【今日の一枚】(17)イスタンブル・アタチュルク空港で銃撃・自爆テロ

ここのところシリア内戦や「イスラーム国」、クルド人勢力の台頭などについて、地図を通じて紹介する長期シリーズが続いていますが、今日はトルコ。イスタンブルのアタチュルク空港で28日夜(現地時間)に起きたテロ事件(当日のライブ・アップデート)について地図をまとめておきましょう。(だんだん「一枚」じゃなくなってきたので通しタイトルを今日から変えました)

本来は、シリアやイラクやリビアやイエメンの内戦、イスラーム国の各地での広がりなどを順に紹介しているうちに、「本丸」とも言えるトルコに紛争が波及して・・・という順序を思い描いていたのですが、トルコへの波及が加速していますので、早めにトルコを見ておきましょう。

今回は思いっきり初歩的に、トルコ全体の中のイスタンブルの位置と、イスタンブルの中のアタチュルク空港の位置から。

イスタンブル・アタチュルク空港
“Istanbul Ataturk airport attack: 41 dead and more than 230 hurt,” BBC, 29 June, 2016.

アタチュルク空港はトルコ最大、ヨーロッパ全体でもパリやロンドンに次ぐ規模です。イスタンブルのヨーロッパ側の旧市街から少し西に行ったところにあります。

イスタンブルには国際空港がもう1つ、LCC向けのサビーハ・ギョクチェン空港がアジア側にあります。ここでも昨年12月23日にテロが起きましたし、西欧のジハード志願者がシリアの「イスラーム国」に行くときにこの空港を経由していることが監視カメラの映像で記録されていたりもします。

ここのところイスタンブル中心部や、空港でのテロが周期的に起きています。主要なものはこれら。トルコ南東部で頻発する、クルド民族主義のPKKによる、軍や警察施設を狙ったテロは含まれていません。

2016
7 June, Istanbul: Car bomb kills seven police officers and four civilians. Claimed by Kurdish militant group TAK
19 March, Istanbul: Suicide bomb kills four people in shopping street. IS blamed
13 March, Ankara: Car bomb kills 35. Claimed by TAK
17 February, Ankara: 29 killed in attack on military buses. Claimed by TAK
12 January, Istanbul: 12 Germans killed by Syrian bomber in tourist area

2015
23 December, Istanbul: Bomb kills cleaner at Istanbul’s Sabiha Gokcen airport. Claimed by TAK
10 October, Ankara: More than 100 killed at peace rally outside railway station. Blamed on IS
20 July, Suruc, near Syrian border: 34 people killed in bombing in Kurdish town. IS blamed

それらの位置を地図に図示したものも見ておきましょう。

イスタンブルテロ現場2015•2016

“ISIL ‘key suspect’ in Istanbul’s Ataturk airport attack,” al-Jazeera, 29, June, 2016.

警備の厳しいはずの空港にどのようにして攻撃を仕掛けたのか、拡大してみてみましょう。

イスタンブル・アタチュルク空港テロ現場

“Istanbul Ataturk airport attack: 41 dead and more than 230 hurt,” BBC, 29 June, 2016.

この地図で薄い青緑に塗られているところが空港の建物ですが、ここにタクシーで乗り付けて、銃を乱射しながら警備を突破して建物内に侵入、そのうち一人はアライバルの階まで移動してから、自爆しています。

昨年(2015年)以来、トルコでのテロはイスタンブルに限定されません。政治の首都アンカラと、そして南東部でも。今年3月13日のアンカラ、19日のイスタンブルでのテロを受けてドイツのDWが作ってくれた地図を転載しておきましょう。

トルコのテロ現場2015•2016年
“Turkey blames ‘Islamic State’ for Istanbul suicide bombing,” DW, 20 March, 2016.

トルコで状況を大きく変えたのが、昨年7月20日の、南東部のシリアとの国境の町スルチでのクルド系団体の集会に対して行われたテロ。「イスラーム国」による犯行と見られています。

これによって、トルコ政府は一方で「イスラーム国」との戦いの前線に立つとともに、イスラーム主義過激派を温存してクルド人への対抗勢力にさせた、と疑うクルド系のPKKとも全面対決することになりました。政府とPKKとの間で進められてきた和平交渉は頓挫し、クルド人の拠点としディヤルバクルなどで、軍・治安部隊とPKK、あるいはその過激分派のTAKとの紛争が続きます。PKKは越境してイラク北部にも拠点を置いており、そこにもトルコは空爆を加えています。

アンカラでのテロは、昨年10月10日のものは「イスラーム国」が疑われていますが、今年2月17日、3月13日のギュヴェン公園付近でのものはPKK系のTAKの犯行であることが判明しています。

クルド民族運動のTAKは軍や警察施設・車両を狙うのに対して、「イスラーム国」は観光客など外国人・非ムスリムを狙う傾向があります。またトルコで「イスラーム国」関連と見られるテロでは、これまではいきなり自爆していましたが、今回はまず銃撃してから自爆しています。また、トルコで「イスラーム国」関連と見られるテロでは、「イスラーム国」はほとんどはっきり犯行声明を出さないという特徴があります。これがどうしてなのかは様々な推測が可能になるところです。

アンカラでのテロの場所も図示しておきましょう。

アンカラテロ現場2015•2016
“Turkey caught in overlapping security crises,” BBC, 14 March, 2016.

【今日の一枚】(16)シリア内戦 クルド人勢力の台頭(その2)

昨日に示したように、クルド人勢力が主導して、今年3月には「西クルディスターン」の自治政府設立・シリアの連邦化を宣言するまでになりました。

2013年9月の段階で描かれたこの地図では、クルド人勢力の台頭の兆しと、それに対して、反体制勢力の側でもアラブ人が優勢で、クルド人の民族運動が台頭することを嫌っている様子が見えました。

シリア勢力地図2013年9月26日ロイター
“Arabs battle Syrian Kurds as Assad’s foes fragment,” Reuters, September 27, 2013.

この地図では、反体制派(クルド民族主義的ではないが、クルド人も含む)や、ヌスラ戦線などアル=カーイダ系が優勢のエリアをピンクで塗ってあります。この時点では、現在クルド人勢力が優勢である地域や、クルド人が多くを占める地域も反体制派が優勢なエリアに含まれいます。例えば西のアフリーンで今時点ではYPGではなく他の反体制派が優勢だったり、東のイラク北部との国境エリアでも非クルドの反体制派の優勢の地域があったりします。トルコとの国境のラアス・アインではアル=カーイダ系が優勢でした。

それが、「イスラーム国」が2014年前半に台頭し、反体制派の多くが排除されるか、「イスラーム国」の支配下に入ったことで、かえってクルド人勢力、特にYPGにとって台頭の余地が生まれます。

YPGは反体制勢力とは異なり、アサド政権とも明確には対立せず、同時に米国やロシアとも接近して、現地の同盟勢力としての有用性を示すことで、自治への後ろ盾となってもらうよう働きかけていく。シリア内戦の激化、「イスラーム国」の台頭、それに対する当事者能力を持つ勢力が国際的な信認を高めるという状況を背景に、クルド人の民族主義的な運動が力を得ていくのです。

【今日の一枚】(15)シリア内戦 クルド人勢力の台頭(その1)自治政府宣言

これまでに、シリア内戦について、アサド政権がロシアの空爆に支援されてアレッポ北方で進めた勢力拡大(2016年2月)、米国が支援する新シリア軍による南部のタニフ(タンフ)の制圧と、それに対するロシアの空爆、そして「イスラーム国」が2014年から2015年にかけて伸長する様子を地図で見てきました。

それと並行して、シリア北部のクルド人勢力が台頭してきます。三つの飛び地のうち東の二つ、つまりジャジーラとコバネをつなげ、トルコとの国境地帯に帯状の勢力範囲を確保しようと、ユーフラテス河を越えてマンビジュを攻略にかかる、というのが2016年6月の展開です。

その間の重要な画期といえば、クルド人勢力が今年3月に行った自治政府宣言でしょう。

今年3月17日に、シリアのクルド人勢力が、一方的にシリアの連邦化と、「ロジャヴァ(西クルディスターン)」の自治政府宣言を行いました。

シリア・クルドの自治宣言

“Syria Kurds, regime to press talks after deadly clashes,” Daily Mail (AFP), 23 April 2016.

シリアのクルド人勢力が支配する領域が、コバネから東はテッル・アブヤドなども含むようになり、またユーフラテス川を超えてマンビジュに及ぼうとするところも、細かく見ると描かれています。

また、この地図で、シリアだけでなく、トルコとイラクを含んだ広域の中東地図の中で、クルド人が多く住む地域全体を視野に入れ、その上で、シリアの北部の自治政府を宣言した地域を見てみましょう。すると、シリアでクルド人勢力の自治が確立していけば、やがて将来には、イラクですでに高度な自治を達成しているクルディスターン地域政府(KRG)とつながるのではないか、そして最大のクルド人人口を擁するトルコにも自治要求や分離主義運動が飛び火するのではないか、と危惧される理由が分かります。

地理的には、シリアのクルド人の居住地域は、トルコのクルド人居住地域の延長に見えます。シリアのクルド人が自治や独立に進むと、「本体」というべきトルコ南東部のクルド人地域に自治・独立の動きが進み、紛争が拡大することが危惧されます。

とはいっても、クルド人だからといって政治的に結集するとは限らず、それぞれの国で権利や権限を要求する手段としてクルド人の内外での紐帯を利用しているだけかもしれず、必然的に各国のクルド人勢力が国境を横断して一つの民族国家を目指すとは限りません。今のところは、イラクとシリアではそれぞれの国の中央政府の弱体化に乗じて自治の範囲を拡大しつつ、それぞれの中央政府からより多い権限や資源の分配を求める動きが主であるようです。依然として、既存の主権国家の枠を前提とした政治運動としての色が濃いものです。

しかしもし各国のクルド人勢力が、国境を超えた結集・統合・独立を求めた方が有利になるような環境変化、あるいはそれ以外の選択肢が極めて不利となるような状況が生まれた場合には、話が違ってきます。

【今日の一枚】(14)「イスラーム国」(その4)2015年半ばの最大版図

2015年初頭の段階で、「イスラーム国」のイラクとシリアでの領域支配は拡大一方だったことを前回に示しましたが、その結果としての最大版図はどれぐらいだったか。

ここではニューヨーク・タイムズ紙のよく使われている地図を示しておきましょう。2015年の5月段階のもの。出典は、以前にも参照した、”How ISIS Expands”というウェブ版の特設ページです。

How ISIS Expands NYT May 2015
“How ISIS Expands,” The New York Times, May 21, 2015.

前回までの地図と異なり、「イスラーム国」の支配領域のうち、住民がほとんどいない地域を白抜きに塗る慣行が、どうやら2015年の前半に定着している様子があります。

また、この地図では「イスラーム国」だけを塗っています。

ここに、イラクとシリア両国でのクルド系勢力の台頭や、トルコによるそれに対する警戒・反発とシリアとの国境地帯への飛行禁止区域の設定の要求、イランの革命防衛隊の将官や兵士たち、レバノンのシーア派民兵組織ヒズブッラーによる部隊の投入、等々、様々な主体が錯綜する様子が、この地図の上に描かれていくことになります。

【今日の一枚】(13)「イスラーム国」(その3)2015年の領域縮減

2014年6月からこの年の暮れまではもっぱら「イスラーム国」がイラクとシリアで勢力を拡大し固める方向で進んだこと、その結果としての2015年5月当時の勢力範囲をここまでに示してきました。

2015年を通じて「イスラーム国」に対する様々な主体による軍事行動が行われた結果、勢力範囲が縮小に転じました。これについては、軍事情報誌Jane’sを発行するIHSが取りまとめて2015年12月21日に発表した地図が、各紙で転載・参照されています。

IHS Janes ISIS Shrink 2015

この地図は、専門家はIHSのウェブサイトで直接見て、その後、日本の報道関係者などには、インディペンデントなどの記事で解説されたことで徐々に伝わり、年明けごろに広まっていった記憶があります。

“Islamic State’s Caliphate Shrinks by 14 Percent in 2015,” IHS Newsroom, December 21, 2015.

このように、IHSは「イスラーム国」が2015年の間に失った領域と得た領域を差し引きすると、14%縮減したと結論づけました。赤いところが失った領域ですね。

ここから「イスラーム国」の「退潮傾向」の論調が定着しました。それが本当に事実かどうかは別にして、そのような流れが報道の中では定まったということです。言ってみれば、「イスラーム国」は勝っていない、という情報戦が、このあたりから明確に機能し始めたということでもあります。

IHSの地図を参照した記事としては例えば以下のものがあります。

“ISIS’ Territory Shrank in Syria and Iraq This Year” The New York Times, December 22, 2015.

“How the war on Isis is redrawing the map of the Middle East,” Independent, 4 January 2016.

IHSは2016年3月には追加の取りまとめ結果を発表し、2016年1月から3月にさらに「イスラーム国」の勢力範囲は縮小し、前年度と合わせて、最大版図に比べて22%縮減したと結論づけています。赤で記された失った領域が広がっているのがわかると思います。そして、失った領域を誰が取っているかが、新たな政治問題になっていくのです。

“Islamic State loses 22 per cent of territory,” IHS Jane’s 360, 16 March 2016.

このシリーズは毎日地図一枚に限定するという趣向ですが、今回に限りもう一枚貼っておきますので、「間違い探し」をしてみましょう。

IHS Janes ISIS Shrink 2 2016

【今日の一枚】(12)「イスラーム国」のイラクとシリアでの領域支配の変遷(その2)2014年後半の拡大・定着

2016年6月10日以来の2年間の「イスラーム国」の領域支配の拡大・縮小を、地図でつらつらと辿ってみましょう。今日は第2回。

ここではシリアに特化してみましょう。この地図は、2014年の8月31日と、2015年1月10日で、「イスラーム国」のシリアでの領域支配の状況を比較したもの。

Isis Syria 2014 expantion Wall Street Journal
“Months of Airstrikes Fail to Slow Islamic State in Syria,” The Wall Street Journal, January 14, 2015.

今度はウォール・ストリート・ジャーナル紙から借りてきてみました。

2015年1月の段階の記事ですが、「イスラーム国」が出現してから半年の間、米国などが空爆を行っても、勢力範囲は狭まるどころか、むしろ広がり、支配を固めた地域が多くあった、ということを示しています。

この段階ではそのような状況があり、認識があったのですね。2015年を通じて、この趨勢を覆していく軍事的な国際包囲網が、一直線ではないですが、進んでいきます。

その過程では、(これは「イスラーム国」に直接忠誠を誓った集団ではありませんが)、2015年1月のパリでのシャルリー・エブド紙襲撃事件のような、グローバルなテロの事象が目立ったこと、それによって「イスラーム国」への各国からの義勇兵の結集が、その後の帰還兵問題として各国の国内問題としてテロの拡散・強化につながると危惧されたことが、対「イスラーム国」の軍事的な介入を各国政府・社会に決断させた、という事情がありました。

日本ではこの間、1月20日−2月1日に関してのシリアでの「イスラーム国」による人質殺害事件に関する、固有のドメスティックな議論が展開されたことを、遠くに記憶しています。

【今日の一枚】(11)「イスラーム国」のイラクとシリアでの領域支配の変遷(その1)衝撃の瞬間

昨日はシリア内戦の最新の動向を見てみましたが、今日からはシリアとイラクでの「イスラーム国」の領域支配について、順を追って見ていきましょう。「イスラーム国」はシリア内戦やイラクの紛争の全体構図から言えば一部の勢力に過ぎませんが、重要であり、国際的な関心を最も集め、国際的な取り組みの焦点となることは確かです。

現在、米国やイギリス・フランスなどを中心にした、対「イスラーム国」の作戦が、イラク、シリア、リビアで並行して行われている模様です。

リビアでは一応隠密作戦ですが、スィルトの攻略作戦では、米国やイギリス、フランス、あるいはヨルダンの関与が報じられています。

これに対してイラクとシリアではもっとあからさまに「イスラーム国」制圧作戦が行われており、むしろ実態以上に進展が報じられている宣伝戦の様相も濃くしています。

イラクでは、イラク中央政府軍やシーア派民兵集団がラマーディーなどのアンバール県の制圧を進めると共に、「イスラーム国」の首都でカリフの座でありイラク第二の都市であるモースルの攻略をイラク中央政府軍、あるいはクルディスターン地域政府(KRG)のペシュメルガが近く行う、と言われ続けて一向に始まらず、しまいには「年内」といった曖昧な期日が設定されるようになっています。

シリアでは、米国に支援されたクルド系YPG(民衆防衛部隊)とそれと同盟したアラブ系などのSDF(シリア民主部隊)が、シリアでの「イスラーム国」の首都ラッカを今にも制圧しそうな様子が報じられながら、実際には方向を転じて、トルコとの国境に近いエリアの要衝マンビジュの攻略に向かっています。

領域支配のモデルを提供したイラクとシリアでの「イスラーム国」について、今日から、順に地図で見てみましょう。

全くの周知の事実ですが、『イスラーム国の衝撃』でも冒頭12頁に書いておきましたが、「イスラーム国」が国際政治上の大問題として現れたのは、イラクのモースルを制圧して広範な領域支配を確立した2014年6月10日のことです。

それから2年の歳月がたちました。この辺りで、領域支配を行う勢力としての「イスラーム国」の変遷を、地図で見てみましょう。ここでは「イスラーム国」が領域支配を広げて世界に衝撃を与えた直後にEconomistが出してきた地図を転載しておきます。

ISIS Iraq Syria June 14 2014 Economist
“Two Arab countries fall apart: The Islamic State of Iraq and Greater Syria,” The Economist, June 14, 2014.

英エコノミスト誌の地図には定評があります。地図を過去のものまで無尽蔵に検索してみることができることのためだけにもウェブ版を購読する価値があります。

(1)この時点で、「イスラーム国」の勢力範囲についてだけでなく、イラクとシリアのクルド人勢力の範囲を描いているところはさすがですね。もちろん、イラクでの「イスラーム国」の電撃的な勢力拡大に対して、イラク政府軍がなすすべもなく逃亡・消滅したのに対して、KRG (クルディスターン自治政府)のペシュメルガが有効に対処するだけでなく、この機会にイラク中央政府との係争の地であるキルクークなどへの実効支配を進めたという点は当時から報じられていましたので、「イスラーム国」による実効支配の地域の拡大は、クルド人勢力の実効支配の拡大と対になっているという点は知られていました。

しかしそれを当時まだクルド人勢力の帰趨が定かでなかったシリアにも拡張し、緑色を二種類使い分けて、イラクとシリアのクルド人勢力のその時点での勢力範囲を塗っておいたことは、いかにも慧眼です。こういうことは多くの人がモヤッと頭で思っていても、実際に手が動いてこのように塗れるかというとそれは別問題です。この点で英エコノミストは他の媒体と比べて一日の長があり、その差はちょっとのように見えて果てしなく大きなものです。

(2)マンビジュ(地図上ではMinbijと表記)の戦略的重要性をこの時点で認識して、地図上に記しているところもさすがです。シリアとトルコの国境地帯の重要地点で、イドリブ近辺の反体制勢力にとっても、「イスラーム国」勢力にとっても補給ライン上の要衝であり、またクルド人勢力にとっては飛び地の間をつなぐために重要な地点です。

(3)なお、イラクの「イスラーム国」の範囲については、モースルなどニネヴェ(ニーナワー)県からサラーハッディーン県にかけての「イスラーム国」の勢力拡大が進んでいた地域を、そしてアンバール県の全体を、塗りつぶしています。

その後、英語圏のメディアの報道ではあまり塗りつぶさないようになり、都市と大河の流域の人口密集地、都市間をつなぐ幹線道路以外は、人が住んでいない土地として白く塗り残すようになりました。これは実態の解明が進んだということもありますが、実態以上に「イスラーム国」を大きく見せ、義勇兵が集まることを避ける、メディアの側の配慮があったのではないかとも推測します。「イスラーム国」が突然に拡大した2014年の6月の時点では、このようにべったり塗りつぶしていたことが分かります。

 

【今日の一枚】(10)ロシアがシリア南方タニフを空爆:標的は米・英に支援された反体制派

シリア内戦で米・露は停戦と和平協議を支援すると合意していますが、同時に介入によって対立しています。

今度はシリア南部のイラクとの国境の町タニフ(al-Tanif; タンフ al-Tanf)で、「イスラーム国」と戦っている反体制派を空爆した模様です。

“Russia failed to heed U.S. call to stop targeting Syrian rebels: U.S,” Reuters, June 17, 2016.

ロシアはクラスター爆弾を使った、とも報じられています。

“Images suggest that Russia cluster-bombed U.S.-backed Syrian fighters,” The Washington Post, June 19, 2016.

いったい誰が誰と戦っているんだ?という疑問を感じるよりも先に、そもそもタニフってどこだ?と思う方が大半でしょう。無理もありません。ものすごくマイナーな寒村です。寒村というも語弊があり、気温が摂氏50度ぐらいになる超酷暑の村です。

場所を地図で見てみましょう。

シリア南部Tanfの制圧2015年5月BBC
“Islamic State ‘seizes key Syria-Iraq border crossing’,” BBC, 22 May 2015.

シリアのイラクとの間で、南のイラク・アンバール県との国境には主に二つの検問所がありますが、小さいほうです。大きいほうがユーフラテス河沿いに国境を越えるルート上にありで、シリア側がブーカマール(al-Bukamal; al-Boukamal)、イラク側がカーイム(al-Qa’im)です。

それに対して、ヨルダンとの国境にも近い支線のような街道でイラクの最西端で国境を越える検問所が、シリア側がタニフ、イラク側がワリード(al-Walid; al-Waleed)です。まあめったに通らないところですね。

この地図を載せた記事にあるように、2015年5月にはこのタニフをイスラーム国が支配下に入れています。現在、イラクとシリアの両方で「イスラーム国」の領域支配を縮減させる軍事作戦が進んでいますが、そこで国境検問所は大きな争点になっています。

米国や英国は、ヨルダンでシリアの反政府組織を訓練して「新シリア軍(NSA=New Syrian Army; Jaysh Suriya al-Jadid)」と名付け、今年3月にはヨルダンとの国境に近いタンフに送り込み、「イスラーム国」から奪還したようです。

“Syrian rebels seize Iraq border crossing from Islamic State: monitor,” Reuters, March 4, 2016.

米国はシリア北部での反体制派の育成には失敗しましたが(そもそもやる気が見られない)、シリア南部では比較的成果が出ています。

しかしタニフをめぐってはその後も「イスラーム国」が頻繁に攻勢をかけてかけてきて、NSAは防戦に追われているようです。

ロシアとアサド政権は、「イスラーム国」がタニフを制圧していた時期には関心を示していなかったのですが、米国が支援する反体制派がタニフを制圧したとなると、空爆を行ってきた模様です。

このように、「イスラーム国」は現地の文脈では、どの政治勢力にとっても、第一の敵ではないので、「イスラーム国」にとっての敵同士が争っているうちに、「イスラーム国」の勢力範囲が広がるというメカニズムがあります。

【追記】地図に関するエントリは少し前に書いて自動アップロードの予約をかけておくのですが、予約後の6月21日、タニフのすぐ西の、ヨルダン・シリア国境地帯のルクバーン(Rukban)のシリア側で、ヨルダン軍部隊に対する自動車爆弾によるテロが起こりました。ホットスポットがこの近辺に現れているようです。

ルクバーンの場所はこちら。元来が町もない無人地帯。

ヨルダン・シリア国境ルクバーン

“Jordanian troops killed in bomb attack at Syria border,” BBC, 21 June 2016.

ルクバーンでは、ヨルダンとシリアの緩衝地帯にシリア難民(国内避難民とも言える)が押し寄せて、ヨルダンに入国できずにキャンプを作っている。

ヨルダン・シリア国境ラクバーンの難民キャンプ

“Jordanian troops killed in bomb attack at Syria border,” BBC, 21 June 2016.

右下を斜めに横切る茶色い道路がヨルダンの国境で、それに対して、左上に斜めに横切るのがシリアの国境。その間に無数の薄水色の点や斑点が見えますが、それが難民のキャンプ。シリア・ヨルダンの緩衝地帯で、シリア難民はシリア政府の管理を離れつつ、ヨルダン政府によって難民として入国することを阻止されている、宙ぶらりんの状態です。

関連記事をいくつか。

“Jordan soldiers killed in Syria border bomb attack,” al-Jazeera, 21 June 2016.

池内恵「ヨルダンとシリアの緩衝地帯ルクバーンで自動車爆弾によるテロ」『フォーサイト』2016年6月22日

【今日の一枚】(9)2016年2月アサド政権のアレッポ北方攻勢

昨日は、シリア内戦の現在の焦点がマンビジュを中心とした、北部のトルコとの国境地帯にある回廊をめぐる諸勢力の競合になっていることを地図で示しました。最近もこのような記事が出ています

シリア北部のトルコとの国境地帯には、クルド人勢力の三つの飛び地(西からアフリーン、コバネ、ジャジーラ)が点在し、そこにクルド系民兵組織YPGが勢力を強めて、それぞれの飛び地を範囲を拡大してクルド人が多数派ではなかった地域(例えばテッル・アブヤドTal Abyad)を含めて実効支配の範囲を広げ、かつ飛び地を結合させようとしている。

ここで回廊のように残ったユーフラテス河以西でクルド人の多いアフリーントの間の回廊、国境付近の町でいうとジャラーブルス(Jarabulus)からラーイー(al-Ra’i)そしてアアザーズ(Azaz; A’azaz)にかけてのエリアが、「イスラーム国」と、イドリブ付近の反体制派にとって補給路となることから、重要性が増しています。

このエリアに関わってくる諸勢力を図示しようとすると、(1)アサド政権がアレッポ北部で勢力を回復、(2)クルド人勢力が勢力を拡大し、ユーフラテス河以西にも伸長、(3)イスラーム国の伸長、(4)反体制派諸勢力の合従連衡、ヌスラ戦線などのイスラーム主義勢力と、より世俗的な勢力の関係、(5)米国の空爆と支援、(6)ロシアの空爆と支援、(7)トルコの支援と勢力圏確保、(8)イランやヒズブッラーの部隊派遣、といった多種多様な勢力の動向が関係するので、とても一枚の地図には載せられません。

今日はひとまず、今年2月の攻勢で、(1)のアサド政権支持勢力が、民兵集団も動員して、アレッポ北部で点と線のように支配領域を広げて、イドリブ周辺の反政府勢力とトルコをつなぐ「回廊」の切断を図ったという事象を見てみましょう。シリア内戦の動向を規定する重要な出来事です。

昨日のシリア北部のより広域の地図と一緒に見ていただきたいのですが、今年2月のアレッポの周辺の地図。

アレッポ反体制派トルコへの補給路をアサド政権が切断2016年2月
“Syrian War Could Turn on the Battle for Aleppo,” The New York Times, February 12, 2016.

水色の部分がアサド政権軍の支配領域で、濃い水色の部分が今年2月初頭の攻勢で拡張した部分です。アサド政権側は、アレッポを迂回してぐるっと回るような位置を抑えていますが、支配領域を先に延ばして、クルド人勢力のYPGが支配しているアフリーンに接するところまで支配下に収める。

非常に狭い範囲なのですが、全体状況から見ると、反体制派とトルコとの間の補給路を切断する大きな意味を持つ攻勢です。

さらに拡大しましょう。

アサド政権軍の反体制派トルコへの補給路切断2016年2月
“Syrian rebels losing grip on Aleppo: Russian bombardment helps pro-Assad militia close in on key northern city held by opposition forces for three years,” The Guardian, 4 February 2016.

アサド政権軍は2月1日に始まった攻勢で、ヌブル(Nubl)からザハラー(Zahra’a)へと支配領域を伸ばしました。これらの町は、シーア派が多く、スンナ派の原理主義的な思想を抱くヌスラ戦線などが反体制派の主流になって政権を倒すと、迫害されるという恐れを持っており、政権支持派が多いとされます。そのような町を、ヌスラ戦線などが2012年以来3年にわたって包囲していましたが、それを「救出した」ということでアサド政権は正統性を主張しました。

ヌブルとザハラーの制圧によって、アサド政権はイドリブ近辺を拠点とする反体制派を封じ込めると共に、さらにアレッポの南方のゼルバから北方に前線を伸ばして、アレッポの反体制派を包囲しようとしました。

この時は、反体制派ももう終わりか、とまで報じられたものです。

“Syrian rebels are losing Aleppo and perhaps also the war,” The New York Times, February 4, 2016.

しかしこういった「キャンペーン」では報道向けに大々的に戦果を発表するのですが、後が続かないのが常です。大げさに発表するだけでなく、アサド政権は全土を掌握するには兵員が足りなくなっている模様です。こういった作戦を行うたびに兵站が伸び切ってしまい別の場所が手薄になる。直後に逆にアサド政権とアレッポの間のハナースィル(Khanasser)で反体制派の攻撃により補給路を絶たれるなど、一進一退が続いています。

しかし和平交渉をやりながら、2月初頭にこうやって攻勢に出て、有利な立場で2月22日のケリー・ラブロフ合意、27日発効の「敵対行為の停止」に持ち込み、その後やる気のない和平交渉で時間を潰した挙句4月から5月にそれが予想通り崩壊し、また全面的な戦闘に戻っているのですから、軍事力で紛争を終わらせることはできなくても、軍事力と外交的策略を組み合わせることで、内戦を永続的に戦うことを可能にする、というアサド政権の戦略目標にとっては大きな効果を得た作戦だったと見られます。

また、アサド政権の攻勢に際して、クルド人勢力はどの程度協調したのか、あるいはトルコはどのように反応したのか、などより詳細に検討しなければならない面が数多くあります。

ロイターが2月15日に出してきたこの地図が、もっとも完備しているかもしれません。アサド政権の攻勢を支えたロシアの空爆の箇所や、アサド政権の攻勢と同時期に勢力範囲を広げようとしたYPGの動き、そしてYPGに対抗するトルコの動きも図示されています。トルコはアアザーズでYPGの攻勢を退けたが、YPGはメナグ(Menagh)基地は制圧している。

シリアのアレッポ北回廊ロイター2016年2月15日
“ISIS cuts off crucial government supply line to Syria’s largest city,” Business Insider (Reuters), February 23, 2016.

【今日の一枚】(8)シリア内戦の焦点マンビジュ:アレッポ北部の回廊2016年6月

先週まではリビア内戦と、局所的な、まだら状の「イスラーム国」の出現、それに対する国内外の動きについて、地図を用いて見てきましたが、これから、少し時間を使って、シリア、そしてイラクでの「イスラーム国」の領域支配の変遷について見ていきましょう。

まず、シリア内戦の現状から。

2016年の6月現在、シリア内戦で最も関心が集まる「焦点」と言える問題を地図を示してみましょう。それはシリア北部の「マンビジュ」という町を中心とした地図です。

シリア内戦トルコとの回廊の争奪戦2016年6月
“Rebels push IS back from Turkish border as Manbij showdown looms: Turkey-backed rebels launch surprise counter offensive in Azaz to the west ahead of joint Manbij offensive in the east,” Middle East Eye, 8 June 2016.

マンビジュとは聞き慣れない地名かもしれません。しかし2011年以来のシリア内戦を注視してきた人にはなじみ深い名前と思います。2014年以来「イスラーム国」の支配下にありますが、2016年5月31日に、米国に支援されたシリア民主部隊SDF)が、マンビジュに攻勢をかけています。SDFは、シリア北部のクルド人主体の民兵組織YPGと連合した組織で、その支配下にあると考えられます。YPGの実効支配する領域で、クルド人以外を主体に編成された部隊ということです。

マンビジュをめぐる攻防戦が、米国に支援されていることで、また「イスラーム国」対策ということで、国際メディアで大きく報じられがちですが、この地図を付したMiddle East Eyeの記事では、そこにさらに錯綜した対立関係があることを記してくれています。この記事によれば、マンビジュでクルド人勢力とそれと連合した部隊が米国に支援されて対「イスラーム国」の攻勢に出ている間に、それより北西の、トルコ国境に近いマーレア(Marea)とアアザーズ(Azaz)を支配する反体制(反アサド)勢力に対して「イスラーム国」が攻勢をかけており、これをトルコが撃退した、とのことです。

この記事は、トルコが、敵対するYPGが米国の支援を取り付けて進める勢力拡大と競って、ただし直接それとは対立せず、マーレアとアアザーズで別個に「イスラーム国」と戦っていますよ、と宣伝して、米国に評価を求めているように見えるもので、事実かどうかは、慎重に検討しないといけませんが、全く事実でないとは言えないでしょう。

緑の部分が、トルコと関係の深い反体制(反アサド)勢力の領域です。これがピンク色のアサド政権の支配領域によって分断されているのが分かるでしょう。トルコとの国境に近いマーレアとアアザーズが、イドリブなどを中心とする反体制勢力の主要な領域から切り離されています。これが最近生じている現象です。アサド政権は次に、マンビジュなどの方向に攻勢に出る模様です(赤い矢印)。アサド政権のアレッポ付近の支配領域は、細い線のような補給路でかろうじて中央部のハマーやホムスにつながっており、途中のハナースィル(Khanasser)が要衝となっている。

黄色の部分がシリアのクルド人勢力のYPGの勢力範囲です。トルコはシリアのクルド人勢力や、それと関係を深めるアメリカに対して、「ユーフラテス河がレッドライン」と表明してきました。国境のジャラーブルス(Jalabuls 河の西側)、下流に少し行ったところのサッリーン(sarrin これは河の東側ですが)などより西に来てはいけない、と警告していたのですね。しかし現在、このラインを超えてYPGあるいはその傘下にあると見られるSDFが展開しています。

YPGがさらに西に来て、マンビジュを勢力範囲にすると(黄色い矢印)、次にはマーレアやアアザーズに及びそうな雰囲気です。最終的に、飛び地となっている西の黄色の部分と繋がろうとしているように見えます。これをトルコは警戒しています。マーレアとアアザーズは、アサド政権だけでなく、クルド人勢力の西の飛び地(ここでは書いてありませんが、アフリーンと呼ばれます)の延伸によってもイドリブから切り離されています。この記事では緑の矢印で、マーレアとアアザーズへの「イスラーム国」からの攻勢を撃退していると記しています。

灰色の部分が「イスラーム国」の支配領域です。

1年近く前の、もう1枚の地図と記事を併せて見ると、今起こっていることの意味や、この間に進んだ変化が見えてきます。

シリアの飛行禁止区域ワシントン・ポスト
“U.S.-Turkey deal aims to create de facto ‘safe zone’ in northwest Syria,” The Washington Post, July 26, 2015.

この地図、そしてこの記事は、昨年7月に、トルコが米国と、シリア北部の、ちょうど今問題になっているマンビジュやマーレアやアアザーズの一帯を、「安全地帯」にすると合意した(とトルコ側が主張した)というものです。

ほぼ1年前の勢力地図を見ますと、反体制派(Rebels)の領域がアアザーズ近辺からイドリブまで繋がっており、ちょうどトルコへの「回廊」のようになっています。

同様に、「イスラーム国」もシリア・トルコ国境地帯のユーフラテス河以西の領域にトルコへの「回廊」を持っています。ここを通じて、戦闘員や資金や武器などが流入します。

この一帯を抑える勢力が、シリア内戦の今後において、有利な立場を得ることは間違いがありません。そこで、米国が支援したクルド人勢力・同盟部隊によるマンビジュ攻略や、トルコによるアアザーズやマーレアの支援が重要な意味を持ってきます。

「イスラーム国」が補給の回廊を維持するのか、クルド人勢力が米国の支持を得てトルコとの国境地帯にひとつながりの領域を確保するのか、トルコがクルド人勢力に楔を打つこの場所に一種の勢力圏を確保するのか。アサド政権がそれらの対立を利用して勢力範囲を回復するか、あるいは反体制勢力の補給路を分断するのか。

過去1年間の間に、トルコにとっては不利な状況になっていると言えるでしょう。クルド人勢力の対「イスラーム国」作戦の地上部隊としての役割を重視する米国はトルコの主張する飛行禁止区域設定を支持せず、トルコの警告に反して、ユーフラテス河以西のマンビジュへの攻勢を支援しています。アサド政権は、クルド人勢力とおそらく暗黙の合意があるのか、イドリブとトルコとの間の回廊の切断に成功しています。しかしトルコも、米国の空爆にインジルリク空軍基地を提供しているといった強みから、全く排除されることはないでしょうし、シリアの現地の諸勢力を支援して、撹乱することができます。

“ANALYSIS: From master to observer – how Turkey became irrelevant in Manbij: Turkey opposes plans to create a federal region in northern Syria after US-backed Kurdish forces take Manbij,” Middle East Eye, 2 June 2016.

【寄稿】『週刊エコノミスト』の読書日記は『高坂正堯と戦後日本』:余談は歴史の秤について

本日発売の『週刊エコノミスト』の読書日記に寄稿しています。

週刊エコノミスト2016年6月28日号

池内恵「今、再び読み直される高坂正堯」『週刊エコノミスト』2016年6月28日号(6月20日発売)、57頁

先日、「いただいた本」でも紹介したこの本ですね。

私は通常、「いただいた本」は書評しない(自分が選べる立場の時には選ばない)のですが、この本については、気にしなくていいかと思いまして。テーマとなっている高坂正堯は20年前に亡くなっていますし、書いている人たちは別にこの本で私に取り上げてもらわなくても一向に構わないでしょう。極端に忙しい人達がこれだけ集まってよく原稿を集められたな、本が出たな、と奇跡のように思うだけです。(最近やたらと要求される)「業績」などにたとえなりにくくても、この本については書くに値するテーマだから、「頼まれ仕事」のやっつけではなく、本気で書いているということが分かるる本です。

読書日記で取り上げたいと思った理由には色々ありますが、一つ挙げますと、高坂が正面から読み直されるための時間が経ったんだな、と実感したことがあります。

時代が変わったということもありますが、世代が変わったというのも大きいと思います。高坂という人は、テレビに出る学者の先駆けでしたし、科学志向が強まった政治学のその後の展開と対比されると、一昔前の人文主義的な時代の様相を色濃く残しています。そのため、著名で影響力があり尊敬されていたとともに、今でいう「ディスられる」ことも多かった人だと思います。

インターネット・SNSの普及の前に亡くなった優雅な政治学者・高坂正堯について「ディスる」などという下賤な言葉を使って評するのは適切ではないかもしれませんが(ですので読書日記ではこんな単語は使っていません)、もちろん昔も今も、「ディスられる」のは、有力さの証です。

ただ、「ディスる」「ディスられる」関係も、やがては終わります。それは主に、「ディスる側」が年をとるからです。

年をとって元気がなくなるというだけでなく、「ディスっていた側はそれじゃ何を残したの?」ということを、残酷に問われるようになるのです。それが時の試練です。

盛大にディスって、それによって高坂を超えた、あんなのはもう古い、と言うことで自らの営為に価値を示すことができたのは、逆にいえば、高坂にそれだけ価値があったからです。だからこそ高坂に対するアンチにも価値が出る。

やがて、一度高坂が忘れられると、それに対するアンチの立場を取っていた人たちが、単独で、どれだけのことを成し遂げたかが問われるようになります。時の経過によって、ディスっていた側も高坂と同じぐらいの年齢、いやはるかそれ以上に齢を重ね、高坂と比べるとずっと遅くに一線で活躍の場を得た人でも、かなり長い年月のキャリアを重ねることになります。高坂よりもずっと重い地位や役職を得るようになるかもしれません。その時に、それにふさわしい仕事を残せたか。もうそこには、批判することで自らの価値を測ってくれる相手はいません。

高坂正堯は、今考えてみると、非常に早世しています。20代の終わり頃からずっと活躍していましたから30年近く第一線で活躍したことになり、ずいぶん長いキャリアがあるように見えますが、実際には京大教授在職中の現役真っ盛りの時期、壮年と言っていい年代に亡くなっています。亡くなった頃は、活躍の絶頂期でしたから、「アンチ」も多かったでしょう。当時、今よりも深く激しかった、大学人の間の政治的な党派対立の文脈と、学問的な価値をめぐる論争の文脈を知らずにあるいは意図的に混同させた批判もあったでしょう。

しかし、高坂的なものも、アンチ高坂的なものもどちらも同等に「もう古い」と言ってしまって良いぐらい古い、歴史の一部となると、その上でどちらが現在の我々に大きなものを残しているかが、繰り返しますが、残酷に、何のこだわりもない次世代に評価されるようになります。

そして、残酷な時の評価の秤で、高坂の乗った秤の皿はどれだけ重く傾くのか?

これについて評価することは、むしろ評価する側の真贋が多く問われる、大変怖い営為になります。そのような緊張感がこの本に漲っており、そして、その緊張感に耐えられるだけの余裕を持った書き手が集まったから、この本ができたのでしょう。

結果的に、高坂の文章が醸しだしていた、歴史の審判に晒されることに対する恬然とした「余裕」こそが、この本の各章に共通するものとなったのではないでしょうか。

【今日の一枚】(7)リビアの分裂状況(その5)年表を作ってみた

ここのところ、リビアで「まだら状」に「イスラーム国」関連勢力が出現し、それに対して各地の別の勢力や「政府」が対抗していく過程について、地図を紹介してきました。ちょうど今、スィルトの「イスラーム国」の領域支配を覆す軍事作戦が行われています。

ここに至るまでの経緯について、いくつか記事を整理しておきましょう。順に読むとだいたい経緯が分かります。たいていのことは、事実を時間軸に沿って並べることで整理できます。それですべてが分かるわけではないですが、何がわからないかが分かる場合があります。あるいは、分からないからと変なことを推量して脱線する危険をある程度免れます。

このシリーズは「地図で読む」というものですが、「イスラーム国」が広がる過程について、ピンポイントで「この一枚」といえる地図がないのです。それぐらい現地の情勢は流動的です。記事を紹介する途中で、ある程度雰囲気を伝える地図を二枚貼っておきましょう。

(1)デルナを発端にリビア、北アフリカ全般に拡散

2014年10月にはすでに、東部デルナに「イスラーム国」の拠点ができていると報告されています。

“The Islamic State’s First Colony in Libya,” Policywatch 2325, The Washington Institute for Near East Policy, October 10, 2014.

同時期に、インターネット上に、「イスラーム国」に忠誠を誓うリビア人が多く現れていると報じられています。

“Scores of Libyans pledge loyalty to ISIS chief in video,” Al-Arabiya (Reuters), 1 November 2014.

リビア、エジプトのシナイ半島や、チュニジアやアルジェリアなど、北アフリカ全域への拡散が危惧されるようになったのもこの頃です。

“The ‘Caliphate’s’ Colonies: Islamic State’s Gradual Expansion into North Africa,” Spiegel Online International, November 18, 2014.

2015年2月には、リビアの「イスラーム国」を名乗る勢力が、エジプト人(コプト教徒)21名を殺害する映像を発表して、リビアへの拡散を印象づけ、衝撃を与えました。

(2)デルナを諸勢力が奪還

「イスラーム国」支持勢力の伸長が表面化したのは、東部デルナの方が先行していました。

“Libyan Islamists claim to drive Islamic State from port stronghold,” Reuters, June 14, 2015.

“Libya officials: Jihadis driving IS from eastern stronghold,” AP, July 30, 2015.

しかし東部で「イスラーム国」の支配領域を奪還する勢力も割れていて、リビアのイスラーム主義勢力がデルナの「イスラーム国」を掃討しつつ、イスラーム主義勢力に敵対することでエジプトなどからの支持を得ようとしている謎の実力者ハフタル将軍率いる「リビア国民軍」(「自称」ですが)がさらに「イスラーム国」を掃討している勢力を掃討する構えを見せるなど、不透明ですが、それについては省略。

(3)スィルトを「イスラーム国」が掌握

スィルトとその附近での伸長については、2015年2月から3月に激化したスィルトへの攻撃・浸透を経て、同年6月にはスィルトを制圧したとみなされるようになりました。

“Libyan oil pipeline sabotaged, gunmen storm Sirte offices,” Reuters, Feb 14, 2015.

“Families flee Libya’s Sirte as clashes with Islamic State escalate,” Reuters, Mar 16, 2015.

“U.S. fears Islamic State is making serious inroads in Libya, Reuters, March 20, 2015.

2015年11月にはスィルト全域とその周囲を掌握した模様です。

今日はこの時点での報道から地図を借りてきましょう。ニューヨーク・タイムズでは、イラクとシリアの領域と離れたリビアでの遠隔地での「イスラーム国」の出現の地理関係を図示。基礎的な情報ですが、リビアの場所やイラク・シリアとの位置関係・距離感がつかめない読者も多いでしょうから、有益です。

“ISIS’ Grip on Libyan City Gives It a Fallback Option,” The New York Times, November 28, 2015.

ISIS in Libya NYT Nov 2015

ウォール・ストリート・ジャーナルは、スィルトの周辺にチェックポイントを設けるなど、領域支配の固定化や拡大につながりかねない傾向を指摘しています。

“Islamic State Tightens Grip on Libyan Stronghold of Sirte
City across the Mediterranean from Europe is first outside Syria or Iraq to come under the group’s control,” The Wall Street Journal, November 29, 2015.

ISIS in Libya WSJ Nov 2015

(4)「国民合意政権(GNA)」の形成

2014年以来、GNC(General National Council 国民総会 在トリポリ)とHOR(House of Representatives 代議員議会 在トブルク、バイダ)という、2012年7月と2014年6月の別々の選挙で選出された別々の議会がそれぞれ正統政府を主張し、東西で別々の政府が並び立つ状態で、かつそれぞれの政府の構成や統治の領域が曖昧で、混沌状態になっているリビアでは、誰が誰の味方かよく分からないので、外部の勢力も介入しようがなく、放置されていた感がありますが、「イスラーム国」を名乗る勢力がスィルトの支配を固めると、なんとかしないといけない、という機運が欧米諸国の間で高まったようです。

対立する東西の政府から代表者を出させて、統一政府を作らせる動きに力が入りました。交渉は主にモロッコのスヘイラート(Skhirat)で行われ、紆余曲折、遅延の末に、2015年12月17日に統一政府の設立について合意がなされました。

“Libyan factions sign U.N. deal to form unity government,” Reuers, December 17, 2015.

“Rival Libyan factions sign UN-backed peace deal: Accord signed in Morocco aims to form unity government and end years of violence and chaos in North African nation,” Al-Jazeera, 18 December 2015.

12月17日の統一政府設立に関する合意を、国連安保理が23日に決議2259で後押ししています。

“Unanimously Adopting Resolution 2259 (2015), Security Council Welcomes Signing of Libyan Political Agreement on New Government for Strife-Torn Country,” 23 December 2015.

決議2259についての国連の報道向け発表によると次の通り。

The Security Council today welcomed the 17 December signing of the Libyan Political Agreement to form a Government of National Accord, and called on its new Presidency Council to form that Government within 30 days and finalize interim security arrangements required for stabilizing the country.

Through the unanimous adoption of resolution 2259 (2015), the 15-nation body endorsed the 13 December Rome Communiqué to support the Government of National Accord as the sole legitimate Government of Libya. It called on Member States to cease support to and official contact with parallel institutions claiming to be the legitimate authority, but which were outside of the Political Agreement.

支援国が集まって出したローマ・コミュニケで、統一政府を目指す国民合意政権(GNA)を支援の受け皿として、GNCやHORに固執する勢力には支援をしない、と約束しています。

しかしモロッコ・スヘイラートでの2015年12月17日に調印にこぎつけが合意は、西のGNAと東のHORから送られた交渉代表団の間の合意であって、それぞれの地元で政府を名乗っている勢力の中には合意受け入れを渋る勢力も多く、それぞれの政府の「議会」による12月17日合意への受け入れ決議、つまり国際合意でいうところの批准は遅れました。「最新の有効な選挙で選ばれた国際的に承認された正統な政権」を主張してきた(が、首都を追われ、最東部のトブルク近辺に押し込められて、隣接するエジプトから細々と支援を受けて命を繋いでいる)HORは、合意に賛同する議員も多いのですが、一部有力者や、結託しているハフタル将軍などの意向もあり、結局明確な形での合意受け入れをしていませんが、それについては省略。

気づいたら、「国際的に認められた正統な政権」だったはずのHORが疎外されていました。欧米諸国も「選挙で選ばれた」ことよりも、「「イスラーム国」に有効に対抗できる」ことを優先して同盟相手を選ぶようになったということでしょう。正統性については、内戦で対立する主要勢力間の12月17日合意と、それを支援してきたローマ・コミュニケ、合意を裏打ちした国連決議2259をもって、2014年6月の選挙のもたらす正統性を置き換えたといえます。

しかし、東西両政府の合意もまちまちで、そして統一政府の組閣で難航します。組閣しても、各地の政府機構(の残存物)を実際に動かし、国土に一円的な領域支配を行うまでには長い時間がかかりそうです。

チュニジアで行われていた統一政府組閣交渉などについて、サンプルとして、記事を貼っておきますが、詳細は省略。

“Tunis: Libyan Government of National Accord Announced,” Tunis-tn.com, January 19, 2016.

何はともあれ、GNCで議員や閣僚を経験したファーイズ・サッラージュを首班とする国民合意政権(GNA)(の核となる大統領評議会9名)がチュニスで選出され、欧米諸国を主体とする国際社会の後押しもあり、首都トリポリに帰還して政府としての実態を確立する作業が始まりました。

“UN-backed Libya government ‘to move to Tripoli in days’,” Al-Jazeera, 18 March 2016.

3月30日から翌日にかけて、サッラージュらGNA首脳は、船でリビアの首都トリポリに上陸します。
“Libya’s UN-backed government sails into Tripoli,” Al-Jazeera, 31 March 2016.

“Libya: Can unity government restore stability?,” BBC, 4 April 2016.

国民合意政権を認めないぞ、と言っていたトリポリのGNCを支持していた民兵集団が突如寝返ってGNA側につくなどして、GNAはトリポリでの地歩を固めつつあります。どうやってひっくり返したんでしょうね。

“Tripoli U-turn leaves Libya and hopes of peace in chaos,” The National, April 7, 2016.

欧米諸国とアラブ諸国(ヨルダンやUAEなど)との間で色々と裏がありそうですが、いずれにせよ「イスラーム国」の伸長は防がないといけない、ということだけを旗印に国内外の諸勢力がまとまりかけているとは言えるでしょう。

「「イスラーム国」と戦ってやるから武器よこせ」という現地民兵組織に武器を与えてしまっていいんでしょうか、という問題はある。GNAを支持すると言い出した諸勢力には、カダフィ政権を倒す原動力となったミスラタの民兵から、旧カダフィ派まで、さまざまな勢力がいる。5月16日にはウィーンで、2011年以来リビアに課されていた武器禁輸を一部解除してGNAを軍事的に支援することが米国やロシアなど主要国の間で合意された。

対「イスラーム国」作戦に、米国、英国、フランス、ヨルダンなどの特殊部隊が「アドヴァイザー」として加わっており、実際には銭湯にも参加している様子がちらほらと伝わってきます。その一部を紹介。

“Keeping the Islamic State in check in Libya,” Al-Monitor, April 12, 2016.

“Gaddafi loyalists join West in battle to push Islamic State from Libya,” The Telegraph, 7 May 2016.

“Libya frontline exclusive: Fighters plea with West for weapons in new battle against Islamic State,” The Telegraph, 20 May 2016.

“Why is Libya so lawless?,” BBC, 18 April 2016.

“World powers agree to arm Libyan government,” Financial Times, 17 May 2016.

(5)スィルト奪還作戦

このように裏表でいろいろな動きがあった上で、2016年5月から6月にかけて、スィルトの「イスラーム国」の拠点を制圧する軍事的な作戦が展開されるに至った模様です。

“British special forces ‘blow up Isis suicide truck in Libya’,” The Independent, 26 May 2016.

“British special forces destroyed Islamic State trucks in Libya, say local troops,” The Telegraph, 27 May 2016.

“On the Frontline of the Battle Against Islamic State, Libyan Fighters Face a Vicious Enemy,” Vice News, June 8, 2016.

“Isis in Libya: Government forces ‘capture key port of Sirte’ as battles to drive out jihadists continue: Battles are still taking place in the city centre as government forces advanced from three sides,” The Independent11 June 2016.

“GNA forces claim progress in Sirte against IS but casualty figures rise,” Libya Herald, 14 June 2016.

【今日の一枚】(6)リビアの分裂状況(その4)複数の「イスラーム国」への複数の掃討作戦

先日は「リビアの分裂状況(その3)」で、まだら状に「イスラーム国」を名乗る、忠誠を誓う勢力が出てきた(イラクやシリアの「イスラーム国」との組織的なつながりがあるかというと、それほどなく、むしろ「鞍替えした」「看板をかけた」という程度ですが、それが「イスラーム国」のメカニズムですから)段階の地図をお見せしました。

まだら状に「イスラーム国」を名乗る勢力が出てきましたが、その中でも中部沿岸部のスィルト(及びナウファリーヤ)で、他方で東部デルナで、都市の主要部を制圧していきました。

それに対して、分裂したリビアの複数の「政府」(を名乗る集団)が、制圧作戦を行って「統治者」としての立場を国内・国外に示そうとしていきます。

現在のスィルトの掃討作戦では、西部のミスラタの民兵勢力や中部沿岸部の民兵集団「石油産出施設護衛隊」などが支持しているトリポリの「国民合意政府」が主導していますが、国民合意政府への参加を渋っている東部トブルク政府、その中でも「リビア国民軍」を指揮するハフタル将軍派もスィルトへの進軍を狙っているとされ、そうなるとトブルク政府とトリポリ政府を支持する民兵がスィルトをめぐって衝突することにもなりかねない、と危惧されています。「イスラーム国」は混乱の原因ではなく、結果としての現象なので、「イスラーム国」を制圧しても対して状況は変わりません。

分裂が著しいリビアでは、政府が複数あるだけなく、「イスラーム国」も複数あり、「イスラーム国」を掃討する勢力も複数あり、それぞれの政府徒渉するものの中でもまた分裂しています。

スィルト包囲作戦とそれをめぐるリビアの全体状況を図示したのが、AFPのこの地図。

リビアスィルトの包囲網

“Libya unity forces in street battles with IS in Sirte,” Daily Mail (AFP), 11 June 2016.

“IS suicide bombers in Sirte hit pro-govt Libyan forces,” Al-Monitor (AFP), June 12, 2016.

6月9日に、スィルト制圧作戦を進める「国民合意政権」は、近く作戦完了の見通しと発表しており、主要な港を制圧した、といった続報はありますが、帰趨は明確ではありません。

おまけでアラビア語版も。

リビアの分裂地図AFPアラビア語2016年6月

【今日の一枚】(5)リビアの分裂状況(その3)「イスラーム国」への呼応の萌芽期

ここのところ、リビアの分裂の進展についての地図を2枚お見せしましたが、今日は3枚目。2015年5月にニューヨーク・タイムズ紙のウェブサイトに掲載されたものです。

ISIS Libya May 2015 New York Times
“How ISIS Expands,” The New York Times, May 21, 2015.

ニューヨーク・タイムズ紙のこのページは、この時点での「イスラーム国」の、世界各地での多種多様な現れについて、複数の方法の地図表現によって示したもので、「イスラーム国」の組織の特性、複数のあり方を説明する時に、視覚的に把握してもらうために大変重宝しますので、よく使わせてもらっています(記事をクリックして記事本体を見れば地図はより鮮明になります)。

この地図は、2015年の5月の時点でのリビアやエジプトのシナイ半島で、各地で局地的に、「イスラーム国」に共鳴し、「イスラーム国」を名乗る勢力が出てくる様子を図示したものです。

興味深いのは、それがイラクやシリアの「イスラーム国」が地理的に連続した領域に延伸することによって広がっているのではなく、現地のそれぞれの文脈で、現地の勢力が「イスラーム国」を名乗る現象が「まだら状」に生じていることです。

このまだら状の斑点、あるいは水滴状の勢力分布が広がってつながると、まとまった面積の領域支配となります。この時点ではまだまだら状の斑点が散らばる状態でした。

中部沿岸部のシルト(地図上ではSurtと表記)、その少し東のナウファリーヤ(An Nawfaliyah)、東部のデルナに「イスラーム国」を名乗る集団が出てきていることが分かります。

現在の状況としては、先日お見せした今年2月の地図では、カダフィの故郷であるスィルトを中心に、水滴が集まってちょっとした湖になるように、まとまった範囲が勢力範囲になってしまっています。そして今年3月30日に一応成立したことになっている「国民合意政府」に集まる民兵集団を英国などが支援して、スィルトの制圧のための軍事作戦が今進められており、6月9日には「国民合意政府」はあと数日でスィルト奪還作戦が完了するという見通しを示しましたが、その後の展開は明らかではありません。スィルトの「イスラーム国」勢力は軍事力や統治能力はそれほどないものの、自爆テロを繰り出して抵抗している模様です。

【今日の一枚】(4)リビアの分裂状況(その2)全土

前回に続いてリビアの地図。BBCがよく使っているリビア全土の割拠の地図を貼っておきましょう。どうやら2015年8月現在の状況のようですね。

リビアの派閥2015年8月現在
“Guide to key Libyan militias,” BBC, 11 January 2016.

その後の変化についてはいちいち作っている暇がないと見える。また、細かいところは分かりようがないですね。

南部の部族の問題など、沿岸部とはまた別の要素が入ってくる。サヘル地域とのつながりなど、また別の地図を探してみましょう。

【いただいた本】女王陛下のブルーリボン

「いただいた本」。どれにいたしましょうか。

この本を再び手に取ってみました。


『女王陛下のブルーリボン―ガーター勲章とイギリス外交』(NTT出版、2004年)

君塚先生とは、人を介して知り合ってから、本を出すと送っていただき、また私も及ばずながらお送りするようになりました。おそらくこれが最初にいただいた本ではないかと思いますが、しかし最初に出された学術書の『イギリス二大政党制への道―後継首相の決定と「長老政治家」』(有斐閣、1998年)まで持っているのは、おかしい。これはたしか、知り合った時に、遡って最初の本から寄贈してくださったのではなかったか(2002年の増刷版が手元にあります)。そういう方です。昔の学者が、きちんとした手紙を添えて、封緘印まで押して、長い時間をかけて作った著作物を、丁寧にやり取りしていた、学術書は本屋で買うよりも、図書館で読むよりも、直接寄贈しあう関係の中で読まれ、広まっていった、そんな時代の空気を今の時代に維持していらっしゃる稀有な先生です。

明らかに私の読む速度を超えて本を書いていらっしゃっております。

『物語イギリスの歴史』(中公新書、上下巻)のように手に入りやすく一般向けにも読みやすく書かれている通史もあり、『近代ヨーロッパ国際政治史』(有斐閣)のように西洋史の教科書として書かれたものもあり、新しい読者のためにも最近のご著作を挙げようかと思ったのですが、やはり記念すべき、最初にいただいた本書を挙げさせていただきました。君塚先生のご著作の全体像についてはこちらから。

ま、君塚先生といえば、何と言ってもやはりこれですから。

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The Guardian

「これ」なんて言っては不敬罪で磔・打ち首にされそうですが。馬で八つ裂きかなむしろ。中世のこの人たちやることがとにかく野蛮。

君塚先生が確立された「英王室もの」の中でも他の追随を許さない「勲章もの」の記念すべき第一作となった名著、今でも大切にしております。