MERS(中東呼吸器症候群)がなぜ韓国で?

昨日は原稿を書きながら長野新幹線で往復という慌ただしい1日。今日も休日出勤で朝から晩まで一般聴衆や学生さんの相手します。

というわけで要点だけ。韓国で2次・3次感染が出て大問題になっているMERS(中東呼吸器症候群)について。

結論から言うと、今回は「中東」の問題というよりも韓国の保健衛生体制がなぜ感染拡大を止められなかったか、そもそもなぜ韓国人が多く中東にいるのかといった点に私としては関心が向く。中東で感染爆発が起こっているとは言えないからだ。もちろん、感染源が日本にとっては近くに来たというのは危険ではあるし、世界全体から見ても、感染源の広がりは深刻な危険をもたらす。しかしウイルスの変異によるヒト−ヒト感染力の強まりといった病原体そのものの変化はまだ確認されていない。

MERSについては昨年の流行の時期に短く記していた。

「MERS(中東呼吸器症候群)はラクダでうつるらしい(2014年2月25日)」

「メッカ巡礼とパンデミックの関係(2014年3月1日)」

2012年以来、春から初夏にかけて毎年感染者が出ている。中東では今年が特に多いわけではない。しかし今回は韓国人の帰国者を感染源に院内感染で2次・3次感染が進んだ。ここで封じ込めに失敗すれば中東の外に新たな感染源を作ることになるため、強く関心を寄せていく必要はある。

韓国での感染の事例は、中東以外の国ではイギリスとフランスに次ぐもので、東アジアでは初めてである。しかも中東の外では最大規模の2次・3次感染が生じたことが憂慮される。

ただし、病原体としてのMERSが変異して感染力が強まったといった事実はまだ確認されていない。もしそのような事実があれば次の段階に入ったことになる。そうでなければ、MERSそのものや中東の問題というよりは、一人の中東訪問帰国者の感染者から2次・3次と感染を拡大させることを許した韓国の医療・保健衛生の制度や患者や医師の行動の問題として、日本での今後の対応に生かすためにも注視する必要があるだろう。

MERSは感染症としては一般に次のような特徴を持つ。私が短時間で資料に目を通した限りでは、昨年までと変わっていない。

(1)大部分の感染者はサウジアラビア人である。それ以外の国の感染者も大部分がサウジアラビア渡航・滞在の際に感染したとみられる。
(2)治療薬やワクチンがなく、発症者の3割から4割が死亡するという致死率の高さが特徴。ただし、感染に気づいていないか、病院で診療を受けない事例が多くありそうなことを考えれば、感染者の致死率はもっと低くなる。
(3)コウモリからヒトコブラクダを通じてヒトに感染するルートが知られている。
(4)ヒトからヒトへの感染は起こりにくく、大部分が院内感染か家庭内での感染である。

未解明の部分が多いようだが、中東のヒトコブラクダの多くがMERSウイルスに感染して抗体を持っており、ウイルスがヒトコブラクダと濃密に接触するヒトに感染するようになり、さらに、感染力は弱いもののヒトからヒトへ感染するようになった模様だ。病気のラクダを治療して感染したと見られる事例が知られる。

以上は私が知る限りの事項のまとめですので、感染の広がりの詳細や、潜伏期間や感染力・経路、治療法などの正確なところは、下記のような公的機関のホームページを参照してください。
国立感染症研究所(基礎情報)http://www.nih.go.jp/niid/ja/diseases/alphabet/mers/2186-idsc/5703-mers-riskassessment-20150604.html
厚生労働省(Q&A)http://www.mhlw.go.jp/bunya/kenkou/kekkaku-kansenshou19/mers_qa.html
厚生労働省(アップデート)http://www.mhlw.go.jp/bunya/kenkou/kekkaku-kansenshou19/mers.html

日本で関心を集めるのは、単に感染症が恐ろしいというだけでなく、「中東の病気がなぜ韓国で?」という疑問が湧き、「韓国で流行すれば日本にもくるのではないか」と恐れるからだろう。

しかしウイルスの大きな変異がなく感染力が低いままであれば、韓国で感染者が出ていても、それが日本に及ぶルートはかなり絞られてくる。(1)日本人が韓国に行って韓国の病院で院内感染する、(2) 韓国人の感染者が発症前あるいは発症後に日本に渡航して日本の病院で院内感染を広める、といった想定される経路はかなり特殊で、可能性はそれほど高くなく、対策 の用意さえしておけば、パニックになる必要はないのではないかと思う。

「なぜ」の方は、中東に出入りしていると感覚的にわかる。要するに韓国企業の中東進出が著しいのである。企業が進出するだけでなく、「人が多く行っている」ことが、日本と比べた時の特徴だ。おそらく日本と比べると一桁は多い数の韓国人ビジネスマンが中東を出入りしている。

例えば、ドバイで世界一高いビルが建ちましたね。ブルジュ・ハリーファ(ハリーファ・タワー)。

Burj Khalifa

あれの建設を請け負ったのもサムスン建設でした。サムスンが全体を請け負って、人も多く出しつつ、各国・各社の技術や労働者を集めてきて、現地の財閥ゼネコンと組んで建設した。

日本企業は韓国が親請けした大規模プロジェクトに、「納入業者」として入る場合が増えてきている。発電所ならタービンとか、都市交通システムなら列車車両とか。高度な技術やノウハウを必要とする中核的な部分を担っているので、必ずしも「下請け」という雰囲気ではないが、プロジェクト全体やインフラを全面的に担ってリスクを負い利益を得ているわけではない。

それは端的に言うと、日本は中東に大規模に人を送り込むことはできない国なのである。環境が過酷で社会文化的なギャップが大きく政治的な不安定性や不透明性がある中東で、現地の人たちや各国からの労働者達と揉まれてやっていけます、やっていく気があります、という日本人を大人数集めることは難しい。そういう人材が育成されにくいという制度の問題と、そもそもそんなことをやろうという人が少ないという主体の意志の問題は、鶏と卵のような話であって、どっちが原因でどっちが結果かはわからないが、とにかく中東で大きなプロジェクトをやろうとしても現地に行って事業を完遂してくれる人材を集めることが難しいことは確かだ。

ごく一部、日揮のように、かなりの人員を集めて現地に送り込んで巨大プラントを何年もかけて作って引き渡して帰ってきてまたよそに出かけていく、ということを大規模にやり続けていける企業があるが、それは例外。そういう企業には、日本社会の中では珍しい、外向けアニマル・スピリッツが強い人たちが集まってきます。

韓国の場合は、よほどの学歴か、コネでもない限りは就職が難しいので、それぞれが必死にアラビア語とかロシア語とかスペイン語とかできて現地でガツガツやってくる能力を身につけて就職する。現地に何年でも行って来いと言われることを当然と考える人たちがいっぱいいるのでサムスンなどはどんどん受注できるんですね。

このことは、2000年前後に、中東で日本人留学生や駐在員たちのコミュニティを避けて人知れず庶民街で勉強していた時以来、感じているものです。

中東で中の下ぐらいの階層のエリアに行くと、日本人がいない代わりに、とにかくいっぱい韓国人留学生がいたものである。欧米人や日本人が中東で苦労する、慣習やインフラ不備による不快感やギャップをそれほど感じていない様子で、野心的に、実践的に勉強していた。日本の場合はアラビア語ができたって一流企業に就職できなかったから、学者になりたいというような人しか中東に勉強に来なかった。韓国の場合は、語学を身につけて就職→過酷な現場で通訳から叩き上げて中堅社員に、といったキャリアを想定する人たちが大勢来ていた。

かつてはイランのIJPCのように、日本企業が総力を挙げて中東に大規模に人を送り込んで大規模プロジェクト全体を主導するという時代があったが、そのような時代はもう過ぎたということなのですね。韓国だって世代が変わるとどうなるかわからないが。

日本企業では「たとえ経営陣が大規模プロジェクトを受注してきても、組合が許してくれない」などという話も聞く。また、大規模なプロジェクトを請け負って事業を完遂させるまでのリスクを負えなくなっているのではないか。そこで、利幅は限られているがリスクは低く、人員も限定される納入業者の立場に甘んじるしかなくなっている。もちろん、それは産業の高度化とも言えるし、高度技術にシフトして、投資収入やライセンス収入に依存するようになるという、先進国が進まざるを得ない方向に進んでいるとも言えるのだが、人的資源の「空洞化」の側面があることは否めない。

韓国の場合、感染者との接触者がそれを隠して中国に入国したりしているのを見ても、中東に来ていたバイタリティのある人たちを思い出して、さもありなんという気がしてくる。

ちなみに中国人は韓国よりさらに一桁多い数が中東に行っている。それではなぜMERSウイルスの感染・発症例が出ていないのか?という疑問がありうる。

さあ、なぜだかわかりません。偶然まだ感染者が出ていないのかもしれない。感染者が出ていても隠しているという可能性がないではないし、気づかれずに亡くなっていたり治っていたりするという可能性がないわけではない。

ただ、現地情勢を見ている限りでは、中国と韓国では企業の中東での進出の仕方が違うので、現地社会との接触のあり方が違うのではないかとは推測できる。中国企業は確かに膨大な数の中国人労働者を連れてくるが、空港に降りるとそのままバスに乗せて砂漠の中の現場に連れて行ってしまう。だから現地社会との接触があまりなく、そのため感染が起きていないのではないかとも考えられる。

英語でかなりわかりやすいまとめが出ていたので幾つか紹介。

What You Need to Know About MERS, The New York Times, June 4, 2015.

感染症としてのMERSの特性を簡潔にまとめた上で、巡礼などサウジ特有の社会文化との関連性も主要な論点を網羅している。

As MERS Virus Spreads, Key Questions and Answers, National Geographic, June 4, 2015.

主に医学的・疾病対策的な側面からの詳しいルポ。読み易いが読み応えがある。今後の対策として、人間ではなくラクダにワクチンを打つ方法なども紹介されている。

メッカ巡礼とパンデミックの関係

先日、サウジを中心に広がっているMERS(中東呼吸器症候群)について紹介したけれども、エジプトでも初めての死者が出た。
“First Egyptian dies from MERS in Aswan: Al-Ahram,” Ahram Online, Friday 28 Feb 2014

記事によると・・・
A woman in Upper Egypt’s Aswan has reportedly died Friday from Middle East Respiratory Syndrome (MERS), a deadly respiratory virus that appeared in Saudi Arabia in 2012.

Gamila Ibrahim, who just came back from Saudi Arab after performing the Ummra pilgrimage, is the first Egyptian to die from the MERS, reported Al-Ahram Arabic news website.

上エジプトのアスワン(アスワン・ハイダムで有名)で亡くなった女性(ガミーラ・イブラーヒームさん)はサウジアラビアのメッカへの巡礼から帰ったところだったようだ。メッカ巡礼には二種類ある。一つは、年一度の決められた日に世界中から集まる「大巡礼(ハッジ)」。

もう一つは、ムスリムが各自、行ける時にメッカに詣でることで、これを「小巡礼(ウムラ)」という。こちらは日本ではあまり知られていないかもしれない。日時が決められていないから、大巡礼より気軽に巡礼できる。大巡礼は「ハイシーズン」なので旅費も滞在費も高くなるし。

イスラーム圏の旅行代理店の看板を見れば、必ず「Hajj & Umra」と大きく書いてあります。

サウジアラビアというと閉ざされた国というイメージがある。実際に、確かに女性を隔離して行動の自由を制限したり、外国人と自国民をなるべく接触しないようにしたり、ビザの要件がひどく厳しかったりする。そんなサウジアラビアで広がる伝染病など、辺境に封じ込められた風土病に過ぎない、と思ってしまってはいけない。

巡礼のために世界中からムスリムが集まり、また戻っていく。これは政治的・文化的なハブとして重大なパワーを秘めているが、同時に、パンデミックを世界に拡散させる場所として、大きな危険性を秘めている。

大巡礼の時期に何らかの伝染病がサウジアラビアに広まったら・・・・一気に世界に広がります。そういったわけで、MERSは日本にとってまったく他人事ではないのです。

MERS(中東呼吸器症候群)はラクダでうつるらしい

100枚(4万字)を超えた論文の詰めで朦朧としていますので、ニュース紹介は手短に。

2月20日 リビアで憲法起草委員会の直接選挙の投票が全国で行われる
2月22日 シリア内戦ではじめて国連安保理決議が可決(安保理決議2139号)。これはシリア内戦にどう影響を与えるのか。かえって激化するという説も強い。
2月24日 エジプトのベブラーウィー内閣が突如総辞職。これが何を意味するのか。

また、より重要かもしれないのは、イエメンで連邦制によって政治危機の打開を図る方向で辛うじて諸勢力が妥協しかけている。

こういった「アラブの春」後の移行期過程の全体像を把握し、逐一発生する事象を自然に理解できるような枠組みを、ずっと考えていて、そろそろ結果を出さねばならない。

そんなわけでこの数か月、連日連夜論文を書いているので、あまりまとまったニュース解説の時間が取れない。

政治の話は脇に置いて、別の意味で重大かもしれないこんなニュースでもご紹介。

“Camels Linked to Spread of Deadly Virus in People,” The New York Times, February 25, 2014.

MERS(Middle East Respiratory Syndrome:中東呼吸器症候群)は2012年頃から、サウジアラビアに渡航した人を中心に、ドバイなどを経由してヨーロッパにも広がり、WHOなども重大な関心をよせてきた。

10年ぐらい前に中国を中心に広がって日本も脅かしたSARS(Severe Acute Respiratory Syndrome:重症急性呼吸器症候群)の中東版のようなイメージ。両方ともコロナウイルスが原因。

感染源はSARSの場合はハクビシンだとかフクロウの一種だとか言われているが、MERSの場合はどこからうつるのか。

これが、中東らしく「ラクダ」がウイルスを運んでいるのではないか、という研究が出た。

感染者はサウジから帰ってきてたいていドバイにいる頃に発症するので、日本からの渡航者にとっても身近にある病気です。