書評まとめ(3)『イスラーム国の衝撃』

次の本の詰めが難航して長考に入り、ウェブからしばらく離れて文献読み込みにはまり込んだりしていまして、「ほぼ日」化宣言していたブログ更新も滞っていますが、いくつか『イスラーム国の衝撃』に大きめの書評が出るようになってきたので、紹介します。

(1)『毎日新聞』2015年3月29日、《今週の本棚》「『聖戦』の広がりと変容」(評者 本村凌二(推薦)・岡真里・橋爪大三郎)

『毎日新聞』の書評は、まず推薦者が紹介した上で別の二人が加わって座談するという新趣向です。

(2)『週刊エコノミスト』2015年4月14日号(4月6日発売)、《読書日記》「『イスラム国』を読み解く気鋭学者の”正気”」(評者 渡辺京二)

『週刊エコノミスト』は私も5週に一回寄稿している読書日記欄なので、今回は載っていないと思いつつ開いてみて驚きました。サプライズ書評。

表紙もあげておきましょう。

週刊エコノミスト2015年4月14日号

『イスラーム国の衝撃』は、論壇の既存の議論の枠組み、予想の構図を覆すような形での反響を多くもたらし初めているような気がします。論壇が「立ち位置」ではなく中身で議論するようになる方向づけを出来たなら幸甚です。

ジル・ケペル『中東戦記』を、市場からなくなる前にどうぞ

このブログで紹介しようと思いつつ、自著(翻訳ですが)なので後回しにしてきたこの本。


ジル・ケペル著(池内恵訳注・解説)『中東戦記 ポスト9.11時代への政治的ガイド』(講談社選書メチエ、2011年)

どうやら在庫僅少らしい。もし重版されないと、手に入らなくなりますので、お求めの場合はお早めに。最近売れているので店頭では品薄になって、出版社の在庫もほとんどないらしい。

アマゾンの在庫は切れているようだし、ジュンク堂を検索してみると、見事にほぼ全ての店舗で在庫僅少の△になっている

この本は、編集者との会話の中で、私が提案して私が訳して、詳細な訳注をつけて出したもの。

副題の「政治的ガイドブック」というのは私がつけたもので、原著のフランス語版に、英訳版でついた論考も加えて、さらに訳注を全ページの下に詳細につけて、どこにもない決定版にした。

9・11以後の時代のイスラーム世界の基調となるトレンドを、皮膚感覚でとらえた「フィールド記録文学」とも言える名著です。哲学と社会科学と文学が連続しており、知識人が社会的発言をすることが原則という、アメリカとは異なるフランスからでこそ生まれる作品でしょう。実証性がない!とアメリカの学会では怒られそうですが。

著者はイスラーム主義過激派の研究の先駆者のジル・ケペル。フランスのパリ政治学院の先生です。1981年にエジプトでジハード団がサダト大統領暗殺事件を起こしたその時にまさにエジプトでイスラーム主義過激派の研究をまとめようとしていた。

その後、フランスの郊外問題としてのイスラーム主義の台頭を先駆的に問題視した。世界的なジハードの広がりにも早くから注目して大著を現していた。典型的なヴィジョナリーです。

そのまま訳すと、中東の社会に触れたことのない日本の読者にはわからない部分が多いかと思って、訳注それ自体を、中東の政治・社会・文化のガイドブックのつもりで詳細に書いておきました。あと、文中の地図はすべて私が講談社の編集者を泣かせながら作ったものです。

この本の価値は時間が経っても変わらないと思うけど、今時の出版社がちょっとずつしか売れない本を持ちこたえられるかわからないから、市場からなくなる前にどうぞ。

外務省の海外安全情報の読み方ーーリスクを測る・基礎編(付録:ケニア・ガリッサの危険度)

シリアで人質に取られ殺害された二人の日本人の事件に際しては、「危険な地域になぜいった」「危険な地域に入ろうとする人を止める方法はないのか」といった問題が浮上しましたが、3月18日のチュニジア・チュニスのテロでは、比較的安全とされている地域に世界中の観光客と一緒にツアーで行ったら銃撃されて殺害された、という事態でしたので、「どこへ行ったら安全なのか」「どうやって危険を察知したらいいのか」という問題に関心が及び始めています。

個人の観光客のレベルでも、海外でのリスクをどう測り、身を守るかが、グローバル・ジハードをはじめとしたテロの拡散により、大きな課題となっています。

今日は基礎的な情報源として、外務省が発信している、安全(危険)情報の読み方を、記しておきます。完全・十分とは言えないですし、これだけでリスクをなくすことができるわけではないですが、これを見ておくことは、最低限必要な情報を入手するための手がかりとなります。

この記事のアップロードに合わせて「リスク」のカテゴリを新設しました。今後、私の目に付いたリスク情報を発信したり、リスク情報を個人や組織が読み解く手がかりや関連書籍などについて掲載する予定です。

【この項目は本来、4月3日朝に自動アップロードするために事前に書いて設定してありました。当初は北アフリカの事例を素材にしていましたが、4月2日にケニア東部ガリッサでシャバーブとみられる組織が大学を襲撃し死傷者が多く出ているため、ケニアの事例を加えました】

まず「外務省海外安全ホームページ」のトップページを見てみましょう。

http://www.anzen.mofa.go.jp/

「中東」や「アフリカ(北部)」といった地域ごとに分かれています。


地図をクリックして、「アフリカ(北部)の地域渡航情報」を表示してみましょう。

http://www2.anzen.mofa.go.jp/info/pcareahazardinfo.asp?id=14


例えば、3月18日のバルドー博物館のテロがあった「チュニジア」をクリックしてみましょう。 

http://www2.anzen.mofa.go.jp/info/pcinfectionspothazardinfo.asp?id=113#ad-image-0

そうすると、このような地図が出てきます。

チュニジア危険情報地図(小・広域地図ボタン付き)

この地図をクリックすると、拡大した地図が別ウィンドウで立ち上がり、各県・地域の危険度を詳細に見ることができます。

使い方のポイントを記しておきましょう。

1.基本は各国別に表示されている

→県や地域による危険度の違い・グラデーションに注意しよう。

国によっては、非常に細やかに、危険度が高い地帯とそうでもない地帯を塗り分けてくれていることがあります。かなり正確で、根拠があるものです。

→ただし、国境を越えた、複数の国にまたがる脅威の所在が見えにくいきらいがある。

注意すべきなのは、基本は国ごとに危険度が指定されているため、グローバル・ジハードのように国を超えて組織や人が離合集散する脅威については、見えにくいことです。

ある程度広範囲に見る方法はあります。例えば、世界地図→「中東」あるいは「アフリカ(北側)」などの地域単位の地図に進んだところで、地図の中の「危険度表示」をクリックしてみましょう。そうすると、すべての国の危険度が色分けされるので、相対的にどのあたりが危険か、感覚的にある程度わかってきます。

また、各国の地図を表示させた最初の地図の下にある、「広域地図表示」のボタンをクリックしてみましょう。再びチュニジアの地図を見ると、下にありますね。

チュニジア危険情報地図(小・広域地図ボタン付き)

下のボタンをクリックする。

そこでは隣国のリビアやアルジェリアの国境付近が表示されます。拡大したり動かしたりできます。そこで「周辺国危険度情報」のボタンをクリックしましょう。

そうすると、このように、国境の向こう側の隣国の危険度も表示されます。そうすると国境のこちら側に波及してくる事態も、ある程度推測できます。

チュニジア広域危険情報

しかしそれでも、基本は国ごとに色分けしてあるので、限界があります。

例えば、モロッコは全面が黄色の第1段階「十分注意してください」です。しかし隣国のアルジェリアとの国境を越えると、ちょっと赤っぽい第2段階の「渡航の是非を検討してください」になります(アルジェリア南部では第3段階の「渡航の延期をお勧めします」になります)。

モロッコ広域危険情報

私はこのモロッコの危険情報が間違っていると言いたいのではないのですが、素人考えでも、国境のこちら側は一体が安全で、国境を越えると突然一面に危険になる、ということがあるのか、疑問が出てきます。

もちろん、原則的には国ごとに分けるべきでしょう。ある場所の危険度は、その国の中央政府がどれだけ国土の隅々まで管理しているか否かにかかっていることが多いですから、中央政府が安定している国は、隅々まで安定していると考えられます。隣国の中央政府が不安定・弱体化していれば、ほんの数キロ離れた国境の向こう側では突然危険度が高くなる、ということもありえます。

しかし、中央政府が安定している国でも、隣国が極めて不安定だと、国境付近や、地理的な要因から中央政府の管轄が及びにくい地域において、部分的に治安が悪化する可能性があります。均質に一つの国の中が安全だとか危険だとか言うことができない状況が生まれてきています。

外務省の海外安全情報でも、可能な限り一国内の危険度にもグラデーションをつけている場合があります。県単位で、あるいは地域単位で塗り分けている場合があります。アルジェリアの北部と南部、さらに国境地帯での、危険度の違いなどです。

チュニジアはもっとも細やかに危険度に差をつけていて、これはかなり精度が高いといえます。ただし、3月18日の事件が首都チュニスで起こったということを除けば。チュニスは事件が起こるまで、危険度1の「十分注意してください」でした。これが事件後に危険度2に引き上げられました。

さて、4月2日に、ケニア東部のガリッサで、大学に武装集団が押し入って銃を乱射し、多くの死傷者を出す事件が発生しました

この機会に、ケニアの安全(危険)情報を見てみましょう。ケニアのページを見ると、「危険情報」のところに目立つように文書がリンクされており、クリックすると地図付きで文書が表示されます。地図を拡大して、「周辺国危険情報」もクリックしてみると、このようになります。

ケニア広域危険情報

危険情報を読みますと、東部のソマリアとの国境地帯、ダダーブ難民キャンプ、そしてガリッサに、最高レベルの赤色で塗られる、「退避勧告」が出されていることが分かります。地図にも明確にこれが示されています。

●ソマリアとの国境地帯、北東地域ダダーブ難民キャンプ周辺地域及び北東地域ガリッサ郡ガリッサ
 :「退避を勧告します。渡航を延期してください。」(継続)

また、国境地帯を含む各県には、上から二番目の「渡航の延期をお勧めします」の危険情報が出されています。

●北東地域ワジア郡、ガリッサ郡(ダダーブ難民キャンプ周辺地域及びガリッサを除く)及び沿岸地域ラム郡(ソマリアとの国境地帯を除く)
 :「渡航の延期をお勧めします。」(継続)

このように、海外に行くときは、旅程表に含まれる国とその地域にどの程度の危険情報が発せられているか、確認しておくといいでしょう。

2.広域情報を読んでみよう

→必ずしも高いレベルの危険情報が出ていない国でも、地域を横断して突発的に危険が及びうることが予想されている場合は、「広域情報」が提供されていることがあります。

各国のページに、地図には描かれてはいませんが文章で、国を横断して生じてくる可能性のある脅威・危険の所在について特記してあります。例えば、モロッコは全土が黄色の第1段階とされていますが、「広域情報」と「スポット情報」で、潜在的・突発的な脅威の存在が特記されています。ここを読んでおくと、一国ごとの危険度の塗り分けを越えた、流動的な危険の所在が見えてきます。

●【広域情報】 2015年03月19日
ISILから帰還した戦闘員によるテロの潜在的脅威に関する注意喚起

◆【スポット情報】 2015年02月03日
モロッコ:テロの脅威に関する注意喚起

→ただしこういった情報は、予備知識がないと何のことかわからないかもしれません。

読み取り方がわからない時、分かる人に聞いてみましょう。大使館・総領事館に聞いてみると、意外に親切に教えてくれる(かもしれない)。

本当はリスク情報をより細やかにして、渡航者が観光客であるか、ビジネスで行くのかなども考慮した上で情報を発信する企業などが育つといいのですが。

3.しばしば事後になってしまうが:渡航情報(危険情報) を読んでみよう

大事件が起きた時などは、渡航情報が特に発せられて、ホームページの上の方の目立つところに載っています。今なら、3月18日のチュニスのテロを受けて、チュニスの危険度が引き上げられたことが、外務省の安全情報のホームページに特に告知されています。

事件の後では遅いではないか、という考え方もあるが、そもそも秘密組織の行動を予測することは困難です。当事者たちが意図を隠すからです。一つ大きな事件が起きた後は便乗犯も出てきますし取り締まりも厳しくなりますから、衝突が連鎖したり反作用が生じたりする。特に注意が必要です。

チュニジアについての渡航情報(危険情報)の発出 (2015年3月19日)

4.大前提として:首都の重要施設、ランドマークはいかなる国でもテロの潜在的対象

→これは外務省としてはおそらく一番書きにくいことだと思うのですが、首都は常に高い確率でテロのターゲットになります。
しかし外務省では安全情報で首都の危険度を上げることは、おそらく躊躇しているでしょう。

首都は通常主要な空港があり、経済活動の多くが行われるため、首都を危険と認定すると多くの交流が途絶えてしまいかねないという事情があります。観光客はどこに行くにしてもまず首都を通ることが一般的です。それが一番便利だからです。相手国政府は首都の危険性を認定されることを非常に嫌いますので、外交関係上も、首都の危険度を引き上げるのは勇気がいります。

また首都は規模が大きいため、テロなどが生じても実際に遭遇する確率は低いとはいえます(ただし、小さい国であらゆるものが首都のある地域に集まっている場合などは、首都で何か事件に巻き込まれる可能性がある)。

実際、チュニジアも首都チュニスの危険度は一番下の「十分注意」に止められていました。それが3月18日のバルドー博物館でのテロを受けて下から2段階目に引き上げられたのです。

ケニアの例でも、見にくいですが、地図を拡大すると、首都ナイロビは現在のチュニス同様、下から2番目(上から3番目)の、「渡航の是非を検討してください」になっています。2013年9月21日にナイロビのショッピング・モール「ウェストゲート」が襲撃された事件があったことなどから、引き上げられているのでしょう。

→そもそも観光客はテロの対象になりやすいということは、厳しい現実ですが、知っておいたほうがいいでしょう。観光名所やランドマークで事件を起こすと国際的な注目が集まるため、テロ実行者にとって効果が大きくなります。海外からの観光客はほぼ必ず丸腰ですから、反撃してくる可能性のない、いわゆる「ソフトターゲット」です。

また、観光客を狙うことで経済的な打撃を与えることによる政治的な効果を目論む勢力が活動を活発化させている国・地域の場合、現地の一般人よりも観光客の方が身に危険が及ぶ可能性が高い場合があります。

これを言ってしまうと、そもそも観光客だからこそ危ないということになってしまいます。観光名所やランドマークに行くからこそ観光になるのであって、それを避けるということになるとなんのために観光に行っているかわからなくなる。この問題には解決策がありません。そもそもそのような不自由を生じさせることがテロの目的なのですから。

(まあ私個人は町の食堂で現地の人と喋りながら新聞を読んでいるだけで観光になる人間なので、一番リスクが低いのですが・・・)。

『週刊エコノミスト』の読書日記(10)不寛容への寛容はあるのかーーキムリッカ『多文化時代の市民権』を読み直す

『週刊エコノミスト』の読書日記の第10回が出ました。

すでに3月30日(月)に発売されています。今回も、電子版には掲載されておりません。

池内恵「不寛容への寛容はありうるか」『週刊エコノミスト』2015年4月7日号(3月30日発売)

取り上げたのは、ウィル・キムリッカ『多文化時代の市民権―マイノリティの権利と自由主義』(角田猛之・山崎康仕・石山 文彦訳、晃洋書房、1998年)です。

自由主義的な社会の中で少数派や移民の固有の文化・価値規範を尊重するためには、同時に、自由主義社会として、受け入れ可能な「異文化」の規範の限界はどこにあるかも示しておかなければならない。「不寛容への寛容」は自由主義社会を掘り崩し、寛容そのものを不可能にする。キムリッカの本を紐解けば、きちんとその部分を書いてある。

誰がどう考えても行き着く結論をとことん考え抜いておくことが政治哲学。

1990年代の英米圏の政治哲学が、いわゆる「フランス現代思想」と大きく異なるのは、言葉遊びではなく、実際に国際社会に生じる問題をどう調整するかという、実践的な問題に取り組んだこと。それは良くも悪くも英米圏が「米による単極支配」の中心に位置し、国際社会に生じてくる問題を最先端で認識し、取り組む主体としての意識を持っていたからだろう。

そのことは、フランスの「現代思想家」の、少なくともそれまで知識人の間の流行の先端にいた人たちが、国力の低下とともに(あるいはマルクス主義の失墜とともに)、世界を主導する責任感を失っていった(要するにスネちゃった)ことと対照的だ。フランスの知識人は普遍主義を掲げながら、反米なら非リベラルな思想も造反有理で歓迎、という方向にしばしば流れてしまう。世界に普遍的に出てくるアンチ・グローバリズムの尻馬に乗ってそこで指導性を発揮しようとするという意味での「普遍性」にしばしば堕している。英米が支える「欧米」の優位な地位にはただ乗りしながら、「反米」で第三世界にもウケようとするところがなんとも嫌な感じである。まあそういうところがイスラーム主義過激派などからも見透かされて、今やアメリカ以上に敵にされてしまっているわけだが・・・

(↑ ちゃんとした思想家もいるんだろうが、日本で紹介されたり振りかざされたりする「フランス現代思想家」はえらく頼りない人達ばっかりだぞ。もっと頼れる人たちをどんどん紹介してください)

キムリッカの次作の『土着語の政治: ナショナリズム・多文化主義・シティズンシップ』(岡崎晴輝・施光恒・竹島博之監訳・栗田佳泰・森敦嗣・白川俊介訳、法政大学出版局、2012年)も検討した。

しかし、カナダの事例が基礎になるので話が高度すぎるので、他の国について考えるときにはあまり参考にならない。カナダの場合、欧米系の複数の文化・言語集団が土着(先住民の問題をよそにおけば)の多数派と少数派として存在している上に、さらに新たに多様な民族・宗教的背景の移民を受け入れている。欧米系のホスト社会の中の多数派と少数派の間の関係をめぐる問題を検討した上で、多数派と少数派の両方のナショナリズムの存立しうる余地を検討した上で、新たな移民のナショナリズムをどうするか、といったカナダなどに固有の複雑な話になっているので、汎用性は『多文化時代の市民権』の方が高いと判断して、昔の本を書評しました。

【年度が変わっても連載は継続のようです。11回目以降もご期待ください】

イエメン・奇跡の風景

まったくブログに何か書く時間的余裕がありませんので、最近フェイスブック等でもよくお知らせしているイエメンについて。

政治情勢さえああでなければ、イエメンは非常に美しいところなんですよね。よそでは見られない絶景の宝庫。それも自然・風土に人間が長い年月をかけて手を加えてできた、究極の文明の遺産。アラブ人の精神的な故地とも言えます。

そんなイエメンの風景写真を、例えばこのようなウェブサイトからどうぞ。

Colin Daileda, The breathtaking beauty of Yemen, a war-torn land, Mashable.

The Secret Cities of Yemen
, Kuriositas

イエメン情勢を現場から解読するドキュメンタリー

イエメンの情勢を現場から、かつ政治対立の構造を見事に可視化してくれるドキュメンタリーが、BBCのホームページで公開された。

The Rise of the Houthis

これはすごい。

2014年9月に首都サヌアを制圧してから3ヶ月の間の変化を記録しており、一つ一つの画面や登場人物から目を離せない。

取材・構成はサファー・アハマド(Safa Al-Ahmad)。BBCアラビックの記者で、急速に注目される女性である。サファーはその前に作った、サウジ東部州のシーア派の反政府運動を扱った Saudi’s Secret Uprising で高い評価を受けたところだった。

しかし、すでにイエメンのフーシー派の首都制圧、南部進出でドキュメンタリーを用意していたとは

サファーはフーシー派に密着しつつ、「アラビア半島のアル=カーイダ」制圧地にもカメラを入れる(ここは女性のサファーは受け入れてくれないようで、クルーだけが行っている)。

取材・撮影のための仲介者になってくれているのが、ムハンマド・アブドルマリク・ムタワッキルというのも、分かる人には分かる、すごい伝手。

ムタワッキルはサヌア大学の教授も務めた政治学者だが、預言者ムハンマドの血を引くサイイドの家系とされる名家の出身で、かつ政治家として知られる。野党を幅広く結集させたJoint Meeting Parties の主要人物で、欧米型市民社会活動の組織から、イスラーム主義のイスラーハ党まで顔が効く、イエメン政治のまとめ役の一人だった。

このムタワッキルが、取材の間に暗殺されてしまう。

この事件自体が、イエメンの政治共同体が崩壊していく過程の重要な局面だった。そんな人の家に住まわせてもらって取材しているわけで、それはBBCにはかなわない、と思うしかない。

フーシー派は最初は「革命」だといって汚職追及などをしていたが、あっという間にモスクをザイド派に変えたり、敵対するとみたものを「アメリカ、イスラエル、アル=カーイダ、イスラーム国」のいずれかあるいは全てであるとレッテルを貼って弾圧するようにある。にこやかに、信仰に満ち溢れた顔で、敵を「テロリストでCIA」と呼ばわるフーシー派の、カルト的な話の通じなさがよく伝わってくる。しかしやることはどんどん荒っぽくなってくるので、部族地帯では武装してアル=カーイダに接近する動きが進む。

どうしようもなく混乱したところでサウジアラビアの介入が入ったが、一層火に油を注ぐ結果にもなりかねない。

他方で、アル=カーイダがイエメン南部や東部で、外来のテロ集団というよりも、部族勢力に根深く浸透している様子が描かれる。

これについては2012年の詳細なドキュメンタリーが活字になっているので、熟読すると色々伝わってくる。

1990年代後半から、2001年の9・11事件を経て、南部や東部で「アラビア半島のアル=カーイダ(AQAP)」やその別働隊とみられるアンサール・シャリーアがなぜ浸透・台頭してしまったのか、アメリカの公共放送PBSが歴代の米の駐イエメン大使や、代表的な研究者に徹底的に聞いている。漠然とした「印象」ではなくて、実務家の当事者の証言であり、有能な分析者の分析であるので、非常に有益である。
Understanding Yemen’s Al Qaeda Threat, May 29, PBS, 2012.

1998年頃、イエメン政府は米国に、アル=カーイダが浸透しているから、車とか無線とか支援して、といってきたが断った、という米国の元駐イエメン大使。

当時安全保障上はあまり重視されていなかった国に送られた、いかにもリベラルな大使なのですね。この人の在任中に、米駆逐艦コールへのテロも起こる。これが9・11への先触れとなったが、気づけなかった。

9・11の時ちょうど大使は帰任していた。

ここで新しい大使として送り込まれたのが、うって変わって対テロ専門家、というのがいかにもアメリカですが・・・・

サーレハ大統領をどやしつけてアル=カーイダ掃討作戦をやらせた。

しかしアル=カーイダも組織の性質が変わって、結局根絶できなかった。この辺りは拙著『イスラーム国の衝撃』をどうぞ。

最新のイエメン情勢の解説は、下記の記事が最もいいと思う。

Laurent Bonnefoy, “Yemen’s ‘great game’ is not black and white,” al-Araby al-Jadeed, 27 March, 2015.

「国際報道2015」の特集で『イスラーム国の衝撃』の「その後」を見ていきましょう

【『イスラーム国の衝撃』のサポートページ(http://ikeuchisatoshi.com/『イスラーム国の衝撃』/)】

昨日は『イスラーム国の衝撃』の脱稿・刊行以後の事象を、この本をどの部分を手掛かりに読み解いていけばいいのか、ガイドラインを示しておきましたが、そもそも、生じてくる事象についてどのようなメディアを通じて知ればいいのかがわからない、という人もいるでしょう。

私自身のフェイスブックのアカウントから、時折、現地のメディアや国際メディアの有力・興味深い記事をシェアしていることがありますが、外国語であったり、具体的な事象そのものについての記事であったりして、事情を知らないとよくわからないということもあるかもしれません。

グローバル・ジハードのその後の展開や、中東の政治変動の現状について、日本語で情報を得るには、NHK-BS1を見るのが一番でしょう。

以前に、NHK-BS1 が提供している、諸外国の放送の主要なニュースのクリッピング番組の重要性については書いたことがあります。

「実はNHKBS1はすごいインテリジェンス情報の塊」(2014/04/08)

ただしこれらのニュースも毎日の生のニュースが翻訳をつけて提供されるものなので、慣れていない人には一つ一つのニュースの意味を読み取ることが難しいかもしれません。

その点で、夜10時からの「国際報道2015」では、世界各局からのクリッピングを踏まえつつ、NHKの海外支局を動員して、日本の視聴者にもわかるように問題設定をした特集を、平日毎日放送しています。まずはこれを見ていくといいでしょう。

「イスラーム国」の台頭以降は、多くの特集が関連するテーマを追っています。

これらの報道は必ずしも私の示した理論的枠組みや概念を踏まえているものではありませんが、事件報道や特集のための取材を繰り返すうちに、徐々に理解も深まり、収斂してきているようにも感じられます。

最近の特集を見ても、「イスラーム国」のアフガニスタンやイエメンに地理的に連続せずに飛び火する可能性を、具体的な各国情勢の展開の中で位置づけるなど、民放や地上波では期待できない高度な報道がなされています。

2015年3月25日(水) アフガニスタン 忍び寄るIS ガニ大統領訪米の背景

2015年3月26日(木) 混迷イエメン 「第2のシリア」への危機

『イスラーム国の衝撃』を書き終えて以降の「国際報道2015」の特集のうち、グローバル・ジハードやアラブ政治・中東国際政治の変動に関する特集の目に付いたものを下記にリンクしておきましょう。

昨年12月にチュニジアの義勇兵送り出しの問題を取り上げ帰還兵問題に触れているなど、中東・イスラーム世界についての国際的な報道・議論の最先端の水準を目指して検討していると評価できます。

特集のホームページをさかのぼってみると、昨年「イスラーム国」が台頭した直後の数ヶ月は、なかなか「イスラーム国」を生む中東政治そのものや、グローバル・ジハードの現象そのものに迫ることができず、周辺部分の、たとえば欧米の白人社会の中からの改宗・過激化した少数の若者の出現など、「欧米の変わった事象のニュース」としての部分に焦点が当てられるきらいがありましたが、「イスラーム国」の現象に総力で取り組むことで、理解が深まり、結果として番組の水準が高まりつつあると思います。

「国際報道2015」のホームページでは、過去の放送そのものは見ることができませんが、番組のナレーションのトランスクリプトを読むことができ、主要な場面を静止画像で見ることができます(私は自動録画しておいて、興味のある特集のところだけまとめて見ています)。

こういった特集を、ウェブ上にトランスクリプションを提供して後々まで公開しておくことは非常に大事です。中東をネタに、言いっ放しで思い込みを語るなどは論外ですが、民放各局は軒並みそういった論外の報道を繰り返してくれます。報道と表現は自由ですが、それは批判的に検証されることを可能にしなければ発展に繋がりません。

後から文字で読まれても恥ずかしくないものを作れる局だけが、ニュース報道機関と言えます。

以下に特集のタイトルとリンクを列挙しておきます。

2014年12月9日(火)”イスラム国”の牙城 モスルを奪還せよ

2014年12月11日(木) 「イスラム国」戦闘員を生み出す町 いまチュニジアで何が

2014年12月19日(金) アフガニスタンの“悪夢” 国際部隊撤退へ

2015年1月5日(月) 長引く戦いがもたらす影 「イスラム国」有馬キャスター現地ルポ

2014年12月25日(木) シリーズ「あの現場はいま」(3) 「イスラム国」と対峙する町

2015年1月23日(金)「ボコ・ハラム」支配の実態 戦慄の証言

2015年2月10日(火) あの日突然「イスラム国」はやってきた~撃退までの証言

2015年2月12日(木) 「イスラム国」指導者はこうして生まれた

2015年2月24日(火) IS 闇の資金源ルートを追う

2015年2月27日(金) 衝撃証言 IS・少年兵育成の実態

2015年3月25日(水) アフガニスタン 忍び寄るIS ガニ大統領訪米の背景

2015年3月26日(木) 混迷イエメン 「第2のシリア」への危機

トリセツ『イスラーム国の衝撃』:チュニジアやイエメンでの新たな事象の理解にもご利用ください

『イスラーム国の衝撃』が、当初は品薄で入手に苦労された方も多かったようです。また、お手元に届いてからも、そう簡単に読み進められないという感想も伝わってきます。それはその通りで、すぐに読み捨てるようにはできておりません。今後も長く、中東やイスラーム世界を見る際に参照してほしい本です。

(Kindle版)

この本は、「イスラーム国」を扱った本ですが、「イスラーム国」についてだけ書いてある本ではありません。

グローバル・ジハードの思想史と、「アラブの春」以後の中東政治の変動を見ることによって、「イスラーム国」も見えてくる、というのがこの本の仕組みであり、効用です。

ですので、イラクとシリアでの「イスラーム国」に直接関わらない(ように見える)中東地域の事象についても、この本を探せば、その意味や背景を読み解く枠組みや概念を示してあります。

昨年12月にこの本を書き終えて以降の、中東やイスラーム世界について、日本でも耳目を引きつける数多くの事象が生じました。それらの事象について、この本の該当箇所にあたってみることで、何か得ることがあるのではないでしょうか。

例えば、

(1)1月7日 パリ・シャルリー・エブド紙襲撃殺害事件

これについては、例えば次の二つの要素が絡んだ事象と考えられます。それぞれについての『イスラーム国の衝撃』の該当箇所を示しますと、

グローバル・ジハードの組織論の変貌によって現れた、ローン・ウルフ(一匹狼)型テロによる「個別ジハード」として
→第2章「イスラーム国の来歴」の50頁以降

シリアやイラクに集まる義勇兵=ジハード戦士の「帰還兵問題」として
→第6章「ジハード戦士の結集」

(2) 1月20日 脅迫映像公開によって問題化した日本人人質殺害事件

これについては、帯の写真にあしらった「ジハーディー・ジョン」そのものが1月20日の脅迫映像に同じ装束で登場したという偶然がありますが、それ自体は本質的なことではありません。現在流通している『イスラーム国の衝撃』の帯にも依然としてこの男の写真が使われていますが、間違っても、「日本人を殺害した犯人の写真を帯にあしらうなど不謹慎だ」などと怒らないでください。昨年暮れの段階でこの帯のデザインは決まって年初には印刷されており、日本人人質の殺害脅迫を受けて帯にあしらったものではありません。

この事件については、もちろん『イスラーム国の衝撃』の全編にわたって関係がありますが、映像を用いて、メディアを通じて政治的な影響力を膨れ上がらせる手法については、下記の部分が特に関係しています。
→第1章「イスラーム国の衝撃」の23−28頁
→第7章「思想とシンボルーーメディア戦略」

(3) 2月頃〜 リビアやイエメンでの内戦・紛争の激化

これはグローバル・ジハードの展開が可能になる環境条件、特に「アラブの春」後の各国の内政混乱と、それが地域規模に広がる現象です。それが引き続き展開しているのです。これについてまとめているのが、
→第4章「『アラブの春』で開かれた戦線」です。

(4) 2月〜 リビアでの「イスラーム国」の活発化

これは分散型で自発的に参加することで成り立つという、グローバル・ジハードの過去10年に理論化・定式化され普及した組織論・組織原理に基づき、地理的に連続しない場所で呼応した勢力が現れる現象です。
→第2章「イスラーム国の来歴」で基本メカニズムが解明されています。
→第8章「中東秩序の行方」では、今後の広がり方として、地理的に連続した領域への拡大と、地理的に連続しない領域への拡大の両方について、見通しを示しています。
 また、リビアでの「イスラーム国」によるエジプト人出稼ぎ労働者大量殺害の映像公開に対しては、エジプトが軍事介入を行いました。これについても第8章ではあらかじめそのような方向性を記してあります。

(5) 3月18日 チュニジアの首都チュニスでのバルドー博物館へのテロ

これも、分散型・自発的に各地で組織が現れて呼応して結集していくメカニズムのもとに発生した事件と考えられます。
→第2章「イスラーム国の来歴」
→第8章「中東秩序の行方」

(6) 3月25日〜イエメン内戦へのサウジアラビア主導のアラブ有志連合による軍事介入

米国の中東での派遣の希薄化と、地域大国の影響力の拡大ですね。それが問題の解決になるのか、問題の一部となるのか、どうなるのか。この本で書いた問題構図が持続し、顕在化しています。
→第8章「中東秩序の行方」

今後も次々と事象が生じてくる際に、『イスラーム国の衝撃』を取り出して、読み直してみてくださると、色々発見があるかもしれません。

さらにその先を踏み込んで読みたい、という人向けに、いくつか本を用意しています。今年度中に順次刊行されていきます。しばらくお待ちください。

「読売プレミアム」で長尺インタビューが公開

先日、3月25日付の『読売新聞』に掲載されたインタビューについてお伝えしましたが、そこでは大幅に省略されていたので、長いものが「読売プレミアム」に掲載されました。

「イスラム国とは何か 判断材料にしてほしい」『読売プレミアム』2015年3月27日

ロングバージョンの方は、『イスラーム国の衝撃』の裏話や、ネット媒体での議論と拡散を介して、紙の本が多くの人の目に触れて二度といた経緯など、「『イスラーム国の衝撃』の衝撃」についての部分が、こちらでは公開されています。

チュニジアのテロについても、より細かく解説しています。

試し読みする方法もあるのかな?

【インタビュー】読売新聞3月25日付「解説スペシャル」欄でイスラーム国とチュニジアについて

昨日(3月25日)の読売新聞朝刊に大きめのインタビューが掲載されておりました。私はあまりに忙しくて忘れていたのですが、気づいて声をかけてくれた方々が多くいました。

この記事はウェブ上では有料の「読売プレミアム」のみで公開されています。また、続編を「読売プレミアム」で出していくという企画が進んでおり、数日内に公開される予定です。

[解説スペシャル]過激派、自発的に傘下入り 「イスラム国」世界で宣伝戦…池内恵氏 東京大先端科学技術研究センター准教授、『読売新聞』2015年3月25日朝刊

元来はこのインタビューは文化部的視点から、『イスラーム国の衝撃』がどのように書かれ、読まれ、広まっているか、という本そのものの「衝撃」を現象として著者自身と記者が論評するというコンセプトだったのですが、インタビューを受ける直前に今度はチュニジアの事件が起き、私が偶然先月チュニジアにいたことから、紙面に掲載された記事は、国際面や政治面的な分析の要素に重点を置いたものになりました。

そこで、このインタビューが本来意図していた、『イスラーム国の衝撃』が1月20日に刊行された経緯から、政治面・国際面で扱われる事件の進行とシンクロすることで幅広い層に求められ、「出版的事件」となっていった過程を、著者自身の独自の視点で縦横に語る、という部分は、「読売オンライン」で公開する方向で準備しています。

ご期待ください。

チュニジアのウクバ旅団の脅威についてのJane’s事前の予測

昨日は、チュニジアのテロに関して、関与が疑われる最有力候補としてのウクバ・イブン・ナーフィア旅団について、それが「イスラーム国」の一部と言えるのかどうか、「アンサール・シャリーア」など他の組織との関係はどうかなど、混乱の所在と論点を提示したが、まだまだ議論は尽きない。

チュニジアという日本でよく知られていない国であるために、そもそもウクバ旅団について報道で名前さえ触れられないので、議論がしにくい。例えばJane’sのこの記事などを読むと、多少は整理されるのではないか。

“Katibat Uqba Ibn Nafaa recruitment efforts increase risk of terrorist attacks in urban centres in post-election Tunisia,” IHS Jane’s Intelligence Weekly, 20 November 2014.

しかし昨年11月の段階で、(1)新政権は世俗派主体である、(2)内務省の取り締まりが強まる、(3)アンサール・シャリーアの中からより多くがウクバ旅団の武装闘争に関心を移す、(4)リビアやシリアから帰還兵が帰ってくるとウクバ旅団の戦闘能力が増す、といった理由から、チュニジアの中心部でテロの可能性が高まり、カスリーン県などで攻撃が強まる、と予測しているのはさすがである。

しかしここでも観光客を狙うという可能性には触れられていない。

政府機関や治安関係の施設が狙われることは当然予測されていて、政府ももちろん対策を取っていたのだが、そこでソフトターゲットに移る、というところは常道ではあるが、リアルタイムで予測するのは難しい。テロをやる側も意図を隠すからである。

一部を貼り付けておこう。

FORECAST

A new coalition government led by the secular Nidaa Tounes party is likely to continue the security crackdown on religious extremism in an attempt to mitigate the risk of domestic terrorism. This effort is likely to lead to further defections from Ansar al-Sharia to Uqba Ibn Nafaa and accelerate the return of Tunisian militants from Libya and Syria, which is likely to increase terrorism risks in urban centres in the one-year outlook. The return of jihadist veterans will probably improve the group’s organisational and combat capabilities. Uqba Ibn Nafaa is likely to attempt to launch attacks against government officials, buildings, and security assets in Kasserine, Kef, Kairouan, Sidi Bouzid, Ariana, Sfax, Gafsa, and Tunis with both shooting and IED attacks.

チュニジアのテロを行った集団は「イスラーム国」に属するか否かーーウクバ旅団について

チュニジアのテロについて、どうも現地の報道と、日本の報道に乖離があって隔靴掻痒である。その中間には、英語圏の国際メディアの報道があるが、こちらは現地報道のうち共通認識と言える部分をかなり吸い上げつつ、「イスラーム国」や「アンサール・シャリーア」「アル=カーイダ」などのグローバルなジハードの展開についての記事へと結びつけている。日本の報道ではある程度以上複雑(に日本の読者に感じられる)ことを捨象してしまうので、結局曖昧な部分が多くなり、記者やデスク自身がわからなくなってしまい、混乱した報道になる。

そもそも現場で射殺された犯人の一人の名前についても、当初Hatem al-Khashnawi (el-Khachnaoui)と報じられたが、現地のアラビア語紙ではJabir al-Khashnawiとしているところが多い(一部・一時期にSabir al-Khashnawiとしている場合も)。これについては、事件をきっかけに犯人の故郷カスリーン県に取材に行った日本の新聞・テレビ局の記者が、確認してくればいいはずなのだが、確認してくれていない。

現地紙では早くから、カスリーン県の地元の警察当局の話として正確には「ジャービル」だと書かれていた。当初の報道で、別の兄弟の名前などと取り違えたのではないかと思う。そういった現地報道を認識しておらず、犯人の名前という重大な基本情報についてこれまでの国際報道でブレや矛盾があることも気付かず、すなわち、家族に話を聞きに行っても犯人の名前すら確認していないということであれば、いったい現地で何を聞いているのだという話になる。

有力なテレビ記者が現地から自分の思いだけを語り現地の声を聞かずに日本政治についての独りよがりの弁舌で貴重な放送時間を費やす事例があった。せっかく4年ぶりにチュニジアに行ったのなら、もっと現地に目を向けて欲しかった。

特に混乱が多いのは、事件の背後に「イスラーム国」がいるのか「アンサール・シャリーア」がいるのか、(そしてなぜか指摘されないが)「イスラーム・マグリブのアル=カーイダ」がいるのか、あるいはチュニジアの地元の自律した勢力がやったのか、という問題。

読売の電子版の昨夜配信の記事が、良いところに踏み込もうとしているのだけれども、結局挫折している感じがある。

「被害者収容の病院襲撃や現場撮影し投稿も計画か」読売新聞 3月23日(月)21時13分配信

日本の報道機関が、どうしても日本人の犠牲者関連の社会部的なものになりがちな中で、現地の報道から、事件そのものとその背後に迫ろうとする努力は買いたい。しかし、よく知らないので踏み込めない、という躊躇が見られる記事になっている。もっと頑張ってください。

なお、読売が参照したと見られるこの記事については、フェイスブックで何度か紹介しておいたので、そこから記事になったのかもしれない【】【】【】。

これを手掛かりに、裏を取ってグローバル・ジハード報道に活かしてくれるとありがたい。どこが混乱していて、どこを解明してくれると私としても助かるかについて、以下に指摘しておこう。

シュルーク紙の元の記事には「イスラーム国(あるいはISやダーイシュ)」という言葉は一つもない。事件後の夕方に「現場の写真を撮ってウクバ・イブン・ナーフィア旅団のウェブサイトに送った者が逮捕された」とあるだけだ。それなのに読売記事で「イスラーム国」のサイトに送ろうとしたと書いたことに、確かな根拠があるのかないのか、そこがポイントである。

ウクバ・イブン・ナーフィア旅団が「アンサール・シャリーア」に属するか否か、あるいは「イスラーム国」に属するか否かで、日本の報道機関は混乱してしまっている。

まず、チュニジアでの議論では、少なくとも、関与が疑われる最有力候補はウクバ・イブン・ナーフィア旅団だ、と組織の名前や人物を特定して議論するからわかりやすい。英語圏でもきちんとこの名前を出した上で、それが元来「イスラーム・マグリブのアル=カーイダ」と関係が深いが、「アンサール・シャリーア」や「イスラーム国」との関連もでき始めているので、今後もっと関係が深まるかどうかが注目される、という方向で報じられていることが多い。そこから今後の注目点が少しずつ絞られてくるわけであり、解明されていない部分が明らかになってくる。

ところが日本の報道機関は、「馴染みがない」という理由からか、「ウクバ・イブン・ナーフィア旅団」という名前を報じない。そこから、日本の報道機関に属する人たち自身が、何について報じているのかわからなくなってしまい、混乱が生じている。英語報道で「関連」を触れているからといって、そこから類推して「アンサール・シャリーアが声明」「イスラーム国と関連した組織」と報じてしまっては、実際に活動している組織そのものに目を向けることができなくなってしまう。

対象を明確に限定した名前で呼ぶのは、報道あるいはそもそも認識の基本である。私が「イスラーム国」は「イスラーム国」と呼べ、と言っているのも、きちんと名前を呼んで特定しないと、何について語っているのかというコミュニケーションの基本が曖昧になって、自分自身が混乱していくからである。

今回の犯行集団はまだ「イスラーム国」であるかどうかわからないのだから、わからない段階で犯行集団そのものを「イスラーム国」と呼ぶのは時期尚早である。犯行集団そのものと関係がありそうな組織が全くないなら仕方がないが、現地紙報道ではウクバ・イブン・ナーフィア旅団が一番関係がありそうなのだから、まずその名前を挙げて、報じていくべきだろう。

「イスラーム国」側がこの事件に声明を出していることはまずは「イスラーム国」側の問題であり、チュニジアの組織と本当に関係があるかは、今後の解明を待たねばならない。そして、報道陣はそれを解明するために現地に行っているのではないのか。

チュニジアの現地の組織とシリアやイラク、あるいはリビアに最近進出している「イスラーム国」が、具体的な協力関係に入ったのであれば、それを伝えることはスクープである。あるいは「アンサール・シャリーア」や「イスラーム・マグリブのアル=カーイダ」など別の組織との協力関係で生じたのであればそれもまた重大な情報だ。

今回日本の報道でよくある混乱の一つが、ウクバ・イブン・ナーフィア旅団のものとみられる声明を「アンサール・シャリーア」の声明と断定してしまっていること。確かに、ウクバ・イブン・ナーフィア旅団とアンサール・シャリーアは、構成員が重なっている場合があることは指摘されるが、指導者は異なり、同じ組織ではない。

アンサール・シャリーアの指導層がこの事件の直前に威嚇的・扇動的声明を出していることは当初大きく報じられたが、そのことと、ウクバ・イブン・ナーフィア旅団が事件直後に事件そのものについての詳細な声明を出していることとの関連は、依然として曖昧である。この事件をアンサール・シャリーアが行わせたかどうかがわからず、ウクバ旅団のものとみられる声明をもってアンサール・シャリーアが犯行声明を出したと同定することは早計に過ぎるのではないか。

逆に、読売の報道のように、ウクバ・イブン・ナーフィア旅団を「イスラーム国」と同一視するのも時期尚早で、もし明確な根拠なく同一視して書いたのであれば、世界の報道機関の水準からぐっと落ちて、先頭集団からは完全に脱落する。少なくともシュルーク紙の元記事ではウクバ・イブン・ナーフィア旅団が「イスラーム国」の一部だとは書いていない。それを「イスラーム国」と断定したのは読売の判断であるが、これは根拠があるのか。

もしかすると記事を読んでもらった現地のアルバイトなどが「ウクバ旅団はイスラーム国だ」と言い切っていたのかもしれないが、そうであれば、その根拠こそをぜひ教えてもらって、さらに調べて欲しい。

もちろん、将来この旅団が「イスラーム国」入りする可能性はある。今回の事件が、「イスラーム国」との初の連携作戦であったと華々しく宣言される可能性はある。それこそがグローバル・ジハードの基本メカニズムであるからだ。

だから私も注目しているのだが、そのようなつながりを示す事実を発見することなしに、「たぶん関係あるんでしょ?」という推測だけで「イスラーム国の一部」と断定してしまうと、それは素人の勘違いということになり、混乱を招く情報にもなる。

なお、「ウクバ・イブン・ナーフィア」とは北アフリカを征服した7世紀のウマイヤ朝の将軍の名前。北アフリカでは有名な名前である。

ウクバ・イブン・ナーフィア旅団は昨年9月20日に「イスラーム国」を支持する声明を出しているが、それだけでは「イスラーム国」の一部とは言い難い。今回の事件をきっかけに、より具体的な関係が見えて来れば、それこそ一大事である。それがあるかどうかを世界の報道機関も諜報機関も注目しているのである。よく知らずに「イスラーム国」と書いてしまったのであれば、フライングだろう。

もし「ウクバ旅団はすでに「イスラーム国」の一部として行動している、今回の事件はまさにその最初の例だ」と言い切れる根拠があるのであれば、ぜひそれをさらに掘り進めて報道してほしい。そちらであれば世界最先端のスクープになる。今回の事件が国際的に注目される理由はまさに、その可能性があるかないかが注目されているからだ。

私としては、むしろ逆に、ウクバ旅団の方が、「イスラーム国」やヌスラ戦線などシリアの組織に引き寄せられているチュニジア人を引き戻して、自分の組織の傘下に入れようとしている可能性もあると思う。「イスラーム国」の軍門に下るのではなく、「イスラーム国」と同じようなことを自分たち主導でやろうとしている、ということである。どの国の組織もあくまでも「ジハード」をやりたいのであって、イラク人やシリア人の「イスラーム国」指導部に従いたいのではない。やるなら自分達が指導者になりたい、と考えているだろう。イラクやシリアに移った時はそれは現地の指導部に頭を下げているが、自分の国でやるときは自分たちが指導する、というのが当然である。「イラク・イスラーム国」から送り込まれてシリアに行ったシリア人が、シリアでは自分たちが主導権を握ってヌスラ戦線を「イラク・イスラーム国」から自立させていった経緯があるように、グローバル・ジハードも実際の政治的な主導権においては、ローカルな土地と人の結びつきによって規定される面が大きい。

『現代アラブの社会思想ーー終末論とイスラーム主義』が9刷に

『現代アラブの社会思想ーー終末論とイスラーム主義』の第9刷が、先月から市場に出ています。

Kindle版も出ていました。

9刷の部数は2100部、と細かい。新しい帯が付いています。

累計は5万6100部になりました。

2002年の1月に刊行されてから13年間、よく長く生き続けてきました。長く生き続けるということこそが、評価の一つと思っています。

この本は、自分自身の研究者としての歩みを振り返る時に、忘れることのできない本です。

なによりも、あの時点でしか書けない本でした。

あらゆる研究者は、最初の研究で、最もオリジナルなものを出さねばなりません。世界中でまだ誰も言っていないことを言わないといけないのです。

しかしなかなかそれはできません。思想史であれば、大抵の影響力のある思想テキストは全て隅々まで読み尽くされ、論文の対象にされ尽くしているからです。

私の学部から大学院にかけてのエジプトでの資料収集で、いくつかのテーマと資料群が浮かび上がりましたが、その中で言及することが最も厄介で、かつ先行研究がない対象が、アラブ世界に広がる、膨大な終末論文献でした。

この本の後半部分を構成し、最もオリジナルな部分は、2001年11月に刊行されていた論文「前兆・陰謀・オカルト──現代エジプト終末論文献の三要素」末木文美士・中島隆博編『非・西欧の視座』(宝積比較宗教・文化叢書8、大明堂、2001年、96-120頁)からなります。

宗教学・思想史の固い叢書に、全く新しい、つまり評価の定まっていないテーマと資料についての、全く無名の著者による論文の収録を認めてくださった編者の先生にはひたすら感謝しておりますが、それを新書という一般書の枠に収めるというものすごく無茶な構想を受け入れた、当時の講談社現代新書の編集者の大胆さも、今振り返ると、傑出したものでした。

そして、2002年1月という時期に出せたことが、何よりも今となってはかけがえのないことです。時間を巻き戻すことはできません。今なら、もっと完成度の高い、整った形で書けるかもしれませんが、それを2002年に戻って出すことはできません。

研究者は生まれてくる時代を選ぶことはできません。

自分が大学院にいる間に現れてきた、まだ他の研究者が触れていない対象に、誰よりも早く手をつけて成果を出さなければならないのです。

中東と、あるいは学術の世界をリードする欧米と、言語や情報のギャップのある日本の研究者として、中東の思想や政治をめぐって誰よりも早く新しいテーマに取り組んで成果を出すことは、至難の技です。

その中で、この本とその元になった論文は、結果として、欧米でこの文献群を用いたまとまった研究が出るのに先んじて発表した形になりました。

その後数年すると、現代の終末論文献を扱って学界に名乗りを上げる若手研究者が、米国でもフランスでも現れてきました。あと数年ぼやぼやしていたら、私の本は「後追い」になってしまったでしょう。

でも当時は日本では「後追い」が普通で、むしろ、全く欧米の先行研究がないものをやると、評価されなかったりしたのです・・・「欧米の権威」がやっていることを輸入するというのが主要な仕事だったのですから。

その後、このテーマは結果的に「欧米の権威」が扱うものとなりました。一つ目はこれ。
David Cook, Contemporary Muslim Apocalyptic Literature, Syracuse University Press, 2005.


Kindleでもあるようです(David Cook, Contemporary Muslim Apocalyptic Literature (Religion and Politics))。

クックさんは短い論文の形では、私より早く現代の終末論文献の存在に着目していたようです。しかしまず古典の終末論について本を出してから、現代の終末論文献に本格的に取り組みました。

古典終末論について書いたのはこの本です。
David Cook, Studies in Muslim Apocalyptic, The Darwin Press, 2002.

クックさんは私と同年代ですが、その後、 米テキサス州のライス大学の准教授になりました。そして、終末論についての研究を一通り発表したのち、ジハードの思想史に取り組んでいます。
David Cook, Understanding Jihad, University of California Press, 2005.

紙版は増補版(Understanding Jihad)が出版される予定のようですが、Kindleでは初版が買えます。研究上は初版が重要です。もちろん、その後の「イスラーム国」に至るジハードの拡大をどう増補版でとらえているか、クックさんの研究がどう進んでいるかにも大いに興味がありますが。

「終末論からジハードへ」という研究対象の変遷は、イスラーム政治思想の内在的構造化が、必然的な道行きと思います。

フランスでも同じ素材で研究が出ました。
Jean-Pierre Filiu, L’apocalypse dans l’Islam, Fayard, 2008.

英訳はこれです。
Jean-Pierre Filiu, tr. by M. B. DeBevoise, Apocalypse in Islam, University of California Press, 2011.

フィリウさんはパリ政治学院で学位を取って母校で教鞭を執っている人です。この著者は研究者になったのは私より遅いのですが、年齢はひと回り上(1961年生まれ)で、まず外交官として中東に関わったとのことです。

私は、フィリウさんが外交官をやめて大学院生になったかならないかぐらいに、のちに彼の指導教官となるジル・ケペル教授に会いに行く機会がありました。その際に出たばかりの私の『現代アラブの社会思想』を見せて、日本語なのでケペル教授は当然読めませんが、資料の写真を多く入れておいたのと文献リストを詳細につけていたことで、扱った文献について話が盛り上がりました。

ケペル教授もこの文献群の存在は認識しており、この文献を扱った本を出したことについては、けっこう驚いているようでした。後に、自分のところに来た学生がこの文献群をテーマとして選ぶ際に、微妙に影響を与えたかもしれません。といってもフィリウさんは私よりずっと以前から中東に関わっているので、とっくにこの文献群の存在と影響には着目していたでしょう。

その後フィリウさんは活発に中東論者・分析家として活躍しています。

私について言えば、この本を書いたのは、日本貿易振興会アジア経済研究所の研究員になって1年目の年でした。終身雇用のアカデミックな研究所に就職して、普通なら放心してだれてしまうところでしたが、就職して半年で9・11事件に遭遇し、中東の激動が始まるわさわさとした予感の中で、衝き動かされたように書きました。

クックさんやフィリウさんのような学者が研究を完成させる前に、このテーマについて論文と本を出しておけたことは、今振り返ると、当時の自分を褒めてあげたい気持ちになります。当時は他国の研究者との競争など考えず、ただ無我夢中に論文や著書刊行の機会を求めて、与えられた機会に必死に出しただけだったのですが。

また、この本が広く知られるための後押しとなったのが、この年の暮れに大佛次郎論壇賞を受けたことでした。

どなたかが候補作にあげてくださったのですが、それを審査委員の一人、米国で長く研究をしてきたある先生が、強く推してくださったことで、一気に流れが決まったという裏話を聞きました。どうやらかなりの番狂わせであったような雰囲気でした・・・

当時は「研究員」という立場で賞をもらうことはまずないというのが、日本の言論界の暗黙の前提でした。当時の日本は今よりずっと不自由で、序列を気にするガチガチの社会だったのですね。

また、端正でリベラルな学究の先生が、このような野蛮なテーマを扱った破天荒な学術研究を一番に推してくださったという話も、一般的な印象とは合わないかと思います。

しかしかなり経ってから米国の学術界や社会一般との接点ができるようになったころに気づいたことは、その先生は、この本の出来がいいからとか、完成されているからといった理由でこの本を推したのではないだろう、ということです。

そうではなく、一番変わった説を打ち出している、一番若い人の候補作に、米国での当然の作法として、機会を与えるという意味で賞を与えただけなのでしょう。

米国の社会は、何か人と違うことを考えている人が、一歩前に踏み出して発言しようとした時に、その機会を与えてくれる社会です。何かをやってやるぞという若い人に、まず一回は機会を与える。それが自然に行われています。

機会を与えられて発言を許されたということは、それだけでは何も意味しないのです。その発言が意味のあるものか、社会に何か違いを与えられるか、その後の活動で真価を証明して初めて、その人と作品は評価を得られる。

機会を与えられたということだけでは、評価されたということを意味しないのです。

このあたりは、「発言」があらかじめ「立場」によって決まっており、その評価も立場の上下をもってあらかじめ決まっていかのような前提を抱いている人が多い日本では、あまり理解されていないことかもしれません。そのような前提の下では、発言の機会を確保しているということ自体がなんらかの「上」の立場であることを意味し、すなわち内容の評価を意味するという、強固な観念が生まれます。

米国の社会にも、その社会が生む国際政治の政策にも、悪いところはいくらでもあるでしょう。しかし、「若い人が新しいことをやろうとしているときに、一回は機会を与える」という米国の社会の根っこに強固に定着した原則は、素晴らしいものだと思いますし、それが米国の活力や競争力の源であると思っています。

そのような米国的な発想により、大量の出版物の渦の中で押し流され消えそうになっていたこの本が、拾い上げられ、翼に風を送られたかのように再び浮上したことは、奇跡的であったと思います。この本が今後も飛び続けられるように、私がたゆまず風を送り続けることが、機会を与えてくださった先生に応えることになるのだと思っています。

リビアを新たな聖域とするグローバル・ジハードの次の目標はチュニジア、エジプト、アルジェリアの不安定化(2月18日エントリの再録)

3月18日のチュニジアでのテロについて、情報を取りまとめております。この事件の直接的な背景が何であったのか、この事件をきっかけにチュニジアや北アフリカに今後何が起こってくるのか、考えています。

そもそも、チュニジアを中心とした「アラブの春」によって政治変動が様々に起こった諸国について、現在本を完成させる途中であり、そのためにチュニジアそのものについての情報のとりまとめと発信は後回しになっていました。

しかし、事件から1ヶ月前の2月18日に当時滞在していたチュニスから、下記のエントリをフェイスブックに投稿していました。基本的には、今回の事件は、このような文脈で起こってきたものと考えています。チュニジアのテロ事件の政治・国際政治上の文脈について問われれば、簡潔には今でも下記のようにお答えします。

以下に再録しておきます。「半年」といった広い範囲での予測・警告しかできないことは、私の力不足ではありますが、社会・政治を見る学問の可能性の限界でもあると考えています。

https://www.facebook.com/satoshi.ikeuchi/posts/10202680339168675
2月18日
#‎リビアのイスラーム国‬

リビアは「イスラーム国」からの「帰還兵」の聖域となるのか

リビアで最近急に「イスラーム国」の活動範囲が広がった背景として、「イスラーム国」中枢がシリアやイラクで活動に参加していた北アフリカ系の人員をリビアに投入している様子が伝わって来る。
 幾つかのエジプトの新聞は、サウジの『リヤード』紙の17日の報道を引いて、バグダーディーはリビアのシルトに小規模の部隊を送り込んだと報じている。部隊の司令官はチュニジア人で、チュニジア政府が帰還を認めないのでリビアに流れたという。カダフィの周りで雇われていた傭兵がこれに参加しているなど、興味深いが事実かどうか判断しようがない、ありそうな話が書いてある。リビアを聖域にして北アフリカ系の武装集団を集結させると、チュニジア、エジプト、アルジェリアが揺らぎかねない。シリアを聖域にしてイラクを揺るがしたモデルを繰り返そうとしているのだろう。これに周辺諸国がどう対応するかを、今後半年は注目していかないといけない。

【追記 3月21日】
このようなリビア発でのチュニジアの過激派の刺激や浸透について、2月のチュニジア現地滞在時のテロ事件を紹介した記事を、明日のテレビ出演のテーマに関する今朝のエントリでも示しておいたが、下記に再び列挙する。2月18日のアンサール・シャリーア系のウクバ・イブン・ナーフィア旅団による内務省・治安部隊員4名殺害の事件と、政府のそれへの対応についてである。

https://www.facebook.com/satoshi.ikeuchi/posts/10202679909917944
https://www.facebook.com/satoshi.ikeuchi/posts/10202679919878193
https://www.facebook.com/satoshi.ikeuchi/posts/10202679929398431
https://www.facebook.com/satoshi.ikeuchi/posts/10202679943758790

この前後の動きについては資料は多く集積しているが、整理してお見せする時間が到底ない。一部は明日3月22日の番組の中で口頭で話せるだろう。

【テレビ出演】3月22日(日)夜9時〜「週刊BS-TBS報道部」に出演し、チュニジア分析をします

明日日曜夜に、例外的にテレビ出演を行います。

3月22日(日)夜9時〜BS-TBSの「週刊BS-TBS報道部」にて、スタジオでチュニジア情勢について、その中での3月18日のバルドー博物館へのテロについて、解説します。

前回2月1日と同じく、元『フォーサイト』編集長の堤信輔氏がレギュラーのゲストで一緒に出演してくださるという条件の元で、また事前に番組構成について私の見解を踏まえてテレビ局側が入念に準備するという条件で、お引き受けしました。

実は私は2月7日−2月20日にかけてチュニジアへの現地調査に赴いておりました。その間にフェイスブック上で、適宜現地から情報を提供していましたが、当時は、1月7日のシャルリー・エブド紙襲撃事件から1月20日−2月1日の日本人人質脅迫殺害事件にかけての、「イスラーム国」をめぐる議論の日本での急激な政治問題化によって、世論が過熱していたことから、調査を行っている場所と期間は、意図的に分からないようにしていました。

私は危険な場所には極力立ち寄らず、とりたて重要な情報源に接触するわけでもないため、元来は動静を隠す必要は全くありません。しかしどのような誤解や曲解、宣伝の対象となるか計り知れないため、念のため居所を意図的に不明確にしていました。

しかしチュニジアにいたという痕跡を若干残しておきたい思いもあり、滞在中にチュニジアで起こった事件のうち、2月18日朝に発覚した西部カスリーン県ブー・アラーバでの、アンサール・シャリーアの傘下にあると称するウクバ・イブン・ナーフィア旅団による内務省治安部隊員4名の殺害という事件について、中東国際政治の議論では通常はあまり参照されないチュニジアのローカルなメディアの報道を紹介して、記録しておいた。

この事件は、その前に頻繁にシェアしていた、リビア情勢とイメエン情勢の悪化という文脈の上に置くと、チュニジアへ過激派の影がじわじわと忍び寄った危険な兆候、という大きな意味を持つと考えた。そのため、一見平穏なチュニジアの、辺境地域での小さなテロについて、注目されていたリビアの「イスラーム国」の動向や、エジプトの空爆などの反応、あるいはイエメンやシリアやイラクの混乱と同様の大きな意味を持つものとして、下記のように記事のサンプルを記録しておいた。

https://www.facebook.com/satoshi.ikeuchi/posts/10202679909917944
https://www.facebook.com/satoshi.ikeuchi/posts/10202679919878193
https://www.facebook.com/satoshi.ikeuchi/posts/10202679929398431
https://www.facebook.com/satoshi.ikeuchi/posts/10202679943758790

今見ると、なんらかの兆候に触れてはいたのだが、チュニジアの治安情勢のみに集中していることはできないことから、継続的な追求の手を緩めたと思う。

なお、同様の兆候はアラブ世界の多くの専門家が感じ取っており、リビアの混乱がチュニジアおよび、アルジェリア、エジプトに及ぶ危険性について、3月半ばにかけて、徐々に警鐘の音が高く鳴らされつつあった。

しかしそのような鋭敏で継続的な分析者たちにしても、このようなテロを未然に予測できた人はいなかったと思われる。【記事の例、3月15日付の警鐘3月10日付のアラビア語元記事

本来なら、帰国してさほど期間をおかずに、ブログなどで、チュニジア政治と、チュニジアを軸にしたアラブ地域国際政治の動向や、グローバル・ジハードがチュニジアに及ぶ影響について、まとめてみようと思っていた。また、余談として、チュニジアの一般市民の休日の過ごし方など、アラブ諸国の中で例外的に平穏で安定しているチュニジアの日常や人々の生活に触れることのできるコラムなども、公開しようと下書きを準備してあったた。ただし、著作の出版予定が相次ぐ上に、中東情勢の流動化で絶えずチュニジア以外のより混乱した国・地域についての分析に迫られることから、チュニジア報告に時間を割くことができずにきた。

チュニジア報告の中には、チュニジアでの調査の重点項目である、リビアを通じた「イスラーム国」からチュニジアへの影響、チュニジアの辺境地域および首都の重要施設を狙った武装集団の動きについて、まとめる予定で、帰国後の動きも含めて逐次情報は集めてきたが、まとめる時間と労力は到底割くことができなかった。そのうちに、予想を超えた速さと規模で、手薄な警備の地点を突かれて、チュニスでテロが起きてしまった。

今回のテレビ出演では、可能な限りそれらの知見を提供して、事件の全容解明になんらかの手がかりを提供し、また今後の日本のチュニジアとの関わりのあるべき姿を示そうと思う。

なお、お世話になってきた、また信頼する堤さんとの関係でご縁ができた「週刊BS-TBS報道部」だが、前回2月1日の出演について、このブログのエントリを探したが見つからない。

どうやら忙しすぎてテレビ出演情報をブログに上げることさえできなかったようだ。代わりに1月31日にフェイスブックで通知してあった

フェイスブックの方がシェアしてコメントを走り書きするだけなので短時間でアップできるのと、この頃非常に読者が増えていたのでこちらだけでも十分と思ったのだろう。

しかしフェイスブックの検索機能の弱さ、ハッシュタグ機能の弱さを見るにつけ、やはりデータをブログに集約させなければという気になっている。

ただし、2月1日の番組出演の内容のうち、日本での人質事件をめぐる政治的な議論に一石を投じる、いわば「キラー・コンテンツ」として提示した、「1月20日脅迫ビデオの冒頭映像を見れば、イスラーム国は日本の支援が非軍事的であることを明確に認識している」という論点については、ブログのエントリで後に詳細に示しておいたこれはかなり多くの人にシェアされ、いろいろなところで議論に使われたようだ。

2月1日の出演は、堤さんのご紹介で、1週間以上前から決まって準備してきており、この日の未明にかけて、二人目の人質の殺害という痛ましい結果になったことを受けて出演したわけでも、このような事態に終わると予想していたわけでも全くない。

しかし偶然、日本でニュース番組が少ない日曜日に事件の結末が明らかになr、その直後の出演であったため、2月1日のこの番組は、BSにしてはかなり注目されたようだ。

今回のチュニジアのテロについての、これまで私が見た限りのテレビ報道では、そもそもチュニジアについてほとんど全く何の知見もないことが明らかな「専門家」の不確かな議論が目立った。

私が事件のひと月前にチュニジア調査をしていたというのは偶然にすぎず、半年ほど前に安いチケットを買って、この時期にチュニジア調査に行くと決めていたから行ったというだけである。しかし結果としてこの事件の直前のチュニジアの情勢を直接見聞きした数少ない日本人になってしまったので、その知見から言い得ることを、少しでも伝えられればいいと思っている。

今回の出演では、そもそもチュニジアの社会と政治はどのようなものなのか、日本で伝えられてこなかったチュニジアの政治変動と民主化はどのように進んできたのか、チュニジア政治の現状とチュニジアの置かれた国際関係の中で、今回のテロ事件はどのような意味を持つのかを考えてみたい。

また、「イスラーム国」やそれに共鳴して傘下入りを試みている内外の諸武装集団が、チュニジアをどのように見ているのか、どのように攻撃の対象としているのかも、検討してみたい。

このような見方は、思想史と比較政治学を用いてイラクとシリアの「イスラーム国」を分析した『イスラーム国の衝撃』と同じか、その延長線上にある。ただし、チュニジアを調査地に選んだ理由は、「イスラーム国」がこれまで伸長できなかった、浸透できなかった国に対して、イラクやシリアでの、あるいはイエメンやリビアでの「イスラーム国」と関連する組織の動きがどのような波及効果や影響をもたらすのか、というところが、次の大きな課題になると考えていたからである。その意味で、ぼんやりと感じ取ってはいたものの、やはり今回の事件は私の予想より早く、想像より大きな規模で、グローバル・ジハードの影響がチュニジアに及んだと言わざるを得ない。背後にある勢力とその意図が何なのか、できる限り情報を精査して考え直してみたい。

また、チュニジアを渡航先に選んだのは、危険の兆しが表れていたと言えども、やはりチュニジアがアラブ世界の中の比較の上で非常に安全だから、その安全な場所を拠点として、非常に危険であって私の持つ資源では身の安全を確保し得ないリビアやイエメンの動静を見る、という意味があった。

しかしそうしていたところ、チュニジアの中心にテロが及んでしまったわけで、やはり私の想像を超えた動きであったと認めざるを得ない。その程度の予見力しかないぼんやりとした人間のぼんやりとした知見だが、何かの役に立つことを願っている。

書評まとめ(2)『イスラーム国の衝撃』

『イスラーム国の衝撃』への書評のまとめの続きです。(1)はこちら

3.週刊誌

『週刊新潮』2015年2月5日号(1月29日発売)、《書評欄》「『イスラーム国の衝撃』 池内恵著」(評者・林操)

この号は「イスラーム国」一色だったようですね。

『週刊ダイヤモンド』2015年2月7日号、《Book Reviews 知を磨く読書》「敵意を増大させる過剰な警戒」(評者・佐藤優)、84頁

第6章の帰還兵問題の項から「シリア・イラクからの帰還兵をすべて過激なテロリストととらえ、法を逸脱した対処策を適用すれば、かえって欧米への敵意を増大させ、実際にテロ組織の側に追いやりかねない。帰還兵への過剰な警戒は、自己成就的な予言となりかねないため注意が必要である」という部分を引き、佐藤氏は「確かにその通りであるが、過剰反応するのがインテリジェンス(諜報)の本性なので、帰還兵をめぐっては、「自己成就的な予言」が成就するのではないかと思う」と、自らが拠り所とするインテリジェンスへの悲観主義的なひねりを加えて返している。こういう発想と表現の反射神経は、「さすが」と思いますね。

『週刊エコノミスト』2015年2月10日号(第93巻第6号・通巻4383号)《話題の本》「『イスラーム国の衝撃』 池内恵著」

「読書日記」の連載もしているので取り上げてくれたのかな。

『週刊文春』2月19日号、《永江朗の充電完了》「電子書籍 危機一髪!」

次々と現れる電子書籍を読む、という趣旨の連載だと思われるコーナーで、こんなアプリやデバイスがあるのか、と普段興味深く読んでいるが、そこに自分の本が出てくると驚く。読んでみると、「ある仕事で池内恵の『イスラーム国の衝撃』の書評を書くことになった」とある。ところが書店を回ってもネット書店でも、売り切れで手に入らない。1月後半の品薄の時期ですね。締め切りは1月30日で、刻一刻と迫るがなおも手に入らない。それが1月28日発売のKindle版で「あいててよかった」(懐かしい)となり、危うく救われた、という話。

なお、永江さんは「紙版と同時発売だったらもっとよかったのに」と書いていらっしゃいます。

なぜ紙版と同時発売でなかったかというと、よく知りませんが、もしかすると私が書いたのがギリギリなので、単純に間に合わなかったのかもしれません。電子版にまで手が回らなかった。

私も個人的には、1月20日の人質殺害脅迫ビデオ公開で勃発した狂騒状態の1週間にKindle版が存在していたらおそらくフラッシュマーケティング的にとてつもなく売れて稼げたと思いますので機会損失は大きいと思いますが、それよりも「必要とする本が手に入らない」という体験を多くの人がしたことがいいのではないかなと思う。そこから本来存在するべき本のあり方、書店のあり方、自分自身の本の買い方について考え直す人が何人か出てきてくれればそれでいい。

肝心の書評そのものは、どこに載ったのか、あるいは載らなかったのか、分かりません。

しかし週刊文春の記事の中では「あの自称国家のルーツがアル=カーイダにあり、アル=カーイダのルーツがソ連によるアフガン侵攻時のアメリカの政策にあったことを知った」となっていますが、これは間違いではないが、私の本から読み取るべき点はそこではないだろうと思う。そういう話なら私の本を読まないでもそこらへんの本でいくらでも出回っている。何もかもアメリカ原因・責任論にしてしまうとわからなくなる、広く深い世界がその外にありますよ、というのが私の本の基本的な方向性だと思うのだが・・・

もしかして電子書籍で読むとそうなるのかな?