【今日の一枚】(33)トルコ侵攻後のシリア・イラク地図2016年9月

シリア内戦の最新の地図です。BBCが、IHS Conflict Monitorの情報に基づいて作成したもの。同様の地図をISWに基づいて出している報道機関も多くあります。

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“Islamic State group: Crisis in seven charts,” BBC, 7 September 2016.

ジュネーブで2016年9月9日深夜から10日未明にかけて、ロシアと米国の間で、シリア内戦の戦闘の緩和を目指すある種の合意が結ばれ9月22日にまず48時間の停戦が発効しました。しかし数日間・数週間程度は表面上戦闘の規模が収まっても(あるいは単に戦闘の報道が収まっても)現地の情勢が大きく変わるとは思えません。アサド政権とロシアは、反体制派を「テロリスト」と任意に指定して攻撃を続けることを認めるという、従来からの実効性のなかった停戦合意と構造は変わらないからです。

おそらく現地でもっと重要なのは、トルコ軍のアレッポ北方への侵攻と、トルコ軍に支援されたシリア反政府勢力による、シリア・トルコ国境地帯での支配領域確保でしょう。この地図では紫色で示されている部分です。シリアのトルコとの国境地帯の細い範囲が、過去の地図と比較すると新たに塗られています。2016年8月末から9月前半にかけての動きです。

この付近一帯への、トルコが設定を主張するがアメリカが認めていない「飛行禁止区域」がどの程度現実化するか。それが当面の鍵となりそうです。

そして、シリアからイラクを一体のものとして描き、アサド政権の支配領域、シリアからイラクにかけてのクルド人の支配地、トルコに支援されたシリア反体制派の支配地、シリアからイラクにかけての「イスラーム国」の支配地に描き分ける地図の描き方、その認識の視座が定着することこそが、今後のシリア内戦の終結に向けての国際合意や、イラクを含めた

シリアの反体制派の支配地がトルコと隣接した地域に集約されていく様子も、この地図から見えてきます。

さらに数年以内には、トルコの国内の、シリアに隣接したクルド人領域もこの地図に加えて描かれるなどということがあるのでしょうか。全くないとは言えません。

【今日の一枚】(32)中東の国境線を引き直すなら(6)「イスラーム復興」の野望

中東再分割の地図をいろいろ紹介してきましたが、最も話題になった、印象に残っているのはこれかもしれません。

イスラーム国黒地図2世界
出典:“The ISIS map of the world: Militants outline chilling five-year plan for global domination as they declare formation of caliphate – and change their name to the Islamic State,” Daily Mail, 30 June 2014.

「イスラーム国」が目指すカリフ制の支配領域は、ここまでなのだ、と真偽は不明ですがウェブ上で出回っているものを、いろいろな新聞が転載して、よく知られるようになったものです。

日本の世界史の教科書に載っているような、イスラーム世界の栄光の時代に征服して支配していた土地は全部取り戻すというのですね。「イスラーム国」あるいはそれを支持する勢力がこのような世界観と地理感覚・地理概念を持っていることは確かです。

【今日の一枚】(31)中東の国境線を引き直すなら(5)イスラーム国の黒地図

中東再分割の地図でもっとも有名といえば、「イスラーム国」による中東、そして世界の再分割の野望を示したものとして出回っている、黒地図でしょう。真偽のほどは分かりません。このような発想は広くアラブ世界の民族主義的な界隈に広がっていることは確かですが。

イスラーム国の黒地図1
出典:“The Fall of Mosul to the Islamic State of Iraq and al-Sham,” Institute for the Study of War, June 10, 2014.

「イスラーム国」がモースルを占拠して大きな話題になってすぐに、ISWがブリーフィングのプレゼンテーションのスライドを公開して、その中に、どこからか入手した、「イスラーム国」側がもくろむイラクとシリアの新たな「州(wilaya)」への分割計画を示したものとみられる、このおどろおどろしい黒く塗られた地図が入っていました。これがその後の「イスラーム国」に関する議論でも使われ続けています。実際、その後の「イスラーム国」はおおむねこの地図に基づいた統治・行政区画を主張しています。

これまでに示したように、欧米の言論の場で中東再分割とその地図についての議論が盛り上がっていたところに、「イスラーム国」が出てきて、どことなく符合する独自の案を出してきた(ように見えた)ことが、様々な想像力を刺激したのでしょう。

【今日の一枚】(30)中東の国境線を引き直すなら(4)2007年末のゴールドバーグの記事

ロビン・ライトの中東再分割地図の記事がニューヨーク・タイムズ紙に出て議論の軸になると(この人は英語圏で中東に関していつもそのような役割を負うようですが)、例のArmed Forces Journalはじめ、「うちがこの件では元祖だよ」と言い出すようになったのですが、その中で話題なったのは、オバマ大統領とも近く、中東やイスラエルに強いジャーナリストのジェフリー・ゴールドバーグが2014年6月に出した論稿。「イスラーム国」がイラクのモースルを陥落させ、「中東の地図を塗り替える」と息巻いたところで、「うちは2007年にはこのことを予期していました」と「ドヤ顔」です。まあこういうのも「だからアメリカの陰謀だ」という話のネタになってしまうのですが。

中東分割案アトランティック2007
出典:Jeffrey Goldberg, “The New Map of the Middle East:  Why should we fight the inevitable break-up of Iraq?,” The Atlantic,  June 19, 2014.

この地図はアトランティック誌の2008年1・2月号に最初に載ったものでした。

Jeffrey Goldberg, “After Iraq: A report from the new Middle East—and a glimpse of its possible future,” The Atlantic, January/February 2008.

 

【今日の一枚】(29)中東の国境線を引き直すなら(3)米退役軍人作家の奇想

中東再分割の地図としてもっとも有名で、物議を醸したものが、これ。2006年に、米国の退役軍人の作家が、米軍人さん向けの雑誌Armed Forces Journalに載せたもの。民族や宗派に合致するように国境線を引いたら、こうなるよ、と大胆に引き直してみせた。

中東分割案2006Armed Forces Journal出典: Ralph Peters, “Blood borders,” Armed Forces Journal, June 1, 2006.

これは別に米国の政策でもなんでもなくて、ただ仮説として面白半分に書いただけなようだが、軍人さん向けの雑誌に載ったために、「米国の陰謀!」として中東及び世界の陰謀論で使いまわされる結果となった。

ウェブ版の記事には地図が載っていないのだが、話題になりすぎたから隠したというわけでもなく、単に紙媒体からウェブにデータを移行するときに載らなかったみたい。

2013年9月にロビン・ライトがNYTで中東再分割地図を、ネタとはいえ多少本気な感じで提案して話題になった時に、AFJの編集部も、「弊誌ではずっと先にやっていました」と、改めてウェブサイトに地図を載せている。悪びれた様子はない。「米政府の見解とは無関係、言論の自由です」ということなのだろうが、米国がやることはいちいち注目されるので、もう少し配慮がないものか。「イスラーム国は中東分割をたくらむ米国の陰謀」といった議論をする論者には、軍人さん向けの一般誌のお楽しみの記事でも「動かぬ証拠」になってしまいます。

“Peters’ “Blood borders” map,” Armed Forces Journal, October 2, 2013.

【今日の一枚】(28)中東の国境を引き直すなら(2)キング・クレーン報告書

中東を再分割するなら?という思考実験で用いられる地図のその2。1919年のキング・クレーン委員会の報告書で行われた提案。2013年にアトランティック誌が引っ張り出して来て、ちょっと話題になりました。

キングクレーン委員会

出典:“The Middle East That Might Have Been: Nearly a century ago, two Americans led a quixotic mission to get the region’s borders right,” The Atlantic, February 13, 2015.

1916年のサイクス=ピコ協定での植民地分割密約に固執する英仏に対して、民族自決を掲げたキング・クレーン委員会はキングとクレーンの二名を団長とするアメリカ人主体の調査団を送り込みました。

『サイクス=ピコ協定 百年の呪縛』(新潮選書)でも書いたように、実際には1920年のセーブル条約でいったん極端に分割されたオスマン帝国領土を、1923年までに新生トルコ共和国が一定程度奪い返して決着します。

しかし、より現地の民族・宗教・宗派を考慮して線引きすればこうなったかもしれない、というのがキング・クレーン報告書です。

その後人口構成が変わっているので、アルメニアのところなどは現在は全く現実味がありませんが。イスタンブルの国際管理など、現代には考えられないことですが。

【今日の一枚】(27)中東の国境を引き直すなら(1)ロビン・ライトが書いたもの

シリアの分割を考えるときに参照される歴史地図を先日示しましたが、中東全体に国境線を引き直すなら、という思考実験は多く行われています。いくつか紹介しましょう。

一つはこれ。

中東分割地図1(NYT)
出典:Robin Wright, “Imagining a Remapped Middle East,” The New York Times, September 28, 2013.

この地図に付された記事はこれ。筆者は中東ジャーナリストのロビン・ライト。ワシントンの政治家にも近い有力・有名な人なので、アドバルーンか?と噂されたものです。

Robin Wright, “How 5 Countries Could Become 14: Slowly, the map of the Middle East could be redrawn,” The New York Times, September 28, 2013.

【今日の一枚】(26)シリア内戦の地図と言えばInstitute of the Study of War

地図をいろいろ紹介していますが、これらはみな、英語圏の有力メディアやシンクタンクが上手にcartographyを駆使して作ってくれたものを借用しています(出典とURLは明記してあります)。

New York TimesとかEconomistとか、そういった地図を作るのが上手な人を囲い込んで投資しているから上手なのですが、地図を作る人自体は中東については専門ではないので、中東の情報はシンクタンクなどから仕入れてきています。最も多く参照されるのがInstitute of the Study of Warです。

Institute of the Study of Warのウェブサイトを見ると、逐一レポートが公開されていて、その目玉は戦況を描いた地図です。最近のものだと、
“RUSSIAN AIRSTRIKES IN SYRIA: JULY 28 – AUGUST 29 2016,” Aug 30, 2016.
でしょうか。このような地図が掲載されています(地図PDFへのダイレクトリンク)。

シリア内戦地図2016年8月ISW

トルコの支援で国境地帯に辛うじてへばりついている反体制派が黄色いエリアで塗られていたり、ロシアの空爆が、アラド政権が奪還を目指すアレッポに集中的に行われていたり、といったことが分かります。

【今日の一枚】(25)シリアを分割するなら フランス委任統治時代の試み

本日の地図はこれ。諸勢力が割拠して、徐々に複雑な戦線がまとめられていった先に、何があるか。思考実験ですが、かつてはこんな地図もあったよ、ということで時々参照される地図です。かつてシリアはこのように「分割」されていた時期がありました。

シリアのフランス委任統治分割案
出典:Wikipedia

第一次世界大戦後、サンレモ会議(1920年4月19-26日)を経てセーブル条約(1920年8月10日)が結ばれ、英・仏がイラクとシリアに委任統治領を確保しました。大戦中の英・仏のサイクス=ピコ協定は、その一部分・骨格が残りつつ、随所に変更されました。

当初よりも大幅に影響圏を縮小して、現在のシリアとレバノンにほぼ等しい領域を委任統治領として確保したフランスは、当初、委任統治領を6つの「国」「地区」に分けて統治しました。「国」といっても独立させたわけではなく、フランスが知事を任命して統治していたのですが。

1920年にまず、(1)大レバノン国、(2)ダマスカス国、(3)アレッポ国、(4)アラウィー国(あるいはアラウィー山国)の四つの「国」に分けられました。さらに1921年にはまずダマスカス国から(5)ドゥルーズ国(あるいはドゥルーズ山国)が切り分けられ、また、フランスとトルコ(アンカラ政権)と条約(10月20日)により、アレッポ国のうち(6)アレクサンドレッタ地区(Sanjak of Alexandretta; アレクサンドレッタはトルコ語ではIskenderun、アラビア語ではal-Iskandarunと呼ばれる)が特別な自治権を与えられました。

サイクス=ピコ協定は「民族・宗派の分布に合致していない」と批判されますが、フランスは当初6つの「国」「地区」に分けて、ある程度「民族・宗派の分布に合致した」領域の「国」に分けていたのです。しかしこれはうまくいきませんでした。

結局、1924年以降、ダマスカス国、アレッポ国、アラウィー国、ドゥルーズ国が順次統合されてシリアになります(1941年9月にフランスから独立宣言)。それに対して大レバノン国は分離して、1926年にレバノン共和国となります(1941年11月にフランスから独立宣言)。また、シリアに含まれていたアレクサンドレッタ自治地区は、住民投票を経て1938年に「独立」し、翌39年にはトルコに編入されハタイ県となります。

シリアの内戦により、中央政府(アサド政権)が国土の一元的支配を喪失して久しいですが、もし国家分裂が恒常化すれば、例えばこの地図のような「シリア分割」を行い、主権国家としてのシリアの外枠は残しつつ、連邦制を導入するといった方策が議論されるようになるでしょう。かつてのアレッポ国が、アレッポ周辺で政権は反体制派の複数の勢力が争う場になり、ラッカは「イスラーム国」の拠点となり、トルコとの国境付近のクルド人の多い地域は連邦制・自治領域化を主張するなど、争点となっています。かつてトルコに編入されたハタイ県の近辺も、トルコと関係の深いトルクメン人の反体制派勢力とアサド政権が激しく戦い、ロシアの空爆がトルコを刺激するなど、ホットスポットになっています。

かつての「アレッポ国」の中をさらに細分化する複数の勢力が激しく争っていることからも、この地図のようにシリアを分割して連邦国家を成立させることはそれほど容易ではないようです。中東に国境線を「適切に」引くことはそれほど困難なのです。

【今日の一枚】(24)シリア北部「回廊」地帯の詳細

昨日の日経新聞の「経済教室」や、先日の『フォーサイト』への寄稿を読んでいただいた人には、分かりやすいかもしれない。

シリア北部回廊地帯詳細2015年12月

出典:Fabrice Balanche, “The Die Is Cast: The Kurds Cross the Euphrates,” The Policy Watch 2542, The Washington Institute, January 5, 2016.

詳細な地図のPDFファイルはこちらから

8月24日のトルコによるシリア北部・アレッポ北方のシリア・トルコ「回廊」地帯への地上部隊侵攻で、いっそう明白になったこの地域の性質と重要性。アレッポ北方の、ジャラーブルスやマンビジュ、アル・バーブやアーザーズなどの位置関係や、アラブ人、クルド人、そしてトルコが同族とみなすトルクメン人などの混住状況もこの地図には描かれています。

この地図から、トルコ側のガズィアンテプで、8月20日に、クルド人の結婚式に対してテロが行われた(「イスラーム国」側がやったとされるが、詳細は不明)ことも納得がいくでしょう。

この地図は昨年12月段階のもので、その後クルド人勢力はマンビジュ方向に延伸したり、アル・バーブの方向への進出を窺ったりして、色分けは変化しています。この地図を基礎に変化を見ていくと、何が起こっているかが見えてきます。

アサド政権はこの地図で描かれているアレッポ北方で回廊を断ち切ろうとする。逆にアレッポの西のイドリブ県を制圧している反体制勢力は南方のアサド政権のアレッポへの補給路を断とうとする。これらが、この地図替えかがれた以降の展開です。

この状況下で、トルコはもっぱら対YPGで介入してくるだろう、ということが誰の目にも明らかで、「いつ」が問題になっていました。ロシアとの緊張の激化や、国内でのテロの続発、クーデタ未遂や大規模粛清といった目を奪う事象が繰り返されてきたため気が逸らされがちですが、シリア内戦の構図と、それに関与するトルコの姿勢は、基礎的条件が変わらないので、それほど変わっていないのです。

「ユーフラテスの盾」という作戦名が明らかにしているように、「回廊」地帯の東端を画すユーフラテス河を、クルドYPG勢力に越えさせない、というのが、今回のトルコの作戦の目的。

クルド人勢力が、2014年には「イスラーム国」の伸長で、コバネなどで追い詰められていたところから挽回して、それによって欧米の支持も高め、領域支配を広め、ついに2015年12月にはユーフラテス河以西に勢力を伸ばし始めた、という時点で、現在のトルコのシリア北方への軍事介入は必然視されていました。

こういった詳細な地図は、日本語のメディアでは作ってくれるところがない。やはり需要がないということなのだろう。

 

【今日の一枚】(23)シリア内戦の相関図(2016年8月現在)

「シリア内戦の諸当事者の数と相関関係はこんなに複雑!」という図は、英語圏の主要メディアが何度となく、手を替え品を替え、グラフィックの能力を競うかのように、出してきました。若干面白半分というか、呆れ半分にいろいろな描き方が過去に提起されてきました。シリアだけでなくイエメンやリビアなどアラブ世界で並行して進む内戦・国家崩壊への、各勢力の関係を含めるともっとややこしくなります

8月24日以降のトルコ軍部隊のシリア北部侵攻を受けて、CNNが最新の図を出してくれました。

シリア内戦相関図CNN20160825
“The free-for-all in Syria will make your head spin,” CNN, August 25, 2016.

「トルコと旧ヌスラ戦線の関係はどうなの?」とか、いろいろ突っ込みたい人はいるでしょうが、すべての当事者が出揃った感があります。

【今日の一枚】(22)英エコノミストのDaily Chartはやはり秀逸

昨日、英Economistのシリア内戦勢力図が、4月段階のものと8月段階のものを比べてみると、やはり簡にして要を得た、優れたものであることを見てきました。

日々の記事に添えられた地図やグラフがすばらしいのですが、こういったグラフィックを集めたDaily Chartというカテゴリのコーナーはお勧めですね。

拙著『サイクス=ピコ協定 百年の呪縛』は今年5月の100周年に合わせて出し、地図を多く作成して添えておきましたが、Economistも記念日に合わせてDaily Chartに地図を配信していました。

英エコノミストDaily Chart_May_16_2016
“Daily chart: Sykes-Picot 100 years on,” The Economist, 16 May 2016.

英仏だけでなく、より中東に密着したロシアが、この協定に加わっていたことを描いていますね。帝政ロシアはトルコ南東部の、当時アルメニア人やクルド人が多く住んでいた地域に、南コーカサスの勢力範囲を延伸して介入してきた。そして、イスタンブル周辺の戦略的要衝のボスフォラス・ダーダネルス海峡の支配圏も、英仏に対して認めさせた。結局帝政ロシアが翌年の革命で崩壊したので夢と終わったのですが。そうでなければ世界地図は大きく変わっていたでしょう。

サイクス=ピコ協定は、それが何かの原因というよりは、露土戦争と東方問題の「結果」であるという認識があると、現代の中東情勢を見る際にも、現地の地政学的環境を踏まえた視点が定まります。

【今日の一枚】(21)シリア北部ジャラーブルスへのトルコ軍部隊の侵攻の背景は

少しお休みしていた「今日の一枚」を再開してみましょう。「続き物」として道筋を通そうとすると、事態が発展していくうちに追い抜かれたりしてややこしくなって結局更新が滞るので、気楽に「一枚」をぺらっとアップする初歩に立ち戻ります。

ただでさえややこしいシリア内戦ですが、8月24日に、トルコ軍戦車部隊がシリア北部のジャラーブルスへ侵攻し(よりによって米バイデン副大統領のトルコ訪問の最中に!)、いっそう関与・介入する当事者が増えました。

ここでシリア情勢の現状を再確認しましょう。かなり重要な転換点です。

やはり英Economistは地図が的確ですね。

シリア情勢地図20160811_Economist20160827
“Smoke and chaos:The war in Syria,” The Economist, 27 August 2016.

ポイントはアレッポの北方、シリア・トルコの国境地帯の諸都市、ジャラーブルス、マンビジュ、アル・バーブ、およびユーフラテス河です。

トルコのジャラーブルス侵攻の背景と目的を推測してみましょう。

表向きトルコは米国と共に、侵攻作戦を「イスラーム国の排除」としていますが、長期間放置してきた「イスラーム国」のこの地域での活動を今になって急に地上部隊を展開して対処するには、異なる要因が絡んでいるはずです。米国二とってはこの侵攻作戦は対「イスラーム国」と受け止めることが可能ですが、トルコにとっては対クルド人勢力としての意味合いが濃いのではないか、と推測できます。

6月21日頃からマンビジュに対してクルド人部隊YPGが主導するSDFが攻勢をかけ、8月半ばまでにほぼ制圧しました。それによって「ユーフラテス河以東にクルド人勢力の伸長を許さず」というトルコの「レッドライン」を超えました。

8月11日時点とされるこの地図を見ますと、緑に塗られた部分が、クルド人勢力の勢力範囲がユーフラテス河を超えマンビジュを含んだ上で、さらに北方の国境の町ジャラーブルスと、西方のアル・バーブに及びかけている様子が示されています。アル・バーブを制圧すると、クルド人勢力の支配領域が西の飛び地のアフリーンと一体化する方向に進みますし、アサド政権とクルド人勢力が連携すれば、黄色く塗られた、アレッポ西郊からイドリブにかけての反体制派(トルコとの関係が深い)の支配領域とトルコとの輸送ルートを切断することが可能になります。

この状況に追い込まれたトルコが、一転してロシアに擦り寄ったり(8月9日のエルドアンのサンクトペテルブルク訪問、プーチンとの会談)、イランと調整したりして(8月12日のイラン・ザリーフ外相のアンカラ訪問)、クルド人勢力の外堀を埋め、米国に対するカウンターバランスを確保した上で、8月22日からジャラーブルスへの砲撃を強め、8月24日から地上部隊をシリア領土に侵攻させました。これによって、クルド人勢力のユーフラテス河以西への展開を阻止し、クルド人勢力の支配領域の一体化(緑で塗られた範囲の一体化)を阻止することが、重要な戦略目的と考えられます。

【追記】
ブログ復帰に際して過重労働回避のために「一枚だけ」と戒めたにもかかわらず、地図シリーズの下書きを見ていたら比較するとわかりやすい地図があったので、早くも禁を破って二枚目の地図を。。。

同じ英Economistのウェブサイトに5月9日に載っていた、4月現在のシリア内戦の勢力図。比べてみましょう。

Syria_May_9_2016_Economist

“Daily chart: Syria’s war, violence beyond control,” The Economist, 9 May 2016.

この段階では、2月にアサド政権がアレッポ北方で、イドリブの反体制派がアアザーズを経てトルコのキリシュまで確保してきた補給路を切断する攻勢をかけたことや、クルド人勢力YPG/PYDが西クルディスターン(ロジャヴァ)の自治政府樹立への意志を明確にしたこと(斜線を被せている)などが主要なポイントでした。

緑色で塗られたクルド人勢力の支配領域をみると、4月の段階では、まだユーフラテス河の東側に止まってはいるものの、一部河を越えて越えてマンビジュ方面に向かっていることが、ちょこっとした筆先で示してありますね。8月段階の新しい地図ではユーフラテス河以西にクルド人勢力が大きく伸張していることを描いてあります。

前の地図が掲載されたのが5月で、そこで暗示されていたクルド人勢力のユーフラテス河以西への展開が、翌6月後半に、YPGおよびSDFによるマンビジュへの本格的な掃討作戦という形で現実となる。

そしてそれに対してトルコがロシアやイランとの関係を調整し直し、米国への圧力を高めた上でジャラーブルスに侵攻し、外交的・軍事的な反転攻勢に出たというのが、8月の段階の展開です。地図をみてこういったストーリーが浮かぶようになると、中東のニュースが必ずしも「複雑怪奇」に感じられなくなります。

よく見ると、4月段階の地図では、北東部のクルド人勢力の支配領域の中にアサド政権がかろうじて飛び地のように部隊を残してきたカーミシュリーとハサケが水色の斑点や染みのようですが、はっきり塗ってあります。先に挙げた8月段階の地図ではクルド人勢力の伸張でカーミシュリーの水色が消え、ハサケも非常に小さくなっています。またハサケの地名が記載されるようになりました。

これも前線の最近の変化を反映しています。アレッポ北方へのトルコ軍の侵攻に少し先立つ8月17日頃から、ハサケをめぐってクルド人部隊とアサド政権の部隊との衝突が生じ、18日には、アサド政権がこの近辺のクルド人組織に対して初めての空爆を行った模様です。

クルド人勢力とアサド政権とはこれまで直接の対立を避け共存する傾向が見られたのですが、ここでも衝突が起きたのは、もしかすると背後でトルコとアサド政権が反クルドで密約を結んだのか?などという憶測も掻き立てました。

衝突の結果、クルド人勢力がハサケの掌握を強めたと見られるので、Economistの最新の地図ではハサケの都市名を特に示しつつ、アサド政権の部隊の支配領域を極小に描いています。

(なお、8月段階の地図では、「その他の反体制派」の黄色が、シリア南部のヨルダン・イラクとの国境地帯のタニフにもきちんと塗られていて、抜かりがないですね。南部のタニフ近辺でのヨルダンを通した米英仏による反体制派支援や、それに対するロシアの牽制なども近年の注目すべき展開でした)

これらの展開に対するさらなる反応の結果、近い将来の地図もまた塗り替えられていくでしょう。目が離せません。

【今日の一枚】(20)ヴェルサイユ会議(1919)でのクルド人の国家・領土要求

シリアで、イラクで、そしてもしかすると将来はトルコでも、クルド人の自治や独立要求が強まってくると、そもそもクルド人の国家独立要求の範囲は最大どのあたりまでなの?という関心が沸きます。

国家独立や自治を要求する範囲は、政治状況による、としか言いようがありません。クルド人が住んでいるエリアはありますが、多数派として住んでいる場合と少数派として住んでいる場合が混在しています。時代によって、クルド人の居住範囲は移り変わります。

『サイクス=ピコ協定 百年の呪縛』でも取り上げましたが、第一次世界大戦中と直後が、1つの画期でした。

この時期にクルド人の独立・自治要求が公的に現れ始めました。

最初の国際的な外交舞台での独立・自治要求の範囲を、図示したのがこの地図です。1919年のもの。

クルド人の国家要求範囲1919
Hakan Özoğlu,”Lessons From the Idea, and Rejection, of Kurdistan,” The New York Times, July 5, 2014.

ニューヨーク・タイムズ紙のこのコラムに付された記事は、もともとこのコラムの著者が出した本に掲載された地図に依拠しています。本の中の地図が載っている該当頁を、著者がグーグル・ブックスへのリンクで示してくれているので、それを見てみましょう。

クルド人の領土要求1919シェリーフ・パシャ

地図に付された解説によりますと、1919年のヴェルサイユ講和会議に向けて、クルド人の有力者であるシェリーフ・パシャが、クルド人の独立あるいは自治の領域範囲を地図で示したとのこと。この地図を見てみますと、アルメニア人と領域要求が衝突しないように、アルメニア人が強く領土と主張するヴァン湖のあたりが除外されていたり、地中海岸に到達せず、キリキアのあたりも主張していない。ニューヨーク・タイムズ紙のコラムではこの地図をより見やすく現在の地図の上に被せてくれています。

しかしこれは妥協しすぎだと、別のクルド人有力者が異を唱え、もっと広くガバッとクルド人の領域を主張した地図を示していたようです。イギリスの外交文書館に残っていました。

クルド人領土要求ベディルハーン

こちらの地図では、ヴァン湖も含めており、地中海岸にまで主張する領域が到達しています。

出典はHakan Özoğlu, Kurdish Notables and the Ottoman State: Evolving Identities, Competing Loyalties, and Shifting Boundaries, State University of New York Press, 2004, pp. 39-40.

【今日の一枚】(19)シリア内戦・クルド人勢力(その4)

シリアのクルド人勢力が、シリア内戦と「イスラーム国」に対抗して結束し、米国やロシアの支援を集めていくことで、3つの飛び地が1つにまとまろうとしている。現在はまだ2つに分かれていますが、最近のマンビジュでの戦闘は、それが場合によっては1つになってしまう可能性を示唆しています。

それがトルコやイラクのクルド人勢力や、中央政府を刺激していく。これらの過程は、記録・記憶され、後に検証もされるべきものでしょう。この地図は2015年8月の段階のものです。

シリア北部クルド領域2015年5月・8月の拡大

“Why Turkey Is Fighting the Kurds Who Are Fighting ISIS,” The New York Times, August 12, 2015.

この地図では2015年5月28日から8月初頭の間のシリア北部のクルド人勢力の支配領域の変化が図示されています。2014年以来の「イスラーム国」によるコバネの包囲を撃退した後に、逆にテッル・アブヤドなどを制圧することで、従来のクルド人が多数派を占める領域を超えて、クルド人勢力が支配領域を広げていきます。

それに対してトルコは、トルコ・シリア回廊ともいうべき、アレッポの北方の、ユーフラテス河以西の地域に「安全地帯」という名の、トルコの勢力圏を確保する、と米国に主張して対峙するのです(下記の赤い点線の間の範囲)。

シリア北部クルド人地域へのトルコの勢力圏主張

“Inside Syria: Kurds Roll Back ISIS, but Alliances Are Strained,” The New York Times, August 10, 2015.

【今日の一枚】(18)シリア内戦 クルド人勢力(その3)勢力の拡大

さて、シリア内戦の地図集に戻りましょう。

今日は、「イスラーム国」がシリア北東部で2014年後半に一気に拡大した上で、支配領域を失っていく過程で、クルド人勢力が支配領域を広げていく様子を順に図示した地図を見ておきましょう。

クルド人勢力の台頭2014から2015年
“How Control of Syria Has Shifted,” The New York Times, October 2, 2015.

緑の部分がクルド勢力(拡大するには元記事をクリックしてください)。2014年の1月時点では3つに分断されていたものが、まず2015年1月には真ん中のコバネが「イスラーム国」に包囲、制圧されてほとんど消滅していますが、それが2015年10月の地図ではコバネを取り戻し、東のジャジーラとコバネをつないで、拡大しています。