6月14日の記事が、BLOGOSに転載されました。
内容は同じですが、このブログの前後の他の記事も一覧にしてくれていて便利です。
おためしあれ。
池内恵(いけうち さとし)が、中東情勢とイスラーム教やその思想について、日々少しずつ解説します。有用な情報源や、助けになる解説を見つけたらリンクを張って案内したり、これまでに書いてきた論文や著書の「さわり」の部分なども紹介したりしていきます。予想外に評判となってしまったFC2ブログ「中東・イスラーム学の風姿花伝(http://chutoislam.blog.fc2.com/)」からすべての項目を移行しました。過去の項目もここから全て読めます。経歴・所属等は本ブログのプロフィール(http://ikeuchisatoshi.com/profile/)からご覧ください。
6月13日に『フォーサイト』に寄稿したイラク分析が無料公開に切り替わりました。このエントリの末尾に本文を一応貼り付けておきます。有料に戻ったらたぶん削除するのかな?
(6月15日の寄稿は有料のままです)
フォーサイト編集部は、イラク情勢やISISを理解するための過去の記事をいくつかピックアップしてくれました。
有料のウェブ雑誌に書いたところで、個人的には経済的利益はたいしてないのですが、海外情勢分析が「産業」として成り立つには民間企業(出版社)が参入して、一定の質を維持しつつ商売として成立するという実例がないといけないと思うので、『フォーサイト』には極力書くようにしています。
2005年、まだ右も左もわからない頃から連載で中東分析を書かせてもらったことで、得難い訓練をできたという恩義もあり、この媒体には特別に協力しています。
しかし一般コンシューマー向けのサイトですので、読者によっては求めるものが違います。
特にそれが現れるのはコメント欄。「もっと低質のものを求む」と実質上言っているに近いコメントも多発し(数名がつけているだけですが)、そんなものを真に受けていると、そもそも書く意味がない媒体になってしまう。双方向性は制度的にかなり考えて構築しないと、機能しません。
考えてみるとこれ民主主義が機能するための制度的条件、という比較政治学の重要なテーマに関わりますね。
『フォーサイト』のコメント欄にはたまに、知的専門職とおぼしき読者からの高度なコメントが付いたりして議論が発展することもあります。そういった経路をふさぎたくないので、コメント欄を全部なくせとは言いたくないのですが、放っておけば議論をできない勘違い系の人が繰り返し低質・独りよがりのコメントをし、気に入らない相手に絡み、議論に負けるか相手にされないとしまいには編集部に難癖をつけるなど、品位が下がり、まともな読者が逃げる結果になります。
そもそも見当はずれに「金払ってるんだから云々」とコメント欄に書いた場合は、品位を乱すものとして編集部が削除するべきでしょう。それでうるさく街宣車みたいなコメントをつけてきたらコメントを書く権利を停止。日本は自由な国ですが、問題は他人の自由を侵害するタイプの言論に対しても偽りの「自由」つまり事なかれ主義が蔓延していること。
そういうものには個人で対抗するのではなく、制度的にはねる仕組みを作ればいいのです。いちいち頭のおかしい人に個人が立ち向かっていたら、体が持ちません。
なお、結局は国際政治についての現実に即した議論には一般コンシューマーがいない、商売にならない、ということが明らかになれば(すなわち日本の市民社会における高度で成熟した議論に絶望した場合)、私も頭を切り替えて、企業向けの契約での情報提供などの新たなモデルを考えるかもしれませんね。中間ぐらいの形態は財団・シンクタンクなどで寄付を受けて非営利で、ただし一定のハードルを越えてきた対象にだけ情報提供をするというものです。
個人的にはB to Cで読者に向かって書きたいというのが、私の生まれ育った性質ですが、一般読者は気分を満足させる断定論しか興味がないというのであれば、B to Bに切り替えるしかありません。それがうまくいけば大学院生とかにも就職先の産業が創出されるわけだし…ただしそうなると公共的な場での議論は後回しになって薄くなります。
そういう日が来ないことを願っていますが。その場合は、このブログも閉鎖ですので。
以下に無料公開になった6月13日の寄稿を採録しておきます。
池内恵「イラクとシャームのイスラーム国家(ISIS)」はイラク国家を崩壊させるか『フォーサイト』中東の部屋、2014年6月13日
6月10日にイラク北部モースルを、イスラーム主義過激派集団の「イラクとシャームのイスラーム国家(ISIS)」が掌握した。ISISの勢いは収まらず、南下して、バイジーやティクリートといったイラク中部の主要都市を制圧し、首都バグダードに迫ろうという勢いである。
2003年のイラク戦争以後、テロが止まず不安定と混乱でぐずつくイラク情勢だが、ISISの伸長が、全体構図に玉突き状に変更を迫り、周辺諸国や地域大国を巻き込んだ内戦に発展する危険性がある。
「国際テロ組織」の範囲を超えた武装民兵組織
ISISは「アル・カーイダ系の国際テロ組織」と通常形容されるが、現在の活動はそのような形容の範囲を超えている。昨年3月にはシリア北部の主要都市ラッカを制圧し、今年1月にはイラク西部アンバール県のファッルージャを掌握、県都ラマーディーの多くも支配下に置いていた。
確かに組織の発端はイラク戦争でフセイン政権が倒れたのちの米駐留軍に対抗する武装勢力の一つとして現れた「イラクのアル・カーイダ」だった。しかしシリア内戦への介入をめぐって、ビン・ラーディンやその後継者をもって任ずるアイマン・ザワーヒリーの「アル・カーイダ中枢」とは対立し、袂を分かっている【関連記事】。
自爆テロを多用する手法には共通している面があるが、それは手段の一部であり、領域支配といったより大きな政治的野心を持つに至っているようである。イラク北部・西部や、シリア東部での活動ではテロを実行するだけでなく、内戦・紛争の混乱状況の中とはいえ、局地的に実効支配を試みている。所在を隠したテロ集団ではなく、政治勢力の一角に場所を確保する存在となりつつある。
ISISは組織としてのアル・カーイダの中枢とは、継続性や協力関係を薄れさせているが、思想としてのアル・カーイダという意味では、「正統」な発展形態といえる。
アル・カーイダの理論家アブー・ムスアブ・アッ=スーリーは、単発のテロで国際社会を恐怖に陥れる広報・宣伝戦を行うだけでなく、アラブ諸国やイスラーム諸国の混乱が生じればより大規模に組織化・武装化して領域支配を行う聖域(これをスーリーは「開放された戦線」と呼んだ【関連記事】)を作ることを提唱していた。長引くイラクの混乱と、2011年以降の「アラブの春」は、潜在的な聖域を各地に誕生させた。ISISがイラク西部と北部の機会をつかみ、一定期間でも聖域を確立して見せれば、世界のイスラーム主義過激派の中で一気に威信を高めるだろう。
また、今回のモースル占拠や各地の掌握は、ISISそのものが強大化したというよりは、イラク中央政府とマーリキー首相に対する不満・不信・敵意を募らせた各地の勢力が、ISISと呼応して膨れ上がった可能性がある。ISISがいかに戦闘能力が高いとは言っても、このような短期間でここまで組織を拡大し、版図を広げることは考えにくい。イラク中央政府への反発からISISの支配に期待する民意が急激な伸長の背後にあるのではないか。モースルをはじめ各地のイラク政府軍部隊が、司令官をはじめ平服に着替えて逃走しているところから、中央政府の求心力が軍の中でも効いていない可能性がある。
イラク内戦の多層的なシナリオ
イスラーム主義過激派による領域支配の出現という点だけでなく、より多方面への影響が危惧される。ISISの伸長は、イラクの諸勢力と周辺地域を巻き込んだ、幾層にも対立構図が交錯した本格的な内戦に結びつき、それをきっかけとして地域秩序の再編につながるかもしれない。
第1の要素が宗派紛争である。ISISは激しい反シーア派のイデオロギーを掲げており、シーア派が優位のイラク中央政府と激しく対立するだけでなく、シーア派住民への攻撃を行いかねない。シーア派諸勢力がそれを座視しているとは考えられず、南部のシーア派地域に侵攻、支配すれば激しい宗派対立をもたらすだろう。すでにシーア派諸勢力の武装化・民兵化が呼びかけられている。イラク戦争後に、「イラクのアル・カーイダ」を率いたアブー・ムスアブ・ザルカーウィーが反シーア派のイデオロギーを宣揚し、2006年から2008年にかけての激しい宗派紛争をもたらしたが、ISISはこれを再燃させかねない。
また、マーリキー政権はISISを「テロリスト」として過剰な攻撃を行いかねず、スンナ派地域への爆撃など、スンナ派住民全体への報復と取られる手段がとられた場合、各地で武装蜂起が呼応するかもしれない。
また、バグダードのような宗派混住地域では武装集団同士の衝突やテロの応酬が生じかねない。
第2の要素がクルド問題である。ISISの伸長はすでに、くすぶっていたクルド問題を劇的に動かしている。イラク北部のクルド人地域では、1991年の湾岸戦争の際に反フセイン政権で蜂起が起こったが鎮圧され、米国・英国による飛行禁止空域の設定でかろうじて庇護されて、事実上の自治を行ってきた。2003年のフセイン政権崩壊後は、イラク中央政府で大統領や外相など主要ポストを与えられつつ、北部3県(ドホーク、エルビール、スレイマーニーヤ)にクルディスターン地域政府を設立し、連邦的な枠組みの中での高度な自治を法的にも確保した。しかしクルディスターン地域政府の管轄外にもクルド人が多数を占め、歴史的にクルディスターンに帰属していると見なされている土地がある。代表的なのは大規模な油田を抱えるキルクークである。
モースルを含むニネヴェ県もクルド人とアラブ人が混住する。クルディスターン地域で産出する原油の輸出収入の配分と共に、クルド人から見ればクルディスターンに属すると主張するこれらの地域の帰属に関して、武力で決着をつける動きが進みかねない。
現に、ISISのモースル掌握、イラク政府軍の北部からの撤退を受けて、クルド人の武装組織ペシュメルガがキルクークを掌握したとされる。ISISに刺激され、政府軍の撤退の好機を受けて、クルド勢力が軍事的に版図拡大に乗り出したことで、今後のイラク中央政府との衝突が危惧される。
構図はシリア北部・北東部と似ている。シリアではアサド政権に対する武装蜂起が各地で行われ、政府軍がクルド人地域から撤退すると、反政府派とは一線を画したクルド勢力が各地を掌握し、自治を行っている。政府側と反政府側のどちらからも距離を置いて「漁夫の利」を狙うクルド勢力は、紛争の次の段階においては逆に諸勢力から追及されかねない。
イスラーム主義の聖域か、シーア派の弧か
第3の要素が内戦の国際化と地域秩序の再編である。内戦はイラクにとどまらず、周辺の地域大国を巻き込んで複雑化しかねない。イランはシーア派の聖地や住民を守るためと称して公然と軍事介入・攪乱工作を強めていくだろう。宗教の教義を巡る争いというよりは、ペルシア湾岸を挟んでイランとサウジアラビアの地政学的な闘争がイラクを舞台に繰り広げられているという構図だ。イラク内外の諸勢力が、イランとサウジアラビアの代理戦争に動員されることで、状況は一層複雑化し、収拾がつかなくなる可能性がある。
ISISはイラクとシリアの双方に拠点を持ち、往復しながら勢力を拡大させた。ISISの活動や一定の領域実効支配が長期化・定着すれば、イラクとシリアの国境・領土の一体性は致命的に損なわれる。中東の国境再編という「パンドラの箱」が開きかねない。そして、イランはそこに乗じて介入し、イランからイラク、シリア、レバノンへと至る「シーア派の弧」に支配を広げるという帝国的野心を高めるかもしれない。米国の覇権が衰退局面にあるという印象が広まっている中東においては、そのような野心をイランが抱いたとしてもだれも驚かないだろう。
ISISはイラクとシリアにイスラーム主義過激派の聖域を成立させるのか。あるいはそれに乗じてイランはシーア派の弧を拡張して飲み込むのか。その間隙を縫ってクルド勢力が悲願の支配地域拡大を果たすのか。
影響は地域内にとどまらない。モースルやファッルージャといったイラクの北部や中部の治安の流動化は、米国にとっても意味は大きい。ブッシュ政権時代の後半に、ペトレイアス将軍による「サージ(増派攻勢)」でテロリストを掃討して「平定」したことで、イラク戦争を「成功」とみなして撤退する根拠となったが、米国がかろうじて確保したイラクでの成果を、ISISの攻勢は一掃してしまった。米国の世論に与える衝撃は大きい。短期的にはそれはオバマ政権の「弱腰」に起因するものとして米国の内政上は議論されるだろうし、オバマ政権にとってはこれに実効性ある対処策を講じられなければ決定的に威信と影響力が低下してしまう。地上軍の派遣はあり得ないが、ドローン(無人飛行機)による攻撃などで参戦し、一層複雑化する可能性もある。
ISISそのものは、その過酷な統治のスタイルや計画性のない行動などから、領域支配を長期的に持続し拡大することはできないかもしれない。しかしISISの伸長が、危ういバランスによってかろうじて保たれていたイラクの領域主権国家というフィクションを突き崩し、解体・雲散霧消させるきっかけとなるかもしれない。
(池内恵)
イラク情勢について、13~14日の動きを、イランの介入を中心にささっとまとめました。
池内恵「イラク内戦に介入するイランが米国に囁く「協力」」『フォーサイト』中東の部屋、2014年6月15日
2005年に『フォーサイト』(当時は月刊・紙媒体だった)に書いた「イラクのどこに希望を見いだすのか 「新国家」成立を左右するキルクーク問題」『フォーサイト』2005年12月号、をフォーサイトの過去記事から引っ張り出して読んでみると、対立の基本構図は全然変わっていないな、と思いました。
2005年末に成立した現体制で不満を持つ中部と北部の4県のスンナ派勢力の取り込みができないまま、テロとか宗派紛争とか、米軍のサージ(増派攻勢)で抑え込んだりといったことをしているうちに時間がたってしまったわけです。米軍が2011年末に撤退すると、マーリキー政権は強硬策しかとらずに不満を放置。ついにISISが台頭してしまった。
また、先日のテレビ朝日に対するコメントで、イランが介入し、それを米国が黙認して、むしろサウジとかが米国から敵視されるようになったらすごい変化ですね、といったことを「専門家ならだいたいこう思うでしょ」程度の想像で話したら、番組で使われていましたが、それがすでに現実になりかけている気配もあります。
オバマ政権がイランとの合意に賭けていますから。イランもあまーいささやきをしています。
2005年の憲法制定以来、テロや宗派紛争はあっても、問題の構図は変わらなかったイラクを巡る情勢が、一気に動き出しているのかもしれません。
以下に本文の冒頭を張り付けておきます。【追記:のちに無料公開に切り替わりましたので、全文を張り付けておきます。ただし英語などへの参考記事へのリンクは貼っていないので、フォーサイトから辿って行ってください】
6月10日にイラク北部モースルを制圧したISIS(イラクとシャームのイスラーム国家)は南下してバグダードに向かった。これに対してマーリキー首相は13日にサーマッラーを訪問して軍・部隊にテコ入れした。同日の金曜礼拝ではイラクのシーア派宗教指導者の最高権威シスターニー師の声明が読み上げられ、シーア派信徒に祖国防衛のための義勇兵として参集するよう呼びかけた。サーマッラーに配置されたイラク国軍部隊はISISの襲撃予告を受けて多くが離脱してしまったようだが、マーリキー政権支持派の民兵組織やシーア派義勇兵を動員してISISの攻勢を食い止めているようだ。
ISISの勢力範囲は、スンナ派が大多数を占める4県、すなわちニネヴェ、アンバール、サラーフッディーン、ディヤーラで急速に拡大したが、その外では住民の支持をそれほど得られないだろう。イラク戦争後の体制を定めた2005年10月の憲法制定国民投票では、これらの県では軒並み過半数あるいは3分の2が反対票を投じていた。それに対してクルド3県や、シーア派が多い9県、そして首都バグダードやキルクークではいずれも圧倒的多数が現憲法に賛成票を投じた【「イラクのどこに希望を見いだすのか 「新国家」成立を左右するキルクーク問題」『フォーサイト』2005年12月号】。2006年以降急激に増えたテロや宗派紛争、そして過激派の伸長は、現体制の制度の枠内で政治を行うことにそもそも否定的なスンナ派諸勢力と、シーア派主体の現政権が、妥協を拒否し対決し続けているところに由来する。
気になるのがイランの動きである。13日、イラン革命防衛隊の高官で、シリアやレバノンの紛争に介入してきたクドゥス部隊を統率するスレイマーニー少将がバグダード入りし、マーリキー政権高官や、民兵組織の指導者、アンバール県のスンナ派部族指導者などと会合を持ったと報じられている。イランはすでに先遣隊2000人を送り込んでいるとも明かしている。マーリキー政権もイランに支援を仰ぐ可能性を公にしている。
米オバマ政権もISISのイラクでの伸張は米の国益を脅かすと言明、軍事的なものを含む対処策を検討しているが、イランの素早い動きに先を越されている。イラクのマーリキー政権はシーア派主導でイランの影響力が強いとはいえイランの支配下にはなかった。基本的には米国の支援によって軍事・安全保障を支えられており、マーリキーが首相の座に長期間座っていられた原因の一つも、米国から見て「イランに近すぎない」からだ。
しかしこのままでは、マーリキー政権はイランに頼らざるを得ず、ISISの伸長を好機に、イラクの政権や国土全体にイランの影響力が増大することになる。米国がふんだんに供与した兵器や設備を使って、イランに支えられたマーリキー政権が、イランの反米活動の先兵となってきた革命防衛隊やバシジ(民兵)と共にスンナ派の過激派と戦うというのは、少し前なら想像もできなかった非現実的な光景だ。
しかし中東への直接的な介入を忌避し、イラン核開発問題での合意を政権の外交成果としようとするオバマ政権の意志が明確になっている現在、イラクをめぐってイランと米国が同盟するというシナリオすら全く想像不可能なものではなくなっている。
「泣く子も黙る」コワモテのスレイマーニー少将の暗躍に並行して、イランが繰り出しているのは「甘いささやき(charm offensive)」である。匿名の高官が米国との協力の可能性をささやくだけでなく、ついには14日にロウハーニー大統領自身が「米国と協力する用意がある」と明言した。
うますぎる話である。
アメリカの力を利用し、イスラーム主義過激派の挑戦を逆手にとって、イラクに勢力圏を築く、というイランの「地政学上の合気道」のお手並み拝見というところか。
(池内恵)
ISISがモースルを制圧し、ティクリートを陥落させてさらに南下するなか、モースルとバグダードの中間地点の少し南、バグダードの北部125キロに位置するサーマッラーが焦点となっています。
「地図で見る中東情勢」の第3回、今日は簡単な地図から。あとは写真も見てみましょう。
北部でイラク政府軍が崩壊して逃走する中、マーリキー政権は政権に中枢を誓う部隊の引き締めと、政権支持層の多いシーア派系市民の武装民兵化によって対抗しようとしているようです。
13日の金曜礼拝で読み上げられた、シーア派宗教指導者のイラクでの最高権威のシスターニー師による声明では、義勇兵となって首都防衛にあたるようにと説いています。これに応じて義勇兵に登録する人々の姿がイラク国営テレビなどでは盛んに流されています。
13日、マーリキー首相はサーマッラーを訪問し治安担当者と会議。前線で指揮を執った形です。
前日12日、サーマッラーでも、ISISからの脅迫電話に怯えて配置されていたイラク軍部隊がまとめて脱走してしまったようです。マーリキー首相はどの部隊を指揮しているのか。政権有力者の直轄部隊でも投入したのでしょうか。あるいは(同じことかもしれませんが)政権有力者傘下のシーア派民兵組織に頼っているのかもしれません。
中央政府からのテコ入れと、シーア派義勇兵の参入で、今のところ、モースル占拠後のISISの南下はサーマッラーで食い止められているようです。
サーマッラーは、住民はスンナ派(←「スンニー派」でもどっちでもいいです。名詞か形容詞かの違いだけ)の方が多いですが、シーア派で尊崇の対象となるアスカリー・モスク(Al-Askari Mosque)があります。
アスカリー・モスクは、シーア派(12イマーム派)の第10代・11代のイマーム(最高指導者)を祀ったモスクです。第10代がアリー・アル=ハーディー(アル=ナーキーとも呼ばれる)、第11代がその息子でハサン・アスカリーという名です。両者を「アスカリーのイマーム」とシーア派では読んでいます。
アスカリー・モスクは黄金のドームと、二本の黄金のミナレットを特徴としています。
アスカリー・モスクの元々の姿
出典:Al-Islam.org Ahlul Bayt Digital Islamic Library
スンナ派は、シーア派の独特の教義であるイマーム崇拝そのものを異端と考えています。しかしシーア派の王朝が支配していたり、サダム・フセインの世俗主義的で強権的な統治が行われている時代は、シーア派の教義を問題視して敵視する運動はほとんど表面化しませんでした。
それが、サダム・フセイン政権崩壊後、特に現行の新体制がスンナ派にとって不利な形で2005年末に成立して以降、宗派紛争の扇動が行われ、呼応するスンナ派勢力や、それに対して武装して対抗するシーア派民兵、露骨にシーア派側に立ってスンナ派をまとめて弾圧・排除するシーア派主体の中央政府の存在で、一気に問題が噴出しました。
2003年のフセイン政権崩壊直後から宗派紛争の可能性は指摘され、扇動もなされていましたが、危うい均衡が保たれていました。紛争の勃発の火をつけたのが、2006年と2007年に行われた、サーマッラーのアスカリー・モスクの爆破です。
この挑発に、シーア派側が民兵集団による報復で応え、中央政府軍・警察によるスンナ派全体への懲罰的政策で答えたことで、激しい宗派紛争に落ち込んでしまいました。
2007年から2008年に行われた米軍の増派攻勢(サージ)による硬軟両方の戦略で、一度は押さえ込みましたが、火種はくすぶっています。シリア内戦の泥沼化で足場を得たISISが再び宗派紛争を煽るためにここをもう一度攻撃すれば、象徴的な意味もあって全土に宗派紛争が再発しかねません。
2006年2月22日の第1回目の爆破では黄金のドームが大破。
ニューヨーク・タイムズ紙では前後を比較してくれています。
2007年6月13日の2回目の爆破では、残りのミナレットも破壊されました。
アスカリー・モスクは現在再建中で、昨年末の段階で、かなり完成に近づいていたようですが、ここで再び破壊されるようなことがあると、宗派間対立の感情を燃え上がらせてしまうでしょう。
サーマッラーは、バグダードに至る途中の要衝であると共に、象徴的な意味を持つ聖地です。そして、イラクの過去10年の紛争の中で、象徴を帯びた事件の記憶を抱えています。
マーリキー首相と政府軍は、地理的な重要性だけでなく、象徴的にも、ここの防衛を重視しているのではないかと思います。
もしISISがサーマッラーを超えてしまうと、後はバグダード北東郊外に位置するシーア派の貧困層が集まるサドル・シティまで一直線ですので、好戦的なシーア派民兵との衝突が予想されます。
ISISは、テロを多用するような本体部分の規模は、どう多く見積もってもせいぜい1万人と思います。中核メンバーは800人程度とすら本来は言われており、信念の堅い、出身地や居住地を離れて越境してでも転戦しようというメンバーはその程度ではないかとも思います。
それをはるかに超える人数が今参加しているように見えるのは、宗教的な政治イデオロギーを同じくするというよりは、マーリキー政権に失望し、敵意を募らせる各勢力が、ISISの軍事力や北部での一定の民心掌握力に惹かれて同調しているのでしょう。旧フセイン政権派の流れをくむ、旧軍人や、スンナ派の部族勢力などが、マーリキー政権の政策に反対して、ISISについているのではないか。
マーリキー政権が、強硬策だけでなく、米軍が2007年から2008年に「サージ(Surge増派攻勢)」で行ったような、スンナ派有力者を取り込む懐柔策を駆使できるかが問われています。
ペトレウス将軍の指揮した増派攻勢では、圧倒的な軍事力で制圧するだけでなく、スンナ派の土着の有力者・支配層の取り込みを行うことが一つの柱でした。西部アンバール県の部族有力者などを取り込んで(悪い言い方では賄賂を使って)、武装民兵のネットワーク「サハワ(目覚め)」を組織させ、アル=カーイダ系武装組織に立ち向かわせた。
2011年末の米軍撤退後、マーリキー政権がこの経験を放棄して、スンナ派の有力者や武装民兵組織の政府内への取り込みを行わず、逆に敵視したことが、ISISの伸長の要因となっていると見られます。
「サハワ(目覚め)」の一部の指導者が、マーリキー政権に従ってISISと戦うと声明を出しているという情報もありますが、どの程度の規模の支持があるのかわかりません。また、西部のアンバール県と、北部のニネヴェ県(モースルを含む)では事情が違うのではないかとも思います。
悪夢のシナリオは、マーリキー政権は懲りずに宗派間対立でシーア派民兵を駆使して勝ち抜くという選択をし、それをイランが支援してさらに影響力・支配を強め、中東から距離を置きたいアメリカ、イラン接近で外交成果を出したいオバマ政権が黙認して、結果として宗派紛争の激化の末にイラクがイランの支配下に入り、「迫害」「占領」に憤るアラブ世界から過激な義勇兵と資金が流れ込んで紛争がさらに悪化、というものです。
そうなるとは限りませんが、それなりに現実味があります。
6月13日のテレビ朝日報道ステーションで放映された録画インタビューの内容をかいつまんで採録。
番組ホームページの短い要約「イラク危機、イラン介入で泥沼化か」では、次の部分が採録されています。
〔前略〕シーア派世間打倒を目指す湾岸諸国から大量の資金提供を受けたISISは、今年に入ってからイラク制圧を本格化させた。アメリカの複数のメディアは、イランがすでにイラク国内に部隊を派遣し、ISISと戦闘中と報じている。東京大学先端科学技術研究センターの池内恵准教授は「イラクの主要な部分をISISとの内戦を勝ち抜くという形で制圧して、非常に幅広いイランの軍事的な影響力が及ぶエリアができる可能性がある」と話す。〔後略〕
*これ以外に、ISISの性質を「国際テロ組織」とすると、現在のイラクでは実態にそぐわない面がある。テロを重要な手段として用いているが、それだけでなく、イスラーム国家を設立しようとし、実際に領域の実効支配をしている点で質が異なる、という部分も使われていました。ただし「領域の実効支配」という部分は削られていました。
*イランと米国がマーリキー政権政権への支援で協調あるいは一致したりすると、サウジやクウェートやカタールなどシリアとイラクの過激派を2013年まで支援してきたアラブの湾岸産油国がむしろ米国から敵視されたりすると、中東政治の構図がすごい代わりますね、という部分も使われていました。
全般に「米覇権の衰退後の中東」という流れの中で報じているようです。昨年のエルサレムからの中継(エルサレムより中継で:テレビ朝日報道ステーションでのコメント)の流れと同じですね。
ISISの伸長(発端)→クルドが漁夫の利を得て領域拡大(展開)→ISISの支配は過酷すぎて長続きしない→イランがついにイラクに本格介入して影響圏拡大(大変動)という先の先の方の見通しを話したのですが、その部分がもっぱら使われたようでした。
テレビの録画コメントというものは、突然言われて、初対面の人にぼんやりと聞かれて話した内容のごく一部分をつなぎ合わせて、テレビ局側のストーリーの上に自在に盛り付けられるというものなので、私自身の正確な意図は、あくまでも書いたものの中にあります。
ISISが急激にイラクで勢力を伸張させている件、各紙が競って地図を作っています。
先日は6月10日ごろまでの情勢に対応した地図を各種紹介しましたが(【地図と解説】イラクとシャームのイスラーム国家(ISIS)の支配領域)、たぶん好評だったので調子に乗って続編。
ウォール・ストリート・ジャーナルはモースルを制圧してから南下するISISの動きを中心に、代替の勢力範囲を図示。都市の外は砂漠なので領域は確定しがたいですが。また、6月11~12日ごろから、クルド勢力がイラク政府軍のイラク北部での崩壊・撤退に乗じてキルクークなどを制圧している件も図示してあります。
エコノミストも、シリアのラッカ県からデリゾール県、イラクのニネヴェ県からアンバール県一帯を、ISISが支配下に置いたか進出した範囲として薄茶色で表示しています(本当にこのエリア一体を領域支配できているかは分かりませんが)。
さらに、シリア北部のクルド勢力の飛び地的な自治領域を黄緑色で図示し、イラク北部でもクルド地域政府(KRG)の領域(北部三県)を超えて、キルクークなどを含む拡大クルド勢力圏を「事実上の(de facto)クルド地域」として薄緑色で塗っています。
なかなか芸が細かいです。クルド勢力の支配エリアを、北部3県のクルド地域政府の正式な領域を超えて、現在の実勢に合う形で塗りかえてあります。イラク北部ニネヴェ県のうちモースルより北はクルド勢力が支配し、モースルとそれより南はISISの支配領域としています。同様に、キルクーク県も県都キルクークより北はクルド勢力の領域、それより南はISISの支配領域とし、中部のサラーフッディーン県もその東側のクルド地域に食い込んだ部分はクルド勢力の支配下、西のバイジーやティクリートやサーマッラーを含む地域にISISが進出していると示しています。
シリアのクルド勢力は黄緑色、イラクのクルド勢力は薄緑色と分けているのも秀逸。両者はあまり連携していませんし、派閥・党派対立もしているから。
薄茶色のISISの領域はべったり領域支配しているとは限りませんし、細かい所は確認しようがありませんが、エコノミストはそこは上手に「presence, city controled or contested」と幅広く定義してあります。さすが英語上手だ。
マニアックなのはFTで、イラクからシリアの国境を中心にしたISISの進出エリアと、油田地帯の地図を重ねています。ISISが自律的な領域支配を持続しうるか、油田の確保という視点から見たものと言えます。クルド勢力の版図と油田の関係も分かります。
さて、次は本丸というべきイランの影響力について、地図で考えてみましょう。シリア・イラクだけでなくもっと広域になります。続けて読んでいる方はご自分で探してみてもいいでしょう。
本日6月13日の、テレビ朝日報道ステーションに録画のコメントが使われるかもしれません。
テーマはISISのイラクでの勢力拡大について。
イラク情勢について、『フォーサイト』で基本的な見方をまとめました。
池内恵「イラクとシャームのイスラーム国家(ISIS)はイラク国家を崩壊させるか」『フォーサイト』専門家の部屋、2014年6月13日
6月10日にイラク北部モースルを、イスラーム主義過激派集団の「イラクとシャームのイスラーム国家(ISIS)」が掌握した。ISISの勢いは収まらず、南下して、バイジーやティクリートといったイラク中部の主要都市を制圧し、首都バグダードに迫ろうという勢いである。
2003年のイラク戦争以後、テロが止まず不安定と混乱でぐずつくイラク情勢だが、ISISの伸長が、全体構図に玉突き状に変更を迫り、周辺諸国や地域大国を巻き込んだ内戦に発展する危険性がある。
「国際テロ組織」の範囲を超えた武装民兵組織
ISISは「アル=カーイダ系の国際テロ組織」と通常形容されるが、現在の活動はそのような形容の範囲を超えている。昨年3月にはシリア東部の主要都市ラッカを制圧し、今年1月にはイラク西部アンバール県のファッルージャを掌握、県都ラマーディーの多くも支配下に置いていた。
確かに組織の発端はイラク戦争でフセイン政権が倒れたのちの米駐留軍に対抗する武装勢力の一つとして現れた「イラクのアル・カーイダ」だった。しかしシリア内戦への介入をめぐって、ビン・ラーディンやその後継者をもって任ずるアイマン・ザワーヒリーの「アル・カーイダ中枢」とは対立し、袂を分かっている。
自爆テロを多用する手法には共通している面があるが、それは手段の一部であり、領域支配といったより大きな政治的野心を持つに至っているようである。イラク北部・西部や、シリア東部での活動ではテロを実行するだけでなく、内戦・紛争の混乱状況の中とはいえ、局地的に実効支配を試みている。所在を隠したテロ集団ではなく、政治勢力の一角に場所を確保する存在となりつつある。
【以下はフォーサイトで…】
ISISの背景や関連する問題については、次のような文章も書いています。
シリアのアル=カーイダ系組織の不穏な動向『フォーサイト』2013年4月12日
シリアの地場のイスラーム系諸民兵集団が連合組織を結成『フォーサイト』2013年11月23日
シリア問題を「対テロ戦争」にすり替えようと試みるアサド政権『フォーサイト』2014年1月23日
6月10日にISISがイラク北部の主要都市モースルを掌握。これは衝撃的ですね。しかも勢力を伸ばして南下し、バグダードに迫る勢いです。
モースルはどこかというと、
ISISの今年に入ってからの勢力伸長を図示した分かりやすい地図がワシントン・ポストに載っていました。
今年1月には西部アンバール県の県都ラマーディーとファッルージャをISISが制圧していました。スンナ派が圧倒的多数を占めるアンバール県で、各種の抗議行動が生じて中央政府に異議を唱え、武装蜂起(insurgency)が駐留米軍やシーア派主体のマーリキー政権のイラク国軍・治安部隊を脅かすというのは、2003年のイラク戦争以来、断続的に続いてきた現象です。ファッルージャは首都バグダードの西60キロほどですから、首都の西のすぐそばをしばしば武装蜂起が脅かしてきたことになります。
しかし今回は北部の中心都市・イラク第二の都市であるモースルを制圧し、さらに中部のバイジー、ティクリート(サダム・フセインの故郷)をも制圧して、首都に向かって南下している、という点で、これまでと違っています。
ラマーディーとファッルージャはユーフラテス河に沿ってシリア東部につながる地帯ですが、モースルはチグリス河沿いです。地図を見てみると、チグリス川の上流はシリア・トルコそしてイラクの国境三角地帯を通っていくのですね。
そしてモースルはクルド人とアラブ人の混住地域の中にあります。
出典:Oil and Gas Investment Bulletin
イラクのクルド人は1991年の湾岸戦争後に、事実上の自治・半独立の立場を確保しました。イラク戦争によるフセイン政権崩壊後は、北部のクルド三県(ドホーク、エルビール、スレイマーニーヤ)には自治政府を持つ「地域」としての地位を与えられ、クルディスターン地域政府を設立するとともに、イラクの大統領職も割り当てられてきました。
しかしクルド人とアラブ人の混住地域は、クルディスターン地域政府の管轄範囲の外に残されています。この地図では赤の点線より北の範囲ですね。歴史的にクルド地域との結びつきの深いキルクークと並んで、北部の最大都市モースルもそのような中間エリアに属しています。クルディスターン地域政府の管轄と中央政府の管轄が競合し、「アラブ対クルド」という民族紛争が潜在的に起こりかねなかった地域に、突如としてイスラーム過激派という第三の勢力が入ってきて、事態をさらに複雑化させた形です。
他にも地図を見てみましょう。
ISISの特徴は、イラクとシリアの双方に活動範囲を伸ばしていることです。(こちらはニューヨーク・タイムズから。キャプチャして縮小したので画像が荒いですね・・・出典元のページを見てください)
シリアでのISISの活動をもう少し細かく見てみると、このような状況。
緑の印がISISがシリアで勢力を伸張させた地点です。黄色の点で示された複雑な紛争にもISISは絡んでいることが多い。
ユーフラテス河沿いに、イラクとの国境のアブー・カマールと、その上流の拠点都市ラッカを制圧していますね。その中間の主要都市デリゾールも包囲しているという報道があります。
それだけではなく、西北部にも進出しています。トルコとの国境で反政府勢力の物資の供給に不可欠の重要性を持つアアザーズを反政府派の自由シリア軍が制圧していました。しかし2013年9月、そこにISISが介入してきて自由シリア軍を攻撃して制圧・支配しました。その後反政府派の間での衝突が激化し、アサド政権は一息つくことになりました。その後アーザーズをめぐってISISはイスラーム主義過激派のヌスラ戦線とも衝突を繰り広げるなど、反政府勢力内部の亀裂をさらに広げました。ISISは反アサドであるのでしょうが、反政府派の足を引っ張る組織として注目されたのはこの時です。
ホムスにも緑の印がついています。ホムスは2011年の紛争の勃発の初期段階から反政府勢力の象徴的な場所となり、政府軍による長期化する包囲が続いていました。ここにISISが浸透してきたことで、「勝利してもイスラーム過激派に支配されるのか」と反政府側にも厭戦気分が広がりました。そこから、ホムスでの局地停戦と5月7日の反政府派撤退につながりました。
このように、ISISはシリアの内戦では、アサド政権側とも反政府側とも言い難く、状況を複雑化させる要素になっています。アサド政権にとっては、「政権が倒れればイスラーム主義過激派が政権を取る」と自らの存在意義を国民と国際社会に印象づけるための格好の宣伝材料になります。
もっとも、アサド政権が自国民を殺害し続け、国際社会がそれを座視しているから、それに憤る人たちがイスラーム教の理念に照らして現状を不正とみなし、ジハードを掲げて国内外から集まってくるという構図が、より正確な認識でしょう。
イラクの内政上は次の二点が重要です。
(1)これまでイラクでは、大きく分けると、シーア派(人口最大)、スンナ派(人口少ないが周辺アラブ諸国では多数派)、クルド人(民族独立の希求強い)の三つの勢力による対立というのが基本構図でした。ところがここに、ISISというスンナ派の急進的な宗教政治思想を掲げた勢力が台頭し、基本構図を揺るがしている。
(2)これまでのイラクのスンナ派の武装勢力は土着の自警団的な武装組織や部族的な紐帯で結束する組織など、基本的にイラクの国境の中、さらに自分たちの居住する地域に問題関心を限定させ、その上で占領軍や意に沿わない中央政府に反乱を繰り広げてきた。ところがISISは国境を越えてシリアとイラクにまたがって活動をしているものとみられる。
単に国境の向こうに行けば中央政府が追ってこないからという「便利さ」からシリアとイラクを行ったり来たりしているだけなのかもしれないが、支配エリアの拡大・支配の長期化があれば、場合によっては「国境の再編」につながりかねない。もちろん国際社会がそれを認めるとは思えませんが、実態として国境がなくなってしまう可能性がある。
すでにイラクはクルド地域の自立化でどんどん国境・国土の一体性が不分明になっていますし、シリアは国土のかなりの部分を中央政府が掌握していない(爆撃とかはしているが)。そこにとどめの一撃となるかもしれません。
また、土着の勢力だけではなく、国際的な要因の流入、つまりグローバル・ジハード的な運動として性質を多分に含むと考えられます。それが将来の国際テロの温床・発信源として危惧されるゆえんです。
昨年を通じて、イラクはイラク戦争後の内戦を経ていったん鎮静化しかけたテロが再び激化し、混乱しましたが、今年になってそれがテロにとどまらず、ISISによる局地的な領域支配に転化しているところが、全体状況の変容をうかがわせるところです。
ISISとはIslamic State in Iraq and Sham(イラクとシャームのイスラーム国家)の略で、ISIL(Islamic State in Iraq and Levant:イラクとレバントのイスラーム国家)と呼ばれることもあります。シャームとは現在のシリア・レバノン・ヨルダンを含む「歴史的シリア」のこと。
もともとはイラク戦争直後から、アブー・ムスアブ・ザルカーウィーを中心に形成されてきましたが、2006年に「イラクのイスラーム国家」を宣言。ザルカーウィーの死後、アブーバクル・バグダーディーが指導者として台頭します。そして2011年のシリアでの反政府抗議行動が内戦と化す中で、2013年にはシリアの「ヌスラ戦線」と一時合併して「イラクとシャームのイスラーム国家」を名乗りました。しかしヌスラ戦線の指導部は当初からこの合併に否定的で、さらにアル=カーイダ中枢の最高指導者のザワーヒリーが合併を否定して、イラクとシリアそれぞれで別に活動するように説教したりと、混乱しました。
ISISはアル=カーイダの影響を受けてはいますが、弱体化したアル=カーイダ中枢の指揮命令系統にあるわけではなく、理念を継承したうえで、米国(あるいはキリスト教・ユダヤ教徒)の支配の打倒を目指す国際テロよりも、イラクとシリアの土着の固有の政治情勢の中で、現地の支配権力(マーリキー政権やアサド政権)に対する武装蜂起(insurgency)を行うことを主とする組織です。
対キリスト教徒・ユダヤ教徒への敵意はありますが、それよりもスンナ派としてシーア派に対する敵愾心が強いのがISISの特徴です。
さらに、シリアやイラクの政権やシーア派に対して敵対的なだけでなく、支配領域においてスンナ派の一般住民にも過酷で宗教的強権支配を行うので、恐れられています。しかしそのような統治こそがイスラーム教の教えだと信じる人も一定数おり、決して「狂信者」と言いうる存在ではありません。行動においては明らかに一方的で粗暴な面がありますが、それが何らかの特殊な教義に基づいているからとはいえません。
ISISは「アル=カーイダ」なのか、というと、これは複雑な問題です。そもそも「アル=カーイダ」は、2001年にビン・ラーディンを中心に国際テロを起こした時代と今では異なる組織になっています。ただし全く別物ではなく、アル=カーイダが広めた思想を通じてアル=カーイダは続いていると言えます。
アル=カーイダが広めた政治思想や、シンボルなどを、ISISは継承していますし、もともとアル=カーイダを名乗っていました。しかしザワーヒリーの指令に従っていないように、組織や戦略・戦術目標は異なり、自立しています。
アル=カーイダ中枢の「組織」「司令部」としての存在はほとんどなくなったが、アル=カーイダが広めたあるタイプのジハード思想は広まり、定着し、各地の状況に応じて新たな指導者が出てきて新たな組織を作っていくということでしょう。
6月10日発売の『文藝春秋』7月号に寄稿しました。
『文藝春秋』はコンビニにもあるんですね、ということを初めて意識しました。
池内恵「必須教養は「アメリカの世界戦略と現代史」」『文藝春秋』2014年7月号、320-327頁
「教養」特集という、ブックガイドと並んでよく月刊誌でやっているような特集の枠で依頼を受けたのですが、意識としては『フォーリン・アフェアーズ』で行われているような議論を日本の読者にもわかるような形で書き直しました。
「教養」と依頼を受けても皆目見当がつかないし、そもそもひどく忙しくて曖昧なテーマに対して何かを書くという余裕がないので、編集部の方に来てもらい、語りおろし的なことをやった上で、いつも通りほぼ全面的に書き換えています。編集部が聞き取ってその中からテーマと並べ方を決めたうえで私が書き直しているので、自分一人で最初から書き起こしたら書かなかったであろうテーマや論点が入ります。編集部から提示される草稿を見るのは毎回かなりの精神的な苦痛、というかショックを受けます。私一人で書けば絶対に書かなかったであろう論点が大きく前面に出ていたり、過剰に政治的な姿勢が強く出ているようにまとめられていたりするからです。
しかし落ち着いて考えると確かに、意味のある論点ではあり、日本で求められている論点でもあるのだな、とそれなりに納得します。そのうえで、研究者として致命的なダメージを受けることがないように、語彙を正確にし、必要なバランスを取り、一定の理論的な脈略にもつなげるために、せっせと書き直すわけです。
編集部は「教養」のうち「世界史」的な方面を私に受け持たせたかったようで、特に「年号」をいくつも出させようとしていましたが、そもそも私は思想史なのであまり年号を気にしたことがない。年号を特定できるような「事件」で世の中が動くとは考えていません。
また、世界史というと年号を覚えさせられた記憶しかない、という受験の呪縛を、読者には解いていただきたいものですから、衒学的にいろいろな年号を並べることはいたしません。
しかしもちろん「年号」には意味があるわけで、編集部に無理やり「年号」を吐き出させられていると、それなりに有益な議論につながりました。
結局「1945」が最も大事という、一見当たり前の結論になります。で、思想史的にも、国際関係論的にも、1945を基軸にしたものの見方を再認識することは、現在の日本にとって必要なことと思われます。
もう一つ年号を出せと言われれば、「1989」ですね、ということになりました。
これもまたありふれているとみられるかもしれませんが、そもそも突飛なことを言おうとは思っておりませんので・・・
しかし国際社会を基礎づける「規範」がどのような基準に基づいていてそれがどのような変容の過程にあって、そこで日本はどうふるまうべきか、と考えるには、「1945」と「1989」の意味をしっかり理解しておくことは不可欠でしょう。
安倍首相の「戦後レジームからの脱却」という思想が秘める求心力と危うさ、あるいは「弱腰」が危惧される米オバマ政権とどう関係を保つか、あるいは中東情勢を見るにも、ウクライナ問題を見るにも、そして東アジア・東南アジアでの日米中の関係を見るにも、「1945」と「1989」に端を発する、国際社会の支配的な価値規範とその変化を軸に考えていく必要があります。
突然依頼されて突然編集部にインタビューを取られ、急いで書き直したので、5月に読んで考えていたことがストレートに出ている面があります。
『フォーリン・アフェアーズ』誌の電子版を取っているのですが、その5/6月号で興味深い論争がありました。
ネオコンサーバティブ的な思想傾向も感じられるリアリストのウォルター・ラッセル・ミードがオバマ政権への批判を込めて、「地政学の再来」を論じたのに対して、リベラルな多国間主義を基調とするジョン・アイケンベリーが反論するという形の論戦です。
この二つの論稿は、国際関係論のリアリストとリベラリストの考え方を、かなり単刀直入に(粗野に?)分かりやすく示しているという意味でも興味深いものです。これらとあとフォーリン・ポリシー誌などに出ている関連する議論をまとめてブログで紹介しようかなと思っていましたがまったく時間と余裕がなく残念に思っていたところ『文藝春秋』編集部がやってきたので、「年号」で読む世界史にかこつけて、噛み砕いて話をしました。
大枠としては
(1) 「1989」をめぐってはフクヤマ『歴史の終焉』とハンチントン『文明の衝突』が、冷戦後の国際秩序とその規範についての、対立するがどちらも部分的には多くを説明できる思想だったよね。ウクライナ問題を見ても、フクヤマのいうリベラルな民主主義という規範の広がりと、文化・文明的な断層の強固さの両方が表面化してせめぎ合っている。
(2) でも「1989」で決定的にすべてが変わったとする見方には異論があって、現実的にはその異論には説得力があり、なによりも実効性がある。つまり、「1945」を基準・起点にした支配的価値観や国際関係の諸制度と、それを支える米国中心の覇権秩序の中に、私たちは今もいるということは変わりがなかった。
(3) アイケンベリーはそれを「1945年秩序」と定式化した。彼は「1989」では大して物事は変わらなかった、という説の代表的論者で、実際にそれは現実の国際秩序を反映した議論だし、政策論的影響力もある。
ここでのアイケンベリーの議論は『リベラルな秩序か帝国か アメリカと世界政治の行方』(上下巻、勁草書房、2012年)で詳細に論じたものと基本的に変わっていない。秩序は変わっていないと論じ続けているわけである。
(4) 「1945」を大前提とし、「1989」をそれに次ぐ大きな画期とする世界史の流れの中で、日本はどういう立場なんでしょうね?「1945」のどん底から「1989」には頂点に達していた。それぐらいの変化が二つの年号の間にはあった。しかし「1989」は国際社会の規範や制度を決定的に変えるものではなかった。そして「1989」以後の変化を受けて、中国やロシアは「修正主義」の立場をとっている。しかし両国は「1945」の秩序では有利な立場におり、そこに戻ろうとする。日本は「1945」以降の歩みと、「1989」の時点での立場においては、最大限有利になった。しかしその後足場を弱めているだけでなく、うっかり「1945」の時点の秩序に戻されてしまうと不利を蒙る。それを考えると、米国への対し方も、中国との距離の取り方も、歴史認識問題への対処法も、軸が定まるのではないかな?
こういった国際社会の規範という軸で考えると、1945と1989以外の年号は全く覚えなくていいとすら言える。世界史は論理であって暗記モノではないのです。
といったことを、まったく別の表現で語っています。総合雑誌ですので、行ったり来たりしながらけっこう長々と語っているので詳しくは本文を読んでください。
なお、中東だけを見ていると1945年の画期性は見えにくい。中東研究者としての我田引水的業界利益誘導では「イラン革命があった1979年が決定的だ」とか叫ばないといけないのかもしれないが、そういうことはする気がない。
米国が覇権国である事実など、中東の現実は中東の外で決まっている面が大きい。だからやはり1945年は重要なのだ。
これを入稿してしまった後の5月28日に、オバマ大統領がウエストポイント陸軍士官学校の卒業式で演説を行いました。現在の国際政治を見る視点という意味では、私がいろいろと解説するのを読むよりも、オバマの演説を10回読んだ方がいいような気もしますが、オバマ演説の日本向けの解説として『文藝春秋』の拙稿を読んでいただいてもかまわないかと思います。
オバマのウエストポイント演説は、まさにアイケンベリーをそのまま援用したかのような議論によって、「弱腰」批判をはねつけています。一言でいえば「パワーに支えられた多国間主義」でしょうか。多分本当にアイケンベリーが演説にアドバイスしているのではないか。
この演説で、オバマは要するに「1945年秩序」は健在でますます強いよ、と言っているわけです。
演説の組み立て方については、いつも通り非常に理論的で緻密で、何よりも、学問的な通説を踏まえています。オバマは本当に大学の先生みたいだな、という感想を持ちましたが、もちろん重要なのはオバマの演説に見られる個人的なスタイルや性格ではなく、実際にアメリカが政策として何をやるかです。
大統領が「言っていること」とアメリカが「やること」との関係は複雑微妙なので、この演説の政治外交的・安全保障上の意味はまだ測りかねていますが、少なくとも二期にわたるオバマ政権の外交政策の理念はこれで示されたと思います。その結果は「アイケンベリー」だったんだね、というところが、いかにも「大学の先生」らしくて、個人的には納得と共に感慨深いものがあります。オバマ政権も終幕に向かっているんだねえ。とはいっても米大統領の任期の最後の方は国際政治もどたばた動くことが多いので、気を抜くわけにはいきません。
「1945年秩序」が現在をどう形作っているか、その後何が変わったのか、ということを考えながら、例えば先週あったノルマンディー上陸作戦70周年記念式典のニュース(NHKBS1なら欧米各局のさまざまな報道が見られました)を見ると、単なる儀式としてではなく、緊迫した国際政治のせめぎ合いを感じ取ることができて、面白かったのではないかと思います。
本日、6月9日(月)発売の週刊エコノミストの「読書日記」欄に寄稿しました。5人の執筆者が順に担当する欄で、二回目。
今回は新書論。
池内恵「『ジャンクフード』と化した新書の読み方」『週刊エコノミスト』2014年6月17日号(第92巻第27号通巻4349号)、55頁
このブログでもこのテーマについてはだらだらと書きましたが、愚痴ばかりではない前向きな情報も加えて、1頁にまとめました。今回も、電子書籍版やデータベースでは読めません!書店でお買い求めください。
別件の依頼で、ちくま新書のリストをさっと見て価値あるタイトルを抜き出すという作業に1時間ほど没頭してしまったのでその成果も部分的に取り入れました。リスト見るといい本あるじゃないですか。本屋の棚での印象と違うな。
ちくま新書は今年で20周年だそうです。講談社現代新書になると50周年だそうなので、タイトルを全部見るのも時間と労力的に無理そうだ。誰にも頼まれていないか。
うちの原稿はどうした!という声が虚空から3つ4つ聞こえた気がした。トカトントン。それじゃ。
駒場リサーチ・キャンパス(駒場Ⅱ)のキャンパス公開、1日目が終わりました。
私も講演に駆り出されました。
強い雨の中、いらしてくださった皆様、ありがとうございました。
理工系の研究室公開や、「理科教室」があったりするので、高校の社会科見学で、バスに乗って多くの学生が来ていました。
明日二日目は、いよいよ、御厨貴先生のゼミ出身の若手官僚が次々に登壇する大イベントがあります。
御厨先生のテレビ出演の関係で、あまり詰めかけても困るのでそれほど広報をしていないようです。が、この雨では席に余裕が出るかもしれないので、皆様ぜひお運びください。
ここの所どうも体調が優れず、日々の用事をどうにかこなしている状態で、また週明けに重要な〆切が多いので、私は失礼させていただくかもしれませんが・・・
このブログは、ときどきBLOGOSというところに転載されることがあります。
前回の「disappointedいっぱい言ってるよ」も転載されて、いろいろと「支持」や「コメント」がついているようです。
BLOGOSに転載するようになったきっかけは、BLOGOSの編集部が転載させてくれと言ってきたからです。毎回自動的に転載されるわけではなく、編集部が「今回のこれを転載させてください」とメールで連絡してきて、「了承します」と私が返事するとほどなくBLOGOSに設定された私のページにアップされます。
転載にあたっての原稿料・使用料などは受け取っておらず、まったく金銭的な見返りはありません。他の転載者にもたぶん支払われていないと思います。その意味でBLOGOSは「原稿料」すなわち「仕入れ代金」がゼロで営業しているということになります。読者からも料金を取っている様子はないので、各種の広告(的)収入で運営されているのでしょう。
それほど深い気持ちや思い入れで転載を始めたわけではないのですが、「やってもいいな」と思った理由のうち消極的ながら重要だった項目の一つは、もし私が転載を止めたいという気になったときは、通知すれば、過去に転載されたものをすべてサーバーから削除する、という条件を編集部が提示したことです。
転載してもいいんだけど、そのサイトが今後どんなものになるかもわからず、私の文章だってどういう風に使われるか分からないのでは、躊躇します。撤回したくてもずっと使われ続ける・・・というのでは転載する気になりません。しかし明示的に「要求があれば削除します」と言っているのであれば、まあリスクは少ないかな、と安心して了承しました。
出版社はここのところ以前よりも強く、紙媒体に書いたものにかんしても、電子出版やデータベース配信をする権利を、排他的に、かつ事実上無期限に(著作権が存続する期間)認めよ、と著者にさりげなくどさくさまぎれに突き付けてきます。これは感心しません。まず、その分の対価を支払うというところはほとんどありません。タダで商品を得て、無期限で使おうというのは虫のいい話でしょう。もっと問題なのは、権利ばかり押さえようとしていながら、きちんとそれを流通させて読者に届け、代金を回収して商売にするモデルを示さないことです。電子データは「在庫」を抱えるコストがほとんどないので、ただ抱え込んで終わり、ということになりかねません。紙媒体は売れなくなれば絶版にして文字通り裁断しなければならないので、だからこそ作品に二次使用の市場が生まれて流通して生きていくのです。売る当てがないのにタダだからと抱え込んでいく(しかも恒久的・排他的に)出版社には電子出版の許可を出さないことにしています。
もちろん、転載を承諾するにあたっては、まあこのブログに新しい読者がちょっとでも来ればいいな、と思いましたが、そんなに期待はしていません。そもそも中東・イスラーム学というテーマは娯楽的に消費するようなものではありません。本当に必要となった時には雪崩的に関心が集まりますが、ピークが過ぎればみなさんまた日常に戻っていって興味を示さない、というのが、遠い日本においてはごく正常な流れではないでしょうか。このブログは、それでも恒常的にこの分野に関心があるか、職業上関心を持たざるを得ない人がチェックしてアップデートする助けになればいいな、という程度の機能を意識して作っています。
BLOGOSに転載することによって、ちょっとした「市場調査」「世論動向調査」という見返りがあるかもしれない、ともちょっぴりだけ期待しています。あまり正確な調査にはなりえませんが、「無料で非専門的な媒体を読む一般読者の目に触れる場所に記事を置いた場合」という条件のもとで、「どのようなテーマだとこれぐらい読む人がいる」「このテーマだとこのような反応がある」といった、世論・議論の市場動向を、バイアスや誤差はかなり大きいにしても、得る手がかりになるかなと思っています。
そもそも「編集部がどのようなテーマだと転載を依頼してくるのか」という点だけでも、こういった無料のネットのニュース・議論のサイトでの需要という意味での市場調査になります。ただし私はこの種の市場をいかなる意味でもターゲットにはしていないので、単に余暇に興味本位で疑似マーケティングを楽しんでいるだけです。
いくつか転載されたものについたコメントとか、テーマによる反応の多寡とかを見ていると、まあ予想通りではありますが、実際にデータが取れたことは意味があったかなと思います。
私自身が最近積極的に用いているウェブ上の媒体は、一方で「中東・イスラーム学の風姿花伝」(個人・無料・ひたすらモノローグ)があり、他方で、『フォーサイト』(新潮社が発行する雑誌・有料・コメントや読者評価で一定の双方向性がある)があります。BLOGOSはその中間ぐらいでしょうか。
それにしても・・・
読むのも無料、書く側だって原稿料なんかもらっていやしない、そもそも個人ブログで知り合いに向けて書いているものが転載されているだけでBLOGOSのために書いたものではない、という媒体のコメント欄につけてくるコメントが、妙に上から目線なのはなんでなんでしょうね。
「長すぎる。飽きたよ」
「話があっちこっち飛ぶので論説とは言えない」
「三回ぐらいに分けたらいいのでは」
「こんな長いと読者が減る」
「何々が書いていないので不親切」
といった感じのコメントが付くのですが、まあ全く参考にはならないわけではないですが、うーん根本的に勘違いしているな、無料媒体の読者は。
あのね、これ無料なんですよ。読者が購読料を払っているわけでもなく、執筆者が原稿料をもらっているわけでもない。BLOGOSのために書いたわけでもない。個人ブログで自分が書きたい時に、書きたいように、好きなだけの分量を書けるからこそ書いてるんで、ページビューを増やすために細切れにしろとか論旨を単純にしろとか一つのテーマだけにして態度を鮮明にしろとか、全て余計なお世話です。無料で読めているだけでありがたいと思いなさい・・・といったコメントをつけたくなりますが、そう暇ではなく、付き合ってあげる義理もないので、つけません。
まあ無数にある無料のウェブのニュースやら論説はたいていすごく短い。長かったら読まない読者がほとんどというのも確かだろう。ですから、私はそういう読者に読んでもらおうとは最初から思っちゃおらんのだよ。
そういうウェブの文章に慣れている読者のごく一部が、「こういう書き方もあるのか」「そもそもこういう人がいるのか」「こんなテーマがあったのか」とふと気づいてこれまでとは別世界に入るきっかけが生じたりすればそれもいいな、という程度にしか期待していない。
私の仕事の大部分は依然として、有料(あるいは会員制=学会誌だってそうですね)の本や雑誌や新聞の紙媒体に書くことです。それらの仕事を十分すぎるほどいただいているので、ウェブ関連は、極言すれば、どうでもいいと言ってしまっていいようなものです。
『フォーサイト』はウェブになりましたが、ちょうど2011年の中東大変動の際に、有料で限られた読者に向けて、タイムラグなしに書けるという利点を享受しました。書き手として、「後知恵」ではなく、事態が動いていくその瞬間に情報を集めて枠組みを作って見通しを示して、かつそれを発表・記録していくという作業は、得難い体験・訓練となりました。
こういった私の本来の発表媒体との関係からいうと、無料でここにいろいろ書いてしまっていること自体、私に仕事を依頼してくださる人たちにとっては、私がある種の利益相反行為をしているとすら見えてきかねないものです。
基本的には中東・イスラーム学というのは、限られた数の、しかし本当に知見を必要としている人に向かって、対面リアルでやり取りするだけで十分成立します。「イスラーム思想」「中東政治」に関する学術的知見には供給に比較して高い需要がありますし、関連する「カントリー・リスク分析」「エネルギー」「テロ対策」といった「実需」にも支えられています。私の場合はそれを「文芸」方面に一定程度つなげるという仕事も、求められればやっています。
そのため、講演会で講演したり、少人数へブリーフィングしたり、専門家の会合に出てやり取りしたり、といった形で、十分に有益で効率的に発表の場を得て、ささやかながら代償も得ていますので、それに加えてウェブでやっていることというのは、ほんの息抜きなんです。
息抜きだからこそ楽しくやりたいし、質の高いものをやりたい、と思ってはいるが。
定量的にトラッキングしているわけではないが、リアルなやり取りから想像する限り、おそらくこのブログを読んでいる人は実際に仕事上で私と会ったことがあったり今後も会うことがある人たちが多いのではないかと思う。また、実際に本屋で本や雑誌を買って私の文章を読んだり、講演会などに来てやり取りする可能性も高い人たちが多いと思う。そうではない人たちにも一定程度届いている様子があるのはうれしいけれども。
本当に必要な情報というものは、定義上「希少」です。希少な情報は、無料のウェブ媒体でページビューを競ったりはしないものです。たいていはあまり積極的には世の中に向けて広められてはいません。私だって本当は一部の限られた人にだけ発信している方が多く利益を得るのかもしれない。
それでもなおこのブログを書くことの利点があるとすれば、「私が前提としているような認識、中東・イスラーム世界を見るために最低限知っておくべき常識、見ておくべきニュースなどを、なるべく多くの人が知っていてくれれば、私がものを書いたり話したりしたときにより誤解なく受け止められる」ということでしょう。
これはあくまでも推測あるいは期待なので、「広く一般に知ってもらう必要はないのだな」と感じた場合、ブログを止めるか、あるいは有料で情報提供をするといった方向に行くかもしれませんね。
またこういった見当はずれな・・・
無視すればいいのかもしれませんが、ウェブの無料の媒体しか読まない層が増えているようで、その中ではよく読まれているように見える日経ビジネス・オンラインの記事なので、いちおうコメントしておく。
「日本は米国の属国であり続けるのか―」現代日本史の専門家、オーストラリア国立大学のガバン・マコーマック名誉教授に聞く
なる記事で、例の安倍首相の靖国参拝への米国側のdisappointed発言について触れているが、まるっきり現実離れしている。
「日本は米の属国だ」という、極右と極左の民族派を意識したような煽りを繰り返したうえで、
「『失望した』という表現は通常、他国に対しては使わない」と大々的に赤く中見出しを打ち、disappointedという言葉を使ったことこそが米が日本を属国扱いしていることの表れだと主張する。しかも、日本にだけ、disappointedという言葉を使っているがゆえに、日本だけが特に属国なのだと示唆している。
【以下その部分を引用】
そして、日本は従うものだと思っているから、期待外れな事態が起きたりすると、その反応も凄まじい。昨年12月に安倍首相が、米政府による再三の反対にもかかわらず、靖国神社参拝をした時、米政府は「失望した(disappointed)」という表現を使いました。
私も安倍首相は靖国神社に参拝すべきではなかったと思いますが、「失望した」などという言葉は、通常、同じ主権を有する他国に対して使う言葉ではありません。親が子供に対して試験の結果やゲームで負けたりすれば「(期待していたのに)失望した」と言う。あるいは上司が部下にがっかりした場面で使う言葉です。恐らく米国はいかなるほかの主権国に対してもあのような言葉を使ったことは日本以外にないでしょう。
【引用終わり】
はい、間違いです。
このブログでも書きましたが、歴代の米政権は、民主党政権を中心に、disappointedを用いた発言を連発してきました。最近は特に多い印象。私はイスラエルについてだけ簡単に調べましたが、インターネットで数回検索するだけで、出てきます。このエントリで書いて以降も米国務省はdisappointedを用いています。イスラエルにだけでなくパレスチナ指導部に対しても用いて、さらにイスラエルも多分嫌味で米側の対応にdisappointedしたと表明したりしています。
普通に英語で新聞を読んでいれば得られるような認識すらないままに、この老名誉教授はコメントをして、編集部は大々的に赤字で中見出しを打ってしまう。
ネット情報の信憑性というのはこの程度なのです。「日経」とかいった名前に騙されてはいけません。英単語一つデータベースに入れれば分かる程度の裏取りすらしていないのですから。
メディア・リテラシーという意味でも貴重な資料です。「白人・欧米人」「日本史専門家」「名誉教授」といった肩書がついていると、米政府のdisappointedの用法についてもわれわれより高次の判断能力や識見を持ち合わせているかのような印象が生じてしまいますね?しかし実際にはそんなことはありません。ちょっと調べれば分かるようなことも調べないで得意げに説教している先生だということが、読み手の方で少し努力すれば分かります。記事は検索しながら読みましょう。英語ネイティブ風の人が本当に英語圏で通用する議論をしているとは限りません。特にそれが日本語で行われている場合は十分に注意しましょう。
まあ、この名誉教授は、極左・北朝鮮礼賛の人で、今回の議論は典型的な日米離間策のプロパガンダです。編集部は今時よくこんな人を取り上げたな、というのが第一印象。冷戦時代の化石を引っ張り出してきたような印象があります。
私も一時「国際日本研究」の研究所に勤めていたことがあるので、こういう人にはたまに出会いました。「アメリカ帝国主義けしからん」「その手先となってる日本けしからん」「日本の帝国主義はまだ続いている」と、青い目の白人が言うと、日本の大学とかメディアでちやほやされてそれで食えてしまう、という時代がありました。
「グローバル人材育成のために外国人教員を雇え」という昨今の政策で、またそれが繰り返されるのかと思うと気が重いですが・・・
いいんです。人生一度しかないので、何を言ったっていいんです。思想信条の自由は絶対です。
それはつまり、人は見当はずれなことをいって、運良く(か悪くか)それで一生食えてしまったりすることもある。破れかぶれの議論でも、それを珍重してくれる人がいれば食えそうな国に移動してそこで生きていく。そういう自由があるんです。そういうのがグローバル人材と言ってもいい。
1960年代にはまだ、北朝鮮が夢の国として発展して、日本が暗黒の帝国主義に落ち込む可能性だってゼロではなかったはずです。そのころに何かのはずみに「北朝鮮素晴らしい」「日本が米国の手先になって北朝鮮の発展を邪魔している」というセオリーを立てて、それをたゆまず主張し続けたら、様々な理由で一定の支持を得てしまった、というのはそれはそれで人生でしょう。
それが結果として、現実の進展との間でとてつもなくつじつまが合わなくなってしまったとしても、そういうお年寄りのことを人々はあまり厳しく問い詰めたりはしません(本当はちょっとは問い詰めた方がいいのかもしれませんが・・・)。
ただ、「あなたはとてつもなく運が良かったんですよ、生まれも育ちもね」ということは生暖かく言ってあげるべきでしょう。多分極端にガンコで尊大な人で、絶対聞いてもらえないと想像しますが・・・もう何を見ても帝国主義に見えてしまう。
こういう左翼の先生は最近は珍しくなりましたが、少し位相を変えて、イデオロギーではなく「欧米先進国VSニッポン」という形式の議論ならまだいますね。日本の地方都市とかで英会話教師とかやっていて、ときどきメディアに出て「流ちょうな日本語で」、「日本は遅れてマス!」とか言っている人は今でも見ることができる。こういうのを見ると、複雑な気持ちになってしまう。
確かに日本社会には各方面に遅れている、というか改善すべき点は非常にたくさん、多々あると思うんだけど、それを言っているあなたの立場はどうなのよ?あなたが母語の英語をしゃべっているだけで生計を立てられて、たいていは日本人のヨメもらって、たいしたことしゃべってないのにときどきメディアにも取り上げられて「有識者」として生きていけるのって、日本が「遅れている」からじゃないの?そしてあなたがそうやって日本に説教できる背後の権力構造にはもっと深ーいところで、問題視しないといけないものがないですか?という根本的な矛盾を指摘したくなる。
もちろん、こういった市井の「ニッポンおかしいよ」系の論客というのはたいていはメディアを通してしか知られていないから、そういう役割を期待する日本のメディアの中で切り取られている面しか伝わってこないのかもしれない。でも、日本のメディアや学界や、国際交流にまつわる様々な公的機関・資金の「遅れた」構造の中で甘やかされているうちに、自己が肥大化したな、と見えるケースも間近でいくつか見た。
「グローバルな新自由主義けしからん、その手先の日本けしからん、という趣旨の会議を日本の役所のお金で海外のリゾート・ホテルでやれ」みたいな意味不明なことを言ってきて本当に実現してしまう「リベラルな日本研究者」とかいるんですよ。露骨に新自由主義的な南国リゾートホテルのプールサイドで「アジアの民衆」にピニャコラーダとか運ばせながら「グローバルな資本主義の暴力性とそこにおける日本の役割」とか語ってしまえる人たちがいるんです。そういう人たちと一緒に会議をやると「グローバルな最先端の共同研究だ」とかいうことにされて日本のお役所からお金が出てしまう仕組みがまさに「遅れている」のだけれども。
国際日本研究にある程度関わると、そのような構造の中でしか生きていけないということに悩みを抱えている人も中にはいるということも感じられる瞬間があった。でもそういうまっとうな感覚を持っている人って、往々にして生き残っていけないんです。日本育ちなんで日本語だけで調査もできれば論文も書けるはずなんだが顔は白人なので、日本では日本語をしゃべらないで英語だけで活動した方が将来が開けるよ、と友人からアドバイスされて悩んでいる研究者もいたな・・・
余談だが、この人、そう悩みながらも(悩むからこそ?)、日本人の奥さんとはやはりアイリッシュ・パブでの英会話で知り合ったんだと恥ずかしそうに明かしていた。ずいぶん昔の話ですが、日本の外国人コミュニティの中での了解として、アイリッシュ・パブに来る日本人の女の子には積極的に声かけていいことになっていたんだそうです。来る側はそのつもりだという了解が相互に成立していたのだそうです。ただし英語で声かけないといけなかったんだそうです。いや別にどこでだって何語でだって声かけていいと思いますが。その当時はほかに声をかける場所がなかったのか。「英会話」という言い訳を媒介にしてそういう場が成立していたのか。この人ものすごく日本語上手(というかネイティブ)なんだが、日本語だと確かにモテなさそうなんだ・・・今思うと、この人、思い切って「アイリッシュ・パブのジェンダーと文化権力」みたいなテーマでポスト・フェミニズム的な論文とか書いたら一皮むけたかもね。グローバルに比較調査するのも可。その過程での自らの深刻なアイデンティティの危機を乗り越えられれば・・・
今は日本のアイリッシュ・パブも全国にチェーン展開したりして、そういう特別な場ではなくなって単なる近所のおやじさんたちの昼から飲める居酒屋になっていると思いますが。
話を戻すと、「日本は遅れている」と言っていれば食っていける(逆に言うとそれ以外の議論は認められない)、まさに「遅れた」構造に無批判・無自覚に乗らないと、排除されてしまう。そのことにしっくりいかない思いを抱えながら、「立ち遅れて」いる人もいたということです。この場合誰が本当に「遅れて」いるんでしょうね、と考えないといけません。
これとの関係で連想するのが、拉致被害者の配偶者として運よく北朝鮮を脱出できた「チャールズ・ジェンキンスさん」。今どうしているんだろう。米軍を脱走して北朝鮮に投降し、北朝鮮当局からはアメリカ人ということで珍重されて「米帝国主義」を非難するプロパガンダ映画に出演。拉致被害者の曽我ひとみさんを北朝鮮当局に「紹介」されて結婚している。2002年の日朝首脳会談で曽我ひとみさんらの帰国の道筋がついたが、ここで問題になったのが配偶者のジェンキンスさんの立場。米軍から脱走したという過去は消えないので帰国して軍法会議にかけられれば厳罰が科せられる可能性もある。これも日本政府が米国と交渉して穏便な処分に済ますことを約束してもらってから北朝鮮を出国、日本で妻と合流した。
ジェンキンスさんは、勘違いだったかもしれないが、来た瞬間は望んで北朝鮮に来たはずだ。すぐに後悔したらしいけど。ジェンキンスさんは自分が捨ててきたはずの米帝国主義の先兵だったから、「アジアを侵略する悪い白人」の役にぴったりの容姿だったからこそ温存され、厚遇された。配偶者が偶然日本人だったことから僥倖のように出国でき、祖国での重罪も免除された。北朝鮮で塗炭の苦しみをなめて死んでいった日本からの「帰国者」や、今も消息すら隠されている拉致被害者と比べると、国際社会の中での命の価値は、国籍や人種によってここまでも違うのかと思わざるを得ない。このような「特権」や幸運を享受してきたことについて、ジェンキンスさん個人に非はないが、ずいぶん違うんだな・・・ともやもやっとした気持ちになった人は当時いたのではないか。
さて、上記の名誉教授とか、あるいは「日本は遅れている」と言って日本で食っている方々には、どことなくこの「ジェンキンスさん」の立場と似通うところがある(なお、ジェンキンスさんが日本に来てからこのような発言をしているわけではないので念のため)。
「日本は属国でえーす」とかいってこの先生が扇動できるのって、この先生がまとっている属性と、記者や想定された読者との間に「属国」的関係が成立して(いると仮定している人が)いないと成り立たない。
こういう方々は、もしかすると本当に心の底から「遅れている日本」を前進させたいと思っているのかもしれない。どんなに見当はずれであったり、見通しが甘かったり、根拠がないことを言っていても、その善意の存在を完全に否定し去ることはできない。同時に、自分が乗っかっている歪な権力関係に対してものすごく無自覚なのか、あるいは確信犯的にそこに乗っかっているのか、あるいはかなり無理な理屈をつけてその構造を正当化しているか隠蔽しているのではないか、という深刻な疑いが生じる。
エドワード・サイードって、まさにこういう構造を批判したんじゃなかったっけ?(最後は自分もそこに取り込まれていった感があるが)。
なお、善意のあるなしに関係なく、勝手なことを思って、優越感に浸り、説教できる相手を捕まえて説教しながら心地よく人生を送るというのは、尊敬はできないけれども、まったく人生における自由の範囲内だ。「本当の自分」探しとかに囚われがちな人は、いっそこういった八方破れでも運良くけっこううまく生きてこれてしまった人たちの多種多様な人生から何かを学んでもいいとすら思う(何もかもを学んじゃダメだが)。
重要なのは、そういう人々がいるということを知っておいて、そういう人たちが生きていく自由は認めたうえで、あまり相手にしないことじゃないかな。そして、そういう人々が時に夜郎自大にふるまうのを可能にしている国際社会の権力構造ってなんだろうね、と考えるのもいい。そしてゆがみを増幅・助長するような政策を採用しないように国や自治体の政策に気を配ることじゃないかな。
(それ以前に、青い目の白人の「権威」に説教してもらう、ていう手法が、思想内容よりも何よりも、どうしようもなく古すぎる、とは思いますが・・・)