日本と国際メディア情報戦

数日前、NHKディレクターでノンフィクション作家の高木徹さんと対談をしていました。そのうちとある雑誌に出る予定ですが、対談の内容は出た時に紹介するとして、対談でも素材にした、高木さんの新刊をご紹介。

高木徹『国際メディア情報戦』(講談社現代新書)

高木さんとの対談は3度目で、最初は2003年に遡る。

(1)高木徹・池内恵「戦争と情報戦略 国際政治の中の目立たない国・日本」『本』2003年10月号、8-14頁
(2)高木徹・池内恵「世界中から日本人が「消えた」? 普天間、トヨタ問題で後手に回る背景」『中央公論』2010年6月号、176-184頁
(3)今回。某誌。まだゲラも出ていないので記しません。2014年4月号ぐらいなのかな。

また、高木さんの『ドキュメント 戦争広告代理店〜情報操作とボスニア紛争』 (講談社文庫)の文庫版解説や、『大仏破壊 バーミアン遺跡はなぜ破壊されたか』書評も書いたことがある(『書物の運命』に収録されています)。

映像の人なので、私には感覚的に分かり難いところもあるが、従来の活字派・団塊・早稲田的(偏見ですが)な、単調な善悪二元論で暑苦しくしばしば見当はずれに描かれる戦争ものとは異なる、現代世界の本当の「戦場」をクールに描いている視点は一貫していて、また現実の進展とシンクロして発展していく。毎回対談が楽しみだ。

いずれの対談でも、「国家のPR」あるいは「国際メディア情報戦」について、高木さんが観察している最新の動向を伺いながら、日本の置かれた立場の変化や将来の見通しについて考えてきた。

今回対談をしたことをきっかけに過去の対談も読み返してみたのだけれども、10年間での変化の大きさ、特に日本の置かれた立場の様変わりは著しい。

皆様も対談を読み返していただければ、そのような将来の変化についての、二人の「見通し」というか「予感」は、まったくはずれていなかったと思う。このブログにでもいずれテキストを部分的にでも掲載したい。

お互いに「そうなってほしくはないが・・・」という文脈で語っていた悪い方のシナリオがどんどん現実化しているように見える。

先日書いたコメントも、そういった長期間かけて積み重なってきた関心と危機意識の上でのものです。

高木さんとの対談を含め、この問題についはまた書きましょう。

エイズとC型肝炎にも勝利したエジプト軍

インターネットの時代になって、怖いのは、どこの国でも、夜郎自大に自国民を威圧してこられたエラいさんの、実態としてはトホホな水準の発言や、それをもてはやす一部の人の行状が、一瞬にして世界中に晒されてしまい、デジタル的に永遠に保存されて複製され、取り返しがつかないこと。

日本でも最近続発していますが、こういった方面で人後に落ちない(?)のはエジプト。

2月22日に、エジプト軍の軍医のかなり偉い人(少将:軍医としては最高レベルでしょう)のイブラーヒーム・アブドルアーティー(Ibrahim Abdel Aaty)が記者会見して、軍の医学研究所が、C型肝炎もエイズも、血液検査もせずに探知し、治癒する技術を開発した、と大々的に発表。エジプト軍は「エイズに打ち勝った」と、軍の公式会見場で声を張り上げ、スィースィー国防相・元帥からもご支援いただいている、と謳い上げるアブドルアーティー将軍の前に、翼賛体制を支持し、ナショナリズムで盛り上がるエジプトの記者たちからは拍手の連続(ビデオは軍政を批判する勢力が字幕をつけてアップしたものです)。

「C-FAST」とかいう機械。棒みたいなもので、患者に触れもせずにC型肝炎とエイズを探知し、治療できるという。もともと爆発物探知機だったものを発展させたのだという。

この発表をエジプト軍としても全面サポート。昨年の7・3クーデタ以来、軍のイメージアップ作戦で重用されているイケメン報道官アハマド・アリー大佐も、公式フェイスブック・ページでこれを称賛し、マンスール暫定大統領、そして最高権力者のスィースィー国防相もこの装置のプレゼンを受けご満悦、というところまで流してしまった。

インフルエンザのH1N1ウイルスにも効くとまで言っているらしい。

Egypt’s military claims AIDS-detecting invention, Ahram Online, 23 February 2014.

しかし、どうみてもこれはオカルト科学の一種だろう。「ダウジング」という分野で、もともとは、特殊な能力を持った人が、なんらかの形状の棒を持って鉱脈や水脈の上を通ると棒が勝手に反応する、というやつ。それが医学にも応用できる、という話になっていたとは知らなかった。

歴史を遡れば「占い棒」として人類史上ずっと、底流で続いてきた信仰の一つの流れだろう。

私はオカルトの分野には個人的にはまったくなんの興味も持ったことがない人間で、詳しくもない。霊感とか幽霊とか感じたことも見たこともない。

が、「エジプトの社会思想におけるオカルト思想の影響」に関しては、「専門家」で「オーソリティ」と言ってもいいと思う(威張れませんが・・・)。

1990年代後半のエジプトの思想・世論を研究した時に、結果として、「ある意味で、一番有力なのは陰謀論とオカルト思想」という厳然とした事実を突き付けられ、こんな本を書くしかなくなってしまいました。

『現代アラブの社会思想 終末論とイスラーム主義』(講談社現代新書、2002年、大佛次郎論壇賞受賞!!)

そのようなわけで、忙しいんだが、エジプトでオカルト思想が、政治的に意味がある水準にまで盛り上がった時には、解説をせざるを得ない(←誰が頼んだのか)。

なお、こういった「科学」に取り組んでいる人は世界中にいて、似たような「発見」が、針が振り切れた科学者から発表されては黙殺される、ということが、時々起こる。

アブドルアーティーさんも、軍の研究所でどうやらすごく長い間これに取り組んできたらしく(本人は「22年間」と言っている)研究所には「先達」もいるらしいということが記者会見の映像から分かる。

そして、格調高き英ガーディアン紙が、これをそれなりに信憑性の高いものとして報じてしまった

“Scientists sceptical about device that ‘remotely detects hepatitis C'” The Guardian, 25 February 2013.

タイトルだと「科学者は懐疑的」となっているが(これはイギリスのデスクがつけたのでしょう)、本文はこの探知機・治療器をかなり信憑性の高いものとして扱ってしまっている。ガマール・シーハー(Gamal Shiha)博士というエジプトの最高水準の肝臓病専門家という人の話も取り上げ、さらにエジプト以外でもいろいろな治験例があってそれなりに検証されているようなことを書いてしまっている。

しかし記事を書いたのは科学記者ではなくて、カイロ特派員。

エジプトの雰囲気に呑まれてしまったのでしょう。エジプトの医学界・科学行政で権威の高い、影響力のある、しばしばメディアに登場する人たちが、軒並み「すごい」と言っているのだろう。特派員が現地の現実を忠実に伝えたら、確かにこういう記事になってもおかしくない。

確かに、エジプトの科学研究の上の方にいる偉い人たちや、それを取り巻く知識人たちが、こんなことを言って盛り上がっていそうなことは、かなり想像できる。言っているだろう。みんながみんなそうではないし、すごく優秀な人はいっぱいいるけど、そういう人はコネがなかったり、偉い人にひざまずいたりできなかったりして偉くなれず、外国に行ってしまう。外国に行けなかった人はひどい生活をして、くすぶっている。

ガーディアンの科学記者たちは大慌てでブログで火消しに走っている。
Scientists are not divided over device that ‘remotely detects hepatitis C’
(C型肝炎の遠隔探知機について、科学者の意見は分かれてないよ)
Hepatitis C detector promises hope and nothing more
(C型肝炎探知機は希望以外の何も約束しない)

もちろん、どんな手法であれ、C型肝炎やエイズが探知したり治療できたりするというのであれば、すばらしいことだ。それがこれまでに想像されていなかったやり方であっても、検証可能な厳正な治験を経て立証されれば、科学の進歩に寄与するはずだ。

ただ、今回の話は、そのような手順を踏んだとは思えない。

そして、出ました!陰謀論。はい、セオリー通りに出てきましたよ。

“AIDS-detecting device’s inventor says was offered $2 billion to ‘forget’ it.” Egypt Independent, 25 February 2014.

ビデオはここから(シュルーク紙のホームページで民間テレビ局バラドの映像をアップしている)

エジプト人、そして偉大なるエジプト軍の優秀さを世界に知らしめて引っ張りだこになったアブドルアーティー少将はテレビ出演して、「20億ドルを提示されたが断った」と語る。単に20億ドルを提示されたというのではなくて、この発明をもみ消そうとする国際陰謀の魔の手にかかりそうになって、エジプトの諜報当局の助けを借りて逃げ延びた、という。だめだこりゃ。

In a TV interview on the privately-owned Sada al-Balad satellite channel on Monday, that he was then offered the money to ‘forget’ about the device. “I told them to note that it was invented by an a Muslim Egyptian Arab scientist, but I was told to take the check and the device will be taken to any country. I said okay and then escaped back to my country. The intelligence service protected me,” he said.

単に阿呆な話、というよりも、軍政のプロパガンダと翼賛メディアのヒステリア、という文脈で出てきた話なので、政治分析の重要な傍証として取り上げる意義のある問題です。

(1)もともとエジプトではこういったオカルト/陰謀論を庶民だけでなく、高等教育を受けた知識層の一定の部分が信じている場合があり、コネ社会なのでそういう人が有力になると誰も止められない。

(2)現在の政治的背景として、軍礼賛とナショナリズムでメディアや知識層が高揚しており、エジプトの山積する難題に対して「軍万能説」を盛んに流している。

というのを前提にして、

(3)根深いオカルト説と、現在の軍政・翼賛化の流れが合致して、以前からこういう説を唱えていた軍医さんに光が当たり、大々的に発表する場が与えられ、広く報じられるに至ったのだろう。

ということが推測される。

エジプトのアラビア語紙では「快挙」と祝賀・礼賛モードなのに対して、政府系でも英語紙は当初から懐疑的に伝えている。本音で「エジプトではよくある話」と思って信じていないのだろう。アラビア語紙の方はひたすら時流に乗る。

逆に、ガーディアンの特派員が現地のヒステリアに呑みこまれているのが面白い。

さすがにエジプト大統領府の科学担当の顧問も、「科学研究の国際的な手順を踏まないといけない」と恐る恐る火消しに出た上で、
“Egypt presidential advisor: Army health devices for virus C & AIDS must comply with int’l standards,” Ahram Online, 25 February 2014.

どうやら軍からもOKが出たらしく「この発表はエジプトの科学にとってのスキャンダルだ」と全面否定に転じた。マンスール暫定大統領もスィスィー国防相も詳細を知らされていなかった。そして「これは外国の新聞がエジプトのイメージを国際的に損なうのに利用される」と危惧している。しかしエジプトの軍政の一面がこのようなものであることはすでに十分広報されてしまった。

“An issue this sensitive, in my personal opinion, could hurt the image of the state,” Heggy said, adding that foreign newspapers could utilise the announcement to harm Egypt’s image internationally.

“Claims of cure for HIV, Hepatitis C are a ‘scandal’: Egypt presidential advisor,” Ahram Online, 26 february 2014.

でも記事を読んでみると、軍医・工兵部門の高官にはこの発明の支持者がかなりいるようだ。

英語紙の記事自体が、国際常識とローカルな権力構造の間で引き割かれて、一貫した文体を見い出せないでいるようだ。

「エジプト軍万能説」を信じている、あるいは信じているふりをするエジプト人は多いし、それを真に受けるエジプト専門家や報道関係者も多いが、実態はこの程度。文民のテクノクラートも内心は辟易しているだろうが、口には出せない。

エジプト研究をしてきた人間としては、「うちのエジプトがご迷惑をおかけしています」と菓子折りを持ってご近所を廻りたい気分です。

モンゴルとイスラーム的中国

見本が届いたばかりの、最新の寄稿です。


楊海英『モンゴルとイスラーム的中国』(文春学藝ライブラリー)、2014年2月20日刊(単行本は2007年、風響社より刊行)

ここに「解説」を寄せました(425-430頁)。

イスラーム世界を専門にしているといっても、中国ムスリムは私にとって最も未知の世界。勉強させてもらいました。

中国西北部、モンゴル系やウイグル系のムスリム諸民族を訪ね歩く。「民族」が縦糸、スーフィー教団の系譜が横糸か。

全体を通して導き手となるのは、回族出身で、文革期に内モンゴルで遊牧生活を送った作家・歴史家の張承志。

独特の文体。オリジナルな研究というのは通り一遍の解釈を拒むもので、解説を書くのは大変でした。

災後の文明

ものすごく重く重要な(私にとって)論文を二本、何が何でも金曜日までに、、ということで昼夜を問わず死力を尽くして完成(ほぼ)に漕ぎ着けましたが、もう頭が動きません。

途上国経済よりも私が低体温になっている感じがします。

外は雪。。

中東問題解説はお休みして、見本が届いた近日発売の共著をご紹介。


御厨貴・飯尾潤(責任編集)『「災後」の文明』阪急コミュニケーションズ、2014年2月

(Kindle版も出てた)

震災後の社会と政治を、政治学・行政学・思想史の研究者が集まって何度も研究会をして、読みやすい「教科書」のようにまとめました。

復興政策を国や自治体から見るだけでなく、社会学や思想史や経済学、国際関係論から見る章もあって多面的になっています。

遠藤乾、柳川範之、梅田百合香、牧原出、堂目卓生、川出良枝、苅部直、牧原出、村井良太、佐藤卓己、武藤秀太郎、伊藤正次・・・目についたまま挙げてみても壮観です。このメンバーが同じ部屋で同じテーマを議論をしたこと自体が信じられません。

*震災後に家族とかコミュニティの絆が高まった、という話があったけれども、それはデータを厳密に見ていくとどうなのか(大竹文雄さん)

*「ソーシャル・ネットワーク元年」としての東日本大震災の後の「リアリティ」はどんなものか?(五野井郁夫さん)

*リスボン地震後の知の変容(川出良枝さん)

といった話が「災後」という枠の中でぶつかり合っています。

時間ができたら他の人の章をじっくり読んでみます。

私は「二つのツナミの間で」(276-286頁)を寄稿しています。私のはたぶん最も短くて、他の章はもっと力作です。

論文を書きすぎて頭が動かないのでそれではまた。

トルコ経済はどうなる(3)「低体温化」どうでしょう

米国でのテーパリング(超金融緩和政策の縮小)がなぜトルコ経済に影響を与えるかというと、私は専門ではないので、関わったお仕事でエコノミストの皆様に教えていただいた話を引き写します。

PHP総合研究所で「グローバル・リスク分析プロジェクト」というのがあるのですが、これに2013年版から参加させてもらっていましたが、2014年版が昨年12月後半にちょうど出たところでした。
cover_PHP_GlobalRisks_2014.jpg
「PHPグローバル・リスク分析」2014年版、2013年12月

無料でPDFがダウンロードできます。

この報告書は2014年に顕在化しかねないリスクを10挙げるという趣向のもの。リスク②で「米国の量的緩和縮小による新興国の低体温化」という項目を挙げてあります。

それによると、

「(前略)2014 年は米国の金融政策動向が、新興国経済の行方を左右するだろう(リスク②)。近年の新興国ブームの背景には先進国、とりわけ米国の緩和マネーの存在があったが、2013 年12 月、連邦公開市場委員会(FOMC)は、2014 年1 月からの量的緩和縮小を決断し、加えて、今後の経済状況が許せば「さらなる慎重な歩み(further measured steps)」により資産購入ペースを縮小するだろうとの見通しを示した。量的緩和策の修正は、新興国から米国にマネーを逆流させることになる可能性が高い。」【6頁】

ということです。そこで新興国が「低体温化」するわけですな。

「2014 年は、2013 年末に開始が決定された米国の量的緩和縮小の影響で、新興国の景気が冷え込む「新興国経済の低体温化」がみられる可能性が高い。」【14頁】

「低体温化」という形容がどれだけ適切かは、今後の展開によって評価されるかな。

どういうメカニズムかというと、

「とりわけ、経常収支が赤字でインフレ傾向の新興国は、経常赤字をファイナンスすることが難しくなる上、通貨下落によりインフレに拍車がかかり、緊縮政策をとらざるをえなくなる。」【6頁】

なんだそうです。

しかも、この緊縮政策が政治的理由で取れなくて、いっそう危機を引き起こす可能性があるという。

「2014 年には4 月にインドネシアで総選挙、7 月に大統領選挙、5 月までにインドで総選挙、8 月にトルコが大統領選挙と重要新興国が選挙を迎えるが、これらの国々はまさにインフレ懸念、貿易収支赤字国でもある。有力新興国のうち、ブラジルでも10 月に大統領選挙が行われる。選挙イヤーにおける政治の不安定性に米国の量的緩和政策の修正が重なると、これらの国々の経済の脆弱性は一気に高まり、しかも適切な経済政策をとることが政治的に難しいかもしれない。」【6頁】

「これらの国々の経済政策は、中央銀行によるインフレ抑制のための金融引締め(金利引上げ)と、選挙対策を意識した経済成長を志向した政策との間で立ち往生する可能性も考えられないではない。」【15頁】

トルコ中央銀行の1月28-29日にかけての大幅利上げは、こういった疑念を払拭するため、というかもはや「立ち往生」していられなくなったのですね。

そして、日本にとっては、

「対中ヘッジに不可欠のパートナーであるインド、インドネシア、ベトナム、そしてインフラ輸出や中東政策における橋頭堡の一つであるトルコといった戦略的重要性の高い新興国が、米国の緩和縮小に脆弱な国々であるという点は2014 年の日本にとって見逃せないポイントである。」【7頁】

なのです。

トルコ内政の混乱に関しては、予想通りというよりも予想をはるかに超えた大立ち回りになってしまっていますが、それについてはまた別の機会で。

ちなみにこのレポートで挙げた10のリスクは次のようなもの。

1. 新南北戦争がもたらす米国経済のジェットコースター化
2. 米国の量的緩和縮小による新興国の低体温化
3. 改革志向のリコノミクスが「倍返し」する中国の社会的矛盾
4. 「手の焼ける隣人」韓国が狂わす朝鮮半島を巡る東アジア戦略バランス
5. 2015 年共同体創設目前で大国に揺さぶられツイストするASEAN 諸国
6. 中央アジア・ロシアへと延びる「不安定のベルト地帯」
7. サウジ「拒否」で加速される中東秩序の液状化
8. 過激派の聖域が増殖するアフリカ大陸「テロのラリー」
9. 米-イラン核合意で揺らぐ核不拡散体制
10. 過剰コンプライアンスが攪乱する民主国家インテリジェンス

1と2が世界経済、3,4,5が東アジア・東南アジア、6,7,8,9が中東を中心に中央アジアやアフリカに及ぶイスラーム世界。

(10はこういうリスク評価などインテリジェンス的な問題に関わっている専門家が感じる職業上の不安、でしょうか。)

なお、リスクの順位付けはしていないので、リスク①がリスク⑩よりも重大だとか可能性が高いとかいったことは意味していません。

念のため、私は執筆者の欄では50音順で筆頭になってしまっていますが、もちろん経済関係の箇所は書いていませんのでご安心ください。中東に関わる部分も、数次にわたる検討会や文案の検討に参加して議論しましたが、それほど大きな貢献をしてはいません。

所属先との関係で名前が出せない人も多いので、実際にはもっと多くの人が関わっています。

中東やイスラーム世界というと危険や動乱や不安定を伴うので、こういったリスクや将来予測についての地域・分野横断的な作業に混ぜてもらうことが多く、勉強させてもらっています。来年も呼んでくれるかな。

しかし「不安定のベルト地帯」と「秩序の液状化」を抱え、「テロのラリー」が始まっていて、それどころか「核の不拡散体制も揺らいでいる」って、中東・イスラーム世界は何なんでしょうか。そんな危険かなあ(自分でリスクを指摘しておいてなんですが)。

テーパリング自体は昨年後半ずっと「やるぞやるぞ」という話になっていたので、このリスク予測プロジェクトのかっこいいエコノミストのおじ様、お姉さまたちからさんざん聞かされており、分かったつもりになっておりましたが、実際にここまではっきり影響が出るとは、実感していませんでした。

まさに12月末というこのレポートの発表予定日あたりに、テーパリングが実施されるかされないか、という話になっており、もしレポートを発表した翌日に実施されたりすると一瞬にして古くなった感じになるのではらはらしましたが、エコノミストの方々は「予定原稿」みたいなものを事前に作っておられて、ちょうどレポート刊行直前に発表されたテーパリング翌月実施の決定に対応して、ささっと直して無事予定通りに最新の情勢を踏まえて刊行いたしました。さすが。

レクサスと日本外交

苦し紛れに即興的に作った造語「LEXUS-A」が、一人歩き、とまではいかないが、おそるおそるお散歩中、ぐらいか。

1月26日の『東京新聞』で、木村太郎さんが連載「太郎の国際通信」に寄稿した「元米同盟国連盟が拡大中」というコラムで引用してくださいました。冒頭の部分をご紹介します。

「LEXUS-A(レクサスーA)という言葉に出合った。といってもトヨタ製の乗用車のことではない。League of EX US Alliesの頭文字をとったもので「元米同盟国連盟」とでも訳すか。池内恵東大准教授の造語で、英国の国際問題誌モノクルの記事の中で紹介されていた。この「連盟」に属するのはサウジアラビア、イスラエル、トルコなどで、米国が中東政策を転換してシリアのアサド政権を延命させ、イランとの核交渉で妥協したことで外交的に「はしごを外された」面々だ。」

『モノクル』(Monocle)というのはイギリスの雑誌で、最先端のデザインやライフスタイルやファッションと、グローバルな政治経済情報が心地よく混在した、日本にはない形態。

なぜだか知らないが原稿やコメントの依頼が来た。調べてみると表参道にショップを構えていて、特派員までおいている。かなり頻繁に日本の最先端科学技術や、食文化、伝統工芸などを取り上げている。

この雑誌に寄稿した文章(Satoshi Ikeuchi, “Bloc Building,” Monocle, Issue 69, Vol.7, December2013/January2014, p.124)の末尾の部分、

But why not strengthen ties with other abandoned or burned ex-US allies, such as Saudi Arabia, Israel and Turkey? Someone might want to come up with a name for this new bloc. I have a suggestion: the League of ex-U.S. Allies, or LEXUS-A.

というところが該当箇所です。

ま、軽い冗談ですよ。でもちょっとは日本でそういう風に考え始めているんじゃないかな、アメリカさん。

流麗な英語になっていますが、私一人ではこんなに上手に書けません。内容は完全に私が考えたものですが、英語表現・文体はかなり編集側に手を入れてもらっています。忙しくてまったく時間が取れなくて辛うじて夜中に数時間の時間を作って、眠いところを必死に書いて送ったところ、オックスフォード出の切れのいい女性の日本特派員が、”You’ve done a great job.”とか言いながら手際よくピーッと全部上書きして直してくれました。

「お前は良い仕事をしたよ」と言われて、「上手に書けてたんだ」とは思わない方がいいようですね。特にイギリスの英語。

よっぽど無骨な英語だったんだろうなあ。

英語の婉曲表現が実際には何を意味するか、それを知らない人はどう誤解するかを面白おかしく対照表にしたものがインターネットに出回っていた。

探してみると・・・

“Translation table explaining the truth behind British politeness becomes internet hit,” The Telegraph, 02 Sep 2013.

例えば

Very interesting とイギリス英語で言うと、実際には That is clearly nonsense を意味していて、しかし聞いた方は They are impressed だと思って満足してしまう、とな。幸せでいいじゃないですか。

With the greatest respect…なんて丁寧に言われていると実際には You are an idiot と言われているんだと言われても、分かりかねます。

Quite good は本当は A bit disappointing なんだそうです。これはよく言われてきた気がする・・・

I only have a few minor comments は、実際には Please rewrite completely と言われているんだそうです。うひゃー。

それはともかく、Lexus-Aを最初に引用してくれたのは、日経新聞特別編集委員の伊奈久喜さんの「倍返しできぬ甘ちゃん米大統領(風見鶏)」『日本経済新聞』2013年12月22日

「中東専門家の池内恵東大准教授が「Lexus-A」という新語を造った。レクサスAと発音する。新車の話ではない。「League of Ex US Allies(元米国同盟国連盟)」の略語だ。サウジアラビア、トルコ、イスラエル、日本、さらに英国がメンバーらしい。」

もちろん問題となっている対象は私が見つけ出したことではない。ユーラシア・グループのイアン・ブレマー氏が2013年にJIBs(Japan, Israel, Britain)を、米国の後退によって困った立場に立たされる同盟国としてひとくくりにした。さらに今年は年頭の「世界の10大リスク」の筆頭に「困らされた米同盟国」の問題を挙げている。

しかしむやみに悲観的になることもない。米国の同盟国は、たいていは技術があったりお金があったり生活水準が高かったりするのだから、米国抜きで(元)米同盟国連盟を組んで豊かに暮らせばいいんじゃないの?という意味を込めて作ってみました。こちらの方が明るくていいと思います。

「【日米中混沌 安倍外交が挑む】同盟国との関係を悪化させたオバマ外交と安倍首相の地球儀外交」でも引用されているようです。

革命のクライマックスとしての憲法制定について:アレントを手掛かりに

チュニジアの立憲プロセスに関して補足。

そもそも、「革命」の成果の確定としての「憲法制定」の重要性、というものが日本ではきちんと理解されていないのかもしれない。だからチュニジアでの成果について、日本と欧米とでここまで報道が異なるのかもしれない。

「革命」の最重要部分としての立憲政治については、ウェブ上で論説を書いたことがある。

池内恵「「アラブの春」は今どうなっているのか?――「自由の創設」の道のりを辿る」『シノドス』2013年12月9日
その一部分を引用しておく。

(前略)
ハンナ・アレントは、世界史上に数多く起きてきた「革命」の多くは実は「反乱」に過ぎず、それが「自由の創設」をもたらすという「奇蹟」を伴わない限り、多くは混乱と分裂のもとで再び独裁の軛に繋がれる結果に終わったと指摘する。しかし往々にして人々の関心は「反乱」の劇的な側面に向けられ、「自由の創設」の地味な側面への関心は高まらない。

「歴史家は、反乱と解放という激烈な第一段階、つまり暴政にたいする蜂起に重点を置き、それよりも静かな革命と構成の第二段階を軽視する傾向がある」(ハンナ・アレント『革命について』志水速雄訳、ちくま学芸文庫、1995年、223頁)

静かな革命における「構成」とはすなわち憲法制定(コンスティチューション)である。アレントによれば「根本的な誤解は、解放(リベレイション)と自由(フリーダム)のちがいを区別していないという点にある。反乱や解放が新しく獲得された自由の構成を伴わないばあい、そのような反乱や解放ほど無益なものはないのである」(アレント『革命について』224頁)。

アラブ世界の社会・政治変動に関するわれわれの関心も、ともすれば「反乱」の局面にのみ向けられてはいなかったか。デモよりも内戦よりも、自由の構成=憲法制定という地道で労の多い過程こそが、革命のもっとも重大な局面であるとすれば、「アラブの春」を経たチュニジア、エジプト、リビア、イエメンは、この段階での困難に直面しているといえる。それは成功を約束されたものではないが、失敗を運命づけられてもいないし、まだ終了してしまったわけでもない。

(以下はシノドスで)


ハンナ・アレント『革命について』 (ちくま学芸文庫)

御厨貴『知の格闘』に参加して格闘

出ました。


御厨貴『知の格闘──掟破りの政治学講義』(ちくま新書)

御厨貴先生が2012年に行った、最終講義シリーズの書籍化です。6回の講義に、それぞれ一人コメンテーターがついて、私は第6講の「映像という飛び道具──メディアと政治」でコメンテーターを務めています。

最終講義というとひたすらお説を拝聴するだけで、さらに言えば、古くなった学説や思い出話を延々と聞いてうなずいたりしなければならない堅苦しい儀式となりそうなものですが、そういうことはやりたくない、だけど最終講義という枠を使って何か面白いことをやりたい、という御厨先生の遊び心が生み出した本です。中身は、学問と政治の表話と裏話が錯綜していて、実はかなり高度です。

コメンテーターたちは、御厨先生は偉い先生なんだから持ち上げなければいけないんだが、単に褒めているだけでは「君、つまらないね」と赤点つけられるという苦しい立場に立たされました。

さらに御厨先生のあとがきで「誰が褒め上手かわかったぞ」などということまで書いてある。誰とは書いていませんが。誰でしょうか。

直接の弟子でも、同じ学派でもなんでもない私に発言の機会を与えていただけたのは、感謝しています。私以外のコメンテーターは、(もちろん、建築家の隈研吾さんを除けば)正統的な法学部政治学科の出身の皆さんです。「色物」を何パーセントか混ぜておく、というのが御厨先生のバランス感覚なのでしょう。このことは私のコメントの趣旨でもあります。

シリーズの最後になって、「最終講義だったんだけど評判が良いから客員として毎年やることになった」というアナウンスが御厨先生自身からあって、最後の年だからと懸命に支えたお弟子さんたちを脱力させた(と思うが)という大どんでん返しの瞬間も記録されています。ほどよく高揚感ある中に終了、続編に期待、という明るく前向きな本です。お人柄ですね。

書物の運命、の運命

考えてみれば、作りかけの「土台と柱だけ」の建物が居並ぶ街並みの風景は、私にとってのアラブ世界の原風景。ブロックを積み重ねて何年もかけて建物を作るのが現地のやり方です。

この風景について、ずっと昔、「屋上に立つドア」というエッセーを書いたことがあります(『文藝春秋』2003年4月号)。この雑誌に初めて書かせてもらった時じゃないのかな?

まだ20代の、何ら実績も経験もない書き手が、大御所たちと並んでしまう巻頭のエッセー欄で、なんとか恥ずかしくないようにと気を張って、ずっと年上の読者に精一杯楽しんでもらおうと思って書いていたことを思い出しました。

初心忘るべからず。

このエッセーが収録された、池内恵『書物の運命』(文藝春秋、2006年)は、毎日書評賞までいただいてしまいました(推薦してくださった皆様、ありがとうございます)。

ですが・・・残念ながら、絶版となるとの連絡を版元から昨年末に頂きました。

この本は、風合いのいい和紙系のカバーや、さりげないところに鍍金をあしらうなど、採算度外視かと思うほどに、本づくりの妙を尽くしていただき(装丁は菊地信義さん!)、世の本好きに向けて強く押し出していただいたのに、販売的には、ほどほどのところで力尽きた、という具合でした。わが身の非力さを思い知るばかりです。

けれども、思いもかけず毎日書評賞を頂くことになって、あの時は本当にうれしかったです。

古本屋さんで見かけたらどうぞ。