【刊行】『アステイオン』30周年記念選集(全4刊+総目次)

そういえばこちらが刊行されていました。

山崎正和・田所昌幸(監修)『アステイオン創刊30周年ベスト論文選 1986-2016 冷戦後の世界と平成』(全4刊+総目次)CCCコミュニケーション, 2017年11月17日刊行

軽快なフランス装で重厚になりすぎず、しかし雑誌『アステイオン』に冷戦末期からポスト冷戦期の長い期間に移りゆく国際社会と文化に向き合った数々の論稿の粋を集めた、歴史が詰まった箱です。

私も編集委員の一人として、30年間のバックナンバーを通しで読み、収録作品の選定に幾分かの貢献をしました。あくまでも幾分か、という程度ですが・・・

この雑誌はサントリー文化財団の全面的なバックアップによって編集されています。財団が行ってきた事業、すなわちサントリー学芸賞や研究助成やフェローシップなどを通じ形作られた研究者への多様なネットワーキングから自在に情報を汲み出し、サントリー学芸賞の審査委員やサントリー文化財団の理事などとして深く関わってきた先生方の培うネットワークを辿って、国内・国外から執筆者・論文を集めてきてくれます。

私のようなヒラの編集委員は安心して編集会議に参加し、せめて議論を活発に盛り上げる、という程度の役割に留まります。むしろcontributing editorとして積極的に論文・エッセーを寄稿することが期待されているようです。これについても上の世代の先生方が次々に論文や連載や対談の企画を提案して来るので、それほど出動する機会は多くはないのですが。

サントリー文化財団に蓄積された文化資本に、阪急コミュニケーションズ(現在はCCCコミュニケーションズの一部)のプロフェッショナルな編集者の手が加わって、確実に質の高い製品となって読者の手に届きます。それで毎号の価格はほんの形だけの1000円という・・・

しかしこの30周年論選は、全4巻+別冊(総目次)のセット売りのみでバラ売りなし。本当に少部数しか刷っていないため、価格は高くなりますが、意外に、さほど宣伝しなくともすでに注文が来始めているというので、手元に置いておきたい方はお早めにどうぞ。まあ、売れてしまったらそう簡単には増刷しないのではないですかねえ・・・

私も一本論稿を収録していただいた(第Ⅰ巻の政治・経済(国際編)に)のと、編集委員として別冊(総目次)にエッセーを寄せています。

池内恵「『ポスト冷戦期』を見届けた後」『アステイオン創刊30周年 ベスト論文選1986−2016 冷戦後の世界と平成 総目次』2017年11月17日, 112-116頁

池内恵「『アラブの春』がもたらしたもの」『アステイオン創刊30周年 ベスト論文選1986−2016 冷戦後の世界と平成 第Ⅰ巻 政治・経済(国際編)』2017年11月17日,  767-782頁

実はこの別冊に収録されているエッセーは、他の編集委員のものはすでにアステイオン84号の「特別企画」に掲載されているものの再録なのですが、私もその号で書くはずだったものが、特集の責任編集のために疲れ果て、他の仕事も多く、アステイオンの30年のバックナンバーを全部読んで論を立てるという大作業を完遂することができず、一人だけ掲載を見送りました。ですので、今回がオリジナル原稿ということになります。

この別冊には、編集委員の苅部直先生の、『アステイオン』の創刊者で「名誉永世編集委員」と言ってもいいであろう山崎正和先生との対談も収録されています。

そして、恐竜のようなかつての知識人たちの若い頃の写真が多く収録されており、当時の闊達な議論を彷彿とさせる、貴重な読書体験です。

1986年の高坂正堯の論稿に始まる第Ⅰ巻政治・経済(国際編)の最後に近いところに「アラブの春」の最初の1年に関する論稿を載せることができて光栄でした。

そして本巻の締めくくりには、私が責任編集の労を取らせていただいた特集「帝国の崩壊と呪縛」(第84号・2016年春号)から、池田明史先生と岡本隆司先生の論稿が収められています。少し歴史に何かを残せたような気がしています。

【寄稿】『外交』で中東情勢をめぐる座談会

座談会の記録が刊行されました。

外務省が発行する『外交』(かつての『外交フォーラム』が民主党政権時代にリストラされたものの後継誌です。現在は三度都市出版の企画・発売に戻っています)に掲載されました。

池内恵・今井宏平・田中浩一郎・岡浩「『ポストISIL」に潜む新たな混迷」『外交』Vol. 46, 2017年11月30日発行, 「外交」編集委員会(編集), 外務省(発行), 都市出版株式会社(企画・発売), 116-129頁

岡浩・外務省中東アフリカ局長(前トルコ大使・アラビア語研修でサウジアラビアに二度の勤務経験のある方です)と、イラン分析の田中浩一郎さん(最近慶應義塾大学SFCに拠点を移されました)、年初に中公新書からトルコ現代史を刊行された今井宏平さんと、ご一緒しました。サウジアラビアやレバノンの動向など、対談で将来の見通しとして話していたことが、編集作業の間にも現実化して、未来形を現在形・過去形に直していく作業で校了寸前まで気が抜けませんでした。

局長室の場所を提供していただき、我ら研究者が喋りまくるのを静かに頷いて聞いていらした中東アフリカ局長が印象的でした。いや、いい加減疲れますよね、この中東情勢の展開の早さと破天荒さ。

【寄稿】『アステイオン』に自由主義とイスラームの関係について

かなり力の入った書評を寄稿しました。

池内恵「イスラームという『例外』が示す世俗主義とリベラリズムの限界」『アステイオン』第87号, 2017年11月25日, 177-185頁

書評の対象としたのは、Shadi Hamid, Islamic Exceptionalism, St. Martin”s Press, 2016です。

私は『アステイオン』の編集委員でもあるのですが(contributing editorみたいな感じですかね)、今回の特集も力が入ったもので、かつ他に類を見ないものと思います。張競先生の責任編集で、グローバル文学としての華人文学を、独自の人脈から幅広く寄稿を得て、堂々の刊行です。

これはサントリー文化財団の支援がないとできませんね。

【寄稿】『文藝春秋オピニオン』の2018年版に「イスラーム国」後の中東について

寄稿しました。大変忙しくて、ちょっとお知らせが遅れてしまいました。

池内恵「『イスラーム国』後の中東で表面化する競合と対立」『文藝春秋オピニオン 2018年の論点100』2018年1月1日(発行), 文藝春秋, 38-41頁

奥付の発行期日は来年1月1日となっていますが、2017年11月9日発売です。

例年寄稿している『文藝春秋オピニオン』の2018年度版ですが、今年は「2018年の10大テーマ」の6番目になりました。

面倒ですが一応確認しておきますと、思い出せる限り2013年版から寄稿しているのですが、私の担当するテーマの順位は36→48→70→6→7→そして今年は6に戻っております。別に番号が重要度を示すわけではないのですが、文藝春秋編集部がどのように中東・イスラーム問題を位置づけているかは、日本の世論のある部分の推移を示しているとは言えるでしょう。

「イスラーム国」が2014年6月のモースル占拠で国際政治の中心的課題に躍り出た後の2015年版(2014年11月発売)では「70位」と、なんともはんなりとした対応をしていたのですが、2015年1月20日の脅迫ビデオ公開に始まる日本人人質殺害事件の政治問題化と、奇しくも同日に文藝春秋から刊行された『イスラーム国の衝撃』によって、この問題の位置づけが一気に(少なくとも文藝春秋内部では)上がり、2016年版では一気に6位に躍り出、同程度の認識が3年間続いたようです。来年はどうなるのでしょうか。「イスラーム国」はタイトルに入らないでしょうが、中東問題が大問題であり続けることは変わらないと思います。

「10大テーマ」となると、『文藝春秋』の読者に馴染みのある対象と書き手が並ぶので、よくまだ「イスラーム国」と中東をこの位置に選んでくれたものです。新聞やテレビでは「イスラーム国」のモースルとラッカが陥落する話は分かりやすいように見えるのか、そこだけは報じられます。クルドやトルコやサウジやシリア・アサド政権やロシアや米・トランプ政権などの動きが複雑に絡んだその後の中東情勢は、複雑すぎて記者が記述することが不可能なのかもしれません。

目次を見ますと、書き手のラインナップが、テーマ以上に、濃い。。。

私の前が石破茂先生、その前は宮家邦彦さん、わたいの後ろが冨山和彦氏で、その後ろに佐藤優・櫻井よしこ・藤原正彦と続くという、こってりしたラインナップです。私はこの中の置かれると非常に線の細いあっさりした書き手と見えるのではないでしょうか。

何かと評判の三浦瑠麗さんも、論点15「『政治家の不倫』問題の本質はどこにある」と、近年ライフワークとして掴んだ(かに見える)「女性と権力」に真っ向から取り組んでいます。

従来よくあった、オヤジの「権力と女性」問題ではなく、働く女性論にも一般化させたん女性政治家論により「女性と権力」という問題を浮き立たせた新機軸の発掘で、他の追随を許さない地位を確保しています。来年は私よりも前に載っているでしょうね。それも良きかな。

さて私の方は地味にしかし分析と見通しの提示として実質のある内容を心がけまして、「イスラーム国」が領域支配を縮小していく中で、今後の中東情勢について展望したものです。中東国際政治が変動する中で、最も重要なのはサウジの内政であり、そこにイスラエルを絡めて米トランプ政権を抱き込もうとする動きが出る、それと北朝鮮危機とがリンクされれば・・・といったスペキュレーションを含む本稿は10月前半に書いていたのですが、それが部分的に現実化していくので、10月25日の最終校了直前に細かく修正しました。

【掲載】時事通信にラッカの「イスラーム国」拠点陥落についてコメント

時事通信にコメントを寄せました。シリアのラッカの「イスラーム国」拠点を、米国に支援されたSDF(シリア民主軍)の部隊が制圧したというニュースへのコメントです。地方紙各紙に掲載されていくと思われますが、時事通信のウェブサイトでも公開されています。

「◇シリアでも「クルド問題」起きる」時事通信(2017/10/18-21:22)

ラッカの陥落はそれなりに重要な画期ですが、現在のシリア情勢・中東情勢の焦点は別のところにある、といったことをお話ししました。

そもそも「ラッカはイスラーム国の首都」という通説は根拠が不確かです。「イスラーム国」の理念からは、2014年7月にカリフ位を宣言し、金曜礼拝で演説を行ったモースルが、カリフ政体の首都でしょう。

全世界を覆うカリフ制政体を構成する「州(wilaya; 英語で言うstate)の一つとしてシリアがあり、シリアの州都(’asima; capital)であったのがラッカということでしょう。連邦制とstate capitalという観念が理解される英語圏ではある程度容易に理解できることが、日本ではうまく理解できず言葉にもできないようです。

しかし「ラッカは首都」という翻訳上の誤解に基づき、「首都だから重要」と論じていくのは、循環論法でしょう。そういう報道には(いまさらですが)釘を刺しておきました。とはいえ、メディアの報じ方に注文をつけると「面倒くさい人」ということになり、コメントが載らなくなる傾向があります(世代が代わるとまた依頼してくるようになるので、そのことはあまり気にしていません)。

現状では「イスラーム国」が「州」を称していた領域での「州都」は、ラッカ陥落で全て失われた、という意味づけです。

【講演要録】「イスラーム国」が形作る「まだら状の秩序」について

一昨日の毎日メトロポリタンアカデミーでの講演について、昨日の『毎日新聞』に記事が掲載されていました。

「毎日メトロポリタンアカデミー『まだら状の拡大』 池内氏がISの「今」解説 /東京」『毎日新聞』2017年9月21日

以下記事の本文を記録しておきます。

第297回毎日メトロポリタンアカデミー(毎日新聞社主催)が20日、豊島区のホテルメトロポリタンであり、イスラム政治思想・中東研究で知られる池内恵(さとし)東京大学准教授が「イスラム国(IS)はどこへ行った」と題して講演した。

池内氏は「イスラム教徒17億人すべてがISではない」としながらも「イスラム教は元来平和的な宗教ではあるが、法として現実には軍事や政治に深い関わりがある」と解説した。さらにISの出現と領域支配の変遷について地図を用いて分析。組織的には弱体化が見られるが、今後、インターネットなどによる感化を通じて自発的に名乗り出るISの誕生について指摘し、世界各地に「まだら状の拡大」ともいえる状況が出現していると述べた。【吉岡杏奈】

【資料】ある外交官の「アラブ外交」観 1980年から1994年にかけて

8月24日に、まずツイッター「中東ニュース速報」で簡易に メモがわりに連投ツイートして次にフェイスブックで体裁を整えてまとめておいた、一風変わった本の読書メモが、かなり読まれているようなので、外交史・日本中東関係史上のかつて支配的だった、今ももしかすると色々な形で残っているかもしれない「通奏低音」を伝えるために、ここに掲載しておきたい。

* * *

研究室の本を整理していて、あまり手元に置いておきたくないがメモしておかないとどこかに行ってしまい取り出せなくなり、思い出せなくなりそうな、なんとも始末に困る本の要所をメモしたので、ここに貼っておく。

日本外交の中で「アラブ問題」「中東問題」の占める位置は近年大きく変わったようにも見えるが、より広い社会の中での位置づけという意味では、結局はさほど変わっていないようにも見える。
これについて外交官(志望学生)の主観という面の一時点での記録を、資料として留めておきたい。
毎年一人は割り当てられる、キャリア外交官のアラビア語研修について、特に米国一辺倒の時代には、複雑な思いを抱えていた場合があったようである。
端的な例が、1980年に入省し、後に民主党代議士となった末松義規氏の著作『ボクが外交官を棄てた理由』(KKベストセラーズ、1994年)に示されている。

「理由」はおそらく「ワケ」と読ませるんであろう、いかにもいかにもな昭和の語法である。

かつて日本での「アラブ問題」「中東問題」の扱われ方がどのようなものであったか、端的に示されている部分を、ほんの一部、抜き出してみよう。【 】内が原文より。

末松代議士にとっては「黒歴史」感ある記述が満載の本だが、あくまでも歴史資料として扱っているのでご容赦願いたい(なお惻隠の情から、辞めると告げた時の上司の発言を著者が聞き取って記したとされる部分や、家族の反応については、転記していない)。

【語学選定はまだ大学在学中の一月ごろに行われた。霞ヶ関に合格者が集められた。当日、採用が決まったひとりひとりに、研修で何語を習得するかが言い渡される。【中略】希望はアラビア語だなどという者はひとりもいなかったと思う。】
(末松義規『ボクが外交官を棄てた理由』38頁)

【僕の前の同期がアラビア語に決まったときは、内心、皆、しめたと思ったはずだ。その場にいた全員からワーッと拍手が沸き起こったからだ。不幸なやつがこれでひとり減ったというわけだ。ホッとしたところで僕の順番。てっきり中国語をやるようにと言われるとタカを括っていたのだが、面接官の言葉に一瞬、青ざめた。「キミもアラビア語をやってくれ」
ショックに、しばらく黙り込んでしまった。「はい、わかりました」とはとてもじゃないが言えなかった。「しばらく考えさせてください」、と言うのがやっと。】
(末松義規『ボクが外交官を棄てた理由』39頁)

【かなりの時間、それでも僕は頑強に抵抗した。
最後に、「私は、ああいうわけの分からない国の人とはつき合えません。私自身、気が弱いんです。もし、どうしてもとおっしゃるなら、自分の進退も含めて考え直させていただきます。」】
(末松義規『ボクが外交官を棄てた理由』39頁)

・・・回顧録といっても選挙に出る時の自己紹介を兼ねた選挙本なので、正確を期して書いたかどうかは怪しい。「有権者にウケる」というところが主眼であったのかもしれない。しかしこの当時アラブ関連に従事することを蔑むような発言を大っぴらにすることが「ウケる」と思われていたことは示すだろう。
私見では、9・11事件とイラク戦争を経て、日本の外交官にとっての「中東」の意味は変わったのではないかと思う。日本外交の主軸が今もって日米外交であることに変わりはないものの、米側は対テロ戦争と中東問題にかかりっきりで、日本もそれにある程度は関与させられるので、対米外交に従事するには中東が分かっていないと話にならないだろう。
今なら「お前アラビア語研修ね」と言われたら、大変だあと思いつつも「よし!」と思う新人外交官も多いだろうし、アラビア語研修だったので重要な任務を多く課されてラッキーだったな、と思っている人もいるのではないか。こういう変化は外交文書には残らないが、外交史家は記録しておいて欲しい。

【寄稿】新潮選書50周年企画に短文を寄せました

新潮社の『波』に寄稿しました。

「[新潮選書50周年特別企画]選書著者が答える『私にとって選書とは何か?』」に短文を寄せています。

今年は新潮選書創刊から50周年。これを記念して『波』で特集を設定して、そこにこれまでの執筆者が短文を寄せています。

猪木武徳先生(『自由の思想史 市場とデモクラシーは擁護できるか』)や、苅部直先生(『「維新革命」への道 「文明」を求めた十九世紀日本』)など。

椎名誠さん、池澤夏樹さん、片山杜秀さんなども短文を寄せています。

私も『サイクス=ピコ協定 百年の呪縛』の書き手として、この本を第一弾に新潮選書のフォーマットを利用して立ち上げていこうとしている「中東ブックレット」シリーズのマニュフェストのようなものを書きました。

ブログやSNSで情報を伝えることができる時代に、選書というフォーマットはどのように役に立てるか、がテーマです。

そういえば昨年の6月も、新潮選書のフェアに文章を寄せていました。あれもかなり力が入った特集でした。

池内恵「SNS時代こそ選書の出番」『波』2017年9月号(第51巻第9号・通巻第573号), 82頁

【寄稿】『中東協力センターニュース』7月号にシリア内戦の競合する停戦枠組みについて

忙しさに紛れて、少し通知が遅れてしまいましたが、シリア内戦への停戦調停に関する分析を『中東協力センターニュース』に寄稿しています。

この論考をほぼ書き終えてから7月半ばにヨルダンのアンマンに出張に行き、国際会議に参加していたのですが、ちょうどその頃、ヨルダンでの交渉からシリア南部での部分停戦の合意が米・露・ヨルダンの間でまとまったので、関連する情報も集めることができました。

池内恵「シリア分割への道? 競合する停戦枠組み」『中東協力センターニュース』2017年7月号, 8-14頁【クリックするとPDFで論文が開きます

【談話】今朝の日経新聞に中東情勢をめぐって

今朝の日経新聞に談話が掲載されました。

「混迷深まる中東 どこへ サウジ、イスラエル接近も 東京大学准教授 池内恵氏」『日本経済新聞』2017年7月4日朝刊

聞き手は日本経済新聞編集委員の松尾博文さんでした。エネルギーや中東が専門で、現地特派員・支局長も経験した方で、以前から知り合いで私も普段から記事を読んでいることもあり、大変話が弾みました。紙幅の都合から、サウジとイスラエルの接近という、話をした中で一番際どいところを中心にして掲載されましたが、このインタビューを機会に中東情勢全体の現状と見通しについてまとめる機会になりましたので、有益でした。

全く偶然なのですが、明日の夜10時から、日経の系列テレビ局BSジャパンの「日経プラス10」に出演して、「イスラーム国」のイラクでの支配領域の陥落後の中東情勢について話をすることになりましたので、そちらで時間をとって話してみたいと思います。

【寄稿】『国際開発ジャーナル』7月号に中東諸国・国際秩序の変動について全体像を

国際開発・国際協力の専門誌である『国際開発ジャーナル』に寄稿しました。「変わる世界秩序」とのタイトルを付されたリレー・エッセーの第2回。

池内恵「中東と動揺する世界––––アラブの春とイスラム国の行方」『国際開発ジャーナル』No. 728, 2017年7月号, 20-23頁

ここのところ講演を依頼されれば喋るようなことを、標準的な講義録のつもりで、各要素を短めに詰め込んで見ました。ここの要素について一本ずつ論考が書けそうです。

本号にはこの他に、アジア経済研究所のアフリカ研究者で現在ジェトロ理事(『国際開発ジャーナル』の論説委員でもある)の平野克己さんの論考「援助政策がめざすべきものは」や、東大副学長やJICA理事長を歴任し、今年4月から政策研究大学院大学(GRIPS)の学長に就任した田中明彦先生へのインタビューなどが掲載されています。

また、今号の特集は「ダッカの教訓を忘れない」というもので、中東研究者の保坂修司さんによる地域専門家の養成の必要性を訴える論考や、コントロールリスク社などの担当者の発言も載っています。

【寄稿】『アステイオン』に、国際秩序をめぐる大著の数々を大ざっぱに総覧

長めの論考が『アステイオン』に掲載されました。というか、されます。すでに見本はもらっていますが、奥付上は5月26日に刊行とのこと。書店で予約しておくと真っ先に読めます。

池内恵「二十一世紀の『大きな話』、あるいは歴史を動かす蛮勇」サントリー文化財団・アステイオン編集委員会(編)『アステイオン』Vol. 86、CCCメディアハウス、2017年5月26日発行、168−187頁

『アステイオン』の今号の顔ぶれは、いつにも増して豪華です。目次の詳細と、各論考の冒頭の部分を、サントリー文化財団のウェブサイトで見ることができます。池内の論考の冒頭はこちら。最初の一節でゆるゆるとエッセー風に始めて油断させておいて、本文では世界秩序をめぐる大著の一群を、一気に総覧します。

特集「権力としての民意」(責任編集・待鳥聡史)は、最近流行りの用語で言えば「ポピュリズム論」というところに押し込められかねませんが、通り一遍のありふれたものではなく、ここぞと有力研究者を動員し、よその媒体ではみられない、深いところを理論的に探ったものになっています。

論壇で話題のポピュリズム論のいわば「標準」の地位を獲得している中公新書『ポピュリズムとは何か』を書いた水島治郎さんの「民意がデモクラシーを脅かすとき––ヨーロッパのポピュリズムと国民投票」を筆頭に、岡山裕「アメリカ二大政党政治の中の『トランプ革命』」や、阿古智子「インターネット時代の中国ポピュリズム」等々、欠かせないテーマに、それぞれ代表的な研究者が取り組んでいます。

また昨今の日本でのポピュリズム・大衆扇動政治の代表格といえばそれはもちろん小池都政ですが(私が勝手に決めた)、これについては金井利之さんの「小池都政における都民と “民意”」が載っています。

欧米と中国・日本だけでなく、東南アジアについても、例のコワモテ豪腕のドゥテルテ大統領について、高木佑輔さんの「フィリピン・ドゥテルテ政権の政治––民主化後の政治発展とエドサ連合」が。大変興味深い。

特集の外でも、有力な政治学者たちが次々と論考を寄せています。奈良岡聰智「よりよき公文書管理制度のために––イギリスとの比較に基づいて」や河野勝「安保法制は何を後世に残したのか––もうひとつの安倍政権論」は是非読んでおきたい。

五百旗頭薫さんがここのところ『アステイオン』に毎号のように力の入った論考を寄稿しており、今回は「嘘の明治史––五/七/五で嘘を切る」。

他にもいろいろ載っていて、これで本体価格1000円。もうまったく完全に採算度外視です。

どれだけ採算度外視かというと、ノーベル文学賞級の作家ミラン・クンデラの対談も、はるか後ろの方にあまり目立たない感じで載っています。文芸誌だったら背表紙に名前が載りますよ。

『アステイオン』の一つの売りの、各国のハイブロウな著作の書評・紹介をかなり自由に書ける「世界の思潮」では、マルガリータ・エステベス・アベさんがトランプ現象を読み解く二冊を紹介しています。編集の工夫、あるいは幅広いネットワークから常時集めている原稿ストックの豊富さから、特集の外でも特集と響き合う内容の論考が加わって追い討ちをかけます。

そんな豪華執筆陣が、特に今回は政治学や国際関係学者が、勢揃いして、深く・緻密な論考を次々に寄せているところに、私の論考では何を書いたかというと、いきなり冒頭から見出しが「『大ざっぱ』の効用」なのです。

何がどう「大ざっぱ」なのかというと、それは読んでみていただけば分かりますが、大概下記のような趣旨の文章です。

今回の私の論考では、政治学の優秀な研究者による力の入った論文が目白押しである中に混じって、ちょっと箸休め・頭休めのために目を通していただくことを意識して、以前に学会誌に書評を寄せたことのあるウォルター・ラッセル・ミード『神と黄金』を手がかりに、冷戦後半から冷戦後に時期に提起された、国際秩序・世界秩序論のうち、アカデミックな世界だけでなくより広い読者層に向けて書かれ、読まれて、影響を与えた代表的な作品の変遷を、一筆書き的に紹介しました。文末の注で、原著と邦訳書の書誌情報を一覧に収めてみました。

何事も、時系列に並べると見えてくることがあるものです。学問は、集めて並べてみるのが、まず基本。どういう手法で「集め」「並べ(変える)」かについては、高度で包括的で検証可能な手法などを開発する余地はありますが、何はともあれまず定性的に見て触って読んで、どう並べればいいかをあれこれ考え、並べ替えてみること。

世界秩序をめぐる「デカい話」が周期的に新しいものが提起されて、好評を博し議論の対象になりますが、それらを毎回入手して隅から隅まで読んでいる人はよっぽどの読書家で、大抵は忙しい時期に出た本などはうっかりしているうちに見かけなくなってしまう。タイトルをちょっと聞いたことあるけれども、読んだことがなかった、あんな本こんな本が、読んだ気になる、読んでみたくなる、そんな企画です。お楽しみください。多分今号の全論考の中で一番分かりやすい論考。

今回は注が文献リストのように機能するように意図してつくっています。移り変わる国際秩序と国際世論を、時代ごとに背骨を作ってきた「感動巨編」系の数々を、体系的に、例えば半年で全部読んでみる。大学初年次ゼミとか読書会とかをやる際に、冒頭で配る文献リストと導入・手引きを記したイントロ・テキストとなればいいかな、と思って書きました。

【引用】『ポピュリズムと欧州動乱 フランスはEU崩壊の引き金を引くのか』に『朝日新聞』掲載の発言が再録

昨年10月21日に『朝日新聞』に掲載されたコメントの一部が、最近刊行された本に再録されています。

国末憲人『ポピュリズムと欧州動乱 フランスはEU崩壊の引き金を引くのか』(講談社+α新書、2017年4月20日)

該当箇所は本書の43−45頁にかけて。

国末さんによるインタビューは『朝日新聞』に下記の形で掲載(「奉じる「自由」の不自由さ 東京大学先端科学技術研究センター准教授・池内恵さん」『朝日新聞』2016年10月21日付朝刊)されていたのですが、国末さんがフランス大統領選挙直前に刊行したした著作の中で、私の議論の核心部分を切り出して再録してくださっています。

ここで国末さんは、ムスリム同胞団の創設者ハサン・バンナーの血を引く、ヨーロッパ育ちのイスラーム思想家・活動家のターリク・ラマダーンとの議論を、私との議論と突き合わせて掘り下げ、ムスリムの権利の擁護を主張する議論が西欧の社会規範の前提となる自由を掘り崩すことになる危険性を問いかけています。

日本の西欧政治の専門家は、西欧の学問の世界で支配的なリベラルな前提や通念を拠り所に、イスラーム教の教義は本来はリベラルであり、非リベラルな思想は一部の過激派によるものであるとして、イスラーム教と自由・人権との対立的な関係は存在しない、そのような問題を「ポピュリストが掲げているということは、問題視することが間違いなのである」となぜか一方的に断定して議論することが圧倒的に多く、他の点では傾聴に値する諸先生型の議論に、突然落とし穴が開いていることも稀ではありません。

学者は実際には西欧社会のうちごく一部の、留学した大学の中の、支持した先生の研究室とその関係者、といった限られた世界しか知りませんので、実態を知らずに、聞いた話で、あるいは現地の有力な先生の言葉の端々から「空気を読んで」イスラームとはこうであるはずだ、と類推してしまいます。

西欧社会の規範とイスラーム教の規範がどう齟齬をきたすか、それがどういう形で政治問題化されるか、こそがまさに今問題となっているのですが、しかし肝心の底を対象化できていない議論を見ると、大上段にポピュリストの危険性を論難していればいるほど、白けてしまいます。そういう人が多いから、ポピュリストが力を持つようになるわけですから。

国末さんは、そういった「専門家」の通弊から脱しようと様々に思考を凝らしているようです。

まあフランス流の近代合理主義・個人主義を叩き込まれると、なかなかあの「神中心主義」による、「群れない集団主義」とも言えるイスラーム教の動員のプロセスは見えにくくなりますが。

***

国末さんはすでにポピュリズムについての世界各地のルポを取り混ぜた『ポピュリズム化する世界 ―なぜポピュリストは物事に白黒をつけたがるのか?』(プレジデント社、2016年9月)を刊行していますが、今回はフランスの大統領選挙に絞り込んだ、いわば「選挙本」になっています。

選挙の背景のフランス内政についての読みやすい解説としてまとまっています。

奥付によると4月20日刊行ですが、本当に4月23日の第一回投票の寸前の、最終段階の情勢を踏まえて、「マクロンとルペンの対決」になりそう、という見通しを示しており、選挙後に読んでも違和感がありません。

私も新潮選書「中東ブックレット」で標榜している「オンデマンド」方式を何らかの編集体制で実現しているようです。

【寄稿】『ブリタニカ国際年鑑』2017年版に昨年のイスラーム教の動向について

今年も、『ブリタニカ国際年鑑』の宗教のセクションの、「イスラム教」の項目を寄稿しました。

池内恵「イスラム教」『ブリタニカ国際年鑑』2017年版、2017年4月、206頁

過去1年のイスラーム世界・イスラーム教についての特筆すべき動向をピックアップするという趣向で、2014年版に最初に依頼を受けて以来、連続して4年執筆しています。期せずして、年に一度のまとめの機会になっています。

今年選んだのは、
「グローバル・ジハード現象の拡散」
「反イスラム感情とトランプ当選」
「イスラム教は例外か」

でした。

「グローバル・ジハード現象の拡散」は、中東から欧米にもまたがる「イスラーム世界」における、前年から引続く事件の連鎖を取り上げました。私としてはもう飽きているのですが(なんて言ってはいけませんね)。

「反イスラム感情とトランプ当選」は、昨年から今年にかけて「イスラーム」が国際社会の中で最も顕著に政治問題化された事例として、年鑑で記録しておくことにそれなりの意味はあるでしょう。

「イスラム教は例外か」というのは、イスラーム教に対する研究や論説の次元での新動向を取り上げたものです。従来の西欧や米国でリベラル派の間で通説であった、「イスラーム(アラブ・中東)例外論を否定する」という議論に対して、米国の移民系市民のリベラル派の論客の中から、イスラーム教がその支配的な解釈において「リベラルではない」という意味では、欧米のリベラル派の想定する「宗教のあるべき(本来の)姿」、あるいは「宗教と政治とのあるべき(本来の)関係の姿」からは「例外」となるがまずこの現実を認めてから対処しないとうまくいきませんよ、という議論が出てくるようになったので、それをキャッチしました。これについては論文や学会発表でより深く取り組んでみようと思います。

ちなみに、過去3年には以下の事項を選んでいました。

2016年版
「『イスラム国』による日本人人質殺害事件」
「グローバル・ジハードの理念に呼応したテロの拡散」
「イスラム教とテロとの関係」

2015年版
「『イスラム国』による領域支配」
「ローンウルフ型テロの続発」
「日本人イスラム国渡航計画事件」

2014年版
「アルジェリア人質事件」
「ボストン・マラソン爆破テロ事件」
「『開放された戦線』の拡大」

何事も積み重ね、ということの意味が、いい意味でも悪い意味でもここのところ分かるようになって来たお年頃ですが、『ブリタニカ国際年鑑』も、自分のテーマでの論文を中断して取り組むのは、毎年辛いものがあるのですが、それでも書いておいてよかったといつか思う日があることを願っています。

年に1度の「定期観測」を、日本語の国際年鑑での「イスラム教」の項目という「定点観測」を兼ねてやっているという具合です。

そういえば、『文藝春秋オピニオン』に、2013年版以来、毎年寄稿し続けているのも、年に1度の中東・イスラーム世界をめぐる日本語での論壇の関心事の定時・定点観測のように機能しはじめているかもしれません。

『ブリタニカ国際年鑑』の方は「イスラム教」の項目、という枠や紙幅は変わらず、その中で私自身が3つ何を選ぶかが、少なくとも自分にとっては有意義な指標となっています。

『文藝春秋オピニオン』は、編集部がその年の中東・イスラーム世界に関する日本の論壇にとって有意義と感じられるもの(かつそれを池内に書かせたいと感じられるもの)を選び、本の中でどこに置いてどれだけの紙幅を割り振るかを決めるのですが、その結果、どのテーマがどれだけの長さでどこに配置されたかが、年ごとに変化していきますので、それが長期的には何らかの指標になるかもしれません。

まあそのうち依頼されなくなるというのも一つの指標でしょうか。

『中東協力センターニュース』が3ヶ月に1回の定時観測で、『フォーサイト』が月刊誌時代には月に1回、ウェブになってからは日々にミクロな変化を記録、という形になっているのと併せて、定時観測・定点観測を異なるサイクルで、異なる形式で複数続けているのが現状です。

【寄稿】「ソマリエメン」と言ってみたかっただけ?『中東協力センターニュース』4月号に

少しこの欄での通知が遅れましたが、『中東協力センターニュース』4月号に論考を載せております。

池内恵「『ソマリエメン』の誕生? 紅海岸の要衝ジブチを歩く」『中東協力センターニュース』2017年4月号, 10-20頁【ダウンロード

四半期に一回の頻度で定期寄稿している『中東協力センターニュース』ですが、今回は、先月のジブチ訪問の報告として、若干紀行文的な要素を加味した論考です。そうは言っても、結局、かなり解説や分析に近づいた文章になっています。

地図は見繕って便利なものを拝借して載せてみましたので、元の記事に遡って読むなどして見るといいでしょう。

読み直して見ると、一部の箇所で、「ソマリ人」と「ソマリア人」がそれほど意味なく書き分けられてしまっているところがあり、かといって完全にどちらかに統一することも難しいので、次に関連テーマで書く時にはさらに詰めて調べて適切な語用を見出していこうと思います。

また、18頁の19行目の「何時にも渡って」は「何次にもわたって」とするべきでした。いずれにせよ硬さが抜けない文章ですが。

今回は、とにかく世界に先駆けて「ソマリエメン(Somaliemen)」という造語を作って使ってみた、というところが一番の肝でしょうか。

米国が9・11事件以後、アフガニスタンとパキスタンの国境地帯をひとまとまりのものとして、「アフパック(Af-Pac)」と呼んで統合的な対処策を探ったり、「イスラーム国」がシリアとイラクの国境地帯を制圧し実効支配したことから「シラーク(Syraq)」と呼ばれたといった先例と同様に、ソマリアとイエメンの間の人的・物的・思想的交流のインフラの存在とその深化の可能性や、それと同時に進みかねない、ソマリアのアッシャバーブとイエメンのAQAPの相乗り現象の進展、それに対する米国トランプ政権による対ソマリアと対イエメンでの対テロ作戦の強化と一体化、といった事態がより十全に進めば、やがて「ソマリエメン」が語られることになるでしょう。

四半期に一回のこの定期寄稿は、毎度、逼迫した日程の中で時間を捻出し、最新の情勢や、私自身の研究の展開の中での新しい興味対象などから熟考してテーマ設定を行い、締め切りと校了の最後の最後の瞬間まで頭を捻って(編集部には極度の負担をかけて)脱稿・校了します。

研究者としての利益からは、一つのテーマにもっと長い時間かけて取り組むために、この寄稿のために割いている時間を振り分けたほうが得になる、という考え方もあると思います(今は、研究者の環境が極めて厳しくなっており、私自身が通常よりはるかに厳しい条件を選んで赴任してきているので、本来であれば研究者がするべきではないこのような比較衡量が時に頭をよぎります)。けれども、3ヶ月に一度、必ず、中東と隣接地域や国際社会全体も視野に入れて、今何が重要か、将来に何が重要になるかを徹底的に考え直す時間を作ることは、一つ一つはそれほど重要に見えなくても、積み重ねることで、何かが見えてくるきっかけになるのではないかと信じて続けています。

【寄稿】『日経新聞』経済教室にシリアの化学兵器使用と米の空爆について

寄稿しました。

池内恵「米国のシリア攻撃、展望は――米政策の不可測性に長短、強い指導力発揮は望めず(経済教室)」『日本経済新聞』2017年4月18日

過去の日経新聞への寄稿については、このエントリでまとめてあります