イエメン情勢を現場から解読するドキュメンタリー

イエメンの情勢を現場から、かつ政治対立の構造を見事に可視化してくれるドキュメンタリーが、BBCのホームページで公開された。

The Rise of the Houthis

これはすごい。

2014年9月に首都サヌアを制圧してから3ヶ月の間の変化を記録しており、一つ一つの画面や登場人物から目を離せない。

取材・構成はサファー・アハマド(Safa Al-Ahmad)。BBCアラビックの記者で、急速に注目される女性である。サファーはその前に作った、サウジ東部州のシーア派の反政府運動を扱った Saudi’s Secret Uprising で高い評価を受けたところだった。

しかし、すでにイエメンのフーシー派の首都制圧、南部進出でドキュメンタリーを用意していたとは

サファーはフーシー派に密着しつつ、「アラビア半島のアル=カーイダ」制圧地にもカメラを入れる(ここは女性のサファーは受け入れてくれないようで、クルーだけが行っている)。

取材・撮影のための仲介者になってくれているのが、ムハンマド・アブドルマリク・ムタワッキルというのも、分かる人には分かる、すごい伝手。

ムタワッキルはサヌア大学の教授も務めた政治学者だが、預言者ムハンマドの血を引くサイイドの家系とされる名家の出身で、かつ政治家として知られる。野党を幅広く結集させたJoint Meeting Parties の主要人物で、欧米型市民社会活動の組織から、イスラーム主義のイスラーハ党まで顔が効く、イエメン政治のまとめ役の一人だった。

このムタワッキルが、取材の間に暗殺されてしまう。

この事件自体が、イエメンの政治共同体が崩壊していく過程の重要な局面だった。そんな人の家に住まわせてもらって取材しているわけで、それはBBCにはかなわない、と思うしかない。

フーシー派は最初は「革命」だといって汚職追及などをしていたが、あっという間にモスクをザイド派に変えたり、敵対するとみたものを「アメリカ、イスラエル、アル=カーイダ、イスラーム国」のいずれかあるいは全てであるとレッテルを貼って弾圧するようにある。にこやかに、信仰に満ち溢れた顔で、敵を「テロリストでCIA」と呼ばわるフーシー派の、カルト的な話の通じなさがよく伝わってくる。しかしやることはどんどん荒っぽくなってくるので、部族地帯では武装してアル=カーイダに接近する動きが進む。

どうしようもなく混乱したところでサウジアラビアの介入が入ったが、一層火に油を注ぐ結果にもなりかねない。

他方で、アル=カーイダがイエメン南部や東部で、外来のテロ集団というよりも、部族勢力に根深く浸透している様子が描かれる。

これについては2012年の詳細なドキュメンタリーが活字になっているので、熟読すると色々伝わってくる。

1990年代後半から、2001年の9・11事件を経て、南部や東部で「アラビア半島のアル=カーイダ(AQAP)」やその別働隊とみられるアンサール・シャリーアがなぜ浸透・台頭してしまったのか、アメリカの公共放送PBSが歴代の米の駐イエメン大使や、代表的な研究者に徹底的に聞いている。漠然とした「印象」ではなくて、実務家の当事者の証言であり、有能な分析者の分析であるので、非常に有益である。
Understanding Yemen’s Al Qaeda Threat, May 29, PBS, 2012.

1998年頃、イエメン政府は米国に、アル=カーイダが浸透しているから、車とか無線とか支援して、といってきたが断った、という米国の元駐イエメン大使。

当時安全保障上はあまり重視されていなかった国に送られた、いかにもリベラルな大使なのですね。この人の在任中に、米駆逐艦コールへのテロも起こる。これが9・11への先触れとなったが、気づけなかった。

9・11の時ちょうど大使は帰任していた。

ここで新しい大使として送り込まれたのが、うって変わって対テロ専門家、というのがいかにもアメリカですが・・・・

サーレハ大統領をどやしつけてアル=カーイダ掃討作戦をやらせた。

しかしアル=カーイダも組織の性質が変わって、結局根絶できなかった。この辺りは拙著『イスラーム国の衝撃』をどうぞ。

最新のイエメン情勢の解説は、下記の記事が最もいいと思う。

Laurent Bonnefoy, “Yemen’s ‘great game’ is not black and white,” al-Araby al-Jadeed, 27 March, 2015.

「国際報道2015」の特集で『イスラーム国の衝撃』の「その後」を見ていきましょう

【『イスラーム国の衝撃』のサポートページ(http://ikeuchisatoshi.com/『イスラーム国の衝撃』/)】

昨日は『イスラーム国の衝撃』の脱稿・刊行以後の事象を、この本をどの部分を手掛かりに読み解いていけばいいのか、ガイドラインを示しておきましたが、そもそも、生じてくる事象についてどのようなメディアを通じて知ればいいのかがわからない、という人もいるでしょう。

私自身のフェイスブックのアカウントから、時折、現地のメディアや国際メディアの有力・興味深い記事をシェアしていることがありますが、外国語であったり、具体的な事象そのものについての記事であったりして、事情を知らないとよくわからないということもあるかもしれません。

グローバル・ジハードのその後の展開や、中東の政治変動の現状について、日本語で情報を得るには、NHK-BS1を見るのが一番でしょう。

以前に、NHK-BS1 が提供している、諸外国の放送の主要なニュースのクリッピング番組の重要性については書いたことがあります。

「実はNHKBS1はすごいインテリジェンス情報の塊」(2014/04/08)

ただしこれらのニュースも毎日の生のニュースが翻訳をつけて提供されるものなので、慣れていない人には一つ一つのニュースの意味を読み取ることが難しいかもしれません。

その点で、夜10時からの「国際報道2015」では、世界各局からのクリッピングを踏まえつつ、NHKの海外支局を動員して、日本の視聴者にもわかるように問題設定をした特集を、平日毎日放送しています。まずはこれを見ていくといいでしょう。

「イスラーム国」の台頭以降は、多くの特集が関連するテーマを追っています。

これらの報道は必ずしも私の示した理論的枠組みや概念を踏まえているものではありませんが、事件報道や特集のための取材を繰り返すうちに、徐々に理解も深まり、収斂してきているようにも感じられます。

最近の特集を見ても、「イスラーム国」のアフガニスタンやイエメンに地理的に連続せずに飛び火する可能性を、具体的な各国情勢の展開の中で位置づけるなど、民放や地上波では期待できない高度な報道がなされています。

2015年3月25日(水) アフガニスタン 忍び寄るIS ガニ大統領訪米の背景

2015年3月26日(木) 混迷イエメン 「第2のシリア」への危機

『イスラーム国の衝撃』を書き終えて以降の「国際報道2015」の特集のうち、グローバル・ジハードやアラブ政治・中東国際政治の変動に関する特集の目に付いたものを下記にリンクしておきましょう。

昨年12月にチュニジアの義勇兵送り出しの問題を取り上げ帰還兵問題に触れているなど、中東・イスラーム世界についての国際的な報道・議論の最先端の水準を目指して検討していると評価できます。

特集のホームページをさかのぼってみると、昨年「イスラーム国」が台頭した直後の数ヶ月は、なかなか「イスラーム国」を生む中東政治そのものや、グローバル・ジハードの現象そのものに迫ることができず、周辺部分の、たとえば欧米の白人社会の中からの改宗・過激化した少数の若者の出現など、「欧米の変わった事象のニュース」としての部分に焦点が当てられるきらいがありましたが、「イスラーム国」の現象に総力で取り組むことで、理解が深まり、結果として番組の水準が高まりつつあると思います。

「国際報道2015」のホームページでは、過去の放送そのものは見ることができませんが、番組のナレーションのトランスクリプトを読むことができ、主要な場面を静止画像で見ることができます(私は自動録画しておいて、興味のある特集のところだけまとめて見ています)。

こういった特集を、ウェブ上にトランスクリプションを提供して後々まで公開しておくことは非常に大事です。中東をネタに、言いっ放しで思い込みを語るなどは論外ですが、民放各局は軒並みそういった論外の報道を繰り返してくれます。報道と表現は自由ですが、それは批判的に検証されることを可能にしなければ発展に繋がりません。

後から文字で読まれても恥ずかしくないものを作れる局だけが、ニュース報道機関と言えます。

以下に特集のタイトルとリンクを列挙しておきます。

2014年12月9日(火)”イスラム国”の牙城 モスルを奪還せよ

2014年12月11日(木) 「イスラム国」戦闘員を生み出す町 いまチュニジアで何が

2014年12月19日(金) アフガニスタンの“悪夢” 国際部隊撤退へ

2015年1月5日(月) 長引く戦いがもたらす影 「イスラム国」有馬キャスター現地ルポ

2014年12月25日(木) シリーズ「あの現場はいま」(3) 「イスラム国」と対峙する町

2015年1月23日(金)「ボコ・ハラム」支配の実態 戦慄の証言

2015年2月10日(火) あの日突然「イスラム国」はやってきた~撃退までの証言

2015年2月12日(木) 「イスラム国」指導者はこうして生まれた

2015年2月24日(火) IS 闇の資金源ルートを追う

2015年2月27日(金) 衝撃証言 IS・少年兵育成の実態

2015年3月25日(水) アフガニスタン 忍び寄るIS ガニ大統領訪米の背景

2015年3月26日(木) 混迷イエメン 「第2のシリア」への危機

トリセツ『イスラーム国の衝撃』:チュニジアやイエメンでの新たな事象の理解にもご利用ください

『イスラーム国の衝撃』が、当初は品薄で入手に苦労された方も多かったようです。また、お手元に届いてからも、そう簡単に読み進められないという感想も伝わってきます。それはその通りで、すぐに読み捨てるようにはできておりません。今後も長く、中東やイスラーム世界を見る際に参照してほしい本です。

(Kindle版)

この本は、「イスラーム国」を扱った本ですが、「イスラーム国」についてだけ書いてある本ではありません。

グローバル・ジハードの思想史と、「アラブの春」以後の中東政治の変動を見ることによって、「イスラーム国」も見えてくる、というのがこの本の仕組みであり、効用です。

ですので、イラクとシリアでの「イスラーム国」に直接関わらない(ように見える)中東地域の事象についても、この本を探せば、その意味や背景を読み解く枠組みや概念を示してあります。

昨年12月にこの本を書き終えて以降の、中東やイスラーム世界について、日本でも耳目を引きつける数多くの事象が生じました。それらの事象について、この本の該当箇所にあたってみることで、何か得ることがあるのではないでしょうか。

例えば、

(1)1月7日 パリ・シャルリー・エブド紙襲撃殺害事件

これについては、例えば次の二つの要素が絡んだ事象と考えられます。それぞれについての『イスラーム国の衝撃』の該当箇所を示しますと、

グローバル・ジハードの組織論の変貌によって現れた、ローン・ウルフ(一匹狼)型テロによる「個別ジハード」として
→第2章「イスラーム国の来歴」の50頁以降

シリアやイラクに集まる義勇兵=ジハード戦士の「帰還兵問題」として
→第6章「ジハード戦士の結集」

(2) 1月20日 脅迫映像公開によって問題化した日本人人質殺害事件

これについては、帯の写真にあしらった「ジハーディー・ジョン」そのものが1月20日の脅迫映像に同じ装束で登場したという偶然がありますが、それ自体は本質的なことではありません。現在流通している『イスラーム国の衝撃』の帯にも依然としてこの男の写真が使われていますが、間違っても、「日本人を殺害した犯人の写真を帯にあしらうなど不謹慎だ」などと怒らないでください。昨年暮れの段階でこの帯のデザインは決まって年初には印刷されており、日本人人質の殺害脅迫を受けて帯にあしらったものではありません。

この事件については、もちろん『イスラーム国の衝撃』の全編にわたって関係がありますが、映像を用いて、メディアを通じて政治的な影響力を膨れ上がらせる手法については、下記の部分が特に関係しています。
→第1章「イスラーム国の衝撃」の23−28頁
→第7章「思想とシンボルーーメディア戦略」

(3) 2月頃〜 リビアやイエメンでの内戦・紛争の激化

これはグローバル・ジハードの展開が可能になる環境条件、特に「アラブの春」後の各国の内政混乱と、それが地域規模に広がる現象です。それが引き続き展開しているのです。これについてまとめているのが、
→第4章「『アラブの春』で開かれた戦線」です。

(4) 2月〜 リビアでの「イスラーム国」の活発化

これは分散型で自発的に参加することで成り立つという、グローバル・ジハードの過去10年に理論化・定式化され普及した組織論・組織原理に基づき、地理的に連続しない場所で呼応した勢力が現れる現象です。
→第2章「イスラーム国の来歴」で基本メカニズムが解明されています。
→第8章「中東秩序の行方」では、今後の広がり方として、地理的に連続した領域への拡大と、地理的に連続しない領域への拡大の両方について、見通しを示しています。
 また、リビアでの「イスラーム国」によるエジプト人出稼ぎ労働者大量殺害の映像公開に対しては、エジプトが軍事介入を行いました。これについても第8章ではあらかじめそのような方向性を記してあります。

(5) 3月18日 チュニジアの首都チュニスでのバルドー博物館へのテロ

これも、分散型・自発的に各地で組織が現れて呼応して結集していくメカニズムのもとに発生した事件と考えられます。
→第2章「イスラーム国の来歴」
→第8章「中東秩序の行方」

(6) 3月25日〜イエメン内戦へのサウジアラビア主導のアラブ有志連合による軍事介入

米国の中東での派遣の希薄化と、地域大国の影響力の拡大ですね。それが問題の解決になるのか、問題の一部となるのか、どうなるのか。この本で書いた問題構図が持続し、顕在化しています。
→第8章「中東秩序の行方」

今後も次々と事象が生じてくる際に、『イスラーム国の衝撃』を取り出して、読み直してみてくださると、色々発見があるかもしれません。

さらにその先を踏み込んで読みたい、という人向けに、いくつか本を用意しています。今年度中に順次刊行されていきます。しばらくお待ちください。

「読売プレミアム」で長尺インタビューが公開

先日、3月25日付の『読売新聞』に掲載されたインタビューについてお伝えしましたが、そこでは大幅に省略されていたので、長いものが「読売プレミアム」に掲載されました。

「イスラム国とは何か 判断材料にしてほしい」『読売プレミアム』2015年3月27日

ロングバージョンの方は、『イスラーム国の衝撃』の裏話や、ネット媒体での議論と拡散を介して、紙の本が多くの人の目に触れて二度といた経緯など、「『イスラーム国の衝撃』の衝撃」についての部分が、こちらでは公開されています。

チュニジアのテロについても、より細かく解説しています。

試し読みする方法もあるのかな?

【インタビュー】読売新聞3月25日付「解説スペシャル」欄でイスラーム国とチュニジアについて

昨日(3月25日)の読売新聞朝刊に大きめのインタビューが掲載されておりました。私はあまりに忙しくて忘れていたのですが、気づいて声をかけてくれた方々が多くいました。

この記事はウェブ上では有料の「読売プレミアム」のみで公開されています。また、続編を「読売プレミアム」で出していくという企画が進んでおり、数日内に公開される予定です。

[解説スペシャル]過激派、自発的に傘下入り 「イスラム国」世界で宣伝戦…池内恵氏 東京大先端科学技術研究センター准教授、『読売新聞』2015年3月25日朝刊

元来はこのインタビューは文化部的視点から、『イスラーム国の衝撃』がどのように書かれ、読まれ、広まっているか、という本そのものの「衝撃」を現象として著者自身と記者が論評するというコンセプトだったのですが、インタビューを受ける直前に今度はチュニジアの事件が起き、私が偶然先月チュニジアにいたことから、紙面に掲載された記事は、国際面や政治面的な分析の要素に重点を置いたものになりました。

そこで、このインタビューが本来意図していた、『イスラーム国の衝撃』が1月20日に刊行された経緯から、政治面・国際面で扱われる事件の進行とシンクロすることで幅広い層に求められ、「出版的事件」となっていった過程を、著者自身の独自の視点で縦横に語る、という部分は、「読売オンライン」で公開する方向で準備しています。

ご期待ください。

チュニジアのウクバ旅団の脅威についてのJane’s事前の予測

昨日は、チュニジアのテロに関して、関与が疑われる最有力候補としてのウクバ・イブン・ナーフィア旅団について、それが「イスラーム国」の一部と言えるのかどうか、「アンサール・シャリーア」など他の組織との関係はどうかなど、混乱の所在と論点を提示したが、まだまだ議論は尽きない。

チュニジアという日本でよく知られていない国であるために、そもそもウクバ旅団について報道で名前さえ触れられないので、議論がしにくい。例えばJane’sのこの記事などを読むと、多少は整理されるのではないか。

“Katibat Uqba Ibn Nafaa recruitment efforts increase risk of terrorist attacks in urban centres in post-election Tunisia,” IHS Jane’s Intelligence Weekly, 20 November 2014.

しかし昨年11月の段階で、(1)新政権は世俗派主体である、(2)内務省の取り締まりが強まる、(3)アンサール・シャリーアの中からより多くがウクバ旅団の武装闘争に関心を移す、(4)リビアやシリアから帰還兵が帰ってくるとウクバ旅団の戦闘能力が増す、といった理由から、チュニジアの中心部でテロの可能性が高まり、カスリーン県などで攻撃が強まる、と予測しているのはさすがである。

しかしここでも観光客を狙うという可能性には触れられていない。

政府機関や治安関係の施設が狙われることは当然予測されていて、政府ももちろん対策を取っていたのだが、そこでソフトターゲットに移る、というところは常道ではあるが、リアルタイムで予測するのは難しい。テロをやる側も意図を隠すからである。

一部を貼り付けておこう。

FORECAST

A new coalition government led by the secular Nidaa Tounes party is likely to continue the security crackdown on religious extremism in an attempt to mitigate the risk of domestic terrorism. This effort is likely to lead to further defections from Ansar al-Sharia to Uqba Ibn Nafaa and accelerate the return of Tunisian militants from Libya and Syria, which is likely to increase terrorism risks in urban centres in the one-year outlook. The return of jihadist veterans will probably improve the group’s organisational and combat capabilities. Uqba Ibn Nafaa is likely to attempt to launch attacks against government officials, buildings, and security assets in Kasserine, Kef, Kairouan, Sidi Bouzid, Ariana, Sfax, Gafsa, and Tunis with both shooting and IED attacks.

チュニジアのテロを行った集団は「イスラーム国」に属するか否かーーウクバ旅団について

チュニジアのテロについて、どうも現地の報道と、日本の報道に乖離があって隔靴掻痒である。その中間には、英語圏の国際メディアの報道があるが、こちらは現地報道のうち共通認識と言える部分をかなり吸い上げつつ、「イスラーム国」や「アンサール・シャリーア」「アル=カーイダ」などのグローバルなジハードの展開についての記事へと結びつけている。日本の報道ではある程度以上複雑(に日本の読者に感じられる)ことを捨象してしまうので、結局曖昧な部分が多くなり、記者やデスク自身がわからなくなってしまい、混乱した報道になる。

そもそも現場で射殺された犯人の一人の名前についても、当初Hatem al-Khashnawi (el-Khachnaoui)と報じられたが、現地のアラビア語紙ではJabir al-Khashnawiとしているところが多い(一部・一時期にSabir al-Khashnawiとしている場合も)。これについては、事件をきっかけに犯人の故郷カスリーン県に取材に行った日本の新聞・テレビ局の記者が、確認してくればいいはずなのだが、確認してくれていない。

現地紙では早くから、カスリーン県の地元の警察当局の話として正確には「ジャービル」だと書かれていた。当初の報道で、別の兄弟の名前などと取り違えたのではないかと思う。そういった現地報道を認識しておらず、犯人の名前という重大な基本情報についてこれまでの国際報道でブレや矛盾があることも気付かず、すなわち、家族に話を聞きに行っても犯人の名前すら確認していないということであれば、いったい現地で何を聞いているのだという話になる。

有力なテレビ記者が現地から自分の思いだけを語り現地の声を聞かずに日本政治についての独りよがりの弁舌で貴重な放送時間を費やす事例があった。せっかく4年ぶりにチュニジアに行ったのなら、もっと現地に目を向けて欲しかった。

特に混乱が多いのは、事件の背後に「イスラーム国」がいるのか「アンサール・シャリーア」がいるのか、(そしてなぜか指摘されないが)「イスラーム・マグリブのアル=カーイダ」がいるのか、あるいはチュニジアの地元の自律した勢力がやったのか、という問題。

読売の電子版の昨夜配信の記事が、良いところに踏み込もうとしているのだけれども、結局挫折している感じがある。

「被害者収容の病院襲撃や現場撮影し投稿も計画か」読売新聞 3月23日(月)21時13分配信

日本の報道機関が、どうしても日本人の犠牲者関連の社会部的なものになりがちな中で、現地の報道から、事件そのものとその背後に迫ろうとする努力は買いたい。しかし、よく知らないので踏み込めない、という躊躇が見られる記事になっている。もっと頑張ってください。

なお、読売が参照したと見られるこの記事については、フェイスブックで何度か紹介しておいたので、そこから記事になったのかもしれない【】【】【】。

これを手掛かりに、裏を取ってグローバル・ジハード報道に活かしてくれるとありがたい。どこが混乱していて、どこを解明してくれると私としても助かるかについて、以下に指摘しておこう。

シュルーク紙の元の記事には「イスラーム国(あるいはISやダーイシュ)」という言葉は一つもない。事件後の夕方に「現場の写真を撮ってウクバ・イブン・ナーフィア旅団のウェブサイトに送った者が逮捕された」とあるだけだ。それなのに読売記事で「イスラーム国」のサイトに送ろうとしたと書いたことに、確かな根拠があるのかないのか、そこがポイントである。

ウクバ・イブン・ナーフィア旅団が「アンサール・シャリーア」に属するか否か、あるいは「イスラーム国」に属するか否かで、日本の報道機関は混乱してしまっている。

まず、チュニジアでの議論では、少なくとも、関与が疑われる最有力候補はウクバ・イブン・ナーフィア旅団だ、と組織の名前や人物を特定して議論するからわかりやすい。英語圏でもきちんとこの名前を出した上で、それが元来「イスラーム・マグリブのアル=カーイダ」と関係が深いが、「アンサール・シャリーア」や「イスラーム国」との関連もでき始めているので、今後もっと関係が深まるかどうかが注目される、という方向で報じられていることが多い。そこから今後の注目点が少しずつ絞られてくるわけであり、解明されていない部分が明らかになってくる。

ところが日本の報道機関は、「馴染みがない」という理由からか、「ウクバ・イブン・ナーフィア旅団」という名前を報じない。そこから、日本の報道機関に属する人たち自身が、何について報じているのかわからなくなってしまい、混乱が生じている。英語報道で「関連」を触れているからといって、そこから類推して「アンサール・シャリーアが声明」「イスラーム国と関連した組織」と報じてしまっては、実際に活動している組織そのものに目を向けることができなくなってしまう。

対象を明確に限定した名前で呼ぶのは、報道あるいはそもそも認識の基本である。私が「イスラーム国」は「イスラーム国」と呼べ、と言っているのも、きちんと名前を呼んで特定しないと、何について語っているのかというコミュニケーションの基本が曖昧になって、自分自身が混乱していくからである。

今回の犯行集団はまだ「イスラーム国」であるかどうかわからないのだから、わからない段階で犯行集団そのものを「イスラーム国」と呼ぶのは時期尚早である。犯行集団そのものと関係がありそうな組織が全くないなら仕方がないが、現地紙報道ではウクバ・イブン・ナーフィア旅団が一番関係がありそうなのだから、まずその名前を挙げて、報じていくべきだろう。

「イスラーム国」側がこの事件に声明を出していることはまずは「イスラーム国」側の問題であり、チュニジアの組織と本当に関係があるかは、今後の解明を待たねばならない。そして、報道陣はそれを解明するために現地に行っているのではないのか。

チュニジアの現地の組織とシリアやイラク、あるいはリビアに最近進出している「イスラーム国」が、具体的な協力関係に入ったのであれば、それを伝えることはスクープである。あるいは「アンサール・シャリーア」や「イスラーム・マグリブのアル=カーイダ」など別の組織との協力関係で生じたのであればそれもまた重大な情報だ。

今回日本の報道でよくある混乱の一つが、ウクバ・イブン・ナーフィア旅団のものとみられる声明を「アンサール・シャリーア」の声明と断定してしまっていること。確かに、ウクバ・イブン・ナーフィア旅団とアンサール・シャリーアは、構成員が重なっている場合があることは指摘されるが、指導者は異なり、同じ組織ではない。

アンサール・シャリーアの指導層がこの事件の直前に威嚇的・扇動的声明を出していることは当初大きく報じられたが、そのことと、ウクバ・イブン・ナーフィア旅団が事件直後に事件そのものについての詳細な声明を出していることとの関連は、依然として曖昧である。この事件をアンサール・シャリーアが行わせたかどうかがわからず、ウクバ旅団のものとみられる声明をもってアンサール・シャリーアが犯行声明を出したと同定することは早計に過ぎるのではないか。

逆に、読売の報道のように、ウクバ・イブン・ナーフィア旅団を「イスラーム国」と同一視するのも時期尚早で、もし明確な根拠なく同一視して書いたのであれば、世界の報道機関の水準からぐっと落ちて、先頭集団からは完全に脱落する。少なくともシュルーク紙の元記事ではウクバ・イブン・ナーフィア旅団が「イスラーム国」の一部だとは書いていない。それを「イスラーム国」と断定したのは読売の判断であるが、これは根拠があるのか。

もしかすると記事を読んでもらった現地のアルバイトなどが「ウクバ旅団はイスラーム国だ」と言い切っていたのかもしれないが、そうであれば、その根拠こそをぜひ教えてもらって、さらに調べて欲しい。

もちろん、将来この旅団が「イスラーム国」入りする可能性はある。今回の事件が、「イスラーム国」との初の連携作戦であったと華々しく宣言される可能性はある。それこそがグローバル・ジハードの基本メカニズムであるからだ。

だから私も注目しているのだが、そのようなつながりを示す事実を発見することなしに、「たぶん関係あるんでしょ?」という推測だけで「イスラーム国の一部」と断定してしまうと、それは素人の勘違いということになり、混乱を招く情報にもなる。

なお、「ウクバ・イブン・ナーフィア」とは北アフリカを征服した7世紀のウマイヤ朝の将軍の名前。北アフリカでは有名な名前である。

ウクバ・イブン・ナーフィア旅団は昨年9月20日に「イスラーム国」を支持する声明を出しているが、それだけでは「イスラーム国」の一部とは言い難い。今回の事件をきっかけに、より具体的な関係が見えて来れば、それこそ一大事である。それがあるかどうかを世界の報道機関も諜報機関も注目しているのである。よく知らずに「イスラーム国」と書いてしまったのであれば、フライングだろう。

もし「ウクバ旅団はすでに「イスラーム国」の一部として行動している、今回の事件はまさにその最初の例だ」と言い切れる根拠があるのであれば、ぜひそれをさらに掘り進めて報道してほしい。そちらであれば世界最先端のスクープになる。今回の事件が国際的に注目される理由はまさに、その可能性があるかないかが注目されているからだ。

私としては、むしろ逆に、ウクバ旅団の方が、「イスラーム国」やヌスラ戦線などシリアの組織に引き寄せられているチュニジア人を引き戻して、自分の組織の傘下に入れようとしている可能性もあると思う。「イスラーム国」の軍門に下るのではなく、「イスラーム国」と同じようなことを自分たち主導でやろうとしている、ということである。どの国の組織もあくまでも「ジハード」をやりたいのであって、イラク人やシリア人の「イスラーム国」指導部に従いたいのではない。やるなら自分達が指導者になりたい、と考えているだろう。イラクやシリアに移った時はそれは現地の指導部に頭を下げているが、自分の国でやるときは自分たちが指導する、というのが当然である。「イラク・イスラーム国」から送り込まれてシリアに行ったシリア人が、シリアでは自分たちが主導権を握ってヌスラ戦線を「イラク・イスラーム国」から自立させていった経緯があるように、グローバル・ジハードも実際の政治的な主導権においては、ローカルな土地と人の結びつきによって規定される面が大きい。

『現代アラブの社会思想ーー終末論とイスラーム主義』が9刷に

『現代アラブの社会思想ーー終末論とイスラーム主義』の第9刷が、先月から市場に出ています。

Kindle版も出ていました。

9刷の部数は2100部、と細かい。新しい帯が付いています。

累計は5万6100部になりました。

2002年の1月に刊行されてから13年間、よく長く生き続けてきました。長く生き続けるということこそが、評価の一つと思っています。

この本は、自分自身の研究者としての歩みを振り返る時に、忘れることのできない本です。

なによりも、あの時点でしか書けない本でした。

あらゆる研究者は、最初の研究で、最もオリジナルなものを出さねばなりません。世界中でまだ誰も言っていないことを言わないといけないのです。

しかしなかなかそれはできません。思想史であれば、大抵の影響力のある思想テキストは全て隅々まで読み尽くされ、論文の対象にされ尽くしているからです。

私の学部から大学院にかけてのエジプトでの資料収集で、いくつかのテーマと資料群が浮かび上がりましたが、その中で言及することが最も厄介で、かつ先行研究がない対象が、アラブ世界に広がる、膨大な終末論文献でした。

この本の後半部分を構成し、最もオリジナルな部分は、2001年11月に刊行されていた論文「前兆・陰謀・オカルト──現代エジプト終末論文献の三要素」末木文美士・中島隆博編『非・西欧の視座』(宝積比較宗教・文化叢書8、大明堂、2001年、96-120頁)からなります。

宗教学・思想史の固い叢書に、全く新しい、つまり評価の定まっていないテーマと資料についての、全く無名の著者による論文の収録を認めてくださった編者の先生にはひたすら感謝しておりますが、それを新書という一般書の枠に収めるというものすごく無茶な構想を受け入れた、当時の講談社現代新書の編集者の大胆さも、今振り返ると、傑出したものでした。

そして、2002年1月という時期に出せたことが、何よりも今となってはかけがえのないことです。時間を巻き戻すことはできません。今なら、もっと完成度の高い、整った形で書けるかもしれませんが、それを2002年に戻って出すことはできません。

研究者は生まれてくる時代を選ぶことはできません。

自分が大学院にいる間に現れてきた、まだ他の研究者が触れていない対象に、誰よりも早く手をつけて成果を出さなければならないのです。

中東と、あるいは学術の世界をリードする欧米と、言語や情報のギャップのある日本の研究者として、中東の思想や政治をめぐって誰よりも早く新しいテーマに取り組んで成果を出すことは、至難の技です。

その中で、この本とその元になった論文は、結果として、欧米でこの文献群を用いたまとまった研究が出るのに先んじて発表した形になりました。

その後数年すると、現代の終末論文献を扱って学界に名乗りを上げる若手研究者が、米国でもフランスでも現れてきました。あと数年ぼやぼやしていたら、私の本は「後追い」になってしまったでしょう。

でも当時は日本では「後追い」が普通で、むしろ、全く欧米の先行研究がないものをやると、評価されなかったりしたのです・・・「欧米の権威」がやっていることを輸入するというのが主要な仕事だったのですから。

その後、このテーマは結果的に「欧米の権威」が扱うものとなりました。一つ目はこれ。
David Cook, Contemporary Muslim Apocalyptic Literature, Syracuse University Press, 2005.


Kindleでもあるようです(David Cook, Contemporary Muslim Apocalyptic Literature (Religion and Politics))。

クックさんは短い論文の形では、私より早く現代の終末論文献の存在に着目していたようです。しかしまず古典の終末論について本を出してから、現代の終末論文献に本格的に取り組みました。

古典終末論について書いたのはこの本です。
David Cook, Studies in Muslim Apocalyptic, The Darwin Press, 2002.

クックさんは私と同年代ですが、その後、 米テキサス州のライス大学の准教授になりました。そして、終末論についての研究を一通り発表したのち、ジハードの思想史に取り組んでいます。
David Cook, Understanding Jihad, University of California Press, 2005.

紙版は増補版(Understanding Jihad)が出版される予定のようですが、Kindleでは初版が買えます。研究上は初版が重要です。もちろん、その後の「イスラーム国」に至るジハードの拡大をどう増補版でとらえているか、クックさんの研究がどう進んでいるかにも大いに興味がありますが。

「終末論からジハードへ」という研究対象の変遷は、イスラーム政治思想の内在的構造化が、必然的な道行きと思います。

フランスでも同じ素材で研究が出ました。
Jean-Pierre Filiu, L’apocalypse dans l’Islam, Fayard, 2008.

英訳はこれです。
Jean-Pierre Filiu, tr. by M. B. DeBevoise, Apocalypse in Islam, University of California Press, 2011.

フィリウさんはパリ政治学院で学位を取って母校で教鞭を執っている人です。この著者は研究者になったのは私より遅いのですが、年齢はひと回り上(1961年生まれ)で、まず外交官として中東に関わったとのことです。

私は、フィリウさんが外交官をやめて大学院生になったかならないかぐらいに、のちに彼の指導教官となるジル・ケペル教授に会いに行く機会がありました。その際に出たばかりの私の『現代アラブの社会思想』を見せて、日本語なのでケペル教授は当然読めませんが、資料の写真を多く入れておいたのと文献リストを詳細につけていたことで、扱った文献について話が盛り上がりました。

ケペル教授もこの文献群の存在は認識しており、この文献を扱った本を出したことについては、けっこう驚いているようでした。後に、自分のところに来た学生がこの文献群をテーマとして選ぶ際に、微妙に影響を与えたかもしれません。といってもフィリウさんは私よりずっと以前から中東に関わっているので、とっくにこの文献群の存在と影響には着目していたでしょう。

その後フィリウさんは活発に中東論者・分析家として活躍しています。

私について言えば、この本を書いたのは、日本貿易振興会アジア経済研究所の研究員になって1年目の年でした。終身雇用のアカデミックな研究所に就職して、普通なら放心してだれてしまうところでしたが、就職して半年で9・11事件に遭遇し、中東の激動が始まるわさわさとした予感の中で、衝き動かされたように書きました。

クックさんやフィリウさんのような学者が研究を完成させる前に、このテーマについて論文と本を出しておけたことは、今振り返ると、当時の自分を褒めてあげたい気持ちになります。当時は他国の研究者との競争など考えず、ただ無我夢中に論文や著書刊行の機会を求めて、与えられた機会に必死に出しただけだったのですが。

また、この本が広く知られるための後押しとなったのが、この年の暮れに大佛次郎論壇賞を受けたことでした。

どなたかが候補作にあげてくださったのですが、それを審査委員の一人、米国で長く研究をしてきたある先生が、強く推してくださったことで、一気に流れが決まったという裏話を聞きました。どうやらかなりの番狂わせであったような雰囲気でした・・・

当時は「研究員」という立場で賞をもらうことはまずないというのが、日本の言論界の暗黙の前提でした。当時の日本は今よりずっと不自由で、序列を気にするガチガチの社会だったのですね。

また、端正でリベラルな学究の先生が、このような野蛮なテーマを扱った破天荒な学術研究を一番に推してくださったという話も、一般的な印象とは合わないかと思います。

しかしかなり経ってから米国の学術界や社会一般との接点ができるようになったころに気づいたことは、その先生は、この本の出来がいいからとか、完成されているからといった理由でこの本を推したのではないだろう、ということです。

そうではなく、一番変わった説を打ち出している、一番若い人の候補作に、米国での当然の作法として、機会を与えるという意味で賞を与えただけなのでしょう。

米国の社会は、何か人と違うことを考えている人が、一歩前に踏み出して発言しようとした時に、その機会を与えてくれる社会です。何かをやってやるぞという若い人に、まず一回は機会を与える。それが自然に行われています。

機会を与えられて発言を許されたということは、それだけでは何も意味しないのです。その発言が意味のあるものか、社会に何か違いを与えられるか、その後の活動で真価を証明して初めて、その人と作品は評価を得られる。

機会を与えられたということだけでは、評価されたということを意味しないのです。

このあたりは、「発言」があらかじめ「立場」によって決まっており、その評価も立場の上下をもってあらかじめ決まっていかのような前提を抱いている人が多い日本では、あまり理解されていないことかもしれません。そのような前提の下では、発言の機会を確保しているということ自体がなんらかの「上」の立場であることを意味し、すなわち内容の評価を意味するという、強固な観念が生まれます。

米国の社会にも、その社会が生む国際政治の政策にも、悪いところはいくらでもあるでしょう。しかし、「若い人が新しいことをやろうとしているときに、一回は機会を与える」という米国の社会の根っこに強固に定着した原則は、素晴らしいものだと思いますし、それが米国の活力や競争力の源であると思っています。

そのような米国的な発想により、大量の出版物の渦の中で押し流され消えそうになっていたこの本が、拾い上げられ、翼に風を送られたかのように再び浮上したことは、奇跡的であったと思います。この本が今後も飛び続けられるように、私がたゆまず風を送り続けることが、機会を与えてくださった先生に応えることになるのだと思っています。

リビアを新たな聖域とするグローバル・ジハードの次の目標はチュニジア、エジプト、アルジェリアの不安定化(2月18日エントリの再録)

3月18日のチュニジアでのテロについて、情報を取りまとめております。この事件の直接的な背景が何であったのか、この事件をきっかけにチュニジアや北アフリカに今後何が起こってくるのか、考えています。

そもそも、チュニジアを中心とした「アラブの春」によって政治変動が様々に起こった諸国について、現在本を完成させる途中であり、そのためにチュニジアそのものについての情報のとりまとめと発信は後回しになっていました。

しかし、事件から1ヶ月前の2月18日に当時滞在していたチュニスから、下記のエントリをフェイスブックに投稿していました。基本的には、今回の事件は、このような文脈で起こってきたものと考えています。チュニジアのテロ事件の政治・国際政治上の文脈について問われれば、簡潔には今でも下記のようにお答えします。

以下に再録しておきます。「半年」といった広い範囲での予測・警告しかできないことは、私の力不足ではありますが、社会・政治を見る学問の可能性の限界でもあると考えています。

https://www.facebook.com/satoshi.ikeuchi/posts/10202680339168675
2月18日
#‎リビアのイスラーム国‬

リビアは「イスラーム国」からの「帰還兵」の聖域となるのか

リビアで最近急に「イスラーム国」の活動範囲が広がった背景として、「イスラーム国」中枢がシリアやイラクで活動に参加していた北アフリカ系の人員をリビアに投入している様子が伝わって来る。
 幾つかのエジプトの新聞は、サウジの『リヤード』紙の17日の報道を引いて、バグダーディーはリビアのシルトに小規模の部隊を送り込んだと報じている。部隊の司令官はチュニジア人で、チュニジア政府が帰還を認めないのでリビアに流れたという。カダフィの周りで雇われていた傭兵がこれに参加しているなど、興味深いが事実かどうか判断しようがない、ありそうな話が書いてある。リビアを聖域にして北アフリカ系の武装集団を集結させると、チュニジア、エジプト、アルジェリアが揺らぎかねない。シリアを聖域にしてイラクを揺るがしたモデルを繰り返そうとしているのだろう。これに周辺諸国がどう対応するかを、今後半年は注目していかないといけない。

【追記 3月21日】
このようなリビア発でのチュニジアの過激派の刺激や浸透について、2月のチュニジア現地滞在時のテロ事件を紹介した記事を、明日のテレビ出演のテーマに関する今朝のエントリでも示しておいたが、下記に再び列挙する。2月18日のアンサール・シャリーア系のウクバ・イブン・ナーフィア旅団による内務省・治安部隊員4名殺害の事件と、政府のそれへの対応についてである。

https://www.facebook.com/satoshi.ikeuchi/posts/10202679909917944
https://www.facebook.com/satoshi.ikeuchi/posts/10202679919878193
https://www.facebook.com/satoshi.ikeuchi/posts/10202679929398431
https://www.facebook.com/satoshi.ikeuchi/posts/10202679943758790

この前後の動きについては資料は多く集積しているが、整理してお見せする時間が到底ない。一部は明日3月22日の番組の中で口頭で話せるだろう。

【テレビ出演】3月22日(日)夜9時〜「週刊BS-TBS報道部」に出演し、チュニジア分析をします

明日日曜夜に、例外的にテレビ出演を行います。

3月22日(日)夜9時〜BS-TBSの「週刊BS-TBS報道部」にて、スタジオでチュニジア情勢について、その中での3月18日のバルドー博物館へのテロについて、解説します。

前回2月1日と同じく、元『フォーサイト』編集長の堤信輔氏がレギュラーのゲストで一緒に出演してくださるという条件の元で、また事前に番組構成について私の見解を踏まえてテレビ局側が入念に準備するという条件で、お引き受けしました。

実は私は2月7日−2月20日にかけてチュニジアへの現地調査に赴いておりました。その間にフェイスブック上で、適宜現地から情報を提供していましたが、当時は、1月7日のシャルリー・エブド紙襲撃事件から1月20日−2月1日の日本人人質脅迫殺害事件にかけての、「イスラーム国」をめぐる議論の日本での急激な政治問題化によって、世論が過熱していたことから、調査を行っている場所と期間は、意図的に分からないようにしていました。

私は危険な場所には極力立ち寄らず、とりたて重要な情報源に接触するわけでもないため、元来は動静を隠す必要は全くありません。しかしどのような誤解や曲解、宣伝の対象となるか計り知れないため、念のため居所を意図的に不明確にしていました。

しかしチュニジアにいたという痕跡を若干残しておきたい思いもあり、滞在中にチュニジアで起こった事件のうち、2月18日朝に発覚した西部カスリーン県ブー・アラーバでの、アンサール・シャリーアの傘下にあると称するウクバ・イブン・ナーフィア旅団による内務省治安部隊員4名の殺害という事件について、中東国際政治の議論では通常はあまり参照されないチュニジアのローカルなメディアの報道を紹介して、記録しておいた。

この事件は、その前に頻繁にシェアしていた、リビア情勢とイメエン情勢の悪化という文脈の上に置くと、チュニジアへ過激派の影がじわじわと忍び寄った危険な兆候、という大きな意味を持つと考えた。そのため、一見平穏なチュニジアの、辺境地域での小さなテロについて、注目されていたリビアの「イスラーム国」の動向や、エジプトの空爆などの反応、あるいはイエメンやシリアやイラクの混乱と同様の大きな意味を持つものとして、下記のように記事のサンプルを記録しておいた。

https://www.facebook.com/satoshi.ikeuchi/posts/10202679909917944
https://www.facebook.com/satoshi.ikeuchi/posts/10202679919878193
https://www.facebook.com/satoshi.ikeuchi/posts/10202679929398431
https://www.facebook.com/satoshi.ikeuchi/posts/10202679943758790

今見ると、なんらかの兆候に触れてはいたのだが、チュニジアの治安情勢のみに集中していることはできないことから、継続的な追求の手を緩めたと思う。

なお、同様の兆候はアラブ世界の多くの専門家が感じ取っており、リビアの混乱がチュニジアおよび、アルジェリア、エジプトに及ぶ危険性について、3月半ばにかけて、徐々に警鐘の音が高く鳴らされつつあった。

しかしそのような鋭敏で継続的な分析者たちにしても、このようなテロを未然に予測できた人はいなかったと思われる。【記事の例、3月15日付の警鐘3月10日付のアラビア語元記事

本来なら、帰国してさほど期間をおかずに、ブログなどで、チュニジア政治と、チュニジアを軸にしたアラブ地域国際政治の動向や、グローバル・ジハードがチュニジアに及ぶ影響について、まとめてみようと思っていた。また、余談として、チュニジアの一般市民の休日の過ごし方など、アラブ諸国の中で例外的に平穏で安定しているチュニジアの日常や人々の生活に触れることのできるコラムなども、公開しようと下書きを準備してあったた。ただし、著作の出版予定が相次ぐ上に、中東情勢の流動化で絶えずチュニジア以外のより混乱した国・地域についての分析に迫られることから、チュニジア報告に時間を割くことができずにきた。

チュニジア報告の中には、チュニジアでの調査の重点項目である、リビアを通じた「イスラーム国」からチュニジアへの影響、チュニジアの辺境地域および首都の重要施設を狙った武装集団の動きについて、まとめる予定で、帰国後の動きも含めて逐次情報は集めてきたが、まとめる時間と労力は到底割くことができなかった。そのうちに、予想を超えた速さと規模で、手薄な警備の地点を突かれて、チュニスでテロが起きてしまった。

今回のテレビ出演では、可能な限りそれらの知見を提供して、事件の全容解明になんらかの手がかりを提供し、また今後の日本のチュニジアとの関わりのあるべき姿を示そうと思う。

なお、お世話になってきた、また信頼する堤さんとの関係でご縁ができた「週刊BS-TBS報道部」だが、前回2月1日の出演について、このブログのエントリを探したが見つからない。

どうやら忙しすぎてテレビ出演情報をブログに上げることさえできなかったようだ。代わりに1月31日にフェイスブックで通知してあった

フェイスブックの方がシェアしてコメントを走り書きするだけなので短時間でアップできるのと、この頃非常に読者が増えていたのでこちらだけでも十分と思ったのだろう。

しかしフェイスブックの検索機能の弱さ、ハッシュタグ機能の弱さを見るにつけ、やはりデータをブログに集約させなければという気になっている。

ただし、2月1日の番組出演の内容のうち、日本での人質事件をめぐる政治的な議論に一石を投じる、いわば「キラー・コンテンツ」として提示した、「1月20日脅迫ビデオの冒頭映像を見れば、イスラーム国は日本の支援が非軍事的であることを明確に認識している」という論点については、ブログのエントリで後に詳細に示しておいたこれはかなり多くの人にシェアされ、いろいろなところで議論に使われたようだ。

2月1日の出演は、堤さんのご紹介で、1週間以上前から決まって準備してきており、この日の未明にかけて、二人目の人質の殺害という痛ましい結果になったことを受けて出演したわけでも、このような事態に終わると予想していたわけでも全くない。

しかし偶然、日本でニュース番組が少ない日曜日に事件の結末が明らかになr、その直後の出演であったため、2月1日のこの番組は、BSにしてはかなり注目されたようだ。

今回のチュニジアのテロについての、これまで私が見た限りのテレビ報道では、そもそもチュニジアについてほとんど全く何の知見もないことが明らかな「専門家」の不確かな議論が目立った。

私が事件のひと月前にチュニジア調査をしていたというのは偶然にすぎず、半年ほど前に安いチケットを買って、この時期にチュニジア調査に行くと決めていたから行ったというだけである。しかし結果としてこの事件の直前のチュニジアの情勢を直接見聞きした数少ない日本人になってしまったので、その知見から言い得ることを、少しでも伝えられればいいと思っている。

今回の出演では、そもそもチュニジアの社会と政治はどのようなものなのか、日本で伝えられてこなかったチュニジアの政治変動と民主化はどのように進んできたのか、チュニジア政治の現状とチュニジアの置かれた国際関係の中で、今回のテロ事件はどのような意味を持つのかを考えてみたい。

また、「イスラーム国」やそれに共鳴して傘下入りを試みている内外の諸武装集団が、チュニジアをどのように見ているのか、どのように攻撃の対象としているのかも、検討してみたい。

このような見方は、思想史と比較政治学を用いてイラクとシリアの「イスラーム国」を分析した『イスラーム国の衝撃』と同じか、その延長線上にある。ただし、チュニジアを調査地に選んだ理由は、「イスラーム国」がこれまで伸長できなかった、浸透できなかった国に対して、イラクやシリアでの、あるいはイエメンやリビアでの「イスラーム国」と関連する組織の動きがどのような波及効果や影響をもたらすのか、というところが、次の大きな課題になると考えていたからである。その意味で、ぼんやりと感じ取ってはいたものの、やはり今回の事件は私の予想より早く、想像より大きな規模で、グローバル・ジハードの影響がチュニジアに及んだと言わざるを得ない。背後にある勢力とその意図が何なのか、できる限り情報を精査して考え直してみたい。

また、チュニジアを渡航先に選んだのは、危険の兆しが表れていたと言えども、やはりチュニジアがアラブ世界の中の比較の上で非常に安全だから、その安全な場所を拠点として、非常に危険であって私の持つ資源では身の安全を確保し得ないリビアやイエメンの動静を見る、という意味があった。

しかしそうしていたところ、チュニジアの中心にテロが及んでしまったわけで、やはり私の想像を超えた動きであったと認めざるを得ない。その程度の予見力しかないぼんやりとした人間のぼんやりとした知見だが、何かの役に立つことを願っている。

書評まとめ(2)『イスラーム国の衝撃』

『イスラーム国の衝撃』への書評のまとめの続きです。(1)はこちら

3.週刊誌

『週刊新潮』2015年2月5日号(1月29日発売)、《書評欄》「『イスラーム国の衝撃』 池内恵著」(評者・林操)

この号は「イスラーム国」一色だったようですね。

『週刊ダイヤモンド』2015年2月7日号、《Book Reviews 知を磨く読書》「敵意を増大させる過剰な警戒」(評者・佐藤優)、84頁

第6章の帰還兵問題の項から「シリア・イラクからの帰還兵をすべて過激なテロリストととらえ、法を逸脱した対処策を適用すれば、かえって欧米への敵意を増大させ、実際にテロ組織の側に追いやりかねない。帰還兵への過剰な警戒は、自己成就的な予言となりかねないため注意が必要である」という部分を引き、佐藤氏は「確かにその通りであるが、過剰反応するのがインテリジェンス(諜報)の本性なので、帰還兵をめぐっては、「自己成就的な予言」が成就するのではないかと思う」と、自らが拠り所とするインテリジェンスへの悲観主義的なひねりを加えて返している。こういう発想と表現の反射神経は、「さすが」と思いますね。

『週刊エコノミスト』2015年2月10日号(第93巻第6号・通巻4383号)《話題の本》「『イスラーム国の衝撃』 池内恵著」

「読書日記」の連載もしているので取り上げてくれたのかな。

『週刊文春』2月19日号、《永江朗の充電完了》「電子書籍 危機一髪!」

次々と現れる電子書籍を読む、という趣旨の連載だと思われるコーナーで、こんなアプリやデバイスがあるのか、と普段興味深く読んでいるが、そこに自分の本が出てくると驚く。読んでみると、「ある仕事で池内恵の『イスラーム国の衝撃』の書評を書くことになった」とある。ところが書店を回ってもネット書店でも、売り切れで手に入らない。1月後半の品薄の時期ですね。締め切りは1月30日で、刻一刻と迫るがなおも手に入らない。それが1月28日発売のKindle版で「あいててよかった」(懐かしい)となり、危うく救われた、という話。

なお、永江さんは「紙版と同時発売だったらもっとよかったのに」と書いていらっしゃいます。

なぜ紙版と同時発売でなかったかというと、よく知りませんが、もしかすると私が書いたのがギリギリなので、単純に間に合わなかったのかもしれません。電子版にまで手が回らなかった。

私も個人的には、1月20日の人質殺害脅迫ビデオ公開で勃発した狂騒状態の1週間にKindle版が存在していたらおそらくフラッシュマーケティング的にとてつもなく売れて稼げたと思いますので機会損失は大きいと思いますが、それよりも「必要とする本が手に入らない」という体験を多くの人がしたことがいいのではないかなと思う。そこから本来存在するべき本のあり方、書店のあり方、自分自身の本の買い方について考え直す人が何人か出てきてくれればそれでいい。

肝心の書評そのものは、どこに載ったのか、あるいは載らなかったのか、分かりません。

しかし週刊文春の記事の中では「あの自称国家のルーツがアル=カーイダにあり、アル=カーイダのルーツがソ連によるアフガン侵攻時のアメリカの政策にあったことを知った」となっていますが、これは間違いではないが、私の本から読み取るべき点はそこではないだろうと思う。そういう話なら私の本を読まないでもそこらへんの本でいくらでも出回っている。何もかもアメリカ原因・責任論にしてしまうとわからなくなる、広く深い世界がその外にありますよ、というのが私の本の基本的な方向性だと思うのだが・・・

もしかして電子書籍で読むとそうなるのかな?

『イスラーム国の衝撃』を剽窃した記事についての対応

非常に時間がないのですが、誤解やデマを避けるために、ここに書いておかねばなりません。

『東洋経済オンライン』に掲載された二つの記事が、私の書いた『イスラーム国の衝撃』の複数の箇所を、若干文体を変えただけの引き写しであることを発見しました。問題設定も、論旨も、論理展開も、引いてくる事例もほぼ全てが『イスラーム国の衝撃』および『現代アラブの社会思想』、そして本ブログ「中東・イスラーム学の風姿花伝」からの引き写しであり、明確な剽窃です。二つのコラムの全編にわたって、一切、私の文献を参照したという記載はありません。

文中で剽窃の隠蔽・言い逃れを意図したとみられる姑息な手段も弄しているとともに、「宗教学たん」なる筆名を用い、明らかに虚偽の「17歳女子高生」を称することによって身元を隠していることで、文章を発表するものが負う応答責任を問われることを回避しており、極めて悪質とみて、フェイスブックのアカウント(https://www.facebook.com/satoshi.ikeuchi)で告発しました。

下に記すように、3月17日、匿名・身元を公には隠した著者からは、事実関係をある程度認め謝罪し記事を撤回する旨の発表があり、記事の元来の配信元から、記事を配信したメールマガジンを打ち切るとの発表がありました。

私の告発はフェイスブック・アカウントを通じて行ったため、検索機能が弱く、アカウントを持っていない人が見ることができないため、剽窃を行った側の言い分のみが流通することになりかねず、誤った認識を広めかねないので、ここにまとめておきます。

剽窃が行われ、一般に広くアクセスできるように置かれていたのは、具体的には『東洋経済オンライン』の二つの記事です。

「「イスラム国」の呼称、避けるべきではない 暴力の根源は、昔から内包されていた」2015年02月28日

「イスラム国は、「2020年の勝利」を信じていた フセインが書き残した、終末までの7段階」2015年03月14日

これらはそれ以前に、「プレタポルテ by 夜間飛行」の配信するメールマガジン「寝そべり宗教学」の第2・3回として配信されたものが『東洋経済』に転載されていたことが判明しました。

「第2回 イスラム国はイスラム教と無関係という意見は、ちょっと危ないと思うよ!」2015年2月27日

「第3回 イスラム国が思い描く「2020年のハルマゲドン」へのロードマップ」2015年3月12日

この二つの記事は、大部分が、『イスラーム国の衝撃』の具体的な記述を、文体のみ書き換えたものであり、相違点は部分的に省略しているか、しばしば不適切あるいはそれほどの意味のない情報を若干挟み込んだ部分にすぎず、明確に剽窃です。『イスラーム国の衝撃』を参照したと明記されていないことが問題であることはいうまでもありませんが、そもそも大部分が他人の作品の語尾等を変えただけのこの二つのコラムは、固有の著者の作品として成立していません。そのため、剽窃行為を行う匿名・身元を隠した著者だけでなく、これらを掲載した「プレタポルテ by 夜間飛行」及び『東洋経済』にも、重大な道義的責任があると考えます。

また、池内恵『現代アラブの社会思想』の議論も、また近年の政治的論争をめぐる議論においても、本ブログ「中東・イスラーム学の風姿花伝」の池内恵「「イスラーム国」の表記について」(2015/02/14)の主張を、若干表現を変えるのみでそのまま繰り返しています

3月15日、剽窃したこの文章を最も大規模に流通させている『東洋経済』にメールで抗議するとともに、下記のフェイスブックのエントリで告発し、注意を喚起しました。

https://www.facebook.com/satoshi.ikeuchi/posts/10202807262101669
https://www.facebook.com/satoshi.ikeuchi/posts/10202807313302949
https://www.facebook.com/satoshi.ikeuchi/posts/10202814396600027
https://www.facebook.com/satoshi.ikeuchi/posts/10202820770359367

これに対して、『東洋経済』編集部からは、「至急社内で確認のうえ、しかるべき対応を検討したい」と記された返信が一回ありましたが、その後は3月17日23時までのところ、私に対しては連絡がありません。3月17日には、掲載されたコラムに、「夜間飛行」のホームページにリンクする形で、記事の提供元から説明があった旨のみ、二つの記事の冒頭に加えられていますが、編集部より私への説明はありません。ただメールの文面を見ると、「返事をする」とは書いてありませんので、出入り業者のライター風情の抗議に対しては直接答える義務がないと考えている会社なのかもしれません。

3月16日に、「宗教学たん」を称する人物(1名、ポストドクターの日本学術振興会研究員)から、謝罪と剽窃の事実を基本的に認める内容のメールが届きました。そこで私はこの人物の氏名と帰属に関する基本情報を知らされています。この情報を公開することを妨げるいかなる義務も私は負っていないことを確認してありますが、現時点では氏名の公表は私からはしておりません。その理由はこの文章の後で述べます。

なお、匿名の筆者は私のメールアドレスを「夜間飛行」を運営する編集者から知らされたと、当該編集者の氏名を記した上で明かしていました。これが何を意味するかは判然としませんが、「夜間飛行」の編集部は、剽窃の文章を掲載し配信したことの責任の大部分・ほぼ全てを著者に追わせ、対応の主体ともさせる方針であると私は判断しました。

私の知る限り「夜間飛行」の主要な運営主体である編集者は、以前に中央公論新社に勤務しており、2010年に『中央公論』に私の原稿が掲載された際にメールのやり取りをしているため、私のメールアドレスを知っているはずです。そこから私のメールアドレスが伝えられたものと受け止めています。しかしなぜ編集者本人から説明がなかったのかは、まさになんの説明もないので今に至るまでわかりません。

編集者本人からは3月17日23時までの間、私に対しては直接の連絡はありません(ただし、私はそれまでの経緯から、編集者本人が直接対応をする意思がないものとみなし、3月16日夜のフェイスブックで「連絡してこなくていい」と私から発信しています)。

3月17日に、「夜間飛行」のウェブサイト上に、「宗教学たん執筆の記事とメルマガ『寝そべり宗教学』について」という文書が公開されました。

この文書は二つの部分からなり、一つは「夜間飛行 編集部」からのメールマガジン停止の通知であり、もう一つは「宗教学たん」を名乗る人物からの謝罪と事実関係の(一方的な)説明でした。事実関係の説明についての文面は、前日に私に対して送付したものとほぼ同一であり、前文として、私の返信を一部取り入れたと見られる記述が若干見られます。

「夜間飛行」編集部の示した文面は、「読まれていた読者の皆様に不快な思いをさせてしまい、申し訳ございませんでした。」というもので、日本語としてもやや問題がありますが、自らの顧客である読者に対して謝罪するのみで、剽窃の文章を流通させられて実害を被った私に対する一切の謝罪の表現がありません。

そもそも問題の二つの文章が剽窃であるということについて、編集部は認めることを避けているように見えます。

「記事について盗用等の指摘を受けた件」「盗用等の指摘を受けた点」と繰り返しているため、「指摘を受けた」事実のみを認め、それが剽窃であるかどうかの認識を表明することを避けているものとみられます。

もし万が一、この二つの文章が『イスラーム国の衝撃』の剽窃でないと言いたいのであれば編集部ははっきりとそう書くべきです。

それとは別の理由があるのであれば、例えば、「編集部は記事の内容が剽窃であるかないかを判定する立場にも、責任を負う立場にもないので、読者にしか謝らない」というのであれば、はっきりそう書くべきです。

そうでなければ事情を知らない第三者に誤解を生じさせかねません。

「宗教学たん」を名乗る著者は基本的に剽窃を行ったことを認めているものとみられますが、別の英語の文献を参照した旨を記してあたかも『イスラーム国の衝撃』以外の文献に依拠して議論を行ったかのような印象を与えようとしていますので、私の指摘を受けて謝罪しながらもなお、自分が剽窃を行っているという事実についての認識が甘い可能性が払拭できず、剽窃が何を意味するのかを本当に分かっているのか否かが、依然として明確ではありません。

まず、匿名筆者は謝罪文でなおも、実際には池内の『イスラーム国の衝撃』に依拠せずに書けた部分があると主張しています。

【3月19日追記:ウェブ上には、読解力がないにもかかわらず頻繁に文章を発表する人がおり、下記の英語をあげた部分のみをとって「剽窃ではない」旨を主張するこれまた匿名人物が現れてきています。以下の部分を特に挙げたのは、匿名著者が殊更に英語の記事を示して『イスラーム国の衝撃』から直接引き写していないと示唆したがゆえに、確認のために、実際の英文から匿名著者の議論が導けないと示しているだけです。匿名著者が認めている他の引き写し部分はより明確に『イスラーム国の衝撃』から引き写しています。また、ここで挙げた部分についても、ここで書き写していませんが、匿名著者の「第6段階以降」についての記述は『イスラーム国の衝撃』の該当部分と同じです。この問題について「剽窃かそうでないか」を議論するのであれば、ご自分で対象させてみるしかありません。なお、全編にわたって引き写していながら、この部分だけ「読まなくとも思いつけた」などという理屈には意味がありません。コピペ文化に染まった書き手がウェブに多くおり、一定の読み手もいるようですが、それらは表の世界の陽の光に当たれば萎んでしまう切り花のようなものと心得てください】

これは場合によっては「池内の著作には新規性がない」と暗に主張していることにもなりかねず、私にとって重大な要素を含むので詳細に見ておかねばなりません。

ここで問題にするのは、「2005年8月12日のSpiegel On Lineに掲載されたThe Future of Terrorism」を読んだという主張です。これは「寝そべり宗教学」第3回「イスラム国が思い描く「2020年のハルマゲドン」へのロードマップ」の「終末へ向けた7つのステップ」の節を、池内著『イスラーム国の衝撃』からではなく別のところを見て書いたということを示唆したいのだと思いますが、しかしこれを持ってきてもこの部分が剽窃ではないという主張を支えません。

匿名筆者はフアード・フセインに依拠した記述を行うにあたって、『イスラーム国の衝撃』の第3章77−85頁の「2020年世界カリフ制国家再興構想」の節の記述を参照していることは明確です。なぜならば、Spiegel Onlineの記事と池内の『イスラーム国の衝撃』では、同じフアード・フセインの文献を用いながら、違うことを読み取っているからです。Spiegel Onlineでは、7段階に渡るカリフ制国家再興構想のうち第5段階以降は曖昧にしか紹介しておらず、それによって、第6段階以降が終末論となるという、池内が『イスラーム国の衝撃』で同じ文献を用いながら指摘している点について触れていません。

Spiegel Onlineによる抄訳の該当箇所を見てみましょう。

The Sixth Phase Hussein believes that from 2016 onwards there will a period of “total confrontation.” As soon as the caliphate has been declared the “Islamic army” it will instigate the “fight between the believers and the non-believers” which has so often been predicted by Osama bin Laden.

The Seventh Phase This final stage is described as “definitive victory.” Hussein writes that in the terrorists’ eyes, because the rest of the world will be so beaten down by the “one-and-a-half billion Muslims,” the caliphate will undoubtedly succeed. This phase should be completed by 2020, although the war shouldn’t last longer than two years.

第6段階で「オサーマ・ビン・ラーディンが頻繁に予言していた、信仰者と不信仰者の戦い」について描いているものとSpiegel Onlineの記事では記しているのみです。ビン・ラーディンは終末論を言う人ではありませんでした。この部分が終末論的な信仰かもしれないということは、私の本を読んだ上で想像しない限り、この英語抄訳からは読み取れません。

池内は『イスラーム国の衝撃』の第3章でまずこの部分が終末論的である点を指摘した上で、第7章では「イスラーム国」が発行する雑誌『ダービク』の明白な終末論につなげていきます。それが思想史の謎解きというものです。

匿名筆者はというと、Spegel Onlineの英訳(抄訳)を元に「2020年カリフ制再興構想」についての訳文を作りながら、この第6段階以降が終末論だと論じます。Spiegel Onlineの記事にはそんなことは書いていないのですから、この部分が終末論的であることを明示する別の文献を参照したと示さない限り、「Spiegel Onlineの英訳を参照したから池内からの剽窃ではない」とは、客観的には言えないのです。

まあ本人が別の宗教の終末論について研究したことがあって、片言隻句からも終末論を読み取るという可能性がないわけではないですが、その場合は、今回の議論については、根拠なく語ったということになります(私信では『イスラーム国の衝撃』の第3章は読んだが第7章は読んでいない、とのこと)。

意図的に、不十分な抄訳を提供しているのみのSpiegel Onlineの記事に依拠して、『イスラーム国の衝撃』の該当箇所のアラビア語からの訳よりも精度の低いものを提供しても意味がありませんが、なぜそのようなことをやるかというと、匿名筆者がSpiegel Onlineの記事からわざわざ荒いものを訳して、「池内とは違う文献を踏まえた形にし、異なる訳文を作りたかった」ものであったと推測されてしまいます。

池内の地の文から引き移すところは機械的に「女子高生文体」に変えているので文面は全く同一ではないことになりますが、翻訳の部分まで女子高生文体にしてしまうわけにいかないので、引用せざるを得ない。『イスラーム国の衝撃』から引用しないようにするには、苦肉の策で、ウェブ上で不完全な英語抄訳を探してくるしかなくなったのでしょう。

なお、私は「2020年カリフ制国家再興構想」については、下記の論文で書いており、そこにはフアード・フセインによる『クドゥスル・アラビー』紙に連載された資料への参照を含め、『イスラーム国の衝撃』での該当箇所の議論の原型が示してあります(注でSpiegel Onlineの記事を含む、先行する研究・言及を網羅的に示してもあります)。

池内恵「アル=カーイダの夢──2020年、世界カリフ国家構想」『外交』第23号、2014年1月、32-37頁

この論文についてはブログで簡単に紹介しています。

2020年に中東は、イスラーム世界はどうなっている?(2014/02/05)

しかし終末論を軸としたグローバル・ジハードの進展についての論考は、『イスラーム国の衝撃』が最新のものであり、もっとも深めたものである。この論文を書いてのちに、イスラーム国が伸長して『ダービク』で終末論思想を全開にしたので、初めて『現代アラブの社会思想』からイラクのアル=カーイダをへて「イスラーム国」につながる、終末論からジハードへ、という流れがつながったのです。だから『イスラーム国の衝撃』を書く意義があると思えた。それがこの本を書いた一つの理由です。

また、匿名筆者は、私が問題にした二つのコラムについて、タイトルと各節の見出しを列挙して、そのうち指摘を受けた部分として*の印をつけています。*をつけた部分だけでも多すぎますが、「独自の部分もある程度ある」という印象を与えかねません。しかし実際には、それ以外の多くの節でも同様に、『イスラーム国の衝撃』の特定の箇所と、問題設定、論点、論理構成、選んでくる事実がほぼ全て一致しており、差し挟んだ部分、改変した部分は、当該記述の根拠となる知識を持っていないことによる誤謬を含んでいます。

例えば、バグダーディーについての紹介は見事に『イスラーム国の衝撃』記述と同じですが、その中でわずかに違う部分、例えば由来名が「クライシュ族」の一員を示す「クライシー」だ、という記述などは、素人目には私の記述(『イスラーム国の衝撃』76頁に示したように、実際には「クラシー」である)の方があたかも誤植であるように見えかねません。しかしアラビア語ではQuraish族に属す人をal-Qurashiと呼ぶのであって、誤植ではない。「クライシュ族だからクライシーでしょ」という誤解をしている人がウェブ上の何処かにいてそれを見たのかもしれないが、アラビア語を知らないことによる勘違いです。

匿名筆者が*をつけた問題部分以外に、客観的に見て明白に引き写しが過半を占める節には【** 『イスラーム国』該当頁】を付して、下記に記しておきます。ここまで明確でない他の節も、『現代アラブの社会思想』や「中東・イスラーム学の風姿花伝」で示した私の固有の議論に似すぎていますし、大部分の説が特定の著者の特定の著作からの、若干文体を変えただけの引き写しである作品が発表されることは、ありえません。

第2回 イスラム国はイスラム教と無関係という意見は、ちょっと危ないと思うよ!

1 前回までのおさらい
2 イスラム国の基礎を作ったザルカーウィーと宗教的な理念 【**『イスラーム国の衝撃』63−65頁】
3 アフガニスタンからイラクへ 【**『イスラーム国の衝撃』65頁】
4 カリフを名乗ったバグダーディーのイメージ戦略 【** イスラーム国の衝撃』17、18頁、76頁】
5 「暴力的な原理主義の原因はイスラム教じゃない」という意見の危うさ 
6 宗教を語るためのリテラシー *

第3回 イスラム国が思い描く「2020年のハルマゲドン」へのロードマップ

1 イスラム国が世界の終わりを信じてる!? *
2 イスラム国の終末思想 【**『現代アラブの社会思想』の終末論・陰謀論・オカルト思想についての記述を流用】
3 終末へ向けた7つのステップ *
4 機関誌「ダービク」は終末のシンボル *
5 リアルな終末思想の危険性

このように、謝罪・撤回の文章にも、完全に問題を認識していれば触れないような言い訳がなおも見られるので、研究者、あるいは公にものを書く人間として、どのように学説を組み立てるか、何をしていいか、いけないかの基準を分かっているかどうかが判然としない。それを教育するのは私の責任ではないが、認識不足から不必要な言い訳を行うことで、私にとっては不名誉な誤解や中傷の種になる可能性はあるので、それを徹底的になくすために、ここにまとめて記しておく。

剽窃というものは、私に対してだけでなく、社会に対して犯す過ちである。私が個人的に許す許さないという問題ではない。私個人としては、最初から呆れており、感情的に怒っているということはない。

私にとっては、『イスラーム国の衝撃』の各所の趣旨をそのまま反映した、しかし「劣化コピー」というべき文書がばらまかれていること、筆者が奇妙な筆名を使い、不可解な身元情報を流して、公的に応答責任を負っていない、といった事実は脅威である。ばらまかれた文書や、ばらまかれているという事実に関しても、第三者がいかようにも利用できるのだから、私にとっては問題が大きすぎる。放置しておけば、自分の作品の同一性や評価を維持できない可能性が出てくるだけでなく、責任の所在を問えなくなる。ブランドに対するコピー商品のようなもので、対処しなければ被害を被るのは私以外にない。私の方からは、身を守るために、徹底的に対応しなければならない。しかしこちらには怒りといったものはない。ひたすら厄介ごとである。客観的な脅威に対する必要な対抗措置を取っているまでである。本当はこのブログを書いている時間は極めて惜しい。痛恨である。

なお、匿名筆者の身元については、私は公開するつもりはないのだが、剽窃という問題が出た以上、本来は責任の所在を明らかにするために、公開されなければならないと思っている。

それは言論を行う者の社会に対する責任という意味からもそうだが、それ以前に、本人のためになると思う。

私は3月16日に、個人的な謝罪のメールへの返信で、ここで自ら名乗り出てしまうことを提案した。

それは、今匿名を盾に逃れたとしても、私は公開しないが、ほかに多くの人が実際には知っていることなのだから、やがて明らかにされる。そういうものなのである。

往々にして、こういうことは、人生のもっとずっと重要な時に、やましいことが発覚しては困る時に、出てくる。

そういう傷を抱えている人間は、やましいことが発覚しては困るような、人生の一大事を避けて生きなければならなくなる。

特に研究者を志しているのであればなおさらである。研究者はやがて、どんなに小さくとも、自分の説を世に問わなくてはならない瞬間が来る。命を取られるわけではないが、命がけの跳躍をしなければならない。その時に、何か引っかかることがある人は、飛ぶことができない。それを言い訳にして飛ばない。そうして過ごす無為な時間は、自分と周囲の他人を何よりも蝕むものである。

私の助言はまだ届いていないようだけれども。

書評まとめ(1)『イスラーム国の衝撃』

今回は、『イスラーム国の衝撃』についての書評、書評に近い反響をまとめておきましょう。全部把握しているわけではないので、他にも出ているのを知っていたら教えてください。順次加えていきます。

普通は本を出すと、出版社は広告を出し、新聞社などに送ります。新聞や雑誌の書評欄で取り上げてもらうと、書店でも特設コーナーに置いてくれたり、図書館が選書の際に参考にするなど、売れ行きが伸びるとされています。

ただ、そもそも出版点数が増えすぎているということと、新聞や雑誌で取り上げるまでのタイムラグが、早すぎる最近の出版サイクル(分かりやすく言うと本が出てから賞味期限切れになるか市場から消えるまでの期間)と合わなくなっていること、新聞や雑誌の訴求力が以前ほどではなくなっていることなどから、書評という制度についても考え直す必要があるとは常々思っています。

また、『イスラーム国の衝撃』についていうと、1月20日という発売日に先立って、まず1月7日のシャルリ・エブド紙襲撃殺害事件が生じて日本でも議論が沸き起こり、それによってインターネット書店で予約が埋まり、その上で、発売日当日に日本人人質殺害予告映像が出たという経緯。さらに、その映像に映っていた「ジハーディー・ジョン」の写真を偶然ながら『イスラーム国の衝撃』の帯に用いており、帯には残酷な殺害映像についての記述があることも記されていたという、特殊な事情があります。そのため、文化部・学芸部の管轄の書評によって本が社会に知られるという通常のプロセスを踏む前に、政治部・社会部や国際部の事件報道と論評で取り上げられて注目されることで、本が市場から消えていってしまいました。

この本の刊行と同時に研究対象そのものがインターネット・メディア上で直接日本社会に対して発信し始め、研究対象が日本の政治闘争の一部となり、メディア・スクラム的な爆発的な報道の対象となってしまったことで、そういった事象を読み解くための参考書としてこの本が切実に求められる客観的状況が生じてしまいました。全てが特殊であったため、逆に通常の書評による議論にそぐわなくなってしまった感はあります。

そのような特殊状況下で、この本についての情報伝達は、大部分が紙のメディアではなくインターネット上のブログやSNSで行われました(私自身の発信も含めて)。時期的にもインターネットでの書評が早かったため、まずインターネット媒体での書評の例を挙げておきます。

とはいえ、この本は本来は、ひと月かけてじっくり読んで書評が出て、それを見て考えて読者が買って読んで、数年間は読み続けられ、10年後にこの問題を振り返る時にまた読まれる、という従来の本の出版のあるべき姿を目指しています。そのような息の長い出版という営為を支える紙媒体での書評という制度は、やはり今後も不可欠と思いますし、ゆっくりとしたペースでの理解・評価が定着していくことを望んでいます。

1.インターネット媒体での書評

ネット上では罵倒・中傷も含めて無数に言及されてますが、影響力が大きかったのは次の二つと思います。本が出てすぐに、徹底的・的確に読み解いて表現していただいたことが、ネット上での適切な情報伝播を決定付けたと思います。

「「イスラーム国の衝撃」を易しくかみ砕いてみた」《永江一石のITマーケティング日記》2015年1月28日

この書評は、アル=カーイダは『ほっかほっか亭』で「イスラーム国」は『ほっともっと』だ!という至言を残しました。それだけ覚えている読者もいるでしょう。間違いではありません(が、本も読んでね)。

「イスラム国・テロ・経済的可能性」《新・山形月報!》2015年1月30日

山形さんとは少し前に『公研』で対談して「イスラーム国」についての見解を一方的に話した経緯があったので、言わんとするところや前提条件を汲み取ってくださいました。これもすごい反響でしたね。考えてみれば、対談をしていたのはご自身がピケティを最高速度で訳している最中。そんなところに対談にもお付き合いくださり、さらに、ピケティ本の大ベストセラー化とメディアのピケティ狂想曲発動でもみくちゃにされている時期に、この本を読んで書いていただいて、本当に助かりました。

『公研』は一般にはあまり流通しておらず、入手しにくいが、山形さんらしき人物がインターネット上に対談のテキストを載せてくださっているようだ。このテキストが完成版なのかどうかも確認していないが、ものすごーく忙しい山形さんを1時間捕まえてまくし立てた感を残した編集だったので、こんなものだろうと思う。あまりに頭のいい山形さんには「イスラーム教の基本を解説」みたいなことはする気が起きないので、二箇所ほど、ものすごい基本的な解説をすっ飛ばしている。まあ、よく言われていることだから書かんでいい。豆知識ではなく本当に関係のある情報に直行している対談です。非営利の雑誌だからこそ可能になった企画ですね。そのうちこの対談について解説したい。

2.新聞書評

刊行された日付順に並べていきましょう。ニュースとなったことで、普通なら「方法論は思想史と比較政治学」などと銘打っている本を取り上げなさそうな新聞が書評してくれています。無記名で記者が書いているところが多い。

しかし早いところでも、人質事件がすでに終結してしまっている時期からなんですね。「分析・議論は現場(ウェブ)で起こっているんだ!」という感は否めない・・・

『日刊ゲンダイ』2015年2月3日、「「イスラーム国の衝撃」池内恵著」

『電気新聞』2015年2月6日朝刊、《焦点》

これは「書評欄」とは銘打っていませんがコラムの全編で、この本を詳細に紹介していただきました。職場の先端研の広報担当が発見してくれました。先端研ならではの媒体チェックですね。でも確かこの新聞は田中均さんのコラムが載っていると聞いていますので、国際情勢には敏感なのではないでしょうか。

『日本経済新聞』2015年2月8日朝刊、「イスラーム国の衝撃 池内恵著 闇深める過激派の背景と狙い」

記者が書いてくれたようです。「簡にして要を得た」という表現がぴったりの紹介と思います。「何が起こっているのか」をつかまないと、「イスラーム国」やらシャルリー・エブド紙事件やらについての論評は迷走しますし、「何を対象にしているのか」を読み取らないと書評は的外れになります。この本は「グローバル・ジハード」についての本で、「イスラーム国」はグローバル・ジハードの一つの現象、という基本を踏まえてくれている書評は非常に有益でした。

『東京新聞』2015年2月15日、《3冊の本棚》「「イスラム国」本、読み比べ」(評者・幅允考)

ロレッタ・ナポレオー二とone of the 「正体」s とセットで紹介。

『信濃毎日新聞』2015年2月15日、《かばんに一冊》(選評・佐々木実)

内容の要約と、類書の紹介。

『産経新聞』2015年2月21日、《書評倶楽部》「 『イスラーム国の衝撃』池内恵著」(評者・野口健)

アルピニストの野口健さん。お父様は元外交官でエジプトでのアラビア語研修や駐在経験があり、チュニジア大使・イエメン大使などを歴任した野口雅昭さん(ブログ「中東の窓」は中東情勢に、専門家・業界人でなくとも触れることができる貴重な「窓」です)。中東に縁と土地勘のある方は実はいろいろなところにいるのです(ご両人とも特にお会いしたことはありません)。

【3月28日追加】
『読売新聞』2015年2月22日朝刊、「『イスラーム国の衝撃』 池内恵著」

見落としていたので追加しました。『読売新聞』でも短評で紹介していただいていました。せっかくですので全文を貼り付けておきます(ウェブには3月3日掲載)。

 日本人2人の殺害で大きな衝撃を与えたイスラム過激派組織「イスラム国」。
 事件発生とほぼ同時期に出版された本書は、その組織原理、思想、メディア戦略や資金源などを解説。「イスラム国」の行動は多くのイスラム教徒の反発を呼ぶ一方、伝統的なイスラム法の根拠に則(のっと)っているため、一定の支持を得る可能性があるとする。また残酷な宣伝映像の背後には綿密な計算や技巧があるという。(文春新書、780円)

『朝日新聞』2015年2月22日、《時代を読むこの3冊》「憎悪の連鎖、絶つために」 (評者・津田大介)

「池上彰本」とのセットで紹介。

『朝日新聞』2015年03月01日朝刊、「イスラーム国の衝撃 [著]池内恵 あおりには分析、渦巻く情報整理」(評者・荻上チキ)
 
こちらにも転載されているようです)

「ISの成り立ち、思想や主張、広報戦略、戦闘員の実態、過去の活動歴などを、多角的に議論している。読みやすく、それでいて深い。まずは本書を熟読したうえで、セカンドオピニオンとして2冊目を探すのが吉だろう。」

『朝日新聞』のこの書評は、ウェブ空間での1月20日から10日間ぐらいで形成されたコンセンサス(「ほっともっと」論と山形浩生さんの比較紹介で早期に定式化されていますが)を、新聞の紙面に載せたということで、新聞の紙面・論調構成に対して外部有識者の制度が機能した例と見ていいのではないでしょうか。

コメント集(2):「イスラーム国」による日本人人質殺害・脅迫事件

「イスラーム国」問題では、基本的に既存メディアにはコメントを出しませんでしたが、消極的ながらコメントの掲載を許可した場合もあります。許可したメディアの選び方に特に根拠はなく、偶然です。

過去のコメント集の流れで、とにかく記録しておきます。2001年以後の私の論考やコメントは全て保存してあるが、ウェブ上にないのをいいことにデマを流す人が出てくる。防衛策としては、少なくとも存在するものについてはウェブ上に書誌情報だけでも形をとどめておきます。データベース等で確認は可能なはずです。存在しないものに基づいて批判する人については・・・どうしようもない。

過去のコメント集もいくつかここにリンクしておきます。

「イスラーム国」問題コメント4本(昨年の積み残し)2015年1月5日

「コメント集(1):「イスラーム国」による日本人人質殺害・脅迫事件」2015年1月30日

『中日新聞』2015年2月2日、「人道的支援間違っていない」

この記事についてはノーコメント。

『産経新聞』2015年2月4日、「ジハード=聖戦は第2段階 「イスラーム国の衝撃」著者・池内恵東大准教授に聞く」

このあたりから、文化部・学芸部が本の紹介と国際情勢の解説を兼ね合わせた記事を書きに来るようになりました。紙面のこういう使い方には賛成です。セクショナリズムに縛られることはない。

Yomiuri Online 2015年02月04日、「若者はなぜイスラム国を目指すのか…池内恵氏インタビュー」
(池内恵「若者はなぜイスラム国を目指すのか」『読売クオータリー』No.32(2015年冬号)、2015年1月30日発行、62−70頁のYomiuri Onlineへの転載。そのため、読売新聞本紙には掲載されていません)

『読売クオータリー』からの転載記事は、実質上は「イスラーム国」日本人人質事件への解説の意味で掲載されているのでここに挙げておきますが、考えてみればインタビューは昨年11月17日に行われている。日本人人質事件の政治問題化とは関係なく作った記事です。そして、日本人人質事件は「イスラーム国」の解釈をなんら変えるはずはないのです。日本側の行動によって「イスラーム国」の行動や性質が変わったとも考えられない。日本は中東においてほとんど存在感がないのです。ですから、昨年11月に語ったことがそのまま今年1月の事件の背景を説明できなければいけないのは当然であり、それを再録した読売新聞は正しいと思います。

鳩山さんとドパルデュー:係争地への「移住」について

日曜日なんですからちょっとは軽いネタを。軽くないかも。

鳩山さん。「友達の友達が・・・」の人ではなく、最近クリミアに行った元首相の方ですね当然。

ロシアの宣伝放送Russia Todayは、ばっちり、一緒に行った右翼団体の人と並んだ会見を伝えています。

鳩山クリミア訪問
Ex-Japanese PM finds Crimea referendum ‘expressed real will’ of locals, Published time: March 11, 2015 10:37; Edited time: March 11, 2015 13:55

連日、ロシア政府の思い通りのことを言ってくれているのですが・・・

「鳩山元首相「クリミアの人々は自分達をロシアの一部と認識」」『ロシアNow(ロシアの声)』2015年3月11日

「鳩山由紀夫:クリミア生活、百聞は一見に如かず」『ロシアの声 ラジオ』13.03.2015, 14:13

そこで、単なる冗談ネタですが浮上したのが「パスポート取り上げ」の話。例のジャーナリストのパスポート召し上げ問題のせいで出てきた、日本ドメスティックなネタとしての「パスポート取り上げ」なのですが、国際的には日本での議論とは違うところにも焦点が当たります。

注目が集まるのは「パスポート取り上げ」よりも「ロシア移住」、その中でも特に「係争地への移住」です。

「パスポート取り上げ」のネタに敏感に反応した鳩山さんが(←注目されたいだけなんでしょ)「パスポートを取り上げられるならクリミアに移住する」と言ったとか言わないとか報じられています。これ、本人が実際に言ったかどうかわかりません。しかし、ロシア側は、「クリミア移住」と言わせたいだろうな、というのが過去の事例からは想像がつきます。いや、ロシアがどこまで鳩山案件に力を入れているのかが分かりませんが(入れていないと思いますが)、「クリミア移住」と言わされそうだな、ということをロシアのニュースに多少接している人なら思うことです。全てがから騒ぎですが・・・

Former Japanese Prime Minister Won’t Rule Out Moving to Crimea, Sputnik International, 16:38 12.03.2015(updated 16:40 12.03.2015)

「本国で問題を抱えた人がロシアのパスポートをもらって形だけ係争地に『移住』して、ロシアの宣伝に使われる」というのは最近よくあることなのです。おそらくロシア政府内にそういうプロジェクトをやる部署があるのでしょう。

代表例はジェラール・ドパルデュー。

フランスの富裕税が嫌だと言って、2013年1月にロシアに国籍を移しました

日本語で読めるものとしては、こんなものがあります。
「国民的俳優ドパルデュー氏が国籍放棄。個人所得税13%のロシアへ移住?

この話題、西欧社会が現在抱える問題や、西欧社会とロシアの関係、西欧の問題とはまた別のロシアのトホホな実態表している、興味深いものなので紹介したいなあと思いつつ機会がなかったのでここで。西欧諸国での累進課税や租税回避の問題という本筋の話題は別に、ロシア側はこれを「国際的に非難されている紛争・係争地に西欧の有名人を誘致して正統化を図る」という独自のプロジェクトの一環で取り込んだのです。

西欧側では「税金逃れで出て行った」ことが最大の話題になりますが、ロシア側ではもちろん「無料のランチはない」わけでありまして、重要なのは、ロシアのパスポートをもらってから、ロシアのどこかに実際に住民登録をしたり、住んだふりをしてみせたりする場面です。ここでロシアは宣伝に利用するのですね。

ドパルデューはロシア連邦モルドヴィア共和国のサランスクにとりあえず住民登録をしたようなのですが、それだけでなく、チェチェン共和国のグローズヌィにも拠点を置きました。ロシアにとってはここが肝心なようです。空港にはプーチンに任命されたラムザン・カディロフ首長(2004年に父のアハマド・カディロフが暗殺されて跡を継いだ)が出迎え鳴り物入りでドパルデュー歓迎イベントが開催され、グローズヌィ再建の目玉である高層マンションに部屋をあてがわれ、盛大に報じられています。

カディロフがマンションの鍵を手渡したりグローズヌィで映画を撮ると発表したりしています。

ロシアの宣伝メディアでは、日本向けにも若干ですがこの話題を伝えています。英語で見ればもっと詳細に大量に見ることができます。

「ドパルデュー氏 チェチェンで映画を撮影したい」『ロシアの声 ラジオ』2013.02.25 , 18:49

「ドパルデュー氏、グローズヌィの自宅マンションを日本風に」『ロシアの声 ラジオ』2013.06. 6 , 08:16

なぜチェチェンでグローズヌィかというと、それはもちろん、1999年−2009年の第2次チェチェン紛争で、大弾圧を行って焼け野原にしたグローズヌィの再建というロシア政府のプロジェクトが「うまくいっている」と主張したいからです。

チェチェン紛争についての簡潔な入門としては例えばこれ

グローズヌィ再建プロジェクトの目玉は超高層マンションと、ヨーロッパ最大とかいうアハマド・カディロフ・モスクです。「ロシアはイスラーム教を支援しています!」という宣伝ですね。

なお、「アハマド・カディロフ」とはラムザン・カディロフのお父さんの名前です。ドパルデューの歓待シーンの写真にも写り込んでいますね。もちろん意図してやっているのでしょう。

また、超高層マンションの方は、2013年4月に火災で焼けてしまいました。ドパルデューのマンションか?と話題になりましたが、隣接する別のマンションに部屋を持っているとのことです。チェチェンの「復興」騒動は何かといわくつきです。

実態は、箱物だけ作っても、あまりに統治がひどいので、チェチェン人はどんどん難民として流出していると言われています

チェチェン首長のカディロフ親子というのは、要するにチェチェンの暴力団の親玉を、住民を暴力で押さえ込む親ロシア派の頭目として任命しているわけです。

反プーチンの政治家ネムツォフ氏が暗殺された事件でも、ロシア当局が逮捕した「犯人」はチェチェン人でカディロフの元取り巻きとのことで、いかにも怪しい。チェチェン問題には、ロシアの怖いところが全部詰まっていて、ロシア人も触れたがらない。

グローズヌィ中心部の何本かのタワー・マンションとアハマド・カディロフ・モスクからなる風景は、内戦と弾圧、それを覆い隠す宣伝キャンペーンを表す不吉なものとして国際社会では見られていることを、知っておいた方がいいでしょう。

2013年はロシアにとって、チェチェン・グローズヌィの「復興」を国際的に宣伝する年だったのですね。そこで、税金逃れ亡命者もチェチェンに振り分けた。

2015年は今度はクリミアの編入既成事実化の宣伝が重点項目で、そこに引っかかったのが鳩山さんだということです。2013年だったらチェチェンに行かされていたかもしれないですね。この映像のドパルデューを鳩山さんに入れ替えて想像してみましょう。

シャルリー・エブド紙は、ウクライナ問題が勃発すると、即座に「プーチンがドパルデューをウクライナに派遣」という風刺画を掲載しています

Charlie Hebdoドパルデューウクライナへ
(5 Mars 2014, No 1133)

酔っ払っているのでウクライナ側が「化学兵器反対!」と叫んでいます。描いたのは、襲撃を辛くも逃れ、再開号の表紙にむせび泣く「ムハンマド」を描いたLuzですね。

フランスの風刺画を上から目線で云々する前に、まずこの程度の政治感覚を持った風刺画家を日本も持てるようになるべきでしょう。風刺画以前に、文章や発話でも意味のある批判ができていないのですから、難かしいですかね。

なお2013年に、ロシアのメディアは「お上」から「チェチェン・グローズヌィの復興を宣伝しろ」ときびしーくお達しを受けているのだろうな、ということに気づかされた面白いニュースを思い出したので記録しておきたい。

2013年9月のサンクトペテルブルクでのG20サミットの時でした。サミットの話題はシリア問題をどうするか、イラン核問題をどうするかで、いずれもロシアが深く関わっており、解決策というよりも問題の一部と言えるので、それらについてのプーチンの発言が注目されました。私もプーチンの記者会見に注目していたのですが、質問の一番に指名されたロシアの記者は国際社会の注目を一切スルーして、こんなこと聞きました。

Vladimir Putin’s news conference following the G20 Summit, September 6, 2013, 17:00

QUESTION: Mr Putin, with your comprehensive support and thanks to the efforts of Ramzan Kadyrov towns and villages, as well as the social sphere, have been restored in the Chechen Republic. However, there’s the issue of industry and job creation. This is an important issue.

As you are aware, the oil industry is the flagship industry of the Chechen Republic. We know that Rosneft hinders the construction of oil refineries. As President, can you facilitate restoring industry and building refineries? This is my first question.

The second question, if I may. It’s a little off topic, but I take this opportunity to …

VLADIMIR PUTIN: Do you believe the first one was on topic?

QUESTION: Yes. Unemployment and the economy… The second question is a personal request for you, Mr Putin. You are aware that during World War II the battle for the Caucasus, primarily for Grozny, was fought. Grozny along with Baku supplied raw materials. Grozny residents, along with the other peoples of Russia, fought on the fronts. All these years we were hoping that Grozny would be designated a City of Military Glory, but so far in vain.

Here’s my request and question. Mr Putin, could you please have Grozny considered in an impartial manner as a candidate to receive the honorific title of City of Military Glory. Thank you.

「プーチン様の全面的サポートのもとカディロフがチェチェンの都市と村を復興させましたが次は産業復興ですよね?」とか「ロシアの栄光の戦いの中でのグローズヌィの位置が際立っているから軍の栄光の都市に認定したらいかがでしょうとか」、質問にすらなっていない。プーチンの意を汲んで、汲みすぎて「そんなことサミットの話題になったと思ってんのかお前?(VLADIMIR PUTIN: Do you believe the first one was on topic?)」とプーチンにたしなめられたりして、というお約束のやりとりです。

こういうのを翼賛メディアというのです。さすがに、日本にはこんなメディアはありません。翼賛とか独裁とはここまでやるものなのです。自由な社会で安易に他人に「独裁」「ナチス」といったレッテル張りをしている人は、本当に自由がない状態を知らない。そういう人は実に簡単に、「大義」を振りかざして独裁者のもとに、こけつまろびつ殺到します。誰がそういう軽率であるがゆえに本当に怖い人なのか、よーく見きわめておく必要があります。

もうどうでもいいことですが、ロシアの宣伝メディアが英語で発信した鳩山ネタを貼り付けておきます。

Former Japanese PM Says Crimea Referendum ‘Expressed Will of Its People’, 15:41 11.03.2015(updated 17:27 11.03.2015)

Japan Should Recognize Crimean Referendum, Lift Russian Sanctions – Ex-PM, 04:52 12.03.2015(updated 08:58 12.03.2015)

Picture Worth A Thousand Words: Ex-PM Wants More Japanese to See Crimea, 15:32 13.03.2015(updated 17:34 13.03.2015)

「スプートニク」というメディアは、MIA(国際通信社)の「ロシア・トゥデイ(今日のロシア)」の設立した「国外向けの新しいメディア・プロジェクト」だそうです。ロシアにはとにかくいっぱいプロパガンダ・メディアがあります。内容は同工異曲。ロシア発の陰謀論を信じる日本の人もウェブ上には多くいらっしゃるが、やめたほうがいいです。さすがロシア文学の国ですから質も高いですし面白いですので、ネタとして享受するだけにしましょう。ペーソスや諧謔という言葉の意味を知るためにもいいかも。ロシアのプロパガンダ・メディアの諧謔っていうのは、これを読んで信じちゃう人を揶揄い、さらにそんなことを生計の活計(たつき)にしている自分自身を哀れむといったような要素も含むものです。ロシアって深いなあ。

「ロシアの新メディア「スプートニク」」『ロシアの声』2014年11月17日

スタジオジブリ『熱風』3月号にエルサレムの宗教政治地理について

スタジオジブリ出版部の『熱風』3月号に寄稿しました。テーマはエルサレムの神殿の丘の地理に見る、宗教と政治権力の関係について。

池内恵「エルサレム「神殿の丘」の宗教と権力」『熱風』2015年3月号(3月10日発行)、26−32頁

『熱風』スタジオジブリ20145年3月号表紙

出版社のPR誌という、一般にはあまり知られていない格安の媒体があって、私はそれについては熟知していたつもりだったのが、スタジオジブリ出版部にもあるとは知らなかったので、動揺して引き受けてしまいました。出版社PR誌のまとめサイトとか誰か作ってくれないか。

これについて、3月10日にフェイスブックで通知していましたので再録します。またまた体調のお知らせから始まります。

慣らし運転でそろりと社会復帰。報告で怪気炎上げているように見えても、実はすごくセーブしております。本日も早々と店じまいです。

というわけで郵便物も見ていないので現物を手にしていないのだが、すでに出ているはず。

今回寄稿した雑誌の発行元はスタジオジブリ。

もう一度。

スタジオジブリ。
 
スタジオジブリには出版部があって(←初めて知ったが、まああるはずだよな、関連出版物を出すのだから)、そこが普通の出版社のようにPR誌を出している。『熱風』というのだそうだ。

出版社のPR誌というのはB5判の決まったフォーマットがあって、各社がほぼ無料で出している。大手書店に行くともらえます。定期購読して送ってもらっても送料より安いのではという価格。新刊書の広告だけでなくいろいろ力の入った特集をやっている。

その『熱風』3月号の特集が「エルサレム」なのである。

この企画を聞いたときに、「あなたの会社の作品の世界観にはエルサレムを理解できる要素は1ミリもありませんが・・・・」

と問い返したくなったが、なんだかすごく乗り気なのである。今こそエルサレムを問わなければならないという話なのだ。原始共産制とアニミズムだけでは語れない世界がある!と気づいたということか(←偏見ならすみません)。

それなら一大事なので、忙しいのに引き受けてしまった。こういったものも体調を崩した遠因の一つかもしれない。

エルサレム旧市街、特に「神殿の丘」の構造と歴史に刻み込まれた宗教的な権力関係について、概説しました。こういう話は、意外にする機会がない。本当は一番重要なところなんだけれども。