答え合わせ(1)チュニジア立憲プロセス成功の理由

中東・イスラーム学のブログを始めてみて10日ぐらいしかたっていないけど、ほかの同様のブログでは何を言っているのかが気になってきた。

まずチェックしたいのは、ファン・コール先生(ミシガン大学教授)のブログ「Informed Comment」

英語圏の中東情勢ブログの最高峰。誰も追随できない。エントリ数がすごく多い。重要なニュースへのリンクが早い。コール先生のお友達の優秀な学者のコメンタリーや論文なども即座にリンクされる。ウェブ上の中東情報のうち、それなりに重要なもの、面白そうなもの、話題になっているものを選り分けてくれるClearinghouseの地位を確立している。米国の政治ブログの最優秀賞のようなものをもらっていたこともある。

もし本気で中東について毎日追いかける気がある読者は、私のブログより先にコール先生のブログを見てほしい。

そしたら、、、

1月25日の記事に、
Why Tunisia’s Transition to Democracy is Succeeding while Egypt Falters, By Juan Cole, Jan. 25, 2014
「なぜチュニジアの民主主義への移行は成功しつつあり、エジプトは躓いているか」

(!)

私の方でも1月25日に、
「チュニジアではなぜ移行期プロセスがうまくいっているのか」
という記事を載せているので、キャー、あんまり違っていたらどうしよう、でも全く同じだったら真似したと思われる。

と思ってドキドキしながら比較してみました。(なお、時差があるので、日付は同じでも私の方が半日早くアップしています。念のため)

コール先生の方は、チュニジアでうまくいっている理由(エジプトでうまくいっていない理由)について5点にまとめている。要点は、

(1)チュニジアでは軍が中立を保った(エジプトでは繰り返し介入して不安定化の要因となった)
(2)チュニジアではイスラーム主義派が自制して、立憲プロセスでイスラーム法条項に固執しなかった。野党政治家の暗殺事件に対する辞任要求を呑んで内閣総辞職を約束した。
(3)チュニジアでは労働組合の全国組織(UGTT)が自立的でかつ強力だったため仲介役を果たせた(エジプトの労働組合は自立的でも協力でもない)
(4)チュニジアの世俗主義派は宗教政党ナハダ党の排除を要求しなかった(エジプトではムスリム同胞団の全面排除を図って、持続的な抗議行動を招いている)
(5)チュニジアの経済は若干ながら改善している(エジプトではムスリム同胞団期と軍政期を通じて経済停滞)

それに対して私の方も、偶然にも5点の箇条書きで(私は普段あまり箇条書きはしないで文章にする癖がありますが)、チュニジアでうまくいった理由をまとめていました。

(1)軍が政治的中立を守ったこと。
(2)司法が不当な介入を行わなかったこと。
(3)文民の労働組合連合会や市民団体が対立する政党間の仲介者となったこと。
(4)イスラーム主義派と世俗派民族主義派がそれぞれ妥協したこと。
(5)ナハダ党・共和主義派の連立政権は退陣を呑んだが、立憲議会の解散は呑まなかった。(正統な立憲プロセスを死守した)

としてありました。

私の方では「司法」という要因を入れているのに対して、コール先生は経済要因を入れている、というぐらいが違いでしょうか。

経済については、どれだけ実態が数字に反映されているのか、それが政治にどう影響するのか、正直に言って、私にはよく分かりません。

むしろエジプトの場合に、司法が危ない要因だなあ、と以前から思っていたのが(池内恵「エジプト民主化の混乱要因は「司法の独立」」『フォーサイト』2012年6月14日)、昨年7月のクーデタ以来暴走を極めているので、失敗要因として入れねばと思いました。チュニジアでは民意を受けた立憲議会が憲法を自ら作り出していくことを司法が妨害していない。エジプトでは、「前の憲法に照らして、新しい憲法は違憲」と言い出しかねないほど、司法が邪魔をしました。比例代表制は違憲、という無茶な判決で議会を解散させたのが大きかった(池内恵「司法判断により議会は解散、大統領選挙は実行」『フォーサイト』2012年6月15日)。

どちらが正しい、というわけでもないでしょうし、どちらもすごく短い時間で、その日思ったことを書いているだけだと思います。

ほぼ同日同刻に、米国と日本で、中東研究者が同じことについて考えてブログに書いていたと思うと、心が温まります。

まあこの話題、「チュニジアではなぜうまくいって、エジプトではなぜうまくいかないのか」で書いておいたように、現在の重要な論点なので、どこの国でも専門家の頭にはよぎっていたはずですけれども。

チュニジアで新憲法制定 組閣も

1月26日深夜、チュニジアの立憲議会が新憲法案を可決。信任投票の必要はなく、そのまま制定へ。

149か条からなる新憲法

ジュムア新首相も組閣名簿をマルズーキー大統領に提出。こちらは議会で承認されるかどうかまだ分からない。内務大臣の再任をめぐって、世俗派がイスラーム主義派を突き上げるという構図。

チュニジアの立憲プロセスの重要性については集中的に書いてきたので、改めて列挙します。

「チュニジアではなぜうまくいって、エジプトではなぜうまくいかないのか」(1月26日)

「チュニジアとエジプトの論戦@ダボス会議」(1月25日)

「チュニジアではなぜ移行期プロセスがうまくいっているのか」(1月25日)

エジプト軍ヘリ撃墜で「地対空ミサイル使用」の恐怖

エジプトがまた一歩、局地的・低強度ながら「内戦」に近づいている。

その画期と言えるのが、1月25日のシナイ半島北部シャイフ・ズワイドでの軍ヘリコプター撃墜だ。当初はエジプト政府当局は機器の故障が原因としていたが、実際には撃墜されたことが明らかになった。

1月24日のカイロ警察本部はじめとした4ヵ所の爆破テロで犯行声明を出したアンサール・バイト・マクディス(聖地エルサレムの守護者)が、軍ヘリ撃墜についても26日に犯行声明を出した【声明ビデオ】【ユーチューブの犯行声明ビデオは日本時間27日夜の9時の時点で16万ビューを超えている】

翌26日にもシナイ半島で軍兵士を乗せたバスを襲撃して3名を殺害している。

私にとっての「まだ見ぬエジプト」が急速に姿を現している。

私にとってのエジプトは、1990年代から2000年代の、イデオロギー的分極化や経済格差や根深い社会問題が、とてつもない規模で存在しながら、なぜかそれが国民社会の分裂や秩序の崩壊には至らない、けだるい共同幻想の中に微睡んだ、腹立たしいほど停滞した、だけど安全な国。

あのかつてのエジプトは、もう戻ってこないのか。

少なくとも、すでにエジプトは政府に対するinsurgency(武装・組織的反乱)が恒常的に行われている国、という点に異論はないだろう。つまりイラク戦争後のイラクや、アサド政権下で内戦に陥ったシリアと、程度と規模は異なれど、同類ということになる。

このことを軍と軍支持層は現在、必死に否定しようとしている。軍礼賛のフェイスブックページには、1995年の米オクラホマシティ連邦政府ビルの爆破事件の写真を掲げて、このような事件があったからといって米政権が崩壊したわけでもなく、内戦になったわけでもない。エジプトも大丈夫だ、という元気づけているのか何なのかよくわからないエントリが載っていたりする。

アメリカで少数の狂信者が単発の事件を起こした事例と、より社会に根深く定着し、歴史の長いジハード主義運動を混同するのは、自己欺瞞というべきだろう。

アンサール・バイト・マクディスの犯行声明で衝撃的なのは「ミサイルを使用した」と主張していること。軍側もミサイルの使用を認めている

地対空ミサイル(Surface to Air Missiles: SAMs)を反政府勢力が大量に入手し、使いこなしているのであれば、エジプトの治安情勢は異なる次元に入る。

『Mada Masr』紙はこう記す。

According to David Barnett, research associate at the Foundation for Defense of Democracies, the use of SAMs in this attack is of key significance, due to the important role helicopters have been playing in military operations in Sinai.

“Before yesterday there had been no credible reports that Sinai jihadis had yet used a SAM in their attacks in North Sinai… If Ansar Beit al-Maqdes continues to use SAMs, the heavy reliance on helicopters in Egyptian operations in North Sinai could become unsustainable,” he said.

地対空ミサイルを配備した勢力に対しては、軍の作戦は自由に展開できなくなる。鎮圧にはより大規模な砲撃を行う必要が出てきて、民間人の死傷者も格段に増加する。反乱勢力側は潜在的には民間航空機を打ち落とすこともできることになり、カントリー・リスクがさらに高まる。

リビアのカダフィ政権が崩壊し、その武器庫が略奪にあって、中東から北アフリカ・サヘル・サハラ地域に武器と武装民兵が拡散した。ここでとくに警戒されたのが、地対空ミサイルの拡散である。これについて、次のように分析したことがある。

「リビアのように、軍の一体性が崩壊し、反カダフィで蜂起した諸部隊が地域ごと、派閥ごとに群雄割拠して一部で新生リビア国軍との衝突が生じている現状では、まずは軍の再統一を支援する必要がある。それよりも前の喫緊の課題は、内戦中に行方の分からなくなった1万発に及ぶミサイルの追跡だ。特に携帯式の地対空ミサイルが各国のテロリストに拡散すると、民間航空機の安全が脅かされる重大な危機をもたらす」(池内恵「米国務省「政軍関係次官補」のリビア、エジプト、サウジ訪問」『フォーサイト』2011年12月13日)

当時盛んに心配されたものだが、ついにエジプトでも地対空ミサイルが使用されてしまった。

現在はまだシナイ半島で使われているだけだが、これがスエズ運河を超えて「本土」でも使用されるようになると、これは完全に内戦だろう。カイロやデルタ地帯の人口密集地での一連の大規模な爆破テロを見ると、地対空ミサイルが本土で使用されるのも時間の問題に感じられる。

本土でも地対空ミサイルが使用されるようになれば、エジプトの治安状況は、1973年の10月戦争以降には経験したことがなかった水準の危険度となる。しかも、危険は敵国イスラエル空軍機の来襲によるものではなく、エジプト軍が人口密集地で、武装集団相手に自国民を巻き添えにしながら戦闘を繰り広げることに由来する、という前代未聞の事態になる。

そうなってもなんら不思議ではない。昨年7月3日のクーデタ以来の軍による反体制デモ弾圧の規模は、殺害した数からいえば、2011年のリビア・カダフィ政権や、同年のシリア・アサド政権の弾圧の水準に達している。両国はその後内戦に陥った。

「エジプトではそんなことは起らない」という通念が、エジプト専門家や、外務省などの担当者、駐在したことのある記者などの間にはある。それはかつてのエジプト社会に広まっていた通念に依拠している。

しかし客観的にみて、昨年7月以降の状況は、1990年代とは異なっている。政府の弾圧の規模と強度も、反政府派が入手しているとみられる兵器の規模も格段に異なる。

また、エジプト人の抱いている主観的な認識も、過去3年で大きく変わったのではないか。

このまま軍・警察がムスリム同胞団やその他の野党勢力を弾圧・排除しながら武装反乱集団と対決していくのであれば、警察・治安機構が散発する小規模のテロを抑え込んだ「1990年代のエジプト」ではなく、軍が反政府武装組織と長期間にわたり血塗られた内戦を繰り広げて、社会・経済の停滞と民心の荒廃の果てに、その特権を守り抜いた「1990年代のアルジェリア」型の展開になりうる。あるいはパキスタンのように、軍政とイスラーム主義武装勢力が恒常的に紛争を繰り広げながら共存していくのかもしれない。

もちろん、「そんな危ないところには誰も行かない」というタイプの国になってしまう。アルジェリアと違って大規模な天然資源のないエジプトには、そのような選択肢はないはずだが。

なんとか踏みとどまってくれればいいのだが。しかし7月3日のクーデタは、過去にエジプトが「踏みとどまって」きたことの根底にあった、社会の一体性の紐帯を破壊してしまった気がする。