第12回中曽根康弘賞の受賞につきまして

昨日、7月1日に、第12回中曽根康弘賞・優秀賞を受賞いたしました。

世界平和研究所の中曽根康弘会長、佐藤謙理事長、北岡伸一研究本部長・中曽根康弘賞運営委員長ほか、選考委員・運営委員の皆様、ご推選いただいた皆様と、世界平和研究所はじめ関係する皆様に、厚く御礼申し上げます。

中東・イスラーム学という、日本ではそれほどなじみのない分野に取り組んできた私に、このような栄誉を与えていただいたことは、私個人にとってだけでなく、この分野のこれまでの発展と将来への期待を込めてのことと受け止めております。ご期待に背かぬよう精進いたします。

普段それほど接することが多くない官界及びそのOBの皆様と意見交換をさせていただく機会をいただきまして、感謝しております。

僭越ながら、受賞者を代表した講演という形式を与えられましたが、緊張してややたどたどしく研究の来し方行く末を振り返るにとどまりました。同時受賞者の落合直之様(JICA)、熊谷奈緒子様(国際大学)の受賞の言葉はそれぞれ、短い時間の中に濃縮して、これまでの経験と関係する方々へのお気持ちを伝える、素晴らしいものであったと感銘を受けております。

また、私がこの分野に進む最初の手ほどきをしていただいた東京大学文学部イスラム学科の恩師・中村廣治郎先生に、思いがけずも足をお運び、激励いただいたことも大きな喜びとなりました。

研究者として、多くの難関を前にしておりますが、これを励みにして乗り越えていく所存です。

池内恵

第12回中曽根康弘賞

安田純平さんのビデオ声明について

シリアで消息を絶っている安田純平さんについて、私は個人的には面識がなく、安田さんの交友関係も知らないので、何も情報を持っていませんが、安田さんのものとみられる映像については、Facebookで書いておきました。私にはこれ以上のことは分かりませんし、言うことができません。無事の帰還を祈っています。

安田純平さんが、どの程度、英語を正確に話すのか、私は知らない。ビデオでの発言のこの部分は、英語の語法が不確かなので、意味を正確に理解することは難しい。

“I have to say to something to my country:When you’re sitting there, wherever you are, in a dark room, suffering with the pain, there’s still no one. No one answering. No one responding. You’re invisible.”

しかし、シリア内戦の対立関係と、3月14日に開始されたジュネーブでの和平協議を背景に解釈すると、ほぼ想像できる。「アサド政権の攻撃によってシリアの人々が苦しんでいるのに、日本は何もしていない。日本の声が聞こえてこない」と訴えているのではないか。和平協議によってアサド政権の存続が認められようとしているタイミングで、この映像が発信されたのは、和平協議に反対する意思を伝えるためかもしれない。

「国際社会がアサド政権による空爆や殺害に反対してくれない」という批判は、シリアの反体制派が共通して表明する立場であり、和平協議に参加していないヌスラ戦線の立場でもある。もし安田さんがヌスラ戦線の拘束下にあるのであれば、安田さんがこのように話すのは理解出来る。

また、安田純平さんもある程度反体制派に共感しており、アサド政権による市民の殺害を批判する立場なので、「強制されて言わされている」だけではなく、本心で言っているのかもしれない。

ヌスラ戦線は、ISとは異なり、人質を殺して映像を発信することそのものを、目的にはしていないはずだ。人質を殺せば、シリア反体制派に対する日本の世論は悪くなる。安田さんを生かしておき、日本国民や日本政府に対するメッセージを伝える報道官とすることが合理的だ。私は彼らがそのように決断をすることを願っている。

メディアと政治の関係と、それを支えていたムラ社会の崩壊はどこまで及ぶか

これは重要なコラム。

三浦瑠璃「メディア「ムラ」は民主的に統制されるべきか?―高市総務相の放送法発言問題」『山猫日記』ブログ、2016年2月16日

浅薄な党派性や、学者業界のやっかみ、色々なゲスの勘ぐりとかは別にして、自分の拠って立つ根拠を問い直すのに有用な論説です。

メディアへの政治の介入がメディア産業大手の媒体で盛んに議論されるけれども、どこかピンとこない。

言論が不自由になっているというが、不自由になったとされる事例の大部分は、メディア産業の内部で勝手に自粛し、勝手に忖度して不自由にしているだけだ。確かに政治家の圧力はあるだろう。しかしなぜそれにメディアが脆弱になったのか?

ここで三浦さんはメディア産業のムラ社会としての崩壊あるいは弱体化を真の理由としています。

私がもっと大雑把に単刀直入に言ってしまうと、今の政治家が昔よりメディアに圧力をかけるようになったというよりは、今のメディア産業が以前より財政面でも、知的な優位性や排他性を根幹とした競争力といった存立根拠の面でも脆弱になり、その結果、政治家の顔色を伺うようになったのです。

過去の政治家なんてそれはもう、様々な恫喝を繰り返していたわけです。しかし今のように問題になることは少なかった。今の社会が右傾化したから問題になるのか?そうではありません。

今は政治家が何も言わなくても、メディア企業の現場が(特に中間管理職が)萎縮して、先回りして忖度して、企画を潰し、出演者をすげ替え、番組をなくしていく。そこが問題なのです。それはなぜなのか?

以前は政治家の圧力があまり問題にならなかった理由は、一つは、「昔はそんなことが当たり前だったから」ということもあります。昔は今よりもっと理不尽がいっぱいの世の中だったんです。だから一つ一つの理不尽はあまり問題視されなかった。昔は今よりずっと身分制社会でした。専門能力を高めても報われず、家系とか大学学歴(学校歴)と最初の就職先で決まった身分差が、徳川時代の家格差のように一生固定されて、その中でのお役目を演じていなければならなかった。男女の役割ももっともっと、もっともっともっともっと・・・固定的だった。

SNSもないから、人々はあらゆる理不尽を、黙って耐え忍ぶしかなかった。時々出てくる「コンピュータ付きブルドーザ」とか(知らない人はググってね)、最近では(もう最近ではないか)何かと官僚を土下座させて従わせた北の代議士さんとかが秩序を一時的にひっくり返してくれることに、民衆は快哉を叫んだのですが、それで大勢は変わらなかった。

もう一つは、ここで三浦さんが指摘しているように、かつては政治は政治、メディアはメディアでムラ社会があって、その中の秩序には外の介入を(ある程度)はねのけるという形で、一定の抑止力が働いていたのです。政治家の介入に対して、「相打ち」ぐらいにはできた。メディア・ムラの中の誰かが何かの番組で政治家とトラブっても、相互にクビを賭けるぐらいの重大事になると、メディアがムラをあげて擁護してくれて、喧嘩両成敗ぐらいに持ち込んでくれた。それで理不尽に飛ばされたり辞めさせられたりしても、ムラの中のどこかで処遇してもらえたのです。

これはメディア産業に限ったことではなく、土建だの鉄鋼だの銀行だの、あるいは各省庁や公営企業などにそれぞれ、業界がありムラ社会がありました。たとえば極端な話、企業が汚職で時々特捜部に挙げられても、社員を差し出して社全体あるいは上層部には累が及ばないようにした。検察を含めた政府もそれぐらいで矛を収めたわけです。社員は肝心なことに口を割らなければ、出所してからムラのどこかで人知れず処遇された。おおっぴらに復権することすらあった。国家の法すら、ムラ社会がある程度介入を阻止していたのです。

メディア産業の確保していたように見える「自由」は、自由の理念を信奉し守り抜く、意識と能力の高いジャーナリストたちによって成立していたのではありません。ムラ社会の論理でよそ者(政治家を含む)を排除していたことが、あたかも「自由」を獲得しているように見えただけです。

だからムラ社会の中で都合が悪いことについて大いに自由を抑圧して恥じない人たちが、メディア産業の構成員でいられた。そういう人がムラの中で出世した。それは専門能力ともジャーナリストとしての意識の高さとも関係なかった。偉くなった人が偉いジャーナリストと呼ばれていただけなので、昔のジャーナリストとされる人の本を読んでも、ろくなものはありません。そもそも取材力や論理的思考力なんて問われていなかったのです。「政治家の懐に入る」とか、単なる癒着です。メディア・ムラと政治ムラの入会地のような記者クラブとか待合(知らない人はググってね)で、どれだけそれぞれのムラの論理を背負って談合できるかが出世の分かれ道だったのです。

ムラ社会の崩壊は、根本はグローバル化の影響によるものです。特定の会社と、会社が属するムラ社会のしきたりに習熟しているということが、国際比較の上でさほど価値を持たないことがばれてしまったのです。ばれやすい業界から早く潰れて改組されていきました。金融のようにはっきりと海外との力の差が出る業界が先に壊れて、銀行の数はうんと少なくなりました。

金融の世界よりも国際比較がしにくい業界は、改組が遅れましたが、グローバル化がより深く広く浸透することで、やがて既存の業界ムラ社会が立ち行かなくなる時代が、業界ごとに順にやってきています。メディア業界にもついにその波が及んだのでしょう。

なお、政治の世界は、小選挙区制の導入など1990年代の前半の改革で、部分的にグローバル化の影響が及んでいます。だから政治ムラの基本構成単位であった派閥の力も弱くなり、族議員の力も弱まり、以前よりずっと少額の汚職で政治家が捕まるようになり、そして政権交代も生じたのです。

しかし政治家の汚職を、ムラ社会同士の緊張・均衡関係の微妙な間合いで暴いたり黙認したりしていたメディア産業にも、政治の動向とはひとまず関係なく、グローバル化の影響が及びます。日本語という言語障壁に守られていたので、波が及ぶのが遅れたのです。

インターネットやSNSなど情報コミュニケーション・ツールの発展と普及が、ついに日本のメディア産業にもグローバル化の影響を十全にもたらしました。海外のニュース・メディアから簡単に国内で情報を入手できるようになり、AIやクラウド的に効率的に情報が取捨選択されるようになると、そこに介在していたメディア産業の優位性は薄れます。

かつては新聞社や通信社は高い契約料を払ってロイターから記事を買っていました。テレックスからぺろぺろと出てくる紙を見て、それを元にちょいちょいと潤色して記事を書いていれば、日本の誰よりも知っているような顔をできたのです。

ところが、今やロイターも、インターネット上で英語で主要記事はほぼ全部リアルタイムで無料で公開してくれています。高い講読料を払える会社とか官庁とかに属していないと海外情報を得られないという時代ではなくなったのです。それによってメディア産業の内部にいる人の知的な比較優位は劇的に低減しました。これは金融業界どころではない暴落ぶりです。

同じように、かつては外務省の中にいて、大使館からくる「公電」を読めることが、海外事情に関する圧倒的な優位性を外交官にもたらしていました。

しかし実際にはその「公電」の大部分は現地の新聞をクリッピングしたものなので、インターネットで現地の報道をリアルタイムで見られる現在、公電を読める官僚の優位性もかなり低下しています。これはロイターとそれを後追いする特派員を置いていた新聞の優位性が崩れたのと同じ道理です。

かつては宮澤喜一さんが毎朝英字新聞を読んでいるというだけで、政治ムラでもメディア・ムラでも尊敬されていて、実際一足早く情報をつかめていたんです。信じられないですね。それではもう、外交・安全保障で欧米に負けますよね。向こうには何万人も何十万人も「毎朝英字新聞をきちっと読んでいる宮澤さん」程度の人はいるんですから(もっといるか)。逆に、欧米企業も日本市場のことを分からなかった。日本市場に入るには日本のそれぞれの業界のムラ社会を仕切る企業と組むしかなかった。

このような理由で、現在、メディア産業は、財政的にだけでなく、その根幹の知的優位性で、存立根拠を掘り崩されてしまっているのです。一般読者がインターネットを通じて情報を得てしまうことを、ムラ社会の論理で止めることはできません。特に国際分野ではそれが顕著です。外にある情報の方が一次情報に近く、国内のメディア・ムラはそれをかつて独占的に入手して翻訳して色をつけていただけだった(かえって分かりにくくしていたりした)のですが、ほぼ無料か、安価な講読料で誰でも元のソースに当たれるようになったので、「鞘抜き」をしていた業界の基盤が一気に失われてしまったのです。

このような根本的な変化による苦境に目を向けると、そもそも今いる社員の大部分はこのままでは今後のあるべき組織では必要ない、と言われてしまいかねませんので、見ないようにしたい。まずは規制の維持や税制面を含む優遇措置でなんとかムラ社会の優位性を保ちたい、と努力するわけですから、政治にこれまで以上に依存するようになります。そうなるとやたらと忖度するようになるのです。個々のメディア企業人も、クビになってももうムラの中で処遇してもらえないし、財政基盤や職業機会そのものが細っているのを知っているから、しがみつく。しがみつくために忖度する。政治家が「あれがね〜」と言っただけで「あれですね!これですね!」と忖度して打ち止めにしたり降ろしたりしてしまう。

ここまでメディアが脆弱になったんだから、ただでさえ顔色伺うんだから、政治家はあまり厳しく言わんといてくれ、口には気をつけてくれ、というのは私も思わないではないですが、 それをジャーナリスト自らが言ってしまうのは、あまりに嘆かわしいのではないでしょうか。

では、どうしたらメディア産業人が政治家の顔色を伺わないでよくなるのか、といえば、簡単な話で、個々の記者の専門能力といった根本的なところから、企業・業界の体質改善をしなければなりません。情報そのものの価値を高めて政治への依存を低めるという形で、肯定的な意味でムラ社会の崩壊を乗り越えないといけないのです。

(そのためには、大学院に来て鍛えなおしましょうよ!と大学業界に利益誘導してみる、というのはちょっと本気の冗談です。本気ですいえ冗談です)

個々の記者にはそういった努力をしている人は結構いますが、そうでない人を守るのがムラ社会の論理であり、そうでない人の方が数としては多いのが世の常でしょう。これまでやってきたこと、自分が築き上げてきたものを否定することはつらいものです。できれば逃げ切りたい。

でも、もう逃げ切れないんじゃないかな・・・ということを、すでに多くは気づいているんでしょうが、なおも認めてはいない。認めるということこそが、ムラ社会の掟を破ることだから。多くが気づいているんだけれども、認められないでいる。

こういう状態は、政治学・社会科学的にはかなり研究されています。そして、どこかで閾値を超えたときに、大きな変化が起こることも知られています。閾値がどこかは、変化が生じてみないと分かりません。それは社会科学の限界です。

しかしおおよそ言えることを挙げておくと、一つには世代交代が影響を与えるでしょう。頑固にムラ社会を守ってきた上の世代が退き、若い世代はもう「逃げ切れない」と感じて、ムラ社会の既存秩序の維持にコミットしなくなる。その時に大きな変化が訪れるでしょう。

ただ、お神輿と同じで、本当にどうしようもずっしりと重くなるまでは、担いでいるフリをする人が多いですから、誰もがいつ逃げ出せばいいかわからない。でも気づいた時には、全員が担いだフリをしているだけになって、突然ドカンと神輿が落ちてしまう。

私自身は、萎縮や番組改編をめぐって今現在特に話題になっているテレビ、あるいは日本では戦後の長い自民党支配の下で政策によって産業構造的にテレビと不可分になっている新聞を主とするメディア産業だけでなく、その一部とも言えるが、部分的に重なる別の産業とも定義次第では言える出版産業もまた、大きな変化が生じる閾値の限界まできていると感じています。それは日々のやりとりで、「あ、ここ危ないな」と感じる、私の勘に過ぎませんので、杞憂であってくれることを望みます。でも取次とかどんどん潰れているということは、従来の形の流通が立ち行かなくなっているのでしょう。取次から回収できないで損失を被っている出版社も多いでしょう。幾つかの出版社を採算度外視で支えてくれていたスポンサー企業も、それがメディア産業であれば、苦しくなっているでしょう。

たとえ今年や来年に危機が現実化しなかったとしても、それは危機を回避した、乗り越えたということではなく、破局が先延ばしになっているだけではないか、むしろなんらかの無理な外在的な支えによって、あるべき再編が先延ばしになり、将来にもっとひどい状態になってからギブアップするのではないか、とも危惧します。その時こそ、メディアは「第二の敗戦」と自らのムラ社会の終焉を報じるのでしょうか(そもそもその時に残っているメディアとはどういうものなのでしょうか)。

さて、メディアと出版に一定程度関係があり、部分的に依存している面がある大学という産業も、グローバル化の波を受け続けています。末端の教員の質や授業の内容などでは、2−30年前とは大きく変わっている部分があります。留学が一生に一度の「洋行」だった時代とは異なり、日々の研究・調査で常に外国の最先端の議論に触れ、やり取りすることが可能になった現在、個々の研究者は、その最先端では急速にグローバル化していることを、付き合いのある同世代の研究者たちの動きや成果を見て感じます。近年の大学改革議論が、そういったグローバル化の波を受けなかった時代に教育を受けた官僚や企業人、旧来の基準で評価され本を出し重用されてきた人たちによって主導されていることを、私は危惧します。

同時に、「学部の自治」という日本の固有の慣習や、国際的な基準をある程度取り入れた「研究者の相互評価(ピア・レビュー)」「学者の終身任用制(テニュア)」によって、大学内には一定の連続性が保たれているとともに、それが実態上は単に学者の世界のムラ社会の支配を温存させるだけで、学的卓越性の向上には繋がっていない場面もしばしば見かけます。しかし外部から改革圧力をかけることが、それらのムラ社会を一層頑なにし、ムラ社会の異分子を排除して縮小均衡を図ることに終わり、「改革者」は偽りの「成果」を手に天下っていく、といった残念な結果に終わりかねないことも予感しています。大学は政治による介入とは根本的に相容れないところがあります。

長い話になってしまいましたが、私が本当に言いたかったことはこの最後の部分なのかもしれません。メディアと政治の関係の変貌に、日本型ムラ社会の崩壊を見る三浦さんの視線は、もしかすると、おそらく、いや、きっと大学というムラ社会の基礎が掘り崩されていることも、見通しているのではないか。

三浦さんとはお会いしたことがありませんが、大学のムラ社会での登用という意味ではさほどプラスにならないどころか害になりかねない、先例のない大胆な形式で世の中に影響を与える大々的な言論活動に踏み切った三浦さんの発言には時折、いやしょっちゅう、何かを考えさせられます。

日本政治については実はそれほど関心がない私にとって、むしろ三浦さんの立っている場所と、そこから可能になる視点が気になります。「研究員」という、大学世界の内側を知っているアウトサイダーの立場からは、大学という世界にも、ムラ社会の存立根拠の溶解が進行していることがもっともっと明らかに見えており、完全にその中に入ってコミットする価値が、少なくとも三浦さんの立場からは感じられない、という程度のものになっているのではないか。

そして、大学というムラ社会の弱体化を一定の距離を置いて見る視点からこそ、メディアと政治の関係も、一歩引いてムラ社会の崩壊の余波として見ることができるのではないか、と。

もしかするとこれは今現在の私の関心事に過ぎないのであって、三浦さんのメディア政治論から多くを読み取り過ぎているのかもしれませんが。

ブログをリニューアルしました

ブログをリニューアルしました。

2014年の1月に、ふと思い立ってブログを立ち上げたのですが、その時は技術的な知識はまったくゼロ。

米国や英国の若手研究者が専門分野に絞ったブログを設定し、それがその問題に関するポータルサイトのようになって、大学に職を得ることもなく早々と第一人者として扱われていくのを見て、研究者にとって新しいやり方だなあと思って、自分でもやってみるか、と気軽に始めたのがきっかけ。

日本語のブログを読むことはほとんどなかったし、mixiなども使ったことがなかった。

そのため、どのようなサービスがあるのか、どのようなツールを用いるのかもまったく知らず。探したり調べたりする時間もない。wordpressとか一瞬は興味を持ったものの、ちょっと調べると、これは私の現在の生活では習得や管理・維持は不可能、と早々に諦めた。

で、研究室に居ついている、いえいえ長い間研究支援でお世話になっている某研究員に、発注したわけですね。どこで始めればいいか、調べて提案するように、と。

こちらが示した条件が、

(1)使い方がとにかく簡単であること。なーんにも知らんでもできるやつ。

(2)アホな大学生が読んでそうなところであること。

イメージとしては、日本全国の大学生が、レポート書けと言われた時に、適当にググったら出てくるようなものを提供しておけば、成果の普及にはいいんじゃないの?と思ったわけなんです(「ググったら出てくる」状態にするにはどれだけ技術的な仕掛けが必要かなんてことも知りさえもしなかった)。

そうすると、若干ミスコミュニケーションがあった感じもする某研究員の絶妙の提案が、「FC2」だったんですね。とにかく簡単だ、と。

今から考えると、ある意味で的確に、こちらの出した二点の条件を踏まえた提案だったんですね・・・意図してのことかどうかはともかく。

こちらとしては何一つ情報がないので、是も非もなくこの案を採用して設定してみたところ、確かに簡単。ブログについて何一つ知らなくとも始めることができました。

それが、『中東・イスラーム学の風姿花伝』旧バージョン(http://chutoislam.blog.fc2.com/)でした。

しかし予想外に、ブログへのアクセス数が上がって行ったんですね。元来が、じわじわと読者が増えている感触はあったのだが、昨年10月の「北大生イスラーム国渡航未遂」事件に「中田考」というコンテンツが加わって倍増。そして「人質事件」で爆発的にアクセスが上昇してしまい、あらゆるところで「読んでますよ」と言われるようになってしまった。ほんのイタズラのつもりで始めたんですが・・・

SEOとか一切考えず、というかそもそもこの言葉すらよく知らずに、ただ簡単だ便利だといってあれこれ書き込んでいたら、私の扱うテーマの方が勝手に「炎上」してしまってブログの読者が増えてしまったのですね。

おかげで、本を出して新聞・雑誌に書いているだけでは到底得られない読者の広がりを持つようになりました。ありがたいことです。

しかしそうなると、いつまでも無料のブログ、それもいわくつきのFC2でやり続けることは不適切ではないかとのご指摘を方々から受けるようになりました。そうはいっても私としては技術的な知識ゼロのままやってきたので、ブログ移行なんて無理無理。そのための技術を勉強するなんて時間も気力も、まったくない。本業の方で必死に勉強するだけでも溺れそうです。

原付バイクみたいなものが置いてあったから乗っかって試しに動かしてみたらすごい勢いで動き始めてしまい、気づいたらサーキットで先頭を走っていて、しかし実は止め方も降り方も知らない、というような状態(加速の仕方だけはなぜか知っているんですが)。

しかしいつまでもそうしていられないな、と思っていたところ、手を差し伸べてくれる方がいたので(わかる人にはわかる、「ほっともっと」の人)、こうして独自のドメインまで得て、こちらが理想と考えていたデザイン・構成で、再出発することになりました。

というわけで、新バージョンの「中東・イスラーム学の風姿花伝」(ikeuchisatoshi.com)をよろしく。

旧バージョンからの記事も移行を済ませておりますので、これまでの記事を全て読むことができます。右側のサイドバーの下の方のアーカイブやカレンダーをたどって読んでみてください。

唯一残念なのは、旧ブログでついたFacebookの「いいね」は、移行できないのです。記事のURLが変わりますから。歴史的事件に際して、数万の読者を得た記事などは、歴史的記録として「いいね」の数も保存しておきたいものですが、そうもいかないようです。

むしろ、そのような短期的に高い関心を呼ぶ「フロー」ではなく、積み重ねの「ストック」として、新ブログは長く読まれていくことを願っています。

そうはいっても、「フロー」としての活用も意識して、新ブログは設計しました。

画面右にツイッターの窓を設け、@chutoislamというアカウントから、英語の記事をリツイートする形で、中東・イスラーム世界に関する最新の議論を紹介していくことにします。絞り込んだ数のアカウントをフォローして、手が空いた時に見てささっとリツイートするだけですので、網羅的ではありませんが、世界の中東をめぐる議論がフラッシュニュースのように流れる趣向になっています。

また、カテゴリーを一つの記事に複数設定できるようになりましたので、新たに「本の紹介」というカテゴリーを設け、いろいろなテーマの話をしながらちょこっとずつ本を紹介してきたものを、ひとまとめにできるようになりました。本は厳選して紹介してきましたので、読書案内にもなっているかと思います。

それではまた。

「イスラーム国」による日本人人質殺害予告について:メディアの皆様へ

本日、シリアの「イスラーム国」による日本人人質殺害予告に関して、多くのお問い合わせを頂いていますが、国外での学会発表から帰国した翌日でもあり、研究や授業や大学事務で日程が完全に詰まっていることから、多くの場合はお返事もできていません。

本日は研究室で、授業の準備や締めくくり、膨大な文部事務作業、そして次の学術書のための最終段階の打ち合わせ等の重要日程をこなしており、その間にかかってきたメディアへの対応でも、かなりこれらの重要な用務が阻害されました。

これらの現在行っている研究作業は、現在だけでなく次に起こってくる事象について、適切で根拠のある判断を下すために不可欠なものです。ですので、仕事場に電話をかけ、「答えるのが当然」という態度で取材を行う記者に対しては、単に答えないだけではなく、必要な対抗措置を講じます。私自身と、私の文章を必要とする読者の利益を損ねているからです。

「イスラーム国」による人質殺害要求の手法やその背後の論理、意図した目的、結果として達成される可能性がある目的等については、既に発売されている(奥付の日付は1月20日)『イスラーム国の衝撃』で詳細に分析してあります。

私が電話やメールで逐一回答しなくても、この本からの引用であることを明記・発言して引用するのであれば、適法な引用です。「無断」で引用してもいいのですが「明示せず」に引用すれば盗用です。

このことすらわからないメディア産業従事者やコメンテーターが存在していることは残念ですが、盗用されるならまだましで、完全に間違ったことを言っている人が多く出てきますので、社会教育はしばしば徒労に感じます。

そもそも「イスラーム国」がなぜ台頭したのか、何を目的に、どのような理念に基づいているのかは、『イスラーム国の衝撃』の全体で取り上げています。

下記に今回の人質殺害予告映像と、それに対する日本の反応の問題に、直接関係する部分を幾つか挙げておきます。

(1)「イスラーム国」の人質殺害予告映像の構成と特徴  
 今回明らかになった日本人人質殺害予告のビデオは、これまでの殺害予告・殺害映像と様式と内容が一致しており、これまでの例を参照することで今後の展開がほぼ予想されます。これまでの人質殺害予告・殺害映像については、政治的経緯と手法を下記の部分で分析しています。

第1章「イスラーム国の衝撃」の《斬首による処刑と奴隷制》の節(23−28頁)
第7章「思想とシンボル−–メディア戦略」《電脳空間のグローバル・ジハード》《オレンジ色の囚人服を着せて》《斬首映像の巧みな演出》(173−183頁)

(2)ビデオに映る処刑人がイギリス訛りの英語を話す外国人戦闘員と見られる問題
 これまでイギリス人の殺害にはイギリス人戦闘員という具合に被害者と処刑人の出身国を合わせていた傾向がありますが、おそらく日本人の処刑人を確保できなかったことから、イギリス人を割り当てたのでしょう。欧米出身者が宣伝ビデオに用いられる問題については次の部分で分析しています。

第6章「ジハード戦士の結集」《欧米出身者が脚光を浴びる理由》(159−161頁)

(3)日本社会の・言論人・メディアのありがちな反応
「テロはやられる側が悪い」「政府の政策によってテロが起これば政府の責任だ」という、日本社会で生じてきがちな言論は、テロに加担するものであり、そのような社会の中の脆弱な部分を刺激することがテロの目的そのものです。また、イスラーム主義の理念を「欧米近代を超克する」といったものとして誤って理解する知識人の発言も、このような誤解を誘発します。

テロに対して日本社会・メディア・言論人がどのように反応しがちであるか、どのような問題を抱えているかについては、以下に記してあります。

第6章「ジハード戦士の結集」《イスラーム国と日本人》165−168頁

なお、以下のことは最低限おさえておかねばなりません。箇条書きで記しておきます。

*今回の殺害予告・身代金要求では、日本の中東諸国への経済援助をもって十字軍の一部でありジハードの対象であると明確に主張し、行動に移している。これは従来からも潜在的にはそのようにみなされていたと考えられるが、今回のように日本の対中東経済支援のみを特定して問題視した事例は少なかった。

*2億ドルという巨額の身代金が実際に支払われると犯人側が考えているとは思えない。日本が中東諸国に経済支援した額をもって象徴的に掲げているだけだろう。

*アラブ諸国では日本は「金だけ」と見られており、法外な額を身代金として突きつけるのは、「日本から取れるものなど金以外にない」という侮りの感情を表している。これはアラブ諸国でしばしば政府側の人間すらも露骨に表出させる感情であるため、根が深い。

*「集団的自衛権」とは無関係である。そもそも集団的自衛権と個別的自衛権の区別が議論されるのは日本だけである。現在日本が行っており、今回の安倍首相の中東訪問で再確認された経済援助は、従来から行われてきた中東諸国の経済開発、安定化、テロ対策、難民支援への資金供与となんら変わりなく、もちろん集団的・個別的自衛権のいずれとも関係がなく、関係があると受け止められる報道は現地にも国際メディアにもない。今回の安倍首相の中東訪問によって日本側には従来からの対中東政策に変更はないし、変更がなされたとも現地で受け止められていない。

そうであれば、従来から行われてきた経済支援そのものが、「イスラーム国」等のグローバル・ジハードのイデオロギーを護持する集団からは、「欧米の支配に与する」ものとみられており、潜在的にはジハードの対象となっていたのが、今回の首相歴訪というタイミングで政治的に提起されたと考えらえれる。

安倍首相が中東歴訪をして政策変更をしたからテロが行われたのではなく、単に首相が訪問して注目を集めたタイミングを狙って、従来から拘束されていた人質の殺害が予告されたという事実関係を、疎かにして議論してはならない。

「イスラーム国」側の宣伝に無意識に乗り、「安倍政権批判」という政治目的のために、あたかも日本が政策変更を行っているかのように論じ、それが故にテロを誘発したと主張して、結果的にテロを正当化する議論が日本側に出てくるならば、少なくともそれがテロの暴力を政治目的に利用した議論だということは周知されなければならない。

「特定の勢力の気分を害する政策をやればテロが起こるからやめろ」という議論が成り立つなら、民主政治も主権国家も成り立たない。ただ剥き出しの暴力を行使するものの意が通る社会になる。今回の件で、「イスラーム国を刺激した」ことを非難する論調を提示する者が出てきた場合、そのような暴力が勝つ社会にしたいのですかと問いたい。

*テロに怯えて「政策を変更した」「政策を変更したと思われる行動を行った」「政策を変更しようと主張する勢力が社会の中に多くいたと認識された」事実があれば、次のテロを誘発する。日本は軍事的な報復を行わないことが明白な国であるため、テロリストにとっては、テロを行うことへの閾値は低いが、テロを行なって得られる軍事的効果がないためメリットも薄い国だった。つまりテロリストにとって日本は標的としてロー・リスクではあるがロー・リターンの国だった。

しかしテロリスト側が中東諸国への経済支援まで正当なテロの対象であると主張しているのが今回の殺害予告の特徴であり、重大な要素である。それが日本国民に広く受け入れられるか、日本の政策になんらかの影響を与えたとみなされた場合は、今後テロの危険性は極めて高くなる。日本をテロの対象とすることがロー・リスクであるとともに、経済的に、あるいは外交姿勢を変えさせて欧米側陣営に象徴的な足並みの乱れを生じさせる、ハイ・リターンの国であることが明白になるからだ。

*「イスラエルに行ったからテロの対象になった」といった、日本社会に無自覚に存在する「村八分」の感覚とないまぜになった反ユダヤ主義の発言が、もし国際的に伝われば、先進国の一員としての日本の地位が疑われるとともに、揺さぶりに負けて原則を曲げる、先進国の中の最も脆弱な鎖と認識され、度重なるテロとその脅迫に怯えることになるだろう。

特に従来からの政策に変更を加えていない今回の訪問を理由に、「中東を訪問して各国政権と友好関係を結んだ」「イスラエル訪問をした」というだけをもって「テロの対象になって当然、責任はアベにある」という言論がもし出てくれば、それはテロの暴力の威嚇を背にして自らの政治的立場を通そうとする、極めて悪質なものであることを、理解しなければならない。

新年あけましておめでとうございます

新年あけましておめでとうございます。

昨年は正月の松の内を過ぎたあたりに試験的にこのブログを開設してみましたが、予想外に1年間、ほとんど途切れずに続けることができました。

変化の激しい中東・イスラーム世界の情勢分析と判断をリアルタイムに共有し、学術的知見・視点を社会に還元するための一つのツールとして、好意的に受け止め、活用してくださる方々が多くいることを、嬉しく思っております。

今年もウェブ媒体の可能性をさらに開発・活用しつつ、新たな気持ちで活字印刷の出版に向かっていきたいと思っています。本屋の書棚でも多くお会いできることを期して、今まさに励んでいるところです。

今年もよろしくお願いいたします。

2015年1月1日
池内恵

連休にちょっとアメリカへ

アップデートするたびにバグが配信されるウィンドウズ7から脱出し、無理にマックを真似する、なんだか無理して遊ぼうとするイタい東大生みたいなウィンドウズ8もそっと遠ざけ、MacBook Air(アラビア語キーボード)を入手してご機嫌。すっかり乗り換えました。ウィンドウズは公務員じゃなかった文房具としての本分に立ち返ってくれるまで使わないことにしよう。

少し前に、たしか日経新聞に「さらば「ウィンドウズ」」というタイトルの記事が出ていた気がするが、あれはマイクロソフトがウィンドウズに頼らない経営を・・・というのにかこつけて最近のどうしようもないウィンドウズを批判したのかな?記事読んでいないのでなんとも言えませんが。 

また、講演・報告などで情報を吐き出さされる一方の日本をつかの間離れてアメリカへ。感謝祭前に立て続けに行われる学会やセミナーなどで勉強してきます。

イランの核交渉の期限が来ますが(多分ずるずる延長)その辺りのアメリカ側の感触なども聞けたらいいな。

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【秘蔵映像】オンリー・イエスタデイ~あの頃みんな若かった:現代の京都学派とは

先日紹介した『文藝春秋』12月号、好評発売中であるようです。

こちらは電子書籍でも読めます(【コレ】とか【コレ】とか)。

ちゃんと販売期限が切られているのね(この号は来年2月9日まで)。そうでないといけません

『文藝春秋』は海外向け配信もあるんですね。

同年代の俊英に出会ったら電子版で読んでくださったとのこと。「この著者らしい無意味に難解な言葉で言いかえれば」をすらっと諳んじて笑ってくださった。

なお、ここで取り上げた日本思想のダメ状況の症状の例として取り上げた、社会学者によるエンデ『自由の牢獄』のとんでもない誤読に基づくイスラーム論は、『アステイオン』の1998年夏号(第49号)に載ったものである。

サントリー文化財団が編集している『アステイオン』(最新号)は、ウェブではほとんど読めない。最近少しずつウェブ上に情報を載せるようにし始めていて、バックナンバーの目次や表紙が見られるようになっているけれども、第50号以前は目次も載っていない。

というわけで1998年夏の第49号はウェブ住人にはその姿形も想像がつかないだろう。

なので私のリアル蔵書から、表紙印影をここに特別公開してしまう。

アステイオン第49号1998年夏

いや、幸せな時代でしたね。

「巻頭二大論文」が

グローバリズム=虚構
自由主義=牢獄

と華麗に断定して否定していれば良かったんですからねー。その先は何も考えていない。その先が本当に大変なのに。

この時代、まだまだ日本は国際社会に本当に触れることもなく、法・制度的には自由でも、社会からの同質化圧力の下で自由は実際にはなかった。グローバル社会についても、自由についても、本当は何も分かっていなかった。

ナショナリズムの障壁に守られてグローバリズムは遠い世界の出来事だった。もともと自由ではないので自由の根拠が何なのかも知らないでいられた。

だから安易に「グローバリズム=虚妄」「自由は不自由」などと一方的に日本語で断定して悦に入っていられた。それらは翻訳教科書の中の観念でしかなかったから、「全否定して超克する」という空疎な議論が可能になった。

これを英語で言ったら「この人は哲学の基礎的なところを分かっていないのではないか?」とばれてしまう(あるいは、まさか大学の文学部の先生がそこまで無知なはずないだろうと思われて、ただ理解不能になる)。

思想界にはまだバブルの余韻があった。むやみに金回りが良かったから「近代の超克」をいつの間にか成し遂げた気になっていた。正確には、バブル時代に人格形成をした人たちがこの頃フル活動で文章を書いており、それを載せてくれる雑誌がまだいっぱいあった。団塊世代の転向組・反近代論者と、1960年前後生まれのバブル入社組が、スカーと無知を放散していて、それが「現代思想」だと思われていた。

この人たちは幸運な時代に生きていた。

「海外留学なしで外国文献を数冊つまみ食い(読み間違い)して振りかざして日本語で分かりにくい文章を(そもそも本人がよく分かっていない)書いていれば評価された、インターネット普及以前の最後の時代」の産物です。

なお、

上は団塊世代の京大教授(人間・環境学研究科)
下はバブル入社組の京大助教授(人間・環境学研究科)
(いずれも当時)

現代の京都学派ですな。

編集後記は「“今を時めく”京都大学の二人のスター学者の「競作」で巻頭を飾ることができました」と高揚感に溢れています。

これでは「文学部や教養課程はいらん」と言われてしまうのも無理はないな・・・

インターネットやデータベース、アマゾンなどで、リアルタイムに海外の最先端の学術成果が手に入るようになると、こういった日本ローカルの勇ましい議論はさすがに恥ずかしくて言えなくなったはずだが・・・・まだ言っている人がいるなあ。「え、グローバリズム?虚妄でしょ。自由なんてない」と言ってみせる人たち。その人たちがそんなことを言っていられる経済基盤と自由は誰がどこで確保しているんでしょうね。これぞフリーライダー問題。

団塊世代・バブル入社世代は大学でもメディアでも過剰に大きな席を占めてしまっていて、その座を明け渡さない。学問はそういうものだと勘違いした固定読者層がいるから、そういう読者向けの商売になると編集者がハイエナのように群がり原野商法的出版を繰り返す。

そこに媚びて仕事をもらわなければならない人たちが私の同世代や下の世代の中にもいる。それを止められるわけではないが、違う道を示したい。

* * *

なお、実は現在『アステイオン』の編集委員を末席で務めさせていただいておりまして、先日の編集会議では、「検証特集をやろう!」「バックナンバーを書評して表紙写真を再録」とか盛り上がっておりました。サントリー財団って良いところですな。

実際、「ニューアカ」「脱構築」から、言うだけ番長系「反近代」のお歴々をもてはやしてきた黒歴史は、日本思想史の重要な局面として対象化しないといけない。

そんな作業は国際的な業績になりにくいことと(嗚呼グローバル・スタンダードの非情さよ)、存命の方が多い(当たり前だ)のでやりにくいというところが難関だが。

【学生向け事務連絡(2):イスラーム政治思想史概説】6日に台風で欠席の受講希望者へ

【学生向け事務連絡】

文学部「イスラーム政治思想史概説」に参加希望のみなさん

10月6日(月)は、午前中は台風の影響で一斉休講でしたが、午後は自主判断だったため、また天候が持ち直したため、初回の授業を予定通り行いました。

事務当局からの休講の決定や連絡が直前だったことや、午前中は非常に天候が悪かったことを勘案して、初回欠席の学生も二回目からの出席を認めます。

次回までのテキストは配布していますので、入手している人からコピーさせもらってください。

入手できない場合は、代替として、下記のブログページを熟読して、関連する文献を検索・読解しておいてください。

「イスラーム国」の黒旗の由来

まだ受講者が固まっていない段階での連絡のため、公開のブログを使っていますが、授業が立ち上がり次第、非公開のメーリングリストやストレージ・サービスなどに連絡・配布手段を切り替えます。

池内恵(10月11日)

【学生向け事務連絡:14日台風の場合】教養学部後期課程「中東地域文化研究」の初回開講

【東大・学部生向け事務連絡】

冬学期の教養学部後期課程「中東地域文化研究」に参加希望のみなさんへ。

第1回の授業は14日(火)です(先週7日は秋季入学式のため授業休止日でした)。教室・時間割等は便覧あるいはオンラインで確認してください。

14日は台風の影響を受ける可能性があります。

学部の事務局から一律に休講措置等が取られる場合は、14日(火)午前6時30分に教養学部のホームページに掲載されるとのことです。まずここを確認してください。

朝の段階では午前中の講義にのみ全学部的な休講措置が取られ、午後の授業に関しては、明確な措置が講じられない可能性もあります。また、学部によっては、午後については教員の判断に任せるといったあいまいな指示が出ることもあります。

学部事務局からの午後についての指示が曖昧な場合は、当日の正午に、このブログで休講・開講のいずれかをお伝えします。

演習に近い形式の初回のため、参加者の人数や関心などを把握するためにも、できる限り授業を行ないたいと考えていますが、往復のいずれかに危険を感じる場合はそれぞれの判断で欠席してかまいません。その場合、出席希望を学内メールで池内宛に送信してください。

なお、今回は初回授業のため、連絡手段がなく、やむを得ず公開のブログで情報を発信していますが、受講生が定まり次第、閉鎖系のメーリング・リスト等に切り替えます。

池内恵(10月11日)

束の間の休息──ボスフォラス海峡を見渡す

イスタンブールでの会議終了。「中東協力現地会議」。日本の中東に関係する各社と官庁・機関が一堂に会する年に一度の恒例の行事。今年はイスタンブールで開催。講演を務めるために呼んでいただきましたが、私にとっても、日本の中東関与の現状を総攬する貴重な機会になりました。

しかしすぐに次の仕事が。日本時間深夜の雑誌校了時間までに論稿の最後の手直しを行なわないといけない。あと1時間ほどがタイムリミット。

しかし一息ついてもいいよね?

この景色を見ると最後の頑張りが効きます。イスタンブール北部郊外Sisli地域を再開発してできたばかりの、Hilton Istaubul Bomonti Hotel。34階ラウンジより。

ボスフォラス海峡と金閣湾を含む絶景を、ほぼ全方面見渡せる。この景色なら何日も見ていたい。

Istanbul_Sisli_Hilton Bomonti_Aug 28_2014

3日目に入った自主缶詰の環境

日本国内とも国外ともいえる某所で、単行本執筆のための缶詰中。3日目。

こんな環境です。

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ある意味理想的な環境ですな。

「アラブの春」に関する先行研究をトランクに入るだけ持ってきた。

上に載っているのはアラブの映画とドキュメンタリーのDVD。この機会に見てしまおう。

Nizar Qabbani_Series

一番上に載っているのは、本のような形をしているが、DVDセット。シリアの詩人、ニザール・カッバーニーの伝記。

連続ドラマでDVD10本に20話が入っている。文章に行き詰まると息抜きにこれを・・・て息抜きになっていませんが。

歴史ものなんですが、やはり見てみると、「春」「革命」「抵抗」といった世相のキーワードがちりばめられています。しかしこのドラマはたしか2010年だったと思うんだが・・・ニザールが若い頃に大人たちが振っている旗は、当時の時代だから当然なんですが、緑と白と黒の民族主義の旗。つまり今の反体制派の旗です。カッバーニーの生涯を描きながら現在に至る現状への批判的な思潮が随所に暗示されたものになっています。

少年時代の勘の強いニザールが、罪人は地獄の火に焼かれると教えられて、決然と、実際に火をつけてその中に踏み入って自分を焼いてみようとするところで、然る大人たちの間で、どうなるか自分でやってみた方がいいんだ、とつぶやく老人がいるのもなんだか行く末を暗示しているような。

ニザール・カッバーニーについてはこのブログのどこかで言及していますので、気になる人は調べてみてください。確かに、このドラマでもニザールが流浪の末行きつくのはロンドンみたいだ。回想シーンはビッグベンの影の下から。

【お知らせ】缶詰中のため

6月15日午後~24日朝までは、本の執筆のため、自発的に缶詰になっており、その一部は日本国外に出ているため、メディアからの緊急のお問い合わせには返答に時間がかかることがあります。

ウェブも衛星放送も完備した環境におりますので情勢は追っておりますが、今はとにかく10年かけて準備してきた本を完成させることが私の第一の目標ですので、あしからずご了承ください。

イラクの情勢については合間を見てこのブログで適宜情報や分析をご紹介したいと思います。

BLOGOSに時々転載中 そもそもブログを書くこととは

このブログは、ときどきBLOGOSというところに転載されることがあります。

前回の「disappointedいっぱい言ってるよ」も転載されて、いろいろと「支持」や「コメント」がついているようです。

BLOGOSに転載するようになったきっかけは、BLOGOSの編集部が転載させてくれと言ってきたからです。毎回自動的に転載されるわけではなく、編集部が「今回のこれを転載させてください」とメールで連絡してきて、「了承します」と私が返事するとほどなくBLOGOSに設定された私のページにアップされます。

転載にあたっての原稿料・使用料などは受け取っておらず、まったく金銭的な見返りはありません。他の転載者にもたぶん支払われていないと思います。その意味でBLOGOSは「原稿料」すなわち「仕入れ代金」がゼロで営業しているということになります。読者からも料金を取っている様子はないので、各種の広告(的)収入で運営されているのでしょう。

それほど深い気持ちや思い入れで転載を始めたわけではないのですが、「やってもいいな」と思った理由のうち消極的ながら重要だった項目の一つは、もし私が転載を止めたいという気になったときは、通知すれば、過去に転載されたものをすべてサーバーから削除する、という条件を編集部が提示したことです。

転載してもいいんだけど、そのサイトが今後どんなものになるかもわからず、私の文章だってどういう風に使われるか分からないのでは、躊躇します。撤回したくてもずっと使われ続ける・・・というのでは転載する気になりません。しかし明示的に「要求があれば削除します」と言っているのであれば、まあリスクは少ないかな、と安心して了承しました。

出版社はここのところ以前よりも強く、紙媒体に書いたものにかんしても、電子出版やデータベース配信をする権利を、排他的に、かつ事実上無期限に(著作権が存続する期間)認めよ、と著者にさりげなくどさくさまぎれに突き付けてきます。これは感心しません。まず、その分の対価を支払うというところはほとんどありません。タダで商品を得て、無期限で使おうというのは虫のいい話でしょう。もっと問題なのは、権利ばかり押さえようとしていながら、きちんとそれを流通させて読者に届け、代金を回収して商売にするモデルを示さないことです。電子データは「在庫」を抱えるコストがほとんどないので、ただ抱え込んで終わり、ということになりかねません。紙媒体は売れなくなれば絶版にして文字通り裁断しなければならないので、だからこそ作品に二次使用の市場が生まれて流通して生きていくのです。売る当てがないのにタダだからと抱え込んでいく(しかも恒久的・排他的に)出版社には電子出版の許可を出さないことにしています。

もちろん、転載を承諾するにあたっては、まあこのブログに新しい読者がちょっとでも来ればいいな、と思いましたが、そんなに期待はしていません。そもそも中東・イスラーム学というテーマは娯楽的に消費するようなものではありません。本当に必要となった時には雪崩的に関心が集まりますが、ピークが過ぎればみなさんまた日常に戻っていって興味を示さない、というのが、遠い日本においてはごく正常な流れではないでしょうか。このブログは、それでも恒常的にこの分野に関心があるか、職業上関心を持たざるを得ない人がチェックしてアップデートする助けになればいいな、という程度の機能を意識して作っています。

BLOGOSに転載することによって、ちょっとした「市場調査」「世論動向調査」という見返りがあるかもしれない、ともちょっぴりだけ期待しています。あまり正確な調査にはなりえませんが、「無料で非専門的な媒体を読む一般読者の目に触れる場所に記事を置いた場合」という条件のもとで、「どのようなテーマだとこれぐらい読む人がいる」「このテーマだとこのような反応がある」といった、世論・議論の市場動向を、バイアスや誤差はかなり大きいにしても、得る手がかりになるかなと思っています。

そもそも「編集部がどのようなテーマだと転載を依頼してくるのか」という点だけでも、こういった無料のネットのニュース・議論のサイトでの需要という意味での市場調査になります。ただし私はこの種の市場をいかなる意味でもターゲットにはしていないので、単に余暇に興味本位で疑似マーケティングを楽しんでいるだけです。

いくつか転載されたものについたコメントとか、テーマによる反応の多寡とかを見ていると、まあ予想通りではありますが、実際にデータが取れたことは意味があったかなと思います。

私自身が最近積極的に用いているウェブ上の媒体は、一方で「中東・イスラーム学の風姿花伝」(個人・無料・ひたすらモノローグ)があり、他方で、『フォーサイト』(新潮社が発行する雑誌・有料・コメントや読者評価で一定の双方向性がある)があります。BLOGOSはその中間ぐらいでしょうか。

それにしても・・・

読むのも無料、書く側だって原稿料なんかもらっていやしない、そもそも個人ブログで知り合いに向けて書いているものが転載されているだけでBLOGOSのために書いたものではない、という媒体のコメント欄につけてくるコメントが、妙に上から目線なのはなんでなんでしょうね。

「長すぎる。飽きたよ」
「話があっちこっち飛ぶので論説とは言えない」
「三回ぐらいに分けたらいいのでは」
「こんな長いと読者が減る」
「何々が書いていないので不親切」

といった感じのコメントが付くのですが、まあ全く参考にはならないわけではないですが、うーん根本的に勘違いしているな、無料媒体の読者は。

あのね、これ無料なんですよ。読者が購読料を払っているわけでもなく、執筆者が原稿料をもらっているわけでもない。BLOGOSのために書いたわけでもない。個人ブログで自分が書きたい時に、書きたいように、好きなだけの分量を書けるからこそ書いてるんで、ページビューを増やすために細切れにしろとか論旨を単純にしろとか一つのテーマだけにして態度を鮮明にしろとか、全て余計なお世話です。無料で読めているだけでありがたいと思いなさい・・・といったコメントをつけたくなりますが、そう暇ではなく、付き合ってあげる義理もないので、つけません。

まあ無数にある無料のウェブのニュースやら論説はたいていすごく短い。長かったら読まない読者がほとんどというのも確かだろう。ですから、私はそういう読者に読んでもらおうとは最初から思っちゃおらんのだよ。

そういうウェブの文章に慣れている読者のごく一部が、「こういう書き方もあるのか」「そもそもこういう人がいるのか」「こんなテーマがあったのか」とふと気づいてこれまでとは別世界に入るきっかけが生じたりすればそれもいいな、という程度にしか期待していない。

私の仕事の大部分は依然として、有料(あるいは会員制=学会誌だってそうですね)の本や雑誌や新聞の紙媒体に書くことです。それらの仕事を十分すぎるほどいただいているので、ウェブ関連は、極言すれば、どうでもいいと言ってしまっていいようなものです。

『フォーサイト』はウェブになりましたが、ちょうど2011年の中東大変動の際に、有料で限られた読者に向けて、タイムラグなしに書けるという利点を享受しました。書き手として、「後知恵」ではなく、事態が動いていくその瞬間に情報を集めて枠組みを作って見通しを示して、かつそれを発表・記録していくという作業は、得難い体験・訓練となりました。

こういった私の本来の発表媒体との関係からいうと、無料でここにいろいろ書いてしまっていること自体、私に仕事を依頼してくださる人たちにとっては、私がある種の利益相反行為をしているとすら見えてきかねないものです。

基本的には中東・イスラーム学というのは、限られた数の、しかし本当に知見を必要としている人に向かって、対面リアルでやり取りするだけで十分成立します。「イスラーム思想」「中東政治」に関する学術的知見には供給に比較して高い需要がありますし、関連する「カントリー・リスク分析」「エネルギー」「テロ対策」といった「実需」にも支えられています。私の場合はそれを「文芸」方面に一定程度つなげるという仕事も、求められればやっています。

そのため、講演会で講演したり、少人数へブリーフィングしたり、専門家の会合に出てやり取りしたり、といった形で、十分に有益で効率的に発表の場を得て、ささやかながら代償も得ていますので、それに加えてウェブでやっていることというのは、ほんの息抜きなんです。

息抜きだからこそ楽しくやりたいし、質の高いものをやりたい、と思ってはいるが。

定量的にトラッキングしているわけではないが、リアルなやり取りから想像する限り、おそらくこのブログを読んでいる人は実際に仕事上で私と会ったことがあったり今後も会うことがある人たちが多いのではないかと思う。また、実際に本屋で本や雑誌を買って私の文章を読んだり、講演会などに来てやり取りする可能性も高い人たちが多いと思う。そうではない人たちにも一定程度届いている様子があるのはうれしいけれども。

本当に必要な情報というものは、定義上「希少」です。希少な情報は、無料のウェブ媒体でページビューを競ったりはしないものです。たいていはあまり積極的には世の中に向けて広められてはいません。私だって本当は一部の限られた人にだけ発信している方が多く利益を得るのかもしれない。

それでもなおこのブログを書くことの利点があるとすれば、「私が前提としているような認識、中東・イスラーム世界を見るために最低限知っておくべき常識、見ておくべきニュースなどを、なるべく多くの人が知っていてくれれば、私がものを書いたり話したりしたときにより誤解なく受け止められる」ということでしょう。

これはあくまでも推測あるいは期待なので、「広く一般に知ってもらう必要はないのだな」と感じた場合、ブログを止めるか、あるいは有料で情報提供をするといった方向に行くかもしれませんね。

バカの壁の壁

アートだ。

「古書店で“バカの壁の壁”を建設中! 大ベストセラー作品をモチーフ」THE PAGE 5月27日(火)10時0分配信

名古屋に「バカの壁の壁」建立中。

本屋に行ってもいい本がない。

最大の原因は新書の低質化。

新書はかつて「定評の高い信頼できる入門書で、いつでも本屋に置いてある」というものだった。

それが今や、「月刊誌の信憑性の薄い特集記事一本程度を薄めた消耗品で、出た月の翌月にはもう置いていない」というものに成り下がってしまった。各社が複数のレーベルを持ち、毎月決まった数を必ず出さねばならないから、書き手も払底し、本屋の棚も奪い合いになる。

新書が「揃っている」本屋などもはやない。今月出たものが置いてあって、翌月には大部分撤去されている。月刊誌、週刊誌記事レベルのものになってしまった。

新書という制度の劇的な変質の画期は、2003年の新潮新書の創刊。

創刊の目玉が『バカの壁』だった。これが400万部売れて、各社が競って参入。新書というジャンルだけでなく、出版と本屋全体の生態系が致命的に損なわれました。

新潮社は確信犯だ。創刊の辞にもあるように、新潮社の本分は「文芸」と「ジャーナリズム」

つまり「学術」は入っていない。

「学術」にこだわらずに、文章として面白いものを面白く、ジャーナリズムとして伝え、広め、売る。このコンセプトはそれまで、幻想や誤解や思い込みも含めて「学術」の一環であることにこだわっていた新書というジャンルに衝撃を与えた。

新潮社の人たちは、その行為がいわば「川上から毒を流すこと」であるのを承知で、「低質化」を伴う新たなタイプの新書の姿を提示したので、それはそれでいい。

問題は、各社が「これが良いんだ」と思い込んで追随し、壮大で消耗的な「底辺への競争」が始まったこと。

そしてそういう出版社に迎合して毎月のように、「学術」抜きのジャーナリズムの走狗となって名を売る「学者」も現れるようになった。大学(特に、経営の苦しい私大)もそういった有名なだけで業績のない先生を重用するようになった。「学術」の生態系も影響を受けて崩れ始めたのだ。

私自身は、2002年に最初に出した本『現代アラブの社会思想』が新書だった。学術論文を手直ししてそのまま新書にした、今の基準では到底出してもらえないような種類のもの。

他に手段がなかったところに道を作ってくれたことで、新書というジャンルとその作り手(編集者・出版社)に感謝と敬意の念がある。

新潮社には『フォーサイト』でお世話になってきた。似非「学術」におもねらず、「ジャーナリズム」として報道・論評するという姿勢は筋の通ったものだ。

それと同時に、新潮新書で新書の大量生産・短期消費・低質化への口火を切ったことには、功と共に罪が大だと思う。

(昨日都内某所で、「でも新書の変質の口火を切ったのは岩波新書が1994年に出した永六輔『大往生』だよ」と言われた。まあ確かにそれはそうだ)

私が2002年の最初の本以来新書を書いていないのもそのような思いから。

バカの壁の壁の崩壊はいつ来るのか。出版界の生態系を致命的に壊したブラックバスのモニュメントはどこまで大きくなるのだろうか。