エジプト情勢の今後の見通し

1月24日のテロは、今後のエジプトの政治の展開にどう影響を及ぼすだろうか。

(1)軍・警察が「対テロ戦争」を標榜し、軍主導の政権へのいっそうの翼賛を国民に呼びかける。
(2)スィースィー国防相が軍籍を離脱し「文民」と称して大統領選挙に立候補。反対勢力を排除し、圧倒的な得票率で当選(ただし投票率は低い。賛成票と棄権のみ、という状況で、選挙による体制正当化の効果が薄れる)
(3)カイロなど都市部を中心に中間層がこれを熱狂的に支持してみせる。
(4)軍主導の政権はムスリム同胞団がテロを行ったと主張して弾圧を続行。
(5)世俗派の軍政批判に対しても同様に弾圧を強化。「非国民」と糾弾して封殺。
(6)ジハード主義者に一定の支持が集まり、大規模なテロが頻発する。
(7)いっそう軍への支持が高まり大量逮捕、銃撃による殺害が支持される。
(8)過激化する者も増え、テロリストが増殖。
(9)治安の悪化で観光客は戻らず、投資も戻らない。
(10)雇用が全く増えず、毎年の大学卒業生はそのまま失業者数にカウントされていく。

・・・といった将来が想定されます。

外的環境としては、欧米の先進国で軒並み低成長が恒常化。以前のように移民労働者を受け入れない(例えばスペインからフランスやドイツへ労働移民が大挙して行っていますから、アラブ諸国から受け入れる必要はないでしょう)。

移民という安全弁がなくなって、国内に滞留した若者の不満をどこに逃せばよいのか。当分は「ムスリム同胞団狩り」などを扇動してストレス解消をさせていますが、数年たてば、「少なくともムスリム同胞団の統治の1年はこんなに荒れていなかった」という郷愁が高まる、などということになるかもしれません。

エジプトについてしばしば言われる「軍が出てくれば安定する」という議論は、幻想ではないかと思います。

「現状ではエジプト人の多数派が積極的あるいは消極的に軍政を支持・容認するだろう」という見通しと、「軍が乗り出してくれば安定する」という因果関係の想定は、論理的に別の問題です。前者はおそらくそうでしょうが、後者は自明ではありません。

1990年代にジハード団やイスラーム集団のテロを抑え込んだ「成功体験」を思い起こす人がいるかもしれませんが、当時とは条件がことごとく違っています。

(1)メディア・情報空間の変容、(2)「アラブの春」以後の「革命の文化」の浸透(軍もこれに参入して扇動・大衆動員を繰り返している)、(3)武器の拡散、大規模・高度化、(4)国際環境の変化、米国が最終的に現政権の安全を保障してくれる、とは見られていない(大混乱になれば見捨てる、と思われている)。

軍にとっては、自らの支配を正当化するために、テロが頻発している状態は好都合です。「軍が安定をもたらす」かどうかは分かりません。「軍でなければ安定をもたらすことができない、と人々が思っている状態が軍にとっては望ましい」ということは確かです。でもそれは「安定の実現」ではありませんね。「安定の期待」でしょうか。期待があるうちに現実を変えられればいいですが、期待だけだと、やがては「裏切られた」ということになって事態は悪化します。

しかしカイロの真ん中で「テロとの戦い」をやっていては、軍以外の一般経済、特に観光は大打撃を受けるので、なんら生活改善にはならないでしょう。当分、軍が「革命」を謳って大衆を動員し、「ムスリム同胞団打倒」で熱狂させて気分を逸らして、その間に諸外国から援助を引っ張ってきてばらまいたり住宅バブルを起こして・・・という算段でしょうが、世界経済が減速し、米国の覇権も希薄化しているので、空回りするのではないかと思います。

でも軍とそこに身を委ねた都市中間層は、先のことはもう考えていられないのでしょう。

テロとムスリム同胞団の関係

カイロの警察本部への爆破テロについて、多くの報道が出ている【爆発の瞬間】【エジプトに関して質が高い英語メディアはこれ】。

軍・警察への翼賛体制となっているエジプトでは、今回のテロも「ムスリム同胞団の仕業だ」という議論が活発に行われるだろうが、これは疑わしい。少なくともエジプトが今抱えている政治問題を正確に反映していない。

まず、ムスリム同胞団は、幹部が中枢から末端組織までほぼくまなく逮捕され投獄されているので、ここまで大規模な攻撃を連続して組織し続けることは不可能だろう。

むしろ、
(1)ムスリム同胞団と競合し、対立してきたジハード主義者・武装闘争路線の集団が活性化した、と見る方が自然だ。

そこに、
(2)本来ならムスリム同胞団の政治活動を支持していた層が、一部、軍によって排除されたムスリム同胞団に失望して、ジハード主義側に参加あるいは支援に転じて、結果としてジハード主義勢力が勢力を拡大しているのではないかと疑われる。

(2)でムスリム同胞団の末端の活動に明確に加わっていた者が、(1)のジハード主義勢力に加わった事案が摘発される可能性はある。そこで軍・警察・司法が、いっそうムスリム同胞団の弾圧を強めると思われるが、問題の解決にはつながらない。

一連のテロにはアンサール・バイト・マクディス(聖地エルサレムの支援者)という団体の関与が疑われている。今回の事件の前日にも、エジプトの警察・治安部隊に離反・蜂起を呼びかけるEメールの声明を送りビデオ声明を発している。

なお、エジプトのメディアは早速「犯行声明が出た」と報じたが、そうではない。しかしグローバル・テロリズム情報を収集するSITE社は24日に、アンサール・バイト・マクディスの犯行声明を確認したと発表している。

ムスリム同胞団と、アンサール・バイト・マクディスのようなジハード主義武装闘争路線の集団との関係については、すでにエジプトでの前回の大きなテロ(2013年12月24日のマンスーラでの県警本部爆破事件)に際して『フォーサイト』に書いておいたので、その一部を再録しておく。

 ムスリム同胞団と、「聖地エルサレムの支援者たち」などジハードを掲げる武装闘争路線の過激派は、元来が系統が異なる。両者は長く路線闘争を繰り広げてきた。ムスリム同胞団が、慈善団体や政治団体を通じた、既存の制度内での改革を主張してきたのに対し、1970-90年代のジハード団やイスラーム集団、現在の「聖地エルサレムの支援者たち」のようなジハード主義の過激派諸組織は、制度内での政治参加は無意味であると批判してきた。7月3日のクーデタは、武装闘争路線を取る過激派たちに、「自分たちの主張は正しかった」と確信を強めさせただろうし、一定数の市民から支持や共感を受けたかもしれない(ムスリム同胞団と武装闘争派との対立・競合の歴史については、池内恵「「だから言っただろう!」──ジハード主義者のムスリム同胞団批判」『アステイオン』79号、2013年11月に記してある)。
アステイオン第79号

エジプト・カイロ警察本部への大規模なテロ(1月24日)

エジプトでは昨日1月24日、複数の大規模な爆弾テロがあった。

最も重要なのは、カイロ警察本部の爆破。写真を見る限り、これはもう局地的な「内戦」「軍事攻撃」に近い規模になっているのではないかと思われる。

タハリール広場に近い内務省のビルは、近くの通りをブロックで封鎖して近づけないようにしてあるので、犯人側は、警察本部を標的にしたようだ。エジプトの治安の総本山が、道路に面した部分だけとはいえ、大破するような大規模な攻撃が起こるというのは、元来が治安が良く、一般市民の武装の度合いが低かったエジプトが変質したことを表わしている。

カイロ警察本部はポート・サイード通りという大通りに面していて、ここの交通を止めてしまうわけにはいかないので、守りにくいのは確かだ。

なお、ポート・サイード通りを挟んだ向かいには「イスラーム美術博物館」があり、その裏には「国立図書館」の新館で、中世の高価なマニュスクリプトなどを展示するコーラン展示室がある。どうやらここにも被害は及んだようだ。攻撃あるいは戦闘の規模の大きさをうかがわせる。

エジプトのテロはムバーラク政権時代に抑え込まれ、大規模な攻撃が生じるのはシナイ半島など、辺境地帯に限られていて、カイロなど中心部では事件が起きても小規模だった。それがムバーラク政権の末期から雲行きが怪しくなり、2011年の政権崩壊後に拡散を始めた。

特に、シナイ半島からスエズ運河を超えて、エジプト「本土」に大規模な攻撃が及ぶようになったことは、基本的に「安全」であるといえたエジプト社会が、根底から変わりつつあることを示すのではないか。

2013年9月5日のカイロでの内相爆殺未遂事件【「エジプト内相暗殺未遂事件の深刻さ」『フォーサイト』2013年9月6日」】、同年12月24日の北部マンスーラでの県警本部爆破事件【「エジプトの軍と過激派との全面衝突は「自由からの逃走」を加速させるか」『フォーサイト』2013年12月25日】、と「本土」では前例のない規模の大規模なテロが続いたうえでの、1月24日のカイロ警察本部を標的とした爆破・攻撃だった。

エジプトはどうなってしまうのか。

チュニジアとエジプトの論戦@ダボス会議

チュニジアはエジプトを「反面教師にしている」という話。

チュニジアのイスラーム主義系与党ナハダ党の最高指導者ラーシド・ガンヌーシー氏がダボス会議のパネルでエジプトの元外相・元アラブ連盟事務総長で、クーデタ後の新憲法制定のための「50人委員会」の議長となって、旧体制派の先鋒のようになっているアムル・ムーサ氏を批判。

ダボス会議の会議の英語のホームページではとっさに検索しても出てこないので(アラビア語とフランス語でしかやっていないのかも)、チュニジアのアラビア語の独立系ニュース短信サイトへのリンク

ガンヌーシー氏が「民主主義者だったらクーデタを正当化できないだろ」と言ったところ、アムル・ムーサ氏が激昂して発言を遮ろうとした、という瞬間がビデオ映像からキャプチャされている。

「発言を遮る」というのが今のエジプトの為政者の基本モードになっているようです。チュニジアでは「俺たちの方が上」と思っていて、逆にエジプト側では「侮辱された」と怒っているようですね。

チュニジアではなぜ移行期プロセスがうまくいっているのか

日本では誰も注目していないようだけど、1月23日に、「元祖アラブの春」のチュニジアでは立憲議会が憲法草案を確定した。あとは全文について改めて立憲議会で採決するのみ。早ければ26日にも行われるのではないか。

Constitution Passes Milestone, Final Vote Expected in Days, Tunisia-Live, 23 January

長い困難な道のりでしたが、よくここまできました。

エジプトで去年6月30日の反ムスリム同胞団デモと、7月3日のクーデタで、選挙で選ばれた政権を武力で排除、その支持者を幅広く武力弾圧中。大規模なテロが頻発し、低強度の内戦と形容したほうがいい状況になりかけている。

チュニジアもこのモデルを模倣するか、と注目されていたが、各勢力が辛うじて崖っぷちで踏み止まった。

チュニジアでは当初から「エジプトのまねはしない」と、反面教師としてエジプトを見る議論が多かった。

このあたりがアラブ政治の面白いところ。言語や文化が共通しているから、多くの情報は瞬時に伝播する。だけど、単純に同じことをやるのではなく、「あっちでやってうまくいかないからこっちではやらない」「ああならないように事前に対処する」といった反応があるので、各国の対応や帰結も一様にはならない。

チュニジアでは昨年2月6日(シュクリー・ベルイード)と7月25日(ムハンマド・ブラーヒミー)の、左派少数野党勢力の指導者の暗殺をきっかけに、「反イスラーム主義」で野党勢力がまとまって大規模デモやストライキを行い政権の退陣を迫る動きが進んだ。

野党勢力は旧体制派とも合流して、イスラーム主義政党ナハダ党主導の政権に退陣を迫り、退陣を約束させるに至る。このあたりは8月から12月まで二転三転した。

内閣が「やめる」「やめない」の押し問答は「混乱」の印象を誘ったが、重要なことは、軍は中立を守り、政権は退陣を呑んだが、立憲議会の解散(これも野党勢力は求めていた)は拒否し、立憲プロセスは残った。

その結果、イスラーム主義派と世俗派の双方が妥協した文面で憲法草案が確定した。

(1)軍が政治的中立を守ったこと。
(2)司法が不当な介入を行わなかったこと。
(3)文民の労働組合連合会や市民団体が対立する政党間の仲介者となったこと。
(4)イスラーム主義派と世俗派民族主義派がそれぞれ妥協したこと。
(5)ナハダ党・共和主義派の連立政権は退陣を呑んだが、立憲議会の解散は呑まなかった。(正統な立憲プロセスを死守した)

これらの点が、混乱や流血の比較的少ない移行期プロセスのモデルの重要な要件として示されたといえるだろう。

よそのアラブの国がこれに倣うとか、倣う気があるとか、すぐに倣うことが可能かというと、そうではないのですが。