ミンダナオ紛争で和平合意が調印

 3月27日に、フィリピンで政府とモロ・イスラーム解放戦線(Moro Islamic Liberation Front: MILF)が「包括和平合意文書」に調印した。

(リンクはなんとなくマレーシア・ボルネオ島のウェブ新聞にしてみました・・・マニラより近いし。フィリピンの新聞だと『フィルスター』とか『インクワイアラー』なのかな?)
 
 フィリピン南部のミンダナオ島の西部の一部とスールー諸島には、1990年以来、ムスリム・ミンダナオ自治地域(ARMM)が設定されているが、これを改組し、自立性を強化した「バンサモロ(モロ民族)」の自治政府を2016年に設立する。MILFは武装解除する、というのが和平合意の主要な内容。

 1970年代初頭から、40年以上続いてきたミンダナオ紛争だが、これで収拾に向かうとすれば歴史的な合意だ。

 今後は和平協議の段階から、自治の統治機構を創設する段階に入る。ゲリラをやっているのとはまったく異なる仕事が待っているが、MILFや「バンサモロ」にそういった人材はいるのだろうか。また、どのような統治を行うのだろうか。

 経済的な可能性はあるというけれども

 MILFは組織名に「イスラーム」を冠してはいるが、果たしてどの程度イスラーム的な統治を目指しているのか、また何を持ってイスラーム的な統治とするのか、あまりはっきりしていない。

 個人的には、大学に入ってイスラーム世界を研究対象にしようと決めたころから続くMILFの反政府武装闘争が終わるということで、一定の感慨がある。

 ミンダナオ紛争は当初、1970年結成のモロ民族解放戦線(Moro National Liberation Front: MNLF)が主導していた。1976年にリビアのカダフィの仲介でMNLFはマルコス政権とトリポリ協定を結んだが、MNLFが分裂して内戦終結ならず。翌年にMILFが結成される。

 結局1996年にMNLFが政府と停戦協定を結んで、武装解除して政治参加に踏み切る。ヌル・ミスアリMNLF議長はARMMの知事選挙に立候補して当選。
 
 しかし政治参加するとミスアリもMNLFもフィリピン政治のご多分に漏れず汚職・専横を極めて、政府からの切り崩し工作にもはまり、MNLFは分裂、ミスアリは失脚。

 並行して、1996年の和平合意を拒否して内戦を続行していたMILFが勢力を拡大し、MNLFをしのぐようになった。フィリピン政府もMILFの方を和平協議のカウンターパートとして認め、1997年以来交渉を続けてきた。

 マレーシアを仲介役にして行われてきた現在の交渉の大枠は2001年以来のもの。2003年に停戦合意を結び、それに基づいて交渉を進め、2008年8月にはいったん和平合意に調印する寸前まで行ったのだけれども、自治拡大で利権を奪われるミンダナオ島のキリスト教徒有力者層などが反発して、法廷闘争に持ち込み、最高裁が調印を寸前に差し止める、という形で頓挫した。その直後は武装闘争が再発して60万人とも言われる避難民が出た。

 私はその時偶然、マニラに2日ぐらい立ち寄っていたので、情報をかき集めてこんなものを書いてしまいました。フィリピン専門の人ごめんなさい。

池内恵「フィリピン政治で解決不能 ミンダナオ和平の「不遇」」『フォーサイト』2008年10月号

 ほんの数日で勉強しただけなので、多少のあらがあるかもしれません・・・

 和平への障害は、イスラーム主義とか民族意識といった理念の問題よりも、中央政府・地方政府の統治能力の問題だな、ということがマニラでいろいろ調べてみると見えてきた。和平協議破綻後に一時的に紛争は激化したけれども、MILFも政府軍も本気で武装闘争をやりたがっているわけではないな、とも感じた。

 全体の大枠としては、当時のアロヨ大統領が、一期6年で再任なしというフィリピンの大統領制の特性からも死に体になっていて(素人なんで分かりませんが、独裁・終身化したマルコス大統領を1986年のピープル革命で打倒した後に、大統領権力を制限したこんな制度になったんですよね?)、各地の支配層に抑えが利かなくなっているんだなあ、というふうに感じました。

 2001年1月に前大統領が弾劾されたことにより副大統領から昇格したアロヨ大統領は、2004年に自ら出た大統領選挙で勝利して例外的に2期目に入っていたが。2008年8月の段階では任期の終わりが見えてきて支持勢力が四散している感じだった。結局、自分の任期の初期に始まった交渉を任期中に終えられなかったので交渉が一度ご破算になったのだなあ、というのが外から見た漠然とした印象だった。

 それを考えると、2010年当選のアキノ大統領が、2012年の10月15日調印の「枠組み合意」を結んで、包括和平合意までの工程表に合意し、それに基づいて今回の和平合意調印まで進んだのは、フィリピン内政の時間軸からいうとぴったりというか、これ以上遅らせられないぎりぎりの日程に近い【2011年から今までの交渉のタイムライン】。

 任期が切れる2016年にまさにバンサモロ自治政府設立の期限が設定されているが、大統領の影響力が必然的に低下する過程でどうなるのかが若干心配である。

 大統領がふらついたり議会が邪魔する、というのが次にありうる展開。

 大統領の任期と議会有力者との関係というのはほんの大枠の大枠に関わる部分に過ぎない。和平と自治の実質に関わる土地や地方権力をめぐるローカルな事情はもっと重要なのだろうが、私にはよく分からない。たぶん非常に複雑で紛糾しているのだろう。

 和平を阻害する現象としては、MILFの統制下にない、あるいは対立・競合する組織が武装闘争や小規模のテロを行う、といったものが心配される。MNLFの一部が武装闘争に舞い戻って要求を突き付けるかもしれない。

 MILFは局地的な反政府武装組織としては有力だけれども、自治政府として半ば独立するバンサモロの領域一体にはMNLFの在地有力者が影響力を持っている。反政府闘争から自らを統治する段階に移ると、バンサモロ内部での新旧指導者層の権力争いから、紛争が生じかねない。ARMMの地方政府はいったん解体されるということだけど、ここに務めている人ってようするにMNLFのコネだったりするんではないか?それが(MILF主導となるであろう)バンサモロ自治政府で再雇用されるかを不安視する声なども早速挙がっている
  
 2013年9月9日には、MNLFの一派がミンダナオ島西南端の主要都市サンボアンガの市庁舎を攻撃し、人質を取って立て籠もった。同じころ、ザンボアンガの対岸のスールー諸島バシラン島のラミタンでは、2008年8月の和平協議崩壊の際にMILFから分派した「バンサモロ・イスラーム自由戦士(Bangsamoro Islamic Freedom Fighters)」と、イスラーム過激派のアブー・サイヤーフ(Abu Sayyaf)の残党が合流して、政府軍と戦闘を繰り広げた。

 2016年の大統領任期切れと、自治政府設立の期限に向けて、ちらちらと目を向けておこうかと思っています。

 なお、日本政府もミンダナオ和平には積極的な支援を行っている。