週末から週明け早々の秋分の日にかけて、東京・京都を二往復するスケジュールになってしまい、「飛び石連休」を逆方向に飛ぶ(?)生活になっている。
落ち着いて机に向かってブログに解説を載せている時間もないので、昔行なった講演を引っ張り出してみる。「イスラーム国」をめぐる現在の議論につながる関心をずっと持っていたんだなあ、と自分のことを自分で再確認。いや、日々の仰天するような変化に対応するのに追われて軸となる理論や概念が自分でもわからなくなることがあるので、頭の棚卸し。
「イスラーム政治思想による動員と組織化」2009年4月8日
このページの下の方にある私の報告の記録で、ポッドキャスト・映像・PP資料がダウンロードできます。
ストリーミング映像へのダイレクトリンクはこちら。
滑舌が悪くてすみません。ホームビデオで所員が録画しただけのものですし、本来は公開するべきものでもない研究会報告のようなものなので、映像・音声のクオリティに関してはご容赦ください。
2008年10月に今の職場(東大・先端研)にヘッドハンティングされてやって来たのですが(~♪~その前は京都に勤めていました~♪~)、年度半期での赴任だったので半年ぐらい試運転モードだったのですが、年度が改まって早々に、教授会セミナーという場所で、専門の違う所員たちにレクチャーをしろ、と仰せつかりました。
教授会セミナーとは、二週に一度の所員の会議の前に行うセミナーのこと。15分ぐらいでさっと終わらせるというのが基本ですが、結構長く話したりします。すべての回が公開されているわけではありませんが、私のは何となく公開OKにしてしまいました。
先端研は、工学系の大学院を受け持っているが、より学際的で、科学者・技術者から、行政学者やそして私のような思想史までの研究者が混在している。彼らに向けて分かりやすくかつ興味を持てるように自分の研究分野を話せ、という。
そうなると学会発表ではない。しかし市民講座のようなまったくのシロウトを相手にするのでもない。イスラーム教についての知識などは、人によっては、近所のオジサン/オバサン・レベルである可能性が高いにもかかわらず、ある特定の(理・工・生命医学など)の分野では最先端のマッド・サイエンティストみたいな人たちが聞いていることになる。彼らに「面白い分野だな」と思ってもらうのは簡単ではない。
というわけで、私が細々とやっている、本を読んで人の頭の中を読み取って、それが実際の政治・国際政治でどのように適用されているかを考える、という作業がどのような意味があるのか、研究の持つインプリケーションを軸に話をしました。
今思い返すと、私が先端研という特殊な場に入れてもらって、自由にいろいろなことをやりながら、かつ一貫して取り組んできたテーマは、この時必死にとりまとめた報告の中にかなりの部分が盛り込まれています。新任所員には教授会セミナーで話をさせる、という暗黙の制度にはやはりそれなりの意味があるんですね。
この時の報告の全体の趣旨は、「私は次のような現象に興味を持ち、そのメカニズムや要因を探る研究をしています」ということ。
どのような現象についての研究かというと、タイトルにあるように「イスラーム教による動員と組織化」です。
私の研究の原点にある、私が感じ取った興味深い現象とは、「イスラーム」という名を冠した政治・社会運動が、明確なイデオロギー書などもなく、指導者もおらず、組織もないのに、なぜ(時として)出来上がってしまうのか、ということ。
時として、というのは、いつも常に必ずどこでも「イスラーム」を冠した運動・組織が生じるわけではないからです。この点を加味すると、どのような条件において出現するのか、という環境条件をめぐる問題意識も派生してきます。
シリアとイラクに、各国からムスリムが勝手に集まってきてしまい、結果として「イスラーム国」なるものが出来上がってしまっているという現状を見ている現在では、当たり前のように感じられる問題意識です。
「イスラーム国」に限らず、世界各地で、似たようなシンボル(旗など)を掲げ、似たようなことを言って集団が形成され、活動しています。それは例えばこの地図で示すことができます。
出典:BBC
これらの運動はそれぞれにローカルな文脈とグローバルな影響関係があり、活動主体も規模もまちまちですが、おおよそ共通した世界観や方向性があり、可能な時は、特に事前に組織的なつながりがないにもかかわらず、非常に容易に協力関係に入ります。たいていの場合はほぼ同じデザインの黒い旗を掲げ、目標について、将来像について、何が敵かについて、聞かれればたいていは似たようなことを答えます。
しかし彼らが同じ学校を出たとか、同じ教則本を読んだとか、同じ人から影響を受けたという訳ではありません。なぜ彼らは別の場所で、同じようなことをするのでしょうか?
そして、現在、シリアからイラクこれらの運動の中心地になりかけています。数は推定に過ぎませんが、近隣の中東諸国から、世界各地のイスラーム諸国から、そして一部にはムスリム移民が多数いる西欧諸国から、ジハード戦士が義勇兵として集まり、しばしば残虐な行為をも行って悪びれもせずにいます。
出典:Ecomonist
頭の体操ですが、もし、これが多国籍企業だったとしたら、上の地図のような中東・アフリカの広範囲に「支社」を張り巡らせ、シリアやイラクにこのような多様な社員を送り込んで組織として機能させ、目標に向かって一丸となって働かせるには、どれほどの資金や、バックヤードの社員や、研修制度や、ノウハウが必要でしょうか。そう考えると、メッカやロンドンに「グローバル・ジハード会社」の本社ビルを構えて社長や役員がいるわけでもない、ベイルートに「東地中海地域統括副社長」とかがいて現地のオペレーションを仕切っているわけでもない、「イスラーム国」に代表される諸ジハード組織は、いったいどのように成立して発展して行っているのでしょうか?
もちろん、Economistの示した数値自体は、さまざまな資料を繋ぎ合わせた概算であると共に、foreign fighters一般を含むので、これらの全員が「イスラーム国」に加わっているということではありません(Economistもいちおう”IS is not the only group Westerners join,” と書いていますね)。
野戦病院に行っている医師や看護師とかもおそらく含まれます。「イスラーム国」に対抗する勢力に加わって、イスラーム国との戦闘で命を落としたり、捕虜になって殺害されたりする人まで、ここにカウントされているかもしれません。
「欧米へのテロの危険」への認識が高まり、予防的な拘束なども行われ、対イスラーム国の軍事行動の正当化論理ともなっている現在ですが、外国人義勇兵(とその帰還)が実際にどのような脅威であるかという問題は、じっくり慎重に考えるべき問題です。
また、「イスラーム国の大多数は欧米出身者だ」というのもおそらく事実ではありません。シリアやイラクに流入している外国人の圧倒的多数はアラブ諸国からであり、またチェチェンなどイスラーム諸国からも多く来ています。
Economistのかなり煽りがちな記事でも、”While the overwhelming majority of foreign fighters in Syria are Arabs,”と留保を付していますね(話は変わるが、EconomistやFTなどイギリスの有力メディア、あるいは権威の高いシンクタンクなど、普段は米国と一線を画す姿勢をしばしば見せ、米国主導の戦争、米による覇権そのものに批判的な態度を取ったりするのに、いざ戦争が始まるぞ、という時には妙に先走って脅威認識を煽る記事やレポートを出し、アメリカのメディアや世論や議会での議論を方向づけてしまうことがパターン化している。イラク戦争の時の”dodgy dossier”もそうだったし、今回のEconomistのセンセーショナルな書き方の記事にもどこか似たものを感じる)。
一方で西欧から来たジハード戦士は、欧米で注目を引いて宣伝効果が高いために、あるいは言語が得意なことから、宣伝映像に出演しがちなことがあり、他方で欧米諸国の政府やメディアは自分たちの国に戻ってきてテロをやられることを最も警戒しているので、少人数の欧米人のジハード戦士に過度に注目が集まっています。当事者たちの宣伝と、欧米諸国の関心事項がマッチして、外国人勢力の存在が実態より大きく国際問題化していないか、検討が必要です。
上記の留保を付したうえでもなお(あるいは上記のような疑問・関心に適切に答えるためにも)、私の関心からは、このような義勇兵がなぜ「イスラーム国」あるいは似たような方向性の集団に加わって国際的に移動するのか、という問題が、絶好の研究対象と感じられます。
2009年当時は、このような現象そのものの存在が、潜在的には、兆候として随所に存在しても、まとまった形に(それこそ「国」という形に)なっていなかったので、日本で聞いている人に納得してもらうこと自体が一苦労でした。
しかし一旦この現象の存在を認識すれば、その興味深さは各側面に及び、学問的な広がりが出てきます。また、「対処策」にも深いインプリケーションが生まれます。
中心も、指導者も、組織もないのになぜ、どのように、(時として)「イスラーム」を軸に人々がある一つの方向に動員され、集団が形成されるのか。
⇒この問題意識・設問に対して、自然科学ではないのですから、「これが原因因子である(ビシッ)」と答えることができるとは思えませんが、「いすらーむのことはわかりませんね~」とだけ言っていなければならないほど五里霧中という状態からは脱せる程度のことは言えるようになれそうだ・・・と考えて云年間苦闘しているわけです。
一言でいうと「思想が大事なんだよ」ということになりますが・・・
そして、その思想が個々人の「自発性」を引き出して、かつそれを一つの方向への運動、運動体への参加に呼びかけるタイプのものである、ということになるのですが・・・
そのような思想は、イスラーム教の信仰そのものと全く同一とは言えないでしょうが、信仰の基本原理を踏まえています。そうでないと人々がそもそも納得して参加しない。
そうなると、イスラーム教の信仰・思想のあり方そのもののどの部分がこのような組織論を可能にするのか、という形で宗教思想そのものを見直してみる必要も出てきます。
ここで一般向けに議論する際に思い切って提示しているのが、イスラーム教は「解答集」である、という説明の仕方です。
われわれにとってなじみのあるキリスト教や仏教のテキストは、信者あるいは人類に「解けない難問」を突き付けて悩ませるタイプのいわば「問題集」的な形式を取っている。
それに対して、イスラーム教の基本テキスト(コーランとハディース)と、その解釈方法は、「解答集」的な形式になっている。問題を与えるのではなく、解答を先に与えてしまって、その解答をもとに、現実の世界で直面する問題も認識させる(だから常に問題に対して解答が見つかる)という形式なのです。
同じ宗教と言っても、イスラーム教はキリスト教や仏教と、信者に与える生活経験が異なります。要するにものすごくハッピーになり、宗教の初心者でも最初から確信を持つことができ、心の平安が得られるのです。「問題を見るな、解答(今出してやるから)を見ろ」と教えているから、難問がすべて氷解してしまう。ただし、『コーラン』という書物やそれを伝えた預言者、預言者の言動を記した「ハディース」という伝承群を、一切(個々ハディースの中にはグレーゾーンの信憑性のものもありますが)が真実であると信じさえすれば、という条件がありますが。この条件を呑むか否かが、信者とそうでない人を分けます。
ここを呑みこんでしまうと、非常に心の平安が得られ、確信が得られ、(何らかの方向づけを与えられ、環境要因も働くと)邪念を捨ててジハードに向かうことも可能になる、ということなので、根本にある宗教の信じ方、あるいは宗教テキストが信者に対して宗教を「信じさせる信じさせ方」を把握するのとしないのとでは、現実に起きている現象を見る見方も変わってきます。
このあたりは、日本では宗教信仰のあり方が欧米ともイスラーム世界とも違いますから、誤解が甚だしくなっています。
特に、日本では宗教をも実利主義的に見る考え方が強くあります。「得するから信心をやる」という見方ですね。
実利主義的解釈からは、
「お金もらえるからジハードに行くんだろ?」
「コーランには天国にいるとウン十人の処女が云々なんて書いてあるからそれを使って若者を唆しているんだ」
と勝手に結論づけてしまう。
あるいは実利主義・現世主義的解釈から、疑問に感じ、納得がいかなくなる。
改宗者に対して、
「信仰に入ると酒が飲めなくなるのに、なぜ信じるの?酒飲めない人生なんてありえなくない?」
と反応するといった具合です。
酒を飲まないことを含んだ教義体系を受け入れることで、酒を飲むよりもっとハッピーな気分になれるように仕向けるタイプの宗教というものがある、ということについての想像力がゼロ。でもこれ一般的な日本での反応でしょう。
もちろん誰かが資金を出して、例えばシリアに身一つで行くだけであとは滞在場所も生活費もお任せで武器を用意している、というような環境があれば、ジハード義勇兵が来やすいし組織化しやすいということがあるでしょう。ですので、資金が用意されている、ちょっとした給料ももらえる、といった実利的条件が満たされれば、ジハード戦士がたくさん来るし組織が大きくなる、という因果関係はあるでしょう。それはあくまでも環境要因を準備する際にお金が関わっているというだけで、「なんで彼らが来てしまうのか」「あんなひどいことを平気でしてしまうのか」という内的モチベーション・動機づけが説明できません。「金で釣られて・・・」というのは、止めて帰ってきた人あるいはジハード戦士を送り出してしまった家族の言い訳とか、貶めようとする批判者の側の議論でも用いられるので、一般的によく発信されがちですし、日本では実利主義的世界観にマッチするのでことさらに受け入れられやすい。
しかしそのような認識から対処策を考えても、当事者がそのような認識を持っていなければ、あまり効果がないかもしれません。
現世の実利によって釣られる、というのは人間行動の重要な側面ですので、そこを度外視しては現実を理解できませんが、それとは別の、内側から、自発的にモチベーションを高めて人を動かす、という側面の人間行動の方が、世界的に通用している宗教の中心的な部分であり、それは廃れているどころかむしろ強まっている面があり、そのメカニズムを解明することは現在の国際社会を見る際の重要な要素であると思うのです。
非常に短期的・直接的な、政策的インプリケーションとしては、分かりやすく言ってしまえば、「個々人の自発性を刺激し、ある方向に方向づけた結果として現れる、中心組織なき、ヒエラルキーなき組織なので、対応がすごく難しい、少なくとも従来の軍事的・法執行的やり方では難しいですよ」ということになる。
また、「欧米でのテロの危険性」という点でも、「高まるだろうが、直接的にシリアとイラクの勢力と結びつきが乏しいので、イラクとシリアでの軍事行動が欧米でのテロを減らすのか、あるいはかえって高めるのか、よく考えてみる必要がある」といったことが即座に言えます。(欧米でのテロに関しては、2013年に「ローン・ウルフ」型テロについて、その思想と戦略論を複数の論文で取り組んだのでそれを参照してください)
「結局、対策は難しい、ということか!役立たない研究だな!」と言われそうですが、確かにそうなんですが、メカニズムの実態にそぐわない、よって効果の乏しい対処策を採ってかえってこじらせるよりも、こういった視点で研究を進める過程で、、思いもよらないところから解決策が出てくるかもしれません。
中心組織なき自発的な自己組織的集団、というのはイスラーム主義過激派に限らず、ITネットワーク時代の組織・集団化現象によく見られるものなので、そういった勝手にできてしまう組織が、またある時突然にばたっと消滅する事例もあるでしょう(mixiとかある日突然誰も使わなくなった・・・)。
そのような、自発性を低減させ、結果として組織の消滅を促進する政策はないものか。先端研のような学際的なところにいるからこそ、そこまで視野に入れて研究を進めています。
・・・と、まとまりがないことをいろいろ考え続けています。
その間にも現実が動いていくのでついていかなければならないが、私が頭で考えるよりも先に現実の展開が真実を明らかにしてくれている気もする。あるいは余計分かりにくくしている場合もあるが。
なお、この報告の際のパワーポイント資料もホームページ上でダウンロードできますが、当日朝大急ぎでメモしただけなので、言葉が重なっていたり、変換ミスもあったりします。まあ意味は通じます。本来公開を意図していない報告なのに公開されてしまったので、うろたえるところがありますが、どういうことに日々取り組んでいるかが漏れ出してしまっており、恥ずかしいがすでに長い間静かに公開されてしまっていてすでにみたという人もいるので消すわけにもいかないし、ということで逆上してここで広報してしまう。
【プレゼンテーション資料の訂正】
9頁:誤「合理的に合理的に」⇒正「合理的に」
13頁:誤「回答」⇒正「解答」
14頁:誤「回答」⇒正「解答」
「解答集」なんて、得意げに自分で作った用語の変換間違えている・・・急いでいましたから。そんな細かいところは気にせず面白がってくれる良い職場です。