disappointedの用法

昨年暮れの安倍首相の靖国神社参拝について、まず在日米大使館が、そして米国務省が「失望した(disappointed)」と声明を出したことはずいぶん議論の的となった。

日米関係の中では異例の表現だったので、この「失望」がどの程度の「失望」か、米国が同盟国に対して発する表現として、どのような意味を持つのか、注目された。

中東問題を観測している私にとっては、「よく聞いたことがあるな」という表現である。

イスラエルの入植地拡大に関して米政権が用いてきたのが、この「disappointed」という表現である。

簡単に検索してみると(disclaimer: 包括的なちゃんとした外交史の研究の結果ではありません!)、オバマ政権の国務省報道官の声明に限ると、次のようなものがある。

2010年9月27日 国務省クローリー(Philip Crowley)報道官が、当時米の仲介によって再開されていたイスラエル・パレスチナ和平交渉の中で、パレスチナ側が交渉の前提条件としていた「ヨルダン川西岸と東エルサレムへの入植地拡大の凍結」を、交渉再開前に設定していた期限を超えてネタニヤフ政権が延長しなかったことについて、「失望した(We were disappointed)」と声明。

2010年10月15日 国務省クローリー報道官が、エルサレム北方のヨルダン川西岸内の二つの入植地(RamotとPisgat Zeev)内での240戸の住宅建設をイスラエル政府が承認したことに対して、「失望した(We were disappointed)」と声明。

ここまでは、2010年夏にワシントンDCにイスラエル・パレスチナ両首脳と、エジプト(ムバーラク大統領!)とヨルダンの両首脳を呼んで再開した中東和平交渉を頓挫させかねない動きとして、イスラエルの行動を批判したという文脈。

2011年9月27日 国務省ヌーランド(Victoria Nuland)報道官が、イスラエル政府がこの日にヨルダン川西岸の入植地内に1100戸の住宅建設を承認したことについて、「深く失望した(We are deeply disappointed)」と声明。「deeply」が加わっている。

“We consider this counterproductive to our efforts to resume direct negotiations between the parties and we have long urged both parties to avoid actions which could undermine trust, including in Jerusalem, and will continue to work with parties to try to resume direct negotiations.”

文脈としては、これに先立つ2011年9月23日に、パレスチナ自治政府のアッバース大統領が国連加盟を申請しており、それに対する報復として、ネタニヤフ政権が大量の新規住宅建設の申請を認めたという経緯がある。

2012年12月18日 国務省ヌーランド報道官が、イスラエル政府による入植地拡大計画の発表に対して、米国は「イスラエルがこのパターンの挑発的行動に固執していることに深く失望している(deeply disappointed that Israel insists on continuing this pattern of provocative action)」とさらに強い表現で批判した。

これに先立つ2012年11月30日、国連総会でパレスチナのオブザーバー国家としての加盟を認める決議が圧倒的多数で採択された。これに対してネタニヤフ政権は、ヨルダン川西岸に大幅に食い込み、パレスチナ国家独立の際には主要な都市となるラーマッラーとベツレヘム間の交通を阻害するE1回廊への大規模な入植地拡大計画を発表した。E1回廊での入植地建設拡大は、独立したとしてもパレスチナ国家の地理的な一体性の維持が著しく困難になるものとして特にセンシティブな問題だった。ここにネタニヤフ政権が手を付けたことで、米国として最大限の不満を表明したものと見える。

ほんの数秒間だけの検索ですが、古いものではこんなものが出てきます。

1977年7月26日 米カーター政権のサイラス・ヴァンス国務長官が、記者団に対して次のように語った。

「We are deeply disappointed, we have consistently stated and reiterated during the Prime Minister’s visit here that such settlements are contrary to international law and are an obstacle to the peace making process.」

ちょっと意訳しますが、「イスラエルの入植地建設は国際法に反する、和平プロセス構築の障害となると、米政府はずっと言ってきたし、先ほどワシントンを訪問したベギン首相にもあれほど言ったのに、なおも入植地建設を承認したので、深く失望している」といった内容。

(なお、この年の11月20日、エジプトのサダト大統領がエルサレムを電撃訪問し、クネセット(イスラエル国会)で演説。翌年のキャンプデービッド合意、翌々年のイスラエル・エジプト和平条約につながります。結果的に米民主党政権と折り合いの悪かったイスラエルの右派政権がはじめてのアラブ・イスラエル国家間和平に踏み切ったことになります)

包括的に調べたわけではないので、次のようには即断しないでください。

「米民主党政権が、同盟国の右派政権が意に沿わない行動に出た時に用いる最大限度の表現:必ずしも具体的な制裁・対抗措置を取るとは限らない」

共和党政権下ではどう言ってきたのか、このような声明の裏で実際にはどのような措置が取られ、イスラエルにどの程度の不利益が及んだか、長期的な国際世論にはどう影響したかなど、よく考えないといけません。

日本とイスラエルでは、周辺地域の環境や、米国世論と国際社会への発信力、戦後の国際秩序内での正統性(ホロコーストから生還したユダヤ人の国家建設としてのイスラエル建国という大義名分は、アラブ世界やイスラーム世界が強く反対しても、先進国・主要国においてはオールマイティーといっていい力を持っています)が異なります。また、米国への依存度も異なりますので、意味合いも、このような声明をもたらしたことの帰結も異なります。

Al Monitorで読む中東

中東情勢について、ニュースとその「読み方」を知るのに便利なのが、『Al-Monitor』

タイムリーに中東の新聞の論説の翻訳や、代表的な知識人や専門家のオリジナル原稿が載る。

現地のメディアと欧米メディアとの中間ぐらいの線を行っている。

例えばエジプトの最新情勢と、チュニジアとの比較論

このブログの過去のエントリ【これとかこれ】を読んでいた人にとっては、そんなに目新しくはないかもしれないが、これ以外にもイランやシリアやレバノンやトルコなどについて常時報道や論調を的確に紹介してくれているので、情勢の雰囲気や、議論の構図が手早く分かって、非常に便利。

どちらかというとリベラル寄り、だか、すごくイスラエルに批判的ではない。

サウジについてはかなり批判的な論調が多い。マダーウィー・ラシード(Madawi al-Rasheed)というロンドン大学のサウジ政治・政治人類学の有名な先生がしょっちゅう書いている。名前を見ればわかるが、サウド家に滅ぼされたハーイルという首長国を支配していたラシード家の末裔の人なので、「恨み骨髄」というか、サウジアラビアの現体制について良いことを書くことはない。

批判としてはいつも鋭い。ただし彼女の「見通し」となるとあんまり当たらない。いつも今にもサウド王家支配が崩れそうなことを書いているから。

今回の論説「サウジの新しい書き手たちはイスラーム的な解放の神学を提示する」は、サウジの社会の側の変化を取り上げることで、間接的にはサウジアラビア社会の厚みと内側からの変化の可能性を書いているという意味で(つまり単に王家の支配が民衆の支持を失って崩壊するという単線的な変化を近い将来に想定していない)、普段よりマイルドな印象。

米国の中東政策がうまくいかない⇒中東のことを本当には良く分かっていないからだ⇒現地メディアの報道や論調をリアルタイムに反映してくれるメディアが欲しい⇒お金出してくれる財団や個人が出てくる、というメカニズムが働く米国がうらやましいです。

中東について毎日アップデートが欲しい人はぜひこのAl Monitorをチェックしてみてください。

遅れに遅れていた論文がぎりぎり大詰めなので、今日はこれまで。

超大国の店じまい? オバマ大統領の一般教書演説2014

今年のオバマ大統領の一般教書演説(1月28日)、録画しておいて見ました。

全文ももう出ている。

一般教書演説は、アメリカらしく空元気かと疑うほどに大統領の口調も会場の反応もハイなことが多いのだが、今回はこれまでになく淋しい心象風景が伝わってきた。黄昏の超大国。

予想通り、ひたすら内政問題に終始した。

外交は最後の方にちょっとだけおざなりに。アジア・太平洋地域については特に少なく、具体的なことは何もなし。アジアへの「ピボット」「リバランス」という話はもうどこか遠くに忘れ去られている。

外交については中東・南アジア、対テロリズム関係が大部分だが、いずれもブッシュ政権時代に始まったことを「どう終わらせたか、終わらせつつあるか」という話。

オバマ政権の6年目に入って、外交面では「覇権」の負担の縮小を図り、負の遺産を整理していく「コストカッター」型の、オバマ政権の性質が明らかになってきている。

昨年は「損切り」を派手にやりましたからね。

アフガニスタン撤退後の治安悪化は確実視されるが、とにかく撤退を決定。

さらに、シリア問題では、「オバマ・ショック」の急展開。すっかり足元を見られました。
間髪入れずイランへ怒涛の歩み寄り。
エジプトではクーデタを非難したあげく、打つ手なくまた歩み寄る。もう抑えが利きません。

エジプト、サウジ、イスラエル、トルコなど同盟国は一斉に自活の道へ。命かかっていますから。

今年の一般教書の「1行」を選ぶなら、これ。

I will not send our troops into harm’s way unless it is truly necessary, nor will I allow our sons and daughters to be mired in open-ended conflicts.

「本当に必要でない限り、われわれの部隊を危険な場所に送りません。われわれの息子や娘たちを、果てしない紛争の泥沼へと送ることはしません。」

こう明言している以上、ペルシア湾岸の第5艦隊は水上に浮かぶ張子の虎、と受け止められるだろう。

演説の締めくくりに、非常に長い時間をかけて、議場に招かれた一人の傷痍軍人を紹介した。重い障害を負った、元陸軍特殊部隊のCory Remsburgさん。彼との出会い、アフガニスタンでの路上の爆弾による負傷の経緯。意識不明となり長期間死線をさまよい、奇跡的に蘇生しつらいリハビリの過程にある。

オバマはCoryさんの言葉を引くが、これはアメリカ社会の現在の心境を表現しているのだろう。

“My recovery has not been easy,” he says. “Nothing in life that’s worth anything is easy.”

また、

Our freedom, our democracy, has never been easy. Sometimes we stumble; we make mistakes; we get frustrated or discouraged.

という。

「超大国であることはたやすいことではないよ」と実感したアメリカ。重い負の遺産を背負い、傷の治癒に専念するアメリカは、当分の間、中東に強い影響力を行使することはできないだろう。そうなると、地域大国と域外大国の思惑が入り乱れる、予測しにくい時代が続きそうだ。

レクサスと日本外交

苦し紛れに即興的に作った造語「LEXUS-A」が、一人歩き、とまではいかないが、おそるおそるお散歩中、ぐらいか。

1月26日の『東京新聞』で、木村太郎さんが連載「太郎の国際通信」に寄稿した「元米同盟国連盟が拡大中」というコラムで引用してくださいました。冒頭の部分をご紹介します。

「LEXUS-A(レクサスーA)という言葉に出合った。といってもトヨタ製の乗用車のことではない。League of EX US Alliesの頭文字をとったもので「元米同盟国連盟」とでも訳すか。池内恵東大准教授の造語で、英国の国際問題誌モノクルの記事の中で紹介されていた。この「連盟」に属するのはサウジアラビア、イスラエル、トルコなどで、米国が中東政策を転換してシリアのアサド政権を延命させ、イランとの核交渉で妥協したことで外交的に「はしごを外された」面々だ。」

『モノクル』(Monocle)というのはイギリスの雑誌で、最先端のデザインやライフスタイルやファッションと、グローバルな政治経済情報が心地よく混在した、日本にはない形態。

なぜだか知らないが原稿やコメントの依頼が来た。調べてみると表参道にショップを構えていて、特派員までおいている。かなり頻繁に日本の最先端科学技術や、食文化、伝統工芸などを取り上げている。

この雑誌に寄稿した文章(Satoshi Ikeuchi, “Bloc Building,” Monocle, Issue 69, Vol.7, December2013/January2014, p.124)の末尾の部分、

But why not strengthen ties with other abandoned or burned ex-US allies, such as Saudi Arabia, Israel and Turkey? Someone might want to come up with a name for this new bloc. I have a suggestion: the League of ex-U.S. Allies, or LEXUS-A.

というところが該当箇所です。

ま、軽い冗談ですよ。でもちょっとは日本でそういう風に考え始めているんじゃないかな、アメリカさん。

流麗な英語になっていますが、私一人ではこんなに上手に書けません。内容は完全に私が考えたものですが、英語表現・文体はかなり編集側に手を入れてもらっています。忙しくてまったく時間が取れなくて辛うじて夜中に数時間の時間を作って、眠いところを必死に書いて送ったところ、オックスフォード出の切れのいい女性の日本特派員が、”You’ve done a great job.”とか言いながら手際よくピーッと全部上書きして直してくれました。

「お前は良い仕事をしたよ」と言われて、「上手に書けてたんだ」とは思わない方がいいようですね。特にイギリスの英語。

よっぽど無骨な英語だったんだろうなあ。

英語の婉曲表現が実際には何を意味するか、それを知らない人はどう誤解するかを面白おかしく対照表にしたものがインターネットに出回っていた。

探してみると・・・

“Translation table explaining the truth behind British politeness becomes internet hit,” The Telegraph, 02 Sep 2013.

例えば

Very interesting とイギリス英語で言うと、実際には That is clearly nonsense を意味していて、しかし聞いた方は They are impressed だと思って満足してしまう、とな。幸せでいいじゃないですか。

With the greatest respect…なんて丁寧に言われていると実際には You are an idiot と言われているんだと言われても、分かりかねます。

Quite good は本当は A bit disappointing なんだそうです。これはよく言われてきた気がする・・・

I only have a few minor comments は、実際には Please rewrite completely と言われているんだそうです。うひゃー。

それはともかく、Lexus-Aを最初に引用してくれたのは、日経新聞特別編集委員の伊奈久喜さんの「倍返しできぬ甘ちゃん米大統領(風見鶏)」『日本経済新聞』2013年12月22日

「中東専門家の池内恵東大准教授が「Lexus-A」という新語を造った。レクサスAと発音する。新車の話ではない。「League of Ex US Allies(元米国同盟国連盟)」の略語だ。サウジアラビア、トルコ、イスラエル、日本、さらに英国がメンバーらしい。」

もちろん問題となっている対象は私が見つけ出したことではない。ユーラシア・グループのイアン・ブレマー氏が2013年にJIBs(Japan, Israel, Britain)を、米国の後退によって困った立場に立たされる同盟国としてひとくくりにした。さらに今年は年頭の「世界の10大リスク」の筆頭に「困らされた米同盟国」の問題を挙げている。

しかしむやみに悲観的になることもない。米国の同盟国は、たいていは技術があったりお金があったり生活水準が高かったりするのだから、米国抜きで(元)米同盟国連盟を組んで豊かに暮らせばいいんじゃないの?という意味を込めて作ってみました。こちらの方が明るくていいと思います。

「【日米中混沌 安倍外交が挑む】同盟国との関係を悪化させたオバマ外交と安倍首相の地球儀外交」でも引用されているようです。

エジプトは「ちょっといい加減なファシズム」に邁進中

チュニジアで憲法が成立して湧き立っているのに対して、同日同刻、エジプトは軍人大統領推戴に向けてまっしぐら

予想されていた通り、1月26日のマンスール暫定大統領のテレビ演説では、移行期の工程表を変更して、議会選挙ではなく大統領選挙を先に実施すると発表。これで、軍人出身者が出馬し、対抗馬を実質上許さずに、少しでも反対を唱える人たちはデモ禁止法や法廷侮辱罪で投獄して当選し、大統領は議会の制約なく独裁権限を振って威圧した上で、不正選挙で形だけの議会を選出する、という方向性が定まりました。

30-90日以内に大統領選挙を実施する、というので、後はタイミングを見計らってのスィースィー国防相推戴が予想されます。

27日にマンスール暫定大統領は、スィースィー国防相を元帥に昇格させた。前任の、ムスリム同胞団のムルスィー大統領が准将から大将に一気に昇格させたスィースィーですが、今度は元帥になってしまいました。

(ただし、ムバーラクやその前のサーダート、ナーセルなど、歴代の軍人出身の大統領は元帥ではなかった

同時に軍最高評議会(SCAF)が会合を開き、スィースィー国防相の大統領選挙への立候補を認める

SCAFはスィースィーの国防相辞任、後任に参謀総長を昇格、といった人事も決めたそうなので、これで決定でしょう。

正確には、軍最高評議会は「スィースィー国防相に立候補の判断を委ねた」とのこと。「非常時だから」といって軍籍を離脱せずに立候補する可能性もある。

ムバーラク時代に最高憲法裁判所判事に抜擢した女性判事(オバマがムスリム同胞団に資金援助している、といった陰謀論で有名)は憲法上スィースィーは軍籍離脱する必要がない、と主張している。

軍のクーデタを支持したサウジアラビアの資本の衛星放送局アラビーヤは、かつてハンサムな軍報道官アリー氏にインタビューしていた。内容はなんだか現在の展開と違っているようだ。スィースィー将軍は統治よりも国防を大事にしている、軍は前回の選挙でも軍人出身候補を支持しなかった、だから今回もしない、といったことを言っている。このインタビューに基づいた新聞記事が、SNS上で矛盾を指摘されると、消えてしまった。「立候補しない」と言っていたじゃないか、という批判を封じたいようだ。

国営『アハラーム』紙によれば、スィースィー立候補要請の署名が25万人分集まったという。その他いろんな小規模の翼賛デモが報じられています。

エジプトの国営・民間メディアからは怒涛のようにスィースィー礼賛の記事が発信されていて、フェイスブックやツイッターの画面がパンクしそうです。

2011年の教訓から、ソーシャル・メディア上を一方的な情報で埋め尽くして印象操作するという手法がエジプトでは確立されています。クーデタも軍政もフェイスブックで発表される時代になりました。

SCAFの会合が終わって、スィースィー国防相が大統領宮殿に向かっているということなので、数時間以内に大統領選挙出馬表明が行われるのではないか

エジプトは「ちょっといい加減な、人間的な、効率性に劣るファシズム」に向かっているようです。詳しくは、池内恵「エジプト暫定政権のネオ・ナセル主義」『中東協力センターニュース』2013年10/11月号、61-68頁を読んでみてください。写真もふんだんに入っています。

刻々と展開がネット上で実況中継されているところですが、結果はほぼ分かっていることだし、明日早いので、おやすみなさい。(2014年1月28日午前1時現在 日本時間)

答え合わせ(1)チュニジア立憲プロセス成功の理由

中東・イスラーム学のブログを始めてみて10日ぐらいしかたっていないけど、ほかの同様のブログでは何を言っているのかが気になってきた。

まずチェックしたいのは、ファン・コール先生(ミシガン大学教授)のブログ「Informed Comment」

英語圏の中東情勢ブログの最高峰。誰も追随できない。エントリ数がすごく多い。重要なニュースへのリンクが早い。コール先生のお友達の優秀な学者のコメンタリーや論文なども即座にリンクされる。ウェブ上の中東情報のうち、それなりに重要なもの、面白そうなもの、話題になっているものを選り分けてくれるClearinghouseの地位を確立している。米国の政治ブログの最優秀賞のようなものをもらっていたこともある。

もし本気で中東について毎日追いかける気がある読者は、私のブログより先にコール先生のブログを見てほしい。

そしたら、、、

1月25日の記事に、
Why Tunisia’s Transition to Democracy is Succeeding while Egypt Falters, By Juan Cole, Jan. 25, 2014
「なぜチュニジアの民主主義への移行は成功しつつあり、エジプトは躓いているか」

(!)

私の方でも1月25日に、
「チュニジアではなぜ移行期プロセスがうまくいっているのか」
という記事を載せているので、キャー、あんまり違っていたらどうしよう、でも全く同じだったら真似したと思われる。

と思ってドキドキしながら比較してみました。(なお、時差があるので、日付は同じでも私の方が半日早くアップしています。念のため)

コール先生の方は、チュニジアでうまくいっている理由(エジプトでうまくいっていない理由)について5点にまとめている。要点は、

(1)チュニジアでは軍が中立を保った(エジプトでは繰り返し介入して不安定化の要因となった)
(2)チュニジアではイスラーム主義派が自制して、立憲プロセスでイスラーム法条項に固執しなかった。野党政治家の暗殺事件に対する辞任要求を呑んで内閣総辞職を約束した。
(3)チュニジアでは労働組合の全国組織(UGTT)が自立的でかつ強力だったため仲介役を果たせた(エジプトの労働組合は自立的でも協力でもない)
(4)チュニジアの世俗主義派は宗教政党ナハダ党の排除を要求しなかった(エジプトではムスリム同胞団の全面排除を図って、持続的な抗議行動を招いている)
(5)チュニジアの経済は若干ながら改善している(エジプトではムスリム同胞団期と軍政期を通じて経済停滞)

それに対して私の方も、偶然にも5点の箇条書きで(私は普段あまり箇条書きはしないで文章にする癖がありますが)、チュニジアでうまくいった理由をまとめていました。

(1)軍が政治的中立を守ったこと。
(2)司法が不当な介入を行わなかったこと。
(3)文民の労働組合連合会や市民団体が対立する政党間の仲介者となったこと。
(4)イスラーム主義派と世俗派民族主義派がそれぞれ妥協したこと。
(5)ナハダ党・共和主義派の連立政権は退陣を呑んだが、立憲議会の解散は呑まなかった。(正統な立憲プロセスを死守した)

としてありました。

私の方では「司法」という要因を入れているのに対して、コール先生は経済要因を入れている、というぐらいが違いでしょうか。

経済については、どれだけ実態が数字に反映されているのか、それが政治にどう影響するのか、正直に言って、私にはよく分かりません。

むしろエジプトの場合に、司法が危ない要因だなあ、と以前から思っていたのが(池内恵「エジプト民主化の混乱要因は「司法の独立」」『フォーサイト』2012年6月14日)、昨年7月のクーデタ以来暴走を極めているので、失敗要因として入れねばと思いました。チュニジアでは民意を受けた立憲議会が憲法を自ら作り出していくことを司法が妨害していない。エジプトでは、「前の憲法に照らして、新しい憲法は違憲」と言い出しかねないほど、司法が邪魔をしました。比例代表制は違憲、という無茶な判決で議会を解散させたのが大きかった(池内恵「司法判断により議会は解散、大統領選挙は実行」『フォーサイト』2012年6月15日)。

どちらが正しい、というわけでもないでしょうし、どちらもすごく短い時間で、その日思ったことを書いているだけだと思います。

ほぼ同日同刻に、米国と日本で、中東研究者が同じことについて考えてブログに書いていたと思うと、心が温まります。

まあこの話題、「チュニジアではなぜうまくいって、エジプトではなぜうまくいかないのか」で書いておいたように、現在の重要な論点なので、どこの国でも専門家の頭にはよぎっていたはずですけれども。

チュニジアで新憲法制定 組閣も

1月26日深夜、チュニジアの立憲議会が新憲法案を可決。信任投票の必要はなく、そのまま制定へ。

149か条からなる新憲法

ジュムア新首相も組閣名簿をマルズーキー大統領に提出。こちらは議会で承認されるかどうかまだ分からない。内務大臣の再任をめぐって、世俗派がイスラーム主義派を突き上げるという構図。

チュニジアの立憲プロセスの重要性については集中的に書いてきたので、改めて列挙します。

「チュニジアではなぜうまくいって、エジプトではなぜうまくいかないのか」(1月26日)

「チュニジアとエジプトの論戦@ダボス会議」(1月25日)

「チュニジアではなぜ移行期プロセスがうまくいっているのか」(1月25日)

エジプト軍ヘリ撃墜で「地対空ミサイル使用」の恐怖

エジプトがまた一歩、局地的・低強度ながら「内戦」に近づいている。

その画期と言えるのが、1月25日のシナイ半島北部シャイフ・ズワイドでの軍ヘリコプター撃墜だ。当初はエジプト政府当局は機器の故障が原因としていたが、実際には撃墜されたことが明らかになった。

1月24日のカイロ警察本部はじめとした4ヵ所の爆破テロで犯行声明を出したアンサール・バイト・マクディス(聖地エルサレムの守護者)が、軍ヘリ撃墜についても26日に犯行声明を出した【声明ビデオ】【ユーチューブの犯行声明ビデオは日本時間27日夜の9時の時点で16万ビューを超えている】

翌26日にもシナイ半島で軍兵士を乗せたバスを襲撃して3名を殺害している。

私にとっての「まだ見ぬエジプト」が急速に姿を現している。

私にとってのエジプトは、1990年代から2000年代の、イデオロギー的分極化や経済格差や根深い社会問題が、とてつもない規模で存在しながら、なぜかそれが国民社会の分裂や秩序の崩壊には至らない、けだるい共同幻想の中に微睡んだ、腹立たしいほど停滞した、だけど安全な国。

あのかつてのエジプトは、もう戻ってこないのか。

少なくとも、すでにエジプトは政府に対するinsurgency(武装・組織的反乱)が恒常的に行われている国、という点に異論はないだろう。つまりイラク戦争後のイラクや、アサド政権下で内戦に陥ったシリアと、程度と規模は異なれど、同類ということになる。

このことを軍と軍支持層は現在、必死に否定しようとしている。軍礼賛のフェイスブックページには、1995年の米オクラホマシティ連邦政府ビルの爆破事件の写真を掲げて、このような事件があったからといって米政権が崩壊したわけでもなく、内戦になったわけでもない。エジプトも大丈夫だ、という元気づけているのか何なのかよくわからないエントリが載っていたりする。

アメリカで少数の狂信者が単発の事件を起こした事例と、より社会に根深く定着し、歴史の長いジハード主義運動を混同するのは、自己欺瞞というべきだろう。

アンサール・バイト・マクディスの犯行声明で衝撃的なのは「ミサイルを使用した」と主張していること。軍側もミサイルの使用を認めている

地対空ミサイル(Surface to Air Missiles: SAMs)を反政府勢力が大量に入手し、使いこなしているのであれば、エジプトの治安情勢は異なる次元に入る。

『Mada Masr』紙はこう記す。

According to David Barnett, research associate at the Foundation for Defense of Democracies, the use of SAMs in this attack is of key significance, due to the important role helicopters have been playing in military operations in Sinai.

“Before yesterday there had been no credible reports that Sinai jihadis had yet used a SAM in their attacks in North Sinai… If Ansar Beit al-Maqdes continues to use SAMs, the heavy reliance on helicopters in Egyptian operations in North Sinai could become unsustainable,” he said.

地対空ミサイルを配備した勢力に対しては、軍の作戦は自由に展開できなくなる。鎮圧にはより大規模な砲撃を行う必要が出てきて、民間人の死傷者も格段に増加する。反乱勢力側は潜在的には民間航空機を打ち落とすこともできることになり、カントリー・リスクがさらに高まる。

リビアのカダフィ政権が崩壊し、その武器庫が略奪にあって、中東から北アフリカ・サヘル・サハラ地域に武器と武装民兵が拡散した。ここでとくに警戒されたのが、地対空ミサイルの拡散である。これについて、次のように分析したことがある。

「リビアのように、軍の一体性が崩壊し、反カダフィで蜂起した諸部隊が地域ごと、派閥ごとに群雄割拠して一部で新生リビア国軍との衝突が生じている現状では、まずは軍の再統一を支援する必要がある。それよりも前の喫緊の課題は、内戦中に行方の分からなくなった1万発に及ぶミサイルの追跡だ。特に携帯式の地対空ミサイルが各国のテロリストに拡散すると、民間航空機の安全が脅かされる重大な危機をもたらす」(池内恵「米国務省「政軍関係次官補」のリビア、エジプト、サウジ訪問」『フォーサイト』2011年12月13日)

当時盛んに心配されたものだが、ついにエジプトでも地対空ミサイルが使用されてしまった。

現在はまだシナイ半島で使われているだけだが、これがスエズ運河を超えて「本土」でも使用されるようになると、これは完全に内戦だろう。カイロやデルタ地帯の人口密集地での一連の大規模な爆破テロを見ると、地対空ミサイルが本土で使用されるのも時間の問題に感じられる。

本土でも地対空ミサイルが使用されるようになれば、エジプトの治安状況は、1973年の10月戦争以降には経験したことがなかった水準の危険度となる。しかも、危険は敵国イスラエル空軍機の来襲によるものではなく、エジプト軍が人口密集地で、武装集団相手に自国民を巻き添えにしながら戦闘を繰り広げることに由来する、という前代未聞の事態になる。

そうなってもなんら不思議ではない。昨年7月3日のクーデタ以来の軍による反体制デモ弾圧の規模は、殺害した数からいえば、2011年のリビア・カダフィ政権や、同年のシリア・アサド政権の弾圧の水準に達している。両国はその後内戦に陥った。

「エジプトではそんなことは起らない」という通念が、エジプト専門家や、外務省などの担当者、駐在したことのある記者などの間にはある。それはかつてのエジプト社会に広まっていた通念に依拠している。

しかし客観的にみて、昨年7月以降の状況は、1990年代とは異なっている。政府の弾圧の規模と強度も、反政府派が入手しているとみられる兵器の規模も格段に異なる。

また、エジプト人の抱いている主観的な認識も、過去3年で大きく変わったのではないか。

このまま軍・警察がムスリム同胞団やその他の野党勢力を弾圧・排除しながら武装反乱集団と対決していくのであれば、警察・治安機構が散発する小規模のテロを抑え込んだ「1990年代のエジプト」ではなく、軍が反政府武装組織と長期間にわたり血塗られた内戦を繰り広げて、社会・経済の停滞と民心の荒廃の果てに、その特権を守り抜いた「1990年代のアルジェリア」型の展開になりうる。あるいはパキスタンのように、軍政とイスラーム主義武装勢力が恒常的に紛争を繰り広げながら共存していくのかもしれない。

もちろん、「そんな危ないところには誰も行かない」というタイプの国になってしまう。アルジェリアと違って大規模な天然資源のないエジプトには、そのような選択肢はないはずだが。

なんとか踏みとどまってくれればいいのだが。しかし7月3日のクーデタは、過去にエジプトが「踏みとどまって」きたことの根底にあった、社会の一体性の紐帯を破壊してしまった気がする。

革命のクライマックスとしての憲法制定について:アレントを手掛かりに

チュニジアの立憲プロセスに関して補足。

そもそも、「革命」の成果の確定としての「憲法制定」の重要性、というものが日本ではきちんと理解されていないのかもしれない。だからチュニジアでの成果について、日本と欧米とでここまで報道が異なるのかもしれない。

「革命」の最重要部分としての立憲政治については、ウェブ上で論説を書いたことがある。

池内恵「「アラブの春」は今どうなっているのか?――「自由の創設」の道のりを辿る」『シノドス』2013年12月9日
その一部分を引用しておく。

(前略)
ハンナ・アレントは、世界史上に数多く起きてきた「革命」の多くは実は「反乱」に過ぎず、それが「自由の創設」をもたらすという「奇蹟」を伴わない限り、多くは混乱と分裂のもとで再び独裁の軛に繋がれる結果に終わったと指摘する。しかし往々にして人々の関心は「反乱」の劇的な側面に向けられ、「自由の創設」の地味な側面への関心は高まらない。

「歴史家は、反乱と解放という激烈な第一段階、つまり暴政にたいする蜂起に重点を置き、それよりも静かな革命と構成の第二段階を軽視する傾向がある」(ハンナ・アレント『革命について』志水速雄訳、ちくま学芸文庫、1995年、223頁)

静かな革命における「構成」とはすなわち憲法制定(コンスティチューション)である。アレントによれば「根本的な誤解は、解放(リベレイション)と自由(フリーダム)のちがいを区別していないという点にある。反乱や解放が新しく獲得された自由の構成を伴わないばあい、そのような反乱や解放ほど無益なものはないのである」(アレント『革命について』224頁)。

アラブ世界の社会・政治変動に関するわれわれの関心も、ともすれば「反乱」の局面にのみ向けられてはいなかったか。デモよりも内戦よりも、自由の構成=憲法制定という地道で労の多い過程こそが、革命のもっとも重大な局面であるとすれば、「アラブの春」を経たチュニジア、エジプト、リビア、イエメンは、この段階での困難に直面しているといえる。それは成功を約束されたものではないが、失敗を運命づけられてもいないし、まだ終了してしまったわけでもない。

(以下はシノドスで)


ハンナ・アレント『革命について』 (ちくま学芸文庫)

チュニジアではなぜうまくいって、エジプトではなぜうまくいかないのか

それにしても日本ではなぜチュニジアの動きが報じられないのだろう。

エジプトで2011年1月25日に始まった大規模デモを起点にして、現在の情勢が「アラブの春から3年」という切り口で報じられることが多いので、1月26日の日曜日の各局のニュース番組を見てみた。

すると、チュニジアで今まさに起っている、欧米メディアでは伝えられている重要な動きが、まったく取り上げられていなかった。

ここは日本のメディア関係者の限界。物事を概念でとらえられない。そのような教育を受けていない。そもそも世界全体をよく知らない、という前提の知識の欠如がありますが。

特にすごかったのは、BS朝日の「いま世界は」。かなり長い時間かけて「アラブの春から3年」について、あんまり代わり映えのしない映像や紙芝居を流して、だらだらコメントしていたが、エジプトやシリアと共に、せっかくチュニジアにも触れながら、「首相が辞任で混乱」というだけの話になっていた。

憲法はどうなったの?今まさに世界中のメディアがチュニジアの立憲プロセスについて報じて、論じているところじゃないの?

番組では、ようするに「アラブの春後の3年で、どの国でも混乱していてよく分からない」という趣旨の報道とコメントに終始していた。混乱しているのはアラブ世界だけでなく、日本の記者やコメンテーターの頭の中身ではないか。

しかしチュニジアでの今月の立憲プロセスの進展を受けて、少なくとも欧米圏で(アラブ圏でも)提起されている、重要な論点は「なぜチュニジアでうまくいって、エジプトではうまくいっていないのか」というものだ。

日本のように、「混乱している」「よく分からない」とだけ言っていれば給料をもらえる人たちって何なんだろう。若い人たちから、メディアが「既得権益」とみなされて、ニュースが信用されなくなるのも分かる。

「チュニジアではなぜ移行期プロセスがうまくいっているのか」(1月25日)で書いたが、チュニジアでは憲法草案の全条項がまさに立憲議会で承認されたところ。

23日の段階で、すでに立憲議会で憲法草案確定を祝っている。チュニジアの場合は、直接選挙で選ばれた立憲議会がそのまま憲法草案を作成し採択するので、憲法全体について改めて採決して3分の2の賛成を得れば、信任投票なしに憲法となる。すでに各条項についての議論で3分の2の賛成を得ているので、最後の最後の段階での微修正はあっても、プロセス全体が今からひっくり返るとは考えにくい。

このブログでは憲法の全条項についての修正動議が終わった23日の段階で掲載したが、イスラーム主義派と世俗主義派の間の主要な争点についての妥協がなされた段階で、欧米の主要紙はすでに憲法の制定見通しとその意義を報じていた。

チュニジアの立憲プロセスの進展は、エジプトでの翼賛的な立憲プロセス・統治と対照させて、成功事例と言っていい。そこから、「移行期でどうするとうまくいき、どうするとうまくいかないか」という議論が喚起されている(少なくとも欧米やアラブ世界の知識階層の間では)。

ほんの一例では、英『ガーディアン』のこの記事。
“The Arab spring: made in Tunisia, broken in Egypt,”The Guardian, Thursday 16 January
タイトル見ただけでもわかりますね。「アラブの春:チュニジア製、エジプトで故障」。気が利いていますし、本質をついていますね。

大学の教養課程ぐらいの英語の読み物にちょうどいいのは『ニューヨーク・タイムズ』の「アラブの隣国は憲法で道を別った」。
“Arab Neighbors Take Split Paths in Constitutions,” New York Times, January 14.

この文章の比較論を掘り下げれば、比較政治学の議論として面白い。

ここではチュニジアとエジプトの2011年の政権崩壊の際に、どのような政府機構が残されたか、その相違によって現在の立憲プロセスの帰結の差を説明している。もちろん因果関係はこれだけではないだろうが、まずこうやって分析して行かなければ話が始まらない。

チュニジアではベン・アリー大統領を支えていた治安警察が、政権崩壊と共に弱体化。軍は歴史的に政治に関与してこなかった。チュニジアではイスラーム主義派と世俗主義派の勢力が比較的拮抗していて、選挙でイスラーム主義派は第1党にはなれても過半数は取れなかった。イスラーム主義派と世俗主義派の双方が相手を必要としたので妥協が成立した。

対照的に、エジプトでは、現体制の基礎を作ったナセルの1952年のクーデタで軍が政治権力を握ったという歴史があり、ムバーラク大統領を排除した際にもその部下だった軍人が暫定統治を担った。イスラーム主義派は選挙で勝てるがゆえに妥協せず、それに対抗する勢力は選挙で勝てないと悟って、軍を頼った。

こういった経緯の上で、チュニジアの憲法制定プロセスで、イスラーム主義派と世俗主義派の間に、宗教と政治の関係や、宗教法(シャリーア)をめぐって妥協が成立したことを画期として、チュニジアの立憲プロセスに肯定的な評価を与えて報じている。

非常に妥当な解説だろう。その後の憲法諸条項の審議が、いわば「消化試合」で、スムーズに進んでいくことを見越して早めに記事を出した判断も正しかった。

記事では論理だけでなく、比喩的な表現も使ってイメージを伝えているので、堅苦しい感じの記事ではない。
“‘Train wreck’ might be a charitable way to describe where Egypt is right now,” said Nathan Brown, an expert on Arab legal systems at George Washington University. In Tunisia, he said, “Everybody keeps dancing on the edge of a cliff, but they never fall off.”

代表的なアラブ政治研究者であるネイサン・ブラウン先生に聞きにいって、「エジプトでは脱線」「チュニジアでは、誰もが崖っぷちで踊っていたが、誰も落ちなかった」という対比論を語ってもらっている。

ブラウン先生はジョージ・ワシントン大学の教授で、元中東研究所所長であるだけでなく、カーネギー平和財団の中東プログラムの客員を長くやっていて、「アラブの春」以後の急変期の分析でも着実・正確だった。その分析レポートはカーネギー平和財団のホームページで無料で誰でもダウンロードできる。

今回取り上げた記事が特に優れているとか、特筆すべき新情報が加わっているとか、また学問的に斬新な議論が含まれているとかいうことではない。重要なのはこの程度の水準の分析が欧米の主要紙ではごく普通に載っていて、少なくとも英語圏のエリート層は、アラブ世界について専門にしていなくとも、この程度の認識は持っているということだ。

この程度の水準の記事を恒常的に書ける記者が各分野にいて、記者が常に大学とシンクタンクの蓄積から知見を的確に引き出せて、実際に紙面にできるかどうか、それによって国民がこういった水準の記事に触れているかどうかは、国力の差に反映されるだろう。

「いま世界は」に出ている、コメンテーターというよりはタレントであるパックンについて言及するのは野暮だが、今回の番組でも、IQを自慢したり、ハーバード卒というお決まりのネタでひとしきり話していたけど、「アラブの春から3年」については局の構成の中での日本的なコメントに終始していた。『ニューヨーク・タイムズ』も『ガーディアン』も読んでいないんだろうか。

「外人コメンテーター」という枠でも、もう少しましなことを言う人を起用しないと、「グローバル人材」に関する誤った情報が流れてしまうのではないか(もしかしてそれこそがCIAの陰謀?だったらパックンはすごい高等なエージェントですね。ニッポン愚民化政策の先鋒、ということになる)。

先ほど、「比較政治学の議論として面白い」と書いたけど、「趣味でオタクでやるために面白い」と言っているのではないですよ。現象を比較して論理化して客観化して議論することで、はじめて、前提を共有していない世界中の人たちに、現実を説明し、そして自分の立場を説得できるのです。

中東の事だけでなく、日本の事を説明するのにも、同じ方法が必要です。

エジプト情勢の今後の見通し

1月24日のテロは、今後のエジプトの政治の展開にどう影響を及ぼすだろうか。

(1)軍・警察が「対テロ戦争」を標榜し、軍主導の政権へのいっそうの翼賛を国民に呼びかける。
(2)スィースィー国防相が軍籍を離脱し「文民」と称して大統領選挙に立候補。反対勢力を排除し、圧倒的な得票率で当選(ただし投票率は低い。賛成票と棄権のみ、という状況で、選挙による体制正当化の効果が薄れる)
(3)カイロなど都市部を中心に中間層がこれを熱狂的に支持してみせる。
(4)軍主導の政権はムスリム同胞団がテロを行ったと主張して弾圧を続行。
(5)世俗派の軍政批判に対しても同様に弾圧を強化。「非国民」と糾弾して封殺。
(6)ジハード主義者に一定の支持が集まり、大規模なテロが頻発する。
(7)いっそう軍への支持が高まり大量逮捕、銃撃による殺害が支持される。
(8)過激化する者も増え、テロリストが増殖。
(9)治安の悪化で観光客は戻らず、投資も戻らない。
(10)雇用が全く増えず、毎年の大学卒業生はそのまま失業者数にカウントされていく。

・・・といった将来が想定されます。

外的環境としては、欧米の先進国で軒並み低成長が恒常化。以前のように移民労働者を受け入れない(例えばスペインからフランスやドイツへ労働移民が大挙して行っていますから、アラブ諸国から受け入れる必要はないでしょう)。

移民という安全弁がなくなって、国内に滞留した若者の不満をどこに逃せばよいのか。当分は「ムスリム同胞団狩り」などを扇動してストレス解消をさせていますが、数年たてば、「少なくともムスリム同胞団の統治の1年はこんなに荒れていなかった」という郷愁が高まる、などということになるかもしれません。

エジプトについてしばしば言われる「軍が出てくれば安定する」という議論は、幻想ではないかと思います。

「現状ではエジプト人の多数派が積極的あるいは消極的に軍政を支持・容認するだろう」という見通しと、「軍が乗り出してくれば安定する」という因果関係の想定は、論理的に別の問題です。前者はおそらくそうでしょうが、後者は自明ではありません。

1990年代にジハード団やイスラーム集団のテロを抑え込んだ「成功体験」を思い起こす人がいるかもしれませんが、当時とは条件がことごとく違っています。

(1)メディア・情報空間の変容、(2)「アラブの春」以後の「革命の文化」の浸透(軍もこれに参入して扇動・大衆動員を繰り返している)、(3)武器の拡散、大規模・高度化、(4)国際環境の変化、米国が最終的に現政権の安全を保障してくれる、とは見られていない(大混乱になれば見捨てる、と思われている)。

軍にとっては、自らの支配を正当化するために、テロが頻発している状態は好都合です。「軍が安定をもたらす」かどうかは分かりません。「軍でなければ安定をもたらすことができない、と人々が思っている状態が軍にとっては望ましい」ということは確かです。でもそれは「安定の実現」ではありませんね。「安定の期待」でしょうか。期待があるうちに現実を変えられればいいですが、期待だけだと、やがては「裏切られた」ということになって事態は悪化します。

しかしカイロの真ん中で「テロとの戦い」をやっていては、軍以外の一般経済、特に観光は大打撃を受けるので、なんら生活改善にはならないでしょう。当分、軍が「革命」を謳って大衆を動員し、「ムスリム同胞団打倒」で熱狂させて気分を逸らして、その間に諸外国から援助を引っ張ってきてばらまいたり住宅バブルを起こして・・・という算段でしょうが、世界経済が減速し、米国の覇権も希薄化しているので、空回りするのではないかと思います。

でも軍とそこに身を委ねた都市中間層は、先のことはもう考えていられないのでしょう。

テロとムスリム同胞団の関係

カイロの警察本部への爆破テロについて、多くの報道が出ている【爆発の瞬間】【エジプトに関して質が高い英語メディアはこれ】。

軍・警察への翼賛体制となっているエジプトでは、今回のテロも「ムスリム同胞団の仕業だ」という議論が活発に行われるだろうが、これは疑わしい。少なくともエジプトが今抱えている政治問題を正確に反映していない。

まず、ムスリム同胞団は、幹部が中枢から末端組織までほぼくまなく逮捕され投獄されているので、ここまで大規模な攻撃を連続して組織し続けることは不可能だろう。

むしろ、
(1)ムスリム同胞団と競合し、対立してきたジハード主義者・武装闘争路線の集団が活性化した、と見る方が自然だ。

そこに、
(2)本来ならムスリム同胞団の政治活動を支持していた層が、一部、軍によって排除されたムスリム同胞団に失望して、ジハード主義側に参加あるいは支援に転じて、結果としてジハード主義勢力が勢力を拡大しているのではないかと疑われる。

(2)でムスリム同胞団の末端の活動に明確に加わっていた者が、(1)のジハード主義勢力に加わった事案が摘発される可能性はある。そこで軍・警察・司法が、いっそうムスリム同胞団の弾圧を強めると思われるが、問題の解決にはつながらない。

一連のテロにはアンサール・バイト・マクディス(聖地エルサレムの支援者)という団体の関与が疑われている。今回の事件の前日にも、エジプトの警察・治安部隊に離反・蜂起を呼びかけるEメールの声明を送りビデオ声明を発している。

なお、エジプトのメディアは早速「犯行声明が出た」と報じたが、そうではない。しかしグローバル・テロリズム情報を収集するSITE社は24日に、アンサール・バイト・マクディスの犯行声明を確認したと発表している。

ムスリム同胞団と、アンサール・バイト・マクディスのようなジハード主義武装闘争路線の集団との関係については、すでにエジプトでの前回の大きなテロ(2013年12月24日のマンスーラでの県警本部爆破事件)に際して『フォーサイト』に書いておいたので、その一部を再録しておく。

 ムスリム同胞団と、「聖地エルサレムの支援者たち」などジハードを掲げる武装闘争路線の過激派は、元来が系統が異なる。両者は長く路線闘争を繰り広げてきた。ムスリム同胞団が、慈善団体や政治団体を通じた、既存の制度内での改革を主張してきたのに対し、1970-90年代のジハード団やイスラーム集団、現在の「聖地エルサレムの支援者たち」のようなジハード主義の過激派諸組織は、制度内での政治参加は無意味であると批判してきた。7月3日のクーデタは、武装闘争路線を取る過激派たちに、「自分たちの主張は正しかった」と確信を強めさせただろうし、一定数の市民から支持や共感を受けたかもしれない(ムスリム同胞団と武装闘争派との対立・競合の歴史については、池内恵「「だから言っただろう!」──ジハード主義者のムスリム同胞団批判」『アステイオン』79号、2013年11月に記してある)。
アステイオン第79号

エジプト・カイロ警察本部への大規模なテロ(1月24日)

エジプトでは昨日1月24日、複数の大規模な爆弾テロがあった。

最も重要なのは、カイロ警察本部の爆破。写真を見る限り、これはもう局地的な「内戦」「軍事攻撃」に近い規模になっているのではないかと思われる。

タハリール広場に近い内務省のビルは、近くの通りをブロックで封鎖して近づけないようにしてあるので、犯人側は、警察本部を標的にしたようだ。エジプトの治安の総本山が、道路に面した部分だけとはいえ、大破するような大規模な攻撃が起こるというのは、元来が治安が良く、一般市民の武装の度合いが低かったエジプトが変質したことを表わしている。

カイロ警察本部はポート・サイード通りという大通りに面していて、ここの交通を止めてしまうわけにはいかないので、守りにくいのは確かだ。

なお、ポート・サイード通りを挟んだ向かいには「イスラーム美術博物館」があり、その裏には「国立図書館」の新館で、中世の高価なマニュスクリプトなどを展示するコーラン展示室がある。どうやらここにも被害は及んだようだ。攻撃あるいは戦闘の規模の大きさをうかがわせる。

エジプトのテロはムバーラク政権時代に抑え込まれ、大規模な攻撃が生じるのはシナイ半島など、辺境地帯に限られていて、カイロなど中心部では事件が起きても小規模だった。それがムバーラク政権の末期から雲行きが怪しくなり、2011年の政権崩壊後に拡散を始めた。

特に、シナイ半島からスエズ運河を超えて、エジプト「本土」に大規模な攻撃が及ぶようになったことは、基本的に「安全」であるといえたエジプト社会が、根底から変わりつつあることを示すのではないか。

2013年9月5日のカイロでの内相爆殺未遂事件【「エジプト内相暗殺未遂事件の深刻さ」『フォーサイト』2013年9月6日」】、同年12月24日の北部マンスーラでの県警本部爆破事件【「エジプトの軍と過激派との全面衝突は「自由からの逃走」を加速させるか」『フォーサイト』2013年12月25日】、と「本土」では前例のない規模の大規模なテロが続いたうえでの、1月24日のカイロ警察本部を標的とした爆破・攻撃だった。

エジプトはどうなってしまうのか。

チュニジアとエジプトの論戦@ダボス会議

チュニジアはエジプトを「反面教師にしている」という話。

チュニジアのイスラーム主義系与党ナハダ党の最高指導者ラーシド・ガンヌーシー氏がダボス会議のパネルでエジプトの元外相・元アラブ連盟事務総長で、クーデタ後の新憲法制定のための「50人委員会」の議長となって、旧体制派の先鋒のようになっているアムル・ムーサ氏を批判。

ダボス会議の会議の英語のホームページではとっさに検索しても出てこないので(アラビア語とフランス語でしかやっていないのかも)、チュニジアのアラビア語の独立系ニュース短信サイトへのリンク

ガンヌーシー氏が「民主主義者だったらクーデタを正当化できないだろ」と言ったところ、アムル・ムーサ氏が激昂して発言を遮ろうとした、という瞬間がビデオ映像からキャプチャされている。

「発言を遮る」というのが今のエジプトの為政者の基本モードになっているようです。チュニジアでは「俺たちの方が上」と思っていて、逆にエジプト側では「侮辱された」と怒っているようですね。

チュニジアではなぜ移行期プロセスがうまくいっているのか

日本では誰も注目していないようだけど、1月23日に、「元祖アラブの春」のチュニジアでは立憲議会が憲法草案を確定した。あとは全文について改めて立憲議会で採決するのみ。早ければ26日にも行われるのではないか。

Constitution Passes Milestone, Final Vote Expected in Days, Tunisia-Live, 23 January

長い困難な道のりでしたが、よくここまできました。

エジプトで去年6月30日の反ムスリム同胞団デモと、7月3日のクーデタで、選挙で選ばれた政権を武力で排除、その支持者を幅広く武力弾圧中。大規模なテロが頻発し、低強度の内戦と形容したほうがいい状況になりかけている。

チュニジアもこのモデルを模倣するか、と注目されていたが、各勢力が辛うじて崖っぷちで踏み止まった。

チュニジアでは当初から「エジプトのまねはしない」と、反面教師としてエジプトを見る議論が多かった。

このあたりがアラブ政治の面白いところ。言語や文化が共通しているから、多くの情報は瞬時に伝播する。だけど、単純に同じことをやるのではなく、「あっちでやってうまくいかないからこっちではやらない」「ああならないように事前に対処する」といった反応があるので、各国の対応や帰結も一様にはならない。

チュニジアでは昨年2月6日(シュクリー・ベルイード)と7月25日(ムハンマド・ブラーヒミー)の、左派少数野党勢力の指導者の暗殺をきっかけに、「反イスラーム主義」で野党勢力がまとまって大規模デモやストライキを行い政権の退陣を迫る動きが進んだ。

野党勢力は旧体制派とも合流して、イスラーム主義政党ナハダ党主導の政権に退陣を迫り、退陣を約束させるに至る。このあたりは8月から12月まで二転三転した。

内閣が「やめる」「やめない」の押し問答は「混乱」の印象を誘ったが、重要なことは、軍は中立を守り、政権は退陣を呑んだが、立憲議会の解散(これも野党勢力は求めていた)は拒否し、立憲プロセスは残った。

その結果、イスラーム主義派と世俗派の双方が妥協した文面で憲法草案が確定した。

(1)軍が政治的中立を守ったこと。
(2)司法が不当な介入を行わなかったこと。
(3)文民の労働組合連合会や市民団体が対立する政党間の仲介者となったこと。
(4)イスラーム主義派と世俗派民族主義派がそれぞれ妥協したこと。
(5)ナハダ党・共和主義派の連立政権は退陣を呑んだが、立憲議会の解散は呑まなかった。(正統な立憲プロセスを死守した)

これらの点が、混乱や流血の比較的少ない移行期プロセスのモデルの重要な要件として示されたといえるだろう。

よそのアラブの国がこれに倣うとか、倣う気があるとか、すぐに倣うことが可能かというと、そうではないのですが。

本日(1月24日)夜9時からのNHKニュースウオッチ9にコメント

本日(1月24日)午後9時からのNHKニュースウオッチ9の中で録画コメントが放映される予定です(収録済み)。テーマは「エジプト革命3年で」。

私は今日午後早めからオフ。東京近郊某所に引きこもり、締切ぎりぎりの論文にうなされながら息抜きをいたします。