ、サウジとの緊張緩和の糸口も探りたいのか、クウェートでのアラブ連盟首脳会議には積極的に参加しているようだ。

 カタールとしては、舞台裏で和解に向けた協議が行われそうだ、という印象は醸し出して、先行き不安を打ち消そうとしている模様です。

 サウジの方は、国王もサミットに来ないし、多国間の枠組みは当面無視して、エジプトの軍主導の政権を個別に支援する、シリアで忠実なイスラーム主義勢力を選別して支援する、といった動きを強めそうです。

 エジプトでは3月24日に、南部メニヤの裁判所がムスリム同胞団の主要幹部から末端の活動家まで529名に一度に死刑判決を出すという、馬鹿馬鹿しい状況になっていますが(政府に反対する者には何でもかんでも「懲役」「死刑」を宣告する一人の判事が中心にいます)、こういった動きの増長の背景には、サウジとUAEの個別経済支援への期待があることは確かです。

オバマ大統領のサウジ訪問でGCCの内紛は収まるのか

 オランダのハーグで行われる第3回核安全保障サミットに注目が集まる。ロシアのプーチン大統領が欠席するので、ウクライナ危機について西側諸国が一致してどのような対応を取れるのかが問われる。

 日本にとっては、日米韓の首脳会談が行われるかどうか、そこで韓国の朴大統領がどのような態度に出て、オバマがどう反応するかが、今後の日本の外交の方向性あるいは少なくとも「雰囲気」をかなり強く規定するだろう。

 というわけで結局、米国オバマ大統領の動向が軸になる。オバマ大統領/政権の外交に関しては世界的に期待値がかなり下がっているけれども(そもそも期待値を下げることがミッションだと心得ている大統領なのかもしれない)、いっそうその期待値が下がりそうな欧州歴訪であり、それによって生じる余波が各地・各方面で心配である。

 「どれだけ米国の大統領が影響を与えたか」よりも「どれだけ米国の影響力が下がったか」が注目され確認される歴訪となるかもしれない。

新聞記事などによると、たぶんこういう日程。

3月24-25日 オランダ・ハーグ 核安全保障サミット
3月26日 ベルギー・ブリュッセル EUと会議
3月27日 イタリア・ローマ バチカン訪問、イタリア首相と会談
3月28日 サウジ・リヤード アブドッラー国王と首脳会談

 あんまり知られていないかもしれないけれども、オバマは欧州歴訪後にサウジの首都リヤードに立ち寄る。

 これは中東専門家にとってはかなり感慨深い訪問。

 前回のオバマのサウジ訪問は、2009年6月3日。あまり記憶している人はいないと思う。

 翌6月4日に、エジプト・カイロで、いわゆる「カイロ演説」を行った。こちらはずいぶん話題になった。
 
 しかし、幾億光年遠ざかったか、と思えるほどの、その後の状況変化。中東も、アメリカの立場も。

 私も当時オバマ演説について解説を書いたけれども、

池内恵「洗練の度を深めるオバマの対イスラーム言説」『フォーサイト』2009年7月号
 その後、オバマ大統領の言説の華やかさ、洗練の度合いの高さと、政権が実際に行うこととの落差の激しさを幾度となく味わうことになった。

 今回のサウジ訪問では、当然サウジアラビア発のニュースでは、「米・サ関係維持・強化」を謳い上げるだろうが、実態はそのようなものではなく、白けた空気が現地でも世界全体でも漂うだろう。

 「アラブの春」でムバーラク政権を早期に見捨て、ムスリム同胞団の政権に期待をかけたオバマ政権にサウジは大きく失望している。シリア問題では理念を高く掲げながら何もしない口先介入を繰り返し、そしてイランとの取引にのめり込むオバマ政権とサウジとの関係悪化は周知の事実。

 そこでサウジは中国に秋波を送ったりしている。

 しかしサウジにとってアメリカ以外に頼れる安全保障の保証人がいないことも事実。

 そして、サウジを筆頭にしたGCC(湾岸協力会議)諸国の結束が今、大きく揺らいでいる。中核はサウジとカタールの間の対立。欧米的な民主化・市民社会勢力の一部を支援し、ムスリム同胞団に強く肩入れするカタールと、ムスリム同胞団を「テロ組織」に指定(3月7日)して、エジプトのクーデタで生まれた政権を全面的に支援するサウジとの対立が抜き差しならなくなった。

 3月5日にはサウジが属国のようなバーレーンに加えUAE(アラブ首長国連邦)と共に、カタールから大使を引き揚げた。

 大使を引き揚げるだけならよくある揉め事のようにもみえるが、どうももっと深刻な話らしい。政策が王族・首長の内輪で決まる、透明性がない国々だから、詳細はもっとじっくり分析してみないといけないが、短期間に収まる話ではないようだ。

 カタールはサウジアラビアから突き出した小さな半島なのだが、サウジはカタールへの制裁で物資や人の流れを止めることまでちらつかせている。

 本来は、今回のオバマ大統領のサウジ訪問では、GCC諸国の首脳が一堂に会して米・湾岸首脳会議を行う予定だったが、GCCの首脳同士が相互の激しい対立で同席できる状態ではなく、サウジ国王だけがオバマと会うことになった。

 GCC諸国とは米国は個別に安全保障協定を結んで、それぞれが実質上の米の同盟国である。

 米国の覇権の希薄化が、米同盟国同士の対立を抑制する力を弱めていると考えてよいだろう。

 GCCの結束の乱れは、ペルシア湾岸産油国の政治的脆弱さにつながりかねない。それは日本のエネルギー安全保障に大きな影響を及ぼす。

 今回のオバマのサウジ訪問を通じて、「米国にとってはもうペルシア湾岸産油国はそれほど重要ではない」という印象が広まると、各国の内政や、地域国際政治に不透明性が増す。日本にとっては依然として重要な地域なので、気になるところである。

それにしても

 先日の朱建栄先生の件も、今回の王柯先生の件も(もし政治的事案なのであれば)、中国共産党の見解もかなり取り入れて日本社会に説明するような姿勢をもった人の方が、中国に戻った時に問題にされているというのはどういうことなんでしょうね。

 朱建栄先生などは明確に中国政府の日本向けの弁護士のようで、まさにdevil’s advocateという言葉の好例だなあと思うのですが。

 中国政府の見解と全面的に対立している人はそもそも中国に入国しない/できないのかもしれません。

 あるいは、もはやウイグル族の民族問題が存在すると言及すること自体が「アウト」になっているのか。そうだとすると事態はかなり緊迫しているのかもしれません。

 また、日本社会に説得力のありそうな人を引き締めにかかって「再教育」するプログラムがあるのかも、などと想像しますが、よくわかりません。

 でも帰ってきて人が変わったようになっていたら誰も信用しませんよねえ。

王柯先生の著作


王柯『東トルキスタン共和国研究―中国のイスラムと民族問題』東京大学出版会、1995年

今日は東大出版会の本の紹介が重なりました。

無事のご帰還を祈ります。

先日は、楊海英『モンゴルとイスラーム的中国』(文春学藝ライブラリー)、2014年2月刊、をご紹介しましたが(「モンゴルとイスラーム的中国」2月19日)、いずれも日本留学で学者となった先生方です。

日本の学界は、適切に運営・支援が行われれば(←ここ重要)、中国に極めて近くに位置して情報を密接に取り込みながら、自由に議論し、客観視できるという強みがあり、欧米へのアドバンテージを得られます。

中国に最も近いところにいる自由世界の橋頭保として日本は輝いていたいものです。

【緊急】神戸大の王柯先生が中国で拘束か?

 これは心配です。中国ムスリム、特にウイグル問題で有名な王柯(おう・か)先生が中国に行ったきり連絡が取れないようです。

「神戸大教授:中国で不明に ウイグル族を研究」『毎日新聞』2014年3月22日 
 
 中国の内政全体の中でも、特に新疆ウイグル情勢は、かなり緊迫化しているのではないかと思います。

 マレーシア航空機の失踪でも即座にウイグル系あるいはトルキスタン系ムスリムによるジハードではないかという噂がネット上で中国語で飛び交ったようです。それぐらい不安視されているということでしょうし、「あるだろうな」と多くが思っているのでしょう。

 新疆ウイグルの統治がうまくいっていない、そのことを見せたくない、というのは基本的な事実でしょう。

 私は、そもそも「王柯先生はもう中国には入れないんだろうな」と思い込んでいましたが。

 たとえ何でもなかったとしても、数日連絡を絶てば「拘束されたのでは」と誰もが思う社会、というものの怖さを、われわれは忘れているのではないかと思います。

【友情出演】『デザインする思考力』東大EMP

 刊行されました。
デザインする思考力
 
池内恵「現象全体の仕組みを捉える分析力」東大EMP・横山禎徳編『東大エグゼクティブ・マネジメント デザインする思考力』東京大学出版会、83-123頁

 東大EMP(エグゼクティブ・マネッジメント・プログラム)という、大学と経済社会をつなげる特設プログラムが東大の赤門のそばの新しいきれいな建物の中で行われております。EMPで半年に1回、講師をしている関係で、ご指名を受け、プログラム・ディレクターの横山さんからインタビューを受けたものです。

 厳密には私の著作というよりは横山さんとEMPによる著作ということになるのでしょうが、テープ起こしをして提案されたテキストに私が抜本的に手を入れて書き直しています。けっこうな長さになりました。

 「私に対するよくある質問」にすべて答えた形になっています。

 もちろん私としては(今回のインタビューに限らず)、「もっとほかの事も聞いてくれ」と言いたい面はありますが、世の中の関心とはこういうものなのだ、という意味では私にとってもきちんと答える意欲を持たせてくれるものでした。書き直すの大変でしたけれども。

 「EMP」ということで企業人を読者に念頭にしていますが、新入学の学生が、大学で何をやっているのかを知り、自分が何をやるべきか考えるためのヒントにもなるでしょう。私としてはどちらかというと今からゼロの地点から考える人向けに話しています。

 内容は、「なぜイスラーム研究をするようになったのですか?」というあらゆる場所で聞かれる質問に対する答えが半分程度を占めます。

 この質問には過去にも応えており、『イスラーム世界の論じ方』中央公論新社、2008年に収録されていますが、それをさらに敷衍したのが今回のものです。

 私にとってイスラーム世界やイスラーム教への興味は、「冷戦後の国際秩序、特にその根底を方向づける理念はどうなっていくのか」という関心の延長線上にあります。

 最近の中東情勢を「米国の覇権の希薄化」との関係で論じていることも、ウクライナ情勢について狭い意味では「専門分野」ではないにもかかわらず熱心にこのブログで考えているのも、「冷戦後の国際秩序」に大きな変更を及ぼす可能性のある事象として共通しているからです。

 以下、今回の本で語ったことの項目の一部。

*イスラーム×政治というテーマの「戦略的選択」

*フクヤマとハンチントンが基調となる冷戦後の国際秩序理念(に関する議論)

*コーランは問題集ではなく「解答集」の形式を取っている

*中世の合理主義と啓示の永遠の対立は現在も続く問題であること

*イスラーム教はなぜ近代科学と衝突しないのか

*アラブの春は冷戦後の国際秩序という問題にどのようなインパクトを与えたのか

・・・

昔書いた井筒俊彦論

 このブログはこれまでに書いた本や、あちこちに書いて見つかりにくくなった論文やエッセーなどを一覧できるようにとも考えて立ち上げたのだけれども、なかなか時間が取れない。単行本については、本屋に行けば売っているものなので、広告のように見えてもなんなので、必要な時が来るまでは掲載を控えているのが実態です。

 今回は専門業界の人以外はほとんど目にしたことがなさそうな論文を一本紹介。

 先日、『中央公論』で行った井筒俊彦についての鼎談を紹介しました。(「井筒俊彦のイスラーム学」

 私が井筒俊彦について語ることになった原因の一つがこの論文。

池内恵「井筒俊彦の主要著作に見る日本的イスラーム理解」『日本研究』第36集(国際日本文化研究センター)、2007年9月、109-120頁
 
 前の職場(国際日本文化研究センター:略称「日文研」)で、カイロ大学文学部と一緒にカイロで研究シンポジウムをやった。その時の英語での発表を、日文研発行の学術誌『日本研究』に日本語訳して載せたもの。

 実は、この論文の事は長い間忘れていた(記憶から封印していた)のだが、今回の鼎談の準備のために探したらインターネット上で出てきた。

 最近は学術誌の多くが無料でインターネット上に公開されているか、あるいは少なくとも有料のデータベースで公開されているので、便利になりました。

 井筒の特有の生い立ち(父から受けた精神修養=内観法)が、生涯にわたる思想研究の方向性を定め、彼のイスラーム認識はあくまでも井筒の側の関心事によって切り取られたもの、というのが趣旨。

 井筒のオリジナリティと魅力は、中東諸国(特にアラブ諸国)一般で信仰されているイスラーム教とはかなり離れたものであるがゆえに成立している。これは別に「偏向」を批判しているわけではないのですけれども。

 私自身この論文については、海外でのシンポジウム向けに「業務」として設定したテーマであり、職場の学術誌に何かを出さねばならなかったという必要に応じて書いた論文でもあり、ということであまり「業績」として意識したことはなかった。

 単に中央公論社版の著作集を最初から順に読んで、必要箇所を書き写しているだけにも感じられましたし。あまり上手に書けている文章ではありません。

 異教徒がイスラーム教について論じることなどできるはずがない、とインテリすらも固く信じるエジプト人向けの初歩的解説と、井筒に対する過剰な期待が膨らみすぎて誤解も増していた、少し前の日本の現代思想業界に向けのこれまた初歩的解説とが、全体に混じりあっていて、どことなく不完全なものという印象があった。そんなわけで印刷されてきた論文も本棚の奥にしまったきり埋もれてしまって、今や自分でもどこにあるかわからなくなっていた。雑誌『アステイオン』に若干の短縮・増補を加えたものを載せたこともあるが、あまり発展させられなかったのでもやもやっと頭の中で残っている。

 けれども、最近出ている文学系の井筒論を見ると、井筒の思想の基本的な展開の筋道については、どうやら私がこの論文で書いた方向性とあまり変わらないものを見出しているようだ。

 今となっては、「井筒は、なぜ、何を、どのように考えたか」という点については、この論文で書いておいたことで十分ではないかという気もする。少なくとも、その後たくさん出た井筒論が、必ずしも何か新しいことを発見してくれたという気はしない。むしろこの論文で書いた井筒の思想を踏まえてそれぞれの書き手がそれぞれの思いを追加していったものが近年の井筒論だろう。

 その意味では、基礎的な事実を明らかにする大学の研究と、それを踏まえて想像・創造していく文学・評論との分業は出来ていると思う。
 
 私が書いた中でも最も体裁の良くない、不恰好な論文で、できれば誰にも読んでほしくないですが、今思い返すと意味があったのかな、といろいろな意味で思う一本。

 そのうち、井筒俊彦についてはまた改めて取り組んでみたいと思っている。

 日文研は4年余り勤めただけで東京に移ることになってしまったけれども、折に触れ共同研究員として研究会に呼んでもらってきた。今日も日文研の研究会のために京都に来ております。

 中東研究者なのに日本研究の研究所に身を置かせてもらったことは本当に得難い経験でした。その前は思想研究なのに開発途上国の政治経済研究の機関に就職したり、今はエンジニアや科学者ばかりのインキュベーション・センターのような職場にいたり、考えてみると普通の「学部」に務めたことは一度もない、「なんちゃって大学教員」の不思議なキャリアパスを歩んでおります。来し方行く末。

【掲載情報】「エジプトとチュニジア──何が立憲プロセスの成否を分けたのか」

ウェブ上に記事が掲載されました。無料でダウンロードできます。

池内恵「エジプトとチュニジア──何が立憲プロセスの成否を分けたのか」連載《「アラブの春」後の中東政治》第6回『中東協力センターニュース』2014年2/3月号、74-79頁

内容は、このブログに書いてきたことともかなり重なっていますが、もう少し整理してまとめています。

「下書き」の段階でブログで読んで下さった皆様、ありがとうございました。といっても今回の論稿も、このテーマに関する結論ではありません。なおも考え途中です。

【ご参考】
「チュニジアではなぜ移行期プロセスがうまくいっているのか」2014年1月25日

「チュニジアではなぜうまくいって、エジプトではなぜうまくいかないのか」2014年1月26日

「革命のクライマックスとしての憲法制定について:アレントを手掛かりに」2014年1月26日

「チュニジアで新憲法制定 組閣も」2014年1月27日

「答え合わせ(1)チュニジア立憲プロセス成功の理由」2014年1月27日