『イスラーム国の衝撃』を剽窃した記事についての対応

非常に時間がないのですが、誤解やデマを避けるために、ここに書いておかねばなりません。

『東洋経済オンライン』に掲載された二つの記事が、私の書いた『イスラーム国の衝撃』の複数の箇所を、若干文体を変えただけの引き写しであることを発見しました。問題設定も、論旨も、論理展開も、引いてくる事例もほぼ全てが『イスラーム国の衝撃』および『現代アラブの社会思想』、そして本ブログ「中東・イスラーム学の風姿花伝」からの引き写しであり、明確な剽窃です。二つのコラムの全編にわたって、一切、私の文献を参照したという記載はありません。

文中で剽窃の隠蔽・言い逃れを意図したとみられる姑息な手段も弄しているとともに、「宗教学たん」なる筆名を用い、明らかに虚偽の「17歳女子高生」を称することによって身元を隠していることで、文章を発表するものが負う応答責任を問われることを回避しており、極めて悪質とみて、フェイスブックのアカウント(https://www.facebook.com/satoshi.ikeuchi)で告発しました。

下に記すように、3月17日、匿名・身元を公には隠した著者からは、事実関係をある程度認め謝罪し記事を撤回する旨の発表があり、記事の元来の配信元から、記事を配信したメールマガジンを打ち切るとの発表がありました。

私の告発はフェイスブック・アカウントを通じて行ったため、検索機能が弱く、アカウントを持っていない人が見ることができないため、剽窃を行った側の言い分のみが流通することになりかねず、誤った認識を広めかねないので、ここにまとめておきます。

剽窃が行われ、一般に広くアクセスできるように置かれていたのは、具体的には『東洋経済オンライン』の二つの記事です。

「「イスラム国」の呼称、避けるべきではない 暴力の根源は、昔から内包されていた」2015年02月28日

「イスラム国は、「2020年の勝利」を信じていた フセインが書き残した、終末までの7段階」2015年03月14日

これらはそれ以前に、「プレタポルテ by 夜間飛行」の配信するメールマガジン「寝そべり宗教学」の第2・3回として配信されたものが『東洋経済』に転載されていたことが判明しました。

「第2回 イスラム国はイスラム教と無関係という意見は、ちょっと危ないと思うよ!」2015年2月27日

「第3回 イスラム国が思い描く「2020年のハルマゲドン」へのロードマップ」2015年3月12日

この二つの記事は、大部分が、『イスラーム国の衝撃』の具体的な記述を、文体のみ書き換えたものであり、相違点は部分的に省略しているか、しばしば不適切あるいはそれほどの意味のない情報を若干挟み込んだ部分にすぎず、明確に剽窃です。『イスラーム国の衝撃』を参照したと明記されていないことが問題であることはいうまでもありませんが、そもそも大部分が他人の作品の語尾等を変えただけのこの二つのコラムは、固有の著者の作品として成立していません。そのため、剽窃行為を行う匿名・身元を隠した著者だけでなく、これらを掲載した「プレタポルテ by 夜間飛行」及び『東洋経済』にも、重大な道義的責任があると考えます。

また、池内恵『現代アラブの社会思想』の議論も、また近年の政治的論争をめぐる議論においても、本ブログ「中東・イスラーム学の風姿花伝」の池内恵「「イスラーム国」の表記について」(2015/02/14)の主張を、若干表現を変えるのみでそのまま繰り返しています

3月15日、剽窃したこの文章を最も大規模に流通させている『東洋経済』にメールで抗議するとともに、下記のフェイスブックのエントリで告発し、注意を喚起しました。

https://www.facebook.com/satoshi.ikeuchi/posts/10202807262101669
https://www.facebook.com/satoshi.ikeuchi/posts/10202807313302949
https://www.facebook.com/satoshi.ikeuchi/posts/10202814396600027
https://www.facebook.com/satoshi.ikeuchi/posts/10202820770359367

これに対して、『東洋経済』編集部からは、「至急社内で確認のうえ、しかるべき対応を検討したい」と記された返信が一回ありましたが、その後は3月17日23時までのところ、私に対しては連絡がありません。3月17日には、掲載されたコラムに、「夜間飛行」のホームページにリンクする形で、記事の提供元から説明があった旨のみ、二つの記事の冒頭に加えられていますが、編集部より私への説明はありません。ただメールの文面を見ると、「返事をする」とは書いてありませんので、出入り業者のライター風情の抗議に対しては直接答える義務がないと考えている会社なのかもしれません。

3月16日に、「宗教学たん」を称する人物(1名、ポストドクターの日本学術振興会研究員)から、謝罪と剽窃の事実を基本的に認める内容のメールが届きました。そこで私はこの人物の氏名と帰属に関する基本情報を知らされています。この情報を公開することを妨げるいかなる義務も私は負っていないことを確認してありますが、現時点では氏名の公表は私からはしておりません。その理由はこの文章の後で述べます。

なお、匿名の筆者は私のメールアドレスを「夜間飛行」を運営する編集者から知らされたと、当該編集者の氏名を記した上で明かしていました。これが何を意味するかは判然としませんが、「夜間飛行」の編集部は、剽窃の文章を掲載し配信したことの責任の大部分・ほぼ全てを著者に追わせ、対応の主体ともさせる方針であると私は判断しました。

私の知る限り「夜間飛行」の主要な運営主体である編集者は、以前に中央公論新社に勤務しており、2010年に『中央公論』に私の原稿が掲載された際にメールのやり取りをしているため、私のメールアドレスを知っているはずです。そこから私のメールアドレスが伝えられたものと受け止めています。しかしなぜ編集者本人から説明がなかったのかは、まさになんの説明もないので今に至るまでわかりません。

編集者本人からは3月17日23時までの間、私に対しては直接の連絡はありません(ただし、私はそれまでの経緯から、編集者本人が直接対応をする意思がないものとみなし、3月16日夜のフェイスブックで「連絡してこなくていい」と私から発信しています)。

3月17日に、「夜間飛行」のウェブサイト上に、「宗教学たん執筆の記事とメルマガ『寝そべり宗教学』について」という文書が公開されました。

この文書は二つの部分からなり、一つは「夜間飛行 編集部」からのメールマガジン停止の通知であり、もう一つは「宗教学たん」を名乗る人物からの謝罪と事実関係の(一方的な)説明でした。事実関係の説明についての文面は、前日に私に対して送付したものとほぼ同一であり、前文として、私の返信を一部取り入れたと見られる記述が若干見られます。

「夜間飛行」編集部の示した文面は、「読まれていた読者の皆様に不快な思いをさせてしまい、申し訳ございませんでした。」というもので、日本語としてもやや問題がありますが、自らの顧客である読者に対して謝罪するのみで、剽窃の文章を流通させられて実害を被った私に対する一切の謝罪の表現がありません。

そもそも問題の二つの文章が剽窃であるということについて、編集部は認めることを避けているように見えます。

「記事について盗用等の指摘を受けた件」「盗用等の指摘を受けた点」と繰り返しているため、「指摘を受けた」事実のみを認め、それが剽窃であるかどうかの認識を表明することを避けているものとみられます。

もし万が一、この二つの文章が『イスラーム国の衝撃』の剽窃でないと言いたいのであれば編集部ははっきりとそう書くべきです。

それとは別の理由があるのであれば、例えば、「編集部は記事の内容が剽窃であるかないかを判定する立場にも、責任を負う立場にもないので、読者にしか謝らない」というのであれば、はっきりそう書くべきです。

そうでなければ事情を知らない第三者に誤解を生じさせかねません。

「宗教学たん」を名乗る著者は基本的に剽窃を行ったことを認めているものとみられますが、別の英語の文献を参照した旨を記してあたかも『イスラーム国の衝撃』以外の文献に依拠して議論を行ったかのような印象を与えようとしていますので、私の指摘を受けて謝罪しながらもなお、自分が剽窃を行っているという事実についての認識が甘い可能性が払拭できず、剽窃が何を意味するのかを本当に分かっているのか否かが、依然として明確ではありません。

まず、匿名筆者は謝罪文でなおも、実際には池内の『イスラーム国の衝撃』に依拠せずに書けた部分があると主張しています。

【3月19日追記:ウェブ上には、読解力がないにもかかわらず頻繁に文章を発表する人がおり、下記の英語をあげた部分のみをとって「剽窃ではない」旨を主張するこれまた匿名人物が現れてきています。以下の部分を特に挙げたのは、匿名著者が殊更に英語の記事を示して『イスラーム国の衝撃』から直接引き写していないと示唆したがゆえに、確認のために、実際の英文から匿名著者の議論が導けないと示しているだけです。匿名著者が認めている他の引き写し部分はより明確に『イスラーム国の衝撃』から引き写しています。また、ここで挙げた部分についても、ここで書き写していませんが、匿名著者の「第6段階以降」についての記述は『イスラーム国の衝撃』の該当部分と同じです。この問題について「剽窃かそうでないか」を議論するのであれば、ご自分で対象させてみるしかありません。なお、全編にわたって引き写していながら、この部分だけ「読まなくとも思いつけた」などという理屈には意味がありません。コピペ文化に染まった書き手がウェブに多くおり、一定の読み手もいるようですが、それらは表の世界の陽の光に当たれば萎んでしまう切り花のようなものと心得てください】

これは場合によっては「池内の著作には新規性がない」と暗に主張していることにもなりかねず、私にとって重大な要素を含むので詳細に見ておかねばなりません。

ここで問題にするのは、「2005年8月12日のSpiegel On Lineに掲載されたThe Future of Terrorism」を読んだという主張です。これは「寝そべり宗教学」第3回「イスラム国が思い描く「2020年のハルマゲドン」へのロードマップ」の「終末へ向けた7つのステップ」の節を、池内著『イスラーム国の衝撃』からではなく別のところを見て書いたということを示唆したいのだと思いますが、しかしこれを持ってきてもこの部分が剽窃ではないという主張を支えません。

匿名筆者はフアード・フセインに依拠した記述を行うにあたって、『イスラーム国の衝撃』の第3章77−85頁の「2020年世界カリフ制国家再興構想」の節の記述を参照していることは明確です。なぜならば、Spiegel Onlineの記事と池内の『イスラーム国の衝撃』では、同じフアード・フセインの文献を用いながら、違うことを読み取っているからです。Spiegel Onlineでは、7段階に渡るカリフ制国家再興構想のうち第5段階以降は曖昧にしか紹介しておらず、それによって、第6段階以降が終末論となるという、池内が『イスラーム国の衝撃』で同じ文献を用いながら指摘している点について触れていません。

Spiegel Onlineによる抄訳の該当箇所を見てみましょう。

The Sixth Phase Hussein believes that from 2016 onwards there will a period of “total confrontation.” As soon as the caliphate has been declared the “Islamic army” it will instigate the “fight between the believers and the non-believers” which has so often been predicted by Osama bin Laden.

The Seventh Phase This final stage is described as “definitive victory.” Hussein writes that in the terrorists’ eyes, because the rest of the world will be so beaten down by the “one-and-a-half billion Muslims,” the caliphate will undoubtedly succeed. This phase should be completed by 2020, although the war shouldn’t last longer than two years.

第6段階で「オサーマ・ビン・ラーディンが頻繁に予言していた、信仰者と不信仰者の戦い」について描いているものとSpiegel Onlineの記事では記しているのみです。ビン・ラーディンは終末論を言う人ではありませんでした。この部分が終末論的な信仰かもしれないということは、私の本を読んだ上で想像しない限り、この英語抄訳からは読み取れません。

池内は『イスラーム国の衝撃』の第3章でまずこの部分が終末論的である点を指摘した上で、第7章では「イスラーム国」が発行する雑誌『ダービク』の明白な終末論につなげていきます。それが思想史の謎解きというものです。

匿名筆者はというと、Spegel Onlineの英訳(抄訳)を元に「2020年カリフ制再興構想」についての訳文を作りながら、この第6段階以降が終末論だと論じます。Spiegel Onlineの記事にはそんなことは書いていないのですから、この部分が終末論的であることを明示する別の文献を参照したと示さない限り、「Spiegel Onlineの英訳を参照したから池内からの剽窃ではない」とは、客観的には言えないのです。

まあ本人が別の宗教の終末論について研究したことがあって、片言隻句からも終末論を読み取るという可能性がないわけではないですが、その場合は、今回の議論については、根拠なく語ったということになります(私信では『イスラーム国の衝撃』の第3章は読んだが第7章は読んでいない、とのこと)。

意図的に、不十分な抄訳を提供しているのみのSpiegel Onlineの記事に依拠して、『イスラーム国の衝撃』の該当箇所のアラビア語からの訳よりも精度の低いものを提供しても意味がありませんが、なぜそのようなことをやるかというと、匿名筆者がSpiegel Onlineの記事からわざわざ荒いものを訳して、「池内とは違う文献を踏まえた形にし、異なる訳文を作りたかった」ものであったと推測されてしまいます。

池内の地の文から引き移すところは機械的に「女子高生文体」に変えているので文面は全く同一ではないことになりますが、翻訳の部分まで女子高生文体にしてしまうわけにいかないので、引用せざるを得ない。『イスラーム国の衝撃』から引用しないようにするには、苦肉の策で、ウェブ上で不完全な英語抄訳を探してくるしかなくなったのでしょう。

なお、私は「2020年カリフ制国家再興構想」については、下記の論文で書いており、そこにはフアード・フセインによる『クドゥスル・アラビー』紙に連載された資料への参照を含め、『イスラーム国の衝撃』での該当箇所の議論の原型が示してあります(注でSpiegel Onlineの記事を含む、先行する研究・言及を網羅的に示してもあります)。

池内恵「アル=カーイダの夢──2020年、世界カリフ国家構想」『外交』第23号、2014年1月、32-37頁

この論文についてはブログで簡単に紹介しています。

2020年に中東は、イスラーム世界はどうなっている?(2014/02/05)

しかし終末論を軸としたグローバル・ジハードの進展についての論考は、『イスラーム国の衝撃』が最新のものであり、もっとも深めたものである。この論文を書いてのちに、イスラーム国が伸長して『ダービク』で終末論思想を全開にしたので、初めて『現代アラブの社会思想』からイラクのアル=カーイダをへて「イスラーム国」につながる、終末論からジハードへ、という流れがつながったのです。だから『イスラーム国の衝撃』を書く意義があると思えた。それがこの本を書いた一つの理由です。

また、匿名筆者は、私が問題にした二つのコラムについて、タイトルと各節の見出しを列挙して、そのうち指摘を受けた部分として*の印をつけています。*をつけた部分だけでも多すぎますが、「独自の部分もある程度ある」という印象を与えかねません。しかし実際には、それ以外の多くの節でも同様に、『イスラーム国の衝撃』の特定の箇所と、問題設定、論点、論理構成、選んでくる事実がほぼ全て一致しており、差し挟んだ部分、改変した部分は、当該記述の根拠となる知識を持っていないことによる誤謬を含んでいます。

例えば、バグダーディーについての紹介は見事に『イスラーム国の衝撃』記述と同じですが、その中でわずかに違う部分、例えば由来名が「クライシュ族」の一員を示す「クライシー」だ、という記述などは、素人目には私の記述(『イスラーム国の衝撃』76頁に示したように、実際には「クラシー」である)の方があたかも誤植であるように見えかねません。しかしアラビア語ではQuraish族に属す人をal-Qurashiと呼ぶのであって、誤植ではない。「クライシュ族だからクライシーでしょ」という誤解をしている人がウェブ上の何処かにいてそれを見たのかもしれないが、アラビア語を知らないことによる勘違いです。

匿名筆者が*をつけた問題部分以外に、客観的に見て明白に引き写しが過半を占める節には【** 『イスラーム国』該当頁】を付して、下記に記しておきます。ここまで明確でない他の節も、『現代アラブの社会思想』や「中東・イスラーム学の風姿花伝」で示した私の固有の議論に似すぎていますし、大部分の説が特定の著者の特定の著作からの、若干文体を変えただけの引き写しである作品が発表されることは、ありえません。

第2回 イスラム国はイスラム教と無関係という意見は、ちょっと危ないと思うよ!

1 前回までのおさらい
2 イスラム国の基礎を作ったザルカーウィーと宗教的な理念 【**『イスラーム国の衝撃』63−65頁】
3 アフガニスタンからイラクへ 【**『イスラーム国の衝撃』65頁】
4 カリフを名乗ったバグダーディーのイメージ戦略 【** イスラーム国の衝撃』17、18頁、76頁】
5 「暴力的な原理主義の原因はイスラム教じゃない」という意見の危うさ 
6 宗教を語るためのリテラシー *

第3回 イスラム国が思い描く「2020年のハルマゲドン」へのロードマップ

1 イスラム国が世界の終わりを信じてる!? *
2 イスラム国の終末思想 【**『現代アラブの社会思想』の終末論・陰謀論・オカルト思想についての記述を流用】
3 終末へ向けた7つのステップ *
4 機関誌「ダービク」は終末のシンボル *
5 リアルな終末思想の危険性

このように、謝罪・撤回の文章にも、完全に問題を認識していれば触れないような言い訳がなおも見られるので、研究者、あるいは公にものを書く人間として、どのように学説を組み立てるか、何をしていいか、いけないかの基準を分かっているかどうかが判然としない。それを教育するのは私の責任ではないが、認識不足から不必要な言い訳を行うことで、私にとっては不名誉な誤解や中傷の種になる可能性はあるので、それを徹底的になくすために、ここにまとめて記しておく。

剽窃というものは、私に対してだけでなく、社会に対して犯す過ちである。私が個人的に許す許さないという問題ではない。私個人としては、最初から呆れており、感情的に怒っているということはない。

私にとっては、『イスラーム国の衝撃』の各所の趣旨をそのまま反映した、しかし「劣化コピー」というべき文書がばらまかれていること、筆者が奇妙な筆名を使い、不可解な身元情報を流して、公的に応答責任を負っていない、といった事実は脅威である。ばらまかれた文書や、ばらまかれているという事実に関しても、第三者がいかようにも利用できるのだから、私にとっては問題が大きすぎる。放置しておけば、自分の作品の同一性や評価を維持できない可能性が出てくるだけでなく、責任の所在を問えなくなる。ブランドに対するコピー商品のようなもので、対処しなければ被害を被るのは私以外にない。私の方からは、身を守るために、徹底的に対応しなければならない。しかしこちらには怒りといったものはない。ひたすら厄介ごとである。客観的な脅威に対する必要な対抗措置を取っているまでである。本当はこのブログを書いている時間は極めて惜しい。痛恨である。

なお、匿名筆者の身元については、私は公開するつもりはないのだが、剽窃という問題が出た以上、本来は責任の所在を明らかにするために、公開されなければならないと思っている。

それは言論を行う者の社会に対する責任という意味からもそうだが、それ以前に、本人のためになると思う。

私は3月16日に、個人的な謝罪のメールへの返信で、ここで自ら名乗り出てしまうことを提案した。

それは、今匿名を盾に逃れたとしても、私は公開しないが、ほかに多くの人が実際には知っていることなのだから、やがて明らかにされる。そういうものなのである。

往々にして、こういうことは、人生のもっとずっと重要な時に、やましいことが発覚しては困る時に、出てくる。

そういう傷を抱えている人間は、やましいことが発覚しては困るような、人生の一大事を避けて生きなければならなくなる。

特に研究者を志しているのであればなおさらである。研究者はやがて、どんなに小さくとも、自分の説を世に問わなくてはならない瞬間が来る。命を取られるわけではないが、命がけの跳躍をしなければならない。その時に、何か引っかかることがある人は、飛ぶことができない。それを言い訳にして飛ばない。そうして過ごす無為な時間は、自分と周囲の他人を何よりも蝕むものである。

私の助言はまだ届いていないようだけれども。