【今日の一枚】(2)サイクス=ピコ協定の「完全版」

今日の一枚。

サイクス=ピコ協定にロシアとイタリアが参加
(出典:イギリスのナショナル・アーカイブに入っている地図で写真が広く出回っていますが、ここではウォール・ストリート・ジャーナル紙の記事から。“Would New Borders Mean Less Conflict in the Middle East?,” The Wall Street Journal, April 10, 2015.

有名な英・仏のサイクス=ピコ協定は、実際にはロシアとイタリアの同意も得たものでした。その部分を黄色と緑で書き加えた地図です。土台になる地図は有名なサイクス=ピコ協定のものと同じ”A Map of Turkey in Asia”ですね。

中東の第一次世界大戦前後について「英・仏」にのみ注目すると、中東国際政治の力学を忘れてしまいます。

英・仏のサイクス=ピコ協定を、ロシアは以前から主張していた、アナトリア東部のアルメニア人が多いエリアの支配と、そして何よりも、イスタンブルとその周辺のボスフォラス海峡・ダーダネルス両海峡の支配を認めさせることを引き換えに、承認しています。

イタリアも、現在はギリシア領のエーゲ海・地中海沿岸諸島の一部を領有していたのですが、対岸のアナトリア半島の領有をも主張したのですね。「サン・ジャン・ド・モーリアンヌ協定」などとも言われます。この本の索引を見ると、いちおう触れられています。

『サイクス=ピコ協定 百年の呪縛』(新潮選書)

おそらくアフリカについては英・仏による分割、直線の国境線による切り分け、というものが主たる動因で決定的な意味を持ったと理解していいのでしょうが、中東の場合、ロシアの南下政策によるクリミアや黒海沿岸の征服とイスタンブルと両海峡地域への進出、また後にはオーストリアのバルカン半島への進出、またドイツの中東進出があり、それに対する英・仏が中心となった西欧列強の勢力均衡を基調とする「東方問題」の外交が関与したというところが基本構図です。

その基本構図を知っておいてこそ、現在の中東情勢も奥行きを持って見ることができます。

ああ地図っていいですね。

【今日の一枚】(1)中東「一人一国」構想

昨日は新コーナー「いただいた本」の第1回でしたが、今日は「地図で見る中東情勢」のカテゴリーを復活させてみましょう(高坂正堯『世界地図の中で考える』(新潮選書)も再刊されましたし)。

PCで右下にあるカテゴリーから「地図で見る中東情勢」をクリックしてみていただけるとわかると思いますが、以前は結構本格的に、地図をコピーしてきて解説していました。

もっといろいろ解説してみたいテーマはあるのですが、これはかなり時間がかかるので、現状では当分以前のような規模ではできません。

これだけ労力をかけるなら、本にした方がいいのでは、という気もします。

しかし本来は、インターネット上で回ってきた面白い記事の面白い地図を一枚貼って記事にリンクして「こんな地図あるよ」「記事読んだら面白かったよ」と伝えたいだけだったんですね。このブログの開設の発想そのものが。

それがいざ書くとなると、不特定多数に読まれるものだから詳細に解説しないといけない、地図も複数揃えて誤解のないように完備させないといけない、と考えるうちに、本格的なものになってしまいました。

しかし初心に帰って、これからは、特にブログに通知する連絡事項がないときなどに、ほいっと気楽に一枚地図を貼り付けてみようかな、と思います。

解説もほとんどしませんので、自分で調べてみてください。

今日の地図はこれ。

中東一人一国構想Onion
“Everyone In Middle East Given Own Country In 317,000,000-State Solution,” The Onion, July 17, 2014.

私はこれを「中東一人一国構想」と呼んでいます。

これは日本で言うと『虚構新聞』みたいな、元祖冗談新聞のThe Onionに以前に載っていたもので、『サイクス=ピコ協定 百年の呪縛』(新潮選書)
を読まれた方には意味がピンとくるのではないかと思います。

本当はこの地図は、サイクス=ピコ協定とか、最近の中東分割案のいろいろな地図とかと合わせて紹介しようと思っていたのですが、そんなことをやっている時間もないし、サイクス=ピコ協定関連は本にしてしまったし、ということで、「一枚の地図」で紹介。この地図の意味するところを、ご自由に調べていってみてください。

【テレビ出演】NHKBS1「国際報道2016」でサイクス=ピコ協定から百年の節目に

自分が出す本で書いたことでもあるんですが、5月16日で、1916年のサイクス=ピコ協定から100年の節目になるんですね。

この日、5月16日(月)の夜10時から、NHKBS1「国際報道2016」に出演して、サイクス=ピコ協定が現代に持つ意味について解説することになりました。

NHKBS1サイクスピコ協定100年特集

特集の概要(NHKが作ったもの)は次のようになっています。

「サイクス・ピコ協定」締結から100年
第1次大戦によってオスマントルコ帝国が解体したあと、イギリスとフランスがその広大な領域を分割する根拠となった密約「サイクス・ピコ協定」。その締結からこの日、100年の節目を迎える。ヨーロッパ列強による一方的な分割は、いまもイスラム過激派組織などの反発の根柢に横たわっているといわれる。いっこうに理解の溝が埋まらない欧米と中東地域。混乱の淵源となった「サイクス・ピコ協定」から読み解いていく。
出演:池内恵(東京大学准教授)

本は予約ができるようになっていました。5月25日ごろには出回る予定です。一つずつ成果を出していきます。

『【中東大混迷を解く】 サイクス=ピコ協定 百年の呪縛』(新潮選書)

【地図】パリ同時多発テロ事件の発生地点詳細

11月13日夜にパリで起きた同時多発テロについて、情報や有用なリンクを『フォーサイト』の「池内恵の中東通信」でまとめてあります(当面このコーナーは無料です)。

池内恵「パリの同時多発テロの攻撃の波はひとまず収まる」《池内恵の中東通信》『フォーサイト』2015年11月14日12:00

中東通信では文中に盛り込めなかった(リンクでは示してあります)地図を、ここに載せておきましょう。

ニューヨーク・タイムズ紙は早速、グーグル・マップ上にテロが行われた場所を示してしてくれています。

パリ同時多発テロ地図NYT

出典:“The Attacks in Paris: What Happened at Each Location,” The New York Times, November 13, 2015.

記事の中では、ストリート・ビューを駆使して幾つかの現場を特定しています。

パリは旅行で行かれた人も多いでしょう。観光客が歩いていて全くおかしくない中心部の主要な場所が狙われています。

フランスのメディアが出してくれる地図は、より詳細に場所を特定しています。Agence IDEというところが作ってくれたこの地図は、爆破や銃撃の行われた住所(通りの名)と死者数が記されていて、もっとも見やすいものと思います。

パリ同時多発テロ2015年11月13日地図IDE

【日めくり地図】アフガニスタンのターリバーンと「イスラーム国」による攻撃箇所

ターリバーンのクンドゥズ制圧を受けて、10月1日にアフガニスタンの地図を載せておいたのですが、アフガニスタン国軍による奪還作戦を支援した米軍のクンドゥズ空爆が、「国境なき医師団」の病院を誤爆したということで、大きな問題になっています。

今日はもう一枚アフガニスタンの地図を掲げておきましょう。

ターリバーンの攻勢激化
出典:“Afghan conflict: US investigates Kunduz hospital bombing,” BBC, 4 October 2015.

米軍の撤退を受けて、各地でターリバーンが復活し攻勢に出ています。また、ターリバーンの中で、これまで生きているとされていた最高指導者オマル師の裁可を受けて進められていた(ように見せられていた)アフガニスタン政府との和平交渉が不透明になり、分裂の様相を呈しているようです。つまり、ターリバーンをターリバーンも統制できない。そして、ターリバーンの一部、あるいはそれになびいていた勢力が近年に国際的知名度や維新を高めた「イスラーム国」に呼応してそれを名乗って攻勢に出る動きも出ています。

アフガニスタン政府軍はクンドゥズ中心部からはターリバーン勢力を放逐したとみられますが、周辺部に戦闘は拡散しているようです。

1970年代に始まった内戦以来のアフガニスタンの混乱は、収まりそうにありません。

なお、クンドゥズの誤爆は、アフガニスタン情勢にとどまらない意味があります。

アメリカとしては、ロシアのシリア介入で、名目としている「イスラーム国」を狙っていない、一般人を殺傷している、と批判を高めようとしたところにこれですから、即刻オバマ大統領が徹底的な検証を約束する事態になりました。

もちろんロシアとシリア・アサド政権の方は、テンプレートで「殺した相手は全部テロリスト」「誤爆は欧米メディアのでっち上げ」と言い続ければいいので、調査や検証が行われることもありません。「アメリカではホワイトハウスの前でアメリカ大統領の悪口を言えるが、ロシアでは赤の広場でアメリカ大統領の悪口を言える」という冷戦時代のジョークが復活している様子です。

日本の某公共放送局もホームページでうっかり「米ソ」の対立を報じてしまったそうですが、世界的に、冷戦時代を知っている論者たちが昔を思い出して小躍りするような状況が生まれています。

ただ、実際にロシアがかつてのソ連のような超大国としての力があるのかは、エコノミストやフィナンシャル・タイムズといった欧米の有力メディアでは疑問符が付されることが多いです。私はこれを「プーチン栄えて国滅ぶ」テーゼと呼んでいますが、それが一体どういう論拠での議論なのか、どの程度妥当なのか、そのあたりを考えていくことが、ロシアそのものの「台頭」や、その中東への影響について検討していく手がかりとなると思います。私自身もまだ結論は出せていませんが。

ただ、冷戦時代の初期の雰囲気はもしかしてこのようなものだったのかな?などとも思います。

【日めくり地図】ターリバーンが支配領域を拡大

今日の地図。

9月28日、アフガニスタン北部クンドゥズをターリーバンが制圧。アフガニスタン政府軍が奪還作戦を行っている。

アフガニスタン全土の地図を見ると、各地にターリバーンの活動地域が広がっている。

アフガニスタンのターリバーン活動地域

出典:”Taliban Presence in Afghanistan,” The New York Times, September 29, 2015.

【地図で読む】「アサド朝シリア」を支えるロシア軍基地

今日の地図。

アサド領とロシア軍事支援

“Russia’s move into Syria upends U.S. plans,” Washington Post, September 26, 2015.

記事そのものは、意訳・抜粋すると、「ロシアのアサド政権軍事支援の増強で、米国のシリア反体制派支援は完膚なきまでに終了」といった感じの記事です。

最近いろいろ報道されている、ロシアがシリア西部地中海沿岸地区のラタキア付近やタルトゥースに築いている軍事拠点が概観されています。それによって守ろうとするアサド政権の実効支配領域も。

「アサド政権とは戦わない反体制派を募集して訓練する」という米国の政策があまりに意味不明なので、米国の対シリア政策が失敗することは最初からわかっているのだが、問題はロシアが解決策を提示しているのかということ。

ロシアが自ら泥沼に入って犠牲を多大に出すまでに支援しない限り、アサド政権がシリアの全土の掌握を回復できるかというとこれが心もとないので(だから政権支持層まで難民になって出て行っている)、現実に起こりそうなのは、アサド政権が堅固に掌握した首都中心部や宗派コミュニティの故地ラタキアと両者をつなぐ地域を死守し、分裂が固定化すること。「アサド派シリア」というか世襲王朝化しているので「アサド朝シリア」みたいのができて、それを支えるのが域外大国のロシアという構図になるのでしょうか。

暫定クルド自治区とか、反体制派各種がトルコと米国に庇護されて「自由シリア」の離れ小島に立てこもり、イラク・シリア国境エリアにカリフ制「イスラーム国」が居座るという構図。(そこまではこの記事には書かれていません。地図を見ていろいろ考えましょう)

【地図で読む】国境フェンスのグローバル化

グローバル化が進展すると人の動きが活発になるが、同時に人の動きを妨げるフェンスの設置や、国境管理の復活も生じてくるという話、前回からの続き。

国境フェンスや分離壁・壁の設置は、ヨーロッパの各種境界に現れるだけではない。Economistが、世界規模でまとめてくれている。

防御フェンスの地政学

 

出典:“More neighbours make more fences,” The Economist, 15 September 2015.

赤がすでに完成したか建設中のフェンスや分離壁。緑が計画段階。

フェンス等の設置理由は様々で、朝鮮半島の南北のような、冷戦時代から続いている分断国家の緩衝地帯もある。南北キプロスもよく見ると描いてありますね。

グローバル化への対応として出てきたのが、経済移民の制限のための国境管理の一環としての物理的な障壁となる有刺鉄線やフェンス。米国とメキシコの国境が代表的。米国は移民国家だが無尽蔵には受け入れられない。不法移民と取締当局のいたちごっこの中で、フェンスや防護壁が作られては破られる。

そして最近の、難民そしてテロの阻止のための防御壁やフェンス。堀みたいのもある。

これが中東に多くできてきている。Economistの記事はより詳細な地図も提供してくれている。

Economist border_3

今年3月のチュニジアのテロの後には、リビアとの国境への分離壁建設が着手された。エジプトはガザとの間に分離壁を建設中。同様にサウジアラビアもイエメンとの間にフェンスを築いてしまおうとしている。

シリアとイラクはもう壁で囲って外に漏れ出さないようにして放置しようとでも言うのか。

「分離壁」と言えば、最も悪名高いのがイスラエルがヨルダン川西岸やガザを囲んで建設した壁でしたが、あまり問題視されないようになりましたね。世界中で常態化したからか。

一つ一つのフェンス・防御壁の事例を、国名とキーワードで検索してみると面白いですよ。いろいろな形態があり、有刺鉄線から壁まで、土塁や堀みたいなものまであり、古代や中世の築城技術とハイテクを組み合わせたような、近未来的かつミレニアム先祖返り的な世界が、末端では生じてきている。

【地図で読む】グローバル化すると壁が増える逆説

「日めくり古典」は少しお休みしてまた再開するとして、「地図」を、もっと連載化したいところ。

難民問題についてはいくつか取り上げてきたのだが【】【】、その続き。

シリア難民(を偽装するその他の国からの難民・移民も含めて)の殺到に対して、EUの外縁に位置する東欧・中欧諸国がフェンス構築を進める。例えばこの地図。

シリア移民と防護フェンス構築

出典:“Closing the Back Door to Europe,” The New York Times, September 18, 2015.

ブルガリアからギリシアの東の国境では、EU外のトルコとの間にフェンスを設置。そしてハンガリーはルーマニアやセルビアとの間に設置を検討。この記事では一つ一つの事例について詳細な地図と簡単な経緯を記してくれています。

ハンガリーの動きは批判されていますが、ヨーロッパの「防人」の役割を負わされているのに、と不満でありましょう。

EU内に一旦入れば、人間の移動は原則自由なはずだが、問題が生じれば国境管理が最強化される。シェンゲン協定の原則とその運用が今問題の焦点となっている。

シェンゲン協定はEUの理念を現実化する重要な制度だが、協定国はEU加盟国と完全には重なっていないので若干ややこしく、また、一時的に停止あるいは離脱して国境管理を強化する権限も各国にはある。そのあたりも含めてこの地図は解説してくれている。

(1)EU加盟してシェンゲン協定に参加(←これが標準)

(2)EU非加盟だがシェンゲン協定には参加(ノルウェー、スイス、アイスランド)

(3)EU加盟だがシェンゲン協定には不参加(英国、ブルガリア、ルーマニア、クロアチア)

と3種類の組み合わせがあり、それぞれのカテゴリーの境界に、場合によってはEU内にも、「フェンス」あるいはそれに近い国境管理強化地点が出来てくる。

シェンゲン協定とフェンス

出典:“Map: The walls Europe is building to keep people out,” Washington Post, August 28, 2015.

一番有名なものは、シェンゲン協定に参加していない英国とフランスの間。英国の方が仕事が多くすでに移民している親族などもいるので多くの中東・アフリカ系難民・移民が行きたがる。両国はドーバー海峡で隔てられているのでそう簡単に越境できないが、ユーロトンネルのフランス側まで来てそこで滞留し、 あわよくばトンネルを通るトラックにしがみついて英国入りしようとする。フランス側のカレーに一大「移民村」が出現して緊張が高まっている(地図の4です)。

一旦ギリシアなどEU圏内に入った後、難民受け入れ条件や雇用などが良いドイツなどを目指して再び移動して、バルカンの非EU圏を通って、再びEU圏に入ろうとする箇所にもフェンスが出来かけている。それが例えばハンガリーとセルビアの間(地図の5)。

ところでこの地図を見ていると、ウクライナはロシアとの間に新たな「鉄のカーテン」を引こうとしているのか(6)。

フェンスの先駆例はやはり、モロッコのスペイン飛び地のセウタとメリリャなんですね。2005年にはもう出来ている(1)。セウタとメリリャの高いフェンスを乗り越えるアフリカ系移民と警官隊の攻防戦はもはや風物詩と化している。

セウタ・メリリャ防護壁

こういう「突端」には早くに問題が現実化していることがあるので、やはり世界の端っこに行って見てくることは重要だな。

しかしグローバル化すると人の動きが自由になるはずだったのですが、そして確実に自由にはなっているのですが、同時にこのようなフェンスとか壁を各地に設けなければならなくもなるのですね。グローバル化の逆説。

続く。

【地図】地中海の難民・移民の流れ

シリア難民の西欧(特にドイツ)への大量流入が話題になっているが、問題自体は2011年の「アラブの春」で各国の政権が揺れたり内戦が生じたりしてすぐに発生しており、2013年頃から激化していた。

そしてこれはシリアから難民が発生しているというだけの問題ではなく、アフガニスタンやアフリカ諸国からの難民・移民が地中海南岸のアラブ諸国に到達して、そこから西欧への渡航を目指すというより大きな問題の一部です。

昨年から今年の初めまでは、むしろサブサハラ・アフリカ諸国や東アフリカからの移民が、モロッコのスペイン領飛び地のセウタとメリリャに侵入しようとする問題に焦点が当たっていた。しかしこれについてはモロッコと西欧諸国の両方の協力による取り締まり・対策強化で一定の沈静化が見られた。しかしこれはモグラ叩きの一部で、今年に入るとリビア内戦の混乱の隙をついて密航業者がリビアに多く現れ、リビアからマルタやイタリアやギリシアへ移民・難民を「泥舟」的な密航船に乗せる動きへと焦点が移った。これに対しても、イタリアなどは密航船の接収・破壊などで対処したが、リビア側の対処が不十分で効果は限定的だ。

また、ここでドイツや北欧のような内陸諸国と、イタリアやギリシアのような地中海に接していて移民・難民の上陸地点となる諸国との温度差が表面化した。

そこにはユーロ経済の中で「一人勝ち」で経済が好調で、高齢化・少子化による人手不足も抱えているドイツと、経済的な苦境にあり失業率が高いギリシアやスペインやイタリアとの事情の違いも大きい。

今年の2月頃には、リビアからイタリアへ向けて出航して転覆する密航船が相次ぎ、人道危機が明確になった。これに対する対処でEU諸国がもめている間に、今度はシリアから船でギリシアに渡ったり、陸路ブルガリアを突破したりしてドイツ・北欧を目指すシリア難民の波が加わった。

このような地理的な焦点の移動やそれに伴う移民・難民の構成要素の変化について、BBCが地図と図表を駆使して概観してくれている。

“EU migration: Crisis in graphics,” BBC, 7 September 2015.

まず全体像がこれですね。

地中海難民全体像

この記事では次のように分類している。

西地中海(濃い緑):モロッコからスペインへ
中央地中海(赤):リビアやチュニジアからイタリア(シチリア島)へ
東地中海(黄緑):トルコからギリシアへ
西バルカン(紫):ギリシアからマケドニアやセルビアを経由してハンガリーへ
(これ以外にアルバニアからギリシアに入るルートや、東欧を経由してスロバキアに入るルートも示されている)

今話題のドイツへのルートは、東地中海ルートと西バルカン・ルートのこと。

シリア難民トルコ・ギリシア・ルート

ここではブルガリアのルートが書いてありませんが、これも問題化しています

これらのルートを辿る昨年と今年の難民・移民の数がグラフで示されている。

地中海難民の焦点の移行

西地中海ルートでスペイン入りする数は2014・2015年は相対的に小さくなっている。

中東地中海ルートで昨年は大規模に人間が動き、今年もそれが続いている。東地中海と西バルカンルートが、今年になって激増し、年の半ばにしてすでに昨年比で倍増しており、このままのペースだと昨年の4倍にも達しようとしていることがわかる。

それぞれのルートを渡る移民・難民の主要な出身国はそれぞれ次のようになっています。

地中海難民の出身地別

チュニジアやリビアを経由する中央地中海ルートでは多数が、東アフリカのエリトリアや西アフリカのナイジェリア、その他のサブサハラ・アフリカからきている。

それに対して東地中海ルートや西バルカン・ルートではシリアやアフガニスタンから多くがきている。

さらにいくつか地図を見てみよう。

西地中海のルートの一つが、なんとかしてモロッコの沿岸のスペイン飛び地に入って難民申請すること。モロッコのスペイン飛び地という、15世紀末 にさかのぼる特殊事情が関係している。

アフリカ移民モロッコ・ルート
“Ceuta, Melilla profile,” BBC, 16 March 2015.

これを阻止するために二つの町の周囲に巨大なフェンスが設置されるようになっているが、今でもそれを突破しようとする移民が跡を絶たない。

これ以外に、以前はモロッコの西岸から大西洋のスペイン領の島に密航しようとして、これも「泥舟」に乗せられて命を落とす事例が相次いだが、取り締まり強化で減ってきたようだ。

それに対して、東地中海ルートの最大の難関は、トルコまでやってきてそこからギリシア領の島にたどり着くこと。一つはブルガリアで陸路、徒歩やトラックの背や荷台に乗った密航による。

もう一つがトルコのエーゲ海沿岸から、すぐ沖合に位置するギリシア領の島に渡るやり方。

ギリシアの島の人気のないところに上陸し、島で難民申請を行って、その後は安全にフェリーなどでギリシア本土に上陸し、その後は陸路ひたひたとドイツを目指すのです。

トルコのエーゲ海沿岸のすぐ向かいには、ギリシア領のレスボス島、キオス島、サモス島、コス島などが点在する。トルコの主要都市イズミル近辺にはサモス島が、欧米でも人気の保養地ボドルムの向かいにはコス島がある。距離は狭いところでは10−20キロほどしかない。

フェリー会社の地図があったので見てみましょう。

エーゲ海フェリー地図

出典:http://ferries-turkey.com/popup-route/routemap-800-e-europe.html

拡大地図を見てみましょう。

トルコ沿岸のギリシア諸島

こんな感じです。アナトリア半島の本土はトルコ領で、目と鼻の先の島々はギリシア領。普通は陸地のすぐそばも同じ国の領土ですよね。しかしトルコ・ギリシアの国境はちょっと変わっています。

これは、第一次世界大戦中・戦後のオスマン帝国領をめぐる戦乱で、ギリシアが一時アナトリア本土まで占領した後に、トルコ民族主義勢力が本土を奪還した経緯から定まった国境線です。

以前に記したましたが(「トルコの戦勝記念日(共和国の領土の確保)」)、1920年のセーブル条約でギリシアがイズミルを中心としたアナトリアの領土を主張したのに対し、トルコ民族主義勢力が盛り返して1923年にローザンヌ条約で、本土とエーゲ海の島々の間にトルコとギリシアの国境線を引きました。それらの地図については以前のエントリを見ていただきたい。

最近こんな記事も出ていました。
Nick Danforth, “Forget Sykes-Picot. It’s the Treaty of Sèvres That Explains the Modern Middle East,” Foreign Policy, August 10, 2015.

「本当に重要なのはサイクス・ピコ協定じゃなくて、セーブル条約だよ!」というタイトル。一理あります。

この記事の装画には、ギリシアがエーゲ海沿岸を現在のトルコ領まで領土に組み入れようとした1920年のセーブル条約の地図のギリシア・トルコ・シリアの部分があしらってあります。

セーブル条約1920年

セーブル条約からローザンヌ条約の過程で、戦争と難民流出と住民交換で、多くの人命が失われるとともに、住民構成が大きく変わりました。100年後の今再び、この近辺で住民構成の変化を伴う戦乱が生じていることになります。トルコ本体もクルド武装勢力との紛争が激化していますから、変動の波は当分収まりそうにありません。

紛争は環境に優しく、人間に優しくない(「イスラーム国」も然り)

こんな地図もある。

中東の二酸化窒素

“Middle East conflict drastically ‘improves air quality’,” BBC, 21 August, 2015.

大気中の亜酸化窒素の濃度を地図上に記したもの。

イラクやシリアの紛争で、住民は塗炭の苦しみを嘗めているが、環境問題は改善しているという、皮肉な記事。

例えばシリアのダマスカスでは、内戦の開始前と今とで、大気中の二酸化窒素濃度は50%減少したという。最前線となり難民が流出しているアレッポも同様。

イラクでは西北部や西部の「イスラーム国」支配地域で二酸化窒素が減少。

ただし中東全体の大気汚染が減ったわけではない。シリアの難民が滞留しているヨルダンやレバノンでは二酸化窒素が増加している。イラクでも、政権側に立つ南部カルバラーでは大気汚染が進んでいる。

要するに紛争地で経済活動が停滞し、難民が流出したことが、大気中の二酸化窒素濃度の低下に影響を及ぼしている模様だという。

紛争は「環境に優しい」が、もちろん人間に優しくない。「イスラーム国」の非人間的な統治も環境には優しい。

【地図】リビア東部ダルナで「イスラーム国」が別のジハード組織によって掃討される

リビアの東部ダルナ(デルナ)で、7月30日、イスラーム系武装勢力「ムジャーヒディーン・シューラー評議会」が、「イスラーム国」勢力を、町の主要部から放逐したとのニュースが入りました。

“Libya officials: Jihadis driving IS from eastern stronghold,” Associated Press, 30 June 2015.

ダルナは元々宗教保守派が強い町ですが、そこに昨年10月「イスラーム国」に地元で呼応する勢力、あるいはイラク・シリアの「イスラーム国」から帰還した勢力などが勢力を増して、「イスラーム国」の支配を確立したと宣言していました。

これに対して、内戦を繰り広げるリビアの武装勢力の一翼をなすイスラーム系武装勢力の動向が注目されてきました。要するに彼らが「イスラーム国」に相乗りして鞍替えしてしまえば、リビアにも「イスラーム国」の領域支配が広がりかねない、ということです。

実際に呼応する勢力は現れて、例えば中部のスルト(スィルト)では「イスラーム国」が活動を活発化させています。しかし「イスラーム国」に対抗するイスラーム系武装勢力の勢力も強く、昨年12月にはアル=カーイダ系の「リビア・イスラーム闘争集団(The Libyan Islamic Fighting Group: LIFG)にかつて加わっていた人物を中心に、ダルナの「アンサール・シャリーア」なども加わって、「ダルナ・ムジャーヒデイーン・シューラー評議会」が結成され、「イスラーム国」に対峙するようになりました。この集団はダルナで優勢に立ち、今年の6月半ば以降、ダルナから「イスラーム国」勢力を追い出しかけています。今回、さらに「イスラーム国」から勢力範囲を奪還したとのことです。

『ニューヨーク・タイムズ』紙がつくってくれた、リビアでの「イスラーム国」の広がり具合の地図。ダルナでの「イスラーム国」を名乗る勢力の劣勢についても記されています。

リビアのイスラーム国NYT_June31_2015Where ISIS is gaining ground in Libya
“Where ISIS Is Gaining Ground in Libya,” The New York Times, Updated June 30, 2015.

【関連記事】
“Western Officials Alarmed as ISIS Expands Territory in Libya,” The New York Times, May 31, 2015.

しかし、「イスラーム国」が駆逐されても、イスラーム法(シャリーア)の施行を掲げるムジャーヒディーン・シューラー評議会が、同様の支配をしないとも限りません。

ちなみに、上記のAPの記事では、それほど親切ではありませんが、単に「イスラーム国」系と非「イスラーム国」系のイスラーム系武装勢力同士が戦っているだけではない、全体構図の一端を伝えてくれています。

例えばこの部分。

Forces loyal to the internationally recognized government based in Libya’s east have meanwhile surrounded Darna and were moving in on it from the south, seeking to drive out all of the jihadis, military officials said.

ダルナのムジャーヒディーン・シューラー評議会がダルナの中心部で「イスラーム国」系勢力を掃討している間に、もう一つの軍勢がダルナをさらに外から包囲していて、南部から侵攻してムジャーヒディーン・シューラー評議会と「イスラーム国」をもろともに掃討しようとしているのですね。なんでしょうかこれは。

その軍勢は「国際的に承認された政府」の国軍であるという。

「internationally recognized government」というのは、東部のトブルク、あるいはバイダー(ベイダ)を拠点とする、2014年6月の選挙で選出された議会を正統性の根拠とする政権を指します。特にエジプトや、UAEやサウジアラビアなど湾岸産油国に支援され、国連や欧米諸国の政府に支持されています。エジプトに支持されたハフタル将軍を3月には国軍最高司令官に任命し、「リビアの尊厳」を旗印に諸勢力を糾合して失地挽回を図っています。

それに対して、西部にある首都トリポリを押さえた政権は、それ2012年7月の選挙結果を受けて召集された国民総会議(GNC)をまだ有効と主張し、西部を中心に国土の大きな部分を統治しつづけています。

各地のイスラーム系武装勢力の多くは、トリポリのGNCと連合して「リビアの夜明け」を旗印に立てた民兵集団を形作っています。ダルナのムジャーヒディーン・シューラー評議会もこの系統で、「イスラーム国」だけでなく東部トブルク政権の国軍やそれと連合する武装勢力と戦ってきました。

というわけで、東部の支配を固めたいトブルク政権系の軍がダルナを包囲している最中に、ダルナの中では、どちらかといえば西部トリポリ政権に近いイスラーム系武装勢力が「イスラーム国」と戦うという、入れ子状のややこしい状況になっています。

東部の中心都市ベンガジでは、トブルク政権の軍が「イスラーム国」の掃討作戦を行っているようです。

リビアの分裂政府と内戦の展開を、初歩的なところから教えてくれる概要は、例えばEconomistのこの記事。地図もあります。

“Libya’s civil war: That it should come to this,” The Economist, 10 January 2015.

リビア地図Economist_Jan10 2015that is should come to this

シリア北部の「安全地帯」の詳細と米・トルコの同床異夢

トルコが設定を主張しているシリア北部の「安全地帯」について、先日紹介した『ワシントン・ポスト』紙の地図に続いて、今度は『ニューヨーク・タイムズ』紙の地図を拝借してご紹介。

トルコのシリア北部安全地帯NYT27July2015
Turkey and U.S. Plan to Create Syria ‘Safe Zone’ Free of ISIS, The New York Times, July 27, 2015.

東はジャラーブルスから、西はマーレアまで、アブ=バーブやマンビジュといった「イスラーム国」の拠点を含む。「イスラーム国」の機関紙のタイトルにもなって象徴的な意味を持つ「ダービク」の町も含まれる。

この記事では、トルコと米国で、「合意」したとされる「安全地帯」の性質について、双方の認識は異なっており、同床異夢の「外交的解決」であることが描かれている。「安全地帯」が「イスラーム国」の支配からの保護だけでなくアサド政権の空爆も阻止するものなのか、国連安保理などの公式の裁可を求めるのか、シリアのクルド民兵を支援するのかどうか、などで依然として溝がある。

イラク北部のPKK拠点

トルコは7月24日から26日にかけて、シリア北部の「イスラーム国」支配地域と共に、イラク北部に拠点を築いているトルコのクルド反政府組織PKK(クルド労働者党)の拠点を攻撃しました。

空爆の地点について、概略図を、AFPが作っていました。

トルコのイラク北部PKK空爆AFP26July2015
“Forced to strike IS, Turkey gambles on attacking PKK,” AFP, 27 July 2015.

この地図では、24日から26日にかけてのイラク北部のトルコによる空爆地点を記した上で、26日に生じた、PKKによる報復とみられるトルコのディヤルバクル県リジェでのトルコ軍警察に対する自動車爆弾による攻撃の地点、また7月20日以来の紛争の地点(スルチュ、キリス、ジェイランプナル)や、シリア北部からイラク北部にかけてのクルド人の勢力範囲と重要地点(コバネ、テッル・アブヤド、ハサカ、モースル、アルビール、キルクーク、スィンジャール、テッル・アファル)が、過不足なく記されています。

攻撃対象については色々な地名が出てきていますが、一般的・概括的に言うと、「カンディール山地(Mount Qandil; Kandil, Kandeel)」の各地を空爆しています。カンディール山地とはイラク北部のイランとの国境地帯の山地で、ドフーク県とスレイマーニーヤ県にまたがり、イランのザグロス山脈につながっています。ここにPKKが拠点を築いています。この山脈のイラン側ではイランのクルド反政府組織PJAK(the Party for Freedom and Life in Kurdistan)が活動しているとのことです。カンディール山地でのPKKと関連組織の活動については、次のようなレポートが10年近く前にあります。

“Mount Qandil: A Safe Haven for Kurdish Militants – Part 1,” Terrorism Monitor Volume: 4 Issue: 17, September 21, 2006.

“Mount Qandil: A Safe Haven for Kurdish Militants – Part 2,” Terrorism Monitor Volume: 4 Issue: 18, September 21, 2006.

次のものは、2011年1月にニューヨーク・タイムズに掲載されたルポ。この後「アラブの春」でPKKのことは一時期すっかり忘れられていましたが・・・

“With the P.K.K. in Iraq’s Qandil Mountains,” The New York Times, January 5, 2011.

この時点ではトルコがイラクのクルディスターン地域政府(KRG)を取り込んでPKKをじわじわと追い込んでいっている様子が描かれていました。その後2012年から2013年にかけて、PKKをゆくゆくは武装解除させる見通しが立つほどのトルコにとって有利な和平交渉を開始することができたのですが、いまや状況が変わりました。

クルディスターン地域政府は、トルコのPKKがイラクに越境してきて拠点を築くことを、「客人を歓待する」という曖昧な形で黙認してきました。一緒になってトルコと戦うのではなく、PKKを積極的に匿うわけでもない、ただ、遠い親戚の同胞が逃げてきたから一時的に住まわせている、という姿勢です。

クルディスターン地域政府、特にその大統領のマスウード・バルザーニーが指導し自治区の北部を地盤とするクルディスターン民主党はトルコ政府と関係を強化しており、トルコにとってはイラク北部は経済的な影響圏となっています。トルコに接したエリアを拠点とするクルディスターン民主党にとっては、陸の孤島であるクルド自治区を経済的に成り立たせるにはトルコとの良好な関係が不可欠です。イラク中央政府との関係が常に緊張含みであるクルド地域政府は、トルコから兵糧攻めにあったら持ちません。

ですので、クルディスターン地域政府は、PKKに「用が済んだら帰るように」と告げています。

“‘PKK should evacuate Mount Qandil’: KRG official,”ARA News, July 5, 2015.

でも、強制的に追い出すわけではないので、立ち退かないでしょうね。一時的にトルコやシリアに越境して軍事作戦をやるなどして留守にするにしても。

このPKKの拠点をトルコが攻撃したので、イラクのクルディスターン地域政府は、一応遺憾の意を表明しています。

“Kurds condemn Turkish air strikes inside Iraq,” al-Jazeera English, 26 July 2015.

これがトルコの関係を悪くするほどの強い意志表明なのか、クルド民族意識に配慮してトルコに抗議して見せたのか。真実はまだわかりません。

PKKそのものも、これで2013年以来のトルコとの和平交渉を破棄して、全面的に武装闘争に戻るかというと、そうでもないかもしれません。ただし、しばらくの間はテロを行って力を示し、交渉に戻るにしても強い立場で戻ろうとするので、トルコとPKKの紛争がしばらく続きそうです。

これについて米国は、トルコが自衛の権利を行使してイラクのPKK拠点を攻撃しているものとみなして、原則は黙認していますが、和平に戻ることを要請しています。

西欧諸国は、トルコがPKKと戦うことを苦々しく見ているようです。

このあたりは、ガーディアンの記事が手際よくまとめています。

“Turkey’s peace with Kurds splinters as car bomb kills soldiers,” The Guardian, 26 July 2015.

トルコはPKKと時に激しく対立し軍事行動に出ることが、5年に一回ぐらいはありますから、今回の空爆で、完全に和平が壊れたとは言えないでしょうが、「イスラーム国」の出現でクルド勢力の役割が高まっている中でのトルコの対クルド軍事行動は、これまでとは違った意味を持つようになるかもしれません。

特に、イラクのPKK拠点を攻撃している間は、イラク・クルディスターン地域政府は目をつぶり、米国は消極的に支持し、西欧諸国からも窘められながら黙認されるかもしれませんが、「イスラーム国」の打倒という共通目標に逆行すると

その意味では、シリア北部でのトルコの軍事行動が、対「イスラーム国」ではなく明確に対クルドである、特に対「イスラーム国」で現在もっとも力を発揮しているYPGに対するものであるとはっきりした場合、トルコの欧米との関係も危うくなるでしょう。その点で心配なのが、この記事です。

“Turkey denies targeting Kurdish forces in Syria.” al-Jazeera English, 27 July 2015.

トルコの砲撃が、YPG主導で掌握しているコバニ近辺の村に対して行われている、という報道です。

【地図】シリア北部にはトルクメン人もいる

前項の続き・・・

「シリア北部にクルド人が多く住んでいるなら、独立させてやればいいじゃないか」とか「欧米がサイクス・ピコ協定で勝手に国境線を引いたから」云々の、一知半解の「解決策」を語ってはいけません。

シリア北部には、クルド人と同じエリアに、トルクメン人が住んでいます。この地図では、トルクメン人が住む場所を示しています。

シリア北部トルクメン人
出典:dtj-online.de/syrien-turkmenen-befurchten-vertreibung-2771

シリア北部には、トルクメン人以外に、アラブ人も住んでいますし、さらに他の少数民族も住んでいます。クルド勢力が実効支配することによって、今度はその中での「少数民族」問題が発生しかねません。

トルクメン人は、名前からも類推できるように、トルコ人と互いに「同族」意識を持つ民族で、トルコは心情的に、あるいは政治的な方便から、トルクメン人の「保護」をしばしば持ち出します。介入、代理戦争も始まりかねないのです。

このあたりにそう簡単に国境線を引くことはできないので、サイクス・ピコ協定は、相対的には「いい線いってた」方策とも言えるのです。

【地図】トルコはシリア北部の「安全地帯」でクルド勢力分断を図る

「地図で見る中東情勢」のシリーズが長らくお休みしていました。忙しかったからね・・・

久しぶりに一つ。

トルコはシリア北部に「安全保障」地帯を設ける、というのを対「イスラーム国」での介入と協力の条件としてきましたが、7月22日のオバマ・エルドアン電話会談の前後に、米国がトルコに「安全保障」構想に同意を与えたと報じられています。

「安全地帯」の範囲についてはトルコの『ヒュッリイエト』紙などが伝えていましたが、『ワシントン・ポスト』紙が地図にしてくれましたので、ここで拝借してご紹介。

トルコのシリア北部安全地帯ワシントンポスト7月26日

“U.S.-Turkey deal aims to create de facto ‘safe zone’ in northwest Syria,” The Washington Post, July 26, 2015.

黒白点線(というのでしょうか)で囲ってあるあたりに、トルコが米国と協力して「安全地帯」を設けるというのです。

ここから「イスラーム国」を排除するというのが「安全地帯」の表向きの意味ですが、トルコは今のところ、地上部隊は投入しないと表明しています軍が消極的なのではないかと思います。

もっぱら空軍戦力で「安全地帯」を設定するということは、実態はこのエリアに「飛行禁止エリア」を設けるということが主体のオペレーションとなります。「イスラーム国」は空軍を持っていないので、実際には「安全地帯」の設定によって、アサド政権がこのエリアから排除されることになります。アサド大統領の退陣を解決策の必須要件とするトルコにとって、「安全地帯」の設定は、「イスラーム国」対策だけでなく、アサド政権対策という意味があります。

さらに、地図を見ていただくと、「安全地帯」の黒い部分、白点線の枠で囲まれたところの左右を見ますと、緑色に塗られています。ここにシリアのクルド人が多く居住しています。

シリアのクルド人は、東側の、ハサカより北のエリアと、西側の、アアザーズの北西とに分かれて飛び地のようになっています。

なんでこうなっているかというと、クルド人はシリア北部とトルコ南東部の一帯(それ以外にイラク北部・イラン北部などにも)に住んでいまして、本来は連続的な土地に住んでいますが、これがトルコ・シリアの国境線によって分断されたので、主従エリアがシリアでは飛び地になってしまっているのです。

シリアのクルド人は、オスマン帝国の崩壊の際、トルコ共和国が独立戦争で自力で領土を確保して国境線を引いたときに、シリア側に取り残された形です。

ですので、状況が許せばトルコ南東部のクルド人と一体化して独立を要求しかねない、とトルコは警戒しています。

シリア北部クルド人
出典:http://www.geocurrents.info/geopolitics/state-failure/isis-advances-kurds-retreat-northern-syria

クルド人が多数派を占める土地は、この地図では薄紫で塗られています。ハサカ北方のカーミシュリーを中心とした地帯と、コバニ周辺と、アフリーンを中心とした地域です。シリアが内戦でアサド政権の統治が弛緩する中で、これらの三箇所でクルド勢力が実質上の自治を確保しかけています。

別の地図でも。

シリア北部クルド人飛び地地図
出典:http://www.geocurrents.info/geopolitics/state-failure/isis-advances-kurds-retreat-northern-syria

さらに、クルド民兵組織YPGが勢力を強めて、テッル・アブヤドやアイン・イーサーといった「イスラーム国」が占拠していた地域を制圧することで、三つの飛び地のうち、東の二つがすでに繋がりかけているのです。そうなると、クルド人が必ずしも多数でないエリアまで、将来のクルド自治区→独立クルド国家に含まれてしまいかねません。

例えばこの地図。

シリア北部クルド人最大地図
出典:http://www.geocurrents.info/geopolitics/state-failure/isis-advances-kurds-retreat-northern-syria

シリアのクルド人が求めるシリアでの最大版図はこのようなものだそうです。三つの飛び地が結合していますね。これを「Rojava(西クルディスターン)」とクルド人側は呼んでいます。

トルコが設定するシリア北部への「安全地帯」は、このようなシリアでのクルド人の主張する最大の勢力範囲を、分断するような形になっています。

クルド人がいるのはシリアだけではないので、周辺諸国の地図の上にクルド人の居住するエリアを塗った地図を見てみましょう。

シリア・トルコ・イラク・イランのクルド人地図
出典:http://www.geocurrents.info/geopolitics/state-failure/isis-advances-kurds-retreat-northern-syria

一般に「クルド人」と呼ばれる人たちの間にも、細かな系統の違いがあり、一枚岩ではありません。しかし赤っぽい色で塗られているところには、その中でもクルド人意識が強い人たちが住んでいます。シリアを超えてトルコ南東部やイラク北部やイラン北西部、遠く離れたイラン北東部やアゼルバイジャンにも住んでいます。

この中で、シリア北部とトルコ南東部は、地理的にも最も容易に結合してしまいそうです。

そこでトルコは「安全地帯」の設定で、シリア北部でのクルド人の支配地域の間に楔を打ち込み、一体化を阻止しようとしているように見えます。