【寄稿】中東の4つの内戦と波及を概観

中東協力センターニュース7月号表紙

『中東協力センターニュース』7月号(2015年7月21日発行)に分析レポートを寄稿しました。連載「中東 混沌の中の秩序」の第2回です。

池内恵「4つの内戦の構図と波及の方向」《中東 混沌の中の秩序》第2回、『中東協力センターニュース』7月号(2015年7月21日)、12−19頁

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新連載の2回目の今回は、イラク、シリア、リビア、イエメンの内戦の2015年前半の進展、特に過去3ヶ月の動きをまとめました。今年から、4半期に一度の連載といたしました。以前は「ほぼ4ヶ月に1回」というペースでしたので、もう少し定期的にしました。しかしそうすると必ず決まった時に書かないといけないので、仕事が重なっていたり、動きが激しくてまとめる作業が膨大になると、少し大変です。でも「四半期」というペースで書くのは初めてなので、当分続けていこうかと思います。

私の最終段階の校正見落としで、ちょっと誤字脱字があったので、7月29日に修正していただきました。内容面では変わっていません。

ちなみに、7月号にはトルコ大使館勤務(経産省から)の比良井慎司さんによる6月7日のトルコ総選挙の分析「トルコ総選挙とその後の動向」が掲載されており、これを読むと、トルコによる対クルドPKK空爆が、内政上は6月の選挙で躍進して与党AKPの単独過半数を阻止したクルド系政党HDPに対する圧力となりうることが理解できます。

エルドアン大統領が各野党との連立交渉を不調に終わらせ、再選挙でHDPの議会議席を奪って単独過半数の奪還を目指している、という世評は高まる一方ですが、実際にそうなるかどうか、見ていく際の指針になります。

シリア北部の「安全地帯」の詳細と米・トルコの同床異夢

トルコが設定を主張しているシリア北部の「安全地帯」について、先日紹介した『ワシントン・ポスト』紙の地図に続いて、今度は『ニューヨーク・タイムズ』紙の地図を拝借してご紹介。

トルコのシリア北部安全地帯NYT27July2015
Turkey and U.S. Plan to Create Syria ‘Safe Zone’ Free of ISIS, The New York Times, July 27, 2015.

東はジャラーブルスから、西はマーレアまで、アブ=バーブやマンビジュといった「イスラーム国」の拠点を含む。「イスラーム国」の機関紙のタイトルにもなって象徴的な意味を持つ「ダービク」の町も含まれる。

この記事では、トルコと米国で、「合意」したとされる「安全地帯」の性質について、双方の認識は異なっており、同床異夢の「外交的解決」であることが描かれている。「安全地帯」が「イスラーム国」の支配からの保護だけでなくアサド政権の空爆も阻止するものなのか、国連安保理などの公式の裁可を求めるのか、シリアのクルド民兵を支援するのかどうか、などで依然として溝がある。

イラク北部のPKK拠点

トルコは7月24日から26日にかけて、シリア北部の「イスラーム国」支配地域と共に、イラク北部に拠点を築いているトルコのクルド反政府組織PKK(クルド労働者党)の拠点を攻撃しました。

空爆の地点について、概略図を、AFPが作っていました。

トルコのイラク北部PKK空爆AFP26July2015
“Forced to strike IS, Turkey gambles on attacking PKK,” AFP, 27 July 2015.

この地図では、24日から26日にかけてのイラク北部のトルコによる空爆地点を記した上で、26日に生じた、PKKによる報復とみられるトルコのディヤルバクル県リジェでのトルコ軍警察に対する自動車爆弾による攻撃の地点、また7月20日以来の紛争の地点(スルチュ、キリス、ジェイランプナル)や、シリア北部からイラク北部にかけてのクルド人の勢力範囲と重要地点(コバネ、テッル・アブヤド、ハサカ、モースル、アルビール、キルクーク、スィンジャール、テッル・アファル)が、過不足なく記されています。

攻撃対象については色々な地名が出てきていますが、一般的・概括的に言うと、「カンディール山地(Mount Qandil; Kandil, Kandeel)」の各地を空爆しています。カンディール山地とはイラク北部のイランとの国境地帯の山地で、ドフーク県とスレイマーニーヤ県にまたがり、イランのザグロス山脈につながっています。ここにPKKが拠点を築いています。この山脈のイラン側ではイランのクルド反政府組織PJAK(the Party for Freedom and Life in Kurdistan)が活動しているとのことです。カンディール山地でのPKKと関連組織の活動については、次のようなレポートが10年近く前にあります。

“Mount Qandil: A Safe Haven for Kurdish Militants – Part 1,” Terrorism Monitor Volume: 4 Issue: 17, September 21, 2006.

“Mount Qandil: A Safe Haven for Kurdish Militants – Part 2,” Terrorism Monitor Volume: 4 Issue: 18, September 21, 2006.

次のものは、2011年1月にニューヨーク・タイムズに掲載されたルポ。この後「アラブの春」でPKKのことは一時期すっかり忘れられていましたが・・・

“With the P.K.K. in Iraq’s Qandil Mountains,” The New York Times, January 5, 2011.

この時点ではトルコがイラクのクルディスターン地域政府(KRG)を取り込んでPKKをじわじわと追い込んでいっている様子が描かれていました。その後2012年から2013年にかけて、PKKをゆくゆくは武装解除させる見通しが立つほどのトルコにとって有利な和平交渉を開始することができたのですが、いまや状況が変わりました。

クルディスターン地域政府は、トルコのPKKがイラクに越境してきて拠点を築くことを、「客人を歓待する」という曖昧な形で黙認してきました。一緒になってトルコと戦うのではなく、PKKを積極的に匿うわけでもない、ただ、遠い親戚の同胞が逃げてきたから一時的に住まわせている、という姿勢です。

クルディスターン地域政府、特にその大統領のマスウード・バルザーニーが指導し自治区の北部を地盤とするクルディスターン民主党はトルコ政府と関係を強化しており、トルコにとってはイラク北部は経済的な影響圏となっています。トルコに接したエリアを拠点とするクルディスターン民主党にとっては、陸の孤島であるクルド自治区を経済的に成り立たせるにはトルコとの良好な関係が不可欠です。イラク中央政府との関係が常に緊張含みであるクルド地域政府は、トルコから兵糧攻めにあったら持ちません。

ですので、クルディスターン地域政府は、PKKに「用が済んだら帰るように」と告げています。

“‘PKK should evacuate Mount Qandil’: KRG official,”ARA News, July 5, 2015.

でも、強制的に追い出すわけではないので、立ち退かないでしょうね。一時的にトルコやシリアに越境して軍事作戦をやるなどして留守にするにしても。

このPKKの拠点をトルコが攻撃したので、イラクのクルディスターン地域政府は、一応遺憾の意を表明しています。

“Kurds condemn Turkish air strikes inside Iraq,” al-Jazeera English, 26 July 2015.

これがトルコの関係を悪くするほどの強い意志表明なのか、クルド民族意識に配慮してトルコに抗議して見せたのか。真実はまだわかりません。

PKKそのものも、これで2013年以来のトルコとの和平交渉を破棄して、全面的に武装闘争に戻るかというと、そうでもないかもしれません。ただし、しばらくの間はテロを行って力を示し、交渉に戻るにしても強い立場で戻ろうとするので、トルコとPKKの紛争がしばらく続きそうです。

これについて米国は、トルコが自衛の権利を行使してイラクのPKK拠点を攻撃しているものとみなして、原則は黙認していますが、和平に戻ることを要請しています。

西欧諸国は、トルコがPKKと戦うことを苦々しく見ているようです。

このあたりは、ガーディアンの記事が手際よくまとめています。

“Turkey’s peace with Kurds splinters as car bomb kills soldiers,” The Guardian, 26 July 2015.

トルコはPKKと時に激しく対立し軍事行動に出ることが、5年に一回ぐらいはありますから、今回の空爆で、完全に和平が壊れたとは言えないでしょうが、「イスラーム国」の出現でクルド勢力の役割が高まっている中でのトルコの対クルド軍事行動は、これまでとは違った意味を持つようになるかもしれません。

特に、イラクのPKK拠点を攻撃している間は、イラク・クルディスターン地域政府は目をつぶり、米国は消極的に支持し、西欧諸国からも窘められながら黙認されるかもしれませんが、「イスラーム国」の打倒という共通目標に逆行すると

その意味では、シリア北部でのトルコの軍事行動が、対「イスラーム国」ではなく明確に対クルドである、特に対「イスラーム国」で現在もっとも力を発揮しているYPGに対するものであるとはっきりした場合、トルコの欧米との関係も危うくなるでしょう。その点で心配なのが、この記事です。

“Turkey denies targeting Kurdish forces in Syria.” al-Jazeera English, 27 July 2015.

トルコの砲撃が、YPG主導で掌握しているコバニ近辺の村に対して行われている、という報道です。

【地図】シリア北部にはトルクメン人もいる

前項の続き・・・

「シリア北部にクルド人が多く住んでいるなら、独立させてやればいいじゃないか」とか「欧米がサイクス・ピコ協定で勝手に国境線を引いたから」云々の、一知半解の「解決策」を語ってはいけません。

シリア北部には、クルド人と同じエリアに、トルクメン人が住んでいます。この地図では、トルクメン人が住む場所を示しています。

シリア北部トルクメン人
出典:dtj-online.de/syrien-turkmenen-befurchten-vertreibung-2771

シリア北部には、トルクメン人以外に、アラブ人も住んでいますし、さらに他の少数民族も住んでいます。クルド勢力が実効支配することによって、今度はその中での「少数民族」問題が発生しかねません。

トルクメン人は、名前からも類推できるように、トルコ人と互いに「同族」意識を持つ民族で、トルコは心情的に、あるいは政治的な方便から、トルクメン人の「保護」をしばしば持ち出します。介入、代理戦争も始まりかねないのです。

このあたりにそう簡単に国境線を引くことはできないので、サイクス・ピコ協定は、相対的には「いい線いってた」方策とも言えるのです。

【地図】トルコはシリア北部の「安全地帯」でクルド勢力分断を図る

「地図で見る中東情勢」のシリーズが長らくお休みしていました。忙しかったからね・・・

久しぶりに一つ。

トルコはシリア北部に「安全保障」地帯を設ける、というのを対「イスラーム国」での介入と協力の条件としてきましたが、7月22日のオバマ・エルドアン電話会談の前後に、米国がトルコに「安全保障」構想に同意を与えたと報じられています。

「安全地帯」の範囲についてはトルコの『ヒュッリイエト』紙などが伝えていましたが、『ワシントン・ポスト』紙が地図にしてくれましたので、ここで拝借してご紹介。

トルコのシリア北部安全地帯ワシントンポスト7月26日

“U.S.-Turkey deal aims to create de facto ‘safe zone’ in northwest Syria,” The Washington Post, July 26, 2015.

黒白点線(というのでしょうか)で囲ってあるあたりに、トルコが米国と協力して「安全地帯」を設けるというのです。

ここから「イスラーム国」を排除するというのが「安全地帯」の表向きの意味ですが、トルコは今のところ、地上部隊は投入しないと表明しています軍が消極的なのではないかと思います。

もっぱら空軍戦力で「安全地帯」を設定するということは、実態はこのエリアに「飛行禁止エリア」を設けるということが主体のオペレーションとなります。「イスラーム国」は空軍を持っていないので、実際には「安全地帯」の設定によって、アサド政権がこのエリアから排除されることになります。アサド大統領の退陣を解決策の必須要件とするトルコにとって、「安全地帯」の設定は、「イスラーム国」対策だけでなく、アサド政権対策という意味があります。

さらに、地図を見ていただくと、「安全地帯」の黒い部分、白点線の枠で囲まれたところの左右を見ますと、緑色に塗られています。ここにシリアのクルド人が多く居住しています。

シリアのクルド人は、東側の、ハサカより北のエリアと、西側の、アアザーズの北西とに分かれて飛び地のようになっています。

なんでこうなっているかというと、クルド人はシリア北部とトルコ南東部の一帯(それ以外にイラク北部・イラン北部などにも)に住んでいまして、本来は連続的な土地に住んでいますが、これがトルコ・シリアの国境線によって分断されたので、主従エリアがシリアでは飛び地になってしまっているのです。

シリアのクルド人は、オスマン帝国の崩壊の際、トルコ共和国が独立戦争で自力で領土を確保して国境線を引いたときに、シリア側に取り残された形です。

ですので、状況が許せばトルコ南東部のクルド人と一体化して独立を要求しかねない、とトルコは警戒しています。

シリア北部クルド人
出典:http://www.geocurrents.info/geopolitics/state-failure/isis-advances-kurds-retreat-northern-syria

クルド人が多数派を占める土地は、この地図では薄紫で塗られています。ハサカ北方のカーミシュリーを中心とした地帯と、コバニ周辺と、アフリーンを中心とした地域です。シリアが内戦でアサド政権の統治が弛緩する中で、これらの三箇所でクルド勢力が実質上の自治を確保しかけています。

別の地図でも。

シリア北部クルド人飛び地地図
出典:http://www.geocurrents.info/geopolitics/state-failure/isis-advances-kurds-retreat-northern-syria

さらに、クルド民兵組織YPGが勢力を強めて、テッル・アブヤドやアイン・イーサーといった「イスラーム国」が占拠していた地域を制圧することで、三つの飛び地のうち、東の二つがすでに繋がりかけているのです。そうなると、クルド人が必ずしも多数でないエリアまで、将来のクルド自治区→独立クルド国家に含まれてしまいかねません。

例えばこの地図。

シリア北部クルド人最大地図
出典:http://www.geocurrents.info/geopolitics/state-failure/isis-advances-kurds-retreat-northern-syria

シリアのクルド人が求めるシリアでの最大版図はこのようなものだそうです。三つの飛び地が結合していますね。これを「Rojava(西クルディスターン)」とクルド人側は呼んでいます。

トルコが設定するシリア北部への「安全地帯」は、このようなシリアでのクルド人の主張する最大の勢力範囲を、分断するような形になっています。

クルド人がいるのはシリアだけではないので、周辺諸国の地図の上にクルド人の居住するエリアを塗った地図を見てみましょう。

シリア・トルコ・イラク・イランのクルド人地図
出典:http://www.geocurrents.info/geopolitics/state-failure/isis-advances-kurds-retreat-northern-syria

一般に「クルド人」と呼ばれる人たちの間にも、細かな系統の違いがあり、一枚岩ではありません。しかし赤っぽい色で塗られているところには、その中でもクルド人意識が強い人たちが住んでいます。シリアを超えてトルコ南東部やイラク北部やイラン北西部、遠く離れたイラン北東部やアゼルバイジャンにも住んでいます。

この中で、シリア北部とトルコ南東部は、地理的にも最も容易に結合してしまいそうです。

そこでトルコは「安全地帯」の設定で、シリア北部でのクルド人の支配地域の間に楔を打ち込み、一体化を阻止しようとしているように見えます。

リアルタイムの解説は『フォーサイト』の「中東通信」で

7月9日から、『フォーサイト』で「中東通信」を開始していました。どうにか軌道に乗って、ほぼ毎日、ニュースの取捨選択と抜粋要約の記事をアップしています。今日は手が空かないのと、一般紙でも主要な中東ニュースがカバーされていたので、一休み。

記念すべき立ち上げ初日のニュースは下のような感じでした。

中東通信

やはり今月はトルコが岐路に立つ瞬間でしたね。「クルド勢力の台頭」(7月9日)、「『シリアにクルド国家を作らせない』(エルドアン)」(7月9日)、「トルコのクルド人がシリアで『イスラーム国』と戦っている』」(7月9日)、「シリアのクルド民兵勢力はトルコ介入を牽制」(7月9日)、「米国とトルコがシリア介入策をめぐって協議中」(7月9日)「トルコのシリア介入はクルド独立阻止のためなんでしょ?」(7月10日)といった具合でした。

その後・・・

7月20日のトルコ南東部スルチュ(シリア側のコバニと接する町)での、クルド支援団体の集会を狙った自爆テロをきっかけに、トルコが米国への基地使用許可を出しシリア北部への「安全地帯」設定での合意、トルコによるイラク北部のクルド反政府組織PKK拠点の攻撃と進む一方、PKKはトルコ政府に責を帰し、トルコの警察と「イスラーム国」両方への攻撃を行い、トルコはシリア北部で「イスラーム国」との交戦を行いトルコ国内での「イスラーム国」とPKK他の非合法組織の大規模摘発に踏み切り、PKKによるトルコ軍部隊への襲撃を行う、2013年以来のトルコとクルドPKKとの和平交渉が崩壊の危機に瀕する、といった形で、一気に状況が次の段階に進んでいます。

ニュース速報画面のようになった「中東通信」、今日はこんな具合です。

中東通信7月26日

『フォーサイト』の画面の右の「中東通信」の窓をクリックすると、ブログのように、巻物のように、クロノロジー的に時系列でこれまでの記事が一続きに表示されます

このような時は、ミクロの一つ一つの事象の経緯と意味を読み取って、マクロな全体状況の変化との関係を記録しておかないと、何がどう変わったかわかりにくくなりますので、このような形態の媒体を開発しておいて良かったと思います。

「中東通信」は立ち上げ直後ですのでまだ無料にしてありますが、そろそろ有料エリアに入れようかという話になっております。

明日朝まで、自分の論文のために東京を離れて籠っているので、テレビの解説などには出られませんが、隠れ家から時々分析をぽろっと出したりするので、気が向いたら見てください。時間がないときは「@chutoislam」で英語のニュースを解説なしでリツイートしていますので、パソコンの方はこのブログの右側に表示される英語ニュースを読んでおけば、何が起こっているかわかると思います。

【お知らせ】名古屋・栄の中日文化センターで月1回の講義(7−9月)

名古屋方面の方向けにお知らせ。今週末の26日から、月1回第4日曜日に名古屋の栄の中日文化センターで講義します。

「イスラム社会とイスラム国」三回シリーズ
I. 宗教(7月26日)
Ⅱ.国家(8月23日)
Ⅲ.国際関係(9月27日)
多分まだ申し込みできると思うので(締め切っていたらすみません)。
受講料は三回セットで9,072円とのこと。初めての方は入会金も必要かもしれません。
一般向けの講義はめったにしませんので、お近くの方はご関心があればぜひ。

【寄稿】湾岸のデカい建築・都市開発から国立競技場問題を考える

『週刊エコノミスト』の読書日記。13回目になります。

池内恵「中東の砂漠に最先端の都市ができる理由」『週刊エコノミスト』2015年7月28日号(7月21日発売)、57頁

今回も、Kindle版など電子版には載っていませんので・・・契約条件が合理的になれば同意したっていいんだけどなあ。

紙版はアマゾンからでも。

今回取り上げたのは、レム・コールハースの『S,M,L,XL+』。


レム・コールハース『S,M,L,XL+: 現代都市をめぐるエッセイ』(ちくま学芸文庫)

いい本だなあこれ。終わった時代の話ではなく、これから先を読むための本。

この本の原著英語版は1995年に出ているが、特異な編集と形で、難解な奇書というイメージだった。何度か増補されているが、写真も多く、1冊2.7kgという。


S M L XL: Second Edition

立体的に見ると、こんなんですよ。

コールハース

体裁の問題もあってか、ずっと翻訳されていませんでしたが、ちくま学芸文庫で、テキストだけ、抜粋したり新たに加えたりして(だから邦訳タイトルに「 +」がついているんですね)、分かりやすく分類して並べ直して、コンパクトな文庫スタイルで刊行されました。最近の文章が加わえられていて、最新のグローバルな建築の状況が、さまざまな断片で切り取られている。ちくま文庫・ちくま学芸文庫は建築批評・都市計画ものに強いですから、適切な場所に収録されたと言えるでしょう。

レム・コールハースといえば、代表的な現代建築家であり、また『錯乱のニューヨーク』を書いた建築批評・思想家として知られる。理論家でありかつ実作家ということ。ただ、この二つを両立させることは難しい、ということは、例の国立競技場問題で明らかになったと思いますが。

『錯乱のニューヨーク』は、ニューヨークの都市計画と主要な建物を逐一分析した名著で、現代建築とアーバニズムを論じる際の必須文献になっている。古典です。

今回、合わせて増刷されたみたいなので今なら手に入りやすいと思う。大きな本屋だと平積みになっているところも見かけた。

一方『S,M,L,XL+』は、ニューヨークで完成したアーバニズムが世界に広がっていった、散っていった、その先での変容をスケッチしている。世界のあっちこっちに散っていって、その場所の地理・環境的、文化的、そして政治的・社会的文脈で、同じような形態のものでも、異なる意味を持って受容されていく。

欧米の著名建築家としてコールハースはあちこちで建築・都市計画に関与する。その際に見たもの、感じたものが断片的に描写され、積み重ねられる。

日本はその重要な一つの場所。ただし、シンガポールとか、ドバイとか、上海とかと並んだ「多くの中の一つ」であることも忘れてはならない。ちょっと日本語版編集では日本のところを重視しすぎている印象はある。ただし現代建築が世界に広がる過程での日本の役割とか特有の条件は、もっと注目され、客観視されていい。そのためにも役に立つ描写が多くある。

都市についての美学や倫理の基準を持つ・模索する批評家としてのコールハースと、実際に都市や建物を建てるには政治家やゼネコンの片棒担ぎをすることにならざるを得ない建築家としてのコールハースの矛盾は、あまり客観視されているようには見えないが、もみくちゃにされていく様子はよく分かる。すでに昔日の話となった対象を描いた『錯乱のニューヨーク』と、今現在のグローバルな「錯乱」の現場の話である『S,M,L,XL+』はセットで読むといい。

個人的に関心を持ったのはドバイ、アブダビ、ドーハなどのペルシア湾岸アラブ産油国の急激な都市形成。私、先日もアブダビに行ってきましたので。

ラマダーン中の夏で安いから、こんなところにも泊まりましたよ。世界で一番傾いたビル。湾岸にいくとこんなのばっかりです。

Hyatt Capital Gate Abu Dhabi

1990年代後半から現在までの湾岸の都市開発を、コールハースは最先端の事象として捉えている。また、湾岸的なモデルが中国の諸地域に広がりかけていくあたりまでの時代と段階を、この本では視野に入れている。湾岸的なモデルにはいろいろ起源があるが、一つはシンガポールだろう。これについては詳しく書かれている。

理論や歴史を見ることで、政治問題になった国立競技場問題についても、根本的な問題の構図が見えてくるのではないか。

国立競技場問題で、「変な形の、でかい建物」を作る人としてのザハ・ハディードが注目された。私はザハの建築が今の国立競技場の場所の環境に合うか合わないかについては判断できない。できてしまえば人の心は変わるし、できてしまうまでそれが受け入れられるものかどうかは分からないからだ。しかし日本の政治・社会的環境で建築可能であるとは思わない(実際無理だったが)。 あれは「政治権力が集中している」「国が新しくて土地が余っている(そして権力者が自由にできる)」「金が唸るほどある(そして権力者の手元に集中している)」という条件がないと建ちません。

だからザハ案での建築断念は政治的には必然なのだと思うが、しかしそのこととは別に、日本が「失われた20年」で内向きに過ごしている間に起こった、世界の現代建築の潮流を、国民の大部分が感じ取ることができなくなってしまっていること、要するにザハの提案に「驚いて」しまうことには、危機感を感じる。

国立競技場建設の「ゼロからの見直し」の結果として、日本が「ザハはもう古い」と言ってそれに対峙できる根拠や理念や力量を示せるのであればそれでいい。ザハにはそういう風に挑戦すべきなのであって、「気持ち」を忖度などしなくてよろしい。

もちろん、建たなくたって、契約書通りに、報酬は払わねばならないのだが。ただし有名建築家に頼むとはそういうことである。ザハの案でぶち上げたから話題になってオリンピック開催を勝ち取った、という要素はあるので、法外に見えても意味があるお金ではある。

ザハ案でオリンピック開催を勝ち取ったのに、ザハじゃ無くなったら国際公約違反かというと、そんなことはない。有名建築家を集めたコンペなんて、建築家が最先端な無茶を競って、結局無理と分かって建たない、なんてことは国際常識。コンペにはじめから建ちっこないものを出してくる建築家は多い。著名建築家の「名作」のかなりの部分は、コンペに出して評判になったが建っていないものである。

建っている場合は、独裁者が独断で命令して建ててしまった、という場合が結構ある。

途上国の場合は、ゼロから都市や埋め立て地を形成したりする場合に、目を引く建築が必要な時にザハ的なものが珍重される。

欧米先進国の場合は、都市の郊外がスラム化して危険な状態になっていたりする場合に、オリンピックを呼んできてそれを機会に再開発して、その際にザハ的な目立つ建築でイメージを変えようとする。ロンドン五輪はそのケースです。オリンピックを名目にした大規模再開発で、治安がよくなり、土地の値段が上がり、投資が来て新住民も入ってくればみんな得するでしょ、という話。うまくいっているかどうかは別にして、そういう目論見があってやっているから筋が通っている。

今回の国立競技場の場合、土地が無尽蔵にあってゼロから建てられる場所でもないし、スラム化している場所でもないからな・・・なんでザハなのかわからん。

しかし単に止めるといって、しかも、有力者がザハへの人格攻撃的な発言をしたり、ザハ的な現代建築を単に貶めるような発言を繰り返していれば、それは、国際的には恥ずかしい印象を与えるだろう。適合しないところにザハを選んだ方が悪い。そんなことはじめからわかっているでしょう?という話。国際的には、普通は上に立つ人の方が下の人より頭いいからねえ。日本人はそんなに頭悪いの?という話になってしまう。(日本には組織のために行う「バカ殿教育」と言うものがありましてね、それに適応できる人しか偉くならないんですよ・・・)

コールハース的な建築思想・建築史の前提があったら、あの場所にザハ、ということはあり得ないということが分かるはずなんだが。たくさん関与しているはずの文系の行政官にこういう感覚があれば止められた話だと思うが、ないんだなこれが。日本の行政官は忙しすぎて、国際的な視野で日本の歴史文化を見て次の一手を(かっこよく)打ち出すというような考えを温めている暇なく歳取ってしまう。

ただ、コールハースにしても、湾岸の都市開発のあり方に批判的なことを書きつつ、自分も職業上は加担せざるを得ない。その辺の矛盾も、コールハースの本を読みつつ、彼の実作(案)を調べていけば見えてくる。正解はないんです。正解はないが、国際的に共有されているある種の文法や歴史を踏まえて次の一歩を示すという筋が必要なんです。そうしないとメッセージにならない。

今後重要なのは、国立競技場をめぐる議論と決定の場を活発に公の場で行うことだろう。

「国際公約」などと言って、見えないものに縛られずに、「ザハ案を採用した、ザハらしい斬新な案が出た」「日本の建築家からも住民からも反対運動が出た、民主的な議論が沸騰」「現代における競技場建築とは何か、活発な議論が行われ諸案が競って出された」「その結果このようなものになりました」という経緯と結果全体が、オリンピックをめぐる日本社会の表象であり、そこに有意義なものが示されれば、「国際的な評価」は高まる。

要するに結局のところ日本からいいアイデアが出ればいいんです。有名建築家っていうのは無茶な案を出してそういう議論を巻き起こして世の中を前に進めるためにいるんです。そのために高いフィーを取るんです。こうやって話題になっているんだからザハ案を採用した価値はあるのである。百万人にやめろと言われてもこれをやる(人のお金で)と言い張れる分厚いエゴがないと有名建築家にはなれない。批判された方がいいんです。

世界のみんなが次に何をやればいいか模索してるんだから。広く世界を見て今最先端はどうなっているかを知りつつ、ちょっと前の最先端を高い金払ってもらってくるのではなく、こちらから新しい次の一手を出す。そうしてこそ初めて国際的に評価される。外をよく見るということと、モデルを外から持ってくるということはまったく違う。

日本でオリンピックをやり、コンペをやるなら、最初から「過去20年世界を席巻して、限界や負の側面も見えてきたザハ的な建築を超えるもの」を選ぶというコンセプトだと良かったんだが。だって世界中でいい加減飽きてるんだから。途上国の開発独裁を今さらやる気もなく後追いするみたいで、日本の現状を表象するものではなかったと思う。ただし単に「うっかりしていて無理な案を採用してしまい、建てられませんでした」というだけでは日本の元気のなさだけを表象することになってしまうので最悪だ。

そういう意味で、短時間で知恵を絞って実現していく過程が、日本社会の刷新にもなるといい。そういう意味でゴタゴタそのものを含んでドラマ化しコンセプト化して発信する人がいるといいのだが。

【寄稿】トルコのシリア国境の町スルチュでクルド勢力を狙った自爆テロ

連休も講演をすませてあとは必死に論文書きをしていたが終わらず。いや、そのうち二本は終わったんだが大きいのが二本終わっていない。限界までやっているんだがなあ。

しかし日々のニュースは見ておかないとついていけなくなる。論文にも関係あるし。

没頭しているとこのブログにはほとんど手をつけられないのだが、英語やアラビア語のニュースはPC画面ではこの横に表示されるツイッターの窓@chutoislamで、空いた時間の一瞬をついてリツイートしてあります。また、『フォーサイト』では日本語でニュースの要約・解説をする「中東通信」をやっています。

最新のものは、池内恵「トルコのシリア(コバネ)との国境の町スルチュで支援団体の集会に自爆テロ」『フォーサイト』2015年7月20日

それにしてもややこしい。シリア北部のコバネの戦闘は注目を集めましたが、「イスラーム国」から奪還する勢力となったクルド人勢力に対して、コバネと接するトルコ側で自爆テロ。それもトルコ側とシリア側で同時にやっている・・・

トルコ政府からいうと「トルコ側でもシリア側でもクルド勢力は一体」ということを同時攻撃で見せつけられたわけで・・・「イスラーム国」はサウジやクウェートではシーア派を狙って、被害者と中央政府を分断する戦略ですが、同じことをトルコではクルド人を狙うことでやっているように見えます。これは効果がありそう。トルコ側のクルド人が「トルコ政府は頼りにならない」と武装化する→トルコ政府はトルコ側とシリア側のクルド勢力を攻撃→クルド勢力が一体化して独立武装闘争へ・・・なんてことにならないようにお願いしますよ。本当に行ける国がなくなってしまうではないか。

でも、この調子だと次にイスタンブールが狙われそうなのが怖い。あんな大きな都市だから、万が一テロがあっても自分が巻き込まれる可能性は極めて低いのだが、一回テロがあれば政府の「退避勧告」みたいな話になってしまいかねない。

カイロ・イタリア領事館異聞(あのヤマザキマリさんが・・・)

おお。

今日早朝のエジプト・カイロでのイタリア領事館爆破。『フォーサイト』速報しておきました

漫画家のヤマザキマリさんが結婚式(婚姻登録?)をしたのがこのカイロのイタリア領事館であるという。

夫がイタリア人で学者なのでシリアやエジプトやアメリカに順に移り住んでいるという話をインタビューなどで読んだことがあるが(欧米の研究者にはよくあることです。フィールドと英・米・欧の研究機関を移動していく)、エジプト時代に結婚したのなら、ここに行くことになる。

なるほどぉ〜あそこに並んだのね。

イタリア人は19世紀にエジプトに、「植民地主義」というよりは、まともに「出稼ぎ植民」したので(19世紀の開発ブームのエジプトは、今の上海かドバイみたいなところだと考えていただければいいです。イタリア人やギリジア人の建築家がフランスっぽい建築をいっぱい作ったので、このころできた街区は「ナイル河畔のパリ」と呼ばれることがあります)、エジプトのアレキサンドリアとカイロには、立派なイタリア領事館があります。最近はもっぱら、イタリアとEU圏に出稼ぎ・移民したいエジプト人が列を作っていますが・・・

ヤマザキマリさんといえば『テルマエ・ロマエ』。


「テルマエ・ロマエ I』


映画テルマエ・ロマエ(DVD)

エジプト、シリア時代のことを描いた『世界の果てでも漫画描き 2 エジプト・シリア編』

エジプトって、人間を自由にするというか解放するというか(そのまま糸が切れた凧のようになっちゃう人も多いですが)、際立った強い個性の人を惹きつけるようで、意外な人が「エジプト経験」を持っています。

チュニジアの危険度引き上げ

7月10日、日本の外務省が、チュニジアの危険情報を引き上げました。

チュニジア渡航延期勧告2015年7月10日
(7月10日の最新の危険情報)

《なお、外務省のホームページはPCで見ている時にスクロールしにくいので、改善の余地ありですね。マウスを画面内のどこに置いていてもスクロールすれば下まで見られるようにしてほしい。急いで見る時に操作に手間取る》

イギリス外務省も観光客にチュニジア全土に「どうしてもという場合以外の渡航取りやめ」を要請し、トマス・クックなど主要旅行代理店が今夏の予約受付を停止し既存ツアーもキャンセル、現地からの引き上げ便を手配して旅程の途中で顧客を帰国させているようです。

英国民の退避の様子を伝えるBBCの記事にはチュニジア危険情報の略図があります

チュニジア危険情報英外務省7月9日

英国務省の危険情報ホームページ(チュニジアの項)ではより詳細です。

チュニジア危険情報英国無償HP2015年7月9日

日本外務省と地理的にはほぼ同じ塗り分けですね。渡航回避の緊急性の度合いについては異なるものさしであるようですが。

6月26日のテロの直後は、「テロに屈しない、生活様式を変えない」という原則を示していた英国も、チュニジアの治安当局がテロを防ぎきれない、という情報判断をした模様です。これは治安当局の能力の限界もあると同時に、多くのジハード主義者が隣国リビアあるいはイラク・シリアから帰還しているということをおそらく意味しているものと思います。これはかなり由々しき事態です。

今回の日本外務省の危険度評価引き上げを3月のバルドー博物館襲撃の時点での日本外務省の危険情報と比べてみてください。

チュニジア危険情報地図(小・広域地図ボタン付き)
(今年3月の時点のもの)

違いは、これまでは西部のカスリーン県と南部の国境地帯以外のチュニジアの主要部は第一段階の「十分注意」(黄色)だった(ただし3月のバルドー博物館へのテロを受けて首都チュニスが第二段階「渡航の是非を検討してください」に急遽引き上げられていた)のが、7月10日の危険度引き上げで、チュニジア全土が第二段階になり、カスリーン県と国境地帯は従来通り第三段階の「渡航の延期をお勧めします」になったこと。

ただ、カスリーン県の南のガフサは、しょっちゅう掃討作戦をやっているので、カスリーン県並みにもう一段階危険度を上げてもいいんじゃないかとも思うが。ガフサ県を含む散発的に掃討作戦が行われている県については列挙して注意喚起はされているが。大きな県なので全体が危険ということはない。

チュニジアは戦争をやっているわけではないので、最終の第四段階の退避勧告(赤色)になっているエリアはない。

しかしいざテロや掃討作戦が起これば、その瞬間その場所は危険になることは間違いない。問題はいつどこでそういう状態になるかが、攻撃する側が場所を選べるテロという性質上、定かでないことだ。

こうなると、仕事で行くなら十分に注意して、時期と場所を慎重に選んで、かつ一定のリスクを覚悟して行くしかないが、不要不急の観光は避けましょう、ということにならざるを得ない。

外務省のリスク情報の読み方については上記地図を転載した3月のこの記事を参照してください。

『フォーサイト』で「中東通信」を開始しました

新潮社の『フォーサイト』(ウェブ版)で、中東のニュースや、中東やイスラーム世界をめぐる論評などをリツイートして日本語で短く解説を加える「池内恵の中東通信」を始めました。

こんな感じのツイッター的な窓が『フォーサイト』の画面に表示されるようになりました。

中東通信

まだ開設したばかりですので無料ですが、そのうち有料購読者のみが読めるようになります。

『フォーサイト』の「中東通信」の窓には、常時最新3つの記事の冒頭が表示されます。クリックすると簡易ブログ風の画面に移り、記事の全体がそれまでの記事と一緒に、読めます

連載「中東 危機の震源を読む」も、「中東の部屋」も、続けますが、それらの枠でまとまった論考や分析を寄稿する時間的余裕がない時にも、「中東通信」の枠で、ニュースの転送と要約・解説ぐらいはできるかもしれません。

実はトップページだけでなく、他の記事を読んでいても画面右横に固定で「中東通信」の窓が表示されるので、私の記事が目当てでない読者にも、どこまで読んでも私のこの窓と私の顔写真がついてくる仕様になっておりまして、不愉快な方は、ご容赦ください。

新幹線の車両の端にあるフラッシュニュースの電光掲示板や、ブログなどに設定されているツイッターの表示画面のようにして、リアルタイムで情報が頻繁に更新されるようにすると、月刊誌ぐらいのペースでの記事が載ることが多い『フォーサイト』に、「動き」が出るような気がいたします。

私が手動でやるので、私が稼働していて手が空いている時しか更新されません。ニュースのチェックは毎日行っていることなので、備忘録的にやってみようかと思います。ツイッターやフェイスブックだと、備忘録のつもりで発信しても、後から検索するのが大変で結局備忘録にならないなどといった結果に終わりがちです。

どのツールも一長一短ですね。今回の「中東通信」は、最大限私に使いやすいように設計してくれていますが、それでもツイッターやフェイスブックに比べたら手間がかかります。

なお、この「中東・イスラーム学の風姿花伝」でも画面の右横に(PCで見ている場合は)ツイッター@chutoislamのツイートがリアルタイム表示されていますが、『フォーサイト』で始めたのは、これの日本語版とお考えください。

@chutoislamでは基本的に全く解説を加えておりません。外国語の記事をそのままリツイートするだけです。そのため、私にとっては、電車に乗っている時などに手軽にでき、速報性や頻度を高められますが、これだと英語やアラビア語を読めない人にはアクセスがしにくくなります。

それで、少し手間をかけて、日本語でツイッター的な体裁で、中東記事の要約と解説を行う実験を、『フォーサイト』で始めてみようと考えた次第です。より手間がかかるので、さすがにこれは有料にしないといけません。

無料期間のうちにお試しになって、有用ならご購読を。

【テレビ出演】7月9日(木)にBS Japanの日経プラス10に出演し解説します

明日7月9日木曜日の夜10時から、BS Japanの「日経プラス10」に出演します。

テーマは、とりあえず、こんな感じのものである。日経プラス10

7/9(木)「“国家樹立宣言”から1年…『イスラム国』の最新動向とグローバルジハードの脅威」【ゲスト】池内 恵(東京大学先端科学技術研究センター准教授)

【寄稿】『フォーサイト』の連載を再開 ギリシア論から

昨日予告した、『フォーサイト』への寄稿がアップされました。

池内恵「ギリシア――ヨーロッパの内なる中東」《中東―危機の震源を読む(88)》『フォーサイト』 2015年7月8日

今回は、無料です。久しぶりの寄稿ということもあり、また分析ではなく自由な印象論、政治文化批評でもあるので、まあ気軽に読んでもらおうかと。ご笑覧ください。

中東問題としてのギリシア危機

今話題のギリシア債務危機。「借金払わないなら出て行け」と言うドイツの世論とそれに支えられたメルケル政権、言を左右し前言を覆し、挙げ句の果てに突如、交渉提案を拒否するよう訴えて国民投票に打って出たギリシアのチプラス政権、それに応えて圧倒的多数で交渉提案を否決してしまう国民。確かに面白い対比です。ユーロ離脱の決定的瞬間を見たい、といった野次馬根性もあって、国際メディアも、中東の厄介なニュースを暫し離れてギリシアに注目しています。

ギリシア問題は、一面で「中東問題」であるとも言えます。もちろん狭い意味での現在の中東問題ではありませんが、根幹では、オスマン帝国崩壊後に近代国際秩序に十分に統合されていない地中海東岸地域に共通した問題として、中東問題と地続きであると言えます。

私はギリシアは専門外なので、深いところはわからないのだが、目に見える表層を、特に建築を通じて、素人ながら調べてみたことがある。

そこでわかったことは、現在のアテネなどにある「ギリシア風」の建物は大部分、19世紀に「西欧人」特にドイツ人やオーストリア人の建築家がやってきて建てたということだった。途中からギリシア人の建築家が育ってきて、ドイツ人やオーストリア人建築家の弟子として引き継ぎはしたものの。

1832年のギリシア王国建国で王家の地位に就いたのはギリシア人ではない。なぜかドイツ南部のバイエルン王国から王子がやってきて就任した。なぜそうなったのかは西欧政治史の人に聞いてください。

それで王様にドイツやオーストリアの建築家がついてきて、ギリシアのあちこちに西欧人が考える「ギリシア風」の建物を建てたのである。

例えば、「ギリシア問題どうなる」についてのBBCなど国際メディアの特派員の現地レポートの背景に(私は6月末の本来の債務返済期限のカウントダウンの際には日本に居なかったので日本のニュース番組でどう報じていたかはわからないが、多分同じだったと思う)必ずと言っていいほど映り込むギリシア議会。

これです。

ギリシア議会

いかにも「ギリシア的」ですね。

でもこれ、ドイツ人の建築家が19世紀前半に建てたんです。ドイツから来た王様の最初の正式な王宮でした。

近代西欧に流行した建築様式としての、古代ギリシア(+ローマ)に範をとった「新古典様式」の建築です。西欧人の頭の中にあった「古代ギリシア」を近代ギリシアに作っていったんですね。

ギリシアの「ギリシア風」建築の多くがドイツ人など近代の「西欧人」が設計したものであるという点については、マーク・マゾワーのベストセラー歴史書『サロニカ』を『外交』で書評した時に、本の内容はそっちのけに詳細に書いてしまった。

『外交』の過去の号は無料で公開されています。このホームページの第12号のPDFのところの下の方、「ブックレビュー・洋書」というところをクリックすると記事がダウンロードされます。『外交』に2年間、12回にわたって連載した洋書書評の最終回でした。

池内恵「ギリシア 切り取られた過去」『外交』Vol. 12, 2012年3月, 156-159頁.

現在の世界の歴史家の中で、学者としての定評の高さだけでなく、一般読者の数においてもトップレベルと思われるマゾワー。その「ギリシアもの」の代表作で、英語圏の読者には最もよく知られて読まれている『サロニカ(Mark Mazower, Salonica, City of Ghosts: Christians, Muslims and Jews 1430-1950)』は、第一次世界大戦によるオスマン帝国の最終的な崩壊の際の、現在ギリシア領のテッサロニキ=当時のサロニカが被った悲劇を描いている。サロニカ=テッサロニキは、アナトリア半島のギリシア人(ギリシア正教徒)と、現在のギリシア側のトルコ人(イスラーム教徒)の「住民交換」とその過程で生じた多大な流血の主要な場であった。

マゾワーの本はやっと翻訳され始めている。まずこれ。Governing the World: The History of an Idea, 2012の翻訳が『国際協調の先駆者たち:理想と現実の二〇〇年』として、NTT出版から刊行されたところです。

続いてNo Enchanted Palace: The End of Empire and the Ideological Origins of the United Nations, 2009『国連と帝国:世界秩序をめぐる攻防の20世紀』として慶應義塾大学出版会から刊行される予定だ。

さらに、Dark Continent: Europe’s Twentieth Century, 1998の翻訳が未来社から出る予定であるようだ

これらはいずれも、国連や国際協調主義の形成といった、国際関係史の分野のものだが、ぜひ著者の狭い意味での専門である、ギリシア史・バルカン史の著作にも関心が高まるといいものだ。

「中東」としてのギリシアについて、それがオスマン帝国の崩壊によって生まれたものという意味で中東問題と根が繋がる、といった点についての論考は、近く『フォーサイト』(新潮社)に掲載される予定です。

そんなにオリジナルな見解ではなくて、今日出席した鼎談でも、元外交官の中東論者が同じようなことを仰っていた。中東を見ている人がギリシアに行くと共通して思うんでしょうね。

『フォーサイト』に長く連載してきた「中東 危機の震源を読む」(『中東 危機の震源を読む (新潮選書)』として本になっています)と「中東の部屋」ですが、「イスラーム国」問題が人質問題として日本の問題になってしまったあたりから、個人としての日本社会向けの発言という意味もあって、その他いろいろ思うところがあって、個人ブログやフェイスブックを介した、読者への直接発信に労力を傾注してきた。

直接的な情報発信は今後も続けていこうと思うのだが、しかし、個人ブログで何もかも書いてしまうと、媒介となるメディアが育たない。私の議論を読む人は、私の議論だけでなく、ある程度は質と方法論を共有した他の専門家の議論にも触れて欲しい。

今後はもう少し、これまで縁のあった媒体を中心に、間接的な発信を再び強めていこうと思う。

そうはいっても、私の本来の任務である論文・著書の刊行義務がいよいよ重くのしかかってきているので、あまり頻繁にというわけにはいかないが。

そこで、ギリシアの中東としての意味や、建築史の搦め手から見たギリシア近代史といった、緩やかな話題からリハビリ的に『フォーサイト』への寄稿を再開してみようと思っている。

【今のうちに告知】8月8日に北大でシンポジウムに

今のうちにご通知。8月8日に北大でシンポジウムに登壇します。14時から17時にかけて行われる予定です。

「北海道大学公共政策大学院(HOPS)創立10周年記念シンポジウム」というもので、北海道新聞の共催ということもあって、かなり大掛かりな、また参加無料で、一般に開かれたものになります。

北大HOPS

タイトルは正式には決まっていないようですが、現代社会における宗教、といったテーマになりそうです。近く広報されると思います(私が遠隔地への出張で連絡を怠っていたために遅らせているような気がいたします)。

私以外に、北大法学部の辻康夫先生(西欧政治思想史)が予定されています。辻先生は多文化主義やマイノリティの問題に関心を寄せていらっしゃいます。

チャールズ・テイラー編著のこの古典的名作の訳者の一人でもありますね。

この本は、イスラーム教と近代社会との関係について突き詰めなければならなくなる時には結局ここに戻ってこないといけなくなる、と考えて私が当初から論文で引用してきたものです。その後色々な議論が出たように見えますが、新しいことを言おうとして認識はかえって混乱した面もあり、この本の重要性は今も変わっていないどころか、いっそう価値を高めています。

この本も絶版なのか・・・信じられんな。

「岩波モダンクラシックス」のレーベルで出しなおしていたようだが、これも版元品切れ

あのー、「クラシックス」といったレーベルをあえて作るのであれば、いくつかの厳選した本だけは恒久的に本屋で常に手に取れるようにしたい、在庫を常に持っておいて、必要とするひとがいればいつでも出荷できるようにしたい、というふうな志があるのかと思ったら、大部分が品切れじゃないですか。がっかりだな。

夏になるたびに私が一人で帰省していた母方の祖父の家では、『広辞苑』の各版を、「大変な苦労をして作ったものだから、時代の変化が後々になってから分かるから」と予約注文して買い支えて、大事に並べていました。他社の『大辞林』が出た時も、当然の義務のように買い支えていました。ところが出版社の経営上の一時しのぎのために、さほど改定もしていないのに「新版」を乱発して中身が薄くなっていき信頼を失っていった。そのことを「祖父のような人たちに対する背信だ」と怒っていた父を思い出します。幼い頃のそんなやりとりは、不意に蘇ってきます。

「クラシックス」も、一時的な商売のために使われるのであれば、結果的に市場での価値を失わせる、書物に対する背信と言えるのではないでしょうか。

最近は文庫が「本の墓場」である、などという実態を明かす編集者もいます。「文庫に入ればずっと本屋に置かれる」というのは過去の話で、いまや「文庫も新書も多すぎて本屋の棚に置いてもらえず、文庫になったらもう流通せず、出版した月だけ出版社の『資産』を帳簿上増やすのに使われて、やがて廃棄処分されて本としての生命を終える」ということです。

少子化・高齢化・デフレ・組織の高コスト体質で出版業界がヘタって粗製乱造本をばら撒きながら(不動産収入で社員に給料を出しながら)基本書を絶版にしてコストを浮かし、それによって学芸の基礎が深刻にダメージを受けていくのを感じます。最近特にそのことを感じます。

とりあえずこの本も中古で買っちゃいましょましょう。あと、もう今後は原書で読んじゃいましょう。Kindle版もある。

シンポジウムではイスラーム教とかキリスト教といった厳密な「宗教」に限らず、主権国家や民主政体や資本主義といった世界を成り立たせている制度への不信や不満や被害者意識が、ギリシアのEU緊縮案否決に見られる、集団の非合理的な感情の激発を誘い、先行きの見通せない状況を生じさせていることについて、考えてみたいと思います。

西欧政治史・思想史が分厚い北大ですから、このあたりについて歴史を踏まえた洞察が得られるものと、期待しています。

その意味で、企画を担い登壇もされる予定の吉田徹さんの『感情の政治学 (講談社選書メチエ)』は参考文献となるのではないでしょうか。

お近くの方はぜひ。

お近くでない方も、酷暑の時期に、涼しい札幌にぜひお越しになっては。北海道に来ちゃってシンポジウムは忘れてくつろがれてもそれはそれで。

詳細はまた通知します。