『イスラーム国の衝撃』を剽窃した記事についての対応

非常に時間がないのですが、誤解やデマを避けるために、ここに書いておかねばなりません。

『東洋経済オンライン』に掲載された二つの記事が、私の書いた『イスラーム国の衝撃』の複数の箇所を、若干文体を変えただけの引き写しであることを発見しました。問題設定も、論旨も、論理展開も、引いてくる事例もほぼ全てが『イスラーム国の衝撃』および『現代アラブの社会思想』、そして本ブログ「中東・イスラーム学の風姿花伝」からの引き写しであり、明確な剽窃です。二つのコラムの全編にわたって、一切、私の文献を参照したという記載はありません。

文中で剽窃の隠蔽・言い逃れを意図したとみられる姑息な手段も弄しているとともに、「宗教学たん」なる筆名を用い、明らかに虚偽の「17歳女子高生」を称することによって身元を隠していることで、文章を発表するものが負う応答責任を問われることを回避しており、極めて悪質とみて、フェイスブックのアカウント(https://www.facebook.com/satoshi.ikeuchi)で告発しました。

下に記すように、3月17日、匿名・身元を公には隠した著者からは、事実関係をある程度認め謝罪し記事を撤回する旨の発表があり、記事の元来の配信元から、記事を配信したメールマガジンを打ち切るとの発表がありました。

私の告発はフェイスブック・アカウントを通じて行ったため、検索機能が弱く、アカウントを持っていない人が見ることができないため、剽窃を行った側の言い分のみが流通することになりかねず、誤った認識を広めかねないので、ここにまとめておきます。

剽窃が行われ、一般に広くアクセスできるように置かれていたのは、具体的には『東洋経済オンライン』の二つの記事です。

「「イスラム国」の呼称、避けるべきではない 暴力の根源は、昔から内包されていた」2015年02月28日

「イスラム国は、「2020年の勝利」を信じていた フセインが書き残した、終末までの7段階」2015年03月14日

これらはそれ以前に、「プレタポルテ by 夜間飛行」の配信するメールマガジン「寝そべり宗教学」の第2・3回として配信されたものが『東洋経済』に転載されていたことが判明しました。

「第2回 イスラム国はイスラム教と無関係という意見は、ちょっと危ないと思うよ!」2015年2月27日

「第3回 イスラム国が思い描く「2020年のハルマゲドン」へのロードマップ」2015年3月12日

この二つの記事は、大部分が、『イスラーム国の衝撃』の具体的な記述を、文体のみ書き換えたものであり、相違点は部分的に省略しているか、しばしば不適切あるいはそれほどの意味のない情報を若干挟み込んだ部分にすぎず、明確に剽窃です。『イスラーム国の衝撃』を参照したと明記されていないことが問題であることはいうまでもありませんが、そもそも大部分が他人の作品の語尾等を変えただけのこの二つのコラムは、固有の著者の作品として成立していません。そのため、剽窃行為を行う匿名・身元を隠した著者だけでなく、これらを掲載した「プレタポルテ by 夜間飛行」及び『東洋経済』にも、重大な道義的責任があると考えます。

また、池内恵『現代アラブの社会思想』の議論も、また近年の政治的論争をめぐる議論においても、本ブログ「中東・イスラーム学の風姿花伝」の池内恵「「イスラーム国」の表記について」(2015/02/14)の主張を、若干表現を変えるのみでそのまま繰り返しています

3月15日、剽窃したこの文章を最も大規模に流通させている『東洋経済』にメールで抗議するとともに、下記のフェイスブックのエントリで告発し、注意を喚起しました。

https://www.facebook.com/satoshi.ikeuchi/posts/10202807262101669
https://www.facebook.com/satoshi.ikeuchi/posts/10202807313302949
https://www.facebook.com/satoshi.ikeuchi/posts/10202814396600027
https://www.facebook.com/satoshi.ikeuchi/posts/10202820770359367

これに対して、『東洋経済』編集部からは、「至急社内で確認のうえ、しかるべき対応を検討したい」と記された返信が一回ありましたが、その後は3月17日23時までのところ、私に対しては連絡がありません。3月17日には、掲載されたコラムに、「夜間飛行」のホームページにリンクする形で、記事の提供元から説明があった旨のみ、二つの記事の冒頭に加えられていますが、編集部より私への説明はありません。ただメールの文面を見ると、「返事をする」とは書いてありませんので、出入り業者のライター風情の抗議に対しては直接答える義務がないと考えている会社なのかもしれません。

3月16日に、「宗教学たん」を称する人物(1名、ポストドクターの日本学術振興会研究員)から、謝罪と剽窃の事実を基本的に認める内容のメールが届きました。そこで私はこの人物の氏名と帰属に関する基本情報を知らされています。この情報を公開することを妨げるいかなる義務も私は負っていないことを確認してありますが、現時点では氏名の公表は私からはしておりません。その理由はこの文章の後で述べます。

なお、匿名の筆者は私のメールアドレスを「夜間飛行」を運営する編集者から知らされたと、当該編集者の氏名を記した上で明かしていました。これが何を意味するかは判然としませんが、「夜間飛行」の編集部は、剽窃の文章を掲載し配信したことの責任の大部分・ほぼ全てを著者に追わせ、対応の主体ともさせる方針であると私は判断しました。

私の知る限り「夜間飛行」の主要な運営主体である編集者は、以前に中央公論新社に勤務しており、2010年に『中央公論』に私の原稿が掲載された際にメールのやり取りをしているため、私のメールアドレスを知っているはずです。そこから私のメールアドレスが伝えられたものと受け止めています。しかしなぜ編集者本人から説明がなかったのかは、まさになんの説明もないので今に至るまでわかりません。

編集者本人からは3月17日23時までの間、私に対しては直接の連絡はありません(ただし、私はそれまでの経緯から、編集者本人が直接対応をする意思がないものとみなし、3月16日夜のフェイスブックで「連絡してこなくていい」と私から発信しています)。

3月17日に、「夜間飛行」のウェブサイト上に、「宗教学たん執筆の記事とメルマガ『寝そべり宗教学』について」という文書が公開されました。

この文書は二つの部分からなり、一つは「夜間飛行 編集部」からのメールマガジン停止の通知であり、もう一つは「宗教学たん」を名乗る人物からの謝罪と事実関係の(一方的な)説明でした。事実関係の説明についての文面は、前日に私に対して送付したものとほぼ同一であり、前文として、私の返信を一部取り入れたと見られる記述が若干見られます。

「夜間飛行」編集部の示した文面は、「読まれていた読者の皆様に不快な思いをさせてしまい、申し訳ございませんでした。」というもので、日本語としてもやや問題がありますが、自らの顧客である読者に対して謝罪するのみで、剽窃の文章を流通させられて実害を被った私に対する一切の謝罪の表現がありません。

そもそも問題の二つの文章が剽窃であるということについて、編集部は認めることを避けているように見えます。

「記事について盗用等の指摘を受けた件」「盗用等の指摘を受けた点」と繰り返しているため、「指摘を受けた」事実のみを認め、それが剽窃であるかどうかの認識を表明することを避けているものとみられます。

もし万が一、この二つの文章が『イスラーム国の衝撃』の剽窃でないと言いたいのであれば編集部ははっきりとそう書くべきです。

それとは別の理由があるのであれば、例えば、「編集部は記事の内容が剽窃であるかないかを判定する立場にも、責任を負う立場にもないので、読者にしか謝らない」というのであれば、はっきりそう書くべきです。

そうでなければ事情を知らない第三者に誤解を生じさせかねません。

「宗教学たん」を名乗る著者は基本的に剽窃を行ったことを認めているものとみられますが、別の英語の文献を参照した旨を記してあたかも『イスラーム国の衝撃』以外の文献に依拠して議論を行ったかのような印象を与えようとしていますので、私の指摘を受けて謝罪しながらもなお、自分が剽窃を行っているという事実についての認識が甘い可能性が払拭できず、剽窃が何を意味するのかを本当に分かっているのか否かが、依然として明確ではありません。

まず、匿名筆者は謝罪文でなおも、実際には池内の『イスラーム国の衝撃』に依拠せずに書けた部分があると主張しています。

【3月19日追記:ウェブ上には、読解力がないにもかかわらず頻繁に文章を発表する人がおり、下記の英語をあげた部分のみをとって「剽窃ではない」旨を主張するこれまた匿名人物が現れてきています。以下の部分を特に挙げたのは、匿名著者が殊更に英語の記事を示して『イスラーム国の衝撃』から直接引き写していないと示唆したがゆえに、確認のために、実際の英文から匿名著者の議論が導けないと示しているだけです。匿名著者が認めている他の引き写し部分はより明確に『イスラーム国の衝撃』から引き写しています。また、ここで挙げた部分についても、ここで書き写していませんが、匿名著者の「第6段階以降」についての記述は『イスラーム国の衝撃』の該当部分と同じです。この問題について「剽窃かそうでないか」を議論するのであれば、ご自分で対象させてみるしかありません。なお、全編にわたって引き写していながら、この部分だけ「読まなくとも思いつけた」などという理屈には意味がありません。コピペ文化に染まった書き手がウェブに多くおり、一定の読み手もいるようですが、それらは表の世界の陽の光に当たれば萎んでしまう切り花のようなものと心得てください】

これは場合によっては「池内の著作には新規性がない」と暗に主張していることにもなりかねず、私にとって重大な要素を含むので詳細に見ておかねばなりません。

ここで問題にするのは、「2005年8月12日のSpiegel On Lineに掲載されたThe Future of Terrorism」を読んだという主張です。これは「寝そべり宗教学」第3回「イスラム国が思い描く「2020年のハルマゲドン」へのロードマップ」の「終末へ向けた7つのステップ」の節を、池内著『イスラーム国の衝撃』からではなく別のところを見て書いたということを示唆したいのだと思いますが、しかしこれを持ってきてもこの部分が剽窃ではないという主張を支えません。

匿名筆者はフアード・フセインに依拠した記述を行うにあたって、『イスラーム国の衝撃』の第3章77−85頁の「2020年世界カリフ制国家再興構想」の節の記述を参照していることは明確です。なぜならば、Spiegel Onlineの記事と池内の『イスラーム国の衝撃』では、同じフアード・フセインの文献を用いながら、違うことを読み取っているからです。Spiegel Onlineでは、7段階に渡るカリフ制国家再興構想のうち第5段階以降は曖昧にしか紹介しておらず、それによって、第6段階以降が終末論となるという、池内が『イスラーム国の衝撃』で同じ文献を用いながら指摘している点について触れていません。

Spiegel Onlineによる抄訳の該当箇所を見てみましょう。

The Sixth Phase Hussein believes that from 2016 onwards there will a period of “total confrontation.” As soon as the caliphate has been declared the “Islamic army” it will instigate the “fight between the believers and the non-believers” which has so often been predicted by Osama bin Laden.

The Seventh Phase This final stage is described as “definitive victory.” Hussein writes that in the terrorists’ eyes, because the rest of the world will be so beaten down by the “one-and-a-half billion Muslims,” the caliphate will undoubtedly succeed. This phase should be completed by 2020, although the war shouldn’t last longer than two years.

第6段階で「オサーマ・ビン・ラーディンが頻繁に予言していた、信仰者と不信仰者の戦い」について描いているものとSpiegel Onlineの記事では記しているのみです。ビン・ラーディンは終末論を言う人ではありませんでした。この部分が終末論的な信仰かもしれないということは、私の本を読んだ上で想像しない限り、この英語抄訳からは読み取れません。

池内は『イスラーム国の衝撃』の第3章でまずこの部分が終末論的である点を指摘した上で、第7章では「イスラーム国」が発行する雑誌『ダービク』の明白な終末論につなげていきます。それが思想史の謎解きというものです。

匿名筆者はというと、Spegel Onlineの英訳(抄訳)を元に「2020年カリフ制再興構想」についての訳文を作りながら、この第6段階以降が終末論だと論じます。Spiegel Onlineの記事にはそんなことは書いていないのですから、この部分が終末論的であることを明示する別の文献を参照したと示さない限り、「Spiegel Onlineの英訳を参照したから池内からの剽窃ではない」とは、客観的には言えないのです。

まあ本人が別の宗教の終末論について研究したことがあって、片言隻句からも終末論を読み取るという可能性がないわけではないですが、その場合は、今回の議論については、根拠なく語ったということになります(私信では『イスラーム国の衝撃』の第3章は読んだが第7章は読んでいない、とのこと)。

意図的に、不十分な抄訳を提供しているのみのSpiegel Onlineの記事に依拠して、『イスラーム国の衝撃』の該当箇所のアラビア語からの訳よりも精度の低いものを提供しても意味がありませんが、なぜそのようなことをやるかというと、匿名筆者がSpiegel Onlineの記事からわざわざ荒いものを訳して、「池内とは違う文献を踏まえた形にし、異なる訳文を作りたかった」ものであったと推測されてしまいます。

池内の地の文から引き移すところは機械的に「女子高生文体」に変えているので文面は全く同一ではないことになりますが、翻訳の部分まで女子高生文体にしてしまうわけにいかないので、引用せざるを得ない。『イスラーム国の衝撃』から引用しないようにするには、苦肉の策で、ウェブ上で不完全な英語抄訳を探してくるしかなくなったのでしょう。

なお、私は「2020年カリフ制国家再興構想」については、下記の論文で書いており、そこにはフアード・フセインによる『クドゥスル・アラビー』紙に連載された資料への参照を含め、『イスラーム国の衝撃』での該当箇所の議論の原型が示してあります(注でSpiegel Onlineの記事を含む、先行する研究・言及を網羅的に示してもあります)。

池内恵「アル=カーイダの夢──2020年、世界カリフ国家構想」『外交』第23号、2014年1月、32-37頁

この論文についてはブログで簡単に紹介しています。

2020年に中東は、イスラーム世界はどうなっている?(2014/02/05)

しかし終末論を軸としたグローバル・ジハードの進展についての論考は、『イスラーム国の衝撃』が最新のものであり、もっとも深めたものである。この論文を書いてのちに、イスラーム国が伸長して『ダービク』で終末論思想を全開にしたので、初めて『現代アラブの社会思想』からイラクのアル=カーイダをへて「イスラーム国」につながる、終末論からジハードへ、という流れがつながったのです。だから『イスラーム国の衝撃』を書く意義があると思えた。それがこの本を書いた一つの理由です。

また、匿名筆者は、私が問題にした二つのコラムについて、タイトルと各節の見出しを列挙して、そのうち指摘を受けた部分として*の印をつけています。*をつけた部分だけでも多すぎますが、「独自の部分もある程度ある」という印象を与えかねません。しかし実際には、それ以外の多くの節でも同様に、『イスラーム国の衝撃』の特定の箇所と、問題設定、論点、論理構成、選んでくる事実がほぼ全て一致しており、差し挟んだ部分、改変した部分は、当該記述の根拠となる知識を持っていないことによる誤謬を含んでいます。

例えば、バグダーディーについての紹介は見事に『イスラーム国の衝撃』記述と同じですが、その中でわずかに違う部分、例えば由来名が「クライシュ族」の一員を示す「クライシー」だ、という記述などは、素人目には私の記述(『イスラーム国の衝撃』76頁に示したように、実際には「クラシー」である)の方があたかも誤植であるように見えかねません。しかしアラビア語ではQuraish族に属す人をal-Qurashiと呼ぶのであって、誤植ではない。「クライシュ族だからクライシーでしょ」という誤解をしている人がウェブ上の何処かにいてそれを見たのかもしれないが、アラビア語を知らないことによる勘違いです。

匿名筆者が*をつけた問題部分以外に、客観的に見て明白に引き写しが過半を占める節には【** 『イスラーム国』該当頁】を付して、下記に記しておきます。ここまで明確でない他の節も、『現代アラブの社会思想』や「中東・イスラーム学の風姿花伝」で示した私の固有の議論に似すぎていますし、大部分の説が特定の著者の特定の著作からの、若干文体を変えただけの引き写しである作品が発表されることは、ありえません。

第2回 イスラム国はイスラム教と無関係という意見は、ちょっと危ないと思うよ!

1 前回までのおさらい
2 イスラム国の基礎を作ったザルカーウィーと宗教的な理念 【**『イスラーム国の衝撃』63−65頁】
3 アフガニスタンからイラクへ 【**『イスラーム国の衝撃』65頁】
4 カリフを名乗ったバグダーディーのイメージ戦略 【** イスラーム国の衝撃』17、18頁、76頁】
5 「暴力的な原理主義の原因はイスラム教じゃない」という意見の危うさ 
6 宗教を語るためのリテラシー *

第3回 イスラム国が思い描く「2020年のハルマゲドン」へのロードマップ

1 イスラム国が世界の終わりを信じてる!? *
2 イスラム国の終末思想 【**『現代アラブの社会思想』の終末論・陰謀論・オカルト思想についての記述を流用】
3 終末へ向けた7つのステップ *
4 機関誌「ダービク」は終末のシンボル *
5 リアルな終末思想の危険性

このように、謝罪・撤回の文章にも、完全に問題を認識していれば触れないような言い訳がなおも見られるので、研究者、あるいは公にものを書く人間として、どのように学説を組み立てるか、何をしていいか、いけないかの基準を分かっているかどうかが判然としない。それを教育するのは私の責任ではないが、認識不足から不必要な言い訳を行うことで、私にとっては不名誉な誤解や中傷の種になる可能性はあるので、それを徹底的になくすために、ここにまとめて記しておく。

剽窃というものは、私に対してだけでなく、社会に対して犯す過ちである。私が個人的に許す許さないという問題ではない。私個人としては、最初から呆れており、感情的に怒っているということはない。

私にとっては、『イスラーム国の衝撃』の各所の趣旨をそのまま反映した、しかし「劣化コピー」というべき文書がばらまかれていること、筆者が奇妙な筆名を使い、不可解な身元情報を流して、公的に応答責任を負っていない、といった事実は脅威である。ばらまかれた文書や、ばらまかれているという事実に関しても、第三者がいかようにも利用できるのだから、私にとっては問題が大きすぎる。放置しておけば、自分の作品の同一性や評価を維持できない可能性が出てくるだけでなく、責任の所在を問えなくなる。ブランドに対するコピー商品のようなもので、対処しなければ被害を被るのは私以外にない。私の方からは、身を守るために、徹底的に対応しなければならない。しかしこちらには怒りといったものはない。ひたすら厄介ごとである。客観的な脅威に対する必要な対抗措置を取っているまでである。本当はこのブログを書いている時間は極めて惜しい。痛恨である。

なお、匿名筆者の身元については、私は公開するつもりはないのだが、剽窃という問題が出た以上、本来は責任の所在を明らかにするために、公開されなければならないと思っている。

それは言論を行う者の社会に対する責任という意味からもそうだが、それ以前に、本人のためになると思う。

私は3月16日に、個人的な謝罪のメールへの返信で、ここで自ら名乗り出てしまうことを提案した。

それは、今匿名を盾に逃れたとしても、私は公開しないが、ほかに多くの人が実際には知っていることなのだから、やがて明らかにされる。そういうものなのである。

往々にして、こういうことは、人生のもっとずっと重要な時に、やましいことが発覚しては困る時に、出てくる。

そういう傷を抱えている人間は、やましいことが発覚しては困るような、人生の一大事を避けて生きなければならなくなる。

特に研究者を志しているのであればなおさらである。研究者はやがて、どんなに小さくとも、自分の説を世に問わなくてはならない瞬間が来る。命を取られるわけではないが、命がけの跳躍をしなければならない。その時に、何か引っかかることがある人は、飛ぶことができない。それを言い訳にして飛ばない。そうして過ごす無為な時間は、自分と周囲の他人を何よりも蝕むものである。

私の助言はまだ届いていないようだけれども。

書評まとめ(1)『イスラーム国の衝撃』

今回は、『イスラーム国の衝撃』についての書評、書評に近い反響をまとめておきましょう。全部把握しているわけではないので、他にも出ているのを知っていたら教えてください。順次加えていきます。

普通は本を出すと、出版社は広告を出し、新聞社などに送ります。新聞や雑誌の書評欄で取り上げてもらうと、書店でも特設コーナーに置いてくれたり、図書館が選書の際に参考にするなど、売れ行きが伸びるとされています。

ただ、そもそも出版点数が増えすぎているということと、新聞や雑誌で取り上げるまでのタイムラグが、早すぎる最近の出版サイクル(分かりやすく言うと本が出てから賞味期限切れになるか市場から消えるまでの期間)と合わなくなっていること、新聞や雑誌の訴求力が以前ほどではなくなっていることなどから、書評という制度についても考え直す必要があるとは常々思っています。

また、『イスラーム国の衝撃』についていうと、1月20日という発売日に先立って、まず1月7日のシャルリ・エブド紙襲撃殺害事件が生じて日本でも議論が沸き起こり、それによってインターネット書店で予約が埋まり、その上で、発売日当日に日本人人質殺害予告映像が出たという経緯。さらに、その映像に映っていた「ジハーディー・ジョン」の写真を偶然ながら『イスラーム国の衝撃』の帯に用いており、帯には残酷な殺害映像についての記述があることも記されていたという、特殊な事情があります。そのため、文化部・学芸部の管轄の書評によって本が社会に知られるという通常のプロセスを踏む前に、政治部・社会部や国際部の事件報道と論評で取り上げられて注目されることで、本が市場から消えていってしまいました。

この本の刊行と同時に研究対象そのものがインターネット・メディア上で直接日本社会に対して発信し始め、研究対象が日本の政治闘争の一部となり、メディア・スクラム的な爆発的な報道の対象となってしまったことで、そういった事象を読み解くための参考書としてこの本が切実に求められる客観的状況が生じてしまいました。全てが特殊であったため、逆に通常の書評による議論にそぐわなくなってしまった感はあります。

そのような特殊状況下で、この本についての情報伝達は、大部分が紙のメディアではなくインターネット上のブログやSNSで行われました(私自身の発信も含めて)。時期的にもインターネットでの書評が早かったため、まずインターネット媒体での書評の例を挙げておきます。

とはいえ、この本は本来は、ひと月かけてじっくり読んで書評が出て、それを見て考えて読者が買って読んで、数年間は読み続けられ、10年後にこの問題を振り返る時にまた読まれる、という従来の本の出版のあるべき姿を目指しています。そのような息の長い出版という営為を支える紙媒体での書評という制度は、やはり今後も不可欠と思いますし、ゆっくりとしたペースでの理解・評価が定着していくことを望んでいます。

1.インターネット媒体での書評

ネット上では罵倒・中傷も含めて無数に言及されてますが、影響力が大きかったのは次の二つと思います。本が出てすぐに、徹底的・的確に読み解いて表現していただいたことが、ネット上での適切な情報伝播を決定付けたと思います。

「「イスラーム国の衝撃」を易しくかみ砕いてみた」《永江一石のITマーケティング日記》2015年1月28日

この書評は、アル=カーイダは『ほっかほっか亭』で「イスラーム国」は『ほっともっと』だ!という至言を残しました。それだけ覚えている読者もいるでしょう。間違いではありません(が、本も読んでね)。

「イスラム国・テロ・経済的可能性」《新・山形月報!》2015年1月30日

山形さんとは少し前に『公研』で対談して「イスラーム国」についての見解を一方的に話した経緯があったので、言わんとするところや前提条件を汲み取ってくださいました。これもすごい反響でしたね。考えてみれば、対談をしていたのはご自身がピケティを最高速度で訳している最中。そんなところに対談にもお付き合いくださり、さらに、ピケティ本の大ベストセラー化とメディアのピケティ狂想曲発動でもみくちゃにされている時期に、この本を読んで書いていただいて、本当に助かりました。

『公研』は一般にはあまり流通しておらず、入手しにくいが、山形さんらしき人物がインターネット上に対談のテキストを載せてくださっているようだ。このテキストが完成版なのかどうかも確認していないが、ものすごーく忙しい山形さんを1時間捕まえてまくし立てた感を残した編集だったので、こんなものだろうと思う。あまりに頭のいい山形さんには「イスラーム教の基本を解説」みたいなことはする気が起きないので、二箇所ほど、ものすごい基本的な解説をすっ飛ばしている。まあ、よく言われていることだから書かんでいい。豆知識ではなく本当に関係のある情報に直行している対談です。非営利の雑誌だからこそ可能になった企画ですね。そのうちこの対談について解説したい。

2.新聞書評

刊行された日付順に並べていきましょう。ニュースとなったことで、普通なら「方法論は思想史と比較政治学」などと銘打っている本を取り上げなさそうな新聞が書評してくれています。無記名で記者が書いているところが多い。

しかし早いところでも、人質事件がすでに終結してしまっている時期からなんですね。「分析・議論は現場(ウェブ)で起こっているんだ!」という感は否めない・・・

『日刊ゲンダイ』2015年2月3日、「「イスラーム国の衝撃」池内恵著」

『電気新聞』2015年2月6日朝刊、《焦点》

これは「書評欄」とは銘打っていませんがコラムの全編で、この本を詳細に紹介していただきました。職場の先端研の広報担当が発見してくれました。先端研ならではの媒体チェックですね。でも確かこの新聞は田中均さんのコラムが載っていると聞いていますので、国際情勢には敏感なのではないでしょうか。

『日本経済新聞』2015年2月8日朝刊、「イスラーム国の衝撃 池内恵著 闇深める過激派の背景と狙い」

記者が書いてくれたようです。「簡にして要を得た」という表現がぴったりの紹介と思います。「何が起こっているのか」をつかまないと、「イスラーム国」やらシャルリー・エブド紙事件やらについての論評は迷走しますし、「何を対象にしているのか」を読み取らないと書評は的外れになります。この本は「グローバル・ジハード」についての本で、「イスラーム国」はグローバル・ジハードの一つの現象、という基本を踏まえてくれている書評は非常に有益でした。

『東京新聞』2015年2月15日、《3冊の本棚》「「イスラム国」本、読み比べ」(評者・幅允考)

ロレッタ・ナポレオー二とone of the 「正体」s とセットで紹介。

『信濃毎日新聞』2015年2月15日、《かばんに一冊》(選評・佐々木実)

内容の要約と、類書の紹介。

『産経新聞』2015年2月21日、《書評倶楽部》「 『イスラーム国の衝撃』池内恵著」(評者・野口健)

アルピニストの野口健さん。お父様は元外交官でエジプトでのアラビア語研修や駐在経験があり、チュニジア大使・イエメン大使などを歴任した野口雅昭さん(ブログ「中東の窓」は中東情勢に、専門家・業界人でなくとも触れることができる貴重な「窓」です)。中東に縁と土地勘のある方は実はいろいろなところにいるのです(ご両人とも特にお会いしたことはありません)。

【3月28日追加】
『読売新聞』2015年2月22日朝刊、「『イスラーム国の衝撃』 池内恵著」

見落としていたので追加しました。『読売新聞』でも短評で紹介していただいていました。せっかくですので全文を貼り付けておきます(ウェブには3月3日掲載)。

 日本人2人の殺害で大きな衝撃を与えたイスラム過激派組織「イスラム国」。
 事件発生とほぼ同時期に出版された本書は、その組織原理、思想、メディア戦略や資金源などを解説。「イスラム国」の行動は多くのイスラム教徒の反発を呼ぶ一方、伝統的なイスラム法の根拠に則(のっと)っているため、一定の支持を得る可能性があるとする。また残酷な宣伝映像の背後には綿密な計算や技巧があるという。(文春新書、780円)

『朝日新聞』2015年2月22日、《時代を読むこの3冊》「憎悪の連鎖、絶つために」 (評者・津田大介)

「池上彰本」とのセットで紹介。

『朝日新聞』2015年03月01日朝刊、「イスラーム国の衝撃 [著]池内恵 あおりには分析、渦巻く情報整理」(評者・荻上チキ)
 
こちらにも転載されているようです)

「ISの成り立ち、思想や主張、広報戦略、戦闘員の実態、過去の活動歴などを、多角的に議論している。読みやすく、それでいて深い。まずは本書を熟読したうえで、セカンドオピニオンとして2冊目を探すのが吉だろう。」

『朝日新聞』のこの書評は、ウェブ空間での1月20日から10日間ぐらいで形成されたコンセンサス(「ほっともっと」論と山形浩生さんの比較紹介で早期に定式化されていますが)を、新聞の紙面に載せたということで、新聞の紙面・論調構成に対して外部有識者の制度が機能した例と見ていいのではないでしょうか。

コメント集(2):「イスラーム国」による日本人人質殺害・脅迫事件

「イスラーム国」問題では、基本的に既存メディアにはコメントを出しませんでしたが、消極的ながらコメントの掲載を許可した場合もあります。許可したメディアの選び方に特に根拠はなく、偶然です。

過去のコメント集の流れで、とにかく記録しておきます。2001年以後の私の論考やコメントは全て保存してあるが、ウェブ上にないのをいいことにデマを流す人が出てくる。防衛策としては、少なくとも存在するものについてはウェブ上に書誌情報だけでも形をとどめておきます。データベース等で確認は可能なはずです。存在しないものに基づいて批判する人については・・・どうしようもない。

過去のコメント集もいくつかここにリンクしておきます。

「イスラーム国」問題コメント4本(昨年の積み残し)2015年1月5日

「コメント集(1):「イスラーム国」による日本人人質殺害・脅迫事件」2015年1月30日

『中日新聞』2015年2月2日、「人道的支援間違っていない」

この記事についてはノーコメント。

『産経新聞』2015年2月4日、「ジハード=聖戦は第2段階 「イスラーム国の衝撃」著者・池内恵東大准教授に聞く」

このあたりから、文化部・学芸部が本の紹介と国際情勢の解説を兼ね合わせた記事を書きに来るようになりました。紙面のこういう使い方には賛成です。セクショナリズムに縛られることはない。

Yomiuri Online 2015年02月04日、「若者はなぜイスラム国を目指すのか…池内恵氏インタビュー」
(池内恵「若者はなぜイスラム国を目指すのか」『読売クオータリー』No.32(2015年冬号)、2015年1月30日発行、62−70頁のYomiuri Onlineへの転載。そのため、読売新聞本紙には掲載されていません)

『読売クオータリー』からの転載記事は、実質上は「イスラーム国」日本人人質事件への解説の意味で掲載されているのでここに挙げておきますが、考えてみればインタビューは昨年11月17日に行われている。日本人人質事件の政治問題化とは関係なく作った記事です。そして、日本人人質事件は「イスラーム国」の解釈をなんら変えるはずはないのです。日本側の行動によって「イスラーム国」の行動や性質が変わったとも考えられない。日本は中東においてほとんど存在感がないのです。ですから、昨年11月に語ったことがそのまま今年1月の事件の背景を説明できなければいけないのは当然であり、それを再録した読売新聞は正しいと思います。

鳩山さんとドパルデュー:係争地への「移住」について

日曜日なんですからちょっとは軽いネタを。軽くないかも。

鳩山さん。「友達の友達が・・・」の人ではなく、最近クリミアに行った元首相の方ですね当然。

ロシアの宣伝放送Russia Todayは、ばっちり、一緒に行った右翼団体の人と並んだ会見を伝えています。

鳩山クリミア訪問
Ex-Japanese PM finds Crimea referendum ‘expressed real will’ of locals, Published time: March 11, 2015 10:37; Edited time: March 11, 2015 13:55

連日、ロシア政府の思い通りのことを言ってくれているのですが・・・

「鳩山元首相「クリミアの人々は自分達をロシアの一部と認識」」『ロシアNow(ロシアの声)』2015年3月11日

「鳩山由紀夫:クリミア生活、百聞は一見に如かず」『ロシアの声 ラジオ』13.03.2015, 14:13

そこで、単なる冗談ネタですが浮上したのが「パスポート取り上げ」の話。例のジャーナリストのパスポート召し上げ問題のせいで出てきた、日本ドメスティックなネタとしての「パスポート取り上げ」なのですが、国際的には日本での議論とは違うところにも焦点が当たります。

注目が集まるのは「パスポート取り上げ」よりも「ロシア移住」、その中でも特に「係争地への移住」です。

「パスポート取り上げ」のネタに敏感に反応した鳩山さんが(←注目されたいだけなんでしょ)「パスポートを取り上げられるならクリミアに移住する」と言ったとか言わないとか報じられています。これ、本人が実際に言ったかどうかわかりません。しかし、ロシア側は、「クリミア移住」と言わせたいだろうな、というのが過去の事例からは想像がつきます。いや、ロシアがどこまで鳩山案件に力を入れているのかが分かりませんが(入れていないと思いますが)、「クリミア移住」と言わされそうだな、ということをロシアのニュースに多少接している人なら思うことです。全てがから騒ぎですが・・・

Former Japanese Prime Minister Won’t Rule Out Moving to Crimea, Sputnik International, 16:38 12.03.2015(updated 16:40 12.03.2015)

「本国で問題を抱えた人がロシアのパスポートをもらって形だけ係争地に『移住』して、ロシアの宣伝に使われる」というのは最近よくあることなのです。おそらくロシア政府内にそういうプロジェクトをやる部署があるのでしょう。

代表例はジェラール・ドパルデュー。

フランスの富裕税が嫌だと言って、2013年1月にロシアに国籍を移しました

日本語で読めるものとしては、こんなものがあります。
「国民的俳優ドパルデュー氏が国籍放棄。個人所得税13%のロシアへ移住?

この話題、西欧社会が現在抱える問題や、西欧社会とロシアの関係、西欧の問題とはまた別のロシアのトホホな実態表している、興味深いものなので紹介したいなあと思いつつ機会がなかったのでここで。西欧諸国での累進課税や租税回避の問題という本筋の話題は別に、ロシア側はこれを「国際的に非難されている紛争・係争地に西欧の有名人を誘致して正統化を図る」という独自のプロジェクトの一環で取り込んだのです。

西欧側では「税金逃れで出て行った」ことが最大の話題になりますが、ロシア側ではもちろん「無料のランチはない」わけでありまして、重要なのは、ロシアのパスポートをもらってから、ロシアのどこかに実際に住民登録をしたり、住んだふりをしてみせたりする場面です。ここでロシアは宣伝に利用するのですね。

ドパルデューはロシア連邦モルドヴィア共和国のサランスクにとりあえず住民登録をしたようなのですが、それだけでなく、チェチェン共和国のグローズヌィにも拠点を置きました。ロシアにとってはここが肝心なようです。空港にはプーチンに任命されたラムザン・カディロフ首長(2004年に父のアハマド・カディロフが暗殺されて跡を継いだ)が出迎え鳴り物入りでドパルデュー歓迎イベントが開催され、グローズヌィ再建の目玉である高層マンションに部屋をあてがわれ、盛大に報じられています。

カディロフがマンションの鍵を手渡したりグローズヌィで映画を撮ると発表したりしています。

ロシアの宣伝メディアでは、日本向けにも若干ですがこの話題を伝えています。英語で見ればもっと詳細に大量に見ることができます。

「ドパルデュー氏 チェチェンで映画を撮影したい」『ロシアの声 ラジオ』2013.02.25 , 18:49

「ドパルデュー氏、グローズヌィの自宅マンションを日本風に」『ロシアの声 ラジオ』2013.06. 6 , 08:16

なぜチェチェンでグローズヌィかというと、それはもちろん、1999年−2009年の第2次チェチェン紛争で、大弾圧を行って焼け野原にしたグローズヌィの再建というロシア政府のプロジェクトが「うまくいっている」と主張したいからです。

チェチェン紛争についての簡潔な入門としては例えばこれ

グローズヌィ再建プロジェクトの目玉は超高層マンションと、ヨーロッパ最大とかいうアハマド・カディロフ・モスクです。「ロシアはイスラーム教を支援しています!」という宣伝ですね。

なお、「アハマド・カディロフ」とはラムザン・カディロフのお父さんの名前です。ドパルデューの歓待シーンの写真にも写り込んでいますね。もちろん意図してやっているのでしょう。

また、超高層マンションの方は、2013年4月に火災で焼けてしまいました。ドパルデューのマンションか?と話題になりましたが、隣接する別のマンションに部屋を持っているとのことです。チェチェンの「復興」騒動は何かといわくつきです。

実態は、箱物だけ作っても、あまりに統治がひどいので、チェチェン人はどんどん難民として流出していると言われています

チェチェン首長のカディロフ親子というのは、要するにチェチェンの暴力団の親玉を、住民を暴力で押さえ込む親ロシア派の頭目として任命しているわけです。

反プーチンの政治家ネムツォフ氏が暗殺された事件でも、ロシア当局が逮捕した「犯人」はチェチェン人でカディロフの元取り巻きとのことで、いかにも怪しい。チェチェン問題には、ロシアの怖いところが全部詰まっていて、ロシア人も触れたがらない。

グローズヌィ中心部の何本かのタワー・マンションとアハマド・カディロフ・モスクからなる風景は、内戦と弾圧、それを覆い隠す宣伝キャンペーンを表す不吉なものとして国際社会では見られていることを、知っておいた方がいいでしょう。

2013年はロシアにとって、チェチェン・グローズヌィの「復興」を国際的に宣伝する年だったのですね。そこで、税金逃れ亡命者もチェチェンに振り分けた。

2015年は今度はクリミアの編入既成事実化の宣伝が重点項目で、そこに引っかかったのが鳩山さんだということです。2013年だったらチェチェンに行かされていたかもしれないですね。この映像のドパルデューを鳩山さんに入れ替えて想像してみましょう。

シャルリー・エブド紙は、ウクライナ問題が勃発すると、即座に「プーチンがドパルデューをウクライナに派遣」という風刺画を掲載しています

Charlie Hebdoドパルデューウクライナへ
(5 Mars 2014, No 1133)

酔っ払っているのでウクライナ側が「化学兵器反対!」と叫んでいます。描いたのは、襲撃を辛くも逃れ、再開号の表紙にむせび泣く「ムハンマド」を描いたLuzですね。

フランスの風刺画を上から目線で云々する前に、まずこの程度の政治感覚を持った風刺画家を日本も持てるようになるべきでしょう。風刺画以前に、文章や発話でも意味のある批判ができていないのですから、難かしいですかね。

なお2013年に、ロシアのメディアは「お上」から「チェチェン・グローズヌィの復興を宣伝しろ」ときびしーくお達しを受けているのだろうな、ということに気づかされた面白いニュースを思い出したので記録しておきたい。

2013年9月のサンクトペテルブルクでのG20サミットの時でした。サミットの話題はシリア問題をどうするか、イラン核問題をどうするかで、いずれもロシアが深く関わっており、解決策というよりも問題の一部と言えるので、それらについてのプーチンの発言が注目されました。私もプーチンの記者会見に注目していたのですが、質問の一番に指名されたロシアの記者は国際社会の注目を一切スルーして、こんなこと聞きました。

Vladimir Putin’s news conference following the G20 Summit, September 6, 2013, 17:00

QUESTION: Mr Putin, with your comprehensive support and thanks to the efforts of Ramzan Kadyrov towns and villages, as well as the social sphere, have been restored in the Chechen Republic. However, there’s the issue of industry and job creation. This is an important issue.

As you are aware, the oil industry is the flagship industry of the Chechen Republic. We know that Rosneft hinders the construction of oil refineries. As President, can you facilitate restoring industry and building refineries? This is my first question.

The second question, if I may. It’s a little off topic, but I take this opportunity to …

VLADIMIR PUTIN: Do you believe the first one was on topic?

QUESTION: Yes. Unemployment and the economy… The second question is a personal request for you, Mr Putin. You are aware that during World War II the battle for the Caucasus, primarily for Grozny, was fought. Grozny along with Baku supplied raw materials. Grozny residents, along with the other peoples of Russia, fought on the fronts. All these years we were hoping that Grozny would be designated a City of Military Glory, but so far in vain.

Here’s my request and question. Mr Putin, could you please have Grozny considered in an impartial manner as a candidate to receive the honorific title of City of Military Glory. Thank you.

「プーチン様の全面的サポートのもとカディロフがチェチェンの都市と村を復興させましたが次は産業復興ですよね?」とか「ロシアの栄光の戦いの中でのグローズヌィの位置が際立っているから軍の栄光の都市に認定したらいかがでしょうとか」、質問にすらなっていない。プーチンの意を汲んで、汲みすぎて「そんなことサミットの話題になったと思ってんのかお前?(VLADIMIR PUTIN: Do you believe the first one was on topic?)」とプーチンにたしなめられたりして、というお約束のやりとりです。

こういうのを翼賛メディアというのです。さすがに、日本にはこんなメディアはありません。翼賛とか独裁とはここまでやるものなのです。自由な社会で安易に他人に「独裁」「ナチス」といったレッテル張りをしている人は、本当に自由がない状態を知らない。そういう人は実に簡単に、「大義」を振りかざして独裁者のもとに、こけつまろびつ殺到します。誰がそういう軽率であるがゆえに本当に怖い人なのか、よーく見きわめておく必要があります。

もうどうでもいいことですが、ロシアの宣伝メディアが英語で発信した鳩山ネタを貼り付けておきます。

Former Japanese PM Says Crimea Referendum ‘Expressed Will of Its People’, 15:41 11.03.2015(updated 17:27 11.03.2015)

Japan Should Recognize Crimean Referendum, Lift Russian Sanctions – Ex-PM, 04:52 12.03.2015(updated 08:58 12.03.2015)

Picture Worth A Thousand Words: Ex-PM Wants More Japanese to See Crimea, 15:32 13.03.2015(updated 17:34 13.03.2015)

「スプートニク」というメディアは、MIA(国際通信社)の「ロシア・トゥデイ(今日のロシア)」の設立した「国外向けの新しいメディア・プロジェクト」だそうです。ロシアにはとにかくいっぱいプロパガンダ・メディアがあります。内容は同工異曲。ロシア発の陰謀論を信じる日本の人もウェブ上には多くいらっしゃるが、やめたほうがいいです。さすがロシア文学の国ですから質も高いですし面白いですので、ネタとして享受するだけにしましょう。ペーソスや諧謔という言葉の意味を知るためにもいいかも。ロシアのプロパガンダ・メディアの諧謔っていうのは、これを読んで信じちゃう人を揶揄い、さらにそんなことを生計の活計(たつき)にしている自分自身を哀れむといったような要素も含むものです。ロシアって深いなあ。

「ロシアの新メディア「スプートニク」」『ロシアの声』2014年11月17日

スタジオジブリ『熱風』3月号にエルサレムの宗教政治地理について

スタジオジブリ出版部の『熱風』3月号に寄稿しました。テーマはエルサレムの神殿の丘の地理に見る、宗教と政治権力の関係について。

池内恵「エルサレム「神殿の丘」の宗教と権力」『熱風』2015年3月号(3月10日発行)、26−32頁

『熱風』スタジオジブリ20145年3月号表紙

出版社のPR誌という、一般にはあまり知られていない格安の媒体があって、私はそれについては熟知していたつもりだったのが、スタジオジブリ出版部にもあるとは知らなかったので、動揺して引き受けてしまいました。出版社PR誌のまとめサイトとか誰か作ってくれないか。

これについて、3月10日にフェイスブックで通知していましたので再録します。またまた体調のお知らせから始まります。

慣らし運転でそろりと社会復帰。報告で怪気炎上げているように見えても、実はすごくセーブしております。本日も早々と店じまいです。

というわけで郵便物も見ていないので現物を手にしていないのだが、すでに出ているはず。

今回寄稿した雑誌の発行元はスタジオジブリ。

もう一度。

スタジオジブリ。
 
スタジオジブリには出版部があって(←初めて知ったが、まああるはずだよな、関連出版物を出すのだから)、そこが普通の出版社のようにPR誌を出している。『熱風』というのだそうだ。

出版社のPR誌というのはB5判の決まったフォーマットがあって、各社がほぼ無料で出している。大手書店に行くともらえます。定期購読して送ってもらっても送料より安いのではという価格。新刊書の広告だけでなくいろいろ力の入った特集をやっている。

その『熱風』3月号の特集が「エルサレム」なのである。

この企画を聞いたときに、「あなたの会社の作品の世界観にはエルサレムを理解できる要素は1ミリもありませんが・・・・」

と問い返したくなったが、なんだかすごく乗り気なのである。今こそエルサレムを問わなければならないという話なのだ。原始共産制とアニミズムだけでは語れない世界がある!と気づいたということか(←偏見ならすみません)。

それなら一大事なので、忙しいのに引き受けてしまった。こういったものも体調を崩した遠因の一つかもしれない。

エルサレム旧市街、特に「神殿の丘」の構造と歴史に刻み込まれた宗教的な権力関係について、概説しました。こういう話は、意外にする機会がない。本当は一番重要なところなんだけれども。

「シャルリ・エブド事件を考える」(『ふらんす』特別編集)に寄稿しました

1月7日のシャルリ・エブド紙襲撃殺害事件に関して、白水社から刊行された論集に寄稿しました。

私の寄稿したものは、ブログ・ウェブ等の議論の再録ではなく、一連の議論を振り返ってどこに思想的・知識社会学的課題があるかについての論考です。自由な社会を形成し維持するための基本的な知的姿勢について、考えるところを書いています。

雑誌『ふらんす』の特別編集という名目で軽装版ですが、書籍です。

池内恵「自由をめぐる二つの公準」鹿島 茂、関口 涼子、堀 茂樹 編『シャルリ・エブド事件を考える ふらんす特別編集』2015年3月刊、130−133頁

この論集については、今は時間がありませんが、いつか論じることがあるかもしれません。

検証委員会への外部有識者としての参画について:「イスラーム国」による日本人人質殺害事件

本日11時の官房長官記者会見に合わせて公表されたように「イスラーム国」による日本人人質事件に関する検証委員会に有識者メンバーとして参加することになりました(他のメンバーは、長有紀枝・立教大教授▽小島俊郎・共同通信デジタル執行役員▽田中浩一郎・日本エネルギー経済研究所中東研究センター長▽宮家邦彦・立命館大客員教授)。

 この問題が日本国内の政治対立の中で大きな政治問題となったことから、一定の注目を集めており、報じられているようです。

「「イスラム国」人質事件検証委の有識者選定」『日本経済新聞』(2015/3/12 12:05)

「政府、IS邦人人質事件検証委の有識者メンバー発表」『朝日新聞』(2015年3月12日12時27分)

「人質事件検証、有識者に池内氏ら」時事通信(2015/03/12-13:18)

ロイター「イスラム国事件の検証委、有識者に中東専門家ら5人=菅官房長官」(2015年 03月 12日 14:03 JST)

 この有識者メンバーの性質について「菅長官は、政府対応全般について意見を聴取するため、守秘義務のかかる非常勤の国家公務員として発令したと説明」という部分が、行政・行政学を知る人からは、「これまでの外部委員に対するよりも多くの情報が開示され、踏み込んだ検証が可能になる」と受け止められ、逆にこの問題を政府批判案件として受け止めている人からは「秘密にしてごまかすつもりだな」と受け止められるものと思われます。

 私は、やり方次第でどちらにもなりうると思っています。
 
 外部の委員にも守秘義務を課さなければ、役所側が重要な資料を見せることはない、ということは事実と思います。ただし、役所は基本的に何にでも秘密の判子を押します。本当に秘密にする必要があるから押している場合もありますが、大部分は、押さないで外に漏れて責任を問われるのが嫌だから担当者が機械的に押しているだけと思われます。ただ、秘密の判子を押しても平気で漏れている情報は多くあるので、秘密と判子を押しておけば流出しても、「なぜこんな重要な書類を秘密にしなかったんだ」と怒られないから押す、という本末転倒になっている場合が多いと思います。
 そもそもこの有識者メンバーの就任についても、打診の際に「本人限りで」(「秘密」と明確に文書で示されたわけではありませんが)と言われていましたが、あっという間に報道されていました。そもそも形式的とはいえ兼職する形になるので職場に言わないわけにはいきませんから、本人限りにはなり得ません。私のところにも取材がきていましたが、本を書いていてものすごく忙しいのと、どうせ公開されるのだからと放っておいたところ、私と宮家氏以外のメンバーの名前がNHKで早い時期に報じられていた記憶があります。正式に辞令をもらっていない人事については肯定も否定もしないというのは、一般常識としてあると思います。同時にその任命や役割に政治的な意味があるのであれば報じる意味があります。本人に対しては「しゃべらないで」と言っておきながら、政府内の人がメディアにしゃべっているのですから「しょうがないなあ」とは思いますが、そんなものでいいと思います(検証委員会の有識者メンバーの名前すら秘密になったら検証になりません)。

 もし国家公務員としての守秘義務の範囲を拡大解釈すると、今後私がこの問題について一切発言しないということにすらなりかねません。「見てしまったものは消せない」という問題ですね。しかし国家公務員法の原則と、前提となる法秩序の原則に照らせば、検証委員会から提示された明示的に秘密情報とされる情報以外を用いて、今後も議論していくことになんら不自由はありません。
 
 なお、この守秘義務はすべての国家公務員に過去からかかっているものに過ぎず、私の言論活動を制約するものではありません(法人化される前の国立大学教員も国家公務員でしたし、政府の委員会に任命されればそこで職業上知り得た秘密に関する守秘義務はかかっていました)。
 
 私は先端研に移った頃から、専門のイスラーム政治思想の研究と並行して「副専攻」(「裏専攻」?)のように、日本の中東との関係について、官庁や企業の資料やオーラル・ヒストリー資料を用いて共同研究をしてきました。役所による危機対応の事例を、それこそ「秘密」とぺたぺた押された資料を大量に用いて研究したこともあり、緊急時の情報収集のモードや手段について、ある程度の勘はあります。そういった知見も動員して、対応する日本政府の側で何が起こっていたのか、そして何が行われなかったのかを、役所内部ではやりにくい、政治的な意思決定の問題として論点化して検証することができれば、今後の政策意思決定のために有益な作業となるのではないでしょうか。
 
 もっとも、今回の任命された有識者メンバーは、すでに2月10日に発足して動いている政府内の検証委員会に、後から参与する形です。私が役所内で現資料を探せるわけでもなく、出てこない資料を出させる強制的な権限はないため、「検証作業の検証・チェック」という役割にとどまるのではないかと予想しています。その役割でもかなりのことができます。しかし何もかもはできません。
 
 いわゆる「特定秘密」に該当するものが有識者メンバーに開示されるかどうかは、分かりません。特定秘密というものは「政府内でも見せられる人と見せられない人がいる」という性質のものなので(特に外国政府からそのような条件で伝えられた情報には厳しく開示範囲が付けられていると思います)、外部委員には見せないという可能性はあると思います。そうなると、重要でかつ開示されなかったものがあるかどうかは、研究者の勘で判断するしかありません。
 また、役所の習性として、秘密とは思えないものにも様々な段階の「秘密」の判子を押してしまって、押してしまった後では一枚一枚見て解除するしくみや人員がないので、外に出せなくなる、ということがあります。そういう書類が誰にもどうしようもなくなって、邪魔なので廃棄されながら、うっかり流出した、とみられるものを、まとめて見たことがありますが、政府として秘密にしなければならないものとは思えませんでした。関わった特定の人がバツの悪い思いをする(政策的な意味ではなく、キャラクターがにじみ出ていたりするという問題)という程度のものでも、一旦秘密にすると、解除できないのです。

 検証に関するもっと本質的な問題は、人質略取や脅迫は日本政府が主導して引き起こすものではないので、「作為」において検証する部分だけでは完全ではないということです。外から作り出された状況に対して行った「作為」とともに、「不作為」も検証の対象として、それが日本の政策としてふさわしいのか否か、今後同様の事態にどの程度作為を行うべきかは、今回の事例を踏まえて問題点を洗い出し、選択肢を示して、国民が判断するべき問題と思います。ただ、不作為の証拠は明確なものがあることは稀であるため、どこまで検証できるかは分かりません。

 ただし、これらは、普段、行政資料を用いて研究をする場合に直面する困難と、本質的には同じと思います。経験上は、役所内の「秘密」の大部分は、公開情報に基づいて得られた公知の事実に基づいて推測可能と考えています。ですので、重要なのは「公知の事実」の水準を高めることでしょう。その意味で、私個人は、検証委員会への参画を、私自身が人質事件をめぐる議論を行っていく上で、認識を左右するような、あるいは阻害するような出来事とは考えておらず、(あえて言えば)さほど大きな出来事とはとらえていません。問題は、非常に忙しいのに一層時間がなくなるということでしょうか・・・

『中央公論』4月号の鼎談で「イスラーム国」問題が米欧と国際秩序に及ぼす影響を

『中央公論』4月号(3月10日発売)に鼎談「『イスラム国』が映し出した欧州普遍主義の終焉」が掲載されています。

夥しい数の「「イスラム国」とテロ」的な特集が(ピケティ特集と並んで)、各紙で行われていますが、この鼎談では、編集部の当初の意図がどうだったのかは知りませんが、それらとは違う次元で考えています。国際秩序を形成する理念と実効性を提供してきた二つの極であるアメリカと西欧、およびそれらが近代世界に示してきた国際秩序は、「イスラーム国」の台頭によってどのような挑戦を受けているのか。国際秩序は今後どう変わるのか。まだ見えない未来を見ようとしています。

「イスラーム国」の「衝撃」とは結局、国際秩序に対する理念的な挑戦なのだろうと思います。私が時差ぼけでくらっとしたりしていて迷惑をかけましたが、貴重な機会となりました。

ピケティに対するまとまった批判的検討の特集も、必要なものと思います。明らかに、日本の「格差」とアメリカとは異なり、西欧とも異なります。そして数で言えば世界の大多数をしめる途上国とも異なります。

読売新聞の電子版では『中央公論』のピケティ検証特集のうち、森口千晶・大竹文雄対談を取り上げ、日本の場合は、年収750万~580万円という(米国で言えば感覚的には「中の中」ぐらい)の収入層が、所得上位5~10%に相当することを示し、この層は実際には増えているという根拠から、ピケティの議論を表面的に日本に当てはめることはできず、ピケティの処方箋も日本では有効でないという可能性を示しています。これは頷ける議論です。

「日本「年収580万円以上」増加…米と構造違う」Yomiuri Online 2015年3月10日

もちろん、日本にも(メディアや扇動論者の無根拠な議論を別にして)、なんらかの「格差」が認識されており、それを支えるなんらかの現実があるのでしょう。格差には絶対的な富や機会に関するものと、格差をめぐる認識とその認識が顕在化する条件に関わるものの、両方あります。

そもそも580万円−750万円の所得層が上位の5−10%の位置にあるということは、欧米と比べて日本の家計がそもそもそんなに豊かではないという基礎的な制約条件でしょう。少なくとも、上位1%が莫大な富をかき集める米国とはかけ離れています。「ほどほどの豊かさを分かち合う」形の分配が上位の収入層にはあると言えるのかもしれません。その場合、歴史上のある地点では、「金持ちでもほどほど」「ほどほどの人がけっこういる」ことを社会の多数が是として、将来に自分あるいは自分の子孫がその域に達することができると予想できればそれで「格差」認識は生じなかった可能性もあります。逆に、「上位」に入っている人でも過剰な犠牲を払わないとその経済水準に達することができず、その水準を将来にわたって維持することに大きな不安がある場合は、「中間層の消滅」という、データ的に正確かどうか分からない認識・危機意識も生まれるでしょう。

そして、「ほどほどの」上位10%とは別に、貧困すれすれの下位の収入層がどれだけ増えているかが、「格差」問題で重要になるのは当然です。しかしこれも正確に測定するのは困難ではあります。高齢化が進むと多くの世帯は収入が減りますので、貧困家庭が続出しているように見え兼ねません。

若年層に下位の収入層と「上位」(が何を指すのか通常は明確ではありませんが)との間に、世代を超えて恒久的に移動が不可能な障壁があったり、埋められない文化的な差異があるか生まれている場合は、格差社会、あるいは「階層社会」としての認識が妥当となるでしょう。

もし「上位5−10%」がこの程度の収入層でそれがまあまあ増えており、同時に下位の収入層も増えているのであれば、根本的に、日本は欧米諸国と比べて収入面であまり豊かではないということになるのではないでしょうか。「清貧」と「ジリ貧」の違いは、多くは将来に対する希望の有無やそれによって規定されるパーセプションによります。

日本社会の経済階層構造が「金持ちもタカが知れている、多くがジリ貧」ということになるのであれば、ピケティに託して語られる凡百の格差社会論が漠然と提示する「金持ちから取れ」という話ではなく、別の対策を真剣に考えないといけません。「金持ちから取ってこい」と言っても単に無い袖は触れなかったから取ってこれなかった、ということになり兼ねません。そういえば国の財政では「埋蔵金」なんて話もありましたね。結局なかった。

これまでもみんなで分かち合っていたところ、分かち合うパイが減ってきたので苦しくなった、というだけなのであれば、やはりパイを増やすように努力しないといけないのではないでしょうか。「パイを増やさないでいい」という主張が通れば、日本にそれなりにいる「ほどほどの金持ち」は「清貧」で耐え忍んでデフレスパイラルに逆行し、下位収入層は次第に窮乏する、ということにしかならないでしょう。

格差あるいは階層の実態を見極めないと、適切な対策は取れないでしょう。

「イスラーム国」の問題も同じですね。

その意味で、目次に記されている、田原総一朗×古市憲寿「「イスラム国」とオウムの奇妙な相似」対談には、まだ読んでいませんが、大いなる不安を持って見守っているわけです・・・今雑誌が手元にないし確認する時間もないんだが、単に表面上「若者が・・・」というだけで「似ている」とか言ってないよね?大丈夫だよね?似ているというのであれば、せめて、仏教とイスラーム教のそれぞれの教義の中の政治や暴力についての思想史を確認した上で、オウムあるいは「イスラーム国」へ参加する「若者」はそのどのようなタイプの思想でもってモチベーションにしているかとか、調べてから言っているんだよね?参加する「若者」といってもアラブ諸国からなのか、西欧諸国からなのか、日本からなのか、区別してどれなのかきちんと分節化して議論している?

【訂正 3月13日】
実際に『中央公論』を手に取ってみますと、田原総一朗・古市憲寿対談のタイトルは「草食社会ニッポンの成熟と衰退」でした。「「イスラム国」とオウムの奇妙な相似」は、次の宮台真司論考「「終わりなき日常」が今も続く理由」に付いた副題(?)でした。ウェブの目次を見間違っていました。

読んでみると宮台論考はまさに、「似ている」論のオンパレードでありました。「社会学者」と名乗れば日本のことから類推して世界中の社会を語っていい、という日本のローカル慣行はやめたほうがいいんじゃないの?と思いました。しかしフランスをやっているという社会学者も、実際にはフランスの特定の先生の説を引き写した上で、安易に日本との類推をしていることがシャルリー・エブド紙事件の際の議論で露呈したので、より広く深い日本の知的社会の問題かなと思います。

なお「草食社会ニッポン・・・」の方にもやはり、オウムの話をしながらなし崩しに「「イスラーム国」に参加する若者」という話になり、あれこれ想像して茶飲み話している部分があります。それでも古市氏の「僕は日本人はISILにあまり行かないんじゃないかと思う。」という議論は事実に即していると思います。これは古市氏の議論の流れからは、そうならざるを得ないし、実際にそうなんだが。【付記終わり】

こういったジジ&ジジ殺し対談にも、日本の社会と言論の現状と未来の何かが表出されているとは思う。

それはともかく、最近の中央公論活性化してきていると思うので、是非読んでみてください。

池内恵×中山俊宏×細谷雄一「『イスラム国』が映し出した欧州普遍主義の終焉」『中央公論』2015年4月号(3月10日発売)、92−101頁

中央公論2015年4月号鼎談「イスラム国」拡散するテロ

『週刊エコノミスト』の読書日記(9)は政教分離の思想史

今年の1月以来、リアルタイムの情報発信にはフェイスブック(https://www.facebook.com/satoshi.ikeuchi)を多用していますが、このブログも今後も引き続き活用していきたいと思います。中東に関する記事の断片的な紹介などはフェイスブックの方に回し、ブログでは従来からの情報のストック・データベース構築の場としての意味を一層強めたいと考えています。

次の本の完成のために限界まで執筆作業をしており、なかなかブログにまで手が回りませんが、一旦緩急あれば、公的な発言の定式版はやはりこのブログに掲載することになりそうです。

さて今回はこのブログの基本モードの「最近の寄稿」の記録。

ちょっと連絡が遅れましたが、5号に1回のペースで連載中の『週刊エコノミスト』の「読書日記」も、もう9回目になりました。(連載の立ち上がりから5回目までをまとめた項目はこちら「新書」についてぼやいた回はこちら前回の待鳥聡史『首相政治の制度分析』についてはこちら

『週刊エコノミスト』2015年3月3日号(2月23日発売)表紙

池内恵「日本で理解されない政教分離の思想」『週刊エコノミスト』2015年3月3日号(2月23日発売)、75頁

今回も電子版・Kindle等では読めません。

バックナンバーがなくなって中古になると値が上がりますのでご注意。