My lecture on the spontanuous mechanism of participation-mobilization of global jihadists

A short lecture given to Yomiufi Shimbun last month was translated on The Japan News. The comment revolves around the mechanism behind the spontaneous proliferation of global jihadists in dis-contiguous pockets of disturbances.

“Radicals spontaneously join ISIL network.” The Japan News, April 12, 2015.

元になる日本語のインタビューはこれ。
「【インタビュー】読売新聞3月25日付「解説スペシャル」欄でイスラーム国とチュニジアについて」(2015/03/26)

これを英語向けに表現を改め、論理を明確にしています。日本語の新聞は非常に曖昧な表現が多用される。そのまま英語に訳されると、私が朦朧とした論理の人だと思われて致命的ですので、ぴしぴしと書き改めました。

ちなみに日本語版のこのインタビューを拡大して、この本の日本の出版・文化現象としての意味を縦横に語ったのが、有料版の別立てインタビュー。

「「読売プレミアム」で長尺インタビューが公開」(2015/03/28)

実はこれはもっと読んでほしいなあ。よそでは言わないことを言っています。お試し版でも登録してみてください。

ジョージ・フリードマン『続・100年予測』に文庫版解説を寄稿

以前にこのブログで紹介した(「マキャベリスト・オバマ」の誕生──イラク北部情勢への対応は「帝国」統治を学び始めた米国の今後を指し示すのか(2014/08/21))、地政学論者のジョージ・フリードマンの著作『続・100年予測』(早川文庫)に解説を寄稿しました。帯にもキャッチフレーズが引用されているようです。


ジョージ・フリードマン『続・100年予測』(ハヤカワ・ノンフィクション文庫)

単行本では邦訳タイトルが『激動予測』だったものが、文庫版では著者の前作『100年予測』に合わせて、まるで「続編」のようになっている。


ジョージ・フリードマン『100年予測』(ハヤカワ・ノンフィクション文庫)

確かに、『激動予測』ではありふれていてインパクトに欠けるので、文庫では変えるというのは良いが、かといって『続~』だと『100年~』を買ってくれた人が買ってくれる可能性は高まるかもしれないが、内容との兼ね合いではどうなんだろう。

英語原著タイトルはThe Next Decadeで、ずばり『10年予測』だろう。100年先の予測と違って、10年先の予測では個々の指導者(特に超大国の最高権力者)の地政学的認識と判断が現実を左右する、だから指導者はこのように世界情勢を読み解いて判断しなさい、というのが基本的な筋立てなのだから、内容的には「100年」と呼んでしまっては誤解を招く。

こういった「営業判断」が、日本の出版文化への制約要因だが、雇われで解説を書いているだけだから、邦訳タイトルにまで責任は負えません。

本の内容自体は、興味深い本です。それについては以前のブログを読んでください。

ただし、鵜呑みにして振りかざすとそれはそれでかっこ悪いというタイプの本なので、「参考にした」「踏まえた」とは外で言わないようにしましょうね。あくまでも「秘伝虎の巻・・・うっしっし」という気分を楽しむエンターテインメントの本です。

まかり間違っても、「世界の首脳はフリードマンらフリーメーソン/ユダヤ秘密結社の指令に従って動いている~」とかいったネット上にありがちな陰謀論で騒がんように。子供じゃないんだから。

フリードマンのような地政学論の興味深いところ(=魔力)は、各国の政治指導者の頭の中を知ったような気分になれてしまうこと。政治指導者が実際に何を考えているかは、盗聴でもしない限り分からないのだから、ごく少数の人以外には誰にも分からない。しかし「地政学的に考えている」と仮定して見ていると、実際にそのように考えて判断し行動しているかのように見えてくる。

今のオバマ大統領の対中東政策や対ウクライナ・ロシア政策でも、見方によっては、フリードマンの指南するような勢力均衡策の深謀遠慮があるかのように見えてくる。

しかし実際にはそんなものはないのかもしれない。単に行き当たりばったりに、アメリカの狭い国益と、刹那的な世論と、議会の政争とに煽られて、右に行ったり左に行ったり拳を振り上げたり下げたりしているだけなのかもしれない。あるいは米国のリベラル派の理念に従って判断しつつ保守派にも気を利かせてどっちつかずになっているのかもしれない。

でも、行き当たりばったり/どっちつかずにやっていると、各地域の諸勢力が米側の意図を読み取れなくなって、米の同盟国同士の関係が齟齬をきたしたり、あるいは敵国が米国の行きあたりばったりを見切って利用したり、同盟国が米国に長期的には頼れないと見通して独自の行動をとったりして、結局混乱する。しかしどの勢力も決定的に状況を支配できないので、勢力均衡的な状況が結果として生まれることも多い。

で、その状況を米国の大統領が追認してしまったりすると(まあするしかないんだけど)、あたかも最初からそれを狙っていた高等戦術のようにも見えてくる、あるいはそう正当化して見せたりもする。

そうするとなんだか、世界はフリードマン的地政学論者が言ったように動いているかのようにも見えてくるし、ひどい場合は、米国大統領がフリードマンに指南されて動いているとか、さらに妄想をたくましくしてフリードマンそのものが背後の闇の勢力に動かされていて、この本も世界を方向付ける情報戦の一環だとか、妄想陰謀論に支配される人も出てくる。

本って怖いですね。いえ、だから素晴らしい。

でもまあ結局この本で書いてあることは、常にではないが、当たることが多い。商売だから、「外れた」とは言われないように仕掛けもトリックも埋め込んで書いている。「止まった時計は、一日に二回正しい時を刻む」的な議論もあるわけですね。その辺も読み取った上で、「やっぱり読みが深いなあ」という部分を感じられるようになればいいと思う。

改めて、決して、外で、「読んだ」っていわないように。

【地図と解説】「イスラーム国」の押さえる油田と密輸ルート

9月24日のシリア空爆の主要なターゲットの一つは、シリア東部の製油施設だったようです。

“U.S. and Arab aircraft attack oil refineries seized by Islamic State in Syria,” The Washington Post, Sep 24, 2014.

【それ以外の主要なターゲットには、シリア北部トルコ国境付近のクルド人の拠点コバーニー(アラビア語名アイン・アラブ)に迫るイスラーム国の攻勢の阻止だったようですが、これについては別の機会に】

「イスラーム国」がイラクの北部から中部を走るパイプラインや製油所、シリア東部の油田を押さえ、密輸で活動資金を得ているとみられる問題が、対策上の大きな課題になっています。シリアからトルコについての密輸については、先日このブログでも書いてみました(「NHK「深読み」の後記(3)石油の密輸ってどうやるの」2014/09/20)。

ワシントン・ポストの記事に付された地図では空爆の対象となった製油施設の位置が特定されていないので、別の新聞を見てみましょう。

月何本でも記事が無料で読めるガーディアン。安心してクリックしてください。

シリア東部の油田空爆_Sep 24 2014 Guardian
出典:The Gurardian

これはかなりの略図で、シリア東部デリゾール県のデリゾール、マヤディーン、アブー・カマール、それに北東部カーミシュリー県のハサケといった主要都市および「その周辺」が空爆されたと記してあり、それらの内に石油施設が含まれるとしています。それほど詳細ではありません。

シリアの油田や製油施設って、どこにあるのでしょう?

やっぱりニューヨーク・タイムズは毎回良い地図を出してきます。有料で、もしかしたら世界の世論を方向づけるための印象操作かもしれない、と疑いながらも、やはり技術力が高いと参照せざるを得ません。影響力は、政治的な感度と情報力と職人芸の合致したところから生まれるのです。

イラク・シリアの油田とパイプラインNYT_Sep 16
出典:The New York Times

シリアとイラク中部・北部の主要な油田、製油施設、パイプラインが記され、「イスラーム国」が掌握した油田が赤く塗られています。もちろんこれが全面的に正確であるとか、網羅的であるとは限りません。

これを見ると、シリアの東部あるいは北東部に油田が多くあり、特に東部デリゾール県のオマル油田が規模が大きく、そこを「イスラーム国」が押さえていることが重大である模様です。

シリア最大規模のオマル油田は、2013年11月にはアル=カーイダ系のヌスラ戦線が掌握し、それを「イスラーム国(当時はイラクとシリアのイスラーム国)」と争奪戦になっていたようですが、2014年7月に、前月のイラク北部での大攻勢で力をつけた「イスラーム国」が掌握していました。

“ISIS seizes key Syria oil field near Iraq,” The Daily Star, July 4, 2014.

シリアでの油田掌握と、特にそこからトルコへの密輸で、「イスラーム国」が資金を得ている、という報道・論調が、シリアへの「イスラーム国」への空爆拡大が米メディアで喧伝される過程で問題視されるようになりました。

決定づけたのはニューヨーク・タイムズのこの報道です。

Struggling to Starve ISIS of Oil Revenue, U.S. Seeks Assistance From Turkey, The New York Times, Sep 13, 2014.

この記事で上記のシリアからイラクの石油・パイプライン地図が付されていました。

ワシントン・ポストも「イスラーム国」の石油密輸の話を書いています。こちらはイラクの地図を掲げています。

イラクのイスラーム国の油田と製油施設_Sep 15 2014_WP
出典:
“Islamic State fighters drawing on oil assets for funding and fuel,” The Washington Post, Sep 15, 2014.

BBCは次のような地図でシリアとイラクの油田と精油所とパイプラインを描いています。今度はイラクの南部も入っているので、相対的な関係がちょっと分かるでしょうか。あくまでも大規模な油田はイラク南部にあります。イラクの中部や、シリアの東部は、規模はそれほど大きくない。ただし武装集団にとっては法外な資金源となります。

シリア空爆と石油パイプライン_Sep 25_BBC
出典:Islamic State crisis: US hits IS oil targets in Syria, BBC, 25 Sep 2014.

なお、今回示した地図では、いずれも、イラクのクルド地域からトルコあるいはイランへという密輸ルートは描かれていません。クルド地域政府は支配領域の中に別にパイプラインを引いてトルコに輸出できるように準備を進め、一部は送油を開始していますが、それは記されていません。

クルド地域政府の石油輸出、特にトルコへの輸出については、もっと複雑な話にもなり、広がりも別の方向にあるので、「パイプラインの国際政治」の連載の中で触れてゆくことにしましょう(【地図と解説】トルコから見るパイプラインの国際政治(1)ウクライナ紛争とイラク・シリア紛争で高まるトルコの重要性」(2014/09/21)。

さて、シリア空爆を前にしてメディアで盛り上がった、「イスラーム国」の石油密輸の問題で、買っている側として矢面に立ったのがトルコですが、現政権に比較的好意的なトルコ人論客(世俗主義的だが穏健イスラーム主義に歩み寄るタイプ)が、反論というか弁明をしています。

Mustafa Akyol, “The truth about Turkey and Islamic State oil,” al-Monitor, Sep 22, 2014.

「苦しい言い逃れ」という感じもありますが、トルコ・シリア間の商取引きの現場の実態を垣間見られるものであり、国際報道でありがちな実態とはかけ離れた一般化の問題などが提起されていて有益です。
(1)普段からトルコ、シリア間は地場の商取引が盛んで、ガソリンへの補助金で値段が安く抑えられているシリアからトルコへの密輸はルートがある。
(2)もともと血縁・地縁で国境をまたいでつながっている人たちがおり、国境をまたいだ商売で生計を立てており、しばしば密輸が絡む。
(3)クルド人対策で、密輸のお目こぼしを政府がしている。
(4)しかしポリタンクに詰めて何万バレルも毎日輸送することができるはずがない。

なんてことが読み取れます。
(1)(2)は「サイクス・ピコ協定など第一次大戦後に無理やり線を引いた」という問題を、トルコとシリアが実態としてはどのようにやり過ごしてきたかが分かる話であり、(3)は硬軟・清濁併せ呑んだクルド人対策の一端が窺われます。そもそも「親政府系クルド人へのお目こぼし」といった政策的なものじゃなくて「政府・軍の汚職だろ」というツッコミがコメント欄で入っていたりします。それもまた真実でしょう。

そして(4)については、物理的な制約から、「イスラーム国」からトルコなどへ密輸されていると報じられている量は、細部を見るとなんだか怪しい面もある、というのもそれなりに説得力がある反論だ。

アクヨル氏はロイター配信のこの写真を掲げつつ、政府高官の発言を引いて、このやり方でどれだけの量を運べるのか疑問を呈している。

トルコシリア間石油密輸の情景

The key question is how much of an illegal trade is there? The New York Times cited experts who placed the figure “at $1 million to $2 million a day.” Speaking to Al-Monitor, a presidential adviser who preferred to remain anonymous dismissed this claim. He said, “This is impossible. A barrel of oil would be sold for about $50 on the black market. This means 400,000 barrels of oil a day passing illegally from Iraq or Syria to Turkey. Yet, such an amount is impossible to carry by any of the smuggling methods, such as hoses, trucks or mules. There is indeed smuggling on the Turkey-Iraq and Turkey-Syria borders, but certainly not at these levels.”

これに対しては「え、大々的にトラック・タンカーで運んでるんじゃないんですか?」といったツッコミも予想される。それに反論できるのかどうか知らないが、トラック・タンカーで運ぶにしてもその場合は数珠つなぎで延々とトルコ・シリア国境の道路を埋め尽くすことになりそうなので、本当かなあ?と思う。見てきた人がいたら教えてください。

こういったことを考えたうえで、もう一度、上に掲げた、ニューヨーク・タイムズとBBCの地図を見ると、もっといい方法、パイプラインがある。

ただし、シリアの油田からつながるパイプラインは、いずれもトルコには向かっておらず、北東部からも、東部からも、西に向かい、ホムス付近を通って、タルトゥースとバニヤースに到達する。アサド政権の掌握地域である。

BBCの記事でも、
Oil is sold to local merchants, or to middlemen who smuggle it into Iraqi Kurdistan or over borders with Turkey, Iran and Jordan, and then sell to traders in a grey market. Oil is also sold to the Syrian government

と書いてある。ここではシリアとイラクの両方を合算して書いてありますが、シリア産のものについては、トルコに売るかアサド政権側に売るかしか最終的な販路はない。実はアサド政権側がヌスラ戦線やイスラーム国が掌握した油田から石油を買ってしまっている、という話は以前からあって、それも部分的に事実なのだろう。どう考えても直接にトルコに密輸しているだけでは捌き切れない。

そこから、「意図的にアル・カーイダ系あるいはイスラーム国の勢力を拡大させ、反政府勢力を分裂させる、国際介入を引き起こすために密輸を認めている」と穿った見方が出るゆえんだし、まあありそうな話だが、そのような深謀遠慮以前に、単なる「汚職」で政権側の有力者が介在して密輸をしているのではないか、とも推測できる。あくまでも推測ですが。アサド政権の高官から言えば、反政府勢力から安く買って正規ルートに乗せればその差額を取れるわけで、汚職の温床となるだろう。さらに、お目こぼししてトルコへの密輸ルートに介在したりすれば、アサド政権の高官を介して最終的にトルコに行っていてもおかしくない。でも多分シリア国内でけっこう使っちゃっているんでしょうね。「イスラーム国」景気で儲けている人たちがたくさんいそうだ。

【地図と解説】トルコから見るパイプラインの国際政治(1)ウクライナ紛争とイラク・シリア紛争で高まるトルコの重要性

昨日は「石油の密輸」について、イラクやシリアを中心に、トルコやイランへのルート、運搬方法について書いてみた

どこで誰がどんなふうに密輸していくら儲けている、というだけの話としてこの話題を終わらせてしまうのはもったいない。こういった特殊な政治状況下での密輸の話は、より大きな、資源の産出と流通をめぐる国際政治を、地政学的に見ていく際の、周辺部のやや例外的な事象として位置づけると意味が出てくる。

資源の産出と流通をめぐる国際政治・地政学は、特にトルコを軸に見ていくと面白い。トルコが重要なアクターとして参加している、石油・天然ガスの国際的なパイプラインをめぐる国際政治を、地政学的な視点から見ていこう。

書き始めると長くかかる話なので、手が空いた時の連載という形で、見切り発車してしまおう。

昨日はタンカートラックやポリタンクでえっちらおっちら運んでいく様を描写したりルポを紹介したりしたが、国際政治上の大きなインパクトを持つには、この次元でやっていては足りず、ほとんど「誤差」の範囲にとどまってしまう(その誤差の範囲でも「イスラーム国」ぐらいは養えてしまうのだが)。

石油や天然ガスの産出あるいは運輸に関わることによって、本当に国際政治にインパクトを与える主体となるには、(1)パイプライン、あるいは(2)タンカー船(液化天然ガス運搬船も含む)といった高価で大規模な設備を使って、(3)国際市場に、(4)公式な形で恒常的に流通させる営為に何らかの形で正式に関与する必要がある。

資源の国際市場に、(価格安定への寄与といった無形のものを含めた)インフラの次元から主導的な役割をはたして国際政治上の有力なパワーたりえている国と言えば、中東ではまずサウジアラビアだし、イランも状況が許せばいっそうパワーを持つだろう。イラクだって・・・国がまとまって安定しさえすれば資源国として政治的にもパワーを発揮できそうなものだが。

資源とその供給の物理的手段や国際市場の制度設計をうまく主導することで国際政治上のパワーに転化させている代表がロシアだろう。

現在のロシアとウクライナをめぐる紛争と、そこから派生したロシアと欧米の対立にも、資源の供給をめぐる制度の支配が関わっている。分かりやすく言えば、石油・天然ガスの国際的なパイプライン網が、現在のところロシア優位で出来上がっていることが、紛争・対立においてロシアにレバレッジを与えている。同時に、紛争・対立の進展の中では、石油・天然ガスの国際的なパイプライン網をロシアが支配的に構築していることが問題化され、その状況を変化させようとする動きが出てくる。それに対するロシアの対抗策がさらに状況を変えていくことにもなりうる。

まどろっこしい言い方になっていますが、ウクライナをめぐるロシアと欧米の対立の中で、トルコの地政学的な重要性は上がっていますよ、というのがこのような前置きから直接的に導き出しておきたい当面の帰結です。

それだけだと、「風が吹けば桶屋が儲かる」的な因果関係で「トルコが重要でーす」と中東研究者が言っているように聞こえるかもしれない。しかしトルコをめぐるパイプラインの国際政治は、単にウクライナ紛争との絡みだけでなく、イラクやシリアの紛争との絡みでも活性化している。

今現在の国際政治を揺るがす二つの課題であるウクライナ問題とイラク・シリア問題の両方について、トルコは絶妙(あるいは危険な)ロケーションにあり、まさに地政学的重要性が顕在化している。特に、地政学的な要因が大きく作用するパイプラインをめぐる国際政治が、トルコを焦点に顕在化してくる兆しがある。

つまり、ウクライナ絡みでも、イラク・シリア絡みでも、トルコは重要な鍵を握っていて、特にパイプラインをめぐる国際政治がそこに絡むと、さらにややこしいが面白くなる。

~地球儀を俯瞰して考えるグローバル人材になりたい人は、ぜひ話を聞いていってください~

あるいは

~なるべく難しいややこしいことを考えたい頭のいい人は、ぜひこの問題に挑戦してみてください~

ということです。

まずこの写真を見てください。

ロシア・ウクライナ・西欧のパイプライン紛争2008・9_BBC
出典:BBC

これは2009年1月1日にロシアがウクライナへの天然ガス供給を停止し、ウクライナを経由して天然ガスを得ていた西欧諸国も供給が途絶して大混乱になった際の報道に付されていた写真。新幹線の中央管制室のような部屋で、ロシアから西欧にかけてのパイプライン網がスクリーンに表示されている。

トルコの話は?というと、そのうち出てくるので待っていてほしいのですが、ひとまずこの写真ではスクリーンの右下あたりのグレーのところですね。

ロシアが黒ーく塗られていて、ウクライナが赤。ロシアからウクライナにかけては緑色の線で表示されたパイプラインが最も多く走っていることが分かりますね。

トルコはというと、画面の端っこで、緑色の線もまばらだ。国際的なパイプライン網においては周辺部ということです。

トルコの話に行く前に、ロシアから西欧にかけてどれぐらい密にパイプライン網が引かれているかというと、ある程度概略化した地図でもこんな感じです。

ロシア・西欧のパイプライン網(詳細)BBC
出典:BBC

パイプラインの太さや方向を省略して、同じ赤い線で全部引かれているので、エネルギーの専門家でないと、この地図を見ただけでは、どっちからどっちに天然ガスが流れて、どれぐらいの量で、といったことが分からない。しかしじっと見ていれば、ロシアから西欧への天然ガスのパイプラインが、多くはウクライナを経由して、ハンガリーやスロヴァキアを経てオーストリアに至るということが分かる。それほど密ではないが、ベラルーシを経由して、ポーランドを経てドイツに至る経路もある、ということも見えてくる。

2009年1月の西欧ガス危機は、結局2~3週間ほどでロシア・ウクライナ間の交渉がいちおう妥結して、ガスの供給が再開され、収束したものの、問題の火種は残っており、それが2014年のウクライナ危機として再燃し、今度はロシア対欧米の対立に発展してしまったことは周知のとおり。

ロシアとウクライナの根深いややこしい関係については、私はスラブ世界の専門家ではないので多くを記さないが、ロシアとウクライナの関係がこじれると、決まって天然ガスの供給と価格をめぐる紛争が勃発し、ひどい時にはガスの供給の停止、とばっちりで西欧諸国への供給も減少・途絶といった事態になることぐらいは分かる。

ロシアはウクライナに対して通常は「友達(というか「弟分」「家来」)価格」で売っていて、しかし関係がこじれると、「他人だとか対等だとか言うんだったら市場価格払え!」とプーチンさんがキレてみせ、ウクライナの方は「じゃあ西欧に助けてもらうよ」とか言って出て行ってみたり、「やっぱロシア兄さん助けて」と戻ってきたりしてふらふらしている(素人の野次馬的見方です。正確な分析は専門家の議論を参照してください)。

そのたびに天然ガスの供給が途絶えたり、パイプラインの圧力が不安定化したり、途中で抜き取られて西欧の最終消費地まで届かなかったり、といった問題が生じてきたのです。

重要なのは、天然ガスや石油のパイプラインは設置するのにお金もかかり、設置してしまうと方向とか量とかをそんなに臨機応変に変えられないので、供給国と需要国は相互に依存関係になること。そして「相互」の依存とはいっても、場合によっては支配・従属的な関係になる。ロシアとウクライナの場合、ウクライナにとっては天然ガスを安く売ってもらって得しているとはいえるが、ガスを止められてしまうと冬を越せないし、もっと高い値段でよそから買ってくると財政が破綻してしまうので、ロシアに依存し、いわば「薬漬け」にされている状態になって、政治的な自立性を弱めることになる。要するにガスを止められると政権が倒れるような状態になってしまう。

ウクライナを経由してロシアからガスを買っている西欧諸国も、経済制裁などでロシアの政治的な態度を変えたいという時も、ガスの供給をロシアに依存しているため、行動を制約される。

もちろんロシアにとっても、ウクライナを通さないと西欧に石油が売れないのであれば、ウクライナに依存しているという面がある。あるいは西欧諸国にしかガスを買ってもらえない仕組みになっていれば、西欧の需要や政治的意思に依存することにもなりかねない。

また、パイプラインでつながった供給国・需要国とその外との関係もかなり固定化され、経路依存性が高まる。ロシアは西欧に向けて縦横にパイプラインを張り巡らせたことで、それ以外の供給国が西欧という世界で有数の需要地域の市場に入ってくるのをかなりの程度阻止していると考えられる。初期投資が莫大にかかるので、ロシアに対抗して西欧向けのパイプラインやあるいはLNGの施設を建設して売り込みに来る国が出てくる可能性は、純経済的には、大きく制約される。

さて、2008年から9年にかけてのロシア・ウクライナの天然ガスをめぐる紛争、中でも2009年1月の供給停止の際には、トルコの潜在的な可能性についてはそれほど議論されなかったと思う。なぜならば、紛争がロシア・ウクライナ二国間に留まり、西欧諸国は「迷惑をこうむった第三者」という立場だったので、むしろロシアと西欧が協調して、ウクライナを介さないで直接天然ガスをやり取りできるルートを構築するという方向性が後押しされることになった。

2009年の紛争で価値を高めたのは、パイプラインの新路線「ノルド・ストリーム」だろう。

パイプライン・ノルドストリーム
出典:European Parliament

バルト海にパイプラインを引き、ロシアからドイツへ直接天然ガスを通してしまうというプロジェクトで、ウクライナもベラルーシも経由せず、さらにバルト三国もポーランドも経ずに、ヨーロッパの最大の消費地のドイツにガスを通してしまう。

ノルド・ストリームは、供給が安定するというだけでなく、「ロシアとドイツの接近」という、地政学的に大きな意味を持つ動きでもあった。

地図の出典で示した2008年のヨーロッパ議会での議論では、リトアニアとポーランドが「環境問題」を理由に計画を阻止しようとしていることが分かる。もちろん実際に環境問題もあるだろうが、バルト三国とポーランドを迂回してロシアとドイツが直接通じて相互に依存し、共通利益を固定させる、ということが地政学的・安全保障上、周辺諸国にとって不穏な問題となったのではないか、と推測される。

しかし西欧諸国から言えば、ノルド・ストリームによって供給は安定するし、ロシアとドイツが相互依存関係になることでヨーロッパの過去の大戦の原因となった対立を回避できるという見方も有力だった。

2011年9月にはノルド・ストリームの開通式が行われたが、そこにはロシア側ではプーチン首相(当時)が参加すると共に、ドイツ側では2005年の首相退任後、06年にロシア側のこの事業のパートナーであるガスプロムの子会社に超高給で天下っていたシュレーダーが出席した(すごい癒着だ。もちろん当人にとっては大義があるのだろうけれど)。

ノルドストリーム開通式2011年9月プーチンとシュレーダー
出典:BBC

しかし2014年のロシア・ウクライナ間の紛争は前回とは異なった。ウクライナでの親ロシア的政権の崩壊、親ロシア勢力によるクリミアの分離・ロシアへの編入、そして東部ウクライナの地位をめぐってロシアが欧米と激しく対峙する事態に至った。

その中でドイツは米国などの対ロ圧力強化要求に苦慮している。本当にロシアに経済制裁をするのだったら、ノルド・ストリームを止めないといけないはずだ。

前回の紛争では西欧がウクライナを迂回してロシアのガスを手に入れる方向性を強めたのだが、今回の紛争は、長期化すれば、西欧がロシアのガスへの依存を脱却するために別の供給源やルートを確立する方向性が前面に出てきかねないものとなっている。

そこで有力な候補となるのがトルコである。

トルコは石油や天然ガスの供給・輸出国ではないが、重要な経由国となりうる。まさにヨーロッパとアジアにまたがる地政学的に重要な場所にいるがゆえに、資源供給の源である中央アジア・西アジアと、大消費地である西欧との間で、パイプライン網の新たな中枢として、戦略的に重要な地位を占める可能性が常にある。

もちろん「うまくやれれば」「運や偶然にも左右されるが」「いくつかの重大なボトルネック・限界を超えられれば」の話であるが。

2009年の時点でも、トルコへのパイプライン新路線の敷設によって、ロシアと西欧をめぐる関係が大きく変わりうることは、もちろん注目されていた。トルコを軸にした国際パイプライン網の再編に賭けて長期間活動してきた企業や勢力があった。

ロシアとトルコのパイプライン国際政治BBC_2009
出典:BBC

この地図では、2009年の時点で、ノルド・ストリーム計画と競合あるいは並行して進められていた、主要なパイプライン計画が図示されている。

緑色の線がノルド・ストリームであるのに対して、赤色の線がトルコを起点にブルガリア、ルーマニア、ハンガリーを通ってオーストリアに至る、いわゆる「ナブッコ・パイプライン」計画。

しかしナブッコ・パイプラインは現在も完成・操業開始には至っていません

2009年の段階では、トルコはロシアと西欧を中心にしたパイプライン網の末端で、ロシアからの供給の途絶や乱れの影響を最終消費地として受ける立場でしかなかったと言えます。

パイプライン網と2009年のガス供給途絶国
出典:BBC

この地図のように、2009年の天然ガス危機では、ロシアからウクライナを経て、南欧に枝分かれしてルーマニアやブルガリアを通ってきたパイプラインの末端で、供給が減って「強く影響を被った国」の一つとして色分けされています。

しかし現在のロシアと欧米の対立が長期化・激化すれば、トルコは西欧に天然ガスを供給するパイプラインの上流に位置し、供給の安定に重要な役割を果たす日が来ないとも限りません。もちろんそのためには、ロシア以外の供給源を安定的に確保するという条件を満たさなければなりませんが。

あるいはそのような潜在的に有利な立場から、トルコが西欧とロシアの双方に対してこれまで以上の政治・外交的な影響力を行使する場面も出てくるかもしれません。

ここに、イラクとシリアでの紛争の激化という別の要素が加わることで、トルコを起点としたパイプライン網の潜在的な重要性や可能性がさらに増してきています。

これまではロシアから西欧に至る「幹線ルート」から見ると末端のローカル線のように見られていたトルコとその周辺の既設・新設・計画中のパイプライン網が、地政学的な重要性の高まりから、より意義深いものとして現れてきたと言えます。もちろんそこには政治的なリスクが多大に含まれているのですが。

次回はそのあたりを、トルコからイラクやシリアに至るパイプライン網をより詳細に見ながら考えてみましょう。

トルコの戦勝記念日(共和国の領土の確保)

今日までイスタンブールにいる。昼過ぎから、仕事が一息ついて、夜便に乗って帰る前にちょっと街に出られた。

今日はトルコの戦勝記念日で祝日

街は赤地に白抜きの新月と星のトルコ国旗で溢れている。

トルコ戦勝記念日の国旗街中

アンカラでは就任三日目のエルドアン大統領が一日がかりの式典で、建国の父で戦勝の功労者ケマル・アタチュルクを顕彰し、来賓をもてなしていた。

トルコ戦勝式典8月30日

ちょうどいい。

このブログの「地図で見る中東情勢」のシリーズの一環として、「第一次世界大戦後のオスマン帝国の過程における民族・国民国家の切り分け」をテーマに地図をまとめて紹介しようと思っているが、なかなか時間がなくてできないできた。

トルコの戦勝記念日は、オスマン帝国の崩壊から現在のそれぞれの民族・国民国家への分割独立までの間のもっとも重要な画期の一つ。

トルコの「戦勝」から今年は92周年だという。どこを相手の戦勝かというとギリシャに対して。トルコ共和国が独立する際に周辺諸国と戦った(トルコ側はこれをトルコ独立戦争と呼ぶ)が、一番大きな敵がギリシア。

第一次世界大戦でのオスマン帝国の敗北に乗じて、1919年侵攻してきたギリシアの軍勢を、ケマル・アタチュルク率いるトルコ軍が撃退して現在の領域を確保したのが1922年8月30日。この日が戦勝記念日とされている。

詳細を記せば、8月26日-30日の「ドゥムルプナルの戦い(Battle of Dumlupınar)」あるいはトルコの言い方で「総司令官の野戦(Başkumandanlık Meydan Muharebesi)」 でトルコがギリシアに勝利し、トルコ独立戦争の大勢が決したのがこの日。

近代のトルコ共和国が現在の領域に、国際社会の承認を得て正式に成立したのはその翌年の1923年。その実質が戦場で定まったのが1922年の8月30日ということになる。

第一次世界大戦の終結からこの日まで、イスタンブール周辺とアナトリア半島、また現在はギリシアに属する旧オスマン帝国領土では戦乱が続いた。

1914年に始まった第一次世界大戦は1919年に終結。しかし中東、特にアナトリア半島では戦火は収まらず、むしろ激化した。

(1)サイクス・ピコ協定(1916年)

ドイツの側について敗れたオスマン帝国は、大戦中に、映画『アラビアのロレンス』で描かれているような、英仏を背後にしたアラブ人の反乱で、支配下のアラブ領土を失っていた。

アラブ領土の分配についての大戦中の密約は有名なサイクス・ピコ協定。これについてはまた書きますが、一応ここで掲げておきましょう。

サイクス・ピコ協定DW
出典:Deutsche Welle

しかしアラブ領土を手放すだけではすまず、トルコ人が多く住むイスタンブール周辺やアナトリア半島の大部分まで、近隣のギリシアやイタリア、あるいは独立を主張していたアルメニア人、クルド人などの領域として、あるいはそれらの背後にいる欧米列強の支配領域として、分配されそうになった。

弱体化したオスマン帝国に侵攻する、かつて支配下に置いていた諸民族や近隣諸国と、その背後にいる列強(英・仏、そして忘れられがちだが、オスマン帝国の領土の多くを奪ったのは帝政ロシアおよびソ連である)の領土割譲要求に対して、オスマン帝国スルターンは譲歩を重ねた。

(2)セーブル条約(1920年)

その最たるものが、セーブル条約(Treaty of Sevres)。1920年4月19日から26日にかけてイタリア西部のフランスとの国境に近いイタリアン・リビエラと呼ばれる風光明媚な地域にある保養地サンレモ(San Remo)で開かれたサンレモ会議での協議に基づき、同年8月10日にパリ郊外のセーブルで調印された。

セーブル条約(1920)
出典:Wikipedia

セーブル条約によって、オスマン帝国の領域は黄色の部分だけになってしまう。青色に塗られた領域、つまりアナトリア半島のエーゲ海沿岸のイズミルを中心とした範囲、そしてヨーロッパ側の主要都市エディルネを中心としたトラキアを、ギリシアが得るものとされた。水色に塗られたアナトリア半島東部には、大規模なアルメニア人国家が成立するものとされた。アルメニア人を背後で支援していたのはソ連だった。

当時の地図ではこのように描かれていた。

セーブル条約の地図原本(1920)
出典:Wikipedia

(3)トルコ独立戦争(1919‐1922)

これをオスマン帝国スルターンは受け入れた。しかしケマルらトルコ軍将校たちは受け入れず、戦争を続けた。ここからオスマン帝国の消滅と、民族国家としてのトルコ共和国の建国という道筋が決定的になる。ケマルらトルコ民族主義者たちは軍事的に侵入勢力を撃退していくと共に、1920年4月にアンカラで大国民議会を招集した。これがイスタンブールのオスマン帝国スルターンと帝国議会に代わる、トルコ民族を代表する独立政権に発展していった。

戦線は東部(主に対アルメニアとソ連)・南部(対フランス・シリア)・西部(対ギリシア)とあった。それぞれを示すのがこの地図。

トルコ独立戦争の際の戦線地図
出典:Wikipedia

(4)アンカラ条約(1921年)

大国民議会側の勢力は、侵攻する周辺諸国と列強勢力の足並みの乱れにもつけこんで形勢を逆転していった。

1921年10月20日に、トルコ大国民議会とフランスが結んだのがアンカラ条約。

この条約でフランスがトルコとの戦争を終結させるとともに、サイクス・ピコ協定に基づきセーブル条約で確認されていたトルコとシリアの間の国境を、トルコに有利に引き直した。それによって、メルスィン、アダナ、アンテプ(現ガーズィーアンテプ)、キリス、ウルファ(現シャンルウルファ)、マルディンといったアナトリア南部の諸都市をトルコ側に編入した。トルコ大国民議会勢力は、サイクス・ピコ協定に基づいて第一次世界大戦中に奪われた領土の一部を実力で取り戻し、セーブル条約でオスマン帝国が認めた国境線を引き直した形になる。トルコの対アラブでの国境画定はこの時点でほぼ終わった。

「ほぼ」というのは、1939年に、第二次世界大戦直前の国際情勢を背景にしてトルコはフランスに対して優位に交渉を進め、フランス委任統治領シリアからイスケンデルン(現ハタイ)を割譲させるからである。

(5)ローザンヌ条約

1922年8月30日の対ギリシア戦勝を受けて、1923年7月24日にローザンヌ条約が結ばれた。これによって第一次世界大戦とそれによって引き起こされたオスマン帝国の崩壊が完了したことになる。

トルコの版図を決めた条約の地図
出典:Wikipedia

東部ではアルメニアの領域を縮減し、アナトリアからギリシアの勢力を駆逐しての独立だったが、オスマン帝国支配下の土地には諸民族が混住していた。第一次世界大戦の間から、トルコ独立戦争にかけての時期に、さらに戦争終結後の国境画定に伴い、アルメニア人の強制移住や、トルコ人とギリシア人の住民交換によって、多くの人々が難民となると共に、戦火の中で、あるいは虐殺によって多くが命を落とした。

トルコの抱える「歴史認識問題」としての「アルメニア人虐殺」の問題や、トルコとギリシアの住民交換という事象については、また書いてみたい。ギリシア人が多く住む都市としてのスミルナ(現イズミル)や、トルコ人が多く住む(ケマルもここの出身)サロニカ(現テッサロニキ)といった都市が、物理的には存続しても、住民の入れ替えによって実質上消滅・変質した。こういった相次いだ歴史の悲劇については多くの書物が書かれている。それらもそのうち紹介しましょう。

今回はトルコ共和国の領土の確定を軸に第一次世界大戦が中東秩序の形成にもたらしたものを解説したのだけれども、アラブ諸国を軸にしたり、アルメニア、あるいはクルドを軸にすればまた違う書き方ができる、シリーズ化して解説していきましょう。

【地図と解説】イスラエル・ガザ紛争の3週間と、今後の見通し

7月8日に本格的に開始されたイスラエルによるガザ攻撃が、28日で3週間となりました。

ハアレツ紙が21日間の紛争を地図とグラフでまとめています。

ガザ紛争2014年地図7月28日21日目
出典:LIVE UPDATES: Israeli soldiers, Hamas militants clash in southern Gaza, Haaretz, July 27, 2014.

市街地が緑で塗られ、今回の紛争でとくに大きな被害が出た地域は赤く記してあります。ガザは封鎖が政治的な争点になっていますので、エレツなど検問所(crossing)が全部記されているのも有益です。また、今回これまでになく問題化したガザからイスラエルへの地下トンネルの断面図まで記されています。これは全部ではなく、今回イスラエルが破壊したり、ハマースがこれを使って襲撃を行ったりして表面化したもののみが記されているのでしょう。

またガザからエジプトのシナイ半島にかけてはもっと多くのトンネルが掘られていますが、これについては記載されていません(報道によるとケンタッキー・フライドチキンもエジプトからトンネルをくぐって密輸されるそうです)。

地上部隊による作戦はそれほど大きいものではなく、地下トンネルの破壊に今のところ集中しているようです。ガザの側の死者はもっぱら空爆によるものです。

地上戦と空爆を組み合わせて特に大規模な攻撃の対象となっているのは、ガザ市のシュジャーイーヤ地区やベイト・ハーヌーンです。特にシュジャーイーヤ地区は密集した市街地での戦闘・空爆で多くの市民が亡くなった、今回の紛争の人道的悲劇を象徴する地名となりかけています。

シュジャーイーヤ地区やベイト・ハーヌーンは、イスラエルが2005年9月にガザ占領から撤退した後にも、一方的に設定し続けた緩衝地帯にかかっている部分です。

BBCはこのイスラエルの緩衝地帯を地図に書き込んでいます。幅3キロということになると、ガザは本の薄い一辺の土地に過ぎないので、かなりの部分がここにかかってしまいます。ですので、イスラエル側から警告されながらも、このエリアに市街地が広がっていったのです。イスラエルへのトンネルも当然この緩衝地帯から掘られています。

ガザ地図BBC
出典:BBC

イスラエル側の地上作戦は、この「緩衝地帯」をもう一度実質化する目的があるようです。シュジャーイーヤ地区とベイト・ハーヌーンで大きな被害が出ているのはそのためでしょう。もしイスラエルが「緩衝地帯にいる者は全員テロリスト」という論理で攻撃をしているのではあれば、人道に反する行為でしょう。

また、イスラエル側は、ハマースのロケット弾とミサイルの射程が伸びている、という点を攻撃が必要である根拠として、特に空爆開始の頃に主張していました。

ウォール・ストリート・ジャーナルが掲載したこの地図では、中国起源のイラン製ミサイルFajr-5の導入で射程距離が延び、テルアビブやエルサレムを射程に収めるようになっているとのことです。さらにシリア製ミサイルM-302sによってもはやイスラエルほぼ全域に射程距離が及んだとされています。

ガザ発ミサイルの射程
出典:ウォール・ストリート・ジャーナル

しかし今回の紛争を通じて、それほど長距離のミサイルがテルアビブやエルサレムに飛んできたのかどうかは、検証してみないといけません。

イスラエル側にほとんど被害がなかったのは、ミサイル迎撃システム「アイアン・ドーム」が9割という驚異の精度で撃ち落としたからだとされていますが、こういった数値はよく検討してみないと真実は分かりません。

「イラン製のミサイル」が空爆開始の頃には喧伝されましたが、どれほどの数が実際に発射されたのでしょうか。

ハマースが実際に撃ったのは、大部分は砂漠に落ちる短距離のロケット弾で、粗雑な製法で制度は著しく悪く、中には弾頭に火薬すら入っていないものすらあったのではないかという説もあります。

これまで通り、スデロトやアシュケロンのような、ロケット弾の射程20キロ範囲内の都市がもっぱら脅威を受けていたのではないかと推測されます。

しかし、ハマースはディモナの原子力施設や、テルアビブ・エルサレム間にあるベン・グリオン空港付近に、ごくわずかの数のミサイルを着弾させ、それを宣伝することで、イスラエルのカントリー・リスクを高め、経済活動を困難にする効果を上げたと言えます。

その意味で、イスラエルにとってハマースのロケット弾やミサイルは、直接の物理的な脅威は小さくても、国家の存亡を脅かすものと言いうる面があることは確かです。

情勢はここ数日、少なくとも一時的には、鎮静化しています。

これがある程度持続する停戦に結びつくか、あるいは紛争が再燃して、イスラエル地上部隊による本格的なハマース政治部・軍事部の掃討へと至るのか、分かれ目に来ています。

ここ数日の動きを見てみましょう。

25日(金) カイロでケリー国務長官が停戦案打診するも、イスラエル、ハマース双方が拒否

26日(土) イスラエル、ハマース双方が朝から12時間攻撃休止;パリでケリー米国務長官がトルコ、カタール、西欧主要国と会議;イスラエルはさらに24時間の攻撃停止を宣言

27日(日) 散発的に戦闘;オバマ米大統領がネタニヤフ・イスラエル首相と電話会談;深夜に国連安保理が全会一致で双方に無条件の停戦を求める議長声明

28日(月) イード・アル・フィトルの祝日(断食月ラマダーン明け);イスラエル、ハマース双方が攻撃休止

ケリー国務長官は一週間に及ぶシャトル外交でカイロ・エルサレム・パリを飛び回りましたが、エジプト・イスラエル合作の停戦案に基礎を置きつつ、トルコとカタールが仲介するハマースの主張を一定程度取り入れた折衷案を、25日には内示したものと見られます。25日午後5時の段階での停戦案がハアレツ紙にリークされています。

イスラエル側は、トルコ・カタールの仲介案を部分的に取り入れた米国に対して、少なくとも表面上は激しく反発しました。ハマースの武装解除が明確に盛り込まれていない、というのが理由です。

26日にはイスラエルの閣僚がこぞってケリー長官をこき下ろす発言をイスラエル・メディアに対して行いました。それに対して米国務省からはかなり強く抗議する発言がメディアを通じて伝えられ、さらに27日にはオバマ大統領が電話でかなり強くネタニヤフ首相に停戦を迫り、その日夜の国連安保理議長声明でも同様の文言が盛り込まれたとのことです。もともと関係の良くないネタニヤフ政権とオバマ政権は、かなり険悪化しているようです。

そのような中で、イスラエルは少なくとも停戦続行の姿勢は示さなければならなくなったようです。

ただし地下トンネル破壊は続ける、とのことですが。

ハアレツ紙がまとめた、死者数とハマースのロケット弾発射の、日毎の数の推移のグラフを見てみましょう。

ガザ紛争死者のグラフ
出典:ハアレツ紙、前掲

死者数は7月17日の地上部隊侵攻から20日にかけて増加し、その後は低減傾向に。ハマースのロケット弾は地上部隊侵攻以降減り始め、21日に一度急に増えた後、また減っていっています。ロケット弾の在庫が尽きかけているのか、発射装置が破壊されて撃ちにくくなっているのかもしれません。

今後どうなるのでしょうか。

ここで鎮静化して停戦となると、数年後にまたハマースはロケット弾を多く溜め込み発射装置を各地に張り巡らせ、イスラエルはなんらかの機会を捉えて空爆・掃討作戦、多くの民間人の死者を出す、ということを繰り返しかねません。

そうしないためには、単なる停戦ではなく、ハマースの行動を抑制し、イスラエルの安全保障への信頼感を高めるようななんらかの政治的な枠組みが設定され、実施する主体が導入されなければなりません。

今後数日の展開は重要で、その後の予想されるシナリオを含めて場合分けすると、次のようになります。

(1)停戦 ハマースの抑制・安全保障措置なし
  →数年に一度同様の紛争を繰り返す
(2)停戦 ハマースの抑制・安全保障措置あり
  →(2)-1 ファタハ(ヨルダン川西岸を支配、アッバース大統領)の部隊がガザに部分的に展開
  →(2)-2 国際部隊(国連部隊、地域大国、域外大国等)がガザに展開、停戦監視
(3)衝突再燃、イスラエルがハマースを全面的に掃討
  →(3)-1 ガザ再占領(ほぼあり得ない)
  →(3)-2 ハマースの壊滅後にイスラエル軍撤退、ファタハ部隊が展開
  →(3)-3 ハマースの壊滅後にイスラエル軍撤退、治安の悪化、民兵集団跋扈
         →ISISなどのイスラーム主義過激派が伸長

基本的に、「既定路線」は(1)です。しかし何らかの理由で(ハマースがなおも挑発した場合、あるいはイスラエル側がハマースの組織根絶を可能あるいは不可欠と認識した場合)、(3)のようにハマースの軍事部門と政治部門の双方を壊滅させるような攻撃が行われる可能性がないわけではありません。

本来は(2)が現実的にましな選択肢と見えますが、これが実行できるような環境条件や、実施主体がいるかというとかなり困難です。

ネタニヤフ首相、モシェ・ヤアロン国防相は原則としてこの路線を最初から大前提にして行動していると思われます(なおヤアロン国防省は元参謀総長です)。

なお、タカ派・強硬派として世界のリベラル派から忌み嫌われているネタニヤフ首相ですが、イスラエルの右派連立政権の中では比較の上では「穏健派」となります。

今回の紛争に際しても、連立パートナーの「イスラエル我が家」のリーバーマン外相、および「ユダヤ人の家」のナフタリ・ベネット経済相はより強硬な策を主張して閣内対立しています。

対立は、「ハマースとガザをどうしたいのか」という点で次のように分かれます。

(1)ハマースの軍事力、特にロケット弾・ミサイル発射能力を低減させ、地下トンネルを最大限破壊する。数年後に能力を蓄えればまた限定的に掃討すればいい。
   →ネタニヤフ首相の基本的姿勢
(2)ハマースそのものを回復不能なまでに掃討する。
   →リーバーマン外相ら

ですのでネタニヤフ首相は国際社会の停戦圧力が高まってこれ以上は無理、というところに至るぎりぎりまで掃討作戦を続けようとしますが、同時に停戦を受け入れるという姿勢も見せます。これに対してリーバーマン外相らは停戦は不当だハマース根絶、と訴えて世論を煽ります。

ネタニヤフ首相は天性の大衆政治家ですからハマース憎悪で沸き立つ世論に向けて強硬論を語りつつ、落としどころを探ります。それが何ら長期的解決に見えないことも多く、米国の大統領との関係すら悪化させることを厭わないことが多いのですが。それに対してリーバーマン外相は世論を煽りすぎて反アラブ人のヘイト・クライムが続出するような状況になってもなおも強硬論を掲げ続けます。

問題は、(1)ハマースを根絶しようとしてもできないだろう、本当に根絶するならば国際的にも許容されえないような大規模な虐殺や民族浄化を伴いかねない、と(少なくともこれまでは)思われてきたこと。

また、(2)ハマースを根絶すればより過激な、「イスラーム国家」のような過激派が伸長しかねないこと、も最近は心配されています。

米国の国防諜報局長官もアスペンで行われた会議でこの危惧を表明しています。
Destroy Hamas? Something worse would follow: Pentagon intel chief, Reuters, July 26, 2014.

イスラエルの諜報機関モサドの長官をかつて務めたエフライム・ハレヴィは、イスラエルはハマースと仲介者を通じて間接的に対話する方法を確立しているので、ハマースと敵対しながらも交渉相手としてやっていった方が良いと言っています。
“Hamas ‘not the worst option’ says former Mossad head,” Haaretz, July 15, 2014.

現役のイスラエル軍高官の間にも、ハマースがいなくなればソマリアのような無法地帯になると危惧する声があると言います。
“Israel is in no rush to crush Hamas government,” Haaretz, July 17, 2014.

こういった認識は、表面的な大衆政治の文脈でのナショナリスト的な煽りの発言はともかく、イスラエルの軍や諜報機関の主流でと考えられます。

このようなエリートの間のこれまでの認識を前提とすれば、ガザ紛争は近くイスラエルが目的をほぼ達成したところで鎮静化し、数年後にまた再燃するということの繰り返しになりそうです。

しかしこれらの「常識」がもし通用しなくなるほどイスラエルの政策当局者の認識や、世論が変わっているのであれば、今後の展開も変わってくるかもしれない。

観測気球あるいは国際社会(特に米国)へのブラフかもしれませんが、ニューヨーク・タイムズ紙の論説欄に強硬論が掲載されています。

Amos Yadlin, “To Save Gaza, Destroy Hamas,” The New York Times, July 25, 2014.

著者のアモス・ヤドリンは著名なイスラエルの元軍人で、空軍パイロット出身で軍諜報局長官を務め、現在は国家安全保障研究所の所長。

このように書いています。
it is time to revisit some basic assumptions about Hamas. Until now, Israel assumed Hamas was the “devil we know,” capable of attacks that were mostly a nuisance; accepting its rule over the Gaza Strip was preferable to risking a vacuum of governance like what we see in Somalia and Libya.
(要約)これまでは「よく知っている敵」としてハマースを容認してきた。ソマリアやリビアのような権力の空白やガバナンスの崩壊が起きるよりはハマースの統治の方がましだと考えてきたのだ。しかしこの認識を改める時が来た。

その根拠として

(1)ハマースはまともに統治してないじゃないか。
(2)ハマースはもっと危険になったじゃないか。

と論じ、ハマースを取り除くには次のような手順でいくといい、と議論していく。

(1)ハマースの政治局をもっと追いつめる。
(2)ハマースを武装解除する。
(3)ファタハにガザを統治させる。

ここではハマースの勢力を一掃しなければならない理由をハマースが「危険だから」としていますが、書かれていない背景として、そもそも「掃討しようと思えばできる」という認識があるからこそ、今これを論じているのではないかと思います。

でも本当にハマースを掃討できるのでしょうか。またその後に都合よくファタハを据え付けることができるのでしょうか。

こういった議論自体が、「掛け金を釣り上げ」た上でどこかの時点で停戦に踏み切ることで「抑制」を売り込むための情報戦かもしれませんが、実際にハマースを排除する作戦を行わないという保証はありません。その場合、中長期的にはより統制が難しい主体がガザからシナイ半島に拠点を築くという結果になるかもしれません。

イスラエルが明日以降に地上軍による作戦を激化させハマースそのものの解体に向かうか、あるいはこれまでのようなロケット弾発射装置の解体や地下トンネルの破壊を主眼とした限定的な任務遂行で侵攻を終えるかは、中長期的なイスラエル・パレスチナ情勢を左右する分かれ目になるかもしれません。

【地図と解説】FAAの飛行禁止・警告エリアで見るグローバルなジハード組織の広がり

昨日は24日に消息を絶ったアルジェリア航空AH5617便をめぐって、米の連邦航空局(FAA)が飛行を禁止している国の地図を紹介しました(ハアレツ紙)

ただ、ハアレツ紙の示した地図は大雑把で、例えばエジプト全体が禁止地区に塗られているなど(カイロ発着の米国航空会社の便が禁止されているとは聞いていないので)、不正確な部分があります。

(1)飛行禁止と高リスクの警告の違い
(2)国全体か、国の中の特定の地域か
(3)一定の高度以下での飛行禁止か、高高度でも飛行禁止・警告か

といった点がハアレツ紙の地図では分からないなーと思っていたら、すでにNew Republic紙が、7月17日のマレーシア航空機撃墜事件の直後にもっと詳細な地図を出してくれていました。

“MAP: Every Dangerous Place Where Airplanes Aren’t Supposed to Fly,” New Republic, July 18, 2014.

こんな地図です。

FAA_Ban_flights_New Republic - コピー

赤線(禁止)、オレンジ(警告)に色分けしてくれています。エジプトは全土ではなくシナイ半島だけ。

記事の下には、FAAの発出したNOTAMs (Notices to Airman) の文面へのリンクも貼ってくれていますので便利。飛行禁止・警告の該当地域や高度が特定できます。

イスラーム主義・ジハード主義の武装勢力が携行式や移動式のミサイル・ロケット弾などを入手し始めていることが、多くの場合に関係しています。

マリもそうですが、リビア、シナイ半島(エジプト)、シリア、イラク、アフガニスタン、イエメン、ソマリア、ケニアが、アル=カーイダ系など各種ジハード主義派が広がるエリアです。

シナイ半島については以前にもこのブログで紹介したことがあります。

エジプト軍ヘリ撃墜で「地対空ミサイル使用」の恐怖(2014年1月27日)

イランは、アメリカと国対国で敵対していることが根幹にあるのでちょっと別ですね。イラン・イラク戦争中の1988年、アメリカの軍艦がイラン国営航空機(655便)を撃墜したことがありました。今はロシアのプーチン大統領がひどく苦しい言い逃れを強いられていますが、当時のアメリカも同じような状態でした。

【地図と解説】墜落したアルジェリア航空機の不吉なルート

アルジェリア航空(スペインのSwift Airが運航する機体をチャーターしたようだが)のAH5617便が、ブルキナファソの首都ワガドゥグからアルジェリアの首都アルジェに向かう途中で墜落した模様だ。

まだ分からないことが多い。報道では機体はMD83型機とされているがBBCに対してアルジェリアの高官はエアバスA320とも語っていたようだ

天候不良で視界が悪くなったのでルート変更をしたい、と機長が連絡してきてから消息を絶った、との報道があるが、実際のところはどうなのか。

よりによってこのルートですからね・・・誰でも「武装民兵による撃墜」の可能性を疑ってしまう。

Algeria_Plane Crash_Mali
出典:BBC

ブルキナファソとアルジェリアの間のマリ上空で消息を絶ち、おそらくマリ北東部のアルジェリアとの国境地帯に墜落しているのではないかと推測される。

まるっきりアンサール・ディーンやMUJAOなどのイスラーム主義武装勢力の活動範囲ですね。ここに飛行機が飛んで行って落ちる、というのはまるでスパイ小説やハリウッド・アクション映画の設定のような分かりやすさだ。

この領域はトゥアレグ人の勢力が強い範囲。

マリ北部・北東部からアルジェリアやリビア、チャドにかけて居住するトゥアレグ人は、この一帯を含むサヘル地帯を移動して、しばしば武装集団を形成する。マリは無数の民族からなるのですが、川の付近に定住して漁ばかりしている民族とか、畑を耕している民族とか、流通や商売に強い民族とか、居住の形式や生活の仕方、生業によって民族が分かれている。「言葉」も違うんですが、同じ領域の中でそれぞれの民族が業種によって分業して棲み分けている。

トゥアレグ人はその中で、遊牧民的に移動して、国境を越えた交易を担うと共に、しばしば農耕・漁猟民の村落・都市に侵入して略奪を働く、あるいは村々を巡回して用心棒代を強請るようなことをやっている、というイメージの民族ですね。

トゥアレグ人が多くカダフィ政権に傭兵として雇われて武器を与えられていたのが、2011年のカダフィ政権の崩壊でサヘル地帯に武器を持って拡散。2012年にマリ北部でトゥアレグ人の分離主義運動が活発化したのものこの余波という面があるのではないかと思う。

2012年から13年にかけて激化したマリ北部の紛争については地図も掲げておこう。

2012と13マリ北部紛争
出典:Wikipedia

この地図だけ見ると、ブルキナファソのワガドゥグからマリのガオやテサリットの付近を飛んでいくルートというのが実に危険に感じられますね。

ただし、高度な上空を安定飛行している民間航空機を打ち落とせるようなミサイルを備えた集団はまだそう多くはない(はずです)。通常は、離着陸の前後で高度が低い段階なら撃ち落せる、という程度の肩掛け式ミサイルなどの拡散が危惧されているわけで、マリもその段階。マリで離着陸するのはけっこうリスクがあって主要な航空会社は行きたがらないが、高度な上空を飛んでいるならまだ安全だろう、と現在のところは一般に思われているのです。

なお、先週のウクライナ東部でのマレーシア航空機撃墜を受けてウクライナ上空を各航空会社が回避するようになり、また、米国のFAAが22日から24日にかけて、イスラエルとガザ紛争に関連して、テルアビブ・ベングリオン空港を発着する米国航空会社に飛行取り止めを命じていました。米FAAによる飛行禁止国は次のとおりであるとのことです。

FAA_Ban_Flights_July 2014
出典:ハアレツ

マリも入っていますね。マリの空港を離着陸する航路を禁じているのか、高度な上空を飛ぶことまで禁じているのかはここからははっきりしませんが。

マリ北部の紛争の概要を見てみましょう。

2012年初頭からマリ北部のトゥアレグ人の分離主義運動であるアザワード解放運動(MNLA)が勢力を強め、イスラーム主義の諸勢力とも一時共闘して、北部の4州(トンブクトゥ州、キダル州、ガオ州およびモプティ州の一部)から政府軍を排除した。

また、途中から、共闘していたイスラーム主義武装集団のアンサール・ディーンとMNLAが対立し、MNLAが劣勢に立たされた。さらに「イスラーム・マグリブのアル=カーイダ」から分派したMUJAO(西アフリカにおけるタウヒードとジハード運動)が台頭し、いっそうイデオロギー的に純化された集団が台頭した。

トゥアレグ系の反政府諸組織が一時支配した地域での最重要都市は、北部の中心都市ガオ。北部と行っても北部の最南端と言っていい。

最北端のキダル州のテサリットで2012年1月~3月にMNLAやアンサール・ディーンが蜂起した「テサリットの戦い」がトゥアレグ側の優勢を決定づけた。これに敗れた政府軍はガオまで後退。その間にあるトンブクトゥ(世界遺産で有名)などニジェール川沿いの主要都市を次々にトゥアレグ側が掌握。

その後主導権を握ったアンサール・ディーンやMUJAOが「異教的」な世界遺産の破壊などを繰り返し、さらに2013年1月首都バマコを制圧しようというところになって、フランスがマリへの軍事介入に踏み切った。フランス軍はアンサール・ディーンの首都攻勢を押し返し、ガオを奪還、さらに北東部に逃げて隠れたこれらの勢力を掃討していった。しかし追われればこれらの勢力は国境を越えて逃げてしまうので、問題を根本から断ってはいないだろう。

フランスは今年に入ると派遣部隊を大幅に縮小している。

今回の墜落したと見られる飛行機の航路はまさにこの紛争地域にかかっており、消息を絶ち墜落したと思しき地点は、反政府武装諸勢力の活動領域に奇しくもちょうど収まる。

これまでの報道だと事故の可能性が高いが、「もしかして反政府勢力が再活性化していて、しかも地対空ミサイルを導入していたのでは」と、この地域の問題に気を配っている人の誰もがまず想像しただろう。

もし万が一、地対空ミサイルによる撃墜、などということになったら、先週のウクライナ東部でのマレーシア航空機撃墜に続くものとなり、武装民兵による航路の安全の阻害をどうするかが国際政治の中心課題とならざるを得ないだろう。

(おまけに、マリ政府といえば、軍をいい加減にしか構成・統制していないうえに、てっとり早くウクライナ人の傭兵部隊を用いていたことも知られる。北部の分離主義勢力との戦闘でもウクライナ人傭兵を投入していたようだ。こういった話は陰謀論みたいなものになりやすいので少ない情報から軽率に判断してはいけない。しかしそういった陰謀論が今回の航空機墜落に関しても囁かれるようになることは確実だろう。しかしアフリカの紛争とか密輸とかにはウクライナがらみの話は多い。もともと東欧で最も「遅れた」国でかつ人口規模も大きく、ソ連の下請けで軍需産業が大きいので、ソ連邦崩壊後、世界に出稼ぎに散った連中が裏世界や紛争に関与する事例は、ほとんど「お約束」のように出てくる)

そして、イラク・シリアでの「イスラーム国」やその他のイスラーム主義勢力による実効支配の広がりや、ナイジェリア北部でのボコ・ハラムでの勢力伸長と合わせて、領域主権国家の弱体化・破綻国家化と周辺部での独自の国家の主張をどうするかが、いよいよ対処しなければならない問題となる。しかもそれらは多くの場合はイスラーム主義の独自の信仰と理念が関わっているので、通常の国際関係の枠組みがうまく機能しない場合が多くなる。

それにしても、今年に入ってからの二度にわたるマレーシア航空機の遭難、先日の台湾・澎湖島での墜落、そしてイスラエル・ガザでの紛争でハマースのロケット弾がテルアビブ・ベングリオン空港の近辺に着弾したことから48時間にわたって欧米各国が航空機の乗り入れを取り止めさせたことなど、グローバル化の基礎インフラである国際航空ルートの安全に不安を抱かせる事象が相次いでいる。

「武装民兵の地対空ミサイル」はグローバル社会の機能を不全に追い込みかねない要因の筆頭となりかけている。

もともとグローバル化が国家の力を相対的に弱め、非国家主体の能力と活動範囲を拡大したのだが、結局非国家主体がグローバル社会を分裂・機能不全に陥らせ、破綻国家の周辺領域が斑上に不安定領域として広がる、中世的ローカルな共同体の集合へと世界は転化してしまいかねない。

今回の墜落自体は単なる事故かもしれないが、相次ぐ航空機関連の事象は、暗く不安なグローバル社会の将来の予兆のように感じられます。

【地図と解説】イラク情勢:シリア・ヨルダンとの国境地帯の制圧が続く~6月24日

7泊8日の缶詰生活から帰ってきました。ええ、日本でも外国でもない中間ぐらいの、船に乗って海の上にいました。

本を書くのに集中したかったのですが、24時間国際衛星放送がつながっている環境では、ついイラクの紛争の状況を見てしまいました。

日本ではどんな報道がされていたのでしょう。チェックしておりませんが、ある程度情報は行き渡っているのではないかと思います。アメリカがすぐには攻撃しそうもない、と分かったら報道も鎮静化したでしょうか。いずれにせよ長期的に見ていかなければならない問題です。

【地図と解説】の第5弾、今回は過去1週間の戦況をアップデートしておきましょう。

エコノミスト6月21日号では全体状況がよく分かる地図を作っていてくれています。

ISIS_Iraq_Syria_Economist_June21_2014.jpg
出典:エコノミスト

6月14日に紹介した地図と比べると、例えば北部でモースルから西のテッル・アファルでISISが優勢になっている点などが違います。また、領域をべたっと塗ってしまうのではなく、都市と道路を中心の「点と線」を中心に描いている点も、この間の情勢把握の進展を示しています。そもそも砂漠が多いので面で支配しているはずがないのと、それほど規模が大きくないISISが、実際に戦闘を行っている地点以外でも実効支配をしていると断定する根拠がないところが理由でしょう。ISISのインターネットを通じた映像を駆使した巧みな情報戦略が、ISISの勢力を課題に見せている可能性があります。

しかしそうこうしているうちにもISISの掌握する「点」は増えていっています。20-22日にかけてイラク西部のシリアやヨルダンとの国境のチェックポイントが制圧される動きが報じられています。【記事1】【記事2

6月22日付のニューヨーク・タイムズでは下記のような地図を示していました(ニューヨーク・タイムズはイラクの戦況の地図をどんどん上書きしてしまっているので、キャプチャーしていたものをここでは転載しておきます)。

ISIS_Iraqi Gov losing control of border crossings_NYT_June22_2014
出典:ニューヨーク・タイムズ

上記の6月21日号のエコノミストの地図からの変化は、ユーフラテス川沿いのシリアとの国境検問所のあるアル・カーイムでの戦闘が激化したこと、さらにシリア・イラク・ヨルダンの国境三角地帯の検問所アル・ワリードでも戦闘が起こっていることを示しています。また、ユーフラテス川沿いの主要都市ラマーディーやファッルージャがすでにISISの支配下にありますが、そこからシリアとの間の小土地、ラーワやアーナでも戦闘が起きていることを示しています。また、北部でクルド勢力もシリアとの国境地帯を制圧する動きに出ていることがラービアの検問所について示されています。

これが23日付ではこうなっています。

ISIS_Iraq_NYT_June23_2014.jpg
出典:ニューヨーク・タイムズ
Diplomatic Note Promises Immunity From Iraqi Law for U.S. Advisory Troops, The New York Times, June 24, 2014.

アル・カーイムとアル・ワリードの検問所や、ラーワやアーナでISISが支配的になるだけでなく、ヨルダンとの国境のトレイビールも支配下に収め、ヨルダンからバグダードに至る砂漠地帯の中間のオアシス村のルトバも制圧したとしています。

個人的には、サダム・フセイン政権下の経済制裁中のイラクに、ヨルダンから深夜に車で渡ったとき、途中で見たルトバの寒村の風景を思い出します。

同工異曲ですがガーディアンの地図も貼っておきましょう。細かすぎないので全体像が分かります。

ISIS_Iraq_June22_Guardian.jpg
出典:ガーディアン

今回は特にシリア・そしてヨルダン国境地帯の制圧状況についての拡大図を見てみましょう。これはワシントン・ポストのもの。

ISIS_Jordan_Border_WP_June22_2014.jpg
出典:ワシントン・ポスト

ニューヨーク・タイムズは東西南北の方向をずらして、イラクとシリア・ヨルダン(そしてサウジ)との国境地帯の拡大図を提供し、主要チェックポイントを示しています。イラク側だけでなく、シリア側、ヨルダン側の国境検問所の名前も書いてくれています。アル・カーイムにシリア側から対面するアブー・カマールでは、ISISと対立するヌスラ戦線が支配的という話もあります。これは今後どうなるか分かりません。

国境の両側を押さえると、自由に行き来できるようになり、拠点・聖域の確保が進みます。

今後もこれらの地点は状況が変わるたびに支配勢力が移り変わるでしょう。キャプションごとキャプチャしておきましょう。

ISIS_Iraq_Border_Jordan_Syria_NYT_June23.jpg
出典:ニューヨーク・タイムズ

スンナ派が多数派のアンバール県でこのように速い速度でISISが伸張するのはある程度予想できることです。ISISそのものが大規模に部隊を展開させているというよりは、現地の部族勢力や旧バアス党支配層の武装勢力が呼応している可能性があります。

アンバール県の全域を、隅々の国境検問所まで掌握し、ヨルダンそして、サウジアラビアとの国境まで支配下に置けば、イラク・シリア・ヨルダン・サウジアラビアのスンナ派が多数派の地域に長期的に強固に足場を築くことになりかねません。それらの支配地域に統一した国を作るというのはかなり先の話ですが、当面は、国境を越えて拠点を構築することで、それぞれの国の中央政府から自由な補給や根拠地を得ることになり、紛争が長期化しかねないところが危惧されます。砂漠が多く中央政府の支配が弛緩しやすい地帯一円に、ISISとそれに呼応する勢力が広がり、長期的に各国の政府を揺るがしかねません。イラクのスンナ派勢力の中央政府に対する不満に理解を示しているサウジアラビアの政権にとっても、中・長期的には脅威となるでしょう。

【地図と解説】シーア派の中東での分布

「地図で見る中東情勢」の第4回。

イランによるイラクへの介入が、予想通りというか予想よりもさらに早く進んでいます。

また、米国がイラクをめぐってイランと同盟しかねない勢いというのも、あくまでも「理論的にはそういう可能性も」と話していたのですが、すでに現実味にあふれたものになっています。

イランのイラクへの影響力という際に常に挙げられるのが、シーア派のつながりです。

この地図は、中東諸国でシーア派が多数派の国、規模の大きな少数派を形成している国を緑色と濃い緑色で示してあります。
Lines in the sand_Shia from Iran to Syria
出典:Global Times

シーア派はイスラーム世界全体では少数派ですが、それは人口の多い東南アジアやインドがほとんどスンナ派であるというせいもあります。中東ではスンナとシーア派の人口は全体ではかなり拮抗しており、シーア派は一部の国では多数派になっています。

過半数となっているイランとイラクのほかに、レバノンでは過半数ではありませんが最大の宗派になっています。シリアではアラウィ―派をシーア派とみなして加えれば15-20%。あまり知られていませんが、イエメンでも北部にシーア派の一派ザイド派がいます。そしてアラブの湾岸諸国でもクウェートではかなりの大きな少数派、バハレーンでは人口では多数派だが王家・支配階級はスンナ派。

しかしこの地図だと国単位で一色に塗ってあるので、国の中での地域ごとの宗派の分布がわかりませんね。

次の地図を見てみると、もっと詳細な分布がわかります。

Shiite_simple.jpg
出典:NPR, Vali Nasr, The Shia Revival

パキスタンにもいるんですね。ただしシーア派の中でもイスマーイール派などで、イランの12イマーム派とは宗派が違います。

もっと詳細な、宗派分布の地図は下記のものです。クリックするとより広域が表示されます。

Sectarian-Divide.png
出典:Financial Times

サウジアラビアについて、アラビア半島中央部のネジュド地方、つまりサウジアラビアの王家・支配部族の本拠地についてはワッハーブ派で緑に塗られていて、それに対してエジプトやヨルダンに近い紅海沿岸のヒジャーズ地方は「普通の」スンナ派でパープルグレーに塗り分けられています。このことも今後の展開によっては意味を持ってくるかもしれません。

さて、このような中東一円でのシーア派の広がりの中でイラクの宗派・民族構成を詳細に見てみると、こんな感じです。クルド人はスンナ派ですが、アラブ人と言語・民族を異にする別のエスニシティを形成しています。シーア派はアラブ人でスンナ派と同じですが、宗派の違いから異なるエスニシティ意識を強めているのが現状です。

Iraq_ISIS_WP_Izady Columbia U
出典:ニューヨーク・タイムズ

人があまり住んでいないところは白っぽくしてあるところもいいですね。アンバール県をISISの支配領域としてべたっと塗ると、見た印象は広大な領域を支配しているように見えますが、可住・可耕面積はほとんどありません。

ISISの侵攻は北部から中部にかけてのスンナ派が多数を占める地帯では一気に進んだことがわかります。しかしバグダード以南に浸透するのはかなり難しそうです。またその際は激しい戦闘になり流血の惨事となるでしょう。

ただしイラクのシーア派とスンナ派は共存していた時期も長いので、常に宗派が違えば争うわけでもありません。国内・国際的な政治情勢の中でエスニシティの構成要素は変わり、帰属意識は強まったり弱まったり融合したりします。ですので、宗派紛争は必然ではないのです。近い将来は紛争が不可避にも見えますが・・・

そもそも、これらの地図で模式的に示されるほど画然と宗派ごとに分かれて住んでいるわけではありません。

次の地図では、複数のエスニシティ(宗派+民族)が混住しているエリアを斜め線で示してくれています。

Iraq_Sect_ratio.jpg
出典:ワシントン・ポスト

さらにこんな地図もありました。シーア派、スンナ派、クルド人の多数を占める地域の間に混住地帯を色分けしています。さらに、特定の都市や地域に少数ながら存在するトルクメン人、キリスト教アッシリア教徒(ネストリウス派)やカルデア派、ゾロアスター教系でイスラーム教やキリスト教が混淆したヤズィーディー教徒などの居住する都市を表示しています。これらの少数派も明確なエスニシティ意識を持っており、戦乱期にはしばしば迫害を受けます。

欧米の市民社会はキリスト教のルーツに近い由緒正しい中東のキリスト教少数教派の迫害には敏感に反応しますし、トルクメン人はチュルク系の同系民族としてトルコが庇護する姿勢を見せています。これらの少数派を巻き込む内戦は、必然的に外国勢力を巻き込む国際的なものとなります。

Iraq_Sect_Ethno_ratio.jpg
出典:globalsecurity.org

特に危惧されるのはバグダード近辺などの大都市で宗派が複雑に入り組んで混住しているエリアです。

信頼性は私は判定できませんが、下の最後の地図は、バグダードの2005年と2007年のスンナ派とシーア派の居住区を色分けしたこのような地図があります。細かく入り組んでおり、しかも2006年から2007年に多発した宗派間の紛争の影響もあり、住民が移動している様子が示されています。赤い点は10以上が死んだ爆破の生じた地点です。
Baghdad_quarters_sectarian.jpg
出典:Vox, BBC

このような場所で宗派コミュニティ間での暴力の応酬が広がったり、エスニック・クレンジング的な強制退去などが行われたりすると内戦の激化が生じます。また、シリアで起こったように、街区ごとに武装集団が浸透して支配地域を広げていくような、虫食い状の陣取り合戦が展開されると、内戦は長期化し、都市は荒廃を極めるでしょう。

そのようなことにならないようにイラク内外の諸勢力がなんとかしてくれればいいのですが。

【地図と写真】サーマッラーは宗派紛争の象徴

ISISがモースルを制圧し、ティクリートを陥落させてさらに南下するなか、モースルとバグダードの中間地点の少し南、バグダードの北部125キロに位置するサーマッラーが焦点となっています。

「地図で見る中東情勢」の第3回、今日は簡単な地図から。あとは写真も見てみましょう。

Iraq_Samarra_Baghdad.jpg
(The New York Timesより)

北部でイラク政府軍が崩壊して逃走する中、マーリキー政権は政権に中枢を誓う部隊の引き締めと、政権支持層の多いシーア派系市民の武装民兵化によって対抗しようとしているようです。

13日の金曜礼拝で読み上げられた、シーア派宗教指導者のイラクでの最高権威のシスターニー師による声明では、義勇兵となって首都防衛にあたるようにと説いています。これに応じて義勇兵に登録する人々の姿がイラク国営テレビなどでは盛んに流されています。

13日、マーリキー首相はサーマッラーを訪問し治安担当者と会議。前線で指揮を執った形です。

前日12日、サーマッラーでも、ISISからの脅迫電話に怯えて配置されていたイラク軍部隊がまとめて脱走してしまったようです。マーリキー首相はどの部隊を指揮しているのか。政権有力者の直轄部隊でも投入したのでしょうか。あるいは(同じことかもしれませんが)政権有力者傘下のシーア派民兵組織に頼っているのかもしれません。

中央政府からのテコ入れと、シーア派義勇兵の参入で、今のところ、モースル占拠後のISISの南下はサーマッラーで食い止められているようです。

サーマッラーは、住民はスンナ派(←「スンニー派」でもどっちでもいいです。名詞か形容詞かの違いだけ)の方が多いですが、シーア派で尊崇の対象となるアスカリー・モスク(Al-Askari Mosque)があります。

アスカリー・モスクは、シーア派(12イマーム派)の第10代・11代のイマーム(最高指導者)を祀ったモスクです。第10代がアリー・アル=ハーディー(アル=ナーキーとも呼ばれる)、第11代がその息子でハサン・アスカリーという名です。両者を「アスカリーのイマーム」とシーア派では読んでいます。

アスカリー・モスクは黄金のドームと、二本の黄金のミナレットを特徴としています。

samarra2.jpg

アスカリー・モスクの元々の姿
出典:Al-Islam.org Ahlul Bayt Digital Islamic Library

Askari Mosque_front
アスカリー・モスク 境内から 

スンナ派は、シーア派の独特の教義であるイマーム崇拝そのものを異端と考えています。しかしシーア派の王朝が支配していたり、サダム・フセインの世俗主義的で強権的な統治が行われている時代は、シーア派の教義を問題視して敵視する運動はほとんど表面化しませんでした。

それが、サダム・フセイン政権崩壊後、特に現行の新体制がスンナ派にとって不利な形で2005年末に成立して以降、宗派紛争の扇動が行われ、呼応するスンナ派勢力や、それに対して武装して対抗するシーア派民兵、露骨にシーア派側に立ってスンナ派をまとめて弾圧・排除するシーア派主体の中央政府の存在で、一気に問題が噴出しました。

2003年のフセイン政権崩壊直後から宗派紛争の可能性は指摘され、扇動もなされていましたが、危うい均衡が保たれていました。紛争の勃発の火をつけたのが、2006年2007年に行われた、サーマッラーのアスカリー・モスクの爆破です。

この挑発に、シーア派側が民兵集団による報復で応え、中央政府軍・警察によるスンナ派全体への懲罰的政策で答えたことで、激しい宗派紛争に落ち込んでしまいました

2007年から2008年に行われた米軍の増派攻勢(サージ)による硬軟両方の戦略で、一度は押さえ込みましたが、火種はくすぶっています。シリア内戦の泥沼化で足場を得たISISが再び宗派紛争を煽るためにここをもう一度攻撃すれば、象徴的な意味もあって全土に宗派紛争が再発しかねません。

2006年2月22日の第1回目の爆破では黄金のドームが大破。

Askari Mosque_after Feb2006

alaskaridestroyed.jpg

ニューヨーク・タイムズ紙では前後を比較してくれています。

Askari Shrine_before and after

2007年6月13日の2回目の爆破では、残りのミナレットも破壊されました。

Askari Mosque_After June2007
出典:グローバル・ポスト

アスカリー・モスクは現在再建中で、昨年末の段階で、かなり完成に近づいていたようですが、ここで再び破壊されるようなことがあると、宗派間対立の感情を燃え上がらせてしまうでしょう。

Al-Askari_Mosque_2013.jpg
出典:Wikimedia Commons

サーマッラーは、バグダードに至る途中の要衝であると共に、象徴的な意味を持つ聖地です。そして、イラクの過去10年の紛争の中で、象徴を帯びた事件の記憶を抱えています。

マーリキー首相と政府軍は、地理的な重要性だけでなく、象徴的にも、ここの防衛を重視しているのではないかと思います。

もしISISがサーマッラーを超えてしまうと、後はバグダード北東郊外に位置するシーア派の貧困層が集まるサドル・シティまで一直線ですので、好戦的なシーア派民兵との衝突が予想されます。

ISISは、テロを多用するような本体部分の規模は、どう多く見積もってもせいぜい1万人と思います。中核メンバーは800人程度とすら本来は言われており、信念の堅い、出身地や居住地を離れて越境してでも転戦しようというメンバーはその程度ではないかとも思います。

それをはるかに超える人数が今参加しているように見えるのは、宗教的な政治イデオロギーを同じくするというよりは、マーリキー政権に失望し、敵意を募らせる各勢力が、ISISの軍事力や北部での一定の民心掌握力に惹かれて同調しているのでしょう。旧フセイン政権派の流れをくむ、旧軍人や、スンナ派の部族勢力などが、マーリキー政権の政策に反対して、ISISについているのではないか。

マーリキー政権が、強硬策だけでなく、米軍が2007年から2008年に「サージ(Surge増派攻勢)」で行ったような、スンナ派有力者を取り込む懐柔策を駆使できるかが問われています。

ペトレウス将軍の指揮した増派攻勢では、圧倒的な軍事力で制圧するだけでなく、スンナ派の土着の有力者・支配層の取り込みを行うことが一つの柱でした。西部アンバール県の部族有力者などを取り込んで(悪い言い方では賄賂を使って)、武装民兵のネットワーク「サハワ(目覚め)」を組織させ、アル=カーイダ系武装組織に立ち向かわせた。

2011年末の米軍撤退後、マーリキー政権がこの経験を放棄して、スンナ派の有力者や武装民兵組織の政府内への取り込みを行わず、逆に敵視したことが、ISISの伸長の要因となっていると見られます。

「サハワ(目覚め)」の一部の指導者が、マーリキー政権に従ってISISと戦うと声明を出しているという情報もありますが、どの程度の規模の支持があるのかわかりません。また、西部のアンバール県と、北部のニネヴェ県(モースルを含む)では事情が違うのではないかとも思います。

悪夢のシナリオは、マーリキー政権は懲りずに宗派間対立でシーア派民兵を駆使して勝ち抜くという選択をし、それをイランが支援してさらに影響力・支配を強め、中東から距離を置きたいアメリカ、イラン接近で外交成果を出したいオバマ政権が黙認して、結果として宗派紛争の激化の末にイラクがイランの支配下に入り、「迫害」「占領」に憤るアラブ世界から過激な義勇兵と資金が流れ込んで紛争がさらに悪化、というものです。

そうなるとは限りませんが、それなりに現実味があります。

【地図と解説】イラクとシリアでのISISとクルド勢力

ISISが急激にイラクで勢力を伸張させている件、各紙が競って地図を作っています。

先日は6月10日ごろまでの情勢に対応した地図を各種紹介しましたが(【地図と解説】イラクとシャームのイスラーム国家(ISIS)の支配領域)、たぶん好評だったので調子に乗って続編。

ウォール・ストリート・ジャーナルはモースルを制圧してから南下するISISの動きを中心に、代替の勢力範囲を図示。都市の外は砂漠なので領域は確定しがたいですが。また、6月11~12日ごろから、クルド勢力がイラク政府軍のイラク北部での崩壊・撤退に乗じてキルクークなどを制圧している件も図示してあります。

Isis_Iraq_Syria_WSJ.jpg

出典:ウォール・ストリート・ジャーナル

エコノミストも、シリアのラッカ県からデリゾール県、イラクのニネヴェ県からアンバール県一帯を、ISISが支配下に置いたか進出した範囲として薄茶色で表示しています(本当にこのエリア一体を領域支配できているかは分かりませんが)。

さらに、シリア北部のクルド勢力の飛び地的な自治領域を黄緑色で図示し、イラク北部でもクルド地域政府(KRG)の領域(北部三県)を超えて、キルクークなどを含む拡大クルド勢力圏を「事実上の(de facto)クルド地域」として薄緑色で塗っています。

なかなか芸が細かいです。クルド勢力の支配エリアを、北部3県のクルド地域政府の正式な領域を超えて、現在の実勢に合う形で塗りかえてあります。イラク北部ニネヴェ県のうちモースルより北はクルド勢力が支配し、モースルとそれより南はISISの支配領域としています。同様に、キルクーク県も県都キルクークより北はクルド勢力の領域、それより南はISISの支配領域とし、中部のサラーフッディーン県もその東側のクルド地域に食い込んだ部分はクルド勢力の支配下、西のバイジーやティクリートやサーマッラーを含む地域にISISが進出していると示しています。

シリアのクルド勢力は黄緑色、イラクのクルド勢力は薄緑色と分けているのも秀逸。両者はあまり連携していませんし、派閥・党派対立もしているから。

薄茶色のISISの領域はべったり領域支配しているとは限りませんし、細かい所は確認しようがありませんが、エコノミストはそこは上手に「presence, city controled or contested」と幅広く定義してあります。さすが英語上手だ。

ISIS_Economist.png

出典:エコノミスト

マニアックなのはFTで、イラクからシリアの国境を中心にしたISISの進出エリアと、油田地帯の地図を重ねています。ISISが自律的な領域支配を持続しうるか、油田の確保という視点から見たものと言えます。クルド勢力の版図と油田の関係も分かります。

ISIS_Syria_Iraq_oilfields.jpg

出典:フィナンシャル・タイムズ

さて、次は本丸というべきイランの影響力について、地図で考えてみましょう。シリア・イラクだけでなくもっと広域になります。続けて読んでいる方はご自分で探してみてもいいでしょう。

【地図と解説】イラクとシャームのイスラーム国家(ISIS)の支配領域

6月10日にISISがイラク北部の主要都市モースルを掌握。これは衝撃的ですね。しかも勢力を伸ばして南下し、バグダードに迫る勢いです。

モースルはどこかというと、

iraq_mosul_map_BBC_June10_2014.gif

出典:BBC

ISISの今年に入ってからの勢力伸長を図示した分かりやすい地図がワシントン・ポストに載っていました。

Iraq_ISIS_The Institute for the Study of WarThe Long War JournalThe Washington PostJune 11

出典:ワシントン・ポスト

今年1月には西部アンバール県の県都ラマーディーとファッルージャをISISが制圧していました。スンナ派が圧倒的多数を占めるアンバール県で、各種の抗議行動が生じて中央政府に異議を唱え、武装蜂起(insurgency)が駐留米軍やシーア派主体のマーリキー政権のイラク国軍・治安部隊を脅かすというのは、2003年のイラク戦争以来、断続的に続いてきた現象です。ファッルージャは首都バグダードの西60キロほどですから、首都の西のすぐそばをしばしば武装蜂起が脅かしてきたことになります。

しかし今回は北部の中心都市・イラク第二の都市であるモースルを制圧し、さらに中部のバイジー、ティクリート(サダム・フセインの故郷)をも制圧して、首都に向かって南下している、という点で、これまでと違っています。

ラマーディーとファッルージャはユーフラテス河に沿ってシリア東部につながる地帯ですが、モースルはチグリス河沿いです。地図を見てみると、チグリス川の上流はシリア・トルコそしてイラクの国境三角地帯を通っていくのですね。

そしてモースルはクルド人とアラブ人の混住地域の中にあります。

kurdistan-KRG.jpg

出典:Oil and Gas Investment Bulletin

イラクのクルド人は1991年の湾岸戦争後に、事実上の自治・半独立の立場を確保しました。イラク戦争によるフセイン政権崩壊後は、北部のクルド三県(ドホーク、エルビール、スレイマーニーヤ)には自治政府を持つ「地域」としての地位を与えられ、クルディスターン地域政府を設立するとともに、イラクの大統領職も割り当てられてきました。

しかしクルド人とアラブ人の混住地域は、クルディスターン地域政府の管轄範囲の外に残されています。この地図では赤の点線より北の範囲ですね。歴史的にクルド地域との結びつきの深いキルクークと並んで、北部の最大都市モースルもそのような中間エリアに属しています。クルディスターン地域政府の管轄と中央政府の管轄が競合し、「アラブ対クルド」という民族紛争が潜在的に起こりかねなかった地域に、突如としてイスラーム過激派という第三の勢力が入ってきて、事態をさらに複雑化させた形です。

他にも地図を見てみましょう。

ISISの特徴は、イラクとシリアの双方に活動範囲を伸ばしていることです。(こちらはニューヨーク・タイムズから。キャプチャして縮小したので画像が荒いですね・・・出典元のページを見てください)

Isis_New York Times_June10_2014

出典:ニューヨーク・タイムズ

シリアでのISISの活動をもう少し細かく見てみると、このような状況。

syria_control_Isis_20_09_13.gif

出典:BBC

緑の印がISISがシリアで勢力を伸張させた地点です。黄色の点で示された複雑な紛争にもISISは絡んでいることが多い。

ユーフラテス河沿いに、イラクとの国境のアブー・カマールと、その上流の拠点都市ラッカを制圧していますね。その中間の主要都市デリゾールも包囲しているという報道があります。

それだけではなく、西北部にも進出しています。トルコとの国境で反政府勢力の物資の供給に不可欠の重要性を持つアアザーズを反政府派の自由シリア軍が制圧していました。しかし2013年9月、そこにISISが介入してきて自由シリア軍を攻撃して制圧・支配しました。その後反政府派の間での衝突が激化し、アサド政権は一息つくことになりました。その後アーザーズをめぐってISISはイスラーム主義過激派のヌスラ戦線とも衝突を繰り広げるなど、反政府勢力内部の亀裂をさらに広げました。ISISは反アサドであるのでしょうが、反政府派の足を引っ張る組織として注目されたのはこの時です。

ホムスにも緑の印がついています。ホムスは2011年の紛争の勃発の初期段階から反政府勢力の象徴的な場所となり、政府軍による長期化する包囲が続いていました。ここにISISが浸透してきたことで、「勝利してもイスラーム過激派に支配されるのか」と反政府側にも厭戦気分が広がりました。そこから、ホムスでの局地停戦と5月7日の反政府派撤退につながりました。

このように、ISISはシリアの内戦では、アサド政権側とも反政府側とも言い難く、状況を複雑化させる要素になっています。アサド政権にとっては、「政権が倒れればイスラーム主義過激派が政権を取る」と自らの存在意義を国民と国際社会に印象づけるための格好の宣伝材料になります。

もっとも、アサド政権が自国民を殺害し続け、国際社会がそれを座視しているから、それに憤る人たちがイスラーム教の理念に照らして現状を不正とみなし、ジハードを掲げて国内外から集まってくるという構図が、より正確な認識でしょう。

イラクの内政上は次の二点が重要です。

(1)これまでイラクでは、大きく分けると、シーア派(人口最大)、スンナ派(人口少ないが周辺アラブ諸国では多数派)、クルド人(民族独立の希求強い)の三つの勢力による対立というのが基本構図でした。ところがここに、ISISというスンナ派の急進的な宗教政治思想を掲げた勢力が台頭し、基本構図を揺るがしている。

(2)これまでのイラクのスンナ派の武装勢力は土着の自警団的な武装組織や部族的な紐帯で結束する組織など、基本的にイラクの国境の中、さらに自分たちの居住する地域に問題関心を限定させ、その上で占領軍や意に沿わない中央政府に反乱を繰り広げてきた。ところがISISは国境を越えてシリアとイラクにまたがって活動をしているものとみられる。

単に国境の向こうに行けば中央政府が追ってこないからという「便利さ」からシリアとイラクを行ったり来たりしているだけなのかもしれないが、支配エリアの拡大・支配の長期化があれば、場合によっては「国境の再編」につながりかねない。もちろん国際社会がそれを認めるとは思えませんが、実態として国境がなくなってしまう可能性がある。

すでにイラクはクルド地域の自立化でどんどん国境・国土の一体性が不分明になっていますし、シリアは国土のかなりの部分を中央政府が掌握していない(爆撃とかはしているが)。そこにとどめの一撃となるかもしれません。

また、土着の勢力だけではなく、国際的な要因の流入、つまりグローバル・ジハード的な運動として性質を多分に含むと考えられます。それが将来の国際テロの温床・発信源として危惧されるゆえんです。

昨年を通じて、イラクはイラク戦争後の内戦を経ていったん鎮静化しかけたテロが再び激化し、混乱しましたが、今年になってそれがテロにとどまらず、ISISによる局地的な領域支配に転化しているところが、全体状況の変容をうかがわせるところです。

ISISとはIslamic State in Iraq and Sham(イラクとシャームのイスラーム国家)の略で、ISIL(Islamic State in Iraq and Levant:イラクとレバントのイスラーム国家)と呼ばれることもあります。シャームとは現在のシリア・レバノン・ヨルダンを含む「歴史的シリア」のこと。

もともとはイラク戦争直後から、アブー・ムスアブ・ザルカーウィーを中心に形成されてきましたが、2006年に「イラクのイスラーム国家」を宣言。ザルカーウィーの死後、アブーバクル・バグダーディーが指導者として台頭します。そして2011年のシリアでの反政府抗議行動が内戦と化す中で、2013年にはシリアの「ヌスラ戦線」と一時合併して「イラクとシャームのイスラーム国家」を名乗りました。しかしヌスラ戦線の指導部は当初からこの合併に否定的で、さらにアル=カーイダ中枢の最高指導者のザワーヒリーが合併を否定して、イラクとシリアそれぞれで別に活動するように説教したりと、混乱しました。

ISISはアル=カーイダの影響を受けてはいますが、弱体化したアル=カーイダ中枢の指揮命令系統にあるわけではなく、理念を継承したうえで、米国(あるいはキリスト教・ユダヤ教徒)の支配の打倒を目指す国際テロよりも、イラクとシリアの土着の固有の政治情勢の中で、現地の支配権力(マーリキー政権やアサド政権)に対する武装蜂起(insurgency)を行うことを主とする組織です。

対キリスト教徒・ユダヤ教徒への敵意はありますが、それよりもスンナ派としてシーア派に対する敵愾心が強いのがISISの特徴です。

さらに、シリアやイラクの政権やシーア派に対して敵対的なだけでなく、支配領域においてスンナ派の一般住民にも過酷で宗教的強権支配を行うので、恐れられています。しかしそのような統治こそがイスラーム教の教えだと信じる人も一定数おり、決して「狂信者」と言いうる存在ではありません。行動においては明らかに一方的で粗暴な面がありますが、それが何らかの特殊な教義に基づいているからとはいえません。

ISISは「アル=カーイダ」なのか、というと、これは複雑な問題です。そもそも「アル=カーイダ」は、2001年にビン・ラーディンを中心に国際テロを起こした時代と今では異なる組織になっています。ただし全く別物ではなく、アル=カーイダが広めた思想を通じてアル=カーイダは続いていると言えます。

アル=カーイダが広めた政治思想や、シンボルなどを、ISISは継承していますし、もともとアル=カーイダを名乗っていました。しかしザワーヒリーの指令に従っていないように、組織や戦略・戦術目標は異なり、自立しています。

アル=カーイダ中枢の「組織」「司令部」としての存在はほとんどなくなったが、アル=カーイダが広めたあるタイプのジハード思想は広まり、定着し、各地の状況に応じて新たな指導者が出てきて新たな組織を作っていくということでしょう。