『エコノミスト』の読書日記は、政治を決定づける「制度」について

ニューオーリンズでの学会から帰国しました。大学事務の作業が膨大にあるので、当分身動きが取れません。

帰宅して『イスラーム国の衝撃』を私自身も初めて手に取ってみました。

「イスラーム国」について、1月におびただしい数の本が刊行されるようですが、それを「グローバル・ジハード」の一部として分析した本が本書だけであることは確実です。なぜならば、「グローバル・ジハード」は私が用いている分析概念だからです。

「グローバル・ジハード」という分析概念を用いることで、「イスラーム国」も、そしてパリで起こったようなローン・ウルフ型の分散型テロも、両方説明でき、将来の見通しを立てられる、というのが本書で展開している議論です。そのような枠組みで議論をしている人は日本では私が以外にいないと思うので、本書の内容が類書とかぶることはあり得ません。

近くこのブログにこの本の「アフターサービス」のページを設けて、誤植等があったら通知しつつ、個々の議論をより深めたり、新たな状況との関連を示したりするのに使おうと考えています。

また、関係する文献も順次紹介していこうと思います。巻末の文献リスト(全11頁)はかなり詳細ですが、それでも紙幅の都合から一定の基準を設けて取捨選択しておりますので、理想を言えばその5倍ぐらい列挙したいところです。

売れ行きが良いので、早くも増刷がかかったそうです。こんな理論的・思弁的な本でも売れる、という事例を作って、出版の負のスパイラルを巻き戻せればいいのですが。

本題、取り急ぎ、掲載情報です。『エコノミスト』の読書日記の連載第8回。

今回も、電子版には掲載されていません。

池内恵「強い首相を作り出す『制度』を考える」『週刊エコノミスト』2015年1月27日号(1月19日発売)、59頁

取り上げたのはこの本。

待鳥聡史『首相政治の制度分析- 現代日本政治の権力基盤形成 』(千倉書房、2012年)

良い本です。

この本が出たのは2012年6月。学問ってこうやるんだなーと思わせてくれる。簡単に真似できるものではないが。

この本が出た頃は、自民党政権でも民主党政権でもころころ首相が変わって、「弱い政治家」「決められない政治」が嘆かれていた。

小泉首相の長期政権が懐かしく思い出されていたと共に、小泉政権は首相の強烈な個性があったから成り立っていたものだと議論されていた。同じような個性的な政治家がいなければ、同じような力強い政治はできない、と前提にされていた。それを前提に「近頃の政治家は小粒だ、ひ弱だ」と議論されていた。

しかし『首相政治の制度分析』では、「強い首相」を可能にする制度的要因は整っている、と論じた。

制度的条件が脆弱であることを前提に「大統領的首相」として権限を振るった中曽根首相とは異なり、小泉首相は(彼自身が導入に反対していた小選挙区制を含めて)政治・行政改革によって生み出された制度を用いて「強い首相」となった。

現行制度のもとでも、幾つかの制約要因を乗り越えれば、強い首相・長期政権によって、政争・政局の混乱を一定期間退けて、政策の実現に専念できるようになる、という見通しをこの時点で示していた『首相政治の制度分析』は、その後、安倍政権が安定化・長期化し、賛否はともかく「アベノミクス」の政策を推進する強い首相となったことで、現実によって実証された形になった。

この本が書かれている時点で第二次安倍政権は影も形もなかったし、「病気で退陣」した安倍首相は「弱い性格」の政治家の代表とされていた。しかし「弱い性格」は政権の安定・長期化の決定要因じゃないよ、と論じた本書を読んでいれば、第二次安倍政権誕生の時点で、今に至る道筋もある程度予想できただろう。

制約要因のせいで「性格が弱く」見えることもあるしね。

この本をいま取り上げようと思った理由の一つは、1月号の『文藝春秋』と『中央公論』で図らずも展開されていた「政治学者新旧両巨頭競演」だったので、これについても書いておいた。

「両巨頭」がわからない人は『文藝春秋』『中央公論』のバックナンバーを取り寄せて考えてみるか、手っ取り早く『週刊エコノミスト』の本エッセーをどうぞ。

「両巨頭」の論説を対照させて読みながら、思想・哲学史の永遠のテーマ「なぜ政治家は学者の言うことを聞かないか」(あるいはその逆に「学者はそうと知りつつなお政治家に期待してしまうのか」)について思いをめぐらせてこの本(マーク・リラ『シュラクサイの誘惑』)を読み直したりしたんだが、紙幅の都合でこれについては割愛し、最終的に待鳥『首相政治の制度分析』に行き着いた。

マーク・リラの本は表面上シニカルだが、「人間は制度で動かされる」という視点で徹底した待鳥書は根底でもっとシニカルかもしれない。

今週中のみ店頭で買えます。