井筒俊彦のイスラーム学

あまりに忙しくて、中東情勢も、トルコ・途上国経済ウォッチングも、ウクライナ情勢横睨みも、合間に続けているけれどもブログにアップする時間が取れない。

それはそうと、本来の本業のイスラーム思想で、鼎談が出ました。

池内恵×澤井義次×若松英輔 「我々にとっての井筒俊彦はこれから始まる 生誕一〇〇年 イスラーム、禅、東洋哲学・・・・・・」『中央公論』2014年4月号(1566号・第129巻第4号)、156-168頁。

日本で「イスラームを学ぶ」というと、最初に手に取る人も多いであろう井筒俊彦。私自身もそうだった。

井筒俊彦のオリジナリティに私も大いに憧れる。

格調高く生き生きとした井筒訳『コーラン』 (岩波文庫)
は今でも最良の翻訳と言っていい。

『「コーラン」を読む』(岩波セミナーブックス→岩波現代文庫)ではコーランのほんの数行の章句の解釈が分厚い一冊に及んで尽きない、人文学・文献学の宇宙を垣間見せてくれる。

そして『イスラーム思想史』 (中公文庫BIBLIO)こそ、イスラーム世界に向かい合う際に座右に置いておいて無駄はない。

個人的には井筒俊彦『イスラーム文化−その根柢にあるもの』(岩波文庫)の、井筒の、井筒による、井筒のための、独断と価値判断に満ちた、一筆書きのような思想史・社会論が好きだ。「井筒個人のイスラーム観」は、このようなものだったと思う。

他の本では、概説のために、ある程度は網羅したり(でもイスラーム法学については興味がないから書かないとか数行で済ませたり)、ある方法論に則って順序立てて書いたりしているが、『イスラーム文化』は、講演ということもあり、さらっと彼の頭の中にある「イスラーム」の歴史と方向性を描いている。言わずもがなだが、「シーア派重視」「神秘主義こそ宗教の発展する道」ということですね。

だが、現代の中東社会の中でイスラーム教やイスラーム思想がどのような影響をもっているかを研究する際には、井筒のイスラーム思想史論がそのまま現地のムスリムの大多数から現に信仰されているものであると考えると間違える。

というか、教育の高いインテリにも「異端だ」と言われてしまう。

井筒を受容したイランのイスラーム思想はかなり変わっているからね・・・革命で無理やりイスラーム化しないといけないぐらい西洋化した国ですし(文化は日本などよりはるかに西欧化・アメリカ化しています)。そういう国でこそ受け入れられた最先端のポスト・モダンな解釈だということ。

私は別に井筒を批判しているわけではない(それどころか日本が誇るイスラーム思想だと思っている)。ただし、それはイスラーム世界の大多数の人にはまだ受け入れられないでしょうね、とは言わざるを得ない。

井筒の言っていることだけを読んでそれが「イスラーム」だと思い込んで、現実のアラブ世界の政治についてまで論評してしまう人が出ると、しかも「現代思想」の分野ではそれが主流だったりすると、頭を抱えます。

でも、そこが学問的には、「ビジネス・チャンス」だったりするんだけどね。

そうこうしているうちに井筒とイスラーム世界を同一視するような「現代思想」は絶滅しかけている。

でも井筒は生きている。

井筒から遠く離れてしまったように見える私の最近の仕事も、本当はどこかで、井筒を通してイスラーム学に入ったあの頃とつながっている。そんなことも想い出すきっかけになった鼎談でした。

あまりブログという形態では思想について語りにくいな、と思っているので、思想史に興味がある人は、例えばこの『中央公論』の鼎談を読んでみてください。

ウクライナ問題で問われているもの(2)米の対ロ経済制裁で日本は?~対イラン制裁も回想しつつ~

ウクライナ問題で、3月6日に、オバマ大統領は大統領令で対ロシア経済制裁の発動を命令

これは日本にとってどういう意味を持つか。

私としては、米国の対イラン経済制裁に対する日本の反応を思い起こす。

イラン制裁と言っても、歴史的には2回あって、1回目が1980年のもの。1979年11月のテヘラン米大使館人質事件に対して、米国がイランに課した経済制裁に、日本や西欧諸国が追随した。日本政府は具体的には、1980年5月26日に公布され6月2日に施行された「輸出貿易管理令等の一部を改正する政令」というものでこの制裁を実施しています。

安保理決議はソ連などの反対で出なかったので、米国が主導した有志国による制裁に日本も加わった形でした。翌年に人質が解放されると、日本は即座に経済制裁を解除しています。

2回目は現在も続く、核開発疑惑をめぐるもので、2006年の安保理決議に根拠づけられているが、米国はそれ以上を求め、実際に自ら独自の制裁を課し、日本や西欧諸国、さらには韓国などにも強く追随を求めてきました。オバマ政権期には、米国が中心となる世界の金融システムからイランを排除するだけでなく、イランと取引を行った各国企業もまた排除する、という極めて厳しいものとなったわけです。これがイランの立場を変えさせ、昨年の米国への歩み寄りに結びついた、とオバマ政権は自賛しています。今後どうなるかは予断を許しませんが。

私自身は、古い方の、もう終わった方の、1980年の対イラン経済制裁について研究を進めている。先月、とある研究所のプロジェクトで、この問題についての論文予稿を提出し、報告会で発表して、今修正執筆中。近いうちに刊行されます。

報告会でも、「イスラーム思想史や現代アラブ研究をやっているのになぜこのテーマに?」と、聞かれた。

いろいろ偶然もあるのだが、根本的には、日本と中東との関係を見るには、単に現地の思想や政治を知っているという立場からは有意義な問題設定は出来ず、日本側の主要関心事とそれにまつわる活動を踏まえなければならないと思っている。

「日本外交は油乞い外交だ」と中東専門家は批判しがちだが、それは一面で事実だとしても、では油乞い外交には学問的な対象としての意味はないのか?油乞い外交以外の外交をせよ、というのは、往々にして単に「反米になれ」と言っているに過ぎない場合が多い。ではアラブ諸国やイランなどの産油国が反米なのかというと、そうである場合もあるがそうでない場合も多い(そちらの方が圧倒的に多い)。反米になったからといって、「油乞い外交」をしないですむという根拠はまったくない。それどころか米との同盟関係に依存する産油国は日本の足元を見たり距離を置いたりするだろうし、米国への敵対国すら、日本に接近する動機をなくして、冷たくなるだろう。米側陣営を切り崩したい⇒一番切り崩せそうな日本、という想定から日本に接近する訳で、「イランは親日だ」といった外交トークに手もなく転がされている中東論者は、無知なのかあるいは何か意図がある。

油乞い外交にはそれなりの意味があるし、そこに関係して日本の外交だけでなく内政も影響を受けてきた。日本と中東の関係史は、「油乞い」が中心であったという現実に基づいて検討されなければならない。「油乞いがいかん」と主張するのはその後でもいいはずだ。

こういった関心から、日本政治史やイランの外交政策や日米関係史といった、専門ではない不得意な分野にまたがる課題に挑戦している。その際には「資源外交」という大枠を立て、資源外交に関連したり影響を与えたりしてくる事象を幅広く取り上げている。

対イラン経済制裁、というのは資源外交という日本側の対中東外交の主要課題・関心事に、また別の外交・安全保障上の課題が障害となる事例として興味深い。

そして、今回の対ロ経済制裁も、本格化すれば、日米関係と、領土問題および資源外交上重要なロシアとの関係の相克という難題を日本外交に突き付けることになる。

日本による経済制裁という課題は、これまで国際関係論の大きな議論の対象にはなっていなかった気がする(私が知らないだけかもしれませんが)。

その理由は、おそらく、

(1)日本そのものが主導して経済制裁を行った事例が少ないこと(唯一、北朝鮮に対してはある面ではそういうこともあるかもしれません)。

(2)日本が加わってきた経済制裁は、国連安保理決議などに支えられていて、ほとんど議論の余地なく国際社会の多数の意見に従ってきたため、特に日本の立場を論じる意味がなかったこと。

(3)国連安保理決議がない場合も、その多くは米国主導の制裁で、多くの西欧諸国・西側先進国もまた同調していたものに限られること。端的には、経済制裁という言い方はあまりしないかもしれませんが、冷戦期に東側陣営に対して行ってきた貿易制限など、「敵」がはっきりしていた。米国と日本の共通の「敵」に対する制裁であったので、日本側の独自性や主導制はあまりなかった。

もちろん細部では日米間や、西欧諸国との間に、立場の相違や齟齬は常にあったでしょう。対ミャンマー経済制裁などは、あまり積極的に支持していたとはいえない日本の立場は、イギリスなどからかなり嫌がられて非難されていたものでした。

しかし多くの場合は日本が経済制裁に参加するということと、日本の外交・安全保障上の基本的立場にほとんど齟齬はなかったものと思います。

その例外が対イランでした。

それはイランの冷戦時代の特殊な立場と、日本のイランに対する外交姿勢の、外交政策全体の中での特殊性に関係しています。

イランは1979年のイラン革命までは明確に「西側陣営」で、革命後も独自の「イスラーム陣営」に属したものの、東側に移ったわけではありませんでした。

革命後のイランが「西洋」に対して表面上・レトリック上、厳しい、時に敵対的な姿勢を取ったことは確かですが、経済的には引き続き西側陣営との貿易を続け、決定的に断絶することはありませんでした。

その中で、特に日本は、西側諸国の中でもイランの原油に多くを依存してきました。

そのイランが、米国に対しては政治的に特別の敵対姿勢を鮮明にし、テヘラン大使館人質事件で決定的に関係を悪化させ、修復せずに現在まできた。

それによって、日本が維持したい対イラン関係と、日米関係がバッティングする構図が続いています。

なんとかだましだまし行ければいいのだけれども、「立場をはっきりせよ」と双方から言われるような状況が一番困るのです。

「経済制裁」は、「戦争」を除けば、もっともこの「立場の鮮明化」を求められる事態です。対イラン経済制裁は、日本の資源外交、そして資源エネルギー政策を大きく揺るがしかねないものです。

日米関係において、経済制裁への対応が日米関係を緊張させた事例の多くは、対イラン経済制裁であったのではないかと思います。

しかし冷戦終結後は、構図が変わってきて、イランは特殊事例ではなくなってきた。その筆頭はロシア。

ロシアも、その政治体制や統治の手法、国際関係のやり方は別にして、冷戦後は経済的には日本や米国と同じ陣営に来ているわけです。

日本はロシアとの経済関係を独自に深め、そして領土問題も解決したい。

それなのに米国が対ロ経済制裁に踏み切るとなると、日本の立場は苦しくなる。

冷戦終結後は、米ロの関係がそこまで悪化するなどという事態は、想定外だったのです。

そういう意味では、対イラン経済制裁の過去の事例は、かつては「特殊事例」だったのですが、今では、対ロ経済制裁の事例などにも通じる、一般的・普遍的な意味を持つ前例としてとらえ直すことができるのではないか?と(研究上は)期待しています。

もちろん一市民としては、経済制裁の実施や拡大などという事態が生じる前に妥協の地点が見いだせればいい、と願っています。

政府関係者はもちろん、走り回っているでしょう。

1979年から80年にかけての、対イラン制裁をめぐって、米国とイランの板挟みになり、西欧諸国の動向を必死にリサーチしていた政府関係者の動きの詳細な資料を過去1年ほど読んでいたので、現在の動きもなんとなく想像できます。

安倍政権は米国の動きに完全には同調していないようですし、NSC谷内局長が近日中にロシアに派遣されるようです。【安倍首相の発言

米国とロシアの間で日本がどのような立場を見出すか、重大な局面と言えます。

(ウクライナ問題については、トルコからの視点なども含め、いろいろ考えたことを書いてみたいと思います。前回はこれ

土曜日の駒場Ⅰと駒場Ⅱキャンパス

ふう。土曜日の夕方6時30分に先端研の研究室にやってまいりました。

それまでは東大駒場キャンパスで、参加している科研費プロジェクトの全体研究会(といっても7・8人の小さなものです)に出席していました。

研究者は「ヒマでしょ」という誤解があるが、昔はともかく今はそんなことはない。土曜日・日曜日もつぶれることが多い。

科研費プロジェクトに参加している駒場(東大教養学部・東大大学院総合文化研究科)の先生が会議室を取ってくれたので今回は駒場で研究会を行いました。

先端研も東大じゃないのか?駒場じゃないのか?という疑問がある方は、地図をどうぞ。世間一般に言われる東大駒場キャンパスは正確には駒場Ⅰキャンパスで、先端研のある場所は駒場Ⅱキャンパスです。両方の裏口から裏口まで歩くと5分ぐらいしかかからない。「スープの冷めない距離」(昔の言葉←自分で使ったのは生まれて初めて。使ってみたかった)です。

駒場Ⅱの方は、先端研と生産技術研究所だけなので、学部学生はいないし、どこか「町工場」「建設現場」のようなイメージ。いつもどこかでクレーンが動いています。「駒場リサーチキャンパス」という呼び方もあります。

文系の研究プロジェクトは予算といっても非常に少ないので、研究会を開くのに場所代がかかるようなところは使えません。参加メンバーが無料で使える会議室を借りて持ち回りで場所を変えながらやる、というのが一般的です。そこで今回は駒場Ⅰの研究棟の会議室を使わせてもらったのでした。

土曜日の研究棟など閑散としていると予想していたが、行ってみると、黒山の人だかり。

どうやらこのような催しがあったようでした。プログラムを見てみると、すごいメンバーだ。国際シンポジウム《現代日中関係の源流を探る──再検証1970年代》

これは面白そうだ、とこちらの大会議場に入りそうになったが、踏み止まりました。日中関係シンポの控室になっている懇談スペースの並びの小さな会議室で1時30分から6時過ぎまで議論しておりました。

途中、日中関係の方の懇談スペースを覗いて、ちゃっかりお茶&ジュースをごちそうになってきました。本当はいけないんだが。それぐらいいいでしょう。なにしろ土・日は売店が閉まってしまって、自動販売機もないので、喉が渇いて干乾しになってしまいます。

われわれの研究会も熱いテーマで、私のやっているアラブの春後の政治変動と、ウクライナやアフリカ諸国の事例との比較や、東南アジアやラテンアメリカの民主化や権威主義体制などと前提条件の相違など、また国際的要因の各国の政治変動に与える影響など、ブレインストーミングができました。

次に出す本の参考にさせていただきます。

ウクライナ問題で問われているもの(1)プーチンはバブルか実体か

ウクライナ情勢の展開が速い。早いだけでなく、逐一衛星放送やインターネットで状況が伝えられる。

2011年の「アラブの春」は、国際メディア上での瞬時の情報伝達とフィードバックによって状況そのものが加速していく、新しい速度での国際問題の先駆けだったのだろう。

2014年の国際問題の最大の関心事は、昨年に中東を中心に明らかになったアメリカの内向き志向と覇権撤退の流れがどの程度進むか、その影響がどこにどのように出るか。あるいはアメリカがどうにかして持ち直し、押し返すのか。

ここでも書いたことですね。

「アメリカの覇権にはもう期待できない──大国なき後の戦略を作れ」『文藝春秋』2014年3月号(第92巻第4号)、158-166頁。

アメリカの覇権の帰趨が、引き続き中東問題を巡って問われるのか。あるいはもしかして日中関係や中・フィリピン関係など東シナ海や南シナ海をめぐる紛争で問われることになるのかと、スペキュレーションを混みで盛んに議論されたのが今年の1月から2月前半にかけてだった。

3月初頭のイスラエルのネタニヤフ首相の訪米で、どの程度アメリカの影響力を示せるか(示せないか)が最初の試金石となるとされていたし、4月のオバマ大統領の日本、韓国への訪問も、いがみ合う両国をどれだけ米大統領の威光で説得できるか(できないか)も、ある程度注目されていた。

おそらく、イスラエルも日本も韓国もほとんどオバマの言うことを聞かず、多少の失言も双方から漏れ出て、そうこうするうちにアメリカの影響力の低下の印象が一層強まるのだろうなあ、というのがもっぱらの予想だったのだが、そういった話がいったん棚上げになるような事態が生じた。鎮静化したかに見られていたウクライナ情勢が、ソチ・オリンピックのさなかに急転した。

クリミア半島という、帝政ロシア時代以来の戦略的要地を巡って、「列強が角逐」するという、見かけ上は、19世紀的な紛争の寸前に世界は追い込まれてしまった。

これはプーチンにとっても、シリア問題への関与やエジプトへの接近などとは比べ物にならない重大な問題だろう。

昨年の特に中東問題への関与は、ロシアとプーチン大統領への威信や期待を高めたけれども、それが実体を伴っているかどうかは依然として未知数だ。半ばアメリカへの「当て馬」として高まったロシアへの期待にプーチンが応えられるかどうかはまだ分からないのである。

ウクライナではその実体が問われる。

下手をすると「プーチン・バブル」がはじけかねない。

ウクライナ東部に接した国境地帯で大規模な演習を行って威嚇したプーチン大統領は、危惧された東部への軍事侵攻を一転して控える一方、ロシア軍と名乗らず、国旗や記章を外した武装集団をクリミア半島に展開し、掌握している。ロシアにとって譲れない利益はクリミア半島であって、ウクライナ東部への侵攻はブラフだったのだろう。

事態が長期化すればやがてはウクライナ東部は経済的つながりからもロシア側に戻ってこざるを得ないという可能性はあり、プーチンからいえば焦って事を荒立てることはない。

地政学的に絶対的な重要性があり、かつ歴史的にロシアが直轄の勢力圏としてきた時期が長いクリミア半島については、国際社会の批判をものともせずに、正体不明の武装集団=ロシア軍を送り込んで制圧してしまうというなりふり構わぬ手法を取りながら、東部ウクライナへの侵攻を当面控えることで、欧米との交渉の糸口を探る、というのは、少なくとも軍事的・外交的な戦略における巧みさという意味では、プーチン顕在という感じである。

ただし中長期的にプーチンの大国外交をロシアの経済や国力全体が支えられるのかは定かではない。

でも、これを機会に西欧がウクライナを支援するというのなら、ロシアにとってもいいのかな?

ウクライナ情勢は直接的にも間接的にも中東情勢に大きな影響を与える。これについては少しずつ考えていきたい。

まず、黒海の対岸に位置し、クリミア・タタール人を同じチュルク系と考えるトルコはもっとも身近にこの問題を感じているだろう。ウクライナ問題についてトルコの新聞の論調を読んでいると、西欧ともロシアとも別の角度からものを見ていることがわかる。

民族的なつながりよりも大事なのが、地政学的要因。黒海の出口をイスタンブールで扼するという位置にいるトルコにとって、クリミアの帰属がどうなるかは重大な意味がある。

そしてNATO加盟国でありつつロシアやイランと良好な関係を築くという点に活路を見出してきたトルコにとって、ウクライナを巡って欧米とロシアが全面的な対決に至ることはきわめて望ましくない。両者がほどほどに距離があるぐらいの時には、「橋渡し」をしたり、漁夫の利を得たりできるのだが、対決が決定的になってしまうと、「どっちにつくのか」と迫られるからだ。

このあたりは、最近の日本も似た立場にある。

なぜだかわからないが、「プーチンの権力が強まれば北方領土が返ってくる(大意)」という議論が日本のロシア通からは匂わされて、下心のある政治家やらそれにくっついてくる学者やらが散々煽ったのだが、安倍政権はかなりそういった期待にかなり応えて動いてきていた。

もちろん、領土問題というのは政治的なモメンタムをつけるためで、実際には政権や経産省などは資源エネルギー政策の観点からロシアとの関係を重視しているのだけれども。

しかしウクライナ問題で緊張が高まって、たとえば今年ソチで開催されるはずのG8に欧米諸国は出ません、といったことになると、日本の立場が厳しく問われることになる。欧米諸国に追随してソチのG8サミットをボイコットすれば、それは北方領土は帰ってきませんよね。

そうでなくても、なぜ「プーチンだったら帰ってくる(かも)」などという議論をしていたのか、だれがどういう思惑で言っていたのかは、きちんと検証しなければなりません。そういうことをやらずに、単に話が面白い人の話を過剰に取り上げて読者を楽しませることしかしないのが、日本のメディアが国際基準では一流になれない最大の原因。

「もうちょっとのところまでいったけどウクライナ問題でダメになったんだよ」などという話にしてごまかす気だなあ。

まあ、西欧が本当に腹をくくって、アメリカからシェール・ガスも回してもらうことにして、ロシアの天然ガスは買いません、というところまでやれば世界全体は大きく変わるけれども。

その場合も日本が余ったロシアの天然ガスをどんどん買いますよ、ということになれば、今度は欧米との関係はもたないでしょう。

領土問題やらエネルギー資源での下心で日本がロシアにすり寄った、と見られれば、「価値を共有しない国」として日米関係はきわめて悪化するだろう。そこはもちろん中国や韓国がつついてくるだろう。

なお、アメリカから突き放された日本にプーチンが見向きもしないことは明らかだから、ここでロシア側に回って日本だけいい目を見ようなどというナイーブな考えは絶対に起こさないほうがいい。

そもそもロシアが「クリミアは絶対に返さないが北方領土は返す」などという結論を出すはずもないでしょう。

G8ボイコットというところまで行ってしまえば、欧米側につくというのが、日本の取りうる選択肢だろう。

事態がそこまでこじれる前に止める手段が日本にあるかというと・・・ないですね。

とにかくアメリカに対しても、ロシアに対しても、目立たないようにしているしかない、というのが現状です。

変に格好つけてロシアに人権と民主化で説教したりすると、今の殺気立ったプーチンだと、北方領土を中国に租借・・・などという話すら荒唐無稽ではなくなるかもしれません。

また、「アメリカが衰退した」という議論を変に狭い意味で文字通り真に受ける人たちは右派にも左派にもいて、そういった人たちが相乗作用で日本の外交を急転回させたりしないか、劇画みたいな話ですが、激動期には何が起こるかわかりません。

右派の反米ナショナリスト路線の言説が成算なくエスカレートする一方で、劣勢の左派も依然としてあらゆる機会をとらえて陰湿に反米で画策し続けており(しかし右派を叩くときだけアメリカのご威光・ご意向を振りかざす)、両者が合流すると、「アメリカ衰退」の時流に乗れという掛け声に乗って、もっと怖ーいプーチンの誘いに身を委ねたりしかねない。

そうなると、エジプトのように、アメリカと関係が悪化した(旧)同盟国が外交的自傷行為を繰り返す、という方向に日本までも落ちていくことになる。そんなことをして損をするのは日本国民なのだから、正気を保たないといけない。

アメリカが影響力を低下させていくのは当分の間続くのだろうし、そこで煮え湯を飲まされる機会が増えるのは日本のような親米の地域大国。しかしそこでキレたりスネたりしてしまえば、打撃を受けるのはもっぱら日本だ。

あくまでも高水準の生活を保つ(旧)米同盟国で歩調を合わせましょうね、という話をしているのだが、「反米か、親米か」のどちらか一本で議論をしないと理解してもらえない、というのがどうにも歯がゆい。

ウクライナをめぐるロシアと欧米の争いについては、意図的に日本の存在を消しておいて、万が一ロシアがものすごく困った状態に追い込まれて、なおかつそれが長期化した時には、日本にとって都合の良い状況になるかもしれません。それまで待っているしかないですね。ここでいきなり飛びつくという話ではないでしょう。

日本と国際メディア情報戦

数日前、NHKディレクターでノンフィクション作家の高木徹さんと対談をしていました。そのうちとある雑誌に出る予定ですが、対談の内容は出た時に紹介するとして、対談でも素材にした、高木さんの新刊をご紹介。

高木徹『国際メディア情報戦』(講談社現代新書)

高木さんとの対談は3度目で、最初は2003年に遡る。

(1)高木徹・池内恵「戦争と情報戦略 国際政治の中の目立たない国・日本」『本』2003年10月号、8-14頁
(2)高木徹・池内恵「世界中から日本人が「消えた」? 普天間、トヨタ問題で後手に回る背景」『中央公論』2010年6月号、176-184頁
(3)今回。某誌。まだゲラも出ていないので記しません。2014年4月号ぐらいなのかな。

また、高木さんの『ドキュメント 戦争広告代理店〜情報操作とボスニア紛争』 (講談社文庫)の文庫版解説や、『大仏破壊 バーミアン遺跡はなぜ破壊されたか』書評も書いたことがある(『書物の運命』に収録されています)。

映像の人なので、私には感覚的に分かり難いところもあるが、従来の活字派・団塊・早稲田的(偏見ですが)な、単調な善悪二元論で暑苦しくしばしば見当はずれに描かれる戦争ものとは異なる、現代世界の本当の「戦場」をクールに描いている視点は一貫していて、また現実の進展とシンクロして発展していく。毎回対談が楽しみだ。

いずれの対談でも、「国家のPR」あるいは「国際メディア情報戦」について、高木さんが観察している最新の動向を伺いながら、日本の置かれた立場の変化や将来の見通しについて考えてきた。

今回対談をしたことをきっかけに過去の対談も読み返してみたのだけれども、10年間での変化の大きさ、特に日本の置かれた立場の様変わりは著しい。

皆様も対談を読み返していただければ、そのような将来の変化についての、二人の「見通し」というか「予感」は、まったくはずれていなかったと思う。このブログにでもいずれテキストを部分的にでも掲載したい。

お互いに「そうなってほしくはないが・・・」という文脈で語っていた悪い方のシナリオがどんどん現実化しているように見える。

先日書いたコメントも、そういった長期間かけて積み重なってきた関心と危機意識の上でのものです。

高木さんとの対談を含め、この問題についはまた書きましょう。

メッカ巡礼とパンデミックの関係

先日、サウジを中心に広がっているMERS(中東呼吸器症候群)について紹介したけれども、エジプトでも初めての死者が出た。
“First Egyptian dies from MERS in Aswan: Al-Ahram,” Ahram Online, Friday 28 Feb 2014

記事によると・・・
A woman in Upper Egypt’s Aswan has reportedly died Friday from Middle East Respiratory Syndrome (MERS), a deadly respiratory virus that appeared in Saudi Arabia in 2012.

Gamila Ibrahim, who just came back from Saudi Arab after performing the Ummra pilgrimage, is the first Egyptian to die from the MERS, reported Al-Ahram Arabic news website.

上エジプトのアスワン(アスワン・ハイダムで有名)で亡くなった女性(ガミーラ・イブラーヒームさん)はサウジアラビアのメッカへの巡礼から帰ったところだったようだ。メッカ巡礼には二種類ある。一つは、年一度の決められた日に世界中から集まる「大巡礼(ハッジ)」。

もう一つは、ムスリムが各自、行ける時にメッカに詣でることで、これを「小巡礼(ウムラ)」という。こちらは日本ではあまり知られていないかもしれない。日時が決められていないから、大巡礼より気軽に巡礼できる。大巡礼は「ハイシーズン」なので旅費も滞在費も高くなるし。

イスラーム圏の旅行代理店の看板を見れば、必ず「Hajj & Umra」と大きく書いてあります。

サウジアラビアというと閉ざされた国というイメージがある。実際に、確かに女性を隔離して行動の自由を制限したり、外国人と自国民をなるべく接触しないようにしたり、ビザの要件がひどく厳しかったりする。そんなサウジアラビアで広がる伝染病など、辺境に封じ込められた風土病に過ぎない、と思ってしまってはいけない。

巡礼のために世界中からムスリムが集まり、また戻っていく。これは政治的・文化的なハブとして重大なパワーを秘めているが、同時に、パンデミックを世界に拡散させる場所として、大きな危険性を秘めている。

大巡礼の時期に何らかの伝染病がサウジアラビアに広まったら・・・・一気に世界に広がります。そういったわけで、MERSは日本にとってまったく他人事ではないのです。

ぎりぎりの入稿を繰り返す

昨日、四ヶ月ぐらいかけて、しばしば夜を徹してでも書いてきた、アラブ諸国の移行期政治を比較する論文を、どうにか入稿。まだ若干注の表記が一貫しなかったりするので、最終段階で直さなければいけないところもあるが。

完成版が刊行されたら、また通知します。今回のものは事実を整理しただけ、とはいえ整理するのが大変面倒で手のかかるものなので、意義はあったかなと思います。ウェブ媒体の分析・論文誌なので63000字以上といった尋常ではない量を書いてしまいました。

移行期のアラブ諸国政治を、一国だけでなく国を横断して比較して、最初から最後まで(終わってはいませんが)順を追って解説してくれる論文や本は世界的にもほとんど出ていない。もちろん英語圏では各国の現状を克明に見ていくレポートや論文は多く出ているのだけれども、それらを横断的に把握する概念を誰もがつかみかねている。

現地の対象自体が落ち着かないということもある。ある時点での「結果」をもとに因果関係を論じると、説明した「結果」そのものが現地の政治情勢・政局の変化で容易に覆されてしまうので、セオリーが長続きしない。研究者としては、うっかり議論ができない、という状態になっている。

しかしだからと言って様子見をしていると、現状を見る手がかりが失われてしまう。

次はこういった論文をもとに、「アラブの春」の各国の社会の変化、政権の動揺から、移行期の体制変動の行く末までを一冊の本にする作業が待っています。

なお、先週は、別の、イスラーム思想史についての論文をぎりぎりで入稿していました。こちらは半年以上かけています。アイデア自体は5年以上前に発想したもの。こちらも、大きな本の一章ずつを論文として書いているものの一つ。刊行されたらまたお知らせします。

ここ数か月、不眠不休の入稿を繰り返してきましたが、少し落ち着いてきました。とはいえ週明けにももう一本、中程度の射程距離の論文を出さねばなりません・・・

それでもこの欄での中東情勢分析などを、時間を見つけてまた増やしていきたいと思います。

「右派から距離をおく日本政府」の必死の情報戦

印象に残った記事。

“Japan distances itself from right-wing statements” Washingotn Post(AP), February 24.
「日本は右派の発言から距離を置く」

ワシントンポストがAP通信配信の記事を掲載したもの。画面には岸田外務大臣が両手で口と鼻を覆った、「苦悩」するかのような表情が大写しになる。

“Japan’s foreign minister is trying to distance his government from recent right-wing comments on World War II, calling them “regrettable” and saying they don’t represent the government’s views.”

外務省がホームページに「仮訳」を出している。上に引用した部分は「日本の外務大臣は,第二次世界大戦に関する最近の右派的な発言は「遺憾である」とし,日本政府の見解と違うと述べて,これらの発言から距離を置こうと試みた」

昨年末の安倍首相の靖国訪問の波紋が表面的に収まったかのように見えていたが、1月25日のNHK籾井会長の発言で、英米の有力メディアの日本に関する議論は一気に厳しくなった。

外務省のこの情報発信は、かなり思い切ったものだ。NHK籾井会長は安倍首相本人あるいはその近い側近の強い意向を受けて就任したと広く信じられており、だからこそ発言への本気の反省の意志は伺われず、辞任する気もないようだ。それどころか、辞表を書かせた理事たちを解任して「お友達」を連れてきかねないとすら想像してしまうような現実感のなさだ。

外相がそれを「右派の発言」として「政府は距離をおく」と明言するのは、籾井会長側からは「安倍総理自身の本心から距離をおく」ものだとねじ込まれかねないものだ。事なかれ主義なら避けるところだろう。

しかし尖閣諸島をめぐるかなり緊迫した状況と、中国が世界中でかなり優勢に対日宣伝戦を展開している現状からは、危機管理上必要なダメージ・コントロールである。ぎりぎりのところでよく頑張ったと思う。

記事はかなりに好意的に書いてくれている。

しかしもちろん一方的に日本の主張を流してはくれない。翌日には同じ欄で同じくAP配信の記事

“China labels Japan a ‘trouble maker’”Washington Post(AP), February 25, 2014.

が掲載されている。

China on Tuesday labeled Japan a “trouble maker” that is damaging regional peace and stability, firing back at earlier criticism from Tokyo over a spike in tensions in northeast Asia.

内容は、中国外務省報道官の反論で、
Foreign Ministry spokeswoman Hua Chunying was responding to comments by Foreign Minister Fumio Kishida that China’s military expansion in the region is a concern, although Kishida stopped short of calling China a threat.

Hua told a regularly scheduled news conference that China’s military posture is purely defensive and Japan is stirring up trouble with its own moves to expand its armed forces and alter its pacifist constitution. She accused Japanese officials of making inflammatory statements aimed at denying or glorifying the country’s militarist past, and said Japan should explain its strategic intentions.

“I think everybody will agree with me that Japan has already become a de facto trouble-maker harming regional peace and stability,” Hua said.

といった中国側の主張が続く。中国側は「日本とナチス・ドイツに対する第二次世界大戦を共に戦った中・米両国の絆」を強調する作戦を近年に強めている。

日中(それに韓も)のグローバルな情報戦で、日本は苦しい立場に立たされている。多くの場合は、日本の政治家、あるいはその取り巻きの、国際世論が作られる構造に関する極端な無知に基づく、不用意な発言によって揚げ足を取られて攻め込まれ傷口を広げている。

「立場」が文字通り「モノを言う」、一方向的なコミュニケーションを一生続けてきて何の不自由も感じてこなかった、日本社会の「成功者」たちは、国際世論を味方につけるための、不利な場での情報発信には、極めて不向きであるようだ。要するに「内弁慶」なのである。

国際世論は大部分は欧米で作られる。この現実はいかんともしがたい。世界はもとより不公平にできている。「そんなの不公平だ」と日本の偉い人たちがへそを曲げてしまえば、いっそう不利になり、不利益は日本国民が蒙る。

国内の議論で権力・上下関係を笠に着て、反対者を怒号で黙らせてきた人たちは、国際的な場で日本の側に支持を集めることがいかに困難かを、思い知る経験がなかったようだ。かつて日本の経済規模が中国を圧倒していた時期に現役世代だったせいもあるだろう。「ゲタ」を履かされていたのである。

今は逆に、中国の成長にあやかりたいという色眼鏡で欧米は見るから、すっかり経済規模を小さくし、成長の幅が小さく「儲からない」日本への点数は過剰に辛くなる。年初から「アベノミクス」の先行きへの不安が浮上した現状では、いっそうそれが加速される。

本来なら欧米という第三者の心象を奪い合う宣伝戦では、日本は圧倒的に有利なはずだった。「戦後」の民主化や人権尊重の実績という政治的な「ファンダメンタルズ」で、中国に引けを取るはずはない。本来は国際宣伝戦で狡猾にここを強調すべきなのであるが、できていない。「戦後レジームからの脱却」を信念とする安倍首相が長期政権を予想されている状況で、阿り、追従して、本来なら自由に活発に発言し警鐘を鳴らすべき学者・知識人すらもが口を閉ざしているのではないかと疑われる事例も散見される。

欧米の有力メディアからは、最近急速に日中は「どっちもどっち」と見られるようになっている。欧米の主要メディアの論調を見ると、日本が欧米と「価値観を共有する自由民主主義国」であることがしばしば忘れられた記述が目立つようになった。

そして実際に、民主主義や人権規範を共有していないのではないかと疑われる人たちがメディアなどの有力なポストに就き、不用意な発言を繰り返すので、こういった海外の論調が日本の現実をまったく反映していないと論じることは難しい。

ましてや自由な立場にいるはずの学者や知識人もが栄達を願って口を閉ざし、そのような人たちが政府でもメディアでも重用されるというのであれば、やはり日本は欧米先進国とは価値を共有していないのである。

安倍首相本人は、第二次政権では「戦後レジームからの脱却」という持論をあからさまに述べることは避けてきたようだ。このことは戦略判断として正しい。威圧を強める中国に対する対抗策はまず、戦後、翻っては近代の国際法秩序を守ってきた日本、それを侵食しようとする中国、という構図を事実に基づいて明確にし、法的・倫理的優越性を確保するところから始まるからだ。

もちろん、オバマ政権の同盟国に対する態度に問題が多いことは確かであり、客観的にみて反米ナショナリストが勢力を伸張させる条件は整っている。しかしあえて日本側から日米同盟の船を揺らすのは愚策だ。まさに中国側の日米離間策に嵌る。

問題は、政権発足後1年で、右派の取り巻きの抑えが利かなくなってきた様子が見られることだ。靖国参拝は、こういった取り巻きに「ゴーサイン」を出した形になったのではないか。

続発する不用意な発言や、それを黙認するかのような政権の対応は、即座に「日本人はやはり民主主義も人権も受け入れていない。そもそも経済発展しただけできちんと近代化していない。戦後秩序も本心では受け入れていない」という欧米メディアの主要論客に拭いがたく染みついた偏見と優越感に基づいた不信感を裏打ちする証拠として記録・記憶されていく。

これらの発言は英語でデータベースに記録され、中国側はいつでもこれを検索して引用して宣伝戦に用いることができるし、第三者もまたこれらの発言を手掛かりに日中関係や日米関係を論じていくだろう。

歯を食いしばって西洋文明を取り入れ近代化に尽くした明治人、そして廃墟の中から屈辱に耐えて経済復興を果たした昭和戦後の先人たちの努力を無にしてはならない。

在米エジプト人研究者の苦衷

前のエントリの続き。閉ざされたエジプト社会の脱線ぶりと、在外エジプト人には鮮烈なギャップがある。

エジプト人の優秀な人はこぞって海外に出るので、特にアメリカで、科学研究の場で出世している人が多い。例えばこの人

興奮したエジプト・メディアの突撃取材を受けて、かなり困っているご様子。「科学研究とは何か」を若い記者に懇々と説いているが、あまり通じていないようだ。

最初の方を若干かいつまんで訳すと・・・

質問「エジプトの新発見をどう見ていますか?」
答え「メディアを通じて知っただけなので、この問題についての私の発言は記者会見とテレビの情報にしか基づかず、国際的な科学研究には基づいていない。科学研究ではこの装置についても実験についても何も知見がないんだ」

質問「どう違うんですか?」
答え「これは科学研究の分野ではすごく重要なことだ。何かを科学上の新発見というためにはね、その発見は定められた発表の仕方とか典拠への参照の仕方とかを備えていないといけない。例えばこのような治療法についてはね、それぞれの病気についての専門の科学研究の分野で受け入れられて発展していかないといけない。まあ一般的に言って、軍が科学研究を奨励してくれることを祝福しますよ。軍と工兵部門が真剣にC型肝炎の治療を支援してくれていることを祝福しますよ。エジプトでは非常に多くの人がこの病気に罹患しているのですから。でも私がいつも望んでいるのは、研究が国際的に認められたやり方に則って行われることなんだ」

質問「どういう意味ですか?」
答え「世界全体で、科学研究はある特定の方法に則らないといけないと合意しているんだ。誰かが理論やアイデアを提示するには、発表して弁護しないといけない。この治療法をどのように適用したかを明らかにしたり、この分野の専門家の典拠を参照したりして、この発見を受け入れてもらえるようにしないといけない。治験者にも典拠を明らかにして、権利を守らないといけない・・・・」〔以下略〕「ターレク・ハサナイン博士『科学の発見について記者会見からは判断できない』」El-Watan紙2月26日より。

・・・延々と科学研究の基本の基本を説いていくのだが、それ自体がエジプト社会の困難さを示す思想テキストとも言え、また在外エジプト人とエジプト本国との越えられないギャップを示す、私にとっては個人的には胸が痛い文章だ。

ただこの文章を読んでいると、背景に政治的には次のような問題があるのが読み取れる。記事の後半部分を訳している時間がないのだが、だんだん次のようなテーマに移っていく。

(1)エジプトではC型肝炎の感染率が極めて高い。
(2)治療薬が外国で開発され、輸入なので高額で庶民には行き渡らない。

記事では明確に言っていないのだが、これらは「保健行政の不全あるいは崩壊」「科学行政の不全あるいは崩壊」ということで、積年の課題だが容易な解決策はない。

これを「軍が解決!」と言ってみたい軍部がいて、それを礼賛してみたいメディアと世論一般があって、変な方向に行ってしまっている、ということなのではないかと思う。

エジプト人の知性の総体からいえば、海外に出て医学研究や製薬技術で先端を行っている人たちはたくさんいる。しかしその成果は輸入という形でしかエジプト人には還元されない。

そうならないように国内の大学や研究機関で優秀な人材を囲い込めればいいのだが、それができていない。誰が悪いのか。とりあえず「アメリカが悪い」ということにしてしまう。そういう面はあるかもしれない。構造的な問題として、「従属論」などの立場から議論しようと思えばできる。

ただ、今回の大発見騒動で分かるように、エジプト側の組織と権力構造はかなりおかしい。優秀な人が機会を求めてアメリカに行ってしまうのも分からないではない(というかよく分かる)。そのあたりにメディアが切り込めない。単に海外でエジプト人は大活躍しているんだ、という話にされてしまう。

当の在外エジプト人は、故郷で叩かれないように慎重に言葉を選んでいる様子が伺われる。「大発見」を頭から否定せずに、軍への礼賛のフレーズを交えたりしてね。まあたとえインタビューでそんなことを言わなくても、記事には書かれてしまうんだろう今のエジプトでは。

エイズとC型肝炎にも勝利したエジプト軍

インターネットの時代になって、怖いのは、どこの国でも、夜郎自大に自国民を威圧してこられたエラいさんの、実態としてはトホホな水準の発言や、それをもてはやす一部の人の行状が、一瞬にして世界中に晒されてしまい、デジタル的に永遠に保存されて複製され、取り返しがつかないこと。

日本でも最近続発していますが、こういった方面で人後に落ちない(?)のはエジプト。

2月22日に、エジプト軍の軍医のかなり偉い人(少将:軍医としては最高レベルでしょう)のイブラーヒーム・アブドルアーティー(Ibrahim Abdel Aaty)が記者会見して、軍の医学研究所が、C型肝炎もエイズも、血液検査もせずに探知し、治癒する技術を開発した、と大々的に発表。エジプト軍は「エイズに打ち勝った」と、軍の公式会見場で声を張り上げ、スィースィー国防相・元帥からもご支援いただいている、と謳い上げるアブドルアーティー将軍の前に、翼賛体制を支持し、ナショナリズムで盛り上がるエジプトの記者たちからは拍手の連続(ビデオは軍政を批判する勢力が字幕をつけてアップしたものです)。

「C-FAST」とかいう機械。棒みたいなもので、患者に触れもせずにC型肝炎とエイズを探知し、治療できるという。もともと爆発物探知機だったものを発展させたのだという。

この発表をエジプト軍としても全面サポート。昨年の7・3クーデタ以来、軍のイメージアップ作戦で重用されているイケメン報道官アハマド・アリー大佐も、公式フェイスブック・ページでこれを称賛し、マンスール暫定大統領、そして最高権力者のスィースィー国防相もこの装置のプレゼンを受けご満悦、というところまで流してしまった。

インフルエンザのH1N1ウイルスにも効くとまで言っているらしい。

Egypt’s military claims AIDS-detecting invention, Ahram Online, 23 February 2014.

しかし、どうみてもこれはオカルト科学の一種だろう。「ダウジング」という分野で、もともとは、特殊な能力を持った人が、なんらかの形状の棒を持って鉱脈や水脈の上を通ると棒が勝手に反応する、というやつ。それが医学にも応用できる、という話になっていたとは知らなかった。

歴史を遡れば「占い棒」として人類史上ずっと、底流で続いてきた信仰の一つの流れだろう。

私はオカルトの分野には個人的にはまったくなんの興味も持ったことがない人間で、詳しくもない。霊感とか幽霊とか感じたことも見たこともない。

が、「エジプトの社会思想におけるオカルト思想の影響」に関しては、「専門家」で「オーソリティ」と言ってもいいと思う(威張れませんが・・・)。

1990年代後半のエジプトの思想・世論を研究した時に、結果として、「ある意味で、一番有力なのは陰謀論とオカルト思想」という厳然とした事実を突き付けられ、こんな本を書くしかなくなってしまいました。

『現代アラブの社会思想 終末論とイスラーム主義』(講談社現代新書、2002年、大佛次郎論壇賞受賞!!)

そのようなわけで、忙しいんだが、エジプトでオカルト思想が、政治的に意味がある水準にまで盛り上がった時には、解説をせざるを得ない(←誰が頼んだのか)。

なお、こういった「科学」に取り組んでいる人は世界中にいて、似たような「発見」が、針が振り切れた科学者から発表されては黙殺される、ということが、時々起こる。

アブドルアーティーさんも、軍の研究所でどうやらすごく長い間これに取り組んできたらしく(本人は「22年間」と言っている)研究所には「先達」もいるらしいということが記者会見の映像から分かる。

そして、格調高き英ガーディアン紙が、これをそれなりに信憑性の高いものとして報じてしまった

“Scientists sceptical about device that ‘remotely detects hepatitis C'” The Guardian, 25 February 2013.

タイトルだと「科学者は懐疑的」となっているが(これはイギリスのデスクがつけたのでしょう)、本文はこの探知機・治療器をかなり信憑性の高いものとして扱ってしまっている。ガマール・シーハー(Gamal Shiha)博士というエジプトの最高水準の肝臓病専門家という人の話も取り上げ、さらにエジプト以外でもいろいろな治験例があってそれなりに検証されているようなことを書いてしまっている。

しかし記事を書いたのは科学記者ではなくて、カイロ特派員。

エジプトの雰囲気に呑まれてしまったのでしょう。エジプトの医学界・科学行政で権威の高い、影響力のある、しばしばメディアに登場する人たちが、軒並み「すごい」と言っているのだろう。特派員が現地の現実を忠実に伝えたら、確かにこういう記事になってもおかしくない。

確かに、エジプトの科学研究の上の方にいる偉い人たちや、それを取り巻く知識人たちが、こんなことを言って盛り上がっていそうなことは、かなり想像できる。言っているだろう。みんながみんなそうではないし、すごく優秀な人はいっぱいいるけど、そういう人はコネがなかったり、偉い人にひざまずいたりできなかったりして偉くなれず、外国に行ってしまう。外国に行けなかった人はひどい生活をして、くすぶっている。

ガーディアンの科学記者たちは大慌てでブログで火消しに走っている。
Scientists are not divided over device that ‘remotely detects hepatitis C’
(C型肝炎の遠隔探知機について、科学者の意見は分かれてないよ)
Hepatitis C detector promises hope and nothing more
(C型肝炎探知機は希望以外の何も約束しない)

もちろん、どんな手法であれ、C型肝炎やエイズが探知したり治療できたりするというのであれば、すばらしいことだ。それがこれまでに想像されていなかったやり方であっても、検証可能な厳正な治験を経て立証されれば、科学の進歩に寄与するはずだ。

ただ、今回の話は、そのような手順を踏んだとは思えない。

そして、出ました!陰謀論。はい、セオリー通りに出てきましたよ。

“AIDS-detecting device’s inventor says was offered $2 billion to ‘forget’ it.” Egypt Independent, 25 February 2014.

ビデオはここから(シュルーク紙のホームページで民間テレビ局バラドの映像をアップしている)

エジプト人、そして偉大なるエジプト軍の優秀さを世界に知らしめて引っ張りだこになったアブドルアーティー少将はテレビ出演して、「20億ドルを提示されたが断った」と語る。単に20億ドルを提示されたというのではなくて、この発明をもみ消そうとする国際陰謀の魔の手にかかりそうになって、エジプトの諜報当局の助けを借りて逃げ延びた、という。だめだこりゃ。

In a TV interview on the privately-owned Sada al-Balad satellite channel on Monday, that he was then offered the money to ‘forget’ about the device. “I told them to note that it was invented by an a Muslim Egyptian Arab scientist, but I was told to take the check and the device will be taken to any country. I said okay and then escaped back to my country. The intelligence service protected me,” he said.

単に阿呆な話、というよりも、軍政のプロパガンダと翼賛メディアのヒステリア、という文脈で出てきた話なので、政治分析の重要な傍証として取り上げる意義のある問題です。

(1)もともとエジプトではこういったオカルト/陰謀論を庶民だけでなく、高等教育を受けた知識層の一定の部分が信じている場合があり、コネ社会なのでそういう人が有力になると誰も止められない。

(2)現在の政治的背景として、軍礼賛とナショナリズムでメディアや知識層が高揚しており、エジプトの山積する難題に対して「軍万能説」を盛んに流している。

というのを前提にして、

(3)根深いオカルト説と、現在の軍政・翼賛化の流れが合致して、以前からこういう説を唱えていた軍医さんに光が当たり、大々的に発表する場が与えられ、広く報じられるに至ったのだろう。

ということが推測される。

エジプトのアラビア語紙では「快挙」と祝賀・礼賛モードなのに対して、政府系でも英語紙は当初から懐疑的に伝えている。本音で「エジプトではよくある話」と思って信じていないのだろう。アラビア語紙の方はひたすら時流に乗る。

逆に、ガーディアンの特派員が現地のヒステリアに呑みこまれているのが面白い。

さすがにエジプト大統領府の科学担当の顧問も、「科学研究の国際的な手順を踏まないといけない」と恐る恐る火消しに出た上で、
“Egypt presidential advisor: Army health devices for virus C & AIDS must comply with int’l standards,” Ahram Online, 25 February 2014.

どうやら軍からもOKが出たらしく「この発表はエジプトの科学にとってのスキャンダルだ」と全面否定に転じた。マンスール暫定大統領もスィスィー国防相も詳細を知らされていなかった。そして「これは外国の新聞がエジプトのイメージを国際的に損なうのに利用される」と危惧している。しかしエジプトの軍政の一面がこのようなものであることはすでに十分広報されてしまった。

“An issue this sensitive, in my personal opinion, could hurt the image of the state,” Heggy said, adding that foreign newspapers could utilise the announcement to harm Egypt’s image internationally.

“Claims of cure for HIV, Hepatitis C are a ‘scandal’: Egypt presidential advisor,” Ahram Online, 26 february 2014.

でも記事を読んでみると、軍医・工兵部門の高官にはこの発明の支持者がかなりいるようだ。

英語紙の記事自体が、国際常識とローカルな権力構造の間で引き割かれて、一貫した文体を見い出せないでいるようだ。

「エジプト軍万能説」を信じている、あるいは信じているふりをするエジプト人は多いし、それを真に受けるエジプト専門家や報道関係者も多いが、実態はこの程度。文民のテクノクラートも内心は辟易しているだろうが、口には出せない。

エジプト研究をしてきた人間としては、「うちのエジプトがご迷惑をおかけしています」と菓子折りを持ってご近所を廻りたい気分です。

MERS(中東呼吸器症候群)はラクダでうつるらしい

100枚(4万字)を超えた論文の詰めで朦朧としていますので、ニュース紹介は手短に。

2月20日 リビアで憲法起草委員会の直接選挙の投票が全国で行われる
2月22日 シリア内戦ではじめて国連安保理決議が可決(安保理決議2139号)。これはシリア内戦にどう影響を与えるのか。かえって激化するという説も強い。
2月24日 エジプトのベブラーウィー内閣が突如総辞職。これが何を意味するのか。

また、より重要かもしれないのは、イエメンで連邦制によって政治危機の打開を図る方向で辛うじて諸勢力が妥協しかけている。

こういった「アラブの春」後の移行期過程の全体像を把握し、逐一発生する事象を自然に理解できるような枠組みを、ずっと考えていて、そろそろ結果を出さねばならない。

そんなわけでこの数か月、連日連夜論文を書いているので、あまりまとまったニュース解説の時間が取れない。

政治の話は脇に置いて、別の意味で重大かもしれないこんなニュースでもご紹介。

“Camels Linked to Spread of Deadly Virus in People,” The New York Times, February 25, 2014.

MERS(Middle East Respiratory Syndrome:中東呼吸器症候群)は2012年頃から、サウジアラビアに渡航した人を中心に、ドバイなどを経由してヨーロッパにも広がり、WHOなども重大な関心をよせてきた。

10年ぐらい前に中国を中心に広がって日本も脅かしたSARS(Severe Acute Respiratory Syndrome:重症急性呼吸器症候群)の中東版のようなイメージ。両方ともコロナウイルスが原因。

感染源はSARSの場合はハクビシンだとかフクロウの一種だとか言われているが、MERSの場合はどこからうつるのか。

これが、中東らしく「ラクダ」がウイルスを運んでいるのではないか、という研究が出た。

感染者はサウジから帰ってきてたいていドバイにいる頃に発症するので、日本からの渡航者にとっても身近にある病気です。

ある日のスケジュール

研究所所属というと、「ヒマなんでしょ?」とよく聞かれる。

確かに、大学だけど研究所、というのは、大学業界の外の人には分かり難いと思う。東京大学・先端科学技術研究センター(通称「先端研」)というのは、大学業界の中では「附置研究所」という枠に入る。附置研究所の形態や存在意義は、分かる人にしか分からない、というか端的に「いらん」と言っている人すら大学業界の中にもいると思う。

附置研究所の中でも先端研はさらに変わっている。最近は附置研究所は存在意義を示すために、大学院での教育を拡大して行ってほとんどいわゆる「学部」(正確には大学院の研究科)同様になっている場合も多い。また「共同利用・共同研究拠点」として全国の大学との共同研究のお世話をする機能を拡張していく場合が大多数だ。しかし先端研はそれも意識して避け、独自の研究と情報発信だけで存在意義を示そうとしている。

最大の違いは、他の学部学科や附置研究所とは違って、あるいは全国の大学の大部分の教員とも違って、「業績が挙がらないとクビになる」制度を取り入れていることだ。何が「業績」かというとこれが曖昧だから、誰からも文句をつけられないように、研究、教育、社会貢献、国際展開のあらゆる方面で業績を挙げ続けていないといけない焦燥感に常に駆られるシステムである。

なので、オーバーワークになる。

例えば、研究成果をできるだけ多様な形で発信して影響力を持つことが一般に奨励されるので、呼ばれれば断らずにあらゆる場所で研究報告・一般講演・講義・コメントなどをする。そういった講演は必ずしも公開されていないので、何をやっているのか一般には分からないかもしれない。

例えば、ある日は大学の外の研究会でこんな報告・討論をしていた

研究会自体はクローズドだったが、ホームページに内容が公開されていたのでご紹介。

非常にエネルギッシュな、昭和の経済政策の最前線にいた(平成も)人とその関係者たちの集まり(なのかな、いやこの日初めて呼んでもらったので全貌は把握していませんが)で、新年会も続いて企画されていたので、熱心に聞いていただき、活発に議論をした。

まとめをみると、さすが、というか、私が目を通して手を入れたわけではないのに、正確に内容を伝えつつ、聞き手の側が興味を持った点を強調して、「勢い」みたいなものも加えて、私がしゃべったよりももっと面白くしている(私の分野だと、講義録や要約が事務局から出てきたとき、意味が大きく取り違えられていて、書き直さないといけないことも多い)。

まあこの日のテーマは中東だけでなく日本や日米関係、東アジア国際関係への影響といった、これまでの日本社会の「メインストリーム」の人たちにとってピンとくる内容だったせいもあるとは思うけど。

しかしこの日は朝7時30分の朝食勉強会(朝食は出なかったけど)に始まり、午前中は職場の会議、昼過ぎから編集者との打ち合わせ、学内で別の学部に出講している授業、そしてこの研究会での報告に走っていって、その後の懇親会(新年会なので本来私はメンバーではないのだが)でもずっと議論をしていた。

なので写真を見ても、もはやふらふら。真冬なのに汗かいて、ネクタイ緩んでます。

そもそも、「ネクタイを締めてスーツを着なくていい」「朝早く通勤列車に乗って行かなくていい」というのが研究者の道を選んだ大きな理由だったと思うのだが、結局、朝まだ暗い時間帯にネクタイ・スーツで電車に乗って出かけて一日中外回りで帰るのは深夜、ということも多くなっている。

どこで道を誤ったのか。

最近は役所の人の方がネクタイ締めていないぐらいだ。でも私は昭和時代に鍛えられた人たちのところに話に行くことが多いので、そういう人は今もびしっとネクタイしているので、こちらがしていかないとまずいでしょう。でも緩んでる。

エジプトのおバカ・ニュース(とロシアへの接近)

今のエジプトの世相を示す、オバカ・ニュース。

Egypt_Obama_Game Over_Feb19_2014_elwatan

エジプトの民間の新聞ワタン(el-Watan)が2月19日にウェブに載せた「商人がスィースィーのロシア訪問に寄せて、ナイル河の上に、オバマはゲーム・オーバーだと書いた」という記事。

マンスーラという、上エジプト(エジプト北部・ナイル河下流のデルタ地帯)の主要都市で、アニース・サイード・アズィーズィーとかいう鉄商人がスィースィーのロシア訪問を祝ってナイル河に錫と発泡スチロール製の艀(はしけ)を浮かべた。長さ65メートルで「オバマはゲームオーバー」と書いてある。

最近のエジプトのアラビア語紙はこんな記事ばかり。

エジプトの新聞は、昨年7月のクーデタ以来、軍礼賛・スィースィー推戴で、おかしくなっている。ずっとエジプトのメディアを見てきましたが、行き詰るとだいたいこうなる。放っておきましょう。

企業家層は軍を支持しているから、派手にキャンペーンをやる。そのキャンペーンが、軍翼賛と、お気楽な反米。「アラブの民衆は反米だ」というイデオロギーがかつてあったが、少なくとも今の現実は、アメリカに依存してきた金持ちが反米っぽいことを言って子供っぽく喜んでいる。

当分この国ダメですね。

スィースィー国防相のロシア訪問で喜んでいるわけです。それでオバマがゲーム・オーバーだと言っているのですが、世界の中心はエジプトだと思っているのですね。

おバカなメッセージを浮かべたこの商人は、「スィースィーのロシア訪問で、エジプトの自由への希求を感じた。アメリカの中東支配の終わりを感じた。そしてエジプトが高貴なる息子たちの手で歴史を書き始めたことを感じた」と大喜びしているのですが、単に「宗主国様」をロシアに乗り換えただけでしょう。

クーデタ直後から、まあそうなるだろうなと思っていましたが(「ロシアへの接近をほのめかして牽制するエジプト首相」『フォーサイト』2013年8月22日)。

しかしここまで臆面もなくやるとは。

2月12日・13日に、スィースィー国防相とファハミー外相がモスクワを訪問。いわゆる2+2というやつだが、別にエジプトがロシアを助けられるわけではない。ロシアは軍用ヘリや対空防衛システムを売り込もうとしている。エジプトは、ぎくしゃくしているアメリカに当てつけをして、無邪気に喜んでいる。昨年11月にロシアの外相・国防相がカイロに来て2+2をやったが、今回はその話の続き。

スィースィー国防相は初の外遊で、大統領選挙に出るという件で盛り上げている最中なので、プーチンもサービスして、スィースィーの立候補を支持すると発言

でもこれでは新しい宗主国様にお墨付きをもらっているだけ、ということが、エジプト人にはわからないのである。世界はエジプト中心に回っていると思っているので。

しかしロシアは冷戦期と違ってタダでくれるわけではない。リップサービスをしながら「ちゃんと払うなら売ってやるよ」という線を崩さない。それで、30億ドル分の兵器を買って、勘定はサウジとUAEに回せないかな、と交渉しているという。誇りも何もない。ピラミッドのラクダ引きみたいに、湾岸の金持ちからチップ恵んでもらって生活する、ということ。

これではかつてのエジプトの外交的影響力など見る影もない。当分エジプトは重視しなくていい、ということでしょう。

しかしアメリカも腰が据わっていないので、ロシアが出てくるならとちょぼちょぼ援助を戻したりして、甘やかしを続けるのではないかと思う。アメリカにとってそれほどの負担ではないし、軍需産業は困っている。エジプトは結局両方からちょっとずつチップをもらえて得した、と言っているうちに、国内問題がもっと悪化する。アメリカもサウジも、もちろんロシアも、エジプト社会が豊かになるほどにはくれるはずがない。

軍政はポピュリズムに走るしかないが、エジプトにはその財源がない。特に積年の課題の食料補助金と燃料補助金は絶対に削れなくなったから、軍事援助をいくらかもらったぐらいではまったく足りない。早晩財政は行き詰ります。

でも「そこで日本には民生支援を~」なんて都合の良い話に載っちゃダメです。一度この国は突き放さないと。でも日本は日本でおだてられるとお金出してしまうんだろうな。で、感謝されない。

エジプトの覚醒は遠そうです。

モンゴルとイスラーム的中国

見本が届いたばかりの、最新の寄稿です。


楊海英『モンゴルとイスラーム的中国』(文春学藝ライブラリー)、2014年2月20日刊(単行本は2007年、風響社より刊行)

ここに「解説」を寄せました(425-430頁)。

イスラーム世界を専門にしているといっても、中国ムスリムは私にとって最も未知の世界。勉強させてもらいました。

中国西北部、モンゴル系やウイグル系のムスリム諸民族を訪ね歩く。「民族」が縦糸、スーフィー教団の系譜が横糸か。

全体を通して導き手となるのは、回族出身で、文革期に内モンゴルで遊牧生活を送った作家・歴史家の張承志。

独特の文体。オリジナルな研究というのは通り一遍の解釈を拒むもので、解説を書くのは大変でした。

タバの観光バス爆破:続報

昨日のエジプト・タバでの観光バス爆破、
(1)「アンサール・バイトル・マクディス(エルサレムの支援者たち)」が犯行声明を出した。観光客に退去を勧告。
(2)内務省が、死者数を、当初の4人から3人(韓国人観光客2名とエジプト人ガイド1名)に修正

とのこと。ネットで見る限り産経新聞はこのニュースをそれなりにおさえていますね。

エジプトの英語紙では、シナイ半島での大規模な観光客を狙ったテロとしては2006年のダハブでの事件以来として「転換点か」とも分析しています

エジプトのアラビア語紙はクーデタ以来ヒステリックですので分析は存在しませんが。

アラブで安全な国がなくなりますね。

取り急ぎ。

エジプト・シナイ半島タバで観光バス爆破

2月16日、エジプトの東部シナイ半島のタバで観光バスが爆破され、少なくとも4人が死亡。

爆破の映像(34秒ぐらいから)

エジプトはシナイ半島を中心に、これまでとは違って、イラクやシリアと(程度の差はあるが)同様の、武装反乱(insurgency)が続く、ある種の内戦状態になっている、という話はしてきたが、今回また一歩進んだ。

これまでの経緯はとりあえずこのあたりから。

「エジプト軍ヘリ撃墜で「地対空ミサイル使用」の恐怖」(1月27日)

「エジプト情勢の今後の見通し」(1月25日)

タバというのはシナイ半島の南部の東端にある町で、イスラエルとの国境のすぐ手前。国境を超えるとイスラエルのエイラート、そしてすぐにヨルダンのアカバがある。

タバは1967年の第3次中東でイスラエルが占領して、1979年のイスラエル・エジプト和平条約の後も最後までイスラエルが保持し続けた町で、1989年に返還された。イスラエルが観光開発したのでホテルなども整っている。

今回のバスは韓国人旅行客の一行のようだ。

モーセがさまよったシナイ半島はキリスト教徒にとっての聖地で、特に韓国人のキリスト教徒の団体旅行はおなじみの光景だ。

エルサレムやベツレヘムなど、イスラエル・パレスチナのキリスト教関連の聖地を巡りながら、エジプトに足を延ばしてシナイ山に登ったり、ふもとの聖カタリナ修道院などを訪れるというのがお決まりのコース。シナイ半島で観光バスを狙ったテロがあったらかなりの確率で韓国人が犠牲になるだろう。

なお、タバでは2004年10月にはタバのヒルトン・リゾート・ホテルが大規模な爆破に遭っている。写真を見ると、今回の爆破の場所も建て直したヒルトン・ホテルのすぐそばのようだ。

シナイ半島は部族問題や低開発や差別など、中央政府の無策がたたって無法地帯化しており、イスラーム主義過激派が勢力を伸ばしている。

現在はシナイ半島のイスラーム主義過激派とエジプト政府がかなりの規模で戦闘中。

今回の事件の新しいところは、これまでは軍や警察の車両や治安部隊の施設などを狙っていたのが、今回は一般人の観光バスが爆破されたこと。意図的に観光バスを狙ったのか、軍の車両などを狙った爆発物に観光バスが触れてしまったのかはまだ断定できない。

エジプトについては、日本では事態の深刻さにピンと来ていない関係者が多いので困る。

シナイ半島は、荒れたカイロを通らずにロシアや西欧から直行便でシャルムシェイクなどの空港に観光客を飛ばせるので、観光客誘致には命綱。

すでに軍用ヘリを落とした地対空ミサイルは導入されてしまっているので飛行機も全く安全とは言えなくなってきた。ここで観光バスがあぶないとなると、いっそう観光収入は望めなくなる。

警察と軍はもっぱら丸腰のムスリム同胞団の弾圧に一生懸命で、その間に、ムスリム同胞団と競合していた過激派組織が急速に活動を活発化している。どう考えても政府は不正なんだから、イスラーム主義過激派に一定の支持が集まるのは誰でも予想できる。

問題は、エジプトの警察にそれを抑え込める能力がないこと。最大の原因は、地元民が、低開発だけでなく、警察の横暴なやり方に怒っていて協力しないから。このあたりはエジプトのメディアはあまり書かないが、誰でも知っていること。

抑え込むどころか、本土に越境攻撃をかけられたり、スエズ運河の重要地帯にしょっちゅう襲撃があったりで、insurgencyの度合いと頻度は日に日に高まっている。

反乱勢力がいるという家を空爆して皆殺しにしたりしているので、おそらくいっそう反発は強まる。

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日本も、ファハミー外相とか、英語を上手にしゃべる渉外担当の人にコロッと騙されて援助を出したりしてはダメですよ。国民の税金です。彼らはお金を取ってくるのが仕事で、どう使うかについては、何を約束しようが、まったく守れません。なぜかというと、お金の使い道に権限など持っていないからです。

こんなこと当たり前だと思っていたのだけど、本当に日本の外交・援助関係者ってそのことを知らないみたいだ。欧米と仲が悪くなったエジプト政府が、日本をちょっとおだてるだけで、舞い上がってしまってカモにされないでね。

あと、現地在住の日本人。彼らが「軍が出てきたら安定する」という話をして、それを信じてしまう程度の報道関係者が多い。現地在住の日本人というのは実際にはほとんどエジプト社会とのつながりがない。たまに接触するエジプト社会というのはそれはもう厳しいから、強権支配でエジプト人を黙らせてほしいと思っている。「軍が出てきて、嫌なエジプト人をぶん殴って黙らせてくれればすっきりする」といった会話で憂さ晴らししているのですね。

ブログなどで「エジ」という呼び方を使っている人には、現地の一般エジプト人に対する差別心・優越意識が強いのでご注意。差別心を持つのは勝手だが、日本のメディアも政府機関も、そういう人たちをけっこう情報源にしている。そこで判断を誤る。「あなた方がエジプトに行き暮れてしまったことは、エジプト人の責任ではありません」と言ってしまいたいんだが、そうするとものすごく悪口言われます。