「危機の震源」がだんだん近づいてきますね

 ウクライナ危機の陰で進んでいた、台湾の学生を中心とした、台中サービス貿易協定締結強行に反対する、反政府抗議行動の高まり

 思考実験として、そして将来への現実的な備えとして考えておかなければならないのは、もしこの抗議行動が激化して、一部に武装集団なども現れ、大規模な騒乱状態になった場合、あるいは馬英九政権が倒れるような事態になった場合、どうなるか、ということ。
 
 中国との貿易協定で「中国の植民地になる」と危機意識を高めた国民の反政府運動の盛り上がりで政権が倒れたり紛争になって、中国がこれを機会に軍事侵攻をしたらどうなるだろうか。

 ついでに想像するならば、ロシアがクリミアでやったように、ワッペンを外した大量の軍人を送り込んで、制圧した上で「中国本土との一体化を求める住民投票」を行わせて「圧倒的多数が支持」したら?それに反する多数の台湾人が反対運動を続けて、日本や、米国に助けを求めてきたら?

 ウクライナでの危機と同様の事態が、一気に、日本を主要な当事者として、生じることになります。

 日本は何もしない、ということでいいのでしょうか?あるいはアメリカに「何かしろ」と要求するだけなのでしょうか。
 
 さらに、もしアメリカが何かすると、今度は「不当な介入だ」と言う人がまた出てくるのでしょうか。たぶん出てくるでしょうが、より近傍の核・軍事大国がもっと手荒なことをしても批判しないのだったら、そういう議論はついに説得力を失うでしょう。

 2013年にはシリア問題やイラン問題で、あるいはエジプトやトルコやイラクでも、冷戦後の世界政治の一極支配の中心だったアメリカの限界が露見した。

 2014年の各地の動きは、その後の世界秩序の再編をめぐる大きな動きが現れていると言っていい。少なくとも、そのようなものとして解釈され、新たな将来像が見通されていくだろう。

 中東で先駆けて生じた変化が、まずウクライナに転移した。その次はどこに出るかわからないけれども、もしかすると、台湾に波及するかもしれない。まだその可能性は低いけれども。

 実際に、国際的な論調では、ウクライナ問題をめぐる米露関係は、ほとんど常に、シリア問題やイラン問題を踏まえて、あるいはそれらと絡めて、論じられ、東アジアへの波及は含意が取り沙汰される。

 ウクライナとか台湾とか、専門でない分野についてあれこれ語る気はないのだけれども、それら全体を通底する問題、認識枠組みや概念については、中東を見るという作業と不可分である。そのため、このブログでもウクライナ問題について何度も取り上げたように、各地の事象に常に注目して検討している。

 私にとっての「中東を見る」ということはそのようなグローバルな視野で各地の動きを見ることと一体。

 中東を中心に、国際情勢の分析をするようになったのは、依頼を受けて書くようになってからだ。

「中東 危機の震源を読む」という連載タイトルで中東情勢の定点観測をし始めたのが2004年の暮れ。第一回はこんなんでした。「イラクの歩みを報じるアラビーヤの登場」《中東 危機の震源を読む(1)》『フォーサイト』2005年1月号

 連載の前半は本になっている。

 中東 危機の震源を読む
『中東 危機の震源を読む(新潮選書)』

 かなり分厚くなった。ほぼ中東全域をカバーして、時々フィリピン・ミンダナオなどのイスラーム世界や、欧米のムスリム移民の問題、米国の中東政策なども取り上げている。2011年の変化に至る様々な予兆なども、結構とらえていたと思います、今読むと。

 今やっている現状分析は大部分、この本に収められている毎月の分析を書く中で身に着けた感覚・能力・手法をベースにしている。

 「中東 危機の震源を読む」の連載そのものは、『フォーサイト』がウェブ化されてからも続いて、今88回になっている。それ以外に、ブログの「中東の部屋」にも2011年9月から書くようになって、そこではインターネット時代の国際政治の急速な変化に即応して、早期の情報発信を試みてきた。月刊誌というメディアには、国際政治を素材とするためには明らかに限界がある。ただし、混沌としてきた国際情勢の中長期的な見通しを示すには、月刊誌という媒体の方がウェブよりも有効ではないかとも思うけれども。

 『フォーサイト』が紙媒体の月刊誌だった時、毎月一回、印刷と発送から逆算して締切日があって、それに縛られている、というのは、かなりの制約というか苦痛だった。

 分からないことを、分からないうちに書かなければならない。自分で締め切りを設定できるなら、これはという確信が持てるぐらい情報が集まったり分析が進んでから書きますよね。ただし待ちすぎると、結論に確信を持てた頃にはもう情報は陳腐化していて、分析の必要がなくなっている。実際、『フォーサイト』がウェブ化されて、必ずしも月一回というペースで書かなくてよくなると、これがなかなか書かなくなるんですねー。

 それもあってより気軽に書けるブログの「中東の部屋」も引き受けたのだった。

 連載なので、テーマはほぼ自分で設定できる。企業や官庁のアナリストでは、求められるテーマについて分析することも多いだろう。それに比べると制約は少ない。ただし、そもそも何が問題なのか自分で発見して提示するというのはかなり大変。テーマを与えられた方が楽と言えば楽。

 中東研究は大学・大学院でやってきたけれども、東大に中東現代政治についての体系だった授業があったわけでもない。強いて言えば、半年だけ、放送大学の高橋和夫先生が非常勤で来ていた授業があった。米国の中東政策を軸として、イラン・イラクを中心としたペルシア湾岸の地域政治を含めた、中東国際政治の授業だった。非常によく整理された計算されて考え抜かれた、東大では受けたことがなかったタイプの授業だった。今でもよく覚えています。

 それ以外の授業は現代でも社会経済史とか、それ以外は中世文学とかしか、中東地域に関する授業はなかった。

 ですので中東政治の情勢分析について公式的な形で、体系的に訓練を受けたわけではなく、依頼を受けて毎月やっているうちに、そこそこできるようになってきた、というオン・ザ・ジョブ・トレーニングの結果です。

 9・11事件を受けて、グローバルなイスラーム主義の政治運動の動きについて、理論・思想を踏まえながらある程度現状分析をするというタイプの文章をいくつか書いた。「社会思想」の枠で幅広く各国の社会・政治を見ていたので、各国の現状分析にそれなりに適応する素地はあった。そういった観点から単発でいくつか書いた現状分析を見て『フォーサイト』編集部が、イスラーム教やイスラーム主義に限らない中東情勢分析全般にわたる連載を依頼してくれた。

 その時、連載のタイトルをいろいろ考えたのだけれども、中東の特性と、私の方向性・適正から、自然に「中東 危機の震源を読む」に落ち着いた。

 それは、中東を見ることは単に遠い特定の世界の分析をすることに限定されない、と思っていたからだ。中東を見ることは、やがては日本にも重要な影響を及ぼすような事象が生じるのを、いち早く目撃するということ。

 世界政治を動揺させるような変化の先駆けは往々にして中東で先駆けて起る。あるいは、中東で起った事象の影響が波及して世界に及ぶ。

 直接的には、中東から「イスラーム世界」というつながりで南アジア・東南アジアに向けて影響力が及んだり、「欧米VS非欧米」という対立の最前線である中東での動きが世界各地の非欧米諸国での動きを誘発したりするけれども、間接的にも、世界全体の趨勢を中東が最も早く反映して変化が現れる、ということがよくある。

 「中東が好きだから」中東をやっているわけではない私としては(まあ好きではありますけど。楽しい世界ですよ)、中東の定点観測は、単に遠いエキゾチックな世界の出来事を伝えるだけでなく、やがてそれが我々の世界に

 「ホルムズ海峡が閉鎖されたら日本の石油はどうなる」といった、それ自体重要ではあるが、中東の重要性はそれには限られないことを、ことさらに、中東研究の重要性や(あるいは「自分の」重要性・・・)を宣伝するために強調して煽る手法が出回っているけれども、私はそういったことには興味がない。

 中東の動きを大枠から微細なところまで見続けていると、われわれの生活に身近で根底的なところから影響を及ぼすような変化が先立って見えてくる。その面白さをこれからも示していたい。

 年度初めにちょっと考えたことでした。

 在庫の棚卸し&整理に戻ります。