サポートページ開設しました〜『イスラーム国の衝撃』目次を公開

本日、『イスラーム国の衝撃』が発売になりました。といっても数日前から店頭に出ていたので、すでに入手している方も多くいらっしゃるようです。

「むすびに」で記しておいたように、このブログでは、『イスラーム国の衝撃』というカテゴリの、いわば「サポートページ」を設けて、この本を読んだ人が、新たに中東・イスラーム世界で生じてくる事象を、この本で得た基礎知識・認識枠組みを踏まえてどのように理解していけばいいのか、適宜解説していきます。

【『イスラーム国の衝撃』のサポートページ(カテゴリ)のURL】

また、参考文献リストから本を選んで解説してみたり、文献リストのさらに先を読みたければどのような本があるのかを紹介したりするといった、読者が自分で考えていくための手がかりを提供する趣向を、いろいろ凝らして見たいと思っています。

第1回はまず目次を掲載しておきます。この本は急遽刊行が決まったため事前の広告にも目次や内容がほとんど載っておらず、今でも各種の本屋サイトなどで不十分な情報のまま販売されています。ミステリアスでいいのかもしれませんが・・・

しかし英語圏の学術書・教科書では目次とイントロダクションはインターネット上で無料で公開されることは当たり前になっており、買うに値する内容と構成なのか、情報を与えられた上で読者が選択することはもはや常識となっています。この本も同様に目次や全体構成のイントロダクション、まとめなどは、公開してもいいのではないかと思います。

本書は日本に特有の新書という形態をとっていますが、内容は数多くの論文で発表してきた知見を再構成したものであるため、専門的な媒体ではすでに公的にアクセスが可能になっている要素も含まれています。そのため、本書をまだ手にしていない潜在的な読者が、ある程度の内容と構成を知ることができるように、私の責任において、個人ブログで公開していこうと考えています。

『イスラーム国の衝撃』の目次はこのようになっています。

1 イスラーム国の衝撃 
モースル陥落
カリフ制を宣言
カリフの説教壇
「領域支配」という新機軸
斬首による処刑と奴隷制
何がイスラーム国をもたらしたのか
本書の視角──思想史と政治学

2 イスラーム国の来歴 
アル=カーイダの分散型ネットワーク
聖域の消滅
追い詰められるアル=カーイダ
特殊部隊・諜報機関・超法規的送致
なおも生き残ったアル=カーイダ
アル=カーイダ中枢の避難場所──パキスタン
アフガニスタン・パキスタン国境を勢力範囲に
アル=カーイダ関連組織の「フランチャイズ化」
「別ブランド」の模索
「ロンドニスタン」の「ローン・ウルフ(一匹狼)」
指導者なきジハード?

3 甦るイラクのアル=カーイダ 
イラクのアル=カーイダ
ヨルダン人のザルカーウィー
組織の変遷
イラク内戦の深淵
斬首映像の衝撃
アル=カーイダ関連組織の嚆矢
ザルカーウィーの死と「バグダーディー」たち
カリフ制への布石
二〇二〇年世界カリフ制国家再興構想
「カリフ制イスラーム国」の胎動

4 「アラブの春」で開かれた戦線 
「アラブの春」の帰結
中央政府の揺らぎ
「統治されない空間」の出現
隣接地域への紛争拡大
イラク戦争という「先駆的実験」
イスラーム主義穏健派の台頭と失墜
「制度内改革派」と「制度外武闘派」
穏健派の台頭と失墜
紛争の宗派主義化

5 イラクとシリアに現れた聖域──「国家」への道 
現体制への根本的不満──二〇〇五年憲法信任投票
スンナ派に不利な連邦制と一院制・議院内閣制
サージ(大規模増派)と「イラクの息子」
マーリキー政権の宗派主義的政策
フセイン政権残党の流入
「アラブの春」とシリア・アサド政権
シリアの戦略的価値
戦闘員の逆流
乱立するイスラーム系武装勢力
イラク・イスラーム国本体がシリアに進出
イスラーム国の資金源
土着化するアル=カーイダ系組織

6 ジハード戦士の結集 
傭兵ではなく義勇兵
ジハード論の基礎概念
ムハージルーンとアンサール──ジハードを構成する主体
外国人戦闘員の実際の役割
外国人戦闘員の割合
外国人戦闘員の出身国
欧米出身者が脚光を浴びる理由
「帰還兵」への過剰な警戒は逆効果──自己成就的予言の危機
日本人とイスラーム国

7 思想とシンボル──メディア戦略
すでに定まった結論
電脳空間のグローバル・ジハード
オレンジ色の囚人服を着せて
斬首映像の巧みな演出
『ダービク』に色濃い終末論
九〇年代の終末論ブームを受け継ぐ
終末論の両義性
預言者のジハードに重ね合わせる

8 中東秩序の行方 
分水嶺としてのイスラーム国
一九一九年 第一次世界大戦後の中東秩序の形成
一九五二年 ナセルのクーデタと民族主義
一九七九年 イラン革命とイスラーム主義
一九九一年 湾岸戦争と米国覇権
二〇〇一年 9・11事件と対テロ戦争
二〇一一年 「アラブの春」とイスラーム国の伸張
イスラーム国は今後広がるか
遠隔地での呼応と国家分裂の連鎖
米国覇権の希薄化
地域大国の影響力

むすびに
参考文献

「イスラーム国」による日本人人質殺害予告について:メディアの皆様へ

本日、シリアの「イスラーム国」による日本人人質殺害予告に関して、多くのお問い合わせを頂いていますが、国外での学会発表から帰国した翌日でもあり、研究や授業や大学事務で日程が完全に詰まっていることから、多くの場合はお返事もできていません。

本日は研究室で、授業の準備や締めくくり、膨大な文部事務作業、そして次の学術書のための最終段階の打ち合わせ等の重要日程をこなしており、その間にかかってきたメディアへの対応でも、かなりこれらの重要な用務が阻害されました。

これらの現在行っている研究作業は、現在だけでなく次に起こってくる事象について、適切で根拠のある判断を下すために不可欠なものです。ですので、仕事場に電話をかけ、「答えるのが当然」という態度で取材を行う記者に対しては、単に答えないだけではなく、必要な対抗措置を講じます。私自身と、私の文章を必要とする読者の利益を損ねているからです。

「イスラーム国」による人質殺害要求の手法やその背後の論理、意図した目的、結果として達成される可能性がある目的等については、既に発売されている(奥付の日付は1月20日)『イスラーム国の衝撃』で詳細に分析してあります。

私が電話やメールで逐一回答しなくても、この本からの引用であることを明記・発言して引用するのであれば、適法な引用です。「無断」で引用してもいいのですが「明示せず」に引用すれば盗用です。

このことすらわからないメディア産業従事者やコメンテーターが存在していることは残念ですが、盗用されるならまだましで、完全に間違ったことを言っている人が多く出てきますので、社会教育はしばしば徒労に感じます。

そもそも「イスラーム国」がなぜ台頭したのか、何を目的に、どのような理念に基づいているのかは、『イスラーム国の衝撃』の全体で取り上げています。

下記に今回の人質殺害予告映像と、それに対する日本の反応の問題に、直接関係する部分を幾つか挙げておきます。

(1)「イスラーム国」の人質殺害予告映像の構成と特徴  
 今回明らかになった日本人人質殺害予告のビデオは、これまでの殺害予告・殺害映像と様式と内容が一致しており、これまでの例を参照することで今後の展開がほぼ予想されます。これまでの人質殺害予告・殺害映像については、政治的経緯と手法を下記の部分で分析しています。

第1章「イスラーム国の衝撃」の《斬首による処刑と奴隷制》の節(23−28頁)
第7章「思想とシンボル−–メディア戦略」《電脳空間のグローバル・ジハード》《オレンジ色の囚人服を着せて》《斬首映像の巧みな演出》(173−183頁)

(2)ビデオに映る処刑人がイギリス訛りの英語を話す外国人戦闘員と見られる問題
 これまでイギリス人の殺害にはイギリス人戦闘員という具合に被害者と処刑人の出身国を合わせていた傾向がありますが、おそらく日本人の処刑人を確保できなかったことから、イギリス人を割り当てたのでしょう。欧米出身者が宣伝ビデオに用いられる問題については次の部分で分析しています。

第6章「ジハード戦士の結集」《欧米出身者が脚光を浴びる理由》(159−161頁)

(3)日本社会の・言論人・メディアのありがちな反応
「テロはやられる側が悪い」「政府の政策によってテロが起これば政府の責任だ」という、日本社会で生じてきがちな言論は、テロに加担するものであり、そのような社会の中の脆弱な部分を刺激することがテロの目的そのものです。また、イスラーム主義の理念を「欧米近代を超克する」といったものとして誤って理解する知識人の発言も、このような誤解を誘発します。

テロに対して日本社会・メディア・言論人がどのように反応しがちであるか、どのような問題を抱えているかについては、以下に記してあります。

第6章「ジハード戦士の結集」《イスラーム国と日本人》165−168頁

なお、以下のことは最低限おさえておかねばなりません。箇条書きで記しておきます。

*今回の殺害予告・身代金要求では、日本の中東諸国への経済援助をもって十字軍の一部でありジハードの対象であると明確に主張し、行動に移している。これは従来からも潜在的にはそのようにみなされていたと考えられるが、今回のように日本の対中東経済支援のみを特定して問題視した事例は少なかった。

*2億ドルという巨額の身代金が実際に支払われると犯人側が考えているとは思えない。日本が中東諸国に経済支援した額をもって象徴的に掲げているだけだろう。

*アラブ諸国では日本は「金だけ」と見られており、法外な額を身代金として突きつけるのは、「日本から取れるものなど金以外にない」という侮りの感情を表している。これはアラブ諸国でしばしば政府側の人間すらも露骨に表出させる感情であるため、根が深い。

*「集団的自衛権」とは無関係である。そもそも集団的自衛権と個別的自衛権の区別が議論されるのは日本だけである。現在日本が行っており、今回の安倍首相の中東訪問で再確認された経済援助は、従来から行われてきた中東諸国の経済開発、安定化、テロ対策、難民支援への資金供与となんら変わりなく、もちろん集団的・個別的自衛権のいずれとも関係がなく、関係があると受け止められる報道は現地にも国際メディアにもない。今回の安倍首相の中東訪問によって日本側には従来からの対中東政策に変更はないし、変更がなされたとも現地で受け止められていない。

そうであれば、従来から行われてきた経済支援そのものが、「イスラーム国」等のグローバル・ジハードのイデオロギーを護持する集団からは、「欧米の支配に与する」ものとみられており、潜在的にはジハードの対象となっていたのが、今回の首相歴訪というタイミングで政治的に提起されたと考えらえれる。

安倍首相が中東歴訪をして政策変更をしたからテロが行われたのではなく、単に首相が訪問して注目を集めたタイミングを狙って、従来から拘束されていた人質の殺害が予告されたという事実関係を、疎かにして議論してはならない。

「イスラーム国」側の宣伝に無意識に乗り、「安倍政権批判」という政治目的のために、あたかも日本が政策変更を行っているかのように論じ、それが故にテロを誘発したと主張して、結果的にテロを正当化する議論が日本側に出てくるならば、少なくともそれがテロの暴力を政治目的に利用した議論だということは周知されなければならない。

「特定の勢力の気分を害する政策をやればテロが起こるからやめろ」という議論が成り立つなら、民主政治も主権国家も成り立たない。ただ剥き出しの暴力を行使するものの意が通る社会になる。今回の件で、「イスラーム国を刺激した」ことを非難する論調を提示する者が出てきた場合、そのような暴力が勝つ社会にしたいのですかと問いたい。

*テロに怯えて「政策を変更した」「政策を変更したと思われる行動を行った」「政策を変更しようと主張する勢力が社会の中に多くいたと認識された」事実があれば、次のテロを誘発する。日本は軍事的な報復を行わないことが明白な国であるため、テロリストにとっては、テロを行うことへの閾値は低いが、テロを行なって得られる軍事的効果がないためメリットも薄い国だった。つまりテロリストにとって日本は標的としてロー・リスクではあるがロー・リターンの国だった。

しかしテロリスト側が中東諸国への経済支援まで正当なテロの対象であると主張しているのが今回の殺害予告の特徴であり、重大な要素である。それが日本国民に広く受け入れられるか、日本の政策になんらかの影響を与えたとみなされた場合は、今後テロの危険性は極めて高くなる。日本をテロの対象とすることがロー・リスクであるとともに、経済的に、あるいは外交姿勢を変えさせて欧米側陣営に象徴的な足並みの乱れを生じさせる、ハイ・リターンの国であることが明白になるからだ。

*「イスラエルに行ったからテロの対象になった」といった、日本社会に無自覚に存在する「村八分」の感覚とないまぜになった反ユダヤ主義の発言が、もし国際的に伝われば、先進国の一員としての日本の地位が疑われるとともに、揺さぶりに負けて原則を曲げる、先進国の中の最も脆弱な鎖と認識され、度重なるテロとその脅迫に怯えることになるだろう。

特に従来からの政策に変更を加えていない今回の訪問を理由に、「中東を訪問して各国政権と友好関係を結んだ」「イスラエル訪問をした」というだけをもって「テロの対象になって当然、責任はアベにある」という言論がもし出てくれば、それはテロの暴力の威嚇を背にして自らの政治的立場を通そうとする、極めて悪質なものであることを、理解しなければならない。

『エコノミスト』の読書日記は、政治を決定づける「制度」について

ニューオーリンズでの学会から帰国しました。大学事務の作業が膨大にあるので、当分身動きが取れません。

帰宅して『イスラーム国の衝撃』を私自身も初めて手に取ってみました。

「イスラーム国」について、1月におびただしい数の本が刊行されるようですが、それを「グローバル・ジハード」の一部として分析した本が本書だけであることは確実です。なぜならば、「グローバル・ジハード」は私が用いている分析概念だからです。

「グローバル・ジハード」という分析概念を用いることで、「イスラーム国」も、そしてパリで起こったようなローン・ウルフ型の分散型テロも、両方説明でき、将来の見通しを立てられる、というのが本書で展開している議論です。そのような枠組みで議論をしている人は日本では私が以外にいないと思うので、本書の内容が類書とかぶることはあり得ません。

近くこのブログにこの本の「アフターサービス」のページを設けて、誤植等があったら通知しつつ、個々の議論をより深めたり、新たな状況との関連を示したりするのに使おうと考えています。

また、関係する文献も順次紹介していこうと思います。巻末の文献リスト(全11頁)はかなり詳細ですが、それでも紙幅の都合から一定の基準を設けて取捨選択しておりますので、理想を言えばその5倍ぐらい列挙したいところです。

売れ行きが良いので、早くも増刷がかかったそうです。こんな理論的・思弁的な本でも売れる、という事例を作って、出版の負のスパイラルを巻き戻せればいいのですが。

本題、取り急ぎ、掲載情報です。『エコノミスト』の読書日記の連載第8回。

今回も、電子版には掲載されていません。

池内恵「強い首相を作り出す『制度』を考える」『週刊エコノミスト』2015年1月27日号(1月19日発売)、59頁

取り上げたのはこの本。

待鳥聡史『首相政治の制度分析- 現代日本政治の権力基盤形成 』(千倉書房、2012年)

良い本です。

この本が出たのは2012年6月。学問ってこうやるんだなーと思わせてくれる。簡単に真似できるものではないが。

この本が出た頃は、自民党政権でも民主党政権でもころころ首相が変わって、「弱い政治家」「決められない政治」が嘆かれていた。

小泉首相の長期政権が懐かしく思い出されていたと共に、小泉政権は首相の強烈な個性があったから成り立っていたものだと議論されていた。同じような個性的な政治家がいなければ、同じような力強い政治はできない、と前提にされていた。それを前提に「近頃の政治家は小粒だ、ひ弱だ」と議論されていた。

しかし『首相政治の制度分析』では、「強い首相」を可能にする制度的要因は整っている、と論じた。

制度的条件が脆弱であることを前提に「大統領的首相」として権限を振るった中曽根首相とは異なり、小泉首相は(彼自身が導入に反対していた小選挙区制を含めて)政治・行政改革によって生み出された制度を用いて「強い首相」となった。

現行制度のもとでも、幾つかの制約要因を乗り越えれば、強い首相・長期政権によって、政争・政局の混乱を一定期間退けて、政策の実現に専念できるようになる、という見通しをこの時点で示していた『首相政治の制度分析』は、その後、安倍政権が安定化・長期化し、賛否はともかく「アベノミクス」の政策を推進する強い首相となったことで、現実によって実証された形になった。

この本が書かれている時点で第二次安倍政権は影も形もなかったし、「病気で退陣」した安倍首相は「弱い性格」の政治家の代表とされていた。しかし「弱い性格」は政権の安定・長期化の決定要因じゃないよ、と論じた本書を読んでいれば、第二次安倍政権誕生の時点で、今に至る道筋もある程度予想できただろう。

制約要因のせいで「性格が弱く」見えることもあるしね。

この本をいま取り上げようと思った理由の一つは、1月号の『文藝春秋』と『中央公論』で図らずも展開されていた「政治学者新旧両巨頭競演」だったので、これについても書いておいた。

「両巨頭」がわからない人は『文藝春秋』『中央公論』のバックナンバーを取り寄せて考えてみるか、手っ取り早く『週刊エコノミスト』の本エッセーをどうぞ。

「両巨頭」の論説を対照させて読みながら、思想・哲学史の永遠のテーマ「なぜ政治家は学者の言うことを聞かないか」(あるいはその逆に「学者はそうと知りつつなお政治家に期待してしまうのか」)について思いをめぐらせてこの本(マーク・リラ『シュラクサイの誘惑』)を読み直したりしたんだが、紙幅の都合でこれについては割愛し、最終的に待鳥『首相政治の制度分析』に行き着いた。

マーク・リラの本は表面上シニカルだが、「人間は制度で動かされる」という視点で徹底した待鳥書は根底でもっとシニカルかもしれない。

今週中のみ店頭で買えます。