【寄稿】イラン核交渉の期限が本日ですが・・・『フォーサイト』にメモを寄稿

昨晩(といってもワシントンDCにいるのでこちらの朝に書いたものですが)、『フォーサイト』の「中東の部屋」欄にイラン核問題交渉の見通しについて寄稿しておきました。

池内恵「イラン核問題交渉の期限が迫る」『フォーサイト』2014年11月23日

P5+1(安保理常任理事国5カ国+独)あるいはEU3+3(EU英独仏+米露中)とイランとの、イランの核開発をめぐる交渉が、11月24日に最終期限とされてきましたが、今年7月半ばの延長以来、ほとんど進展の情報がありません(7月の交渉については「ウィーンで会議は踊ってるのか」(2014/07/15)、「ガザ紛争激化の背景、一方的停戦の怪、来るなと言われたケリー等々」(2014/07/16)あたりを読んでください)。

7月以来まったく交渉の進展の情報が出てこなかったということは、次の二つの可能性が考えられるわけです。

(1)何かすごい裏交渉・秘密交渉が行われていて、情報管制が厳しく敷かれており、突如、歴史的な米・イラン合意が発表される。
(2)単に交渉の進展がないから情報がない。

のどちらかなわけですが、多分後者なんだろうなあというのが通常の見方。

去年11月の段階では、一年間交渉して何も成果が出なければ決裂、戦争か、という危機感・切迫感がありましたが、今となっては、米・イランは「イスラーム国」などで協調しないといけない立場にあるし、交渉を再延長しても、どちらも困らないのではないかな?

かえって交渉を恒久化したほうが、米・イランの閣僚級のチャンネルができて好都合かもしれない。

なんてことを考えて書きました。

こういった憶測などは、クローズドの研究会とか、非公開のレポートを求められると気軽に書いてきましたが、公刊するのは色々な意味でためらわれるので一般向けには書かないできましたが、「交渉は再延長を目指している」という報道が各種出ているのでもういいでしょう。

10月ごろから「再延長の方向性で決まり」と報じていたイスラエルの各紙がやはり正しかったのか。

ウィーンで最後の交渉が行われているところですが、突如、米・イラン秘密交渉で合意、という報道が出てきましたら、喜んで不徳を恥じるところです。

連休にちょっとアメリカへ

アップデートするたびにバグが配信されるウィンドウズ7から脱出し、無理にマックを真似する、なんだか無理して遊ぼうとするイタい東大生みたいなウィンドウズ8もそっと遠ざけ、MacBook Air(アラビア語キーボード)を入手してご機嫌。すっかり乗り換えました。ウィンドウズは公務員じゃなかった文房具としての本分に立ち返ってくれるまで使わないことにしよう。

少し前に、たしか日経新聞に「さらば「ウィンドウズ」」というタイトルの記事が出ていた気がするが、あれはマイクロソフトがウィンドウズに頼らない経営を・・・というのにかこつけて最近のどうしようもないウィンドウズを批判したのかな?記事読んでいないのでなんとも言えませんが。 

また、講演・報告などで情報を吐き出さされる一方の日本をつかの間離れてアメリカへ。感謝祭前に立て続けに行われる学会やセミナーなどで勉強してきます。

イランの核交渉の期限が来ますが(多分ずるずる延長)その辺りのアメリカ側の感触なども聞けたらいいな。

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【寄稿】「イスラーム国」は2015年の論点の「第70」だという・・・

11月13日に発売の、『文藝春秋オピニオン 2015年の論点100』に寄稿しました。

池内恵「「イスラーム国」とグローバル・ジハード」『文藝春秋オピニオン 2015年の論点100』2015年1月、216-218頁

文藝春秋2015年の論点100

電子版も発売されています。

むか~し確か「日本の論点」と呼ばれていた年鑑ムックですね。

プレスリリースによると

「毎年、その時々に社会的に問題になっている100の事柄を取り上げ、各分野の専門家が、それぞれについて800~1,200字程度の短い文章で分かりやすく解説、受験、就活のバイブル」

だそうです。

【寄稿】産経新聞の「イスラーム国」解説(下)はグローバル・ジハードの組織論について

今朝の産経新聞に、二回シリーズの「イスラーム国」解説の第二回が掲載されています。

池内恵「イスラム国の正体(下) 活動機会得たグローバル聖戦運動」『産経新聞』2014年11月15日朝刊

個々の組織よりも、背後にある思想イデオロギーが重要。

アル=カーイダは2000年代に「組織からイデオロギーへ」「ヒエラルキー型からネットワーク型へ」「集権的組織からフランチャイズ的組織へ」と変貌していた。

アル=カーイダのネットワークの一環、フランチャイズの一つだった「イラクのアル=カーイダ」がどのようにイラクとシリアのローカルな内政対立・内乱と結びついて「イスラーム国」へと変わっていったのか、さらに検討が必要です。

【寄稿】産経新聞で「イスラーム国」の思想と組織を解説

おはようございます。今日から週末にかけて開かれるとある国際政治系学会に行って参ります。末端のお役目を果たしながら勉強もさせていただく所存です。

本日の産経新聞朝刊に、「イスラーム国」の背景、思想、組織原理についての2回の解説の第1回が掲載されています。

池内恵「寄稿・イスラム国の正体(上)存立根拠はローカルな内政対立」『産経新聞』2014年11月14日朝刊

今回はローカルな内政対立と社会の深い亀裂構造の中で、特定の勢力に一定の支持を受けたことで領域支配が可能になったという側面を取り上げています。それは同時に、社会からの支持や黙認を受けにくい地域ではそれほど広がらないということも意味します。

いわばローカルな要因を「主」として、そこに加勢するグローバルな要因を「従」とした分析です。

明日の次回は思想・組織原理で、グローバル・ジハード思想の2000年代の展開という、私のお馴染みのテーゼを軸に思想・組織原理とその帰結を解説します。

こちらはグローバルな側面を取り上げ、イデオロギーの拡散がもたらす宣伝・募集効果や、非集権的・分散型組織が各国に及ぼす脅威の性質を取り上げるものとなります。

10月の日本人学生参加希望事件以来、新聞・雑誌がどこもかしこも特集特集と騒ぐ事態になって、紙・誌面が同工異曲になっていますが、対象に目を凝らしていればすでに変化が生じております。せっかく関心が高まったのであれば、持続的に注視していってほしいものです。

そのような変化を見届ける持続的報道の指針にもなるかと、現段階での認識の視座を示してみました。

「イスラーム国」に対する国際的な関心の推移や対処の枠組みは、6月のモースル陥落の「衝撃と惧れ(shock and awe)」が沈静化し、急激な拡大を差し止めて膠着状態となり、長期戦・思想宣伝戦が主となってきています。

過激主義も「正しく怖がる」知恵が必要であります。

【ラジオ】今夜8時55分~9時20分、J-Waveに生出演

J-WaveのJam the Worldという番組内のBreakthroughというコーナーに8時55分ごろから9時20分ごろまで出演します。

テーマは緊迫するエルサレム。

聞き手は竹田圭吾さん。

J-Wave Jam the World

今日は午前中はじっくりイランに関与した企業人にインタビュー。こちらが聞く側。勉強になりました。もう4回になるヒアリングだが、本当に面白い深い話が出る。

午後は数件インタビュー。こちらは聞かれる側。

合間に大学のお仕事。細切れでいろいろミスる。

さらに夕飯食べてからラジオへ。聞かれる側。

もうへとへとです。声が出るか心配。

【秘蔵映像】オンリー・イエスタデイ~あの頃みんな若かった:現代の京都学派とは

先日紹介した『文藝春秋』12月号、好評発売中であるようです。

こちらは電子書籍でも読めます(【コレ】とか【コレ】とか)。

ちゃんと販売期限が切られているのね(この号は来年2月9日まで)。そうでないといけません

『文藝春秋』は海外向け配信もあるんですね。

同年代の俊英に出会ったら電子版で読んでくださったとのこと。「この著者らしい無意味に難解な言葉で言いかえれば」をすらっと諳んじて笑ってくださった。

なお、ここで取り上げた日本思想のダメ状況の症状の例として取り上げた、社会学者によるエンデ『自由の牢獄』のとんでもない誤読に基づくイスラーム論は、『アステイオン』の1998年夏号(第49号)に載ったものである。

サントリー文化財団が編集している『アステイオン』(最新号)は、ウェブではほとんど読めない。最近少しずつウェブ上に情報を載せるようにし始めていて、バックナンバーの目次や表紙が見られるようになっているけれども、第50号以前は目次も載っていない。

というわけで1998年夏の第49号はウェブ住人にはその姿形も想像がつかないだろう。

なので私のリアル蔵書から、表紙印影をここに特別公開してしまう。

アステイオン第49号1998年夏

いや、幸せな時代でしたね。

「巻頭二大論文」が

グローバリズム=虚構
自由主義=牢獄

と華麗に断定して否定していれば良かったんですからねー。その先は何も考えていない。その先が本当に大変なのに。

この時代、まだまだ日本は国際社会に本当に触れることもなく、法・制度的には自由でも、社会からの同質化圧力の下で自由は実際にはなかった。グローバル社会についても、自由についても、本当は何も分かっていなかった。

ナショナリズムの障壁に守られてグローバリズムは遠い世界の出来事だった。もともと自由ではないので自由の根拠が何なのかも知らないでいられた。

だから安易に「グローバリズム=虚妄」「自由は不自由」などと一方的に日本語で断定して悦に入っていられた。それらは翻訳教科書の中の観念でしかなかったから、「全否定して超克する」という空疎な議論が可能になった。

これを英語で言ったら「この人は哲学の基礎的なところを分かっていないのではないか?」とばれてしまう(あるいは、まさか大学の文学部の先生がそこまで無知なはずないだろうと思われて、ただ理解不能になる)。

思想界にはまだバブルの余韻があった。むやみに金回りが良かったから「近代の超克」をいつの間にか成し遂げた気になっていた。正確には、バブル時代に人格形成をした人たちがこの頃フル活動で文章を書いており、それを載せてくれる雑誌がまだいっぱいあった。団塊世代の転向組・反近代論者と、1960年前後生まれのバブル入社組が、スカーと無知を放散していて、それが「現代思想」だと思われていた。

この人たちは幸運な時代に生きていた。

「海外留学なしで外国文献を数冊つまみ食い(読み間違い)して振りかざして日本語で分かりにくい文章を(そもそも本人がよく分かっていない)書いていれば評価された、インターネット普及以前の最後の時代」の産物です。

なお、

上は団塊世代の京大教授(人間・環境学研究科)
下はバブル入社組の京大助教授(人間・環境学研究科)
(いずれも当時)

現代の京都学派ですな。

編集後記は「“今を時めく”京都大学の二人のスター学者の「競作」で巻頭を飾ることができました」と高揚感に溢れています。

これでは「文学部や教養課程はいらん」と言われてしまうのも無理はないな・・・

インターネットやデータベース、アマゾンなどで、リアルタイムに海外の最先端の学術成果が手に入るようになると、こういった日本ローカルの勇ましい議論はさすがに恥ずかしくて言えなくなったはずだが・・・・まだ言っている人がいるなあ。「え、グローバリズム?虚妄でしょ。自由なんてない」と言ってみせる人たち。その人たちがそんなことを言っていられる経済基盤と自由は誰がどこで確保しているんでしょうね。これぞフリーライダー問題。

団塊世代・バブル入社世代は大学でもメディアでも過剰に大きな席を占めてしまっていて、その座を明け渡さない。学問はそういうものだと勘違いした固定読者層がいるから、そういう読者向けの商売になると編集者がハイエナのように群がり原野商法的出版を繰り返す。

そこに媚びて仕事をもらわなければならない人たちが私の同世代や下の世代の中にもいる。それを止められるわけではないが、違う道を示したい。

* * *

なお、実は現在『アステイオン』の編集委員を末席で務めさせていただいておりまして、先日の編集会議では、「検証特集をやろう!」「バックナンバーを書評して表紙写真を再録」とか盛り上がっておりました。サントリー財団って良いところですな。

実際、「ニューアカ」「脱構築」から、言うだけ番長系「反近代」のお歴々をもてはやしてきた黒歴史は、日本思想史の重要な局面として対象化しないといけない。

そんな作業は国際的な業績になりにくいことと(嗚呼グローバル・スタンダードの非情さよ)、存命の方が多い(当たり前だ)のでやりにくいというところが難関だが。

【寄稿】『文藝春秋』12月号にて「イスラーム国」をめぐる日本思想の問題を

今日発売の月刊『文藝春秋』12月号に、「イスラーム国」をめぐる日本のメディアや思想界の問題を批判的に検討する論稿を寄稿しました。

池内恵「若者はなぜイスラム国を目指すのか」『文藝春秋』2014年12月号(11月10日発売)、第92巻第14号、204-215頁

文藝春秋2014年12月号

なお、タイトルは編集部がつけるものなので、今初めてこういうタイトルだと知りました。内容的には、もちろん各国の「若者」の一部がなぜ「イスラーム国」に入るのかについて考察はしていますが、若者叩きではありません。むしろ、自らの「超越願望」を「イスラーム国」に投影して、自らが拠って立つ自由社会の根拠を踏み外して中空の議論をしていることに気づけない「大人」たちへの批判が主です。

*井筒俊彦の固有のイスラーム論を「イスラーム教そのもの」と勘違いして想像上の「イスラーム」を構築してきた日本の知識人の問題

*「イスラーム国」が拠って立つイスラーム法学の規範を受け止めかねている日本の学者の限界はどこから来るのか(ここで「そのまんま」イスラーム法学を掲げる中田考氏の存在は貴重である。ただしその議論の日本社会で持つ不穏な意味合いはきちんと指摘することが必要)

*自由主義の原則を踏み越えて見せる「ラディカル」な社会学者の不毛さ、きわめつけの無知

*合理主義哲学と啓示による宗教的律法との対立という、イスラーム世界とキリスト教世界がともに取り組んできた(正反対の解決を採用した)思想問題を、まともに理解できず、かつ部分的に受け売りして見当はずれの言論を振りかざす日本の思想家・社会学者からひとまず一例(誰なのかは読んでのお楽しみ) といったものを俎上に載せています。すべて実名です。ブログとは異なる水準の文体で書いていますので、ご興味のある方はお買い求めください。 「イスラーム国」「若者」に願望を投影して称賛したり叩いたりする見当はずれの「大人」の批判が大部分ですので、これと同時期に書いたコラムの 池内恵「「イスラーム国」に共感する「大人」たち」『公研』2014年11月号(近日発行)、14-15頁 というタイトルの方が、『文藝春秋』掲載論稿の中身を反映していると言っても良いでしょう。 『文藝春秋』の方は12頁ありますが、これでも半分ぐらいに短縮しました。

*「イスラーム国の地域司令官に日本人がいる?」といった特ダネも、アラビア語紙『ハヤート』の記事の抄訳を用いて紹介している。もっと紙幅を取ってくれたら面白いエピソードも論点もさらに盛り込めたのだが。 おじさん雑誌には、おじさんたちの安定した序列感によるページ数配分相場がある。それが時代と現実に合わなくなっているのではないか。 原稿を出してやり取りをする過程で、これでも当初の頁割り当てよりはかなり拡張してもらいました。しかしそれを異例のことだとは思っていない。まだ足りない、としか言いようがない。 はっきり言えば、このテーマはもうウェブに出してしまった方が明らかに効率がいい。ウェブを読まない、日本語の紙の媒体の上にないものは存在しないとみなす、という人たちはもう置いていってしまうしかない。なぜならばこれは日本の将来に関わる問題だから。 国際社会と関わって生きている人で「日本語の紙の媒体しか読みません」という人はもはや存在しないだろう。 私としては、『文藝春秋』に書くとは、今でも昔の感覚でいる人たちのところに「わざわざ出向いて書いている」という認識。 なぜそこまでするかというと、ウェブを読まない、しかし月刊誌をしっかり読んでいる層に、それでもまだ期待をしているから。少なくとも、決定的に重要な今後10年間に、後進の世代の困難な選択と努力を、邪魔しないようにしてほしいから。 時間と紙幅と媒体・オーディエンスの制約のもとで、その先に挑戦して書いていますので、総合雑誌の文章としては、ものすごく稠密に詰め込んでいます。多くの要素を削除せざるを得なかったので、周到に逃げ道を作るような文言は入っていない。 それにしても、この雑誌の筆頭特集は、年々こういうものばかりになってきている。 「特別企画 弔辞」(今月号)に始まり・・・ 世界の「死に方」と「看取り」(11月号) 「死と看取り」の常識を疑え(8月号) 隠蔽された年金破綻(7月号) 医療の常識を疑え(6月号) 読者投稿 うらやましい死に方2013(2013年12月号) これらがこの雑誌の主たる読者層の関心事である(と編集部が認識している)ことはよく分かる。よく分かるが、こればかりやっていれば雑誌に未来がない、ということは厳然とした事実だよね。 今後の日本がどのようにグローバル化した国際社会に漕ぎ出していくのか、実際に現役世代が何に関心をもって取り組んでいるのかについて、もっとページを割いて、掲載する場所も前に持っていかないと、このままでは歴史の遺物となってしまうだろう。 その中で、芥川賞発表は誌面に、年2回自動的に新しい空気を入れる貴重な制度になっている。 しかし普段取り上げられる外国はもっぱら中韓で、それも日本との間の歴史問題ばかり。朝日叩きもその下位類型。基本的に後ろ向きな話だ。 そのような世界認識に安住した読者に、国際社会に実際に存在する物事を、異物のように感じとってもらえればいいと思って時間の極端な制約の中、今回の寄稿では精一杯盛り込んだ。 15年後も「うちの墓はどうなった」「声に出して読んでもらいたい美しい弔辞」「あの世に行ったら食べたいグルメ100選」とかいった特集をやって雑誌を出していられるとは、若手編集者もまさか考えてはいないだろうから、まず書き手の世代交代を進めてほしいものだ。 しかし『文藝春秋』の団塊世代批判って、書き手の実年齢はともかく、どうやら想定されている読者は「老害」を批判する現役世代ではなく、団塊世代を「未熟者」と見る60年安保世代ならしいことが透けて見えるので、これは本当に大変だよなあ、と同情はする。

【寄稿】山形浩生さんと「イスラーム国」について対談(『公研』10月号)

「イスラーム国」関連の解説仕事の刊行情報をまとめていく作業の続き。

そういえば『公研』に対談を出していた。

池内恵・山形浩生(対談)「「イスラーム国」に集まる人々」『公研』2014年10月号(第52巻第10号・通巻614号)、36-54頁

『公研』2014年10月号表紙

『公研』の発行元は公益産業研究調査会という電力系の団体。『公研』は会員企業とメディアなどの決まった配布先にのみ流通している、一般には手に入りにくい媒体だが、政治経済や国際関係についての情報誌として質は非常に高い。非営利なので、商業出版ではもう不可能になったハイブローな特集や議論の切り口が可能。研究者が噛み砕いて話したことをそのまま載せてくれるし、的確に編集してくれる。

電力会社が団体のスポンサーになっているので電力業界には当然広く流通している。また、出版やメディアの業界にはどこからか入手して丹念に読んでいる人がいる。書き手である研究者の動向を察知するのには有効なメディアなのだと思う。電力業界のバーチャル政策シンクタンクのような位置づけなのではないかと思う。私が普段、専門分野を横断した研究会などでご一緒する機会がある方々が非常によく載っており、彼らが普段クローズドの研究会などで話してくれているような内容が、そのまま活字になっているという意味でも、なんだか不思議な感じがするメディアだ。

普通は、専門家と率直に話し合った時に出てくるような内容がそのままメディア上で活字になっていることはあまりない。普通は日本のメディアのどこかで各種のフィルター・バイアスがかかっていて、それらを解除したり補ったりして読むような工夫がいる。そんな工夫をして読むのは面倒なので、専門的な内容はこういった専門家から直接聞ける機会に聞くか、彼らが共通の情報源にしている英語の媒体に直接あたってしまう、ということになる。『公研』は例外的なメディアだ。もちろん電力に関する問題については、団体に寄付する企業が業界の利害関係者なので、構造的に、中立という訳にはいかないだろうし、読む方もそう思ってくれないだろうが、国際問題に関する限り、非常にストレスなく議論を展開できる媒体である。「買ってくれる読者の興味に応えろ、いい気分にさせろ」という要求がないからである。

「イスラーム国」問題について、話したいことを話したい形で、話したい量だけ論じられたのは、この対談だけではないかと思う。コメントを取りに来る媒体は多かったが、非常に紙幅が限られているだけでなく、そもそもこちらが明確に「この部分だけを強調してはいけませんよ」と念を押した部分だけを強調どころかそれだけ取り上げるといった、完全に駄目なものが多かった。

そんな中、談話の形では『公研』の対談で言いたいことをすべて言ったので、特にこれ以上何かを言う気がしない。

対談をした時期も9月半ばである。10月6日に日本人大学生の参加未遂への捜査が表面化して以降のメディア・ハイプとは無縁に、先に企画され実施されていた対談。しかし10月以降の騒ぎを受けても、付け加えることは特にない。これは編集・企画がしっかりしているからです。

それにしても、「イスラーム国」で「山形浩生」を出してくる『公研』編集部のセンスは非常に良い。

実は個人的な理由で山形さんとは知り合いだったのだが、仕事でご一緒するのは初めて。

私が山形さんの名前を出したのではなく、編集部が私をまず私を一方の対談者として日程を押さえたうえで、対談相手の筆頭候補に挙げてきたのである。

以前から、この問題だったら、全く別の切り口で山形さんに聞くと面白いのじゃないか?と思っていたが、そのような企画は、商業出版の雑誌や新聞の編集者の発想からは到底理解されそうもない(要するに国際問題というと何でもかんでも「佐藤優」の奈落に落ち込んでしまう人たち)ので、黙っていたら、『公研』がこの名前を出してきたので、喜んで対談を引き受けた。

本業の傍らのピケティの大著急速翻訳で忙しいはずなので、引き受けてもらえるか半信半疑で山形さんを希望したのだが、快諾していただけた。「イスラーム国」の問題は、一方で中東地域の内側からの文脈を見て、そこには日本からの思い入れや投影を排除しなければならないが、他方でグローバルな何らかの共通現象に絡んでいるので、そこは中東研究者の狭い知見からの当て推量では力が及ばない。その意味で、山形さんが中東・イスラームに関してはひたすら聞き役に徹した上で、ネットワーク的組織論についてのコメントで返してくれたのはすごくよかった。

『公研』の巻頭随筆「めいんすとりいと」(←すごく昭和な感じの欄の名前・・・)にも3・4号に一回ぐらいコラムを書いています。11月号にはコラムが載る。

【寄稿】『中東協力センターニュース』に寄稿

溜まっている掲載記事の紹介を続けます。

『中東協力センターニュース』10/11月号に、連載「「アラブの春」後の中東政治」の第8回が掲載され、ウェブ上でも公開されました。

池内恵「中東新秩序の萌芽はどこにあるのか—「アラブの春」が一巡した後に(連載「アラブの春」後の中東政治 第8回)」『中東協力センターニュース』2014年10/11月号、46-51頁

今回の注にも記しましたが、「「アラブの春」後の中東政治」という連載タイトルもそろそろ役割を終えた(次の段階に入った)と見られるので、次回以降はまた別の連載タイトルを考えるか、あるいは毎回単発という形にするか、検討中です。

連載のこれまでの回については、

「【連載】今年も続きます『中東協力センターニュース』」(2014/04/03)

「【寄稿】イラク情勢12のポイント『中東協力センターニュース』」(2014/07/03)

に記してあります。

この雑誌は「業界」に出回るので、エネルギーや商社など、中東に直接の接点を持ち、現実的な関係・関心を持っている人に届きやすい。つまり「娯楽として楽しければいい」という発想ではない人たちに届くので書きやすい(同時に、寄付で成り立っている団体と事業の性質上、無料でウェブで公開されるので、ある程度公共性も担保されている)。

このような「業界」によって読者の質量と資金的支えがなされている媒体に書くということは、常にそれだけやっていると大学の研究としての市民社会的公共性に制約が出てくる危険性を伴うといえども、中東の現実(日本での幻想ではなく)にコミットしたステークホルダーに直接届けられるという意味で欠かせない。

アカデミックな学会は規模と多様性がある程度以上の厚みがない場合は議論が行き詰まる傾向がある。しかしだからといってメディア・商業出版業界の提供する、不特定多数の消費者に「どっちが面白いか」という基準で評価される場に、常にいたくはない(たまにはいいが)。学術的な作品の成否を計るのに、情報に制約のある一般読者・消費者の「どっちが面白いと私は感じるか」という声を代用してしまっては、議論が発展しなくなる。

もちろん、興味本位の消費市場の論理が、専門家の業界での狭い視野・仲間内の事情で見えなくなっている・言えなくなっていることを社会的に選択するバイパスになることもあるかもしれないから、私は日本の「需要牽引型」の学術出版を全く否定はしないしその過去の功績にむしろ強くシンパシーを抱いている。だが部外者の興味本位の消費の対象となる商業出版市場に選択機能を委ねるしかなくなる状況は、専門家の業界が本来持っているべき、適切な議論を取捨選択して高度化していく機能が低下しているということを意味する。まずは専門家の業界を正常化・高度化するべきだ。しかし規模の制約から、日本では限界がある分野もあるだろう。ある程度の量を確保しないと競争が働かない(一つのヤマにまとまって付和雷同するのが多くの参加者にとって合理的な選択になってしまう)。

しかし、小規模・閉鎖業界の制約をバイパスする可能性がある消費社会の市場による選択機能も、現状を見る限りは、悪い方に行っているね、というのが私の観察。メディアが多様化し無料化して、産業として苦しくなっていることが根本の原因と思う。こちらも規模の問題が効いてきている。「貧すれば鈍す」というやつね。ネタとしてウケる話を乱造する特定の論者(元外交官、(元)社会学者・宗教学者:これらは何時「元」となったか判然としないが)の議論が、完全に間違っていたり一行も原典に当たっていなかったりするにもかかわらず、顔と名前が知られているといった程度の理由で雪崩のように集中して出版・発信される。それらが議論の参照軸になる。

それでは、国や社会としては自滅ですね。どんなにアメリカの社会や政府や政策に問題があっても、あちらには国の政策を定めていくための専門家の育成と研磨のシステムがある。日本とは気が遠くなるほどの差がある。移民社会・競争社会・流動性の高い社会は、こと卓越した専門性を組織的に、大きな規模で生み出していく面では強い。そこに膨大なお金が流れて巨大な産業になっている。日本では人とお金の流れが乏しく、消費材としての書籍・雑誌の市場によって買い叩かれて消費されているのが現状。

商業出版社の採算が苦しくなっているから、以前には大きな企業の一部の部門が担っていられた、ある種の公共的なレフェリー機能やフォーラム機能が果たせなくなって、ひたすら数をこなすようになっている。ミニコミ的に特定の読者にのみ最初から絞った出版も多い。要するにネトウヨとネトサヨ的な単争点のポジショントーク、結局は「ネタ」的な議論が中心になり、そうなっていることに当事者が気づいていない場合も多い。原野商法で土地を交わされた人から、転売してあげる、といってまたお金を取るような、同じことにひっかかる人を何度もひっかけて商売する出版物が本当に多くなった。

会社を存続させるための粗製乱造の本のライターとして研究者が使い潰されるようになっており、他方でまともな書き手、まともな所属機関はそういったものを評価しないから、消費財としての文章を提供する市場からは書き手が無言でexitする。読者は質の低いもののみ供給されていることに気づけなくなる。そうすると言論の質としても、経営としてもダウンスパイラルに入る。

日本は民主主義の国なので、社会の知的水準が下がれば自らの国の運営・判断の質にやがて影響してくる。

あるいは、そのような趨勢を見て、社会は質の低い議論に影響されているから相手にしなくていい、というエリート主義・テクノクラート支配が進んで、大多数の国民が判断・意思決定から実質的に疎外される可能性もある。無知な状態に満足した国民は「リスク要因」としかとらえられなくなり、「資産」ではなくなる。それでもいいのでしょうか?

「売れている面白い本が良いんだ、お前も面白い本を書けば読んでやるよ」という、ネット上で匿名で発言されがちな議論は、自分で自分の首を絞めている。そういうことを言う人は、消費者として生産者に上から目線で接しているつもりになりながら、実は圧倒的に損しているのです。

そもそも希少性の高い情報・知見を持っていれば、一般消費者にウケるための文章を書く必要はない。知らない人が損する、というのが世界の原則だから。

もっとも、少なくともそういった愚かさが可視化されるようになったことが、ウェブの効果とも言えるかもしれない。

消費者=神様になったつもりでの議論自体が、格差社会で落ちこぼれる人を自己満足させようとする「陰謀」なんだ、という風に見た方がまだましなんじゃないかと思う。そういう陰謀をやっている主体はいないと思うが、客観的に見てそういう風に見えることは確かだ。

これまで「知らない人も損していない」と思っていたのは、第一に幻想であるが、第二に、戦後はほとんどあらゆる分野について、「ほどほど」の程度の情報を米国が日本の官僚を通じて注入してくれて、それを受け取った官僚は「ほどほど」の水準で広い層の国民に便益を均霑するという原則のもとに動いていたからだ。今後は、自ら情報を求める人が得する社会に不可避になっていく(すでになっている)。そこに付け込む怪しい産業はいつも通り出てくるのだろうけれども。

でも私は全く諦めていなくて、下方向への競争から離脱して公共的な出版・情報流通を担う主体と資金をどこで確保するか、日々に秘策を練っておりまする。そこに賛同できる人は来てください。

【寄稿】『ウェッジ』11月号に、グローバル・ジハードの組織理論と、世代的変化について

「イスラーム国」のイラクでの伸長(6月)、米国の軍事介入(8月イラク、9月シリア)、そして日本人参加未遂(10月)で爆発的に、雪崩的に日本のメディアの関心が高まって、次々に設定される〆切に対応せざるを得なくなっていましたが、それらが順次刊行されています。今日は『ウェッジ』11月号への寄稿を紹介します。

池内恵「「アル=カーイダ3.0」世代と変わるグローバル・ジハード」『ウェッジ』2014年11月号(10月20日発行)、10-13頁

11月の半ばまでの東海道新幹線グリーン車内で、あるいはJRの駅などでお買い求めください。

ウェッジの有料電子版にも収録されています。

また、この文章は「空爆が効かない「イスラム国」の正体」という特集の一部ですが、この特集の記事と過去の別の特集の記事を集めて、ブックレットのようなサイズで電子書籍にもなっているようです。

「イスラム国」の正体 なぜ、空爆が効かないのか」ウェッジ電子書籍シリーズ「WedgeセレクションNo.37」

電子書籍に収録の他の記事には、無料でネット上で見られるものもありますが、私の記事は無料では公開されていません(なお、電子書籍をお買い求めいただいても特に私に支払いがあるわけではありません。念のため)。

なお、『週刊エコノミスト』の電子書籍版に載っていない件については、コメント欄への返信で説明してあります。

【寄稿】週刊エコノミストの「イスラーム国」特集(読書日記は「ゾンビ襲来」で)

クアラルンプール/セランゴールより帰国。会議終了後に、復路の夜便の出発まで若干時間があったので、伊勢丹やイオンが入っているモールの中を2時間ほどひたすら歩いた。撮った写真などを整理したらここで載せてみたい。

それはともかく、早朝に成田に戻ってからコラム×1、発表原稿(英語)×1、校正×2をメールやFAXで送信したので休む暇がない。

「イスラーム国」がらみで集中した原稿依頼に応えられるものは応えて、先月末までにどうにかほぼ全て終わらせて(まだ2本ぐらいある)マレーシアに出発したのだったが、それらの掲載誌が続々送られてくる。封を開ける暇もない。コメントなどはどこにどう出たのか確認するのもままならない。

とりあえず今週中に紹介しておかないといけないものから紹介。

昨日11月4日発売の『週刊エコノミスト』の中東特集(実質上は「イスラーム国」特集)に解説を寄稿しました。

また、偶然ですが、連載している書評日記の私の番がちょうど回ってきて、しかも今回は「イスラーム国」を国際政治の理論で読み解く、という趣旨で本を選んでいたので、特集とも重なりました。

エコノミスト中東特集11月11日号

池内恵「イスラム成立とオスマン帝国崩壊 影響与え続ける「初期イスラム」 現代を決定づけたオスマン崩壊」『週刊エコノミスト』2014年11月11日号(11月4日発売)、74-76頁

池内恵「「ゾンビ襲来」で考えるイスラム国への対処法」『週刊エコノミスト』2014年11月11日号(11月4日発売)、55頁

「イスラム成立とオスマン帝国崩壊」のほうでは、かなり手間をかけてカスタマイズした地図を3枚収録しています。これは他では見られませんのでぜひお買い上げを。

(地図1) 7世紀から8世紀にかけての、ムハンマドの時代から死後の正統カリフ時代、さらにアッバース朝までの征服の順路と版図。これがイスラーム法上の「規範的に正しい」カリフ制の成立過程であり、版図であると理想化されているところが、現在の問題の根源にあります。

(地図2) また、サイクス・ピコ協定とそれを覆して建国したトルコ共和国の領域を重ね合わせて作った地図。ケマル・アタチュルク率いるオスマン・トルコ軍人が制圧してフランスから奪い返していった地域・諸都市も地図上に重ねてみました。

(地図3) さらにもう一枚の地図では、セーブル条約からアンカラ条約を経てローザンヌ条約で定まっていった現在のトルコ・シリア・イラクの国境について、ギリシア・アルメニア・イタリアや英・仏・露が入り乱れたオスマン帝国領土分割・勢力圏の構想や、クルド自治区案・実際のクルド人の居住範囲などを、次々に重ね合わせる、大変な作業を行った。

「サイクス=ピコ協定を否定」するのであれば、地図2と地図3の上で生じたような、領土の奪い合い、実力による国境の再画定の動きが再燃し、諸都市が再び係争の対象となり、その領域に住んでいる住民が大規模に移動を余儀なくされ、民族浄化や虐殺が生じかねない。そのことを地図を用いて示してみました。

この記事で紹介した地図を全部重ねてさらにクルド人の居住地域を加えたような感じですね。頭の中でこれらを重ねられる人は買わなくてもよろしい。

* * *

それにしてもなんでこのような面倒な作業をしたのか。

6月のモースルでの衝撃的な勢力拡大以来、ほとんどすべての新聞(産経読売日本経済新聞には解説を書きました)や、経済誌(週刊エコノミストと同ジャンルの、ダイヤモンドとか東洋経済とか)が、こぞって「イスラーム国」を取り上げており、多くの依頼が来る。10月6日に発覚した北大生参加未遂事件以来、各紙・誌はさらに過熱して雪崩を打って特集を組むようになった。そのためいっそう原稿や取材の依頼が来る(毎日1毎日2毎日3=これはブログに通知する時間もなかった)。

忙しいから断っていると、あらゆる話題についてあらゆる変なことを書くようなタイプの政治評論家がとんでもないことを書いて、それが俗耳には通りやすいので流通してしまったりして否定するのが難しくなるので、社会教育のためになるべく引き受けようとはしている。しかしすべてを引き受けていると、それぞれの新聞・雑誌に異なる切り口や新しい資料を使って書き分けることは難しくなる。

私は純然たる専従の職業「ライター」ではないので、あくまでも「書き手」として意味がある範囲内でしかものを書かない(そのために、必要なときは沈黙して研究に専念できるように、大学・研究所でのキャリア形成をしてきたのです)。あっちに書いていたことと同じことを書いてくれ、と言われても書きにくい。

しかし今回の特集では、私に「イスラーム史」から「イスラーム国」を解説してくれ、との依頼だったので、非常識に〆切が重なっていたのにもかかわらず引き受けてしまった。同じ号に書評連載も予定されていたのでいっそう無謀だったのだが。それは時間繰りに苦労しました。

単に漫然と概説書的なイスラーム史の解説をするのではなく、メリハリをつけて、本当に今現在の問題とかかわっている歴史上の時代だけを取り上げる、という条件で引き受けた。

イスラーム国を過去10年のグローバル・ジハードの理論と組織論の展開の上に位置づける、というのが私の基本的な議論のラインで、それらは昨年にまとめて出した諸論文を踏まえている。これらの論文で理論的に、潜在的なものとして描いていた事象が、予想より早く現実化したな、というのが率直な感想。

しかしもちろんそれ以外の切り口もある。例えばもっと長期的なイスラーム法の展開、近代史の中でのイスラーム法学者の政治的役割の変化、イスラーム法学解釈の担い手の多元化・拡散、ほとんど誰でも検索一発で権威的な学説を参照できるようになったインターネットの影響、等々、「イスラーム国」の伸長を基礎づける条件はさまざまに論じることができる。

そういった幅広い視点からの議論の基礎作業として、現在の中東情勢の混乱の遠因となっている歴史的事象や、「イスラーム国」の伸長を支える理念・規範の淵源は歴史のどの時点に見出せるのか、まとめておくのは無駄ではないと思ったため、引き受けました。専門家なら分かっている(はずなんだ)が一般にきちんと示されていることが少ない知見というのは多くある。今のようにメディアが総力を挙げて取り組んでいる時に、きちんと整理しておくことは有益だろう。

漫然と教養豆知識的に「イスラーム史を知ろう」といって本を読んでも、現在の事象が分かるようにはなりません。「あの時こうだったから今もこうだ」「あの時と今と似てるね」といった歴史に根拠づけて今の事象を説明するよくある論法、あえて「池上彰的」とまとめておきましょうか、これは日本で一般的に非常に人気のある議論です。しかし多くの場合、単なる我田引水・牽強付会に過ぎません。娯楽の一つとしては良いでしょうが、それ以上のものではありません。かえって現実の理解の邪魔になることもあります。

「イスラーム国」への対処の難しさは、それがイスラーム法の規制力を使って一部のムスリムを魅惑し、その他のムスリムを威圧し、異教徒を恐怖に陥れていることです。

イスラーム法の根拠は紛れもなく預言者ムハンマドが実際に政治家・軍事司令官として活躍した初期イスラムの時代や、その時代の事跡を規範理論として体系化した法学形成期の時代にある。それらの時代についての知識は漠然とした教養ではなく、今現在のイスラーム世界に通用している規範の根拠を知ることになる。

その意味でまず「初期イスラーム」の歴史について知ることは有益。

それに次いで、オスマン帝国の崩壊期の経緯を知っておくことにより、今現在の中東諸国の成り立ちとそこから生じる問題、しかし安易に言われがちな代替策の実現困難さも分かるようになります。

初期イスラームとオスマン帝国崩壊の間の長大なイスラーム史は、現代中東政治の理解という意味では、極端に言えば、知らなくてもいいです。極端に言えば、ですよ。

* * *

さて、今回で連載6回目になる読書日記(前回までのあらすじはココ)の方は、ダニエル・ドレズナーの『ゾンビ襲来 国際政治理論で、その日に備える』(谷口功一・山田高敬訳、白水社、2012年)を取り上げた。

かなり前から今回はこのテーマとこの本にしようと決めていたのだが、それが中東・イスラーム国特集に偶然重なった。

「イスラーム国」は、概念的には、「国際政治秩序への異質で話が通じない主体による脅威」ととらえることができる。ドレズナーはまさにそのような脅威を「ゾンビ」のメタファーを用いて対象化し、そのような脅威に対する各国の想定される動きを国際政治学の諸理論のそれぞれの視点から描いて見せた。「イスラーム国」について各国がどう動き、全体として国際政治がどうなるかは、「ゾンビ」への対処についてのドレズナーの冗談交じりの大真面目な仮説を念頭に置くとかなり整理される。リアリストとリベラリスト、それにネオコンの視点を紹介したが、国内政治要因とか官僚機構の競合と不全とか、この本を読むと、「ゾンビ」を当て馬にすることで理論的な考え方が、やや戯画化されながら、非常によく頭に入る。ドレズナーは活発にブログなども書いていて時々物議も醸す有名な人だが(本来の専門は経済制裁)、本当に頭のいい人だと思う。

「イスラーム国」と中東政治の構造変動についての最近書いた論稿は、すでに出ている『ウェッジ』11月号、来週明けにも発売の『文藝春秋』11月号、『中東協力センターニュース』や『外交』など次々に刊行されていくので、出たらなるべく遅れないように順次紹介していきたい。

今日のアンワル

さて、昨日から参加しているマレーシアでの会議なんだが、今日がメインの講演などが行われる日。

しかしホスト役のアンワル・イブラヒムをめぐる政治的裁判のウォッチングが主たる関心事になりかけている。

アンワルは朝に最高裁に出頭しなければならなくなったので会議のスケジュールも大いに乱れた。

会議が行われているのはクアラルンプールの西に隣接したセランゴール県のペタリン・ジャヤ(Petaling Jaya)という新興住宅地のようなところ。イオンとか伊勢丹も入っている大規模モール(1 Utama City Centre)の中のホテルが会場になっている。

裁判の方はクアラルンプール南方の行政都市プトラジャヤ(Putrajaya)で行われているので、そっちからアンワルが帰ってくるのを待つために会議のスケジュールは大幅に乱れた。だらーんと待ってました。

今日結審するかもと言われていたので報道も詳しくなった。しかし判事に何らかの不都合があったとかで明日までやることになったようだ。

法廷に入る。

Anwar’s Appeal: Proceedings to be continued tomorrow, The New Straits Times, 3 November 2014.

アンワル出廷11月3日

出てきた。
Anwar’s Appeal: Judges praised by Anwar, The New Straits Times, 3 November 2014.

アンワル法廷から出てくる

後で聞いたところによると、在職中はアンワルを弾圧する側に回っていた判事が退職したので被告側の弁護士に雇っているらしいです。

Anwar’s Appeal: PKR members deliver speeches, The New Straits Times, 3 November 2014.

Anwar’s Appeal: “Arrest Anwar”, chants Saiful’s supporters, The New Straits Times, 3 November 2014.

しかし記事を読んでみると、法廷で争われている内容は非常にくだらない。

Anwar’s Appeal: Male Y DNA obtained lawfully, The New Straits Times, 3 November 2014.

まあこういうことを延々とやって政敵を弱らせるのが目的なんだろうね。「くだらない」と書けないのは報道の自由がないのか、新聞が党派的なのか。だぶんどっちもなのだろうと思うが。

アンワルが帰ってくるのに合わせて午後のパネルを遅らせて・・・

着席。開始。

アンワル着席

このパネルのキーノートはスリン・元タイ外相・ASEAN事務総長。タイ南部マレー半島のパッタニー県出身のムスリム。演説うまい。ハーバード出。

スリン講演

そしてアンワル登壇。下手をすると最後の公式演説になってしまうのか。

アンワル演説

アンワルの政治漫談炸裂。

アンワル退席

終わると支持者たちに囲まれる。

ヌールルイッザ

娘さんのヌールルイッザさんも国会議員。

動員をかけられていたようで、アンワルの演説の時だけいっぱい地元の大学生(大半が女子)が詰めかけ、終わったら帰っちゃった。

というわけで予定よりもはるかに遅い時間にはじまった、私など外国人の研究者が出るパネル(司会は白石隆先生でした!!)ではぐっと聴衆が減っていた。おかげで気楽にしゃべっていました。

軍の政治からの分離など、インドネシアの民主化の経緯はちゃんと勉強しなければと思いつつできていない。エジプトはインドネシアで10年かかったことを1年でやろうとして失敗した感じ。勉強させていただきました。

7時前にやっと終わってぐったり。休む間もなく公式ディナーへ。

アンワル最後の晩餐

自由席だったので私もずうずうしくメインテーブルに席をゲットして至近距離で密着。

手前はトルコのダウトウル首相の首席補佐官。

写っていないが私の左側はスリンさんでした。こっちもタイでクーデタがあって、既存の政党政治家が一斉に排除されたのでロンドンにいることが多いようです。

「刑務所ではこれは食えないからな」みたいなジョークを言いながら残さず食べていたアンワル。ちなみにメインは巨大なラムチョップでした。

上に挙げたAnwar’s Appeal: Male Y DNA obtained lawfullyという記事によると、主任検察官が「明日結審する可能性はあるが、どうかな(Shafee said that it was possible for the case to be wrapped up tomorrow, but he doubted so.)」と言っているとのことなので、まだまだ裁判も伸びるかもしれません。そもそもずっとこうやっていやがらせし続けて消耗させるのが主たる目的の裁判なのだろう。

その割には政権は選挙でどんどん弱くなっているので、いやがらせの効果は疑問だが。

アンワルがマハティールと骨肉の争いを始めたのが15年前。50代前半の生きのいい政治家だったのが今や67歳になってしまった。

非民主的体制を維持することで費やされる機会費用の大きさを感じさせる一日でした。

アンワルどうなる

「イスラーム国」日本人渡航計画騒ぎで10月のスケジュールは壊滅。

ひと月で原稿を4万字ぐらい書きました。時間的にも体力的にも墜落寸前まで行きましたが、ぎりぎりで大方終え、連休は会議のため日本脱出。少し休ませていただきます。

マレーシア・クアラルンプール行き。

ASEANシフトの一環です。恐れと憎しみが向かい合う欧米・中東を逃れて希望のアジアへ(ドミニク・モイジ『「感情」の地政学――恐怖・屈辱・希望はいかにして世界を創り変えるか』の受け売り。クーリエでの国際政治を読み解く10冊でも実は入れておきました。全部リストアップしてしまうと版元に悪いのでブログには書かなかったけれど)。

成田2サテライトJAL

中東に行くにはスターアライアンス系か湾岸系に乗るので、ほとんど行ったことのないことのないターミナル2のサテライトへ。JALは久しぶり。マレーシアやオーストラリアにはANA自社運航便がないんですね。

成田KLフライト1

上空は晴れ渡っていい気持ち。

成田KLフライト2

雲にもいろんな形がある。

窓閉めて、書評の〆切りが来ているイスラーム金融関連の本を読みながら(←マレーシアに行く途中で読むと気分が乗る)・・・

気づくと窓の下には・・・

マレーシアKL椰子1

もしかしてニッパ椰子?

金子光晴だ!

赤錆〔あかさび〕の水のおもてに
ニッパ椰子が茂る。
満々と漲〔みなぎ〕る水は、
天とおなじくらゐ
高い。
むしむしした白雲の映る
ゆるい水襞〔みなひだ〕から出て、
ニッパはかるく
爪弾〔つまはじ〕きしあふ。
こころのまつすぐな
ニッパよ。
漂泊の友よ。
なみだにぬれた
新鮮な睫毛〔まつげ〕よ。
〔以下略〕(金子光晴「ニッパ椰子の唄」より)

でもよく見ると妙に列になって生え揃っているし、沼沢地よりは地面も堅そうなので、ニッパ椰子ではなくて普通の椰子を植林したのかもしれん。まあいいか。
マレーシアKL椰子3

再び「ニッパ椰子の唄」より

「かへらないことが
最善だよ。」
それは放浪の哲学。
ニッパは
女たちよりやさしい。
たばこをふかしてねそべつてる
どんな女たちよりも。
ニッパはみな疲れたやうな姿態で、
だが、精悍なほど
いきいきとして。
聡明で
すこしの淫らさもなくて、
すさまじいほど清らかな
青い襟足をそろへて。
金子光晴『女たちへのエレジー』 (講談社文芸文庫)より

・・・・注釈をつけると金子光晴は、今なら若干メンヘラ気味と言われたかもしれない詩人の森三千代とくっついたり離れたりしながら将来の見えない放浪の旅を続け、こういった詩を書きました。

せっかくだからここで、金子光晴の破れかぶれ放浪自伝を、『マレー蘭印紀行』に加え、「三部作」の『どくろ杯』『ねむれ巴里』『西ひがし』を挙げておこう。



さて、空港に到着。お隣のゲートは、今年さんざんだったマレーシア航空機。

KL空港マレーシア航空機

タクシーでホテルに付いたらすぐにレセプション。

今回の主役はこの人(分かる人には分かるすごく偉い先生も写っています)。

アンワル1

アンワル・イブラヒム元マレーシア副首相。

ムスリム学生運動を指導して、マハティール首相に取り立てられ政権入り。後継者に指名されていたが、1998年のアジア通貨危機をきっかけにした内政危機でマハティールと決裂。

後継者に任命してくれたマハティールは一転、徹底的にアンワルを攻撃するようになり、それ以来、同性愛とか職権乱用とか、まあ普通に考えて濡れ衣だろうな、と見られる嫌疑をかけられては投獄され、風向きが変わると出てきて活動を再開する、という形でやってきて、今も裁判を続けている。

しかし野党を率いて、昨年5月の総選挙では総得票数では与党を超えるまでに伸長して、ナジブ政権を追い詰めている。

アンワル2

今回の会議は、絶妙に、マレーシア内政の政争にぶつかってしまった。蒸し返された「同性愛疑惑」裁判でアンワルに禁固刑の判決が下り、それに対する最高裁への上告審が先週10月28日から始まり、明日本人が最高裁に出廷して最後の弁論をし、それでも上告が棄却されて判決が確定すると、明後日にも収監されてしまうかもしれないという危機的状況にあります。

「「同性愛行為」事件でアンワル氏の審理開始 マレーシア最高裁、収監も」『産経新聞』2014年10月28日

この裁判の動向は各国で注目されていますが、とりあえずガーディアンから。

Anwar Ibrahim begins appeal against sodomy conviction, The Guardian, 28 October 2014.

アンワル出廷

政府寄りなのでまったく公平とは言えませんが(そもそものマハティールとの決裂以来ひたすら「疑惑」をかけられているという経緯を書いていない)、マレーシアの英字紙The New Straits Timesで、与野党の最近の法廷内・法定外での闘争の細かいところを押さえると、

Chronology of Datuk Seri Anwar Ibrahim’s sodomy trial, The New Straits Times, 27 October 2014.

Tension mounts as supporters of Anwar, Saiful camp, The New Straits Times, 29 October 2014.

Anwar’s appeal enters third day, defence continues with submission, The New Straits Times, 30 October 2014.

Anwar sodomy appeal: Prosecution to begin submission tomorrow, The New Straits Times, 30 October 2014.

アジアで政治家をやるのは大変です。それでも中東よりずっと平穏な気もしますが・・・

主役が会議の最終日には収監されてしまいかねないという劇的な展開になっております。

詩とか読んでノスタルジーに耽って一休み、という訳にはいかないようです。

最終日は本来は、イスラーム世界の民主主義の現状について、会議の結果を宣言文にして出す計画なのですが、別種のマレーシア内政に関わる政治的声明を出さねばならなくなってしまうのか。

欧米系のNGOが会議を仕切っているのであれば、非常にストレートに非難声明を出すのでしょうが、日本のやり方は内政干渉や上からの説教という形は取らないのが普通だ。しかし民主主義に関する会議を開いていて、最中に主催者が投獄されても何も言わないという訳にはいかないでしょう。緊張しますね。

スリン・元タイ外相・元ASEAN事務総長、ハビビ・元インドネシア大統領など、ムスリムでアジアの民主化を担ってきた人たちが会議の参加者なので、そういった人たちの発言が注目されます。

イスラーム世界の民主主義の経験を相互に共有し、達成点と問題点を洗い出して将来の方向性を見出していく、という今回の会議のテーマに、ある意味ぴったりの展開ですが、前途の困難さを再確認させてくれます。