韓国語版『イスラーム国の衝撃』

久しぶりに、『イスラーム国の衝撃』についてアップデート。

『イスラーム国の衝撃』には韓国語訳があります。かなり前に出ているはずです。しかし手元に送られてこないのです。翻訳されてもなかなか著者の手元に来ないということはよくあることです。日本語に訳されている外国語の本についても、日本語だとよく分からないということもあり、原著者の手に訳本が渡っていないケースは目撃してきました。私自身もそのような状態にあるわけです。

ふと思い出したので文藝春秋を通じて調べてもらっているのですが、とりあえず韓国語訳についての出版社のホームページはありました。

http://21cbooks.book21.com/book/new_book_view.php?bookSID=3979

タイトル(らしき)ところを見ると그들은 왜 오렌지색 옷을 입힐까とあります。自動翻訳にかけてみますと、「彼らはなぜオレンジ色の服を着るのか」といった訳が出てきます。

表紙の写真を見ると、そこにはISと大きく書いてあります。

韓国語版『イスラーム国の衝撃』表紙

たぶんこれであっているようです。

ホームページには日本語原著タイトルだけは日本語で表示されております。その下は私の名前のハングル表記。

이케우치 사토시, 그들은 왜 오렌지색 옷을 입힐까, 21세기북스, 2015.

ということでいいのかな、書誌情報的には(勉強していない言語なのであてずっぽうですが、自動翻訳という人工知能でこの程度はわかるものなのだなあ、あらかじめ知っている内容であれば)。3月29日に刊行されていたようです。日本語版が1月20日に出た後に交渉がありましたから、早いですね。かなりの速度で翻訳されて出たようです。

この本の韓国での翻訳権は競りにかけて、諸条件を勘案して比較的良さそうな条件を出してきた出版社にしました。競合して条件を提示した新聞社系の出版社も良さそうでしたが、新聞社系ではない文藝春秋の本ですので、同じような性質の出版社に出して欲しいですね。韓国の学者による独自の解説などをつけるという提案があると、かえって本文と別の議論がなされるかもしれず予測がつかないので、そのようなものがつかないこの出版社にした記憶があります。

例えば外国の本で、日本語訳では例えば佐藤優さんや池上彰さんの解説がついて、表紙でも帯でもそちらの名前と写真が大きく出ているようなことがありますが、そのような事態がなるべく起こらないようにと考えたのです。

ただ、韓国の出版事情にそれほど詳しくないので、出版社の性質や、どのような売り出し方、売れ行き、受け止め方であったかなどは、分かっていません。調査中。

 

 

 

イスラーム教をなぜ理解できないか(5)米保守派による共鳴

日本の「こころ教」によるイスラーム教理解の阻害、欧米のリベラル・バイアスや、ルター的宗教改革を普遍的モデルとしてしまう問題などを取り上げてきたが、そういえば、今、仕事で依頼されてこの本をずっと読んでいて、関連書籍と合わせて検討しているのだけれども(遅れています)、ここでも関連する議論が出てくる。


ウォルター・ラッセル・ミード『神と黄金 上 イギリス、アメリカはなぜ近現代世界を支配できたのか』

アメリカの保守派と目され るウォルター・ラッセル・ミードも、イスラーム教のいわゆる「過激派」と論じられがちなワッハーブ派やサラフィー主義と、アメリカのプロテスタントとの類似性を論じている。そして、ミードはアメリカの活力と指導力の発展の過程では、負の側面はあれども、「過激」なプロテスタントの運動が不可欠な要素だったと肯定的評価をしているのである。間接的に、ワッハーブ派はサラフィー主義についても、長期的に見れば、イスラーム世界の発展に肯定的な意味を持つ可能性があると示唆している。

「西洋のマスメディアでは、一方の側に、開かれた社会の自由【ルビ:リベラル】な理念と相性が良いと考えられているキリスト教の価値観を置き、もう一方の側に、イスラームの本質的な一部であるとみなされ、閉鎖的で無知蒙昧だと思われている価値観を置き、これら両方の価値観は永遠に相容れることはないと言われている。

これはほぼ間違いなく間違っている。カトリックは最終的に開かれた社会との和解に至るまでに、その社会の価値観に抵抗する長く苦い歴史を経てきた。プロテスタントでさえ、当初は開かれた社会を受け入れようとはしなかった。イスラームを外部から観察する人びとのなかには、イスラームがもっと寛容で開かれた信仰となるような「イスラームの宗教改革」が起こってくれればと願っている者もあるが、彼らは宗教改革の本質についてもイスラームの現状についてもよく分かっていない。

あらゆる文化にはそれぞれ固有の特徴があるとはいうものの、イスラームのワッハーブ派とサラフィー主義の運動およびそれらに根ざす政治運動は、〔キリスト教の〕宗教改革における最も急進的なプロテスタント諸派の運動と不気味なほど似ている。・・(中略)・・ワッハーブ派もその他の現代の改革派ムスリムたちも、イスラームの本源回帰を望んでいる。それはちょうどピューリタンが使徒時代の純粋なキリスト教への回帰をめざしたのとよく似ている。」(ウォルター・ラッセル・ミード著、寺下滝郎訳『神と黄金 イギリス,アメリカはなぜ近現代世界を支配できたのか(下)』青灯社、2014年、242−243頁)

非リベラルな思想が主流なイスラーム世界については、アメリカの保守派の良質な部分は、ある種の共感の力を持って理解を試みている面がある。

「マルティン・ルター、ジャン・カルヴァン、オリヴァー・クロムウェルは、彼らの教義や主義がワッハーブ派の教義とどれほど違っているにせよ(もとより彼ら三人の教義や主義自体がぴったりと一致しているわけでもないが)、それでも現代の改革派ムスリムたちの精神と神学には多くの点で敬意を払うことだろう。
 中長期的に見れば、これは明るい兆しである。プロテスタントの宗教改革は、それにいかなる問題があろうとも、近代の動的社会を発展に向かわせる環境をつくったことは確かである。その運動から生じた宗教闘争、教義上の革命、個人の改心体験、迫害、犯罪、政治闘争は、ベルグソンのいう動的宗教【ダイナミック・リリジョン】を発生させ、ひいては新たな社会を生み出すことを立証した。今日イスラームは活発な宗教となっており、世界が激変するなかで真性の声を聴こうともがいている。これはムスリム、非ムスリムのいずれをも等しく不安にさせ、時として恐怖させる危険な現象である。だがそれはまた、偉大な文明に特有の生命力と積極的関与【エンゲイジメント】の重要な現れでもある。」(ウォルター・ラッセル・ミード著、寺下滝郎訳『神と黄金 イギリス,アメリカはなぜ近現代世界を支配できたのか(下)』青灯社、2014年、244−245頁)

ミードは非合理的な宗教のダイナミズムこそがアメリカの躍進の不可欠の(唯一のではない)要素であるとする立場であり、であるからこそ、イスラーム教の根本理念に立ち返ろうと主張する運動が根強いイスラーム世界への、ある種の内在的理解による共感を可能にしている。

ただし保守派の多数、特に宗教右派や福音派、イスラーム教の挑戦を真っ向から受けて、十字軍で対抗しようとするので、摩擦と衝突を煽る結果を招きかねない。

これについてはミードはラインホールト・ニーバーの「原罪」を核とした議論を引いて、信念に基づく行動に内側からの抑制を課すことを、福音派などが力を持つアメリカ政治において、保守派こそが再認識するよう求めている。ここがこの長大な本の肝となっている重要なところだろう。それが安心できるものか、説得的かはともかく。

元来はアメリカの保守は、根底においてリベラリズムを共有している。ここが新世界のアメリカと欧州を分けるところである。その意味で、ミードはアメリカ保守主義の本来の姿を受け継いだ知識人といえるのではないか。


ルイス・ハーツ『アメリカ自由主義の伝統』(有賀貞訳、講談社学術文庫)

Kindle版『イスラーム国の衝撃』が半額ポイントバックの対象に

ブログ再構築を指南してもらっている「ほっともっとの人」(→分からない人は検索機能を活用してみましょう)に指摘されて気づいたのですが、『イスラーム国の衝撃』のKindle版が、アマゾンの半額ポイントバック・キャンペーンの対象になっているとのことです。つまり、今買うと、800円の定価に対して400円分のポイントがついて実質半額だそうです。このキャンペーンがいつまで続くか分かりませんが、一度買ったらアマゾンが潰れるまで読めるわけですので、予備の電子版をお求めの方などはこの機会にどうぞ。
(追記:いつまで続いているか分かりませんので、よく確認してからご購入ください)

売れ筋アイキャッチ商品だということなんですね。なんだか隔世の感があります。

『イスラーム国の衝撃』が東大生協で依然として売れてます

『イスラーム国の衝撃』の受容のされ方の一面を示すデータ。

『イスラーム国の衝撃』が2月・3月の二ヶ月連続で、東大生協の書籍部(本郷)のベストセラー1位を記録。【「大学生協が3月のブックベスト10…東大2か月連続1位「イスラーム国の衝撃」」2015年4月27日】

うれしいね。

元データは全国大学生活協同組合のホームページ。各大学の毎月のベストセラー10位までを発表している。

2015年2月
2015年3月

授業のない2月・3月に1位ということは、純粋に興味関心からということなのか。

他の大学でも、京大と阪大ではランクインしている。推移を比べると・・・

東大 1位(2月)→1位(3月)
京大 4位(2月)→7位(3月)
阪大 5位(2月)→ランク外

他の大学ではランク外。やはりね、という感じがする結果ではある。慶應などでもよく売れてはいるのだろうけれども、全体の中での多数派ではないのだろう。

生協のランキングを見ていると、ものすごく実用的な本ばかり売れる大学とか、公務員試験のテキストがランキング上位を総なめにする大学とか、特徴が出ていて面白い。

まだ読んでいない方はぜひこちらから。

Kindle版でもどうぞ。(時によってポイントが半額分の400ポイントだったりする)

以前にこの件についてはフェイスブックで書いたのだけれども、検索しにくいのでブログに記しておこう・・・と書き始めたら、実はもう4月の集計も出ていた。東大ではまだ5位に残っている。えらい。

抜いていったのは、松尾豊さんの『人工知能は人間を超えるか』なのだが、これは頷ける。先日も某経済政策官庁の研究所でブラウンバッグ・ランチの告知が来ていたが、瞬時に満席になっていた。


松尾豊『人工知能は人間を超えるか』(角川EPUB選書)

松尾さんとは面識はないが、民主党政権下で内閣府の国家戦略室の傘下で開かれた巨大会議群「フロンティア分科会」(←注意:ホームページがものすごく読みにくい)にどちらも参加していたので存在を認識していた。大学の世界は年齢層が上に偏っているので、少し前までは同年代がいるとすぐ目に付いた。

この会議については誰も記憶していないと思うし、そもそも報告書を出した当時もほとんど誰も気にも留めなかったと思うのだが、それなりの労力を使った仕事であった。そうだった、私は国際問題を扱う「平和のフロンティア部会」の委員として、松尾さんは「叡智のフロンティア部会」委員として(分科会・部会名が大仰なのは末端のヒラ委員の責任ではありません)、別の場所で同様に「老害批判」をしたというのでなんとなく同類視する人がいたのだった。

私の方はまあ、「ええその、私は決して「老人」がいけないと言っているのではありませんのでして、「老人支配」が良くないと言っているのでありまして、そのあたりはぜひ誤解なきようにと・・・」などと腰低く老害批判をしていたらちょうどそこに全体の座長の大西隆先生(日本学術会議会長・以前に先端研のエラい教授でもあった)がひょっこり登場して「すみません、お呼びですか?」みたいなことを言って一同爆笑、といった和気藹々としたものであったが、松尾さんの方はなんかもう40歳以上はみんな粛清だ、みたいなポルポト派的雰囲気だったらしいと伝え聞くがオフレコで記録残ってないので確かめようがない。話に尾ひれがついているかもしれん。

ちなみにあちらは工学系研究科の技術経営戦略学所属で若干文系っぽく、こちらは工学系研究科の先端学際工学と先端科学技術研究センターの所属でなぜか思想史で全くの文系。工学系で文系に近いことをやっていると老害批判に走る傾向が出るのか。

書評まとめ(3)『イスラーム国の衝撃』

次の本の詰めが難航して長考に入り、ウェブからしばらく離れて文献読み込みにはまり込んだりしていまして、「ほぼ日」化宣言していたブログ更新も滞っていますが、いくつか『イスラーム国の衝撃』に大きめの書評が出るようになってきたので、紹介します。

(1)『毎日新聞』2015年3月29日、《今週の本棚》「『聖戦』の広がりと変容」(評者 本村凌二(推薦)・岡真里・橋爪大三郎)

『毎日新聞』の書評は、まず推薦者が紹介した上で別の二人が加わって座談するという新趣向です。

(2)『週刊エコノミスト』2015年4月14日号(4月6日発売)、《読書日記》「『イスラム国』を読み解く気鋭学者の”正気”」(評者 渡辺京二)

『週刊エコノミスト』は私も5週に一回寄稿している読書日記欄なので、今回は載っていないと思いつつ開いてみて驚きました。サプライズ書評。

表紙もあげておきましょう。

週刊エコノミスト2015年4月14日号

『イスラーム国の衝撃』は、論壇の既存の議論の枠組み、予想の構図を覆すような形での反響を多くもたらし初めているような気がします。論壇が「立ち位置」ではなく中身で議論するようになる方向づけを出来たなら幸甚です。

「国際報道2015」の特集で『イスラーム国の衝撃』の「その後」を見ていきましょう

【『イスラーム国の衝撃』のサポートページ(http://ikeuchisatoshi.com/『イスラーム国の衝撃』/)】

昨日は『イスラーム国の衝撃』の脱稿・刊行以後の事象を、この本をどの部分を手掛かりに読み解いていけばいいのか、ガイドラインを示しておきましたが、そもそも、生じてくる事象についてどのようなメディアを通じて知ればいいのかがわからない、という人もいるでしょう。

私自身のフェイスブックのアカウントから、時折、現地のメディアや国際メディアの有力・興味深い記事をシェアしていることがありますが、外国語であったり、具体的な事象そのものについての記事であったりして、事情を知らないとよくわからないということもあるかもしれません。

グローバル・ジハードのその後の展開や、中東の政治変動の現状について、日本語で情報を得るには、NHK-BS1を見るのが一番でしょう。

以前に、NHK-BS1 が提供している、諸外国の放送の主要なニュースのクリッピング番組の重要性については書いたことがあります。

「実はNHKBS1はすごいインテリジェンス情報の塊」(2014/04/08)

ただしこれらのニュースも毎日の生のニュースが翻訳をつけて提供されるものなので、慣れていない人には一つ一つのニュースの意味を読み取ることが難しいかもしれません。

その点で、夜10時からの「国際報道2015」では、世界各局からのクリッピングを踏まえつつ、NHKの海外支局を動員して、日本の視聴者にもわかるように問題設定をした特集を、平日毎日放送しています。まずはこれを見ていくといいでしょう。

「イスラーム国」の台頭以降は、多くの特集が関連するテーマを追っています。

これらの報道は必ずしも私の示した理論的枠組みや概念を踏まえているものではありませんが、事件報道や特集のための取材を繰り返すうちに、徐々に理解も深まり、収斂してきているようにも感じられます。

最近の特集を見ても、「イスラーム国」のアフガニスタンやイエメンに地理的に連続せずに飛び火する可能性を、具体的な各国情勢の展開の中で位置づけるなど、民放や地上波では期待できない高度な報道がなされています。

2015年3月25日(水) アフガニスタン 忍び寄るIS ガニ大統領訪米の背景

2015年3月26日(木) 混迷イエメン 「第2のシリア」への危機

『イスラーム国の衝撃』を書き終えて以降の「国際報道2015」の特集のうち、グローバル・ジハードやアラブ政治・中東国際政治の変動に関する特集の目に付いたものを下記にリンクしておきましょう。

昨年12月にチュニジアの義勇兵送り出しの問題を取り上げ帰還兵問題に触れているなど、中東・イスラーム世界についての国際的な報道・議論の最先端の水準を目指して検討していると評価できます。

特集のホームページをさかのぼってみると、昨年「イスラーム国」が台頭した直後の数ヶ月は、なかなか「イスラーム国」を生む中東政治そのものや、グローバル・ジハードの現象そのものに迫ることができず、周辺部分の、たとえば欧米の白人社会の中からの改宗・過激化した少数の若者の出現など、「欧米の変わった事象のニュース」としての部分に焦点が当てられるきらいがありましたが、「イスラーム国」の現象に総力で取り組むことで、理解が深まり、結果として番組の水準が高まりつつあると思います。

「国際報道2015」のホームページでは、過去の放送そのものは見ることができませんが、番組のナレーションのトランスクリプトを読むことができ、主要な場面を静止画像で見ることができます(私は自動録画しておいて、興味のある特集のところだけまとめて見ています)。

こういった特集を、ウェブ上にトランスクリプションを提供して後々まで公開しておくことは非常に大事です。中東をネタに、言いっ放しで思い込みを語るなどは論外ですが、民放各局は軒並みそういった論外の報道を繰り返してくれます。報道と表現は自由ですが、それは批判的に検証されることを可能にしなければ発展に繋がりません。

後から文字で読まれても恥ずかしくないものを作れる局だけが、ニュース報道機関と言えます。

以下に特集のタイトルとリンクを列挙しておきます。

2014年12月9日(火)”イスラム国”の牙城 モスルを奪還せよ

2014年12月11日(木) 「イスラム国」戦闘員を生み出す町 いまチュニジアで何が

2014年12月19日(金) アフガニスタンの“悪夢” 国際部隊撤退へ

2015年1月5日(月) 長引く戦いがもたらす影 「イスラム国」有馬キャスター現地ルポ

2014年12月25日(木) シリーズ「あの現場はいま」(3) 「イスラム国」と対峙する町

2015年1月23日(金)「ボコ・ハラム」支配の実態 戦慄の証言

2015年2月10日(火) あの日突然「イスラム国」はやってきた~撃退までの証言

2015年2月12日(木) 「イスラム国」指導者はこうして生まれた

2015年2月24日(火) IS 闇の資金源ルートを追う

2015年2月27日(金) 衝撃証言 IS・少年兵育成の実態

2015年3月25日(水) アフガニスタン 忍び寄るIS ガニ大統領訪米の背景

2015年3月26日(木) 混迷イエメン 「第2のシリア」への危機

トリセツ『イスラーム国の衝撃』:チュニジアやイエメンでの新たな事象の理解にもご利用ください

『イスラーム国の衝撃』が、当初は品薄で入手に苦労された方も多かったようです。また、お手元に届いてからも、そう簡単に読み進められないという感想も伝わってきます。それはその通りで、すぐに読み捨てるようにはできておりません。今後も長く、中東やイスラーム世界を見る際に参照してほしい本です。

(Kindle版)

この本は、「イスラーム国」を扱った本ですが、「イスラーム国」についてだけ書いてある本ではありません。

グローバル・ジハードの思想史と、「アラブの春」以後の中東政治の変動を見ることによって、「イスラーム国」も見えてくる、というのがこの本の仕組みであり、効用です。

ですので、イラクとシリアでの「イスラーム国」に直接関わらない(ように見える)中東地域の事象についても、この本を探せば、その意味や背景を読み解く枠組みや概念を示してあります。

昨年12月にこの本を書き終えて以降の、中東やイスラーム世界について、日本でも耳目を引きつける数多くの事象が生じました。それらの事象について、この本の該当箇所にあたってみることで、何か得ることがあるのではないでしょうか。

例えば、

(1)1月7日 パリ・シャルリー・エブド紙襲撃殺害事件

これについては、例えば次の二つの要素が絡んだ事象と考えられます。それぞれについての『イスラーム国の衝撃』の該当箇所を示しますと、

グローバル・ジハードの組織論の変貌によって現れた、ローン・ウルフ(一匹狼)型テロによる「個別ジハード」として
→第2章「イスラーム国の来歴」の50頁以降

シリアやイラクに集まる義勇兵=ジハード戦士の「帰還兵問題」として
→第6章「ジハード戦士の結集」

(2) 1月20日 脅迫映像公開によって問題化した日本人人質殺害事件

これについては、帯の写真にあしらった「ジハーディー・ジョン」そのものが1月20日の脅迫映像に同じ装束で登場したという偶然がありますが、それ自体は本質的なことではありません。現在流通している『イスラーム国の衝撃』の帯にも依然としてこの男の写真が使われていますが、間違っても、「日本人を殺害した犯人の写真を帯にあしらうなど不謹慎だ」などと怒らないでください。昨年暮れの段階でこの帯のデザインは決まって年初には印刷されており、日本人人質の殺害脅迫を受けて帯にあしらったものではありません。

この事件については、もちろん『イスラーム国の衝撃』の全編にわたって関係がありますが、映像を用いて、メディアを通じて政治的な影響力を膨れ上がらせる手法については、下記の部分が特に関係しています。
→第1章「イスラーム国の衝撃」の23−28頁
→第7章「思想とシンボルーーメディア戦略」

(3) 2月頃〜 リビアやイエメンでの内戦・紛争の激化

これはグローバル・ジハードの展開が可能になる環境条件、特に「アラブの春」後の各国の内政混乱と、それが地域規模に広がる現象です。それが引き続き展開しているのです。これについてまとめているのが、
→第4章「『アラブの春』で開かれた戦線」です。

(4) 2月〜 リビアでの「イスラーム国」の活発化

これは分散型で自発的に参加することで成り立つという、グローバル・ジハードの過去10年に理論化・定式化され普及した組織論・組織原理に基づき、地理的に連続しない場所で呼応した勢力が現れる現象です。
→第2章「イスラーム国の来歴」で基本メカニズムが解明されています。
→第8章「中東秩序の行方」では、今後の広がり方として、地理的に連続した領域への拡大と、地理的に連続しない領域への拡大の両方について、見通しを示しています。
 また、リビアでの「イスラーム国」によるエジプト人出稼ぎ労働者大量殺害の映像公開に対しては、エジプトが軍事介入を行いました。これについても第8章ではあらかじめそのような方向性を記してあります。

(5) 3月18日 チュニジアの首都チュニスでのバルドー博物館へのテロ

これも、分散型・自発的に各地で組織が現れて呼応して結集していくメカニズムのもとに発生した事件と考えられます。
→第2章「イスラーム国の来歴」
→第8章「中東秩序の行方」

(6) 3月25日〜イエメン内戦へのサウジアラビア主導のアラブ有志連合による軍事介入

米国の中東での派遣の希薄化と、地域大国の影響力の拡大ですね。それが問題の解決になるのか、問題の一部となるのか、どうなるのか。この本で書いた問題構図が持続し、顕在化しています。
→第8章「中東秩序の行方」

今後も次々と事象が生じてくる際に、『イスラーム国の衝撃』を取り出して、読み直してみてくださると、色々発見があるかもしれません。

さらにその先を踏み込んで読みたい、という人向けに、いくつか本を用意しています。今年度中に順次刊行されていきます。しばらくお待ちください。

書評まとめ(2)『イスラーム国の衝撃』

『イスラーム国の衝撃』への書評のまとめの続きです。(1)はこちら

3.週刊誌

『週刊新潮』2015年2月5日号(1月29日発売)、《書評欄》「『イスラーム国の衝撃』 池内恵著」(評者・林操)

この号は「イスラーム国」一色だったようですね。

『週刊ダイヤモンド』2015年2月7日号、《Book Reviews 知を磨く読書》「敵意を増大させる過剰な警戒」(評者・佐藤優)、84頁

第6章の帰還兵問題の項から「シリア・イラクからの帰還兵をすべて過激なテロリストととらえ、法を逸脱した対処策を適用すれば、かえって欧米への敵意を増大させ、実際にテロ組織の側に追いやりかねない。帰還兵への過剰な警戒は、自己成就的な予言となりかねないため注意が必要である」という部分を引き、佐藤氏は「確かにその通りであるが、過剰反応するのがインテリジェンス(諜報)の本性なので、帰還兵をめぐっては、「自己成就的な予言」が成就するのではないかと思う」と、自らが拠り所とするインテリジェンスへの悲観主義的なひねりを加えて返している。こういう発想と表現の反射神経は、「さすが」と思いますね。

『週刊エコノミスト』2015年2月10日号(第93巻第6号・通巻4383号)《話題の本》「『イスラーム国の衝撃』 池内恵著」

「読書日記」の連載もしているので取り上げてくれたのかな。

『週刊文春』2月19日号、《永江朗の充電完了》「電子書籍 危機一髪!」

次々と現れる電子書籍を読む、という趣旨の連載だと思われるコーナーで、こんなアプリやデバイスがあるのか、と普段興味深く読んでいるが、そこに自分の本が出てくると驚く。読んでみると、「ある仕事で池内恵の『イスラーム国の衝撃』の書評を書くことになった」とある。ところが書店を回ってもネット書店でも、売り切れで手に入らない。1月後半の品薄の時期ですね。締め切りは1月30日で、刻一刻と迫るがなおも手に入らない。それが1月28日発売のKindle版で「あいててよかった」(懐かしい)となり、危うく救われた、という話。

なお、永江さんは「紙版と同時発売だったらもっとよかったのに」と書いていらっしゃいます。

なぜ紙版と同時発売でなかったかというと、よく知りませんが、もしかすると私が書いたのがギリギリなので、単純に間に合わなかったのかもしれません。電子版にまで手が回らなかった。

私も個人的には、1月20日の人質殺害脅迫ビデオ公開で勃発した狂騒状態の1週間にKindle版が存在していたらおそらくフラッシュマーケティング的にとてつもなく売れて稼げたと思いますので機会損失は大きいと思いますが、それよりも「必要とする本が手に入らない」という体験を多くの人がしたことがいいのではないかなと思う。そこから本来存在するべき本のあり方、書店のあり方、自分自身の本の買い方について考え直す人が何人か出てきてくれればそれでいい。

肝心の書評そのものは、どこに載ったのか、あるいは載らなかったのか、分かりません。

しかし週刊文春の記事の中では「あの自称国家のルーツがアル=カーイダにあり、アル=カーイダのルーツがソ連によるアフガン侵攻時のアメリカの政策にあったことを知った」となっていますが、これは間違いではないが、私の本から読み取るべき点はそこではないだろうと思う。そういう話なら私の本を読まないでもそこらへんの本でいくらでも出回っている。何もかもアメリカ原因・責任論にしてしまうとわからなくなる、広く深い世界がその外にありますよ、というのが私の本の基本的な方向性だと思うのだが・・・

もしかして電子書籍で読むとそうなるのかな?

『イスラーム国の衝撃』を剽窃した記事についての対応

非常に時間がないのですが、誤解やデマを避けるために、ここに書いておかねばなりません。

『東洋経済オンライン』に掲載された二つの記事が、私の書いた『イスラーム国の衝撃』の複数の箇所を、若干文体を変えただけの引き写しであることを発見しました。問題設定も、論旨も、論理展開も、引いてくる事例もほぼ全てが『イスラーム国の衝撃』および『現代アラブの社会思想』、そして本ブログ「中東・イスラーム学の風姿花伝」からの引き写しであり、明確な剽窃です。二つのコラムの全編にわたって、一切、私の文献を参照したという記載はありません。

文中で剽窃の隠蔽・言い逃れを意図したとみられる姑息な手段も弄しているとともに、「宗教学たん」なる筆名を用い、明らかに虚偽の「17歳女子高生」を称することによって身元を隠していることで、文章を発表するものが負う応答責任を問われることを回避しており、極めて悪質とみて、フェイスブックのアカウント(https://www.facebook.com/satoshi.ikeuchi)で告発しました。

下に記すように、3月17日、匿名・身元を公には隠した著者からは、事実関係をある程度認め謝罪し記事を撤回する旨の発表があり、記事の元来の配信元から、記事を配信したメールマガジンを打ち切るとの発表がありました。

私の告発はフェイスブック・アカウントを通じて行ったため、検索機能が弱く、アカウントを持っていない人が見ることができないため、剽窃を行った側の言い分のみが流通することになりかねず、誤った認識を広めかねないので、ここにまとめておきます。

剽窃が行われ、一般に広くアクセスできるように置かれていたのは、具体的には『東洋経済オンライン』の二つの記事です。

「「イスラム国」の呼称、避けるべきではない 暴力の根源は、昔から内包されていた」2015年02月28日

「イスラム国は、「2020年の勝利」を信じていた フセインが書き残した、終末までの7段階」2015年03月14日

これらはそれ以前に、「プレタポルテ by 夜間飛行」の配信するメールマガジン「寝そべり宗教学」の第2・3回として配信されたものが『東洋経済』に転載されていたことが判明しました。

「第2回 イスラム国はイスラム教と無関係という意見は、ちょっと危ないと思うよ!」2015年2月27日

「第3回 イスラム国が思い描く「2020年のハルマゲドン」へのロードマップ」2015年3月12日

この二つの記事は、大部分が、『イスラーム国の衝撃』の具体的な記述を、文体のみ書き換えたものであり、相違点は部分的に省略しているか、しばしば不適切あるいはそれほどの意味のない情報を若干挟み込んだ部分にすぎず、明確に剽窃です。『イスラーム国の衝撃』を参照したと明記されていないことが問題であることはいうまでもありませんが、そもそも大部分が他人の作品の語尾等を変えただけのこの二つのコラムは、固有の著者の作品として成立していません。そのため、剽窃行為を行う匿名・身元を隠した著者だけでなく、これらを掲載した「プレタポルテ by 夜間飛行」及び『東洋経済』にも、重大な道義的責任があると考えます。

また、池内恵『現代アラブの社会思想』の議論も、また近年の政治的論争をめぐる議論においても、本ブログ「中東・イスラーム学の風姿花伝」の池内恵「「イスラーム国」の表記について」(2015/02/14)の主張を、若干表現を変えるのみでそのまま繰り返しています

3月15日、剽窃したこの文章を最も大規模に流通させている『東洋経済』にメールで抗議するとともに、下記のフェイスブックのエントリで告発し、注意を喚起しました。

https://www.facebook.com/satoshi.ikeuchi/posts/10202807262101669
https://www.facebook.com/satoshi.ikeuchi/posts/10202807313302949
https://www.facebook.com/satoshi.ikeuchi/posts/10202814396600027
https://www.facebook.com/satoshi.ikeuchi/posts/10202820770359367

これに対して、『東洋経済』編集部からは、「至急社内で確認のうえ、しかるべき対応を検討したい」と記された返信が一回ありましたが、その後は3月17日23時までのところ、私に対しては連絡がありません。3月17日には、掲載されたコラムに、「夜間飛行」のホームページにリンクする形で、記事の提供元から説明があった旨のみ、二つの記事の冒頭に加えられていますが、編集部より私への説明はありません。ただメールの文面を見ると、「返事をする」とは書いてありませんので、出入り業者のライター風情の抗議に対しては直接答える義務がないと考えている会社なのかもしれません。

3月16日に、「宗教学たん」を称する人物(1名、ポストドクターの日本学術振興会研究員)から、謝罪と剽窃の事実を基本的に認める内容のメールが届きました。そこで私はこの人物の氏名と帰属に関する基本情報を知らされています。この情報を公開することを妨げるいかなる義務も私は負っていないことを確認してありますが、現時点では氏名の公表は私からはしておりません。その理由はこの文章の後で述べます。

なお、匿名の筆者は私のメールアドレスを「夜間飛行」を運営する編集者から知らされたと、当該編集者の氏名を記した上で明かしていました。これが何を意味するかは判然としませんが、「夜間飛行」の編集部は、剽窃の文章を掲載し配信したことの責任の大部分・ほぼ全てを著者に追わせ、対応の主体ともさせる方針であると私は判断しました。

私の知る限り「夜間飛行」の主要な運営主体である編集者は、以前に中央公論新社に勤務しており、2010年に『中央公論』に私の原稿が掲載された際にメールのやり取りをしているため、私のメールアドレスを知っているはずです。そこから私のメールアドレスが伝えられたものと受け止めています。しかしなぜ編集者本人から説明がなかったのかは、まさになんの説明もないので今に至るまでわかりません。

編集者本人からは3月17日23時までの間、私に対しては直接の連絡はありません(ただし、私はそれまでの経緯から、編集者本人が直接対応をする意思がないものとみなし、3月16日夜のフェイスブックで「連絡してこなくていい」と私から発信しています)。

3月17日に、「夜間飛行」のウェブサイト上に、「宗教学たん執筆の記事とメルマガ『寝そべり宗教学』について」という文書が公開されました。

この文書は二つの部分からなり、一つは「夜間飛行 編集部」からのメールマガジン停止の通知であり、もう一つは「宗教学たん」を名乗る人物からの謝罪と事実関係の(一方的な)説明でした。事実関係の説明についての文面は、前日に私に対して送付したものとほぼ同一であり、前文として、私の返信を一部取り入れたと見られる記述が若干見られます。

「夜間飛行」編集部の示した文面は、「読まれていた読者の皆様に不快な思いをさせてしまい、申し訳ございませんでした。」というもので、日本語としてもやや問題がありますが、自らの顧客である読者に対して謝罪するのみで、剽窃の文章を流通させられて実害を被った私に対する一切の謝罪の表現がありません。

そもそも問題の二つの文章が剽窃であるということについて、編集部は認めることを避けているように見えます。

「記事について盗用等の指摘を受けた件」「盗用等の指摘を受けた点」と繰り返しているため、「指摘を受けた」事実のみを認め、それが剽窃であるかどうかの認識を表明することを避けているものとみられます。

もし万が一、この二つの文章が『イスラーム国の衝撃』の剽窃でないと言いたいのであれば編集部ははっきりとそう書くべきです。

それとは別の理由があるのであれば、例えば、「編集部は記事の内容が剽窃であるかないかを判定する立場にも、責任を負う立場にもないので、読者にしか謝らない」というのであれば、はっきりそう書くべきです。

そうでなければ事情を知らない第三者に誤解を生じさせかねません。

「宗教学たん」を名乗る著者は基本的に剽窃を行ったことを認めているものとみられますが、別の英語の文献を参照した旨を記してあたかも『イスラーム国の衝撃』以外の文献に依拠して議論を行ったかのような印象を与えようとしていますので、私の指摘を受けて謝罪しながらもなお、自分が剽窃を行っているという事実についての認識が甘い可能性が払拭できず、剽窃が何を意味するのかを本当に分かっているのか否かが、依然として明確ではありません。

まず、匿名筆者は謝罪文でなおも、実際には池内の『イスラーム国の衝撃』に依拠せずに書けた部分があると主張しています。

【3月19日追記:ウェブ上には、読解力がないにもかかわらず頻繁に文章を発表する人がおり、下記の英語をあげた部分のみをとって「剽窃ではない」旨を主張するこれまた匿名人物が現れてきています。以下の部分を特に挙げたのは、匿名著者が殊更に英語の記事を示して『イスラーム国の衝撃』から直接引き写していないと示唆したがゆえに、確認のために、実際の英文から匿名著者の議論が導けないと示しているだけです。匿名著者が認めている他の引き写し部分はより明確に『イスラーム国の衝撃』から引き写しています。また、ここで挙げた部分についても、ここで書き写していませんが、匿名著者の「第6段階以降」についての記述は『イスラーム国の衝撃』の該当部分と同じです。この問題について「剽窃かそうでないか」を議論するのであれば、ご自分で対象させてみるしかありません。なお、全編にわたって引き写していながら、この部分だけ「読まなくとも思いつけた」などという理屈には意味がありません。コピペ文化に染まった書き手がウェブに多くおり、一定の読み手もいるようですが、それらは表の世界の陽の光に当たれば萎んでしまう切り花のようなものと心得てください】

これは場合によっては「池内の著作には新規性がない」と暗に主張していることにもなりかねず、私にとって重大な要素を含むので詳細に見ておかねばなりません。

ここで問題にするのは、「2005年8月12日のSpiegel On Lineに掲載されたThe Future of Terrorism」を読んだという主張です。これは「寝そべり宗教学」第3回「イスラム国が思い描く「2020年のハルマゲドン」へのロードマップ」の「終末へ向けた7つのステップ」の節を、池内著『イスラーム国の衝撃』からではなく別のところを見て書いたということを示唆したいのだと思いますが、しかしこれを持ってきてもこの部分が剽窃ではないという主張を支えません。

匿名筆者はフアード・フセインに依拠した記述を行うにあたって、『イスラーム国の衝撃』の第3章77−85頁の「2020年世界カリフ制国家再興構想」の節の記述を参照していることは明確です。なぜならば、Spiegel Onlineの記事と池内の『イスラーム国の衝撃』では、同じフアード・フセインの文献を用いながら、違うことを読み取っているからです。Spiegel Onlineでは、7段階に渡るカリフ制国家再興構想のうち第5段階以降は曖昧にしか紹介しておらず、それによって、第6段階以降が終末論となるという、池内が『イスラーム国の衝撃』で同じ文献を用いながら指摘している点について触れていません。

Spiegel Onlineによる抄訳の該当箇所を見てみましょう。

The Sixth Phase Hussein believes that from 2016 onwards there will a period of “total confrontation.” As soon as the caliphate has been declared the “Islamic army” it will instigate the “fight between the believers and the non-believers” which has so often been predicted by Osama bin Laden.

The Seventh Phase This final stage is described as “definitive victory.” Hussein writes that in the terrorists’ eyes, because the rest of the world will be so beaten down by the “one-and-a-half billion Muslims,” the caliphate will undoubtedly succeed. This phase should be completed by 2020, although the war shouldn’t last longer than two years.

第6段階で「オサーマ・ビン・ラーディンが頻繁に予言していた、信仰者と不信仰者の戦い」について描いているものとSpiegel Onlineの記事では記しているのみです。ビン・ラーディンは終末論を言う人ではありませんでした。この部分が終末論的な信仰かもしれないということは、私の本を読んだ上で想像しない限り、この英語抄訳からは読み取れません。

池内は『イスラーム国の衝撃』の第3章でまずこの部分が終末論的である点を指摘した上で、第7章では「イスラーム国」が発行する雑誌『ダービク』の明白な終末論につなげていきます。それが思想史の謎解きというものです。

匿名筆者はというと、Spegel Onlineの英訳(抄訳)を元に「2020年カリフ制再興構想」についての訳文を作りながら、この第6段階以降が終末論だと論じます。Spiegel Onlineの記事にはそんなことは書いていないのですから、この部分が終末論的であることを明示する別の文献を参照したと示さない限り、「Spiegel Onlineの英訳を参照したから池内からの剽窃ではない」とは、客観的には言えないのです。

まあ本人が別の宗教の終末論について研究したことがあって、片言隻句からも終末論を読み取るという可能性がないわけではないですが、その場合は、今回の議論については、根拠なく語ったということになります(私信では『イスラーム国の衝撃』の第3章は読んだが第7章は読んでいない、とのこと)。

意図的に、不十分な抄訳を提供しているのみのSpiegel Onlineの記事に依拠して、『イスラーム国の衝撃』の該当箇所のアラビア語からの訳よりも精度の低いものを提供しても意味がありませんが、なぜそのようなことをやるかというと、匿名筆者がSpiegel Onlineの記事からわざわざ荒いものを訳して、「池内とは違う文献を踏まえた形にし、異なる訳文を作りたかった」ものであったと推測されてしまいます。

池内の地の文から引き移すところは機械的に「女子高生文体」に変えているので文面は全く同一ではないことになりますが、翻訳の部分まで女子高生文体にしてしまうわけにいかないので、引用せざるを得ない。『イスラーム国の衝撃』から引用しないようにするには、苦肉の策で、ウェブ上で不完全な英語抄訳を探してくるしかなくなったのでしょう。

なお、私は「2020年カリフ制国家再興構想」については、下記の論文で書いており、そこにはフアード・フセインによる『クドゥスル・アラビー』紙に連載された資料への参照を含め、『イスラーム国の衝撃』での該当箇所の議論の原型が示してあります(注でSpiegel Onlineの記事を含む、先行する研究・言及を網羅的に示してもあります)。

池内恵「アル=カーイダの夢──2020年、世界カリフ国家構想」『外交』第23号、2014年1月、32-37頁

この論文についてはブログで簡単に紹介しています。

2020年に中東は、イスラーム世界はどうなっている?(2014/02/05)

しかし終末論を軸としたグローバル・ジハードの進展についての論考は、『イスラーム国の衝撃』が最新のものであり、もっとも深めたものである。この論文を書いてのちに、イスラーム国が伸長して『ダービク』で終末論思想を全開にしたので、初めて『現代アラブの社会思想』からイラクのアル=カーイダをへて「イスラーム国」につながる、終末論からジハードへ、という流れがつながったのです。だから『イスラーム国の衝撃』を書く意義があると思えた。それがこの本を書いた一つの理由です。

また、匿名筆者は、私が問題にした二つのコラムについて、タイトルと各節の見出しを列挙して、そのうち指摘を受けた部分として*の印をつけています。*をつけた部分だけでも多すぎますが、「独自の部分もある程度ある」という印象を与えかねません。しかし実際には、それ以外の多くの節でも同様に、『イスラーム国の衝撃』の特定の箇所と、問題設定、論点、論理構成、選んでくる事実がほぼ全て一致しており、差し挟んだ部分、改変した部分は、当該記述の根拠となる知識を持っていないことによる誤謬を含んでいます。

例えば、バグダーディーについての紹介は見事に『イスラーム国の衝撃』記述と同じですが、その中でわずかに違う部分、例えば由来名が「クライシュ族」の一員を示す「クライシー」だ、という記述などは、素人目には私の記述(『イスラーム国の衝撃』76頁に示したように、実際には「クラシー」である)の方があたかも誤植であるように見えかねません。しかしアラビア語ではQuraish族に属す人をal-Qurashiと呼ぶのであって、誤植ではない。「クライシュ族だからクライシーでしょ」という誤解をしている人がウェブ上の何処かにいてそれを見たのかもしれないが、アラビア語を知らないことによる勘違いです。

匿名筆者が*をつけた問題部分以外に、客観的に見て明白に引き写しが過半を占める節には【** 『イスラーム国』該当頁】を付して、下記に記しておきます。ここまで明確でない他の節も、『現代アラブの社会思想』や「中東・イスラーム学の風姿花伝」で示した私の固有の議論に似すぎていますし、大部分の説が特定の著者の特定の著作からの、若干文体を変えただけの引き写しである作品が発表されることは、ありえません。

第2回 イスラム国はイスラム教と無関係という意見は、ちょっと危ないと思うよ!

1 前回までのおさらい
2 イスラム国の基礎を作ったザルカーウィーと宗教的な理念 【**『イスラーム国の衝撃』63−65頁】
3 アフガニスタンからイラクへ 【**『イスラーム国の衝撃』65頁】
4 カリフを名乗ったバグダーディーのイメージ戦略 【** イスラーム国の衝撃』17、18頁、76頁】
5 「暴力的な原理主義の原因はイスラム教じゃない」という意見の危うさ 
6 宗教を語るためのリテラシー *

第3回 イスラム国が思い描く「2020年のハルマゲドン」へのロードマップ

1 イスラム国が世界の終わりを信じてる!? *
2 イスラム国の終末思想 【**『現代アラブの社会思想』の終末論・陰謀論・オカルト思想についての記述を流用】
3 終末へ向けた7つのステップ *
4 機関誌「ダービク」は終末のシンボル *
5 リアルな終末思想の危険性

このように、謝罪・撤回の文章にも、完全に問題を認識していれば触れないような言い訳がなおも見られるので、研究者、あるいは公にものを書く人間として、どのように学説を組み立てるか、何をしていいか、いけないかの基準を分かっているかどうかが判然としない。それを教育するのは私の責任ではないが、認識不足から不必要な言い訳を行うことで、私にとっては不名誉な誤解や中傷の種になる可能性はあるので、それを徹底的になくすために、ここにまとめて記しておく。

剽窃というものは、私に対してだけでなく、社会に対して犯す過ちである。私が個人的に許す許さないという問題ではない。私個人としては、最初から呆れており、感情的に怒っているということはない。

私にとっては、『イスラーム国の衝撃』の各所の趣旨をそのまま反映した、しかし「劣化コピー」というべき文書がばらまかれていること、筆者が奇妙な筆名を使い、不可解な身元情報を流して、公的に応答責任を負っていない、といった事実は脅威である。ばらまかれた文書や、ばらまかれているという事実に関しても、第三者がいかようにも利用できるのだから、私にとっては問題が大きすぎる。放置しておけば、自分の作品の同一性や評価を維持できない可能性が出てくるだけでなく、責任の所在を問えなくなる。ブランドに対するコピー商品のようなもので、対処しなければ被害を被るのは私以外にない。私の方からは、身を守るために、徹底的に対応しなければならない。しかしこちらには怒りといったものはない。ひたすら厄介ごとである。客観的な脅威に対する必要な対抗措置を取っているまでである。本当はこのブログを書いている時間は極めて惜しい。痛恨である。

なお、匿名筆者の身元については、私は公開するつもりはないのだが、剽窃という問題が出た以上、本来は責任の所在を明らかにするために、公開されなければならないと思っている。

それは言論を行う者の社会に対する責任という意味からもそうだが、それ以前に、本人のためになると思う。

私は3月16日に、個人的な謝罪のメールへの返信で、ここで自ら名乗り出てしまうことを提案した。

それは、今匿名を盾に逃れたとしても、私は公開しないが、ほかに多くの人が実際には知っていることなのだから、やがて明らかにされる。そういうものなのである。

往々にして、こういうことは、人生のもっとずっと重要な時に、やましいことが発覚しては困る時に、出てくる。

そういう傷を抱えている人間は、やましいことが発覚しては困るような、人生の一大事を避けて生きなければならなくなる。

特に研究者を志しているのであればなおさらである。研究者はやがて、どんなに小さくとも、自分の説を世に問わなくてはならない瞬間が来る。命を取られるわけではないが、命がけの跳躍をしなければならない。その時に、何か引っかかることがある人は、飛ぶことができない。それを言い訳にして飛ばない。そうして過ごす無為な時間は、自分と周囲の他人を何よりも蝕むものである。

私の助言はまだ届いていないようだけれども。

書評まとめ(1)『イスラーム国の衝撃』

今回は、『イスラーム国の衝撃』についての書評、書評に近い反響をまとめておきましょう。全部把握しているわけではないので、他にも出ているのを知っていたら教えてください。順次加えていきます。

普通は本を出すと、出版社は広告を出し、新聞社などに送ります。新聞や雑誌の書評欄で取り上げてもらうと、書店でも特設コーナーに置いてくれたり、図書館が選書の際に参考にするなど、売れ行きが伸びるとされています。

ただ、そもそも出版点数が増えすぎているということと、新聞や雑誌で取り上げるまでのタイムラグが、早すぎる最近の出版サイクル(分かりやすく言うと本が出てから賞味期限切れになるか市場から消えるまでの期間)と合わなくなっていること、新聞や雑誌の訴求力が以前ほどではなくなっていることなどから、書評という制度についても考え直す必要があるとは常々思っています。

また、『イスラーム国の衝撃』についていうと、1月20日という発売日に先立って、まず1月7日のシャルリ・エブド紙襲撃殺害事件が生じて日本でも議論が沸き起こり、それによってインターネット書店で予約が埋まり、その上で、発売日当日に日本人人質殺害予告映像が出たという経緯。さらに、その映像に映っていた「ジハーディー・ジョン」の写真を偶然ながら『イスラーム国の衝撃』の帯に用いており、帯には残酷な殺害映像についての記述があることも記されていたという、特殊な事情があります。そのため、文化部・学芸部の管轄の書評によって本が社会に知られるという通常のプロセスを踏む前に、政治部・社会部や国際部の事件報道と論評で取り上げられて注目されることで、本が市場から消えていってしまいました。

この本の刊行と同時に研究対象そのものがインターネット・メディア上で直接日本社会に対して発信し始め、研究対象が日本の政治闘争の一部となり、メディア・スクラム的な爆発的な報道の対象となってしまったことで、そういった事象を読み解くための参考書としてこの本が切実に求められる客観的状況が生じてしまいました。全てが特殊であったため、逆に通常の書評による議論にそぐわなくなってしまった感はあります。

そのような特殊状況下で、この本についての情報伝達は、大部分が紙のメディアではなくインターネット上のブログやSNSで行われました(私自身の発信も含めて)。時期的にもインターネットでの書評が早かったため、まずインターネット媒体での書評の例を挙げておきます。

とはいえ、この本は本来は、ひと月かけてじっくり読んで書評が出て、それを見て考えて読者が買って読んで、数年間は読み続けられ、10年後にこの問題を振り返る時にまた読まれる、という従来の本の出版のあるべき姿を目指しています。そのような息の長い出版という営為を支える紙媒体での書評という制度は、やはり今後も不可欠と思いますし、ゆっくりとしたペースでの理解・評価が定着していくことを望んでいます。

1.インターネット媒体での書評

ネット上では罵倒・中傷も含めて無数に言及されてますが、影響力が大きかったのは次の二つと思います。本が出てすぐに、徹底的・的確に読み解いて表現していただいたことが、ネット上での適切な情報伝播を決定付けたと思います。

「「イスラーム国の衝撃」を易しくかみ砕いてみた」《永江一石のITマーケティング日記》2015年1月28日

この書評は、アル=カーイダは『ほっかほっか亭』で「イスラーム国」は『ほっともっと』だ!という至言を残しました。それだけ覚えている読者もいるでしょう。間違いではありません(が、本も読んでね)。

「イスラム国・テロ・経済的可能性」《新・山形月報!》2015年1月30日

山形さんとは少し前に『公研』で対談して「イスラーム国」についての見解を一方的に話した経緯があったので、言わんとするところや前提条件を汲み取ってくださいました。これもすごい反響でしたね。考えてみれば、対談をしていたのはご自身がピケティを最高速度で訳している最中。そんなところに対談にもお付き合いくださり、さらに、ピケティ本の大ベストセラー化とメディアのピケティ狂想曲発動でもみくちゃにされている時期に、この本を読んで書いていただいて、本当に助かりました。

『公研』は一般にはあまり流通しておらず、入手しにくいが、山形さんらしき人物がインターネット上に対談のテキストを載せてくださっているようだ。このテキストが完成版なのかどうかも確認していないが、ものすごーく忙しい山形さんを1時間捕まえてまくし立てた感を残した編集だったので、こんなものだろうと思う。あまりに頭のいい山形さんには「イスラーム教の基本を解説」みたいなことはする気が起きないので、二箇所ほど、ものすごい基本的な解説をすっ飛ばしている。まあ、よく言われていることだから書かんでいい。豆知識ではなく本当に関係のある情報に直行している対談です。非営利の雑誌だからこそ可能になった企画ですね。そのうちこの対談について解説したい。

2.新聞書評

刊行された日付順に並べていきましょう。ニュースとなったことで、普通なら「方法論は思想史と比較政治学」などと銘打っている本を取り上げなさそうな新聞が書評してくれています。無記名で記者が書いているところが多い。

しかし早いところでも、人質事件がすでに終結してしまっている時期からなんですね。「分析・議論は現場(ウェブ)で起こっているんだ!」という感は否めない・・・

『日刊ゲンダイ』2015年2月3日、「「イスラーム国の衝撃」池内恵著」

『電気新聞』2015年2月6日朝刊、《焦点》

これは「書評欄」とは銘打っていませんがコラムの全編で、この本を詳細に紹介していただきました。職場の先端研の広報担当が発見してくれました。先端研ならではの媒体チェックですね。でも確かこの新聞は田中均さんのコラムが載っていると聞いていますので、国際情勢には敏感なのではないでしょうか。

『日本経済新聞』2015年2月8日朝刊、「イスラーム国の衝撃 池内恵著 闇深める過激派の背景と狙い」

記者が書いてくれたようです。「簡にして要を得た」という表現がぴったりの紹介と思います。「何が起こっているのか」をつかまないと、「イスラーム国」やらシャルリー・エブド紙事件やらについての論評は迷走しますし、「何を対象にしているのか」を読み取らないと書評は的外れになります。この本は「グローバル・ジハード」についての本で、「イスラーム国」はグローバル・ジハードの一つの現象、という基本を踏まえてくれている書評は非常に有益でした。

『東京新聞』2015年2月15日、《3冊の本棚》「「イスラム国」本、読み比べ」(評者・幅允考)

ロレッタ・ナポレオー二とone of the 「正体」s とセットで紹介。

『信濃毎日新聞』2015年2月15日、《かばんに一冊》(選評・佐々木実)

内容の要約と、類書の紹介。

『産経新聞』2015年2月21日、《書評倶楽部》「 『イスラーム国の衝撃』池内恵著」(評者・野口健)

アルピニストの野口健さん。お父様は元外交官でエジプトでのアラビア語研修や駐在経験があり、チュニジア大使・イエメン大使などを歴任した野口雅昭さん(ブログ「中東の窓」は中東情勢に、専門家・業界人でなくとも触れることができる貴重な「窓」です)。中東に縁と土地勘のある方は実はいろいろなところにいるのです(ご両人とも特にお会いしたことはありません)。

【3月28日追加】
『読売新聞』2015年2月22日朝刊、「『イスラーム国の衝撃』 池内恵著」

見落としていたので追加しました。『読売新聞』でも短評で紹介していただいていました。せっかくですので全文を貼り付けておきます(ウェブには3月3日掲載)。

 日本人2人の殺害で大きな衝撃を与えたイスラム過激派組織「イスラム国」。
 事件発生とほぼ同時期に出版された本書は、その組織原理、思想、メディア戦略や資金源などを解説。「イスラム国」の行動は多くのイスラム教徒の反発を呼ぶ一方、伝統的なイスラム法の根拠に則(のっと)っているため、一定の支持を得る可能性があるとする。また残酷な宣伝映像の背後には綿密な計算や技巧があるという。(文春新書、780円)

『朝日新聞』2015年2月22日、《時代を読むこの3冊》「憎悪の連鎖、絶つために」 (評者・津田大介)

「池上彰本」とのセットで紹介。

『朝日新聞』2015年03月01日朝刊、「イスラーム国の衝撃 [著]池内恵 あおりには分析、渦巻く情報整理」(評者・荻上チキ)
 
こちらにも転載されているようです)

「ISの成り立ち、思想や主張、広報戦略、戦闘員の実態、過去の活動歴などを、多角的に議論している。読みやすく、それでいて深い。まずは本書を熟読したうえで、セカンドオピニオンとして2冊目を探すのが吉だろう。」

『朝日新聞』のこの書評は、ウェブ空間での1月20日から10日間ぐらいで形成されたコンセンサス(「ほっともっと」論と山形浩生さんの比較紹介で早期に定式化されていますが)を、新聞の紙面に載せたということで、新聞の紙面・論調構成に対して外部有識者の制度が機能した例と見ていいのではないでしょうか。

「イスラーム国」の表記について

*フェイスブック(https://www.facebook.com/satoshi.ikeuchi)で日本時間2月14日14時30分頃に投稿した内容ですが、長期的に参照されるようにこちらに転載しておきます。

*「イスラーム国」「IS」「ISIL 」「ISIS 」「ダーイシュ」のそれぞれの由来と、それぞれを用いる場合の政治的意味は、『イスラーム国の衝撃』の67−69頁に詳述してあります。

NHKは「イスラーム国」を今後「IS=イスラミックステート」と呼ぶことにしたという。

 日本の事情からやむを得ないとは思いますが、言葉狩りをしてもなくなる問題ではありません。長期的には問題の所在の認識を妨げてしまうのではないかと危惧します。短期的に勘違いする人たちを予防するために仕方がないとは言えますが、しかし、低次元の解決策に落ち着いたと言わざるを得ません。

(1)「イスラーム」と呼ぶとイスラーム諸国やイスラーム教徒やイスラーム教の教義と同一であると思い込んでしまう人がいる→どれだけリテラシーがないんだ?
(2)「国」と呼ぶと実際に国だと思ってしまう人がいる→同上。

 本当は「イスラーム国」を称する集団が出てきてもそれにひるむことなく、どのような意味で「イスラーム」だと主張しているのかを見極め、「国」としてどの程度の実態があるのかを見極め、どの程度アラブ諸国の政府・市民、イスラーム世界の政府・市民に支持されているのかを見極め、日本としての対処策を決めていく、というのが、まともな市民社会がある大人の先進国ならどこでもやらなければならないことです。

 今回NHKは政府と一般視聴者の抗議に負けて、市民社会での認識を高める努力を回避しました。それは結局日本の市民社会がその程度ということです。

 私は括弧をつけた「イスラーム国」を用いつづけてきました。『イスラーム国の衝撃』でもタイトルと見出し(これは出版社が決める)以外は「 」を徹底してつけました。本人たちがそう呼んでいるのだから仕方がない。それが普遍的に「イスラーム」でも「国」でもないことは、「 」を付ければ明瞭です。「俺には明瞭ではない」という人は、実態とは異なる名称を伝える紛らわしい情報を「俺にとって心地良いから」よこせと言っているだけです。

 NHKが「イスラーム国」に共感的だから「イスラム国」と呼んできたなどという事実はまったくありません。組織の当事者たちが「イスラーム国」と呼んでおり、世界の中立性の高いメディアも英語でそれに相等する表現を用いているから、日本語でそれに相等する「イスラム国」の表記を用いてきただけでしょう。

 「イスラム国」と呼ばれていればそれがイスラムそのものでイスラム全体で国なんだろう、などと思い込む消費者の側に大部分の問題があります。「俺が勘違いしたのはNHKの責任だ」などというのももちろん単なるクレーマーの横暴な主張にすぎません。ただ、現実の日本社会の水準はそれぐらいだから、それに合わせて報道することを余儀なくされた、報道機関の敗北でしょう。

 ただし、ここで苦肉の策で、中立性を保とうという努力が認められます。要するにより徹底的にBBCに依拠したのですね。BBCはIslamic Stateとまず呼んで、その後はISと略す。NHKはまず「IS」と呼んで、カタカナで「イスラミックステート」と説明をつける。
 
 しかし元々はアラビア語の組織名なのに英語訳に準拠するのは、ぎこちないですね。まあグローバルな存在だから英語でいいという考え方も成り立ちますが、苦肉の策であることに違いはありません。

 BBCは英語だからIslamic Stateと呼んでISと略すのが当然ですが、NHKで日本語の中にここだけ英語略称のISが出てきて、組織名の英語訳であるイスラミックステートがカタカナで出てくる理由は、説明しにくい。NHKの国際放送であれば自然に聞こえますが。

 なお、政府・自民党のISILは明らかに米政府への追随です。米系メディアはISIS とすることが多い。

 アラビア語の各国のメディアは「ダーイシュ」とすることが大多数になっている。これは明確に敵対姿勢を示した用語であり、「イスラーム国」側・共鳴者は「ダーイシュ」と呼ばれると怒ります。

 グローバルなアラビア語メディアであるアル=ジャジーラは「Tanzim ”al-Dawla al-Islamiya”」と、括弧をつけて、冒頭に「組織(tanzim)」を付しています。最近は単に「Tanzim “al-Dawla”」と略すことも多くなっている。「「国家」と自称する組織」ですね。「イスラーム」であるならばそれは絶対的に正しい存在だ、と思う人がアラブ世界の大多数なので、「イスラーム」とはなるべく呼ばないようにしつつ、「ダーイシュ」という各国政府の用いる罵り言葉は使わないようにしているのですね。BBCと似ていますが、よりアラブ世界の実態に即した用語法です。

 BBCでは昨年から、Islamic Stateと略称ISで一貫している。世界標準とはその程度の水準のことを言うのです。

 最新のニュースでも、タイトルでIslamic Stateと書いています。

Islamic State: Key Iraqi town near US training base falls to jihadists

 本文の最初で、

Islamic State (IS) has captured an Iraqi town about 8km (5 miles) from an air base housing hundreds of US troops, the Pentagon says.

 と書かれている。まず「Islamic State」と書いておき、その後「IS」とする。今回NHKは、より英語そのままに(ただし略称を先に出してくる)準拠することにしたのですが、日本語としてはややこしくなりました。

 「イスラム国」という言葉を遠い日本で言葉狩りしても、組織の実態は変わらない。かえって日本側で、謎めいた「IS」という略称のみが出回って実態を理解する能力が落ちる可能性がある。長期的には日本の市民社会の水準を上げるためには役に立たない。

 ただし、日本は「救世主」を「キリスト様」にしてしまってそれが終末論的な救世主信仰であることを忘れた(知らないことにして受け入れた)国だから、同じようなことは随所に起こっているのだろう。

 NHKも最初はBBCに準拠して日本語訳して「イスラム国」としていたが、とんでもない誤解をする政治家や評論家までが出てきて、反発して消費者として抗議したりする人も増えたので、ついに英語そのもので表記することにしてしまったというわけです。

 もちろん「イスラム国と呼ばない」というのも日本社会の意思表示ではあるので、それはそれであり得る選択かとは思います。ただ、そうすることで外国の実態を見えなくなる可能性は知っておいたほうがいいでしょう。

 昔はごく一部の人しか外国の実態を見ることはなかったので、超訳をいっぱいして日本語環境の中の箱庭仮想現実を作ってきました。情報化・グローバル化でそれが不可能になったことが、現在の知的・精神的な秩序の動揺を引き起こす要因になっていると思います。苦しいですが、もう一歩賢くなって、自分の頭で考えるようになるしかないのです。

 日本で「イスラム国」と呼ばなければシリアやイラクやリビアやエジプトの「イスラーム国」を名乗る勢力の何かが変わるかというと、変わりません。日本政府やNHKや日本企業などが「イスラーム国」を作り出してそう呼んでいたのであれば、日本で呼び方を変えれば何かが変わるでしょうが、今回はそういう事態とは全く違います。

 日本政府やNHKに抗議して呼び方を変えさせるよりも、「イスラーム国」そのものに抗議して名前を変えるか行動を改めるかさせるのが、正当な交渉の方向でしょう。また、「イスラーム国」の活動を十分阻止しておらず、黙認していると見られる周辺諸国の政府に抗議して政策を変えさせるのも、本来ならあるべき抗議活動なはずです。

 それらの政府は国民の言うことなど聞かないのかもしれませんが、だからといって遠い日本の政府や報道機関に話を持ち込んでも、知的活動や言論を阻害するだけです。

『イスラーム国の衝撃』の主要書店での在庫状況を調べてみました

「サポートページ」を立ち上げてみたのだが、そもそも「書店に行っても置いていなかった」「インターネット書店では品切れ」のため手に入らないという声がかなり届く。

増刷がかかっており、1月28日に2刷、1月30日に3刷が流通するとのこと。もう少し待ってください。

ただ、いくらなんでも初刷1万5000部が1日ですべて売り切れたとは思えない。ネットから直接買える経路では売り切れたにしても全国の書店にはまだあるはず。

それで調べてみました。

在庫状況は、文藝春秋のウェブサイト上の『イスラーム国の衝撃』のページの下の方から辿っていくことができます。
http://books.bunshun.jp/ud/book/num/9784166610136

確かにインターネット書店は軒並み売り切れ。1月21日頃にはほとんどすべてのインターネット書店で売り切れていたようです。

中古書店が新品らしきものを1200円〜3000円弱で売りに出している(1月24日現在)。供給が間に合わない間に生じた時限的市場を果敢に開拓しています。
コレクター商品
中古品

丸善・ジュンク堂では全国の店舗での前日集計の在庫状況が一覧で出てくるので便利だ。
http://www.junkudo.co.jp/mj/products/stock.php?isbn=9784166610136
あるという表示がされている。このデータが現実を反映していたらの話ですが。

紀伊国屋では各店舗の在庫状況が、オレンジのアイコンをクリックすると出てくる。
https://www.kinokuniya.co.jp/disp/CKnSfStockSearchStoreSelect.jsp?CAT=01&GOODS_STK_NO=9784166610136

ない店もあるが、ある店もある。

やはり、完全に売りつくしたのはインターネット書店であって、全国のリアル書店の倉庫にはあるはずなんですよね。

これは新書の棚が、一冊あたりで、狭くなっていることが理由です。各出版社が、経営が苦しいので新書をあまりもたくさんの点数を出しすぎなんです。一冊ごとの質が下がるだけでなく、一点あたりの陳列面積が狭くなる。

そうするとこの本のように一時的に爆発的に売れている場合、売場に出してあるものが売れて補充されない間に本屋に行った人は、棚にないのでないものと考えてしまう。そうなると書店で買わずにインターネット書店で買うようになる。しかしそうするとインターネット書店に一度に殺到するので、品切れになって入荷期限未定ということになり、品薄感が仮想的に高まる。

出版社が、自分の経営のために、一時しのぎで膨大な点数の新書を出すことで、必要な本を流通させる機能を書店が果たせなくなっています。出版社が本屋を殺しているんです。

各出版社は粗製濫造の本の出版点数を減らし、一点あたりを大事に作って、長く、たくさん売っていくべきです。

そうすれば隣国ヘイト本や、学者もどきの現状全否定阿保ユートピア本など、煽って短期的に少部数を売り切るタイプの本はなくなっていきます。

元来が出版のあり方について一石を投じるつもりで書いた本でしたが(その意図や、事前の出版社との折衝で何を問題視し何を要求したかなどは、そのうちにここで書きましょう)、結果的に出版界の池に巨石を放り込んだ形になりました。

この本の発売日に、本書の帯に偶然掲載しておいたJihadi Johnが出演する脅迫ビデオが発表されたという、私の一切コントロールできない事情によって販売を促進したという面は多大にありますが、それ以外にも、本ブログでの問題提起が予想外に大規模にシェアされていった現象が大きな影響を及ぼしています。

興味深い現象です。続けてウォッチしていきましょう。

『イスラーム国の衝撃』のイントロダクションと全体構成

【『イスラーム国の衝撃』のサポートページのエントリ一覧(http://ikeuchisatoshi.com/『イスラーム国の衝撃』/)】

『イスラーム国の衝撃』の目次を昨日公開しましたが、イントロダクション的な部分を今回は紹介しておきましょう。

英語圏の学術書ですと、イントロダクションの章はホームページ上で公開してあることも多くあります。

英語圏の論文・学術書の書き方は厳格(あるいはやや単調)で、イントロダクションで前提や仮説や検証方法や結論が全部書いてあります。その上で各章で、仮説をさらに細かく示したり、論証の手法の妥当性を論じたり、データを長々と引いてきたりして、結論を出すわけです。で、結論の章にイントロダクションの内容とほとんど同じことがまた要約されていて、結論に至る。

こういう書き方ですので、イントロダクションを読むだけでかなり内容が想像できます。学問的文法を知っていれば、本を買う前に内容をかなり理解した上で、買うかどうかを判断できるのです。

今回の私の本は、新書という「ペーパーバック書き下ろし」というべき、英語圏ではあまりない形式の媒体です。ですので英語圏のイントロダクションにあたるものがそのままこの本にあるわけではありません。

ただし、冒頭の「第1章」の末尾に、イントロダクションに当たるものをつけ、「むすびに」で改めて全体像を短くまとめておきました。

今回はその「イントロダクション」と「まとめ」に当たる部分から一部を抜き出して紹介しておきましょう。

これらは本書の全体像を概念的に示したもので、いわば「骨ガラ」です。この概念的な枠組みの中で、歴史や思想理論や組織論や、それらに基づく「イスラーム国」や先進国のジハード主義者の行動などが肉付けされていくのです。

概念的な全体像についてのイントロ・まとめは、一般向けということもあり非常にシンプルな論理にまとめてありますので、全体がこんなに無味乾燥だったらどうしよう、と思う読者もいるかもしれませんが、実際に読んでいただくと、歴史的な展開の叙述があり、思想史の諸概念やメディア表象の解読があり、「衝撃」的な現象の描写がありといった形で「山あり谷あり」に、一般書として読みやすくしてあります。

しかし概念的な全体枠組みを知っておくと、各部分にどのような意味があってそこに書かれているのかが、とらえやすくなると思います。すでに本を手にとっていらっしゃる方も、骨組みの部分を踏まえて各章を読んでいっていただくと、大航海の中の羅針盤のような役割を果たすのではないかと思っています。


(1)「第1章」より29−31頁

何がイスラーム国をもたらしたのか
 いったいなぜ「イスラーム国」は、急速に伸張を遂げたのだろうか。どのようにして広範囲の領域を支配するに至ったのだろうか。その勢力の発生と拡大の背後にはどのような歴史と政治的経緯があるのか。斬首や奴隷制を誇示する主張と行動の背景にはどのような思想やイデオロギーがあるのだろうか。本書が取り組むのはこれらの課題である。
「イスラーム国」の伸張には、大きく見て二つの異なる要因が作用していると筆者は考えている。一つは思想的要因であり、もう一つは政治的要因である。
 思想的要因とは、ジハード主義の思想と運動の拡大・発展の結果、世界規模のグローバル・ジハードの運動が成立したことである。グローバル化や情報通信革命に適合した組織論の展開の結果として、近年にグローバル・ジハードは変貌を遂げていた。「イスラーム国」も、それを背景に生まれてきた。
 政治的要因とは、「アラブの春」という未曾有の地域的な政治変動を背景に、各国で中央政府が揺らぎ、地方統治の弛緩が進んだことである。とくにイラクやシリアで、それは著しい。
 グローバル・ジハードの進化と拡大が、中東とアラブ世界のリージョナルな社会・政治的動揺と結びつき、イラクとシリアの辺境地域というローカルな場に収斂したことによって、「イスラーム国」の伸張は現実のものとなった。本書では、それらの諸要因を一つ一つ解きほぐしていく。

本書の視角──思想史と政治学
 本書は、二つの大きく異なるディシプリン(専門分野)の視点や成果を併用して、「イスラーム国」という現象を見ていくことになる。一つはイスラーム政治思想史であり、特にジハード論の展開である。それらの思想に基づいた社会・政治運動の発展が、「イスラーム国」の組織と主体を形作った。
 同時に、思想や運動が現実世界で意味を持つには、有利な環境条件が必要である。現代のアラブ世界には、とくにイラクとシリアの特定の地域には、そのような環境条件が整っている。どのような経緯でそのような環境が整ったのか。これは政治学の分析視角を駆使して解明されるべき課題である。政治学には政治哲学のような規範的なものから、科学を目指した計量数理的なものまで、幅広い分野が含まれるが、ここでは、各国の政治体制の特質を地域研究の知見を踏まえて把握する比較政治学や、各国政治の展開と地域・国際政治の連関をとらえる国際政治学の視点を主に取り入れる。

(2)「むすびに」より(226−227頁)

「イスラーム国」の台頭によって、筆者は、長年取り組んできた二つの分野が一つに融合していく稀な瞬間を目撃することになった。
 一つは、イスラーム政治思想史である。とくにジハード主義が国際展開し、9・11事件後に分散型、非集権型のネットワーク的組織構造によって再編されていく過程を追跡してきた。もう一つは、中東の比較政治学と国際関係論である。二〇一一年の「アラブの春」が、アラブ諸国に共通の社会変動をもたらしながら、体制変動は多様に分岐していった。その過程と要因を明らかにするのが、近年の最大の関心事だった。
 二つの研究の手法・視点を併用して、思想と政治の両方に取り組んできたのは、両者に相互連関性があると見ていたからだが、「イスラーム国」は、まさに両者の相互連関性を体現した存在である。
 イスラーム政治思想史で解析してきたグローバル・ジハードの変容の軌跡が、中東の比較政治学が対象とする中東諸国・国際秩序の変動と交錯し、激しく火花を散らした。それが「イスラーム国」という現象である。

サポートページ開設しました〜『イスラーム国の衝撃』目次を公開

本日、『イスラーム国の衝撃』が発売になりました。といっても数日前から店頭に出ていたので、すでに入手している方も多くいらっしゃるようです。

「むすびに」で記しておいたように、このブログでは、『イスラーム国の衝撃』というカテゴリの、いわば「サポートページ」を設けて、この本を読んだ人が、新たに中東・イスラーム世界で生じてくる事象を、この本で得た基礎知識・認識枠組みを踏まえてどのように理解していけばいいのか、適宜解説していきます。

【『イスラーム国の衝撃』のサポートページ(カテゴリ)のURL】

また、参考文献リストから本を選んで解説してみたり、文献リストのさらに先を読みたければどのような本があるのかを紹介したりするといった、読者が自分で考えていくための手がかりを提供する趣向を、いろいろ凝らして見たいと思っています。

第1回はまず目次を掲載しておきます。この本は急遽刊行が決まったため事前の広告にも目次や内容がほとんど載っておらず、今でも各種の本屋サイトなどで不十分な情報のまま販売されています。ミステリアスでいいのかもしれませんが・・・

しかし英語圏の学術書・教科書では目次とイントロダクションはインターネット上で無料で公開されることは当たり前になっており、買うに値する内容と構成なのか、情報を与えられた上で読者が選択することはもはや常識となっています。この本も同様に目次や全体構成のイントロダクション、まとめなどは、公開してもいいのではないかと思います。

本書は日本に特有の新書という形態をとっていますが、内容は数多くの論文で発表してきた知見を再構成したものであるため、専門的な媒体ではすでに公的にアクセスが可能になっている要素も含まれています。そのため、本書をまだ手にしていない潜在的な読者が、ある程度の内容と構成を知ることができるように、私の責任において、個人ブログで公開していこうと考えています。

『イスラーム国の衝撃』の目次はこのようになっています。

1 イスラーム国の衝撃 
モースル陥落
カリフ制を宣言
カリフの説教壇
「領域支配」という新機軸
斬首による処刑と奴隷制
何がイスラーム国をもたらしたのか
本書の視角──思想史と政治学

2 イスラーム国の来歴 
アル=カーイダの分散型ネットワーク
聖域の消滅
追い詰められるアル=カーイダ
特殊部隊・諜報機関・超法規的送致
なおも生き残ったアル=カーイダ
アル=カーイダ中枢の避難場所──パキスタン
アフガニスタン・パキスタン国境を勢力範囲に
アル=カーイダ関連組織の「フランチャイズ化」
「別ブランド」の模索
「ロンドニスタン」の「ローン・ウルフ(一匹狼)」
指導者なきジハード?

3 甦るイラクのアル=カーイダ 
イラクのアル=カーイダ
ヨルダン人のザルカーウィー
組織の変遷
イラク内戦の深淵
斬首映像の衝撃
アル=カーイダ関連組織の嚆矢
ザルカーウィーの死と「バグダーディー」たち
カリフ制への布石
二〇二〇年世界カリフ制国家再興構想
「カリフ制イスラーム国」の胎動

4 「アラブの春」で開かれた戦線 
「アラブの春」の帰結
中央政府の揺らぎ
「統治されない空間」の出現
隣接地域への紛争拡大
イラク戦争という「先駆的実験」
イスラーム主義穏健派の台頭と失墜
「制度内改革派」と「制度外武闘派」
穏健派の台頭と失墜
紛争の宗派主義化

5 イラクとシリアに現れた聖域──「国家」への道 
現体制への根本的不満──二〇〇五年憲法信任投票
スンナ派に不利な連邦制と一院制・議院内閣制
サージ(大規模増派)と「イラクの息子」
マーリキー政権の宗派主義的政策
フセイン政権残党の流入
「アラブの春」とシリア・アサド政権
シリアの戦略的価値
戦闘員の逆流
乱立するイスラーム系武装勢力
イラク・イスラーム国本体がシリアに進出
イスラーム国の資金源
土着化するアル=カーイダ系組織

6 ジハード戦士の結集 
傭兵ではなく義勇兵
ジハード論の基礎概念
ムハージルーンとアンサール──ジハードを構成する主体
外国人戦闘員の実際の役割
外国人戦闘員の割合
外国人戦闘員の出身国
欧米出身者が脚光を浴びる理由
「帰還兵」への過剰な警戒は逆効果──自己成就的予言の危機
日本人とイスラーム国

7 思想とシンボル──メディア戦略
すでに定まった結論
電脳空間のグローバル・ジハード
オレンジ色の囚人服を着せて
斬首映像の巧みな演出
『ダービク』に色濃い終末論
九〇年代の終末論ブームを受け継ぐ
終末論の両義性
預言者のジハードに重ね合わせる

8 中東秩序の行方 
分水嶺としてのイスラーム国
一九一九年 第一次世界大戦後の中東秩序の形成
一九五二年 ナセルのクーデタと民族主義
一九七九年 イラン革命とイスラーム主義
一九九一年 湾岸戦争と米国覇権
二〇〇一年 9・11事件と対テロ戦争
二〇一一年 「アラブの春」とイスラーム国の伸張
イスラーム国は今後広がるか
遠隔地での呼応と国家分裂の連鎖
米国覇権の希薄化
地域大国の影響力

むすびに
参考文献

「イスラーム国」による日本人人質殺害予告について:メディアの皆様へ

本日、シリアの「イスラーム国」による日本人人質殺害予告に関して、多くのお問い合わせを頂いていますが、国外での学会発表から帰国した翌日でもあり、研究や授業や大学事務で日程が完全に詰まっていることから、多くの場合はお返事もできていません。

本日は研究室で、授業の準備や締めくくり、膨大な文部事務作業、そして次の学術書のための最終段階の打ち合わせ等の重要日程をこなしており、その間にかかってきたメディアへの対応でも、かなりこれらの重要な用務が阻害されました。

これらの現在行っている研究作業は、現在だけでなく次に起こってくる事象について、適切で根拠のある判断を下すために不可欠なものです。ですので、仕事場に電話をかけ、「答えるのが当然」という態度で取材を行う記者に対しては、単に答えないだけではなく、必要な対抗措置を講じます。私自身と、私の文章を必要とする読者の利益を損ねているからです。

「イスラーム国」による人質殺害要求の手法やその背後の論理、意図した目的、結果として達成される可能性がある目的等については、既に発売されている(奥付の日付は1月20日)『イスラーム国の衝撃』で詳細に分析してあります。

私が電話やメールで逐一回答しなくても、この本からの引用であることを明記・発言して引用するのであれば、適法な引用です。「無断」で引用してもいいのですが「明示せず」に引用すれば盗用です。

このことすらわからないメディア産業従事者やコメンテーターが存在していることは残念ですが、盗用されるならまだましで、完全に間違ったことを言っている人が多く出てきますので、社会教育はしばしば徒労に感じます。

そもそも「イスラーム国」がなぜ台頭したのか、何を目的に、どのような理念に基づいているのかは、『イスラーム国の衝撃』の全体で取り上げています。

下記に今回の人質殺害予告映像と、それに対する日本の反応の問題に、直接関係する部分を幾つか挙げておきます。

(1)「イスラーム国」の人質殺害予告映像の構成と特徴  
 今回明らかになった日本人人質殺害予告のビデオは、これまでの殺害予告・殺害映像と様式と内容が一致しており、これまでの例を参照することで今後の展開がほぼ予想されます。これまでの人質殺害予告・殺害映像については、政治的経緯と手法を下記の部分で分析しています。

第1章「イスラーム国の衝撃」の《斬首による処刑と奴隷制》の節(23−28頁)
第7章「思想とシンボル−–メディア戦略」《電脳空間のグローバル・ジハード》《オレンジ色の囚人服を着せて》《斬首映像の巧みな演出》(173−183頁)

(2)ビデオに映る処刑人がイギリス訛りの英語を話す外国人戦闘員と見られる問題
 これまでイギリス人の殺害にはイギリス人戦闘員という具合に被害者と処刑人の出身国を合わせていた傾向がありますが、おそらく日本人の処刑人を確保できなかったことから、イギリス人を割り当てたのでしょう。欧米出身者が宣伝ビデオに用いられる問題については次の部分で分析しています。

第6章「ジハード戦士の結集」《欧米出身者が脚光を浴びる理由》(159−161頁)

(3)日本社会の・言論人・メディアのありがちな反応
「テロはやられる側が悪い」「政府の政策によってテロが起これば政府の責任だ」という、日本社会で生じてきがちな言論は、テロに加担するものであり、そのような社会の中の脆弱な部分を刺激することがテロの目的そのものです。また、イスラーム主義の理念を「欧米近代を超克する」といったものとして誤って理解する知識人の発言も、このような誤解を誘発します。

テロに対して日本社会・メディア・言論人がどのように反応しがちであるか、どのような問題を抱えているかについては、以下に記してあります。

第6章「ジハード戦士の結集」《イスラーム国と日本人》165−168頁

なお、以下のことは最低限おさえておかねばなりません。箇条書きで記しておきます。

*今回の殺害予告・身代金要求では、日本の中東諸国への経済援助をもって十字軍の一部でありジハードの対象であると明確に主張し、行動に移している。これは従来からも潜在的にはそのようにみなされていたと考えられるが、今回のように日本の対中東経済支援のみを特定して問題視した事例は少なかった。

*2億ドルという巨額の身代金が実際に支払われると犯人側が考えているとは思えない。日本が中東諸国に経済支援した額をもって象徴的に掲げているだけだろう。

*アラブ諸国では日本は「金だけ」と見られており、法外な額を身代金として突きつけるのは、「日本から取れるものなど金以外にない」という侮りの感情を表している。これはアラブ諸国でしばしば政府側の人間すらも露骨に表出させる感情であるため、根が深い。

*「集団的自衛権」とは無関係である。そもそも集団的自衛権と個別的自衛権の区別が議論されるのは日本だけである。現在日本が行っており、今回の安倍首相の中東訪問で再確認された経済援助は、従来から行われてきた中東諸国の経済開発、安定化、テロ対策、難民支援への資金供与となんら変わりなく、もちろん集団的・個別的自衛権のいずれとも関係がなく、関係があると受け止められる報道は現地にも国際メディアにもない。今回の安倍首相の中東訪問によって日本側には従来からの対中東政策に変更はないし、変更がなされたとも現地で受け止められていない。

そうであれば、従来から行われてきた経済支援そのものが、「イスラーム国」等のグローバル・ジハードのイデオロギーを護持する集団からは、「欧米の支配に与する」ものとみられており、潜在的にはジハードの対象となっていたのが、今回の首相歴訪というタイミングで政治的に提起されたと考えらえれる。

安倍首相が中東歴訪をして政策変更をしたからテロが行われたのではなく、単に首相が訪問して注目を集めたタイミングを狙って、従来から拘束されていた人質の殺害が予告されたという事実関係を、疎かにして議論してはならない。

「イスラーム国」側の宣伝に無意識に乗り、「安倍政権批判」という政治目的のために、あたかも日本が政策変更を行っているかのように論じ、それが故にテロを誘発したと主張して、結果的にテロを正当化する議論が日本側に出てくるならば、少なくともそれがテロの暴力を政治目的に利用した議論だということは周知されなければならない。

「特定の勢力の気分を害する政策をやればテロが起こるからやめろ」という議論が成り立つなら、民主政治も主権国家も成り立たない。ただ剥き出しの暴力を行使するものの意が通る社会になる。今回の件で、「イスラーム国を刺激した」ことを非難する論調を提示する者が出てきた場合、そのような暴力が勝つ社会にしたいのですかと問いたい。

*テロに怯えて「政策を変更した」「政策を変更したと思われる行動を行った」「政策を変更しようと主張する勢力が社会の中に多くいたと認識された」事実があれば、次のテロを誘発する。日本は軍事的な報復を行わないことが明白な国であるため、テロリストにとっては、テロを行うことへの閾値は低いが、テロを行なって得られる軍事的効果がないためメリットも薄い国だった。つまりテロリストにとって日本は標的としてロー・リスクではあるがロー・リターンの国だった。

しかしテロリスト側が中東諸国への経済支援まで正当なテロの対象であると主張しているのが今回の殺害予告の特徴であり、重大な要素である。それが日本国民に広く受け入れられるか、日本の政策になんらかの影響を与えたとみなされた場合は、今後テロの危険性は極めて高くなる。日本をテロの対象とすることがロー・リスクであるとともに、経済的に、あるいは外交姿勢を変えさせて欧米側陣営に象徴的な足並みの乱れを生じさせる、ハイ・リターンの国であることが明白になるからだ。

*「イスラエルに行ったからテロの対象になった」といった、日本社会に無自覚に存在する「村八分」の感覚とないまぜになった反ユダヤ主義の発言が、もし国際的に伝われば、先進国の一員としての日本の地位が疑われるとともに、揺さぶりに負けて原則を曲げる、先進国の中の最も脆弱な鎖と認識され、度重なるテロとその脅迫に怯えることになるだろう。

特に従来からの政策に変更を加えていない今回の訪問を理由に、「中東を訪問して各国政権と友好関係を結んだ」「イスラエル訪問をした」というだけをもって「テロの対象になって当然、責任はアベにある」という言論がもし出てくれば、それはテロの暴力の威嚇を背にして自らの政治的立場を通そうとする、極めて悪質なものであることを、理解しなければならない。

コメント『毎日新聞』にシャルリー・エブド紙へのテロについて

フランス・パリで1月7日午前11時半ごろ(日本時間午後7時半ごろ)、週刊紙『シャルリー・エブド』の編集部に複数の犯人が侵入し少なくとも12人を殺害しました。

この件について、昨夜10時の段階での情報に基づくコメントが、今朝の『毎日新聞』の国際面に掲載されています。

10時半に最終的なコメント文面をまとめていましたので、おそらく最終版のあたりにならないと載っていないと思います。
手元の第14版には掲載されていました。

「『神は偉大』男ら叫ぶ 被弾警官へ発泡 仏週刊紙テロ 米独に衝撃」『毎日新聞』2014年1月8日朝刊(国際面)

コメント(見出し・紹介含む)は下記【 】内の部分です。

【緊張高まるだろう
池内恵・東京大准教授(中東地域研究、イスラム政治思想)の話
 フランスは西欧でもイスラム国への参加者が多く、その考えに共鳴している人も多い。仮に今回の犯行がイスラム国と組織的に関係のある勢力によるものであれば、イラクやシリアにとどまらず、イスラム国の脅威が欧州でも現実のものとなったと考えられる。イスラム国と組織的なつながりのないイスラム勢力の犯行の場合は、不特定多数の在住イスラム教徒がテロを行う可能性があると疑われて、社会的な緊張が高まるだろう。】

短いですが、理論的な要点は盛り込んであり、今後も、よほどの予想外の事実が発見されない限り、概念的にはこのコメントで問題構図は包摂されていると考えています。

実際の犯人がどこの誰で何をしたかは、私は捜査機関でも諜報機関でもないので、犯行数時間以内にわかっているはずがありません。そのような詳細はわからないことを前提にしても、政治的・思想的に理論的に考えると、次の二つのいずれかであると考えられます。

(1)「イスラーム国」と直接的なつながりがある組織の犯行の場合
(2)「イスラーム国」とは組織的つながりがない個人や小組織が行った場合。グローバル・ジハードの中の「ローン・ウルフ(一匹狼)」型といえます。

両者の間の中間形態はあり得ます。つまり、(1)に近い中間形態は、ローン・ウルフ型の過激分子に、「イスラーム国」がなんらかの、直接・間接な方法で指示して犯行を行わせた、あるいは犯行を扇動した、という可能性はあります。あるいは、(2)に近い方の中間形態は、ローン・ウルフ型の過激分子が、「イスラーム国」の活動に触発され、その活動に呼応し、あるいは自発的に支援・共感を申し出る形で今回の犯行を行った場合です。ウェブ上の情報を見る、SNSで情報をやりとりするといったゆるいつながりで過激派組織の考え方や行動に触れているという程度の接触の方法である場合、刑法上は「イスラーム国」には責任はないと言わざるを得ませんが、インスピレーションを与えた、過激化の原因となったと言えます。

「イスラーム国」をめぐるフランスでの議論に触発されてはいても、直接的にそれに関係しておらず、意識もしていない犯人である可能性はあります。『シャルリー・エブド』誌に対する敵意のみで犯行を行った可能性はないわけではありません。ただ、1月7日発売の最新号の表紙に反応したのであれば、準備が良すぎる気はします。

犯行勢力が(1)に近い実態を持っていた場合は、中東の紛争がヨーロッパに直接的に波及することの危険性が認識され、対処策が講じられることになります。国際政治的な意味づけと波及効果が大きいということです。
(2)に近いものであった場合は、「イスラーム国」があってもなくても、ヨーロッパの社会規範がアッラーとその法の絶対性・優越性を認めないこと、風刺や揶揄によって宗教規範に挑戦することを、武力でもって阻止・処罰することを是とする思想が、必ずしも過激派組織に関わっていない人の中にも、割合は少ないけれども、浸透していることになり、国民社会統合の観点から、移民政策の観点からは、重大な意味を長期的に持つでしょう。ただし外部あるいは国内の過激派組織との組織的なつながりがない単発の犯行である場合は、治安・安全保障上の脅威としての規模は、物理的にはそう大きくないはずなので、過大な危険視は避ける必要性がより強く出てきます。

私は今、研究上重要な仕事に複数取り組んでおり、非常に忙しいので、新たにこのような事件が起きてしまうと、一層スケジュールが破綻してしまいますが、適切な視点を早い時期に提供することが、このような重大な問題への社会としての対処策を定めるために重要と思いますので、できる限り解説するようにしています。

現状では「ローン・ウルフ」型の犯行と見るのが順当です(最近の事例の一例。これ以外にも、カナダの国会議事堂襲撃事件や、ベルギーのユダヤ博物館襲撃事件があります)

ただし、ローン・ウルフ型の犯行にしても高度化している点が注目されます。シリア内戦への参加による武器の扱いの習熟や戦闘への慣れなどが原因になっている可能性があります。

ローン・ウルフ型の過激派が、イラクとシリアで支配領域を確保している「イスラーム国」あるいはヌスラ戦線、またはアフガニスタンやパキスタンを聖域とするアル=カーイダや、パキスタン・ターリバーン(TTP)のような中東・南アジアの組織と、間接的な形で新たなつながりや影響関係を持ってきている可能性があります。それらは今後この事件や、続いて起こる可能性のある事件の背後が明らかになることによって、わかってくるでしょう。(1)と(2)に理念型として分けて考えていますが、その中間形態、(2)ではあるが(1)の要素を多く含む中間形態が、イラク・シリアでの紛争の結果として、より多く生じていると言えるかもしれません。(1)と(2)の結合した形態の組織・個人が今後多くテロの現場に現れてくることが予想されます。

本業の政治思想や中東に関する歴史的な研究などを進めながら、可能な限り対応しています。

理論的な面では、2013年から14年に刊行した諸論文で多くの部分を取り上げてあります。

「イスラーム国」の台頭以後の、グローバル・ジハードの現象の中で新たに顕著になってきた側面については、近刊『イスラーム国の衝撃』(文春新書、1月20日刊行予定)に記してあります。今のところ、生じてくる現象は理論的には想定内です。