クアラルンプール/セランゴールより帰国。会議終了後に、復路の夜便の出発まで若干時間があったので、伊勢丹やイオンが入っているモールの中を2時間ほどひたすら歩いた。撮った写真などを整理したらここで載せてみたい。
それはともかく、早朝に成田に戻ってからコラム×1、発表原稿(英語)×1、校正×2をメールやFAXで送信したので休む暇がない。
「イスラーム国」がらみで集中した原稿依頼に応えられるものは応えて、先月末までにどうにかほぼ全て終わらせて(まだ2本ぐらいある)マレーシアに出発したのだったが、それらの掲載誌が続々送られてくる。封を開ける暇もない。コメントなどはどこにどう出たのか確認するのもままならない。
とりあえず今週中に紹介しておかないといけないものから紹介。
昨日11月4日発売の『週刊エコノミスト』の中東特集(実質上は「イスラーム国」特集)に解説を寄稿しました。
また、偶然ですが、連載している書評日記の私の番がちょうど回ってきて、しかも今回は「イスラーム国」を国際政治の理論で読み解く、という趣旨で本を選んでいたので、特集とも重なりました。
池内恵「イスラム成立とオスマン帝国崩壊 影響与え続ける「初期イスラム」 現代を決定づけたオスマン崩壊」『週刊エコノミスト』2014年11月11日号(11月4日発売)、74-76頁
池内恵「「ゾンビ襲来」で考えるイスラム国への対処法」『週刊エコノミスト』2014年11月11日号(11月4日発売)、55頁
「イスラム成立とオスマン帝国崩壊」のほうでは、かなり手間をかけてカスタマイズした地図を3枚収録しています。これは他では見られませんのでぜひお買い上げを。
(地図1) 7世紀から8世紀にかけての、ムハンマドの時代から死後の正統カリフ時代、さらにアッバース朝までの征服の順路と版図。これがイスラーム法上の「規範的に正しい」カリフ制の成立過程であり、版図であると理想化されているところが、現在の問題の根源にあります。
(地図2) また、サイクス・ピコ協定とそれを覆して建国したトルコ共和国の領域を重ね合わせて作った地図。ケマル・アタチュルク率いるオスマン・トルコ軍人が制圧してフランスから奪い返していった地域・諸都市も地図上に重ねてみました。
(地図3) さらにもう一枚の地図では、セーブル条約からアンカラ条約を経てローザンヌ条約で定まっていった現在のトルコ・シリア・イラクの国境について、ギリシア・アルメニア・イタリアや英・仏・露が入り乱れたオスマン帝国領土分割・勢力圏の構想や、クルド自治区案・実際のクルド人の居住範囲などを、次々に重ね合わせる、大変な作業を行った。
「サイクス=ピコ協定を否定」するのであれば、地図2と地図3の上で生じたような、領土の奪い合い、実力による国境の再画定の動きが再燃し、諸都市が再び係争の対象となり、その領域に住んでいる住民が大規模に移動を余儀なくされ、民族浄化や虐殺が生じかねない。そのことを地図を用いて示してみました。
この記事で紹介した地図を全部重ねてさらにクルド人の居住地域を加えたような感じですね。頭の中でこれらを重ねられる人は買わなくてもよろしい。
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それにしてもなんでこのような面倒な作業をしたのか。
6月のモースルでの衝撃的な勢力拡大以来、ほとんどすべての新聞(産経と読売と日本経済新聞には解説を書きました)や、経済誌(週刊エコノミストと同ジャンルの、ダイヤモンドとか東洋経済とか)が、こぞって「イスラーム国」を取り上げており、多くの依頼が来る。10月6日に発覚した北大生参加未遂事件以来、各紙・誌はさらに過熱して雪崩を打って特集を組むようになった。そのためいっそう原稿や取材の依頼が来る(毎日1、毎日2、毎日3=これはブログに通知する時間もなかった)。
忙しいから断っていると、あらゆる話題についてあらゆる変なことを書くようなタイプの政治評論家がとんでもないことを書いて、それが俗耳には通りやすいので流通してしまったりして否定するのが難しくなるので、社会教育のためになるべく引き受けようとはしている。しかしすべてを引き受けていると、それぞれの新聞・雑誌に異なる切り口や新しい資料を使って書き分けることは難しくなる。
私は純然たる専従の職業「ライター」ではないので、あくまでも「書き手」として意味がある範囲内でしかものを書かない(そのために、必要なときは沈黙して研究に専念できるように、大学・研究所でのキャリア形成をしてきたのです)。あっちに書いていたことと同じことを書いてくれ、と言われても書きにくい。
しかし今回の特集では、私に「イスラーム史」から「イスラーム国」を解説してくれ、との依頼だったので、非常識に〆切が重なっていたのにもかかわらず引き受けてしまった。同じ号に書評連載も予定されていたのでいっそう無謀だったのだが。それは時間繰りに苦労しました。
単に漫然と概説書的なイスラーム史の解説をするのではなく、メリハリをつけて、本当に今現在の問題とかかわっている歴史上の時代だけを取り上げる、という条件で引き受けた。
イスラーム国を過去10年のグローバル・ジハードの理論と組織論の展開の上に位置づける、というのが私の基本的な議論のラインで、それらは昨年にまとめて出した諸論文を踏まえている。これらの論文で理論的に、潜在的なものとして描いていた事象が、予想より早く現実化したな、というのが率直な感想。
しかしもちろんそれ以外の切り口もある。例えばもっと長期的なイスラーム法の展開、近代史の中でのイスラーム法学者の政治的役割の変化、イスラーム法学解釈の担い手の多元化・拡散、ほとんど誰でも検索一発で権威的な学説を参照できるようになったインターネットの影響、等々、「イスラーム国」の伸長を基礎づける条件はさまざまに論じることができる。
そういった幅広い視点からの議論の基礎作業として、現在の中東情勢の混乱の遠因となっている歴史的事象や、「イスラーム国」の伸長を支える理念・規範の淵源は歴史のどの時点に見出せるのか、まとめておくのは無駄ではないと思ったため、引き受けました。専門家なら分かっている(はずなんだ)が一般にきちんと示されていることが少ない知見というのは多くある。今のようにメディアが総力を挙げて取り組んでいる時に、きちんと整理しておくことは有益だろう。
漫然と教養豆知識的に「イスラーム史を知ろう」といって本を読んでも、現在の事象が分かるようにはなりません。「あの時こうだったから今もこうだ」「あの時と今と似てるね」といった歴史に根拠づけて今の事象を説明するよくある論法、あえて「池上彰的」とまとめておきましょうか、これは日本で一般的に非常に人気のある議論です。しかし多くの場合、単なる我田引水・牽強付会に過ぎません。娯楽の一つとしては良いでしょうが、それ以上のものではありません。かえって現実の理解の邪魔になることもあります。
「イスラーム国」への対処の難しさは、それがイスラーム法の規制力を使って一部のムスリムを魅惑し、その他のムスリムを威圧し、異教徒を恐怖に陥れていることです。
イスラーム法の根拠は紛れもなく預言者ムハンマドが実際に政治家・軍事司令官として活躍した初期イスラムの時代や、その時代の事跡を規範理論として体系化した法学形成期の時代にある。それらの時代についての知識は漠然とした教養ではなく、今現在のイスラーム世界に通用している規範の根拠を知ることになる。
その意味でまず「初期イスラーム」の歴史について知ることは有益。
それに次いで、オスマン帝国の崩壊期の経緯を知っておくことにより、今現在の中東諸国の成り立ちとそこから生じる問題、しかし安易に言われがちな代替策の実現困難さも分かるようになります。
初期イスラームとオスマン帝国崩壊の間の長大なイスラーム史は、現代中東政治の理解という意味では、極端に言えば、知らなくてもいいです。極端に言えば、ですよ。
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さて、今回で連載6回目になる読書日記(前回までのあらすじはココ)の方は、ダニエル・ドレズナーの『ゾンビ襲来 国際政治理論で、その日に備える』(谷口功一・山田高敬訳、白水社、2012年)を取り上げた。
かなり前から今回はこのテーマとこの本にしようと決めていたのだが、それが中東・イスラーム国特集に偶然重なった。
「イスラーム国」は、概念的には、「国際政治秩序への異質で話が通じない主体による脅威」ととらえることができる。ドレズナーはまさにそのような脅威を「ゾンビ」のメタファーを用いて対象化し、そのような脅威に対する各国の想定される動きを国際政治学の諸理論のそれぞれの視点から描いて見せた。「イスラーム国」について各国がどう動き、全体として国際政治がどうなるかは、「ゾンビ」への対処についてのドレズナーの冗談交じりの大真面目な仮説を念頭に置くとかなり整理される。リアリストとリベラリスト、それにネオコンの視点を紹介したが、国内政治要因とか官僚機構の競合と不全とか、この本を読むと、「ゾンビ」を当て馬にすることで理論的な考え方が、やや戯画化されながら、非常によく頭に入る。ドレズナーは活発にブログなども書いていて時々物議も醸す有名な人だが(本来の専門は経済制裁)、本当に頭のいい人だと思う。
「イスラーム国」と中東政治の構造変動についての最近書いた論稿は、すでに出ている『ウェッジ』11月号、来週明けにも発売の『文藝春秋』11月号、『中東協力センターニュース』や『外交』など次々に刊行されていくので、出たらなるべく遅れないように順次紹介していきたい。