『日本経済新聞』の《経済教室》欄で「イスラーム国」の背景とそのメカニズムを解説しました

『日本経済新聞』の1月27日付《経済教室》欄に、「イスラーム国」の背後にあるグローバル・ジハードの理念と組織原理を、概説してあります。

『イスラーム国の衝撃』の主要部分のまとめでもありますが、問題は「イスラーム教」の教義解釈に基づく「ジハード主義」のイデオロギーの問題であること、呼応や模倣によって連鎖する組織原理への対処が困難さを抱えること、今後広がるとすれば各地で自発的に名乗りを上げる呼応・模倣組織による「まだら状」の拡大が考えられることなどを指摘してあります。各地での「フランチャイズ」「ブランド」としての影響など、現在起きている事象を見るための基本的な概念を示しておきました。

共通認識に影響を与える各種媒体で活字で発信してきましたので、かなり報道は正常化してきていると思いますが、まだ気は抜けません。

池内恵「イスラム過激派の脅威 「テロ思想」強まる拡散懸念」『日本経済新聞』2015年1月27日朝刊

最後の方を少しだけ引用しておきましょう。

(1)今後の展望
 
 グローバル・ジハードは領域が明確でない。ジハード主義者が名乗りをあげれば、そこがジハードの場になってしまう。リビアのデルナという都市では支配的な武装勢力がイスラム国を名乗った。ナイジェリアのボコ・ハラムもイスラム国への支持を表明し、アフガニスタンのタリバンにもイスラム国へのくら替えを主張する勢力がある。地理的にはもちろん組織的にもつながりが乏しいが、イデオロギーでつながっている。

 イスラム国の地理的拡大は空爆などで食い止められるが、イデオロギーの拡散は軍事力では阻止できない。イラク・シリアと地理的に連続しない各地でイデオロギーや行動モデルに共鳴する集団が勝手にイスラム国を宣言し、世界各地がまだら状に「イスラム国」になってしまう危険性を、注視しなければならない。

(2)日本社会・言論空間への警鐘

 日本ではイスラム国に共鳴した集団のテロが起こる可能性は低いが、欧米起源の自由や人権規範は深く定着しておらず、意見の異なる他者を暴力や威嚇、社会的圧力で封殺することへの反対が強くない。他者の自由の制約はやがて自分自身の自由と安全の制約に跳ね返ってくるという認識が共有されておらず、社会や体制への不満がテロの容認や自由の放棄をもたらす可能性とは無縁ではない。

コメント集(1):「イスラーム国」による日本人人質殺害・脅迫事件

 1月20日に発生した日本人人質殺害脅迫事件に関しては、ブログとフェイスブックを中心に発信しており、テレビ・ラジオには原則として一切出演せず、ビデオ収録によるコメントも許可していません。

 新聞・雑誌等には、こちらの仕事の合間に偶然タイミングよく連絡があった場合や、あまりに忙しい時に電話がかかったので帰って断る気力がなくコメントを出した場合など、いくつかコメントが出ています。

 また、フェイスブックでは、著書・ブログ・フェイスブックでの私の見解・発言から、出典を明記すれば引用して良いと告知しているため、一部そのような手法で、私の文章を元に電話で確認をとってコメントとして掲載する場合や、出典を(ほぼ)明記してコラムに引用する形で私の議論を踏まえて議論する場合があります。手元に掲載紙が送られてきているものから、順次紹介します。今回は3本、『東京新聞』(1月23日朝刊)、『毎日新聞』(1月26日朝刊)、『夕刊フジ』(1月29日)掲載のコメント・言及を再録します。

(1)『東京新聞』2015年1月23日朝刊《こちら特報部》「要求のめばテロ誘発も 日本 ダッカ事件超法規的措置」

 基本は私のブログ記事を踏まえて、その上で補足のご質問を受けて、記者が記事の趣旨に合わせて構成したものです。当初は日本をテロの対象とすることが「ロー・リスクでロー・リターン」であったところが「ロー・リスクでハイ・リターン」になったとみなされてはならない、といった点を使おうとする意図が示されたので承認したのだが、最終的にデスクを通るとかなり短くなりました。

【以下、東京新聞への私のコメント部分】
東京大先端科学技術研究センターの池内恵・准教授(イスラム政治思想)は「日本側が、テロにおびえて中東政策を変更したとイスラム国側に認識されれば、次のテロを誘発する」と指摘する。
日本側がすべきことはまず、「(トルコや部族長など)仲介者を通じて接触を図ること」 とする。その上で、「日本をテロの対象としても政策変更などのメリットがないことをアラブ世論に働き掛けることが必要」という。「難民の受け入れや支援など、中東の平和と安定に寄与したいという真意をメディアやネットを通じて示す事も重要だ」と訴えた。

(2)『毎日新聞』2015年1月26日朝刊、山田孝男「風知草: テロ劇場とメディア」

 この記事では、自民党が「イスラーム国」を使わずにISIL(アイシル)で統一するといった動きに触れながら、この組織の名称についての一般的な混乱(著者自身の混乱?)を解こうとしている。解説の内容は『イスラーム国の衝撃』第3章で、この組織の名称や内実について体系的に書いておいたものを、ほぼそのまま参照した上で、『イスラーム国の衝撃』に言及している。
 「この本を参照した」とは明示的に書いていないが、明らかに私が本の中で行った解説をそのまま利用しており、かつ池内本に言及している。日本の新聞では本を参照しても元ネタに触れること自体が珍しい。私が現在基本的にメディアの取材を受けておらず、その代わりにブログやフェイスブックで情報提供をしつつ、メディアが必要とする場合は『イスラーム国の衝撃』とブログ、フェイスブックから引用して構わない、ただし出典を明記するように、と基準を示しておいたので、それを踏まえてくれたのか。
 こういった引用に関する国際基準・基本中の基本を日本のメディアが踏まえるようになっていくよう、SNSなどオルターナティブのメディアを維持して発信しながら働きかけていきたい。
 新聞記者あがりの軍事評論家のコラムなどを見ていると、ISIS(イラクとシリアのイスラーム国)がISIL(イラクとレバントのイスラーム国)へと名前を変えたことで、シリアからレバント全体への支配の野望を露わにしたのだ、といった珍説を出していたりした(この二つは同じアラビア語の名称の二つの異なる英訳というだけです。元の組織の名前は同じです)ので、こういった初歩的な説明を体系的に行う部分が必要と認識し、『イスラーム国の衝撃』第3章では順を追って解説した。
 米政府がISILと呼び続けるのは、「イスラーム国」が「イスラーム」でも「国家」でもなく「イラクとシリア(あるいはレバント地方)」の武装集団でしかない、という立場を示す意図がある。同様にアラビア語で反イスラーム国の立場のメディアが使う「ダーイシュ」(組織名のアラビア語の頭文字を取った略語)も同様の意図があって用いられている。自民党は「イスラーム国」をやめてISILで統一しようということらしい。ただ4文字の英略語を「アイシル」と発音させるのは、日本語の中では異例なので難しい。やるなら「アイエスアイエル」と発音したほうがまだ日本語らしいが、やはり発音はしにくい。

【以下、毎日新聞・風知草より、池内著『イスラーム国の衝撃』に関する言及】

 日本のニュースは「イスラム国」と伝えるが、英語圏では「ISIS」か「ISIL」である。

 「イスラム国」は彼らの現在の自称the Islamic Stateの邦訳。英語圏の略称は、彼らが昨年6月まで名乗っていた「イラクとシリアのイスラム国」の英訳(the Islamic State in Iraq and al−Sham、または、the Islamic State in Iraq and the Levant)の頭文字である。

 日本の新聞の場合、カッコ付きで「イスラム国」と書いて保留をつけつつ、相手の自称の変遷に付き合っている。他方、英語圏の政府と多くのマスコミは、無法地帯を「国」とは呼ばぬ意地を通すとも見える。

 ちなみに、アラブ諸国では、旧自称のアラビア語の頭文字を組み合わせ「ダーイシュ(Da’ish)」というのだそうである。

     ◇

 先進国マスコミの反応を計算し、ネット動画を巧みに操る−−。宣伝上手のテロ組織の中でも画像の鮮明さ、カメラワークの洗練において、「イスラム国」は最高水準にある(気鋭の論客、池内恵(さとし)・東京大先端科学技術研究センター准教授の新刊「イスラーム国の衝撃」=文春新書)。

 安全保障に詳しい官僚によれば、フセイン政権下のイラクで情報戦略を担っていた残党が加わっている可能性が高いという。

 9・11以降、アフガニスタン戦争とイラク戦争によってアメリカが掃討したはずの勢力が、イラク、シリアという破綻国家の空白の領域で再生した。20世紀の社会主義思想を思わせる磁力を帯びてモンスター化した。池内新刊はその経緯を解き明かしている。

(3)『夕刊フジ』2015年1月29日「イスラム国、なぜ斬首するのか 人質交換、日本の人道支援にも影響 東大准教授・池内恵氏インタビュー」

 『夕刊フジ』には初登場です。仕事と仕事の合間の一瞬に依頼が来たので引き受けました。日本国内の政争に使われるような内容と、見出しは一切認めない、納得がいかない記事であれば掲載を許可しないため、校了ぎりぎりの時間帯に紙面作成を行った場合は、紙面に穴が開くことも覚悟しておいてください、という条件を受け入れたので、コメントを引き受けた。3面に大きく載りました。私の本について全く知らなかった読者にアウトリーチできることを若干期待した。夕刊紙でもこういった議論を筋道通った形でしてみせることができると示すためにも、これまでに接していないメディアにコメントを出してみた。

【以下、夕刊フジへのコメント記事全文】

 イスラム教スンニ派過激組織「イスラム国」による日本人殺害脅迫事件は、日本社会に、テロと向き合う厳しさを改めて突きつけた。イスラム国は今後どうなっていくのか。日本はどのような姿勢を取るべきなのか。今月、『イスラーム国の衝撃』(文春新書)を出版し、中東情勢や国際政治に詳しい東京大学の池内恵准教授(41)=イスラム政治思想=に聞いた。

 --イスラム国の現状をどのように分析するか

 「日本人人質事件で公開した映像が従来と比べて貧弱であるなど、これまでの様式と異なっている。イスラム国は、ヨルダン人のザルカウィ容疑者(2006年に米軍の空爆で死亡)が作った『イラクのアルカーイダ』が母体であり、今も中核となっている。拠点が攻撃されるなど、その集団の勢力が劣っているのではないか。他の組織から孤立化している可能性もある」

 --ヨルダン政府の対応が注目されている

 「そもそも『イラクのアルカーイダ』は、イラクとヨルダンの政権を倒すことを目標にして出来上がった。日本で『日本政府がヨルダンを巻き込んだ』といった主張は、もちろん間違いだ。ザルカウィ容疑者は03年のイラク戦争をきっかけに台頭し、04年にはイラクで一連の斬首殺人で名を響かせた。05年にヨルダンに攻撃を仕掛け、そこで起きたのが、サジダ・リシャウィ死刑囚らが起こした同時爆破テロ事件だ。ヨルダン王政はリシャウィ死刑囚の事件を契機に、国民の意思を結集して、アルカーイダの進出を食い止めた経緯がある。ヨルダン国民とヨルダン王政が対テロで団結したシンボルでもあるリシャウィ死刑囚を釈放すると、同国内のショックは大きい」

 --人質の交換はどのような影響を与えるか

 「ヨルダンとイスラム国の関係は、国と国の間ではないが、一種の戦争状態ともいえ、力のバランスの中で捕虜交換はあるだろう。ただ、日本は事情が異なる。ヨルダンとイスラム国がせめぎ合っていたところに、いわば通りかかりの日本人が金を要求された。払えないならば、ヨルダン政府から捕虜を取ってこいと要求されたという形だ。第三者の日本人を利用すると、敵対する勢力が何かを得ることができる-という構図ができると、日本は隣国や武装組織との対立を抱えている国には関与できないということになる。人道支援政策などにも影響する可能性があり、日本にとっては危険な側面がある」

 --イスラム国はなぜ、斬首を行うのか

 「恐怖心をあおり、存在感をアピールするためだ。イスラム国は斬首や異教徒の奴隷制などを、イスラム法学の古典を用いて正当化している。サウジアラビアにも斬首による処刑があり、新しい皇太子の母も奴隷出身とされる。斬首を映像で公開するイスラム国の手法には、多くのイスラム教徒は嫌悪感を示す。ただ、宗教的に根拠があるといわれれば、否定はできない」

 --イスラム国は今後どうなるのか

 「イスラム思想では人権や自由よりも、神が定めた法規範が上位にある。問題は、教義の中に含まれる政治・軍事的な規範であり、その特定の解釈を強制力(ジハード=聖戦)で実践しようというイデオロギーだ。イデオロギーの拡散は軍事力では阻止できない。イスラム世界の各地で、イデオロギーに共鳴する集団が勝手にイスラム国を宣言し、まだら状にイスラム国が生じてしまう危険性がある」

 --日本はテロにどう向き合えばいいのか

 「日本は、自由の制約があってはならないという認識が定着していない側面があり、異なる宗教を尊重しろという美名によってイスラム国やテロまでも黙認する議論が容易に出てくるのは問題だ。これに対し、人質の『自己責任論』も問題がある。人質事件の責任はまずテロリストにある」

 「人質に落ち度があろうとなかろうと、政府には救出に最大限の努力を払う責任があり、公務か私用かも関係がない。ただ、最大限と言ってもテロリストの要求を何もかものむ義務などない。今回、『イスラム国を怒らせた安倍晋三首相の発言がまずかった』などという議論も危うい。中東問題の仲介や内戦による難民の支援など、求める人や政府も多いが、反対する勢力も必ずある。不満を持ったものがテロをやるから政策を曖昧にしろと言っていれば筋道の通った政策はできない。政策への拒否権をテロリスト側に持たせてはならない」

 ■池内恵(いけうち・さとし) 1973年生まれ。東大先端科学技術研究センター准教授。東大大学院総合文化研究科で中東地域を専攻。国際日本文化研究センター准教授、アレクサンドリア大客員教授などを歴任。著書多数。

人質殺害脅迫の犯行グループが期限を24時間に:生じうる交渉の結果を比較する

「イスラーム国」より、24時間以内の後藤さんの殺害を脅迫し、サージダ・リーシャーウィーの釈放を要求する声明が出ました。

交渉の内側について私は情報を持ちません。交渉論的に、生じうる結果を場合分けし、それぞれの政治的帰結を考えてみました。

1月28日午前2時の段階でフェイスブックに投稿しておいたポスト(https://www.facebook.com/satoshi.ikeuchi/posts/10202573053326596)を再録しておきます。

(1)非常に悪い結果
イスラーム国:ムアーズ中尉(パイロット)を殺害、後藤さんを殺害。ヨルダン政府:サージダ死刑囚を釈放→ヨルダン政府の体面失墜、武装集団の威信高揚。
 死刑囚を釈放したのに対して、相手方は殺害した遺体を送りつけてくる、という最悪の結果は、中東諸国が他のイスラーム主義武装集団と行った交渉ではあった。ヨルダン政府は、「イスラーム国」が本当にムアーズ中尉が今も生きているのか、生きて返す意思があるのかを、必死に見極めようとしているだろう。ヨルダン政府にとっては、そこが絶対に譲れない一線だ。日本人人質を併せて解放してもらえるかどうかは、あくまで副次的な要素だろう。
(2)悪い結果
イスラーム国:ムアーズ中尉を殺害、後藤さんを解放。ヨルダン政府:サージダ死刑囚を釈放→ヨルダン政府は、日本の金でヨルダン人パイロットを売ったと嘲笑・非難される。
 私は、イスラーム国がムアーズ中尉を生きて返す可能性は極めて低いと思う。付随して、ヨルダン政府を嘲笑するために、「より罪の軽い」通りがかりと言っていい日本人を返す可能性はないわけではない。その時日本は手放しで喜ぶというわけにはいかない。
(3)最良に見えるが実際には重大な帰結を付随する結果
イスラーム国:ムアーズ中尉を解放、後藤さんを解放。ヨルダン政府:サージダ死刑囚を釈放→日本にとっては良い結果に見えるが、イスラーム国はサージダを宣伝に活用し、おそらく仲介者を通じて資金も受け取る。ヨルダン政府は死刑囚への寛大な措置と、日本人人質も救った英明さを強調できるが、アンマン・テロ事件の重要実行犯を解放する超法規的措置で、威信を問われる。日本政府は、ヨルダン政府に大きな借りを作り、金銭面だけでなく、政治的、そして人的支援を、ヨルダン政府に一旦緩急ある時求められる。自衛隊派遣等を求められる事態も将来に生じないとも限らない。ヨルダン政府は、すでに人員の危険を冒して、日本人人質の奪還に動いている。テロリストを解放すれば、将来の危険が増す。裏で渡る身代金はイスラーム国とその中核の武装集団の活動を支える。より酷くない悪を選ぶしかないが、中長期的に見てどれが最も「悪い」結果なのかは、判断がつきかねる。
(4)このままでは最も可能性が高い、悪い結果
人質が殺害され、ヨルダン政府は死刑囚を解放しない。ヨルダン政府の方針は守られるが、日本政府の目的は達せられない。時間が切迫しているが、取れる手段は限られている。
 可能性はこれらだけではない。今回も映像の編集が貧弱で、これまでの脅迫映像で使われていた背景映像がなく白無地の背景で、動画による人質の発言などが盛り込まれていない、等を考えると、(1)武装集団が従来の機材を使えない状態にある。すなわち軍事的にかなり打撃を受けている。処刑人が第2回の映像から出てこないのは、負傷・死亡したか、別の場所にいて撮影の場に来られないといった理由が考えられる。(2)第2回の映像以来、それまでとは違う武装集団が後藤さんの身柄を奪った、という可能性もないわけではない。これらの武装集団側の状況変化によって、展開は早まりもするし、新たな要求が出る可能性もある。

今回だけなぜ静止画像なのか?

この記事でも触れられているように、これまではJihadi Johnが出てきた時には、必ず動画で殺害そのものを描く映像があった。

しかし今回は静止画像と被せられた音声のみである。
http://www.reuters.com/article/2015/01/24/us-mideast-crisis-japan-usa-idUSKBN0KX0MN20150124

何よりも、Jihadi Johnが全く出てこない。背景もいつもの荒野と青空ではなくただの白無地である。

しかも後藤さんは遺体の写真を掲げていて、実際の遺体は写真の中に小さく映るだけである。場所や時期などが判然としない。

最初の殺害予告は動画で、従来のものと形式は似ていたが、合成の疑いがあり、二人の人質が同一の時と場所に居なかった可能性がある。また、予告映像で人質が喋っていないので、撮影された時期がわからない。

早期に湯川さんは殺されていた可能性が捨てきれない。

どこかこれまでとは違う手順で犯行や脅迫が行われている様子がある。

何か無理をして脅迫案件を作り出しているのではないか、という気がする。軍事的あるいは資金的に追い詰められているのだろうか。

確たる結論も根拠もないのだが、これまでと同じスタイルの映像を作れず、これまでの映像と比べると格段に完成度の水準の低い静止画の宣伝映像を出してきた理由は何なのだろうか、腑に落ちないところがある。

「イスラーム国」による日本人人質殺害と新たな要求について

昨日午後11時過ぎに公開された日本人人質の一名の殺害声明については、まず午前12時30分ごろまでの情報をまとめておきましたが、その後は、取り急ぎ参考情報をフェイスブック(https://www.facebook.com/satoshi.ikeuchi)から発信しました。

下記に、ツイート的に断続的に発信したポストを再録しておきます。1月25日午前1時〜4時30分ごろにかけての断続的にメモとして記しておいたものです。

(1)
 非常に痛ましい情報です。

 テロリズム調査会社のSiTEが、人質の一人(湯川さん)を殺害したとする犯行声明ビデオを入手したと発表しています。SiTEの最新のリリースのホームページにつながらないので、Daily Beastの報道を転載します。
http://www.thedailybeast.com/cheats/2015/01/23/isis-executes-japanese-hostages.html

 真偽を私は確認する術がありません。ただ、過去の例からは、SiTEの情報・分析は、イスラーム主義過激派に関する限り、確度が高いものであったと記憶しています。
ISIS-linked Twitter accounts have distributed a video showing one of two Japanese hostages held by the group. In the video, Kenji Goto Jogo said fellow hostage Haruna Yukawa had been beheaded and that he would die next if the terror group’s demands are not met. ISIS had demanded $200 million from the Japanese government in exchange for the two men, but Jogo said it now wants the release by Jordan of female would-be suicide bomber Sajida al-Rishawi. He is shown in the video holding a photo of Yukawa beheaded (which is used in this story), but SiTE blurred the image.

(2)
 同じくSiTEの情報に依拠した報道です。
http://www.usatoday.com/story/news/world/2015/01/24/isis-islamic-state-video-beheading-site-report-released/22269675/

 SiTEはツイッターで伝わってきたユーチューブの映像を分析して、犯行声明と断定したようです。映像は静止画像で、後藤さんが写真を掲げている模様です。

 犯人はこれまでとは要求を変えているようです。後藤さんの命と引き換えに、ヨルダンで死刑判決を受けている、Sajida al-Rishawiの釈放を要求しているようです。

 サージダ・リーシャーウィーは、イラクのアル=カーイダ(「イスラーム国」の前身)の創設者ザルカーウィーの側近の妹で、2005年のアンマン・ホテル同時多発自爆事件(グランド・ハイアット、ラディソン等を爆破して60人が死亡した、ヨルダンの近年の最大のテロ)の際にも自爆テロ要員だったが生き残り、逮捕されて死刑判決を受け、上告中です。

 犯行勢力は、日本政府が人質解放交渉の拠点を置いたヨルダンに矛先を向けてきたようです。それによって日本・日本国民と、ヨルダン政府・ヨルダン国民との間に亀裂を走らせようとする戦術と思われます。

 ヨルダン政府が、歴然とした自爆テロ実行未遂犯を釈放する可能性は薄いと思いますが、日本国民がヨルダンに釈放せよと圧力をかける事態が生じれば、それは別の国際問題を引き起こすと考えられます。

(3)
 後藤さんが読み上げさせられている要求では、身代金の要求は明確に取り下げ、サージダ・リーシャーウィーの釈放のみを要求しています。

 2005年のアンマンのテロはヨルダン社会に「反アル=カーイダ」の世論を高めた決定的な意味を持つ事件です。その際にサージダは自爆ベルトを身につけて起爆に失敗して逮捕されました。夫はラディソン・ホテルで自爆し、結婚式に参加していた人たちを中心に38名を殺害しています。そのような犯人の釈放を行えば、今後多くの人々を巻き込むテロが生じる可能性が高いため、ヨルダン政府にとってはこの要求は受け入れることがきわめて難しいと思われます。
 
 日本とヨルダンの関係を揺るがせようとする意図を持った要求と考えられます。

(4)
 今回のビデオは、全体で2分52秒でそれほど長くありません。
 また、画面の背景が白で、頻繁に使われてきた荒野に青空の背景を用いていないところがこれまでと違うところです(背景はこれまでも合成であったとみられますので、実際に外で撮影する必要はありません)。

 また、後藤さんは、湯川さんの実際の遺体ではなく、遺体を写したと見られる写真を手にしているところから、湯川さんが以前にすでに死亡していた可能性、あるいは後藤さんとは別の場所で殺害された可能性があるのではないかと推測します。
 SiTEのホームページではリリースを何度かアップデートしているようですが、おそらくこれが最終と思います。その中では、映像の中で読み上げられた要求の全文が書き起こされています。繋がりにくくなっているようなので、要求の部分のみ暫定的にここに貼り付けます。

 日本政府への要求の部分は、明らかに、犯人側が作ったものを読み上げさせられている文体です。家族に向けた部分とは異なっています。

0:00
[Text]

This message was received by the family of Kenji Goto Jogo and the government of Japan

0:10

[Voice attributed to Kenji Goto Jogo]

I am Kenji Goto Jogo. You have seen the photo of my cellmate Haruna slaughtered in the land of the Islamic Caliphate. You were warned. You were given a deadline and so my captives acted upon their words.

[Prime Minister Shinzo] Abe, you killed Haruna. You did not take the threats of my captors seriously and you did not act within the 72 hours.

Rinko, my beloved wife, I love you, and I miss my two daughters. Please don’t let Abe do the same for my case. Don’t give up. You along with our family, friends, and my colleagues in the independent press must continue to pressure our government. Their demand is easier. They are being fair. They no longer want money. So you don’t need to worry about funding terrorists. They are just demanding the release of their imprisoned sister Sajida al-Rishawi. It is simple. You give them Sajida and I will be released. At the moment, it actually looks possible and our government are indeed a stone throw away. How? Our government representatives are ironically in Jordan, where their sister Sajida is held prisoner by the Jordanian regime.

Again, I would like to stress how easy it is to save my life. You bring them their sister from the Jordanian regime and I will be released immediately. Me for her. Rinko, these could be my last hours in this world and I may be a dead man speaking. Don’t let these be my last words you ever hear. Don’t let Abe also kill me.

(5)
 なお、イスラーム主義武装勢力との取引で、人質と交換で囚人を釈放することは、アラブ諸国及びイスラエルを含む中東諸国の政権が、過去に行ったことがあります。ただし、それは中東諸国の政府と国民にとってきわめて重要な意味を持つ人物が人質に取られている場合に行う切札であり、ここで日本人の人質のためにヨルダンに重要な自爆テロ未遂犯を釈放してほしいと要求する場合には、現地においては極めて重大な要求と受け止められることを理解しておくべきです。

 ヨルダンの場合は、昨年12月24日にシリア空爆に参加して墜落して「イスラーム国」側に人質に取られたヨルダン軍パイロットのムアーズ・カサースベ(Muadh al-Kasasbeh)中尉の救出が大問題になっており、米軍の特殊部隊による救出が試みられて断念され、最後の手段として「イスラーム国」メンバーの釈放が検討されてきました。

 「イスラーム国」の側は、最も力を入れているプロパガンダ紙『ダービク』の最新号でムアーズ中尉を大きく取り上げて、ムアーズ自らにヨルダン政府に命乞いの嘆願をさせ、ヨルダン国民の感情を高ぶらせています。「我々は皆ムアーズだ」というツイッターのハッシュタグでムアーズ釈放を要求する運動も起こっています。

 その際の最重要のカードとして浮上しかけているのがサージダ・リーシャーウィーでした。日本人人質の救出のためにサージダを釈放してほしいと要求することは、ムアーズ中尉の捕虜交換による生還の可能性をなくすものとヨルダン国民に受け止められかねないことを、日本政府・国民は深く受け止めておくべきです。

(6)
 いくつかムアーズ中尉が捕虜になった経緯について、大手メディアの記事を紹介します。これらはイギリスやアメリカの新聞でも大きく報じられているテーマであり、ヨルダンだけの話題ではないことをご理解ください。
http://www.theguardian.com/world/2014/dec/24/islamic-state-shot-down-coalition-warplane-syria

(7)
 ムアーズ中尉の自らの救命嘆願について。『ダービク』でのインタビュー仕立ての記事による宣伝を中心に取り上げられています。
http://www.independent.co.uk/news/world/middle-east/war-with-isis-i-was-shot-down-by-missile-says-captive-jordanian-pilot-in-interview-with-islamic-state-publication-9949326.html

(8)
 ムアーズ中尉の父親が「イスラーム国」に、息子を返すように要求・嘆願している点などが報じられています。シリアでの「イスラーム国」と有志連合国の戦闘で、「イスラーム国」側が捕獲した最初で唯一の捕虜であることが、ムアーズ中尉の象徴性を高めています。
http://www.independent.co.uk/news/world/middle-east/father-of-pilot-captured-by-isis-pleads-for-militants-to-show-son-mercy-9944885.html

ガーディアンの記事へのリンクも加えておきます。
Jordanian pilot’s father appeals to Islamic State
Militants have given no word about Muadh al-Kasasbeh, who was captured after his plane came down over Syria
http://www.theguardian.com/world/2014/dec/25/jordanian-pilot-muadh-al-kasasbeh-islamic-state

(9)
 米国は1月1日にムアーズ中尉の救出作戦を試みましたが断念しました。
http://www.dailymail.co.uk/news/article-2894384/US-Special-Forces-forced-abandon-attempt-free-Jordanian-fighter-pilot-held-hostage-ISIS-shot-Syria-helicopters-come-heavy-fire.html

(10)
 もし日本がサージダの釈放をヨルダン政府に求めた場合は、端的には、1億ドルの身代金をヨルダン政府に裏で回す代わりにムアーズに代えて日本人人質の命を買った、という世論がアラブ側に生じてくることは否定できません。
 
 すでに、ムアーズ中尉の釈放を求めるアラビア語ツイッターのハッシュタグ「#クッルナー・ムアーズ」では、そのような会話が交わされています。
 
 ムアーズ中尉の釈放と、そのカードとしてのサージダの扱いは、現地ではきわめて関心の高い、デリケートな問題であることを理解した上で、国際的な発信をする必要があることに、日本の皆様はご留意ください。
 
 日本政府によるイスラーム国周辺国への難民支援への拠出が「イスラーム国の気に障った」ことを問題視した多くの日本の論客が、ヨルダン国民の多数を占めると思われるムアーズ中尉釈放を求める声も、決して、無視されないことを、私は強く要求します。それは日本人の他者に対する顧慮の念、異なる社会への理解力の程度を示すことになるからです。

ガーディアンの記事も加えておきます。
Let Muadh go: Arab Twitter users plead for pilot held by Isis
A solidarity drive for Muadh al-Kasasbeh, the Jordanian captured near the Islamic State ‘capital’, goes viral online
http://www.theguardian.com/world/2014/dec/27/twitter-users-in-arab-nations-join-campaign-for-pilot-held-by-isis

(11)
 アラビア語の「#われわれはムアーズだ」のハッシュタグには、「#サージダ・リーシャーウィーと日本人人質の交換」というハッシュタグが添えられるようになってきており、ヨルダン側では、釈放に反対する動きが出てくる可能性があります。

(12)
 アラビア語の「#われわれはムアーズだ」のハッシュタグを見ていると、ムアーズの無事を祈る人に混じって、「イスラーム国」の旗を掲げる者が、ヨルダン政府に対して、「日本人の血よりヨルダン人の血は安いんだろ」といった挑発を行うツイートが出てきている。これらが実際に「イスラーム国」の内部の人間によってツイートされているとは限らないが、「イスラーム国」やその支持者にとってはそのような意味を持つ要求であることがわかる。

(13)
 もしヨルダン政府がここでサージダを釈放すれば、「ムアーズ中尉のためには釈放しなかったのに、日本人のためには釈放するのか、自国民の命は安く見積もっているのか、裏で(あるいは表で)もらう援助のために自国民の命を売ったのか」と「イスラーム国」から非難されるという展開が予想できる。
 
 さらに、そのような非難を高めるために、意図的にその後すぐにムアーズ中尉を殺害したような場合は、日本とヨルダンの関係においても、ヨルダン政府と国民の関係においても、最悪の事態になりかねない。

 もちろんそのような苦境に追い込むために、サージダと日本人人質の交換という提案をしてきているものと考えられる。ヨルダン政府の苦しい立場をついてきた要求である。

(14)
「#サージダ・リーシャーウィーと日本人人質の交換」というハッシュタグは、「イスラーム国」支持者(当事者であるかどうかはわからない)が主に用いているようである。ヨルダンのアブドッラー国王の写真に「教訓学んだか?」などと挑発するものがある。
 サージダを釈放せずに人質が殺害されれば日本から責められ、釈放した場合はムアーズ中尉を見捨てて裏金をもらったと蔑まれる、という苦しい立場にヨルダン国王を追い込もうとしているようだ。

(15)
 ムアーズ中尉を捕虜にした経緯についてはロシアの宣伝放送が詳細に報じている。米主導の有志連合への当てつけもあるのだろう。
http://rt.com/news/217331-isis-jordan-warplane-down/

(16)
「イスラーム国」はムアーズ中尉の殺害の方法をツイッターで募集するなど、挑発・愚弄の姿勢が明白で、解放する気があるのかどうかそもそも分からない。サージダの釈放を求めることで、日本人人質の問題をムアーズ中尉の問題と絡め、最大の政治的な効果を挙げようとしているようだ。

「イスラーム国」による人質殺害声明の基礎情報:さらに情報があればフェイスブックで発信します

午後11時過ぎ(日本時間)にツイッター上に公開された映像の中で、シリアで「イスラーム国」によって拘束されていた二人の日本人人質のうち、湯川遥菜さんの殺害が発表されました。

私はこの映像の真偽を判断する能力を持ちません。

テロリズム調査会社のSiTEが映像を分析して真正と判断している模様です。SiTEはこれまでに、高い精度の分析能力を示してきました。

(SiTEのリリースには繋がりにくくなっています)

https://news.siteintelgroup.com/Jihadist-News/japanese-hostage-haruna-yukawa-beheaded-second-hostage-stipulates-new-is-demand-in-video.html

前日にSiTEはツイッター上の、イスラーム国に関係のあるとみられる人物らの流す噂として、すでに人質一人が殺害されたとされたと報じていた。

https://news.siteintelgroup.com/Jihadist-News/jihadists-on-twitter-circulate-unverified-rumor-that-islamic-state-japanese-hostages-have-been-killed.html

映像では、静止画像で後藤健二さんの姿が映っており、手にした写真には湯川さんと見られる殺害された遺体が映っています。

私自身が元の映像を確認しましたが、ここにはリンクを掲載しません。SiTEのリリースでは残虐な部分はぼかしてあります。

映像には後藤さんと見られる音声が重ねられており、その中で犯行を行った勢力は、新たな要求を出しています。

新たな要求によれば、これまでの身代金の要求は明確に取り下げ、代わりに、後藤さんの命と引き換えに、ヨルダンで死刑判決を受けている、サージダ・リーシャーウィー(Sajida al-Rishawi)の釈放を要求しているようです。

サージダ・リーシャーウィーは、イラクのアル=カーイダ(「イスラーム国」の前身)の創設者ザルカーウィーの側近の妹で、2005年11月9日のアンマン・ホテル同時多発自爆事件(グランド・ハイアット、ラディソン等を爆破して60人が死亡した、ヨルダンの近年の最大のテロ)の際にも自爆テロ要員だったが生き残り、逮捕されて死刑判決を受け、上告中です。サージダの夫アリー・フセイン・アリー・アル=シャンマリー(Ali Hussein Ali al-Shamari) はラディソン・ホテルで自爆し38名を殺害しています。彼女自身が自爆ベルトを身につけて起爆させようとして失敗し、逮捕されました。

この要求は、日本政府が人質解放交渉の拠点を置いたヨルダンに矛先を向けてきたことを意味します。正確には、それによって日本・日本国民と、ヨルダン政府・ヨルダン国民との間に亀裂を走らせようとする戦術と思われます。

ヨルダン政府が、歴然とした自爆テロ実行未遂犯を釈放する可能性は低いと思いますが、日本政府あるいは国民がヨルダンに釈放せよと圧力をかける事態が生じれば、それは別の国際問題を引き起こすと考えられます。そのことが「イスラーム国」側の狙いと考えられます。

私自身は、犯行勢力にいかなる情報源も持っていませんので、この殺害事件そのものについては有益な情報提供をできません。

その政治的・外交的波及については注視し、適宜発信していく所存です。

参考情報があれば、フェイスブックで発信します。
https://www.facebook.com/satoshi.ikeuchi

『イスラーム国の衝撃』の主要書店での在庫状況を調べてみました

「サポートページ」を立ち上げてみたのだが、そもそも「書店に行っても置いていなかった」「インターネット書店では品切れ」のため手に入らないという声がかなり届く。

増刷がかかっており、1月28日に2刷、1月30日に3刷が流通するとのこと。もう少し待ってください。

ただ、いくらなんでも初刷1万5000部が1日ですべて売り切れたとは思えない。ネットから直接買える経路では売り切れたにしても全国の書店にはまだあるはず。

それで調べてみました。

在庫状況は、文藝春秋のウェブサイト上の『イスラーム国の衝撃』のページの下の方から辿っていくことができます。
http://books.bunshun.jp/ud/book/num/9784166610136

確かにインターネット書店は軒並み売り切れ。1月21日頃にはほとんどすべてのインターネット書店で売り切れていたようです。

中古書店が新品らしきものを1200円〜3000円弱で売りに出している(1月24日現在)。供給が間に合わない間に生じた時限的市場を果敢に開拓しています。
コレクター商品
中古品

丸善・ジュンク堂では全国の店舗での前日集計の在庫状況が一覧で出てくるので便利だ。
http://www.junkudo.co.jp/mj/products/stock.php?isbn=9784166610136
あるという表示がされている。このデータが現実を反映していたらの話ですが。

紀伊国屋では各店舗の在庫状況が、オレンジのアイコンをクリックすると出てくる。
https://www.kinokuniya.co.jp/disp/CKnSfStockSearchStoreSelect.jsp?CAT=01&GOODS_STK_NO=9784166610136

ない店もあるが、ある店もある。

やはり、完全に売りつくしたのはインターネット書店であって、全国のリアル書店の倉庫にはあるはずなんですよね。

これは新書の棚が、一冊あたりで、狭くなっていることが理由です。各出版社が、経営が苦しいので新書をあまりもたくさんの点数を出しすぎなんです。一冊ごとの質が下がるだけでなく、一点あたりの陳列面積が狭くなる。

そうするとこの本のように一時的に爆発的に売れている場合、売場に出してあるものが売れて補充されない間に本屋に行った人は、棚にないのでないものと考えてしまう。そうなると書店で買わずにインターネット書店で買うようになる。しかしそうするとインターネット書店に一度に殺到するので、品切れになって入荷期限未定ということになり、品薄感が仮想的に高まる。

出版社が、自分の経営のために、一時しのぎで膨大な点数の新書を出すことで、必要な本を流通させる機能を書店が果たせなくなっています。出版社が本屋を殺しているんです。

各出版社は粗製濫造の本の出版点数を減らし、一点あたりを大事に作って、長く、たくさん売っていくべきです。

そうすれば隣国ヘイト本や、学者もどきの現状全否定阿保ユートピア本など、煽って短期的に少部数を売り切るタイプの本はなくなっていきます。

元来が出版のあり方について一石を投じるつもりで書いた本でしたが(その意図や、事前の出版社との折衝で何を問題視し何を要求したかなどは、そのうちにここで書きましょう)、結果的に出版界の池に巨石を放り込んだ形になりました。

この本の発売日に、本書の帯に偶然掲載しておいたJihadi Johnが出演する脅迫ビデオが発表されたという、私の一切コントロールできない事情によって販売を促進したという面は多大にありますが、それ以外にも、本ブログでの問題提起が予想外に大規模にシェアされていった現象が大きな影響を及ぼしています。

興味深い現象です。続けてウォッチしていきましょう。

『イスラーム国の衝撃』のイントロダクションと全体構成

【『イスラーム国の衝撃』のサポートページのエントリ一覧(http://ikeuchisatoshi.com/『イスラーム国の衝撃』/)】

『イスラーム国の衝撃』の目次を昨日公開しましたが、イントロダクション的な部分を今回は紹介しておきましょう。

英語圏の学術書ですと、イントロダクションの章はホームページ上で公開してあることも多くあります。

英語圏の論文・学術書の書き方は厳格(あるいはやや単調)で、イントロダクションで前提や仮説や検証方法や結論が全部書いてあります。その上で各章で、仮説をさらに細かく示したり、論証の手法の妥当性を論じたり、データを長々と引いてきたりして、結論を出すわけです。で、結論の章にイントロダクションの内容とほとんど同じことがまた要約されていて、結論に至る。

こういう書き方ですので、イントロダクションを読むだけでかなり内容が想像できます。学問的文法を知っていれば、本を買う前に内容をかなり理解した上で、買うかどうかを判断できるのです。

今回の私の本は、新書という「ペーパーバック書き下ろし」というべき、英語圏ではあまりない形式の媒体です。ですので英語圏のイントロダクションにあたるものがそのままこの本にあるわけではありません。

ただし、冒頭の「第1章」の末尾に、イントロダクションに当たるものをつけ、「むすびに」で改めて全体像を短くまとめておきました。

今回はその「イントロダクション」と「まとめ」に当たる部分から一部を抜き出して紹介しておきましょう。

これらは本書の全体像を概念的に示したもので、いわば「骨ガラ」です。この概念的な枠組みの中で、歴史や思想理論や組織論や、それらに基づく「イスラーム国」や先進国のジハード主義者の行動などが肉付けされていくのです。

概念的な全体像についてのイントロ・まとめは、一般向けということもあり非常にシンプルな論理にまとめてありますので、全体がこんなに無味乾燥だったらどうしよう、と思う読者もいるかもしれませんが、実際に読んでいただくと、歴史的な展開の叙述があり、思想史の諸概念やメディア表象の解読があり、「衝撃」的な現象の描写がありといった形で「山あり谷あり」に、一般書として読みやすくしてあります。

しかし概念的な全体枠組みを知っておくと、各部分にどのような意味があってそこに書かれているのかが、とらえやすくなると思います。すでに本を手にとっていらっしゃる方も、骨組みの部分を踏まえて各章を読んでいっていただくと、大航海の中の羅針盤のような役割を果たすのではないかと思っています。


(1)「第1章」より29−31頁

何がイスラーム国をもたらしたのか
 いったいなぜ「イスラーム国」は、急速に伸張を遂げたのだろうか。どのようにして広範囲の領域を支配するに至ったのだろうか。その勢力の発生と拡大の背後にはどのような歴史と政治的経緯があるのか。斬首や奴隷制を誇示する主張と行動の背景にはどのような思想やイデオロギーがあるのだろうか。本書が取り組むのはこれらの課題である。
「イスラーム国」の伸張には、大きく見て二つの異なる要因が作用していると筆者は考えている。一つは思想的要因であり、もう一つは政治的要因である。
 思想的要因とは、ジハード主義の思想と運動の拡大・発展の結果、世界規模のグローバル・ジハードの運動が成立したことである。グローバル化や情報通信革命に適合した組織論の展開の結果として、近年にグローバル・ジハードは変貌を遂げていた。「イスラーム国」も、それを背景に生まれてきた。
 政治的要因とは、「アラブの春」という未曾有の地域的な政治変動を背景に、各国で中央政府が揺らぎ、地方統治の弛緩が進んだことである。とくにイラクやシリアで、それは著しい。
 グローバル・ジハードの進化と拡大が、中東とアラブ世界のリージョナルな社会・政治的動揺と結びつき、イラクとシリアの辺境地域というローカルな場に収斂したことによって、「イスラーム国」の伸張は現実のものとなった。本書では、それらの諸要因を一つ一つ解きほぐしていく。

本書の視角──思想史と政治学
 本書は、二つの大きく異なるディシプリン(専門分野)の視点や成果を併用して、「イスラーム国」という現象を見ていくことになる。一つはイスラーム政治思想史であり、特にジハード論の展開である。それらの思想に基づいた社会・政治運動の発展が、「イスラーム国」の組織と主体を形作った。
 同時に、思想や運動が現実世界で意味を持つには、有利な環境条件が必要である。現代のアラブ世界には、とくにイラクとシリアの特定の地域には、そのような環境条件が整っている。どのような経緯でそのような環境が整ったのか。これは政治学の分析視角を駆使して解明されるべき課題である。政治学には政治哲学のような規範的なものから、科学を目指した計量数理的なものまで、幅広い分野が含まれるが、ここでは、各国の政治体制の特質を地域研究の知見を踏まえて把握する比較政治学や、各国政治の展開と地域・国際政治の連関をとらえる国際政治学の視点を主に取り入れる。

(2)「むすびに」より(226−227頁)

「イスラーム国」の台頭によって、筆者は、長年取り組んできた二つの分野が一つに融合していく稀な瞬間を目撃することになった。
 一つは、イスラーム政治思想史である。とくにジハード主義が国際展開し、9・11事件後に分散型、非集権型のネットワーク的組織構造によって再編されていく過程を追跡してきた。もう一つは、中東の比較政治学と国際関係論である。二〇一一年の「アラブの春」が、アラブ諸国に共通の社会変動をもたらしながら、体制変動は多様に分岐していった。その過程と要因を明らかにするのが、近年の最大の関心事だった。
 二つの研究の手法・視点を併用して、思想と政治の両方に取り組んできたのは、両者に相互連関性があると見ていたからだが、「イスラーム国」は、まさに両者の相互連関性を体現した存在である。
 イスラーム政治思想史で解析してきたグローバル・ジハードの変容の軌跡が、中東の比較政治学が対象とする中東諸国・国際秩序の変動と交錯し、激しく火花を散らした。それが「イスラーム国」という現象である。

サポートページ開設しました〜『イスラーム国の衝撃』目次を公開

本日、『イスラーム国の衝撃』が発売になりました。といっても数日前から店頭に出ていたので、すでに入手している方も多くいらっしゃるようです。

「むすびに」で記しておいたように、このブログでは、『イスラーム国の衝撃』というカテゴリの、いわば「サポートページ」を設けて、この本を読んだ人が、新たに中東・イスラーム世界で生じてくる事象を、この本で得た基礎知識・認識枠組みを踏まえてどのように理解していけばいいのか、適宜解説していきます。

【『イスラーム国の衝撃』のサポートページ(カテゴリ)のURL】

また、参考文献リストから本を選んで解説してみたり、文献リストのさらに先を読みたければどのような本があるのかを紹介したりするといった、読者が自分で考えていくための手がかりを提供する趣向を、いろいろ凝らして見たいと思っています。

第1回はまず目次を掲載しておきます。この本は急遽刊行が決まったため事前の広告にも目次や内容がほとんど載っておらず、今でも各種の本屋サイトなどで不十分な情報のまま販売されています。ミステリアスでいいのかもしれませんが・・・

しかし英語圏の学術書・教科書では目次とイントロダクションはインターネット上で無料で公開されることは当たり前になっており、買うに値する内容と構成なのか、情報を与えられた上で読者が選択することはもはや常識となっています。この本も同様に目次や全体構成のイントロダクション、まとめなどは、公開してもいいのではないかと思います。

本書は日本に特有の新書という形態をとっていますが、内容は数多くの論文で発表してきた知見を再構成したものであるため、専門的な媒体ではすでに公的にアクセスが可能になっている要素も含まれています。そのため、本書をまだ手にしていない潜在的な読者が、ある程度の内容と構成を知ることができるように、私の責任において、個人ブログで公開していこうと考えています。

『イスラーム国の衝撃』の目次はこのようになっています。

1 イスラーム国の衝撃 
モースル陥落
カリフ制を宣言
カリフの説教壇
「領域支配」という新機軸
斬首による処刑と奴隷制
何がイスラーム国をもたらしたのか
本書の視角──思想史と政治学

2 イスラーム国の来歴 
アル=カーイダの分散型ネットワーク
聖域の消滅
追い詰められるアル=カーイダ
特殊部隊・諜報機関・超法規的送致
なおも生き残ったアル=カーイダ
アル=カーイダ中枢の避難場所──パキスタン
アフガニスタン・パキスタン国境を勢力範囲に
アル=カーイダ関連組織の「フランチャイズ化」
「別ブランド」の模索
「ロンドニスタン」の「ローン・ウルフ(一匹狼)」
指導者なきジハード?

3 甦るイラクのアル=カーイダ 
イラクのアル=カーイダ
ヨルダン人のザルカーウィー
組織の変遷
イラク内戦の深淵
斬首映像の衝撃
アル=カーイダ関連組織の嚆矢
ザルカーウィーの死と「バグダーディー」たち
カリフ制への布石
二〇二〇年世界カリフ制国家再興構想
「カリフ制イスラーム国」の胎動

4 「アラブの春」で開かれた戦線 
「アラブの春」の帰結
中央政府の揺らぎ
「統治されない空間」の出現
隣接地域への紛争拡大
イラク戦争という「先駆的実験」
イスラーム主義穏健派の台頭と失墜
「制度内改革派」と「制度外武闘派」
穏健派の台頭と失墜
紛争の宗派主義化

5 イラクとシリアに現れた聖域──「国家」への道 
現体制への根本的不満──二〇〇五年憲法信任投票
スンナ派に不利な連邦制と一院制・議院内閣制
サージ(大規模増派)と「イラクの息子」
マーリキー政権の宗派主義的政策
フセイン政権残党の流入
「アラブの春」とシリア・アサド政権
シリアの戦略的価値
戦闘員の逆流
乱立するイスラーム系武装勢力
イラク・イスラーム国本体がシリアに進出
イスラーム国の資金源
土着化するアル=カーイダ系組織

6 ジハード戦士の結集 
傭兵ではなく義勇兵
ジハード論の基礎概念
ムハージルーンとアンサール──ジハードを構成する主体
外国人戦闘員の実際の役割
外国人戦闘員の割合
外国人戦闘員の出身国
欧米出身者が脚光を浴びる理由
「帰還兵」への過剰な警戒は逆効果──自己成就的予言の危機
日本人とイスラーム国

7 思想とシンボル──メディア戦略
すでに定まった結論
電脳空間のグローバル・ジハード
オレンジ色の囚人服を着せて
斬首映像の巧みな演出
『ダービク』に色濃い終末論
九〇年代の終末論ブームを受け継ぐ
終末論の両義性
預言者のジハードに重ね合わせる

8 中東秩序の行方 
分水嶺としてのイスラーム国
一九一九年 第一次世界大戦後の中東秩序の形成
一九五二年 ナセルのクーデタと民族主義
一九七九年 イラン革命とイスラーム主義
一九九一年 湾岸戦争と米国覇権
二〇〇一年 9・11事件と対テロ戦争
二〇一一年 「アラブの春」とイスラーム国の伸張
イスラーム国は今後広がるか
遠隔地での呼応と国家分裂の連鎖
米国覇権の希薄化
地域大国の影響力

むすびに
参考文献

「イスラーム国」による日本人人質殺害予告について:メディアの皆様へ

本日、シリアの「イスラーム国」による日本人人質殺害予告に関して、多くのお問い合わせを頂いていますが、国外での学会発表から帰国した翌日でもあり、研究や授業や大学事務で日程が完全に詰まっていることから、多くの場合はお返事もできていません。

本日は研究室で、授業の準備や締めくくり、膨大な文部事務作業、そして次の学術書のための最終段階の打ち合わせ等の重要日程をこなしており、その間にかかってきたメディアへの対応でも、かなりこれらの重要な用務が阻害されました。

これらの現在行っている研究作業は、現在だけでなく次に起こってくる事象について、適切で根拠のある判断を下すために不可欠なものです。ですので、仕事場に電話をかけ、「答えるのが当然」という態度で取材を行う記者に対しては、単に答えないだけではなく、必要な対抗措置を講じます。私自身と、私の文章を必要とする読者の利益を損ねているからです。

「イスラーム国」による人質殺害要求の手法やその背後の論理、意図した目的、結果として達成される可能性がある目的等については、既に発売されている(奥付の日付は1月20日)『イスラーム国の衝撃』で詳細に分析してあります。

私が電話やメールで逐一回答しなくても、この本からの引用であることを明記・発言して引用するのであれば、適法な引用です。「無断」で引用してもいいのですが「明示せず」に引用すれば盗用です。

このことすらわからないメディア産業従事者やコメンテーターが存在していることは残念ですが、盗用されるならまだましで、完全に間違ったことを言っている人が多く出てきますので、社会教育はしばしば徒労に感じます。

そもそも「イスラーム国」がなぜ台頭したのか、何を目的に、どのような理念に基づいているのかは、『イスラーム国の衝撃』の全体で取り上げています。

下記に今回の人質殺害予告映像と、それに対する日本の反応の問題に、直接関係する部分を幾つか挙げておきます。

(1)「イスラーム国」の人質殺害予告映像の構成と特徴  
 今回明らかになった日本人人質殺害予告のビデオは、これまでの殺害予告・殺害映像と様式と内容が一致しており、これまでの例を参照することで今後の展開がほぼ予想されます。これまでの人質殺害予告・殺害映像については、政治的経緯と手法を下記の部分で分析しています。

第1章「イスラーム国の衝撃」の《斬首による処刑と奴隷制》の節(23−28頁)
第7章「思想とシンボル−–メディア戦略」《電脳空間のグローバル・ジハード》《オレンジ色の囚人服を着せて》《斬首映像の巧みな演出》(173−183頁)

(2)ビデオに映る処刑人がイギリス訛りの英語を話す外国人戦闘員と見られる問題
 これまでイギリス人の殺害にはイギリス人戦闘員という具合に被害者と処刑人の出身国を合わせていた傾向がありますが、おそらく日本人の処刑人を確保できなかったことから、イギリス人を割り当てたのでしょう。欧米出身者が宣伝ビデオに用いられる問題については次の部分で分析しています。

第6章「ジハード戦士の結集」《欧米出身者が脚光を浴びる理由》(159−161頁)

(3)日本社会の・言論人・メディアのありがちな反応
「テロはやられる側が悪い」「政府の政策によってテロが起これば政府の責任だ」という、日本社会で生じてきがちな言論は、テロに加担するものであり、そのような社会の中の脆弱な部分を刺激することがテロの目的そのものです。また、イスラーム主義の理念を「欧米近代を超克する」といったものとして誤って理解する知識人の発言も、このような誤解を誘発します。

テロに対して日本社会・メディア・言論人がどのように反応しがちであるか、どのような問題を抱えているかについては、以下に記してあります。

第6章「ジハード戦士の結集」《イスラーム国と日本人》165−168頁

なお、以下のことは最低限おさえておかねばなりません。箇条書きで記しておきます。

*今回の殺害予告・身代金要求では、日本の中東諸国への経済援助をもって十字軍の一部でありジハードの対象であると明確に主張し、行動に移している。これは従来からも潜在的にはそのようにみなされていたと考えられるが、今回のように日本の対中東経済支援のみを特定して問題視した事例は少なかった。

*2億ドルという巨額の身代金が実際に支払われると犯人側が考えているとは思えない。日本が中東諸国に経済支援した額をもって象徴的に掲げているだけだろう。

*アラブ諸国では日本は「金だけ」と見られており、法外な額を身代金として突きつけるのは、「日本から取れるものなど金以外にない」という侮りの感情を表している。これはアラブ諸国でしばしば政府側の人間すらも露骨に表出させる感情であるため、根が深い。

*「集団的自衛権」とは無関係である。そもそも集団的自衛権と個別的自衛権の区別が議論されるのは日本だけである。現在日本が行っており、今回の安倍首相の中東訪問で再確認された経済援助は、従来から行われてきた中東諸国の経済開発、安定化、テロ対策、難民支援への資金供与となんら変わりなく、もちろん集団的・個別的自衛権のいずれとも関係がなく、関係があると受け止められる報道は現地にも国際メディアにもない。今回の安倍首相の中東訪問によって日本側には従来からの対中東政策に変更はないし、変更がなされたとも現地で受け止められていない。

そうであれば、従来から行われてきた経済支援そのものが、「イスラーム国」等のグローバル・ジハードのイデオロギーを護持する集団からは、「欧米の支配に与する」ものとみられており、潜在的にはジハードの対象となっていたのが、今回の首相歴訪というタイミングで政治的に提起されたと考えらえれる。

安倍首相が中東歴訪をして政策変更をしたからテロが行われたのではなく、単に首相が訪問して注目を集めたタイミングを狙って、従来から拘束されていた人質の殺害が予告されたという事実関係を、疎かにして議論してはならない。

「イスラーム国」側の宣伝に無意識に乗り、「安倍政権批判」という政治目的のために、あたかも日本が政策変更を行っているかのように論じ、それが故にテロを誘発したと主張して、結果的にテロを正当化する議論が日本側に出てくるならば、少なくともそれがテロの暴力を政治目的に利用した議論だということは周知されなければならない。

「特定の勢力の気分を害する政策をやればテロが起こるからやめろ」という議論が成り立つなら、民主政治も主権国家も成り立たない。ただ剥き出しの暴力を行使するものの意が通る社会になる。今回の件で、「イスラーム国を刺激した」ことを非難する論調を提示する者が出てきた場合、そのような暴力が勝つ社会にしたいのですかと問いたい。

*テロに怯えて「政策を変更した」「政策を変更したと思われる行動を行った」「政策を変更しようと主張する勢力が社会の中に多くいたと認識された」事実があれば、次のテロを誘発する。日本は軍事的な報復を行わないことが明白な国であるため、テロリストにとっては、テロを行うことへの閾値は低いが、テロを行なって得られる軍事的効果がないためメリットも薄い国だった。つまりテロリストにとって日本は標的としてロー・リスクではあるがロー・リターンの国だった。

しかしテロリスト側が中東諸国への経済支援まで正当なテロの対象であると主張しているのが今回の殺害予告の特徴であり、重大な要素である。それが日本国民に広く受け入れられるか、日本の政策になんらかの影響を与えたとみなされた場合は、今後テロの危険性は極めて高くなる。日本をテロの対象とすることがロー・リスクであるとともに、経済的に、あるいは外交姿勢を変えさせて欧米側陣営に象徴的な足並みの乱れを生じさせる、ハイ・リターンの国であることが明白になるからだ。

*「イスラエルに行ったからテロの対象になった」といった、日本社会に無自覚に存在する「村八分」の感覚とないまぜになった反ユダヤ主義の発言が、もし国際的に伝われば、先進国の一員としての日本の地位が疑われるとともに、揺さぶりに負けて原則を曲げる、先進国の中の最も脆弱な鎖と認識され、度重なるテロとその脅迫に怯えることになるだろう。

特に従来からの政策に変更を加えていない今回の訪問を理由に、「中東を訪問して各国政権と友好関係を結んだ」「イスラエル訪問をした」というだけをもって「テロの対象になって当然、責任はアベにある」という言論がもし出てくれば、それはテロの暴力の威嚇を背にして自らの政治的立場を通そうとする、極めて悪質なものであることを、理解しなければならない。

『エコノミスト』の読書日記は、政治を決定づける「制度」について

ニューオーリンズでの学会から帰国しました。大学事務の作業が膨大にあるので、当分身動きが取れません。

帰宅して『イスラーム国の衝撃』を私自身も初めて手に取ってみました。

「イスラーム国」について、1月におびただしい数の本が刊行されるようですが、それを「グローバル・ジハード」の一部として分析した本が本書だけであることは確実です。なぜならば、「グローバル・ジハード」は私が用いている分析概念だからです。

「グローバル・ジハード」という分析概念を用いることで、「イスラーム国」も、そしてパリで起こったようなローン・ウルフ型の分散型テロも、両方説明でき、将来の見通しを立てられる、というのが本書で展開している議論です。そのような枠組みで議論をしている人は日本では私が以外にいないと思うので、本書の内容が類書とかぶることはあり得ません。

近くこのブログにこの本の「アフターサービス」のページを設けて、誤植等があったら通知しつつ、個々の議論をより深めたり、新たな状況との関連を示したりするのに使おうと考えています。

また、関係する文献も順次紹介していこうと思います。巻末の文献リスト(全11頁)はかなり詳細ですが、それでも紙幅の都合から一定の基準を設けて取捨選択しておりますので、理想を言えばその5倍ぐらい列挙したいところです。

売れ行きが良いので、早くも増刷がかかったそうです。こんな理論的・思弁的な本でも売れる、という事例を作って、出版の負のスパイラルを巻き戻せればいいのですが。

本題、取り急ぎ、掲載情報です。『エコノミスト』の読書日記の連載第8回。

今回も、電子版には掲載されていません。

池内恵「強い首相を作り出す『制度』を考える」『週刊エコノミスト』2015年1月27日号(1月19日発売)、59頁

取り上げたのはこの本。

待鳥聡史『首相政治の制度分析- 現代日本政治の権力基盤形成 』(千倉書房、2012年)

良い本です。

この本が出たのは2012年6月。学問ってこうやるんだなーと思わせてくれる。簡単に真似できるものではないが。

この本が出た頃は、自民党政権でも民主党政権でもころころ首相が変わって、「弱い政治家」「決められない政治」が嘆かれていた。

小泉首相の長期政権が懐かしく思い出されていたと共に、小泉政権は首相の強烈な個性があったから成り立っていたものだと議論されていた。同じような個性的な政治家がいなければ、同じような力強い政治はできない、と前提にされていた。それを前提に「近頃の政治家は小粒だ、ひ弱だ」と議論されていた。

しかし『首相政治の制度分析』では、「強い首相」を可能にする制度的要因は整っている、と論じた。

制度的条件が脆弱であることを前提に「大統領的首相」として権限を振るった中曽根首相とは異なり、小泉首相は(彼自身が導入に反対していた小選挙区制を含めて)政治・行政改革によって生み出された制度を用いて「強い首相」となった。

現行制度のもとでも、幾つかの制約要因を乗り越えれば、強い首相・長期政権によって、政争・政局の混乱を一定期間退けて、政策の実現に専念できるようになる、という見通しをこの時点で示していた『首相政治の制度分析』は、その後、安倍政権が安定化・長期化し、賛否はともかく「アベノミクス」の政策を推進する強い首相となったことで、現実によって実証された形になった。

この本が書かれている時点で第二次安倍政権は影も形もなかったし、「病気で退陣」した安倍首相は「弱い性格」の政治家の代表とされていた。しかし「弱い性格」は政権の安定・長期化の決定要因じゃないよ、と論じた本書を読んでいれば、第二次安倍政権誕生の時点で、今に至る道筋もある程度予想できただろう。

制約要因のせいで「性格が弱く」見えることもあるしね。

この本をいま取り上げようと思った理由の一つは、1月号の『文藝春秋』と『中央公論』で図らずも展開されていた「政治学者新旧両巨頭競演」だったので、これについても書いておいた。

「両巨頭」がわからない人は『文藝春秋』『中央公論』のバックナンバーを取り寄せて考えてみるか、手っ取り早く『週刊エコノミスト』の本エッセーをどうぞ。

「両巨頭」の論説を対照させて読みながら、思想・哲学史の永遠のテーマ「なぜ政治家は学者の言うことを聞かないか」(あるいはその逆に「学者はそうと知りつつなお政治家に期待してしまうのか」)について思いをめぐらせてこの本(マーク・リラ『シュラクサイの誘惑』)を読み直したりしたんだが、紙幅の都合でこれについては割愛し、最終的に待鳥『首相政治の制度分析』に行き着いた。

マーク・リラの本は表面上シニカルだが、「人間は制度で動かされる」という視点で徹底した待鳥書は根底でもっとシニカルかもしれない。

今週中のみ店頭で買えます。

当分フェイスブックで発信を続けます

1月7日以降のイスラーム教とテロリズム、そしてそれと欧米との関係をめぐる、日本の言論状況に関与する私の見解は、当分フェイスブックで発信を続けます。

公開設定のため、下記URLから誰でもアクセスできます。ただしコメントは「友達」か「友達の友達」しかできません。スパムや荒らしを防止するためです。

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このブログであれ、フェイスブックでの発言であれ、全て公的な発言です。

同時に、それに対する応答・反応もまた、全て公の場で行われているということをお忘れなきようお願いいたします。

池内恵

コメント『毎日新聞』1月10日付朝刊

昨日1月10日の『毎日新聞』朝刊に掲載されたコメントをこのエントリの末尾に貼り付けておきます。1月9日付の『産経新聞』へのコメントと重なるところがありますが、『毎日』の方では、今後の展開を中期的な時間軸で捉え、「政教分離を明示的・意識的に受け入れる」層と「政教分離を拒否して過激化する」層が分化する可能性を指摘しています。もちろんその真ん中で迷う人が多数と思いますが、明確にこの分化が外からも内からも促進されるだろうと予想しています。「そうしてはならない」という議論が正しくないと考えるのは、現実にそうなるであろうという現状分析上の見解に加え、イスラーム教の教義は政教分離を認めていないし、解釈によって認めることは極めて困難であるという前提を認識していないことからくる誤った(機能しない)処方箋であると考えるからです。

「イスラーム教」と「イスラーム教徒」は明確に分けてください。イスラーム教の場合、神の啓示した文言は不変なので、明文規定にあるものを、イスラーム教徒が変えるということはできません。「イスラーム教では〜だ」と私が書くときは、「イスラーム教徒の全員がそう考えている、行動する」ことは意味しません。ただし、イスラーム教の教義上、「イスラーム教徒が批判したくてもできない要素」であることを意味します(実際には世界全体の大多数のイスラーム教徒はそのような根本的な要素を批判しようとは思っていませんが)。

今回のような「宗教への挑戦者を制圧するジハードおよび勧善懲悪」といった概念は、個々の信者としては、自分が実際に行うわけではない場合も、他の信者が実施することを制止する教義上の根拠は脆弱です。現実的にも、阻止すれば自分も背教者として糾弾され、脅かされる可能性が高いにもかかわらず、なおも必ずジハードや勧善懲悪の実施を阻止しろ、とイスラーム教徒に要求することはできません。歴史上も今もイスラーム教徒は戦ってばかりいたわけではないのですが、それは「ジハードをしてはいけない」という教義があったから戦っていなかったのではなく、ジハードを「しなくてもいい」という法学解釈で戦わないことを許してきたのです。現在は、そのような解釈を行う穏健な宗教者の言うことを聞かない人が多くおり、コーランやイスラーム法学の支配的な学説を引いて強硬な解釈を行う宗教者が多く出てきて、彼らの影響力が抑えがたくなっています。根本的な教義を引いてくるだけに、穏健な解釈をする側としては論駁することが難しく、うまくいっても「見解の相違」に持ち込むしかないのです。その場合も「ジハードを阻害する者へもジハードを行う」と名指しで攻撃される危険があるので、どうしても発言は抑制的になります。穏健派の宗教者の非難声明がどうしても煮え切らない印象があるのはこういった理由があります。

強硬な解釈の余地がなくなるように、根本的な教義を変えようとすれば、とてつもない宗教改革が必要です。そもそもそのような宗教改革を世界全体のイスラーム教徒の大多数が現在は望んでいません。多数派として住んでいる圧倒的多数のイスラーム教徒にとっては現行の法体系でさほど支障がないのです。もしフランスのイスラーム教徒だけが変えようとしても変えられません。

フランス人となっていて、教義は自分の力では変えられないが、自分自身は政教分離を受け入れるという人は多数います。「イスラーム教は政教分離をしないことが教義なのだから、個々のイスラーム教徒に政教分離を強いるのは抑圧だ」との見解がフランスでも社会的合意として取り入れられれば、イスラーム教徒でかつ政教分離を志向する人は、背教宣告に怯えなければならなくなり、自由を著しく侵害されます。サウジアラビアやエジプトではそれでも構わない(かどうかわかりませんが、そうしておきましょう)としても、フランスでもそのような原則を導入しなければ差別だ抑圧だ、という主張を私はいたしません。なお、露骨に政教一致を主張するイスラーム教徒をフランス社会は受け入れないでしょう。それを「差別だ」と糾弾することは、フランス社会の成員でない私にはできません。

「フランスのアラブ人には政教分離に賛同している人もいる」という議論で、イスラーム教の解釈は実は世俗主義に親和的だから、問題視してはいけない、批判してはいけないと議論する人がいますが、逆です。「フランス国民となるためには政教分離してください」と要求し続けてきたので、イスラーム教の教義では許されにくいにもかかわらず、一定数が政教分離を受け入れてきたのです。イスラーム教の教義を一切勉強せずにフランスのムスリム問題を語るような人が、話を混乱させています。

下記がコメント本文です。

「クローズアップ2015:仏週刊紙襲撃 「自由」と「信仰」深い溝 池内恵・東京大准教授の話」『毎日新聞』2015年01月10日 東京朝刊

 ◇価値観の摩擦続く−−池内恵・東京大准教授(中東地域研究、イスラム政治思想)

 今回の事件は、西洋とイスラム社会の間にある根本理念の対立を顕在化させたと思う。西洋近代社会はキリスト教などの宗教の支配から脱し、神ではなく、人間が理性的に社会を作るという規範を作った。いわゆる政教分離であり、特にフランスでは革命を経て、神を批判しても罰せられない表現の自由を得た。

 一方で、イスラム教には聖典「コーラン」や預言者ムハンマドなどの宗教的権威を傷つけてはならないという教義がある。殺人は認めていないが、教義を守らない人には守らせなくてはいけないという考え方だ。

 西洋各国はイスラム教徒に対し、信仰は内面にとどめて公的には自国の理念や制度に従うべきだとしてきた。そのことが難しいことに薄々気づいていたが、今回の事件で問題が表面化し、正面から向き合わざるを得なくなった。個々の人間は平等だという理念に従い、多くの移民を受け入れてきたが、イスラム諸国からの移民の増加を抑制しようとする動きは強まっていくと思う。一方で、メディアも多少萎縮し、挑発するような言動は一時的に減るのではないか。

 西洋のイスラム教徒の間では政教分離に同調する人と、教義に忠実で過激化する人の分裂が加速するだろう。歴史的にみて西洋が表現の自由で妥協する可能性はなく、イスラム世界が政教分離を受け入れることも近い将来には実現しない。西洋各国の国内での摩擦は今後も続くだろうし、今回のような事件が再び起こる可能性はある。(談)

コメント『産経新聞』1月9日朝刊

シャルリー・エブド紙襲撃事件について『産経新聞』1月9日朝刊に掲載されたコメントを下記に再録します。インターネット上では前日夜に公開されていたものです。

なお、普通に読めばわかるように、私は移民を抑制しろなどとは言っていません。価値観の根本的な相違が露わにされると、移民の抑制論への支持は一層高まるだろうという予測を記しているだけです。すでにフランスにしてもイギリスにしても、中道右派と左派のいずれも移民抑制論に転じており、「どう抑制するか」の手法で争っている(そもそもどうしたら抑制できるのか分からない)段階ですので、これは予測というほどでもなくて、すでに定まった趨勢がより強まるだろうと言っているだけです。今すでにいる人を政策的に排斥するという話ではありません。

なお、人道的な理由での難民受け入れは、大規模に行い続けているので、「西欧が偏狭になった」といった議論は行き過ぎと思います。それを言ってしまうと日本は「昔も今も変わらずものすごく偏狭」の一言で終わってしまいます。難民も移民も原則受け入れていませんので。「受け入れに限界がある」と言っただけで「排斥だ」と言われてしまう西欧の基準は、ダブルスタンダードがあちこちにあっても、やはり非常に高いものがあります。そのような基準を設定してかなり実現しているところから西欧の指導力が生まれていることは認めざるを得ません。

もちろん例えばイギリスの移民問題に関する学会の一定の人たちが、移民抑制に向かう保守党・労働党双方を(もちろんそれ以外の極右政党も含めて)「移民に対して否定的になった」と批判するのは、それは個人の思想信条の自由です。そういった移民問題の研究者が、実際に移民社会の一部が公然とシャリーアの施行を要求することがどれだけ深刻な意味を持つのか、ホスト社会にとっても受け入れ難いのか、という点をまともに論じません。

移民の「過激化」(といっても多くはシャリーアの施行を要求している「だけ」ですが)に影響を及ぼすイスラーム教の政治イデオロギーをまともに受け止めていることはほとんどありません。まるでイスラーム政治思想は「誤謬」であって、そのようなものを信じるのは何かの過ちであり、一部の過激な狂信者だけであり、そのような狂信に追い込む原因は、社会や政治問題であると説くのです。それはかなり無理をした(おそらく間違っていることがやがて証明される)仮説に過ぎません。

実際には、シャリーア施行を要求する「過激派」の人の大部分は「え?故郷のパキスタンでもやっているだけのシャリーア施行ですよ?イスラームは普遍なんだからイギリスでも施行しないといけないに決まっているじゃないですか。しかもウチのあたりの街区なんて住民の9割以上ムスリムなんだから、施行して当然ですよね?そこに住んでいる少数派の人の方がわれわれに従うべきなんですよ」と言われて愕然、というところから「多文化主義は失敗した」「移民を制限しよう」という話になっているのに、こういった問題意識を持つ人を全て「極右だ」と言ってしまっては話がややこしくなっています。また、シャリーアの施行を主張する人はイギリスの多数派の考えからは「過激派」「狂信者」「ならず者」に見えるのかもしれませんが、コミュニティでは「宗教に熱心な人」ということになる。

こういった厄介な現実を伝えるイギリスのメディアを、全部「イスラモフォビア」と言って本を書いていた日本の研究者もいた。

そういう研究者は、「シャリーアの施行は当然だ」「イスラーム教が中傷されたら戦うのが義務だ」と考える人が存在するということが信じられないか、都合が悪いから言わないだけです。単に全く知らないという場合も多い。合理的な説明要因の外にあるとされる宗教的思想が政治的選択・行動の要因であると議論することは、ある種の学問を欧米でやっている人からいうと、やりにくい、評価されないという問題が背後にあります。そういった微妙なところを、外部の日本人の研究者がイギリスとイスラーム世界の両方を見て指摘してあげればいいのだが、普通はイギリスの研究者に従属して受け売りしているだけの人が大多数。で、先方の学界動向が変わると、日本の研究者の次の世代が出てきてまたそれを受け売りする。悲しき近代。

日本は逆に、文化本質主義が強すぎて、思想(あるいは漠然と「歴史」)と行動との関係を一直線で捉えすぎな一般的な風潮がありますが、欧米の現在の社会科学系学会では思想を政治的な選択の決定要因として取り入れることには強い抵抗があります。しかしそれも、長い歴史から見れば、一時的に、過度に合理的選択を強調していた時代だったと振り返られることになるでしょう。学問なんてそんなものです。現実によって反証されて、発展していくんです。

さて、下記がコメント本文です。

「西洋社会に拒絶感、移民抑制も」『産経新聞』2015.1.8 20:45

 ■東京大学准教授、池内恵(いけうち・さとし)氏の談話

 今回のテロ事件により、西洋社会は、これまでなるべく直視しないようにしてきた問題に正面から向き合わざるを得なくなるだろう。すなわち西洋近代社会とイスラム世界の間に横たわる根本的な理念の対立だ。

 西洋社会において、イスラム教徒の個人としての権利は保障されているが、イスラム教徒の一定数の間では神の下した教義の絶対性や優越性が認められなければ権利が侵害されているとする考え方が根強い。真理であるがゆえに批判や揶揄(やゆ)は許されないとの考えだ。

 一部の西側メディアは人間には表現の自由があると考え、イスラムの優越性の主張に意図的に挑戦している。西洋社会は今後も人間が神に挑戦する自由は絶対に譲らないだろう。それがなくなれば中世に逆戻りすると考えているからだ。

 根本的な解決を求めれば結論は2つ。イスラム教に関してはみなが口を閉ざすと合意するか、イスラム世界が政教分離するかだが、いずれも近い将来に実現する可能性は低い。

 ただ現実的にはこうした暴力の結果として表立ったイスラム批判は徐々に抑制されるだろうし、イスラム教徒の間に暴力を否定する動きも出る。それによる均衡状態だけが長期的にあり得る沈静化の道筋だろう。

 西洋社会は、個々の人間は平等という理念に従い多くの移民を受け入れてきた。だが、こうしたテロにより、一定数のイスラム教徒が掲げる優越主義への拒絶感が高まり、中東などからの移民受け入れが抑制される可能性もある。

パリのテロは「イエメンの」アル=カーイダの広めたローン・ウルフ型ジハードの実践例

1月7日のシャルリー・エブド紙襲撃殺害事件は、ゆるいつながりを持つ人物による警官殺害事件を惹起した。両方の犯人たちは、人質を取って別々の場所に立て籠もった(後者の犯人はユダヤ教徒向けスーパーを占拠して人質17人を取った)上で、1月9日、特殊部隊の突入と銃撃戦により死亡した

突入の経緯といった現地でしかわからないことについてはここでは論じない。重要なのは、すでに明らかになってきている背景や原因である。

立て籠もりの最中に、それぞれの犯人が報道機関と通話した記録が出ている。この事件が実際に何であったか、背景や原因は何かは、実際の犯人に関する情報を元に議論しなければならない。下記の記事などは最初の手がかりになる。

“French forces kill newspaper attack suspects, hostages die in second siege,” Reuters, Fri Jan 9, 2015 7:28pm EST.

シャルリー・エブド紙襲撃殺害事件では、犯行の目撃者から、犯人が「イエメンのアル=カーイダ」の一員だと自称したというニュース(「仏テロ犯が「イエメンのアル=カーイダ」と称したという情報」2015/01/08)があった。

立て籠もり中の外部のメディアとの通話記録でも、イエメンのアル=カーイダとの関係を主張している。弟の方のシャリーフ・クワーシー容疑者が、イエメンに行ってアンワル・アウラーキーから資金提供を受けたと語っている。イエメン系アメリカ人のアウラーキーは2011年9月に米軍の空爆により死亡しているので、直近のことではない。スリーパー・セル的にフランスに戻され、数年間の潜伏により捜査機関の監視が薄れた後に、なんらかの指示を受けたか、あるいは自発的に、今回の犯行を起こした可能性がある。

一方、ユダヤ教徒向けスーパーに立て籠もった後続の警官殺害事件犯アミーディー・クーリバーリーの方は、メディアとの通話で、「イスラーム国」に対するフランスの軍事行動の停止を要求した。シャルリー・エブド紙への襲撃犯と過去に電話連絡をしていたと認めると同時に、直近には電話していないとも言っているので、それが事実なら、緊密な連携というよりは、知り合いの犯行をメディア上で知り、「呼応」して後に続いたものと言える(通話の全文のアラビア語訳、AFPの配信)。

「イエメンのアル=カーイダ」との関係についての国際メディアの報道が日本で翻訳され翻案される過程で、「イエメンの」という部分の意味は捨象されていた。ここにも英語圏メディアと日本の情報力の差は著しい。

「イエメンのアル=カーイダとの関係」という情報に対して日本では「アル=カーイダなんですね、テロなんですね、ビンラーディンなんですね」と反応してしまうのだが、世界標準では報道機関もウェブでの議論も「イエメンの」に反応する。

イエメンのアル=カーイダすなわち「アラビア半島のアル=カーイダ(AQAP)」は、イエメン国内で武装蜂起や領域支配を狙っているとともに、世界各地でのローン・ウルフ型テロを雑誌『インスパイア』で明示的に、詳細に、扇動してきた。「イエメンの」と聞いた瞬間にピンときて、ローン・ウルフ型のジハードの手法が実践されたのではないか、と仮説を立てて裏を取っていくのが、世界標準のジャーナリストと報道機関の基本動作だ。日本では8日や9日の段階でこれらの情報に適切に反応できる報道機関は一つもなかった。

事件の本筋はグローバル・ジハードの思想が実践に移されたというところにある。「欧米社会がムスリムに冷たい」などという点を犯行の直後から活発に議論する情緒的(かつ極めて危険な暴力黙認の)反応が日本ではかなり大きく、人間が権威に屈従せず、暴力の脅しに怯まず発言していくという意味での言論の自由(「報道の自由」「言論の自由」を言論機関に属する人や、インターネット上で「自由」を享受する人々が理解していない事例を数多く見聞きしたので、ここであえて説明をつけておいた)に対する決定的な挑戦であるという点を語れる論客・ジャーナリストがほとんど見られなかった。これは先進国のメディア・言論空間で日本に特有の現象であることを知っておいたほうがいい。

なお、こういった指摘に対しては、「何が悪いんだ日本は最高だ。欧米中心主義はもう古い」と言い出す人たちが右翼にも左翼にもいることは承知している。

日本は右傾化しているのではなく、内向化し、夜郎自大になり、かつそれぞれの勢力や組織が硬直化し、組織に属する一人一人が失点を恐れて萎縮し、帰属集団の漠然とした「空気」の制裁を恐れて各人が発言をたわめているだけである。そのような社会では「言論の自由への挑戦」が深刻に受け止められないのは当然だろう。そのような自由を、国家の介入にも宗教権力の圧力にもよらず、各個人が内側からすでに放棄しているからである。おそらく、すでに捨ててしまっているものに対する挑戦の存在は認識できないのだろう。

なお、私は絶望はしていない。日本は国家や宗教規範が発言と思考を縛っているのではないため、個人のレベルで自由を獲得することはまだ可能だ。日本では社会の同質化圧力による言論統制が非常に強いこと、それによる弊害によって、社会が国際情勢を認識し判断する能力において、先進国の中で落ちこぼれやすいことを自覚した個人が、今後道を開いていってくれるものと信じている。その意味では、日本は自由にも「格差」が生じる社会となるだろうと予想している。

(ちなみに、欧米社会は弧が確立していない人には等しく冷たいですよ。イスラーム教徒よりも、生暖かい帰属社会を求める日本人の留学生や駐在者の方がつらいのではないかな。イスラーム教徒は、住んでいる社会がどうであろうと神の下した真理を自分は信奉している、と信じて揺るがないがゆえに、様々な異なる環境で自己を確立して居場所を切り開いていく。生暖かい同情など期待していない。また、日本社会は冷たいどころかよそ者を有意義な規模で受け入れていないので、日本の言論空間に瀰漫する、フランスに対する妙な優越心、無根拠な「上から目線」がどこからくるものか判然としない。外部の視点からは、それは結局テロの暴力を背景にして欧米に対して優位な立場に立ったような気分になっているものとすら見られかねない)

イエメンのアル=カーイダの影響を受けたローン・ウルフ型のテロであれば、一定期間の間に連鎖することがあっても、物理的には小規模な銃撃や爆破となるだろう。短期的には社会的緊張を強いられるものの、体制を揺るがすような暴動や社会秩序を崩壊させる武力紛争に発展するとは考えられない。本質はテロであり、イラクとシリアでのイスラーム国や、イエメンでのAQAPのような領域支配や大規模な紛争に至るものではない。

ただし、これに刺激され、世界各地のアル=カーイダ系の組織が同様にローン・ウルフ型テロを呼応して指令する動きが、競って行われる可能性があり、当面は最高度の緊張が続くだろう。

そのような次元で考えた上で「不安を煽ってはいけない」と言える。不安を煽ってはいけないということは、犯人の信念や動機を、それがイスラーム教の教義の特定の(それなりに有力で根拠のある)部分に根ざしているということを報じたり論評してはならないということではない。このことを報道機関も言論人も、ウェブ空間で不用意に実名で勇ましく威嚇的発言を行う素人論客も理解していないようである。実態を知るから適切な対処策を決めることができ、落ち着くことができる。事実を知らせなければデマを否定する根拠が得られない。

グローバル・ジハードの理論は、先進国で分散的に各個人・小組織がテロを行うことを推奨する(同時に、アフガニスタンや、現在のシリアやイラクのような途上国の紛争地では大規模に武装し組織化して聖域とすることを目指している)。先進国での小規模の、相互に組織的関連が薄いテロの頻発により、見かけ上は「現象」として大きな運動があるように見えるが、個々の事件の規模は軍事的には小さい。象徴的な意味を持つ暗殺によって威嚇効果を高め、メディアの関心を集め、社会的な動揺をもたらすことが主要な効果である。そのような実態を見極めた上で、暴力に対処できる体制を整え、連鎖的な事件を封じ込めていく必要が有る。

シャルリー・エブド紙事件の犯人のイエメンでの訓練歴については欧米の政府当局からの情報が1月8日には報道されている。
Mark Hosenball, “Suspect sought in Paris attack had trained in Yemen – sources,” Reuters, WASHINGTON Thu Jan 8, 2015 5:19pm EST.

Eric Schmitt, Michael S. Shmidt and Andrew Higgins, “Al Qaeda Trained Suspect in Paris Terror Attack, Official Says,” JAN. 8, 2015.

1月9日にはイエメンの政府当局からも犯人のイエメンでAQAPに訓練を受けたことを認める発言が出ている。

Mohammed Ghobari, “Exclusive: Paris attack suspect met prominent al Qaeda preacher in Yemen – intelligence source,” Reuters, SANAA, Fri Jan 9, 2015 8:24am EST.

1月9日には、AQAPが犯行声明ではないが、犯人とのつながりを認め、事件を称揚する発言を行っている。

Sarah EL Deeb, “Al-Qaida member in Yemen says group directed Paris attack,” Associated Press, Cairo, Jan 9, 5:02 PM EST.

これらの情報から、現時点では、今回の事件は、イエメンのAQAPがローン・ウルフ的なジハードへのイデオロギー的なインスピレーションを与え、訓練と資金提供の面で過去に支援したというところまでは、明らかになってきているといえよう。AQAPが直接的に指令した組織的犯行であるかどうかは、現時点では分からないが、密接な指揮命令関係がない可能性もある。そうなれば、特定の組織を追い詰めるだけでなく、過激派の間に共有されているイデオロギーとその根拠として用いられている教義をどう批判し影響力をなくすかが、対処上の課題となる。

仏テロ犯が「イエメンのアル=カーイダ」と称したという情報

仏シャルリー・エブド紙へのテロ事件について、3人の襲撃犯のうち10代の一人が投降したようですが、主犯とみられる30代の二人(指名手配されているCherif Kouachi 32歳とSaid Kouachi 34歳)は逃走中のままです(CNNでこの兄弟のプロフィールをまとめています)。

本日のエントリに加えてもう一点。

犯人の背景についてはまだ確定的なことは言えませんが、一つ気になる情報は、銃撃の際に犯人のうち二人が自分は「イエメンのアル=カーイダの一味だ」と言ったという話です。真偽の程は定かではありませんが、興味深い情報です。

“Terrorists shouted they were from al-Qaeda in the Yemen before Charlie Hebdo attack,” The Telegraph, 7 Jan 2015.

「二人」というのは30代の兄弟のことなのか。

「イエメンのアル=カーイダ」というのは、おそらく、一般に「アラビア半島のアル=カーイダ(AQAP)」と現在呼ばれている組織のことを指します。イエメン南部で勢力を確保している組織で、アル=カーイダの中枢とも最も関係が深い、後継組織の一つと言えます。ビン・ラーディン自身が、家系がイエメン系ということもあり血縁や支持基盤を持っています。また、サウジ政府との武力闘争に敗れた「アラビア半島のアル=カーイダ」がイエメンに逃れ、2009年1月に「イエメンのアル=カーイダ」と合同してAQAPを結成したことから、サウジ人の活動家を多く含んでいます。

今回の犯人はフランス育ちでアルジェリア系と見られます。この場合、「イエメンのアル=カーイダ」あるいはAQAPに過去や現在属していたり接触があった可能性もありますが、それだけでなくAQAPが発信したグローバル・ジハードの思想、特にローン・ウルフ型テロの扇動に感化されている可能性があるのではないかと考えます。

AQAPはイエメンの政府や国内の諸勢力と軍事的な対立を続けるだけでなく、グローバル・ジハードの拠点となり発信源となる意志を明確にしている組織です。

グローバル・ジハードの活動として有名なのは、英語の機関紙『インスパイア』を刊行していることです。

これについては次の論文に詳細に書いてあります(リストの上から二番目の論文)。

池内恵「一匹狼(ローン・ウルフ)型ジハードの思想・理論的背景」『警察学論集』第66巻第12号、2013年12月、88-115頁

ローン・ウルフ型のテロをグローバル・ジハードの思想と組織論において定式化したのはシリア出身のアブー・ムスアブ・アッ=スーリーですが、スーリーの著作の主要部分の英訳を(テロ対策研究者による英訳を無断引用して再録しているのですが・・・)、『インスパイア』は連載して掲載しています。2013年のボストン・マラソン・テロの際も、犯人の兄弟のうち生き残った弟が、『インスパイア』を読んだと供述したと報じられています(下記の分析は無料公開中)。

池内恵「「ボストン・テロ」は分散型の新たな「グローバル・ジハード」か?」『フォーサイト』2013年4月25日

スーリーの原理論については、下記の論文などで書いてあります。

池内恵「グローバル・ジハードの変容」『年報政治学』2013年第Ⅰ号、2013年6月、189-214頁

池内恵「「指導者なきジハード」の戦略と組織」『戦略研究』第14号《戦略とリーダーシップ》、戦略研究学会、2014年3月20日、19-36頁

このような前提を踏まえると、もし「イエメンのアル=カーイダだ」と自ら称したという情報が事実なら、イエメンに直接渡航して組織に入っていたのではなく/だけではなく、イエメンのAQAPの発信するローン・ウルフ型の「個別ジハード」の思想(スーリーが定式化した)を実践したと言っていた可能性があります。

なお、「イスラーム国」の戦闘員がシャルリー・エブド紙へのテロを礼賛したという記事もあります。

仏週刊紙テロ:イスラム国戦闘員「勇敢な戦士、最初の一撃」『毎日新聞』2015年01月08日東京夕刊
「ロイター通信によると、過激派組織「イスラム国」の戦闘員は「預言者を冒とくした者への報復だ」と述べ、仏週刊紙襲撃事件を正当化した。戦闘員はロイターに対して「勇敢な戦士たちによる最初の一撃だ。さらに攻撃は続く」などと銃撃を評価。有志国連合によるイスラム国への空爆に参加するフランスを「十字軍の一員」とみなし、「攻撃されるに値する」などと主張した。」とのことです。

この話と、犯人が「イエメンのアル=カーイダ」への所属なり過去の関係なりを主張した(もし事実であれば)ことは、私が考案している理論上は、大いに両立します。「イスラーム国」としては、直接つながりがない組織の行動を支持して、もし犯行当事者が「イスラーム国」への加入や忠誠や支持を表明すればそれはそれでいいし、そうでなくとも、グローバルなジハード運動の一部としてエールを贈りあっているだけでも十分です。

アル=カーイダと「イスラーム国」はどう違うのか、とよく聞かれます。もちろん違いはありますが、思想的には多くの部分で共通しています。組織として路線対立や別系統の指導者に従っているということと、理念的に同じような体系の中にいるということは両立するのです。組織が違うから考え方も違うはずだと前提にする必要はありません。

「アル=カーイダがAで、「イスラーム国」は非Aである」という答えを、「池上彰」的にみなさん求めたがりますが、物事がそんなきれいに分けられるはずがありません。

実際には、アル=カーイダも「イスラーム国」も、より大きな「グローバル・ジハード」という概念の中にあると考える方が適切です。「グローバル・ジハード」の思想と運動の中にA, B, C,と様々な形態がある。それらの形態の中を、個々のジハード主義者は情勢に応じて渡り歩くと考えたほうが現実的です。そこにはある共通性と限られた範囲の幅がある。スーリーのような理論家は、それを一方で「個別ジハード」とし(客観的に見ると「ローン・ウルフ」型のテロ)、他方でイラクやシリアのような「開放された戦線」への結集と概念化した。そういった幾つかの行動類型や組織を、個々のジハード主義者が、置かれた状況や、流行や雰囲気などに応じて選び取っていく。

ある一つの事件について、一つのアル=カーイダ系組織と直接・間接のつながりがある一方で、「イスラーム国」(の中の特定の人物や組織)が共感を示したり、場合によっては「我々の一味だ」と主張することは、それほど予想外ではありません。両方ともグローバル・ジハードの一部だという暗黙あるいは自明の認識があるので、当人たちは特に不都合を感じないのでしょう。分析したり報道したり捜査したり起訴したりする側としては、どれか一つのはっきりとした組織に属していてくれた方が楽ですが、現実には対象はそのようなものではありません。

なお、『イスラーム国の衝撃』も、このような視点で書かれています。「イスラーム国」そのものや、イラクやシリアそのものも重要ですが、その背後にある「グローバル・ジハード」こそが今とらえるべき対象で、その一つの形態が「イスラーム国」であり、その活動の機会がイラクやシリアである、ということです。そのような見方をしておくと、イラクやシリア、イエメンやソマリアやナイジェリア、そしてフランス、イギリス、ベルギー、オーストラリア、カナダなどで生じてくる幾つかの異なる形態の現象が、統一的に一つの現象として理解できるようになりますし、今後何が起こってくるかも、概念的には把握できます。そこから適切な対処策も考え始めることができます。