【地図】シリア北部にはトルクメン人もいる

前項の続き・・・

「シリア北部にクルド人が多く住んでいるなら、独立させてやればいいじゃないか」とか「欧米がサイクス・ピコ協定で勝手に国境線を引いたから」云々の、一知半解の「解決策」を語ってはいけません。

シリア北部には、クルド人と同じエリアに、トルクメン人が住んでいます。この地図では、トルクメン人が住む場所を示しています。

シリア北部トルクメン人
出典:dtj-online.de/syrien-turkmenen-befurchten-vertreibung-2771

シリア北部には、トルクメン人以外に、アラブ人も住んでいますし、さらに他の少数民族も住んでいます。クルド勢力が実効支配することによって、今度はその中での「少数民族」問題が発生しかねません。

トルクメン人は、名前からも類推できるように、トルコ人と互いに「同族」意識を持つ民族で、トルコは心情的に、あるいは政治的な方便から、トルクメン人の「保護」をしばしば持ち出します。介入、代理戦争も始まりかねないのです。

このあたりにそう簡単に国境線を引くことはできないので、サイクス・ピコ協定は、相対的には「いい線いってた」方策とも言えるのです。

【地図】トルコはシリア北部の「安全地帯」でクルド勢力分断を図る

「地図で見る中東情勢」のシリーズが長らくお休みしていました。忙しかったからね・・・

久しぶりに一つ。

トルコはシリア北部に「安全保障」地帯を設ける、というのを対「イスラーム国」での介入と協力の条件としてきましたが、7月22日のオバマ・エルドアン電話会談の前後に、米国がトルコに「安全保障」構想に同意を与えたと報じられています。

「安全地帯」の範囲についてはトルコの『ヒュッリイエト』紙などが伝えていましたが、『ワシントン・ポスト』紙が地図にしてくれましたので、ここで拝借してご紹介。

トルコのシリア北部安全地帯ワシントンポスト7月26日

“U.S.-Turkey deal aims to create de facto ‘safe zone’ in northwest Syria,” The Washington Post, July 26, 2015.

黒白点線(というのでしょうか)で囲ってあるあたりに、トルコが米国と協力して「安全地帯」を設けるというのです。

ここから「イスラーム国」を排除するというのが「安全地帯」の表向きの意味ですが、トルコは今のところ、地上部隊は投入しないと表明しています軍が消極的なのではないかと思います。

もっぱら空軍戦力で「安全地帯」を設定するということは、実態はこのエリアに「飛行禁止エリア」を設けるということが主体のオペレーションとなります。「イスラーム国」は空軍を持っていないので、実際には「安全地帯」の設定によって、アサド政権がこのエリアから排除されることになります。アサド大統領の退陣を解決策の必須要件とするトルコにとって、「安全地帯」の設定は、「イスラーム国」対策だけでなく、アサド政権対策という意味があります。

さらに、地図を見ていただくと、「安全地帯」の黒い部分、白点線の枠で囲まれたところの左右を見ますと、緑色に塗られています。ここにシリアのクルド人が多く居住しています。

シリアのクルド人は、東側の、ハサカより北のエリアと、西側の、アアザーズの北西とに分かれて飛び地のようになっています。

なんでこうなっているかというと、クルド人はシリア北部とトルコ南東部の一帯(それ以外にイラク北部・イラン北部などにも)に住んでいまして、本来は連続的な土地に住んでいますが、これがトルコ・シリアの国境線によって分断されたので、主従エリアがシリアでは飛び地になってしまっているのです。

シリアのクルド人は、オスマン帝国の崩壊の際、トルコ共和国が独立戦争で自力で領土を確保して国境線を引いたときに、シリア側に取り残された形です。

ですので、状況が許せばトルコ南東部のクルド人と一体化して独立を要求しかねない、とトルコは警戒しています。

シリア北部クルド人
出典:http://www.geocurrents.info/geopolitics/state-failure/isis-advances-kurds-retreat-northern-syria

クルド人が多数派を占める土地は、この地図では薄紫で塗られています。ハサカ北方のカーミシュリーを中心とした地帯と、コバニ周辺と、アフリーンを中心とした地域です。シリアが内戦でアサド政権の統治が弛緩する中で、これらの三箇所でクルド勢力が実質上の自治を確保しかけています。

別の地図でも。

シリア北部クルド人飛び地地図
出典:http://www.geocurrents.info/geopolitics/state-failure/isis-advances-kurds-retreat-northern-syria

さらに、クルド民兵組織YPGが勢力を強めて、テッル・アブヤドやアイン・イーサーといった「イスラーム国」が占拠していた地域を制圧することで、三つの飛び地のうち、東の二つがすでに繋がりかけているのです。そうなると、クルド人が必ずしも多数でないエリアまで、将来のクルド自治区→独立クルド国家に含まれてしまいかねません。

例えばこの地図。

シリア北部クルド人最大地図
出典:http://www.geocurrents.info/geopolitics/state-failure/isis-advances-kurds-retreat-northern-syria

シリアのクルド人が求めるシリアでの最大版図はこのようなものだそうです。三つの飛び地が結合していますね。これを「Rojava(西クルディスターン)」とクルド人側は呼んでいます。

トルコが設定するシリア北部への「安全地帯」は、このようなシリアでのクルド人の主張する最大の勢力範囲を、分断するような形になっています。

クルド人がいるのはシリアだけではないので、周辺諸国の地図の上にクルド人の居住するエリアを塗った地図を見てみましょう。

シリア・トルコ・イラク・イランのクルド人地図
出典:http://www.geocurrents.info/geopolitics/state-failure/isis-advances-kurds-retreat-northern-syria

一般に「クルド人」と呼ばれる人たちの間にも、細かな系統の違いがあり、一枚岩ではありません。しかし赤っぽい色で塗られているところには、その中でもクルド人意識が強い人たちが住んでいます。シリアを超えてトルコ南東部やイラク北部やイラン北西部、遠く離れたイラン北東部やアゼルバイジャンにも住んでいます。

この中で、シリア北部とトルコ南東部は、地理的にも最も容易に結合してしまいそうです。

そこでトルコは「安全地帯」の設定で、シリア北部でのクルド人の支配地域の間に楔を打ち込み、一体化を阻止しようとしているように見えます。

【寄稿】湾岸のデカい建築・都市開発から国立競技場問題を考える

『週刊エコノミスト』の読書日記。13回目になります。

池内恵「中東の砂漠に最先端の都市ができる理由」『週刊エコノミスト』2015年7月28日号(7月21日発売)、57頁

今回も、Kindle版など電子版には載っていませんので・・・契約条件が合理的になれば同意したっていいんだけどなあ。

紙版はアマゾンからでも。

今回取り上げたのは、レム・コールハースの『S,M,L,XL+』。


レム・コールハース『S,M,L,XL+: 現代都市をめぐるエッセイ』(ちくま学芸文庫)

いい本だなあこれ。終わった時代の話ではなく、これから先を読むための本。

この本の原著英語版は1995年に出ているが、特異な編集と形で、難解な奇書というイメージだった。何度か増補されているが、写真も多く、1冊2.7kgという。


S M L XL: Second Edition

立体的に見ると、こんなんですよ。

コールハース

体裁の問題もあってか、ずっと翻訳されていませんでしたが、ちくま学芸文庫で、テキストだけ、抜粋したり新たに加えたりして(だから邦訳タイトルに「 +」がついているんですね)、分かりやすく分類して並べ直して、コンパクトな文庫スタイルで刊行されました。最近の文章が加わえられていて、最新のグローバルな建築の状況が、さまざまな断片で切り取られている。ちくま文庫・ちくま学芸文庫は建築批評・都市計画ものに強いですから、適切な場所に収録されたと言えるでしょう。

レム・コールハースといえば、代表的な現代建築家であり、また『錯乱のニューヨーク』を書いた建築批評・思想家として知られる。理論家でありかつ実作家ということ。ただ、この二つを両立させることは難しい、ということは、例の国立競技場問題で明らかになったと思いますが。

『錯乱のニューヨーク』は、ニューヨークの都市計画と主要な建物を逐一分析した名著で、現代建築とアーバニズムを論じる際の必須文献になっている。古典です。

今回、合わせて増刷されたみたいなので今なら手に入りやすいと思う。大きな本屋だと平積みになっているところも見かけた。

一方『S,M,L,XL+』は、ニューヨークで完成したアーバニズムが世界に広がっていった、散っていった、その先での変容をスケッチしている。世界のあっちこっちに散っていって、その場所の地理・環境的、文化的、そして政治的・社会的文脈で、同じような形態のものでも、異なる意味を持って受容されていく。

欧米の著名建築家としてコールハースはあちこちで建築・都市計画に関与する。その際に見たもの、感じたものが断片的に描写され、積み重ねられる。

日本はその重要な一つの場所。ただし、シンガポールとか、ドバイとか、上海とかと並んだ「多くの中の一つ」であることも忘れてはならない。ちょっと日本語版編集では日本のところを重視しすぎている印象はある。ただし現代建築が世界に広がる過程での日本の役割とか特有の条件は、もっと注目され、客観視されていい。そのためにも役に立つ描写が多くある。

都市についての美学や倫理の基準を持つ・模索する批評家としてのコールハースと、実際に都市や建物を建てるには政治家やゼネコンの片棒担ぎをすることにならざるを得ない建築家としてのコールハースの矛盾は、あまり客観視されているようには見えないが、もみくちゃにされていく様子はよく分かる。すでに昔日の話となった対象を描いた『錯乱のニューヨーク』と、今現在のグローバルな「錯乱」の現場の話である『S,M,L,XL+』はセットで読むといい。

個人的に関心を持ったのはドバイ、アブダビ、ドーハなどのペルシア湾岸アラブ産油国の急激な都市形成。私、先日もアブダビに行ってきましたので。

ラマダーン中の夏で安いから、こんなところにも泊まりましたよ。世界で一番傾いたビル。湾岸にいくとこんなのばっかりです。

Hyatt Capital Gate Abu Dhabi

1990年代後半から現在までの湾岸の都市開発を、コールハースは最先端の事象として捉えている。また、湾岸的なモデルが中国の諸地域に広がりかけていくあたりまでの時代と段階を、この本では視野に入れている。湾岸的なモデルにはいろいろ起源があるが、一つはシンガポールだろう。これについては詳しく書かれている。

理論や歴史を見ることで、政治問題になった国立競技場問題についても、根本的な問題の構図が見えてくるのではないか。

国立競技場問題で、「変な形の、でかい建物」を作る人としてのザハ・ハディードが注目された。私はザハの建築が今の国立競技場の場所の環境に合うか合わないかについては判断できない。できてしまえば人の心は変わるし、できてしまうまでそれが受け入れられるものかどうかは分からないからだ。しかし日本の政治・社会的環境で建築可能であるとは思わない(実際無理だったが)。 あれは「政治権力が集中している」「国が新しくて土地が余っている(そして権力者が自由にできる)」「金が唸るほどある(そして権力者の手元に集中している)」という条件がないと建ちません。

だからザハ案での建築断念は政治的には必然なのだと思うが、しかしそのこととは別に、日本が「失われた20年」で内向きに過ごしている間に起こった、世界の現代建築の潮流を、国民の大部分が感じ取ることができなくなってしまっていること、要するにザハの提案に「驚いて」しまうことには、危機感を感じる。

国立競技場建設の「ゼロからの見直し」の結果として、日本が「ザハはもう古い」と言ってそれに対峙できる根拠や理念や力量を示せるのであればそれでいい。ザハにはそういう風に挑戦すべきなのであって、「気持ち」を忖度などしなくてよろしい。

もちろん、建たなくたって、契約書通りに、報酬は払わねばならないのだが。ただし有名建築家に頼むとはそういうことである。ザハの案でぶち上げたから話題になってオリンピック開催を勝ち取った、という要素はあるので、法外に見えても意味があるお金ではある。

ザハ案でオリンピック開催を勝ち取ったのに、ザハじゃ無くなったら国際公約違反かというと、そんなことはない。有名建築家を集めたコンペなんて、建築家が最先端な無茶を競って、結局無理と分かって建たない、なんてことは国際常識。コンペにはじめから建ちっこないものを出してくる建築家は多い。著名建築家の「名作」のかなりの部分は、コンペに出して評判になったが建っていないものである。

建っている場合は、独裁者が独断で命令して建ててしまった、という場合が結構ある。

途上国の場合は、ゼロから都市や埋め立て地を形成したりする場合に、目を引く建築が必要な時にザハ的なものが珍重される。

欧米先進国の場合は、都市の郊外がスラム化して危険な状態になっていたりする場合に、オリンピックを呼んできてそれを機会に再開発して、その際にザハ的な目立つ建築でイメージを変えようとする。ロンドン五輪はそのケースです。オリンピックを名目にした大規模再開発で、治安がよくなり、土地の値段が上がり、投資が来て新住民も入ってくればみんな得するでしょ、という話。うまくいっているかどうかは別にして、そういう目論見があってやっているから筋が通っている。

今回の国立競技場の場合、土地が無尽蔵にあってゼロから建てられる場所でもないし、スラム化している場所でもないからな・・・なんでザハなのかわからん。

しかし単に止めるといって、しかも、有力者がザハへの人格攻撃的な発言をしたり、ザハ的な現代建築を単に貶めるような発言を繰り返していれば、それは、国際的には恥ずかしい印象を与えるだろう。適合しないところにザハを選んだ方が悪い。そんなことはじめからわかっているでしょう?という話。国際的には、普通は上に立つ人の方が下の人より頭いいからねえ。日本人はそんなに頭悪いの?という話になってしまう。(日本には組織のために行う「バカ殿教育」と言うものがありましてね、それに適応できる人しか偉くならないんですよ・・・)

コールハース的な建築思想・建築史の前提があったら、あの場所にザハ、ということはあり得ないということが分かるはずなんだが。たくさん関与しているはずの文系の行政官にこういう感覚があれば止められた話だと思うが、ないんだなこれが。日本の行政官は忙しすぎて、国際的な視野で日本の歴史文化を見て次の一手を(かっこよく)打ち出すというような考えを温めている暇なく歳取ってしまう。

ただ、コールハースにしても、湾岸の都市開発のあり方に批判的なことを書きつつ、自分も職業上は加担せざるを得ない。その辺の矛盾も、コールハースの本を読みつつ、彼の実作(案)を調べていけば見えてくる。正解はないんです。正解はないが、国際的に共有されているある種の文法や歴史を踏まえて次の一歩を示すという筋が必要なんです。そうしないとメッセージにならない。

今後重要なのは、国立競技場をめぐる議論と決定の場を活発に公の場で行うことだろう。

「国際公約」などと言って、見えないものに縛られずに、「ザハ案を採用した、ザハらしい斬新な案が出た」「日本の建築家からも住民からも反対運動が出た、民主的な議論が沸騰」「現代における競技場建築とは何か、活発な議論が行われ諸案が競って出された」「その結果このようなものになりました」という経緯と結果全体が、オリンピックをめぐる日本社会の表象であり、そこに有意義なものが示されれば、「国際的な評価」は高まる。

要するに結局のところ日本からいいアイデアが出ればいいんです。有名建築家っていうのは無茶な案を出してそういう議論を巻き起こして世の中を前に進めるためにいるんです。そのために高いフィーを取るんです。こうやって話題になっているんだからザハ案を採用した価値はあるのである。百万人にやめろと言われてもこれをやる(人のお金で)と言い張れる分厚いエゴがないと有名建築家にはなれない。批判された方がいいんです。

世界のみんなが次に何をやればいいか模索してるんだから。広く世界を見て今最先端はどうなっているかを知りつつ、ちょっと前の最先端を高い金払ってもらってくるのではなく、こちらから新しい次の一手を出す。そうしてこそ初めて国際的に評価される。外をよく見るということと、モデルを外から持ってくるということはまったく違う。

日本でオリンピックをやり、コンペをやるなら、最初から「過去20年世界を席巻して、限界や負の側面も見えてきたザハ的な建築を超えるもの」を選ぶというコンセプトだと良かったんだが。だって世界中でいい加減飽きてるんだから。途上国の開発独裁を今さらやる気もなく後追いするみたいで、日本の現状を表象するものではなかったと思う。ただし単に「うっかりしていて無理な案を採用してしまい、建てられませんでした」というだけでは日本の元気のなさだけを表象することになってしまうので最悪だ。

そういう意味で、短時間で知恵を絞って実現していく過程が、日本社会の刷新にもなるといい。そういう意味でゴタゴタそのものを含んでドラマ化しコンセプト化して発信する人がいるといいのだが。

カイロ・イタリア領事館異聞(あのヤマザキマリさんが・・・)

おお。

今日早朝のエジプト・カイロでのイタリア領事館爆破。『フォーサイト』速報しておきました

漫画家のヤマザキマリさんが結婚式(婚姻登録?)をしたのがこのカイロのイタリア領事館であるという。

夫がイタリア人で学者なのでシリアやエジプトやアメリカに順に移り住んでいるという話をインタビューなどで読んだことがあるが(欧米の研究者にはよくあることです。フィールドと英・米・欧の研究機関を移動していく)、エジプト時代に結婚したのなら、ここに行くことになる。

なるほどぉ〜あそこに並んだのね。

イタリア人は19世紀にエジプトに、「植民地主義」というよりは、まともに「出稼ぎ植民」したので(19世紀の開発ブームのエジプトは、今の上海かドバイみたいなところだと考えていただければいいです。イタリア人やギリジア人の建築家がフランスっぽい建築をいっぱい作ったので、このころできた街区は「ナイル河畔のパリ」と呼ばれることがあります)、エジプトのアレキサンドリアとカイロには、立派なイタリア領事館があります。最近はもっぱら、イタリアとEU圏に出稼ぎ・移民したいエジプト人が列を作っていますが・・・

ヤマザキマリさんといえば『テルマエ・ロマエ』。


「テルマエ・ロマエ I』


映画テルマエ・ロマエ(DVD)

エジプト、シリア時代のことを描いた『世界の果てでも漫画描き 2 エジプト・シリア編』

エジプトって、人間を自由にするというか解放するというか(そのまま糸が切れた凧のようになっちゃう人も多いですが)、際立った強い個性の人を惹きつけるようで、意外な人が「エジプト経験」を持っています。

チュニジアの危険度引き上げ

7月10日、日本の外務省が、チュニジアの危険情報を引き上げました。

チュニジア渡航延期勧告2015年7月10日
(7月10日の最新の危険情報)

《なお、外務省のホームページはPCで見ている時にスクロールしにくいので、改善の余地ありですね。マウスを画面内のどこに置いていてもスクロールすれば下まで見られるようにしてほしい。急いで見る時に操作に手間取る》

イギリス外務省も観光客にチュニジア全土に「どうしてもという場合以外の渡航取りやめ」を要請し、トマス・クックなど主要旅行代理店が今夏の予約受付を停止し既存ツアーもキャンセル、現地からの引き上げ便を手配して旅程の途中で顧客を帰国させているようです。

英国民の退避の様子を伝えるBBCの記事にはチュニジア危険情報の略図があります

チュニジア危険情報英外務省7月9日

英国務省の危険情報ホームページ(チュニジアの項)ではより詳細です。

チュニジア危険情報英国無償HP2015年7月9日

日本外務省と地理的にはほぼ同じ塗り分けですね。渡航回避の緊急性の度合いについては異なるものさしであるようですが。

6月26日のテロの直後は、「テロに屈しない、生活様式を変えない」という原則を示していた英国も、チュニジアの治安当局がテロを防ぎきれない、という情報判断をした模様です。これは治安当局の能力の限界もあると同時に、多くのジハード主義者が隣国リビアあるいはイラク・シリアから帰還しているということをおそらく意味しているものと思います。これはかなり由々しき事態です。

今回の日本外務省の危険度評価引き上げを3月のバルドー博物館襲撃の時点での日本外務省の危険情報と比べてみてください。

チュニジア危険情報地図(小・広域地図ボタン付き)
(今年3月の時点のもの)

違いは、これまでは西部のカスリーン県と南部の国境地帯以外のチュニジアの主要部は第一段階の「十分注意」(黄色)だった(ただし3月のバルドー博物館へのテロを受けて首都チュニスが第二段階「渡航の是非を検討してください」に急遽引き上げられていた)のが、7月10日の危険度引き上げで、チュニジア全土が第二段階になり、カスリーン県と国境地帯は従来通り第三段階の「渡航の延期をお勧めします」になったこと。

ただ、カスリーン県の南のガフサは、しょっちゅう掃討作戦をやっているので、カスリーン県並みにもう一段階危険度を上げてもいいんじゃないかとも思うが。ガフサ県を含む散発的に掃討作戦が行われている県については列挙して注意喚起はされているが。大きな県なので全体が危険ということはない。

チュニジアは戦争をやっているわけではないので、最終の第四段階の退避勧告(赤色)になっているエリアはない。

しかしいざテロや掃討作戦が起これば、その瞬間その場所は危険になることは間違いない。問題はいつどこでそういう状態になるかが、攻撃する側が場所を選べるテロという性質上、定かでないことだ。

こうなると、仕事で行くなら十分に注意して、時期と場所を慎重に選んで、かつ一定のリスクを覚悟して行くしかないが、不要不急の観光は避けましょう、ということにならざるを得ない。

外務省のリスク情報の読み方については上記地図を転載した3月のこの記事を参照してください。

【寄稿】『フォーサイト』の連載を再開 ギリシア論から

昨日予告した、『フォーサイト』への寄稿がアップされました。

池内恵「ギリシア――ヨーロッパの内なる中東」《中東―危機の震源を読む(88)》『フォーサイト』 2015年7月8日

今回は、無料です。久しぶりの寄稿ということもあり、また分析ではなく自由な印象論、政治文化批評でもあるので、まあ気軽に読んでもらおうかと。ご笑覧ください。

グローバル・ジハードの連動か:金曜日に3件のテロ(チュニジア、クウェート、フランス)

Braking News Al Jazeera Eng

本日、6月26日の金曜日、中東各地に加え西欧でも、グローバル・ジハードに感化されたか呼応したと見られるテロが並行して生じています。相互の関連は不明です。関連がなくても(むしろ関連のない人と組織が)、呼応してテロを連動させることがグルーバル・ジハードの基本メカニズムです。

(1)チュニジアの西海岸の主要都市スース近郊のビーチ・リゾートにあるホテル(Riu Imperial Marhaba hotel)を狙ったテロで少なくとも27人が死亡(GMT13:00前後)。なおも銃撃戦が続いているという報道もある。
http://www.aljazeera.com/news/2015/06/gunmen-attack-tourist-hotel-tunisia-150626114019519.html
http://www.bbc.com/news/world-africa-33287978
http://www.bbc.com/news/live/world-africa-33208573

(2)クウェートのクウェート市でシーア派のイマーム・ジャアファル・サーディク・モスク(Imam Ja’afar Sadiq Mosque)が爆破され、少なくとも8人が死亡。
http://www.aljazeera.com/news/2015/06/deadly-blast-hits-kuwait-mosque-friday-prayers-150626103633735.html
http://www.bbc.com/news/world-middle-east-33287136

(3)フランスのリヨン近郊サン=カンタン=ファラヴィエール(Saint-Quentin-Fallavier)で米国系企業Air Productsの工場が襲撃され、少なくとも一人が殺害された。犯人は一人が銃撃戦で射殺され、一人が逮捕されたとする報道がある。「イスラーム国」の黒旗を掲げていた、車に爆発物を積んでいたとの報道もある。勤め先の上司を殺害し遺体の首を切断して襲撃現場に置き、メッセージを残したとされる。
http://www.theguardian.com/world/live/2015/jun/26/suspected-terror-attack-at-french-factory-live-updates
http://www.bbc.com/news/world-europe-33284937

クウェートの事件については、ラマダーン月の金曜日で集団礼拝に多くの人が集まるのを狙ったと見られる。サウジアラビア東部州で先月続いたシーア派モスクへのテロがクウェートに波及したことになる。

https://www.facebook.com/satoshi.ikeuchi/posts/10203169783844486
https://www.facebook.com/satoshi.ikeuchi/posts/10203171393244720
https://www.facebook.com/satoshi.ikeuchi/posts/10203171435885786

チュニジア・スースの事件については、ラマダーンと暑気払いを兼ねて金・土曜日の週末を現地人も外国人居住者も近郊リゾートなどで過ごすことが多いところを狙ったのだろう。

フランス・リヨン近郊の事件については、ローン・ウルフ型の小集団による自発的な犯行の可能性が高いが、詳細はまだ確定できない。

なお、池内はチュニジアにもクウェートにも、フランスにもいませんので、関係者はご安心ください。

チュニジアは今年2月の調査の裏を返し、3月のバルドー博物館襲撃事件以降の雰囲気を知りたかったが、明らかにチュニジアの安定を揺るがそうとする扇動が行われていて、呼応する集団がいることが感じられる状況では、身を守る手段を持っていない以上回避しました。

イラクとシリアの「イスラーム国」の活動が次に波及するのであれば、アラブ湾岸産油国のシーア派を抱えた国になるので、クウェートとバーレーンも調査の候補にしていたが、これも結局回避していました。直前まで検討して、最も危険が少ないところに渡航して、安全な距離をとって観察しています(前回のチュニジア渡航ではまだ安全だったチュニスからリビア情勢を見ていました)。

新書で資源・エネルギー問題を読むなら

エネルギーアナリストの岩瀬昇さんという方(直接面識はないが、ちょこっとだけ接点があった人のお父上であると聞く)のブログはちょくちょく見て勉強しているのだが、今日はこのようなエントリが掲載されていた

新聞などの企業・総合メディアは、専門家の個人メディアの登場により、その水準を即座に検証され判断される受難の時代には行った。刺激されて新たな水準に上がるといいのだが、諦めてしまって居直ってしまわいないか心配になる。この社説と同様なことを言って迎合してくれる「専門家」は常に現れるわけだし。そうなると信頼できる、ポイントをついた議論を求める人は、一層メディア企業を介さず個人をフォローすることになり→そうなると価値が高まるし、手も回らなくなるのである種の有料化やクローズドな媒体に移行する方向に進んで→それを知っていてお金を払う気のある・払える人とそうでない人で、知識による社会の二極分化が固定化されてしまいかねない。

私な二極分化を憂える立場で、公共的議論の場を作り水準を高めようと努力しているが、しかし企業・組織の側が硬直して、二極分化を推し進める側に回って無知な側に大量に売って生き延びよう、というつもりでいるんだったら、こちらは矜持を保てる水準の思考・言論を展開してかつ適切な読者を独自に確保して生き延びることを考えなきゃいけないな、と思う。理想への期待を放棄することなく、人間社会の愚かさに対する備えも怠らない、ということでいいのではないでしょうか。

岩瀬さんのこの本、ずいぶん売れて手に入りにくかった記憶があるのだが、社説界隈には浸透していなかったのか・・・


岩瀬昇『石油の「埋蔵量」は誰が決めるのか? エネルギー情報学入門』(文春新書)

「新書」という媒体のあり方、近年の実態については色々と言いたいことがあって、それについてはこのブログでしょっちゅう書いていて、また自分がいざ新書という媒体で『イスラーム国の衝撃』を出した際にも、アンビヴァレントな思いが去来したのだが(それについてもあちこちで書いている。『文學界』の最近の寄稿にも)、企業などの現場で長い間経験を積んできた方が、総まとめや区切りの意味で一冊にまとめる、という場合の媒体としては優れていると思う。

実務家の人は、いわゆるアカデミックな書き方はしない人が多いだろうが、情報や知見の実質があれば良い新書は成り立つ。本を出して生計を立てるわけではないから変なものを急いで書いたりしないだろうし。書いたら読者には役に立つし、それをきっかけに講演などが増えたりするのだろう。まとまったテキストがあると主催者・聴衆・話し手のいずれにとっても良いわけだし。

この本、私などが紹介しなくてもとっくの昔に売れてしまっていたのだけれども、改めてここでも紹介。

MERS(中東呼吸器症候群)がなぜ韓国で?

昨日は原稿を書きながら長野新幹線で往復という慌ただしい1日。今日も休日出勤で朝から晩まで一般聴衆や学生さんの相手します。

というわけで要点だけ。韓国で2次・3次感染が出て大問題になっているMERS(中東呼吸器症候群)について。

結論から言うと、今回は「中東」の問題というよりも韓国の保健衛生体制がなぜ感染拡大を止められなかったか、そもそもなぜ韓国人が多く中東にいるのかといった点に私としては関心が向く。中東で感染爆発が起こっているとは言えないからだ。もちろん、感染源が日本にとっては近くに来たというのは危険ではあるし、世界全体から見ても、感染源の広がりは深刻な危険をもたらす。しかしウイルスの変異によるヒト−ヒト感染力の強まりといった病原体そのものの変化はまだ確認されていない。

MERSについては昨年の流行の時期に短く記していた。

「MERS(中東呼吸器症候群)はラクダでうつるらしい(2014年2月25日)」

「メッカ巡礼とパンデミックの関係(2014年3月1日)」

2012年以来、春から初夏にかけて毎年感染者が出ている。中東では今年が特に多いわけではない。しかし今回は韓国人の帰国者を感染源に院内感染で2次・3次感染が進んだ。ここで封じ込めに失敗すれば中東の外に新たな感染源を作ることになるため、強く関心を寄せていく必要はある。

韓国での感染の事例は、中東以外の国ではイギリスとフランスに次ぐもので、東アジアでは初めてである。しかも中東の外では最大規模の2次・3次感染が生じたことが憂慮される。

ただし、病原体としてのMERSが変異して感染力が強まったといった事実はまだ確認されていない。もしそのような事実があれば次の段階に入ったことになる。そうでなければ、MERSそのものや中東の問題というよりは、一人の中東訪問帰国者の感染者から2次・3次と感染を拡大させることを許した韓国の医療・保健衛生の制度や患者や医師の行動の問題として、日本での今後の対応に生かすためにも注視する必要があるだろう。

MERSは感染症としては一般に次のような特徴を持つ。私が短時間で資料に目を通した限りでは、昨年までと変わっていない。

(1)大部分の感染者はサウジアラビア人である。それ以外の国の感染者も大部分がサウジアラビア渡航・滞在の際に感染したとみられる。
(2)治療薬やワクチンがなく、発症者の3割から4割が死亡するという致死率の高さが特徴。ただし、感染に気づいていないか、病院で診療を受けない事例が多くありそうなことを考えれば、感染者の致死率はもっと低くなる。
(3)コウモリからヒトコブラクダを通じてヒトに感染するルートが知られている。
(4)ヒトからヒトへの感染は起こりにくく、大部分が院内感染か家庭内での感染である。

未解明の部分が多いようだが、中東のヒトコブラクダの多くがMERSウイルスに感染して抗体を持っており、ウイルスがヒトコブラクダと濃密に接触するヒトに感染するようになり、さらに、感染力は弱いもののヒトからヒトへ感染するようになった模様だ。病気のラクダを治療して感染したと見られる事例が知られる。

以上は私が知る限りの事項のまとめですので、感染の広がりの詳細や、潜伏期間や感染力・経路、治療法などの正確なところは、下記のような公的機関のホームページを参照してください。
国立感染症研究所(基礎情報)http://www.nih.go.jp/niid/ja/diseases/alphabet/mers/2186-idsc/5703-mers-riskassessment-20150604.html
厚生労働省(Q&A)http://www.mhlw.go.jp/bunya/kenkou/kekkaku-kansenshou19/mers_qa.html
厚生労働省(アップデート)http://www.mhlw.go.jp/bunya/kenkou/kekkaku-kansenshou19/mers.html

日本で関心を集めるのは、単に感染症が恐ろしいというだけでなく、「中東の病気がなぜ韓国で?」という疑問が湧き、「韓国で流行すれば日本にもくるのではないか」と恐れるからだろう。

しかしウイルスの大きな変異がなく感染力が低いままであれば、韓国で感染者が出ていても、それが日本に及ぶルートはかなり絞られてくる。(1)日本人が韓国に行って韓国の病院で院内感染する、(2) 韓国人の感染者が発症前あるいは発症後に日本に渡航して日本の病院で院内感染を広める、といった想定される経路はかなり特殊で、可能性はそれほど高くなく、対策 の用意さえしておけば、パニックになる必要はないのではないかと思う。

「なぜ」の方は、中東に出入りしていると感覚的にわかる。要するに韓国企業の中東進出が著しいのである。企業が進出するだけでなく、「人が多く行っている」ことが、日本と比べた時の特徴だ。おそらく日本と比べると一桁は多い数の韓国人ビジネスマンが中東を出入りしている。

例えば、ドバイで世界一高いビルが建ちましたね。ブルジュ・ハリーファ(ハリーファ・タワー)。

Burj Khalifa

あれの建設を請け負ったのもサムスン建設でした。サムスンが全体を請け負って、人も多く出しつつ、各国・各社の技術や労働者を集めてきて、現地の財閥ゼネコンと組んで建設した。

日本企業は韓国が親請けした大規模プロジェクトに、「納入業者」として入る場合が増えてきている。発電所ならタービンとか、都市交通システムなら列車車両とか。高度な技術やノウハウを必要とする中核的な部分を担っているので、必ずしも「下請け」という雰囲気ではないが、プロジェクト全体やインフラを全面的に担ってリスクを負い利益を得ているわけではない。

それは端的に言うと、日本は中東に大規模に人を送り込むことはできない国なのである。環境が過酷で社会文化的なギャップが大きく政治的な不安定性や不透明性がある中東で、現地の人たちや各国からの労働者達と揉まれてやっていけます、やっていく気があります、という日本人を大人数集めることは難しい。そういう人材が育成されにくいという制度の問題と、そもそもそんなことをやろうという人が少ないという主体の意志の問題は、鶏と卵のような話であって、どっちが原因でどっちが結果かはわからないが、とにかく中東で大きなプロジェクトをやろうとしても現地に行って事業を完遂してくれる人材を集めることが難しいことは確かだ。

ごく一部、日揮のように、かなりの人員を集めて現地に送り込んで巨大プラントを何年もかけて作って引き渡して帰ってきてまたよそに出かけていく、ということを大規模にやり続けていける企業があるが、それは例外。そういう企業には、日本社会の中では珍しい、外向けアニマル・スピリッツが強い人たちが集まってきます。

韓国の場合は、よほどの学歴か、コネでもない限りは就職が難しいので、それぞれが必死にアラビア語とかロシア語とかスペイン語とかできて現地でガツガツやってくる能力を身につけて就職する。現地に何年でも行って来いと言われることを当然と考える人たちがいっぱいいるのでサムスンなどはどんどん受注できるんですね。

このことは、2000年前後に、中東で日本人留学生や駐在員たちのコミュニティを避けて人知れず庶民街で勉強していた時以来、感じているものです。

中東で中の下ぐらいの階層のエリアに行くと、日本人がいない代わりに、とにかくいっぱい韓国人留学生がいたものである。欧米人や日本人が中東で苦労する、慣習やインフラ不備による不快感やギャップをそれほど感じていない様子で、野心的に、実践的に勉強していた。日本の場合はアラビア語ができたって一流企業に就職できなかったから、学者になりたいというような人しか中東に勉強に来なかった。韓国の場合は、語学を身につけて就職→過酷な現場で通訳から叩き上げて中堅社員に、といったキャリアを想定する人たちが大勢来ていた。

かつてはイランのIJPCのように、日本企業が総力を挙げて中東に大規模に人を送り込んで大規模プロジェクト全体を主導するという時代があったが、そのような時代はもう過ぎたということなのですね。韓国だって世代が変わるとどうなるかわからないが。

日本企業では「たとえ経営陣が大規模プロジェクトを受注してきても、組合が許してくれない」などという話も聞く。また、大規模なプロジェクトを請け負って事業を完遂させるまでのリスクを負えなくなっているのではないか。そこで、利幅は限られているがリスクは低く、人員も限定される納入業者の立場に甘んじるしかなくなっている。もちろん、それは産業の高度化とも言えるし、高度技術にシフトして、投資収入やライセンス収入に依存するようになるという、先進国が進まざるを得ない方向に進んでいるとも言えるのだが、人的資源の「空洞化」の側面があることは否めない。

韓国の場合、感染者との接触者がそれを隠して中国に入国したりしているのを見ても、中東に来ていたバイタリティのある人たちを思い出して、さもありなんという気がしてくる。

ちなみに中国人は韓国よりさらに一桁多い数が中東に行っている。それではなぜMERSウイルスの感染・発症例が出ていないのか?という疑問がありうる。

さあ、なぜだかわかりません。偶然まだ感染者が出ていないのかもしれない。感染者が出ていても隠しているという可能性がないではないし、気づかれずに亡くなっていたり治っていたりするという可能性がないわけではない。

ただ、現地情勢を見ている限りでは、中国と韓国では企業の中東での進出の仕方が違うので、現地社会との接触のあり方が違うのではないかとは推測できる。中国企業は確かに膨大な数の中国人労働者を連れてくるが、空港に降りるとそのままバスに乗せて砂漠の中の現場に連れて行ってしまう。だから現地社会との接触があまりなく、そのため感染が起きていないのではないかとも考えられる。

英語でかなりわかりやすいまとめが出ていたので幾つか紹介。

What You Need to Know About MERS, The New York Times, June 4, 2015.

感染症としてのMERSの特性を簡潔にまとめた上で、巡礼などサウジ特有の社会文化との関連性も主要な論点を網羅している。

As MERS Virus Spreads, Key Questions and Answers, National Geographic, June 4, 2015.

主に医学的・疾病対策的な側面からの詳しいルポ。読み易いが読み応えがある。今後の対策として、人間ではなくラクダにワクチンを打つ方法なども紹介されている。

人質事件の検証委員会報告への反応を目にして

5月21日に発表された、シリアでの2名の邦人人質殺害事件についての政府の検証委員会報告書の作成に、外部の有識者として参加した。報告書は全文をダウンロードできる

一般公開の報告書に載せられなかったのは次のような情報だ。

ご遺族あるいは関係者のプライバシーに関わる情報。
外国の政府機関から秘密を前提に提供された情報。

これについては、各官庁はプライバシーや秘密の範囲を厳密に広く取ろうとするのに対し、外部委員は可能な限り広く公開しようとする。その結果、「判断した根拠は秘密情報だがその結果は公知の事実だから書いてもいい」という形で表に出した部分がかなりある。そうするとまた新聞は「根拠が書いていないから検証ではない」と言い出すので、役所の人からは恨まれているかもしれないが。

ただ、テロはこれで終わりではなく、今後も生じてくる。今後の事件に際して政府が行う施策の「手の内」は明かせないことは確かだ。そこから大々的には書きにくいがひっそりと記されていることもある。これだって役所の人は「これを出すと将来に危険が生じかねない」と恨めしそうにしていたものもある。報告書を隅々まで読んでみれば、「政府がやっていない」と、一部の、さほど情報はないが声高な人たちから非難されていることも、実際には政府がやっていたことが見えてくる場合もある。政府としては「こんなこともやっていたんですか」と聞かれて「そうです」と答えなければならないとそれはそれで今後武装集団に狙われたりしかねないので私にこんなことを書かれたりはしたくないだろうが、しかしここでは報告書に明文で書いてある範囲のことを言っている。実際には、「やっていたこと」について「もっとやるべきだったのか」「もっとやればどれだけのリスクが生じたか」「それを国民が求めているのか」を議論するべきであるが、現状の日本のメディアの問題設定能力の水準からは、そのような有意義な議論が可能になるとは思えず、単に不要な政治問題化の根拠とされるだけと予想されるため、外部委員としてもある程度以上の詳細な記述は求められなかった部分がある。

この事件は日本政府が人質をとって殺害したわけでもなく、日本政府がシリアに人員を送り込んで人質にされる原因を作ったわけでもないので、政府が責任を負うなどという検証結果が出ることは、よほどの驚天動地の資料が発見されない限りは、ありえない。

言うまでもなく、「二人の人質が取られているにもかかわらず衆議院を解散して選挙を行った」「人質を取られているのに中東歴訪を行って人道支援のスピーチをした」ということをもって政府や首相の責任を問え、という議論は、民主主義の原則を根底から覆し、暴力によって政策の変更を迫る暴論である。問題はこれが「言うまでもない」ことであるということを、大新聞ですらも理解していないことが明白な報道・論評があったことだ。もしこの論理が許されのであれば、今後は気に入らない政権がいればどこかで人質を取って殺害すれば政権に責任を負わせられることになる。どれだけ恐ろしい憎しみの論説を日々垂れ流しているのか、記者たちは己の罪深さを知るべきだろう。いったい誰が民主主義を破壊するのか、歴史を振り返って考えてみるといい。

報告書が出てもなお、民主主義の原則を根本的に履き違えた議論が、インターネット上の無謀な論客からだけでなく、大新聞・地方紙の社説にもあったことは、残念なことである。要するに「政府の責任だ」「首相やめろ」と言わなければ検証ではない、というのだから、話にならない。話にならないことを連呼する人たちは、信用されなくなる。あるいは、もし万が一、日本国民の多数が「話にならない」議論を大真面目にするようになれば、それはそのような愚かな社会だったというだけである。どちらに転んでもろくなことはない。今のところは多数がそのような議論はしていないにしても、24時間飽くことなく憎しみを垂れ流す人たちの影響力は侮れない。まともな仕事をしている人たちは忙しいから24時間対応しているわけにはいかず、放置しているうちに、憎しみの言説が支配的になってしまい、「空気」に阿る多数派を作り出してしまうこともあるかもしれないからである。

この事件を検証するならば、シリアのような紛争地において邦人を保護する政府の能力・態勢が現状どのようなものであり、今後どのようなものであるべきか、そのためにはどれだけの人員や予算が必要か、そもそもそれを国民が望んでいるのか、という問題を検討しなければ意味がない。

これについての新聞やインターネット・SNS上の議論は、おそらくそのほとんどが、報告書を読まずに行われている。まずは全文を読み通して、問題の構造と論点を理解してから、発言してほしい。

フェイスブックでは昨日5月26日に長めのポストを投稿しておいた。かなり読者が多いようなのと、シェアしにくいようなので、この文章の後ろに貼り付けておく。

私の昨日のフェイスブックの投稿は、岩田健太郎さんのブログポスト「リスクマネージメントについて 邦人人質事件検証委員会、群馬大学病院、そして若者の失敗」をシェアする形だった。そのため、私の文章ではなく岩田さんの文章がシェアで回ってきた人も多いようだが、実際、説得的な文章なので、読んでみてください。

誰かの「責任」を追求することを使命と履き違え、今回の事件のように、政府側に責任をとらせることがどう考えても不可能な場面でさえもそのような責任を追求してみせれば、事実の究明はむしろなされなくなる。不当に罵られ辞めさせられるのであれば、誰も態勢の不備を検証などしなくなる。今回は私は外部委員として参与することで、政府の現在の態勢の不十分さについての指摘や、今後取りうる措置についての検討課題を、隅々に滑り込ませることができたと考えている。そして、官庁の態勢の手薄な部分は、一部は官僚組織が持つ弱点であるし、またその他の一部は、これまでの国民の意思によって望まれないとされてきたがゆえに手薄にされてきた部分である。政府に要求するだけでなく、究極的には国民の意思を問うしかない。国民の意思を問うためには、政府・関係省庁は選択肢を整理すべきだ、というのが有識者側の要望で盛り込んだ点の大部分の結論だろう。また、メディアの(フリージャーナリスト含む)、荒唐無稽な批判であっても、逐一反論するようにと要請した。反論しなければ事実であると思い込む人も多いからである。このことも官庁側は嫌がった。相手にすると正当性があるように見えてしまうという言い分であり、これはこれでもっともであるが、私はもう少し官庁は市民社会とコミュニケーションをとる能力を身につけるべきであると思う(それに対応して市民社会の側にも対話能力が育ってくることを私は願っている)。

考えてみると、文章を書くということを「専業」にしている、新聞記者やフリージャーナリストや作家たちから、人質事件に関してだけでなく、中東問題一般についても、このお医者さんが今回この報告書に反応して書いたような筋の通った、先を見通す一筋の光のような文章を、読ませてもらったことがほとんどない。少なくとも近い過去には思い出せない。

私自身が、文学・文化に埋め尽くされた家に育って、大学も当然のように文学部に行きながら、徐々に「文」の業界からは距離を置いていった経緯を、ふと思い出した。私は、日本の文学・文化やジャーナリズムといった業界に染まった大部分の人たちの、日本の外の世界に対する全般的で決定的な無知、論理的な思考能力の欠如、自由人ぶっていながら実は業界の「空気」を読んで流行に同調することが求められる不自由さ、そしてそのような自らが自らに選んで課しているはずの不自由さの由来を自覚することを可能にする内省の契機を備えていないように見えること、あまつさえその不自由さを外部の責に帰する言動が相次ぐことを、たび重なり積み重なって目撃した末に、ある時期から耐えられないほど、嫌になったのである。それは、私が生まれ育って学んで触れて憧れてきた「文」の美質とは、無縁であった。ある国の「文」はその社会の文化的生活を反映しているのだろう。そうであればなぜ、日本の「文」はなぜここまで貧しくなってしまったのか。あるいは「文」が精神の豊かさや高貴さではなく、貧しさや浅ましさだけを反映するような、何らかの変容が起こったのだろうか。

その後も私はごく自然に欧米圏の文化・文学には触れているし、アラブ圏の文学・文化にも研究対象としての興味を抱いている。そこには何か光るものが今でもある。しかし日本におけるその対応物には、かなり以前に深い失望を抱いて以来、触れていない。仕事で依頼されるとその瞬間だけ触れるが、仕事が終わると全て処分して忘れてしまう。「文学的」ということが事実に基づかず国際性がなく非論理的で情緒的に叫ぶことと同一視されるようになったのはいつからなのか。「哲学的」ということが頑固な思い込みを権柄づくでゴリ押しすることと同一視されるようになってしまったのはいつからなのか。

それに比べると、「流れ」で関わることになってしまった、テロ、エネルギー、安全保障といった泥臭く無骨な業界の現場の人たちと接する機会は、はるかに清新であった。

実際のところ私は、そのような複数の「現業」部門との接触で揉まれながら、ずっと一貫して「文」をやってきたつもりである。

(ちなみに日本の大学の文学部っていうのも、本来は「文学」をやるところじゃなくて、哲学を基礎とした諸学の体系としての「文」学部だったんだからね。いつから「文学」それもなぜか「小説」を読むところだという誤解が生じてしまったのだろうか)。

以下は昨日のフェイスブックへの投稿

人質殺害事件の検証委員会報告書。ほとんど関心を呼ばなかった、あるいは、おざなりな批判報道はあったけれども深い議論をもたらさなかったように思う。参与してしまうと、かえって報告書の利点を言いにくくなってしまう。批判がまともなものがあれば反論したり検討したりできるのだが、今のところほとんどない。

ネット媒体・ソーシャル・メディアは、匿名・「有名」の書き手を含めて、威丈高に威張って発散するだけのメディアになっていると思う。

そんな中で、こういった指摘は有益だと思いました。

【よって、「誰に責任があったのか」という問いを立てられた場合、「誰にも責任はなかった。あのときはみんなそれなりに一所懸命頑張ったのだ」という回答しかでてこないのは必然である。

それを促すのは、「どこに問題があったのか」に無関心で、「誰に責任があったのか」だけを追求し続けるメディアである。だから朝日は社説で「責任のありか」と述べたのである。もちろん、問題なのは朝日新聞だけではない。他社の新聞も、テレビも、雑誌も基本的には「なに」よりも「だれ」にしか関心はない。

これは「最近のマスコミはなってない」という意味ではない。昔っから日本のマスコミは「なっていなかった」のだ。】

個別の対応についてはどう検証しても「現有の日本政府の能力で、現地の実情から行って、この程度のことしかできようがなかった」となるしかないことは、明らかでしたが、もし諸外国と同様の手段・能力を持つべきだとする国民の意思があるのであれば、政府の能力・態勢に不十分な点はいくらでも指摘できると思います。

なお、政府の態勢の不十分さ、改善点については、報告書の各節の後ろについている囲み記事になっている部分で、「有識者」との議論として、官庁が出してくる本文とは若干異なる文体で、書き込んであります。

そのような意味で多くの改善点が「有識者」欄に指摘されているので、「政府の態勢が不十分だ」という批判は当然ありえます。ただし現行の態勢は、戦後の日本が、ロープロファイルの平和主義国家として、対外諜報機関を作らない、紛争地で孤立した日本人を直接助ける手段を持たない(ひたすら当該国・周辺国に頼み込む)、といった制約を自らに課すことによって成り立ってきました。それは(判断が正確であったかどうかはともかく)国民の付託でした。そのことを忘れてはいけません。特にメディアは。政府が海外の邦人保護のために取り得る手段については、メディアが強く縛りをかけてきました。事件が生じた瞬間だけ「態勢がなっていない」と批判しますが、ほとぼりが冷めるとすぐにまた抑制せよと言い出します。

官庁としては、国民から付託されていない出すぎたことを「これまでやっていなかったから問題でした、今後はこれをやります」とは、今回の報告書の策定過程では絶対に書いてこない。そしてそれは正しい。

つまり、(1)情報収集態勢が手薄だということはわかっていることなので、他の先進国並みの諜報機関を作りますとか、(2)海外で人質になった邦人を特殊部隊を出して取り戻せるように法体系を整備します、装備と訓練を充実させますとか、(3)トルコがやったように、大量のイスラーム主義者を拘束した上で人質と交換するといった強権・超法規的措置によって非合法組織を抑制する交渉力をつけますといった、いずれもいわゆる「戦後レジーム」を覆すような検証結果は、もちろん、出していない。

ただし、国民の議論が深まればこれまでにない能力を保持するために選択肢を出す可能性はあるかもしれない、ということは、「有識者」の囲み記事を含む全文をよく読むと示唆されています。

検証委員会は、外部委員も含めて、今後の政策を作る立場ではないので、本当は越権行為かもしれないが、外部の「有識者」の意見という形で、メディア産業(あるいはネット言論)が深めてくれない論点を、報告書の隅々にそれぞれ短く記しておいたことで、将来の議論の基礎となるかもしれないと私は考えています。もちろんたいていのことは無駄になる。すぐにストレートに効果が出ることなどない。それは仕方がない。

もちろん逆に、(4)武装集団が日本人を人質にとっている可能性があるから、首相や官房長官が24時間対応しないといけないから、選挙もやりません、中東訪問もしません、という日本の自由主義と民主主義(あるいは非暴力の原則)を根底から覆すような選択肢を本来採るべきであったにも関わらず採らなかったから問題だ、責任とれ、という結論も、もちろん出していない。それについては、あまりに当たり前なので、様々な立場の外部委員「有識者」のいずれも特に問題視はしていなかったように思う。

メディア産業やSNSで「有名人」がわいわい言っているから、それが事実だ、ということにはならないのです。そんなこと言っていたらすぐまた日比谷焼き討ち事件や満州事変が起きますね。

実際のところ、新聞社説も含め、(4)という結論が出なかったから検証が不十分だ、と実際には言っているに等しいが、露骨にそれを言ってしまうとあまりに異様なので、ぼかしておいて、検証が不十分だという印象を醸し出した論評が大半であった。それは「責任」の追求という論理しか持たず、諜報機関の不在といった「問題」を論じることができないがゆえに生じる不明確さ・曖昧さではないかと思う。

もしかするとこれは、記者に論じる能力がないのではなく、論じると都合が悪いからなのかもしれない。そうであれば、むしろ都合が悪い、と言ってくださったほうが、議論が前に進むのではないか。ただその場合、「責任」追及は今回の事件についてはしにくくなるでしょう。しかし責任は他のところでいくらでも追及する機会があると思います。今回のような、凶悪な集団の暴力の威嚇・殺害の恐怖の力を借りて政敵の責任追及を行うことは、極めて筋が悪いと思います。もし万が一そのような議論が通れば、それは民主主義そのものを崩壊させるからですし、逆にそのような議論を行ったことで国民一般の支持を失えば、政府へのチェック機能を担うはずのメディアの信頼性が落ちるからです。

「有識者」との議論が盛り込まれた囲み記事の隅々まで読んでもらったかどうかわかりませんが、申し訳ないですが、少なくともこの問題については、記者さんが考える程度のことは考えて議論して、それなりに文面にも盛り込まれています。読まないで鼻で笑うのがかっこいい、という風潮は、いつの時代、どこの業界でもありますが、そんな風潮に染まって人生の長い時期を過ごすのは、むなしい。

若い人は、ひとしきりそういったモノ言いに大いにかぶれた上で、大人になってください。寄り道はいい。一直線は良くないよ。誰が信用できる大人で誰がそうでないのか、時に痛い目を見て知るのもいい。そのうち、怪しい論客は顔を見ただけで判断できるようになります。もちろんその傷は簡単には消えないし、うっかりしていると一生疼きながらふわふわと夢のように過ごしてしまうかもしれないけれども。ま、それもいいんじゃないですか。

話を戻すと、このお医者さんの指摘は建設的だなと思う。確かに日本社会には構造的に何か制約があり、問題はある。それをどう越えていくか。実は、多くの人が考えている。考えているが、そう簡単には変わらない。

官庁の組織の人間と、組織との距離の取り方がそれぞれに違う外部の人間が、かなりの労力を使った結果が人質事件の検証委員会報告である。この事件に関して「責任」を取らされるような主体がないことは明白だが、だからといって日本政府の態勢が万全であるわけではもちろんない。もちろんないが、それは誰がいつどのようにして課した制約によるのか、制約を取り外すことがふさわしいのか、できるのか。官庁の外部の人間が入ることで広がりが出たのは例えばこういった面での議論だったと思う。

こういった論点は、この報告書で結論を出すことではないが、将来の議論のきっかけにはしたい。そのように個人的には考えていた。そうでもなければ「責任」を誰かが取って辞めるか否かといった問題では、結論の幅がありようがないこの極端な事件について、多大な時間と労力を使うことに意味を見出しにくい(まあせめて、日本政府が明示的な政策によってシリア北部に人を送り込んだところそれが人質に取られた、という事件でしたら責任問題が発生するかもしれなかったのですが、今回は正反対です)。しかしもし、官庁の中からは考えにくいこと、あるいは個々人の官僚の次元では考えていても言い出しにくいことを、外部の人間が入ることで、官庁の名前で出す報告書に、参考意見とはいえ載ることで、何か将来に変化を残すことができるかもしれない。

このような淡い希望を、ほとんどすべての日々の仕事に際して抱いています。私にとってはそれが「理想」への近づき方です。理想っていうものは、朝の連続テレビ小説で次から次へと力量の足りない脚本家が出してくるような、一方的に突拍子もないものを連打するということではありません。

絶対的な立場に立って(立ったつもりになって)、威勢のいいことを言う人はいつでもどこにでもおり、私は日本がそのような人たち「も」いることのできる社会であって欲しいと思う(そのこともよく読むと報告書の文面には滑り込んでいますし、それ以外のあらゆる手段を用いて実現を図っています。正直に言って、もっと感謝してもらってもいいんじゃないか、と思う人もいます。個人的な付き合いはありませんし付き合いを持とうという気もないのですが)。

【寄稿】『週刊エコノミスト』の読書日記(11)は「新しい中世」を読む2冊


『週刊エコノミスト』の読書日記第11回は、田中明彦『新しい「中世」―21世紀の世界システム』(日本経済新聞社、1996年)、そしてヘドリー・ブル『国際社会論―アナーキカル・ソサイエティ』(岩波書店、2000年)を取り上げました。読みどころの引用なども。

池内恵「混沌の国際社会に秩序を見出す古典」『週刊エコノミスト』2015年5月19日号(5月11日発売)、55頁

今回も、電子書籍版には掲載されていません。紙版があるうちにお買い求めください。

この書評連載の全体の趣旨については、以前に長〜く書いたことがあるので、ご参照ください。

「『週刊エコノミスト』の読書日記は、いったい何のために書いているのか、について」(2014/10/01)

この二つの古典的名作が、いずれも絶版になっている点をフェイスブックで問題提起したところ【田中明彦】【ヘドリー・ブル】、アマゾンでは瞬時に中古が売れ払ってしまい、高額なものが出品されるようになりました・・・

中古市場の形成を促した、あるいは再刊・ロングテール市場の必要性を問題提起したとお考えください。数百円で買えた方々はラッキーということで。多少線を引いてあろうが、手元に置いて読めるだけで今や絶大な効用ですよ。先日紹介したイブン・ハルドゥーン『歴史序説』だって、手元に置いていつでも読めるか読めないかで、人生の豊かさは違うだろう。中東を見るときにものの見方が全く変わってくるだろう。

『歴史序説』はそのうち少部数増刷するかもしれないが、それまでの間の時間は大きい。

中東政策の「オバマ・ドクトリン」が詳細に明かされる

週末の視聴。今週はこれを推奨。先週に出ていましたが、忙しいのでじっくり検討する時間がなかった。聞いてみると、やはり色々考えさせられた。

Thomas L. Friedman, “Iran and the Obama Doctrine,” The New York Tims, APRIL 5, 2015.

4月5日にニューヨーク・タイムズのウェブサイトで公開された、オバマ大統領の中東政策をめぐる詳細なインタビュー。聞き手はトマス・フリードマン。46分もある。

4月2日のイラン核開発問題での暫定合意を受けたもの。

イランをどう評価するか。合意によってイランの行動や性質をどう変えられるのか。合意がイスラエルや湾岸産油国との関係をどう変えるか。非常に論理的に、理知的に、解き明かしています。

外交に関する「レガシー」構築を狙うオバマ大統領の、後々まで参照され検証されることになるインタビューでしょう。

言っていることは、分析としては、かなり納得がいく。問題のとらえ方、概念の使い方などが非常に正確で、また実態に即したニュアンスが込められている。

ただし、中東の現地に及ぼす強大な権力を持つ米大統領がこれを語ることが、中東諸国・中東国際政治に与える影響は、また別だろう。

これまで敵対してきたイランを、中東の地域大国として認める表現が繰り返される。慎重に留保をつけながらも明らかに大統領の本心は、かなり信頼できる地域大国としてイランを評価していることが分かるようになっている。それに対して、これまで同盟国として扱ってきた国に対する姿勢は厳しい、あるいは冷淡だ。

フリードマンの要約文から引用すると、
“The conversations I want to have with the Gulf countries is, first and foremost, how do they build more effective defense capabilities,” the president said. “I think when you look at what happens in Syria, for example, there’s been a great desire for the United States to get in there and do something. But the question is: Why is it that we can’t have Arabs fighting [against] the terrible human rights abuses that have been perpetrated, or fighting against what Assad has done? I also think that I can send a message to them about the U.S.’s commitments to work with them and ensure that they are not invaded from the outside, and that perhaps will ease some of their concerns and allow them to have a more fruitful conversation with the Iranians. What I can’t do, though, is commit to dealing with some of these internal issues that they have without them making some changes that are more responsive to their people.”

同様の問題意識は繰り返して念を押される。
As for protecting our Sunni Arab allies, like Saudi Arabia, the president said, they have some very real external threats, but they also have some internal threats — “populations that, in some cases, are alienated, youth that are underemployed, an ideology that is destructive and nihilistic, and in some cases, just a belief that there are no legitimate political outlets for grievances. And so part of our job is to work with these states and say, ‘How can we build your defense capabilities against external threats, but also, how can we strengthen the body politic in these countries, so that Sunni youth feel that they’ve got something other than [the Islamic State, or ISIS] to choose from. … I think the biggest threats that they face may not be coming from Iran invading. It’s going to be from dissatisfaction inside their own countries. … That’s a tough conversation to have, but it’s one that we have to have.”

さらにフレーズを抜き書きすると、

・・・the question is: Why is it that we can’t have Arabs fighting [against] the terrible human rights abuses that have been perpetrated, or fighting against what Assad has done?

・・・how can we strengthen the body politic in these countries, so that Sunni youth feel that they’ve got something other than [the Islamic State, or ISIS] to choose from. … I think the biggest threats that they face may not be coming from Iran invading. It’s going to be from dissatisfaction inside their own countries.

といった形の非常に痛烈な改革要求です。これを安全保障支援と引き換えに要請された湾岸産油国がどう反応するか。すでにちらほら反応が伝えられていますが・・・

今年春にキャンプデービッドで開かれるとされる、湾岸安全保障をめぐる会議に注目しましょう。ここでイランを含む湾岸安全保障枠組みができるのであれば、まさにレガシーでしょう。

単にGCCを集めて説教して武器を(有料で)つけてあげるだけでは、たぶん実効性は乏しいでしょう。

カーターの人権外交のように、善意は分かるが現地の社会や政治指導部の反応は全く意図に反するもので、結果的に混乱と紛争をもたらすことにならないか、不安である。

なお、米国が湾岸産油国に核の傘を差し伸べるという形での安全保障は与えられるのか、という点について、米国の元クウェート大使は「国益と価値を共有していないので、やめておいたほうがいい」とのこと

Some have suggested extending a nuclear umbrella over the GCC states and other regional allies as a confidence-building measure and to convince them not to develop their own nuclear weapons capacity. However, Richard LeBaron, a former US ambassador to Kuwait, said at a recent Washington event that that would be a “bad idea” because such guarantees should go only to “people who share very closely our interests and values.”

My lecture on the spontanuous mechanism of participation-mobilization of global jihadists

A short lecture given to Yomiufi Shimbun last month was translated on The Japan News. The comment revolves around the mechanism behind the spontaneous proliferation of global jihadists in dis-contiguous pockets of disturbances.

“Radicals spontaneously join ISIL network.” The Japan News, April 12, 2015.

元になる日本語のインタビューはこれ。
「【インタビュー】読売新聞3月25日付「解説スペシャル」欄でイスラーム国とチュニジアについて」(2015/03/26)

これを英語向けに表現を改め、論理を明確にしています。日本語の新聞は非常に曖昧な表現が多用される。そのまま英語に訳されると、私が朦朧とした論理の人だと思われて致命的ですので、ぴしぴしと書き改めました。

ちなみに日本語版のこのインタビューを拡大して、この本の日本の出版・文化現象としての意味を縦横に語ったのが、有料版の別立てインタビュー。

「「読売プレミアム」で長尺インタビューが公開」(2015/03/28)

実はこれはもっと読んでほしいなあ。よそでは言わないことを言っています。お試し版でも登録してみてください。

サウジの石油価格下落放置の究極の狙いは「需要の維持」とする説

石油価格が低下傾向に入ってから10ヶ月ほど。米国のシェールオイルの生産の落ち込みが始まり、今年1月にはブレント指標で50ドル/1バレルを割り込んだが、サウジのイエメン介入が地政学リスクの認識を高めたせいなのか、4月14日には58ドルまで上がっている

しかし、昨年後半以来の石油価格低下を、サウジが止めようとしなかったこと、特に、OPECでの価格引き上げ策を積極的に拒否して下落を加速させたことについては、透明性のないサウジの意思決定メカニズムも絡んで、盛大な憶測を呼んできた。

例えば、

(1)市場コモディティ化や非OPEC産油国の増大から下落を止める能力がない以上、シェアの確保を優先して価格低下は見逃している、という経済学的説明。

まあこれはそうでしょう。もっと攻撃的な意図を推測すると、

(2)米国のシェール・オイル潰し。

という、まあありそうな政治的な経営戦略の推測、

さらには検証のしようのない、

(3)実は裏で米国と結託して原油価格低下を推進しウクライナ問題で対立するロシア・プーチンを追い詰める策謀を行っている。

という話も飛び交い、さらに、その動機は

(4)老舗産油国のプライド(?)

等々といろいろな説明もなされていた。

しかし非常にわかりやすい、筋のとおった説明の記事が出た。

上記の戦略・戦術・策謀がないとは言えないが、もっと長期的に、需要の維持こそが大局的にサウジの国益となるのであって、そのためには石油価格は安くないといけないという判断がある、という説である。石油価格が高止まりしていると、代替エネルギーの開発が進んでしまうことは確かだ。

Peter Waldman, “Saudi Arabia’s Plan to Extend the Age of Oil,” Bloomberg, April 13, 2015.

Supply was only half the calculus, though. While the new Saudi stance was being trumpeted as a war on shale, Naimi’s not-so-invisible hand pushing prices lower also addressed an even deeper Saudi fear: flagging long-term demand.

ここでナイーミ石油相を大きく取り上げています。叩き上げで石油産業と市場の生き字引のようなナイーミ石油相に、深い叡智と先を見通す目が備わっているとみなすこの記事自体が、サウジの安定性を宣伝するサウジの広報戦略の一環である可能性はありますが、確かにサウジの指導部にはこの方面では非常に深い知見が蓄積されているでしょう。

「石器時代は石が枯渇したから終わったわけではない」というのはサウジのヤマニー元石油大臣の有名な台詞ですが、供給が問題なのではなく、需要がなくなることこそが恐怖、というのが、枯渇を考えなくていいほどの埋蔵量を誇るサウジの、他の産油国より一歩先を行った視点と言えるでしょう。

こういった記事が出ることも織り込んでいるのか、サウジ政府は、他の輸出国が協力しないなら生産調整しないよ、という価格低下構わずの姿勢を維持し、さらに「シェールも代替資源も歓迎してるよ」と余裕の構え

石油超大国としてこういうところはさすがに深いですが、アキレス腱は社会内部の過激な宗教勢力とか、寄せ集め地上軍の信頼性とかなのであろう。

鳩山さんとドパルデュー:係争地への「移住」について

日曜日なんですからちょっとは軽いネタを。軽くないかも。

鳩山さん。「友達の友達が・・・」の人ではなく、最近クリミアに行った元首相の方ですね当然。

ロシアの宣伝放送Russia Todayは、ばっちり、一緒に行った右翼団体の人と並んだ会見を伝えています。

鳩山クリミア訪問
Ex-Japanese PM finds Crimea referendum ‘expressed real will’ of locals, Published time: March 11, 2015 10:37; Edited time: March 11, 2015 13:55

連日、ロシア政府の思い通りのことを言ってくれているのですが・・・

「鳩山元首相「クリミアの人々は自分達をロシアの一部と認識」」『ロシアNow(ロシアの声)』2015年3月11日

「鳩山由紀夫:クリミア生活、百聞は一見に如かず」『ロシアの声 ラジオ』13.03.2015, 14:13

そこで、単なる冗談ネタですが浮上したのが「パスポート取り上げ」の話。例のジャーナリストのパスポート召し上げ問題のせいで出てきた、日本ドメスティックなネタとしての「パスポート取り上げ」なのですが、国際的には日本での議論とは違うところにも焦点が当たります。

注目が集まるのは「パスポート取り上げ」よりも「ロシア移住」、その中でも特に「係争地への移住」です。

「パスポート取り上げ」のネタに敏感に反応した鳩山さんが(←注目されたいだけなんでしょ)「パスポートを取り上げられるならクリミアに移住する」と言ったとか言わないとか報じられています。これ、本人が実際に言ったかどうかわかりません。しかし、ロシア側は、「クリミア移住」と言わせたいだろうな、というのが過去の事例からは想像がつきます。いや、ロシアがどこまで鳩山案件に力を入れているのかが分かりませんが(入れていないと思いますが)、「クリミア移住」と言わされそうだな、ということをロシアのニュースに多少接している人なら思うことです。全てがから騒ぎですが・・・

Former Japanese Prime Minister Won’t Rule Out Moving to Crimea, Sputnik International, 16:38 12.03.2015(updated 16:40 12.03.2015)

「本国で問題を抱えた人がロシアのパスポートをもらって形だけ係争地に『移住』して、ロシアの宣伝に使われる」というのは最近よくあることなのです。おそらくロシア政府内にそういうプロジェクトをやる部署があるのでしょう。

代表例はジェラール・ドパルデュー。

フランスの富裕税が嫌だと言って、2013年1月にロシアに国籍を移しました

日本語で読めるものとしては、こんなものがあります。
「国民的俳優ドパルデュー氏が国籍放棄。個人所得税13%のロシアへ移住?

この話題、西欧社会が現在抱える問題や、西欧社会とロシアの関係、西欧の問題とはまた別のロシアのトホホな実態表している、興味深いものなので紹介したいなあと思いつつ機会がなかったのでここで。西欧諸国での累進課税や租税回避の問題という本筋の話題は別に、ロシア側はこれを「国際的に非難されている紛争・係争地に西欧の有名人を誘致して正統化を図る」という独自のプロジェクトの一環で取り込んだのです。

西欧側では「税金逃れで出て行った」ことが最大の話題になりますが、ロシア側ではもちろん「無料のランチはない」わけでありまして、重要なのは、ロシアのパスポートをもらってから、ロシアのどこかに実際に住民登録をしたり、住んだふりをしてみせたりする場面です。ここでロシアは宣伝に利用するのですね。

ドパルデューはロシア連邦モルドヴィア共和国のサランスクにとりあえず住民登録をしたようなのですが、それだけでなく、チェチェン共和国のグローズヌィにも拠点を置きました。ロシアにとってはここが肝心なようです。空港にはプーチンに任命されたラムザン・カディロフ首長(2004年に父のアハマド・カディロフが暗殺されて跡を継いだ)が出迎え鳴り物入りでドパルデュー歓迎イベントが開催され、グローズヌィ再建の目玉である高層マンションに部屋をあてがわれ、盛大に報じられています。

カディロフがマンションの鍵を手渡したりグローズヌィで映画を撮ると発表したりしています。

ロシアの宣伝メディアでは、日本向けにも若干ですがこの話題を伝えています。英語で見ればもっと詳細に大量に見ることができます。

「ドパルデュー氏 チェチェンで映画を撮影したい」『ロシアの声 ラジオ』2013.02.25 , 18:49

「ドパルデュー氏、グローズヌィの自宅マンションを日本風に」『ロシアの声 ラジオ』2013.06. 6 , 08:16

なぜチェチェンでグローズヌィかというと、それはもちろん、1999年−2009年の第2次チェチェン紛争で、大弾圧を行って焼け野原にしたグローズヌィの再建というロシア政府のプロジェクトが「うまくいっている」と主張したいからです。

チェチェン紛争についての簡潔な入門としては例えばこれ

グローズヌィ再建プロジェクトの目玉は超高層マンションと、ヨーロッパ最大とかいうアハマド・カディロフ・モスクです。「ロシアはイスラーム教を支援しています!」という宣伝ですね。

なお、「アハマド・カディロフ」とはラムザン・カディロフのお父さんの名前です。ドパルデューの歓待シーンの写真にも写り込んでいますね。もちろん意図してやっているのでしょう。

また、超高層マンションの方は、2013年4月に火災で焼けてしまいました。ドパルデューのマンションか?と話題になりましたが、隣接する別のマンションに部屋を持っているとのことです。チェチェンの「復興」騒動は何かといわくつきです。

実態は、箱物だけ作っても、あまりに統治がひどいので、チェチェン人はどんどん難民として流出していると言われています

チェチェン首長のカディロフ親子というのは、要するにチェチェンの暴力団の親玉を、住民を暴力で押さえ込む親ロシア派の頭目として任命しているわけです。

反プーチンの政治家ネムツォフ氏が暗殺された事件でも、ロシア当局が逮捕した「犯人」はチェチェン人でカディロフの元取り巻きとのことで、いかにも怪しい。チェチェン問題には、ロシアの怖いところが全部詰まっていて、ロシア人も触れたがらない。

グローズヌィ中心部の何本かのタワー・マンションとアハマド・カディロフ・モスクからなる風景は、内戦と弾圧、それを覆い隠す宣伝キャンペーンを表す不吉なものとして国際社会では見られていることを、知っておいた方がいいでしょう。

2013年はロシアにとって、チェチェン・グローズヌィの「復興」を国際的に宣伝する年だったのですね。そこで、税金逃れ亡命者もチェチェンに振り分けた。

2015年は今度はクリミアの編入既成事実化の宣伝が重点項目で、そこに引っかかったのが鳩山さんだということです。2013年だったらチェチェンに行かされていたかもしれないですね。この映像のドパルデューを鳩山さんに入れ替えて想像してみましょう。

シャルリー・エブド紙は、ウクライナ問題が勃発すると、即座に「プーチンがドパルデューをウクライナに派遣」という風刺画を掲載しています

Charlie Hebdoドパルデューウクライナへ
(5 Mars 2014, No 1133)

酔っ払っているのでウクライナ側が「化学兵器反対!」と叫んでいます。描いたのは、襲撃を辛くも逃れ、再開号の表紙にむせび泣く「ムハンマド」を描いたLuzですね。

フランスの風刺画を上から目線で云々する前に、まずこの程度の政治感覚を持った風刺画家を日本も持てるようになるべきでしょう。風刺画以前に、文章や発話でも意味のある批判ができていないのですから、難かしいですかね。

なお2013年に、ロシアのメディアは「お上」から「チェチェン・グローズヌィの復興を宣伝しろ」ときびしーくお達しを受けているのだろうな、ということに気づかされた面白いニュースを思い出したので記録しておきたい。

2013年9月のサンクトペテルブルクでのG20サミットの時でした。サミットの話題はシリア問題をどうするか、イラン核問題をどうするかで、いずれもロシアが深く関わっており、解決策というよりも問題の一部と言えるので、それらについてのプーチンの発言が注目されました。私もプーチンの記者会見に注目していたのですが、質問の一番に指名されたロシアの記者は国際社会の注目を一切スルーして、こんなこと聞きました。

Vladimir Putin’s news conference following the G20 Summit, September 6, 2013, 17:00

QUESTION: Mr Putin, with your comprehensive support and thanks to the efforts of Ramzan Kadyrov towns and villages, as well as the social sphere, have been restored in the Chechen Republic. However, there’s the issue of industry and job creation. This is an important issue.

As you are aware, the oil industry is the flagship industry of the Chechen Republic. We know that Rosneft hinders the construction of oil refineries. As President, can you facilitate restoring industry and building refineries? This is my first question.

The second question, if I may. It’s a little off topic, but I take this opportunity to …

VLADIMIR PUTIN: Do you believe the first one was on topic?

QUESTION: Yes. Unemployment and the economy… The second question is a personal request for you, Mr Putin. You are aware that during World War II the battle for the Caucasus, primarily for Grozny, was fought. Grozny along with Baku supplied raw materials. Grozny residents, along with the other peoples of Russia, fought on the fronts. All these years we were hoping that Grozny would be designated a City of Military Glory, but so far in vain.

Here’s my request and question. Mr Putin, could you please have Grozny considered in an impartial manner as a candidate to receive the honorific title of City of Military Glory. Thank you.

「プーチン様の全面的サポートのもとカディロフがチェチェンの都市と村を復興させましたが次は産業復興ですよね?」とか「ロシアの栄光の戦いの中でのグローズヌィの位置が際立っているから軍の栄光の都市に認定したらいかがでしょうとか」、質問にすらなっていない。プーチンの意を汲んで、汲みすぎて「そんなことサミットの話題になったと思ってんのかお前?(VLADIMIR PUTIN: Do you believe the first one was on topic?)」とプーチンにたしなめられたりして、というお約束のやりとりです。

こういうのを翼賛メディアというのです。さすがに、日本にはこんなメディアはありません。翼賛とか独裁とはここまでやるものなのです。自由な社会で安易に他人に「独裁」「ナチス」といったレッテル張りをしている人は、本当に自由がない状態を知らない。そういう人は実に簡単に、「大義」を振りかざして独裁者のもとに、こけつまろびつ殺到します。誰がそういう軽率であるがゆえに本当に怖い人なのか、よーく見きわめておく必要があります。

もうどうでもいいことですが、ロシアの宣伝メディアが英語で発信した鳩山ネタを貼り付けておきます。

Former Japanese PM Says Crimea Referendum ‘Expressed Will of Its People’, 15:41 11.03.2015(updated 17:27 11.03.2015)

Japan Should Recognize Crimean Referendum, Lift Russian Sanctions – Ex-PM, 04:52 12.03.2015(updated 08:58 12.03.2015)

Picture Worth A Thousand Words: Ex-PM Wants More Japanese to See Crimea, 15:32 13.03.2015(updated 17:34 13.03.2015)

「スプートニク」というメディアは、MIA(国際通信社)の「ロシア・トゥデイ(今日のロシア)」の設立した「国外向けの新しいメディア・プロジェクト」だそうです。ロシアにはとにかくいっぱいプロパガンダ・メディアがあります。内容は同工異曲。ロシア発の陰謀論を信じる日本の人もウェブ上には多くいらっしゃるが、やめたほうがいいです。さすがロシア文学の国ですから質も高いですし面白いですので、ネタとして享受するだけにしましょう。ペーソスや諧謔という言葉の意味を知るためにもいいかも。ロシアのプロパガンダ・メディアの諧謔っていうのは、これを読んで信じちゃう人を揶揄い、さらにそんなことを生計の活計(たつき)にしている自分自身を哀れむといったような要素も含むものです。ロシアって深いなあ。

「ロシアの新メディア「スプートニク」」『ロシアの声』2014年11月17日

「シャルリ・エブド事件を考える」(『ふらんす』特別編集)に寄稿しました

1月7日のシャルリ・エブド紙襲撃殺害事件に関して、白水社から刊行された論集に寄稿しました。

私の寄稿したものは、ブログ・ウェブ等の議論の再録ではなく、一連の議論を振り返ってどこに思想的・知識社会学的課題があるかについての論考です。自由な社会を形成し維持するための基本的な知的姿勢について、考えるところを書いています。

雑誌『ふらんす』の特別編集という名目で軽装版ですが、書籍です。

池内恵「自由をめぐる二つの公準」鹿島 茂、関口 涼子、堀 茂樹 編『シャルリ・エブド事件を考える ふらんす特別編集』2015年3月刊、130−133頁

この論集については、今は時間がありませんが、いつか論じることがあるかもしれません。