【海外の新聞を読んでみる】ヘーゲル国防長官訪日を世界はこう見る

 米国のヘーゲル国防長官が4月4日に来日し、昨日(4月5日)夕方には安倍首相と会談した。国際的にはかなり注目されている訪日なのだけれども、肝心の日本での報道は、全部見たわけではないけれども、低調。

例えば毎日は、

「安倍首相:アジア重視堅持歓迎 米国防長官に」『毎日新聞』2014年04月06日東京朝刊

 この記事では、首相側から「中国の海洋進出や北朝鮮の核・ミサイル開発などを念頭に『米国がアジア太平洋重視政策(リバランス)を堅持していることを歓迎する』と表明」したとされ、その上で「両氏は日米同盟を一層強化していくことで一致した」という。

 また、首相から「集団的自衛権の行使容認に向けた憲法解釈変更を検討」していることを説明して、ヘーゲル国防長官から「歓迎する」という応答があったという。

 また、首相から「『アジアの安全保障環境が厳しさを増す中、(ヘーゲル氏の)今回の来日で日米の強力な同盟関係は不変だというメッセージを出してほしい』と述べた」という。

 そして普天間問題についてのやり取り。

 国際的にみて重要なのは、「ウクライナ情勢を巡っては『力を背景とする一方的な現状変更の試みは決して容認できない』との立場を確認」した、と辛うじて一文で触れている点。

 その上で、

「北朝鮮の核開発に対し、韓国を含めた3カ国で緊密に連携することでも一致した」という。

 で、だからなんだという分析は一切載っていない。

 興味深いのは、ほとんどすべてが「首相側から」何を言ったかという点に終始していること。それに対するヘーゲル国防長官の反応については、この記事からは良く分からない。米側がなんて言っているのかが聞きたいのですが。

 朝日ではもっと短くしか触れられていない。

「米国防長官が安倍首相と会談 普天間問題などで意見交換」『朝日新聞』(デジタル版)2014年4月5日20時34分

 安倍・ヘーゲル会談の全体像については、「東アジア情勢や米軍普天間飛行場の移設問題について意見交換した」という意味づけ。

 集団的自衛権、普天間、と短く触れた上で、ヘーゲル国防長官が「私のアジア歴訪の理由の一つは、この地域に対する米国のコミットメントを再び保証するためだ」と述べたとされる。

 重要なのは、この記事では、中国問題について非常にあいまいで(「中国の海洋進出」について話し合われた、とあるが誰がどういう姿勢なのかが分からない)、ウクライナ問題については、どんなやり取りがあったのかどころかやり取りがあったか否かすら、一言も触れられていないこと。

 もしかすると紙面では、あるいはデジタル版のどこかほかの記事では、触れられていたのかもしれないけれども、私は探し出せていない。社論として他にキャンペーンを張りたいことが多分あるので、肝心なことが紙面から押し出されて、載らなくなる。あるいは、今の外交・安全保障上の問題そのものを、読者に認識させたくないのかもしれないとすら邪推させてしまう。

 どうも埒が明かないので、もう一方の直接の当事者である米国の視点での意味づけを、ためしにニューヨーク・タイムズとワシントン・ポストから見てみよう。

 まずワシントン・ポスト。

“Hagel seeks to reassure allies in Asia amid questions about U.S. commitment,” The Washington Post, April 6, 2014.

冒頭から、ロシアのクリミア併合を受けて、米国との同盟が信頼に値するのか不安を感じ、再確認を求める米同盟国の一つとして日本を見ている。

On his fourth trip to Asia as secretary of defense, Chuck Hagel is attempting to reassure allies in a region brimming with territorial disputes amid concerns about Russia’s takeover of Crimea.

Spooked by the speed and ease with which Russia annexed the peninsula last month, close U.S. partners in the region are questioning the strength of security cooperation agreements with Washington.

 グローバルな視点からは、日本は、米国との安全保障関係上、サウジアラビアとか、イスラエルとか、トルコとかと似た立場にあって、似たような懸念を持っている、と見られています。

 そういう文脈への意識が日本の新聞では見られないのは、残念です。もっぱら中国と韓国との関係が感情的にクローズアップされますが、もっと広い視野も提示してほしいものです。

 さらに、ニューヨーク・タイムズの記事。

“U.S. Response to Crimea Worries Japan’s Leaders,” The New York Times, April 5, 2014.

 これは「そのものずばり」ですね。

 タイトルは、「米国のクリミア問題への対応は、日本の指導者を不安にさせている」。

 この記事では、現在の日米関係の懸案事項を、グローバルな視野においては、ウクライナ情勢と根を同じくする問題としてとらえている。クリミア併合をめぐって米国が言葉の上ではロシアを批判しつつ、実際の行動ではロシアの行動を抑制する能力あるいは意思がなさそうに見えている点が、どう日米関係に影響するか、という問題設定がなされている。

 問題となっているのは、ウクライナをめぐって、米国が冷戦終結後に行った約束を反故にしたこと。ここでの「約束」とは、冒頭に触れられている1994年の「ブタペスト覚書」である。冷戦時代に旧ソ連の内部だったウクライナに配備されていた核兵器を、1991年に独立したウクライナが廃棄する代わりに、米国の当時のクリントン大統領が、ウクライナの領土保全を「尊重する」と約束した。

 しかし実際に2014年にロシアがウクライナからクリミアを武力の威嚇の下で奪取すると、米国はこれを黙認する姿勢である。米側はブタペスト覚書については「拘束力がない」と知らんぷり。

 これでは日米安保条約に基づいて、中国の脅威から守ってくれるという約束も、いざとなると履行されなくなるんじゃないの?と日本側が思っても当然だよね、と米側、というか世界中の国際政治に関係する人は思っている。ヘーゲル訪日で最大の議題はこれだよね、と誰もが思っているので、そこのところどうなの?とあちこちに聞いてみました、という趣旨の記事。

 記事はこういう風に書いてほしい。

 で、米側の匿名の軍関係者に聞くと、日本側がしきりに聞いてきている、「同じことがウチについても起こるんじゃないの?」と。

Japanese officials, a senior American military official said, “keep asking, ‘Are you going to do the same thing to us when something happens?’”

 そうなると、今回のヘーゲル訪日の要点は、米側が日本に対して、日米同盟の意義と堅固さをどれだけ「再確認(reaffirm)」することができるか、ということになる。ヘーゲル訪日に至る、日米防相会談や軍参謀総長レベルでのやり取りなどを、この問題のすり合わせの過程としてこの記事では触れている。

 で、これまでのやり取りでは北朝鮮のミサイルの脅威に関しては両国の一致した対処に何ら揺らぎがないことが確認されている。まあ当然ですね。
 
 しかし日本側は、対中国、特に尖閣問題について米側が日米安保条約の範囲とすると確認することを求めている、というのが記事の後段のヤマ場のところですね。

 But in meetings over the last few weeks, Obama administration officials said, Japanese officials have been seeking reassurances that the security treaty will apply to the Senkakus.

 対中国の問題になると米側も口を濁すようになる。尖閣が占領されたら米国は守る、とは米国は絶対に言わない。その言わない感じがどう英語で表現されるかが、次の部分などに見えますね。

American officials say there is a wealth of difference between Ukraine and Japan, and between Crimea and the Senkakus. What is more, they say, there is a big difference between the Budapest Memorandum and the mutual security treaty with Japan that was signed in 1952 and that has redefined American-Japanese relations in the 60 years since.

 ウクライナに与えた約束と、日米安保条約じゃ全然質が違うよ、といった形で間接的に「安心しろ」と言っているわけです。

 その後のところでは、そういった形でとりなされても、日本側では、でもなあ、クリミア問題への米国の対応を見ていると、米国には中国に立ち向かう意志がないだけじゃなくて、能力もないんじゃないの?と思い始めている、という点が記されています。予算強制削減があって軍が縮小しているところに、対ロシアで東欧に重点配備しなければならないとなると、米のアジアを重視する、という政策も頓挫してしまうのではないかな、という恐れが日本側にあるという。

 そして、日本側がそういう不安を抱くのと同時に、中国側は勢いづいているだろう、と日本側は予測することになる。

Specifically, some analysts said they feared China might feel emboldened by the American response to Crimea to try something similar in Senkaku/Diaoyu.

 そういった不安感が高まっているのだから、ヘーゲル訪日、そして4月23(あるいは24日早朝)-25日に予定されているオバマ訪日の際には、東シナ海での問題はクリミア問題とは別なんだ、とはっきりと日本防衛の再保証を米国がすることを日本側は要求している、という。

Japanese experts said Mr. Hagel, and also Mr. Obama when he visits Tokyo later this month, might be pressed for not only verbal assurances, but also some sort of symbolic action to show that America would handle a crisis in the East China Sea differently from the one in Crimea.

 もしそうならないとどうなるの?もし、米国の保証がないがゆえに中国が増長して、いっそう事態を悪化させて、ついに衝突が生じて、そしてやっぱり米国はクリミア問題に対するように知らんぷりだったら、どうなるの?というところを誰もが考えるわけですが、それは、日本側の宮家邦彦さんのコメントで強烈に暗示させてこの記事は終わります。

“If Japan is attacked, and the Americans decline to respond, then it is time from the Americans to pull out” of their bases here, Mr. Miyake said. “Without those bases, America is not going to be a Pacific power anymore. America knows that.”

「日本が攻撃されて、アメリカが対応することを拒んだら、その時はアメリカが日本から基地を引き上げる時ですよ。日本の基地がなければ、アメリカはもはや太平洋の大国ではなくなりますよ。ご存知ですよね」

 かなりきわどい発言ですね。

 安倍首相のブレーンとして知られる宮家氏は、公式発言とは別の、安倍政権の「本音」を何らかの意味で反映していると米側では思われているのでしょう。

 日本側の政権に近い人がここまで言わなければならないほど、オバマ政権の同盟政策への信頼性は低下していますよ、という点は、米側でもかなり多くの人に受け入れられ、共有される論点だろう。

 日本側もなんとか米側に伝えようとして表現がきつくなるし、米側の新聞もセンセーショナルに報じて売りたいから大げさに煽り気味になるとは言える。だからこういった記事がどれだけ現実を反映しているかは、多少割り引いてみるという姿勢を持った方がいい。だが、現在の日米の安全保障関係をめぐる論点の基本構図はこういうものだ、と知っておいた方がいい。

 それにしても、引用されている宮家氏の発言は米側の文脈では強烈。

 まず、「太平洋の大国ではなくなる」。

 これって、米国がまだ西欧の列強に大きく後れを取っていた19世紀半ば、ペリーが来る前の時代に戻ってしまうということ。

 これが反米論者なら「バイバーイ、太平洋の向こうに帰ってくださーい」と言うところだろう。

 宮家発言は、それでもいいんですか?といいたげな、親米派からの挑発的な発言に見えます。

 そしてこんなことも連想。オバマ大統領は2009年11月に来日した際の演説(サントリーホール演説)で、自らを「米国の最初の太平洋大統領(America’s first Pacific President)」と呼んだが、現在の雰囲気では、「米国の最後の太平洋大統領」になってしまうという、最悪の冗談みたいな終わり方になりかねない。

 さらに、オバマ大統領は3月25日にオランダのハーグでの記者会見で、ロシアを「地域大国」に過ぎないと発言したが、もし中国が太平洋の覇権国となるならば、米国も北米から大西洋にかけての「地域大国」になってしまうことになる。

 それでもいいんですか?と日本側が米側に選択を突き付けている様子が、うまく反映されたのが、ニューヨーク・タイムズの記事だろう。

 日本側の国際情報戦略も頑張っているな、という気がする。

 なお、今回は米国の新聞のみを紹介しましたが、世界の多くの国ではこのように見ていると思います。

先端研の桜

2014先端研の桜1

先端研の桜。

今日ではなく一昨日(4月2日)の撮影。その前日がたぶん一番満開だったようですが、その日はカメラもiPadも忘れていたので、翌日にあわてて撮っておきました。

今日はいろいろ新しいテーマをめぐってばたばたして結論が出ないので、いくつか写真でもアップしておきます。

2014代々木上原

先端研へ続く道。

2014代々木上原の桜

通りすがりの桜の半アーチ。高級そうなマンション。

2014先端研の桜2

キャンパスの片隅にも。

2014先端研の桜3

桜のアーケード。

2014先端研の桜4

2014先端研の桜5

2014先端研の桜6子供たち

子供が遊んでる。背景は先端研の新しい建物。理工系の実験などはもっぱらこちらでやっています。

【連載】今年も続きます『中東協力センターニュース』

 ここのところ年度末・年初ということもあって、研究プロジェクトを閉じたり開いたりの事務書類のやり取りや、各種連絡に追われている。本をまとめる作業も複数進行中。

 ついでに自分の書いてきた原稿も整理中。どこに何を書いたかがだんだん分からなくなってくるからね。

 今回リストアップしてみるのは、『中東協力センターニュース』で行っている連載「『アラブの春』後の中東政治」です。

 中東協力センターというのは、経済産業省所管の一般財団法人で、エネルギーを軸とした中東との通商貿易・産業協力の手助けをする。大まかにいえば「業界団体」ということでいいのかな?

 そこが出している雑誌に依頼を受けて連載を始め、1年半が過ぎた。こちらは今年度も継続とのことです。
 
 2012年の6月から、だいたい2号に一回のペースで連載している。この雑誌は隔月刊なので、4カ月に一回ということですね。ときたまテーマに連続性がある時は二号連続で書きます。

 ある程度「概説」を意識して書いているのが、この連載。

 直接の読者は、中東に仕事上関係することがある人向けに限定されているのであまり初歩の初歩からは書かなくていい。とはいっても中東政治やイスラーム政治思想の学術的な議論と、中東に関わっているとはいえ非専門家の認識・知識の差は著しいので、そこを埋めるのが直接の目的。

 とはいえ、雑誌がほぼそのままウェブ上でPDFで公開されるので、一般向けも多少意識して書いている。

 私自身がいろいろ興味を持って専門的に研究をしていることのダイジェストをここにまとめるというような使い方をしている。

 私は基本的に同じことを二度書かないことにしているのだけど、この連載だけは、他のところで取り上げたテーマや論点を少し分かりやすくしたり読みやすくして提供していることがある。「最近やっている、関心を持っていることのご紹介」という性質の欄と思ってください。

 ただし、連載第5回(2013年10月)の、クーデタ後のエジプトの「ナセル主義」についての稿は、他ではあまりまとめて書いていない内容を盛り込んである。写真を多く使えるというこの媒体の性質を生かしてみたかったものですから。

『中東協力センターニュース』掲載の論稿をダウンロードできるバックナンバーのページが各年度ごとに設けられていて、過去のもダウンロードできる(リンクは2013年度分)。

下記にはこれまでの連載のタイトルを一覧にしておきますので、ダウンロードページからどうぞ。

(1)
池内恵「エジプトの大統領選挙と「管理された民主化」『中東協力センターニュース』2012年6/7月号、41-47頁
【JCCMEライブラリー2012年度】

(2)
池内恵「政軍関係の再編が新体制移行への難関──エジプト・イエメン・リビア」『中東協力センターニュース』2012年10/11月号、44-50頁
【JCCMEライブラリー2012年度】

(3)
池内恵「『政治的ツナミ』を越えて─湾岸産油国の対応とその帰結─」『中東協力センターニュース』2013年4/5月号、60-67頁
【JCCMEライブラリー2013年度】

(4)
池内恵「アラブの君主制はなぜ持続してきたのか」『中東協力センターニュース』2013年6/7月号、53-58頁
【JCCMEライブラリー2013年度】

(5)
池内恵「エジプト暫定政権のネオ・ナセル主義」『中東協力センターニュース』2013年10/11月号、61-68頁
【JCCMEライブラリー2013年度】

(6)
池内恵「エジプトとチュニジア──何が立憲プロセスの成否を分けたのか」『中東協力センターニュース』2014年2/3月号、74-79頁
【JCCMEライブラリー2013年度】

「危機の震源」がだんだん近づいてきますね

 ウクライナ危機の陰で進んでいた、台湾の学生を中心とした、台中サービス貿易協定締結強行に反対する、反政府抗議行動の高まり

 思考実験として、そして将来への現実的な備えとして考えておかなければならないのは、もしこの抗議行動が激化して、一部に武装集団なども現れ、大規模な騒乱状態になった場合、あるいは馬英九政権が倒れるような事態になった場合、どうなるか、ということ。
 
 中国との貿易協定で「中国の植民地になる」と危機意識を高めた国民の反政府運動の盛り上がりで政権が倒れたり紛争になって、中国がこれを機会に軍事侵攻をしたらどうなるだろうか。

 ついでに想像するならば、ロシアがクリミアでやったように、ワッペンを外した大量の軍人を送り込んで、制圧した上で「中国本土との一体化を求める住民投票」を行わせて「圧倒的多数が支持」したら?それに反する多数の台湾人が反対運動を続けて、日本や、米国に助けを求めてきたら?

 ウクライナでの危機と同様の事態が、一気に、日本を主要な当事者として、生じることになります。

 日本は何もしない、ということでいいのでしょうか?あるいはアメリカに「何かしろ」と要求するだけなのでしょうか。
 
 さらに、もしアメリカが何かすると、今度は「不当な介入だ」と言う人がまた出てくるのでしょうか。たぶん出てくるでしょうが、より近傍の核・軍事大国がもっと手荒なことをしても批判しないのだったら、そういう議論はついに説得力を失うでしょう。

 2013年にはシリア問題やイラン問題で、あるいはエジプトやトルコやイラクでも、冷戦後の世界政治の一極支配の中心だったアメリカの限界が露見した。

 2014年の各地の動きは、その後の世界秩序の再編をめぐる大きな動きが現れていると言っていい。少なくとも、そのようなものとして解釈され、新たな将来像が見通されていくだろう。

 中東で先駆けて生じた変化が、まずウクライナに転移した。その次はどこに出るかわからないけれども、もしかすると、台湾に波及するかもしれない。まだその可能性は低いけれども。

 実際に、国際的な論調では、ウクライナ問題をめぐる米露関係は、ほとんど常に、シリア問題やイラン問題を踏まえて、あるいはそれらと絡めて、論じられ、東アジアへの波及は含意が取り沙汰される。

 ウクライナとか台湾とか、専門でない分野についてあれこれ語る気はないのだけれども、それら全体を通底する問題、認識枠組みや概念については、中東を見るという作業と不可分である。そのため、このブログでもウクライナ問題について何度も取り上げたように、各地の事象に常に注目して検討している。

 私にとっての「中東を見る」ということはそのようなグローバルな視野で各地の動きを見ることと一体。

 中東を中心に、国際情勢の分析をするようになったのは、依頼を受けて書くようになってからだ。

「中東 危機の震源を読む」という連載タイトルで中東情勢の定点観測をし始めたのが2004年の暮れ。第一回はこんなんでした。「イラクの歩みを報じるアラビーヤの登場」《中東 危機の震源を読む(1)》『フォーサイト』2005年1月号

 連載の前半は本になっている。

 中東 危機の震源を読む
『中東 危機の震源を読む(新潮選書)』

 かなり分厚くなった。ほぼ中東全域をカバーして、時々フィリピン・ミンダナオなどのイスラーム世界や、欧米のムスリム移民の問題、米国の中東政策なども取り上げている。2011年の変化に至る様々な予兆なども、結構とらえていたと思います、今読むと。

 今やっている現状分析は大部分、この本に収められている毎月の分析を書く中で身に着けた感覚・能力・手法をベースにしている。

 「中東 危機の震源を読む」の連載そのものは、『フォーサイト』がウェブ化されてからも続いて、今88回になっている。それ以外に、ブログの「中東の部屋」にも2011年9月から書くようになって、そこではインターネット時代の国際政治の急速な変化に即応して、早期の情報発信を試みてきた。月刊誌というメディアには、国際政治を素材とするためには明らかに限界がある。ただし、混沌としてきた国際情勢の中長期的な見通しを示すには、月刊誌という媒体の方がウェブよりも有効ではないかとも思うけれども。

 『フォーサイト』が紙媒体の月刊誌だった時、毎月一回、印刷と発送から逆算して締切日があって、それに縛られている、というのは、かなりの制約というか苦痛だった。

 分からないことを、分からないうちに書かなければならない。自分で締め切りを設定できるなら、これはという確信が持てるぐらい情報が集まったり分析が進んでから書きますよね。ただし待ちすぎると、結論に確信を持てた頃にはもう情報は陳腐化していて、分析の必要がなくなっている。実際、『フォーサイト』がウェブ化されて、必ずしも月一回というペースで書かなくてよくなると、これがなかなか書かなくなるんですねー。

 それもあってより気軽に書けるブログの「中東の部屋」も引き受けたのだった。

 連載なので、テーマはほぼ自分で設定できる。企業や官庁のアナリストでは、求められるテーマについて分析することも多いだろう。それに比べると制約は少ない。ただし、そもそも何が問題なのか自分で発見して提示するというのはかなり大変。テーマを与えられた方が楽と言えば楽。

 中東研究は大学・大学院でやってきたけれども、東大に中東現代政治についての体系だった授業があったわけでもない。強いて言えば、半年だけ、放送大学の高橋和夫先生が非常勤で来ていた授業があった。米国の中東政策を軸として、イラン・イラクを中心としたペルシア湾岸の地域政治を含めた、中東国際政治の授業だった。非常によく整理された計算されて考え抜かれた、東大では受けたことがなかったタイプの授業だった。今でもよく覚えています。

 それ以外の授業は現代でも社会経済史とか、それ以外は中世文学とかしか、中東地域に関する授業はなかった。

 ですので中東政治の情勢分析について公式的な形で、体系的に訓練を受けたわけではなく、依頼を受けて毎月やっているうちに、そこそこできるようになってきた、というオン・ザ・ジョブ・トレーニングの結果です。

 9・11事件を受けて、グローバルなイスラーム主義の政治運動の動きについて、理論・思想を踏まえながらある程度現状分析をするというタイプの文章をいくつか書いた。「社会思想」の枠で幅広く各国の社会・政治を見ていたので、各国の現状分析にそれなりに適応する素地はあった。そういった観点から単発でいくつか書いた現状分析を見て『フォーサイト』編集部が、イスラーム教やイスラーム主義に限らない中東情勢分析全般にわたる連載を依頼してくれた。

 その時、連載のタイトルをいろいろ考えたのだけれども、中東の特性と、私の方向性・適正から、自然に「中東 危機の震源を読む」に落ち着いた。

 それは、中東を見ることは単に遠い特定の世界の分析をすることに限定されない、と思っていたからだ。中東を見ることは、やがては日本にも重要な影響を及ぼすような事象が生じるのを、いち早く目撃するということ。

 世界政治を動揺させるような変化の先駆けは往々にして中東で先駆けて起る。あるいは、中東で起った事象の影響が波及して世界に及ぶ。

 直接的には、中東から「イスラーム世界」というつながりで南アジア・東南アジアに向けて影響力が及んだり、「欧米VS非欧米」という対立の最前線である中東での動きが世界各地の非欧米諸国での動きを誘発したりするけれども、間接的にも、世界全体の趨勢を中東が最も早く反映して変化が現れる、ということがよくある。

 「中東が好きだから」中東をやっているわけではない私としては(まあ好きではありますけど。楽しい世界ですよ)、中東の定点観測は、単に遠いエキゾチックな世界の出来事を伝えるだけでなく、やがてそれが我々の世界に

 「ホルムズ海峡が閉鎖されたら日本の石油はどうなる」といった、それ自体重要ではあるが、中東の重要性はそれには限られないことを、ことさらに、中東研究の重要性や(あるいは「自分の」重要性・・・)を宣伝するために強調して煽る手法が出回っているけれども、私はそういったことには興味がない。

 中東の動きを大枠から微細なところまで見続けていると、われわれの生活に身近で根底的なところから影響を及ぼすような変化が先立って見えてくる。その面白さをこれからも示していたい。

 年度初めにちょっと考えたことでした。

 在庫の棚卸し&整理に戻ります。

『外交』に連載した英語書籍の書評リスト

 先ほど、『書物の運命』以来書評は書いていない、と記しましたけれども、例外的に、外務省発行の『外交』にだけは書評連載を一年半ほど持っていました。

 この時も、ご依頼に対して条件を付けた逆提案をしたところ、それを呑んでくれたので連載に至りました。

 ご依頼では、ごく通常の雑誌書評、ただし『外交』なので国際政治・安全保障や、私なら中東ものを中心に、というご要望でしたが、私の方のモチベーションや読書習慣から、「外国語の本のみを取り上げる。新刊でなくていい。学術書でもいい」という条件を出しました。

 なぜそのような条件でなら引き受けたかというと、専門に関わる英語の本は職業上・必要上、目を通すが、必要な情報の読み方があって、全部読み通すことが少ない。要するにイントロダクションと結論だけ読んで、これはという部分だけ読んで内容を把握するので、全部読まないのである。専門研究のための読み方としてはそれでいい。しかし一般読者に紹介するとなると、徹底的に読んで、論や学説の適切さや妥当性を見極め、現実に起っていることとの関連でその本が存在する意義、読む価値を示さないといけない。

 そういう文章でも書く仕事を引き受けないと、英語の本を必要に応じてちゃっちゃっと読むだけになってしまって身につかないな、と思ったから。純粋な釣りとは言えないが、あえて一本釣りをして見せる役割を買って出ることで釣りの技術を忘れないようにする、というような。

 全く自分のための、自分に向き合った連載ですね。すみませんでした。

 最初の半年間は月に一回(年度末まで)、2010年9月から2011年3月までの6回。時事通信社の編集。次の一年間は二ヶ月に一度で6回。今度は都市出版社の編集。外務省による入札方式が揺れたため、年ごとに編集や出版感覚が変わりましたが、私の連載は二年度続いたことになります。

 連載が始まった頃はまだ「アラブの春」の前でした。むしろ「9・11」以後の対テロ戦争が収束に向かう段階。米国のリーダーシップや政治的意思決定過程に対して強い批判や問い直しが提示され、ブッシュやブレアなどの回顧録も出ていました。この書評欄はそれらを淡々と紐解いていくきっかけになりました。

 それが連載の後半から、「アラブの春」の急速な広がりで、過去に出ていた基礎的な学術書から、急速に流動化する事態を読みとくための手掛かりを切に必要とする状況になり、書評欄がいっそうアクチュアルなものになりました(本人としては)。

 これらの書評は単行本にはまだ収録されていません。

 『外交』は現在24号まで出ていますが、12号までは無料で外務省のホームページにPDFが公開されているので、リンクが生きている間は、読めるという意味では読めてしまう。

 下記の連載リストの各タイトルをクリックすると、外務省のサイトから直に私の記事だけが(他の記事も一部一緒のファイルに入っているが)PDFファイルでダウンロードされます。【あくまでリンクがまだ生きている場合だけです。おそらく8回目まではリンクが生きているのではないか。追記:2016年1月23日】

(1)
池内恵「リベラルたちの「改心」、あるいはアメリカ外交史のフロイト的解釈」『外交』Vol. 1, 2010年9月 156‐159頁

(2)
池内恵「グローバル都市ドバイが映し出す国際社会の形」『外交』Vol. 2, 2010年10月, 176‐179頁

(3)
池内恵「将軍たちは前回の戦争を準備する」『外交』Vol. 3, 2010年11月, 146‐149頁

(4)
池内恵「善政のアレゴリー、あるいはインテリジェンスの哲学」『外交』Vol. 4, 2010年12月, 164‐167頁

 この年イギリスのケンブリッジ大学に行っており、そこでインテリジェンスのセミナーを見たり、ちょうど相次いで出版されていたインテリジェンス機関の歴史書や、インテリジェンスの理論書を取り上げた。中にはその後翻訳が出たものもある。

(5)
池内恵「聖人と弁護士──ブッシュとブレアの時代」『外交』Vol. 05, 2011年1月, 168‐171頁
(http://www.mofa.go.jp/mofaj/press/pr/gaikou/vol5/pdfs/gaikou_vol5_31.pdf)

 ブッシュとブレアの回顧録で「対テロ戦争」の時代を振り返りましたが、この号が出る頃から、「アラブの春」が一気に広がります。

(6)
池内恵「『革命前夜』のエジプト」『外交』Vol. 06, 2011年2月, 182‐185頁

 ムバーラク政権の来るべき崩壊を予言していたジャーナリストによる「革命前夜」のエジプトに関する描写で問題の真相を探る。原稿を書いた時にはムバーラク政権は倒れていなかったが、『外交』が出た時はもう政権崩壊していた。

(7)
池内恵「エジプトを突き動かす「若者」という政治的存在」『外交』Vol. 07、2011年5月、138-143頁

 これはアハマド・アブダッラーという政治学者へのオマージュ。自ら学生運動の指導者でもあり、若者の政治的な可能性を深く追求し、実践活動も行いながら、道半ばで夭折。エジプトの政治活動家の間での伝説的な人物。アジア経済研究所に勤めていた時に、客員研究員でいらっしゃいました。彼に革命を見せたかった。 

(8)
池内恵「イエメン 混乱の先の希望」『外交』Vol. 08, 2011年7月、154-157頁

 イエメンについては数名の専門家が非常によく知っており、それ以外の誰もがよく知らない。

(9)
池内恵「ポスト9・11」の時代とは何だったのか──ジル・ケペルの軌跡」『外交』Vol. 09、2011年9月、154-157頁

 ジル・ケペルは確かに中東研究に一時代を築いた。

(10)
池内恵「シリア・アサド政権の支配構造」『外交』Vol. 10、2011年11月、146-149頁

 オランダの外交官が、アサド政権の宗派的、地域的、党派的構成について調べ上げた比類のない書。

(11)
池内恵「中東の要所、サウジアラビアにおけるシーア派反体制運動」『外交』Vol. 11、2012年1月、158-161頁

(12)
池内恵「ギリシア 切り取られた過去」『外交』Vol. 12、2012年3月、156-159頁

 この連載もまた、くたびれ果てて終了しました。いい勉強になりました。

【追記】(11)(12)はなぜかリンクが機能しませんが、総目次のところからVol.11, Vol.12のPDFというページを開いて行くと各論稿をダウンロードできます。Vol.11はなぜかリンクが間違っていて、「巻頭随筆」の浜中さん・吉崎さんのところをクリックすると、書評欄のファイルがダウンロードされます。逆に書評欄をクリックすると巻頭随筆がダウンロードされてしまうようです。

【追記の追記】
外務省のホームページがしょっちゅう変わるのでどんどんリンク切れになったり、リンクが間違って貼られていたりします。

よって、このブログのリンクも大幅に構築し直す必要がありますが、時間がないのでできません(2016年1月23日)

読書日記の連載を始めます(週刊『エコノミスト』)

 そうそう、すぐ近くにあるけどめったに行かない東大教養学部まで歩いたのは、桜を見るのが目的ではありませんでした。大学生協の書店に行ったのでした。先端研のある駒場Ⅱキャンパス(駒場リサーチキャンパス)は、学部がなく、理工系の研究所だけなので、生協はあるが本がほとんどない。それでは教養学部の生協まで行って買うかというと、歩いて10分もしないのだけれども、それすら時間のロスがもったいないほど忙しく、しかも行っても欲しい本があるとは限らないので、結局インターネット書店で買ってしまっていた。

 ここ数年、出張先の書店で買う以外には、リアルな書店で本を買うことがほとんどないのではないか。そもそも研究上必要な本の大部分は外国語なので、英語ならアマゾンで、アラビア語は現地に出張に行った時にトランク一杯と段ボール一箱に詰めて帰ってくる(それでも入らないほどある場合は引っ越し貨物の扱いにする)。日本語の本はあくまでも、「日本語の市場でどのようなものがあるのかな」「このテーマについてどういうことを言っている人がいるのかな」と調べるためにあるだけで、引用することもほとんどない。残念なことだが。

 書店で本を選んで買うという作業は、高校生の頃から大学・院生時代には、尋常ではないほどの規模で行っていたのだが、ある時期からまったくそれをしなくなった。

 学生時代を終えて、就職して半年で9・11事件に遭遇し、その後ひたすら書くためだけに本を読む、大部分は外国語の資料、という生活をしてきたので、純粋に娯楽や好奇心で本屋に行くということは、めったになくなった。

 日本語の本にも目を通してはきた。しかしそれは「書評委員として、新聞社の会議室で、その月に出た本を全部見る」といった通常ではない形で見ているので、本当の意味で本を選んでいたとは言えない。

 たのしみのための読書ではなく、職業としての読書になってしまっていた。

 例えて言えば、「釣り」の楽しみを味わうことのない「漁」になってしまったんですね。網で何100匹も一度に魚を獲ったとして、職業上の達成感や喜びはあるだろうが、それは釣りの楽しみとは違いますよね。

 なので、今本屋に行くと「浦島太郎」のような状態。こんな新書がこんなところにある。こんなシリーズがあったのか。なんでこんな本ばかりがあるのか。こんな人が売れているなんて・・・

 話が遠回りしたけれども、なぜ久しぶりにわざわざ生協の本屋に行ったかというと、今月から月に一回、『週刊エコノミスト』で読書日記のようなものを担当することになったからだ。私の担当の第一回は4月21日発売号に載る予定。

 『書物の運命』に収録した一連の書評を書いた後は、書評からは基本的には遠ざかっていた。たまに単発で書評の依頼が来て書くこともあったけれども、積極的にはやる気が起きず、お断りすることもあった。たしか書評の連載のご依頼を熱心にいただいたこともあったと思うが、丁寧に、強くお断りした。

 理由は、そもそも人様の本を評価する前に、自分で、人様に評価されるような本を書かねばならないことが第一。そのためには研究上必要な本をまず読まねばならず、それはたいていは外国語で、専門性の高いものばかり。それでは一般向けの書評にはならない。自分が今は読みたいと思わない本について、しかも引き受けたからには必ず何かしらは褒めなければならない新聞・雑誌の書評は苦痛の要素が大きい。

 世の中には、書評委員を引き受けていると、出版社や著者からタダで本が送られてくるから、書評してもらえるかもと愛想良くしてくれるから、とそういったポジションを求めて手放さない人もいると聞くが、まあ人生観の違いですね。

 また、新書レーベルが乱立して内容の薄い本が乱造され、「本はタイトルが9割」と言わんばかりの編集がまかりとおる出版界の、新刊本の売れ行きを助けるための新聞・雑誌書評というシステムの片棒を担ぐのは労力の無駄と感じることも多かった。なので、書評は基本的にやらない、という姿勢できた。

 それではなぜここにきて書評を引き受けてもいいという気になったかというと・・・・

 まあ、「気分がちょっと変わったから」しか言いようがないですが、強いて言えば、『週刊エコノミスト』に何度か中東情勢分析レポートを書いて、書き手としてのやりがいや、読者の反応が、「意外に悪くない」と感じたことが一因。紙媒体で見開きぐらいの記事が、企業とか官庁とかの組織の中でコピーされたり回覧されて出回るというのが、インターネットが出てきた後もなお、日本での有力なコミュニケーションのあり方だろう。

 その最たるものは「日経経済教室」ですね。とにかく一枚に詰め込んであって、勉強しようとするサラリーマンはみんな読んでいる(ことになっている)。

 ネットでのタイムラグのない情報発信も『フォーサイト』などで試みてきたし、これからも試みていくけれども、やはり固い紙の活字メディアの流通力は捨てがたい。

 ずっと以前の『週刊エコノミスト』の編集方針や論調には正直言って「?」という感じだったので、おそらく編集体制がかなり変わったのだろう。そうでないと私に依頼もしてこないだろう。

 ただし、引き受けるにあたってはかなり異例の条件を付けた。それは次のようなもの。「新刊本を取り上げるとは限らない。その時々の状況の中で読む意義が出てきた過去の本を取り上げることも読書日記の主要な課題とする。さらに、読書日記であるからには、外国語のものや、インターネット上で無料で読めるシンクタンクのレポートやブログのような媒体の方を実際には多く読んでいるのだから、それらも含めて書く。その上でなお読む価値のあるものが、日本語の、書店で売られている、あるいはインターネット書店で買うことができる書物の中にあるかどうか検討して、あれば取り上げる」。
 
 こういった無茶な原則を編集部が呑んでくれたからだ。当初の依頼とはかなり違ったものだ。

 考えてみれば、雑誌の書評欄というものは、「新刊本を取り挙げる」というのが大前提で成り立っている。雑誌に書評が出れば書店がそれをコーナーに並べてくれるようになるから売れ行きが伸びる(かもしれない)。だからこそ出版社も雑誌に広告を出したり、編集部に本を送ってきたり情報を寄せたり中には著者のインタビューを取らせたりと、便宜を図る。そういうサイクルの中で新聞や雑誌の「書評欄」というものは経済的に成り立っている。それを「新刊はやりません」と言ってしまったら雑誌に書評欄を設ける意味が、経済的にはほとんどなくなってしまう。「新刊本をやらなくていいという条件ならいかが」と言われて呑んだ編集部はなかなか度胸がある。

 ただしそれは従来までの本屋のあり方に固執すればの話だ。インターネット書店でロングテールで本が売れる時代なのだから、それに合わせた書評欄があっていいはずだ。

 今現在の国際問題・社会問題などを理解するために有益な、忘れ去られた書物を発掘して再び販路に乗せるためのお手伝いをするのであれば、書評欄を担当するなどという労多くして益の少ない作業にも多少のやりがいが出るというものだ(原稿料などは雀の涙なので、大々々々赤字です。この連載を受けると決めてから市場調査的に勝った本だけで、すでに数年間連載を続けても回収できない額になっています)。

 「昔の本など取り挙げてもらっても在庫がないよ、棚にないよ」という出版社・問屋・書店の意向というのは、それは彼らの商売のやり方からは都合が悪い、というだけであって、書物そのものの価値や必要性とは関係がない。

 むしろ本当に良い本が生きるための業態・システムを開発した人たちが儲かるような仕組みがあった方がいい。そのためにも一石を投じるような本の読み方を示したい。

 話が長くなったが、たった10分のところにある生協の本屋に歩いて行く気になったのも、そういった趣旨の連載をやるからには、各地の本屋を見ておかねば、と思ってまずは手直なところからはじめたというわけ。ずいぶん遠回りしたね。

 生協のレジの最年長のお姉さん/おばさんが、学生時代の時と同じ人だったのはびっくり・・・まあ何十年もたったわけじゃないので当然なんだが、こちらはいろいろ外国やらテロやら戦争やらを経験して帰ってきてやっと落ち着いた風情なので、まあ驚くやら安心するやら。

先端研の春

 新学期ですね。いろいろ棚卸し、在庫整理的なことをして終日研究室にて過ごす。

 桜も満開。まだつぼみばかりの枝もあり、とうぶん目を休めてくれそう。

 教養学部の生協の書店まで歩く。先端研のある代々木上原(番地は駒場だが)と、東大教養学部がある駒場にかけての一円にこんなに桜の木が多いなんて、学生の時にも、先端研に就職してからも、気にしたことがなかった。
 
 おそらく学生時代はそんなことにかまっている心の余裕がなく、あまりキャンパスにも来なかった。そもそも中東をぶらぶらしていて日本にいなかった。

 先端研に就職したのが2008年10月、年度の半ばに来たので、桜の季節に新らしい職場に入るという気分を味わうことがなかった。先端研は大きな部屋を渡されて、備品から何から、ゼロから設営するという、ITヴェンチャー企業のインキュベーション・センターのようなところ。

 私に割り当てられた部屋はだだっ広く、ちょっとした図書室が作れる面積。日本語・欧米語・アラビア語で集めてきた書物を、はじめて棚に並べて一覧することができる。

 それまでは箱に詰めてあちこちに収納しておき、あるテーマについて論文を書くとなると出してくる、というふうにするしかなかった。これではどうしても視野が狭く、まとまった仕事ができそうになかった。これまでに集めた本を並べる広さの研究室がもらえる、というのが先端研に来た最大の理由の一つだった。

 しかしそうはいっても、並べるための本棚は自分で予算を見つけてきて発注して設営しないといけない。それだけではなく、それ以前の段階の大問題が発生。私が割り当てられた部屋は、昔使っていた研究室が行った工事の施工が悪かったのか、あるいは重すぎる機器を置いたのか、床が波打ち、へこんでいた。これでは本棚を置けない。まず床下の修理と床の張替の予算を見つけてこなければならなかった。

 そんなこんなで、丸一年はばたばたしていたでしょうか。その間も仮設備で研究はしていたが。

 やっと落ち着いた、という気分になったのが昨年の半ばごろ。先端研に移って来て5年を過ぎ、これまでに務めた職場のいずれよりも長く在職したことになったころから。ジェトロ・アジア経済研究所が3年、国際日本文化研究センター(日文研)が4年半でしたから。

 先端研の中庭グラウンドの桜に目がゆくようになったのは、2年ほど前からでしょうか。ここは近隣の方々が足を延ばして見に来る、ちょっとした桜の名所。今ちょうど満開です。

 本郷キャンパスの安田講堂のような威容ではないけれども、先端研にも時計塔があります。桜吹雪が舞うグラウンドを前景に、レンガ造りの時計塔を後景に入れて撮るのが、先端研のベスト・ショットでしょうか。

 先端研の今のポストは、いつまでいられるか分からない不安定な雇用条件の代わりに、破格の研究環境を(お金ではなく使用面積ですが)与えてくれるという究極の交換で成り立っています。

 この季節が巡ってくるたびに、「あと何回、ここで桜を見られるだろうか」との思いが胸に去来し、散る花がひときわ美しく胸に迫ってきます。

 いい写真が取れたらこのブログにアップしましょうかね。