【寄稿・ウェブで公開】『東洋経済オンライン』にイラク情勢分析が掲載

先週お伝えした、『週刊東洋経済』に寄稿したイラク情勢分析が、東洋経済オンラインに掲載されました。

池内恵「ISISがイラク侵攻、中東全体の秩序脅かす──過激派の勢力拡大で秩序の流動化が進みかねない」『週刊東洋経済』2014年7月5日号(6月30日発売)

週刊東洋経済2014年7月5日号

ヤフー!ニュースにも転載されたようです。

掲載号が紙で出てから一週間後のウェブ掲載は、頃合いの時期でしょうか。現実的にバックナンバーはほとんど売れないわけですから。紙の雑誌に載るにはだいたい1週間前に原稿を書きますので、タイムラグは2週間。

ただし現地の情勢が決定的に変わったわけではないので、ひとまずこれを基礎として考えていこうと思います。もちろん、その後重要な動きは多方面に出ているのですが、いずれも決定的ではありません。

政府と「イスラーム国家」がそれぞれ「戦果」「支配地拡大・奪還」の情報戦を繰り広げていますので、ほとんどすべての面において「不透明」で「流動的」。

しかし情報戦という意味では、物理的な陣地取り以外に、精神的な支持の引き寄せという側面が重要で、「イスラーム国家」の「カリフ制」宣言は、一定のコアな支持層には大ヒットだが、忌避する勢力、一層危機感を高める勢力を内外に際立たせるという意味では反作用(「イスラーム国家」側にとって)も大きい

今後2週間ほどの注目点は、軍事的な側面では、「イスラーム国家」とそれに呼応する勢力が「バグダード包囲」をできるか。つまりバグダードを囲む中規模都市を制圧して、シーア派が圧倒的多数を占める南部とバグダードを切り離すことができるかです。

さらにその先には、そんなにありそうもないことですが、一気にバグダードの中心部が(おそらくは内部の呼応者が一斉に蜂起して)陥落、首相府や大統領府に「イスラーム国家」の黒旗が掲げられる・・・というアラブ時代劇のような光景が出現するという事態。可能性は低いですが、何があるか分かりません。こういう場合には、アメリカは介入を迫られるか、それでも介入できなくて、決定的に中東から撤退・・・ということになりかねません。そうはならない程度にマーリキー政権を支える、というのが現在のオバマ政権の最終ラインでしょう。

イラク政府はロシアから中古のスホーイ戦闘機をロシアから買ったり、イランに湾岸戦争の時に避難させてそのままになっていた奴を取り戻したりして政府の軍事力の誇示(になるのでしょうか)を試み、同時に、遠巻きに様子を見ようとする米国への牽制に使っていますが、どれだけ効果があるのか分かりません。

爆撃するだけでは米軍ですらおさめられなかった北部・西部スンナ派地域ですから、単なる武力での鎮圧は不可能でしょう。そうなるとイラク中央政府の側で、挙国一致的な政権を作れるかどうかが注目されますが、7月1日に召集された議会は、さっそくまとまれずに散会。当分集まれないでしょう。

政治解決をする意志・主体が中央政府側になければ紛争は永続化=イラク国家の有名無実化が進行しかねません。つまりシリアと同じようになるということです。

スンナ派指導層で「イスラーム国家」と一時的に連合して政府に圧力をかけている勢力は、とりあえず「行けるところまで行く」という感じではないでしょうか。ここで引いても何もいいことはありませんので。どこかの段階で「ISを抑え込めるのはスンナ派の在地権力層の俺たちだけ」と言い出して中央政府・米国に妥協をもちかけてくるのでしょうが、それまでの間イスラーム国家には盛大に暴れてもらうということになりそうです。

「イスラーム国家」の「カリフ制」宣言には、これまで明示的に、あるいは潜在的に賛同していた勢力がイラク・シリア、およびアラブ諸国、イスラーム諸国で「忠誠の誓い」を表明していますが、それ以外の広範な支持を掘り起こすまでに入っていないと思います。しかし「イスラーム国家」が実効支配を定着させれば、またそれに対抗する各国政府の正統性と実効性が今以上に低下を極めれば、イスラーム諸国の世論もどうなるか分かりません。

スンナ派の既存の宗教勢力や在地の旧バアス党指導層など、これまで「イスラーム国家」に対して便宜的に利用して「微妙」な立場を保ってきたはカリフ制宣言に対して沈黙を保ち、イラクやアラブ各国の政府とその意を汲んだウラマーは反対を表明。「イスラーム国家」「カリフ制」を宣言したらムスリムが自動的になびくわけではない。かといって「イスラーム国家」が多数派には全く支持されていないとか荒唐無稽だともいえないのです。すべては相対的。今は相対的に彼らの威信と信頼性が以前になく上がっています。

以下に、『週刊東洋経済』に掲載の記事テキストを張り付けておきます。著者ブログのデータベース機能向上のためですので、できれば読みやすいレイアウトで『東洋経済オンライン」の方でお読みください)。

ISISがイラク侵攻、中東全体の秩序脅かす
過激派の勢力拡大で秩序の流動化が進みかねない

イラク北部と西部で「イラクとシャームのイスラーム国家(ISIS)」が支配領域を広げている。北部の中心都市モースルを陥落させた後、サダム・フセイン元大統領の故郷のティクリートや石油精製施設を抱えるバイジを支配下に収めた。シリアやヨルダンとの国境地帯も制圧し、シリアでの支配領域との一体化を進めている。

ISISの起源は、イラク戦争後の2004年にヨルダン出身のアブー・ムスアブ・ザルカーウィーがイラクで結成した、「唯一神信仰とジハード団」である。この組織がオサマ・ビン・ラーディンに忠誠を誓い「イラクのアル=カーイダ(AQI)」と改称したことから、世界各地でフランチャイズのように「アル=カーイダ」を名乗って緩やかに共鳴する諸集団の代表格となった。

■諸勢力が連合し急拡大

ザルカーウィーは、米軍に加担して権力を握ったシーア派主体の政権を宗教の敵と見なし、シーア派を「逸脱」とする扇動を行い、宗派紛争に火をつけた。このようなイスラーム教徒の社会を分断する宗派主義的な思想は、それまでのアル=カーイダの思想には希薄だった。

ザルカーウィーらはアル=カーイダの「第2世代」とも呼ばれ、20年までに各地の政権を打倒して世界規模のイスラーム国家を建設するという構想を温めていた。ザルカーウィーは06年6月に米軍の攻撃で死亡するが、AQIはほかの武装勢力と共闘して、同年10月に「イラクのイスラーム国家(ISI)」の設立を宣言したのである。

07年から翌年にかけて、ブッシュ政権は米軍の大増派(サージ)を行い、掃討作戦と政治的取り込み策を併用してAQIを地域住民や指導層から孤立させ、活動を鎮静化させた。そこで、オバマ政権は11年暮れに米軍をイラクから撤退させたが、イラクのマーリキー現政権は政治的取り込み策を継承せず、むしろスンナ派諸勢力を敵視し疎外したため、武装勢力の活発化と住民の中央政府からの離反をもたらした。

「アラブの春」で反体制抗議行動の波が及んだシリアでは、東部や北部への政府の実効支配が薄れた。その機会をとらえ、ISISは越境して拠点を形成、現在のイラクへの侵攻の足掛かりにした。13年に組織名を、現在の「イラクとシャームのイスラーム国家」に変え、イラク・シリア国境の両側で活動を活発化させた。

急速にISISが伸長した背景には、土着の部族勢力の呼応や、旧フセイン政権指導層が組織する、「ナクシュバンディーヤ教団軍」などとの連携があるとみられる。ISISを「国際テロ組織」とのみとらえることは、現段階に至っては適切ではない。組織の中核には、世界各地からジハード戦士を呼び集め、自爆テロを盛んに用いるアル=カーイダ型の集団がいることは確かだが、地元勢力の呼応や諸勢力との連合関係がなければ、ここまで短期間に勢力は拡大しないだろう。

■勢力拡大の背景

現在はいわば諸勢力が「勝ち馬に乗る」形で、ISISの勢力が拡大しているが、そのことは、後に統治の方法や戦略・戦術をめぐって連合が割れ、勢力が崩壊あるいは雲散霧消する可能性を示している。ISISが得意とする、インターネット上での動画や声明による巧みな宣伝によって、勢力が過大に見積もられている可能性もある。

ISISの支配地域は、北部と中部のスンナ派が多数派である4県、ニネヴェ、サラーフッディーン、アンバール、ディヤーラに限定されている。これらの県では、現在のイラクの体制を定めた05年10月の憲法制定国民投票で、過半数あるいは3分の2が反対票を投じた。それに対して、シーア派やクルド人が多数を占めるほかのすべての県・都では、圧倒的多数が憲法案に賛成票を投じていた。

イラクの現体制に対して、地域・宗派間で支持・不支持が鮮明に分かれており、旧体制で支配層を多く出していたスンナ派が、現体制の下では少数派として疎外されたとする不満を強めていることが、現在の対立の根幹にある。

ISISはザルカーウィーらが構想していた、バグダッドを包囲して南部のシーア派主体の地域から切り離す戦術を採用しているもようだ。シリアと同様に、中央政府の支配の及ばない範囲が領域内に成立し、首都が恒常的に脅かされる、長期的な内戦状態に陥る可能性がある。シーア派が多数を占める南部ではISISの大規模な侵攻は難しいだろうが、ナジャフやカルバラーなどシーア派の聖地でテロを行って宗派紛争を刺激する危険性がある。

オバマ米大統領は5月28日にウエストポイント陸軍士官学校で行った演説で、外交・安全保障戦略の基本的な姿勢を定義した。そこではテロを最大の脅威と認定しつつ、米国へ直接的に影響を及ぼす場合以外は、軍事行動を最小限にとどめ、同盟国の対処能力を向上させて、政治的解決を重視する原則を示した。

このいわば「オバマドクトリン」の実効性が早速試されている。6月19日に発表したイラク対策方針では、直接戦闘を行わない軍事顧問団を派遣してイラク政府軍・部隊の訓練に当たらせるとともに、イラクでの挙国一致政権の設立を要請するとしている。

■イラン覇権拡大のおそれ

オバマ大統領は公的な発言で、ISISの伸長を米国への「中・長期的」な脅威と厳密に定義している。すなわち米国にとっての「短期的・直接的」な脅威ではないという認識であり、この段階では軍事行動は極めて限定的で見えにくいものになるだろう。

しかし米国が軍事的な支援に躊躇すれば、マーリキー政権は一層イランとの同盟関係を強めていくだろう。オバマ政権の対処策は理論的には精緻に練られたものである。だが、単に米国の影響力の低下と、イランの中東地域での覇権確立を許すだけに終わるかもしれない。そうなれば、オバマ政権が外交・安全保障上の成功事例として政権の遺産にしようと力を入れているイラン核開発問題の交渉でも、大幅に不利な立場に置かれる。

米国の同盟国であるサウジアラビアやトルコは、ISISを直接支援していないが、スンナ派住民の不満には共感を示している。米国がマーリキー政権への支援を通じてイランの勢力圏拡大を容認すると受け止めれば、これを脅威と認識し、反発を強め、宗派紛争を各地で惹起する形でイランとの覇権競争を激化させていくだろう。その場合、イラク・シリア・レバノンにまたがる地帯で、中央政府からの離脱傾向や不安定化が進む。今は安定的に見えるヨルダンとサウジアラビアも、この不安定な地帯に接しており、その波及が危惧される。

イラクとシリアの国家・国境の形骸化が進めば、イラクのクルド人勢力は、最大限の版図を軍事的に確保したうえで独立に進もうとするだろう。それによって、第1次世界大戦終結時以来の、中東での国境再画定を目指す秩序の流動化が進みかねない。

(「週刊東洋経済」2014年7月5日号<6月30日発売>掲載の「核心リポート03」を転載)