カイロ・イタリア領事館異聞(あのヤマザキマリさんが・・・)

おお。

今日早朝のエジプト・カイロでのイタリア領事館爆破。『フォーサイト』速報しておきました

漫画家のヤマザキマリさんが結婚式(婚姻登録?)をしたのがこのカイロのイタリア領事館であるという。

夫がイタリア人で学者なのでシリアやエジプトやアメリカに順に移り住んでいるという話をインタビューなどで読んだことがあるが(欧米の研究者にはよくあることです。フィールドと英・米・欧の研究機関を移動していく)、エジプト時代に結婚したのなら、ここに行くことになる。

なるほどぉ〜あそこに並んだのね。

イタリア人は19世紀にエジプトに、「植民地主義」というよりは、まともに「出稼ぎ植民」したので(19世紀の開発ブームのエジプトは、今の上海かドバイみたいなところだと考えていただければいいです。イタリア人やギリジア人の建築家がフランスっぽい建築をいっぱい作ったので、このころできた街区は「ナイル河畔のパリ」と呼ばれることがあります)、エジプトのアレキサンドリアとカイロには、立派なイタリア領事館があります。最近はもっぱら、イタリアとEU圏に出稼ぎ・移民したいエジプト人が列を作っていますが・・・

ヤマザキマリさんといえば『テルマエ・ロマエ』。


「テルマエ・ロマエ I』


映画テルマエ・ロマエ(DVD)

エジプト、シリア時代のことを描いた『世界の果てでも漫画描き 2 エジプト・シリア編』

エジプトって、人間を自由にするというか解放するというか(そのまま糸が切れた凧のようになっちゃう人も多いですが)、際立った強い個性の人を惹きつけるようで、意外な人が「エジプト経験」を持っています。

チュニジアの危険度引き上げ

7月10日、日本の外務省が、チュニジアの危険情報を引き上げました。

チュニジア渡航延期勧告2015年7月10日
(7月10日の最新の危険情報)

《なお、外務省のホームページはPCで見ている時にスクロールしにくいので、改善の余地ありですね。マウスを画面内のどこに置いていてもスクロールすれば下まで見られるようにしてほしい。急いで見る時に操作に手間取る》

イギリス外務省も観光客にチュニジア全土に「どうしてもという場合以外の渡航取りやめ」を要請し、トマス・クックなど主要旅行代理店が今夏の予約受付を停止し既存ツアーもキャンセル、現地からの引き上げ便を手配して旅程の途中で顧客を帰国させているようです。

英国民の退避の様子を伝えるBBCの記事にはチュニジア危険情報の略図があります

チュニジア危険情報英外務省7月9日

英国務省の危険情報ホームページ(チュニジアの項)ではより詳細です。

チュニジア危険情報英国無償HP2015年7月9日

日本外務省と地理的にはほぼ同じ塗り分けですね。渡航回避の緊急性の度合いについては異なるものさしであるようですが。

6月26日のテロの直後は、「テロに屈しない、生活様式を変えない」という原則を示していた英国も、チュニジアの治安当局がテロを防ぎきれない、という情報判断をした模様です。これは治安当局の能力の限界もあると同時に、多くのジハード主義者が隣国リビアあるいはイラク・シリアから帰還しているということをおそらく意味しているものと思います。これはかなり由々しき事態です。

今回の日本外務省の危険度評価引き上げを3月のバルドー博物館襲撃の時点での日本外務省の危険情報と比べてみてください。

チュニジア危険情報地図(小・広域地図ボタン付き)
(今年3月の時点のもの)

違いは、これまでは西部のカスリーン県と南部の国境地帯以外のチュニジアの主要部は第一段階の「十分注意」(黄色)だった(ただし3月のバルドー博物館へのテロを受けて首都チュニスが第二段階「渡航の是非を検討してください」に急遽引き上げられていた)のが、7月10日の危険度引き上げで、チュニジア全土が第二段階になり、カスリーン県と国境地帯は従来通り第三段階の「渡航の延期をお勧めします」になったこと。

ただ、カスリーン県の南のガフサは、しょっちゅう掃討作戦をやっているので、カスリーン県並みにもう一段階危険度を上げてもいいんじゃないかとも思うが。ガフサ県を含む散発的に掃討作戦が行われている県については列挙して注意喚起はされているが。大きな県なので全体が危険ということはない。

チュニジアは戦争をやっているわけではないので、最終の第四段階の退避勧告(赤色)になっているエリアはない。

しかしいざテロや掃討作戦が起これば、その瞬間その場所は危険になることは間違いない。問題はいつどこでそういう状態になるかが、攻撃する側が場所を選べるテロという性質上、定かでないことだ。

こうなると、仕事で行くなら十分に注意して、時期と場所を慎重に選んで、かつ一定のリスクを覚悟して行くしかないが、不要不急の観光は避けましょう、ということにならざるを得ない。

外務省のリスク情報の読み方については上記地図を転載した3月のこの記事を参照してください。

【寄稿】『フォーサイト』の連載を再開 ギリシア論から

昨日予告した、『フォーサイト』への寄稿がアップされました。

池内恵「ギリシア――ヨーロッパの内なる中東」《中東―危機の震源を読む(88)》『フォーサイト』 2015年7月8日

今回は、無料です。久しぶりの寄稿ということもあり、また分析ではなく自由な印象論、政治文化批評でもあるので、まあ気軽に読んでもらおうかと。ご笑覧ください。

中東問題としてのギリシア危機

今話題のギリシア債務危機。「借金払わないなら出て行け」と言うドイツの世論とそれに支えられたメルケル政権、言を左右し前言を覆し、挙げ句の果てに突如、交渉提案を拒否するよう訴えて国民投票に打って出たギリシアのチプラス政権、それに応えて圧倒的多数で交渉提案を否決してしまう国民。確かに面白い対比です。ユーロ離脱の決定的瞬間を見たい、といった野次馬根性もあって、国際メディアも、中東の厄介なニュースを暫し離れてギリシアに注目しています。

ギリシア問題は、一面で「中東問題」であるとも言えます。もちろん狭い意味での現在の中東問題ではありませんが、根幹では、オスマン帝国崩壊後に近代国際秩序に十分に統合されていない地中海東岸地域に共通した問題として、中東問題と地続きであると言えます。

私はギリシアは専門外なので、深いところはわからないのだが、目に見える表層を、特に建築を通じて、素人ながら調べてみたことがある。

そこでわかったことは、現在のアテネなどにある「ギリシア風」の建物は大部分、19世紀に「西欧人」特にドイツ人やオーストリア人の建築家がやってきて建てたということだった。途中からギリシア人の建築家が育ってきて、ドイツ人やオーストリア人建築家の弟子として引き継ぎはしたものの。

1832年のギリシア王国建国で王家の地位に就いたのはギリシア人ではない。なぜかドイツ南部のバイエルン王国から王子がやってきて就任した。なぜそうなったのかは西欧政治史の人に聞いてください。

それで王様にドイツやオーストリアの建築家がついてきて、ギリシアのあちこちに西欧人が考える「ギリシア風」の建物を建てたのである。

例えば、「ギリシア問題どうなる」についてのBBCなど国際メディアの特派員の現地レポートの背景に(私は6月末の本来の債務返済期限のカウントダウンの際には日本に居なかったので日本のニュース番組でどう報じていたかはわからないが、多分同じだったと思う)必ずと言っていいほど映り込むギリシア議会。

これです。

ギリシア議会

いかにも「ギリシア的」ですね。

でもこれ、ドイツ人の建築家が19世紀前半に建てたんです。ドイツから来た王様の最初の正式な王宮でした。

近代西欧に流行した建築様式としての、古代ギリシア(+ローマ)に範をとった「新古典様式」の建築です。西欧人の頭の中にあった「古代ギリシア」を近代ギリシアに作っていったんですね。

ギリシアの「ギリシア風」建築の多くがドイツ人など近代の「西欧人」が設計したものであるという点については、マーク・マゾワーのベストセラー歴史書『サロニカ』を『外交』で書評した時に、本の内容はそっちのけに詳細に書いてしまった。

『外交』の過去の号は無料で公開されています。このホームページの第12号のPDFのところの下の方、「ブックレビュー・洋書」というところをクリックすると記事がダウンロードされます。『外交』に2年間、12回にわたって連載した洋書書評の最終回でした。

池内恵「ギリシア 切り取られた過去」『外交』Vol. 12, 2012年3月, 156-159頁.

現在の世界の歴史家の中で、学者としての定評の高さだけでなく、一般読者の数においてもトップレベルと思われるマゾワー。その「ギリシアもの」の代表作で、英語圏の読者には最もよく知られて読まれている『サロニカ(Mark Mazower, Salonica, City of Ghosts: Christians, Muslims and Jews 1430-1950)』は、第一次世界大戦によるオスマン帝国の最終的な崩壊の際の、現在ギリシア領のテッサロニキ=当時のサロニカが被った悲劇を描いている。サロニカ=テッサロニキは、アナトリア半島のギリシア人(ギリシア正教徒)と、現在のギリシア側のトルコ人(イスラーム教徒)の「住民交換」とその過程で生じた多大な流血の主要な場であった。

マゾワーの本はやっと翻訳され始めている。まずこれ。Governing the World: The History of an Idea, 2012の翻訳が『国際協調の先駆者たち:理想と現実の二〇〇年』として、NTT出版から刊行されたところです。

続いてNo Enchanted Palace: The End of Empire and the Ideological Origins of the United Nations, 2009『国連と帝国:世界秩序をめぐる攻防の20世紀』として慶應義塾大学出版会から刊行される予定だ。

さらに、Dark Continent: Europe’s Twentieth Century, 1998の翻訳が未来社から出る予定であるようだ

これらはいずれも、国連や国際協調主義の形成といった、国際関係史の分野のものだが、ぜひ著者の狭い意味での専門である、ギリシア史・バルカン史の著作にも関心が高まるといいものだ。

「中東」としてのギリシアについて、それがオスマン帝国の崩壊によって生まれたものという意味で中東問題と根が繋がる、といった点についての論考は、近く『フォーサイト』(新潮社)に掲載される予定です。

そんなにオリジナルな見解ではなくて、今日出席した鼎談でも、元外交官の中東論者が同じようなことを仰っていた。中東を見ている人がギリシアに行くと共通して思うんでしょうね。

『フォーサイト』に長く連載してきた「中東 危機の震源を読む」(『中東 危機の震源を読む (新潮選書)』として本になっています)と「中東の部屋」ですが、「イスラーム国」問題が人質問題として日本の問題になってしまったあたりから、個人としての日本社会向けの発言という意味もあって、その他いろいろ思うところがあって、個人ブログやフェイスブックを介した、読者への直接発信に労力を傾注してきた。

直接的な情報発信は今後も続けていこうと思うのだが、しかし、個人ブログで何もかも書いてしまうと、媒介となるメディアが育たない。私の議論を読む人は、私の議論だけでなく、ある程度は質と方法論を共有した他の専門家の議論にも触れて欲しい。

今後はもう少し、これまで縁のあった媒体を中心に、間接的な発信を再び強めていこうと思う。

そうはいっても、私の本来の任務である論文・著書の刊行義務がいよいよ重くのしかかってきているので、あまり頻繁にというわけにはいかないが。

そこで、ギリシアの中東としての意味や、建築史の搦め手から見たギリシア近代史といった、緩やかな話題からリハビリ的に『フォーサイト』への寄稿を再開してみようと思っている。

帰国しました:中東諸国のリスク

10日間ほど、アラブ首長国連邦で資料収集に没頭していましたので、ブログの更新が減っていました。

ちょうど帰国したところです。

現地調査は、次の次の次ぐらいに取り組んで成果を出す課題について、今のうちに見て、考えて、調べるために行うものですから、すぐにどうだったこうだったとブログに書くことはありません。ただいま資料を整理し、消化中です。

合間に手早く撮った写真などは、以前チュニジアについて試してみましたが、ブログの素材として用いるかもしれません。それはまた時間が出来た時に。あくまでも副産物ですので、調査の本体は論文や本になります。

短い現地滞在中に、国際的に大きなニュースとなった事件が相次ぎました。日本ではそれほど報じられていないかもしれませんが、中東、西欧、米国のメディアでは今でも事件後の状況を注目して見ています(並行してギリシアのデフォールト問題のカウントダウンで盛り上がっていますが)。

6月26日(金) クウェートのシーア派モスクへの自爆テロ、チュニジア・スースのビーチ・ホテル襲撃、フランス・リヨン近郊の化学工場への襲撃

6月29日(月) エジプト・カイロ郊外ヘリオポリスで検事総長が爆殺される

7月1日(水) エジプト・カイロ郊外10月6日市でムスリム同胞団の幹部ら13名を治安部隊が殺害
        エジプト・シナイ半島北部シャイフ・ズワイドで「イスラーム国」の「シナイ州」を名乗る勢力がエジプト軍の拠点複数を一斉に攻撃、エジプト軍と交戦

ただし、これらに並行して、イエメン内戦とリビア内戦が激しく続いており、私がいたアラブ首長国連邦を含むアラブ湾岸産油国(GCC)はこの二つの内戦に深く関与しているため、それらは上記のテロと同様に注目されていました。

「イスラーム国」のプロパガンダに影響されたとみられる、クウェートのシーア派モスクへの攻撃は、宗派紛争を惹起しGCC諸国の社会・政治を内側から揺るがす可能性があるため、連動・連鎖反応ががあると危機的です。

イラク南部からクウェート、バーレーン、サウジアラビア東部にかけてのシーア派が多く住み、巨大な油田を抱える地帯に混乱を及ぼすことを全力で防ぐのが、ペルシア湾岸のアラブ産油国(GCC)の共通の安全保障上の課題として、大きく見えてきています。

今回の渡航先を選ぶ際には、クウェートとチュニジアを真剣に検討した上で、リスク懸念からやめておきました。2月に行ったチュニジアにもう一度行って、リビアの内戦からの波及の程度を見てみたいと思っていましたが、「イスラーム国」がチュニジアの安定を揺さぶる宣伝を行い、チュニジア国内に呼応する勢力が曖昧ながら存在する以上、滞在中の安全確保が万全にできないと判断して見送りました。クウェートとバーレーンの宗派間関係も見ておきたかったのですが、5月にサウジ東部で相次いだシーア派モスクへのテロ以後は、標的がクウェートにも拡大する可能性があったため、これも回避しました。

もちろんイラクやシリアは論外です。

エジプトについては、広い国ですから、滞在中にどこかでテロや辺境での衝突があっても直接に被害を受ける可能性は低いですが、以前よりも爆破の起きる場所が多様化しているため、安全の確保に確証が持てません。特に・軍・警察関連の施設とその周辺は危険を伴います。6月30日から7月3日にかけての、2013年のクーデタ関連の象徴的な日付には局地的・突発的な騒乱状態が予想されたため、安全上の制約から自由に動き回ることができないのであれば成果も得られにくいとみてエジプトもまた渡航を回避しました。

しかしこうしてみると、アラブ諸国で行けるところがどんどんなくなってしまいますね。

現状ではアラブ首長国連邦とオマーンとモロッコが、残された数少ない安心できる場所といえるでしょうか。ヨルダンは目立ったテロ事件は最近起きていませんが、台風の目の中に入ると風が止む、といった状態です。

外国人労働者の方が居住者の多数を占めるこの国は、国家というよりは多国籍企業やグローバル・シティとして捉えた方が良いこともあります。しかし近年に、シリアやイエメンやリビアに直接の軍事介入をするなど、従来とは違う、国際政治・安全保障上の存在感を増しています。それがどれだけ実体を伴ったものなのか、持続可能なのか、追っていろいろ考えてみましょう。

グローバル・ジハードの連動か:金曜日に3件のテロ(チュニジア、クウェート、フランス)

Braking News Al Jazeera Eng

本日、6月26日の金曜日、中東各地に加え西欧でも、グローバル・ジハードに感化されたか呼応したと見られるテロが並行して生じています。相互の関連は不明です。関連がなくても(むしろ関連のない人と組織が)、呼応してテロを連動させることがグルーバル・ジハードの基本メカニズムです。

(1)チュニジアの西海岸の主要都市スース近郊のビーチ・リゾートにあるホテル(Riu Imperial Marhaba hotel)を狙ったテロで少なくとも27人が死亡(GMT13:00前後)。なおも銃撃戦が続いているという報道もある。
http://www.aljazeera.com/news/2015/06/gunmen-attack-tourist-hotel-tunisia-150626114019519.html
http://www.bbc.com/news/world-africa-33287978
http://www.bbc.com/news/live/world-africa-33208573

(2)クウェートのクウェート市でシーア派のイマーム・ジャアファル・サーディク・モスク(Imam Ja’afar Sadiq Mosque)が爆破され、少なくとも8人が死亡。
http://www.aljazeera.com/news/2015/06/deadly-blast-hits-kuwait-mosque-friday-prayers-150626103633735.html
http://www.bbc.com/news/world-middle-east-33287136

(3)フランスのリヨン近郊サン=カンタン=ファラヴィエール(Saint-Quentin-Fallavier)で米国系企業Air Productsの工場が襲撃され、少なくとも一人が殺害された。犯人は一人が銃撃戦で射殺され、一人が逮捕されたとする報道がある。「イスラーム国」の黒旗を掲げていた、車に爆発物を積んでいたとの報道もある。勤め先の上司を殺害し遺体の首を切断して襲撃現場に置き、メッセージを残したとされる。
http://www.theguardian.com/world/live/2015/jun/26/suspected-terror-attack-at-french-factory-live-updates
http://www.bbc.com/news/world-europe-33284937

クウェートの事件については、ラマダーン月の金曜日で集団礼拝に多くの人が集まるのを狙ったと見られる。サウジアラビア東部州で先月続いたシーア派モスクへのテロがクウェートに波及したことになる。

https://www.facebook.com/satoshi.ikeuchi/posts/10203169783844486
https://www.facebook.com/satoshi.ikeuchi/posts/10203171393244720
https://www.facebook.com/satoshi.ikeuchi/posts/10203171435885786

チュニジア・スースの事件については、ラマダーンと暑気払いを兼ねて金・土曜日の週末を現地人も外国人居住者も近郊リゾートなどで過ごすことが多いところを狙ったのだろう。

フランス・リヨン近郊の事件については、ローン・ウルフ型の小集団による自発的な犯行の可能性が高いが、詳細はまだ確定できない。

なお、池内はチュニジアにもクウェートにも、フランスにもいませんので、関係者はご安心ください。

チュニジアは今年2月の調査の裏を返し、3月のバルドー博物館襲撃事件以降の雰囲気を知りたかったが、明らかにチュニジアの安定を揺るがそうとする扇動が行われていて、呼応する集団がいることが感じられる状況では、身を守る手段を持っていない以上回避しました。

イラクとシリアの「イスラーム国」の活動が次に波及するのであれば、アラブ湾岸産油国のシーア派を抱えた国になるので、クウェートとバーレーンも調査の候補にしていたが、これも結局回避していました。直前まで検討して、最も危険が少ないところに渡航して、安全な距離をとって観察しています(前回のチュニジア渡航ではまだ安全だったチュニスからリビア情勢を見ていました)。

新書で資源・エネルギー問題を読むなら

エネルギーアナリストの岩瀬昇さんという方(直接面識はないが、ちょこっとだけ接点があった人のお父上であると聞く)のブログはちょくちょく見て勉強しているのだが、今日はこのようなエントリが掲載されていた

新聞などの企業・総合メディアは、専門家の個人メディアの登場により、その水準を即座に検証され判断される受難の時代には行った。刺激されて新たな水準に上がるといいのだが、諦めてしまって居直ってしまわいないか心配になる。この社説と同様なことを言って迎合してくれる「専門家」は常に現れるわけだし。そうなると信頼できる、ポイントをついた議論を求める人は、一層メディア企業を介さず個人をフォローすることになり→そうなると価値が高まるし、手も回らなくなるのである種の有料化やクローズドな媒体に移行する方向に進んで→それを知っていてお金を払う気のある・払える人とそうでない人で、知識による社会の二極分化が固定化されてしまいかねない。

私な二極分化を憂える立場で、公共的議論の場を作り水準を高めようと努力しているが、しかし企業・組織の側が硬直して、二極分化を推し進める側に回って無知な側に大量に売って生き延びよう、というつもりでいるんだったら、こちらは矜持を保てる水準の思考・言論を展開してかつ適切な読者を独自に確保して生き延びることを考えなきゃいけないな、と思う。理想への期待を放棄することなく、人間社会の愚かさに対する備えも怠らない、ということでいいのではないでしょうか。

岩瀬さんのこの本、ずいぶん売れて手に入りにくかった記憶があるのだが、社説界隈には浸透していなかったのか・・・


岩瀬昇『石油の「埋蔵量」は誰が決めるのか? エネルギー情報学入門』(文春新書)

「新書」という媒体のあり方、近年の実態については色々と言いたいことがあって、それについてはこのブログでしょっちゅう書いていて、また自分がいざ新書という媒体で『イスラーム国の衝撃』を出した際にも、アンビヴァレントな思いが去来したのだが(それについてもあちこちで書いている。『文學界』の最近の寄稿にも)、企業などの現場で長い間経験を積んできた方が、総まとめや区切りの意味で一冊にまとめる、という場合の媒体としては優れていると思う。

実務家の人は、いわゆるアカデミックな書き方はしない人が多いだろうが、情報や知見の実質があれば良い新書は成り立つ。本を出して生計を立てるわけではないから変なものを急いで書いたりしないだろうし。書いたら読者には役に立つし、それをきっかけに講演などが増えたりするのだろう。まとまったテキストがあると主催者・聴衆・話し手のいずれにとっても良いわけだし。

この本、私などが紹介しなくてもとっくの昔に売れてしまっていたのだけれども、改めてここでも紹介。

MERS(中東呼吸器症候群)がなぜ韓国で?

昨日は原稿を書きながら長野新幹線で往復という慌ただしい1日。今日も休日出勤で朝から晩まで一般聴衆や学生さんの相手します。

というわけで要点だけ。韓国で2次・3次感染が出て大問題になっているMERS(中東呼吸器症候群)について。

結論から言うと、今回は「中東」の問題というよりも韓国の保健衛生体制がなぜ感染拡大を止められなかったか、そもそもなぜ韓国人が多く中東にいるのかといった点に私としては関心が向く。中東で感染爆発が起こっているとは言えないからだ。もちろん、感染源が日本にとっては近くに来たというのは危険ではあるし、世界全体から見ても、感染源の広がりは深刻な危険をもたらす。しかしウイルスの変異によるヒト−ヒト感染力の強まりといった病原体そのものの変化はまだ確認されていない。

MERSについては昨年の流行の時期に短く記していた。

「MERS(中東呼吸器症候群)はラクダでうつるらしい(2014年2月25日)」

「メッカ巡礼とパンデミックの関係(2014年3月1日)」

2012年以来、春から初夏にかけて毎年感染者が出ている。中東では今年が特に多いわけではない。しかし今回は韓国人の帰国者を感染源に院内感染で2次・3次感染が進んだ。ここで封じ込めに失敗すれば中東の外に新たな感染源を作ることになるため、強く関心を寄せていく必要はある。

韓国での感染の事例は、中東以外の国ではイギリスとフランスに次ぐもので、東アジアでは初めてである。しかも中東の外では最大規模の2次・3次感染が生じたことが憂慮される。

ただし、病原体としてのMERSが変異して感染力が強まったといった事実はまだ確認されていない。もしそのような事実があれば次の段階に入ったことになる。そうでなければ、MERSそのものや中東の問題というよりは、一人の中東訪問帰国者の感染者から2次・3次と感染を拡大させることを許した韓国の医療・保健衛生の制度や患者や医師の行動の問題として、日本での今後の対応に生かすためにも注視する必要があるだろう。

MERSは感染症としては一般に次のような特徴を持つ。私が短時間で資料に目を通した限りでは、昨年までと変わっていない。

(1)大部分の感染者はサウジアラビア人である。それ以外の国の感染者も大部分がサウジアラビア渡航・滞在の際に感染したとみられる。
(2)治療薬やワクチンがなく、発症者の3割から4割が死亡するという致死率の高さが特徴。ただし、感染に気づいていないか、病院で診療を受けない事例が多くありそうなことを考えれば、感染者の致死率はもっと低くなる。
(3)コウモリからヒトコブラクダを通じてヒトに感染するルートが知られている。
(4)ヒトからヒトへの感染は起こりにくく、大部分が院内感染か家庭内での感染である。

未解明の部分が多いようだが、中東のヒトコブラクダの多くがMERSウイルスに感染して抗体を持っており、ウイルスがヒトコブラクダと濃密に接触するヒトに感染するようになり、さらに、感染力は弱いもののヒトからヒトへ感染するようになった模様だ。病気のラクダを治療して感染したと見られる事例が知られる。

以上は私が知る限りの事項のまとめですので、感染の広がりの詳細や、潜伏期間や感染力・経路、治療法などの正確なところは、下記のような公的機関のホームページを参照してください。
国立感染症研究所(基礎情報)http://www.nih.go.jp/niid/ja/diseases/alphabet/mers/2186-idsc/5703-mers-riskassessment-20150604.html
厚生労働省(Q&A)http://www.mhlw.go.jp/bunya/kenkou/kekkaku-kansenshou19/mers_qa.html
厚生労働省(アップデート)http://www.mhlw.go.jp/bunya/kenkou/kekkaku-kansenshou19/mers.html

日本で関心を集めるのは、単に感染症が恐ろしいというだけでなく、「中東の病気がなぜ韓国で?」という疑問が湧き、「韓国で流行すれば日本にもくるのではないか」と恐れるからだろう。

しかしウイルスの大きな変異がなく感染力が低いままであれば、韓国で感染者が出ていても、それが日本に及ぶルートはかなり絞られてくる。(1)日本人が韓国に行って韓国の病院で院内感染する、(2) 韓国人の感染者が発症前あるいは発症後に日本に渡航して日本の病院で院内感染を広める、といった想定される経路はかなり特殊で、可能性はそれほど高くなく、対策 の用意さえしておけば、パニックになる必要はないのではないかと思う。

「なぜ」の方は、中東に出入りしていると感覚的にわかる。要するに韓国企業の中東進出が著しいのである。企業が進出するだけでなく、「人が多く行っている」ことが、日本と比べた時の特徴だ。おそらく日本と比べると一桁は多い数の韓国人ビジネスマンが中東を出入りしている。

例えば、ドバイで世界一高いビルが建ちましたね。ブルジュ・ハリーファ(ハリーファ・タワー)。

Burj Khalifa

あれの建設を請け負ったのもサムスン建設でした。サムスンが全体を請け負って、人も多く出しつつ、各国・各社の技術や労働者を集めてきて、現地の財閥ゼネコンと組んで建設した。

日本企業は韓国が親請けした大規模プロジェクトに、「納入業者」として入る場合が増えてきている。発電所ならタービンとか、都市交通システムなら列車車両とか。高度な技術やノウハウを必要とする中核的な部分を担っているので、必ずしも「下請け」という雰囲気ではないが、プロジェクト全体やインフラを全面的に担ってリスクを負い利益を得ているわけではない。

それは端的に言うと、日本は中東に大規模に人を送り込むことはできない国なのである。環境が過酷で社会文化的なギャップが大きく政治的な不安定性や不透明性がある中東で、現地の人たちや各国からの労働者達と揉まれてやっていけます、やっていく気があります、という日本人を大人数集めることは難しい。そういう人材が育成されにくいという制度の問題と、そもそもそんなことをやろうという人が少ないという主体の意志の問題は、鶏と卵のような話であって、どっちが原因でどっちが結果かはわからないが、とにかく中東で大きなプロジェクトをやろうとしても現地に行って事業を完遂してくれる人材を集めることが難しいことは確かだ。

ごく一部、日揮のように、かなりの人員を集めて現地に送り込んで巨大プラントを何年もかけて作って引き渡して帰ってきてまたよそに出かけていく、ということを大規模にやり続けていける企業があるが、それは例外。そういう企業には、日本社会の中では珍しい、外向けアニマル・スピリッツが強い人たちが集まってきます。

韓国の場合は、よほどの学歴か、コネでもない限りは就職が難しいので、それぞれが必死にアラビア語とかロシア語とかスペイン語とかできて現地でガツガツやってくる能力を身につけて就職する。現地に何年でも行って来いと言われることを当然と考える人たちがいっぱいいるのでサムスンなどはどんどん受注できるんですね。

このことは、2000年前後に、中東で日本人留学生や駐在員たちのコミュニティを避けて人知れず庶民街で勉強していた時以来、感じているものです。

中東で中の下ぐらいの階層のエリアに行くと、日本人がいない代わりに、とにかくいっぱい韓国人留学生がいたものである。欧米人や日本人が中東で苦労する、慣習やインフラ不備による不快感やギャップをそれほど感じていない様子で、野心的に、実践的に勉強していた。日本の場合はアラビア語ができたって一流企業に就職できなかったから、学者になりたいというような人しか中東に勉強に来なかった。韓国の場合は、語学を身につけて就職→過酷な現場で通訳から叩き上げて中堅社員に、といったキャリアを想定する人たちが大勢来ていた。

かつてはイランのIJPCのように、日本企業が総力を挙げて中東に大規模に人を送り込んで大規模プロジェクト全体を主導するという時代があったが、そのような時代はもう過ぎたということなのですね。韓国だって世代が変わるとどうなるかわからないが。

日本企業では「たとえ経営陣が大規模プロジェクトを受注してきても、組合が許してくれない」などという話も聞く。また、大規模なプロジェクトを請け負って事業を完遂させるまでのリスクを負えなくなっているのではないか。そこで、利幅は限られているがリスクは低く、人員も限定される納入業者の立場に甘んじるしかなくなっている。もちろん、それは産業の高度化とも言えるし、高度技術にシフトして、投資収入やライセンス収入に依存するようになるという、先進国が進まざるを得ない方向に進んでいるとも言えるのだが、人的資源の「空洞化」の側面があることは否めない。

韓国の場合、感染者との接触者がそれを隠して中国に入国したりしているのを見ても、中東に来ていたバイタリティのある人たちを思い出して、さもありなんという気がしてくる。

ちなみに中国人は韓国よりさらに一桁多い数が中東に行っている。それではなぜMERSウイルスの感染・発症例が出ていないのか?という疑問がありうる。

さあ、なぜだかわかりません。偶然まだ感染者が出ていないのかもしれない。感染者が出ていても隠しているという可能性がないではないし、気づかれずに亡くなっていたり治っていたりするという可能性がないわけではない。

ただ、現地情勢を見ている限りでは、中国と韓国では企業の中東での進出の仕方が違うので、現地社会との接触のあり方が違うのではないかとは推測できる。中国企業は確かに膨大な数の中国人労働者を連れてくるが、空港に降りるとそのままバスに乗せて砂漠の中の現場に連れて行ってしまう。だから現地社会との接触があまりなく、そのため感染が起きていないのではないかとも考えられる。

英語でかなりわかりやすいまとめが出ていたので幾つか紹介。

What You Need to Know About MERS, The New York Times, June 4, 2015.

感染症としてのMERSの特性を簡潔にまとめた上で、巡礼などサウジ特有の社会文化との関連性も主要な論点を網羅している。

As MERS Virus Spreads, Key Questions and Answers, National Geographic, June 4, 2015.

主に医学的・疾病対策的な側面からの詳しいルポ。読み易いが読み応えがある。今後の対策として、人間ではなくラクダにワクチンを打つ方法なども紹介されている。

My lecture on the spontanuous mechanism of participation-mobilization of global jihadists

A short lecture given to Yomiufi Shimbun last month was translated on The Japan News. The comment revolves around the mechanism behind the spontaneous proliferation of global jihadists in dis-contiguous pockets of disturbances.

“Radicals spontaneously join ISIL network.” The Japan News, April 12, 2015.

元になる日本語のインタビューはこれ。
「【インタビュー】読売新聞3月25日付「解説スペシャル」欄でイスラーム国とチュニジアについて」(2015/03/26)

これを英語向けに表現を改め、論理を明確にしています。日本語の新聞は非常に曖昧な表現が多用される。そのまま英語に訳されると、私が朦朧とした論理の人だと思われて致命的ですので、ぴしぴしと書き改めました。

ちなみに日本語版のこのインタビューを拡大して、この本の日本の出版・文化現象としての意味を縦横に語ったのが、有料版の別立てインタビュー。

「「読売プレミアム」で長尺インタビューが公開」(2015/03/28)

実はこれはもっと読んでほしいなあ。よそでは言わないことを言っています。お試し版でも登録してみてください。

サウジの石油価格下落放置の究極の狙いは「需要の維持」とする説

石油価格が低下傾向に入ってから10ヶ月ほど。米国のシェールオイルの生産の落ち込みが始まり、今年1月にはブレント指標で50ドル/1バレルを割り込んだが、サウジのイエメン介入が地政学リスクの認識を高めたせいなのか、4月14日には58ドルまで上がっている

しかし、昨年後半以来の石油価格低下を、サウジが止めようとしなかったこと、特に、OPECでの価格引き上げ策を積極的に拒否して下落を加速させたことについては、透明性のないサウジの意思決定メカニズムも絡んで、盛大な憶測を呼んできた。

例えば、

(1)市場コモディティ化や非OPEC産油国の増大から下落を止める能力がない以上、シェアの確保を優先して価格低下は見逃している、という経済学的説明。

まあこれはそうでしょう。もっと攻撃的な意図を推測すると、

(2)米国のシェール・オイル潰し。

という、まあありそうな政治的な経営戦略の推測、

さらには検証のしようのない、

(3)実は裏で米国と結託して原油価格低下を推進しウクライナ問題で対立するロシア・プーチンを追い詰める策謀を行っている。

という話も飛び交い、さらに、その動機は

(4)老舗産油国のプライド(?)

等々といろいろな説明もなされていた。

しかし非常にわかりやすい、筋のとおった説明の記事が出た。

上記の戦略・戦術・策謀がないとは言えないが、もっと長期的に、需要の維持こそが大局的にサウジの国益となるのであって、そのためには石油価格は安くないといけないという判断がある、という説である。石油価格が高止まりしていると、代替エネルギーの開発が進んでしまうことは確かだ。

Peter Waldman, “Saudi Arabia’s Plan to Extend the Age of Oil,” Bloomberg, April 13, 2015.

Supply was only half the calculus, though. While the new Saudi stance was being trumpeted as a war on shale, Naimi’s not-so-invisible hand pushing prices lower also addressed an even deeper Saudi fear: flagging long-term demand.

ここでナイーミ石油相を大きく取り上げています。叩き上げで石油産業と市場の生き字引のようなナイーミ石油相に、深い叡智と先を見通す目が備わっているとみなすこの記事自体が、サウジの安定性を宣伝するサウジの広報戦略の一環である可能性はありますが、確かにサウジの指導部にはこの方面では非常に深い知見が蓄積されているでしょう。

「石器時代は石が枯渇したから終わったわけではない」というのはサウジのヤマニー元石油大臣の有名な台詞ですが、供給が問題なのではなく、需要がなくなることこそが恐怖、というのが、枯渇を考えなくていいほどの埋蔵量を誇るサウジの、他の産油国より一歩先を行った視点と言えるでしょう。

こういった記事が出ることも織り込んでいるのか、サウジ政府は、他の輸出国が協力しないなら生産調整しないよ、という価格低下構わずの姿勢を維持し、さらに「シェールも代替資源も歓迎してるよ」と余裕の構え

石油超大国としてこういうところはさすがに深いですが、アキレス腱は社会内部の過激な宗教勢力とか、寄せ集め地上軍の信頼性とかなのであろう。

「イスラーム国」とフセイン政権残党のつながり『ワシントン・ポスト』紙

「イスラーム国」のイラクの指導部にフセイン政権の関係者が入っているという『ワシントン・ポスト』紙の報道。

よく言われている話で、『イスラーム国の衝撃』でも言及しておいたが、特に決定的な目新しい情報があるわけでもない。しかしアラビア語紙でもそのまま転載されていることが多い。話題になっているので、参考読み物としてポストしておきます。写真も付いているし。

“The hidden hand behind the Islamic State militants? Saddam Hussein’s,” The Washington Post, April 4, 2015.

ジョナサン・リテルの『ホムスのノートブック』

シリア内戦や「イスラーム国」、ジハード主義の運動についていい記事をよく載せている『ニューヨーク・レビュー・オブ・ブックス』のブログをたまに見ているが、ジョナサン・リテルの『ホムスのノートブック(Carnets de Homs)』が英訳されることを知った。

英語版の序文が転載されている。

Jonathan Littell, “What Happened in Homs,” The New York Review of Books, March 18, 2015.

フランス語版は2012年に出ている。

Jonathan Littell, Carnets de Homs, Gallimard, 2012.

Littel Carnet de Homs

2012年の1月から2月に反アサドの反政府抗議行動の中心都市ホムスに入ったリテルのルポである。ホムスは長期間包囲され、執拗な砲撃を受けた上で陥落した。シリア内戦の酷薄さを代表する象徴的な街だ。

リテルは作家なので、政治分析は全く期待していないのだが、西欧の、特にフランスのインテリの頭の中にシリアなどレバント地域はどのように映っているのか、シリア内戦や「アラブの春」がどのような想像を掻き立てているのか、うっかり、あからさまに示しているのではないかと思ってフランス語のこの本には注目していたが、じっくり読むというような余裕がなかった。英語になってくれるとさっさと読めていい。

ジョナサン・リテルといえば、ナチス親衛隊将校の視点で描いた『慈しみの女神たち 上』(上下、集英社、2011年3月)が翻訳された時にずいぶん話題になった。原題はLes Bienveillantes、英訳はThe Kindly Ones。この本でゴンクール賞受賞。

『慈しみの女神たち』はフランス育ちのアメリカ人がホロコーストをやる側の視点で書くというところが倒錯的で、多分いろいろなものに取り憑かれた人なのだろうけど(フランスの文筆家その他の言い草一般に言えることですか・・・・偏見ですみません。好感を示しているつもりなのですが)。

この人が抑圧のシリアの蜂起と包囲下の都市にわざわざ出向いて、自由への希望と欠乏と暴力と死を描く。自分の妄想のみを見てくるのだとしても、フランス文化として面白い。(ついでに、ジル・ケペルの『中東戦記 ポスト9.11時代への政治的ガイド』の面白さも、フランス文化としての面白さという側面があります。わかる人にだけわかる本なので、あまり宣伝していませんが・・・)

イエメン情勢を読み解く

イエメンの問題についてここのところ詳細に紹介しているけれども、それはローカルな興味からだけでなく、サウジの動揺と湾岸産油国全体の動揺につながりかねないがゆえに日本にとって重要性を持つからだ。

ワシントン・ポスト紙は、サウジの対イエメン空爆は3月26日の開始以来2週間で、見たところはかばかしい成果を上げておらず、人道問題や、過激派の活動する権力の空白が広がっていると、早速警鐘を乱打。

“Yemen conflict’s risk for Saudis: ‘Their Vietnam’,” The Washington Post, April 9, 2015.

「イエメンはサウジにとってのヴェトナムとなるか?」というのはアメリカ人向けに最も分かりやすいフレーズなのだろうが、まさにこれこそがイエメン情勢が注目される所以だ。

この地図でも示されるように、3月26日のサウジ主導のイエメン空爆開始後も、フーシー派の勢力範囲はむしろ広がっています。
イエメン情勢サウジ空爆2週間
【出典】 “Yemen’s Despair on Full Display in ‘Ruined’ City,” The New York Times, April 10, 2015.

イエメンの紛争の諸勢力についてのPBSの解説で主要な登場人物とそれらの間の関係を理解しましょう。

“Who’s Who in the Fight for Yemen,” Frontline, PBS, April 6, 2015.

サウジの軍事介入開始直後に、International Crisis Groupの情勢分析レポートが出ている。仕事早いな。

“Yemen at War,” Middle East Breifing No. 45, International Crisis Group, 27 Mar 2015.

中東が荒れるとニューヨーク・タイムズが必ず頑張って詳細な地図をウェブに上げてくる。いい編集者・グラフィックデザイナーがいるんですな。これは他紙の追随を許さない。唯一、英エコノミストが、もっとシンプルな「ここだけ知っていればいい」という要点をついた地図を出してくるので、併せて見ておくと整理される。

SARAH ALMUKHTAR, JOE BURGESS, K.K. REBECCA LAI, SERGIO PEÇANHA and JEREMY WHITE, “Mapping Chaos in Yemen,” The New York Times (←順次アップデートされていく)

イエメンを巡って、サウジとイランの地域大国間の覇権競争が激化するのではないのか、というところが関心の的です。

“Tensions Between Iran and Saudi Arabia Deepen Over Conflict in Yemen,” The New York Times, April 9, 2015.

イランは効果的にスンナ派連合の外縁(非アラブのパキスタンとトルコ)を切り崩し。

トルコは3月26日の空爆開始の際に、サウジが明示的にあげた有志連合国の中には名前が入っていませんでしたが、エルドアン大統領が支持を表明しており、軍を派遣するのではないかと見られている。

“Turkey, Egypt join military operation against Houthis in Yemen.” DW, March 26, 2015.

トルコのエルドアン大統領の判断については、その苦衷が推測された。
Aaron Stein, “Turkey’s Yemen Dilemma: Why Ankara Joined the Saudi Campaign Against the Houthis,” Foreign Affairs, April 8, 2015.

サウジ側につく判断への批判もトルコ国内からすぐに出た。要するにエルドアンの開発独裁を支える湾岸のスポンサーの意向に逆らえないんだろ、という話。

Fehim Taştekin, “Turkey’s misguided Yemen move,” Al-Monitor, March 31, 2015.

エルドアンは4月7日のイラン訪問で、バランスを取ろうとした。経済問題ではイランと合意しつつ、イエメン問題にはエルドアンは触れない。しかしイランのロウハーニー大統領はイエメン問題に触れまくる。

“Iran and Turkey back political solution to Yemen crisis: Iranian president tells his visiting Turkish counterpart,” Aljazeera English, 08 Apr 2015 05:40 GMT.

そこでアラビーヤの報道ではタイトルで、エルドアンはイランでいろいろ合意したけれども、イラン側ではなくサウジ側についているという姿勢を変えていない、と強調しているのですね。しかしこれはかなり苦しい。

“Turkey, Iran agree on trade but steer clear of Yemen disagreements,” Al-Arbiya News, April 7, 2015.

同様に、パキスタンも、3月26日の空爆開始の際にサウジが有志連合の中の唯一の非アラブの国として名前を挙げたけれども、態度ははっきりしていない。そこでサウジはパキスタンに明示的に軍事的な貢献を求めた。パキスタンの外相の議会への説明では、いつ、どのようにとは明かされていないが、サウジの要請があったことを認めた。

“Saudis Ask Pakistan to Join the Fight in Yemen,” The New York Times, April 6, 2015.

しかしイランの外交攻勢はここでも優勢。4月8日にザリーフ外相がパキスタンに飛んで、パキスタンに、サウジとイランの仲介役を果たせるよと甘い囁き。

“Iran foreign minister: Pakistan, Iran must work together on Yemen,” Reuters, April 8, 2015.

翌日、ザリーフはパキスタンの参謀総長とも会談。

“Iran minister meets Pakistan military chief amid Yemen dilemma” Reuters, April 9, 2015.

4月10日、パキスタンの国会は全会一致で中立を決議。あちゃー、ですね。サウジにとっては。パキスタンにもナショナリズムがありますから、サウジに使用人のように、傭兵のように使われるのは認めがたいわけです。といっても現実に傭兵のようなことをしているわけですが。

“Pakistan Votes to Stay Out of Yemen Conflict,” The New York Times, April 10, 2015,

“Pakistani Lawmakers Pass Resolution Urging Neutrality in Yemen Conflict,” The New York Times, April 10, 2015.

これに対して、UAEの外務担当相が、パキスタンに「高い代償を払うことになるぞ」と警告する発言が報じられています。

“UAE condemns Pakistan’s vote on Yemen” Khaleej Times, 11 April 2015.

「本当の同盟国」か「メディアと声明の中だけの同盟国」かはっきりせよ、だそうです。
“The Arabian Gulf is in a dangerous confrontation, its strategic security is on the edge, and the moment of truth distinguishes between the real ally and the ally of media and statements,” Minister of State for Foreign Affairs Dr Anwar Mohammed Gargash tweeted after a unanimous resolution passed by a special session of Pakistan’s parliament.

「高い代償を払うことになるぞ」だそうです。パキスタンで反発を招きそうですね。ただでさえ、膨大な出稼ぎ労働者がこき使われていい感情を抱いていないのですから。
Gargash said Pakistan is required to show a clear stand in favour of its strategic relations with the six-nation Arab Gulf cooperation Council, as contradictory and ambiguous views on this serious matter will have a heavy price to pay.

「トルコとパキスタンにとっては、イランの方が重要なんだな。俺たちの金は必要としているが」(趣旨)。
Tehran seems to be more important to Islamabad and Ankara than the Gulf countries, Gargash added. “Though our economic and investment assets are inevitable, political support is missing at critical moments,” Gargash said.

“The vague and contradictory stands of Pakistan and Turkey are an absolute proof that Arab security — from Libya to Yemen — is the responsibility of none but Arab countries, and the crisis is a real test for neighbouring countries.”

引用の最後の部分のように、「本当に大変な時には誰も助けてくれない、自分の身は自分で守るしかない」という、遅まきながらの自覚につながっているようで、この記事にくっついている関連記事では、サウジの最高ムフティーのアール・シャイフ師の「国民皆兵にすべきだ」という発言が伝えられています。イエメンの紛争が早期に集結すれば、一時的なごたごたとして忘れられるでしょうが、なんだかそうなる雰囲気ではありません。

税金すらほとんど払わず、むしろ政府が国民に石油収入からふんだんに配分するということで、権利の制限もやむなしとして出来上がっている湾岸産油国の秩序です。ここに国民皆兵などを導入すれば、秩序が根本から崩れます。何か非常に大きな変化の兆しを目の当たりにしているのかもしれません。

なお、パキスタンの『ドーン』紙が同じ発言を報じる際には、パキスタンのシャリーフ首相とトルコのエルドアン大統領が電話会談をしていることも報じられています。サウジ・GCCからイエメンへの軍事介入を迫られ、対イラン対決姿勢を迫られて困っている両国の協議、というところが面白いところです。

“UAE minister warns Pakistan of ‘heavy price for ambiguous stand’ on Yemen,” Dawn, 11 April 2015.

Turkey’s President Recep Tayyip Erdogan telephoned Prime Minister Nawaz Sharif to discuss the crisis situation in Middle East and agreed that both the countries would accelerate efforts to resolve the deteriorating situation through peaceful means, said a statement issued by PM House on Saturday.

During the conversation that lasted for about 45 minutes, both the leaders stressed that Houthis didn’t have any right to overthrow a legitimate government in Yemen and affirmed that any violation of the territorial integrity of Saudi Arabia would evoke a strong reaction from both the countries.

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さて、これらはほとんどすべて欧米の主要メディアだったり、アル=ジャジーラやアル=モニターのような中東と関係の深い英語メディアなのだが、中東の現地語のメディアはどうなの?と知りたい人もいるだろう。

まず、事実関係について、基本的な政治的争点や論点について、現地メディアと英語メディアであまり違いはありません。

ただしアラビア語メディアは党派性が強いので、客観性で英語メディアに劣ります。アラビア語メディアの多くには、サウジ資本の影響力が及んでいるのと、今回はカタールがサウジに追随しているので、両者で有力メディアの多くを支配しており、議論に多様性が乏しくなっています。

分かりやすくサウジ資本の衛星放送アラビーヤの英語版のホームページの一例を挙げておきますが、イランとヒズブッラーがイエメンのフーシー派を訓練してイエメンを壊そうとしているんだ、と断定しています。

“Iran and Hezbollah trained Houthis to ‘harm Yemenis’,” Al-Arabiya News, 7 April 2015.

このような真偽の定かではない記事が、一応「政府系」ではないはずの民間資本のアラビーヤの画面とホームページには溢れています。

現地語の新聞を各国読み比べると時々面白い情報が推測されるのは、もっと微妙な社会的な部分、サウジの軍に傭兵やコントラクターとして入っているエジプト人やパキスタン人(さらにはイエメン人)などの動向ですね。政府間の関係とは別に、経済の論理で動いている個人と社会の関係。そのような情報は深いところで将来を見通すために有効な情報になりえます。

イエメン情勢の「最悪の最悪の」シナリオは

サファー・アハマドのイエメンについてのドキュメンタリーについて昨日紹介したけれども、これを4月7日に放送した米公共放送局PBSは、イエメン情勢についての基礎情報や最新の分析を次々と放送したりウェブに上げている。

元FBI捜査員で、9・11事件以前にイエメンでのアル=カーイダの活動を追いかけていたアリー・ソウファーンのコメント。ソウファーン・グループは、アル=カーイダとその関連組織や、「イスラーム国」への義勇兵の渡航や帰還兵の問題についての、国際的なメディアの主要な情報源の一つです。

“Yemen is Becoming an Extremist’s Dream. Was it Predictable?,” Frontline, PBS, April 7, 2015.

ユーチューブではここ

コメンテーターとはどういうことをどういう風に言うべきか、ということを勉強させられます。

例えば、本来はイエメン内部の権力闘争なのだが、各勢力がサウジを筆頭に外部の地域大国を引き込む。そうするとその後は地域大国間の代理戦争になり、地域大国間で解決するしかなくなるという問題について。

Every entity in places like Yemen or in places like Syria or places like Iraq reports to a regional power. Unfortunately, [Yemen] became a proxy war. There were local wars, local conflicts. Regional powers used them and injected sectarianism in them a little bit and made it regional and sectarian conflicts.

そして宗派紛争化させられるともう止められなくなる、という話。統治や改革について語れなくなり、内戦の経済要因や部族要因や政治要因について語れなくなり、宗教と宗派問題の話ばかりになり、人々は内戦の真の原因を忘れてしまう。

The moment you inject sectarianism to it, you have a similar situation to what we have in Syria or similar situation to what we have in Iraq … So the moment that sectarianism becomes a problem, then you’re not talking about governments; you’re not talking about political reform; you’re not talking about economic factors or tribal factors or political factors that led to the problem at hand. You start talking about issues that have to do with religion and sectarianism, and people are really blinded to the real reasons that they started this war in the first place.

最悪の場合どうなるのですか?という質問が常にあるが、これに対しては、

One of the things about the Middle East, especially recently, there is always a worst case scenario and a worst worst case scenario. Unfortunately, today the [situation in] Yemen is in its worst case scenario, but I am not convinced that this is the worst …

だって。

中東については、特に最近は、最悪のシナリオと、最悪の最悪のシナリオが常にあるのだが、残念だが、現在のイエメンが最悪のシナリオだと(もっと悪いシナリオがない)とは言い切れない・・・という趣旨でしょうか。

「成り行きに注目」と言うにしても、センスの良い言い方というものはあるのですね。

イエメンのドキュメンタリーの行方

おはようございます。本日も論文準備のため出勤です。寒いです。平日は大学事務やら、いろいろな依頼に応えたり断ったり引き受けると事務作業とか面会して打ち合わせとかこないだの講演の文字起こしを直せとかものすごい大量の雑務が積もっているのでほとんど仕事にならない。皆さん、何が重要なことか、ちょっと考えてください。

それはともかく、先日、イエメン問題についていいドキュメンタリーがある、という紹介をしたところ、

「イエメン情勢を現場から解読するドキュメンタリー」(2015/03/31)

「もう見られなくなっています」という声が読者からちらほら。

サファー・アハマドのThe Rise of the Houthisですね。

時間がなくてコメント欄にはほとんど反応できない(大部分スパム&思い込みコメントだしねえ・・・「コメントの墓標」)が、このドキュメンタリーについては私ももう一度見たかったので、残念で、何度かBBCのページを見直して、どこかに映像がないか検索してみた。記事の中の映像画面は、まず「表示できません」のようなものに代わり、ついで予告編のような2分程度の短いものに差し替えられてしまった。確かに、かなり価値の高いコンテンツだからねえ・・・NHKBS1の「BS世界のドキュメンタリー」で放送権を買って見せてくれるのを待つしかないかな、と思っていた。

そうこうしているうちに、米公共放送PBSも、看板番組のFrontlineでサファー・アハマドのドキュメンタリーの放送を盛んに宣伝し始めた。BBC/Frontlineの共同制作と謳うようになってきた。4月7日に、おそらくBBC放送のとほぼ同じものを、PBSで大々的に放送したようだ。“The Fight for Yemen,” Frontline, PBS, April 7, 2015.

しかしPBSのホームページでドキュメンタリーの本編を見ようとしても、「権利の関係であなたの地域では見られません」といった画面が出る。BBCの方は、たぶん、PBSが放送する関係で、全編無料公開を引っ込めたのだろうと想像する。

PBSはサファー本人の見解を詳細に聞いたインタビュー“On the Ground in Yemen: Six Questions with Safa Al Ahmad,” Frontline, PBS, April 7, 2015Youtubeではここ】の方は現在全世界向けに公開している。これも傾聴に値する。異論はあると思うけれども。例えば、現地の権力闘争に、深い利害関係と影響力があるサウジが介入しているだけで、イランの介入は具体的ではなく、宗派紛争でもない、という議論には、立場によっては異論があるだろう。しかし欧米とアラブ世界の知識層にまたがるグローバルな市民社会の主流の「啓蒙された」議論はサファーのものに近いだろう。現在のイエメンについて、現地の実態に触れながら、一定の距離をとって議論する際の基本的な論点や立場が示されているのではないかな。

ジャーナリストとかコメンテーターっているのは、こういう水準のものなの。そういう人は日本には、ほとんど全く、いません。それはつまり、市民社会の質が低いということなのです。取材によって現象の中から支配的な論理を抽象化できないジャーナリストは、ジャーナリストではありません。「俺は誰々に直接インタビューしたことがあるんだ」といった自慢話はいらん。そこで何をあなたが見出したか、それを的確に言葉と映像で伝えられるか否かが、ジャーナリストの評価基準である。この評価基準そのものをわかっていないで番組を作る人たちは、ジャーナリストではない。

もちろんデマに踊り踊らされるコメンテーターとかも、いりません。もっと能力がある人を探してくるのがテレビ局の義務ですし、能力のない人は能力のある人に追い落とされることが、競争社会の必要なメカニズムです。

こういうことを書くと、最近は「政府の息のかかった文化人から圧力がかかった」とか言い出す人がいるんだよな、ジャーナリストを称する人たちの中に。「声が大きい一部の学者」とかね。そんなことを、政府の権力で電波を割り当ててもらったテレビ局の、何千万人に向けて発信される画面で特権的に言える立場に立っている人たちが、「声が大きい」人の全くの個人のブログでの発言に「圧力」を感じる、感じてそれを(これをまた特権的に確保したメディアの場とか、業界人のしょうもない会話の中で)クレームするというのは、言論人が内面化して備えるべき基本的な前提を身につけていないということを意味します。近代社会の言論人として成立する以前の、子供の議論。しかしこれが多いんだな。

言論とは、「弱者」の立場になりすまして他人を黙らせる競争をするものではありません。なお、「弱者」の立場に立てば相手が仕方がなく黙る、という手法が通用するのは、弱者を尊重するという規範が何はともあれ通用しているからです。

その規範を実質上の強者が乱用し始めれば、本当の弱者の権利は消滅します。権利というものは、市民社会が質を保つことを一つの重要な条件として守られているのです。気をつけましょう。

さて、サファーのイエメン情勢のドキュメンタリーについては、イエメンでも非常に注目されたようで、BBCでインターネット上で公開された時は現地でもかなり視聴されたようである。

探してみると、ニューヨーク・レビュー・オブ・ブックスのブログでは3月30日に、このドキュメンタリーに関するプレビューが掲載され、的確な批評・紹介がなされていた。これもなかなか興味深いコラムだ。

Robert F. Worth, “Yemen: The Houthi Enigma”

PBSは上にあげた「サファーへの6問6答」以外に、ニュース番組Newshourでもドキュメンタリーの一部の映像を紹介し、サファーにインタビューしている。こちらはトランスクリプトも付いている。NHKBS1のワールドニュース・アメリカでも多分やっていたのではないかと思う。

BBCでもドキュメンタリーのメイキング的なことをサファーが寄稿している。

こういった関連記事、周辺情報、反響・批評などを読んで、あとはNHKBSで放送してくれるのを待つしかないのか・・・と思っていたところ、、、

今朝BBCの記事をもう一度見てみたところ、いつの間にか末尾にTo watch the full Documentary click here の一文が付け加えられており(多分数日前はなかった)、hereのところをクリックするとこのユーチューブ画面に飛んで、全編見られるようになっていました。めでたし。
https://www.youtube.com/watch?v=Y7HQRyJDTPo

イエメン情勢を現場から解読するドキュメンタリー

イエメンの情勢を現場から、かつ政治対立の構造を見事に可視化してくれるドキュメンタリーが、BBCのホームページで公開された。

The Rise of the Houthis

これはすごい。

2014年9月に首都サヌアを制圧してから3ヶ月の間の変化を記録しており、一つ一つの画面や登場人物から目を離せない。

取材・構成はサファー・アハマド(Safa Al-Ahmad)。BBCアラビックの記者で、急速に注目される女性である。サファーはその前に作った、サウジ東部州のシーア派の反政府運動を扱った Saudi’s Secret Uprising で高い評価を受けたところだった。

しかし、すでにイエメンのフーシー派の首都制圧、南部進出でドキュメンタリーを用意していたとは

サファーはフーシー派に密着しつつ、「アラビア半島のアル=カーイダ」制圧地にもカメラを入れる(ここは女性のサファーは受け入れてくれないようで、クルーだけが行っている)。

取材・撮影のための仲介者になってくれているのが、ムハンマド・アブドルマリク・ムタワッキルというのも、分かる人には分かる、すごい伝手。

ムタワッキルはサヌア大学の教授も務めた政治学者だが、預言者ムハンマドの血を引くサイイドの家系とされる名家の出身で、かつ政治家として知られる。野党を幅広く結集させたJoint Meeting Parties の主要人物で、欧米型市民社会活動の組織から、イスラーム主義のイスラーハ党まで顔が効く、イエメン政治のまとめ役の一人だった。

このムタワッキルが、取材の間に暗殺されてしまう。

この事件自体が、イエメンの政治共同体が崩壊していく過程の重要な局面だった。そんな人の家に住まわせてもらって取材しているわけで、それはBBCにはかなわない、と思うしかない。

フーシー派は最初は「革命」だといって汚職追及などをしていたが、あっという間にモスクをザイド派に変えたり、敵対するとみたものを「アメリカ、イスラエル、アル=カーイダ、イスラーム国」のいずれかあるいは全てであるとレッテルを貼って弾圧するようにある。にこやかに、信仰に満ち溢れた顔で、敵を「テロリストでCIA」と呼ばわるフーシー派の、カルト的な話の通じなさがよく伝わってくる。しかしやることはどんどん荒っぽくなってくるので、部族地帯では武装してアル=カーイダに接近する動きが進む。

どうしようもなく混乱したところでサウジアラビアの介入が入ったが、一層火に油を注ぐ結果にもなりかねない。

他方で、アル=カーイダがイエメン南部や東部で、外来のテロ集団というよりも、部族勢力に根深く浸透している様子が描かれる。

これについては2012年の詳細なドキュメンタリーが活字になっているので、熟読すると色々伝わってくる。

1990年代後半から、2001年の9・11事件を経て、南部や東部で「アラビア半島のアル=カーイダ(AQAP)」やその別働隊とみられるアンサール・シャリーアがなぜ浸透・台頭してしまったのか、アメリカの公共放送PBSが歴代の米の駐イエメン大使や、代表的な研究者に徹底的に聞いている。漠然とした「印象」ではなくて、実務家の当事者の証言であり、有能な分析者の分析であるので、非常に有益である。
Understanding Yemen’s Al Qaeda Threat, May 29, PBS, 2012.

1998年頃、イエメン政府は米国に、アル=カーイダが浸透しているから、車とか無線とか支援して、といってきたが断った、という米国の元駐イエメン大使。

当時安全保障上はあまり重視されていなかった国に送られた、いかにもリベラルな大使なのですね。この人の在任中に、米駆逐艦コールへのテロも起こる。これが9・11への先触れとなったが、気づけなかった。

9・11の時ちょうど大使は帰任していた。

ここで新しい大使として送り込まれたのが、うって変わって対テロ専門家、というのがいかにもアメリカですが・・・・

サーレハ大統領をどやしつけてアル=カーイダ掃討作戦をやらせた。

しかしアル=カーイダも組織の性質が変わって、結局根絶できなかった。この辺りは拙著『イスラーム国の衝撃』をどうぞ。

最新のイエメン情勢の解説は、下記の記事が最もいいと思う。

Laurent Bonnefoy, “Yemen’s ‘great game’ is not black and white,” al-Araby al-Jadeed, 27 March, 2015.