【テレビ出演】7月30日テレビ朝日・報道ステーションでスタジオ解説予定

7月30日(夜9時54分~)のテレビ朝日「報道ステーション」にスタジオでゲスト解説の出演予定です。

通常は、私がたまーにテレビに出るときは、(1)NHKBS1などで特集テーマが事前に決まっており、そのためのBTRづくりにも私が若干関与するか、ほとんど「原作・原案」に近いことまでやった上でスタジオで解説するか、(2)あるいは最近たまに報道ステーションであったように、その日話題になっている中東問題の特定のテーマについて、長めに解説をビデオ収録して、そのうち番組の趣旨に合う部分が編集されて流れるというものです。いずれもある程度は私がコントロールできます(できない部分も多いですが)。

しかし今回は、スタジオでその日偶然ニュースで話題になったものについて答えるというものなので、勝手が違います。

まあガザ問題とかになるのかもしれませんが、当日までわかりません。

ウクライナ問題ぐらいまでは対応できますが、日本で猟奇的大事件が起こったりすると、私の出る幕ではない気がします。

「その日ニュースになったことに即興で応える」って、ふと「流しソーメン」みたいだな、と連想してしまいました。

私はこの生涯にわたって流しソーメンというものを食べたことがないのですが、製作費が安そーうなバラエティ番組などでは適度な生温いアトラクションとして非常によくおこなわれている気がします(そんな番組見てちゃいけませんね)。

ですから、明日(もうすぐ今日)ですが、私をテレビでもし見かけたら、「流しソーメンやってるな」と思って応援してください。

中東情勢についてはこのブログで。

ガザ紛争についてはここで書いてあるようなことを話すと思います。
「【寄稿】ガザ紛争激化の背景、一方的停戦の怪、来るなと言われたケリー等々」(7月16日)

「ガザ紛争をめぐる中東国際政治」(7月26日)

「【地図と解説】イスラエル・ガザ紛争の3週間と、今後の見通し」(7月28日)

以上です。おやすみなさい。

【地図と解説】イスラエル・ガザ紛争の3週間と、今後の見通し

7月8日に本格的に開始されたイスラエルによるガザ攻撃が、28日で3週間となりました。

ハアレツ紙が21日間の紛争を地図とグラフでまとめています。

ガザ紛争2014年地図7月28日21日目
出典:LIVE UPDATES: Israeli soldiers, Hamas militants clash in southern Gaza, Haaretz, July 27, 2014.

市街地が緑で塗られ、今回の紛争でとくに大きな被害が出た地域は赤く記してあります。ガザは封鎖が政治的な争点になっていますので、エレツなど検問所(crossing)が全部記されているのも有益です。また、今回これまでになく問題化したガザからイスラエルへの地下トンネルの断面図まで記されています。これは全部ではなく、今回イスラエルが破壊したり、ハマースがこれを使って襲撃を行ったりして表面化したもののみが記されているのでしょう。

またガザからエジプトのシナイ半島にかけてはもっと多くのトンネルが掘られていますが、これについては記載されていません(報道によるとケンタッキー・フライドチキンもエジプトからトンネルをくぐって密輸されるそうです)。

地上部隊による作戦はそれほど大きいものではなく、地下トンネルの破壊に今のところ集中しているようです。ガザの側の死者はもっぱら空爆によるものです。

地上戦と空爆を組み合わせて特に大規模な攻撃の対象となっているのは、ガザ市のシュジャーイーヤ地区やベイト・ハーヌーンです。特にシュジャーイーヤ地区は密集した市街地での戦闘・空爆で多くの市民が亡くなった、今回の紛争の人道的悲劇を象徴する地名となりかけています。

シュジャーイーヤ地区やベイト・ハーヌーンは、イスラエルが2005年9月にガザ占領から撤退した後にも、一方的に設定し続けた緩衝地帯にかかっている部分です。

BBCはこのイスラエルの緩衝地帯を地図に書き込んでいます。幅3キロということになると、ガザは本の薄い一辺の土地に過ぎないので、かなりの部分がここにかかってしまいます。ですので、イスラエル側から警告されながらも、このエリアに市街地が広がっていったのです。イスラエルへのトンネルも当然この緩衝地帯から掘られています。

ガザ地図BBC
出典:BBC

イスラエル側の地上作戦は、この「緩衝地帯」をもう一度実質化する目的があるようです。シュジャーイーヤ地区とベイト・ハーヌーンで大きな被害が出ているのはそのためでしょう。もしイスラエルが「緩衝地帯にいる者は全員テロリスト」という論理で攻撃をしているのではあれば、人道に反する行為でしょう。

また、イスラエル側は、ハマースのロケット弾とミサイルの射程が伸びている、という点を攻撃が必要である根拠として、特に空爆開始の頃に主張していました。

ウォール・ストリート・ジャーナルが掲載したこの地図では、中国起源のイラン製ミサイルFajr-5の導入で射程距離が延び、テルアビブやエルサレムを射程に収めるようになっているとのことです。さらにシリア製ミサイルM-302sによってもはやイスラエルほぼ全域に射程距離が及んだとされています。

ガザ発ミサイルの射程
出典:ウォール・ストリート・ジャーナル

しかし今回の紛争を通じて、それほど長距離のミサイルがテルアビブやエルサレムに飛んできたのかどうかは、検証してみないといけません。

イスラエル側にほとんど被害がなかったのは、ミサイル迎撃システム「アイアン・ドーム」が9割という驚異の精度で撃ち落としたからだとされていますが、こういった数値はよく検討してみないと真実は分かりません。

「イラン製のミサイル」が空爆開始の頃には喧伝されましたが、どれほどの数が実際に発射されたのでしょうか。

ハマースが実際に撃ったのは、大部分は砂漠に落ちる短距離のロケット弾で、粗雑な製法で制度は著しく悪く、中には弾頭に火薬すら入っていないものすらあったのではないかという説もあります。

これまで通り、スデロトやアシュケロンのような、ロケット弾の射程20キロ範囲内の都市がもっぱら脅威を受けていたのではないかと推測されます。

しかし、ハマースはディモナの原子力施設や、テルアビブ・エルサレム間にあるベン・グリオン空港付近に、ごくわずかの数のミサイルを着弾させ、それを宣伝することで、イスラエルのカントリー・リスクを高め、経済活動を困難にする効果を上げたと言えます。

その意味で、イスラエルにとってハマースのロケット弾やミサイルは、直接の物理的な脅威は小さくても、国家の存亡を脅かすものと言いうる面があることは確かです。

情勢はここ数日、少なくとも一時的には、鎮静化しています。

これがある程度持続する停戦に結びつくか、あるいは紛争が再燃して、イスラエル地上部隊による本格的なハマース政治部・軍事部の掃討へと至るのか、分かれ目に来ています。

ここ数日の動きを見てみましょう。

25日(金) カイロでケリー国務長官が停戦案打診するも、イスラエル、ハマース双方が拒否

26日(土) イスラエル、ハマース双方が朝から12時間攻撃休止;パリでケリー米国務長官がトルコ、カタール、西欧主要国と会議;イスラエルはさらに24時間の攻撃停止を宣言

27日(日) 散発的に戦闘;オバマ米大統領がネタニヤフ・イスラエル首相と電話会談;深夜に国連安保理が全会一致で双方に無条件の停戦を求める議長声明

28日(月) イード・アル・フィトルの祝日(断食月ラマダーン明け);イスラエル、ハマース双方が攻撃休止

ケリー国務長官は一週間に及ぶシャトル外交でカイロ・エルサレム・パリを飛び回りましたが、エジプト・イスラエル合作の停戦案に基礎を置きつつ、トルコとカタールが仲介するハマースの主張を一定程度取り入れた折衷案を、25日には内示したものと見られます。25日午後5時の段階での停戦案がハアレツ紙にリークされています。

イスラエル側は、トルコ・カタールの仲介案を部分的に取り入れた米国に対して、少なくとも表面上は激しく反発しました。ハマースの武装解除が明確に盛り込まれていない、というのが理由です。

26日にはイスラエルの閣僚がこぞってケリー長官をこき下ろす発言をイスラエル・メディアに対して行いました。それに対して米国務省からはかなり強く抗議する発言がメディアを通じて伝えられ、さらに27日にはオバマ大統領が電話でかなり強くネタニヤフ首相に停戦を迫り、その日夜の国連安保理議長声明でも同様の文言が盛り込まれたとのことです。もともと関係の良くないネタニヤフ政権とオバマ政権は、かなり険悪化しているようです。

そのような中で、イスラエルは少なくとも停戦続行の姿勢は示さなければならなくなったようです。

ただし地下トンネル破壊は続ける、とのことですが。

ハアレツ紙がまとめた、死者数とハマースのロケット弾発射の、日毎の数の推移のグラフを見てみましょう。

ガザ紛争死者のグラフ
出典:ハアレツ紙、前掲

死者数は7月17日の地上部隊侵攻から20日にかけて増加し、その後は低減傾向に。ハマースのロケット弾は地上部隊侵攻以降減り始め、21日に一度急に増えた後、また減っていっています。ロケット弾の在庫が尽きかけているのか、発射装置が破壊されて撃ちにくくなっているのかもしれません。

今後どうなるのでしょうか。

ここで鎮静化して停戦となると、数年後にまたハマースはロケット弾を多く溜め込み発射装置を各地に張り巡らせ、イスラエルはなんらかの機会を捉えて空爆・掃討作戦、多くの民間人の死者を出す、ということを繰り返しかねません。

そうしないためには、単なる停戦ではなく、ハマースの行動を抑制し、イスラエルの安全保障への信頼感を高めるようななんらかの政治的な枠組みが設定され、実施する主体が導入されなければなりません。

今後数日の展開は重要で、その後の予想されるシナリオを含めて場合分けすると、次のようになります。

(1)停戦 ハマースの抑制・安全保障措置なし
  →数年に一度同様の紛争を繰り返す
(2)停戦 ハマースの抑制・安全保障措置あり
  →(2)-1 ファタハ(ヨルダン川西岸を支配、アッバース大統領)の部隊がガザに部分的に展開
  →(2)-2 国際部隊(国連部隊、地域大国、域外大国等)がガザに展開、停戦監視
(3)衝突再燃、イスラエルがハマースを全面的に掃討
  →(3)-1 ガザ再占領(ほぼあり得ない)
  →(3)-2 ハマースの壊滅後にイスラエル軍撤退、ファタハ部隊が展開
  →(3)-3 ハマースの壊滅後にイスラエル軍撤退、治安の悪化、民兵集団跋扈
         →ISISなどのイスラーム主義過激派が伸長

基本的に、「既定路線」は(1)です。しかし何らかの理由で(ハマースがなおも挑発した場合、あるいはイスラエル側がハマースの組織根絶を可能あるいは不可欠と認識した場合)、(3)のようにハマースの軍事部門と政治部門の双方を壊滅させるような攻撃が行われる可能性がないわけではありません。

本来は(2)が現実的にましな選択肢と見えますが、これが実行できるような環境条件や、実施主体がいるかというとかなり困難です。

ネタニヤフ首相、モシェ・ヤアロン国防相は原則としてこの路線を最初から大前提にして行動していると思われます(なおヤアロン国防省は元参謀総長です)。

なお、タカ派・強硬派として世界のリベラル派から忌み嫌われているネタニヤフ首相ですが、イスラエルの右派連立政権の中では比較の上では「穏健派」となります。

今回の紛争に際しても、連立パートナーの「イスラエル我が家」のリーバーマン外相、および「ユダヤ人の家」のナフタリ・ベネット経済相はより強硬な策を主張して閣内対立しています。

対立は、「ハマースとガザをどうしたいのか」という点で次のように分かれます。

(1)ハマースの軍事力、特にロケット弾・ミサイル発射能力を低減させ、地下トンネルを最大限破壊する。数年後に能力を蓄えればまた限定的に掃討すればいい。
   →ネタニヤフ首相の基本的姿勢
(2)ハマースそのものを回復不能なまでに掃討する。
   →リーバーマン外相ら

ですのでネタニヤフ首相は国際社会の停戦圧力が高まってこれ以上は無理、というところに至るぎりぎりまで掃討作戦を続けようとしますが、同時に停戦を受け入れるという姿勢も見せます。これに対してリーバーマン外相らは停戦は不当だハマース根絶、と訴えて世論を煽ります。

ネタニヤフ首相は天性の大衆政治家ですからハマース憎悪で沸き立つ世論に向けて強硬論を語りつつ、落としどころを探ります。それが何ら長期的解決に見えないことも多く、米国の大統領との関係すら悪化させることを厭わないことが多いのですが。それに対してリーバーマン外相は世論を煽りすぎて反アラブ人のヘイト・クライムが続出するような状況になってもなおも強硬論を掲げ続けます。

問題は、(1)ハマースを根絶しようとしてもできないだろう、本当に根絶するならば国際的にも許容されえないような大規模な虐殺や民族浄化を伴いかねない、と(少なくともこれまでは)思われてきたこと。

また、(2)ハマースを根絶すればより過激な、「イスラーム国家」のような過激派が伸長しかねないこと、も最近は心配されています。

米国の国防諜報局長官もアスペンで行われた会議でこの危惧を表明しています。
Destroy Hamas? Something worse would follow: Pentagon intel chief, Reuters, July 26, 2014.

イスラエルの諜報機関モサドの長官をかつて務めたエフライム・ハレヴィは、イスラエルはハマースと仲介者を通じて間接的に対話する方法を確立しているので、ハマースと敵対しながらも交渉相手としてやっていった方が良いと言っています。
“Hamas ‘not the worst option’ says former Mossad head,” Haaretz, July 15, 2014.

現役のイスラエル軍高官の間にも、ハマースがいなくなればソマリアのような無法地帯になると危惧する声があると言います。
“Israel is in no rush to crush Hamas government,” Haaretz, July 17, 2014.

こういった認識は、表面的な大衆政治の文脈でのナショナリスト的な煽りの発言はともかく、イスラエルの軍や諜報機関の主流でと考えられます。

このようなエリートの間のこれまでの認識を前提とすれば、ガザ紛争は近くイスラエルが目的をほぼ達成したところで鎮静化し、数年後にまた再燃するということの繰り返しになりそうです。

しかしこれらの「常識」がもし通用しなくなるほどイスラエルの政策当局者の認識や、世論が変わっているのであれば、今後の展開も変わってくるかもしれない。

観測気球あるいは国際社会(特に米国)へのブラフかもしれませんが、ニューヨーク・タイムズ紙の論説欄に強硬論が掲載されています。

Amos Yadlin, “To Save Gaza, Destroy Hamas,” The New York Times, July 25, 2014.

著者のアモス・ヤドリンは著名なイスラエルの元軍人で、空軍パイロット出身で軍諜報局長官を務め、現在は国家安全保障研究所の所長。

このように書いています。
it is time to revisit some basic assumptions about Hamas. Until now, Israel assumed Hamas was the “devil we know,” capable of attacks that were mostly a nuisance; accepting its rule over the Gaza Strip was preferable to risking a vacuum of governance like what we see in Somalia and Libya.
(要約)これまでは「よく知っている敵」としてハマースを容認してきた。ソマリアやリビアのような権力の空白やガバナンスの崩壊が起きるよりはハマースの統治の方がましだと考えてきたのだ。しかしこの認識を改める時が来た。

その根拠として

(1)ハマースはまともに統治してないじゃないか。
(2)ハマースはもっと危険になったじゃないか。

と論じ、ハマースを取り除くには次のような手順でいくといい、と議論していく。

(1)ハマースの政治局をもっと追いつめる。
(2)ハマースを武装解除する。
(3)ファタハにガザを統治させる。

ここではハマースの勢力を一掃しなければならない理由をハマースが「危険だから」としていますが、書かれていない背景として、そもそも「掃討しようと思えばできる」という認識があるからこそ、今これを論じているのではないかと思います。

でも本当にハマースを掃討できるのでしょうか。またその後に都合よくファタハを据え付けることができるのでしょうか。

こういった議論自体が、「掛け金を釣り上げ」た上でどこかの時点で停戦に踏み切ることで「抑制」を売り込むための情報戦かもしれませんが、実際にハマースを排除する作戦を行わないという保証はありません。その場合、中長期的にはより統制が難しい主体がガザからシナイ半島に拠点を築くという結果になるかもしれません。

イスラエルが明日以降に地上軍による作戦を激化させハマースそのものの解体に向かうか、あるいはこれまでのようなロケット弾発射装置の解体や地下トンネルの破壊を主眼とした限定的な任務遂行で侵攻を終えるかは、中長期的なイスラエル・パレスチナ情勢を左右する分かれ目になるかもしれません。

ガザ紛争をめぐる中東国際政治

中東の激動は一層加速していて、個人で全部情報をまとめるのは不可能になっていますが、同時に、各地の動きが相互に連動しているので、多人数で複数の国・地域の動きを別々に調べてホチキスで止めても用をなさない状況です。やはり全体像を俯瞰しようとする絶え間ない個人の思考が必要です。このブログではそれを目指していきます。

ガザの紛争については、メディアの注目が集まりますが、基本は、これまでの繰り返しです。パレスチナ問題自体がかなり限定され、ルーチン化された中東の中でも周辺的な紛争になりかけているので、「これをきっかけに(国家間の)中東戦争に」ということはまずありえません。

そのような中東規模の動乱につながりかねないのはむしろイラクやシリアの問題です。中央政府の領域支配の弛緩と、「イスラーム国家」など宗教的イデオロギーに基づく勢力が周辺領域への実効支配を進めるという新たな事象が生じているからです。

また、米国がトリポリの米大使館から要員を全員国外に退避させたリビアの情勢の方が本当は気になります。これについては過去3か月ほどの動きをそのうちにまとめたいものです。時間がないので結局事態が大きく動いてしまってからになるかもしれませんが・・・

もちろん、ガザの紛争は、ヨルダン川西岸および東エルサレムでの大規模な抗議行動につながって、2000年のインティファーダのような騒乱状態になりかねないという意味では、より広域化・深刻化する恐れがあります。

7月26日、ガザ紛争では、朝8時から12時間の「攻撃一時停止(pause)」がかろうじて成立しているようです。米国のケリー国務長官が提示した停戦案はイスラエルが拒否。ハマースも封鎖解除がない限り停戦はしないといういつもの姿勢を示しています。

その後、ケリー国務長官は「停戦(ceasefire)」には及ばない「一時停止」をイスラエルとハマースに呑ませ、住民の食糧買い出しとか、病院への物資補給とか、遺体回収とか葬式とかを可能にする、ということになったようです。

現在はこの一時停止をどれだけ延長できるか、というところを直接の交渉のポイントにしているようです。

ガザ紛争の停戦仲介で中東を歴訪しているテリー国務長官は、26日にパリでガザ停戦仲介に関してトルコとカタールの外相と会議を行いました。この写真を見ると、英・仏・独・伊外相も加わっています。

ガザ紛争調停パリ会議7月26日
左から、カタールのハーリド・アティーヤ外相、トルコのハフメト・ダウトウル外相、ケリー国務長官、仏・英・独・伊各外相 (出典:Times of Israel; photo credit: AP/Charles Dharapak)

重要なのは、イスラエルとパレスチナをめぐる会議なのに、イスラエルの代表も、主要な仲介者でかつガザの国境封鎖の一端を担っているエジプトの代表も来ていないということです。

その前にはケリー長官はカイロを訪問し、エジプトやパレスチナ自治政府のアッバース大統領、イスラエルと協議していました。こちらにはハマースの代表は来ておらず、トルコ、カタールは排除されていました。

トルコとカタールは現在かなりハマースを支援しているので、パリではハマースの主張はかなり伝えられたでしょう。イスラエルが拒否したケリー長官の停戦案は若干ハマースの意見が取り入れられたものと見られています。

これは現在の中東国際政治の構図を良く示しています。

(1)米国がイスラエルに強い影響力を持ち得ていない。
(2)ケリー長官はカイロでは、エジプト、イスラエル、パレスチナ自治政府(ファタハ・ヨルダン川西岸拠点)のアッバース大統領としか協議できない。
(3)ケリー長官はパリでは、トルコ、カタールとしか協議できない。
(4)イスラエル、エジプト、パレスチナ自治政府、トルコ、カタールはいずれも米国のある種の同盟国(同盟者)であるが、それらの国が相互に対立し、あるいは米国の意に反する形で同盟しており、米国はイスラエルとハマースの仲介の前に、それらの同盟国の間を仲介している状態である。

かつてはこれらの米同盟国・同盟者がそれなりに調和して協調していたので曲がりなりにも保たれていた安定が、同盟国同士があっちこっちをむいてお互いにいがみ合ったり便宜的にくっついたりしているので、混乱しているのですね。

特に、エジプトは、トルコ、カタールと、ガザ問題をめぐって激しく競合・対立しています。どちらもアメリカにとって重要な同盟相手ですので米国としては困っているのです。「アラブ対イスラエルの対立」などというのはイデオロギー上のことだけで、実際にはイスラエルとエジプトが政府間ではぴったり同盟を組んでいる。

それなら問題が解決するかというと解決しない。

特に、エジプトがハマースにまったくつながりがないらしく、つながりを持つ気もないらしいことが分かった今は、ハマースに影響力を行使できるトルコとカタールの重要性は増しました。

エジプトはイスラエルとハマースの停戦仲介を、もっぱらイスラエル側とだけやった、という点について先日書いておきました

その後も、ハマースのカイロ代表部のムーサー・アブーマルズークは盛んに「カイロでアッバース(ファタハ)とミシュアル(ハマース)が停戦をめぐって協議する」と言っていましたが、結局をそれは行われず、アッバースはカイロではなく、カタールのドーハに出向いてミシュアルと協議しました。

アッバースはガザ紛争で表向きはイスラエルを非難して見せていますが、裏では、イスラエルにハマースを掃討してもらい、ファタハの治安部隊をイスラエルの公認でガザに導入するという案に乗っているのではないかと見られます。このあたり、ミシュアルとの会談でどういう話し合いができたのでしょうか。ハマースとの信頼関係を取り戻せたのでしょうか。

ハマースとしてはもう少し戦闘を長引かせて威信を高め、ガザの住民・領域への軍事的支配を維持して、ファタハに対して強く出たいところでしょう。

エジプトのスィースィー政権も、ムスリム同胞団をテロ組織に認定し、同胞団と関係の深いハマースと動揺に敵対しているため、仲介のチャンネルがない、あるいはむしろイスラエルにハマースを掃討してもらいたい、ということのようです。この点でエジプト・ファタハとイスラエルがある種の同盟関係にあります。

それに対して、ムスリム同胞団を支援し、シリアのアサド政権からハマースを切り離して影響下に置いたカタール(ハマースの政治局の最高指導者ハーリド・ミシュアルはかつてダマスカスにいたのが、今はカタールのドーハにいます)とトルコが、ハマースを支援して、イスラエル、エジプト、ヨルダン川西岸のファタハ・アッバースと対立しています。

米国の停戦仲介は、単にイスラエルとハマースに紛争を止めさせるということではなく(そうできればいいのですが、相互に相手を交渉相手と認めていない)、イスラエルの背後にいるエジプトのスィースィー政権やヨルダン川西岸のアッバース大統領の顔を立てつつ、ハマースに影響力を及ぼしうる(と期待される)カタールやトルコにもいい顔をする、というものになっています。

サウジアラビアはどっちについているのでしょうか?サウジはイスラエルのハマース掃討については(政府の指導者の)内心では歓迎しつつ、しかし表面的にはアラブ世論を意識して、対立していたカタールに歩み寄り、カタールの首長をリヤードに迎えるなど、中間的立場に足を移しています。

ここに出てくる当事者は、ハマース以外は全員アメリカの同盟国・同盟者なのですが、それらが相互に争っていたり思惑が違っていたりするので結局停戦や和平といった結果をもたらさないのです。

分かりやすく言えば、ガザの紛争は、イスラエル・エジプト・パレスチナ自治政府v.s.ハマース・トルコ・カタールの地域国際政治上の対立となっており、ガザの現地の紛争を解決あるいは鎮静化させるには、紛争の直接の当時者のそれぞれの背後にいる国を巻き込まないと実効性がないので、米国はそれらの複数の国を仲介する必要が出てくるのです。

「複雑怪奇」に見えるかもしれませんが、これを調停できないと、和平が実現することはない。超大国・覇権国であるアメリカの国務長官にとっては、「こんな地域は嫌だ~」といって目をつぶって逃げるわけにはいきません。

しかしいずれの国に対しても米国は決定的な影響力を及ぼす手段は持っていません。米国の仲介を嫌ってイスラエルがエジプトと緊密な関係を深めてハマース叩きを強化する、逆にエジプトと対立するトルコ・カタールはハマース支援を強める、といった米同盟国の相互に競合・対立する行動が、ガザの現地での事態のコントロールを難しくしています。

イスラエル・パレスチナの紛争は、歴史的なさまざまな経緯やイスラエルの中東地域では例外的な自由な環境から、現地から非常に詳細に情報が伝えられるため、欧米や日本ではもっぱら人道問題としてのみ報じられ、議論されます。

しかしこの問題をどう解決しようか、あるいはとにかく短期的に停戦だけでもさせるにはどうすればいいかということになると、「攻撃止めろ」と叫んでいるだけではまったく結果をもたらさないことが経験上はっきりしているので、中東地域の国際政治の移り変わるパワーバランスや、流動する複雑な連合・同盟関係の中で鎮静化させる方策を考えないといけないのです。米国の影響力の低下(少なくともその印象)は、この政治的解決の実現を一層難しくします。

就任以来、「単にイスラエルとパレスチナ(ファタハ)に強く言って交渉の席につけさせて合意に調印させればいい」と単純に考えて空回りする仲介を繰り返してきた様子のケリー国務長官も、「同盟国同士が同席してくれない」ので「カイロとパリで別々に仲介会議を行いその間を往復する」というややこしい手続きを踏むことを迫られて、やっと事態の困難さを把握したのかもしれません。

ヨーロッパの理性的・多国間主義的な外交に慣れていた国際派エスタブリッシュメントのケリー長官には理解しにくいことでしょうが、これが中東の現実なのです。

ガザの人道状況をめぐって増える報道や高まる関心が、政治的な解決の道筋への理解も深め、後押しすることにつながるといいのですが。

【地図と解説】FAAの飛行禁止・警告エリアで見るグローバルなジハード組織の広がり

昨日は24日に消息を絶ったアルジェリア航空AH5617便をめぐって、米の連邦航空局(FAA)が飛行を禁止している国の地図を紹介しました(ハアレツ紙)

ただ、ハアレツ紙の示した地図は大雑把で、例えばエジプト全体が禁止地区に塗られているなど(カイロ発着の米国航空会社の便が禁止されているとは聞いていないので)、不正確な部分があります。

(1)飛行禁止と高リスクの警告の違い
(2)国全体か、国の中の特定の地域か
(3)一定の高度以下での飛行禁止か、高高度でも飛行禁止・警告か

といった点がハアレツ紙の地図では分からないなーと思っていたら、すでにNew Republic紙が、7月17日のマレーシア航空機撃墜事件の直後にもっと詳細な地図を出してくれていました。

“MAP: Every Dangerous Place Where Airplanes Aren’t Supposed to Fly,” New Republic, July 18, 2014.

こんな地図です。

FAA_Ban_flights_New Republic - コピー

赤線(禁止)、オレンジ(警告)に色分けしてくれています。エジプトは全土ではなくシナイ半島だけ。

記事の下には、FAAの発出したNOTAMs (Notices to Airman) の文面へのリンクも貼ってくれていますので便利。飛行禁止・警告の該当地域や高度が特定できます。

イスラーム主義・ジハード主義の武装勢力が携行式や移動式のミサイル・ロケット弾などを入手し始めていることが、多くの場合に関係しています。

マリもそうですが、リビア、シナイ半島(エジプト)、シリア、イラク、アフガニスタン、イエメン、ソマリア、ケニアが、アル=カーイダ系など各種ジハード主義派が広がるエリアです。

シナイ半島については以前にもこのブログで紹介したことがあります。

エジプト軍ヘリ撃墜で「地対空ミサイル使用」の恐怖(2014年1月27日)

イランは、アメリカと国対国で敵対していることが根幹にあるのでちょっと別ですね。イラン・イラク戦争中の1988年、アメリカの軍艦がイラン国営航空機(655便)を撃墜したことがありました。今はロシアのプーチン大統領がひどく苦しい言い逃れを強いられていますが、当時のアメリカも同じような状態でした。

【地図と解説】墜落したアルジェリア航空機の不吉なルート

アルジェリア航空(スペインのSwift Airが運航する機体をチャーターしたようだが)のAH5617便が、ブルキナファソの首都ワガドゥグからアルジェリアの首都アルジェに向かう途中で墜落した模様だ。

まだ分からないことが多い。報道では機体はMD83型機とされているがBBCに対してアルジェリアの高官はエアバスA320とも語っていたようだ

天候不良で視界が悪くなったのでルート変更をしたい、と機長が連絡してきてから消息を絶った、との報道があるが、実際のところはどうなのか。

よりによってこのルートですからね・・・誰でも「武装民兵による撃墜」の可能性を疑ってしまう。

Algeria_Plane Crash_Mali
出典:BBC

ブルキナファソとアルジェリアの間のマリ上空で消息を絶ち、おそらくマリ北東部のアルジェリアとの国境地帯に墜落しているのではないかと推測される。

まるっきりアンサール・ディーンやMUJAOなどのイスラーム主義武装勢力の活動範囲ですね。ここに飛行機が飛んで行って落ちる、というのはまるでスパイ小説やハリウッド・アクション映画の設定のような分かりやすさだ。

この領域はトゥアレグ人の勢力が強い範囲。

マリ北部・北東部からアルジェリアやリビア、チャドにかけて居住するトゥアレグ人は、この一帯を含むサヘル地帯を移動して、しばしば武装集団を形成する。マリは無数の民族からなるのですが、川の付近に定住して漁ばかりしている民族とか、畑を耕している民族とか、流通や商売に強い民族とか、居住の形式や生活の仕方、生業によって民族が分かれている。「言葉」も違うんですが、同じ領域の中でそれぞれの民族が業種によって分業して棲み分けている。

トゥアレグ人はその中で、遊牧民的に移動して、国境を越えた交易を担うと共に、しばしば農耕・漁猟民の村落・都市に侵入して略奪を働く、あるいは村々を巡回して用心棒代を強請るようなことをやっている、というイメージの民族ですね。

トゥアレグ人が多くカダフィ政権に傭兵として雇われて武器を与えられていたのが、2011年のカダフィ政権の崩壊でサヘル地帯に武器を持って拡散。2012年にマリ北部でトゥアレグ人の分離主義運動が活発化したのものこの余波という面があるのではないかと思う。

2012年から13年にかけて激化したマリ北部の紛争については地図も掲げておこう。

2012と13マリ北部紛争
出典:Wikipedia

この地図だけ見ると、ブルキナファソのワガドゥグからマリのガオやテサリットの付近を飛んでいくルートというのが実に危険に感じられますね。

ただし、高度な上空を安定飛行している民間航空機を打ち落とせるようなミサイルを備えた集団はまだそう多くはない(はずです)。通常は、離着陸の前後で高度が低い段階なら撃ち落せる、という程度の肩掛け式ミサイルなどの拡散が危惧されているわけで、マリもその段階。マリで離着陸するのはけっこうリスクがあって主要な航空会社は行きたがらないが、高度な上空を飛んでいるならまだ安全だろう、と現在のところは一般に思われているのです。

なお、先週のウクライナ東部でのマレーシア航空機撃墜を受けてウクライナ上空を各航空会社が回避するようになり、また、米国のFAAが22日から24日にかけて、イスラエルとガザ紛争に関連して、テルアビブ・ベングリオン空港を発着する米国航空会社に飛行取り止めを命じていました。米FAAによる飛行禁止国は次のとおりであるとのことです。

FAA_Ban_Flights_July 2014
出典:ハアレツ

マリも入っていますね。マリの空港を離着陸する航路を禁じているのか、高度な上空を飛ぶことまで禁じているのかはここからははっきりしませんが。

マリ北部の紛争の概要を見てみましょう。

2012年初頭からマリ北部のトゥアレグ人の分離主義運動であるアザワード解放運動(MNLA)が勢力を強め、イスラーム主義の諸勢力とも一時共闘して、北部の4州(トンブクトゥ州、キダル州、ガオ州およびモプティ州の一部)から政府軍を排除した。

また、途中から、共闘していたイスラーム主義武装集団のアンサール・ディーンとMNLAが対立し、MNLAが劣勢に立たされた。さらに「イスラーム・マグリブのアル=カーイダ」から分派したMUJAO(西アフリカにおけるタウヒードとジハード運動)が台頭し、いっそうイデオロギー的に純化された集団が台頭した。

トゥアレグ系の反政府諸組織が一時支配した地域での最重要都市は、北部の中心都市ガオ。北部と行っても北部の最南端と言っていい。

最北端のキダル州のテサリットで2012年1月~3月にMNLAやアンサール・ディーンが蜂起した「テサリットの戦い」がトゥアレグ側の優勢を決定づけた。これに敗れた政府軍はガオまで後退。その間にあるトンブクトゥ(世界遺産で有名)などニジェール川沿いの主要都市を次々にトゥアレグ側が掌握。

その後主導権を握ったアンサール・ディーンやMUJAOが「異教的」な世界遺産の破壊などを繰り返し、さらに2013年1月首都バマコを制圧しようというところになって、フランスがマリへの軍事介入に踏み切った。フランス軍はアンサール・ディーンの首都攻勢を押し返し、ガオを奪還、さらに北東部に逃げて隠れたこれらの勢力を掃討していった。しかし追われればこれらの勢力は国境を越えて逃げてしまうので、問題を根本から断ってはいないだろう。

フランスは今年に入ると派遣部隊を大幅に縮小している。

今回の墜落したと見られる飛行機の航路はまさにこの紛争地域にかかっており、消息を絶ち墜落したと思しき地点は、反政府武装諸勢力の活動領域に奇しくもちょうど収まる。

これまでの報道だと事故の可能性が高いが、「もしかして反政府勢力が再活性化していて、しかも地対空ミサイルを導入していたのでは」と、この地域の問題に気を配っている人の誰もがまず想像しただろう。

もし万が一、地対空ミサイルによる撃墜、などということになったら、先週のウクライナ東部でのマレーシア航空機撃墜に続くものとなり、武装民兵による航路の安全の阻害をどうするかが国際政治の中心課題とならざるを得ないだろう。

(おまけに、マリ政府といえば、軍をいい加減にしか構成・統制していないうえに、てっとり早くウクライナ人の傭兵部隊を用いていたことも知られる。北部の分離主義勢力との戦闘でもウクライナ人傭兵を投入していたようだ。こういった話は陰謀論みたいなものになりやすいので少ない情報から軽率に判断してはいけない。しかしそういった陰謀論が今回の航空機墜落に関しても囁かれるようになることは確実だろう。しかしアフリカの紛争とか密輸とかにはウクライナがらみの話は多い。もともと東欧で最も「遅れた」国でかつ人口規模も大きく、ソ連の下請けで軍需産業が大きいので、ソ連邦崩壊後、世界に出稼ぎに散った連中が裏世界や紛争に関与する事例は、ほとんど「お約束」のように出てくる)

そして、イラク・シリアでの「イスラーム国」やその他のイスラーム主義勢力による実効支配の広がりや、ナイジェリア北部でのボコ・ハラムでの勢力伸長と合わせて、領域主権国家の弱体化・破綻国家化と周辺部での独自の国家の主張をどうするかが、いよいよ対処しなければならない問題となる。しかもそれらは多くの場合はイスラーム主義の独自の信仰と理念が関わっているので、通常の国際関係の枠組みがうまく機能しない場合が多くなる。

それにしても、今年に入ってからの二度にわたるマレーシア航空機の遭難、先日の台湾・澎湖島での墜落、そしてイスラエル・ガザでの紛争でハマースのロケット弾がテルアビブ・ベングリオン空港の近辺に着弾したことから48時間にわたって欧米各国が航空機の乗り入れを取り止めさせたことなど、グローバル化の基礎インフラである国際航空ルートの安全に不安を抱かせる事象が相次いでいる。

「武装民兵の地対空ミサイル」はグローバル社会の機能を不全に追い込みかねない要因の筆頭となりかけている。

もともとグローバル化が国家の力を相対的に弱め、非国家主体の能力と活動範囲を拡大したのだが、結局非国家主体がグローバル社会を分裂・機能不全に陥らせ、破綻国家の周辺領域が斑上に不安定領域として広がる、中世的ローカルな共同体の集合へと世界は転化してしまいかねない。

今回の墜落自体は単なる事故かもしれないが、相次ぐ航空機関連の事象は、暗く不安なグローバル社会の将来の予兆のように感じられます。

『風姿花伝』第一章「年来稽古」の条々、アラフォーの心得と「初心」について

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ものすごく遅れている論文が終わっておらず、それが何よりも気にかかって、自分自身の単著(複数)の執筆も滞る。そんな中ブログの執筆などしていたらどこ方面にも義理が立たないこととておりからの蒸し暑さも言訳に更新が途絶えていた。

しかし執筆の過程での発見やら、イラク、イラン、シリア、イスラエル・ガザやら、あと忘れられているようだが同様に重要な動きがあるリビアやイエメンなど、中東の現地の激しい変転と、それにまつわる情報や論説の奔出する勢いは止め処なく、受け入れるだけでは消化不良でよくない。

しかしそれらを包括的に集めて整理して分析などしようものなら今取り掛かっている論文やら本やらの完成は遥か先に遠ざかってしまいそうだから、やはり日々の中東情勢からは少し距離を置いておこう。

その代わりと言っては何だが、このブログを立ち上げたきっかけ、ブログのタイトルにもなっている『風姿花伝』について書いてみよう。今日はほんの一瞬だけ、世阿弥の芸論の世界に逃避してみたい。

世阿弥の『風姿花伝』は、ごく短い序章に続く第一章「年来稽古条々」で、芸事に携わる人間への訓戒ともいうべき、各人の年代ごとに肝に銘じるべき項目が手短かに列挙されている。

「七歳」から始まっていて、「この芸において、大方七歳をもて初めとす」とある。

七歳というのは数え年だとすると現在の六歳か下手をすると五歳ぐらいであってもおかしくなく、その頃に芸事の手ほどきを始めるというのは今に至るまで変わりないだろう。

このころは良いですね。

「このころの能の稽古、かならずその者しぜんといたすことに得たる風体あるべし」という。七歳の芸事の手ほどきの段階は、なるべく子供がやりたいようにやらせておくがよいという。あるがままに(レリゴーですか)自然にやっているだけでそれなりに風情がある。「ふとしいださんかかりを、うちまかせて心のままにせさすべし」であるそうな。

「さのみに、善き悪しきとは、教ふべからず」。

なぜならば、「あまりにいたく諫むれば、童は気を失いて、能ものぐさくなりたちぬれば、やがて能はとまるなり」。あんまりきつく叱ってやらせていると、子供はやる気を失ってしまい上達しなくなる。

たぶんそうでしょうね。そもそも向いている子は、という条件付きでしょうが。

「十二三より」「十七八より」と、取り立てて芸事を仕込まれたわけでもない私にとってもどことなく思い当たることがあるような条が続くが、それはまたいつか今度触れることにして、「二十四五」でいったん開花する「花」についてもまた後で考えることにして、個人的にズドーンと衝撃を受けた「三十四五」の条に飛ぼう。

世阿弥の時代は「五十有余」で老齢の域に達していたというから、今に当て嵌めるなら、幼児期はともかく、若年・壮年期については5歳から10歳ぐらい足してみるといいのだろう。そうなると「三十四五」が私の該当する段階だ。

世阿弥曰く、「このころの能、盛りの極めなり。ここにて、この条々を究めさとりて、堪能になれば、さだめて天下に許され、 名望を得べし」

この年代が芸の盛りの最高潮だというのですね。ここで芸を極めれば、世に認められ、名声を得ることも可能だという。

しかし、、、

「もし、この時分に、天下の許されも不足に、名望も思ふほどなくば、いかなる上手なりとも、いまだ真の花を究めぬしてと知るべし」

だそうです。

なぜならば、「もし究めずば、四十より能は下るべし」。

薄々感じてはいるんだがそうなんだなー。

子供のころ、叔父さんの物理学者が「数学者は40過ぎたら使い物にならない」と語っていた。当時は意味がよく分からずぼんやり聞いているだけだったが、そうか、そうだった。あの時叔父さんは何歳だったんだろう?ものすごい年上に感じたが、実際は助手から助教授になったぐらいだったんだろうか?

世阿弥は「三十四五」の条では妙に畳み掛ける。繰り返しが多い。

「さるほどに、上るは三十四五までのころ、下るは四十以来なり」。

もうさっき聞いたよもういいよわかったよ~

でもやめてくれない。

「かへすがへす、このころ天下の許されを得ずば、能を究めたるとは思ふべからず」。

この時期に世に認められていなければ、もうそれ以降に芸を極められるとは思うなよ。だそうです。

だから、
「ここにてなほつつしむべし。このころは、過ぎし方をもおぼえ、また、行く先のてだてをもおぼゆる時分なり」

もう一度心を引き締め直せ。この年頃になれば、芸のこなし方・身の処し方、先行きの方針などもわかってきているはずだ。そうはいかないんだなー。

そこでまたもう一度。
「このころ究めずば、こののち天下の許されを得んこと、かへすがへすかたかるべし。」

もうわかりましたよ許してー。

でもね、世阿弥がこれを書いていたのはだいたい1400年頃で、おそらく30代後半から40歳ぐらい。

彼自身が、この年頃で成果を出さねば、もう終わってしまうぞ。その先は下り坂だぞ。と自分自身に言い聞かせていたんじゃないかな。観念していながら、少し焦りもあったかもしれない。

あるいは、いい年しながら一向に芸が上達しない、芸に精進しない先輩たちを見て苛立っていたのかもしれない、ああなってはいけない、なんて思っていたのかもしれない。

あれ、『風姿花伝』の第一章はこれに続いて「四十四五」「五十有余」までありますけど、それは世阿弥はどうして書けたの?知ったかぶり?

たぶんこれは、お父さんの観阿弥の姿を見て書いたのではないか。そもそもこういった年代ごとの稽古の指針そのものが、観阿弥から日頃教えられていたことを咀嚼して書いたものなんじゃないかな。

大学受験の頃に世阿弥の『風姿花伝』を読んだとき、あたかも芸を極めきった名人、年齢的にも白髭の長老のような人が書いたのだと思い込んでいたのだけれども、今読み直してみると、教えられたもの、受け継いだものをようやく受け止められるようになりながら、すでに下り坂が忍び寄ってきていることに怯え、早く自らの芸の形を示さなければならないと焦燥感に駆られる、そんな大変な時期に書かれていたものだと分かる。決して悟りの境地に達してから書いたものではないだろう。

そうしてみると、「二十四五」を振り返って語る条が切ない。

「このころ、一期の芸能のさだまる初めなり。さるほどに、稽古のさかひなり」
この頃に芸が定まり始める。稽古にも熱が入る。

「声もすでになほり、体もさだまる時分」であるから、「この道に二つの果報あり」。それは「声と身形」すなわち張りのある声と身体。

この時期は盛りの時期で、人目にも立つだろう。「よそめにも、すは上手いで来たりとて、人も目に立つるなり」

そうなると「もと名人などなれども、当座の花にめづらしくして、立会勝負にも、一旦勝つときは、人も思ひあげ、主も上手と思ひ初む るなり」
名人に勝負して勢いで勝ってしまうこともあるかもしれない。そうしたら世の人々は褒め称えるだろうし、本人も自分は芸達者だと思うようになるだろう。

「これ、かへすがへす主のため仇なり」
しかしこれが本人のためにならない。

なぜならば、これは「真の花にはあらず」

それは「時分の花」なのである。

「時分の花」とは、「年の盛りと、みる人の、一旦の心の珍しき花なり」

「たとひ、人もほめ、名人などに勝つとも、これは、一旦めづらしき花なりと思ひさとりて、いよいよものまねをも直ぐにしさだめ、名を得たらん人に、ことこまかに問ひて、稽古をいやましにすべし」

「時分の花を、真の花と知る心が、真実の花に、なほ遠ざかる心なり」

世阿弥の、自分自身の経験に照らした、悔恨を込めた後世への戒めでしょうか。

しかし若い時の「時分の花」が儚く底の浅いものだから駄目なのかというとそうでもない。ここで世阿弥は「時分の花」を「初心」とも言いかえている。

あれ、世阿弥は「初心忘るべからず」とも言っているのではなかっただろうか。その場合の初心とここでの初心の関係はどうなのだろうか?

「初心忘るべからず」は世阿弥が老境に達してから著した『花鏡』の中に出てくる。ここにおいて「初心」は『風姿花伝』の頃とは意味合いが異なってきていて、もっと複雑で多様なものになっている。

「初心」とはもちろん最初は若い時に発見して体得するものだけれども、『花鏡』では、どの年代にでもそれぞれに新しい「初心」を得ることができる、ということになっている。若くなければできない芸はそれはそれでかけがえがない。しかし円熟期にも、そして老境に入ってもなお、人は日々心新たに「初心」を発見することができるのだ。失われたものを嘆くことはない。今得ているものもやがては失ってしまうことも恐れることはない。その時々に「初心」はあり、精進次第でそれを発見できるのだ。

私には『花鏡』の境地を今から窺い知ることは到底できないが、少なくとも『風姿花伝』の時点では、世阿弥は失われた「時分の花」を振り返らず、真の達成を求め、やがて訪れる下り坂を予期して身を引き締めていたのだろうと想像する。そしてその後の世阿弥に、『風姿花伝』を著した時点では予想もつかなかった、「初心」を新たにする機会が幾度も訪れたことを、嬉しく思う。

先端研のかき氷

そういえばそろそろ今学期の授業も終わり、という話をちらほら聞くけれども、大学とはいえ附置研究所には夏休みも冬休みもありません。邁進するのみ。

駒場Ⅱ(リサーチキャンパス)は大学というよりは企業のR&Dセンターのような雰囲気があります。常にクレーン車が何かを持ち上げたり下したりしている。

その中で少し一息つけるのが、伝統的な趣を残す正面時計台の建物とその裏の中庭。

昼時に日替わりで屋台が来ます。この写真は昨日かな。パエリア、豚丼、珈琲店のかき氷でした。暑いねえ。

先端研の夏

【寄稿】ガザ紛争激化の背景、一方的停戦の怪、来るなと言われたケリー等々

本日の未明に、『フォーサイト』にイラン核開発交渉と、ガザ紛争の背景と構図についての論稿が掲載されました。

池内恵「イラン核開発交渉は延長の見通し、ガザ紛争は置き去りに」『フォーサイト』2014年7月16日

ほとんど時差のないリアルタイムの情報に基づく考察です。

歴史系・思想理論系の論文で机に向かい続けていると、つい息抜きに現状分析の情報整理をしたくなるものですから、寄稿の頻度が上がっています。実際に中東現地の動き、中東をめぐる国際政治の動きが非常に速いですので、きちんと記録しておかないと、気づいたら昔が思い出せないほど変わっていたということになりかねません。

イラン核問題交渉の展開については、前日の下記の論稿からの続き物としてお読みください。

池内恵「期限切れ目前のイラン核開発交渉─ロスタイムに劇的に決まるか、延長戦か」『フォーサイト』2014年7月15日

いずれも有料なので購読していない人には申し訳ないのですが・・・考え物ですね。有料にしておくと、専門家や官僚やメディア関係者の間には購読者が多いので、実際に必要とする人に絞り込んで情報を拡散できるのですが、問題はそんなもの読まずに、お金かけずに情報を求めるメディア関係者も多いこと。「記者クラブ」みたいなところで情報が一元管理されていてメディア企業の人には無料で一方的に教えてくれる、ということに慣れているメディア関係者が多すぎるのです。

中東関係だと、いくつかそういう窓口みたいなのがあって、タダで愛想よく教えてくれる(裏ではぶつくさ、いやすごい悪態ついていたりしますが)、出向いてくれる、電話を受けてくれる便利な「専門家」の話が、かなり無茶なものでもメディアに出回って、「真実」ということになってしまう。

ですのである程度無料で標準的な知見を出しておかないと、日本での議論がすごい変なところに行ってしまう。しかし重要なものをどんどん無料にしていたら購読する人はいなくなる。

一定のタイムラグで無料公開する、といった手段を当分とるしかないのかな・・・

それより前には、頑張って英語で読むなら、私の論稿を読まなくても同様の解説が読めるよ、ということで新聞記事等を紹介しておくといいかもしれない。このブログでこれまでもやってきたことなのですが。

今回の寄稿では、イラン核開発交渉に関しては、最低限踏まえるべき二つの記事にリンクを張っておいた。

一つは15日にウィーンを発って、カイロに向かわずワシントンでオバマと協議すると述べたケリーの記者会見の発言。通信社新聞各紙解説していますが、原文そのものに当たるのがいいでしょう。

もう一つはイランの交渉担当者のザリーフ外相がウィーンで14日にインタビューに応え、15日朝のニューヨーク・タイムズ紙一面に載った「妥協案」についての記事(David E. Sanger, Iran Outlines Nuclear Deal; Accepts Limit, The New York Times, July 14, 2014)。こちらは有料だが月に何本か無料で読めるはず。また、大学などに属していれば、大学内から新聞記事データベースにアクセスできることが多いはずだ。ニューヨーク・タイムズはそこから読めるはずだ。ウォールストリート・ジャーナルなどはデータベースで読めない場合もあるが。

オバマ大統領との協議がどのようになるかというと、おそらく交渉打ち切り・制裁再強化を主張する議会関係者に対して一定の進展があったと示して延長に同意させるということなのだろう。双方に妥協する意思は大いにあるが、7月20日までには無理、といった調子のコメントが米側からイラン側からも漏れてくる。

さて、今回はガザ紛争についても合わせてまとめておいた。こちらのテーマについては本文中にリンクはあまり貼っていないので、例えば下記のテーマについて、これから挙げる記事でも読んでみると良いだろう。

①今回の衝突の発端となったヨルダン川西岸のユダヤ人入植地での3人の少年の誘拐・殺害事件について、イスラエルのイスラエルの国内治安局シン・ベトが犯人としてカワースメ族の二人の名を挙げ、彼らがハマースのメンバーだと断定してハマースに責を帰している。しかし実際にこの二人がハマースの一部なのか、ハマースが組織として少年3人の殺害を行ったと言えるのかというと、イスラエル側の説明はあまり説得力がない。多分実態をよく反映していると思えるのが次の記事。

Shlomi Eldar, “Accused kidnappers are rogue Hamas branch,” al-Monitor, June 29, 2014.

まあハマースはパレスチナの乱暴者を集めてある意味で「更生」させて「正しい目的」(=イスラエルの破壊)のために戦えと教えて戦闘員を集めて台頭してきたわけで、こういういわくつきの一族であっても、彼らがイスラエルと紛争を起こせば彼らを擁護しないといけなくなる。

ただ、実効支配していないヨルダン川西岸の、組織の最末端になると実際に統制しているわけではないので、「関係ない」「知らない」というのは多分嘘ではなく、発端の事件に関しては本当に知らないのだろう。

しかしイスラエルがカワースメ部族を追及すれば、ハマースは彼らの側について見せないといけなくなる。ハマースは結局「用心棒の親玉」であって、「ふがいなくなったファタハと違って、誰かがイスラエルにやられたらやり返しに行ってくれる」というところで支持を集めてきたのだから、イスラエルが「ハマースの責任だ」と宣言した場合には「違います、無実です」と言うのではなく「受けて立つ」という姿勢を見せないといけない。まあそれを止めない限り和平の当事者にはなれないわけだが。

そうなるとイスラエルは「やはりハマースがやったか」ということになって、いろいろな歩み寄りの試みも全部帳消しにして掃討作戦をやるので、結局相互にエスカレートする。

もちろんカワースメ族の中には穏健派もいればハマースに正式に加わって活動してきた者もいる。しかし、手の付けられない過激派の一派がカワースメ族から現れて、それが起こした犯行がハマースの責に帰され、それによって歴代のハマース幹部がイスラエルによって報復として殺害されてきた。今回も「いつもと同じストーリー」なのである。

②疑われているのは、ネタニヤフ政権が、当初から犯人が刹那的な誘拐・殺人を行ったことを知っていながら、この事実を伏せ、ハマースが組織的に人質略取を行って政治的要求を突き付けてくるかのように印象づけてヨルダン川西岸で大規模な捜索・検挙を行ったのではないか、という点だ。

6月15日の報道ではすでに警察への通報電話があったことが知られていたが、報道管制もあり、電話の内容が詳細に知られていなかった。
Ben Hartman, “One of abducted Israeli teens called police: ‘We’ve been kidnapped’,” Jerusalem Post, June 15, 2014.

ところが、電話の録音が存在することが分かり公開されると、なんと電話をかけている間にも銃撃音と犯人の叫び声が聞こえる。警察は少年たちが殺されていたことを最初から知っていたが、ネタニヤフ政権が情報を押さえてヨルダン川西岸の大量検挙を進めたのではないか、という疑惑が浮かんだ。

Ben Hartman, “LISTEN: Recording of kidnapped teen’s distress call to police released,” Jerusalem Post, July 1, 2014.

この点に関して、ニューヨークのユダヤ系新聞『フォワード』のコラムニストのゴールドバーグ氏の考察が興味深い。

J.J. Goldberg, “How the Gaza War Started — and How It Can End,” Forward, July 10, 2014

イスラエルでは進行中の軍事作戦や治安出動について報道禁止措置を取ることがあり、イスラエルの新聞・雑誌は知っていても書きにくくなる。しかしイスラエル人はアメリカのメディアやジャーナリストと密接につながりがあるので、欧米の主要紙の知り合いに書かせてそこから「引用」する形で報じることになる。『フォワード』は、ニューヨークの下町のデリとかに行くとおいてあるような新聞だが、やはり関心が高く関係が深いので中東に関する議論の質は高い。よそが書いていないというのを見極めてここで書いたりするのだろう。ときどきすごくいい知見・視点が載っている。また、『フォワード』の場合、書き手によっては「(イスラエルではなく)アメリカこそ約束の地だ」とするタイプのユダヤ人知識人の書き手が多いので、イスラエルに対しても独特の見方をする。

この記事などを読むと、ネタニヤフ政権は少年3人の誘拐・殺害が計画的・組織的なものではないことを知りながら、これを機会にヨルダン川西岸のハマース構成員の大規模検挙に走り、また、ファタハとハマースの挙国一致政権を葬ろうとしたのではないか、という疑念が深まる。

検挙されたヨルダン川西岸のハマースの幹部の一部は、イスラエル兵ギラード・シャリートを人質に取って交換で釈放させたパレスチナ側の1000人超の囚人。要するに機会があれば取り戻そうと作戦を練っていて、今回の事件を口実に拘束して、帰さない、とハマース側が硬化するのは想像できる。

それにしても1:1000の比率での囚人・捕虜交換というのもすごいね。これがレバノンのヒズブッラーとの間だと、交換で帰ってきたイスラエル兵の「捕虜」は、「死体」の形で渡されたりする。殺害してしまってから保存しておいて、生きているかどうかわからないようにして捕虜交換の交渉するんですね・・・イスラエル側も多分死んでいると予想しながら交換に応じたりする。放ってもまた捕まえればいいと思っているのか。なんというかbizzareな光景がたまにあるのが中東。たまにじゃないか。

③さて、次がエスカレーションの段階。ヨルダン川西岸でハマース構成員がどんどん逮捕されていくのを見て、ハマース政治部門や軍事部門は地下に潜った。犯行グループの実態やイスラエルの意図をどれだけ把握していたか知らないが、とにかく危機を感じたら身を潜めて攻撃に対処するのがデフォールトなのだろう。するといつものことなのだが、ハマースの統制が緩んだと感じて、イスラーム・ジハード団など小規模の過激派がロケット弾をイスラエルに打ち込んで存在をアピール→これもいつものことだが、イスラエルはイスラーム・ジハード団であれ何であれ、ハマースの支配領域から撃たれたロケット弾は全てハマースの責任とみなして、ハマースの人員・施設を爆撃する→ハマースは当然反撃するという形でエスカレーションが進んだ。この辺りまで、上記の『フォワード』の記事はカバーしている。ユダヤ人向けの文章だから基礎的なところはすっ飛ばしているし、皮肉や諦めや嘆きなどが文章の中に盛り込まれているので読みにくいかもしれないが。何となくイディッシュっぽい文体です。饒舌な口語体。

④エジプトは14日夜に突如「停戦案」を出したが、これが一方的過ぎて仲介になっていない。双方が翌15日朝9時から軍事行動を停止する、としつつハマースが要求するガザ封鎖の緩和の期日はあいまいで、イスラエルがヨルダン川西岸で拘束した囚人の解放にも触れていない。現在のエジプトの政権のイスラエル寄りの姿勢は著しく、ムバーラク政権の時とも違う。もちろん2012年11月の停戦の際のムルスィー政権とも全く違う。

ムスリム同胞団を「テロ組織」に指定して全面闘争を繰り広げるスィースィー政権は、ハマースを目の敵にしている。ムバーラク政権も保っていたハマースとのパイプが、スィースィー政権できわめて細くなっているのは間違いない。カイロに「籠の鳥」にしているムーサー・アブーマルズーク氏だけが「停戦交渉をしている、ハマースはそろそろ受け入れる」という情報を出し続けているのだが、たぶんエジプト政府に言わされているだけで、ハマース首脳にもエジプト政府に対しても影響力・発言力がないんだろうな、というのが透けて見える。

「エジプト政府はハマースとまともに連絡を取っていない、取れていないのではないか」「イスラエルとエジプトがアメリカを疎外して反ハマースで団結している」ということを、今日の朝3時ごろの私の記事では書いておいたが、イスラエルのリベラル紙『ハアレツ』が日本時間午前8時頃(現地2時台)にウェブにアップした記事では、この点を詳細に書いてくれている。ハアレツは契約をしないとまったく記事を読めないので、一部抜粋しておこう。

Barak Ravid and Jack Khour, "Behind the scenes of the short-lived cease-fire, While the Egyptians hammered out a deal with Netanyahu, Hamas and most of the Israeli cabinet were kept out of the loop, Haaretz, Jul. 16, 2014.

エジプトが14日夜に突如発表した停戦案の策定過程からは、ハマースも、ネタニヤフ政権の外相も外され、そしてアメリカのケリー国務長官も避けられていた、という。

「アメリカの仲介はいらない」というのはもしかすると筋の通った立場かもしれないが、紛争の片方の当事者を除いて議論していては、停戦とは呼べないだろう。むしろ「対ハマースの連合協議」と言った方がいい。

14日夜のエジプトの停戦案を閣僚たちはテレビ・ラジオを通じて知って茫然。

The Egyptian cease-fire proposal that was published Monday night took most members of the diplomatic-security cabinet by complete surprise. Economy Minister Naftali Bennett heard about it in a television studio moments before going on air. Foreign Minister Avigdor Lieberman heard about it on the radio.

特に、ネタニヤフと仲たがいして、与党リクードから会派離脱しつつ連立は維持しているリーバーマン外相は全く蚊帳の外だったという。

A senior Israeli official said Lieberman knew that talks were being held with the Egyptians, but had no idea a proposal was being finalized. Upon hearing the news, he realized that Prime Minister Benjamin Netanyahu and Defense Minister Moshe Ya’alon, who were running the talks, had left him out of the loop.

エジプトによる仲介は14日以前には全く進んでいなかったという。それが動き出したきっかけは米国のケリー国務長官が14日昼からひっきりなしに当事者たちに電話をかけ始めてからだという。ケリーがウィーンでイランと交渉しながら、次の訪問先のカイロで仲介提案をまとめようと頑張ったわけですね。しかしエジプトとイスラエルの反応が面白い。

Senior Israeli officials said that in every phone call that day, Kerry offered to fly immediately to Cairo, and perhaps even Jerusalem, to try to advance a cease-fire. But Egyptians and Israelis both politely rejected that offer, telling Kerry they are already in direct contact and didn’t need American mediation.

ケリーが「停戦仲介するよ、すぐにもカイロに駆けつけるよ、エルサレムに行ってもいい」と伝えたところ、エジプトもイスラエルも「やめてくれ」と言ったというのです。それぞれに理由があって、

Cairo objected to Kerry coming because it wanted to show that President Abdel-Fattah al-Sissi’s new government was capable of playing Egypt’s traditional diplomatic role with regard to Gaza without outside help. Jerusalem objected because it thought Kerry’s arrival would be interpreted as American pressure on Israel, and thus as an achievement for Hamas.

クーデタ以来反米民族主義で気勢を上げているエジプトのスィースィー政権は、「アメリカの助けを借りずに中東の大国としての指導力を示した」と誇りたい。イスラエル・ネタニヤフ政権は、米国から圧力がかかっている、と見られることはイスラエルの立場が悪くなっていると見られることを意味するので、ハマースを利するから嫌だ、といった話ですね。

ケリーさんはウィーンでの交渉の次にはカイロに行く、と予定されていながら結局ワシントンに戻りましたが、それはイラン核開発交渉をめぐってオバマ大統領と協議するからだけでなく、なんとイスラエルとエジプトから「来るな」と言われてしまったからなんですね。

でもケリーが圧力をかけたから結果的に停戦案の提案が早まった、とハアレツは皮肉な見方を示している。14日夜に急いで生煮えの停戦案を発表してしまったのは、ケリーがまだウィーンにいる間に出してしまいたかったからなんですね。

Ironically, however, Kerry’s pressure to fly in pushed Egypt and Israel to accelerate their own efforts to craft a cease-fire proposal.

このような手順はもともとアッバースが言い出したのだという。

A senior Israeli official said the Egyptian proposal essentially adopted the ideas raised by Abbas several days earlier. Abbas had suggested that the Egyptians first declare an end to hostilities by both sides, and then begin detailed negotiations over various issues related to Gaza, such as easing restrictions on its border crossings with both Egypt and Israel.

とにかくエジプトが停戦を宣言してしまって、その後でガザの封鎖緩和とかについて細部を話し合えばいいじゃないか、というのはアッバースから言うとハマースに主導権を握られないために好都合な手順だ。「ガザのためにアッバースが交渉をする」という形にしたいんですね。

ただ、これだと最初から最後までハマースは交渉の当事者ではないので、そもそも停戦が成り立たない。アッバースとファタハはガザを実効支配していないしハマースを統制していないのだから、いくら停戦を宣言しても意味がない。

エジプトはイスラエルに対して、ハマースを説得するよと言っていたが、実際にはハマースの政治部門にさえほとんど情報を伝えず、軍事部門にはコンタクトを取りさえしなかったという。

When a member of the Israeli team asked whether Hamas would agree to the terms of the initiative, the Egyptians tried to reassure him, saying that if Israel agreed, Hamas would have no choice but to do the same.

In reality, the opposite occurred. The Egyptians gave Hamas’ political leadership minimal information and didn’t communicate with members of its military wing at all. The internal disputes between these two wings further contributed to the confusion, and to Hamas’ feeling that Egypt was pulling a fast one.

まあエジプト政府自身がハマースを掃討作戦の対象と考えているわけだからな・・・

停戦案に大賛成なのがネタニヤフ首相とヤアロン国防相で、残りの閣僚は、とにかくエジプトが言ってるんだから受け入れるしかないんだよ、と言われて一瞬納得して賛成したので15日早朝のイスラエル政府による「停戦受け入れ」となったのだが、そもそも相手側が交渉に参加していない停戦案を受け入れても停戦は実現しない。

But a few hours later, we discovered we’d made a cease-fire agreement with ourselves.

「数時間後には、我々が我々自身と停戦合意しただけだったと気づいたのでした」というイスラエル政府高官の談でありました。

禅問答で、一つの手で拍手をしてみよ、といった命題があったと思うけれど、この停戦案はまさにそれ。手一つでは殴ることはできるけど・・・

【寄稿】ウィーンで会議は踊ってるのか

夜中に短時間でイラン核開発問題をめぐるウィーンでの交渉についてまとめておきました。

池内恵「期限切れ目前のイラン核開発交渉─ロスタイムに劇的に決まるか、延長戦か」『フォーサイト』2014年7月15日

P5+1(国連安保理事国とドイツ)がイランと行っている核開発問題についての交渉で、7月20日が交渉終結期限とされている。7月2日から13日にかけての多国間での交渉が終わり、焦点は米・イラン二国間交渉に移っている。14日には数度にわたりケリー国務長官とイランのザリーフ外相が会談しているがまだ懸案となる課題について突破口が見えていない。

時間がないのでこの論稿にはあまり留保がつけられず、すごい大きな展開が今にもありそうに感じられる要素ばかりが書き込まれているようにも感じられるかもしれません。交渉の実態は、基本的には「膠着」「決定力に欠ける」なんだと思います。ただ、潜在的にはここで書いたような重大な政治決断がかかっている問題なので、もし交渉が妥結するとすれば、そのような大きな変化を伴うものになるはずです。

ワールドカップ決勝直後ということで、サッカーの比喩が出てしまいましたが適切だったのかは分かりません。

実際には、重大で波及が大きいからこそ(特に米側で)決断できず、ずるずると後退して「引き分け」になって「ああ本当に何も決断できないんだね」という失望感に満たされる結末に終わる可能性は高いのですが。日本人はワールドカップで幾度もこの「決定力不足」の感覚を味わっていますが、米国民や米国主導の国際秩序の中に生きてきた世界の市民の印象はどうなのか。すでに心構えはできているのか。

ケリー国務長官はこれだけにかかりっきりにはなっていられないから、行ったり来たりして飛び回る。今日カイロに行ってガザ問題でエジプトと協議してからまたとんぼ返りでウィーンに戻ってくる可能性すらあるらしい。

ウィーンでの交渉にはウィリアム・バーンズ国務副長官が現地入りして付きっ切りでやっているようだ。バーンズ副長官はイランとの交渉で秘密の部分も含めて鍵となる役割を担ってきた。中東とロシアの両方に強い大変に評判のいい職業外交官で、近く退官すると言われているので最後の仕事となる。政治任命が多いアメリカの国務省高官の中で、職業外交官として副長官まで登りつめた人は珍しいんじゃないかと思うがどうでしょう専門家に聞いてみよう。大変感じのいい中東でも評判のいい人です。

元来がこの交渉の担当はウェンディー・シャーマン国務次官(政治担当)なので、もともと国務省の最高レベルの人員を張り付けてあるのだが、そこにさらに副長官も常駐して、そして国務長官もしょっちゅう出入りして度重なる会談で粘る、とういうのだから、これで結果が出なかった、もうずっと出ないんじゃないの?という感じだ。

7月2日から協議をやっていて、20日までずるずるとやっていそうだから、今月はずっとウィーンに米国務省の中枢部そのものが移っているような状態なのではないか。

会議場はパレ・コーブルクという宮殿を改装した超高級ホテル。それは快適でしょう。ヨーロッパ古典外交の華やかな世界だ。職業外交官たちはできればここにずっと居たいんじゃないかな。
Palais Coburg

サッカーの比喩よりも「会議は踊る」系の比喩を探した方がいいかもしれない。

14日は朝から複数回にわたってケリー・ザリーフ会談が繰り広げられたのだが、その内容はほとんど漏れてこない。

ケリー国務長官は記者会見はしないというのだが、しかしもしかして何らかのステートメントが出るかと待ち構えていたところ、国務省から出てきたのがこれ↓

“Remarks at the Tri-Mission Vienna Meeting With Staff and Families,” John Kerry, Secretary of State, Vienna, Austria, July 14, 2014

「内輪ウケ」が多くてよく分からないが、つまりケリーがウィーンの米大使館・代表部のスタッフに家族まで招いてねぎらいの会を開いたんでしょうな。なんだかハイに盛り上がっているというのは伝わってくる。

大使館・代表部がウィーンには三つあって大使(上席)が三人いるということが分かります。IAEA(およびウィーン国連代表部)担当大使と、OSCE担当大使と、ウィーン米大使館の大使。

在ウィーン大使館の大使はビジネスウーマンでフィランソロピストでマラソンも自転車も水泳も得意なマッチョな女性だということが分かる。いかにもオバマ支持層・支援者層ですね。ワシントンDC生まれ、スタンフォード卒、テキサスでIT企業のエグゼクティブとして成功、その後社会慈善活動へ、はー。

確かに、長期間の重要な会議で、長官はじめ国務省幹部が多数、次から次へとやってくるのだから、普段はけっこうのんびりしているはずのウィーンの大使館・代表部は国務省本省の業務をかなり肩代わりするぐらいの大騒ぎになっているはずで、現地スタッフを含めた大使館員や、大使館員の家族を含めて大変な献身で支えているのだろうから、それをねぎらう内輪の会を開いて、そこに国務長官自身が出てきてあいさつするというのは粋な計らいと言える。

しかしねー、世界中の誰もが何らかの進展があったかどうかを聞きたい14日のタイミングで、ケリーが交渉を抜け出して大使館員とその家族向けの会をひらいて、丁寧にもその際の発言を国務省のプレスリリースで出してくるってどういう神経なのかと思ってしまう。

それとも、重要なことは双方とも本国の最高権力者に判断を投げているか、あるいは事務方トップ(国務副長官や国務次官)でぎりぎりの交渉をしているのだから、国務長官は邪魔しないように外に出ていて、冗談の一つ二つでも言ってスタッフをねぎらっていればいい、ということなのかもしれない。それこそが部下を引きつける統率術、なのかも?

あるいはまた、アメリカ側の「余裕」をイラン側に示すための計略?「大石内蔵助の昼行灯作戦」を米国務省がやっているのか?ないない。

もしかしてきちんと発言を読むと何らかの重要な政治的決断を意味する文言が埋め込まれているの?時間がないのでそこまで読み込めない。

表面的にさっと読んだ限りでは、ケリーが本当にヨーロッパが大好きなんだなということはよく分かる。周知の事実ではあるが。今回はドイツ語で現地職員に話しかけたりしている。得意なのはフランス語だけじゃないんですね。対西欧のパブリック・ディプロマシーとしては最高の舞台で最高の演出でしょう。

問題はここは対西欧外交じゃなくて対中東外交の場だということ。そもそもケリーのヨーロッパかぶれがオバマ政権の中東外交を阻害している気もするんだが、これはもう誰にも止められない。この会で自らが振り返っている育ち方を見ても、東部インテリ金持ちの中でも、特に「そういう」環境で暮らしてきてしまっているんだから。

『フォーサイト』の記事にも書いたが、交渉の焦点は直接的には「イランにどれだけウラン濃縮を許すか」になってしまっているようだが、その意味するところは結局、米がイランの地域大国としての地位を認め、ある種のパートナーとして認めるか、逆にイランがそのようなアメリカの意図を信じられるか、という点での政治決断が双方の最高指導者レベルでなされるか、ということなので、ウィーンでの会議は「踊って」いればいいのかもしれない。本当に重要なのは本国の大統領・最高指導者の頭の中での決断、ということなのであれば、現場では頑張ってゴリゴリ交渉しつつ、緊張しながらも適度に発散して盛り上がっていればいい、という雰囲気があからさまになったのがこのプレスリリースなのかもしれない(憶測です)。

しかしボールが双方の最高指導者のコートにある、彼らの最終判断に委ねられている、ということになると、イランの方も心配だが、オバマさんも、あの、“I love you”と言われて”Thank you”って言っていた人だからな・・・と不安がよぎる。

米外交政策をあまりオバマ(およびいかなる大統領についても)の個人の資質に還元してはいけないと思っているのだが、決定的な判断の時に大統領個人のスタイルが出るという可能性はある。

サッカーよりも、古典外交よりも、『ヴァニティ・フェア』のロマンス・ゴシップ記事の方が米外交により的確な比喩を与えてくれるのかもしれない。

“I love you” と”Thank you”の話は2012年に英語圏ではひそひそと話題になったと思うのだが日本ではどうだったんだろう?あの話題はゴシップ・ネタとはいえ、暴露というよりはある種誰もが薄々と感じるオバマに対する「完璧なんだけど、カッコいんだけど、なんだかちょっと違う」ビミョーな感じをあまりにも的確に描いてしまっている予言的なエピソードとして米外交に関心のある人の頭には刻印されているはずだ。この素材を掘り起こしてきた伝記作家も「肝心な政治の決断の時になって彼のこういう面が出たら・・・」と読者が思うように仕組んで文章を書いていたのだと思う。たぶん。

ここで解説してもいいんだが、これ以上書いていると確実に編集者複数からレッドカードを出されるのでやめておきます。

【寄稿】読書日記の第3回は、モノとしての本の儚さと強さ

論文が難航して大変なことに。本も書かねばならないんですが。

しかし明日は朝7時30分から会合が入ってしまった。誰だそんな時間から働きたがっているのは。

それはさておき。『週刊エコノミスト』の読書日記の連載第3回。本日発売です。

池内恵「なくなってしまうからこそ本は買われる」『週刊エコノミスト』2014年7月22日号(7月14日発売), 69頁

5号に一度回ってくるこの連載の私の番は、電子書籍版やネットには載りませんので、ご興味のある方は本屋で今週中にお買い求めください。

まさにこれは今回のテーマで、「モノ」としての本・雑誌は、なくなってしまったら手に入らない。それは不自由のように感じられるが、実はそれが大事なのだ、という点を考えてみた。どういう風に考えたかは本誌で。

第1回以来、私の番だけ連続もののように書いていて、メディア環境も出版も、本の形も、全てが急激に変わっていく中で、どのような手段でどんな本をいつどのように読むかを考え直していく、というのが共通テーマ。

もちろん電子書籍を敵視しているのではない。ウクライナ情勢、イラク情勢について電子書籍で取り寄せた本なども紹介しております。

今号の特集は「地図で学ぶ世界情勢」。

エコノミスト2014年7月22日

本ブログでも地図特集に力を入れてきました。まだ何回分も用意してあるが、時間がなくてアップできていません。競争だ。

【新企画】おじさん雑誌レビュー『中央公論』8月号特集は「生き残る大学教授」だが

この時期、月刊誌が送られてきます。研究室に来てみると『文藝春秋』と『中央公論』などが届いていました。

こういう雑誌の慣行として、寄稿していると送っていただけるようになります。私は親の代からそういう生活をしているので、執筆することもある月刊誌が定期的に届くとさっと目を通す、という生活に慣れ親しんでおります。

送られてこなかったら買って読むかというとそれは全く別の問題なので、通常の意味での正式な読者ではありませんが、雑誌の紙面が自分の「仕事場」「市場」ともいえるので、そういう目で、半ば「自分のこと」として、子細に、またシビアに見ているという意味で、通常より熱心な読者と言えます。

寄稿したことがある人は大学業界などの書き手や、あるいは政治家・経営者・官僚などの実務家を中心に、累計ではかなり多いので、送られてきている人も多いでしょう。こういった月刊誌の一定の割合の部数は「書くこともある」層に届けられており、それによって大学業界人や実務家の間での「世論」「共通認識」を形成する土台になっているのかもしれません。

(なお私の父は自宅を郵便物の宛先にしていたので、小さいころから私がそれを読んでいたわけです。そのため、団塊世代が「若造」に感じられる60年安保世代的な世代感覚が身についてしまいました。文藝春秋の読み手・書き手の中心的世代が「60年安保」世代であることは、芥川賞150回記念のアンケートで「柴田翔」に数多くの言及がなされたところから明らかでしょう)

しかしねえ、『中央公論』の表紙にもお題が掲げられたカバーストーリー(目玉特集)は「生き残る大学教授」・・・

あのねえ、対象となる読者層が限定されすぎていませんか?とさすがに言いたくなるよ。無料で送ってもらっている執筆者の人たちしか実感を持って読めないぞ、この企画?

業界関係者としては絶対に言ってしまってはいけない、、、と思いつつおそらくこれを読んだ業界関係者の多くが頭の中であるフレーズを思い浮かべていると思うのでそういう時にはつい癖というか過剰な役割意識で言ってしまうのだが「生き残れるのか中央公論」

ああ言ってしまった。

内容は、ライター的な人が書いている「覆面座談会」「大学教授の生活ぶっちゃけ話」を見ても、大学関係者が普段ぶつぶつ言っていそうなことが断片的にそのまま露出している、「まあ間違ってはいない」というような話である。世の中に出回る「大学教授」への妄想や誤解をそれなりに矯正する効果はあるかもしれないが、どれだけ公共性・公益性があるか分からない。

子供のころから親も祖父も親戚にも大学教授が多く、当然その親・親戚の友人・知人にも大学教授が多かったので、疎遠な人も含めて「ここで描かれるこの人はあの人みたいなタイプだな」と実例が思い浮かぶ場合もある。あまり当たっていないなあと思うところもある、単に私の周りの大学教授が大学教授の中でも特殊なせいかもしれないが、などと考えて読んだという意味では楽しめたが、さてこれが総合雑誌の特集として適切なのか、というと疑問だ。

大学の仕組みや大学教授と呼ばれる人たちのありがちなひどい行状から、「私だってこうも言ってしまいたくなるよ」というようなある程度共感できる内容とはいえ、それが実際に総合雑誌に今月の目玉特集として載ってしまうと、やはり「こんなこと載せる必要があるのか?」と言いたくなる。読み手としてだけでなく書き手としての立場からも。

ここで関連が気になるのが、最近の、一定の質を保っている月刊誌に多い、大学の広告。『中央公論』の今号では、「特別企画」の慶應義塾塾長のインタビュー(広告)を含めた各大学の広告が144-167頁に電話帳みたいに延々と載っている。大学にとっては、扇動・排外意識むき出しだったり、おちゃらけエロ満載だったりするあまり品の良くない媒体に広告は出したくない。逆に、雑誌を出す方から言っても、誌面の品位を落とさないで済むような世間体の良い広告主を切実に求めている。『中央公論』は、「大学広告」に関しては、広告媒体と広告主との関係の相性がいいのだろう。

だとすると「大学教授」特集は広告スポンサー向けなの?そうだとするとつじつまは合うが、いっそう公益性がなくなるんじゃないの?

まあ『中央公論』がいろいろ苦しいのは承知の上でこれを書いている。『中央公論』の存在は得難いので頑張っていってほしいと思っている。このなにやら?な特集にしてもその枠があるから、竹内洋先生のいつものもっともらしい茶化し芸(「大学教授の下流化」)や、上山隆大先生の力の入った米大学産業論も読めたわけだし、

なお、浜田東大総長のインタビューで、いつものことながらあげられるのが「インド哲学」。

「たとえば、最も現場に遠いと思われがちなインド哲学を例にとっても、仏教界、要するに寺はその「現場」である。分野にもよるが、これからの時代、教員は、そうしたそれぞれの「現場」との結びつきをさらに意識する必要があるだろう」

と語っておられますが・・・一応世間の誤解を修正しているようにも見えますが、本当に分かっているのか不安。

「大学改革=自分で金稼いで来い、産業界に役に立つものにしろ、いやそれはいかがなものか」系の議論が勃発するたびに、いい意味でも悪い意味でも「役に立たない」「金儲けできない」学問の例として「インド哲学」が挙げられる。しかし、これは最初から最後まで認識不足。

「インド哲学(正式にはインド哲学仏教学科)」は簡単に言うと「サンスクリットを読むところ」です。

なんでサンスクリットを読むかというと仏典は元々はサンスクリットで書かれているからですよね?法事でやってくるお坊さんの大部分は漢訳当て字のお経を棒読みしているだけでしょうが、格式の高い寺や、大きな宗派の総本山では研究所とかもあってサンスクリットから読める人を確保しておかないと格好つきませんよね。

ですから昔から、名のある寺は、息子を東大に通わせてサンスクリットを読めるようにさせたのです。まあ東大だと他の思想や文化や科学に触れるので素直な跡継ぎにはならなかったかもしれませんが、問題はそんな狭いものではない。

寺というのは、個々の身近なところを見れば、勉強しないし堕落しているし金儲けばっかりしているし、と見えるのかもしれませんが、総体で見ると、かなり人材を囲い込んでいて資金があって、有効にかどうかわかりませんが、それを使って大きなことをしています。

京都に行ってみなさい。東京とは全く違う経済・産業があります。新聞各紙は「寺番」記者を張り付けています。東京では霞が関の官庁回りをしますが、京都では「寺回り」をするのです。それは「文化面」だけではなく経済・政治の欄に書くべき出来事が、寺を媒介して起こっているからです。

東京にだけいると、実際には日本社会で力を持っているこの方面の経済力や政治力に気づかないので議論が変になるのです。

サンスクリットで仏典の研究を、となると、学部の2年間の専門課程程度で終わる話ではないから、中心は大学院教育になる。一般の学生から言えば、日本では学部出てすぐ就職しないといけないという強迫観念があるから「論外」の学科に見えるかもしれないが、寺の子供からいうとすぐに寺を継ぐわけではないから時間はたっぷりある。別の学科を出てから、あるいは一度ビジネス界に入ってからの学士入学・大学院進学も多くなる。

筋の良い寺の子供は、寺を継ぐ前に外国留学したりビジネス経験を積んだり、それぞれの寺とその家の家風によって固有の育ち方があり、時代に合わせて各世代が育って、それによって寺は変わってきて、経営体としても刷新されてきたんです。出来の良い子なら、自分の寺の経営体としての規模や資産は小さいころから自然に呑み込んでいるし、適度に新機軸を打ち出していかないと自分も面白くないしなにより寺として生き残れないことは分かっている。

その際に「インド哲学科」もそれなりの役割を果たしてきた。いわば大昔から産学連携を「産」主導でやってきたの。それを東大内部で管理職になるような人たちが、世間一般と同様に知らなかったのは、それはまずいでしょう。

東大の大部分の学部生にとってインド哲学は「何をやっているところか分からない」ということになるでしょうし、「就職なさそう」ということになるのでしょう。しかしそれは衆生の無知、ということに過ぎない。それは大学・学部入学までにマス教育で詰め込まれた「偏差値」(あと東大では3年進学時の「進学振り分け」)的な基準で推し量った、子供の軽率な判断にすぎません。大部分の一般学生がそのような尺度で物事を見ている、ということは、それが真実であるということを意味しません。例えば大きな寺の子、有形無形の資産を豊富に抱えて今後それをどう活用していこうかと考える寺の子は全く違う目で見ているわけです。で、後者の方がもちろん正しい。

問題は、受験にもまれて辛うじて東大の難関を突破しただけでは、その後大人になっても認識を改める機会がないこと。日本社会や経済における仏教界の力やヘゲモニーに気づく経験がないままに齢を重ねて、その中の一部がエラいさんになって、学生時代のぼんやりとした思い出から「インド哲学は儲からない、就職先がない」的な誤解を持ったままで議論しても話は進みませんよね。

もちろん、東大が、本当の意味で仏教界に関わっている良質な人材の持つエネルギーを取り込んでいくような魅力や発想を持っているか、十分に取り込んでこれたか、適切な制度を持っているかは別問題で、そこには大いに改善の余地があると思いますよ。

でも制度を整えないと人が来ない、というのも間違いじゃないかと思います。

私は学部・学科選びの時、「イスラム学科」というできたばかりの学科を発見して、これは、今後文章を書いていくのにまたとないものすごくビジネス・チャンスのある学科、と狂喜乱舞しましたが、イスラム学科がそのようなことを謳っていたわけではありませんし、制度としても実態としても、学科の先生とおんなじ分野を研究する、という発想の学生以外に対しては、何らケアはされておらず放任でした。でも東大というものすごく恵まれた条件のもとで、「モノ書きの素材とするには何があるか」という観点から、本郷の化学の先生が出張で教養学部に教えに来ていた「フリーズ・ドライの作り方」(直接役立っていないがコンビニで最新のカップラーメンを見るのが楽しい)から、現代英米政治思想(これは今も直接役立っている)まで、提供されている授業をつまみ食いした結果、「イスラム学!ここここれは使える」と確信して進学したわけです。思想でも文学でもきちんとイスラム学をやった上で発言している人は一人もいなかったから、という極めて合理的な選択です。学科そのものがなかったんですから当然ですが。小林秀雄の時代はフランス文学があらゆる意味で最先端だったんですが、当然現代はフランス文学は完全に出来上がってしまった分野でそこから新しい価値を生み出していくのは容易ではありません。それに対して出来立ての学科、これまで誰もやっていなかった分野の知見を身につければ競争力がつくのはごく自然に予想できることです。もちろんイスラム学単独では使いにくいので、思想・文学方面とつなげたり、実際に現地で起こっている紛争や政治運動や国際関係を研究対象に取り込んだり、政治学や社会学の知見を応用したり、といったことを考えて東大内のあらゆる学部学科・施設を利用しましたので、学費のモトは十二分に取りました。社会情報研究所(当時)の研修生課程なんていう、東大の学生なら授業料タダというすごいいい話ににも乗って試験受けて入ってメディア論や中東政治・メディア政治(こんなところに中東に詳しい政治学の先生がいたんです!)を勉強しつつ最長の年限(4年間)居座ってコピーセンターとして利用させていただいておりました。ありがとうございました。その後コピーの枚数が制限されたみたいなことを聞いたが関係ないかな。

お仕着せのカリキュラムではなくカスタム・メイドで自分の専門分野を構築できたことが、私にとっては東大に入ったことの最大の利点でした。東大、特に文学部はそういうカスタム・メイドの要素を残す、あるいは一層強めていくことが重要なんじゃないかと思います。私のやり方はその時のその瞬間で最適と思ったものを選び取っただけで、今現在学生の人には別の選択・組み合わせが当然あるはずです。

話を戻すと、インド哲学というのは、本来は仏教界方面に最終的な就職先が決まっている人が来ればいい、「一見さんお断り」と言ってしまっていいぐらいの左団扇な分野なわけです。国立大学だからそんなことを公言しないですし、もちろん教員は仏教関係の出身じゃなくてもなっていますけどね。(インド哲学仏教学科の今の人たちとは全くつながりがないので、あくまでも長い歴史の中での趨勢の話をしております)。

もし「国は今後インド哲学にはお金を出さないから、産業界から資金を募れ」ということになっってしまったら、一瞬にして仏教界からお金が集まるでしょう。どこの宗派が主導権を握るか、新興宗教系の教団も加われるのか、といった点で争いが勃発するかもしれませんが(怖い)、お金が集まらないということはあり得ません。(実際、宗教学科関係のプロジェクトには、新興宗教方面からすでに潤沢にお金が入ってきていますし・・・)

本当の問題は、そうやって産業界(ここでは仏教界)あるいは特定の寺に資金を出させたら客観・中立な研究はできないでしょ、ということであって、だから結局は細々とながら国が出す、ということになるしかないのは最初から分かっている話です。思想・宗教といった文学部の諸学は、「価値」という究極的にものすごいパワーを秘めたものを扱う分野ですから、スポンサーをつけるとややこしくなるのは当然です。

大学を改革せねばならん、と言う人は、まず大学を知ってほしいものです。改革の議論は、まず論者自身が大学を知るきっかけになる、という意味では結構なことです。その上でいい知恵も出るかもしれません。大学関係者にとっても、改革議論に応えていくうちに、自分たちもあまり知らなかった・重視していなかった大学の価値を再発見することにもなります。

・・・なんてことを書いていたら、今号の第二特集「中露の膨張主義──帝国主義の再来か」に触れる時間が無くなってしまった。本当はこっちの方が重要なんだけど。 このブログでもちょっと触れたように、『フォーリン・アフェアーズ』の5/6月号でのウォルター・ラッセル・ミードとジョン・アイケンベリーの論争は、現在の国際政治をどう見るか、今後どのような政策を採用していくべきか、という課題についての対照的な見方や論争の軸を提供しているが、それに呼応して敷衍したものと言える。アイケンベリー本人にもインタビューしている。 一方で「中・露・イランなど現状変更勢力・地域大国の台頭、地政学的論理の上昇」というミード的な見方が盛んになされており、そこに刺激を受け、日本の政策としては「地政学的観点からもっとロシア・プーチンに接近しろ、没落するアメリカは当てにならない」系の議論が右派を中心に民族主義系の左派からも提示される。 それに対してなおも「1945年以来の米中心のリベラル多国間主義は優勢だ」というアイケンベリーの議論が応戦していて、オバマ政権としても正面からの理論武装はこちらを踏まえている。そこからは日本は米国との同盟強化で乗り切れ、という話になって日本のメインストリームはこの路線だろう。『リベラルな秩序か帝国か アメリカと世界政治の行方』(上下巻、勁草書房、2012年)で示された枠組みですね。 このような大体の枠組みを踏まえたうえで、中西寛先生の重厚な総論、渡部恒雄・川島真・細谷雄一諸先生方による鼎談を読んでいくと、フォーリン・アフェアーズとはまた違う、日本ならではの歴史・思想や地域研究を重視した視点が得られる。日本語を読めてよかったと思える瞬間です。 こういう有益な特集をやるために、カバー・ストーリーは「生き残る大学教授」特集で広く一般読者を惹き寄せ・・・というのならいいんですが問題はそれで読者が釣れているように見えないことなんですけどねえ。私は釣られましたが、業界関係者ですから統計的な数に入りません。

 

【寄稿・ウェブで公開】『東洋経済オンライン』にイラク情勢分析が掲載

先週お伝えした、『週刊東洋経済』に寄稿したイラク情勢分析が、東洋経済オンラインに掲載されました。

池内恵「ISISがイラク侵攻、中東全体の秩序脅かす──過激派の勢力拡大で秩序の流動化が進みかねない」『週刊東洋経済』2014年7月5日号(6月30日発売)

週刊東洋経済2014年7月5日号

ヤフー!ニュースにも転載されたようです。

掲載号が紙で出てから一週間後のウェブ掲載は、頃合いの時期でしょうか。現実的にバックナンバーはほとんど売れないわけですから。紙の雑誌に載るにはだいたい1週間前に原稿を書きますので、タイムラグは2週間。

ただし現地の情勢が決定的に変わったわけではないので、ひとまずこれを基礎として考えていこうと思います。もちろん、その後重要な動きは多方面に出ているのですが、いずれも決定的ではありません。

政府と「イスラーム国家」がそれぞれ「戦果」「支配地拡大・奪還」の情報戦を繰り広げていますので、ほとんどすべての面において「不透明」で「流動的」。

しかし情報戦という意味では、物理的な陣地取り以外に、精神的な支持の引き寄せという側面が重要で、「イスラーム国家」の「カリフ制」宣言は、一定のコアな支持層には大ヒットだが、忌避する勢力、一層危機感を高める勢力を内外に際立たせるという意味では反作用(「イスラーム国家」側にとって)も大きい

今後2週間ほどの注目点は、軍事的な側面では、「イスラーム国家」とそれに呼応する勢力が「バグダード包囲」をできるか。つまりバグダードを囲む中規模都市を制圧して、シーア派が圧倒的多数を占める南部とバグダードを切り離すことができるかです。

さらにその先には、そんなにありそうもないことですが、一気にバグダードの中心部が(おそらくは内部の呼応者が一斉に蜂起して)陥落、首相府や大統領府に「イスラーム国家」の黒旗が掲げられる・・・というアラブ時代劇のような光景が出現するという事態。可能性は低いですが、何があるか分かりません。こういう場合には、アメリカは介入を迫られるか、それでも介入できなくて、決定的に中東から撤退・・・ということになりかねません。そうはならない程度にマーリキー政権を支える、というのが現在のオバマ政権の最終ラインでしょう。

イラク政府はロシアから中古のスホーイ戦闘機をロシアから買ったり、イランに湾岸戦争の時に避難させてそのままになっていた奴を取り戻したりして政府の軍事力の誇示(になるのでしょうか)を試み、同時に、遠巻きに様子を見ようとする米国への牽制に使っていますが、どれだけ効果があるのか分かりません。

爆撃するだけでは米軍ですらおさめられなかった北部・西部スンナ派地域ですから、単なる武力での鎮圧は不可能でしょう。そうなるとイラク中央政府の側で、挙国一致的な政権を作れるかどうかが注目されますが、7月1日に召集された議会は、さっそくまとまれずに散会。当分集まれないでしょう。

政治解決をする意志・主体が中央政府側になければ紛争は永続化=イラク国家の有名無実化が進行しかねません。つまりシリアと同じようになるということです。

スンナ派指導層で「イスラーム国家」と一時的に連合して政府に圧力をかけている勢力は、とりあえず「行けるところまで行く」という感じではないでしょうか。ここで引いても何もいいことはありませんので。どこかの段階で「ISを抑え込めるのはスンナ派の在地権力層の俺たちだけ」と言い出して中央政府・米国に妥協をもちかけてくるのでしょうが、それまでの間イスラーム国家には盛大に暴れてもらうということになりそうです。

「イスラーム国家」の「カリフ制」宣言には、これまで明示的に、あるいは潜在的に賛同していた勢力がイラク・シリア、およびアラブ諸国、イスラーム諸国で「忠誠の誓い」を表明していますが、それ以外の広範な支持を掘り起こすまでに入っていないと思います。しかし「イスラーム国家」が実効支配を定着させれば、またそれに対抗する各国政府の正統性と実効性が今以上に低下を極めれば、イスラーム諸国の世論もどうなるか分かりません。

スンナ派の既存の宗教勢力や在地の旧バアス党指導層など、これまで「イスラーム国家」に対して便宜的に利用して「微妙」な立場を保ってきたはカリフ制宣言に対して沈黙を保ち、イラクやアラブ各国の政府とその意を汲んだウラマーは反対を表明。「イスラーム国家」「カリフ制」を宣言したらムスリムが自動的になびくわけではない。かといって「イスラーム国家」が多数派には全く支持されていないとか荒唐無稽だともいえないのです。すべては相対的。今は相対的に彼らの威信と信頼性が以前になく上がっています。

以下に、『週刊東洋経済』に掲載の記事テキストを張り付けておきます。著者ブログのデータベース機能向上のためですので、できれば読みやすいレイアウトで『東洋経済オンライン」の方でお読みください)。

ISISがイラク侵攻、中東全体の秩序脅かす
過激派の勢力拡大で秩序の流動化が進みかねない

イラク北部と西部で「イラクとシャームのイスラーム国家(ISIS)」が支配領域を広げている。北部の中心都市モースルを陥落させた後、サダム・フセイン元大統領の故郷のティクリートや石油精製施設を抱えるバイジを支配下に収めた。シリアやヨルダンとの国境地帯も制圧し、シリアでの支配領域との一体化を進めている。

ISISの起源は、イラク戦争後の2004年にヨルダン出身のアブー・ムスアブ・ザルカーウィーがイラクで結成した、「唯一神信仰とジハード団」である。この組織がオサマ・ビン・ラーディンに忠誠を誓い「イラクのアル=カーイダ(AQI)」と改称したことから、世界各地でフランチャイズのように「アル=カーイダ」を名乗って緩やかに共鳴する諸集団の代表格となった。

■諸勢力が連合し急拡大

ザルカーウィーは、米軍に加担して権力を握ったシーア派主体の政権を宗教の敵と見なし、シーア派を「逸脱」とする扇動を行い、宗派紛争に火をつけた。このようなイスラーム教徒の社会を分断する宗派主義的な思想は、それまでのアル=カーイダの思想には希薄だった。

ザルカーウィーらはアル=カーイダの「第2世代」とも呼ばれ、20年までに各地の政権を打倒して世界規模のイスラーム国家を建設するという構想を温めていた。ザルカーウィーは06年6月に米軍の攻撃で死亡するが、AQIはほかの武装勢力と共闘して、同年10月に「イラクのイスラーム国家(ISI)」の設立を宣言したのである。

07年から翌年にかけて、ブッシュ政権は米軍の大増派(サージ)を行い、掃討作戦と政治的取り込み策を併用してAQIを地域住民や指導層から孤立させ、活動を鎮静化させた。そこで、オバマ政権は11年暮れに米軍をイラクから撤退させたが、イラクのマーリキー現政権は政治的取り込み策を継承せず、むしろスンナ派諸勢力を敵視し疎外したため、武装勢力の活発化と住民の中央政府からの離反をもたらした。

「アラブの春」で反体制抗議行動の波が及んだシリアでは、東部や北部への政府の実効支配が薄れた。その機会をとらえ、ISISは越境して拠点を形成、現在のイラクへの侵攻の足掛かりにした。13年に組織名を、現在の「イラクとシャームのイスラーム国家」に変え、イラク・シリア国境の両側で活動を活発化させた。

急速にISISが伸長した背景には、土着の部族勢力の呼応や、旧フセイン政権指導層が組織する、「ナクシュバンディーヤ教団軍」などとの連携があるとみられる。ISISを「国際テロ組織」とのみとらえることは、現段階に至っては適切ではない。組織の中核には、世界各地からジハード戦士を呼び集め、自爆テロを盛んに用いるアル=カーイダ型の集団がいることは確かだが、地元勢力の呼応や諸勢力との連合関係がなければ、ここまで短期間に勢力は拡大しないだろう。

■勢力拡大の背景

現在はいわば諸勢力が「勝ち馬に乗る」形で、ISISの勢力が拡大しているが、そのことは、後に統治の方法や戦略・戦術をめぐって連合が割れ、勢力が崩壊あるいは雲散霧消する可能性を示している。ISISが得意とする、インターネット上での動画や声明による巧みな宣伝によって、勢力が過大に見積もられている可能性もある。

ISISの支配地域は、北部と中部のスンナ派が多数派である4県、ニネヴェ、サラーフッディーン、アンバール、ディヤーラに限定されている。これらの県では、現在のイラクの体制を定めた05年10月の憲法制定国民投票で、過半数あるいは3分の2が反対票を投じた。それに対して、シーア派やクルド人が多数を占めるほかのすべての県・都では、圧倒的多数が憲法案に賛成票を投じていた。

イラクの現体制に対して、地域・宗派間で支持・不支持が鮮明に分かれており、旧体制で支配層を多く出していたスンナ派が、現体制の下では少数派として疎外されたとする不満を強めていることが、現在の対立の根幹にある。

ISISはザルカーウィーらが構想していた、バグダッドを包囲して南部のシーア派主体の地域から切り離す戦術を採用しているもようだ。シリアと同様に、中央政府の支配の及ばない範囲が領域内に成立し、首都が恒常的に脅かされる、長期的な内戦状態に陥る可能性がある。シーア派が多数を占める南部ではISISの大規模な侵攻は難しいだろうが、ナジャフやカルバラーなどシーア派の聖地でテロを行って宗派紛争を刺激する危険性がある。

オバマ米大統領は5月28日にウエストポイント陸軍士官学校で行った演説で、外交・安全保障戦略の基本的な姿勢を定義した。そこではテロを最大の脅威と認定しつつ、米国へ直接的に影響を及ぼす場合以外は、軍事行動を最小限にとどめ、同盟国の対処能力を向上させて、政治的解決を重視する原則を示した。

このいわば「オバマドクトリン」の実効性が早速試されている。6月19日に発表したイラク対策方針では、直接戦闘を行わない軍事顧問団を派遣してイラク政府軍・部隊の訓練に当たらせるとともに、イラクでの挙国一致政権の設立を要請するとしている。

■イラン覇権拡大のおそれ

オバマ大統領は公的な発言で、ISISの伸長を米国への「中・長期的」な脅威と厳密に定義している。すなわち米国にとっての「短期的・直接的」な脅威ではないという認識であり、この段階では軍事行動は極めて限定的で見えにくいものになるだろう。

しかし米国が軍事的な支援に躊躇すれば、マーリキー政権は一層イランとの同盟関係を強めていくだろう。オバマ政権の対処策は理論的には精緻に練られたものである。だが、単に米国の影響力の低下と、イランの中東地域での覇権確立を許すだけに終わるかもしれない。そうなれば、オバマ政権が外交・安全保障上の成功事例として政権の遺産にしようと力を入れているイラン核開発問題の交渉でも、大幅に不利な立場に置かれる。

米国の同盟国であるサウジアラビアやトルコは、ISISを直接支援していないが、スンナ派住民の不満には共感を示している。米国がマーリキー政権への支援を通じてイランの勢力圏拡大を容認すると受け止めれば、これを脅威と認識し、反発を強め、宗派紛争を各地で惹起する形でイランとの覇権競争を激化させていくだろう。その場合、イラク・シリア・レバノンにまたがる地帯で、中央政府からの離脱傾向や不安定化が進む。今は安定的に見えるヨルダンとサウジアラビアも、この不安定な地帯に接しており、その波及が危惧される。

イラクとシリアの国家・国境の形骸化が進めば、イラクのクルド人勢力は、最大限の版図を軍事的に確保したうえで独立に進もうとするだろう。それによって、第1次世界大戦終結時以来の、中東での国境再画定を目指す秩序の流動化が進みかねない。

(「週刊東洋経済」2014年7月5日号<6月30日発売>掲載の「核心リポート03」を転載)

【寄稿:無料になりました】金曜礼拝に「カリフ」現る─『ハフィントン・ポスト』『ブロゴス』にも転載

昨日紹介した、イラク情勢についての『フォーサイト』への寄稿が、無料公開に切り替わりました。

『フォーサイト』の宣伝の一環で、ハフィントン・ポストブロゴスにも転載されました。

それらのサイトでもいいですが、フォーサイト本誌でも読んでみてほしいですね。
池内恵「イラク・モースルに「カリフ」が姿を現す」『フォーサイト』2014年7月6日

このブログのデータベース機能を高めるため、いちおう本文を書きに張り付けておきます。参考記事へのリンクまで張るのは面倒なので、『フォーサイト』等を参照してください。

イラク・モースルに「カリフ」が姿を現す

7月4日、イラク北部モースルの大モスクの金曜礼拝に、「カリフ」が姿を現した模様だ。ISISを改め「イスラーム国家(IS)」を名乗ったアブー・バクル・バグダーディーが金曜礼拝の導師を務める様子が、土曜日になって盛んにインターネットに流されるようになった映像に映し出されている。

この映像が事実に基づくものであれば、これまで公の場に姿を見せず、数枚の写真と音声のみしか知られていなかった「イスラーム国家」の指導者が、白昼堂々と、イラク第二の都市の中心のモスクで導師を務めたことになる。イラク内務省はこのビデオの登場人物を「偽物」と主張しているが、真偽は定かではない。

■ 相次ぐ宣言・声明・登場

イラクで勢力を急拡大したISISは6月29日に「イスラーム国家」と改称し、カリフ制政体の設立を宣言していた。7月1日にはバグダーディーが音声で声明を出し、世界のムスリムに新たに設立されたイスラーム国家への移住を呼びかけた。そしてついに4日、公衆の面前に姿を現した。

バグダーディー(カリフとしては「イブラーヒーム(アブラハム)」を名乗っている)の演説の能力や、このような劇的な登場の仕方によって、少なくとも、演劇的効果は十分に発揮したと言っていいだろう。

これはイラクでの紛争の軍事的側面には直接的影響は及ぼさないにせよ、イスラーム世界全体に心理的なさざ波を引き起こすだろう。

近代の西欧キリスト教世界を起源とする領域主権・国民国家を超越したイスラーム国家の再興とカリフによる政治指導の復活は、既存の民族・国家・国民の枠の中でおおむね自足してきたムスリム諸国民の世論の底流に、現状を超越して栄光の時代に回帰する夢として生き続けてきた。1923年のオスマン帝国の終焉以来、カリフ制政体は現実的なものとしては存在したことがなく、オスマン帝国そのもののカリフ制政体としての内実も疑いを持つ者があった。その意味で、ISが主張するカリフ制政体によるイスラーム国家建国は、かなり歴史を遡らなければ確固とした現実であった時期はなく、依然として非現実的な、ヴァーチャルな性質を色濃く備えている。

しかし、現に一定の領域を実効支配するという、ターリバーン政権のアフタニスタン支配を除けば、ジハード主義的な運動にとって近年にない政治・軍事的な成果を挙げており、それが長期間持続するかどうかは定かでないにせよ、近代を通じて底流に流れていた夢想に一定の現実の形を与えたという点で、重要性は計り知れない。

■ 学識の高さは明らか

また、現実味があるかどうかよりも、インターネット上でタイミングよくこのような映像を流し、イスラーム世界の耳目を集め、カリフ制・イスラーム国家の理想への注意を喚起しえていること事態が、イラクでの個別の戦闘・政治闘争においても、より広いイスラーム世界に支配を及ぼすという彼らの長期的目標においても、重要なのだろう。

バグダーディーは演説やコーランの朗誦でも確信に満ちたイスラーム学への学識の深さを示している。敬虔な信者から尊敬されやすいタイプの人間類型であると、映像を見る限りは言える。

各国の政権や政権に近い多くの著名・有力ウラマーはいずれもバグダーディーのカリフ就任の承認を拒絶している。それは「イスラーム国家」が既存のアラブ諸国・イスラーム諸国の領域と政体を全否定していることが自明であることから、当然の反応だ。

一般のムスリム市民にしても、「イスラーム国家」の過酷な統治を歓迎する者が現状で多数を占めるとは考えにくい。

しかし各国の政権の統治が不正義とみなされている状況がある限り、またそれらの政権に追随して宗教解釈を融通無碍に切り替えるウラマーの信頼性に疑いを持つムスリム市民がいる限り、多数派ではないにしても社会の中の一定数が「イスラーム国家」に賛同・共鳴者していく可能性は十分にある。この運動が潰えても、同様の運動が各地で生じるかもしれない。

2001年の9・11事件で「超大国アメリカの中枢に打撃を与えて一矢を報いた」ことにより世界のムスリムの想像力を掻き立てたビン・ラーディン傘下のアル=カーイダを、今やISは凌ぎ、世界のジハード主義の諸集団の中で一気に主導権を握ろうとしている。

■ イラク・シリアの国内政治では逆風も

しかしそのことは、イラクやシリアでの「イスラーム国家」による領域支配の拡張や定着にとっては逆風となりうる。

イラク内部では、シーア派諸勢力にとっては、もしスンナ派のカリフ再興を掲げる運動が支配を全土に及ぼすのであれば、シーア派への徹底的な弾圧・非寛容をもたらすと予期させるものであり、徹底的な弾圧への圧力と支持がマーリキー政権の背後に集まると共に、シーア派民兵諸組織の活性化による、宗派紛争の激化を引き起こしかねない。

イスラーム国家においては価値的に「劣位」に置かれ、その支配に服従する限りは生存を維持されるという意味で「庇護」されると解釈されているキリスト教徒などの少数派に属する者たちは一層強く警戒するだろう。

欧米諸国やイスラエルの反発・警戒心も一層高まることが当然のごとく予想される。そういった欧米・イスラエルの脅威認識が高まった頃合いを見て、シリアのアサド政権やイラクのマーリキー政権、あるいはイランは一気に、大規模な人道的悲劇を引き起こしながら、一気に弾圧を行うのかもしれない。国内や欧米の恐怖心が高まるのを待って「泳がせている」段階かもしれないのである。

ISと連合・協調しているイラクのスンナ派諸勢力にも、分裂・足並みの乱れが生じるきっかけとなる可能性がある。一部は本気でISのカリフ制イスラーム国家建国の主張に賛同するかもしれないが、旧フセイン政権派などの指導・支配階層にとっては、バグダーディーをカリフと仰いでイスラーム法の支配に服すことには多大な苦痛・困難を伴うだろう。

ISがカリフ制のシンボルを多種多様に用いて行うメディア宣伝は、シーア派にとってもスンナ派にとっても、社会・共同体に分裂と動揺を誘いつつ、想像力を掻き立てていくだろう。

■ 「ラマダーン・ドラマ」の視聴率競争に参戦

興味深いのは、ISのカリフ制宣言が断食を行うラマダーン月初日に発表され、時間的な隔たりを極力おくことなく7月1日には音声声明でバグダーディーの実在が示され、さらに矢継ぎ早に7月4日の最初の金曜礼拝で劇的にバグダーディー自身が登場して見せたことだ。

ラマダーン月は日中は断食をして過ごしながら、日没後は盛大な宴席が催される。その日々を彩るのは、アラブ世界の各テレビ局が競い合う連続テレビドラマである。各局は一年かけてこのひと月のラマダーン・ドラマのための準備をしていると言っても過言ではない。ラマダーン月初日の29日はまさに各局の連続ドラマ第一回が始まる日であった。

今年はワールド・カップという視聴率競争の強敵もいる。逆に言えば有力コンテンツの競合で、人々は一層テレビの前に引きつけられている。ここに「イスラーム国家」は参入し、少なくともアラブ世界のイスラーム教徒の想像力には盛んに訴えかけることに成功している。

ラマダーン初日に「イスラーム国家」「カリフ制政体」の設立を宣言して衝撃を与え、続いて顔を隠したバグダーディーの音声声明が出て、それに対して「隠れるな、姿を見せられないのか」といった各国の有識者の賛否両論の声が出たのを受けて、予想に反して最初の金曜礼拝に鮮やかに姿を現してみせた。

ラマダーンの連続ドラマとしての「つかみ」は上々であり、早速先の読めないどんでん返しを繰り返して見せている。

設定や舞台背景、衣装の作り込みも精巧である。

金曜礼拝の演説で、バグダーディーは黒いターバンを被っていた。一般的に黒いターバンはムハンマドの子孫が被るものとされる。イスラーム法学理論では、カリフはムハンマドが属する「クライシュ族」に属すことが求められるが、バグダーディーはこのクライシュ族の血統を引いていると主張し、正統なカリフの資格要件を満たしていると主張している。黒いターバンはそれを象徴的に示したのかもしれない。

また、著名なハディースでは、ムハンマドが630年にメッカを征服した時、黒いターバンを被っていたとされる。モースルの電撃的な陥落を、預言者のメッカ征服に匹敵する世界史上の事件であると印象づける演出であるとも、ツイッター上の共鳴者たちは囃し立てる。

「カリフ・イブラーヒーム(アブラハム)」を名乗り、「アブラハム一神教」の原点に戻る「世直し」の印象を与えるなど、アラブ世界のイスラーム教徒の感情の琴線をいちいちついてくる巧みな象徴の操作である。政治運動としての現実性はともかく、少なくとも「ドラマの台本」としてはよくできている。

ラマダーン月の連続ドラマに耽溺して一瞬現実を忘れようとするアラブ世界の民衆に、あらゆる象徴を「てんこ盛り」にした現在進行形そして(視聴者がもし望むなら)双方向性を持たせた「リアル・カリフ制」の大河ドラマをぶつけてきた「イスラーム国家」は、国民国家の境界を超越しようと夢見るだけでなく、リアルとヴァーチャルの境目をも揺るがす「アル=カーイダの子供たち」の極めて現代的な運動と言えよう。

今年のラマダーン・ドラマ、イチ押しは「実写版・カリフ制イスラーム国家の再興」

休む暇もない。

7月4日にイラク・モースルの大モスク(ヌーリー・モスク:Great Mosque of al-Nuri)で行われたとみられる、ISIS改め「イスラーム国家(IS)」の指導者で「カリフ・イブラーヒーム」を名乗るようになったバグダーディーの金曜礼拝への演説(khutuba)の映像が土曜日になって盛んにインターネット上で流れるようになった。

ISIS_Baghdadi_Khalifa_khutubah18.jpg

新聞各紙も取り上げている。【BBC【アル=ジャジーラ】【アラビーヤ】【インディペンデント】【マスリー・アルヨウム=AFP電

これについて、『フォーサイト』に緊急に寄稿しました。

池内恵「イラク・モースルに「カリフ」が姿を現す」『フォーサイト』2014年7月6日

今のところ有料なので【追記:無料公開になりました】本文を張り付けてしまうわけにはいかないのですが、上に挙げたような映像に出てくることや、記事に書いてある以上のことは、事実関係は日本にいる私からは分かりようがありません。むしろそれらがどう解釈されていくのか、どのような意味を持つのかについて、いつも話しているようなことを今回も書いています。少しずつこのブログでも敷衍していきましょう。

先日から思っていて書きたかったことは、「イスラーム国家」や「カリフ制」宣言が持つ、イラク・シリアでの内戦・紛争の状況への影響とは別に、イスラーム世界全般に向けた宣伝・イメージ作戦としての側面が持つ意味。

特に、一連のカリフ制宣言が、ラマダーン月の恒例の各局の連続ドラマにぶつけてきた、「リアル・カリフ制」を主題とした現在進行形・視聴者との双方向性を持たせたドラマ、というように見えること。

断食でへとへとになったイスラーム教徒は、日没後に豪勢な食事を楽しみ、各局が一年かけて粋を凝らして作った連続ドラマに酔い痴れるのです。

ワールドカップもやっています。

いつになくアラブ諸国・イスラーム世界の人々がテレビの前にかじりついているのです。そこにネタを投入、ということですね。まだ各国の視聴率競争でどこが優勢なのかは分かりません。

「イスラーム国家」からすると、先を越されてはいけませんし、ネタを欠かせてはいけないので、矢継ぎ早に手を打ってきています。

6月29日 ISISから「イスラーム国家(IS)」への名称変更宣言、カリフ制政体の設立宣言。

7月1日 バグダーディー自身の音声による声明で「世界のムスリムはイスラーム国家に移住せよ」と煽る。

7月4日 カリフ制宣言後の最初の金曜礼拝で劇的に支配地域の「首都」の大モスクに登場。初めて公衆の目に触れる。しかも明らかに「プロ」の声色と内容で説教、朗誦。

ドラマとして見れば非常に精巧です。黒いターバンの象徴は?預言者ムハンマドがメッカを征服していた時に被っていたそうです。ジハード戦士としての偽名「アブー・バクル・バグダーディー(バグダードのアブー・バクル)」なんて、出来過ぎていてギャグっぽくなるのではないかと心配するぐらいだ。初代正統カリフがアブー・バクルですから。

バグダーディーは正式にはAbū Bakr al-Ḥussaynī al-Qurayshī al-Baghdādīと名乗っているが、この al-Qurayshīというところで、預言者ムハンマドを生んだ「クライシュ族」の末裔であると主張している。正統4代カリフの事例を規範典拠としたイスラーム法学では、クライシュ族であるという血統をカリフの条件として重視している(血統だけで決まるわけではないが、必要条件・資格要件の一つとして重視されている)。

そして現代のアブー・バクルがカリフを襲名すると今度は「イブラーヒーム(アブラハム)」を名乗るというのだから、「アブラハム一神教の原点に返れ」と言いたいのかもしれない。

識字率が上がり、インターネットも介してイスラーム教のテキストが一般にも行き渡ると、宗教的統制が効かなくなり「誰でもカリフ」を名乗れてしまう。しかもそれが既存の宗教権威の言っていることと遜色ない、という状況が背景にあると思われます。

これに加えて政治・軍事的な混乱で政府の統制が及ばない地理的空間が出現し、大規模な武装化・組織化して実効支配することが可能な空間が出現した。

つまり、上記の宗教社会的な、および政治・軍事安全保障上の条件が変わらない限り、たとえイラクのこの集団と指導者がどこかの段階で放逐されたとしても、こういった現象の根絶は困難と思われます。

震災アーカイブをイスラーム教から考える──聖伝承ハディースは「ビッグデータ」だった

今日は土曜日ですが、先端研に出てきまして午後から夜まで研究会。

東北大学の災害科学国際研究所から柴山明寛先生をお迎えして、東日本大震災のアーカイブについてお話を伺い、議論をさせていただきました。

大変刺激になる一日でした。

震災をどう記録・記憶するか。これは「ビッグデータ」に関わる問題で、文理融合で取り組むに値する課題です。

東北大・災害研ではすでに理工系から民俗学に渡る幅広い領域のデータを包括的に集積する体制を整え、「みちのく震録伝」というインターフェースで徐々に公開も始めています。

色々と縁があって、私も含め先端研の人間が昨年は東北大に視察に伺わせていただきました。その時にもご案内いただきお話を伺った柴山先生に、今回は先端研に来ていただいてお話を伺いました。

東大・先端研側では、ヴァーチャル・リアリティの先端技術応用によるアーカイブの活用についての諸提案や、気候変動科学、都市工学、あるいは行政学などの立場から、応用や共同作業の可能性、あるいは共通に抱える課題など矢継ぎ早に発言があり、大変盛り上がりました。

私のようなイスラーム思想・中東研究という一見かかわりのなさそうな分野の人間にとっても、非常に刺激的でした。震災という巨大で総合的な事象に関するビッグデータをどう収拾し、どう扱うかは、二つの意味で私の今やっている作業と重なります(研究の規模は気が遠くなるほど違いますが)。

(1)中東政治研究では、「アラブの春」という未曽有の社会・政治変動を、従来の「公文書・新聞・雑誌・書籍」といった限定された活字媒体の資料だけでなく、電子的な媒体によって精製・流布・拡散された映像、画像、言説、音楽、シンボル、通信データそのもの、といった多種多様な資料を包括して記録し、それをもとに政治分析や歴史記述を行うという作業が大きな課題です。それは、自然災害と人間社会の大変動という違いはありますが、東日本大震災の記録と記憶というテーマとどこか共通するものがあります。それは、総合的な大変動についての記録を、包括性・客観中立性を保って収集、保存しながら、さまざまな人たちの主観的真実を反映した形でどう記憶していくか、という課題です。

(2)イスラーム思想ということからも、震災アーカイブを最先端の技術的手法で構築しようとしている東北大・災害研のプロジェクトは興味深い示唆を与えてくれました。

イスラーム思想の根幹、あるいは規範的典拠となるテキストは、コーラン+ハディース。

コーランは神の言葉とされ、7世紀にアラビア半島で預言者ムハンマドに下されたものがそのまま記録された形になっています。それが信者以外にとっても客観的な事実かどうかは別にして、少なくとも信仰者にとってはそのようなものとして認識されています。そしてそれはコーランという、アラビア語なら一冊に収まる「容量」に収まっています。

イスラーム教の興味深いところは、単にコーランは神の言葉で絶対でそれを典拠に現実世界を読み解いていく、というだけでなく、コーランの規範を現実に適用する際に、それを「正しく」読んで適用するための補助的典拠としてハディース(預言者とその周囲にいた教友の言行録)という形の、こちらは膨大な数のテキストが残されていることです。

ハディースは、コーランとは異なり、全てのハディースの説話のすべての部分が「真正」なものであるとは考えられていません。それでも「全部」一度は修正して書き留めた、という形式になっています。膨大な数のムハンマドの同時代人たちがその子孫や友人・知人(とその子孫)に口承で伝え残した、ムハンマドに関する膨大な言行の記録がハディースです。

細部がちょっと違っていたらそれだけで別の話と考えて、ちょっとした異同があるだけで、中身はほとんど同じ無数のヴァリエーションも含めて、膨大な数が記録されています。

各種のハディース集とは、編纂者たちが、それぞれの関心に合わせて、膨大なハディースの全体から選んできて、整理し分類して本にしたものです。その中で最も「真正」なものと判定できるハディースばかりを集めたと評価が高いのがブハーリー(西暦810生-870没)の編纂になるもので、日本語訳の中公文庫版では全6巻になります。

「あまり真正じゃない」のではないかと言われるものも含めればその何倍・何十倍もの量のハディースがあることになります。

「あまり真正じゃない」ハディースには、内容面で荒唐無稽でムハンマドの時代や場所にはなかったであろう事象が書かれているとか、その内容を後の時代に口承で伝えた伝承経路、つまり「伝えた人(およびその伝え方)」に問題があると見なされているものなどがあります。

面白いのは、あんまり真正じゃないと衆目の一致するハディースまでなんで残したのか?ということです。疑いがあるんだったら最初から「ハディース」として認定しないで単なる伝説とでも呼んでおけばいいわけです。宗教解釈が混乱しかねないのになぜそんなものまでハディースとして広い意味で典拠テキストの中に入れておくのか。

現代の目から見ると、ハディースは「アーカイブ」です。それもビッグデータ的な。通常の宗教解釈上はどうでもよさそうな、単に一人間としてのムハンマドの行動や癖や好みとか、単に宗教団体の指導者として、あるいは教団国家の政治指導者として、周りで起こったことに迫られて判断を迫られたに過ぎないような事例や、端的になんだかよく分からない話も、多く取り入れられています。

それらは通常は全く顧みられることがないともいえます。

しかしいざ何かのきっかけで、新たに生じてきた物事に、何が正しくて何が正しくないか、この状況下ではこの人は何をするべきか、といったことをイスラーム法上考えないといけなくなると、この「よく分からないけど記録してあった」ハディースは役立つかもしれないわけです。

コーランのレベルでは一字一句変わることのない不変の規範というものを設定した上で、ハディースでは本当か嘘か分からないものまで含めて緩やかに「ムハンマドとその教友の言ったことやったこと(として伝えられていること)」というくくりで広く規範的典拠となる可能性のあるデータを記録しておき、必要に応じてアクセスして解釈し判断を下す。

イスラーム教の規範体系は、コーランという原則を定めつつ、それを具体的にどう解釈して適用するかについては、ハディースという「アーカイブ」に、その時その時の問題に応じてアクセスして参照し、結論を出すというシステムになっています。そこから、厳しさと幅の広さの両方を含んだ独特の規範体系になっていると感じられます。

アーカイブをこれから構築する場合、どのような記録・情報の集め方をすればいいのか、どのような利用の仕方(そのインターフェースの設定)をすればいいのか、という問題が生じます。東日本大震災のように、これまでにない規模の災害であるだけでなく、技術の進歩により、それを記録するデータが過去の災害の時と比べて格段に多く、データの形式も多様である、という場合、その巨大なデータをどう集めてどう記録するかという問題と、そこから何時誰が何をどのようにしてどう引っ張り出すことで「記憶」を紡ぎだすか、それをどういう制度・技術的インターフェースで実現を担保するか、という問題が、大きな課題となります。その取り組みの先進事例をご紹介いただいたのですが、しかしこれは、普遍的に世界宗教がやってきたことと形式は似てくるのではないか、と思ったのです。

イスラーム教の、コーランとハディースという、性質とデータ形式・量が異なる二種の典拠テキストを設定するシステムは、ビッグデータ時代のアーカイブ構築と利用に、何らかの示唆を与えてくれるような気がします。