チュニジアの風景(7)雨に打たれるイブン・ハルドゥーン像

イブン・ハルドゥーン像について書きかけて、『歴史序説』日本語訳が文庫でまで絶版(なんのための文庫なんだろう)と知って絶望してしまったが、気を取り直してチュニジア報告。

ブルギバ広場のイブン・ハルドゥーン像。ちょっと別のアングルで見てみましょう。

正面から、少し引いたところから。

ん?

イブン・ハルドゥーン像3

有刺鉄線が写っていますね。

実は、ここのところ、ブルギバ広場のイブン・ハルドゥーン像は、こうして有刺鉄線で囲まれてしまっているのです。

もう少し引いて横から。

イブン・ハルドゥーン像とフランス大使館

見えにくいかもしれませんが、ぐるっと有刺鉄線で囲まれてしまっています。

これはテロ対策でしょう。

といっても、イブン・ハルドゥーン像がテロで狙われるというのではないでしょう。写真の背後の赤みがかった建物が、フランス大使館で、おそらくここを狙ったテロを防止するか、この前でのデモを阻止するために、イブン・ハルドゥーン像のある一体に有刺鉄線を張って、入りにくくしているのです。

大聖堂イブン・ハルドゥーン像前

ちなみに、イブン・ハルドゥーン像を挟んで、フランス大使館とブルギバ広場の反対側で向かい合うのは、カソリックの大聖堂(Cathedral of St. Vincent de Paul)です。大司教を擁する、最高位の大聖堂です。

イスラーム世界の社会と政治を宗教的ドグマにこだわらずに客観視したイブン・ハルドゥーンの像が、フランス大使館とカソリック大聖堂に挟まれて、内務省当局が張った有刺鉄線に囲まれ(守られ)てかろうじて存立し得ているように見えるのは、現在のアラブ世界の混迷を象徴しているようであります。

そう思って、上のように、イブン・ハルドゥーン像が雨に打たれている寂しい写真を撮ってみました。

チュニジアの風景(6)イブン・ハルドゥーン像

チュニジア生まれのイブン・ハルドゥーン。

言わずと知れた、不朽の名著『歴史序説』の著者。

ブルギバ広場の、時計塔とは逆の端に、銅像が建っています。

イブン・ハルドゥーン像1

『歴史序説』は歴史学者(東大寺管長でもあった)の森本公誠氏による名訳が岩波文庫に入っている・・・・

と書いたところで調べたら、なんと、品切れ・・・・

いくらなんでもひどいんじゃないかと思いますよ。

アマゾンで品切れになっているだけでなく、岩波ブックサーチャーでもはっきり品切れと出ています。絶版かどうかはっきりさせていませんが、入手不能ということです。

最近、まともな本、今読むべき本が、ことごとく品切れあるいは絶版であることに気づき、本当に日本の出版界はダメになったな、と痛感するのだが、イブン・ハルドゥーン『歴史序説』なんて、「日本人はイスラームを知らない」とか説教する意識高い系出版人たちなら、当然品切れなんてさせちゃいけないはずの本ですが。適当な本を乱造する前に、すでにあるまともな本を流通させなさい。

もちろん、『歴史序説』の英訳本は、常に、英語圏で簡単に手に入ります。本屋にも売っているし、アマゾンですぐに買える。

ということは、これからは日本人は『歴史序説』を読みたければアラビア語で読めなければ英語で読むしかなくなるのか。途上国ではそれが当たり前です。自国語ではまともな本が手に入らないから、知識人・エリートは英語で読むようになる。一般人向けとされる低劣な書物が現地語では行き渡る。陰謀論とかそういう類の本ばかりになる。

もうなってるか日本でも。

日本語の言論空間は、出版社が低レベルの本を短期間に売る競争を繰り返すうちに、先進国とは言えないものになってきたことを痛感しました。

おしまい。

チュニジアの風景(5)ブルギバ通りの内務省ビル向かいにてお茶

チュニス・ブルギバ通りのランドマークの時計塔が見えるカフェに座って新聞でも読んでみようか。

朝ごはんの直後ですので、長い影が差しています。

チュニジア内務省前3

ん?

チュニジア内務省前1

なんだかいかつい黒服の人が多いような。

実はここは内務省ビルの向かいなのです。右手に黒い門があって、金色で内務省と書いてありました。

チュニジア内務省前2

内務省ビル前は有刺鉄線が張ってあって通行人が近づきにくくしてある。

チュニジア内務省前4

新聞の一面トップは、

「内務省爆破を計画した32名の過激派を拘束」

でした。

早々に退散。

(まあこういうおふざけはしないほうがいい。その後、バルドー博物館のテロがあり、そしてその後、さらなるテロを予告する「イスラーム国」賛同者あるいは愉快犯が、まさにこの場所で撮影した映像をネット上に公開し、「ターゲットの前に潜入」したことを誇示して当局を嘲笑し、話題になった。チュニジアがある程度自由だからこそそういうこともできてしまうのだが、これがブルギバ広場での本当のテロに結びつくかどうか注視しないといけない。というか今こんな記事をわざわざ持って写真を撮っていたら「御用」となるかもしれない)

チュニジアの風景(4)ブルギバ通りの眺望

チュニスといえばブルギバ通り(広場)。2011年1月14日にベン・アリー政権を崩壊させた大規模デモも、ここに集まりました。「アラブの春」の導火線となった事件です。

ブルギバ通りの端にある、ランドマークの時計塔。

ブルギバ通り時計塔

上から見るとこんな感じ。写真の中央部に写っているの無表情なビルが内務省。大規模デモはここを目指した。向かいは与党立憲民主連合(RCD)の本部でした。

ブルギバ通り見下ろす1

この大通り・広場を群衆が埋め尽くしたのですね。それがアラブ世界の動乱の全ての始まりだった・・・

ブルギバ通りとホテルアフリカ

高いビルはホテル・アフリカ。

チュニジアの風景(3)スィーディー・ブーサイードはこんなところ

昨日は、チュニス近郊スィーディー・ブーサイードへの行き帰りの電車の中の親子の写真だけを紹介しましたが、スィーディー・ブーサイードそのものの写真を載せていませんでしたね。

日曜日に、ふと思い立って、チュニジアの一般人の休日の過ごし方を写真に撮りに行ったのでした。昼前に出かけて昼過ぎには帰ってきました。たいして時間はかかりません。

チュニスのど真ん中のブルギバ広場の端から少し行ったところにあるチュニス・マリン駅から近郊電車に乗って、20分から30分ぐらい揺られていくと、スィーディー・ブーサイード駅に着く。

スィーディー・ブーサイード1

みんな降りますから降りましょう。降りるとみな一方向に、ざっくざっくと歩く。カップルたちに遅れないように必死で歩きましょう。

街路樹に柑橘類が実っています。ちなみにこれ2月です。日本並みに寒いのでみな着込んでいますね。

スィーディー・ブーサイード2

坂道をざっくざっくと歩く。土産物屋などが見えてきました。京都の清水寺へ向かう参道の坂道みたいな感じですね。

スィーディー・ブーサイード4

道すがらに

スィーディー・ブーサイード8

こういうカフェなどが立ち並んでいるわけです。

スィーディー・ブーサイード5

中に入るとこんな風景が一望できたりするわけです。

スィーディー・ブーサイード9

記念撮影とかしているわけです。

スィーディー・ブーサイード7

テラスに出るとこれがまたいいんです。

それはともかくみなさん脇目も振らずざっくざっく歩くわけです。そして岬の突端まで行くと、絶景なんです。

スィーディー・ブーサイード3

そこで記念撮影するんです。

マリーナ・スィーディー・ブーサイード1

眼下にはこじんまりとしたマリーナが。

マリーナ・スィーディー・ブーサイード3

いろんなポーズ取るんです。

スィーディー・ブーサイード11

男の友情なんです。

ではまた。

チュニジアの風景(2)スィーディー・ブーサイードの休日

チュニジアの休日。チュニスの休日の過ごし方の定番は、近郊の景勝地スィーディー・ブーサイードへの遠足。

地元の人たちと一緒に電車に揺られて行ってみた。混んでます。

チュニジア・スィーディー・ブーサイード1

ユースフ君(3歳)

チュニジア・スィーディー・ブーサイード5

くれました〜。

チュニジア・スィーディー・ブーサイード8

もうあげないよ。

チュニジア・スィーディー・ブーサイード12

あー全部取られるところだった。もう降りる。

チュニジア・スィーディー・ブーサイード13

帰路は、ヌールちゃん(1歳)と。まだしゃべれません。

チュニジアの風景(1)ザイトゥーナ・モスク

〜原稿が佳境に入っているため、ブログ更新は風景画像に切り替わりました〜

チュニジア・ザイトゥーナ・モスク1

チュニジア、チュニスのザイトゥーナ・モスク

チュニジア・ザイトゥーナ・モスクから見下ろす

ザイトゥーナ・モスクから見下ろす

イエメン・奇跡の風景

まったくブログに何か書く時間的余裕がありませんので、最近フェイスブック等でもよくお知らせしているイエメンについて。

政治情勢さえああでなければ、イエメンは非常に美しいところなんですよね。よそでは見られない絶景の宝庫。それも自然・風土に人間が長い年月をかけて手を加えてできた、究極の文明の遺産。アラブ人の精神的な故地とも言えます。

そんなイエメンの風景写真を、例えばこのようなウェブサイトからどうぞ。

Colin Daileda, The breathtaking beauty of Yemen, a war-torn land, Mashable.

The Secret Cities of Yemen
, Kuriositas

『現代アラブの社会思想ーー終末論とイスラーム主義』が9刷に

『現代アラブの社会思想ーー終末論とイスラーム主義』の第9刷が、先月から市場に出ています。

Kindle版も出ていました。

9刷の部数は2100部、と細かい。新しい帯が付いています。

累計は5万6100部になりました。

2002年の1月に刊行されてから13年間、よく長く生き続けてきました。長く生き続けるということこそが、評価の一つと思っています。

この本は、自分自身の研究者としての歩みを振り返る時に、忘れることのできない本です。

なによりも、あの時点でしか書けない本でした。

あらゆる研究者は、最初の研究で、最もオリジナルなものを出さねばなりません。世界中でまだ誰も言っていないことを言わないといけないのです。

しかしなかなかそれはできません。思想史であれば、大抵の影響力のある思想テキストは全て隅々まで読み尽くされ、論文の対象にされ尽くしているからです。

私の学部から大学院にかけてのエジプトでの資料収集で、いくつかのテーマと資料群が浮かび上がりましたが、その中で言及することが最も厄介で、かつ先行研究がない対象が、アラブ世界に広がる、膨大な終末論文献でした。

この本の後半部分を構成し、最もオリジナルな部分は、2001年11月に刊行されていた論文「前兆・陰謀・オカルト──現代エジプト終末論文献の三要素」末木文美士・中島隆博編『非・西欧の視座』(宝積比較宗教・文化叢書8、大明堂、2001年、96-120頁)からなります。

宗教学・思想史の固い叢書に、全く新しい、つまり評価の定まっていないテーマと資料についての、全く無名の著者による論文の収録を認めてくださった編者の先生にはひたすら感謝しておりますが、それを新書という一般書の枠に収めるというものすごく無茶な構想を受け入れた、当時の講談社現代新書の編集者の大胆さも、今振り返ると、傑出したものでした。

そして、2002年1月という時期に出せたことが、何よりも今となってはかけがえのないことです。時間を巻き戻すことはできません。今なら、もっと完成度の高い、整った形で書けるかもしれませんが、それを2002年に戻って出すことはできません。

研究者は生まれてくる時代を選ぶことはできません。

自分が大学院にいる間に現れてきた、まだ他の研究者が触れていない対象に、誰よりも早く手をつけて成果を出さなければならないのです。

中東と、あるいは学術の世界をリードする欧米と、言語や情報のギャップのある日本の研究者として、中東の思想や政治をめぐって誰よりも早く新しいテーマに取り組んで成果を出すことは、至難の技です。

その中で、この本とその元になった論文は、結果として、欧米でこの文献群を用いたまとまった研究が出るのに先んじて発表した形になりました。

その後数年すると、現代の終末論文献を扱って学界に名乗りを上げる若手研究者が、米国でもフランスでも現れてきました。あと数年ぼやぼやしていたら、私の本は「後追い」になってしまったでしょう。

でも当時は日本では「後追い」が普通で、むしろ、全く欧米の先行研究がないものをやると、評価されなかったりしたのです・・・「欧米の権威」がやっていることを輸入するというのが主要な仕事だったのですから。

その後、このテーマは結果的に「欧米の権威」が扱うものとなりました。一つ目はこれ。
David Cook, Contemporary Muslim Apocalyptic Literature, Syracuse University Press, 2005.


Kindleでもあるようです(David Cook, Contemporary Muslim Apocalyptic Literature (Religion and Politics))。

クックさんは短い論文の形では、私より早く現代の終末論文献の存在に着目していたようです。しかしまず古典の終末論について本を出してから、現代の終末論文献に本格的に取り組みました。

古典終末論について書いたのはこの本です。
David Cook, Studies in Muslim Apocalyptic, The Darwin Press, 2002.

クックさんは私と同年代ですが、その後、 米テキサス州のライス大学の准教授になりました。そして、終末論についての研究を一通り発表したのち、ジハードの思想史に取り組んでいます。
David Cook, Understanding Jihad, University of California Press, 2005.

紙版は増補版(Understanding Jihad)が出版される予定のようですが、Kindleでは初版が買えます。研究上は初版が重要です。もちろん、その後の「イスラーム国」に至るジハードの拡大をどう増補版でとらえているか、クックさんの研究がどう進んでいるかにも大いに興味がありますが。

「終末論からジハードへ」という研究対象の変遷は、イスラーム政治思想の内在的構造化が、必然的な道行きと思います。

フランスでも同じ素材で研究が出ました。
Jean-Pierre Filiu, L’apocalypse dans l’Islam, Fayard, 2008.

英訳はこれです。
Jean-Pierre Filiu, tr. by M. B. DeBevoise, Apocalypse in Islam, University of California Press, 2011.

フィリウさんはパリ政治学院で学位を取って母校で教鞭を執っている人です。この著者は研究者になったのは私より遅いのですが、年齢はひと回り上(1961年生まれ)で、まず外交官として中東に関わったとのことです。

私は、フィリウさんが外交官をやめて大学院生になったかならないかぐらいに、のちに彼の指導教官となるジル・ケペル教授に会いに行く機会がありました。その際に出たばかりの私の『現代アラブの社会思想』を見せて、日本語なのでケペル教授は当然読めませんが、資料の写真を多く入れておいたのと文献リストを詳細につけていたことで、扱った文献について話が盛り上がりました。

ケペル教授もこの文献群の存在は認識しており、この文献を扱った本を出したことについては、けっこう驚いているようでした。後に、自分のところに来た学生がこの文献群をテーマとして選ぶ際に、微妙に影響を与えたかもしれません。といってもフィリウさんは私よりずっと以前から中東に関わっているので、とっくにこの文献群の存在と影響には着目していたでしょう。

その後フィリウさんは活発に中東論者・分析家として活躍しています。

私について言えば、この本を書いたのは、日本貿易振興会アジア経済研究所の研究員になって1年目の年でした。終身雇用のアカデミックな研究所に就職して、普通なら放心してだれてしまうところでしたが、就職して半年で9・11事件に遭遇し、中東の激動が始まるわさわさとした予感の中で、衝き動かされたように書きました。

クックさんやフィリウさんのような学者が研究を完成させる前に、このテーマについて論文と本を出しておけたことは、今振り返ると、当時の自分を褒めてあげたい気持ちになります。当時は他国の研究者との競争など考えず、ただ無我夢中に論文や著書刊行の機会を求めて、与えられた機会に必死に出しただけだったのですが。

また、この本が広く知られるための後押しとなったのが、この年の暮れに大佛次郎論壇賞を受けたことでした。

どなたかが候補作にあげてくださったのですが、それを審査委員の一人、米国で長く研究をしてきたある先生が、強く推してくださったことで、一気に流れが決まったという裏話を聞きました。どうやらかなりの番狂わせであったような雰囲気でした・・・

当時は「研究員」という立場で賞をもらうことはまずないというのが、日本の言論界の暗黙の前提でした。当時の日本は今よりずっと不自由で、序列を気にするガチガチの社会だったのですね。

また、端正でリベラルな学究の先生が、このような野蛮なテーマを扱った破天荒な学術研究を一番に推してくださったという話も、一般的な印象とは合わないかと思います。

しかしかなり経ってから米国の学術界や社会一般との接点ができるようになったころに気づいたことは、その先生は、この本の出来がいいからとか、完成されているからといった理由でこの本を推したのではないだろう、ということです。

そうではなく、一番変わった説を打ち出している、一番若い人の候補作に、米国での当然の作法として、機会を与えるという意味で賞を与えただけなのでしょう。

米国の社会は、何か人と違うことを考えている人が、一歩前に踏み出して発言しようとした時に、その機会を与えてくれる社会です。何かをやってやるぞという若い人に、まず一回は機会を与える。それが自然に行われています。

機会を与えられて発言を許されたということは、それだけでは何も意味しないのです。その発言が意味のあるものか、社会に何か違いを与えられるか、その後の活動で真価を証明して初めて、その人と作品は評価を得られる。

機会を与えられたということだけでは、評価されたということを意味しないのです。

このあたりは、「発言」があらかじめ「立場」によって決まっており、その評価も立場の上下をもってあらかじめ決まっていかのような前提を抱いている人が多い日本では、あまり理解されていないことかもしれません。そのような前提の下では、発言の機会を確保しているということ自体がなんらかの「上」の立場であることを意味し、すなわち内容の評価を意味するという、強固な観念が生まれます。

米国の社会にも、その社会が生む国際政治の政策にも、悪いところはいくらでもあるでしょう。しかし、「若い人が新しいことをやろうとしているときに、一回は機会を与える」という米国の社会の根っこに強固に定着した原則は、素晴らしいものだと思いますし、それが米国の活力や競争力の源であると思っています。

そのような米国的な発想により、大量の出版物の渦の中で押し流され消えそうになっていたこの本が、拾い上げられ、翼に風を送られたかのように再び浮上したことは、奇跡的であったと思います。この本が今後も飛び続けられるように、私がたゆまず風を送り続けることが、機会を与えてくださった先生に応えることになるのだと思っています。

「シャルリ・エブド事件を考える」(『ふらんす』特別編集)に寄稿しました

1月7日のシャルリ・エブド紙襲撃殺害事件に関して、白水社から刊行された論集に寄稿しました。

私の寄稿したものは、ブログ・ウェブ等の議論の再録ではなく、一連の議論を振り返ってどこに思想的・知識社会学的課題があるかについての論考です。自由な社会を形成し維持するための基本的な知的姿勢について、考えるところを書いています。

雑誌『ふらんす』の特別編集という名目で軽装版ですが、書籍です。

池内恵「自由をめぐる二つの公準」鹿島 茂、関口 涼子、堀 茂樹 編『シャルリ・エブド事件を考える ふらんす特別編集』2015年3月刊、130−133頁

この論集については、今は時間がありませんが、いつか論じることがあるかもしれません。

「イスラーム国」の表記について

*フェイスブック(https://www.facebook.com/satoshi.ikeuchi)で日本時間2月14日14時30分頃に投稿した内容ですが、長期的に参照されるようにこちらに転載しておきます。

*「イスラーム国」「IS」「ISIL 」「ISIS 」「ダーイシュ」のそれぞれの由来と、それぞれを用いる場合の政治的意味は、『イスラーム国の衝撃』の67−69頁に詳述してあります。

NHKは「イスラーム国」を今後「IS=イスラミックステート」と呼ぶことにしたという。

 日本の事情からやむを得ないとは思いますが、言葉狩りをしてもなくなる問題ではありません。長期的には問題の所在の認識を妨げてしまうのではないかと危惧します。短期的に勘違いする人たちを予防するために仕方がないとは言えますが、しかし、低次元の解決策に落ち着いたと言わざるを得ません。

(1)「イスラーム」と呼ぶとイスラーム諸国やイスラーム教徒やイスラーム教の教義と同一であると思い込んでしまう人がいる→どれだけリテラシーがないんだ?
(2)「国」と呼ぶと実際に国だと思ってしまう人がいる→同上。

 本当は「イスラーム国」を称する集団が出てきてもそれにひるむことなく、どのような意味で「イスラーム」だと主張しているのかを見極め、「国」としてどの程度の実態があるのかを見極め、どの程度アラブ諸国の政府・市民、イスラーム世界の政府・市民に支持されているのかを見極め、日本としての対処策を決めていく、というのが、まともな市民社会がある大人の先進国ならどこでもやらなければならないことです。

 今回NHKは政府と一般視聴者の抗議に負けて、市民社会での認識を高める努力を回避しました。それは結局日本の市民社会がその程度ということです。

 私は括弧をつけた「イスラーム国」を用いつづけてきました。『イスラーム国の衝撃』でもタイトルと見出し(これは出版社が決める)以外は「 」を徹底してつけました。本人たちがそう呼んでいるのだから仕方がない。それが普遍的に「イスラーム」でも「国」でもないことは、「 」を付ければ明瞭です。「俺には明瞭ではない」という人は、実態とは異なる名称を伝える紛らわしい情報を「俺にとって心地良いから」よこせと言っているだけです。

 NHKが「イスラーム国」に共感的だから「イスラム国」と呼んできたなどという事実はまったくありません。組織の当事者たちが「イスラーム国」と呼んでおり、世界の中立性の高いメディアも英語でそれに相等する表現を用いているから、日本語でそれに相等する「イスラム国」の表記を用いてきただけでしょう。

 「イスラム国」と呼ばれていればそれがイスラムそのものでイスラム全体で国なんだろう、などと思い込む消費者の側に大部分の問題があります。「俺が勘違いしたのはNHKの責任だ」などというのももちろん単なるクレーマーの横暴な主張にすぎません。ただ、現実の日本社会の水準はそれぐらいだから、それに合わせて報道することを余儀なくされた、報道機関の敗北でしょう。

 ただし、ここで苦肉の策で、中立性を保とうという努力が認められます。要するにより徹底的にBBCに依拠したのですね。BBCはIslamic Stateとまず呼んで、その後はISと略す。NHKはまず「IS」と呼んで、カタカナで「イスラミックステート」と説明をつける。
 
 しかし元々はアラビア語の組織名なのに英語訳に準拠するのは、ぎこちないですね。まあグローバルな存在だから英語でいいという考え方も成り立ちますが、苦肉の策であることに違いはありません。

 BBCは英語だからIslamic Stateと呼んでISと略すのが当然ですが、NHKで日本語の中にここだけ英語略称のISが出てきて、組織名の英語訳であるイスラミックステートがカタカナで出てくる理由は、説明しにくい。NHKの国際放送であれば自然に聞こえますが。

 なお、政府・自民党のISILは明らかに米政府への追随です。米系メディアはISIS とすることが多い。

 アラビア語の各国のメディアは「ダーイシュ」とすることが大多数になっている。これは明確に敵対姿勢を示した用語であり、「イスラーム国」側・共鳴者は「ダーイシュ」と呼ばれると怒ります。

 グローバルなアラビア語メディアであるアル=ジャジーラは「Tanzim ”al-Dawla al-Islamiya”」と、括弧をつけて、冒頭に「組織(tanzim)」を付しています。最近は単に「Tanzim “al-Dawla”」と略すことも多くなっている。「「国家」と自称する組織」ですね。「イスラーム」であるならばそれは絶対的に正しい存在だ、と思う人がアラブ世界の大多数なので、「イスラーム」とはなるべく呼ばないようにしつつ、「ダーイシュ」という各国政府の用いる罵り言葉は使わないようにしているのですね。BBCと似ていますが、よりアラブ世界の実態に即した用語法です。

 BBCでは昨年から、Islamic Stateと略称ISで一貫している。世界標準とはその程度の水準のことを言うのです。

 最新のニュースでも、タイトルでIslamic Stateと書いています。

Islamic State: Key Iraqi town near US training base falls to jihadists

 本文の最初で、

Islamic State (IS) has captured an Iraqi town about 8km (5 miles) from an air base housing hundreds of US troops, the Pentagon says.

 と書かれている。まず「Islamic State」と書いておき、その後「IS」とする。今回NHKは、より英語そのままに(ただし略称を先に出してくる)準拠することにしたのですが、日本語としてはややこしくなりました。

 「イスラム国」という言葉を遠い日本で言葉狩りしても、組織の実態は変わらない。かえって日本側で、謎めいた「IS」という略称のみが出回って実態を理解する能力が落ちる可能性がある。長期的には日本の市民社会の水準を上げるためには役に立たない。

 ただし、日本は「救世主」を「キリスト様」にしてしまってそれが終末論的な救世主信仰であることを忘れた(知らないことにして受け入れた)国だから、同じようなことは随所に起こっているのだろう。

 NHKも最初はBBCに準拠して日本語訳して「イスラム国」としていたが、とんでもない誤解をする政治家や評論家までが出てきて、反発して消費者として抗議したりする人も増えたので、ついに英語そのもので表記することにしてしまったというわけです。

 もちろん「イスラム国と呼ばない」というのも日本社会の意思表示ではあるので、それはそれであり得る選択かとは思います。ただ、そうすることで外国の実態を見えなくなる可能性は知っておいたほうがいいでしょう。

 昔はごく一部の人しか外国の実態を見ることはなかったので、超訳をいっぱいして日本語環境の中の箱庭仮想現実を作ってきました。情報化・グローバル化でそれが不可能になったことが、現在の知的・精神的な秩序の動揺を引き起こす要因になっていると思います。苦しいですが、もう一歩賢くなって、自分の頭で考えるようになるしかないのです。

 日本で「イスラム国」と呼ばなければシリアやイラクやリビアやエジプトの「イスラーム国」を名乗る勢力の何かが変わるかというと、変わりません。日本政府やNHKや日本企業などが「イスラーム国」を作り出してそう呼んでいたのであれば、日本で呼び方を変えれば何かが変わるでしょうが、今回はそういう事態とは全く違います。

 日本政府やNHKに抗議して呼び方を変えさせるよりも、「イスラーム国」そのものに抗議して名前を変えるか行動を改めるかさせるのが、正当な交渉の方向でしょう。また、「イスラーム国」の活動を十分阻止しておらず、黙認していると見られる周辺諸国の政府に抗議して政策を変えさせるのも、本来ならあるべき抗議活動なはずです。

 それらの政府は国民の言うことなど聞かないのかもしれませんが、だからといって遠い日本の政府や報道機関に話を持ち込んでも、知的活動や言論を阻害するだけです。

『イスラーム国の衝撃』の主要書店での在庫状況を調べてみました

「サポートページ」を立ち上げてみたのだが、そもそも「書店に行っても置いていなかった」「インターネット書店では品切れ」のため手に入らないという声がかなり届く。

増刷がかかっており、1月28日に2刷、1月30日に3刷が流通するとのこと。もう少し待ってください。

ただ、いくらなんでも初刷1万5000部が1日ですべて売り切れたとは思えない。ネットから直接買える経路では売り切れたにしても全国の書店にはまだあるはず。

それで調べてみました。

在庫状況は、文藝春秋のウェブサイト上の『イスラーム国の衝撃』のページの下の方から辿っていくことができます。
http://books.bunshun.jp/ud/book/num/9784166610136

確かにインターネット書店は軒並み売り切れ。1月21日頃にはほとんどすべてのインターネット書店で売り切れていたようです。

中古書店が新品らしきものを1200円〜3000円弱で売りに出している(1月24日現在)。供給が間に合わない間に生じた時限的市場を果敢に開拓しています。
コレクター商品
中古品

丸善・ジュンク堂では全国の店舗での前日集計の在庫状況が一覧で出てくるので便利だ。
http://www.junkudo.co.jp/mj/products/stock.php?isbn=9784166610136
あるという表示がされている。このデータが現実を反映していたらの話ですが。

紀伊国屋では各店舗の在庫状況が、オレンジのアイコンをクリックすると出てくる。
https://www.kinokuniya.co.jp/disp/CKnSfStockSearchStoreSelect.jsp?CAT=01&GOODS_STK_NO=9784166610136

ない店もあるが、ある店もある。

やはり、完全に売りつくしたのはインターネット書店であって、全国のリアル書店の倉庫にはあるはずなんですよね。

これは新書の棚が、一冊あたりで、狭くなっていることが理由です。各出版社が、経営が苦しいので新書をあまりもたくさんの点数を出しすぎなんです。一冊ごとの質が下がるだけでなく、一点あたりの陳列面積が狭くなる。

そうするとこの本のように一時的に爆発的に売れている場合、売場に出してあるものが売れて補充されない間に本屋に行った人は、棚にないのでないものと考えてしまう。そうなると書店で買わずにインターネット書店で買うようになる。しかしそうするとインターネット書店に一度に殺到するので、品切れになって入荷期限未定ということになり、品薄感が仮想的に高まる。

出版社が、自分の経営のために、一時しのぎで膨大な点数の新書を出すことで、必要な本を流通させる機能を書店が果たせなくなっています。出版社が本屋を殺しているんです。

各出版社は粗製濫造の本の出版点数を減らし、一点あたりを大事に作って、長く、たくさん売っていくべきです。

そうすれば隣国ヘイト本や、学者もどきの現状全否定阿保ユートピア本など、煽って短期的に少部数を売り切るタイプの本はなくなっていきます。

元来が出版のあり方について一石を投じるつもりで書いた本でしたが(その意図や、事前の出版社との折衝で何を問題視し何を要求したかなどは、そのうちにここで書きましょう)、結果的に出版界の池に巨石を放り込んだ形になりました。

この本の発売日に、本書の帯に偶然掲載しておいたJihadi Johnが出演する脅迫ビデオが発表されたという、私の一切コントロールできない事情によって販売を促進したという面は多大にありますが、それ以外にも、本ブログでの問題提起が予想外に大規模にシェアされていった現象が大きな影響を及ぼしています。

興味深い現象です。続けてウォッチしていきましょう。

コメント『毎日新聞』にシャルリー・エブド紙へのテロについて

フランス・パリで1月7日午前11時半ごろ(日本時間午後7時半ごろ)、週刊紙『シャルリー・エブド』の編集部に複数の犯人が侵入し少なくとも12人を殺害しました。

この件について、昨夜10時の段階での情報に基づくコメントが、今朝の『毎日新聞』の国際面に掲載されています。

10時半に最終的なコメント文面をまとめていましたので、おそらく最終版のあたりにならないと載っていないと思います。
手元の第14版には掲載されていました。

「『神は偉大』男ら叫ぶ 被弾警官へ発泡 仏週刊紙テロ 米独に衝撃」『毎日新聞』2014年1月8日朝刊(国際面)

コメント(見出し・紹介含む)は下記【 】内の部分です。

【緊張高まるだろう
池内恵・東京大准教授(中東地域研究、イスラム政治思想)の話
 フランスは西欧でもイスラム国への参加者が多く、その考えに共鳴している人も多い。仮に今回の犯行がイスラム国と組織的に関係のある勢力によるものであれば、イラクやシリアにとどまらず、イスラム国の脅威が欧州でも現実のものとなったと考えられる。イスラム国と組織的なつながりのないイスラム勢力の犯行の場合は、不特定多数の在住イスラム教徒がテロを行う可能性があると疑われて、社会的な緊張が高まるだろう。】

短いですが、理論的な要点は盛り込んであり、今後も、よほどの予想外の事実が発見されない限り、概念的にはこのコメントで問題構図は包摂されていると考えています。

実際の犯人がどこの誰で何をしたかは、私は捜査機関でも諜報機関でもないので、犯行数時間以内にわかっているはずがありません。そのような詳細はわからないことを前提にしても、政治的・思想的に理論的に考えると、次の二つのいずれかであると考えられます。

(1)「イスラーム国」と直接的なつながりがある組織の犯行の場合
(2)「イスラーム国」とは組織的つながりがない個人や小組織が行った場合。グローバル・ジハードの中の「ローン・ウルフ(一匹狼)」型といえます。

両者の間の中間形態はあり得ます。つまり、(1)に近い中間形態は、ローン・ウルフ型の過激分子に、「イスラーム国」がなんらかの、直接・間接な方法で指示して犯行を行わせた、あるいは犯行を扇動した、という可能性はあります。あるいは、(2)に近い方の中間形態は、ローン・ウルフ型の過激分子が、「イスラーム国」の活動に触発され、その活動に呼応し、あるいは自発的に支援・共感を申し出る形で今回の犯行を行った場合です。ウェブ上の情報を見る、SNSで情報をやりとりするといったゆるいつながりで過激派組織の考え方や行動に触れているという程度の接触の方法である場合、刑法上は「イスラーム国」には責任はないと言わざるを得ませんが、インスピレーションを与えた、過激化の原因となったと言えます。

「イスラーム国」をめぐるフランスでの議論に触発されてはいても、直接的にそれに関係しておらず、意識もしていない犯人である可能性はあります。『シャルリー・エブド』誌に対する敵意のみで犯行を行った可能性はないわけではありません。ただ、1月7日発売の最新号の表紙に反応したのであれば、準備が良すぎる気はします。

犯行勢力が(1)に近い実態を持っていた場合は、中東の紛争がヨーロッパに直接的に波及することの危険性が認識され、対処策が講じられることになります。国際政治的な意味づけと波及効果が大きいということです。
(2)に近いものであった場合は、「イスラーム国」があってもなくても、ヨーロッパの社会規範がアッラーとその法の絶対性・優越性を認めないこと、風刺や揶揄によって宗教規範に挑戦することを、武力でもって阻止・処罰することを是とする思想が、必ずしも過激派組織に関わっていない人の中にも、割合は少ないけれども、浸透していることになり、国民社会統合の観点から、移民政策の観点からは、重大な意味を長期的に持つでしょう。ただし外部あるいは国内の過激派組織との組織的なつながりがない単発の犯行である場合は、治安・安全保障上の脅威としての規模は、物理的にはそう大きくないはずなので、過大な危険視は避ける必要性がより強く出てきます。

私は今、研究上重要な仕事に複数取り組んでおり、非常に忙しいので、新たにこのような事件が起きてしまうと、一層スケジュールが破綻してしまいますが、適切な視点を早い時期に提供することが、このような重大な問題への社会としての対処策を定めるために重要と思いますので、できる限り解説するようにしています。

現状では「ローン・ウルフ」型の犯行と見るのが順当です(最近の事例の一例。これ以外にも、カナダの国会議事堂襲撃事件や、ベルギーのユダヤ博物館襲撃事件があります)

ただし、ローン・ウルフ型の犯行にしても高度化している点が注目されます。シリア内戦への参加による武器の扱いの習熟や戦闘への慣れなどが原因になっている可能性があります。

ローン・ウルフ型の過激派が、イラクとシリアで支配領域を確保している「イスラーム国」あるいはヌスラ戦線、またはアフガニスタンやパキスタンを聖域とするアル=カーイダや、パキスタン・ターリバーン(TTP)のような中東・南アジアの組織と、間接的な形で新たなつながりや影響関係を持ってきている可能性があります。それらは今後この事件や、続いて起こる可能性のある事件の背後が明らかになることによって、わかってくるでしょう。(1)と(2)に理念型として分けて考えていますが、その中間形態、(2)ではあるが(1)の要素を多く含む中間形態が、イラク・シリアでの紛争の結果として、より多く生じていると言えるかもしれません。(1)と(2)の結合した形態の組織・個人が今後多くテロの現場に現れてくることが予想されます。

本業の政治思想や中東に関する歴史的な研究などを進めながら、可能な限り対応しています。

理論的な面では、2013年から14年に刊行した諸論文で多くの部分を取り上げてあります。

「イスラーム国」の台頭以後の、グローバル・ジハードの現象の中で新たに顕著になってきた側面については、近刊『イスラーム国の衝撃』(文春新書、1月20日刊行予定)に記してあります。今のところ、生じてくる現象は理論的には想定内です。

【寄稿】『文藝春秋』12月号にて「イスラーム国」をめぐる日本思想の問題を

今日発売の月刊『文藝春秋』12月号に、「イスラーム国」をめぐる日本のメディアや思想界の問題を批判的に検討する論稿を寄稿しました。

池内恵「若者はなぜイスラム国を目指すのか」『文藝春秋』2014年12月号(11月10日発売)、第92巻第14号、204-215頁

文藝春秋2014年12月号

なお、タイトルは編集部がつけるものなので、今初めてこういうタイトルだと知りました。内容的には、もちろん各国の「若者」の一部がなぜ「イスラーム国」に入るのかについて考察はしていますが、若者叩きではありません。むしろ、自らの「超越願望」を「イスラーム国」に投影して、自らが拠って立つ自由社会の根拠を踏み外して中空の議論をしていることに気づけない「大人」たちへの批判が主です。

*井筒俊彦の固有のイスラーム論を「イスラーム教そのもの」と勘違いして想像上の「イスラーム」を構築してきた日本の知識人の問題

*「イスラーム国」が拠って立つイスラーム法学の規範を受け止めかねている日本の学者の限界はどこから来るのか(ここで「そのまんま」イスラーム法学を掲げる中田考氏の存在は貴重である。ただしその議論の日本社会で持つ不穏な意味合いはきちんと指摘することが必要)

*自由主義の原則を踏み越えて見せる「ラディカル」な社会学者の不毛さ、きわめつけの無知

*合理主義哲学と啓示による宗教的律法との対立という、イスラーム世界とキリスト教世界がともに取り組んできた(正反対の解決を採用した)思想問題を、まともに理解できず、かつ部分的に受け売りして見当はずれの言論を振りかざす日本の思想家・社会学者からひとまず一例(誰なのかは読んでのお楽しみ) といったものを俎上に載せています。すべて実名です。ブログとは異なる水準の文体で書いていますので、ご興味のある方はお買い求めください。 「イスラーム国」「若者」に願望を投影して称賛したり叩いたりする見当はずれの「大人」の批判が大部分ですので、これと同時期に書いたコラムの 池内恵「「イスラーム国」に共感する「大人」たち」『公研』2014年11月号(近日発行)、14-15頁 というタイトルの方が、『文藝春秋』掲載論稿の中身を反映していると言っても良いでしょう。 『文藝春秋』の方は12頁ありますが、これでも半分ぐらいに短縮しました。

*「イスラーム国の地域司令官に日本人がいる?」といった特ダネも、アラビア語紙『ハヤート』の記事の抄訳を用いて紹介している。もっと紙幅を取ってくれたら面白いエピソードも論点もさらに盛り込めたのだが。 おじさん雑誌には、おじさんたちの安定した序列感によるページ数配分相場がある。それが時代と現実に合わなくなっているのではないか。 原稿を出してやり取りをする過程で、これでも当初の頁割り当てよりはかなり拡張してもらいました。しかしそれを異例のことだとは思っていない。まだ足りない、としか言いようがない。 はっきり言えば、このテーマはもうウェブに出してしまった方が明らかに効率がいい。ウェブを読まない、日本語の紙の媒体の上にないものは存在しないとみなす、という人たちはもう置いていってしまうしかない。なぜならばこれは日本の将来に関わる問題だから。 国際社会と関わって生きている人で「日本語の紙の媒体しか読みません」という人はもはや存在しないだろう。 私としては、『文藝春秋』に書くとは、今でも昔の感覚でいる人たちのところに「わざわざ出向いて書いている」という認識。 なぜそこまでするかというと、ウェブを読まない、しかし月刊誌をしっかり読んでいる層に、それでもまだ期待をしているから。少なくとも、決定的に重要な今後10年間に、後進の世代の困難な選択と努力を、邪魔しないようにしてほしいから。 時間と紙幅と媒体・オーディエンスの制約のもとで、その先に挑戦して書いていますので、総合雑誌の文章としては、ものすごく稠密に詰め込んでいます。多くの要素を削除せざるを得なかったので、周到に逃げ道を作るような文言は入っていない。 それにしても、この雑誌の筆頭特集は、年々こういうものばかりになってきている。 「特別企画 弔辞」(今月号)に始まり・・・ 世界の「死に方」と「看取り」(11月号) 「死と看取り」の常識を疑え(8月号) 隠蔽された年金破綻(7月号) 医療の常識を疑え(6月号) 読者投稿 うらやましい死に方2013(2013年12月号) これらがこの雑誌の主たる読者層の関心事である(と編集部が認識している)ことはよく分かる。よく分かるが、こればかりやっていれば雑誌に未来がない、ということは厳然とした事実だよね。 今後の日本がどのようにグローバル化した国際社会に漕ぎ出していくのか、実際に現役世代が何に関心をもって取り組んでいるのかについて、もっとページを割いて、掲載する場所も前に持っていかないと、このままでは歴史の遺物となってしまうだろう。 その中で、芥川賞発表は誌面に、年2回自動的に新しい空気を入れる貴重な制度になっている。 しかし普段取り上げられる外国はもっぱら中韓で、それも日本との間の歴史問題ばかり。朝日叩きもその下位類型。基本的に後ろ向きな話だ。 そのような世界認識に安住した読者に、国際社会に実際に存在する物事を、異物のように感じとってもらえればいいと思って時間の極端な制約の中、今回の寄稿では精一杯盛り込んだ。 15年後も「うちの墓はどうなった」「声に出して読んでもらいたい美しい弔辞」「あの世に行ったら食べたいグルメ100選」とかいった特集をやって雑誌を出していられるとは、若手編集者もまさか考えてはいないだろうから、まず書き手の世代交代を進めてほしいものだ。 しかし『文藝春秋』の団塊世代批判って、書き手の実年齢はともかく、どうやら想定されている読者は「老害」を批判する現役世代ではなく、団塊世代を「未熟者」と見る60年安保世代ならしいことが透けて見えるので、これは本当に大変だよなあ、と同情はする。

アンワルどうなる

「イスラーム国」日本人渡航計画騒ぎで10月のスケジュールは壊滅。

ひと月で原稿を4万字ぐらい書きました。時間的にも体力的にも墜落寸前まで行きましたが、ぎりぎりで大方終え、連休は会議のため日本脱出。少し休ませていただきます。

マレーシア・クアラルンプール行き。

ASEANシフトの一環です。恐れと憎しみが向かい合う欧米・中東を逃れて希望のアジアへ(ドミニク・モイジ『「感情」の地政学――恐怖・屈辱・希望はいかにして世界を創り変えるか』の受け売り。クーリエでの国際政治を読み解く10冊でも実は入れておきました。全部リストアップしてしまうと版元に悪いのでブログには書かなかったけれど)。

成田2サテライトJAL

中東に行くにはスターアライアンス系か湾岸系に乗るので、ほとんど行ったことのないことのないターミナル2のサテライトへ。JALは久しぶり。マレーシアやオーストラリアにはANA自社運航便がないんですね。

成田KLフライト1

上空は晴れ渡っていい気持ち。

成田KLフライト2

雲にもいろんな形がある。

窓閉めて、書評の〆切りが来ているイスラーム金融関連の本を読みながら(←マレーシアに行く途中で読むと気分が乗る)・・・

気づくと窓の下には・・・

マレーシアKL椰子1

もしかしてニッパ椰子?

金子光晴だ!

赤錆〔あかさび〕の水のおもてに
ニッパ椰子が茂る。
満々と漲〔みなぎ〕る水は、
天とおなじくらゐ
高い。
むしむしした白雲の映る
ゆるい水襞〔みなひだ〕から出て、
ニッパはかるく
爪弾〔つまはじ〕きしあふ。
こころのまつすぐな
ニッパよ。
漂泊の友よ。
なみだにぬれた
新鮮な睫毛〔まつげ〕よ。
〔以下略〕(金子光晴「ニッパ椰子の唄」より)

でもよく見ると妙に列になって生え揃っているし、沼沢地よりは地面も堅そうなので、ニッパ椰子ではなくて普通の椰子を植林したのかもしれん。まあいいか。
マレーシアKL椰子3

再び「ニッパ椰子の唄」より

「かへらないことが
最善だよ。」
それは放浪の哲学。
ニッパは
女たちよりやさしい。
たばこをふかしてねそべつてる
どんな女たちよりも。
ニッパはみな疲れたやうな姿態で、
だが、精悍なほど
いきいきとして。
聡明で
すこしの淫らさもなくて、
すさまじいほど清らかな
青い襟足をそろへて。
金子光晴『女たちへのエレジー』 (講談社文芸文庫)より

・・・・注釈をつけると金子光晴は、今なら若干メンヘラ気味と言われたかもしれない詩人の森三千代とくっついたり離れたりしながら将来の見えない放浪の旅を続け、こういった詩を書きました。

せっかくだからここで、金子光晴の破れかぶれ放浪自伝を、『マレー蘭印紀行』に加え、「三部作」の『どくろ杯』『ねむれ巴里』『西ひがし』を挙げておこう。



さて、空港に到着。お隣のゲートは、今年さんざんだったマレーシア航空機。

KL空港マレーシア航空機

タクシーでホテルに付いたらすぐにレセプション。

今回の主役はこの人(分かる人には分かるすごく偉い先生も写っています)。

アンワル1

アンワル・イブラヒム元マレーシア副首相。

ムスリム学生運動を指導して、マハティール首相に取り立てられ政権入り。後継者に指名されていたが、1998年のアジア通貨危機をきっかけにした内政危機でマハティールと決裂。

後継者に任命してくれたマハティールは一転、徹底的にアンワルを攻撃するようになり、それ以来、同性愛とか職権乱用とか、まあ普通に考えて濡れ衣だろうな、と見られる嫌疑をかけられては投獄され、風向きが変わると出てきて活動を再開する、という形でやってきて、今も裁判を続けている。

しかし野党を率いて、昨年5月の総選挙では総得票数では与党を超えるまでに伸長して、ナジブ政権を追い詰めている。

アンワル2

今回の会議は、絶妙に、マレーシア内政の政争にぶつかってしまった。蒸し返された「同性愛疑惑」裁判でアンワルに禁固刑の判決が下り、それに対する最高裁への上告審が先週10月28日から始まり、明日本人が最高裁に出廷して最後の弁論をし、それでも上告が棄却されて判決が確定すると、明後日にも収監されてしまうかもしれないという危機的状況にあります。

「「同性愛行為」事件でアンワル氏の審理開始 マレーシア最高裁、収監も」『産経新聞』2014年10月28日

この裁判の動向は各国で注目されていますが、とりあえずガーディアンから。

Anwar Ibrahim begins appeal against sodomy conviction, The Guardian, 28 October 2014.

アンワル出廷

政府寄りなのでまったく公平とは言えませんが(そもそものマハティールとの決裂以来ひたすら「疑惑」をかけられているという経緯を書いていない)、マレーシアの英字紙The New Straits Timesで、与野党の最近の法廷内・法定外での闘争の細かいところを押さえると、

Chronology of Datuk Seri Anwar Ibrahim’s sodomy trial, The New Straits Times, 27 October 2014.

Tension mounts as supporters of Anwar, Saiful camp, The New Straits Times, 29 October 2014.

Anwar’s appeal enters third day, defence continues with submission, The New Straits Times, 30 October 2014.

Anwar sodomy appeal: Prosecution to begin submission tomorrow, The New Straits Times, 30 October 2014.

アジアで政治家をやるのは大変です。それでも中東よりずっと平穏な気もしますが・・・

主役が会議の最終日には収監されてしまいかねないという劇的な展開になっております。

詩とか読んでノスタルジーに耽って一休み、という訳にはいかないようです。

最終日は本来は、イスラーム世界の民主主義の現状について、会議の結果を宣言文にして出す計画なのですが、別種のマレーシア内政に関わる政治的声明を出さねばならなくなってしまうのか。

欧米系のNGOが会議を仕切っているのであれば、非常にストレートに非難声明を出すのでしょうが、日本のやり方は内政干渉や上からの説教という形は取らないのが普通だ。しかし民主主義に関する会議を開いていて、最中に主催者が投獄されても何も言わないという訳にはいかないでしょう。緊張しますね。

スリン・元タイ外相・元ASEAN事務総長、ハビビ・元インドネシア大統領など、ムスリムでアジアの民主化を担ってきた人たちが会議の参加者なので、そういった人たちの発言が注目されます。

イスラーム世界の民主主義の経験を相互に共有し、達成点と問題点を洗い出して将来の方向性を見出していく、という今回の会議のテーマに、ある意味ぴったりの展開ですが、前途の困難さを再確認させてくれます。

イスラーム報道の適正化に向けて

週末に校了間際の〆切りが3本もあるという異常事態に追いつめられています。日本のイスラーム認識・報道にも関係する論説がそれらの一本なので、日本の新聞・雑誌も見ないといけない。

「イスラーム国」の実態をみて、またそれを擁護する人々の言説の実態も見て、少しずつ議論の焦点が絞られてきたように思います。とにかく文章を書く人は、中二病的超越願望を捨てて、今そこにある問題にどう取り組むか考えた方がいい。

良かったのがこの社説。

「社説:カナダ銃撃 「イスラム国」の幻想砕け」『毎日新聞』2014年10月25日東京朝刊

自由主義社会の国民メディアの社説が言うべき点を押さえている。

重要なフレーズをいくつか抜き出してみる。冒頭に*をつけたところが毎日の社説からの引用。段落を変えて私の補足。大学教員とか文章を扱って論理的に考えることが仕事の人でも本当に思い込みで正反対に受け止めるので、重要部分に下線も引いておく。

*「だが、そもそもテロに大義はない。「イスラム国」のせいで「イスラム教=恐ろしい宗教」といったイメージが独り歩きしているのも問題だ。同組織の異教徒虐殺や女性の性奴隷化などは決して許されないし、その激越な主張を支持する人は、16億人とされる世界のイスラム教徒の中で、まさに大海の一滴に過ぎまい。」

「テロに大義はないということでは合意できますよね?面白半分の人も本気の人も、大義はあるということであれば対話できませんよ」ということ。新聞社説でそこまではっきり言えないということなのか、そこまで覚悟が決まっていないのか分からないが、本当はそこまで言わないと、在特会とかも批判できなくなる。

そして「イスラム教=恐ろしい宗教」という偏見があってはならないのであれば、最低限「テロに大義はない」という点は合意してくれますよね?テロを正当化する人は16億人のイスラーム教徒のごく一部ということで良いですよね?という点は、やはりいうべきこと。少数のノイジー・マイノリティが「テロに大義はある」と逆説あるいは暴論で言ってお互いに盛り上がっているとしても、新聞社説が相手にして取り入れることではありません。

これはいわば自由社会における「踏み絵」です。「理解・寛容」は他者への暴力や支配を主張し行動する者には適用されないというのが自由社会の大原則です。「つまらない」かもしれませんが、それを主張し続けないと自由社会は維持できないのです。

*「にもかかわらず、日本を含む世界各国で「イスラム国」への合流を望む者が後を絶たないのは、この組織が世界の不合理に挑戦しているような幻想があるからだ。」

正しく「幻想」です。

やっと新聞でこう書くところが現れた。事実を突き付けられんと書けんのか、という気はするが、新聞に先を読む能力など期待してはいかん、ということなのだろうね。せめてこれまで書いてきたことを(暗黙の裡に)否定してでも態度を変えたことを評価しないといけない。

過激派が何か世界の不合理に挑戦してくれているような幻想に寄り掛かかる新聞社説や、過激派の暴力による威嚇をある意味強制力として味方につけて語る新聞社説は多かった。過激派があたかも「弱者」を代表しているかのようなすり替え情報を各所で挟むことでそれが歴然とした暴力による威嚇であることを漂白して、政権や社会全般を批判する素材に使う新聞社説は実に数多く繰り返されてきた。データベースなどで体系的にまとめると良いが、時間がないので誰かがやってください。

日本赤軍も連合赤軍も、今見ると「何でこれが」というぐらい好意的に新聞社説で取り上げられてきた。「彼らの手段はいかんが、言っていることは分かる。社会が悪い」といういつもの論法だった。

実際に「彼ら」言っていることは「俺たちは明日のジョーである」といったいかにも元気の溢れる若い人が少ない知識・情報から絞り出したんだろーなートホホな妄言だったりしたのに、新聞社説はそれはスルーして勝手な思い入れを盛ってきたのである。

だから今「イスラーム国」に共感・参加などと言っている若者の発言、というものについて私が「自由主義社会における愚行権の行使」であると書いているのは、「新聞記者もさんざん愚行権を行使していたな~」というのと同じ程度にしか批判していない(しかもきちんとその権利を自由主義社会に所与のものとして認めている。あの、権利を認めるとは、その際に刑法を逸脱しても罪に問われないと認めるということではありませんよ)。そういった私の論評に対して「若者に厳しすぎる」とか「彼らの内在的動機を理解せずに表面的過ぎる」といった批判は、読みが浅すぎるのと、歴史を知らな過ぎる。若者だけじゃなくて、昔若者だった今の年寄りも、昔も今もヒドかったんです。そもそも上から目線で私と若者の双方を理解したり諭したりする視点をそういう方々はどこから手に入れたのか。勝手に人間に序列をつけて上下関係で「上の立場」からモノを言えば下は従う、という疑似封建社会に未だに生きている人が多すぎる。そういうモノの言い方では自由世界で人を説得できないんです。そもそも、匿名で個人的に言ってきたり、陰で仲間でごそごそ言っているのは言論ではない(と言うと「言論がなんだ!俺様が貴様に意見してやってるのだ!」と完全に自由社会を否定する大人って多いですな。そういう意味で、日本の軍国主義化はあり得えないことではないと思っています)。

私が最初に書いた本(『現代アラブの社会思想』)の中で、日本赤軍の人たちが実際に言ったことと、日本の「意識高い」系の人たちが勝手に読み取ったことのギャップをからかったら、編集者から「読者に受け入れられないからやめた方がいい」と言われてかなり和らげた。あれでもかなり和らげてあるのです。本を買うのはそんな読者ばかりだった(と編集者が想定している)時代は、今と比べて人々のリテラシーが高かった時代だとは思わない。単に流行が違うだけ、というのと昔はメディアが本や新聞しかなかったから本や新聞に何でもかんでも詰め込んで大量に刷れば売れた。今は代替肢があるからそう売れないと言うだけだ。

*「たとえば20世紀初頭、列強が中東を恣意(しい)的に線引きしたこと(サイクス=ピコ協定)への反発は昔からある。だが、同協定に異を唱え、すでに独立した国々の中に力ずくで別の国をつくろうとする「イスラム国」もまた、恣意的な線引きをしようとしているのだ。」

ここも重要。「カリフ制」という未知なる観念に勝手な思い入れを投影して、国民国家を超えたユートピアを胸に抱いて共感してしまう人が、なまじ勉強した人に多いが、「イスラーム国」の本人たちが「国家」と言ってしまっているところで疑問を持たないといけない。イスラーム法学的には「国家」が出てくるのはおかしい。ひたすらカリフ制とだけ言っていなければいけないはずだ。

しかし彼ら自身の宣伝文書でひたすら「国家」と言って続けているのである。このあたりが、結局はイラクとシリアでの武力闘争と領域支配を担っているのは旧バアス党幹部なんだろうな、と強く推測される理由だ。

「イスラーム国」はどう見ても領域国民国家を作ろうとしている。近代の国民国家の原理であれ実態であれ、超越などしていない。単に「国民」の定義をスンナ派イスラーム教徒(のうち自らに従う人々のみ)だとしているだけです。既存の秩序を破壊することはできても、新しい理念に基づく秩序を生み出せるとは思えない。

「民族主義に基づいて国民国家を作ったから弊害として民族対立とか国家を得られない民族とかが出てきた、民族浄化や住民交換などの悲劇が起こった」という批判をするのはいいのだが、だから歴史の勉強でうろ覚えに知っている「特定の宗教を上位の規範とした帝国」に戻れ、というのは単なる退化でしょう。国民国家で辛うじて提供していた権利すら各個人から剥奪され、劣位に置かれることを認めるか去るか、そうでなければ殺されても仕方がない、という境遇に落ちる人々が膨大に出てくる。それで平和が達成されるかというと、客観的には達成されないが、支配宗教の側の主観では、異を唱える人がいなくなれば平和になる、というのだから、やはりその過程で大戦争と民族浄化あるいは大規模な住民移動が不可欠となる。しかもそのようなジェノサイドは、平和を達成する過程でのやむを得ない事象として正当化されてしまう。

「国家」を構成する「国民」が民族ではなく宗教に基づいているというのは特に珍しいことではない。旧ユーゴスラビア連邦の諸民族構成のうち一つが「ムスリム人」だった。ボスニアの「ムスリム人」とセルビア人とは人種的形質や言語は元来はほとんど変わらない(ただしムスリムと正教徒は基本的には通婚しない、というか通婚したらイスラーム法上自動的にイスラーム教徒になるので、徐々に形質的差異が出てきていてもおかしくはないが)。宗教的差異が民族区分とされたのである。社会主義というイデオロギー的紐帯と、それを背後で強制するソ連の存在がなくなったら、そのような民族単位での独立闘争が始まった。

そのムスリム人がボスニアを独立させようとして、戦争になった、というのと、現在の「イスラーム国」の領域支配は同種のもの。といってもバルカン半島ではイスラーム法学はほとんど通用していないから宗教や教義を持ち出して対立や殺人を正当化はせずに、単に民族が違うと言って殺し合った。イスラーム法学が通用していたらそんなことはなかったかというと、そうではなくて、イスラーム法学的にボスニア領内のセルビア人(キリスト教徒)は劣位の存在に置かれるが我慢せよ、それを認めないなら討伐だ、と言う人たちが現れて、いっそう紛糾したことだろう。

なおボスニア紛争やコソボ紛争では、欧米はムスリム人・ムスリム系住民の側にかなり肩入れして、現地では欧米への感謝の念は強いのだが、イスラーム世界全体ではこの点はまったく考慮されず、常に「欧米がイスラーム世界を攻撃している」ということになっている。

*「こうした現状に「否」を突きつける主体は、あくまで中東とイスラム圏の国々である。ネットを駆使して自らの主張を発信する「イスラム国」に対し、中東の国々やアラブ連盟(加盟22カ国・機構)、イスラム協力機構(加盟57カ国・機構)などの組織はもっと反論していい。」

これも言わなければならない点だ。というのは、こういった事象が持ち上がるたびに、イスラーム諸国の知識人も、アラブ連盟など国際機構も、「イスラームに対する偏見を持つ欧米」を非難するのみで、実際に紛争を起こす人たちの根底にある思想が、イスラーム教に基づいてどう間違っているのかを言わないからだ。結局、「欧米が悪い」という印象だけが残り、新たな過激派の理屈にも取り入れられてしまう。

「それでもカリフ制の理念の方は正しい!「イスラーム国」をやっている連中が間違って解釈しているだけだ」と論じたい人は、「イスラーム国による殺害や奴隷化は支持しない」とはっきり言うべきだしその根拠を示すべきだ。つまり「正しいカリフ制の理念ではこのような根拠から異教徒の殺害や奴隷化は禁じられている」とイスラーム法学の理念を明示して主張しなければならない。それも欧米や日本に対するだけでなく、「イスラーム国」側に対して言わないといけない。

もちろん、「イスラーム法学上は多神教徒の征服や奴隷化は正しい行為なのです。そうならないように改宗するなり立ち退けばいいのです」と思っている人はそう主張すればいい(ただし本当に立ち退かせたり、立ち退かない人を殺害する行為を賞揚した場合は刑法上の何らかの制約が課される可能性はあります)。

イスラーム法学的な説得をしたくない、する必要がないという考えの人は、「イスラーム法学の適用やカリフ制の復活は現代において必要がない、違法である」といった議論を正当化して示さないといけない。説得的な根拠を出して、欧米人相手にではなく、「イスラーム国」に共感したり、「イスラーム法学」の有力な規範を提示しているからといって黙認したりしているイスラーム教徒に対してきちんと示すべきだ。もっとも現在のイスラーム世界で、イスラーム法学は効力がないと議論するのはよほどの勇気がいる。だからやらないのだろう。

なお、現状では数少ないイスラーム法学者からの「イスラーム国」批判は、例えば異教徒の迫害と奴隷化について、「ヤズィーディー教徒も啓典の民だ」と反論するというものなので、外から見ると、反論になっていない。「イスラーム国」がDabiqなどでヤズィーディー教徒を「啓典の民ではない」と主張していることに対してのみは一応の反論になっているが、ではヤズィーディー教徒も啓典の民だとするイスラーム法上の根拠は明確ではない。単に各国の政府に近い法学者が政治的必要から個人的見解で断定しただけ、というのではイスラーム法学的にはほとんど説得力がない。

「イスラーム国」と同じイスラーム法学上の「啓典の民」という観念を持ち出してしまっている以上、「イスラーム国」のより明確な明文規定や有力なイスラーム法学書に則った議論の方が有利である状況は代えがたい。むしろ議論を強めているのではないかとすら思う(結果的に、多くのイスラーム教徒が「イスラーム国」批判のイスラーム法学者たちの論拠の希薄さに愕然として「現代においてイスラーム法学に依拠したら駄目だ」と思うようになることを期待しているとすれば、穏健派イスラーム法学者たちのものすごい捨て身の作戦だと思うが、たぶんそんなことではないと思います)。

「啓典の民」という概念は異教徒を平等に扱うものではない。少なくとも自由主義社会における宗教間関係にはなじまない。

「啓典の民」という観念は、あくまでも優位な側からの劣位な側への恩恵としての生存の許可というロジックなので、支配しているイスラーム教徒の側が「啓典の民が歯向かった」と判断すれば即座に「改宗するか、去るか、討伐か」という三択を突き付けることが正当化されてしまう。「啓典の民だから許せ」というのは、「イスラーム国」批判になっていないのである。「イスラーム国」としては「啓典の民として認めてやるから寛容に接してやると告げたのに、異教徒が悪態をついたから追放・殺害・奴隷化した」と言えばいいだけになってしまう。水掛け論にすらなっていない。「啓典の民だから許せ」という議論は「イスラーム国」の立場を補強しているとすら言える。

近代思想史において「穏健派」のイスラーム法学解釈(あるいはイスラーム法擁護論)が、「過激派」のジハード論を結果的に支えている構造については、池内恵「近代ジハード論の系譜学」(日本国際政治学会編『国際政治』第175号、有斐閣、2014年3月、115-129頁)で書いておきました。

なお、ユースフ・カラダーウィーをはじめとした主要な「穏健派」「中道派」とされてきたイスラーム法学者も、この「啓典の民の生存を認めるからイスラームは寛容だ」という説を定説としてきたので、短期間に異教徒との平等説でイスラーム法学を組み替え直すことは難しいだろうと思う。

これについては、池内恵「「イスラーム的共存」の可能性と限界──Y・カラダーウィーの「イスラーム的寛容」論」(『アラブ政治の今を読む』中央公論新社、2004年、初出は『現代宗教2002』2002年4月)に詳述してあります。

なお、これと対になる論文が、池内恵「文明間対話の理論的基礎──Ch・テイラーの多文化主義」で、同じく『アラブ政治の今を読む』に収録してあります。(この本は絶版とは聞いていないが、中央公論新社も一生懸命売る気がないんだろうね)

基本的には、この時考えていた理論的な対立点が、現在「イスラーム国」をめぐる問題として表出しているものと考えていますので、世代は新しくなっても思想的な問題は変わらないのだな、と実感しています。また、それをイスラーム法学上批判しきれないイスラーム世界の問題として、あるいは勘違いして自由主義社会の原則を放棄して共感する日本のメディア・知識人の論調としても現れてきているものと思います。

それにしても、「イスラーム教の理念は自由主義の原則とは合わない部分がある」ということは、イスラーム教徒の側はごく当然に主張する、当たり前のことです。極端に欧化して生活の基盤を欧米や日本に移した人を除けば、大多数のイスラーム教徒はそのように明言します。ただ、留保をつける場合はあります。その場合は、「イスラーム教こそがより優越した自由主義を実現します。イスラーム教では正しい宗教であるイスラーム教を信じる自由があります」と主張します。これが教科書的な回答です。カラダーウィーのような有力なイスラーム法学者が定式化してくれている欧米との対話・教義論争の作法としてすでに定着しています。

ですので、この点を指摘することは、「イスラーム教を揶揄する」といったこととは全く違うのです。単に、日本の常識とは違う別の基準があると指摘しているだけです。そのことを日本の、しばしば「自由」を主張する、往々にして「反体制」に立っていると自覚しているらしき人々が理解しておらず、このような指摘を行なうことを非難する側に回るのは、自分の認識の前提を疑う視点を持たず、他者・他文化に対する想像力を欠いているからではないかと観察しています。「隣の芝生は青く見える」というの異文化理解でも寛容でもない。

逆に、イスラーム教は「自由主義が絶対ではない」と主張しているのだと受け止めて、安易に「そうだそうだ」と同意し、「だから欧米みたいな自由などいらない」という自己の信念を補強したものとのみ受け止める権威主義的な人も日本社会には多くいます。そういう人は「イスラーム?遅れた国の遅れた宗教だろ?」といった偏見を露骨に持っている場合が多くあります。このような人々は、自分が享受していると思っている自由がいかなる根拠に基づいているのか忘れがちであると観察しています。

要するに社会における議論は、このような不完全な認識を持った、それぞれの思い込みを抱え込んでガンコに変えようとしない人々の間で行われるので、理想社会はそう簡単に成立しないのです。

思想研究は、そのような不完全な社会で、現に行われている議論を整理して、適切な方向に向けていくささやかな作業と考えています。「あの人はスゴイことを言っている!」と一部の人にカルト的に尊敬されたいのであれば思想研究はやらない方がいいと思います。