秋は学会(2)戦略研究学会のシンポジウム(10月29日)

秋の学会シーズンの「お世話」仕事の紹介その2。戦略研究学会では理事に任命された上、大会・企画委員会にも入れていただいたので、企画をしてみました(私一人で企画したのではありませんが)。

こちらは一般聴衆向けもある程度意識しています(事前申し込み不要、参加費2000円)。

戦略研究学会シンポジウム「エネルギー市場の未来と日本の技術戦略」
日時 2016年10月29日(土) 14:00~17:00
会場 明治大学駿河台キャンパス リバティタワー12階1123教室
※東京都千代田区神田駿河台 JR・地下鉄お茶の水駅下車

【講演①】「LNG市場戦略」は成功するか?
岩瀬 昇氏(エネルギー・アナリスト、元三井石油開発常務執行役員)

【講演②】「製造産業の技術戦略とイノベーションについて」
宮崎貴哉氏(経済産業省製造産業局製造産業技術戦略室長)

【ラウンドテーブル】
岩瀬 昇氏(エネルギー・アナリスト、元三井石油開発常務執行役員)
宮崎貴哉氏(経済産業省製造産業局製造産業技術戦略室長)
奥山真司氏(コメンテーター、国際地政学研究所上席研究員)
岩瀧敏昭氏(コメンテーター、明治大学社会連携機構客員准教授)
池内 恵氏(司会、東京大学先端科学技術研究センター准教授)今回の企画は、エネルギー市場の、技術的変化を踏まえた最新の動向の分析と、それを前提にした技術戦略・イノベーション戦略の政策論とをつなげるという趣旨のものになりました。

私も、ラウンドテーブルでの議論にモデレーターとして登壇しますが、もっぱら聞き手です。

秋は学会(1)日本国際政治学会(10月14日〜16日)

秋は特に学会が多いですね。週末がほとんど潰れてしまいます。今時の大学教員は事務作業が多く、平日は研究をほとんどできませんので、週末の学会のための準備を別の週末や深夜にやるということが多くなります。

今年の秋の学会は、自分で報告するよりも、「お世話する」ことが多くなりました。いくつか挙げておきます。一般聴衆向けの公開講演会も含まれますので、ご関心のある方はぜひ。

日本国際政治学会・2016年度研究大会(10月14日〜16日・幕張メッセ国際会議場)

日本国際政治学会では、任期2年間の企画・研究委員会という役を2015年から引き受けていましたが、昨年あまりに忙しくて企画を出せなかったので今年は部会企画を三つ出したところ全部通ってしまいました。そのうち二つは直接運営のお世話をしますので、作業で目が回っています(なお、内規により企画委員はパネル報告やコメントをしないのが原則なので、あくまで裏方です)。2年分のお仕事をして、無事放免される予定です。当分こういったお世話の仕事はやらないのではないかと思います。

10月14日(金) 13:00-15:30 部会2「多元的政軍関係」
司会・討論
宮本悟(聖学院大学)

報告
佐野秀太郎(防衛大学校)「21世紀における軍事組織の在り方~民間軍事警備会社(PMSC)が提起する課題」
山尾大(九州大学)「分断社会の多元的な政軍関係――戦後イラクを事例に」
吉岡明子(日本エネルギー経済研究所中東研究センター)「未承認国家の「国軍」形成における課題:イラク・クルディスタンの事例から」

討論
池田明史(東洋英和女学院大学)

 

10月15日(土) 9:30-12:00 部会7「インサージェンシーの地域比較」
討論・司会
中西嘉宏(京都大学)

報告
山根健至(福岡女子大学)「フィリピンにおけるカウンター・インサージェンシーと非国家主体の役割」
髙岡豊(公益財団法人中東調査会)「シリア紛争に伴う非国家主体の台頭:シリア北東部の事例から」
馬場香織(アジア経済研究所)「近年のメキシコにみる麻薬紛争と自警団の台頭」

討論
本名純(立命館大学)
小泉悠(公益財団法人 未来工学研究所)

 

10月16日(日) 9:30-12:00 部会8「帝国の解体と再生(サイクス=ピコ協定100周年)」
司会
浅野豊美(早稲田大学)

報告
坂元一哉(大阪大学)
「戦後日本と『帝国』再生の条件:憲法、平和条約、安保条約」
廣瀬陽子(慶應義塾大学)
「未承認国家の誕生と存続:帝国・連邦の遺産」
赤川尚平(慶應義塾大学)
「オスマン帝国の解体とイギリス外交」

討論
岡本隆司(京都府立大学)
佐藤尚平(金沢大学)

このうち上二つは「政軍関係」について、特に中東で非国家主体が大きく関わってきていることをどう捉えるか、という問題関心から企画したもので、連続性・一貫性があります。二つの部会で出てくる多くの事例から、新たな状況を踏まえた政軍関係論が立ち上がってくることを期待しています。

私自身がこのテーマを含む課題に取り組んでいるところでもありまして、企画をして様々な研究者に知見を報告してもらうことは、私個人に取っても有益であり、楽しみにしています。

また、部会8「帝国の解体と再生」も、タイトルと、括弧の中の添え書きを見れば、やはり私の最近の仕事と直接に関わっています。

これと・・・

これですね。

裏方をやって何が楽しいかというと、自分の興味のある対象について、自分ではできないことを他の人にやってもらうことができることです。

日本国際政治学会の研究大会の多くは、研究者向けですね。ただし一般向けを意識した「市民公開講座」もあります。

今年は60周年記念大会なのでひときわ規模も大きく、海外から招聘して英語パネルも多くなっています。

非会員でも登録して参加費を払えば聴くことができますが、専門的にその分野に取り組む訓練を受けたことがない人には、それほど強くお勧めしません。

専門家の間の議論の積み重ねの成果が、将来なんらかの形で一般読者の目に触れるところに来ると思いますので、その時までお待ちください。

【寄稿】『プレジデントFamily』で先端研・イスラム政治思想分野が紹介

インタビューが掲載されました。

『プレジデントFamily』2016年10月号(2016年秋号)、58-59頁

こういう形態の雑誌に載ることは少なかったので、私自身が理解を試みたうえで説明しますと、『プレジデントFamily』は、将来の大学受験に備えた小学生の子を持つ親向けの雑誌です。そのような親子をターゲットにした様々な教育・受験産業の広告も多く載っています。

今回は全体が「東大」特集で、「東大生174人の小学生時代」が総特集のタイトル。東大合格者とその親の体験談などが種々載っている中で、「世界を変える! 刺激になる『こんな研究、こんな先生』」というコーナーがあり、イスラム政治思想分野(池内研)の様子が見開き2頁で、研究室の中での写真と共に紹介されています。

私以外にはウイルス学の河岡義裕先生(医科学研究所・ウイルス感染分野)、宇宙物理学の村山斉先生(カプリ数物連携宇宙研究機構)が取り上げられています。

相手が小学生だろうが親だろうが私は手加減しないので、通り一遍の「イスラームっていいですね」という話ではなく、イスラーム教の規範が現代の国際社会の中でどのような場面で問題化されるのか、その根本を論じています。

編集部も、頑張って理解し表現しようとしてくれました。

私の写真には「願望で世の中を読み解いてはいけない」などと強烈なキャプションが大きくかぶさっています。

なお、この雑誌のホームページは、最新号表紙の写真と編集長の言などに続き、いきなり「媒体資料」「広告料金表」などが掲載されているように、教育・受験業界の広告媒体としての性質が強く出ております。要望に応じてタイアップ記事などを編集部が提案してくれるようです。

念のため、池内研は掲載してもらっても何ら利益を得るところはないので、広告料等はもちろん払っておりません。東大特集のコンテンツとして、受験生の親子と同様に、取り上げられているという形式です。

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「教育歴」を固定ページに追加しました

新年度の授業が順次始まっています。

過去の講義を振り返りながら、新しい課題を盛り込んだり、抜本的に見直したりといった作業を進めています。

この機会に、ブログに新しい固定ページ「教育歴」を加えました。ページの上部のタブのプロフィール論文単行本と並ぶ位置に設置しました。プロフィールや論文リストは代表的なもの、簡略なものだけなので、いつか時間ができたら完備したものを掲載しようかと思います(が、とても時間がありません)。現状分析など、ウェブに掲載されたものをリアルタイムで反映する仕組みをつくって、このブログを見れば私の議論についてはポータルになるようにしたいのですが、極端な忙しさに紛れて道半ばです。

これまで私は本務校としては、「学部」に勤めたことがありません。アジア経済研究所国際日本文化研究センター(大学院は総合研究大学院大学国際日本研究専攻)→東京大学先端科学技術研究センター(大学院は工学系研究科先端学際工学専攻)と移ってきており、最初のアジア経済研究所は経済産業省系の独立行政機構(JETROと統合)のため授業はなし(アジ研に付設の開発スクール(IDEAS)はありますが、私は担当していませんでした)、その後も大学院博士課程のみの研究所に勤めてきましたので、文系の研究者には珍しく、学士課程の「学部」で教えることを主たる任務とした経験がありません。

しかし、学内の学部から依頼を受けて出講したり(学内非常勤)、他の大学から依頼を受けて集中講義で出講する(非常勤講師)ことはあります。

特に東大では、先端研に着任する以前から単発で教養学部や法学部・公共政策大学院で非常勤講師をしたこともありますし、東大内に来てからは学内非常勤で文学部(大学院人文社会系研究科と合併講義)・教養学部(後期課程)で授業を担当しており、今年度は法学部・公共政策大学院でも授業を担当しています。

また、東大内のプログラムとしては、社会人向けのエグゼクティブ・マネージメント・プログラム(EMP)に、第5期から現在まで続けて出講しています。

日本では中東・イスラーム研究は中世の歴史・思想研究が中心で、特に東大ではそうなのですが、それですと学生や社会人学生の現代中東・イスラーム世界への高まる関心に応えきれないので、先端研という少し離れた場所にいる私ですが、依頼を受ければなるべくお引き受けすることにしています。

(なお、学内非常勤に報酬はありません。もともと外部から来ていただく非常勤講師にも本当に本当に微々たるお給料しかお支払いできないのですが)

本務校・所属部局以外のいろいろなところで非常勤で講師をすることを繰り返すうち、どこで何をやったかわからなくなるといけないので、授業の準備をしながら、過去の記録を引っ張り出して、整理してみました。

こうして並べてみると、だんだん進歩しているように?見えてきますがどうでしょうか。

それよりも、中東やイスラーム世界に関する世の中の関心の量と質が、この間に決定的に変わりましたね。それは中東・イスラーム世界そのものの変化に対応しています。

学問の世界がその変化に適切に手対応して行っているか、その点でも考え直す必要がありそうです。

メディアと政治の関係と、それを支えていたムラ社会の崩壊はどこまで及ぶか

これは重要なコラム。

三浦瑠璃「メディア「ムラ」は民主的に統制されるべきか?―高市総務相の放送法発言問題」『山猫日記』ブログ、2016年2月16日

浅薄な党派性や、学者業界のやっかみ、色々なゲスの勘ぐりとかは別にして、自分の拠って立つ根拠を問い直すのに有用な論説です。

メディアへの政治の介入がメディア産業大手の媒体で盛んに議論されるけれども、どこかピンとこない。

言論が不自由になっているというが、不自由になったとされる事例の大部分は、メディア産業の内部で勝手に自粛し、勝手に忖度して不自由にしているだけだ。確かに政治家の圧力はあるだろう。しかしなぜそれにメディアが脆弱になったのか?

ここで三浦さんはメディア産業のムラ社会としての崩壊あるいは弱体化を真の理由としています。

私がもっと大雑把に単刀直入に言ってしまうと、今の政治家が昔よりメディアに圧力をかけるようになったというよりは、今のメディア産業が以前より財政面でも、知的な優位性や排他性を根幹とした競争力といった存立根拠の面でも脆弱になり、その結果、政治家の顔色を伺うようになったのです。

過去の政治家なんてそれはもう、様々な恫喝を繰り返していたわけです。しかし今のように問題になることは少なかった。今の社会が右傾化したから問題になるのか?そうではありません。

今は政治家が何も言わなくても、メディア企業の現場が(特に中間管理職が)萎縮して、先回りして忖度して、企画を潰し、出演者をすげ替え、番組をなくしていく。そこが問題なのです。それはなぜなのか?

以前は政治家の圧力があまり問題にならなかった理由は、一つは、「昔はそんなことが当たり前だったから」ということもあります。昔は今よりもっと理不尽がいっぱいの世の中だったんです。だから一つ一つの理不尽はあまり問題視されなかった。昔は今よりずっと身分制社会でした。専門能力を高めても報われず、家系とか大学学歴(学校歴)と最初の就職先で決まった身分差が、徳川時代の家格差のように一生固定されて、その中でのお役目を演じていなければならなかった。男女の役割ももっともっと、もっともっともっともっと・・・固定的だった。

SNSもないから、人々はあらゆる理不尽を、黙って耐え忍ぶしかなかった。時々出てくる「コンピュータ付きブルドーザ」とか(知らない人はググってね)、最近では(もう最近ではないか)何かと官僚を土下座させて従わせた北の代議士さんとかが秩序を一時的にひっくり返してくれることに、民衆は快哉を叫んだのですが、それで大勢は変わらなかった。

もう一つは、ここで三浦さんが指摘しているように、かつては政治は政治、メディアはメディアでムラ社会があって、その中の秩序には外の介入を(ある程度)はねのけるという形で、一定の抑止力が働いていたのです。政治家の介入に対して、「相打ち」ぐらいにはできた。メディア・ムラの中の誰かが何かの番組で政治家とトラブっても、相互にクビを賭けるぐらいの重大事になると、メディアがムラをあげて擁護してくれて、喧嘩両成敗ぐらいに持ち込んでくれた。それで理不尽に飛ばされたり辞めさせられたりしても、ムラの中のどこかで処遇してもらえたのです。

これはメディア産業に限ったことではなく、土建だの鉄鋼だの銀行だの、あるいは各省庁や公営企業などにそれぞれ、業界がありムラ社会がありました。たとえば極端な話、企業が汚職で時々特捜部に挙げられても、社員を差し出して社全体あるいは上層部には累が及ばないようにした。検察を含めた政府もそれぐらいで矛を収めたわけです。社員は肝心なことに口を割らなければ、出所してからムラのどこかで人知れず処遇された。おおっぴらに復権することすらあった。国家の法すら、ムラ社会がある程度介入を阻止していたのです。

メディア産業の確保していたように見える「自由」は、自由の理念を信奉し守り抜く、意識と能力の高いジャーナリストたちによって成立していたのではありません。ムラ社会の論理でよそ者(政治家を含む)を排除していたことが、あたかも「自由」を獲得しているように見えただけです。

だからムラ社会の中で都合が悪いことについて大いに自由を抑圧して恥じない人たちが、メディア産業の構成員でいられた。そういう人がムラの中で出世した。それは専門能力ともジャーナリストとしての意識の高さとも関係なかった。偉くなった人が偉いジャーナリストと呼ばれていただけなので、昔のジャーナリストとされる人の本を読んでも、ろくなものはありません。そもそも取材力や論理的思考力なんて問われていなかったのです。「政治家の懐に入る」とか、単なる癒着です。メディア・ムラと政治ムラの入会地のような記者クラブとか待合(知らない人はググってね)で、どれだけそれぞれのムラの論理を背負って談合できるかが出世の分かれ道だったのです。

ムラ社会の崩壊は、根本はグローバル化の影響によるものです。特定の会社と、会社が属するムラ社会のしきたりに習熟しているということが、国際比較の上でさほど価値を持たないことがばれてしまったのです。ばれやすい業界から早く潰れて改組されていきました。金融のようにはっきりと海外との力の差が出る業界が先に壊れて、銀行の数はうんと少なくなりました。

金融の世界よりも国際比較がしにくい業界は、改組が遅れましたが、グローバル化がより深く広く浸透することで、やがて既存の業界ムラ社会が立ち行かなくなる時代が、業界ごとに順にやってきています。メディア業界にもついにその波が及んだのでしょう。

なお、政治の世界は、小選挙区制の導入など1990年代の前半の改革で、部分的にグローバル化の影響が及んでいます。だから政治ムラの基本構成単位であった派閥の力も弱くなり、族議員の力も弱まり、以前よりずっと少額の汚職で政治家が捕まるようになり、そして政権交代も生じたのです。

しかし政治家の汚職を、ムラ社会同士の緊張・均衡関係の微妙な間合いで暴いたり黙認したりしていたメディア産業にも、政治の動向とはひとまず関係なく、グローバル化の影響が及びます。日本語という言語障壁に守られていたので、波が及ぶのが遅れたのです。

インターネットやSNSなど情報コミュニケーション・ツールの発展と普及が、ついに日本のメディア産業にもグローバル化の影響を十全にもたらしました。海外のニュース・メディアから簡単に国内で情報を入手できるようになり、AIやクラウド的に効率的に情報が取捨選択されるようになると、そこに介在していたメディア産業の優位性は薄れます。

かつては新聞社や通信社は高い契約料を払ってロイターから記事を買っていました。テレックスからぺろぺろと出てくる紙を見て、それを元にちょいちょいと潤色して記事を書いていれば、日本の誰よりも知っているような顔をできたのです。

ところが、今やロイターも、インターネット上で英語で主要記事はほぼ全部リアルタイムで無料で公開してくれています。高い講読料を払える会社とか官庁とかに属していないと海外情報を得られないという時代ではなくなったのです。それによってメディア産業の内部にいる人の知的な比較優位は劇的に低減しました。これは金融業界どころではない暴落ぶりです。

同じように、かつては外務省の中にいて、大使館からくる「公電」を読めることが、海外事情に関する圧倒的な優位性を外交官にもたらしていました。

しかし実際にはその「公電」の大部分は現地の新聞をクリッピングしたものなので、インターネットで現地の報道をリアルタイムで見られる現在、公電を読める官僚の優位性もかなり低下しています。これはロイターとそれを後追いする特派員を置いていた新聞の優位性が崩れたのと同じ道理です。

かつては宮澤喜一さんが毎朝英字新聞を読んでいるというだけで、政治ムラでもメディア・ムラでも尊敬されていて、実際一足早く情報をつかめていたんです。信じられないですね。それではもう、外交・安全保障で欧米に負けますよね。向こうには何万人も何十万人も「毎朝英字新聞をきちっと読んでいる宮澤さん」程度の人はいるんですから(もっといるか)。逆に、欧米企業も日本市場のことを分からなかった。日本市場に入るには日本のそれぞれの業界のムラ社会を仕切る企業と組むしかなかった。

このような理由で、現在、メディア産業は、財政的にだけでなく、その根幹の知的優位性で、存立根拠を掘り崩されてしまっているのです。一般読者がインターネットを通じて情報を得てしまうことを、ムラ社会の論理で止めることはできません。特に国際分野ではそれが顕著です。外にある情報の方が一次情報に近く、国内のメディア・ムラはそれをかつて独占的に入手して翻訳して色をつけていただけだった(かえって分かりにくくしていたりした)のですが、ほぼ無料か、安価な講読料で誰でも元のソースに当たれるようになったので、「鞘抜き」をしていた業界の基盤が一気に失われてしまったのです。

このような根本的な変化による苦境に目を向けると、そもそも今いる社員の大部分はこのままでは今後のあるべき組織では必要ない、と言われてしまいかねませんので、見ないようにしたい。まずは規制の維持や税制面を含む優遇措置でなんとかムラ社会の優位性を保ちたい、と努力するわけですから、政治にこれまで以上に依存するようになります。そうなるとやたらと忖度するようになるのです。個々のメディア企業人も、クビになってももうムラの中で処遇してもらえないし、財政基盤や職業機会そのものが細っているのを知っているから、しがみつく。しがみつくために忖度する。政治家が「あれがね〜」と言っただけで「あれですね!これですね!」と忖度して打ち止めにしたり降ろしたりしてしまう。

ここまでメディアが脆弱になったんだから、ただでさえ顔色伺うんだから、政治家はあまり厳しく言わんといてくれ、口には気をつけてくれ、というのは私も思わないではないですが、 それをジャーナリスト自らが言ってしまうのは、あまりに嘆かわしいのではないでしょうか。

では、どうしたらメディア産業人が政治家の顔色を伺わないでよくなるのか、といえば、簡単な話で、個々の記者の専門能力といった根本的なところから、企業・業界の体質改善をしなければなりません。情報そのものの価値を高めて政治への依存を低めるという形で、肯定的な意味でムラ社会の崩壊を乗り越えないといけないのです。

(そのためには、大学院に来て鍛えなおしましょうよ!と大学業界に利益誘導してみる、というのはちょっと本気の冗談です。本気ですいえ冗談です)

個々の記者にはそういった努力をしている人は結構いますが、そうでない人を守るのがムラ社会の論理であり、そうでない人の方が数としては多いのが世の常でしょう。これまでやってきたこと、自分が築き上げてきたものを否定することはつらいものです。できれば逃げ切りたい。

でも、もう逃げ切れないんじゃないかな・・・ということを、すでに多くは気づいているんでしょうが、なおも認めてはいない。認めるということこそが、ムラ社会の掟を破ることだから。多くが気づいているんだけれども、認められないでいる。

こういう状態は、政治学・社会科学的にはかなり研究されています。そして、どこかで閾値を超えたときに、大きな変化が起こることも知られています。閾値がどこかは、変化が生じてみないと分かりません。それは社会科学の限界です。

しかしおおよそ言えることを挙げておくと、一つには世代交代が影響を与えるでしょう。頑固にムラ社会を守ってきた上の世代が退き、若い世代はもう「逃げ切れない」と感じて、ムラ社会の既存秩序の維持にコミットしなくなる。その時に大きな変化が訪れるでしょう。

ただ、お神輿と同じで、本当にどうしようもずっしりと重くなるまでは、担いでいるフリをする人が多いですから、誰もがいつ逃げ出せばいいかわからない。でも気づいた時には、全員が担いだフリをしているだけになって、突然ドカンと神輿が落ちてしまう。

私自身は、萎縮や番組改編をめぐって今現在特に話題になっているテレビ、あるいは日本では戦後の長い自民党支配の下で政策によって産業構造的にテレビと不可分になっている新聞を主とするメディア産業だけでなく、その一部とも言えるが、部分的に重なる別の産業とも定義次第では言える出版産業もまた、大きな変化が生じる閾値の限界まできていると感じています。それは日々のやりとりで、「あ、ここ危ないな」と感じる、私の勘に過ぎませんので、杞憂であってくれることを望みます。でも取次とかどんどん潰れているということは、従来の形の流通が立ち行かなくなっているのでしょう。取次から回収できないで損失を被っている出版社も多いでしょう。幾つかの出版社を採算度外視で支えてくれていたスポンサー企業も、それがメディア産業であれば、苦しくなっているでしょう。

たとえ今年や来年に危機が現実化しなかったとしても、それは危機を回避した、乗り越えたということではなく、破局が先延ばしになっているだけではないか、むしろなんらかの無理な外在的な支えによって、あるべき再編が先延ばしになり、将来にもっとひどい状態になってからギブアップするのではないか、とも危惧します。その時こそ、メディアは「第二の敗戦」と自らのムラ社会の終焉を報じるのでしょうか(そもそもその時に残っているメディアとはどういうものなのでしょうか)。

さて、メディアと出版に一定程度関係があり、部分的に依存している面がある大学という産業も、グローバル化の波を受け続けています。末端の教員の質や授業の内容などでは、2−30年前とは大きく変わっている部分があります。留学が一生に一度の「洋行」だった時代とは異なり、日々の研究・調査で常に外国の最先端の議論に触れ、やり取りすることが可能になった現在、個々の研究者は、その最先端では急速にグローバル化していることを、付き合いのある同世代の研究者たちの動きや成果を見て感じます。近年の大学改革議論が、そういったグローバル化の波を受けなかった時代に教育を受けた官僚や企業人、旧来の基準で評価され本を出し重用されてきた人たちによって主導されていることを、私は危惧します。

同時に、「学部の自治」という日本の固有の慣習や、国際的な基準をある程度取り入れた「研究者の相互評価(ピア・レビュー)」「学者の終身任用制(テニュア)」によって、大学内には一定の連続性が保たれているとともに、それが実態上は単に学者の世界のムラ社会の支配を温存させるだけで、学的卓越性の向上には繋がっていない場面もしばしば見かけます。しかし外部から改革圧力をかけることが、それらのムラ社会を一層頑なにし、ムラ社会の異分子を排除して縮小均衡を図ることに終わり、「改革者」は偽りの「成果」を手に天下っていく、といった残念な結果に終わりかねないことも予感しています。大学は政治による介入とは根本的に相容れないところがあります。

長い話になってしまいましたが、私が本当に言いたかったことはこの最後の部分なのかもしれません。メディアと政治の関係の変貌に、日本型ムラ社会の崩壊を見る三浦さんの視線は、もしかすると、おそらく、いや、きっと大学というムラ社会の基礎が掘り崩されていることも、見通しているのではないか。

三浦さんとはお会いしたことがありませんが、大学のムラ社会での登用という意味ではさほどプラスにならないどころか害になりかねない、先例のない大胆な形式で世の中に影響を与える大々的な言論活動に踏み切った三浦さんの発言には時折、いやしょっちゅう、何かを考えさせられます。

日本政治については実はそれほど関心がない私にとって、むしろ三浦さんの立っている場所と、そこから可能になる視点が気になります。「研究員」という、大学世界の内側を知っているアウトサイダーの立場からは、大学という世界にも、ムラ社会の存立根拠の溶解が進行していることがもっともっと明らかに見えており、完全にその中に入ってコミットする価値が、少なくとも三浦さんの立場からは感じられない、という程度のものになっているのではないか。

そして、大学というムラ社会の弱体化を一定の距離を置いて見る視点からこそ、メディアと政治の関係も、一歩引いてムラ社会の崩壊の余波として見ることができるのではないか、と。

もしかするとこれは今現在の私の関心事に過ぎないのであって、三浦さんのメディア政治論から多くを読み取り過ぎているのかもしれませんが。

【歳時記】秋は学会

あんまり研究者の生活って知られていない気がする。

前回は、私の事例から「海外渡航」はどのようなペースでやっているのか、それが基本的な、「調べて書く」という作業とどう噛み合うのか噛み合わないのかについて書きました。これは個人差があり、専門分野によって大きく相違があります。私のスケジュール自体が毎年変わりますので、私というそれほど一般的ではないかもしれない研究者のある年の一例を出したまでですが、私は当分このようなペースで仕事をしそうな気がします。

今回は「学会」について。今回もまた、私のスケジュールに基づき、個人的な「歳時記」のように記して、大まかなイメージを持ってもらえればいいかな、と思います。(今年中、今年度中にあと何ができるか、何をすべきかについて目下のところ整理中のため、こんな内容のブログポストが続きます)

「学会」って言葉は安易に使われることもあるけれど、学会で、本筋としては何が行われているか、ということについて、一般にはあまり知られていない。専門の研究者にとっては当たり前のことなので、あえて初歩から書く人はあまりいない。しかしSNSなどで素人が「学会」に言及しているのを見ると、あまりに実態とかけ離れた認識があるようだ。

また、そのような一般読者の誤った学会像に影響を受けて記事を書く大手紙・誌の慣れてない記者までも出てきて、いっそう混乱を広めることすらあるので、このブログでも時折、実際に研究者はどこで何をしているのかについて、あえてミクロの視点で書いておきたい。

たとえば「学会ボスを囲む派閥の飲み会での陰口」の次元での評価とか(最近はそれが匿名SNSアカウントに漏れ出す)、「学会有志」の集団での何やら高みに立った政治的発言とかも、それが実際に研究資源の配分の場になっていたり、権力を行使する経路になっている以上、「学会」の活動であると言えないこともないが、それは本来の学会の機能や仕組みとは違いますよね。

学会は、通常は、本来なら、「研究発表」の場ですね。予算とかは直接学会を通して動くことはあまりありません。

学会とはもっと純粋に、大会で発表したり、学会誌に寄稿したりするためのものです。それを運営する際にはお金とか権力が発生しないこともないですが、たいしたことはありません(「学会で有力」という触れ込みを他所で使ってそれらを手にする人はいますが、学会としては関知しないのが原則です)。

よくある怪しいサプリなどの広告のように「学会で発表された」というのはそれだけではたいした意味を持ちません。それではどうなれば意味ある学説なのか、というと、これはそう単純ではない。ただし、確実に言えることは、「偉い人がお墨付きをしてくれたから正しい」ということにはなりませんし、そのような正しさを判定できる「偉い人」という主体は、学会内にはありません。実力者とか権力者っていうのはどこの社会にもいるわけで、そういうのは多くの学会にいたりしますが、その「実力」「権力」は、学説の正しさとは無関係であり、日頃の別種の努力の賜物です。それを学説の正しさと混同するかどうかは、本人およびそれを受け止める側の問題です。

重要なのは、学会の大会や学会誌で発表されたものが、その後どれだけ事実によって検証され証明されるかです。正しい知見を世の中に成立させる、一つの重要なプロセスとして学会発表や学会誌はあります。このプロセスは万能ではありませんし、一つ一つの行いはそれほど目立たず、報告や論文は時に間違ってすらいるものですが、それらを発表する場を確保して、適切に集合知を集め検討する場を提供し続ければ、やがてはそこから何かが生み出されます。しかし集合知が集まらないような制約を、権威主義や学閥等によって課せば、学会は面倒なだけで役に立たないものになります。

・・・といった学会の機能とその機能を発揮させるための条件を踏まえて、研究者は学会にほどほどに付き合うのがいいのではないでしょうか、というのが私の姿勢です。

ですので、私としては、学会での報告や寄稿が多い年と、そうでない年が交互にくるぐらいがちょうどいいと思っています。

2013年度は集中的に学会誌に寄稿していました。その成果を一般読者でも読めるようにコンパクトな新書に落とし込んだのが『イスラーム国の衝撃』(文春新書)でした。

今年度は大会報告が多い年になりそうです。秋の学会シーズンが始まっていますが、今後の発表の日程のうち、明確に「学会の研究大会」と謳った場所での報告は、以下のものになるでしょうか。

池内恵「中東の安全保障環境の激変と日本の関与」日本国際政治学会2015年度研究大会・共通論題「日本の安全保障―戦後70年からどこに向かうのか―」2015年10月31日(仙台国際センター、大会期間10月30−11月1日)

池内恵「拡大と拡散ーーグローバル・ジハードの展開の二つのモード」日本防衛学会平成27年度(秋季)研究大会・部会2「IS:イスラム世界の蠢動」2015年11月28日(防衛大学校、大会期間11月27日ー28日)

池内恵「オバマ政権の中東政策ー「アラブの春」とグローバル・ジハードに直面して」国際安全保障学会2015年度年次大会・部会4「オバマ政権の外交・安全保障政策再考」2015年12月6日(慶応義塾大学・三田キャンパス、大会期間12月5−6日)

「共通論題」や「部会」というのは、日本の学会の仕組みでは学会の企画委員会などが企画したパネルに依頼されて発表するというものです。理工系では「招待講演」というものにあたるようです。私は国際安全保障学会や日本防衛学会の会員ではありませんが、部会や共通論題で依頼を受けた時には報告することができます。

もちろん学会に入っていれば、公募に答えて応募してパネルを組んで、研究大会で発表することもできます。私は日本国際政治学会では自分が参加している研究プロジェクトのパネルを立てて報告したかったのですが、自分自身が企画委員会の委員である上に、共通論題の報告を引き受けてしまったので、同一あるいは連続する大会での複数回報告の禁止に引っかかってできませんでした(発表の機会をより多くの会員に開くためです)。

実際には、学会の研究大会と銘打っているものだけでなく、随時開かれているさまざまな研究会に呼ばれて発表するのが私の日々の主な仕事です。非公開の研究会で、自説を専門家の間に広めつつ、検証してもらい、そこから多くを吸収するのです。ただそれらは非公開なので、ブログ等で公表することはあまりありません。もう少し広い聴衆へ向けた講演などは、講演録・議事録が公開されることもあります。それらも重要な仕事です。

2013年度と2015年度の間の2014年度は、表向きは学会誌への発表は少なかったのですが(学会発表はありました)、むしろ学会誌の編集委員会の委員として編集のお手伝いをしたことが、記憶に残っています。そのうち一つが、日本国際政治学会の『国際政治』の編集委員会書評小委員会、というもので、委員会で議論していると、いつしか、私の興味を持った本やテーマについて、力の入った書評優れた書評論文が発表されるといった形で、間接的に集合知の形成に関われたりもするので、やりがいがあります。ただ、けっこう手間がかかって面倒ですけれども。

今年度・来年度は日本国際政治学会の企画委員も仰せつかっているので、いろいろ考えないといけませんが、中東の変化が激しすぎてそちらに取り組んでいるとちょっと頭が追いついていきません。いろいろご迷惑おかけしています。

理事(戦略研究学会)とか評議員(日本中東学会)といった役職を拝命している学会もありますが、支配的な立場には一切立っておりません。基本的には私は役職が似合う人間ではなく、皆さんもそれを分かっているので、「企画屋」としてスポットで呼ばれることが多いです。しかし私に企画を立てる時間もなくなると、懲罰で私が登壇させられたりしています。

「学会発表をしていなければ研究者ではない」とは言い切れませんが、あんまり長い間離れていると、やはり頭が錆びついてきます。一般メディアで根拠なく「大先生」のように扱われているうちに、知りもしない分野について語ることが当たり前になってしまう人を見ますが、「こんな内容をその専門の学会で話せるか?」と内省して自制してくれたらいいと思います。最近は学会もヘタレたものが出てきて、客寄せになるならといい加減な人を特別講演で読んだりすることもあると聞きますが、感心しませんね。学会は地味にやればいいんです。

それとやっぱり国際学会でも定期的に発表するようにしていないと、勘が鈍りますね。日本の機関のお膳立てで行く講演はあまりこの意味では役に立たないので、アウェーでの学会に応募して行くのが一番です。すごく緊張します。

【年末に向けて棚卸し】海外渡航の概要(2015)

あまりに忙しくて、今やること、先にやるべきこと、やるべきでないかもしれないがやらなければならないことなどが混乱していて回らなくなっている。

自分への整理のために。今年何をしていたのだっけ、と振り返る。

研究にはインプットとアウトプットという性質を異にする段階があり、しかも複数のテーマについて並行して考えているので、あるテーマについてのインプットを行いながら、別のテーマについてのアウトプットを出すべく踏ん張っていたりして、もともとバランスを保つのは難しい。

大学内にある「附置研究所」の所属なので研究が中心といえども、大学の中の各学部からの講義の依頼を受けると引き受けているので、普通の教師としての任務も多くなっている。授業はある時間、ある場所に固定するというコミットメントが必要なので、研究のインプット・アウトプットの作業の最適化を時に制約することがある。

その合間に海外に行く。よく「しょっちゅう現地に行かれるんですか?」と聞かれるが、地域研究をやっている人間にはイラっとくる質問だろう。地域研究者が経歴のある段階で「現地」に行くことは重要で不可欠だが、ある程度方向性を固めてからは、むやみに「現地」で見聞きしたことをそのまま書いたり話したりはしない。そんな簡単な問題ではないということが分かるようになるからである。現地で感じる新鮮な驚きのようなものを常に忘れてはならないが、「現地の現実」はそう簡単に、ちょっと行ってきたぐらいで見いだすことはできないし事実として確定して表現はできない。そのことにある段階で気づかなければ、ほとんど地域研究者失格と言っていい。だから素人の質問に「イラっ」とするのである。また、口々に皆そう訊くので、困ったことである。

実際には、海外出張に行っているときのほうが、忙しくないとも言える。会議であれば会議に集中するしかない。現地調査であれば、比較的自分の自由になる時間を最初から作っている。日本にいる時よりも自分のペースで仕事ができる。

ただ、海外にいる間は日本での仕事は止まるので、行く前と、帰ってからとてつもなく忙しくなる。月に一度ぐらい海外に行っていると、日本にいる間はきわめてせわしなくなる。

私の今年の課題はインプットよりアウトプットであり、そのためには日本にいて、かつ事務仕事や細々とした仕事に煩わされずに研究室にこもる時間をどれだけ作れるかが勝負である。そのためには、緊張する海外での仕事は刺激になるとはいえども、アウトプットの量を阻害しているのではないかという気がして常に不安である。もちろん海外でのやり取りやそこから自然に生まれるインプットは将来の仕事の質と量を支えるのだが。インプットをやめれば将来に制約要因となるので、苦しくとも行き続けるしかない。

今年は例年に比べて、海外渡航が多かった年ではない。どちらかというと、アウトプットを出そうと極力日本にいたが、それでも短期出張が飛び飛びに入ってしまった、といった具合の年だった。中東の現地調査をやりにくい国が増えてしまったこともあり現地渡航がそれほど多くなかったが、塵も積もればといった具合に海外渡航の数が重なった。年初からの海外渡航の記録を振り返り、3月の年度末までの今のところ入っている予定だけでも見てみよう。

2015年
1月 アメリカ合衆国(ニューオーリンズ)
2月 チュニジア(チュニス)
6月 アラブ首長国連邦(アブダビ)
8月 ドイツ(ミュンヘン)、ロシア(ウラジオストク)
9月 イギリス(ロンドン)
11月 インドネシア(ジャカルタ)
12月 アメリカ合衆国(ワシントンDC)

2016年
1月 プエルトリコ(サンファン)、カタール(ドーハ)
2月 イギリス(ロンドン)、中東某国

こう一覧にしてみると、中東の現地調査と欧米での学会・会議発表、それにちらほらと東南アジアやロシアも入ってきていたりする。プエルトリコは学会発表です。

1月には、7日のシャルリー・エブド誌襲撃事件と、20日の日本人人質殺害脅迫映像の公開の間に、アメリカで学会発表に行っていたのを思い出す。ちょうどその日に『イスラーム国の衝撃』が発売された。

1月20日の殺害脅迫映像で始まったこの事件が、2月1日の陰惨な結果に終わった後、予定通りチュニジアに調査に行った。その翌月、チュニスのバルドー博物館へのテロが起き、チュニジアへの攻撃と動揺が表面化した。

3月から5月は、新学期の立ち上げと同時に、人質事件への検証委員会というものに入って忙殺されていた。それが終わったころにアブダビに行ったが、その間にもクウェートやチュニジアでのテロなどがあって緊張した。

その後は、会議・学会・会議・・・という感じの短期出張の繰り返しですね。行って帰ってきて時差を直すだけでなく、書類なども大変だ。

しかしこうして渡航日程を見ると、私の年代の似たような仕事をしている研究者の中では、決して多い方ではないと思う。

どうも、国際問題に関して一般書であまりにも研究業績に基づかない発言を繰り返す論者が「学者」であるかのような誤解が広まってしまったため、実際に国際問題を扱って議論をするならどのような生活をしていなければならないかがあまり理解されていないような気がする。

私の適性に対応してそれほど会議の依頼が多くはこないのと、今年は特に、執筆のために、私自身が意識して海外渡航を減らしてしているがゆえにこの程度で済んでいる。

海外に行っていない月は、これは日本での職業上の制約からまったく行けないから行っていないのです。大学で教えていると学期中に海外に行くのはもともと大変だが(先端研という職場は特殊に自由にしてもらっています)、学期初めの4・5月などはまあよほど無理をしないと行けないですよね。

同世代の活躍している国際政治学者は、もっと頻繁に海外に行っている。近年は、アカデミックな教育を受けた人間が日本を代表して話すことが以前よりも強く求められる。またその意味がようやく理解されてきたこともあり、日本から送り込む人間が求められている。そういった選考にどこかで引っかかってきて依頼が来ると、日程が調整可能で、テーマが私に対応できそうなものであれば、極力対応している。しかしあくまでもアウトプットの邪魔をしない限りにおいてである。

また、依頼・招待ではない英語での学会発表は年に何回かは自発的にやることにしています。不利な条件下で、前提が全然違う人たちに向けて話すことは訓練になりますからね。また、世界中の、同じ問題について異なることを考えている人たちと会うことができます。

私は「会議屋」(この言葉は自嘲気味に使われることもあるが、ここでは肯定的にそういった能力を捉えている)としての適正な訓練を受けていないので、国際会議での発言は見よう見まねであり、できればより適性がある人に回したいという仕事も多い。問題はあまり適正のある人が多くないので、私などにも多く仕事が降ってきてしまう。適性のある人が多くないという事実については、教育の問題でもあり、教育にも最近は少しずつ携わるようになった人間として、やがては若干の責任も負うことになるかもしれない。今のところは、上の世代のツケが回ってきているということをひしひしと感じる。

しかし、教育は社会の需要がないことについては成果が出ない。社会はそもそもどのような人材を求めるべきか、という次元から問題提起をしていかなければならないのかな。

今日は少し取り止めのない話になってしまった。年の暮れが迫ってくると、今年の仕事の棚卸しをしながら、来年を考えるようになる。

先端研のキャンパス公開(6月5日〜6日)

先端研公開2015
今年も東大・先端研のキャンパス公開が行われます。6月5・6日。金曜日と土曜日です。

私は6月6日(土)午前の、御厨・牧原先生のイベントにちょこっと出演する予定。詳細は先端研ウェブサイトの特設ページで順次更新されていきます

(関係ないが、関西圏で「先端研」とグーグル検索すると立命館の方が出てくるのね)

ブログも本も完成途上

工事進行中

刊行を遅らせている本の構成を思いっきり改造中。

ブログも改造中です(こちらはエンジニアに任せてあります)。

余談ですが、偶然録画が取れていた「情熱大陸 山口晃」を逃避して見てしまった。

個展に未完成の来迎図が展示されて、個展の開催終了まで描き続けても終わっていない(笑)。

しかし大作が完成してスポットライトを浴びて例の音楽が流れて大団円、なんてことは実際の画家の生活にはないのだろうから、情熱大陸のカメラの前だからこそ、意図してか無意識にか、完成途上を演じ続けたかのように見えてくる。密着取材そのものが「戯作」か。

そう思ってしまうのも、この人の場合はこれまでに積み上げてきた実績があるからだろう。駆け出しの新人が個展に未完成のものを出すわけにはいかない。

東大出版会のPR誌『UP』は巻末の「すゞしろ日記」だけ読んでいる人も多いと聞く。

画質はあんまりよくないけれど、この回はYouTubeのMBS公式チャンネルでも見られるようだ

刺さった言葉。

「仕上がっていないのは当人の力量の話だと思っていますけれども、ええ」
「仕上げると、だいたい、塗り絵になっちゃうもんですから」
「かといって塗らないと途中に見えるんで・・・」

今年の桜

休日の先端研。

うららかな陽気。

先端研2015_0418

気がついたら桜は散っていた。緑の枝が風にそよいでいる。気持ちがいい。実は動画も撮ってみました。鳥の鳴き声が入っています。

先端研2015年4月

大正時代からの建物と、現代建築が並存する先端研・生産研。

左側は原広司設計。生産研の先生でもあったんですね。

何か見覚えがあると思う人がいるかもしれません。原広司は京都駅ビルの設計者。時期もほぼ同じです。

今年は3・4月に何をしていたのか思い出せない。おそらくひたすら講演や研究会報告のために移動しながら、分秒を争って部屋の中でずっと原稿を書く作業をしていた。気づいたら先端研の満開の桜を見逃してしまった。

去年のをどうぞ

去年も忙しかったが、4月はちょうど桜の季節に、一瞬だけ時間が空いて、これを撮ったのだった。

昨年は3月末にかけてばたばたっと論文が出たのでした。それまでが大変だった。しかしそれがあったので、2014年の暮れには今度はすごい速さで『イスラーム国の衝撃』を書くことができた。

今年は苦しい積み上げをもう一度、やり直さないといけない。できるのか。

生産研下2015_04_18

駒場の教養学部のキャンパスに本を買いに行った。八重桜はまだ咲き誇っており、深まる緑とのコントラストが目に優しかった。

駒場I_八重桜_2015-0418

駒場I_八重桜2_2015_0418

駒場_日本民藝館2015_0418

先端研のかき氷

そういえばそろそろ今学期の授業も終わり、という話をちらほら聞くけれども、大学とはいえ附置研究所には夏休みも冬休みもありません。邁進するのみ。

駒場Ⅱ(リサーチキャンパス)は大学というよりは企業のR&Dセンターのような雰囲気があります。常にクレーン車が何かを持ち上げたり下したりしている。

その中で少し一息つけるのが、伝統的な趣を残す正面時計台の建物とその裏の中庭。

昼時に日替わりで屋台が来ます。この写真は昨日かな。パエリア、豚丼、珈琲店のかき氷でした。暑いねえ。

先端研の夏

震災アーカイブをイスラーム教から考える──聖伝承ハディースは「ビッグデータ」だった

今日は土曜日ですが、先端研に出てきまして午後から夜まで研究会。

東北大学の災害科学国際研究所から柴山明寛先生をお迎えして、東日本大震災のアーカイブについてお話を伺い、議論をさせていただきました。

大変刺激になる一日でした。

震災をどう記録・記憶するか。これは「ビッグデータ」に関わる問題で、文理融合で取り組むに値する課題です。

東北大・災害研ではすでに理工系から民俗学に渡る幅広い領域のデータを包括的に集積する体制を整え、「みちのく震録伝」というインターフェースで徐々に公開も始めています。

色々と縁があって、私も含め先端研の人間が昨年は東北大に視察に伺わせていただきました。その時にもご案内いただきお話を伺った柴山先生に、今回は先端研に来ていただいてお話を伺いました。

東大・先端研側では、ヴァーチャル・リアリティの先端技術応用によるアーカイブの活用についての諸提案や、気候変動科学、都市工学、あるいは行政学などの立場から、応用や共同作業の可能性、あるいは共通に抱える課題など矢継ぎ早に発言があり、大変盛り上がりました。

私のようなイスラーム思想・中東研究という一見かかわりのなさそうな分野の人間にとっても、非常に刺激的でした。震災という巨大で総合的な事象に関するビッグデータをどう収拾し、どう扱うかは、二つの意味で私の今やっている作業と重なります(研究の規模は気が遠くなるほど違いますが)。

(1)中東政治研究では、「アラブの春」という未曽有の社会・政治変動を、従来の「公文書・新聞・雑誌・書籍」といった限定された活字媒体の資料だけでなく、電子的な媒体によって精製・流布・拡散された映像、画像、言説、音楽、シンボル、通信データそのもの、といった多種多様な資料を包括して記録し、それをもとに政治分析や歴史記述を行うという作業が大きな課題です。それは、自然災害と人間社会の大変動という違いはありますが、東日本大震災の記録と記憶というテーマとどこか共通するものがあります。それは、総合的な大変動についての記録を、包括性・客観中立性を保って収集、保存しながら、さまざまな人たちの主観的真実を反映した形でどう記憶していくか、という課題です。

(2)イスラーム思想ということからも、震災アーカイブを最先端の技術的手法で構築しようとしている東北大・災害研のプロジェクトは興味深い示唆を与えてくれました。

イスラーム思想の根幹、あるいは規範的典拠となるテキストは、コーラン+ハディース。

コーランは神の言葉とされ、7世紀にアラビア半島で預言者ムハンマドに下されたものがそのまま記録された形になっています。それが信者以外にとっても客観的な事実かどうかは別にして、少なくとも信仰者にとってはそのようなものとして認識されています。そしてそれはコーランという、アラビア語なら一冊に収まる「容量」に収まっています。

イスラーム教の興味深いところは、単にコーランは神の言葉で絶対でそれを典拠に現実世界を読み解いていく、というだけでなく、コーランの規範を現実に適用する際に、それを「正しく」読んで適用するための補助的典拠としてハディース(預言者とその周囲にいた教友の言行録)という形の、こちらは膨大な数のテキストが残されていることです。

ハディースは、コーランとは異なり、全てのハディースの説話のすべての部分が「真正」なものであるとは考えられていません。それでも「全部」一度は修正して書き留めた、という形式になっています。膨大な数のムハンマドの同時代人たちがその子孫や友人・知人(とその子孫)に口承で伝え残した、ムハンマドに関する膨大な言行の記録がハディースです。

細部がちょっと違っていたらそれだけで別の話と考えて、ちょっとした異同があるだけで、中身はほとんど同じ無数のヴァリエーションも含めて、膨大な数が記録されています。

各種のハディース集とは、編纂者たちが、それぞれの関心に合わせて、膨大なハディースの全体から選んできて、整理し分類して本にしたものです。その中で最も「真正」なものと判定できるハディースばかりを集めたと評価が高いのがブハーリー(西暦810生-870没)の編纂になるもので、日本語訳の中公文庫版では全6巻になります。

「あまり真正じゃない」のではないかと言われるものも含めればその何倍・何十倍もの量のハディースがあることになります。

「あまり真正じゃない」ハディースには、内容面で荒唐無稽でムハンマドの時代や場所にはなかったであろう事象が書かれているとか、その内容を後の時代に口承で伝えた伝承経路、つまり「伝えた人(およびその伝え方)」に問題があると見なされているものなどがあります。

面白いのは、あんまり真正じゃないと衆目の一致するハディースまでなんで残したのか?ということです。疑いがあるんだったら最初から「ハディース」として認定しないで単なる伝説とでも呼んでおけばいいわけです。宗教解釈が混乱しかねないのになぜそんなものまでハディースとして広い意味で典拠テキストの中に入れておくのか。

現代の目から見ると、ハディースは「アーカイブ」です。それもビッグデータ的な。通常の宗教解釈上はどうでもよさそうな、単に一人間としてのムハンマドの行動や癖や好みとか、単に宗教団体の指導者として、あるいは教団国家の政治指導者として、周りで起こったことに迫られて判断を迫られたに過ぎないような事例や、端的になんだかよく分からない話も、多く取り入れられています。

それらは通常は全く顧みられることがないともいえます。

しかしいざ何かのきっかけで、新たに生じてきた物事に、何が正しくて何が正しくないか、この状況下ではこの人は何をするべきか、といったことをイスラーム法上考えないといけなくなると、この「よく分からないけど記録してあった」ハディースは役立つかもしれないわけです。

コーランのレベルでは一字一句変わることのない不変の規範というものを設定した上で、ハディースでは本当か嘘か分からないものまで含めて緩やかに「ムハンマドとその教友の言ったことやったこと(として伝えられていること)」というくくりで広く規範的典拠となる可能性のあるデータを記録しておき、必要に応じてアクセスして解釈し判断を下す。

イスラーム教の規範体系は、コーランという原則を定めつつ、それを具体的にどう解釈して適用するかについては、ハディースという「アーカイブ」に、その時その時の問題に応じてアクセスして参照し、結論を出すというシステムになっています。そこから、厳しさと幅の広さの両方を含んだ独特の規範体系になっていると感じられます。

アーカイブをこれから構築する場合、どのような記録・情報の集め方をすればいいのか、どのような利用の仕方(そのインターフェースの設定)をすればいいのか、という問題が生じます。東日本大震災のように、これまでにない規模の災害であるだけでなく、技術の進歩により、それを記録するデータが過去の災害の時と比べて格段に多く、データの形式も多様である、という場合、その巨大なデータをどう集めてどう記録するかという問題と、そこから何時誰が何をどのようにしてどう引っ張り出すことで「記憶」を紡ぎだすか、それをどういう制度・技術的インターフェースで実現を担保するか、という問題が、大きな課題となります。その取り組みの先進事例をご紹介いただいたのですが、しかしこれは、普遍的に世界宗教がやってきたことと形式は似てくるのではないか、と思ったのです。

イスラーム教の、コーランとハディースという、性質とデータ形式・量が異なる二種の典拠テキストを設定するシステムは、ビッグデータ時代のアーカイブ構築と利用に、何らかの示唆を与えてくれるような気がします。

キャンパス公開1日目終了 講演も

駒場リサーチ・キャンパス(駒場Ⅱ)のキャンパス公開、1日目が終わりました。

私も講演に駆り出されました。

強い雨の中、いらしてくださった皆様、ありがとうございました。

雨の先端研公開2014年6月6日

理工系の研究室公開や、「理科教室」があったりするので、高校の社会科見学で、バスに乗って多くの学生が来ていました。

明日二日目は、いよいよ、御厨貴先生のゼミ出身の若手官僚が次々に登壇する大イベントがあります

御厨先生のテレビ出演の関係で、あまり詰めかけても困るのでそれほど広報をしていないようです。が、この雨では席に余裕が出るかもしれないので、皆様ぜひお運びください。

ここの所どうも体調が優れず、日々の用事をどうにかこなしている状態で、また週明けに重要な〆切が多いので、私は失礼させていただくかもしれませんが・・・

【講演】6月6・7日のキャンパス公開(先端研と生産研)

6月6・7日に駒場Ⅱキャンパス(先端研・生産研)の一般公開があります。登録・予約等必要ありませんので、お気軽にいらしてください。

理工系は研究室公開や理科教室などをやっていますが、文系は見せる実験装置などがないので、講演などをいたします。

私は6日(金)午後3時から「アラブの春」以後の中東政治について講演をします。

池内恵「『アラブの春』は今どうなっているのか? 中東とイスラム世界の政治変動」
15:00~15:50
会場: 生産技術研究所 An棟2階コンベンションホール

翌日の土曜日10:00~12:00には、御厨貴客員教授・牧原出教授と、先端研の御厨研究室に関与した若手官僚たちが議論をするパネル・ディスカッションがあります。

前後にご近所を散歩するのもいいのでは。近辺には良い店があるようです。私は今や職業人生(大学院時代を含む)の過半を駒場に所属していることになっているのですが、魅惑的なご近所をよく知りません。勉強するか

先端研の桜

2014先端研の桜1

先端研の桜。

今日ではなく一昨日(4月2日)の撮影。その前日がたぶん一番満開だったようですが、その日はカメラもiPadも忘れていたので、翌日にあわてて撮っておきました。

今日はいろいろ新しいテーマをめぐってばたばたして結論が出ないので、いくつか写真でもアップしておきます。

2014代々木上原

先端研へ続く道。

2014代々木上原の桜

通りすがりの桜の半アーチ。高級そうなマンション。

2014先端研の桜2

キャンパスの片隅にも。

2014先端研の桜3

桜のアーケード。

2014先端研の桜4

2014先端研の桜5

2014先端研の桜6子供たち

子供が遊んでる。背景は先端研の新しい建物。理工系の実験などはもっぱらこちらでやっています。

読書日記の連載を始めます(週刊『エコノミスト』)

 そうそう、すぐ近くにあるけどめったに行かない東大教養学部まで歩いたのは、桜を見るのが目的ではありませんでした。大学生協の書店に行ったのでした。先端研のある駒場Ⅱキャンパス(駒場リサーチキャンパス)は、学部がなく、理工系の研究所だけなので、生協はあるが本がほとんどない。それでは教養学部の生協まで行って買うかというと、歩いて10分もしないのだけれども、それすら時間のロスがもったいないほど忙しく、しかも行っても欲しい本があるとは限らないので、結局インターネット書店で買ってしまっていた。

 ここ数年、出張先の書店で買う以外には、リアルな書店で本を買うことがほとんどないのではないか。そもそも研究上必要な本の大部分は外国語なので、英語ならアマゾンで、アラビア語は現地に出張に行った時にトランク一杯と段ボール一箱に詰めて帰ってくる(それでも入らないほどある場合は引っ越し貨物の扱いにする)。日本語の本はあくまでも、「日本語の市場でどのようなものがあるのかな」「このテーマについてどういうことを言っている人がいるのかな」と調べるためにあるだけで、引用することもほとんどない。残念なことだが。

 書店で本を選んで買うという作業は、高校生の頃から大学・院生時代には、尋常ではないほどの規模で行っていたのだが、ある時期からまったくそれをしなくなった。

 学生時代を終えて、就職して半年で9・11事件に遭遇し、その後ひたすら書くためだけに本を読む、大部分は外国語の資料、という生活をしてきたので、純粋に娯楽や好奇心で本屋に行くということは、めったになくなった。

 日本語の本にも目を通してはきた。しかしそれは「書評委員として、新聞社の会議室で、その月に出た本を全部見る」といった通常ではない形で見ているので、本当の意味で本を選んでいたとは言えない。

 たのしみのための読書ではなく、職業としての読書になってしまっていた。

 例えて言えば、「釣り」の楽しみを味わうことのない「漁」になってしまったんですね。網で何100匹も一度に魚を獲ったとして、職業上の達成感や喜びはあるだろうが、それは釣りの楽しみとは違いますよね。

 なので、今本屋に行くと「浦島太郎」のような状態。こんな新書がこんなところにある。こんなシリーズがあったのか。なんでこんな本ばかりがあるのか。こんな人が売れているなんて・・・

 話が遠回りしたけれども、なぜ久しぶりにわざわざ生協の本屋に行ったかというと、今月から月に一回、『週刊エコノミスト』で読書日記のようなものを担当することになったからだ。私の担当の第一回は4月21日発売号に載る予定。

 『書物の運命』に収録した一連の書評を書いた後は、書評からは基本的には遠ざかっていた。たまに単発で書評の依頼が来て書くこともあったけれども、積極的にはやる気が起きず、お断りすることもあった。たしか書評の連載のご依頼を熱心にいただいたこともあったと思うが、丁寧に、強くお断りした。

 理由は、そもそも人様の本を評価する前に、自分で、人様に評価されるような本を書かねばならないことが第一。そのためには研究上必要な本をまず読まねばならず、それはたいていは外国語で、専門性の高いものばかり。それでは一般向けの書評にはならない。自分が今は読みたいと思わない本について、しかも引き受けたからには必ず何かしらは褒めなければならない新聞・雑誌の書評は苦痛の要素が大きい。

 世の中には、書評委員を引き受けていると、出版社や著者からタダで本が送られてくるから、書評してもらえるかもと愛想良くしてくれるから、とそういったポジションを求めて手放さない人もいると聞くが、まあ人生観の違いですね。

 また、新書レーベルが乱立して内容の薄い本が乱造され、「本はタイトルが9割」と言わんばかりの編集がまかりとおる出版界の、新刊本の売れ行きを助けるための新聞・雑誌書評というシステムの片棒を担ぐのは労力の無駄と感じることも多かった。なので、書評は基本的にやらない、という姿勢できた。

 それではなぜここにきて書評を引き受けてもいいという気になったかというと・・・・

 まあ、「気分がちょっと変わったから」しか言いようがないですが、強いて言えば、『週刊エコノミスト』に何度か中東情勢分析レポートを書いて、書き手としてのやりがいや、読者の反応が、「意外に悪くない」と感じたことが一因。紙媒体で見開きぐらいの記事が、企業とか官庁とかの組織の中でコピーされたり回覧されて出回るというのが、インターネットが出てきた後もなお、日本での有力なコミュニケーションのあり方だろう。

 その最たるものは「日経経済教室」ですね。とにかく一枚に詰め込んであって、勉強しようとするサラリーマンはみんな読んでいる(ことになっている)。

 ネットでのタイムラグのない情報発信も『フォーサイト』などで試みてきたし、これからも試みていくけれども、やはり固い紙の活字メディアの流通力は捨てがたい。

 ずっと以前の『週刊エコノミスト』の編集方針や論調には正直言って「?」という感じだったので、おそらく編集体制がかなり変わったのだろう。そうでないと私に依頼もしてこないだろう。

 ただし、引き受けるにあたってはかなり異例の条件を付けた。それは次のようなもの。「新刊本を取り上げるとは限らない。その時々の状況の中で読む意義が出てきた過去の本を取り上げることも読書日記の主要な課題とする。さらに、読書日記であるからには、外国語のものや、インターネット上で無料で読めるシンクタンクのレポートやブログのような媒体の方を実際には多く読んでいるのだから、それらも含めて書く。その上でなお読む価値のあるものが、日本語の、書店で売られている、あるいはインターネット書店で買うことができる書物の中にあるかどうか検討して、あれば取り上げる」。
 
 こういった無茶な原則を編集部が呑んでくれたからだ。当初の依頼とはかなり違ったものだ。

 考えてみれば、雑誌の書評欄というものは、「新刊本を取り挙げる」というのが大前提で成り立っている。雑誌に書評が出れば書店がそれをコーナーに並べてくれるようになるから売れ行きが伸びる(かもしれない)。だからこそ出版社も雑誌に広告を出したり、編集部に本を送ってきたり情報を寄せたり中には著者のインタビューを取らせたりと、便宜を図る。そういうサイクルの中で新聞や雑誌の「書評欄」というものは経済的に成り立っている。それを「新刊はやりません」と言ってしまったら雑誌に書評欄を設ける意味が、経済的にはほとんどなくなってしまう。「新刊本をやらなくていいという条件ならいかが」と言われて呑んだ編集部はなかなか度胸がある。

 ただしそれは従来までの本屋のあり方に固執すればの話だ。インターネット書店でロングテールで本が売れる時代なのだから、それに合わせた書評欄があっていいはずだ。

 今現在の国際問題・社会問題などを理解するために有益な、忘れ去られた書物を発掘して再び販路に乗せるためのお手伝いをするのであれば、書評欄を担当するなどという労多くして益の少ない作業にも多少のやりがいが出るというものだ(原稿料などは雀の涙なので、大々々々赤字です。この連載を受けると決めてから市場調査的に勝った本だけで、すでに数年間連載を続けても回収できない額になっています)。

 「昔の本など取り挙げてもらっても在庫がないよ、棚にないよ」という出版社・問屋・書店の意向というのは、それは彼らの商売のやり方からは都合が悪い、というだけであって、書物そのものの価値や必要性とは関係がない。

 むしろ本当に良い本が生きるための業態・システムを開発した人たちが儲かるような仕組みがあった方がいい。そのためにも一石を投じるような本の読み方を示したい。

 話が長くなったが、たった10分のところにある生協の本屋に歩いて行く気になったのも、そういった趣旨の連載をやるからには、各地の本屋を見ておかねば、と思ってまずは手直なところからはじめたというわけ。ずいぶん遠回りしたね。

 生協のレジの最年長のお姉さん/おばさんが、学生時代の時と同じ人だったのはびっくり・・・まあ何十年もたったわけじゃないので当然なんだが、こちらはいろいろ外国やらテロやら戦争やらを経験して帰ってきてやっと落ち着いた風情なので、まあ驚くやら安心するやら。