「イスラーム国」の表記について

*フェイスブック(https://www.facebook.com/satoshi.ikeuchi)で日本時間2月14日14時30分頃に投稿した内容ですが、長期的に参照されるようにこちらに転載しておきます。

*「イスラーム国」「IS」「ISIL 」「ISIS 」「ダーイシュ」のそれぞれの由来と、それぞれを用いる場合の政治的意味は、『イスラーム国の衝撃』の67−69頁に詳述してあります。

NHKは「イスラーム国」を今後「IS=イスラミックステート」と呼ぶことにしたという。

 日本の事情からやむを得ないとは思いますが、言葉狩りをしてもなくなる問題ではありません。長期的には問題の所在の認識を妨げてしまうのではないかと危惧します。短期的に勘違いする人たちを予防するために仕方がないとは言えますが、しかし、低次元の解決策に落ち着いたと言わざるを得ません。

(1)「イスラーム」と呼ぶとイスラーム諸国やイスラーム教徒やイスラーム教の教義と同一であると思い込んでしまう人がいる→どれだけリテラシーがないんだ?
(2)「国」と呼ぶと実際に国だと思ってしまう人がいる→同上。

 本当は「イスラーム国」を称する集団が出てきてもそれにひるむことなく、どのような意味で「イスラーム」だと主張しているのかを見極め、「国」としてどの程度の実態があるのかを見極め、どの程度アラブ諸国の政府・市民、イスラーム世界の政府・市民に支持されているのかを見極め、日本としての対処策を決めていく、というのが、まともな市民社会がある大人の先進国ならどこでもやらなければならないことです。

 今回NHKは政府と一般視聴者の抗議に負けて、市民社会での認識を高める努力を回避しました。それは結局日本の市民社会がその程度ということです。

 私は括弧をつけた「イスラーム国」を用いつづけてきました。『イスラーム国の衝撃』でもタイトルと見出し(これは出版社が決める)以外は「 」を徹底してつけました。本人たちがそう呼んでいるのだから仕方がない。それが普遍的に「イスラーム」でも「国」でもないことは、「 」を付ければ明瞭です。「俺には明瞭ではない」という人は、実態とは異なる名称を伝える紛らわしい情報を「俺にとって心地良いから」よこせと言っているだけです。

 NHKが「イスラーム国」に共感的だから「イスラム国」と呼んできたなどという事実はまったくありません。組織の当事者たちが「イスラーム国」と呼んでおり、世界の中立性の高いメディアも英語でそれに相等する表現を用いているから、日本語でそれに相等する「イスラム国」の表記を用いてきただけでしょう。

 「イスラム国」と呼ばれていればそれがイスラムそのものでイスラム全体で国なんだろう、などと思い込む消費者の側に大部分の問題があります。「俺が勘違いしたのはNHKの責任だ」などというのももちろん単なるクレーマーの横暴な主張にすぎません。ただ、現実の日本社会の水準はそれぐらいだから、それに合わせて報道することを余儀なくされた、報道機関の敗北でしょう。

 ただし、ここで苦肉の策で、中立性を保とうという努力が認められます。要するにより徹底的にBBCに依拠したのですね。BBCはIslamic Stateとまず呼んで、その後はISと略す。NHKはまず「IS」と呼んで、カタカナで「イスラミックステート」と説明をつける。
 
 しかし元々はアラビア語の組織名なのに英語訳に準拠するのは、ぎこちないですね。まあグローバルな存在だから英語でいいという考え方も成り立ちますが、苦肉の策であることに違いはありません。

 BBCは英語だからIslamic Stateと呼んでISと略すのが当然ですが、NHKで日本語の中にここだけ英語略称のISが出てきて、組織名の英語訳であるイスラミックステートがカタカナで出てくる理由は、説明しにくい。NHKの国際放送であれば自然に聞こえますが。

 なお、政府・自民党のISILは明らかに米政府への追随です。米系メディアはISIS とすることが多い。

 アラビア語の各国のメディアは「ダーイシュ」とすることが大多数になっている。これは明確に敵対姿勢を示した用語であり、「イスラーム国」側・共鳴者は「ダーイシュ」と呼ばれると怒ります。

 グローバルなアラビア語メディアであるアル=ジャジーラは「Tanzim ”al-Dawla al-Islamiya”」と、括弧をつけて、冒頭に「組織(tanzim)」を付しています。最近は単に「Tanzim “al-Dawla”」と略すことも多くなっている。「「国家」と自称する組織」ですね。「イスラーム」であるならばそれは絶対的に正しい存在だ、と思う人がアラブ世界の大多数なので、「イスラーム」とはなるべく呼ばないようにしつつ、「ダーイシュ」という各国政府の用いる罵り言葉は使わないようにしているのですね。BBCと似ていますが、よりアラブ世界の実態に即した用語法です。

 BBCでは昨年から、Islamic Stateと略称ISで一貫している。世界標準とはその程度の水準のことを言うのです。

 最新のニュースでも、タイトルでIslamic Stateと書いています。

Islamic State: Key Iraqi town near US training base falls to jihadists

 本文の最初で、

Islamic State (IS) has captured an Iraqi town about 8km (5 miles) from an air base housing hundreds of US troops, the Pentagon says.

 と書かれている。まず「Islamic State」と書いておき、その後「IS」とする。今回NHKは、より英語そのままに(ただし略称を先に出してくる)準拠することにしたのですが、日本語としてはややこしくなりました。

 「イスラム国」という言葉を遠い日本で言葉狩りしても、組織の実態は変わらない。かえって日本側で、謎めいた「IS」という略称のみが出回って実態を理解する能力が落ちる可能性がある。長期的には日本の市民社会の水準を上げるためには役に立たない。

 ただし、日本は「救世主」を「キリスト様」にしてしまってそれが終末論的な救世主信仰であることを忘れた(知らないことにして受け入れた)国だから、同じようなことは随所に起こっているのだろう。

 NHKも最初はBBCに準拠して日本語訳して「イスラム国」としていたが、とんでもない誤解をする政治家や評論家までが出てきて、反発して消費者として抗議したりする人も増えたので、ついに英語そのもので表記することにしてしまったというわけです。

 もちろん「イスラム国と呼ばない」というのも日本社会の意思表示ではあるので、それはそれであり得る選択かとは思います。ただ、そうすることで外国の実態を見えなくなる可能性は知っておいたほうがいいでしょう。

 昔はごく一部の人しか外国の実態を見ることはなかったので、超訳をいっぱいして日本語環境の中の箱庭仮想現実を作ってきました。情報化・グローバル化でそれが不可能になったことが、現在の知的・精神的な秩序の動揺を引き起こす要因になっていると思います。苦しいですが、もう一歩賢くなって、自分の頭で考えるようになるしかないのです。

 日本で「イスラム国」と呼ばなければシリアやイラクやリビアやエジプトの「イスラーム国」を名乗る勢力の何かが変わるかというと、変わりません。日本政府やNHKや日本企業などが「イスラーム国」を作り出してそう呼んでいたのであれば、日本で呼び方を変えれば何かが変わるでしょうが、今回はそういう事態とは全く違います。

 日本政府やNHKに抗議して呼び方を変えさせるよりも、「イスラーム国」そのものに抗議して名前を変えるか行動を改めるかさせるのが、正当な交渉の方向でしょう。また、「イスラーム国」の活動を十分阻止しておらず、黙認していると見られる周辺諸国の政府に抗議して政策を変えさせるのも、本来ならあるべき抗議活動なはずです。

 それらの政府は国民の言うことなど聞かないのかもしれませんが、だからといって遠い日本の政府や報道機関に話を持ち込んでも、知的活動や言論を阻害するだけです。