【先端研キャンパス公開】北岡伸一先生の講演と「地政学」をめぐるパネルディスカッション

先端研が位置する東京大学駒場IIキャンパス(駒場リサーチキャンパス)のキャンパス公開が2019年5月31日・6月1日に行われます。

このキャンパス公開の一環として、6月1日午後に、グローバルセキュリティ・宗教分野の企画による、「地政学」を共通の関心とする講演・パネルディスカッションを開催します。

基調講演に北岡伸一(国際協力機構(JICA)理事長・東京大学名誉教授)先生をお願いし、それに続くパネルディスカッションには私と特任助教の小泉悠さんが登壇するだけでなく、客員研究員をお願いしている鈴木一人・北大教授をお招きします。

このパネルディスカッションは、昨年10月に先端研に「イスラム政治思想分野」を発展的に解消して新設した「グローバルセキュリティ・宗教分野」の趣旨説明の機会にもなります。これに関して、先端研の文系分野の振興に尽力してきた御厨貴先生からも、お言葉をいただける予定です。

北岡先生はJICA理事長としてのお立場から俯瞰した世界情勢と日本の立場についてお話しいただけるのではないかと拝察しますが、ちょうど最新の御著作『世界地図を読み直す 協力と均衡の地政学』(新潮選書)が刊行された直後の講演ということにもなり、「ブックローンチ」のような部分も出てくるのではないかな?と楽しみにしております。

講演会・パネルディスカッションには特に事前の予約なくご聴講いただける予定です。

特設ウェブサイトにキャンパス公開の案内が掲載されていますが、下記に池内研究室による企画の講演会・パネルディスカッションについての案内を再掲しておきます。

先端研 グローバルセキュリティ・宗教分野 特別講演会・パネルディスカッション「地政学復権の時代のグローバルセキュリティ」

講演「国際協力とグローバルセキュリティ」
講師 北岡伸一国際協力機構(JICA)理事長

パネルディスカッション
鈴木一人・北海道大学公共政策大学院教授

池内恵・東京大学先端科学技術研究センター教授

小泉悠・東京大学先端科学技術研究センター特任助教

御厨貴・東京大学先端科学技術研究センター客員教授

開催場所 先端研3号館1階 ENEOSホール
日程 6月1日 (土) 13:00 – 14:50
定員 200名

先端研に昨年10月に新設された「グローバルセキュリティ・宗教分野」では、世界情勢の変動の最先端・核心に迫る研究を行なっています。本年度の重点領域は「地政学」。米国を中心としたリベラルな国際秩序が揺らぎ、「地政学」が新たなキーワードとして注目されています。ロシアや中国が台頭し、「イスラーム国」やシーア派のような宗教的な非国家主体の影響力が増大する現代の国際政治で「地政学」は有用な、あるいは不可欠な認識枠組みとして浮上しています。地政学復権の時代に、いかなる形で「グローバルセキュリティ」は可能なのでしょうか。グローバルセキュリティ・宗教分野では特別講演会とパネルディスカッションで、これについて議論を深めます。

特別講演会の講師にはJICA(国際協力機構)理事長(東京大学法学部名誉教授)にご出講いただきます。北岡先生は最新刊のご著書『世界地図を読み直す 協力と均衡の地政学』(新潮選書、5月22日刊)で、JICA理事長としてグローバル社会の隅々まで駆け巡る過程での思索・論考を単著にまとめておられますが、ここで隠れたキーワードは副題にもある「地政学」。今回の講演では、世界地図を俯瞰しながら日本の対外政策の中枢と国際協力の現場を日々につなぐ、地政学的思考の理論と実践について、明かしていただきます。

これを受けて、パネルディスカッションでは、「地政学の復権」の理論と現実に、様々な角度から取り組みます。

「地政学」をめぐる理論的な議論としては、北岡先生を中心にした「地政学」を共通課題とした研究プロジェクトの成果として、論文集『新しい地政学』(仮題、東洋経済新報社)の刊行準備が進んでいます。そこに掲載が予定されている池内恵教授(グローバルセキュリティ・宗教分野)「中東と地政学」についての最新論考の内容についても、パネルディスカッションでは触れられることでしょう。中東は「地政学の本場・本家本元」とも言えます。「地政学復権」の時代に中東は新たな様相と重要性をもって、立ち現れています。

そして、グローバルセキュリティ・宗教分野に3月に着任したばかりの小泉悠特任助教は、ロシアを中心とした地政学に関する著書『「帝国」ロシアの地政学 「勢力圏」で読むユーラシア戦略』(東京堂出版)の刊行を6月に控えています。「地政学復権の時代」を代表するロシアという存在をどう認識し、対処すればいいのか。北方領土問題を抱える日本にとって、重い課題ですがこれについて小泉特任助教の最新の情勢分析に基づく議論が行われることでしょう。

地政学の復権という抗しがたいように見える波に対峙しうるものは何か。EU・宇宙政策から国連対イラン制裁の現場まで、リベラルな国際秩序の形成と推進を担う制度や機構、主体の理念や実態を熟知した鈴木一人北大教授(先端研客員研究員)に登壇をお願いし、批判的な視座から地政学論をとらえ直していただきます。

パネルディスカッションには、北岡先生にはお時間の許す限りお相手していただきますが、ここに、北岡先生の長年の友人で、先端研の社会科学部門の「お目付役」ともいうべき御厨貴客員教授も、顔を出して日本独自の視点を出してくださるかもしれません。

みなさま、奮ってご参加ください。

【研究室】小泉悠氏が特任助教に

2019年3月1日付で、小泉悠氏が東京大学先端科学技術研究センター(グローバルセキュリティ・宗教分野)の特任助教として着任しました。

2018年10月1日に、それまで10年続いたイスラム政治思想分野を踏まえて新たに設立されたグローバルセキュリティ・宗教分野は、小泉さんを迎えて、発展の歩みを加速します。

【所属先名称・肩書きの変更】先端研に「グローバルセキュリティ・宗教分野」を立ち上げ教授に就任しました。

所属部署の名称と肩書きの変更をお知らせします。

10月1日付で、所属先と肩書きが変更になりました。今後の所属先と肩書きは、東京大学先端科学技術研究センター教授(グローバルセキュリティ・宗教分野)となります。

2008年10月に先端研に「イスラム政治思想分野」を設置していただき、10年間の任期で准教授を務めてきましたが、このたび、任期切れに伴い、様々な可能性を比較衡量しましたが、先端研に引き続き身を置き、新たに「グローバルセキュリティ・宗教分野(英語名称:Religion and Global Security)」を立ち上げ、その教授に就任することとなりました。

イスラム政治思想分野は行政上は幕を下ろしますが、今後もイスラーム政治思想研究・中東地域研究を続けて参ります。その上で、幅広く「宗教とグローバルセキュリティ」に関する研究を、企画立案し推進してゆく所存です。

【寄稿】安全保障貿易情報センターの『CISTECジャーナル』にトランプ時代の中東について

寄稿しました。

一般財団法人安全保障貿易情報センターの『CISTECジャーナル』3月号に、トランプ時代の中東国際秩序について、大まかな見取り図を記してみました。

池内恵「トランプ政権と中東秩序の再編」『CISTECジャーナル』2018年3月号・通巻174号, 111-116頁

ウェブからも読めますが、会員企業のみ、と思われます。

私の論考はともかく、輸出規制に引っかかりそうな品目と相手国との貿易をされている方は、ぜひ入会をご検討ください(ここでは冗談ですが、真面目な話でもあります)。

安全保障貿易情報センターは、3月17日に研究大会に招聘いただいた、日本安全保障貿易学会の事務局になっており、この『CISTECジャーナル』への寄稿も、学会発表の論文の事前草稿のようなつもりで起稿しました。こういった機会に刺激を受けて、少しずつ考えを深めていきます。

3月17日の研究大会では、第1セッションの「日本の安全保障貿易管理の30年」も聴講させていただいたのですが、安全保障貿易管理について政治・制度・学術研究の三つの方面から、発端と発展の経緯を、その道の大家が振り返ってくださる、門外漢にとって非常に蒙を啓かされるものでした。自分の専門分野の成果を持ち寄り、代わりにこういった別の分野の深い専門知識を持った方々から知見を分けてもらえるこのような機会に、学問をやっていてよかったと思います。

【寄稿】先端研30周年ウェブサイトでイスラーム教と脳の関係を

このブログではお久しぶりです。新年度になってしまいました。3月は半ばにポーランド・ワルシャワ、そして月末から4月初冬にかけて、年度またぎでジブチとイスタンブールに現地調査に行って来ました。帰国直後から、新学期の複数の授業の立ち上げを行い、シリア化学兵器使用と米国による対アサド政権の空爆について情報を集めるなどしておりました。

通知が遅れてしまいましたが、先端研30周年の特設ウェブサイト上で、同僚の高橋宏知先生と退団しました。准教授を中心に行う「未来論」対談の第一回。

高橋宏知・池内恵「イスラームの宗教と脳の機能は交差する。」対話する未来論・先端研30周年

「脳科学」というと、一般メディアで異様に重宝されることがあり、実証性の乏しい疑似科学や、スピリチュアル系の偽薬みたいなものが多いですが、高橋先生のやっているのは神経工学によるゴリゴリのエンジニアリングというところが、新味のあるところと思います。

キーワードは「言語」です。

2017年度の学会報告予定

行政的には2016年度がそろそろ終わる時期で、報告書や予算・決算書類作成、必要証票を揃えるので忙しくしていますが、来週末にも、東欧にちょっと行って学会発表をしたり、そして年度末には、マイレージを利用して、将来面白そうなテーマに今のうちに探りを入れるべく、某大陸に踏み入ってきたりします。

しかし新年度の学会発表の依頼を次々に受け、いずれも興味深いand/or断りにくい方面からのご依頼のため次々にお引受けてしていたら年間を通してスケジュールが埋まってしまっている模様です。自分が入っている学会での報告も考えなければならないのに、依頼に応えるだけで精一杯になっている状態です。なんとかならないのか。

考えてみますと、昨年・一昨年度は、日本国際政治学会で企画委員をやっていたので、もっぱら企画し、依頼し、お世話する側の仕事をしていました(一部、例外的に企画委員でかつ登壇したこともありましたが)。企画委員の任期が終わったタイミングでいろいろ依頼が来て、お引き受けしていたところ、何が何だか分からなくなって来たので、ちょっと整理しています。

これ以外に、非公開の研究会や会員のみに向けた報告・講演の依頼が多く入っており、またその間に海外での研究発表に行くことがあるので、実際には来年度の週末はすでにほとんど埋まってしまっているような状態です。

肝心の、自分が入っている学会での自発的な報告を企画・応募する余裕がなさそうなのが、なんとなく気になります。そろそろ生活を変えないといけないのかもしれませんね。しかしまあこれらのご依頼はいずれも私の研究の成果を発表したり、今行なっている研究を発展させる機会になってくれそうなものなので、頑張って対応したら私のためになりそうです。

自分への備忘録も兼ねて、ある程度公開されていそうなものをリスト化しておきます。引き受けていてもとっさに思い出せないものや、原則非公開のものは挙げていませんが、もしかすると会員以外には非公開なものも混じっているかもしれません。また、報告タイトルは仮のもので、セッションの趣旨・主催者からのご要望を勘案し、私の報告論文の執筆を進めて行く過程で、大幅に変更される可能性があります。

それぞれが違うテーマなので、報告論文を各種揃えねばならず、もしかして学会大会ピークの春・秋は1分も休めないのでは、と恐ろしくなってきます。早めに準備をしておきましょう(自分に言い聞かせています)。

4月23日:戦略研究学会
池内恵「紅海岸地域に転移するグレートゲーム」共通論題「国際環境の変化と戦略」
戦略研究学会第15回大会(明治大学駿河台キャンパス リバティタワー7階、2017年4月23日開催)

なお、戦略研究学会では理事と大会・研究会委員というのも命ぜられていて、今年は共通テーマの「国際環境の変化と戦略」に沿った基調講演を中西寛先生にご依頼する役目を拝命いたしております。ご快諾いただき、研究大会の重みがぐっと増しました。

〔基調講演〕中西 寛氏(京都大学大学院法学研究科教授・公共政策大学院長)「現代世界における戦略的思考について」(仮)

また、共通テーマに関するシンポジウムでは、ロシア軍事研究の小泉悠さんなど、世代交代も意図した構成で活発な議論を喚起する予定です。非会員でも学会全体を聞きに行くことができますので、ご興味のある方はぜひ。

5月27日:政治思想学会
池内恵「グローバル言説圏における「イスラーム」をめぐる保守/リベラルの位相」(仮)
政治思想学会第24回大会・シンポジウムⅡ保守の多様性」共通テーマ「政治思想における「保守」の再検討」(早稲田大学、2017年5月27・28日開催)

6月10日:宗教法学会
池内恵「何が宗教過激主義をもたらすのか――イスラーム法学解釈の権威の構造とその近現代における変化」
第35回宗教法制研究会・第74回宗教法学会(青山学院大学、2017年6月10日開催)

6月17日:日本ピューリタニズム学会
「イスラーム教における寛容と政教分離、そして宗教改革」(仮)
日本ピューリタニズム学会第12回大会・シンポジウム「ピューリタニズムとイスラームの対話――政教分離と寛容思想をめぐって」(仮)(青山学院大学、2017年6月17日開催)

11月4日:社会思想史学会
池内恵「社会思想史におけるイスラーム教」(仮)
第42回社会思想史学会大会・シンポジウム「社会思想史における宗教」(京都大学、2017年11月4日・5日開催)

秋は学会(2)戦略研究学会のシンポジウム(10月29日)

秋の学会シーズンの「お世話」仕事の紹介その2。戦略研究学会では理事に任命された上、大会・企画委員会にも入れていただいたので、企画をしてみました(私一人で企画したのではありませんが)。

こちらは一般聴衆向けもある程度意識しています(事前申し込み不要、参加費2000円)。

戦略研究学会シンポジウム「エネルギー市場の未来と日本の技術戦略」
日時 2016年10月29日(土) 14:00~17:00
会場 明治大学駿河台キャンパス リバティタワー12階1123教室
※東京都千代田区神田駿河台 JR・地下鉄お茶の水駅下車

【講演①】「LNG市場戦略」は成功するか?
岩瀬 昇氏(エネルギー・アナリスト、元三井石油開発常務執行役員)

【講演②】「製造産業の技術戦略とイノベーションについて」
宮崎貴哉氏(経済産業省製造産業局製造産業技術戦略室長)

【ラウンドテーブル】
岩瀬 昇氏(エネルギー・アナリスト、元三井石油開発常務執行役員)
宮崎貴哉氏(経済産業省製造産業局製造産業技術戦略室長)
奥山真司氏(コメンテーター、国際地政学研究所上席研究員)
岩瀧敏昭氏(コメンテーター、明治大学社会連携機構客員准教授)
池内 恵氏(司会、東京大学先端科学技術研究センター准教授)今回の企画は、エネルギー市場の、技術的変化を踏まえた最新の動向の分析と、それを前提にした技術戦略・イノベーション戦略の政策論とをつなげるという趣旨のものになりました。

私も、ラウンドテーブルでの議論にモデレーターとして登壇しますが、もっぱら聞き手です。

秋は学会(1)日本国際政治学会(10月14日〜16日)

秋は特に学会が多いですね。週末がほとんど潰れてしまいます。今時の大学教員は事務作業が多く、平日は研究をほとんどできませんので、週末の学会のための準備を別の週末や深夜にやるということが多くなります。

今年の秋の学会は、自分で報告するよりも、「お世話する」ことが多くなりました。いくつか挙げておきます。一般聴衆向けの公開講演会も含まれますので、ご関心のある方はぜひ。

日本国際政治学会・2016年度研究大会(10月14日〜16日・幕張メッセ国際会議場)

日本国際政治学会では、任期2年間の企画・研究委員会という役を2015年から引き受けていましたが、昨年あまりに忙しくて企画を出せなかったので今年は部会企画を三つ出したところ全部通ってしまいました。そのうち二つは直接運営のお世話をしますので、作業で目が回っています(なお、内規により企画委員はパネル報告やコメントをしないのが原則なので、あくまで裏方です)。2年分のお仕事をして、無事放免される予定です。当分こういったお世話の仕事はやらないのではないかと思います。

10月14日(金) 13:00-15:30 部会2「多元的政軍関係」
司会・討論
宮本悟(聖学院大学)

報告
佐野秀太郎(防衛大学校)「21世紀における軍事組織の在り方~民間軍事警備会社(PMSC)が提起する課題」
山尾大(九州大学)「分断社会の多元的な政軍関係――戦後イラクを事例に」
吉岡明子(日本エネルギー経済研究所中東研究センター)「未承認国家の「国軍」形成における課題:イラク・クルディスタンの事例から」

討論
池田明史(東洋英和女学院大学)

 

10月15日(土) 9:30-12:00 部会7「インサージェンシーの地域比較」
討論・司会
中西嘉宏(京都大学)

報告
山根健至(福岡女子大学)「フィリピンにおけるカウンター・インサージェンシーと非国家主体の役割」
髙岡豊(公益財団法人中東調査会)「シリア紛争に伴う非国家主体の台頭:シリア北東部の事例から」
馬場香織(アジア経済研究所)「近年のメキシコにみる麻薬紛争と自警団の台頭」

討論
本名純(立命館大学)
小泉悠(公益財団法人 未来工学研究所)

 

10月16日(日) 9:30-12:00 部会8「帝国の解体と再生(サイクス=ピコ協定100周年)」
司会
浅野豊美(早稲田大学)

報告
坂元一哉(大阪大学)
「戦後日本と『帝国』再生の条件:憲法、平和条約、安保条約」
廣瀬陽子(慶應義塾大学)
「未承認国家の誕生と存続:帝国・連邦の遺産」
赤川尚平(慶應義塾大学)
「オスマン帝国の解体とイギリス外交」

討論
岡本隆司(京都府立大学)
佐藤尚平(金沢大学)

このうち上二つは「政軍関係」について、特に中東で非国家主体が大きく関わってきていることをどう捉えるか、という問題関心から企画したもので、連続性・一貫性があります。二つの部会で出てくる多くの事例から、新たな状況を踏まえた政軍関係論が立ち上がってくることを期待しています。

私自身がこのテーマを含む課題に取り組んでいるところでもありまして、企画をして様々な研究者に知見を報告してもらうことは、私個人に取っても有益であり、楽しみにしています。

また、部会8「帝国の解体と再生」も、タイトルと、括弧の中の添え書きを見れば、やはり私の最近の仕事と直接に関わっています。

これと・・・

これですね。

裏方をやって何が楽しいかというと、自分の興味のある対象について、自分ではできないことを他の人にやってもらうことができることです。

日本国際政治学会の研究大会の多くは、研究者向けですね。ただし一般向けを意識した「市民公開講座」もあります。

今年は60周年記念大会なのでひときわ規模も大きく、海外から招聘して英語パネルも多くなっています。

非会員でも登録して参加費を払えば聴くことができますが、専門的にその分野に取り組む訓練を受けたことがない人には、それほど強くお勧めしません。

専門家の間の議論の積み重ねの成果が、将来なんらかの形で一般読者の目に触れるところに来ると思いますので、その時までお待ちください。

【寄稿】『プレジデントFamily』で先端研・イスラム政治思想分野が紹介

インタビューが掲載されました。

『プレジデントFamily』2016年10月号(2016年秋号)、58-59頁

こういう形態の雑誌に載ることは少なかったので、私自身が理解を試みたうえで説明しますと、『プレジデントFamily』は、将来の大学受験に備えた小学生の子を持つ親向けの雑誌です。そのような親子をターゲットにした様々な教育・受験産業の広告も多く載っています。

今回は全体が「東大」特集で、「東大生174人の小学生時代」が総特集のタイトル。東大合格者とその親の体験談などが種々載っている中で、「世界を変える! 刺激になる『こんな研究、こんな先生』」というコーナーがあり、イスラム政治思想分野(池内研)の様子が見開き2頁で、研究室の中での写真と共に紹介されています。

私以外にはウイルス学の河岡義裕先生(医科学研究所・ウイルス感染分野)、宇宙物理学の村山斉先生(カプリ数物連携宇宙研究機構)が取り上げられています。

相手が小学生だろうが親だろうが私は手加減しないので、通り一遍の「イスラームっていいですね」という話ではなく、イスラーム教の規範が現代の国際社会の中でどのような場面で問題化されるのか、その根本を論じています。

編集部も、頑張って理解し表現しようとしてくれました。

私の写真には「願望で世の中を読み解いてはいけない」などと強烈なキャプションが大きくかぶさっています。

なお、この雑誌のホームページは、最新号表紙の写真と編集長の言などに続き、いきなり「媒体資料」「広告料金表」などが掲載されているように、教育・受験業界の広告媒体としての性質が強く出ております。要望に応じてタイアップ記事などを編集部が提案してくれるようです。

念のため、池内研は掲載してもらっても何ら利益を得るところはないので、広告料等はもちろん払っておりません。東大特集のコンテンツとして、受験生の親子と同様に、取り上げられているという形式です。

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「教育歴」を固定ページに追加しました

新年度の授業が順次始まっています。

過去の講義を振り返りながら、新しい課題を盛り込んだり、抜本的に見直したりといった作業を進めています。

この機会に、ブログに新しい固定ページ「教育歴」を加えました。ページの上部のタブのプロフィール論文単行本と並ぶ位置に設置しました。プロフィールや論文リストは代表的なもの、簡略なものだけなので、いつか時間ができたら完備したものを掲載しようかと思います(が、とても時間がありません)。現状分析など、ウェブに掲載されたものをリアルタイムで反映する仕組みをつくって、このブログを見れば私の議論についてはポータルになるようにしたいのですが、極端な忙しさに紛れて道半ばです。

これまで私は本務校としては、「学部」に勤めたことがありません。アジア経済研究所国際日本文化研究センター(大学院は総合研究大学院大学国際日本研究専攻)→東京大学先端科学技術研究センター(大学院は工学系研究科先端学際工学専攻)と移ってきており、最初のアジア経済研究所は経済産業省系の独立行政機構(JETROと統合)のため授業はなし(アジ研に付設の開発スクール(IDEAS)はありますが、私は担当していませんでした)、その後も大学院博士課程のみの研究所に勤めてきましたので、文系の研究者には珍しく、学士課程の「学部」で教えることを主たる任務とした経験がありません。

しかし、学内の学部から依頼を受けて出講したり(学内非常勤)、他の大学から依頼を受けて集中講義で出講する(非常勤講師)ことはあります。

特に東大では、先端研に着任する以前から単発で教養学部や法学部・公共政策大学院で非常勤講師をしたこともありますし、東大内に来てからは学内非常勤で文学部(大学院人文社会系研究科と合併講義)・教養学部(後期課程)で授業を担当しており、今年度は法学部・公共政策大学院でも授業を担当しています。

また、東大内のプログラムとしては、社会人向けのエグゼクティブ・マネージメント・プログラム(EMP)に、第5期から現在まで続けて出講しています。

日本では中東・イスラーム研究は中世の歴史・思想研究が中心で、特に東大ではそうなのですが、それですと学生や社会人学生の現代中東・イスラーム世界への高まる関心に応えきれないので、先端研という少し離れた場所にいる私ですが、依頼を受ければなるべくお引き受けすることにしています。

(なお、学内非常勤に報酬はありません。もともと外部から来ていただく非常勤講師にも本当に本当に微々たるお給料しかお支払いできないのですが)

本務校・所属部局以外のいろいろなところで非常勤で講師をすることを繰り返すうち、どこで何をやったかわからなくなるといけないので、授業の準備をしながら、過去の記録を引っ張り出して、整理してみました。

こうして並べてみると、だんだん進歩しているように?見えてきますがどうでしょうか。

それよりも、中東やイスラーム世界に関する世の中の関心の量と質が、この間に決定的に変わりましたね。それは中東・イスラーム世界そのものの変化に対応しています。

学問の世界がその変化に適切に手対応して行っているか、その点でも考え直す必要がありそうです。

メディアと政治の関係と、それを支えていたムラ社会の崩壊はどこまで及ぶか

これは重要なコラム。

三浦瑠璃「メディア「ムラ」は民主的に統制されるべきか?―高市総務相の放送法発言問題」『山猫日記』ブログ、2016年2月16日

浅薄な党派性や、学者業界のやっかみ、色々なゲスの勘ぐりとかは別にして、自分の拠って立つ根拠を問い直すのに有用な論説です。

メディアへの政治の介入がメディア産業大手の媒体で盛んに議論されるけれども、どこかピンとこない。

言論が不自由になっているというが、不自由になったとされる事例の大部分は、メディア産業の内部で勝手に自粛し、勝手に忖度して不自由にしているだけだ。確かに政治家の圧力はあるだろう。しかしなぜそれにメディアが脆弱になったのか?

ここで三浦さんはメディア産業のムラ社会としての崩壊あるいは弱体化を真の理由としています。

私がもっと大雑把に単刀直入に言ってしまうと、今の政治家が昔よりメディアに圧力をかけるようになったというよりは、今のメディア産業が以前より財政面でも、知的な優位性や排他性を根幹とした競争力といった存立根拠の面でも脆弱になり、その結果、政治家の顔色を伺うようになったのです。

過去の政治家なんてそれはもう、様々な恫喝を繰り返していたわけです。しかし今のように問題になることは少なかった。今の社会が右傾化したから問題になるのか?そうではありません。

今は政治家が何も言わなくても、メディア企業の現場が(特に中間管理職が)萎縮して、先回りして忖度して、企画を潰し、出演者をすげ替え、番組をなくしていく。そこが問題なのです。それはなぜなのか?

以前は政治家の圧力があまり問題にならなかった理由は、一つは、「昔はそんなことが当たり前だったから」ということもあります。昔は今よりもっと理不尽がいっぱいの世の中だったんです。だから一つ一つの理不尽はあまり問題視されなかった。昔は今よりずっと身分制社会でした。専門能力を高めても報われず、家系とか大学学歴(学校歴)と最初の就職先で決まった身分差が、徳川時代の家格差のように一生固定されて、その中でのお役目を演じていなければならなかった。男女の役割ももっともっと、もっともっともっともっと・・・固定的だった。

SNSもないから、人々はあらゆる理不尽を、黙って耐え忍ぶしかなかった。時々出てくる「コンピュータ付きブルドーザ」とか(知らない人はググってね)、最近では(もう最近ではないか)何かと官僚を土下座させて従わせた北の代議士さんとかが秩序を一時的にひっくり返してくれることに、民衆は快哉を叫んだのですが、それで大勢は変わらなかった。

もう一つは、ここで三浦さんが指摘しているように、かつては政治は政治、メディアはメディアでムラ社会があって、その中の秩序には外の介入を(ある程度)はねのけるという形で、一定の抑止力が働いていたのです。政治家の介入に対して、「相打ち」ぐらいにはできた。メディア・ムラの中の誰かが何かの番組で政治家とトラブっても、相互にクビを賭けるぐらいの重大事になると、メディアがムラをあげて擁護してくれて、喧嘩両成敗ぐらいに持ち込んでくれた。それで理不尽に飛ばされたり辞めさせられたりしても、ムラの中のどこかで処遇してもらえたのです。

これはメディア産業に限ったことではなく、土建だの鉄鋼だの銀行だの、あるいは各省庁や公営企業などにそれぞれ、業界がありムラ社会がありました。たとえば極端な話、企業が汚職で時々特捜部に挙げられても、社員を差し出して社全体あるいは上層部には累が及ばないようにした。検察を含めた政府もそれぐらいで矛を収めたわけです。社員は肝心なことに口を割らなければ、出所してからムラのどこかで人知れず処遇された。おおっぴらに復権することすらあった。国家の法すら、ムラ社会がある程度介入を阻止していたのです。

メディア産業の確保していたように見える「自由」は、自由の理念を信奉し守り抜く、意識と能力の高いジャーナリストたちによって成立していたのではありません。ムラ社会の論理でよそ者(政治家を含む)を排除していたことが、あたかも「自由」を獲得しているように見えただけです。

だからムラ社会の中で都合が悪いことについて大いに自由を抑圧して恥じない人たちが、メディア産業の構成員でいられた。そういう人がムラの中で出世した。それは専門能力ともジャーナリストとしての意識の高さとも関係なかった。偉くなった人が偉いジャーナリストと呼ばれていただけなので、昔のジャーナリストとされる人の本を読んでも、ろくなものはありません。そもそも取材力や論理的思考力なんて問われていなかったのです。「政治家の懐に入る」とか、単なる癒着です。メディア・ムラと政治ムラの入会地のような記者クラブとか待合(知らない人はググってね)で、どれだけそれぞれのムラの論理を背負って談合できるかが出世の分かれ道だったのです。

ムラ社会の崩壊は、根本はグローバル化の影響によるものです。特定の会社と、会社が属するムラ社会のしきたりに習熟しているということが、国際比較の上でさほど価値を持たないことがばれてしまったのです。ばれやすい業界から早く潰れて改組されていきました。金融のようにはっきりと海外との力の差が出る業界が先に壊れて、銀行の数はうんと少なくなりました。

金融の世界よりも国際比較がしにくい業界は、改組が遅れましたが、グローバル化がより深く広く浸透することで、やがて既存の業界ムラ社会が立ち行かなくなる時代が、業界ごとに順にやってきています。メディア業界にもついにその波が及んだのでしょう。

なお、政治の世界は、小選挙区制の導入など1990年代の前半の改革で、部分的にグローバル化の影響が及んでいます。だから政治ムラの基本構成単位であった派閥の力も弱くなり、族議員の力も弱まり、以前よりずっと少額の汚職で政治家が捕まるようになり、そして政権交代も生じたのです。

しかし政治家の汚職を、ムラ社会同士の緊張・均衡関係の微妙な間合いで暴いたり黙認したりしていたメディア産業にも、政治の動向とはひとまず関係なく、グローバル化の影響が及びます。日本語という言語障壁に守られていたので、波が及ぶのが遅れたのです。

インターネットやSNSなど情報コミュニケーション・ツールの発展と普及が、ついに日本のメディア産業にもグローバル化の影響を十全にもたらしました。海外のニュース・メディアから簡単に国内で情報を入手できるようになり、AIやクラウド的に効率的に情報が取捨選択されるようになると、そこに介在していたメディア産業の優位性は薄れます。

かつては新聞社や通信社は高い契約料を払ってロイターから記事を買っていました。テレックスからぺろぺろと出てくる紙を見て、それを元にちょいちょいと潤色して記事を書いていれば、日本の誰よりも知っているような顔をできたのです。

ところが、今やロイターも、インターネット上で英語で主要記事はほぼ全部リアルタイムで無料で公開してくれています。高い講読料を払える会社とか官庁とかに属していないと海外情報を得られないという時代ではなくなったのです。それによってメディア産業の内部にいる人の知的な比較優位は劇的に低減しました。これは金融業界どころではない暴落ぶりです。

同じように、かつては外務省の中にいて、大使館からくる「公電」を読めることが、海外事情に関する圧倒的な優位性を外交官にもたらしていました。

しかし実際にはその「公電」の大部分は現地の新聞をクリッピングしたものなので、インターネットで現地の報道をリアルタイムで見られる現在、公電を読める官僚の優位性もかなり低下しています。これはロイターとそれを後追いする特派員を置いていた新聞の優位性が崩れたのと同じ道理です。

かつては宮澤喜一さんが毎朝英字新聞を読んでいるというだけで、政治ムラでもメディア・ムラでも尊敬されていて、実際一足早く情報をつかめていたんです。信じられないですね。それではもう、外交・安全保障で欧米に負けますよね。向こうには何万人も何十万人も「毎朝英字新聞をきちっと読んでいる宮澤さん」程度の人はいるんですから(もっといるか)。逆に、欧米企業も日本市場のことを分からなかった。日本市場に入るには日本のそれぞれの業界のムラ社会を仕切る企業と組むしかなかった。

このような理由で、現在、メディア産業は、財政的にだけでなく、その根幹の知的優位性で、存立根拠を掘り崩されてしまっているのです。一般読者がインターネットを通じて情報を得てしまうことを、ムラ社会の論理で止めることはできません。特に国際分野ではそれが顕著です。外にある情報の方が一次情報に近く、国内のメディア・ムラはそれをかつて独占的に入手して翻訳して色をつけていただけだった(かえって分かりにくくしていたりした)のですが、ほぼ無料か、安価な講読料で誰でも元のソースに当たれるようになったので、「鞘抜き」をしていた業界の基盤が一気に失われてしまったのです。

このような根本的な変化による苦境に目を向けると、そもそも今いる社員の大部分はこのままでは今後のあるべき組織では必要ない、と言われてしまいかねませんので、見ないようにしたい。まずは規制の維持や税制面を含む優遇措置でなんとかムラ社会の優位性を保ちたい、と努力するわけですから、政治にこれまで以上に依存するようになります。そうなるとやたらと忖度するようになるのです。個々のメディア企業人も、クビになってももうムラの中で処遇してもらえないし、財政基盤や職業機会そのものが細っているのを知っているから、しがみつく。しがみつくために忖度する。政治家が「あれがね〜」と言っただけで「あれですね!これですね!」と忖度して打ち止めにしたり降ろしたりしてしまう。

ここまでメディアが脆弱になったんだから、ただでさえ顔色伺うんだから、政治家はあまり厳しく言わんといてくれ、口には気をつけてくれ、というのは私も思わないではないですが、 それをジャーナリスト自らが言ってしまうのは、あまりに嘆かわしいのではないでしょうか。

では、どうしたらメディア産業人が政治家の顔色を伺わないでよくなるのか、といえば、簡単な話で、個々の記者の専門能力といった根本的なところから、企業・業界の体質改善をしなければなりません。情報そのものの価値を高めて政治への依存を低めるという形で、肯定的な意味でムラ社会の崩壊を乗り越えないといけないのです。

(そのためには、大学院に来て鍛えなおしましょうよ!と大学業界に利益誘導してみる、というのはちょっと本気の冗談です。本気ですいえ冗談です)

個々の記者にはそういった努力をしている人は結構いますが、そうでない人を守るのがムラ社会の論理であり、そうでない人の方が数としては多いのが世の常でしょう。これまでやってきたこと、自分が築き上げてきたものを否定することはつらいものです。できれば逃げ切りたい。

でも、もう逃げ切れないんじゃないかな・・・ということを、すでに多くは気づいているんでしょうが、なおも認めてはいない。認めるということこそが、ムラ社会の掟を破ることだから。多くが気づいているんだけれども、認められないでいる。

こういう状態は、政治学・社会科学的にはかなり研究されています。そして、どこかで閾値を超えたときに、大きな変化が起こることも知られています。閾値がどこかは、変化が生じてみないと分かりません。それは社会科学の限界です。

しかしおおよそ言えることを挙げておくと、一つには世代交代が影響を与えるでしょう。頑固にムラ社会を守ってきた上の世代が退き、若い世代はもう「逃げ切れない」と感じて、ムラ社会の既存秩序の維持にコミットしなくなる。その時に大きな変化が訪れるでしょう。

ただ、お神輿と同じで、本当にどうしようもずっしりと重くなるまでは、担いでいるフリをする人が多いですから、誰もがいつ逃げ出せばいいかわからない。でも気づいた時には、全員が担いだフリをしているだけになって、突然ドカンと神輿が落ちてしまう。

私自身は、萎縮や番組改編をめぐって今現在特に話題になっているテレビ、あるいは日本では戦後の長い自民党支配の下で政策によって産業構造的にテレビと不可分になっている新聞を主とするメディア産業だけでなく、その一部とも言えるが、部分的に重なる別の産業とも定義次第では言える出版産業もまた、大きな変化が生じる閾値の限界まできていると感じています。それは日々のやりとりで、「あ、ここ危ないな」と感じる、私の勘に過ぎませんので、杞憂であってくれることを望みます。でも取次とかどんどん潰れているということは、従来の形の流通が立ち行かなくなっているのでしょう。取次から回収できないで損失を被っている出版社も多いでしょう。幾つかの出版社を採算度外視で支えてくれていたスポンサー企業も、それがメディア産業であれば、苦しくなっているでしょう。

たとえ今年や来年に危機が現実化しなかったとしても、それは危機を回避した、乗り越えたということではなく、破局が先延ばしになっているだけではないか、むしろなんらかの無理な外在的な支えによって、あるべき再編が先延ばしになり、将来にもっとひどい状態になってからギブアップするのではないか、とも危惧します。その時こそ、メディアは「第二の敗戦」と自らのムラ社会の終焉を報じるのでしょうか(そもそもその時に残っているメディアとはどういうものなのでしょうか)。

さて、メディアと出版に一定程度関係があり、部分的に依存している面がある大学という産業も、グローバル化の波を受け続けています。末端の教員の質や授業の内容などでは、2−30年前とは大きく変わっている部分があります。留学が一生に一度の「洋行」だった時代とは異なり、日々の研究・調査で常に外国の最先端の議論に触れ、やり取りすることが可能になった現在、個々の研究者は、その最先端では急速にグローバル化していることを、付き合いのある同世代の研究者たちの動きや成果を見て感じます。近年の大学改革議論が、そういったグローバル化の波を受けなかった時代に教育を受けた官僚や企業人、旧来の基準で評価され本を出し重用されてきた人たちによって主導されていることを、私は危惧します。

同時に、「学部の自治」という日本の固有の慣習や、国際的な基準をある程度取り入れた「研究者の相互評価(ピア・レビュー)」「学者の終身任用制(テニュア)」によって、大学内には一定の連続性が保たれているとともに、それが実態上は単に学者の世界のムラ社会の支配を温存させるだけで、学的卓越性の向上には繋がっていない場面もしばしば見かけます。しかし外部から改革圧力をかけることが、それらのムラ社会を一層頑なにし、ムラ社会の異分子を排除して縮小均衡を図ることに終わり、「改革者」は偽りの「成果」を手に天下っていく、といった残念な結果に終わりかねないことも予感しています。大学は政治による介入とは根本的に相容れないところがあります。

長い話になってしまいましたが、私が本当に言いたかったことはこの最後の部分なのかもしれません。メディアと政治の関係の変貌に、日本型ムラ社会の崩壊を見る三浦さんの視線は、もしかすると、おそらく、いや、きっと大学というムラ社会の基礎が掘り崩されていることも、見通しているのではないか。

三浦さんとはお会いしたことがありませんが、大学のムラ社会での登用という意味ではさほどプラスにならないどころか害になりかねない、先例のない大胆な形式で世の中に影響を与える大々的な言論活動に踏み切った三浦さんの発言には時折、いやしょっちゅう、何かを考えさせられます。

日本政治については実はそれほど関心がない私にとって、むしろ三浦さんの立っている場所と、そこから可能になる視点が気になります。「研究員」という、大学世界の内側を知っているアウトサイダーの立場からは、大学という世界にも、ムラ社会の存立根拠の溶解が進行していることがもっともっと明らかに見えており、完全にその中に入ってコミットする価値が、少なくとも三浦さんの立場からは感じられない、という程度のものになっているのではないか。

そして、大学というムラ社会の弱体化を一定の距離を置いて見る視点からこそ、メディアと政治の関係も、一歩引いてムラ社会の崩壊の余波として見ることができるのではないか、と。

もしかするとこれは今現在の私の関心事に過ぎないのであって、三浦さんのメディア政治論から多くを読み取り過ぎているのかもしれませんが。

【歳時記】秋は学会

あんまり研究者の生活って知られていない気がする。

前回は、私の事例から「海外渡航」はどのようなペースでやっているのか、それが基本的な、「調べて書く」という作業とどう噛み合うのか噛み合わないのかについて書きました。これは個人差があり、専門分野によって大きく相違があります。私のスケジュール自体が毎年変わりますので、私というそれほど一般的ではないかもしれない研究者のある年の一例を出したまでですが、私は当分このようなペースで仕事をしそうな気がします。

今回は「学会」について。今回もまた、私のスケジュールに基づき、個人的な「歳時記」のように記して、大まかなイメージを持ってもらえればいいかな、と思います。(今年中、今年度中にあと何ができるか、何をすべきかについて目下のところ整理中のため、こんな内容のブログポストが続きます)

「学会」って言葉は安易に使われることもあるけれど、学会で、本筋としては何が行われているか、ということについて、一般にはあまり知られていない。専門の研究者にとっては当たり前のことなので、あえて初歩から書く人はあまりいない。しかしSNSなどで素人が「学会」に言及しているのを見ると、あまりに実態とかけ離れた認識があるようだ。

また、そのような一般読者の誤った学会像に影響を受けて記事を書く大手紙・誌の慣れてない記者までも出てきて、いっそう混乱を広めることすらあるので、このブログでも時折、実際に研究者はどこで何をしているのかについて、あえてミクロの視点で書いておきたい。

たとえば「学会ボスを囲む派閥の飲み会での陰口」の次元での評価とか(最近はそれが匿名SNSアカウントに漏れ出す)、「学会有志」の集団での何やら高みに立った政治的発言とかも、それが実際に研究資源の配分の場になっていたり、権力を行使する経路になっている以上、「学会」の活動であると言えないこともないが、それは本来の学会の機能や仕組みとは違いますよね。

学会は、通常は、本来なら、「研究発表」の場ですね。予算とかは直接学会を通して動くことはあまりありません。

学会とはもっと純粋に、大会で発表したり、学会誌に寄稿したりするためのものです。それを運営する際にはお金とか権力が発生しないこともないですが、たいしたことはありません(「学会で有力」という触れ込みを他所で使ってそれらを手にする人はいますが、学会としては関知しないのが原則です)。

よくある怪しいサプリなどの広告のように「学会で発表された」というのはそれだけではたいした意味を持ちません。それではどうなれば意味ある学説なのか、というと、これはそう単純ではない。ただし、確実に言えることは、「偉い人がお墨付きをしてくれたから正しい」ということにはなりませんし、そのような正しさを判定できる「偉い人」という主体は、学会内にはありません。実力者とか権力者っていうのはどこの社会にもいるわけで、そういうのは多くの学会にいたりしますが、その「実力」「権力」は、学説の正しさとは無関係であり、日頃の別種の努力の賜物です。それを学説の正しさと混同するかどうかは、本人およびそれを受け止める側の問題です。

重要なのは、学会の大会や学会誌で発表されたものが、その後どれだけ事実によって検証され証明されるかです。正しい知見を世の中に成立させる、一つの重要なプロセスとして学会発表や学会誌はあります。このプロセスは万能ではありませんし、一つ一つの行いはそれほど目立たず、報告や論文は時に間違ってすらいるものですが、それらを発表する場を確保して、適切に集合知を集め検討する場を提供し続ければ、やがてはそこから何かが生み出されます。しかし集合知が集まらないような制約を、権威主義や学閥等によって課せば、学会は面倒なだけで役に立たないものになります。

・・・といった学会の機能とその機能を発揮させるための条件を踏まえて、研究者は学会にほどほどに付き合うのがいいのではないでしょうか、というのが私の姿勢です。

ですので、私としては、学会での報告や寄稿が多い年と、そうでない年が交互にくるぐらいがちょうどいいと思っています。

2013年度は集中的に学会誌に寄稿していました。その成果を一般読者でも読めるようにコンパクトな新書に落とし込んだのが『イスラーム国の衝撃』(文春新書)でした。

今年度は大会報告が多い年になりそうです。秋の学会シーズンが始まっていますが、今後の発表の日程のうち、明確に「学会の研究大会」と謳った場所での報告は、以下のものになるでしょうか。

池内恵「中東の安全保障環境の激変と日本の関与」日本国際政治学会2015年度研究大会・共通論題「日本の安全保障―戦後70年からどこに向かうのか―」2015年10月31日(仙台国際センター、大会期間10月30−11月1日)

池内恵「拡大と拡散ーーグローバル・ジハードの展開の二つのモード」日本防衛学会平成27年度(秋季)研究大会・部会2「IS:イスラム世界の蠢動」2015年11月28日(防衛大学校、大会期間11月27日ー28日)

池内恵「オバマ政権の中東政策ー「アラブの春」とグローバル・ジハードに直面して」国際安全保障学会2015年度年次大会・部会4「オバマ政権の外交・安全保障政策再考」2015年12月6日(慶応義塾大学・三田キャンパス、大会期間12月5−6日)

「共通論題」や「部会」というのは、日本の学会の仕組みでは学会の企画委員会などが企画したパネルに依頼されて発表するというものです。理工系では「招待講演」というものにあたるようです。私は国際安全保障学会や日本防衛学会の会員ではありませんが、部会や共通論題で依頼を受けた時には報告することができます。

もちろん学会に入っていれば、公募に答えて応募してパネルを組んで、研究大会で発表することもできます。私は日本国際政治学会では自分が参加している研究プロジェクトのパネルを立てて報告したかったのですが、自分自身が企画委員会の委員である上に、共通論題の報告を引き受けてしまったので、同一あるいは連続する大会での複数回報告の禁止に引っかかってできませんでした(発表の機会をより多くの会員に開くためです)。

実際には、学会の研究大会と銘打っているものだけでなく、随時開かれているさまざまな研究会に呼ばれて発表するのが私の日々の主な仕事です。非公開の研究会で、自説を専門家の間に広めつつ、検証してもらい、そこから多くを吸収するのです。ただそれらは非公開なので、ブログ等で公表することはあまりありません。もう少し広い聴衆へ向けた講演などは、講演録・議事録が公開されることもあります。それらも重要な仕事です。

2013年度と2015年度の間の2014年度は、表向きは学会誌への発表は少なかったのですが(学会発表はありました)、むしろ学会誌の編集委員会の委員として編集のお手伝いをしたことが、記憶に残っています。そのうち一つが、日本国際政治学会の『国際政治』の編集委員会書評小委員会、というもので、委員会で議論していると、いつしか、私の興味を持った本やテーマについて、力の入った書評優れた書評論文が発表されるといった形で、間接的に集合知の形成に関われたりもするので、やりがいがあります。ただ、けっこう手間がかかって面倒ですけれども。

今年度・来年度は日本国際政治学会の企画委員も仰せつかっているので、いろいろ考えないといけませんが、中東の変化が激しすぎてそちらに取り組んでいるとちょっと頭が追いついていきません。いろいろご迷惑おかけしています。

理事(戦略研究学会)とか評議員(日本中東学会)といった役職を拝命している学会もありますが、支配的な立場には一切立っておりません。基本的には私は役職が似合う人間ではなく、皆さんもそれを分かっているので、「企画屋」としてスポットで呼ばれることが多いです。しかし私に企画を立てる時間もなくなると、懲罰で私が登壇させられたりしています。

「学会発表をしていなければ研究者ではない」とは言い切れませんが、あんまり長い間離れていると、やはり頭が錆びついてきます。一般メディアで根拠なく「大先生」のように扱われているうちに、知りもしない分野について語ることが当たり前になってしまう人を見ますが、「こんな内容をその専門の学会で話せるか?」と内省して自制してくれたらいいと思います。最近は学会もヘタレたものが出てきて、客寄せになるならといい加減な人を特別講演で読んだりすることもあると聞きますが、感心しませんね。学会は地味にやればいいんです。

それとやっぱり国際学会でも定期的に発表するようにしていないと、勘が鈍りますね。日本の機関のお膳立てで行く講演はあまりこの意味では役に立たないので、アウェーでの学会に応募して行くのが一番です。すごく緊張します。

【年末に向けて棚卸し】海外渡航の概要(2015)

あまりに忙しくて、今やること、先にやるべきこと、やるべきでないかもしれないがやらなければならないことなどが混乱していて回らなくなっている。

自分への整理のために。今年何をしていたのだっけ、と振り返る。

研究にはインプットとアウトプットという性質を異にする段階があり、しかも複数のテーマについて並行して考えているので、あるテーマについてのインプットを行いながら、別のテーマについてのアウトプットを出すべく踏ん張っていたりして、もともとバランスを保つのは難しい。

大学内にある「附置研究所」の所属なので研究が中心といえども、大学の中の各学部からの講義の依頼を受けると引き受けているので、普通の教師としての任務も多くなっている。授業はある時間、ある場所に固定するというコミットメントが必要なので、研究のインプット・アウトプットの作業の最適化を時に制約することがある。

その合間に海外に行く。よく「しょっちゅう現地に行かれるんですか?」と聞かれるが、地域研究をやっている人間にはイラっとくる質問だろう。地域研究者が経歴のある段階で「現地」に行くことは重要で不可欠だが、ある程度方向性を固めてからは、むやみに「現地」で見聞きしたことをそのまま書いたり話したりはしない。そんな簡単な問題ではないということが分かるようになるからである。現地で感じる新鮮な驚きのようなものを常に忘れてはならないが、「現地の現実」はそう簡単に、ちょっと行ってきたぐらいで見いだすことはできないし事実として確定して表現はできない。そのことにある段階で気づかなければ、ほとんど地域研究者失格と言っていい。だから素人の質問に「イラっ」とするのである。また、口々に皆そう訊くので、困ったことである。

実際には、海外出張に行っているときのほうが、忙しくないとも言える。会議であれば会議に集中するしかない。現地調査であれば、比較的自分の自由になる時間を最初から作っている。日本にいる時よりも自分のペースで仕事ができる。

ただ、海外にいる間は日本での仕事は止まるので、行く前と、帰ってからとてつもなく忙しくなる。月に一度ぐらい海外に行っていると、日本にいる間はきわめてせわしなくなる。

私の今年の課題はインプットよりアウトプットであり、そのためには日本にいて、かつ事務仕事や細々とした仕事に煩わされずに研究室にこもる時間をどれだけ作れるかが勝負である。そのためには、緊張する海外での仕事は刺激になるとはいえども、アウトプットの量を阻害しているのではないかという気がして常に不安である。もちろん海外でのやり取りやそこから自然に生まれるインプットは将来の仕事の質と量を支えるのだが。インプットをやめれば将来に制約要因となるので、苦しくとも行き続けるしかない。

今年は例年に比べて、海外渡航が多かった年ではない。どちらかというと、アウトプットを出そうと極力日本にいたが、それでも短期出張が飛び飛びに入ってしまった、といった具合の年だった。中東の現地調査をやりにくい国が増えてしまったこともあり現地渡航がそれほど多くなかったが、塵も積もればといった具合に海外渡航の数が重なった。年初からの海外渡航の記録を振り返り、3月の年度末までの今のところ入っている予定だけでも見てみよう。

2015年
1月 アメリカ合衆国(ニューオーリンズ)
2月 チュニジア(チュニス)
6月 アラブ首長国連邦(アブダビ)
8月 ドイツ(ミュンヘン)、ロシア(ウラジオストク)
9月 イギリス(ロンドン)
11月 インドネシア(ジャカルタ)
12月 アメリカ合衆国(ワシントンDC)

2016年
1月 プエルトリコ(サンファン)、カタール(ドーハ)
2月 イギリス(ロンドン)、中東某国

こう一覧にしてみると、中東の現地調査と欧米での学会・会議発表、それにちらほらと東南アジアやロシアも入ってきていたりする。プエルトリコは学会発表です。

1月には、7日のシャルリー・エブド誌襲撃事件と、20日の日本人人質殺害脅迫映像の公開の間に、アメリカで学会発表に行っていたのを思い出す。ちょうどその日に『イスラーム国の衝撃』が発売された。

1月20日の殺害脅迫映像で始まったこの事件が、2月1日の陰惨な結果に終わった後、予定通りチュニジアに調査に行った。その翌月、チュニスのバルドー博物館へのテロが起き、チュニジアへの攻撃と動揺が表面化した。

3月から5月は、新学期の立ち上げと同時に、人質事件への検証委員会というものに入って忙殺されていた。それが終わったころにアブダビに行ったが、その間にもクウェートやチュニジアでのテロなどがあって緊張した。

その後は、会議・学会・会議・・・という感じの短期出張の繰り返しですね。行って帰ってきて時差を直すだけでなく、書類なども大変だ。

しかしこうして渡航日程を見ると、私の年代の似たような仕事をしている研究者の中では、決して多い方ではないと思う。

どうも、国際問題に関して一般書であまりにも研究業績に基づかない発言を繰り返す論者が「学者」であるかのような誤解が広まってしまったため、実際に国際問題を扱って議論をするならどのような生活をしていなければならないかがあまり理解されていないような気がする。

私の適性に対応してそれほど会議の依頼が多くはこないのと、今年は特に、執筆のために、私自身が意識して海外渡航を減らしてしているがゆえにこの程度で済んでいる。

海外に行っていない月は、これは日本での職業上の制約からまったく行けないから行っていないのです。大学で教えていると学期中に海外に行くのはもともと大変だが(先端研という職場は特殊に自由にしてもらっています)、学期初めの4・5月などはまあよほど無理をしないと行けないですよね。

同世代の活躍している国際政治学者は、もっと頻繁に海外に行っている。近年は、アカデミックな教育を受けた人間が日本を代表して話すことが以前よりも強く求められる。またその意味がようやく理解されてきたこともあり、日本から送り込む人間が求められている。そういった選考にどこかで引っかかってきて依頼が来ると、日程が調整可能で、テーマが私に対応できそうなものであれば、極力対応している。しかしあくまでもアウトプットの邪魔をしない限りにおいてである。

また、依頼・招待ではない英語での学会発表は年に何回かは自発的にやることにしています。不利な条件下で、前提が全然違う人たちに向けて話すことは訓練になりますからね。また、世界中の、同じ問題について異なることを考えている人たちと会うことができます。

私は「会議屋」(この言葉は自嘲気味に使われることもあるが、ここでは肯定的にそういった能力を捉えている)としての適正な訓練を受けていないので、国際会議での発言は見よう見まねであり、できればより適性がある人に回したいという仕事も多い。問題はあまり適正のある人が多くないので、私などにも多く仕事が降ってきてしまう。適性のある人が多くないという事実については、教育の問題でもあり、教育にも最近は少しずつ携わるようになった人間として、やがては若干の責任も負うことになるかもしれない。今のところは、上の世代のツケが回ってきているということをひしひしと感じる。

しかし、教育は社会の需要がないことについては成果が出ない。社会はそもそもどのような人材を求めるべきか、という次元から問題提起をしていかなければならないのかな。

今日は少し取り止めのない話になってしまった。年の暮れが迫ってくると、今年の仕事の棚卸しをしながら、来年を考えるようになる。

先端研のキャンパス公開(6月5日〜6日)

先端研公開2015
今年も東大・先端研のキャンパス公開が行われます。6月5・6日。金曜日と土曜日です。

私は6月6日(土)午前の、御厨・牧原先生のイベントにちょこっと出演する予定。詳細は先端研ウェブサイトの特設ページで順次更新されていきます

(関係ないが、関西圏で「先端研」とグーグル検索すると立命館の方が出てくるのね)

ブログも本も完成途上

工事進行中

刊行を遅らせている本の構成を思いっきり改造中。

ブログも改造中です(こちらはエンジニアに任せてあります)。

余談ですが、偶然録画が取れていた「情熱大陸 山口晃」を逃避して見てしまった。

個展に未完成の来迎図が展示されて、個展の開催終了まで描き続けても終わっていない(笑)。

しかし大作が完成してスポットライトを浴びて例の音楽が流れて大団円、なんてことは実際の画家の生活にはないのだろうから、情熱大陸のカメラの前だからこそ、意図してか無意識にか、完成途上を演じ続けたかのように見えてくる。密着取材そのものが「戯作」か。

そう思ってしまうのも、この人の場合はこれまでに積み上げてきた実績があるからだろう。駆け出しの新人が個展に未完成のものを出すわけにはいかない。

東大出版会のPR誌『UP』は巻末の「すゞしろ日記」だけ読んでいる人も多いと聞く。

画質はあんまりよくないけれど、この回はYouTubeのMBS公式チャンネルでも見られるようだ

刺さった言葉。

「仕上がっていないのは当人の力量の話だと思っていますけれども、ええ」
「仕上げると、だいたい、塗り絵になっちゃうもんですから」
「かといって塗らないと途中に見えるんで・・・」

今年の桜

休日の先端研。

うららかな陽気。

先端研2015_0418

気がついたら桜は散っていた。緑の枝が風にそよいでいる。気持ちがいい。実は動画も撮ってみました。鳥の鳴き声が入っています。

先端研2015年4月

大正時代からの建物と、現代建築が並存する先端研・生産研。

左側は原広司設計。生産研の先生でもあったんですね。

何か見覚えがあると思う人がいるかもしれません。原広司は京都駅ビルの設計者。時期もほぼ同じです。

今年は3・4月に何をしていたのか思い出せない。おそらくひたすら講演や研究会報告のために移動しながら、分秒を争って部屋の中でずっと原稿を書く作業をしていた。気づいたら先端研の満開の桜を見逃してしまった。

去年のをどうぞ

去年も忙しかったが、4月はちょうど桜の季節に、一瞬だけ時間が空いて、これを撮ったのだった。

昨年は3月末にかけてばたばたっと論文が出たのでした。それまでが大変だった。しかしそれがあったので、2014年の暮れには今度はすごい速さで『イスラーム国の衝撃』を書くことができた。

今年は苦しい積み上げをもう一度、やり直さないといけない。できるのか。

生産研下2015_04_18

駒場の教養学部のキャンパスに本を買いに行った。八重桜はまだ咲き誇っており、深まる緑とのコントラストが目に優しかった。

駒場I_八重桜_2015-0418

駒場I_八重桜2_2015_0418

駒場_日本民藝館2015_0418