書物の運命、の運命

考えてみれば、作りかけの「土台と柱だけ」の建物が居並ぶ街並みの風景は、私にとってのアラブ世界の原風景。ブロックを積み重ねて何年もかけて建物を作るのが現地のやり方です。

この風景について、ずっと昔、「屋上に立つドア」というエッセーを書いたことがあります(『文藝春秋』2003年4月号)。この雑誌に初めて書かせてもらった時じゃないのかな?

まだ20代の、何ら実績も経験もない書き手が、大御所たちと並んでしまう巻頭のエッセー欄で、なんとか恥ずかしくないようにと気を張って、ずっと年上の読者に精一杯楽しんでもらおうと思って書いていたことを思い出しました。

初心忘るべからず。

このエッセーが収録された、池内恵『書物の運命』(文藝春秋、2006年)は、毎日書評賞までいただいてしまいました(推薦してくださった皆様、ありがとうございます)。

ですが・・・残念ながら、絶版となるとの連絡を版元から昨年末に頂きました。

この本は、風合いのいい和紙系のカバーや、さりげないところに鍍金をあしらうなど、採算度外視かと思うほどに、本づくりの妙を尽くしていただき(装丁は菊地信義さん!)、世の本好きに向けて強く押し出していただいたのに、販売的には、ほどほどのところで力尽きた、という具合でした。わが身の非力さを思い知るばかりです。

けれども、思いもかけず毎日書評賞を頂くことになって、あの時は本当にうれしかったです。

古本屋さんで見かけたらどうぞ。

エルサレムより中継で:テレビ朝日報道ステーションでのコメント(12月23日)

今日はセンター入試の関係で夜になってから研究室に行って作業をしていたのですが、そろそろ帰らないといけません。夜道はいっそう寒いでしょうし。

昨年末はエルサレムへ行ってテレビ出演、年初早々に今度は米国ニューオーリンズへ学会発表に行ったため、論文や事務作業が滞っています。圧縮された年末年始の休暇では、到底終わりませんでした。

エルサレムに行ったのは、テレビ朝日「報道ステーション」の12月23日の回に出演するため。エルサレムの旧市街の中心地「神殿の丘」の「嘆きの壁」を見下ろす絶好の場所から、日本へ向けて生中継でコメントしました。「アメリカの覇権衰退で秩序なき中東」とのタイトルで、コメントの映像がネット上に公開されているようです。

映像の中でも出てきますが、この前日にテレビ朝日のクルーと古館キャスターは、イスラエルが1967年以来占領しているゴラン高原とシリアとの境界線まで出かけていきました。私も可能なら行く予定だったのですが、ウイルス性の風邪でダウン。エルサレムのホテルで寝ていて、ひたすら出演の瞬間までに回復することを目指していました。

ただ、VTRで映ったシリアのゴラン高原についてのナレーションはちょっと・・・まるで砲撃で崩壊した建物が並ぶかのように報じていましたが、実際に画面に映っている、土台と柱だけの建物群は、アラブ諸国によくある(他の発展途上国にもよくあるでしょう)、作りかけのビル。

原子爆弾でも落とさない限り、いきなり建物が土台と柱だけにはなりませんよ。アサド政権は確かに民間人の居住区に大規模に砲撃を行っていますが、それと普通の建築現場を間違えてはいけません。

しかしこれも私が体調を崩して取材に同行できなかったせいかもしれないですね。

『文藝春秋』って・・・

・・・「年配の人が読者層」というイメージがありますが、そして実際そうですが、それでも最近は、けっこう若い世代が将来を考えるのに役立つ情報や論点も載るようになってきていると思います。

若い人たちの将来を変えるには、この国を依然として動かしていて、本当は変わりたいんだけど変われなくて今いる場所にしがみついているオジサンたちの頭の中を、なんとかして変えていくのが、遠回りなようで、それでいて最も近道です。

20代で文章を書き始めたころに「君の文体年齢は60歳だね!」などと褒められ(?)てオジサマたちのメディアに受け入れてもらった私などが、ちょっとした橋渡しとなって、旧式の活字・印刷媒体に少しでも変化を起こせればいいなと思っています。

20年後の中東はどうなっている?(月刊『文藝春秋』2月号に寄稿しました)

最近出た文章を一つ紹介。メモ代わりに。

池内恵「米国なき後の中東に何が起こる」『文藝春秋』2014年2月号(第92巻第3号、1月10日発売)312-314頁。

「『20年後の日本』への50の質問」という特集の中の一本として寄稿しました。

実際には20年後を予測することなどできないので、これまでの20年ほどを振り返って、その延長線上に今後の20年はどうなるか、について考えてみました。

20年ちょっと前に起きた、中東の現在を方向づけた最も重要な出来事が、1991年の湾岸戦争。それと同時にソ連は崩壊し東側陣営がなくなっていました。それまでに世界を二分していた「東西冷戦構造」が消滅した。

特にロシアの大国としての地位が消滅したことで、とくに中東では米国一極覇権が確定。ペルシア湾岸(世界の原油輸出の多くを占める)やエジプト(東西貿易の要衝のスエズ運河を押さえる)に確固とした足場を築き、そこから「新世界秩序」の建設を謳ったのは、ブッシュといってもお父さんの方のジョージ・H・W・ブッシュ米大統領。

今の現役世代の多くは、湾岸戦争以後の米国の一極覇権の時代を当然のように生きてきた。日本は資源でも、資源や商品を運ぶための死活的な海路(シーレーン)でも、空気のように米国の覇権に依存していられた。

2013年に中東をめぐって起きた国際政治の変化は、こういった前提が揺らいでいることを感じさせました。2014年はもっとこれが明らかになるかもしれません。

20年後となると・・・・積み重なった変化が、より質的な変容をもたらすのか?あるいは米国が持ち直すのか。

私自身は、米国の軍事力や技術力やソフト・パワーなど、力の絶対量では、当分の間、依然として抜きん出ている状態が続くと思っているので、「米の衰退」を強く主張するのではなく、米国の覇権が「希薄化している」という表現で常々議論しています(それでも雑誌やテレビへのコメントをすると、編集側が「米の衰退」と見出しをつけてしまうのです)。つまり力はあるのだけどそれを実効性のある形で行使できない。

そこには2003年のイラク戦争に突き進み、フセイン政権そのものは簡単に打倒したものの、アラブ世界のイスラーム主義勢力の強硬派の勃興を招き、多くの血を流し、米国民がトラウマ(精神的な傷)を負った、というところが最も根本的な原因になっています。この傷が癒えない間は、米国の覇権は「希薄化」を続けるのだろうな、と思います。

そんなこんな、国際政治を議論する多くの人が感じていることを、中東を起点にシンプルに書いてみました。

ただし現実には、今後の20年の間には、ここで予想もしていなかったことが起こるでしょう。私には予知能力はありません。でも頭を絞って、今ある情報、見えてくるものから未来を予見しようと努力しないといけません。

センター入試初日

寒いですね。一年のうち一番寒い時期に行われるのが、大学入試。

国立大学の教員にとっても年中行事の、「入試試験監督」の業務が降ってくる時期です。考えてみれば、教員・研究者がほぼ全員、全国一斉に、同日同刻に、入試監督という単純作業に従事するというのは、私の知る限り日本だけです。

朝から日が暮れるまで、一心不乱に答案に取り組む受験生さんたちを見守りながら、こちらも「おしゃべりなどもってのほか、本を読んでもいけない、本当は座ってもいけない」と大学当局に言い渡されて、ひたすら足音を忍ばせて通路を歩き続ける。

でも、受験生たちは一生に今しかないこの時期を乗り越えて、大学に入ってきて、そしてあっという間に成長して、巣立っていく。

その過程を一年に一度ぐらい見守るのも、いい経験かな、と思うようになりました。

受験生の皆さん、近い将来に受験を控えている皆さん、頑張ってください。

そんなわけで、夜中になってから、先端研の研究室にやってきました。先端研は東大といっても、駒場Ⅱ(駒場リサーチキャンパス)という、大学院生以上しかいない研究所が集まっている別の敷地内にありますので、入試期間中も通常通り研究がすすめられています。(細かいことは言えませんが)入試業務に駆り出された先生方が三々五々駒場Ⅱに戻ってきて、研究室に灯かりがともっています。

頑張らないと。