コメント『産経新聞』1月9日朝刊

シャルリー・エブド紙襲撃事件について『産経新聞』1月9日朝刊に掲載されたコメントを下記に再録します。インターネット上では前日夜に公開されていたものです。

なお、普通に読めばわかるように、私は移民を抑制しろなどとは言っていません。価値観の根本的な相違が露わにされると、移民の抑制論への支持は一層高まるだろうという予測を記しているだけです。すでにフランスにしてもイギリスにしても、中道右派と左派のいずれも移民抑制論に転じており、「どう抑制するか」の手法で争っている(そもそもどうしたら抑制できるのか分からない)段階ですので、これは予測というほどでもなくて、すでに定まった趨勢がより強まるだろうと言っているだけです。今すでにいる人を政策的に排斥するという話ではありません。

なお、人道的な理由での難民受け入れは、大規模に行い続けているので、「西欧が偏狭になった」といった議論は行き過ぎと思います。それを言ってしまうと日本は「昔も今も変わらずものすごく偏狭」の一言で終わってしまいます。難民も移民も原則受け入れていませんので。「受け入れに限界がある」と言っただけで「排斥だ」と言われてしまう西欧の基準は、ダブルスタンダードがあちこちにあっても、やはり非常に高いものがあります。そのような基準を設定してかなり実現しているところから西欧の指導力が生まれていることは認めざるを得ません。

もちろん例えばイギリスの移民問題に関する学会の一定の人たちが、移民抑制に向かう保守党・労働党双方を(もちろんそれ以外の極右政党も含めて)「移民に対して否定的になった」と批判するのは、それは個人の思想信条の自由です。そういった移民問題の研究者が、実際に移民社会の一部が公然とシャリーアの施行を要求することがどれだけ深刻な意味を持つのか、ホスト社会にとっても受け入れ難いのか、という点をまともに論じません。

移民の「過激化」(といっても多くはシャリーアの施行を要求している「だけ」ですが)に影響を及ぼすイスラーム教の政治イデオロギーをまともに受け止めていることはほとんどありません。まるでイスラーム政治思想は「誤謬」であって、そのようなものを信じるのは何かの過ちであり、一部の過激な狂信者だけであり、そのような狂信に追い込む原因は、社会や政治問題であると説くのです。それはかなり無理をした(おそらく間違っていることがやがて証明される)仮説に過ぎません。

実際には、シャリーア施行を要求する「過激派」の人の大部分は「え?故郷のパキスタンでもやっているだけのシャリーア施行ですよ?イスラームは普遍なんだからイギリスでも施行しないといけないに決まっているじゃないですか。しかもウチのあたりの街区なんて住民の9割以上ムスリムなんだから、施行して当然ですよね?そこに住んでいる少数派の人の方がわれわれに従うべきなんですよ」と言われて愕然、というところから「多文化主義は失敗した」「移民を制限しよう」という話になっているのに、こういった問題意識を持つ人を全て「極右だ」と言ってしまっては話がややこしくなっています。また、シャリーアの施行を主張する人はイギリスの多数派の考えからは「過激派」「狂信者」「ならず者」に見えるのかもしれませんが、コミュニティでは「宗教に熱心な人」ということになる。

こういった厄介な現実を伝えるイギリスのメディアを、全部「イスラモフォビア」と言って本を書いていた日本の研究者もいた。

そういう研究者は、「シャリーアの施行は当然だ」「イスラーム教が中傷されたら戦うのが義務だ」と考える人が存在するということが信じられないか、都合が悪いから言わないだけです。単に全く知らないという場合も多い。合理的な説明要因の外にあるとされる宗教的思想が政治的選択・行動の要因であると議論することは、ある種の学問を欧米でやっている人からいうと、やりにくい、評価されないという問題が背後にあります。そういった微妙なところを、外部の日本人の研究者がイギリスとイスラーム世界の両方を見て指摘してあげればいいのだが、普通はイギリスの研究者に従属して受け売りしているだけの人が大多数。で、先方の学界動向が変わると、日本の研究者の次の世代が出てきてまたそれを受け売りする。悲しき近代。

日本は逆に、文化本質主義が強すぎて、思想(あるいは漠然と「歴史」)と行動との関係を一直線で捉えすぎな一般的な風潮がありますが、欧米の現在の社会科学系学会では思想を政治的な選択の決定要因として取り入れることには強い抵抗があります。しかしそれも、長い歴史から見れば、一時的に、過度に合理的選択を強調していた時代だったと振り返られることになるでしょう。学問なんてそんなものです。現実によって反証されて、発展していくんです。

さて、下記がコメント本文です。

「西洋社会に拒絶感、移民抑制も」『産経新聞』2015.1.8 20:45

 ■東京大学准教授、池内恵(いけうち・さとし)氏の談話

 今回のテロ事件により、西洋社会は、これまでなるべく直視しないようにしてきた問題に正面から向き合わざるを得なくなるだろう。すなわち西洋近代社会とイスラム世界の間に横たわる根本的な理念の対立だ。

 西洋社会において、イスラム教徒の個人としての権利は保障されているが、イスラム教徒の一定数の間では神の下した教義の絶対性や優越性が認められなければ権利が侵害されているとする考え方が根強い。真理であるがゆえに批判や揶揄(やゆ)は許されないとの考えだ。

 一部の西側メディアは人間には表現の自由があると考え、イスラムの優越性の主張に意図的に挑戦している。西洋社会は今後も人間が神に挑戦する自由は絶対に譲らないだろう。それがなくなれば中世に逆戻りすると考えているからだ。

 根本的な解決を求めれば結論は2つ。イスラム教に関してはみなが口を閉ざすと合意するか、イスラム世界が政教分離するかだが、いずれも近い将来に実現する可能性は低い。

 ただ現実的にはこうした暴力の結果として表立ったイスラム批判は徐々に抑制されるだろうし、イスラム教徒の間に暴力を否定する動きも出る。それによる均衡状態だけが長期的にあり得る沈静化の道筋だろう。

 西洋社会は、個々の人間は平等という理念に従い多くの移民を受け入れてきた。だが、こうしたテロにより、一定数のイスラム教徒が掲げる優越主義への拒絶感が高まり、中東などからの移民受け入れが抑制される可能性もある。

パリのテロは「イエメンの」アル=カーイダの広めたローン・ウルフ型ジハードの実践例

1月7日のシャルリー・エブド紙襲撃殺害事件は、ゆるいつながりを持つ人物による警官殺害事件を惹起した。両方の犯人たちは、人質を取って別々の場所に立て籠もった(後者の犯人はユダヤ教徒向けスーパーを占拠して人質17人を取った)上で、1月9日、特殊部隊の突入と銃撃戦により死亡した

突入の経緯といった現地でしかわからないことについてはここでは論じない。重要なのは、すでに明らかになってきている背景や原因である。

立て籠もりの最中に、それぞれの犯人が報道機関と通話した記録が出ている。この事件が実際に何であったか、背景や原因は何かは、実際の犯人に関する情報を元に議論しなければならない。下記の記事などは最初の手がかりになる。

“French forces kill newspaper attack suspects, hostages die in second siege,” Reuters, Fri Jan 9, 2015 7:28pm EST.

シャルリー・エブド紙襲撃殺害事件では、犯行の目撃者から、犯人が「イエメンのアル=カーイダ」の一員だと自称したというニュース(「仏テロ犯が「イエメンのアル=カーイダ」と称したという情報」2015/01/08)があった。

立て籠もり中の外部のメディアとの通話記録でも、イエメンのアル=カーイダとの関係を主張している。弟の方のシャリーフ・クワーシー容疑者が、イエメンに行ってアンワル・アウラーキーから資金提供を受けたと語っている。イエメン系アメリカ人のアウラーキーは2011年9月に米軍の空爆により死亡しているので、直近のことではない。スリーパー・セル的にフランスに戻され、数年間の潜伏により捜査機関の監視が薄れた後に、なんらかの指示を受けたか、あるいは自発的に、今回の犯行を起こした可能性がある。

一方、ユダヤ教徒向けスーパーに立て籠もった後続の警官殺害事件犯アミーディー・クーリバーリーの方は、メディアとの通話で、「イスラーム国」に対するフランスの軍事行動の停止を要求した。シャルリー・エブド紙への襲撃犯と過去に電話連絡をしていたと認めると同時に、直近には電話していないとも言っているので、それが事実なら、緊密な連携というよりは、知り合いの犯行をメディア上で知り、「呼応」して後に続いたものと言える(通話の全文のアラビア語訳、AFPの配信)。

「イエメンのアル=カーイダ」との関係についての国際メディアの報道が日本で翻訳され翻案される過程で、「イエメンの」という部分の意味は捨象されていた。ここにも英語圏メディアと日本の情報力の差は著しい。

「イエメンのアル=カーイダとの関係」という情報に対して日本では「アル=カーイダなんですね、テロなんですね、ビンラーディンなんですね」と反応してしまうのだが、世界標準では報道機関もウェブでの議論も「イエメンの」に反応する。

イエメンのアル=カーイダすなわち「アラビア半島のアル=カーイダ(AQAP)」は、イエメン国内で武装蜂起や領域支配を狙っているとともに、世界各地でのローン・ウルフ型テロを雑誌『インスパイア』で明示的に、詳細に、扇動してきた。「イエメンの」と聞いた瞬間にピンときて、ローン・ウルフ型のジハードの手法が実践されたのではないか、と仮説を立てて裏を取っていくのが、世界標準のジャーナリストと報道機関の基本動作だ。日本では8日や9日の段階でこれらの情報に適切に反応できる報道機関は一つもなかった。

事件の本筋はグローバル・ジハードの思想が実践に移されたというところにある。「欧米社会がムスリムに冷たい」などという点を犯行の直後から活発に議論する情緒的(かつ極めて危険な暴力黙認の)反応が日本ではかなり大きく、人間が権威に屈従せず、暴力の脅しに怯まず発言していくという意味での言論の自由(「報道の自由」「言論の自由」を言論機関に属する人や、インターネット上で「自由」を享受する人々が理解していない事例を数多く見聞きしたので、ここであえて説明をつけておいた)に対する決定的な挑戦であるという点を語れる論客・ジャーナリストがほとんど見られなかった。これは先進国のメディア・言論空間で日本に特有の現象であることを知っておいたほうがいい。

なお、こういった指摘に対しては、「何が悪いんだ日本は最高だ。欧米中心主義はもう古い」と言い出す人たちが右翼にも左翼にもいることは承知している。

日本は右傾化しているのではなく、内向化し、夜郎自大になり、かつそれぞれの勢力や組織が硬直化し、組織に属する一人一人が失点を恐れて萎縮し、帰属集団の漠然とした「空気」の制裁を恐れて各人が発言をたわめているだけである。そのような社会では「言論の自由への挑戦」が深刻に受け止められないのは当然だろう。そのような自由を、国家の介入にも宗教権力の圧力にもよらず、各個人が内側からすでに放棄しているからである。おそらく、すでに捨ててしまっているものに対する挑戦の存在は認識できないのだろう。

なお、私は絶望はしていない。日本は国家や宗教規範が発言と思考を縛っているのではないため、個人のレベルで自由を獲得することはまだ可能だ。日本では社会の同質化圧力による言論統制が非常に強いこと、それによる弊害によって、社会が国際情勢を認識し判断する能力において、先進国の中で落ちこぼれやすいことを自覚した個人が、今後道を開いていってくれるものと信じている。その意味では、日本は自由にも「格差」が生じる社会となるだろうと予想している。

(ちなみに、欧米社会は弧が確立していない人には等しく冷たいですよ。イスラーム教徒よりも、生暖かい帰属社会を求める日本人の留学生や駐在者の方がつらいのではないかな。イスラーム教徒は、住んでいる社会がどうであろうと神の下した真理を自分は信奉している、と信じて揺るがないがゆえに、様々な異なる環境で自己を確立して居場所を切り開いていく。生暖かい同情など期待していない。また、日本社会は冷たいどころかよそ者を有意義な規模で受け入れていないので、日本の言論空間に瀰漫する、フランスに対する妙な優越心、無根拠な「上から目線」がどこからくるものか判然としない。外部の視点からは、それは結局テロの暴力を背景にして欧米に対して優位な立場に立ったような気分になっているものとすら見られかねない)

イエメンのアル=カーイダの影響を受けたローン・ウルフ型のテロであれば、一定期間の間に連鎖することがあっても、物理的には小規模な銃撃や爆破となるだろう。短期的には社会的緊張を強いられるものの、体制を揺るがすような暴動や社会秩序を崩壊させる武力紛争に発展するとは考えられない。本質はテロであり、イラクとシリアでのイスラーム国や、イエメンでのAQAPのような領域支配や大規模な紛争に至るものではない。

ただし、これに刺激され、世界各地のアル=カーイダ系の組織が同様にローン・ウルフ型テロを呼応して指令する動きが、競って行われる可能性があり、当面は最高度の緊張が続くだろう。

そのような次元で考えた上で「不安を煽ってはいけない」と言える。不安を煽ってはいけないということは、犯人の信念や動機を、それがイスラーム教の教義の特定の(それなりに有力で根拠のある)部分に根ざしているということを報じたり論評してはならないということではない。このことを報道機関も言論人も、ウェブ空間で不用意に実名で勇ましく威嚇的発言を行う素人論客も理解していないようである。実態を知るから適切な対処策を決めることができ、落ち着くことができる。事実を知らせなければデマを否定する根拠が得られない。

グローバル・ジハードの理論は、先進国で分散的に各個人・小組織がテロを行うことを推奨する(同時に、アフガニスタンや、現在のシリアやイラクのような途上国の紛争地では大規模に武装し組織化して聖域とすることを目指している)。先進国での小規模の、相互に組織的関連が薄いテロの頻発により、見かけ上は「現象」として大きな運動があるように見えるが、個々の事件の規模は軍事的には小さい。象徴的な意味を持つ暗殺によって威嚇効果を高め、メディアの関心を集め、社会的な動揺をもたらすことが主要な効果である。そのような実態を見極めた上で、暴力に対処できる体制を整え、連鎖的な事件を封じ込めていく必要が有る。

シャルリー・エブド紙事件の犯人のイエメンでの訓練歴については欧米の政府当局からの情報が1月8日には報道されている。
Mark Hosenball, “Suspect sought in Paris attack had trained in Yemen – sources,” Reuters, WASHINGTON Thu Jan 8, 2015 5:19pm EST.

Eric Schmitt, Michael S. Shmidt and Andrew Higgins, “Al Qaeda Trained Suspect in Paris Terror Attack, Official Says,” JAN. 8, 2015.

1月9日にはイエメンの政府当局からも犯人のイエメンでAQAPに訓練を受けたことを認める発言が出ている。

Mohammed Ghobari, “Exclusive: Paris attack suspect met prominent al Qaeda preacher in Yemen – intelligence source,” Reuters, SANAA, Fri Jan 9, 2015 8:24am EST.

1月9日には、AQAPが犯行声明ではないが、犯人とのつながりを認め、事件を称揚する発言を行っている。

Sarah EL Deeb, “Al-Qaida member in Yemen says group directed Paris attack,” Associated Press, Cairo, Jan 9, 5:02 PM EST.

これらの情報から、現時点では、今回の事件は、イエメンのAQAPがローン・ウルフ的なジハードへのイデオロギー的なインスピレーションを与え、訓練と資金提供の面で過去に支援したというところまでは、明らかになってきているといえよう。AQAPが直接的に指令した組織的犯行であるかどうかは、現時点では分からないが、密接な指揮命令関係がない可能性もある。そうなれば、特定の組織を追い詰めるだけでなく、過激派の間に共有されているイデオロギーとその根拠として用いられている教義をどう批判し影響力をなくすかが、対処上の課題となる。

仏テロ犯が「イエメンのアル=カーイダ」と称したという情報

仏シャルリー・エブド紙へのテロ事件について、3人の襲撃犯のうち10代の一人が投降したようですが、主犯とみられる30代の二人(指名手配されているCherif Kouachi 32歳とSaid Kouachi 34歳)は逃走中のままです(CNNでこの兄弟のプロフィールをまとめています)。

本日のエントリに加えてもう一点。

犯人の背景についてはまだ確定的なことは言えませんが、一つ気になる情報は、銃撃の際に犯人のうち二人が自分は「イエメンのアル=カーイダの一味だ」と言ったという話です。真偽の程は定かではありませんが、興味深い情報です。

“Terrorists shouted they were from al-Qaeda in the Yemen before Charlie Hebdo attack,” The Telegraph, 7 Jan 2015.

「二人」というのは30代の兄弟のことなのか。

「イエメンのアル=カーイダ」というのは、おそらく、一般に「アラビア半島のアル=カーイダ(AQAP)」と現在呼ばれている組織のことを指します。イエメン南部で勢力を確保している組織で、アル=カーイダの中枢とも最も関係が深い、後継組織の一つと言えます。ビン・ラーディン自身が、家系がイエメン系ということもあり血縁や支持基盤を持っています。また、サウジ政府との武力闘争に敗れた「アラビア半島のアル=カーイダ」がイエメンに逃れ、2009年1月に「イエメンのアル=カーイダ」と合同してAQAPを結成したことから、サウジ人の活動家を多く含んでいます。

今回の犯人はフランス育ちでアルジェリア系と見られます。この場合、「イエメンのアル=カーイダ」あるいはAQAPに過去や現在属していたり接触があった可能性もありますが、それだけでなくAQAPが発信したグローバル・ジハードの思想、特にローン・ウルフ型テロの扇動に感化されている可能性があるのではないかと考えます。

AQAPはイエメンの政府や国内の諸勢力と軍事的な対立を続けるだけでなく、グローバル・ジハードの拠点となり発信源となる意志を明確にしている組織です。

グローバル・ジハードの活動として有名なのは、英語の機関紙『インスパイア』を刊行していることです。

これについては次の論文に詳細に書いてあります(リストの上から二番目の論文)。

池内恵「一匹狼(ローン・ウルフ)型ジハードの思想・理論的背景」『警察学論集』第66巻第12号、2013年12月、88-115頁

ローン・ウルフ型のテロをグローバル・ジハードの思想と組織論において定式化したのはシリア出身のアブー・ムスアブ・アッ=スーリーですが、スーリーの著作の主要部分の英訳を(テロ対策研究者による英訳を無断引用して再録しているのですが・・・)、『インスパイア』は連載して掲載しています。2013年のボストン・マラソン・テロの際も、犯人の兄弟のうち生き残った弟が、『インスパイア』を読んだと供述したと報じられています(下記の分析は無料公開中)。

池内恵「「ボストン・テロ」は分散型の新たな「グローバル・ジハード」か?」『フォーサイト』2013年4月25日

スーリーの原理論については、下記の論文などで書いてあります。

池内恵「グローバル・ジハードの変容」『年報政治学』2013年第Ⅰ号、2013年6月、189-214頁

池内恵「「指導者なきジハード」の戦略と組織」『戦略研究』第14号《戦略とリーダーシップ》、戦略研究学会、2014年3月20日、19-36頁

このような前提を踏まえると、もし「イエメンのアル=カーイダだ」と自ら称したという情報が事実なら、イエメンに直接渡航して組織に入っていたのではなく/だけではなく、イエメンのAQAPの発信するローン・ウルフ型の「個別ジハード」の思想(スーリーが定式化した)を実践したと言っていた可能性があります。

なお、「イスラーム国」の戦闘員がシャルリー・エブド紙へのテロを礼賛したという記事もあります。

仏週刊紙テロ:イスラム国戦闘員「勇敢な戦士、最初の一撃」『毎日新聞』2015年01月08日東京夕刊
「ロイター通信によると、過激派組織「イスラム国」の戦闘員は「預言者を冒とくした者への報復だ」と述べ、仏週刊紙襲撃事件を正当化した。戦闘員はロイターに対して「勇敢な戦士たちによる最初の一撃だ。さらに攻撃は続く」などと銃撃を評価。有志国連合によるイスラム国への空爆に参加するフランスを「十字軍の一員」とみなし、「攻撃されるに値する」などと主張した。」とのことです。

この話と、犯人が「イエメンのアル=カーイダ」への所属なり過去の関係なりを主張した(もし事実であれば)ことは、私が考案している理論上は、大いに両立します。「イスラーム国」としては、直接つながりがない組織の行動を支持して、もし犯行当事者が「イスラーム国」への加入や忠誠や支持を表明すればそれはそれでいいし、そうでなくとも、グローバルなジハード運動の一部としてエールを贈りあっているだけでも十分です。

アル=カーイダと「イスラーム国」はどう違うのか、とよく聞かれます。もちろん違いはありますが、思想的には多くの部分で共通しています。組織として路線対立や別系統の指導者に従っているということと、理念的に同じような体系の中にいるということは両立するのです。組織が違うから考え方も違うはずだと前提にする必要はありません。

「アル=カーイダがAで、「イスラーム国」は非Aである」という答えを、「池上彰」的にみなさん求めたがりますが、物事がそんなきれいに分けられるはずがありません。

実際には、アル=カーイダも「イスラーム国」も、より大きな「グローバル・ジハード」という概念の中にあると考える方が適切です。「グローバル・ジハード」の思想と運動の中にA, B, C,と様々な形態がある。それらの形態の中を、個々のジハード主義者は情勢に応じて渡り歩くと考えたほうが現実的です。そこにはある共通性と限られた範囲の幅がある。スーリーのような理論家は、それを一方で「個別ジハード」とし(客観的に見ると「ローン・ウルフ」型のテロ)、他方でイラクやシリアのような「開放された戦線」への結集と概念化した。そういった幾つかの行動類型や組織を、個々のジハード主義者が、置かれた状況や、流行や雰囲気などに応じて選び取っていく。

ある一つの事件について、一つのアル=カーイダ系組織と直接・間接のつながりがある一方で、「イスラーム国」(の中の特定の人物や組織)が共感を示したり、場合によっては「我々の一味だ」と主張することは、それほど予想外ではありません。両方ともグローバル・ジハードの一部だという暗黙あるいは自明の認識があるので、当人たちは特に不都合を感じないのでしょう。分析したり報道したり捜査したり起訴したりする側としては、どれか一つのはっきりとした組織に属していてくれた方が楽ですが、現実には対象はそのようなものではありません。

なお、『イスラーム国の衝撃』も、このような視点で書かれています。「イスラーム国」そのものや、イラクやシリアそのものも重要ですが、その背後にある「グローバル・ジハード」こそが今とらえるべき対象で、その一つの形態が「イスラーム国」であり、その活動の機会がイラクやシリアである、ということです。そのような見方をしておくと、イラクやシリア、イエメンやソマリアやナイジェリア、そしてフランス、イギリス、ベルギー、オーストラリア、カナダなどで生じてくる幾つかの異なる形態の現象が、統一的に一つの現象として理解できるようになりますし、今後何が起こってくるかも、概念的には把握できます。そこから適切な対処策も考え始めることができます。

コメント『毎日新聞』にシャルリー・エブド紙へのテロについて

フランス・パリで1月7日午前11時半ごろ(日本時間午後7時半ごろ)、週刊紙『シャルリー・エブド』の編集部に複数の犯人が侵入し少なくとも12人を殺害しました。

この件について、昨夜10時の段階での情報に基づくコメントが、今朝の『毎日新聞』の国際面に掲載されています。

10時半に最終的なコメント文面をまとめていましたので、おそらく最終版のあたりにならないと載っていないと思います。
手元の第14版には掲載されていました。

「『神は偉大』男ら叫ぶ 被弾警官へ発泡 仏週刊紙テロ 米独に衝撃」『毎日新聞』2014年1月8日朝刊(国際面)

コメント(見出し・紹介含む)は下記【 】内の部分です。

【緊張高まるだろう
池内恵・東京大准教授(中東地域研究、イスラム政治思想)の話
 フランスは西欧でもイスラム国への参加者が多く、その考えに共鳴している人も多い。仮に今回の犯行がイスラム国と組織的に関係のある勢力によるものであれば、イラクやシリアにとどまらず、イスラム国の脅威が欧州でも現実のものとなったと考えられる。イスラム国と組織的なつながりのないイスラム勢力の犯行の場合は、不特定多数の在住イスラム教徒がテロを行う可能性があると疑われて、社会的な緊張が高まるだろう。】

短いですが、理論的な要点は盛り込んであり、今後も、よほどの予想外の事実が発見されない限り、概念的にはこのコメントで問題構図は包摂されていると考えています。

実際の犯人がどこの誰で何をしたかは、私は捜査機関でも諜報機関でもないので、犯行数時間以内にわかっているはずがありません。そのような詳細はわからないことを前提にしても、政治的・思想的に理論的に考えると、次の二つのいずれかであると考えられます。

(1)「イスラーム国」と直接的なつながりがある組織の犯行の場合
(2)「イスラーム国」とは組織的つながりがない個人や小組織が行った場合。グローバル・ジハードの中の「ローン・ウルフ(一匹狼)」型といえます。

両者の間の中間形態はあり得ます。つまり、(1)に近い中間形態は、ローン・ウルフ型の過激分子に、「イスラーム国」がなんらかの、直接・間接な方法で指示して犯行を行わせた、あるいは犯行を扇動した、という可能性はあります。あるいは、(2)に近い方の中間形態は、ローン・ウルフ型の過激分子が、「イスラーム国」の活動に触発され、その活動に呼応し、あるいは自発的に支援・共感を申し出る形で今回の犯行を行った場合です。ウェブ上の情報を見る、SNSで情報をやりとりするといったゆるいつながりで過激派組織の考え方や行動に触れているという程度の接触の方法である場合、刑法上は「イスラーム国」には責任はないと言わざるを得ませんが、インスピレーションを与えた、過激化の原因となったと言えます。

「イスラーム国」をめぐるフランスでの議論に触発されてはいても、直接的にそれに関係しておらず、意識もしていない犯人である可能性はあります。『シャルリー・エブド』誌に対する敵意のみで犯行を行った可能性はないわけではありません。ただ、1月7日発売の最新号の表紙に反応したのであれば、準備が良すぎる気はします。

犯行勢力が(1)に近い実態を持っていた場合は、中東の紛争がヨーロッパに直接的に波及することの危険性が認識され、対処策が講じられることになります。国際政治的な意味づけと波及効果が大きいということです。
(2)に近いものであった場合は、「イスラーム国」があってもなくても、ヨーロッパの社会規範がアッラーとその法の絶対性・優越性を認めないこと、風刺や揶揄によって宗教規範に挑戦することを、武力でもって阻止・処罰することを是とする思想が、必ずしも過激派組織に関わっていない人の中にも、割合は少ないけれども、浸透していることになり、国民社会統合の観点から、移民政策の観点からは、重大な意味を長期的に持つでしょう。ただし外部あるいは国内の過激派組織との組織的なつながりがない単発の犯行である場合は、治安・安全保障上の脅威としての規模は、物理的にはそう大きくないはずなので、過大な危険視は避ける必要性がより強く出てきます。

私は今、研究上重要な仕事に複数取り組んでおり、非常に忙しいので、新たにこのような事件が起きてしまうと、一層スケジュールが破綻してしまいますが、適切な視点を早い時期に提供することが、このような重大な問題への社会としての対処策を定めるために重要と思いますので、できる限り解説するようにしています。

現状では「ローン・ウルフ」型の犯行と見るのが順当です(最近の事例の一例。これ以外にも、カナダの国会議事堂襲撃事件や、ベルギーのユダヤ博物館襲撃事件があります)

ただし、ローン・ウルフ型の犯行にしても高度化している点が注目されます。シリア内戦への参加による武器の扱いの習熟や戦闘への慣れなどが原因になっている可能性があります。

ローン・ウルフ型の過激派が、イラクとシリアで支配領域を確保している「イスラーム国」あるいはヌスラ戦線、またはアフガニスタンやパキスタンを聖域とするアル=カーイダや、パキスタン・ターリバーン(TTP)のような中東・南アジアの組織と、間接的な形で新たなつながりや影響関係を持ってきている可能性があります。それらは今後この事件や、続いて起こる可能性のある事件の背後が明らかになることによって、わかってくるでしょう。(1)と(2)に理念型として分けて考えていますが、その中間形態、(2)ではあるが(1)の要素を多く含む中間形態が、イラク・シリアでの紛争の結果として、より多く生じていると言えるかもしれません。(1)と(2)の結合した形態の組織・個人が今後多くテロの現場に現れてくることが予想されます。

本業の政治思想や中東に関する歴史的な研究などを進めながら、可能な限り対応しています。

理論的な面では、2013年から14年に刊行した諸論文で多くの部分を取り上げてあります。

「イスラーム国」の台頭以後の、グローバル・ジハードの現象の中で新たに顕著になってきた側面については、近刊『イスラーム国の衝撃』(文春新書、1月20日刊行予定)に記してあります。今のところ、生じてくる現象は理論的には想定内です。

豪立て籠もり犯は「一匹狼」型の模倣犯・呼応犯か──黒旗は別物です

12月15日朝から、オーストラリア・シドニー中心部のリンツ・ショコラ・カフェでの立て籠もり事件は、つい先ほど、現地時間16日午前2時ごろ(日本時間午前1時頃)までに、治安部隊が突入して鎮圧したようで、事件そのものは終結に向かっている。

犯人はイランからの難民として渡航したMan Haron Monisと特定されている。

Australian hostage taker named as Iranian refugee charged with assault, Reuters, Dec 15, 2014 10:23am EST

オーストラリアは中東からの移民社会の規模が大きくなり、統合の不全や一部の過激化により社会不安と摩擦を引き起こすようになっている。過激化した説教師とその信奉者が問題視される事例が、特にシリア内戦への義勇兵を輩出し始めてから、増えている。

今年9月には、「イスラーム国」に共鳴して、オーストラリアで人質を取り、公開斬首を行ないビデオ撮影をして流通させる計画が発覚し、大規模摘発が行われ、有罪判決も出ている。

“Terrorism raids carried out across Sydney, Brisbane,” The Sydney Morning Herald, September 18, 2014.

“Public beheading fears: Tony Abbott confirms police believed terrorists planned ‘demonstration killings’,” The Sydney Morning Herald, September 18, 2014.

“Terror raids: 800 police and two men charged,” The Sydney Morning Herald, September 18, 2014.

“Terror raids: Recruiter Mohammad Baryalei behind Islamic State plot to murder Australians, police say,” The Sydney Morning Herald, September 19, 2014 .

“Terrorist conspiracy: five Sydney cell members lose conviction, sentencing appeals,” The Sydney Morning Herald, December 12, 2014.

今回の事件の真相は現段階では分かりようがないが、「追いつめられた」と意識した、従来から破壊衝動や反社会的行動を抱えていた個人が暴発した可能性がある。

昨日深夜に帰宅して民放ニュースを確認した限りでは、日本の報道では「黒旗」に注目が集まり、「イスラーム国」との関連は?といった切り口で報じられていたが、おそらく「イスラーム国」との直接的な関連はない。

むしろ、この旗を見る限り、直接の関係はない、呼応犯・模倣犯ではないかと推測される。

豪立て籠もりと黒旗3
出典:The New York Times

だから重要ではないかというと、そうではなく、むしろ、現在のグローバル・ジハードは、直接の関係がない組織や単独犯が勝手に、自発的に、「個別ジハード」を行なって社会に脅威認識を与えるところを重要な要素としている、という点は口を酸っぱくして説明してきた。

今回の黒旗を見て「イスラーム国」か?関連は?という議論は的外れで、むしろ正反対にこの種の黒旗しか持ち出していないということは、直接シリアやイラクから指令されたとは考えにくい、と即座に判断できる。

黒旗の種類と由来については、下記エントリを見ていただきたい。

「「イスラーム国」の黒旗の由来」(2014/10/04)

今回の事件で犯人が人質らに掲げさせた黒旗に白く染め抜かれているのは「シャハーダ」と呼ばれるイスラーム教の信仰告白。「アッラー以外に神はなし、ムハンマドはアッラーの使徒なり」という定型の文言を良く知られた書体で記してある。

イスラーム国だとその下にムハンマドの印章をあしらったシンボルマークが記されるが、今回の旗にはない。脱出した人質によると、犯人の交渉条件の一つが「イスラーム国の旗を持ってこい」だったという情報もあるが、これが本当であれば、かなり間抜けな話だ。

印章なしの黒旗は、国際的なイスラーム主義組織「イスラーム解放党(ヒズブ・タハリール)」が用いてきたことで知られますが、ビン・ラーディンが主導したアル=カーイダも用いてきました。しかし近年、アル=カーイダの「再ブランド化」の試みが進む中で、アル=カーイダとの関係を有する組織の旗でも、印章が付いたものが増えています。「イスラーム国」に参加していない組織でも、この印章付きの黒旗を掲げることはよくあります。

逆に、イスラーム国と組織的つながりがあれば、印章なしの黒旗をあえて掲げることはないでしょう。

役に立つのがこの記事。

“Flag being held by Lindt Chocolat Cafe hostages is not an Islamic State flag,” The Sydney Morning Herald, December 15, 2014.

この記事では、各種のイスラーム組織で使われる黒旗を、比較対照した写真を載せてくれています。

豪立て籠もりと黒旗1
豪立て籠もりと黒旗2

この記事では、専門家の端的な発言が引用されています。

“If this was centrally organised from Syria or Iraq they would not be using that flag.”
(シリアかイラクの中枢から組織されたのだったら、この旗は使わないだろう)

私もそう思いますが、「イスラーム国」に勝手に共鳴してやった、正確な旗すら用意していなかった、という犯人が出てくることは、それはそれで危険です。

印章なしの「旧バージョン」の旗はオーストラリアの過激化した若者の間に広まる兆しがある。例えば、9月23日に警官二人を刺して射殺された犯人アブドルヌウマーン・ハイダル(Abdul Numan Haider)は、フェイスブックに黒旗を掲げた写真を投稿していたことが分かった。

最新の流行のムハンマド印章付きの旗を手に入れたかったができなかった、という程度の犯人であれば組織的な背景はなさそうだが、暴発する「ローン・ウルフ(一匹狼)」型テロの脅威を再確認した形だ。

【寄稿】『文藝春秋』12月号にて「イスラーム国」をめぐる日本思想の問題を

今日発売の月刊『文藝春秋』12月号に、「イスラーム国」をめぐる日本のメディアや思想界の問題を批判的に検討する論稿を寄稿しました。

池内恵「若者はなぜイスラム国を目指すのか」『文藝春秋』2014年12月号(11月10日発売)、第92巻第14号、204-215頁

文藝春秋2014年12月号

なお、タイトルは編集部がつけるものなので、今初めてこういうタイトルだと知りました。内容的には、もちろん各国の「若者」の一部がなぜ「イスラーム国」に入るのかについて考察はしていますが、若者叩きではありません。むしろ、自らの「超越願望」を「イスラーム国」に投影して、自らが拠って立つ自由社会の根拠を踏み外して中空の議論をしていることに気づけない「大人」たちへの批判が主です。

*井筒俊彦の固有のイスラーム論を「イスラーム教そのもの」と勘違いして想像上の「イスラーム」を構築してきた日本の知識人の問題

*「イスラーム国」が拠って立つイスラーム法学の規範を受け止めかねている日本の学者の限界はどこから来るのか(ここで「そのまんま」イスラーム法学を掲げる中田考氏の存在は貴重である。ただしその議論の日本社会で持つ不穏な意味合いはきちんと指摘することが必要)

*自由主義の原則を踏み越えて見せる「ラディカル」な社会学者の不毛さ、きわめつけの無知

*合理主義哲学と啓示による宗教的律法との対立という、イスラーム世界とキリスト教世界がともに取り組んできた(正反対の解決を採用した)思想問題を、まともに理解できず、かつ部分的に受け売りして見当はずれの言論を振りかざす日本の思想家・社会学者からひとまず一例(誰なのかは読んでのお楽しみ) といったものを俎上に載せています。すべて実名です。ブログとは異なる水準の文体で書いていますので、ご興味のある方はお買い求めください。 「イスラーム国」「若者」に願望を投影して称賛したり叩いたりする見当はずれの「大人」の批判が大部分ですので、これと同時期に書いたコラムの 池内恵「「イスラーム国」に共感する「大人」たち」『公研』2014年11月号(近日発行)、14-15頁 というタイトルの方が、『文藝春秋』掲載論稿の中身を反映していると言っても良いでしょう。 『文藝春秋』の方は12頁ありますが、これでも半分ぐらいに短縮しました。

*「イスラーム国の地域司令官に日本人がいる?」といった特ダネも、アラビア語紙『ハヤート』の記事の抄訳を用いて紹介している。もっと紙幅を取ってくれたら面白いエピソードも論点もさらに盛り込めたのだが。 おじさん雑誌には、おじさんたちの安定した序列感によるページ数配分相場がある。それが時代と現実に合わなくなっているのではないか。 原稿を出してやり取りをする過程で、これでも当初の頁割り当てよりはかなり拡張してもらいました。しかしそれを異例のことだとは思っていない。まだ足りない、としか言いようがない。 はっきり言えば、このテーマはもうウェブに出してしまった方が明らかに効率がいい。ウェブを読まない、日本語の紙の媒体の上にないものは存在しないとみなす、という人たちはもう置いていってしまうしかない。なぜならばこれは日本の将来に関わる問題だから。 国際社会と関わって生きている人で「日本語の紙の媒体しか読みません」という人はもはや存在しないだろう。 私としては、『文藝春秋』に書くとは、今でも昔の感覚でいる人たちのところに「わざわざ出向いて書いている」という認識。 なぜそこまでするかというと、ウェブを読まない、しかし月刊誌をしっかり読んでいる層に、それでもまだ期待をしているから。少なくとも、決定的に重要な今後10年間に、後進の世代の困難な選択と努力を、邪魔しないようにしてほしいから。 時間と紙幅と媒体・オーディエンスの制約のもとで、その先に挑戦して書いていますので、総合雑誌の文章としては、ものすごく稠密に詰め込んでいます。多くの要素を削除せざるを得なかったので、周到に逃げ道を作るような文言は入っていない。 それにしても、この雑誌の筆頭特集は、年々こういうものばかりになってきている。 「特別企画 弔辞」(今月号)に始まり・・・ 世界の「死に方」と「看取り」(11月号) 「死と看取り」の常識を疑え(8月号) 隠蔽された年金破綻(7月号) 医療の常識を疑え(6月号) 読者投稿 うらやましい死に方2013(2013年12月号) これらがこの雑誌の主たる読者層の関心事である(と編集部が認識している)ことはよく分かる。よく分かるが、こればかりやっていれば雑誌に未来がない、ということは厳然とした事実だよね。 今後の日本がどのようにグローバル化した国際社会に漕ぎ出していくのか、実際に現役世代が何に関心をもって取り組んでいるのかについて、もっとページを割いて、掲載する場所も前に持っていかないと、このままでは歴史の遺物となってしまうだろう。 その中で、芥川賞発表は誌面に、年2回自動的に新しい空気を入れる貴重な制度になっている。 しかし普段取り上げられる外国はもっぱら中韓で、それも日本との間の歴史問題ばかり。朝日叩きもその下位類型。基本的に後ろ向きな話だ。 そのような世界認識に安住した読者に、国際社会に実際に存在する物事を、異物のように感じとってもらえればいいと思って時間の極端な制約の中、今回の寄稿では精一杯盛り込んだ。 15年後も「うちの墓はどうなった」「声に出して読んでもらいたい美しい弔辞」「あの世に行ったら食べたいグルメ100選」とかいった特集をやって雑誌を出していられるとは、若手編集者もまさか考えてはいないだろうから、まず書き手の世代交代を進めてほしいものだ。 しかし『文藝春秋』の団塊世代批判って、書き手の実年齢はともかく、どうやら想定されている読者は「老害」を批判する現役世代ではなく、団塊世代を「未熟者」と見る60年安保世代ならしいことが透けて見えるので、これは本当に大変だよなあ、と同情はする。

【寄稿】『ウェッジ』11月号に、グローバル・ジハードの組織理論と、世代的変化について

「イスラーム国」のイラクでの伸長(6月)、米国の軍事介入(8月イラク、9月シリア)、そして日本人参加未遂(10月)で爆発的に、雪崩的に日本のメディアの関心が高まって、次々に設定される〆切に対応せざるを得なくなっていましたが、それらが順次刊行されています。今日は『ウェッジ』11月号への寄稿を紹介します。

池内恵「「アル=カーイダ3.0」世代と変わるグローバル・ジハード」『ウェッジ』2014年11月号(10月20日発行)、10-13頁

11月の半ばまでの東海道新幹線グリーン車内で、あるいはJRの駅などでお買い求めください。

ウェッジの有料電子版にも収録されています。

また、この文章は「空爆が効かない「イスラム国」の正体」という特集の一部ですが、この特集の記事と過去の別の特集の記事を集めて、ブックレットのようなサイズで電子書籍にもなっているようです。

「イスラム国」の正体 なぜ、空爆が効かないのか」ウェッジ電子書籍シリーズ「WedgeセレクションNo.37」

電子書籍に収録の他の記事には、無料でネット上で見られるものもありますが、私の記事は無料では公開されていません(なお、電子書籍をお買い求めいただいても特に私に支払いがあるわけではありません。念のため)。

なお、『週刊エコノミスト』の電子書籍版に載っていない件については、コメント欄への返信で説明してあります。

今日のアンワル

さて、昨日から参加しているマレーシアでの会議なんだが、今日がメインの講演などが行われる日。

しかしホスト役のアンワル・イブラヒムをめぐる政治的裁判のウォッチングが主たる関心事になりかけている。

アンワルは朝に最高裁に出頭しなければならなくなったので会議のスケジュールも大いに乱れた。

会議が行われているのはクアラルンプールの西に隣接したセランゴール県のペタリン・ジャヤ(Petaling Jaya)という新興住宅地のようなところ。イオンとか伊勢丹も入っている大規模モール(1 Utama City Centre)の中のホテルが会場になっている。

裁判の方はクアラルンプール南方の行政都市プトラジャヤ(Putrajaya)で行われているので、そっちからアンワルが帰ってくるのを待つために会議のスケジュールは大幅に乱れた。だらーんと待ってました。

今日結審するかもと言われていたので報道も詳しくなった。しかし判事に何らかの不都合があったとかで明日までやることになったようだ。

法廷に入る。

Anwar’s Appeal: Proceedings to be continued tomorrow, The New Straits Times, 3 November 2014.

アンワル出廷11月3日

出てきた。
Anwar’s Appeal: Judges praised by Anwar, The New Straits Times, 3 November 2014.

アンワル法廷から出てくる

後で聞いたところによると、在職中はアンワルを弾圧する側に回っていた判事が退職したので被告側の弁護士に雇っているらしいです。

Anwar’s Appeal: PKR members deliver speeches, The New Straits Times, 3 November 2014.

Anwar’s Appeal: “Arrest Anwar”, chants Saiful’s supporters, The New Straits Times, 3 November 2014.

しかし記事を読んでみると、法廷で争われている内容は非常にくだらない。

Anwar’s Appeal: Male Y DNA obtained lawfully, The New Straits Times, 3 November 2014.

まあこういうことを延々とやって政敵を弱らせるのが目的なんだろうね。「くだらない」と書けないのは報道の自由がないのか、新聞が党派的なのか。だぶんどっちもなのだろうと思うが。

アンワルが帰ってくるのに合わせて午後のパネルを遅らせて・・・

着席。開始。

アンワル着席

このパネルのキーノートはスリン・元タイ外相・ASEAN事務総長。タイ南部マレー半島のパッタニー県出身のムスリム。演説うまい。ハーバード出。

スリン講演

そしてアンワル登壇。下手をすると最後の公式演説になってしまうのか。

アンワル演説

アンワルの政治漫談炸裂。

アンワル退席

終わると支持者たちに囲まれる。

ヌールルイッザ

娘さんのヌールルイッザさんも国会議員。

動員をかけられていたようで、アンワルの演説の時だけいっぱい地元の大学生(大半が女子)が詰めかけ、終わったら帰っちゃった。

というわけで予定よりもはるかに遅い時間にはじまった、私など外国人の研究者が出るパネル(司会は白石隆先生でした!!)ではぐっと聴衆が減っていた。おかげで気楽にしゃべっていました。

軍の政治からの分離など、インドネシアの民主化の経緯はちゃんと勉強しなければと思いつつできていない。エジプトはインドネシアで10年かかったことを1年でやろうとして失敗した感じ。勉強させていただきました。

7時前にやっと終わってぐったり。休む間もなく公式ディナーへ。

アンワル最後の晩餐

自由席だったので私もずうずうしくメインテーブルに席をゲットして至近距離で密着。

手前はトルコのダウトウル首相の首席補佐官。

写っていないが私の左側はスリンさんでした。こっちもタイでクーデタがあって、既存の政党政治家が一斉に排除されたのでロンドンにいることが多いようです。

「刑務所ではこれは食えないからな」みたいなジョークを言いながら残さず食べていたアンワル。ちなみにメインは巨大なラムチョップでした。

上に挙げたAnwar’s Appeal: Male Y DNA obtained lawfullyという記事によると、主任検察官が「明日結審する可能性はあるが、どうかな(Shafee said that it was possible for the case to be wrapped up tomorrow, but he doubted so.)」と言っているとのことなので、まだまだ裁判も伸びるかもしれません。そもそもずっとこうやっていやがらせし続けて消耗させるのが主たる目的の裁判なのだろう。

その割には政権は選挙でどんどん弱くなっているので、いやがらせの効果は疑問だが。

アンワルがマハティールと骨肉の争いを始めたのが15年前。50代前半の生きのいい政治家だったのが今や67歳になってしまった。

非民主的体制を維持することで費やされる機会費用の大きさを感じさせる一日でした。

アンワルどうなる

「イスラーム国」日本人渡航計画騒ぎで10月のスケジュールは壊滅。

ひと月で原稿を4万字ぐらい書きました。時間的にも体力的にも墜落寸前まで行きましたが、ぎりぎりで大方終え、連休は会議のため日本脱出。少し休ませていただきます。

マレーシア・クアラルンプール行き。

ASEANシフトの一環です。恐れと憎しみが向かい合う欧米・中東を逃れて希望のアジアへ(ドミニク・モイジ『「感情」の地政学――恐怖・屈辱・希望はいかにして世界を創り変えるか』の受け売り。クーリエでの国際政治を読み解く10冊でも実は入れておきました。全部リストアップしてしまうと版元に悪いのでブログには書かなかったけれど)。

成田2サテライトJAL

中東に行くにはスターアライアンス系か湾岸系に乗るので、ほとんど行ったことのないことのないターミナル2のサテライトへ。JALは久しぶり。マレーシアやオーストラリアにはANA自社運航便がないんですね。

成田KLフライト1

上空は晴れ渡っていい気持ち。

成田KLフライト2

雲にもいろんな形がある。

窓閉めて、書評の〆切りが来ているイスラーム金融関連の本を読みながら(←マレーシアに行く途中で読むと気分が乗る)・・・

気づくと窓の下には・・・

マレーシアKL椰子1

もしかしてニッパ椰子?

金子光晴だ!

赤錆〔あかさび〕の水のおもてに
ニッパ椰子が茂る。
満々と漲〔みなぎ〕る水は、
天とおなじくらゐ
高い。
むしむしした白雲の映る
ゆるい水襞〔みなひだ〕から出て、
ニッパはかるく
爪弾〔つまはじ〕きしあふ。
こころのまつすぐな
ニッパよ。
漂泊の友よ。
なみだにぬれた
新鮮な睫毛〔まつげ〕よ。
〔以下略〕(金子光晴「ニッパ椰子の唄」より)

でもよく見ると妙に列になって生え揃っているし、沼沢地よりは地面も堅そうなので、ニッパ椰子ではなくて普通の椰子を植林したのかもしれん。まあいいか。
マレーシアKL椰子3

再び「ニッパ椰子の唄」より

「かへらないことが
最善だよ。」
それは放浪の哲学。
ニッパは
女たちよりやさしい。
たばこをふかしてねそべつてる
どんな女たちよりも。
ニッパはみな疲れたやうな姿態で、
だが、精悍なほど
いきいきとして。
聡明で
すこしの淫らさもなくて、
すさまじいほど清らかな
青い襟足をそろへて。
金子光晴『女たちへのエレジー』 (講談社文芸文庫)より

・・・・注釈をつけると金子光晴は、今なら若干メンヘラ気味と言われたかもしれない詩人の森三千代とくっついたり離れたりしながら将来の見えない放浪の旅を続け、こういった詩を書きました。

せっかくだからここで、金子光晴の破れかぶれ放浪自伝を、『マレー蘭印紀行』に加え、「三部作」の『どくろ杯』『ねむれ巴里』『西ひがし』を挙げておこう。



さて、空港に到着。お隣のゲートは、今年さんざんだったマレーシア航空機。

KL空港マレーシア航空機

タクシーでホテルに付いたらすぐにレセプション。

今回の主役はこの人(分かる人には分かるすごく偉い先生も写っています)。

アンワル1

アンワル・イブラヒム元マレーシア副首相。

ムスリム学生運動を指導して、マハティール首相に取り立てられ政権入り。後継者に指名されていたが、1998年のアジア通貨危機をきっかけにした内政危機でマハティールと決裂。

後継者に任命してくれたマハティールは一転、徹底的にアンワルを攻撃するようになり、それ以来、同性愛とか職権乱用とか、まあ普通に考えて濡れ衣だろうな、と見られる嫌疑をかけられては投獄され、風向きが変わると出てきて活動を再開する、という形でやってきて、今も裁判を続けている。

しかし野党を率いて、昨年5月の総選挙では総得票数では与党を超えるまでに伸長して、ナジブ政権を追い詰めている。

アンワル2

今回の会議は、絶妙に、マレーシア内政の政争にぶつかってしまった。蒸し返された「同性愛疑惑」裁判でアンワルに禁固刑の判決が下り、それに対する最高裁への上告審が先週10月28日から始まり、明日本人が最高裁に出廷して最後の弁論をし、それでも上告が棄却されて判決が確定すると、明後日にも収監されてしまうかもしれないという危機的状況にあります。

「「同性愛行為」事件でアンワル氏の審理開始 マレーシア最高裁、収監も」『産経新聞』2014年10月28日

この裁判の動向は各国で注目されていますが、とりあえずガーディアンから。

Anwar Ibrahim begins appeal against sodomy conviction, The Guardian, 28 October 2014.

アンワル出廷

政府寄りなのでまったく公平とは言えませんが(そもそものマハティールとの決裂以来ひたすら「疑惑」をかけられているという経緯を書いていない)、マレーシアの英字紙The New Straits Timesで、与野党の最近の法廷内・法定外での闘争の細かいところを押さえると、

Chronology of Datuk Seri Anwar Ibrahim’s sodomy trial, The New Straits Times, 27 October 2014.

Tension mounts as supporters of Anwar, Saiful camp, The New Straits Times, 29 October 2014.

Anwar’s appeal enters third day, defence continues with submission, The New Straits Times, 30 October 2014.

Anwar sodomy appeal: Prosecution to begin submission tomorrow, The New Straits Times, 30 October 2014.

アジアで政治家をやるのは大変です。それでも中東よりずっと平穏な気もしますが・・・

主役が会議の最終日には収監されてしまいかねないという劇的な展開になっております。

詩とか読んでノスタルジーに耽って一休み、という訳にはいかないようです。

最終日は本来は、イスラーム世界の民主主義の現状について、会議の結果を宣言文にして出す計画なのですが、別種のマレーシア内政に関わる政治的声明を出さねばならなくなってしまうのか。

欧米系のNGOが会議を仕切っているのであれば、非常にストレートに非難声明を出すのでしょうが、日本のやり方は内政干渉や上からの説教という形は取らないのが普通だ。しかし民主主義に関する会議を開いていて、最中に主催者が投獄されても何も言わないという訳にはいかないでしょう。緊張しますね。

スリン・元タイ外相・元ASEAN事務総長、ハビビ・元インドネシア大統領など、ムスリムでアジアの民主化を担ってきた人たちが会議の参加者なので、そういった人たちの発言が注目されます。

イスラーム世界の民主主義の経験を相互に共有し、達成点と問題点を洗い出して将来の方向性を見出していく、という今回の会議のテーマに、ある意味ぴったりの展開ですが、前途の困難さを再確認させてくれます。

イスラーム報道の適正化に向けて

週末に校了間際の〆切りが3本もあるという異常事態に追いつめられています。日本のイスラーム認識・報道にも関係する論説がそれらの一本なので、日本の新聞・雑誌も見ないといけない。

「イスラーム国」の実態をみて、またそれを擁護する人々の言説の実態も見て、少しずつ議論の焦点が絞られてきたように思います。とにかく文章を書く人は、中二病的超越願望を捨てて、今そこにある問題にどう取り組むか考えた方がいい。

良かったのがこの社説。

「社説:カナダ銃撃 「イスラム国」の幻想砕け」『毎日新聞』2014年10月25日東京朝刊

自由主義社会の国民メディアの社説が言うべき点を押さえている。

重要なフレーズをいくつか抜き出してみる。冒頭に*をつけたところが毎日の社説からの引用。段落を変えて私の補足。大学教員とか文章を扱って論理的に考えることが仕事の人でも本当に思い込みで正反対に受け止めるので、重要部分に下線も引いておく。

*「だが、そもそもテロに大義はない。「イスラム国」のせいで「イスラム教=恐ろしい宗教」といったイメージが独り歩きしているのも問題だ。同組織の異教徒虐殺や女性の性奴隷化などは決して許されないし、その激越な主張を支持する人は、16億人とされる世界のイスラム教徒の中で、まさに大海の一滴に過ぎまい。」

「テロに大義はないということでは合意できますよね?面白半分の人も本気の人も、大義はあるということであれば対話できませんよ」ということ。新聞社説でそこまではっきり言えないということなのか、そこまで覚悟が決まっていないのか分からないが、本当はそこまで言わないと、在特会とかも批判できなくなる。

そして「イスラム教=恐ろしい宗教」という偏見があってはならないのであれば、最低限「テロに大義はない」という点は合意してくれますよね?テロを正当化する人は16億人のイスラーム教徒のごく一部ということで良いですよね?という点は、やはりいうべきこと。少数のノイジー・マイノリティが「テロに大義はある」と逆説あるいは暴論で言ってお互いに盛り上がっているとしても、新聞社説が相手にして取り入れることではありません。

これはいわば自由社会における「踏み絵」です。「理解・寛容」は他者への暴力や支配を主張し行動する者には適用されないというのが自由社会の大原則です。「つまらない」かもしれませんが、それを主張し続けないと自由社会は維持できないのです。

*「にもかかわらず、日本を含む世界各国で「イスラム国」への合流を望む者が後を絶たないのは、この組織が世界の不合理に挑戦しているような幻想があるからだ。」

正しく「幻想」です。

やっと新聞でこう書くところが現れた。事実を突き付けられんと書けんのか、という気はするが、新聞に先を読む能力など期待してはいかん、ということなのだろうね。せめてこれまで書いてきたことを(暗黙の裡に)否定してでも態度を変えたことを評価しないといけない。

過激派が何か世界の不合理に挑戦してくれているような幻想に寄り掛かかる新聞社説や、過激派の暴力による威嚇をある意味強制力として味方につけて語る新聞社説は多かった。過激派があたかも「弱者」を代表しているかのようなすり替え情報を各所で挟むことでそれが歴然とした暴力による威嚇であることを漂白して、政権や社会全般を批判する素材に使う新聞社説は実に数多く繰り返されてきた。データベースなどで体系的にまとめると良いが、時間がないので誰かがやってください。

日本赤軍も連合赤軍も、今見ると「何でこれが」というぐらい好意的に新聞社説で取り上げられてきた。「彼らの手段はいかんが、言っていることは分かる。社会が悪い」といういつもの論法だった。

実際に「彼ら」言っていることは「俺たちは明日のジョーである」といったいかにも元気の溢れる若い人が少ない知識・情報から絞り出したんだろーなートホホな妄言だったりしたのに、新聞社説はそれはスルーして勝手な思い入れを盛ってきたのである。

だから今「イスラーム国」に共感・参加などと言っている若者の発言、というものについて私が「自由主義社会における愚行権の行使」であると書いているのは、「新聞記者もさんざん愚行権を行使していたな~」というのと同じ程度にしか批判していない(しかもきちんとその権利を自由主義社会に所与のものとして認めている。あの、権利を認めるとは、その際に刑法を逸脱しても罪に問われないと認めるということではありませんよ)。そういった私の論評に対して「若者に厳しすぎる」とか「彼らの内在的動機を理解せずに表面的過ぎる」といった批判は、読みが浅すぎるのと、歴史を知らな過ぎる。若者だけじゃなくて、昔若者だった今の年寄りも、昔も今もヒドかったんです。そもそも上から目線で私と若者の双方を理解したり諭したりする視点をそういう方々はどこから手に入れたのか。勝手に人間に序列をつけて上下関係で「上の立場」からモノを言えば下は従う、という疑似封建社会に未だに生きている人が多すぎる。そういうモノの言い方では自由世界で人を説得できないんです。そもそも、匿名で個人的に言ってきたり、陰で仲間でごそごそ言っているのは言論ではない(と言うと「言論がなんだ!俺様が貴様に意見してやってるのだ!」と完全に自由社会を否定する大人って多いですな。そういう意味で、日本の軍国主義化はあり得えないことではないと思っています)。

私が最初に書いた本(『現代アラブの社会思想』)の中で、日本赤軍の人たちが実際に言ったことと、日本の「意識高い」系の人たちが勝手に読み取ったことのギャップをからかったら、編集者から「読者に受け入れられないからやめた方がいい」と言われてかなり和らげた。あれでもかなり和らげてあるのです。本を買うのはそんな読者ばかりだった(と編集者が想定している)時代は、今と比べて人々のリテラシーが高かった時代だとは思わない。単に流行が違うだけ、というのと昔はメディアが本や新聞しかなかったから本や新聞に何でもかんでも詰め込んで大量に刷れば売れた。今は代替肢があるからそう売れないと言うだけだ。

*「たとえば20世紀初頭、列強が中東を恣意(しい)的に線引きしたこと(サイクス=ピコ協定)への反発は昔からある。だが、同協定に異を唱え、すでに独立した国々の中に力ずくで別の国をつくろうとする「イスラム国」もまた、恣意的な線引きをしようとしているのだ。」

ここも重要。「カリフ制」という未知なる観念に勝手な思い入れを投影して、国民国家を超えたユートピアを胸に抱いて共感してしまう人が、なまじ勉強した人に多いが、「イスラーム国」の本人たちが「国家」と言ってしまっているところで疑問を持たないといけない。イスラーム法学的には「国家」が出てくるのはおかしい。ひたすらカリフ制とだけ言っていなければいけないはずだ。

しかし彼ら自身の宣伝文書でひたすら「国家」と言って続けているのである。このあたりが、結局はイラクとシリアでの武力闘争と領域支配を担っているのは旧バアス党幹部なんだろうな、と強く推測される理由だ。

「イスラーム国」はどう見ても領域国民国家を作ろうとしている。近代の国民国家の原理であれ実態であれ、超越などしていない。単に「国民」の定義をスンナ派イスラーム教徒(のうち自らに従う人々のみ)だとしているだけです。既存の秩序を破壊することはできても、新しい理念に基づく秩序を生み出せるとは思えない。

「民族主義に基づいて国民国家を作ったから弊害として民族対立とか国家を得られない民族とかが出てきた、民族浄化や住民交換などの悲劇が起こった」という批判をするのはいいのだが、だから歴史の勉強でうろ覚えに知っている「特定の宗教を上位の規範とした帝国」に戻れ、というのは単なる退化でしょう。国民国家で辛うじて提供していた権利すら各個人から剥奪され、劣位に置かれることを認めるか去るか、そうでなければ殺されても仕方がない、という境遇に落ちる人々が膨大に出てくる。それで平和が達成されるかというと、客観的には達成されないが、支配宗教の側の主観では、異を唱える人がいなくなれば平和になる、というのだから、やはりその過程で大戦争と民族浄化あるいは大規模な住民移動が不可欠となる。しかもそのようなジェノサイドは、平和を達成する過程でのやむを得ない事象として正当化されてしまう。

「国家」を構成する「国民」が民族ではなく宗教に基づいているというのは特に珍しいことではない。旧ユーゴスラビア連邦の諸民族構成のうち一つが「ムスリム人」だった。ボスニアの「ムスリム人」とセルビア人とは人種的形質や言語は元来はほとんど変わらない(ただしムスリムと正教徒は基本的には通婚しない、というか通婚したらイスラーム法上自動的にイスラーム教徒になるので、徐々に形質的差異が出てきていてもおかしくはないが)。宗教的差異が民族区分とされたのである。社会主義というイデオロギー的紐帯と、それを背後で強制するソ連の存在がなくなったら、そのような民族単位での独立闘争が始まった。

そのムスリム人がボスニアを独立させようとして、戦争になった、というのと、現在の「イスラーム国」の領域支配は同種のもの。といってもバルカン半島ではイスラーム法学はほとんど通用していないから宗教や教義を持ち出して対立や殺人を正当化はせずに、単に民族が違うと言って殺し合った。イスラーム法学が通用していたらそんなことはなかったかというと、そうではなくて、イスラーム法学的にボスニア領内のセルビア人(キリスト教徒)は劣位の存在に置かれるが我慢せよ、それを認めないなら討伐だ、と言う人たちが現れて、いっそう紛糾したことだろう。

なおボスニア紛争やコソボ紛争では、欧米はムスリム人・ムスリム系住民の側にかなり肩入れして、現地では欧米への感謝の念は強いのだが、イスラーム世界全体ではこの点はまったく考慮されず、常に「欧米がイスラーム世界を攻撃している」ということになっている。

*「こうした現状に「否」を突きつける主体は、あくまで中東とイスラム圏の国々である。ネットを駆使して自らの主張を発信する「イスラム国」に対し、中東の国々やアラブ連盟(加盟22カ国・機構)、イスラム協力機構(加盟57カ国・機構)などの組織はもっと反論していい。」

これも言わなければならない点だ。というのは、こういった事象が持ち上がるたびに、イスラーム諸国の知識人も、アラブ連盟など国際機構も、「イスラームに対する偏見を持つ欧米」を非難するのみで、実際に紛争を起こす人たちの根底にある思想が、イスラーム教に基づいてどう間違っているのかを言わないからだ。結局、「欧米が悪い」という印象だけが残り、新たな過激派の理屈にも取り入れられてしまう。

「それでもカリフ制の理念の方は正しい!「イスラーム国」をやっている連中が間違って解釈しているだけだ」と論じたい人は、「イスラーム国による殺害や奴隷化は支持しない」とはっきり言うべきだしその根拠を示すべきだ。つまり「正しいカリフ制の理念ではこのような根拠から異教徒の殺害や奴隷化は禁じられている」とイスラーム法学の理念を明示して主張しなければならない。それも欧米や日本に対するだけでなく、「イスラーム国」側に対して言わないといけない。

もちろん、「イスラーム法学上は多神教徒の征服や奴隷化は正しい行為なのです。そうならないように改宗するなり立ち退けばいいのです」と思っている人はそう主張すればいい(ただし本当に立ち退かせたり、立ち退かない人を殺害する行為を賞揚した場合は刑法上の何らかの制約が課される可能性はあります)。

イスラーム法学的な説得をしたくない、する必要がないという考えの人は、「イスラーム法学の適用やカリフ制の復活は現代において必要がない、違法である」といった議論を正当化して示さないといけない。説得的な根拠を出して、欧米人相手にではなく、「イスラーム国」に共感したり、「イスラーム法学」の有力な規範を提示しているからといって黙認したりしているイスラーム教徒に対してきちんと示すべきだ。もっとも現在のイスラーム世界で、イスラーム法学は効力がないと議論するのはよほどの勇気がいる。だからやらないのだろう。

なお、現状では数少ないイスラーム法学者からの「イスラーム国」批判は、例えば異教徒の迫害と奴隷化について、「ヤズィーディー教徒も啓典の民だ」と反論するというものなので、外から見ると、反論になっていない。「イスラーム国」がDabiqなどでヤズィーディー教徒を「啓典の民ではない」と主張していることに対してのみは一応の反論になっているが、ではヤズィーディー教徒も啓典の民だとするイスラーム法上の根拠は明確ではない。単に各国の政府に近い法学者が政治的必要から個人的見解で断定しただけ、というのではイスラーム法学的にはほとんど説得力がない。

「イスラーム国」と同じイスラーム法学上の「啓典の民」という観念を持ち出してしまっている以上、「イスラーム国」のより明確な明文規定や有力なイスラーム法学書に則った議論の方が有利である状況は代えがたい。むしろ議論を強めているのではないかとすら思う(結果的に、多くのイスラーム教徒が「イスラーム国」批判のイスラーム法学者たちの論拠の希薄さに愕然として「現代においてイスラーム法学に依拠したら駄目だ」と思うようになることを期待しているとすれば、穏健派イスラーム法学者たちのものすごい捨て身の作戦だと思うが、たぶんそんなことではないと思います)。

「啓典の民」という概念は異教徒を平等に扱うものではない。少なくとも自由主義社会における宗教間関係にはなじまない。

「啓典の民」という観念は、あくまでも優位な側からの劣位な側への恩恵としての生存の許可というロジックなので、支配しているイスラーム教徒の側が「啓典の民が歯向かった」と判断すれば即座に「改宗するか、去るか、討伐か」という三択を突き付けることが正当化されてしまう。「啓典の民だから許せ」というのは、「イスラーム国」批判になっていないのである。「イスラーム国」としては「啓典の民として認めてやるから寛容に接してやると告げたのに、異教徒が悪態をついたから追放・殺害・奴隷化した」と言えばいいだけになってしまう。水掛け論にすらなっていない。「啓典の民だから許せ」という議論は「イスラーム国」の立場を補強しているとすら言える。

近代思想史において「穏健派」のイスラーム法学解釈(あるいはイスラーム法擁護論)が、「過激派」のジハード論を結果的に支えている構造については、池内恵「近代ジハード論の系譜学」(日本国際政治学会編『国際政治』第175号、有斐閣、2014年3月、115-129頁)で書いておきました。

なお、ユースフ・カラダーウィーをはじめとした主要な「穏健派」「中道派」とされてきたイスラーム法学者も、この「啓典の民の生存を認めるからイスラームは寛容だ」という説を定説としてきたので、短期間に異教徒との平等説でイスラーム法学を組み替え直すことは難しいだろうと思う。

これについては、池内恵「「イスラーム的共存」の可能性と限界──Y・カラダーウィーの「イスラーム的寛容」論」(『アラブ政治の今を読む』中央公論新社、2004年、初出は『現代宗教2002』2002年4月)に詳述してあります。

なお、これと対になる論文が、池内恵「文明間対話の理論的基礎──Ch・テイラーの多文化主義」で、同じく『アラブ政治の今を読む』に収録してあります。(この本は絶版とは聞いていないが、中央公論新社も一生懸命売る気がないんだろうね)

基本的には、この時考えていた理論的な対立点が、現在「イスラーム国」をめぐる問題として表出しているものと考えていますので、世代は新しくなっても思想的な問題は変わらないのだな、と実感しています。また、それをイスラーム法学上批判しきれないイスラーム世界の問題として、あるいは勘違いして自由主義社会の原則を放棄して共感する日本のメディア・知識人の論調としても現れてきているものと思います。

それにしても、「イスラーム教の理念は自由主義の原則とは合わない部分がある」ということは、イスラーム教徒の側はごく当然に主張する、当たり前のことです。極端に欧化して生活の基盤を欧米や日本に移した人を除けば、大多数のイスラーム教徒はそのように明言します。ただ、留保をつける場合はあります。その場合は、「イスラーム教こそがより優越した自由主義を実現します。イスラーム教では正しい宗教であるイスラーム教を信じる自由があります」と主張します。これが教科書的な回答です。カラダーウィーのような有力なイスラーム法学者が定式化してくれている欧米との対話・教義論争の作法としてすでに定着しています。

ですので、この点を指摘することは、「イスラーム教を揶揄する」といったこととは全く違うのです。単に、日本の常識とは違う別の基準があると指摘しているだけです。そのことを日本の、しばしば「自由」を主張する、往々にして「反体制」に立っていると自覚しているらしき人々が理解しておらず、このような指摘を行なうことを非難する側に回るのは、自分の認識の前提を疑う視点を持たず、他者・他文化に対する想像力を欠いているからではないかと観察しています。「隣の芝生は青く見える」というの異文化理解でも寛容でもない。

逆に、イスラーム教は「自由主義が絶対ではない」と主張しているのだと受け止めて、安易に「そうだそうだ」と同意し、「だから欧米みたいな自由などいらない」という自己の信念を補強したものとのみ受け止める権威主義的な人も日本社会には多くいます。そういう人は「イスラーム?遅れた国の遅れた宗教だろ?」といった偏見を露骨に持っている場合が多くあります。このような人々は、自分が享受していると思っている自由がいかなる根拠に基づいているのか忘れがちであると観察しています。

要するに社会における議論は、このような不完全な認識を持った、それぞれの思い込みを抱え込んでガンコに変えようとしない人々の間で行われるので、理想社会はそう簡単に成立しないのです。

思想研究は、そのような不完全な社会で、現に行われている議論を整理して、適切な方向に向けていくささやかな作業と考えています。「あの人はスゴイことを言っている!」と一部の人にカルト的に尊敬されたいのであれば思想研究はやらない方がいいと思います。

NHK「深読み」の後記(1)チェチェン紛争のグローバル・ジハードへの影響はもっと知られていい

今朝のNHK総合「週刊ニュース深読み」に出演しました。

ご意見・ご感想募集だそうです。

ご一緒したジャーナリストの常岡浩介さんは、チェチェンの独立闘争ジハードを取材した経験から、現在シリアに流入しているチェチェン系のジハード戦士(ムジャーヒディーン)のつながりを持ち、その結果ヌスラ戦線や「イスラーム国」の内部を垣間見ることができる数少ない日本人ジャーナリストです。

チェチェン系のジハード戦士は、ヨルダン・チュニジア・サウジアラビアなど近隣アラブ諸国から、あるいは欧米の移民コミュニティからやってくる者たちと比べると、数はそれほど多くないとみられます。先日紹介した、シリアとイラクに流入する外国人戦士に関するEconomistのとりまとめでも186名となっています。数自体は正確ではないかもしれませんが、チュニジア(3000名)、サウジアラビア(2500名)、ヨルダン(2089名)といった人数との比較で、相対的な規模が分かるでしょう。

しかしアラブ諸国や西欧諸国からやってくる若者たちは、戦闘経験もなく、しばしば単にインターネット情報を見て「冒険・夢・ヒロイズム」を求めてやってきてしまうのに対し、チェチェン系の場合は、ロシアとの軍事闘争の末に政治難民化して傭兵化した者たちを含んでおり、チェチェン共和国の首都グローズヌイが廃墟となるほどの弾圧・殺戮を潜り抜け、しばしば直接の肉親・友人たちを殺されてきた者たちであることが、異彩を放っています。彼らがシリアやイラクのジハード戦士たちの全体を代表するとは言えませんが、彼らの存在や経験(談)の伝播が、イスラーム国やヌスラ戦線等のゲリラ戦での戦闘能力を高め、「被害者」としての正統性を主張する際の根拠となり、「敵」とされる者たちへの憎しみを昂進させたり、行動の残虐さを高める要因になっているのではないか、と私は推測します。

このあたり、チェチェン系の司令官や兵士が「イスラーム国」やヌスラ戦線の全体にどう影響を与えているのか、常岡さんに意見を聞いてみたかったのですが、今日は時間がなく早々にお暇しました。

1980年代のアフガニスタンでの対ソ連ジハード、それを背景に成立した1990年代のターリバーン政権が、グローバル・ジハードの理念的モデルとなったように、チェチェンでの対ロ・ゲリラの経験者たちは、グローバル・ジハードの集団・組織の現場で、「鬼軍曹」「下士官」のような役割を負い、大量の素人を集めた集団の訓練・統率の一つの鍵となっているのではないか・・・などと推測しています。

アル=カーイダなどのイスラーム主義過激派は、しばしば「アメリカが作った」「欧米の植民地支配の遺産が云々」と言われるのですが、普通に考えたら、「ソ連がアフガニスタンに侵攻しなければこんなことは起きていない」のです。当たり前のことなのですが、このことはほとんど言われません。

このあたり、冷戦思考で東側陣営あるいは反西側陣営に立つ人たち(欧米側とロシア側の双方)が、都合よく忘れてしまっています。まあ、アメリカを批判しているとカッコいいからね。

「世間でよく言われていること」が正しいわけではない。

旧ソ連もロシアも政権批判が許されない社会であるのに対して、米国や西欧は(実際に悪いことも数知れずしてきましたが)、悪いことをしたと自社会の中から批判できるリベラルな社会であるがゆえに、グローバルにはこのような非対称的な言説空間が生まれます。

アメリカ人「アメリカは自由だ。なぜならば、ホワイトハウスの前で米大統領の悪口を言えるからだ」
ロシア人「ロシアは自由だ。なぜならば、クレムリンの前で米大統領の悪口を言えるからだ」

というジョークは、深い所で今も意味を持っているのです。

もちろんアメリカやイギリスのメディアがいつも正しいか、公平か、といえば疑問があるでしょう。

しかし原則として「中立・公平でなければならない」という規範が成立している社会と、「そんなもん中立・公平であるわけないだろう(byプーチン)」が原則である社会とは異なります。

そしてその両者の社会が国際社会では関係しあっているので、相互関係は対照的ではなく、言説に歪みが生じます。

プーチンは、「チェチェンは弾圧したよ。何が悪い」「ウクライナ政府は東部親ロシア派を弾圧するな。当然だろ」と、本来であれば同時に言えないことを、平気で言えるのです。なぜならば、誰もロシアにリベラルな規範や論理的一貫性を期待していないから。一貫しているのは「俺はやりたいようにやる」という身も蓋もない国家意思です。

プーチンはまさに、首相⇒大統領代行⇒大統領と出世する過程で、特にチェチェン対策で功績を挙げて台頭した人です。プーチン個人の出世だけでなく、エリツィン時代の自由化と民主化、それに伴った社会の混乱、そしてチェチェンなど分離派の挑戦と領土の喪失の危機を、旧KGBを中心とした治安・諜報関係者が権力を取り戻して、再びロシアを非民主的・非自由主義的体制へと戻しながら乗り越えていく大きな流れの中で、チェチェン問題は重要な位置を占めています。

大雑把にいうと、「チェチェンのジハード」を弾圧するという口実の元に、ロシアを再び強権国家に戻した、という面がかなりあります。もちろんこれだけが原因ではなかったのですが。治安・強権国家に戻す際にチェチェン問題は非常に大きな意味を持っていた、ということです。

現在、ユーラシアの地域大国として冷戦後秩序への現状変更を迫るロシアの存在には、根底でチェチェン紛争とそれに対応する中での権力構造・体制の変質があり、他方でチェチェン紛争は今度は中東での第一次世界大戦以来の国際秩序の変更を迫る「イスラーム国」にも影響を与えている・・・そのような国際問題の連鎖を見ておきたいものです。

「イスラーム国」の動員と組織化の「自発性」について(昔の講演がネット上にあります)

週末から週明け早々の秋分の日にかけて、東京・京都を二往復するスケジュールになってしまい、「飛び石連休」を逆方向に飛ぶ(?)生活になっている。

落ち着いて机に向かってブログに解説を載せている時間もないので、昔行なった講演を引っ張り出してみる。「イスラーム国」をめぐる現在の議論につながる関心をずっと持っていたんだなあ、と自分のことを自分で再確認。いや、日々の仰天するような変化に対応するのに追われて軸となる理論や概念が自分でもわからなくなることがあるので、頭の棚卸し。

「イスラーム政治思想による動員と組織化」2009年4月8日

このページの下の方にある私の報告の記録で、ポッドキャスト・映像・PP資料がダウンロードできます。

ストリーミング映像へのダイレクトリンクはこちら

滑舌が悪くてすみません。ホームビデオで所員が録画しただけのものですし、本来は公開するべきものでもない研究会報告のようなものなので、映像・音声のクオリティに関してはご容赦ください。

2008年10月に今の職場(東大・先端研)にヘッドハンティングされてやって来たのですが(~♪~その前は京都に勤めていました~♪~)、年度半期での赴任だったので半年ぐらい試運転モードだったのですが、年度が改まって早々に、教授会セミナーという場所で、専門の違う所員たちにレクチャーをしろ、と仰せつかりました。

教授会セミナーとは、二週に一度の所員の会議の前に行うセミナーのこと。15分ぐらいでさっと終わらせるというのが基本ですが、結構長く話したりします。すべての回が公開されているわけではありませんが、私のは何となく公開OKにしてしまいました。

先端研は、工学系の大学院を受け持っているが、より学際的で、科学者・技術者から、行政学者やそして私のような思想史までの研究者が混在している。彼らに向けて分かりやすくかつ興味を持てるように自分の研究分野を話せ、という。

そうなると学会発表ではない。しかし市民講座のようなまったくのシロウトを相手にするのでもない。イスラーム教についての知識などは、人によっては、近所のオジサン/オバサン・レベルである可能性が高いにもかかわらず、ある特定の(理・工・生命医学など)の分野では最先端のマッド・サイエンティストみたいな人たちが聞いていることになる。彼らに「面白い分野だな」と思ってもらうのは簡単ではない。

というわけで、私が細々とやっている、本を読んで人の頭の中を読み取って、それが実際の政治・国際政治でどのように適用されているかを考える、という作業がどのような意味があるのか、研究の持つインプリケーションを軸に話をしました。

今思い返すと、私が先端研という特殊な場に入れてもらって、自由にいろいろなことをやりながら、かつ一貫して取り組んできたテーマは、この時必死にとりまとめた報告の中にかなりの部分が盛り込まれています。新任所員には教授会セミナーで話をさせる、という暗黙の制度にはやはりそれなりの意味があるんですね。

この時の報告の全体の趣旨は、「私は次のような現象に興味を持ち、そのメカニズムや要因を探る研究をしています」ということ。

どのような現象についての研究かというと、タイトルにあるように「イスラーム教による動員と組織化」です。

私の研究の原点にある、私が感じ取った興味深い現象とは、「イスラーム」という名を冠した政治・社会運動が、明確なイデオロギー書などもなく、指導者もおらず、組織もないのに、なぜ(時として)出来上がってしまうのか、ということ。

時として、というのは、いつも常に必ずどこでも「イスラーム」を冠した運動・組織が生じるわけではないからです。この点を加味すると、どのような条件において出現するのか、という環境条件をめぐる問題意識も派生してきます。

シリアとイラクに、各国からムスリムが勝手に集まってきてしまい、結果として「イスラーム国」なるものが出来上がってしまっているという現状を見ている現在では、当たり前のように感じられる問題意識です。

「イスラーム国」に限らず、世界各地で、似たようなシンボル(旗など)を掲げ、似たようなことを言って集団が形成され、活動しています。それは例えばこの地図で示すことができます。

グローバル・ジハードの広がり
出典:BBC

これらの運動はそれぞれにローカルな文脈とグローバルな影響関係があり、活動主体も規模もまちまちですが、おおよそ共通した世界観や方向性があり、可能な時は、特に事前に組織的なつながりがないにもかかわらず、非常に容易に協力関係に入ります。たいていの場合はほぼ同じデザインの黒い旗を掲げ、目標について、将来像について、何が敵かについて、聞かれればたいていは似たようなことを答えます。

しかし彼らが同じ学校を出たとか、同じ教則本を読んだとか、同じ人から影響を受けたという訳ではありません。なぜ彼らは別の場所で、同じようなことをするのでしょうか?

そして、現在、シリアからイラクこれらの運動の中心地になりかけています。数は推定に過ぎませんが、近隣の中東諸国から、世界各地のイスラーム諸国から、そして一部にはムスリム移民が多数いる西欧諸国から、ジハード戦士が義勇兵として集まり、しばしば残虐な行為をも行って悪びれもせずにいます。

ISIS_foreign fighters_by country
出典:Ecomonist

頭の体操ですが、もし、これが多国籍企業だったとしたら、上の地図のような中東・アフリカの広範囲に「支社」を張り巡らせ、シリアやイラクにこのような多様な社員を送り込んで組織として機能させ、目標に向かって一丸となって働かせるには、どれほどの資金や、バックヤードの社員や、研修制度や、ノウハウが必要でしょうか。そう考えると、メッカやロンドンに「グローバル・ジハード会社」の本社ビルを構えて社長や役員がいるわけでもない、ベイルートに「東地中海地域統括副社長」とかがいて現地のオペレーションを仕切っているわけでもない、「イスラーム国」に代表される諸ジハード組織は、いったいどのように成立して発展して行っているのでしょうか?

もちろん、Economistの示した数値自体は、さまざまな資料を繋ぎ合わせた概算であると共に、foreign fighters一般を含むので、これらの全員が「イスラーム国」に加わっているということではありません(Economistもいちおう”IS is not the only group Westerners join,” と書いていますね)。

野戦病院に行っている医師や看護師とかもおそらく含まれます。「イスラーム国」に対抗する勢力に加わって、イスラーム国との戦闘で命を落としたり、捕虜になって殺害されたりする人まで、ここにカウントされているかもしれません。

「欧米へのテロの危険」への認識が高まり、予防的な拘束なども行われ、対イスラーム国の軍事行動の正当化論理ともなっている現在ですが、外国人義勇兵(とその帰還)が実際にどのような脅威であるかという問題は、じっくり慎重に考えるべき問題です。

また、「イスラーム国の大多数は欧米出身者だ」というのもおそらく事実ではありません。シリアやイラクに流入している外国人の圧倒的多数はアラブ諸国からであり、またチェチェンなどイスラーム諸国からも多く来ています。

Economistのかなり煽りがちな記事でも、”While the overwhelming majority of foreign fighters in Syria are Arabs,”と留保を付していますね(話は変わるが、EconomistやFTなどイギリスの有力メディア、あるいは権威の高いシンクタンクなど、普段は米国と一線を画す姿勢をしばしば見せ、米国主導の戦争、米による覇権そのものに批判的な態度を取ったりするのに、いざ戦争が始まるぞ、という時には妙に先走って脅威認識を煽る記事やレポートを出し、アメリカのメディアや世論や議会での議論を方向づけてしまうことがパターン化している。イラク戦争の時の”dodgy dossier”もそうだったし、今回のEconomistのセンセーショナルな書き方の記事にもどこか似たものを感じる)。

一方で西欧から来たジハード戦士は、欧米で注目を引いて宣伝効果が高いために、あるいは言語が得意なことから、宣伝映像に出演しがちなことがあり、他方で欧米諸国の政府やメディアは自分たちの国に戻ってきてテロをやられることを最も警戒しているので、少人数の欧米人のジハード戦士に過度に注目が集まっています。当事者たちの宣伝と、欧米諸国の関心事項がマッチして、外国人勢力の存在が実態より大きく国際問題化していないか、検討が必要です。

上記の留保を付したうえでもなお(あるいは上記のような疑問・関心に適切に答えるためにも)、私の関心からは、このような義勇兵がなぜ「イスラーム国」あるいは似たような方向性の集団に加わって国際的に移動するのか、という問題が、絶好の研究対象と感じられます。

2009年当時は、このような現象そのものの存在が、潜在的には、兆候として随所に存在しても、まとまった形に(それこそ「国」という形に)なっていなかったので、日本で聞いている人に納得してもらうこと自体が一苦労でした。

しかし一旦この現象の存在を認識すれば、その興味深さは各側面に及び、学問的な広がりが出てきます。また、「対処策」にも深いインプリケーションが生まれます。

中心も、指導者も、組織もないのになぜ、どのように、(時として)「イスラーム」を軸に人々がある一つの方向に動員され、集団が形成されるのか。

⇒この問題意識・設問に対して、自然科学ではないのですから、「これが原因因子である(ビシッ)」と答えることができるとは思えませんが、「いすらーむのことはわかりませんね~」とだけ言っていなければならないほど五里霧中という状態からは脱せる程度のことは言えるようになれそうだ・・・と考えて云年間苦闘しているわけです。

一言でいうと「思想が大事なんだよ」ということになりますが・・・

そして、その思想が個々人の「自発性」を引き出して、かつそれを一つの方向への運動、運動体への参加に呼びかけるタイプのものである、ということになるのですが・・・

そのような思想は、イスラーム教の信仰そのものと全く同一とは言えないでしょうが、信仰の基本原理を踏まえています。そうでないと人々がそもそも納得して参加しない。

そうなると、イスラーム教の信仰・思想のあり方そのもののどの部分がこのような組織論を可能にするのか、という形で宗教思想そのものを見直してみる必要も出てきます。

ここで一般向けに議論する際に思い切って提示しているのが、イスラーム教は「解答集」である、という説明の仕方です。

われわれにとってなじみのあるキリスト教や仏教のテキストは、信者あるいは人類に「解けない難問」を突き付けて悩ませるタイプのいわば「問題集」的な形式を取っている。

それに対して、イスラーム教の基本テキスト(コーランとハディース)と、その解釈方法は、「解答集」的な形式になっている。問題を与えるのではなく、解答を先に与えてしまって、その解答をもとに、現実の世界で直面する問題も認識させる(だから常に問題に対して解答が見つかる)という形式なのです。

同じ宗教と言っても、イスラーム教はキリスト教や仏教と、信者に与える生活経験が異なります。要するにものすごくハッピーになり、宗教の初心者でも最初から確信を持つことができ、心の平安が得られるのです。「問題を見るな、解答(今出してやるから)を見ろ」と教えているから、難問がすべて氷解してしまう。ただし、『コーラン』という書物やそれを伝えた預言者、預言者の言動を記した「ハディース」という伝承群を、一切(個々ハディースの中にはグレーゾーンの信憑性のものもありますが)が真実であると信じさえすれば、という条件がありますが。この条件を呑むか否かが、信者とそうでない人を分けます。

ここを呑みこんでしまうと、非常に心の平安が得られ、確信が得られ、(何らかの方向づけを与えられ、環境要因も働くと)邪念を捨ててジハードに向かうことも可能になる、ということなので、根本にある宗教の信じ方、あるいは宗教テキストが信者に対して宗教を「信じさせる信じさせ方」を把握するのとしないのとでは、現実に起きている現象を見る見方も変わってきます。

このあたりは、日本では宗教信仰のあり方が欧米ともイスラーム世界とも違いますから、誤解が甚だしくなっています。

特に、日本では宗教をも実利主義的に見る考え方が強くあります。「得するから信心をやる」という見方ですね。

実利主義的解釈からは、

「お金もらえるからジハードに行くんだろ?」
「コーランには天国にいるとウン十人の処女が云々なんて書いてあるからそれを使って若者を唆しているんだ」

と勝手に結論づけてしまう。

あるいは実利主義・現世主義的解釈から、疑問に感じ、納得がいかなくなる。

改宗者に対して、

「信仰に入ると酒が飲めなくなるのに、なぜ信じるの?酒飲めない人生なんてありえなくない?」

と反応するといった具合です。

酒を飲まないことを含んだ教義体系を受け入れることで、酒を飲むよりもっとハッピーな気分になれるように仕向けるタイプの宗教というものがある、ということについての想像力がゼロ。でもこれ一般的な日本での反応でしょう。

もちろん誰かが資金を出して、例えばシリアに身一つで行くだけであとは滞在場所も生活費もお任せで武器を用意している、というような環境があれば、ジハード義勇兵が来やすいし組織化しやすいということがあるでしょう。ですので、資金が用意されている、ちょっとした給料ももらえる、といった実利的条件が満たされれば、ジハード戦士がたくさん来るし組織が大きくなる、という因果関係はあるでしょう。それはあくまでも環境要因を準備する際にお金が関わっているというだけで、「なんで彼らが来てしまうのか」「あんなひどいことを平気でしてしまうのか」という内的モチベーション・動機づけが説明できません。「金で釣られて・・・」というのは、止めて帰ってきた人あるいはジハード戦士を送り出してしまった家族の言い訳とか、貶めようとする批判者の側の議論でも用いられるので、一般的によく発信されがちですし、日本では実利主義的世界観にマッチするのでことさらに受け入れられやすい。

しかしそのような認識から対処策を考えても、当事者がそのような認識を持っていなければ、あまり効果がないかもしれません。

現世の実利によって釣られる、というのは人間行動の重要な側面ですので、そこを度外視しては現実を理解できませんが、それとは別の、内側から、自発的にモチベーションを高めて人を動かす、という側面の人間行動の方が、世界的に通用している宗教の中心的な部分であり、それは廃れているどころかむしろ強まっている面があり、そのメカニズムを解明することは現在の国際社会を見る際の重要な要素であると思うのです。

非常に短期的・直接的な、政策的インプリケーションとしては、分かりやすく言ってしまえば、「個々人の自発性を刺激し、ある方向に方向づけた結果として現れる、中心組織なき、ヒエラルキーなき組織なので、対応がすごく難しい、少なくとも従来の軍事的・法執行的やり方では難しいですよ」ということになる。

また、「欧米でのテロの危険性」という点でも、「高まるだろうが、直接的にシリアとイラクの勢力と結びつきが乏しいので、イラクとシリアでの軍事行動が欧米でのテロを減らすのか、あるいはかえって高めるのか、よく考えてみる必要がある」といったことが即座に言えます。(欧米でのテロに関しては、2013年に「ローン・ウルフ」型テロについて、その思想戦略論を複数の論文で取り組んだのでそれを参照してください)

「結局、対策は難しい、ということか!役立たない研究だな!」と言われそうですが、確かにそうなんですが、メカニズムの実態にそぐわない、よって効果の乏しい対処策を採ってかえってこじらせるよりも、こういった視点で研究を進める過程で、、思いもよらないところから解決策が出てくるかもしれません。

中心組織なき自発的な自己組織的集団、というのはイスラーム主義過激派に限らず、ITネットワーク時代の組織・集団化現象によく見られるものなので、そういった勝手にできてしまう組織が、またある時突然にばたっと消滅する事例もあるでしょう(mixiとかある日突然誰も使わなくなった・・・)。

そのような、自発性を低減させ、結果として組織の消滅を促進する政策はないものか。先端研のような学際的なところにいるからこそ、そこまで視野に入れて研究を進めています。

・・・と、まとまりがないことをいろいろ考え続けています。

その間にも現実が動いていくのでついていかなければならないが、私が頭で考えるよりも先に現実の展開が真実を明らかにしてくれている気もする。あるいは余計分かりにくくしている場合もあるが。

なお、この報告の際のパワーポイント資料もホームページ上でダウンロードできますが、当日朝大急ぎでメモしただけなので、言葉が重なっていたり、変換ミスもあったりします。まあ意味は通じます。本来公開を意図していない報告なのに公開されてしまったので、うろたえるところがありますが、どういうことに日々取り組んでいるかが漏れ出してしまっており、恥ずかしいがすでに長い間静かに公開されてしまっていてすでにみたという人もいるので消すわけにもいかないし、ということで逆上してここで広報してしまう。

【プレゼンテーション資料の訂正】

9頁:誤「合理的に合理的に」⇒正「合理的に」
13頁:誤「回答」⇒正「解答」
14頁:誤「回答」⇒正「解答」

「解答集」なんて、得意げに自分で作った用語の変換間違えている・・・急いでいましたから。そんな細かいところは気にせず面白がってくれる良い職場です。

マニラ2000

 ミンダナオ和平の話のついで。

 そういえば2000年にもマニラに立ち寄ったことがあった。その時も新聞を開けばミンダナオ紛争ばかりだった。2000年にMILFとフィリピン政府は全面的な衝突を繰り広げていた。その時はエストラーダ大統領だった。

 マニラに着いて乗ったタクシーの運転手がムスリムで、興奮してメッカの写真を掲げて「ジハード・ジハード!」と言っていた。マニラでも熱くなっていたんですね。

 この時は外務省のサウジとの若者交流かなんかで、同年代の商社マンやメーカー社員や自衛官などと一緒に、サウジのリヤードに行った帰りだった。サウジ側から渡されたチケットがフィリピン航空だったので、帰りにマニラに一泊したのだった。
 
 商社マン達はフィリピンの歩き方などはよくご存じだったのだろうが、私と東大出のNHKのディレクターは一番無縁な感じで、並んで飛行機に座って、二人でフィリピン航空のキャビン・アテンダントに「マニラで一泊しないといけないんだけどどこ見物したらいい?」とうきうきと聞いたら、即座に「Girls」と言われて開いた口が塞がりませんでした。

一応ナショナル・フラッグ・キャリアの乗務員がこう答えるって・・・それにびっくりしている我ら(私だけか)が一番びっくりかもしれませんね。幼き日々。

 2000年は大学院生最後の年で、サウジ訪問でフィリピンに立ち寄った時にはちょうど翌年からの就職が決まったという通知も受けて、私にとっては考えてみればあの時が今の仕事につながる何もかもが始まるちょっと前の静かな時間だったかもしれません。

 中東とイスラーム世界そのものも、今につながる動きが始まる少し前。

 翌年の2001年の9・11事件から、あらゆることがある方向に動き出す。

 私自身のキャリアの方向性、将来への想定も、それ以前と以後で、まったく違うものになりました。
 
 サウジ訪問そのものはそれほど記憶にない(毎日3回おざなりに供される変わり映えのしないビュッフェとか、アルコールがないから一行がずらっとペリエを飲んでいたとかいった点は、その後湾岸諸国のいろいろな会議などに送られた際に、似たような状況があって思い出しますが)。
 
 むしろ、マニラに向けて戻ってくる途中の飛行機の中で読んだ新聞で、ミンダナオ紛争の前線の状況とか、タイでタクシンが首相になるための法的な障害とか(たしか大株主であることを隠蔽・偽装工作していた問題)を読んだことが記憶に残っています。大学に入って、特に大学3年からは中東の事ばかりしてきたけれども、日本と中東の間にはこんなにいろいろな世界があるんだな、と空を飛んでいて実感したのでしょうか。

 2000年はタクシンがまだ首相になっていなかったんですねーー。あれからいろいろなことがありました。

 そういえばこの時のサウジ滞在中に小さなテロがあったことを思い出しました。2001年への予兆はすでにありました。その時には将来を何も予想できませんでしたが。
 
 年度末につれづれなるままに。

ミンダナオ紛争で和平合意が調印

 3月27日に、フィリピンで政府とモロ・イスラーム解放戦線(Moro Islamic Liberation Front: MILF)が「包括和平合意文書」に調印した。

(リンクはなんとなくマレーシア・ボルネオ島のウェブ新聞にしてみました・・・マニラより近いし。フィリピンの新聞だと『フィルスター』とか『インクワイアラー』なのかな?)
 
 フィリピン南部のミンダナオ島の西部の一部とスールー諸島には、1990年以来、ムスリム・ミンダナオ自治地域(ARMM)が設定されているが、これを改組し、自立性を強化した「バンサモロ(モロ民族)」の自治政府を2016年に設立する。MILFは武装解除する、というのが和平合意の主要な内容。

 1970年代初頭から、40年以上続いてきたミンダナオ紛争だが、これで収拾に向かうとすれば歴史的な合意だ。

 今後は和平協議の段階から、自治の統治機構を創設する段階に入る。ゲリラをやっているのとはまったく異なる仕事が待っているが、MILFや「バンサモロ」にそういった人材はいるのだろうか。また、どのような統治を行うのだろうか。

 経済的な可能性はあるというけれども

 MILFは組織名に「イスラーム」を冠してはいるが、果たしてどの程度イスラーム的な統治を目指しているのか、また何を持ってイスラーム的な統治とするのか、あまりはっきりしていない。

 個人的には、大学に入ってイスラーム世界を研究対象にしようと決めたころから続くMILFの反政府武装闘争が終わるということで、一定の感慨がある。

 ミンダナオ紛争は当初、1970年結成のモロ民族解放戦線(Moro National Liberation Front: MNLF)が主導していた。1976年にリビアのカダフィの仲介でMNLFはマルコス政権とトリポリ協定を結んだが、MNLFが分裂して内戦終結ならず。翌年にMILFが結成される。

 結局1996年にMNLFが政府と停戦協定を結んで、武装解除して政治参加に踏み切る。ヌル・ミスアリMNLF議長はARMMの知事選挙に立候補して当選。
 
 しかし政治参加するとミスアリもMNLFもフィリピン政治のご多分に漏れず汚職・専横を極めて、政府からの切り崩し工作にもはまり、MNLFは分裂、ミスアリは失脚。

 並行して、1996年の和平合意を拒否して内戦を続行していたMILFが勢力を拡大し、MNLFをしのぐようになった。フィリピン政府もMILFの方を和平協議のカウンターパートとして認め、1997年以来交渉を続けてきた。

 マレーシアを仲介役にして行われてきた現在の交渉の大枠は2001年以来のもの。2003年に停戦合意を結び、それに基づいて交渉を進め、2008年8月にはいったん和平合意に調印する寸前まで行ったのだけれども、自治拡大で利権を奪われるミンダナオ島のキリスト教徒有力者層などが反発して、法廷闘争に持ち込み、最高裁が調印を寸前に差し止める、という形で頓挫した。その直後は武装闘争が再発して60万人とも言われる避難民が出た。

 私はその時偶然、マニラに2日ぐらい立ち寄っていたので、情報をかき集めてこんなものを書いてしまいました。フィリピン専門の人ごめんなさい。

池内恵「フィリピン政治で解決不能 ミンダナオ和平の「不遇」」『フォーサイト』2008年10月号

 ほんの数日で勉強しただけなので、多少のあらがあるかもしれません・・・

 和平への障害は、イスラーム主義とか民族意識といった理念の問題よりも、中央政府・地方政府の統治能力の問題だな、ということがマニラでいろいろ調べてみると見えてきた。和平協議破綻後に一時的に紛争は激化したけれども、MILFも政府軍も本気で武装闘争をやりたがっているわけではないな、とも感じた。

 全体の大枠としては、当時のアロヨ大統領が、一期6年で再任なしというフィリピンの大統領制の特性からも死に体になっていて(素人なんで分かりませんが、独裁・終身化したマルコス大統領を1986年のピープル革命で打倒した後に、大統領権力を制限したこんな制度になったんですよね?)、各地の支配層に抑えが利かなくなっているんだなあ、というふうに感じました。

 2001年1月に前大統領が弾劾されたことにより副大統領から昇格したアロヨ大統領は、2004年に自ら出た大統領選挙で勝利して例外的に2期目に入っていたが。2008年8月の段階では任期の終わりが見えてきて支持勢力が四散している感じだった。結局、自分の任期の初期に始まった交渉を任期中に終えられなかったので交渉が一度ご破算になったのだなあ、というのが外から見た漠然とした印象だった。

 それを考えると、2010年当選のアキノ大統領が、2012年の10月15日調印の「枠組み合意」を結んで、包括和平合意までの工程表に合意し、それに基づいて今回の和平合意調印まで進んだのは、フィリピン内政の時間軸からいうとぴったりというか、これ以上遅らせられないぎりぎりの日程に近い【2011年から今までの交渉のタイムライン】。

 任期が切れる2016年にまさにバンサモロ自治政府設立の期限が設定されているが、大統領の影響力が必然的に低下する過程でどうなるのかが若干心配である。

 大統領がふらついたり議会が邪魔する、というのが次にありうる展開。

 大統領の任期と議会有力者との関係というのはほんの大枠の大枠に関わる部分に過ぎない。和平と自治の実質に関わる土地や地方権力をめぐるローカルな事情はもっと重要なのだろうが、私にはよく分からない。たぶん非常に複雑で紛糾しているのだろう。

 和平を阻害する現象としては、MILFの統制下にない、あるいは対立・競合する組織が武装闘争や小規模のテロを行う、といったものが心配される。MNLFの一部が武装闘争に舞い戻って要求を突き付けるかもしれない。

 MILFは局地的な反政府武装組織としては有力だけれども、自治政府として半ば独立するバンサモロの領域一体にはMNLFの在地有力者が影響力を持っている。反政府闘争から自らを統治する段階に移ると、バンサモロ内部での新旧指導者層の権力争いから、紛争が生じかねない。ARMMの地方政府はいったん解体されるということだけど、ここに務めている人ってようするにMNLFのコネだったりするんではないか?それが(MILF主導となるであろう)バンサモロ自治政府で再雇用されるかを不安視する声なども早速挙がっている
  
 2013年9月9日には、MNLFの一派がミンダナオ島西南端の主要都市サンボアンガの市庁舎を攻撃し、人質を取って立て籠もった。同じころ、ザンボアンガの対岸のスールー諸島バシラン島のラミタンでは、2008年8月の和平協議崩壊の際にMILFから分派した「バンサモロ・イスラーム自由戦士(Bangsamoro Islamic Freedom Fighters)」と、イスラーム過激派のアブー・サイヤーフ(Abu Sayyaf)の残党が合流して、政府軍と戦闘を繰り広げた。

 2016年の大統領任期切れと、自治政府設立の期限に向けて、ちらちらと目を向けておこうかと思っています。

 なお、日本政府もミンダナオ和平には積極的な支援を行っている。

それにしても

 先日の朱建栄先生の件も、今回の王柯先生の件も(もし政治的事案なのであれば)、中国共産党の見解もかなり取り入れて日本社会に説明するような姿勢をもった人の方が、中国に戻った時に問題にされているというのはどういうことなんでしょうね。

 朱建栄先生などは明確に中国政府の日本向けの弁護士のようで、まさにdevil’s advocateという言葉の好例だなあと思うのですが。

 中国政府の見解と全面的に対立している人はそもそも中国に入国しない/できないのかもしれません。

 あるいは、もはやウイグル族の民族問題が存在すると言及すること自体が「アウト」になっているのか。そうだとすると事態はかなり緊迫しているのかもしれません。

 また、日本社会に説得力のありそうな人を引き締めにかかって「再教育」するプログラムがあるのかも、などと想像しますが、よくわかりません。

 でも帰ってきて人が変わったようになっていたら誰も信用しませんよねえ。

王柯先生の著作


王柯『東トルキスタン共和国研究―中国のイスラムと民族問題』東京大学出版会、1995年

今日は東大出版会の本の紹介が重なりました。

無事のご帰還を祈ります。

先日は、楊海英『モンゴルとイスラーム的中国』(文春学藝ライブラリー)、2014年2月刊、をご紹介しましたが(「モンゴルとイスラーム的中国」2月19日)、いずれも日本留学で学者となった先生方です。

日本の学界は、適切に運営・支援が行われれば(←ここ重要)、中国に極めて近くに位置して情報を密接に取り込みながら、自由に議論し、客観視できるという強みがあり、欧米へのアドバンテージを得られます。

中国に最も近いところにいる自由世界の橋頭保として日本は輝いていたいものです。