Al Monitorで読む中東

中東情勢について、ニュースとその「読み方」を知るのに便利なのが、『Al-Monitor』

タイムリーに中東の新聞の論説の翻訳や、代表的な知識人や専門家のオリジナル原稿が載る。

現地のメディアと欧米メディアとの中間ぐらいの線を行っている。

例えばエジプトの最新情勢と、チュニジアとの比較論

このブログの過去のエントリ【これとかこれ】を読んでいた人にとっては、そんなに目新しくはないかもしれないが、これ以外にもイランやシリアやレバノンやトルコなどについて常時報道や論調を的確に紹介してくれているので、情勢の雰囲気や、議論の構図が手早く分かって、非常に便利。

どちらかというとリベラル寄り、だか、すごくイスラエルに批判的ではない。

サウジについてはかなり批判的な論調が多い。マダーウィー・ラシード(Madawi al-Rasheed)というロンドン大学のサウジ政治・政治人類学の有名な先生がしょっちゅう書いている。名前を見ればわかるが、サウド家に滅ぼされたハーイルという首長国を支配していたラシード家の末裔の人なので、「恨み骨髄」というか、サウジアラビアの現体制について良いことを書くことはない。

批判としてはいつも鋭い。ただし彼女の「見通し」となるとあんまり当たらない。いつも今にもサウド王家支配が崩れそうなことを書いているから。

今回の論説「サウジの新しい書き手たちはイスラーム的な解放の神学を提示する」は、サウジの社会の側の変化を取り上げることで、間接的にはサウジアラビア社会の厚みと内側からの変化の可能性を書いているという意味で(つまり単に王家の支配が民衆の支持を失って崩壊するという単線的な変化を近い将来に想定していない)、普段よりマイルドな印象。

米国の中東政策がうまくいかない⇒中東のことを本当には良く分かっていないからだ⇒現地メディアの報道や論調をリアルタイムに反映してくれるメディアが欲しい⇒お金出してくれる財団や個人が出てくる、というメカニズムが働く米国がうらやましいです。

中東について毎日アップデートが欲しい人はぜひこのAl Monitorをチェックしてみてください。

遅れに遅れていた論文がぎりぎり大詰めなので、今日はこれまで。

超大国の店じまい? オバマ大統領の一般教書演説2014

今年のオバマ大統領の一般教書演説(1月28日)、録画しておいて見ました。

全文ももう出ている。

一般教書演説は、アメリカらしく空元気かと疑うほどに大統領の口調も会場の反応もハイなことが多いのだが、今回はこれまでになく淋しい心象風景が伝わってきた。黄昏の超大国。

予想通り、ひたすら内政問題に終始した。

外交は最後の方にちょっとだけおざなりに。アジア・太平洋地域については特に少なく、具体的なことは何もなし。アジアへの「ピボット」「リバランス」という話はもうどこか遠くに忘れ去られている。

外交については中東・南アジア、対テロリズム関係が大部分だが、いずれもブッシュ政権時代に始まったことを「どう終わらせたか、終わらせつつあるか」という話。

オバマ政権の6年目に入って、外交面では「覇権」の負担の縮小を図り、負の遺産を整理していく「コストカッター」型の、オバマ政権の性質が明らかになってきている。

昨年は「損切り」を派手にやりましたからね。

アフガニスタン撤退後の治安悪化は確実視されるが、とにかく撤退を決定。

さらに、シリア問題では、「オバマ・ショック」の急展開。すっかり足元を見られました。
間髪入れずイランへ怒涛の歩み寄り。
エジプトではクーデタを非難したあげく、打つ手なくまた歩み寄る。もう抑えが利きません。

エジプト、サウジ、イスラエル、トルコなど同盟国は一斉に自活の道へ。命かかっていますから。

今年の一般教書の「1行」を選ぶなら、これ。

I will not send our troops into harm’s way unless it is truly necessary, nor will I allow our sons and daughters to be mired in open-ended conflicts.

「本当に必要でない限り、われわれの部隊を危険な場所に送りません。われわれの息子や娘たちを、果てしない紛争の泥沼へと送ることはしません。」

こう明言している以上、ペルシア湾岸の第5艦隊は水上に浮かぶ張子の虎、と受け止められるだろう。

演説の締めくくりに、非常に長い時間をかけて、議場に招かれた一人の傷痍軍人を紹介した。重い障害を負った、元陸軍特殊部隊のCory Remsburgさん。彼との出会い、アフガニスタンでの路上の爆弾による負傷の経緯。意識不明となり長期間死線をさまよい、奇跡的に蘇生しつらいリハビリの過程にある。

オバマはCoryさんの言葉を引くが、これはアメリカ社会の現在の心境を表現しているのだろう。

“My recovery has not been easy,” he says. “Nothing in life that’s worth anything is easy.”

また、

Our freedom, our democracy, has never been easy. Sometimes we stumble; we make mistakes; we get frustrated or discouraged.

という。

「超大国であることはたやすいことではないよ」と実感したアメリカ。重い負の遺産を背負い、傷の治癒に専念するアメリカは、当分の間、中東に強い影響力を行使することはできないだろう。そうなると、地域大国と域外大国の思惑が入り乱れる、予測しにくい時代が続きそうだ。

エジプトは「ちょっといい加減なファシズム」に邁進中

チュニジアで憲法が成立して湧き立っているのに対して、同日同刻、エジプトは軍人大統領推戴に向けてまっしぐら

予想されていた通り、1月26日のマンスール暫定大統領のテレビ演説では、移行期の工程表を変更して、議会選挙ではなく大統領選挙を先に実施すると発表。これで、軍人出身者が出馬し、対抗馬を実質上許さずに、少しでも反対を唱える人たちはデモ禁止法や法廷侮辱罪で投獄して当選し、大統領は議会の制約なく独裁権限を振って威圧した上で、不正選挙で形だけの議会を選出する、という方向性が定まりました。

30-90日以内に大統領選挙を実施する、というので、後はタイミングを見計らってのスィースィー国防相推戴が予想されます。

27日にマンスール暫定大統領は、スィースィー国防相を元帥に昇格させた。前任の、ムスリム同胞団のムルスィー大統領が准将から大将に一気に昇格させたスィースィーですが、今度は元帥になってしまいました。

(ただし、ムバーラクやその前のサーダート、ナーセルなど、歴代の軍人出身の大統領は元帥ではなかった

同時に軍最高評議会(SCAF)が会合を開き、スィースィー国防相の大統領選挙への立候補を認める

SCAFはスィースィーの国防相辞任、後任に参謀総長を昇格、といった人事も決めたそうなので、これで決定でしょう。

正確には、軍最高評議会は「スィースィー国防相に立候補の判断を委ねた」とのこと。「非常時だから」といって軍籍を離脱せずに立候補する可能性もある。

ムバーラク時代に最高憲法裁判所判事に抜擢した女性判事(オバマがムスリム同胞団に資金援助している、といった陰謀論で有名)は憲法上スィースィーは軍籍離脱する必要がない、と主張している。

軍のクーデタを支持したサウジアラビアの資本の衛星放送局アラビーヤは、かつてハンサムな軍報道官アリー氏にインタビューしていた。内容はなんだか現在の展開と違っているようだ。スィースィー将軍は統治よりも国防を大事にしている、軍は前回の選挙でも軍人出身候補を支持しなかった、だから今回もしない、といったことを言っている。このインタビューに基づいた新聞記事が、SNS上で矛盾を指摘されると、消えてしまった。「立候補しない」と言っていたじゃないか、という批判を封じたいようだ。

国営『アハラーム』紙によれば、スィースィー立候補要請の署名が25万人分集まったという。その他いろんな小規模の翼賛デモが報じられています。

エジプトの国営・民間メディアからは怒涛のようにスィースィー礼賛の記事が発信されていて、フェイスブックやツイッターの画面がパンクしそうです。

2011年の教訓から、ソーシャル・メディア上を一方的な情報で埋め尽くして印象操作するという手法がエジプトでは確立されています。クーデタも軍政もフェイスブックで発表される時代になりました。

SCAFの会合が終わって、スィースィー国防相が大統領宮殿に向かっているということなので、数時間以内に大統領選挙出馬表明が行われるのではないか

エジプトは「ちょっといい加減な、人間的な、効率性に劣るファシズム」に向かっているようです。詳しくは、池内恵「エジプト暫定政権のネオ・ナセル主義」『中東協力センターニュース』2013年10/11月号、61-68頁を読んでみてください。写真もふんだんに入っています。

刻々と展開がネット上で実況中継されているところですが、結果はほぼ分かっていることだし、明日早いので、おやすみなさい。(2014年1月28日午前1時現在 日本時間)

答え合わせ(1)チュニジア立憲プロセス成功の理由

中東・イスラーム学のブログを始めてみて10日ぐらいしかたっていないけど、ほかの同様のブログでは何を言っているのかが気になってきた。

まずチェックしたいのは、ファン・コール先生(ミシガン大学教授)のブログ「Informed Comment」

英語圏の中東情勢ブログの最高峰。誰も追随できない。エントリ数がすごく多い。重要なニュースへのリンクが早い。コール先生のお友達の優秀な学者のコメンタリーや論文なども即座にリンクされる。ウェブ上の中東情報のうち、それなりに重要なもの、面白そうなもの、話題になっているものを選り分けてくれるClearinghouseの地位を確立している。米国の政治ブログの最優秀賞のようなものをもらっていたこともある。

もし本気で中東について毎日追いかける気がある読者は、私のブログより先にコール先生のブログを見てほしい。

そしたら、、、

1月25日の記事に、
Why Tunisia’s Transition to Democracy is Succeeding while Egypt Falters, By Juan Cole, Jan. 25, 2014
「なぜチュニジアの民主主義への移行は成功しつつあり、エジプトは躓いているか」

(!)

私の方でも1月25日に、
「チュニジアではなぜ移行期プロセスがうまくいっているのか」
という記事を載せているので、キャー、あんまり違っていたらどうしよう、でも全く同じだったら真似したと思われる。

と思ってドキドキしながら比較してみました。(なお、時差があるので、日付は同じでも私の方が半日早くアップしています。念のため)

コール先生の方は、チュニジアでうまくいっている理由(エジプトでうまくいっていない理由)について5点にまとめている。要点は、

(1)チュニジアでは軍が中立を保った(エジプトでは繰り返し介入して不安定化の要因となった)
(2)チュニジアではイスラーム主義派が自制して、立憲プロセスでイスラーム法条項に固執しなかった。野党政治家の暗殺事件に対する辞任要求を呑んで内閣総辞職を約束した。
(3)チュニジアでは労働組合の全国組織(UGTT)が自立的でかつ強力だったため仲介役を果たせた(エジプトの労働組合は自立的でも協力でもない)
(4)チュニジアの世俗主義派は宗教政党ナハダ党の排除を要求しなかった(エジプトではムスリム同胞団の全面排除を図って、持続的な抗議行動を招いている)
(5)チュニジアの経済は若干ながら改善している(エジプトではムスリム同胞団期と軍政期を通じて経済停滞)

それに対して私の方も、偶然にも5点の箇条書きで(私は普段あまり箇条書きはしないで文章にする癖がありますが)、チュニジアでうまくいった理由をまとめていました。

(1)軍が政治的中立を守ったこと。
(2)司法が不当な介入を行わなかったこと。
(3)文民の労働組合連合会や市民団体が対立する政党間の仲介者となったこと。
(4)イスラーム主義派と世俗派民族主義派がそれぞれ妥協したこと。
(5)ナハダ党・共和主義派の連立政権は退陣を呑んだが、立憲議会の解散は呑まなかった。(正統な立憲プロセスを死守した)

としてありました。

私の方では「司法」という要因を入れているのに対して、コール先生は経済要因を入れている、というぐらいが違いでしょうか。

経済については、どれだけ実態が数字に反映されているのか、それが政治にどう影響するのか、正直に言って、私にはよく分かりません。

むしろエジプトの場合に、司法が危ない要因だなあ、と以前から思っていたのが(池内恵「エジプト民主化の混乱要因は「司法の独立」」『フォーサイト』2012年6月14日)、昨年7月のクーデタ以来暴走を極めているので、失敗要因として入れねばと思いました。チュニジアでは民意を受けた立憲議会が憲法を自ら作り出していくことを司法が妨害していない。エジプトでは、「前の憲法に照らして、新しい憲法は違憲」と言い出しかねないほど、司法が邪魔をしました。比例代表制は違憲、という無茶な判決で議会を解散させたのが大きかった(池内恵「司法判断により議会は解散、大統領選挙は実行」『フォーサイト』2012年6月15日)。

どちらが正しい、というわけでもないでしょうし、どちらもすごく短い時間で、その日思ったことを書いているだけだと思います。

ほぼ同日同刻に、米国と日本で、中東研究者が同じことについて考えてブログに書いていたと思うと、心が温まります。

まあこの話題、「チュニジアではなぜうまくいって、エジプトではなぜうまくいかないのか」で書いておいたように、現在の重要な論点なので、どこの国でも専門家の頭にはよぎっていたはずですけれども。

チュニジアで新憲法制定 組閣も

1月26日深夜、チュニジアの立憲議会が新憲法案を可決。信任投票の必要はなく、そのまま制定へ。

149か条からなる新憲法

ジュムア新首相も組閣名簿をマルズーキー大統領に提出。こちらは議会で承認されるかどうかまだ分からない。内務大臣の再任をめぐって、世俗派がイスラーム主義派を突き上げるという構図。

チュニジアの立憲プロセスの重要性については集中的に書いてきたので、改めて列挙します。

「チュニジアではなぜうまくいって、エジプトではなぜうまくいかないのか」(1月26日)

「チュニジアとエジプトの論戦@ダボス会議」(1月25日)

「チュニジアではなぜ移行期プロセスがうまくいっているのか」(1月25日)

エジプト軍ヘリ撃墜で「地対空ミサイル使用」の恐怖

エジプトがまた一歩、局地的・低強度ながら「内戦」に近づいている。

その画期と言えるのが、1月25日のシナイ半島北部シャイフ・ズワイドでの軍ヘリコプター撃墜だ。当初はエジプト政府当局は機器の故障が原因としていたが、実際には撃墜されたことが明らかになった。

1月24日のカイロ警察本部はじめとした4ヵ所の爆破テロで犯行声明を出したアンサール・バイト・マクディス(聖地エルサレムの守護者)が、軍ヘリ撃墜についても26日に犯行声明を出した【声明ビデオ】【ユーチューブの犯行声明ビデオは日本時間27日夜の9時の時点で16万ビューを超えている】

翌26日にもシナイ半島で軍兵士を乗せたバスを襲撃して3名を殺害している。

私にとっての「まだ見ぬエジプト」が急速に姿を現している。

私にとってのエジプトは、1990年代から2000年代の、イデオロギー的分極化や経済格差や根深い社会問題が、とてつもない規模で存在しながら、なぜかそれが国民社会の分裂や秩序の崩壊には至らない、けだるい共同幻想の中に微睡んだ、腹立たしいほど停滞した、だけど安全な国。

あのかつてのエジプトは、もう戻ってこないのか。

少なくとも、すでにエジプトは政府に対するinsurgency(武装・組織的反乱)が恒常的に行われている国、という点に異論はないだろう。つまりイラク戦争後のイラクや、アサド政権下で内戦に陥ったシリアと、程度と規模は異なれど、同類ということになる。

このことを軍と軍支持層は現在、必死に否定しようとしている。軍礼賛のフェイスブックページには、1995年の米オクラホマシティ連邦政府ビルの爆破事件の写真を掲げて、このような事件があったからといって米政権が崩壊したわけでもなく、内戦になったわけでもない。エジプトも大丈夫だ、という元気づけているのか何なのかよくわからないエントリが載っていたりする。

アメリカで少数の狂信者が単発の事件を起こした事例と、より社会に根深く定着し、歴史の長いジハード主義運動を混同するのは、自己欺瞞というべきだろう。

アンサール・バイト・マクディスの犯行声明で衝撃的なのは「ミサイルを使用した」と主張していること。軍側もミサイルの使用を認めている

地対空ミサイル(Surface to Air Missiles: SAMs)を反政府勢力が大量に入手し、使いこなしているのであれば、エジプトの治安情勢は異なる次元に入る。

『Mada Masr』紙はこう記す。

According to David Barnett, research associate at the Foundation for Defense of Democracies, the use of SAMs in this attack is of key significance, due to the important role helicopters have been playing in military operations in Sinai.

“Before yesterday there had been no credible reports that Sinai jihadis had yet used a SAM in their attacks in North Sinai… If Ansar Beit al-Maqdes continues to use SAMs, the heavy reliance on helicopters in Egyptian operations in North Sinai could become unsustainable,” he said.

地対空ミサイルを配備した勢力に対しては、軍の作戦は自由に展開できなくなる。鎮圧にはより大規模な砲撃を行う必要が出てきて、民間人の死傷者も格段に増加する。反乱勢力側は潜在的には民間航空機を打ち落とすこともできることになり、カントリー・リスクがさらに高まる。

リビアのカダフィ政権が崩壊し、その武器庫が略奪にあって、中東から北アフリカ・サヘル・サハラ地域に武器と武装民兵が拡散した。ここでとくに警戒されたのが、地対空ミサイルの拡散である。これについて、次のように分析したことがある。

「リビアのように、軍の一体性が崩壊し、反カダフィで蜂起した諸部隊が地域ごと、派閥ごとに群雄割拠して一部で新生リビア国軍との衝突が生じている現状では、まずは軍の再統一を支援する必要がある。それよりも前の喫緊の課題は、内戦中に行方の分からなくなった1万発に及ぶミサイルの追跡だ。特に携帯式の地対空ミサイルが各国のテロリストに拡散すると、民間航空機の安全が脅かされる重大な危機をもたらす」(池内恵「米国務省「政軍関係次官補」のリビア、エジプト、サウジ訪問」『フォーサイト』2011年12月13日)

当時盛んに心配されたものだが、ついにエジプトでも地対空ミサイルが使用されてしまった。

現在はまだシナイ半島で使われているだけだが、これがスエズ運河を超えて「本土」でも使用されるようになると、これは完全に内戦だろう。カイロやデルタ地帯の人口密集地での一連の大規模な爆破テロを見ると、地対空ミサイルが本土で使用されるのも時間の問題に感じられる。

本土でも地対空ミサイルが使用されるようになれば、エジプトの治安状況は、1973年の10月戦争以降には経験したことがなかった水準の危険度となる。しかも、危険は敵国イスラエル空軍機の来襲によるものではなく、エジプト軍が人口密集地で、武装集団相手に自国民を巻き添えにしながら戦闘を繰り広げることに由来する、という前代未聞の事態になる。

そうなってもなんら不思議ではない。昨年7月3日のクーデタ以来の軍による反体制デモ弾圧の規模は、殺害した数からいえば、2011年のリビア・カダフィ政権や、同年のシリア・アサド政権の弾圧の水準に達している。両国はその後内戦に陥った。

「エジプトではそんなことは起らない」という通念が、エジプト専門家や、外務省などの担当者、駐在したことのある記者などの間にはある。それはかつてのエジプト社会に広まっていた通念に依拠している。

しかし客観的にみて、昨年7月以降の状況は、1990年代とは異なっている。政府の弾圧の規模と強度も、反政府派が入手しているとみられる兵器の規模も格段に異なる。

また、エジプト人の抱いている主観的な認識も、過去3年で大きく変わったのではないか。

このまま軍・警察がムスリム同胞団やその他の野党勢力を弾圧・排除しながら武装反乱集団と対決していくのであれば、警察・治安機構が散発する小規模のテロを抑え込んだ「1990年代のエジプト」ではなく、軍が反政府武装組織と長期間にわたり血塗られた内戦を繰り広げて、社会・経済の停滞と民心の荒廃の果てに、その特権を守り抜いた「1990年代のアルジェリア」型の展開になりうる。あるいはパキスタンのように、軍政とイスラーム主義武装勢力が恒常的に紛争を繰り広げながら共存していくのかもしれない。

もちろん、「そんな危ないところには誰も行かない」というタイプの国になってしまう。アルジェリアと違って大規模な天然資源のないエジプトには、そのような選択肢はないはずだが。

なんとか踏みとどまってくれればいいのだが。しかし7月3日のクーデタは、過去にエジプトが「踏みとどまって」きたことの根底にあった、社会の一体性の紐帯を破壊してしまった気がする。

革命のクライマックスとしての憲法制定について:アレントを手掛かりに

チュニジアの立憲プロセスに関して補足。

そもそも、「革命」の成果の確定としての「憲法制定」の重要性、というものが日本ではきちんと理解されていないのかもしれない。だからチュニジアでの成果について、日本と欧米とでここまで報道が異なるのかもしれない。

「革命」の最重要部分としての立憲政治については、ウェブ上で論説を書いたことがある。

池内恵「「アラブの春」は今どうなっているのか?――「自由の創設」の道のりを辿る」『シノドス』2013年12月9日
その一部分を引用しておく。

(前略)
ハンナ・アレントは、世界史上に数多く起きてきた「革命」の多くは実は「反乱」に過ぎず、それが「自由の創設」をもたらすという「奇蹟」を伴わない限り、多くは混乱と分裂のもとで再び独裁の軛に繋がれる結果に終わったと指摘する。しかし往々にして人々の関心は「反乱」の劇的な側面に向けられ、「自由の創設」の地味な側面への関心は高まらない。

「歴史家は、反乱と解放という激烈な第一段階、つまり暴政にたいする蜂起に重点を置き、それよりも静かな革命と構成の第二段階を軽視する傾向がある」(ハンナ・アレント『革命について』志水速雄訳、ちくま学芸文庫、1995年、223頁)

静かな革命における「構成」とはすなわち憲法制定(コンスティチューション)である。アレントによれば「根本的な誤解は、解放(リベレイション)と自由(フリーダム)のちがいを区別していないという点にある。反乱や解放が新しく獲得された自由の構成を伴わないばあい、そのような反乱や解放ほど無益なものはないのである」(アレント『革命について』224頁)。

アラブ世界の社会・政治変動に関するわれわれの関心も、ともすれば「反乱」の局面にのみ向けられてはいなかったか。デモよりも内戦よりも、自由の構成=憲法制定という地道で労の多い過程こそが、革命のもっとも重大な局面であるとすれば、「アラブの春」を経たチュニジア、エジプト、リビア、イエメンは、この段階での困難に直面しているといえる。それは成功を約束されたものではないが、失敗を運命づけられてもいないし、まだ終了してしまったわけでもない。

(以下はシノドスで)


ハンナ・アレント『革命について』 (ちくま学芸文庫)

チュニジアではなぜうまくいって、エジプトではなぜうまくいかないのか

それにしても日本ではなぜチュニジアの動きが報じられないのだろう。

エジプトで2011年1月25日に始まった大規模デモを起点にして、現在の情勢が「アラブの春から3年」という切り口で報じられることが多いので、1月26日の日曜日の各局のニュース番組を見てみた。

すると、チュニジアで今まさに起っている、欧米メディアでは伝えられている重要な動きが、まったく取り上げられていなかった。

ここは日本のメディア関係者の限界。物事を概念でとらえられない。そのような教育を受けていない。そもそも世界全体をよく知らない、という前提の知識の欠如がありますが。

特にすごかったのは、BS朝日の「いま世界は」。かなり長い時間かけて「アラブの春から3年」について、あんまり代わり映えのしない映像や紙芝居を流して、だらだらコメントしていたが、エジプトやシリアと共に、せっかくチュニジアにも触れながら、「首相が辞任で混乱」というだけの話になっていた。

憲法はどうなったの?今まさに世界中のメディアがチュニジアの立憲プロセスについて報じて、論じているところじゃないの?

番組では、ようするに「アラブの春後の3年で、どの国でも混乱していてよく分からない」という趣旨の報道とコメントに終始していた。混乱しているのはアラブ世界だけでなく、日本の記者やコメンテーターの頭の中身ではないか。

しかしチュニジアでの今月の立憲プロセスの進展を受けて、少なくとも欧米圏で(アラブ圏でも)提起されている、重要な論点は「なぜチュニジアでうまくいって、エジプトではうまくいっていないのか」というものだ。

日本のように、「混乱している」「よく分からない」とだけ言っていれば給料をもらえる人たちって何なんだろう。若い人たちから、メディアが「既得権益」とみなされて、ニュースが信用されなくなるのも分かる。

「チュニジアではなぜ移行期プロセスがうまくいっているのか」(1月25日)で書いたが、チュニジアでは憲法草案の全条項がまさに立憲議会で承認されたところ。

23日の段階で、すでに立憲議会で憲法草案確定を祝っている。チュニジアの場合は、直接選挙で選ばれた立憲議会がそのまま憲法草案を作成し採択するので、憲法全体について改めて採決して3分の2の賛成を得れば、信任投票なしに憲法となる。すでに各条項についての議論で3分の2の賛成を得ているので、最後の最後の段階での微修正はあっても、プロセス全体が今からひっくり返るとは考えにくい。

このブログでは憲法の全条項についての修正動議が終わった23日の段階で掲載したが、イスラーム主義派と世俗主義派の間の主要な争点についての妥協がなされた段階で、欧米の主要紙はすでに憲法の制定見通しとその意義を報じていた。

チュニジアの立憲プロセスの進展は、エジプトでの翼賛的な立憲プロセス・統治と対照させて、成功事例と言っていい。そこから、「移行期でどうするとうまくいき、どうするとうまくいかないか」という議論が喚起されている(少なくとも欧米やアラブ世界の知識階層の間では)。

ほんの一例では、英『ガーディアン』のこの記事。
“The Arab spring: made in Tunisia, broken in Egypt,”The Guardian, Thursday 16 January
タイトル見ただけでもわかりますね。「アラブの春:チュニジア製、エジプトで故障」。気が利いていますし、本質をついていますね。

大学の教養課程ぐらいの英語の読み物にちょうどいいのは『ニューヨーク・タイムズ』の「アラブの隣国は憲法で道を別った」。
“Arab Neighbors Take Split Paths in Constitutions,” New York Times, January 14.

この文章の比較論を掘り下げれば、比較政治学の議論として面白い。

ここではチュニジアとエジプトの2011年の政権崩壊の際に、どのような政府機構が残されたか、その相違によって現在の立憲プロセスの帰結の差を説明している。もちろん因果関係はこれだけではないだろうが、まずこうやって分析して行かなければ話が始まらない。

チュニジアではベン・アリー大統領を支えていた治安警察が、政権崩壊と共に弱体化。軍は歴史的に政治に関与してこなかった。チュニジアではイスラーム主義派と世俗主義派の勢力が比較的拮抗していて、選挙でイスラーム主義派は第1党にはなれても過半数は取れなかった。イスラーム主義派と世俗主義派の双方が相手を必要としたので妥協が成立した。

対照的に、エジプトでは、現体制の基礎を作ったナセルの1952年のクーデタで軍が政治権力を握ったという歴史があり、ムバーラク大統領を排除した際にもその部下だった軍人が暫定統治を担った。イスラーム主義派は選挙で勝てるがゆえに妥協せず、それに対抗する勢力は選挙で勝てないと悟って、軍を頼った。

こういった経緯の上で、チュニジアの憲法制定プロセスで、イスラーム主義派と世俗主義派の間に、宗教と政治の関係や、宗教法(シャリーア)をめぐって妥協が成立したことを画期として、チュニジアの立憲プロセスに肯定的な評価を与えて報じている。

非常に妥当な解説だろう。その後の憲法諸条項の審議が、いわば「消化試合」で、スムーズに進んでいくことを見越して早めに記事を出した判断も正しかった。

記事では論理だけでなく、比喩的な表現も使ってイメージを伝えているので、堅苦しい感じの記事ではない。
“‘Train wreck’ might be a charitable way to describe where Egypt is right now,” said Nathan Brown, an expert on Arab legal systems at George Washington University. In Tunisia, he said, “Everybody keeps dancing on the edge of a cliff, but they never fall off.”

代表的なアラブ政治研究者であるネイサン・ブラウン先生に聞きにいって、「エジプトでは脱線」「チュニジアでは、誰もが崖っぷちで踊っていたが、誰も落ちなかった」という対比論を語ってもらっている。

ブラウン先生はジョージ・ワシントン大学の教授で、元中東研究所所長であるだけでなく、カーネギー平和財団の中東プログラムの客員を長くやっていて、「アラブの春」以後の急変期の分析でも着実・正確だった。その分析レポートはカーネギー平和財団のホームページで無料で誰でもダウンロードできる。

今回取り上げた記事が特に優れているとか、特筆すべき新情報が加わっているとか、また学問的に斬新な議論が含まれているとかいうことではない。重要なのはこの程度の水準の分析が欧米の主要紙ではごく普通に載っていて、少なくとも英語圏のエリート層は、アラブ世界について専門にしていなくとも、この程度の認識は持っているということだ。

この程度の水準の記事を恒常的に書ける記者が各分野にいて、記者が常に大学とシンクタンクの蓄積から知見を的確に引き出せて、実際に紙面にできるかどうか、それによって国民がこういった水準の記事に触れているかどうかは、国力の差に反映されるだろう。

「いま世界は」に出ている、コメンテーターというよりはタレントであるパックンについて言及するのは野暮だが、今回の番組でも、IQを自慢したり、ハーバード卒というお決まりのネタでひとしきり話していたけど、「アラブの春から3年」については局の構成の中での日本的なコメントに終始していた。『ニューヨーク・タイムズ』も『ガーディアン』も読んでいないんだろうか。

「外人コメンテーター」という枠でも、もう少しましなことを言う人を起用しないと、「グローバル人材」に関する誤った情報が流れてしまうのではないか(もしかしてそれこそがCIAの陰謀?だったらパックンはすごい高等なエージェントですね。ニッポン愚民化政策の先鋒、ということになる)。

先ほど、「比較政治学の議論として面白い」と書いたけど、「趣味でオタクでやるために面白い」と言っているのではないですよ。現象を比較して論理化して客観化して議論することで、はじめて、前提を共有していない世界中の人たちに、現実を説明し、そして自分の立場を説得できるのです。

中東の事だけでなく、日本の事を説明するのにも、同じ方法が必要です。

エジプト情勢の今後の見通し

1月24日のテロは、今後のエジプトの政治の展開にどう影響を及ぼすだろうか。

(1)軍・警察が「対テロ戦争」を標榜し、軍主導の政権へのいっそうの翼賛を国民に呼びかける。
(2)スィースィー国防相が軍籍を離脱し「文民」と称して大統領選挙に立候補。反対勢力を排除し、圧倒的な得票率で当選(ただし投票率は低い。賛成票と棄権のみ、という状況で、選挙による体制正当化の効果が薄れる)
(3)カイロなど都市部を中心に中間層がこれを熱狂的に支持してみせる。
(4)軍主導の政権はムスリム同胞団がテロを行ったと主張して弾圧を続行。
(5)世俗派の軍政批判に対しても同様に弾圧を強化。「非国民」と糾弾して封殺。
(6)ジハード主義者に一定の支持が集まり、大規模なテロが頻発する。
(7)いっそう軍への支持が高まり大量逮捕、銃撃による殺害が支持される。
(8)過激化する者も増え、テロリストが増殖。
(9)治安の悪化で観光客は戻らず、投資も戻らない。
(10)雇用が全く増えず、毎年の大学卒業生はそのまま失業者数にカウントされていく。

・・・といった将来が想定されます。

外的環境としては、欧米の先進国で軒並み低成長が恒常化。以前のように移民労働者を受け入れない(例えばスペインからフランスやドイツへ労働移民が大挙して行っていますから、アラブ諸国から受け入れる必要はないでしょう)。

移民という安全弁がなくなって、国内に滞留した若者の不満をどこに逃せばよいのか。当分は「ムスリム同胞団狩り」などを扇動してストレス解消をさせていますが、数年たてば、「少なくともムスリム同胞団の統治の1年はこんなに荒れていなかった」という郷愁が高まる、などということになるかもしれません。

エジプトについてしばしば言われる「軍が出てくれば安定する」という議論は、幻想ではないかと思います。

「現状ではエジプト人の多数派が積極的あるいは消極的に軍政を支持・容認するだろう」という見通しと、「軍が乗り出してくれば安定する」という因果関係の想定は、論理的に別の問題です。前者はおそらくそうでしょうが、後者は自明ではありません。

1990年代にジハード団やイスラーム集団のテロを抑え込んだ「成功体験」を思い起こす人がいるかもしれませんが、当時とは条件がことごとく違っています。

(1)メディア・情報空間の変容、(2)「アラブの春」以後の「革命の文化」の浸透(軍もこれに参入して扇動・大衆動員を繰り返している)、(3)武器の拡散、大規模・高度化、(4)国際環境の変化、米国が最終的に現政権の安全を保障してくれる、とは見られていない(大混乱になれば見捨てる、と思われている)。

軍にとっては、自らの支配を正当化するために、テロが頻発している状態は好都合です。「軍が安定をもたらす」かどうかは分かりません。「軍でなければ安定をもたらすことができない、と人々が思っている状態が軍にとっては望ましい」ということは確かです。でもそれは「安定の実現」ではありませんね。「安定の期待」でしょうか。期待があるうちに現実を変えられればいいですが、期待だけだと、やがては「裏切られた」ということになって事態は悪化します。

しかしカイロの真ん中で「テロとの戦い」をやっていては、軍以外の一般経済、特に観光は大打撃を受けるので、なんら生活改善にはならないでしょう。当分、軍が「革命」を謳って大衆を動員し、「ムスリム同胞団打倒」で熱狂させて気分を逸らして、その間に諸外国から援助を引っ張ってきてばらまいたり住宅バブルを起こして・・・という算段でしょうが、世界経済が減速し、米国の覇権も希薄化しているので、空回りするのではないかと思います。

でも軍とそこに身を委ねた都市中間層は、先のことはもう考えていられないのでしょう。

テロとムスリム同胞団の関係

カイロの警察本部への爆破テロについて、多くの報道が出ている【爆発の瞬間】【エジプトに関して質が高い英語メディアはこれ】。

軍・警察への翼賛体制となっているエジプトでは、今回のテロも「ムスリム同胞団の仕業だ」という議論が活発に行われるだろうが、これは疑わしい。少なくともエジプトが今抱えている政治問題を正確に反映していない。

まず、ムスリム同胞団は、幹部が中枢から末端組織までほぼくまなく逮捕され投獄されているので、ここまで大規模な攻撃を連続して組織し続けることは不可能だろう。

むしろ、
(1)ムスリム同胞団と競合し、対立してきたジハード主義者・武装闘争路線の集団が活性化した、と見る方が自然だ。

そこに、
(2)本来ならムスリム同胞団の政治活動を支持していた層が、一部、軍によって排除されたムスリム同胞団に失望して、ジハード主義側に参加あるいは支援に転じて、結果としてジハード主義勢力が勢力を拡大しているのではないかと疑われる。

(2)でムスリム同胞団の末端の活動に明確に加わっていた者が、(1)のジハード主義勢力に加わった事案が摘発される可能性はある。そこで軍・警察・司法が、いっそうムスリム同胞団の弾圧を強めると思われるが、問題の解決にはつながらない。

一連のテロにはアンサール・バイト・マクディス(聖地エルサレムの支援者)という団体の関与が疑われている。今回の事件の前日にも、エジプトの警察・治安部隊に離反・蜂起を呼びかけるEメールの声明を送りビデオ声明を発している。

なお、エジプトのメディアは早速「犯行声明が出た」と報じたが、そうではない。しかしグローバル・テロリズム情報を収集するSITE社は24日に、アンサール・バイト・マクディスの犯行声明を確認したと発表している。

ムスリム同胞団と、アンサール・バイト・マクディスのようなジハード主義武装闘争路線の集団との関係については、すでにエジプトでの前回の大きなテロ(2013年12月24日のマンスーラでの県警本部爆破事件)に際して『フォーサイト』に書いておいたので、その一部を再録しておく。

 ムスリム同胞団と、「聖地エルサレムの支援者たち」などジハードを掲げる武装闘争路線の過激派は、元来が系統が異なる。両者は長く路線闘争を繰り広げてきた。ムスリム同胞団が、慈善団体や政治団体を通じた、既存の制度内での改革を主張してきたのに対し、1970-90年代のジハード団やイスラーム集団、現在の「聖地エルサレムの支援者たち」のようなジハード主義の過激派諸組織は、制度内での政治参加は無意味であると批判してきた。7月3日のクーデタは、武装闘争路線を取る過激派たちに、「自分たちの主張は正しかった」と確信を強めさせただろうし、一定数の市民から支持や共感を受けたかもしれない(ムスリム同胞団と武装闘争派との対立・競合の歴史については、池内恵「「だから言っただろう!」──ジハード主義者のムスリム同胞団批判」『アステイオン』79号、2013年11月に記してある)。
アステイオン第79号

エジプト・カイロ警察本部への大規模なテロ(1月24日)

エジプトでは昨日1月24日、複数の大規模な爆弾テロがあった。

最も重要なのは、カイロ警察本部の爆破。写真を見る限り、これはもう局地的な「内戦」「軍事攻撃」に近い規模になっているのではないかと思われる。

タハリール広場に近い内務省のビルは、近くの通りをブロックで封鎖して近づけないようにしてあるので、犯人側は、警察本部を標的にしたようだ。エジプトの治安の総本山が、道路に面した部分だけとはいえ、大破するような大規模な攻撃が起こるというのは、元来が治安が良く、一般市民の武装の度合いが低かったエジプトが変質したことを表わしている。

カイロ警察本部はポート・サイード通りという大通りに面していて、ここの交通を止めてしまうわけにはいかないので、守りにくいのは確かだ。

なお、ポート・サイード通りを挟んだ向かいには「イスラーム美術博物館」があり、その裏には「国立図書館」の新館で、中世の高価なマニュスクリプトなどを展示するコーラン展示室がある。どうやらここにも被害は及んだようだ。攻撃あるいは戦闘の規模の大きさをうかがわせる。

エジプトのテロはムバーラク政権時代に抑え込まれ、大規模な攻撃が生じるのはシナイ半島など、辺境地帯に限られていて、カイロなど中心部では事件が起きても小規模だった。それがムバーラク政権の末期から雲行きが怪しくなり、2011年の政権崩壊後に拡散を始めた。

特に、シナイ半島からスエズ運河を超えて、エジプト「本土」に大規模な攻撃が及ぶようになったことは、基本的に「安全」であるといえたエジプト社会が、根底から変わりつつあることを示すのではないか。

2013年9月5日のカイロでの内相爆殺未遂事件【「エジプト内相暗殺未遂事件の深刻さ」『フォーサイト』2013年9月6日」】、同年12月24日の北部マンスーラでの県警本部爆破事件【「エジプトの軍と過激派との全面衝突は「自由からの逃走」を加速させるか」『フォーサイト』2013年12月25日】、と「本土」では前例のない規模の大規模なテロが続いたうえでの、1月24日のカイロ警察本部を標的とした爆破・攻撃だった。

エジプトはどうなってしまうのか。

チュニジアとエジプトの論戦@ダボス会議

チュニジアはエジプトを「反面教師にしている」という話。

チュニジアのイスラーム主義系与党ナハダ党の最高指導者ラーシド・ガンヌーシー氏がダボス会議のパネルでエジプトの元外相・元アラブ連盟事務総長で、クーデタ後の新憲法制定のための「50人委員会」の議長となって、旧体制派の先鋒のようになっているアムル・ムーサ氏を批判。

ダボス会議の会議の英語のホームページではとっさに検索しても出てこないので(アラビア語とフランス語でしかやっていないのかも)、チュニジアのアラビア語の独立系ニュース短信サイトへのリンク

ガンヌーシー氏が「民主主義者だったらクーデタを正当化できないだろ」と言ったところ、アムル・ムーサ氏が激昂して発言を遮ろうとした、という瞬間がビデオ映像からキャプチャされている。

「発言を遮る」というのが今のエジプトの為政者の基本モードになっているようです。チュニジアでは「俺たちの方が上」と思っていて、逆にエジプト側では「侮辱された」と怒っているようですね。

チュニジアではなぜ移行期プロセスがうまくいっているのか

日本では誰も注目していないようだけど、1月23日に、「元祖アラブの春」のチュニジアでは立憲議会が憲法草案を確定した。あとは全文について改めて立憲議会で採決するのみ。早ければ26日にも行われるのではないか。

Constitution Passes Milestone, Final Vote Expected in Days, Tunisia-Live, 23 January

長い困難な道のりでしたが、よくここまできました。

エジプトで去年6月30日の反ムスリム同胞団デモと、7月3日のクーデタで、選挙で選ばれた政権を武力で排除、その支持者を幅広く武力弾圧中。大規模なテロが頻発し、低強度の内戦と形容したほうがいい状況になりかけている。

チュニジアもこのモデルを模倣するか、と注目されていたが、各勢力が辛うじて崖っぷちで踏み止まった。

チュニジアでは当初から「エジプトのまねはしない」と、反面教師としてエジプトを見る議論が多かった。

このあたりがアラブ政治の面白いところ。言語や文化が共通しているから、多くの情報は瞬時に伝播する。だけど、単純に同じことをやるのではなく、「あっちでやってうまくいかないからこっちではやらない」「ああならないように事前に対処する」といった反応があるので、各国の対応や帰結も一様にはならない。

チュニジアでは昨年2月6日(シュクリー・ベルイード)と7月25日(ムハンマド・ブラーヒミー)の、左派少数野党勢力の指導者の暗殺をきっかけに、「反イスラーム主義」で野党勢力がまとまって大規模デモやストライキを行い政権の退陣を迫る動きが進んだ。

野党勢力は旧体制派とも合流して、イスラーム主義政党ナハダ党主導の政権に退陣を迫り、退陣を約束させるに至る。このあたりは8月から12月まで二転三転した。

内閣が「やめる」「やめない」の押し問答は「混乱」の印象を誘ったが、重要なことは、軍は中立を守り、政権は退陣を呑んだが、立憲議会の解散(これも野党勢力は求めていた)は拒否し、立憲プロセスは残った。

その結果、イスラーム主義派と世俗派の双方が妥協した文面で憲法草案が確定した。

(1)軍が政治的中立を守ったこと。
(2)司法が不当な介入を行わなかったこと。
(3)文民の労働組合連合会や市民団体が対立する政党間の仲介者となったこと。
(4)イスラーム主義派と世俗派民族主義派がそれぞれ妥協したこと。
(5)ナハダ党・共和主義派の連立政権は退陣を呑んだが、立憲議会の解散は呑まなかった。(正統な立憲プロセスを死守した)

これらの点が、混乱や流血の比較的少ない移行期プロセスのモデルの重要な要件として示されたといえるだろう。

よそのアラブの国がこれに倣うとか、倣う気があるとか、すぐに倣うことが可能かというと、そうではないのですが。

シリア問題をめぐるジュネーブⅡ会議でテロリズムが論点に

1月22日から、スイスのモントルーで、シリア問題をめぐる「ジュネーブⅡ会議」が開かれている。

これについては『フォーサイト』に分析を寄稿したのだけど、その一部を下記に。

アサド政権は何年かかったとしても軍事的に勝利しようとしているため、ジュネーブⅡでまともに話し合う気はない。もっぱら「反体制勢力はアル=カーイダ系のテロリストだ」というプロパガンダで、欧米の介入を阻止しようと考えているようだ。

実際これは効果的で、アル=カーイダの名を出すだけで欧米世論は浮足立ち、アサド政権の存続黙認、という雰囲気になっている。

ワシントン近東研究所のデイビッド・シェンカー研究員は、ジュネーブⅡ会議に先立って会議の方向性を見通したコメントで「もしジュネーブでわれわれがテロリズムについて話し合っていたら、われわれは失敗したということだ」と述べていた。

会議初日、アサド政権はまさにこの「失敗」に持ち込もうと盛大に危機感を煽った。

アサド政権は2011年に反政府デモが始まった当初から、「反政府派は武装したテロリストだ。アル=カーイダだ」と言い続け、残酷な弾圧を正当化してきた。

3年間に渡り、大規模な内戦が続き、国土の大きな部分が焦土と化すうちに、実際に数千人程度のアル=カーイダ的な思想に感化された義勇兵が外国から集まってきている。

そもそもアサド政権は、シリアに国際的なジハード主義者の義勇兵が介入してくることを当初から歓迎していた。

アサド政権は2011年の暮れに、拘留していたアル=カーイダの指導者を釈放した。当初はアサド政権に対する脅威となっても、やがては今のように、国際社会を恫喝したり懐柔したりするのに使えると踏んでいたのだろう。そのことは当時から専門家が観察し論じていた。

釈放が報じられた中でもっとも著名なのは、アブー・ムスアブ・アッ=スーリーだった。

2011年12月頃に行われたとみられるスーリーの釈放に関する記事には、英語では、ごく一例を挙げるだけでも、次のようなものがある。

Bill Roggio, “Abu Musab al Suri Released from Syrian Custody: Report,” The Long War Journal, February 6, 2012.
Murad Batal al- Shishani, “Syria’s Surprising Release of Jihadi Strategist Abu Mus’ab al-Suri,” Terrorism Monitor 10-3, February 10, 2012.
“Abu Musab Al-Suri speaks on his Pakistan detention,” The Arab Digest, February 24, 2012.
“Report: Syria’s Assad Releases Alleged al-Qaida Mastermind of 2005 London Bombings,” Haaretz, February 5, 2012.

スーリーは2004年に『グローバルなイスラーム抵抗への呼びかけ』という1600頁に及ぶ著作をインターネット上で発表ており、「グローバル・ジハード」の代表的な理論家である。

スーリーの理論は、一方で「一匹狼型」のテロを扇動しつつ、他方で紛争地域に「開かれた戦線」という聖域を見出して大規模な武装化・領域支配の権力を掌握する、というものだ。

つまり、一方では、昨年のボストン・マラソン・テロのような「一匹狼型」のテロを世界各地で引き起こさせる方向で宣伝活動を行う。個々の攻撃の規模は小さいが、敵の社会に恐怖心を植えつける効果がある【「「ボストン・テロ」は分散型の新たな「グローバル・ジハード」か?」2013年4月25日】

他方で、内戦や秩序の弛緩した地域を見つければ、これを世界中のジハード戦士が集まる聖域として、大規模な組織・武装化を行って領域支配の権力掌握を図る。これをスーリーは「開かれた戦線」での闘争と名づけていた。

2004年に『グローバルなイスラーム抵抗の呼びかけ』でこの理論を発表した時点のスーリーの現状認識は、「開かれた戦線」は現在の時点では存在しないため、「一匹狼型」のテロを各地で引き起こすことに専念し、機会が来るのを待つというものだった。ターリバーン政権下のアフガニスタンに確保していた活動の聖域が、 2001年に米国の大規模な攻撃を受けて消滅するといった事態を受けてのものだった。

しかし、2011年の「アラブの春」後の政治的混乱は、スーリーが遠い将来に望見した「開かれた戦線」の出現を、予想外に早期に実現した。

その最たるものがシリアである。

ただし、最終的にアル=カーイダ系の組織がシリアで領域の一円支配を確立する可能性はまずない。シリアの土着のイスラーム系の反政府組織は昨年11月22日、「イスラーム戦線」を結成し、アル=カーイダ系の「ヌスラ戦線」や「イラクとシャームのイスラーム国家(ISIS)」と一線を画そうとしている。イスラーム戦線とアル=カーイダ系組織との間には衝突も報じられている。

結局は、アル=カーイダ系のグローバル・ジハード主義者の介入は、反政府勢力の戦列を混乱させ、国際的な印象を悪化させてシリア問題から手を引かせる効果しかない。

反政府抗議行動を封殺できないと見たアサド政権が、早期にスーリーを釈放したのも、このような展開になれば、アサド政権の有用性を国際社会に売り込めると読んでいたからだろう。

*  *  *

スーリーの思想・理論については池内恵「グローバル・ジハードの変容」『年報政治学』2013年第Ⅰ号、2013年6月、189-214頁、池内恵「一匹狼(ローン・ウルフ)型ジハードの思想・理論的背景」『警察学論集』第66巻第12号、2013年12月、88-115頁、などに詳述してある。

トルコはもう「三丁目の夕日」じゃないよ

都市部の世俗派を中心にした反政府デモに続いて、今度は政権内の汚職と、汚職追及の背後にいるイスラーム系団体との仲間割れで揺れるトルコ、エルドアン政権について、英『エコノミスト』誌は示唆に富む論説を載せてくれている。

最近のものではこのあたりか。

Turkish politics: No longer a shining example
Turkey’s government disappoints because of allegations of sleaze and its increasingly authoritarian rule

The Economist, Jan 4th 2014

Corruption in Turkey: The Arab road
The government of Recep Tayyip Erdogan has grave questions to answer

The Economist, Jan 4th 2014
【翻訳「トルコの汚職:アラブへの道」

Turkey’s economy: The mask is off
Political turmoil exposes economic malaise

The Economist, Jan 11th 2014
【翻訳「トルコ経済:手本とされた経済モデルの化けの皮」

昨年、安倍首相は、トルコを二度も訪問した【5月】【10月】。

このこと自体は、全く文句のつけようのない、結構なことだ。毎月一度外国訪問をすると宣言して、実際に行っている。戦略的な場所を選んでいる。物見遊山になりようのない、資源や戦略上の要地を選び、世界の注目を集める会議や場所に出ていくようにしている。極東だと時差があるし、中国のように国家主席やら首相やら共産党の序列何位やら、政治権力者がいっぱいいて手分けして各国に行ける国と比べると日本は不利だ。それなのにここまでやっているのは本当に頭が下がる。今後のいかなる首相も手本にしてほしいものだ。

そこでトルコを重視するというのも悪くない。ヨーロッパ、中東、アフリカ、コーカサスからロシア、中央アジアに至るまでの世界経済の重要地域や新興市場、資源産出地域への、ハブとなり、拠点となる可能性を秘めている。ヨーロッパとの経済統合は進み、中東・イスラーム世界への足掛かりになり、それらの国の中では格段にインフラが整い、経済的な水準が高い。

ただ、「遅すぎる」。これは現政権の責任ではないが。むしろ大企業を中心とした日本の経済社会の問題。

今頃になってやっと、政府に旗振ってもらって、あるいは日経新聞などの「トルコが熱い」的記事に煽られて、日本企業がぞろぞろトルコ詣でをするというのは、もう本当に頭が痛くなるほど遅い。

今頃来ても、そんなに儲からないと思うよ。

トルコに進出を決断するのだったら、12年前だった。『エコノミスト』誌の「トルコ経済:手本とされた経済モデルの化けの皮」では、「トルコは突如として、同国が12年前に影の中に置き去りにしようとした国のように見える。インフレ率は7%を超えて推移しており、通貨は下落傾向 にあり、経常収支の赤字は国内総生産(GDP)比7%前後となっている。民間貯蓄、外国からの投資、輸出はいずれも減少している」とある。

2000年前後からトルコは経済的な苦境を脱し、高成長時代に入った。その前提は、インフレを抑え込んだこと。

1990年代のトルコは、国家主導型経済から市場経済への移行の痛みに苦しみ、慢性的なインフレでトルコリラの桁はむやみに大きく、内需は伸び悩んだ。

2003年に誕生したエルドアン政権の長期化の原因は何よりも経済政策の成功。2006年のトルコリラの100万分の1のデノミは、インフレ抑制策の締めくくりだった。

単に政策がうまくいったというよりは、社会経済的な大きな変化が背後にあった。エルドアン政権と穏健イスラーム主義政党AKPの支持層である、地方から都市に出てきた新興企業家・中間層の上昇に押し上げられて政権につき、彼らの活力に支えられて経済発展・安定化が成し遂げられたと言える。

しかし政権の長期化が汚職を生むように、トルコの経済的隆盛にも限界や負の側面が現れてきたように思う。

これでトルコ経済が終わるわけではない。単に、トルコ国内の要因からも、急激な経済成長はいつまでも続かないし、高成長を可能にしてきた地域・国際環境も変わってくる、というだけだ。

トルコの地政学的・国際政治経済的な重要性は以前から明らかだったのだから、インフレを抑え込んだと見た瞬間に行けばよかった。そうすれば急成長の果実を享受できた。実際に欧米企業も中東諸国の気の利いた企業もそうしていた。

まさか、トルコのデノミを、「小さな市場しかない遅れた国の変わった政策」と思って日本企業はぽかんと見ていたの?たぶんそうなんだろう。

私の経験から言うと、1990年代前半に東大の同級生に「中東は伸びる、その中で一番有利なのはトルコ」と言ったら、「トルコ?市場小さいじゃん」と言われて終わりだった。

まあ東大生のみんながみんなこんなではなかったが。しかし私の世代の東大生はまだ、成績中くらいの上/上の下ぐらいで必死に頑張っている子たちは、「東大出て銀行に入れば一生安泰」というモデルにしがみついていた(勘のいい連中はうすうす気づいて違う方向を模索していたように思う)。4年生の年に大和銀行ニューヨーク支店の大損が発覚。「銀行に内定したけど行かない、行くところがない」という、当時の東大生にとっては足元の地面が割れるような事件が生じた。そんな事件など忘れてしまうほど、その後の金融業界は様変わりしたけれども、大和銀行ニューヨーク支店事件は、高度成長からバブル期の日本の大企業とその親元=銀行がそろって、グローバル経済の中で御していけない組織と集団になっていたことを暴露した事件だったと思う。

しかしいずれにせよこういう発想の子たちがまあまあの「エリート」候補生として企業に入って、20年後の今中堅なのだから、日経新聞と政府の旗振りで、すっかり成熟して調整期、低成長期に入ろうとしているトルコに、「新興市場に進出でグローバル展開」とか言って入っていって損するというのも目に見えている。それで「行ってみたらレベルが低かった」「インフラもたいしたことない」とか悪口言うのだろう。

同じようなことをドバイについても記憶している。

2008年のリーマン・ショック直前も、日経新聞は散々ドバイの活況を書き立て、進出を促した。その直後にリーマンショックでバブルがはじけ【「世界金融危機で湾岸ドバイが岐路に立つ」『フォーサイト』2008年11月号】、各社が大損して撤退。

そして「羹に懲りて膾を吹く」の通り、ドバイの回復期をむざむざ見過ごして、そして今頃になってやっぱりドバイだと出ていって、高値掴みする人たちが出てきているのだろう。

日本企業は横並びでいくので、ここ数年、トルコ航空のイスタンブール便のチケットが取りにくくて困る。

そして今頃になってやっと(このフレーズもうイヤ)、ANAはイスタンブール便を開設するとのこと。待ちくたびれました。もう結構です、という感じですね。

日本の航空会社は、中東にもアフリカにも、一本も定期直行便を飛ばしていない。日本の航空会社は日本企業が行くところにくっついていくのだから、これらの国と直接に頻繁にやり取りできる日本企業が、まあ航空会社から見て誤差の範囲ぐらいしかないということですね。

なお、ワシントン便もANAだけ。「ナショナル・フラッグ・キャリア」だというJALが東京-ワシントン便をもっていない(人が乗らないからなんでしょう。経営が危なくなるよりずっと前からないですよ)という状態で、本当に「日米同盟が外交の基軸」なのかも疑わしくなってくる。

これらの情報だけを見ると、日本には「アメリカにコネもないし、中東・アフリカに土地勘もない」政治・経済指導者たちばかりだったことになってしまう。そんな人たちに「グローバル人材になれ」などと説教される今の子供たちは本当にかわいそうだ。

それはともかく、トルコの可能性にやっと気づいてくれたことは、今頃になって、とはいえ、うれしい。

ただし、トルコはもう高度成長の段階にはない。トルコに「三丁目の夕日」を夢見る政治・経済指導者は、考えを改めてほしい。

高度成長が終わり、様々な政治・経済問題が今後明らかになって行くだろう中進国としてのトルコの問題に解決策を提供し、それをきちんとビジネスにし、トルコの地の利と能力を活かしてその先の中東やアフリカに展開をしていくことができる企業にだけ、トルコに来てほしいものだ。

シリアの「中道」勢力はどこに?

ちょっとおもしろいな、と思った記事。

「アサド政権元官僚が、置き去りにされた一般シリア人を代弁すると主張(Ex-Official Claims to Speak for Sidelined Syrians)」『ニューヨーク・タイムズ』1月18日(電子版)に出ていました。たしか無料で月何本か読めるのではないかな。

より細かなインタビュー記事はここ

ジハード・マクディスィーというのは、シリア問題を追いかけている人にとっては馴染みの名前と顔。
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元シリア外務省報道官。完璧な英語で、どんな不利な状況でもアサド政権を擁護する弁舌を振るっていました。有名なのは、2012年5月のホウラ村付近での虐殺の際、アサド政権側民兵の関与を全否定し、「ウソのツナミだ」と叫んだ

ホウラの虐殺に対してシリア政府は、「調査委員会」なるものを設定し、「反政府側による親アサド派の虐殺」「国際介入を呼び込むための自作自演」と散々宣伝し、ドイツの『フランクフルター・アルゲマイネ』がこの説に乗っかったせいもあって、「反政府派の自作自演」説が広まり、シリアの人道状況に対する関心が低まるきっかけとなりました。

その後の国連の調査や、ドイツの『シュピーゲル』誌の調査などで、やはりアサド政権側民兵の犯行ではないかと見るのが主流になっていますが、世界中の人はそれほどシリアに継続的に関心を持っていないため、一度焼き付けられた印象はそう簡単に変わりません。

日本では、「南京大虐殺はなかった」「従軍慰安婦は捏造だ」といった議論を支持する右派層を中心に、シリアに対する何の知識もないとみられる人たちが、「ホウラの虐殺は捏造」というアサド政権の主張と、これを宣伝する一部のアサド政権大好き専門家の発言を妙に素直に鵜呑みにして、一気にアサド政権支持に回った・・・という悲劇が展開しました。「欧米のメディアは偏向している」と言える素材なら何でもいい、ということですね。

しかしアサド政権による捏造説に安易に乗っかると、自分たちの主張もそのような強権的な立場による無根拠で卑劣な主張、と見られてしまって、国際社会ではかえって逆効果になる可能性が、きわめて高いと思います。日本の立場はあくまでも、国際社会の良識ある立場に沿わせて主張していくことが、国益を最大化するためには絶対に必要でしょう。

アサド政権の宣伝工作の大ヒットと言える「ホウラの虐殺捏造説」で大活躍したジハード・マクディスィー報道官は、その後、辞任して国外に亡命。自分の言っていることがウソと分かっているからこそ、相手を「ウソのツナミだ」などと言っていたんだろうなあ、と思わされました。

ただしマクディスィーは反政府派にも明確には与せず、中立の立場を保って機会をうかがっていたようです。政治的な実力者ではないでしょうが、シリア政府の「顔」として最も重要な時期に頻繁に出てきていたので、関係者であれば皆知っています(少なくとも顔と語り口だけは)。

アサド政権派と反政府派で「生きるか死ぬか」の闘争を繰り広げてしまっている現状で、マクディスィーさんはそのどちらにも与しない中道派の顔となれるのでしょうか。