【日めくり古典】勢力均衡はむしろ戦争をもたらしてきた?

さて、モーゲンソー『国際政治』を読み続けていますが、ずっと上巻だったので、今日は中巻に飛んでみましょう。


『モーゲンソー 国際政治(中)――権力と平和』(岩波文庫)

これまでのテーマの続き。イデオロギーとリアリズムの関係。

リアリズムの政治認識は勢力均衡(バランス・オブ・パワー)を原則としますが、モーゲンソーの『国際政治』で、実は勢力均衡について書いてある部分はそれほど多くないのです。多くの部分は、法や道義、慣習や国際世論を扱っています。これまでに見てきたように、モーゲンソーは、これらの理念・観念が平和をもたらすという主張に懐疑的・批判的なのですが、同時に、権力政治のみによる勢力均衡で平和が達成されるなどとも論じていません。

それどころか、第4部「国家権力の制限ーーバランス・オブ・パワー」(第11−14章)の結論部「第14章 バランス・オブ・パワーの評価」では、非常に否定的なのです。節の見出しを見てもそれはわかります。「バランス・オブ・パワーの不確実性」(中巻、91頁〜)、「バランス・オブ・パワーの非現実性」(同、101頁〜)、「バランス・オブ・パワーの不十分性」(同、116頁〜)とあるように、散々な評価です。勢力の均衡点を算出することは困難であり、各国は均衡点を見誤りかねない。であるが故に、少なくとも出し抜かれないように、力の優位を目指すことになる。勢力均衡を求めて各国は戦争をしかねない(例えば、101・102頁)。

次の部分にあるように、モーゲンソーは勢力均衡はそのままでは平和をもたらさない、と突き放しています。

「バランス・オブ・パワーがその安定化作用によって多くの戦争を避ける助けとなった、という主張は、証明することも反証することも永久に不可能であろう。人はある仮定的立場をその出発点にして歴史の道程をふり返ることはできないのである。しかし、いかに多くの戦争がバランス・オブ・パワーの範囲外で起こったかを明言できるものが誰もいない一方では、近代国際システムの誕生以来戦われた戦争のほとんどすべてがバランス・オブ・パワーのなかで起こっている、ということを知るのはむずかしいことではない。」(許世楷翻訳分担、原彬久監訳、中巻、107頁)

これに続く箇所では戦争のタイプを次のように分類して、いずれも勢力均衡の下で生じているという。

「次に挙げる戦争の三つのタイプが、バランス・オブ・パワーの力学と密接に関連している。すなわち、すでに言及した予防戦争ーーそこでは、通常両方とも帝国主義的目標を追求しているーーや反帝国主義戦争、そして帝国主義戦争そのものである。」

モーゲンソーが『国際政治』を書いた時点で(繰り返すがそれが「いつ」であるのかはこの本の成り立ち上、流動的なので、本当に正確なところはこの問題の専門家に聞いてみないといけないが)、「予防戦争」「反帝国主義戦争」「帝国主義戦争」が具体的にどのような歴史事実を指すのかは、皆様が本を手にとって読んでみてください。

しかしこの直後にもいくつか例が挙げられている。

「バランス・オブ・パワーの状況下において、一個の現状維持国ないし現状維持国同士の同盟と、一個の帝国主義国ないし帝国主義国の集団との間の対抗は非常に戦争を起こしやすい。カール五世からヒトラーおよび裕仁(ルビ:ひろひと)に至るまでの多くの実例において、彼らは実際に戦争を導いた。明らかに平和の追求に貢献し、現在もっているもののみを保持したいと思っている現状維持国は、帝国主義的膨張に専念している国家に特有の、力のダイナミックかつ敏速な増強に肩を並べていくことはほとんどできない。」(同、107−108頁)

最近では、戦後70年談話に盛り込まれて一部で話題になった、「国際秩序への挑戦者」という問題ですね。

長くなってきたので続きはまた明日にしましょう。

【日めくり古典】モーゲンソー『国際政治』から翻訳者に遡ってみた

ここのところずっとこの本からの抜き書きをしているのだが、

今日は一休みして回り道。

この本は、私は学生時代に読んだはずなんだけれども、こんなに読みやすかった印象がない。私の方で何かが変わったのか、世の中が変わってリアリズムがより受け入れやすくなったのか。

2013年に文庫化されて、手軽に安価に手に取れるようになったというのがかなり大きい要因かもしれない。単行本はとにかくでかくて重くて活字も古くていかにも古色蒼然とした本に見えた。ところが文庫になると肩に力を入れずに読める。

あと、原彬久先生の訳文が読みやすい。この本は元々は1986年に福村出版から刊行されたもので、「現代平和研究会」による共訳で、代表者が原先生ということになっている。各章の翻訳担当者は各巻の冒頭に記されているが、私などは名前だけしか知らない上の世代の、いずれも錚々たる学者である。

文庫版では原先生が監訳者となっている。翻訳代表者・監訳者がどれだけ全体の訳文に手を入れて統一させたかは、かなりよく調べてみないとわからないが、全般に読みやすいものになっていると思う。ここまでのところは総論・序論である第一部から引用してきたが、監訳者の原先生の担当部分であった。そういえば、E・H・カーの『危機の二十年』は以前から岩波文庫に入っていたけれども、読みにくかった。この本を2011年の新訳ですごく読みやすくしてくださったのも原彬久先生だった。


『危機の二十年――理想と現実』(岩波文庫)

単に訳文が読みやすくなっただけでなく、カーの新訳が出た頃から、国際政治、特にリアリズムの古典について、それを読むわれわれの側で何かが変わったような気がする。翻訳者も訳しやすくなったということかもしれない。

そんなことを考えながら原先生の著作をアマゾンで見ていたら(個人的に面識はありません。一度何かの会合で同じ大きな部屋にいたことがあるぐらいでしょうか)、なんだかどれも今読むと面白いんじゃないか?というタイトルだ(以前に読んでも面白かったですすみません)。中東とはまったく関係ないんだが、日本の今夏の政治・思想状況を思い起こすと、涼しくなった秋に頭を冷やして読み直したほうがよさそうだ。

まず、最近出た、オーラル・ヒストリーの総まとめ的な本から。


『戦後政治の証言者たち――オーラル・ヒストリーを往く』

で、いったいどういう対象にオーラル・ヒストリー聞き取りを行ってきたかというと、一方で岸信介。


『岸信介証言録』 (中公文庫)

上記はオーラル・ヒストリーの原資料的なもの(もちろんある程度編集してあるが)だけれども、それに基づいた成果はもっと以前に刊行されている。

それがこれ。


『岸信介―権勢の政治家』 (岩波新書)

これが出た時は、このテーマはまったく違う政治的位相の元で読まれていた気がする。

遡っていきましょう。これ。これも昔読んだと思うけど、今読めばまったく違う印象だろう。

『日米関係の構図―安保改定を検証する (NHKブックス)

そして60年安保の結果として固定化された日本政治の構図の中で、岸の対極に位置して存在してきた野党=社会党的なるものも同時に研究対象になっている。

あの「記念受験」かつ「同窓会」的な発想のデモと国会審議を見てしまうと、社会党的なるものは今こそ客観視できるような気がする。そうなるとこれ、今絶対読みたい。締め切り抱えているから今読めませんが。

『戦後史のなかの日本社会党―その理想主義とは何であったのか』(中公新書)

岸信介を岩波新書で、社会党を中公新書で、というクロスオーバーのバランス感覚が絶妙でたまらんですな。こういうところが日本の出版文化の妙だったんですが、硬直党派化・短期商売窮乏化して貧して鈍して失われかけているものでもあります。

こうなるとまったく専門に関係ないから読んでいなかったこの本も、現代日本への興味から読んでみたくなる。取り寄せてみよう。モーゲンソー『国際政治』、カー『危機の20年』の翻訳と60年安保の政治学とのつながりが見えてきますね。
原彬久「戦後日本と国際政治」
原彬久『戦後日本と国際政治―安保改定の政治力学』中央公論社、1988年

学者の仕事って、何十年も経ってから読まれる本を何冊書けるかが勝負なので、そういうテーマに当たるか、その時間と環境があるか、考えれば1分も無駄にはできない。

「息の長い」って言葉も考えてみれば怖い言葉で、すごい時間がたっても無知無理解・暴論が飛び交っていても、とにかく生き延びて、「死んでない、息してる」ってことが重要だということだからね。

私は息も絶え絶えです。

【日めくり古典】イデオロギーで権力闘争を覆い隠すのはむしろ当然

ゆったりと今日もモーゲンソー。なんとなく始めた「日めくり」連載ですが、長くかかりそうです。今忙しいのでまとめて予約自動投稿です。連休中仕事で出かけています。私を探さないでください。私はここにはいません。

フェイスブックなどでも当分通知できないかもしれないので、日本時間朝7時に毎日自動で投稿されますので、読みたい方は読みに来てください。


モーゲンソー『国際政治(上)――権力と平和』(岩波文庫)

引き続きイデオロギーの話。しつこいですか。しつこいぐらいがいいです。

「人間は自己の権力への欲求を正当なものと考える一方で、彼に対する権力を獲得しようとする他者の欲求を不当なものと非難するであろう。」(高柳先男翻訳分担、原彬久監訳、上巻、227頁)

権力政治批判というのは、自分の持つ権力は正しくて、他人が持っている権力は悪い、という批判に過ぎないことが往々にしてあります(*研究者が「往々にしてある」と言うときは「いつもそうだ」ということの婉曲表現であることが往々にしてあります)。

これをモーゲンソーは「価値二面性」とも呼んでいます。ただし、モーゲンソーは、だからイデオロギーは悪い、イデオロギーで権力政治を覆い隠すのはやめろ、権力政治を剥き出しにしろ、などとは主張していないのです。

「このような価値二面性は、権力の問題に接近するすべての国家に特徴的なことであるが、それは国際政治の本質に内在するものでもある。イデオロギーを排除して、権力が欲しいなどと率直に言明する一方で、他国の同じような欲望に反対するような国家は、権力闘争において大きな、おそらくは決定的な不利を被ることをたちまち思い知らされるであろう。権力への欲求をこのように率直に告白してその意図を明言する対外政策は、結局、他の諸国家を団結させて、それに対する激しい抵抗を呼びさますことになるだろうし、その結果、その国はそうしなかったとき以上に力を行使しなければならなくなるであろう。」(同、228頁)

剥き出しの権力闘争は自国民の支持も受けないだけでなく、それに対する他国の警戒と団結を呼び覚まし、いっそう剥き出しの権力行使を必要としてしまう。であるがゆえに、嘘であれ幻想であれ、国家はなんらかの道義や正義や、あるいは時代によっては「生物学的必要」といった観念で自らの政策を正当化することが不可避であり、ある意味で合理的でもある、というのです。

「イデオロギーは、すべての観念がそうであるように、国民の士気を高め、それによって国家の力を高める武器であると同時に、その行為そのものが敵対者の士気を弱める武器である。」(同、229頁)

国際政治は単なる力と力の戦いではなく、不可分に道義や正義といった観念を駆使した戦いなのです。政治の学はそのことを客観視しなければならない、というモーゲンソーの主張は、この道義や正義の観念が、「現状」(それが「いつ」であるのかは、この本が第二次世界大戦直後の1948年に刊行されてから、70年代に入っても著者自らの手で改定され続け、邦訳は1978年の改訂第5版に基づいているので、そう簡単に確定できない問題ではありますが)では、むしろ対立を困難なものにしているという認識から導かれるのです。

まだまだ、続きます。

【日めくり古典】もっと、モーゲンソー『国際政治』ですが。。。

政治とイデオロギーの関係についての続き。よっぽどこれに頭を悩ませているらしい。


モーゲンソー『国際政治(上)――権力と平和』(岩波文庫)

「まず、これらのイデオロギーは、特定個人の偽善の偶然の産物ではないということである。そのようなものなら、対外問題を立派に処理させるために、もっと誠実な別の人にそれを委ねてしまえばすむはずである。フランクリン・D・ルーズヴェルトやチャーチルの対外政策の虚偽性をあばくことに最も口やかましかった反対派の人びとが、ひとたび対外問題を処理する責任を負わされると、こんどは彼ら自身イデオロギーによる偽装を利用して支持者たちを驚かしたものである。政治舞台の行動主体が、自己の行動の直接目標を隠すのにイデオロギーを利用せざるをえなくなるのは、まさしく政治の本質である。」(高柳先男翻訳分担、原彬久監訳、上巻、226頁)

ありますね、これ。他人を口を極めて罵倒する人たちが、自分たち自身がイデオロギーの虜であるという場合。問題をある政治家の人格や思想に還元してしまうことが問題であるだけでなく、そのような批判をする人たち自身が無自覚にもっと難のある人格や思想をむき出しにしていたりする。

これに続く部分が重要です。

「政治行為の直接目標は権力であり、そして政治権力は人の心と行動に及ぼす力である。だが、他者の権力の客体として予定された人びとも、彼ら自身、他者に対する権力の獲得の意図をもっているのである。こうして、政治舞台の行動主体は、つねに、予定された主人であると同時に、予定された従者なのである。彼は他者に対する権力を求めるが、他者も彼に対する権力を求めるのである。」(同頁)

批判のための批判が正しい、とする開き直りの姿勢は、近代国家の市民は、「主人」であり「従者」でもあるということを、忘れているのです。

【日めくり古典】まだまだ、モーゲンソーの見る政治イデオロギー


モーゲンソー『国際政治(上)――権力と平和』(岩波文庫)

「政治の基本的な発現形態、すなわち権力闘争は、しばしばありのままにはあらわれない。このことは、国内政治にせよ国際政治にせよ、あらゆる政治に特有なことである。むしろ、追求されている政策の直接目標としての権力の要素は、倫理的、法的あるいは生物学的な用語で説明されたり正当化されたりするものである。いってみれば、政策の真の性格は、イデオロギー的正当化や合理化によって隠されるのである。」(高柳先男翻訳分担、原彬久監訳、上巻、222頁)

モーゲンソーは法と道義、理想主義の価値を否定するものではない。そもそもリアリズムの祖とされる『国際政治』を紐解いてみると、勢力均衡とか国力の話はほんの少しで、大部分が様々な理念の話である。ただし、人間は理念を掲げて政治を行うが、それが権力政治を覆い隠してしまう。それによって実際の政治は見えにくくなるとともに、理念に覆われた権力政治は人間により大きな災厄をもたらすことがある。人間が理念を掲げ、イデオロギーに覆い隠して権力政治を行う存在であることから、それらを剥ぎ取ったリアリズムの視点が必要とされる。そこにこそ政治についての学の存在意義がある。

【日めくり古典】良い動機が良い政策や良い結果をもたらすとは限らない

承前


モーゲンソー『国際政治(上)――権力と平和』(岩波文庫)

第二に、政治家の意図や動機が立派なものであったとしても、それが道義的な政策をもたらすとは限らないし、成功する政策をもたらすとも限らないからである。

「われわれは、政治家の対外政策が道義的に立派であるとかあるいは政治的に成功するだろうとかいうことを、彼の善良な意図から結論づけることはできない。われわれは、彼の動機から判断して、彼が道義的に悪い政策を故意に追求することはないだろうと論ずることはできても、その政策の成功する可能性については何もいえないのである。もしわれわれが彼の行動の道義的な質と政治的な質を知りたいなら、われわれはその行動をこそ知らなければならないのであって彼の動機を知る必要はない。政治家が世界を改革しようという欲求に動機づけられながら、結局は世界をさらに悪くしてしまうことがいかに多くあったことか。また彼らがある目標を追求して、結局は期待も望みもしなかったものを得てしまうということがどれほど多かったであろうか。」(原彬久訳、上巻、46頁)

これは今現在も通用する真実ではないでしょうか。

モーゲンソーは例としてチェンバレンとチャーチルを比較しています。よく言われることですが、チェンバレンの宥和政策は「個人的権力」の獲得の欲求によって動機づけられていたわけではなく、「平和を維持しようとし、あらゆる当事者の幸福を確かなものにしようとした」が、しかしそれは第二次世界大戦を避けがたいものにしてしまった(46頁)。

それに対して、チャーチルは個人的な利益や国家権力の獲得という動機によって方向づけられていたとみられる。しかし「これら劣勢の動機から生まれたチャーチルの対外政策は、彼の前任者たちが追求した政策よりも確かに道義的、政治的な質において優れていたのである」(47頁)。

また、これもまたよく挙げられる例だが、フランス革命時のロベスピエール。

「ロベスピエールは、その動機から判断すれば、史上最も有徳な人物のひとりであった。しかし、彼が自分自身よりも徳において劣った人びとを殺し、みずから処刑され、彼の指導下にあった革命を滅ぼすに至ったのはほかでもない、まさにあの有徳のユートピア的急進主義のせいであった。」(同頁)

ロベスピエールは数多くの敵対勢力を断頭台に送り、最後は彼自身が断頭台の露と消えました。

「お前は人間じゃない」「叩っ斬ってやる」の元祖と言うべきでしょうか。

【日めくり古典】政治家の動機を探ることは無益

この「日めくり」シリーズでは、必ずしも体系的に、また標準的な教科書として、古典を解説しようとは考えていません。そういうものがお望みの方は他所を当たってみてください。気が向いたら解説書・研究書の紹介もします。

モーゲンソー『国際政治』には、昔の教科書では参照されることも多かった、基本概念をある程度網羅的に列挙して定義づけた部分があります。「政治的リアリズムの六つの原理」(上巻、40頁〜)や「政治権力の区分ーー四つの区分」(上巻、96頁〜)といった部分です。

それらを体系的に紹介するのはこのブログの趣旨ではありませんので、私自身がパラパラめくって、最近の世界情勢とか私の個人的な興味とかに照らして面白いな、と思ったのは、「政治的リアリズムの六つの原理」のその二で取り上げられている、国際政治は力(パワー)によって定義される利益(インタレスト)の概念から見ていくべきだ、という方法論の部分です(43頁〜)。

そこで、「われわれは、政治家は力として定義される利益によって思考し行動する、と仮定する」(原彬久訳、上巻、43頁)と記されています。「仮定する」のです。政治家が常に力として定義される利益によって思考し行動しているかどうかは、わかりません。わかりませんが、政治家が他のものによって思考し行動する、と仮定するよりは、この定義の方がマシだから、このように仮定しているのです。

よく行われるけれども有害無益であるとモーゲンソーが主張するのが、政治家の行動準則を、政治家の「動機」に求める考え方。これは、なぜ政治家がそのような判断をして行動したかの原因・結果を論じるときにも、政治家の行動が道義的に正しい動機に基づいていたか、あるいは正直に「真意」に基づいていたかを判定するときなどに、意識的にであれ、無意識的にであれ、用いられている考え方です。これがなぜ無益なのか。

第一に、そもそも政治家の動機を正確に判定することは困難だからです。

「対外政策の解明の手がかりをもっぱら政治家の動機のなかに求めることは、無益であると同時に人を誤解させる。なぜ無益かといえば、動機は心理学データのうちで最も非現実的であるからである。つまり動機は、しばしば見分けがつかないほどに行動主体と観察者双方の利益および感情によって曲解されるのである。われわれは、自分の動機が何であるかを本当に理解しているだろうか。またわれわれは、他人の動機についていったい何を知っているであろうか。」(同、45頁)

そうですね。他人の動機がよくわからないどころか、考えてみれば自分がやっていることだって、動機が何かと問われたら、わからないことが多いんじゃないですか?

第二に・・・

(以下次号)

【寄稿】シリア難民に対する西欧の倫理的義務とは

8月末から9月初頭にかけて、シリア難民の波が、難民申請受理の条件を緩めたドイツを目指して殺到しているのが国際メディアで伝えられる。

これは私がここのところ難産の論文で理論的に取り組んでいる、中東の過去5年間の急激な変動の、国際社会に及ぼした一つの帰結だが、それによって今後生じる西欧社会そのものの変質や摩擦といった別の問題を引き起こしていくだろう。

根本原因であるシリア内戦の構造については多くが語られてきたが、必ずしも理解が浸透しているとは言えない。シリア問題をイデオロギー的な争点として議論することで、実態がぼやけてしまっている。まさにイデオロギーに立て籠もって「三分の理」を主張して欧米諸国を牽制しつつ、あとは実力行使で乗り切るのが中東の諸政権の基本姿勢だが、そういった中東の独裁政権の手法で問題が解決できなくなったので、ここまで長引いている。アラブ人は独裁政権に従っていればいい、という前提に立つ外部の「解決策」は、当のアラブ人がそういうつもりになっていないのだから実現しない。そして独裁政権に従えと外から強制することは誰にもできない。せめて「偽善」で黙認するだけであるが、黙認されるほどの実効支配をアサド政権が行いえなくなって久しい。

西欧社会が難民に対して、人道主義の理念から、また「良きサマリア人」たるべしという信念から手を差し伸べていることには、深く敬意を表したい。ただし、西欧社会が関与してくることで、シリア内戦に意図せざる効果をもたらしてしまいかねないことにも注意する必要がある。

西欧諸国がシリア難民を積極的に受け入れることで、シリアから、特定の地域や特定の民族や階層の人たちが一層大規模に、まとまって流出することが予想される。そうなると、シリアの人口構成が恒久的に変わる、実質上の「民族浄化」を進めかねない。

もちろん、難民の中にジハード主義者などが意図的に潜入すれば直接的な紛争の発火点となり、対立を帰って激化させかねない。

根本的な解決は、シリア内戦を終わらせ、難民たちが戻って経済生活を営めるようにすることである。これについて、ポール・コリアーの論考が簡潔に指針を示していて参考になる。『フォーサイト』の「中東通信」に急ぎ要点を解説しておいたので、ここに再録する。英語の文章の教材としてもいいのではないかと思う。

 

池内恵「『汝、誘惑することなかれ』−−−−西欧の本当の倫理的義務とは何か(ポール・コリアー)」『フォーサイト』《池内恵の中東通信》2015年9月8日 15:46

シリア難民のドイツへの大量到着で、ある種のカタルシスが西欧には湧いているが、やがて深刻な現実に直面せざるを得ない。

「最底辺の10億人」のポール・コリアーが7月に書いていたことを改めて読んでみる。

Paul Collier, “Beyond The Boat People: Europe’s Moral Duties To Refugees,” Social Europe, 15 July 2015.

Around 10 million Syrians are displaced; of these around 5 million have fled Syria. The 5 million displaced still in Syria should not be forgotten: just because they have not left does not imply that their situation is less difficult: they may simply have fewer options. Genuine solutions should aim to help them too. Of the other 5 million who have fled Syria, around 2 per cent get on boats for Europe. This small group is unlikely to be the most needy: to get a place on a boat you need to be highly mobile, and sufficiently affluent to pay several thousand dollars to a crook. A genuine solution must work for the 98 per cent as well as for the 2 per cent. Most of these people are refugees in neighbouring countries: Jordan, Lebanon and Turkey. Giving these people better lives is the heart of the problem.

「シリアの難民500万のうち、ヨーロッパに向かって海を渡るのは2%だ。残りの98%はシリアの周辺諸国、ヨルダン、レバノン、トルコなどにいる。また、シリア内部の避難民が別に500万人いる。そちらも支援するべきだ。ヨーロッパにたどり着けるのは比較的裕福な層だ」といった基本構図を指摘している。

ヨーロッパにたどり着く人数が500万人の2%にあたる10万人で済むかどうかは今後の政策次第だが(すでにこの数値を突破しているようにも見えるが)、まさにコリアーが提起するような、周辺諸国での支援と、シリア内戦の終結後の帰還・経済再建の支援が行われなければ、そして安易にヨーロッパで受け入れるという印象を与える発信がなされれば、爆発的に増えるかもしれない。コリアーは「汝、誘惑する(tempt)ことなかれ」という旧約聖書のモーゼへの十戒第7を引いて、安易な人道主義による受け入れを戒める。

The boat people are the result of a shameful policy in which the duty of rescue has become detached from an equally compelling moral rule: ‘thou shall not tempt’. Currently, the EU offers Syrians the prospect of heaven (life in Germany), but only if they first pay a crook and risk their lives. Only 2 percent succumb to this temptation, but inevitably in the process thousands drown.

要約すると、「援助の手を差し伸べることは義務だが、同程度に『汝、誘惑することなかれ』という義務にも従わないといけない。2%の比較的裕福な層に、ドイツに行けば天国が待っているかのような印象を与えて誘惑して、ならず者に法外な手数料を払って命を賭して渡航するという誘惑に身を委ねさせ、数千人に命を落とさせてはならない」ということ。

【地図】地中海の難民・移民の流れ

シリア難民の西欧(特にドイツ)への大量流入が話題になっているが、問題自体は2011年の「アラブの春」で各国の政権が揺れたり内戦が生じたりしてすぐに発生しており、2013年頃から激化していた。

そしてこれはシリアから難民が発生しているというだけの問題ではなく、アフガニスタンやアフリカ諸国からの難民・移民が地中海南岸のアラブ諸国に到達して、そこから西欧への渡航を目指すというより大きな問題の一部です。

昨年から今年の初めまでは、むしろサブサハラ・アフリカ諸国や東アフリカからの移民が、モロッコのスペイン領飛び地のセウタとメリリャに侵入しようとする問題に焦点が当たっていた。しかしこれについてはモロッコと西欧諸国の両方の協力による取り締まり・対策強化で一定の沈静化が見られた。しかしこれはモグラ叩きの一部で、今年に入るとリビア内戦の混乱の隙をついて密航業者がリビアに多く現れ、リビアからマルタやイタリアやギリシアへ移民・難民を「泥舟」的な密航船に乗せる動きへと焦点が移った。これに対しても、イタリアなどは密航船の接収・破壊などで対処したが、リビア側の対処が不十分で効果は限定的だ。

また、ここでドイツや北欧のような内陸諸国と、イタリアやギリシアのような地中海に接していて移民・難民の上陸地点となる諸国との温度差が表面化した。

そこにはユーロ経済の中で「一人勝ち」で経済が好調で、高齢化・少子化による人手不足も抱えているドイツと、経済的な苦境にあり失業率が高いギリシアやスペインやイタリアとの事情の違いも大きい。

今年の2月頃には、リビアからイタリアへ向けて出航して転覆する密航船が相次ぎ、人道危機が明確になった。これに対する対処でEU諸国がもめている間に、今度はシリアから船でギリシアに渡ったり、陸路ブルガリアを突破したりしてドイツ・北欧を目指すシリア難民の波が加わった。

このような地理的な焦点の移動やそれに伴う移民・難民の構成要素の変化について、BBCが地図と図表を駆使して概観してくれている。

“EU migration: Crisis in graphics,” BBC, 7 September 2015.

まず全体像がこれですね。

地中海難民全体像

この記事では次のように分類している。

西地中海(濃い緑):モロッコからスペインへ
中央地中海(赤):リビアやチュニジアからイタリア(シチリア島)へ
東地中海(黄緑):トルコからギリシアへ
西バルカン(紫):ギリシアからマケドニアやセルビアを経由してハンガリーへ
(これ以外にアルバニアからギリシアに入るルートや、東欧を経由してスロバキアに入るルートも示されている)

今話題のドイツへのルートは、東地中海ルートと西バルカン・ルートのこと。

シリア難民トルコ・ギリシア・ルート

ここではブルガリアのルートが書いてありませんが、これも問題化しています

これらのルートを辿る昨年と今年の難民・移民の数がグラフで示されている。

地中海難民の焦点の移行

西地中海ルートでスペイン入りする数は2014・2015年は相対的に小さくなっている。

中東地中海ルートで昨年は大規模に人間が動き、今年もそれが続いている。東地中海と西バルカンルートが、今年になって激増し、年の半ばにしてすでに昨年比で倍増しており、このままのペースだと昨年の4倍にも達しようとしていることがわかる。

それぞれのルートを渡る移民・難民の主要な出身国はそれぞれ次のようになっています。

地中海難民の出身地別

チュニジアやリビアを経由する中央地中海ルートでは多数が、東アフリカのエリトリアや西アフリカのナイジェリア、その他のサブサハラ・アフリカからきている。

それに対して東地中海ルートや西バルカン・ルートではシリアやアフガニスタンから多くがきている。

さらにいくつか地図を見てみよう。

西地中海のルートの一つが、なんとかしてモロッコの沿岸のスペイン飛び地に入って難民申請すること。モロッコのスペイン飛び地という、15世紀末 にさかのぼる特殊事情が関係している。

アフリカ移民モロッコ・ルート
“Ceuta, Melilla profile,” BBC, 16 March 2015.

これを阻止するために二つの町の周囲に巨大なフェンスが設置されるようになっているが、今でもそれを突破しようとする移民が跡を絶たない。

これ以外に、以前はモロッコの西岸から大西洋のスペイン領の島に密航しようとして、これも「泥舟」に乗せられて命を落とす事例が相次いだが、取り締まり強化で減ってきたようだ。

それに対して、東地中海ルートの最大の難関は、トルコまでやってきてそこからギリシア領の島にたどり着くこと。一つはブルガリアで陸路、徒歩やトラックの背や荷台に乗った密航による。

もう一つがトルコのエーゲ海沿岸から、すぐ沖合に位置するギリシア領の島に渡るやり方。

ギリシアの島の人気のないところに上陸し、島で難民申請を行って、その後は安全にフェリーなどでギリシア本土に上陸し、その後は陸路ひたひたとドイツを目指すのです。

トルコのエーゲ海沿岸のすぐ向かいには、ギリシア領のレスボス島、キオス島、サモス島、コス島などが点在する。トルコの主要都市イズミル近辺にはサモス島が、欧米でも人気の保養地ボドルムの向かいにはコス島がある。距離は狭いところでは10−20キロほどしかない。

フェリー会社の地図があったので見てみましょう。

エーゲ海フェリー地図

出典:http://ferries-turkey.com/popup-route/routemap-800-e-europe.html

拡大地図を見てみましょう。

トルコ沿岸のギリシア諸島

こんな感じです。アナトリア半島の本土はトルコ領で、目と鼻の先の島々はギリシア領。普通は陸地のすぐそばも同じ国の領土ですよね。しかしトルコ・ギリシアの国境はちょっと変わっています。

これは、第一次世界大戦中・戦後のオスマン帝国領をめぐる戦乱で、ギリシアが一時アナトリア本土まで占領した後に、トルコ民族主義勢力が本土を奪還した経緯から定まった国境線です。

以前に記したましたが(「トルコの戦勝記念日(共和国の領土の確保)」)、1920年のセーブル条約でギリシアがイズミルを中心としたアナトリアの領土を主張したのに対し、トルコ民族主義勢力が盛り返して1923年にローザンヌ条約で、本土とエーゲ海の島々の間にトルコとギリシアの国境線を引きました。それらの地図については以前のエントリを見ていただきたい。

最近こんな記事も出ていました。
Nick Danforth, “Forget Sykes-Picot. It’s the Treaty of Sèvres That Explains the Modern Middle East,” Foreign Policy, August 10, 2015.

「本当に重要なのはサイクス・ピコ協定じゃなくて、セーブル条約だよ!」というタイトル。一理あります。

この記事の装画には、ギリシアがエーゲ海沿岸を現在のトルコ領まで領土に組み入れようとした1920年のセーブル条約の地図のギリシア・トルコ・シリアの部分があしらってあります。

セーブル条約1920年

セーブル条約からローザンヌ条約の過程で、戦争と難民流出と住民交換で、多くの人命が失われるとともに、住民構成が大きく変わりました。100年後の今再び、この近辺で住民構成の変化を伴う戦乱が生じていることになります。トルコ本体もクルド武装勢力との紛争が激化していますから、変動の波は当分収まりそうにありません。

【寄稿】ミュンヘンに到着するシリア難民の足取り

先月の末に、ミュンヘンで、日本の官民の中東関係者が年に一度集まる会議に読んでもらったので、行って話をしてきた。近年は湾岸産油国やトルコのイスタンブールなどで行ってきたのだが、今年はミュンヘンとなった。もちろん安全懸念への配慮からである。

私はここのところ、チュニジアに行くとその後テロが起こり、湾岸産油国に行くとその間に湾岸産油国の隣国でテロが起こるなどの偶然が相次いだので、「私が帰ったら今度はミュンヘンでも何か起こるかもしれませんよ」などと冗談を言っていたら、事件どころか中東問題そのものがミュンヘンに押し寄せてきてしまった。ハンガリーでの足止めを突破して、オーストリアを経由してハンブルグ中央駅に到着する

欧米にいっても、中東の人間が立ち回る場所やルートを自然に辿ってしまうのが中東関係者の宿命なのだろうか。シリア難民が経由するウィーン西駅などは、トランジットの際の定宿にしていた安ホテルがあるなど、馴染みがある。移民が行き来するところに私も足が向かってしまう。

そんなことをつらつらと、『フォーサイト』の「中東の部屋」に書いてみた。

池内恵「ミュンヘン中央駅に到達するシリア難民」『フォーサイト』《中東の部屋》2015年9月8日

紛争は環境に優しく、人間に優しくない(「イスラーム国」も然り)

こんな地図もある。

中東の二酸化窒素

“Middle East conflict drastically ‘improves air quality’,” BBC, 21 August, 2015.

大気中の亜酸化窒素の濃度を地図上に記したもの。

イラクやシリアの紛争で、住民は塗炭の苦しみを嘗めているが、環境問題は改善しているという、皮肉な記事。

例えばシリアのダマスカスでは、内戦の開始前と今とで、大気中の二酸化窒素濃度は50%減少したという。最前線となり難民が流出しているアレッポも同様。

イラクでは西北部や西部の「イスラーム国」支配地域で二酸化窒素が減少。

ただし中東全体の大気汚染が減ったわけではない。シリアの難民が滞留しているヨルダンやレバノンでは二酸化窒素が増加している。イラクでも、政権側に立つ南部カルバラーでは大気汚染が進んでいる。

要するに紛争地で経済活動が停滞し、難民が流出したことが、大気中の二酸化窒素濃度の低下に影響を及ぼしている模様だという。

紛争は「環境に優しい」が、もちろん人間に優しくない。「イスラーム国」の非人間的な統治も環境には優しい。

現在の歴史認識問題について

現在の東アジアの国際政治の最大の課題は、すでに活力を失った日本をどう縛るかではなく、活力がありすぎる中国をどう縛るか(「縛る」という表現がよくなければ、「猫の首に鈴をつける」)というものである。この基礎の基礎が、日本の議論ではしばしば忘れられていないだろうか。

かつて「日本を縛る」ことが東アジアの平和になにがしか役立っていた時代があった。といってもその間に東アジアに地域紛争は起きていたが。その時代を生きてきて、「どう日本を縛るか」を考えて発言して、それによって自我を形作り人生を築いてきた人たちが、現在高齢化し、新たな世界状況を見る意欲や能力を失っている。歳をとれば無理もないことである。かつて高齢者が希少だった頃は、むやみに新しいことを知っている必要はなかった。昔の知恵を伝えてくれるだけでよかった。

「自分たちが信じてきたもの、当然と思っていたもの、支えにしてきたものが、大きく変わってしまった」ということを認め難いのも、人の情である。できればそんなことには気づかずにそっと長生きしてもらいたい。ただ、そうばかり言ってはいられないこともある。

そんな時、遠くからわれわれを見ている同時代人の文章を読んでみるといい。

「8月15日」を日付とする英エコノミスト誌最新号の特集では「歴史問題」を扱い、東アジアの国際政治の勘所を簡潔に、象徴的に描き出している。カバーストーリーは、もちろん日本の歴史認識問題ではなく、中国の歴史認識問題を、現在の課題として取り上げる。表紙の惹句も単刀直入で「習近平の教訓:いかに中国が未来をコントロールするために歴史を書き換えているか」というものだ。

表紙はこのようになっている。

Xi's history lessons Economist 15 Aug 2015

この記事では、中国が9月3日に行う予定の対日戦勝記念日の軍事パレードに込められた中国の歴史認識を不安視している。“Xi’s history lessons: The Communist Party is plundering history to justify its present-day ambitions”(習近平の歴史の教訓:共産党は現在の野望を正当化するために歴史を強奪している)と題された記事の最も重要な部分を2か所訳出しよう。

【引用1】
This is the first time that China is commemorating the war with a military show, rather than with solemn ceremony. The symbolism will not be lost on its neighbours. And it will unsettle them, for in East Asia today the rising, disruptive, undemocratic power is no longer a string of islands presided over by a god-emperor. It is the world’s most populous nation, led by a man whose vision for the future (a richer country with a stronger military arm) sounds a bit like one of Japan’s early imperial slogans.
「中国が戦争を、厳かな式典ではなく軍事ショーで祝おうというのは初めてのことである。これが象徴するものを、近隣諸国は見逃さないだろうし、不穏に感じるだろう。なぜならば、東アジアで現在、勃興していて、破壊的で、非民主的な勢力は、もはや神である天皇の知らしめす列島ではないからだ。それは世界最大の人口を擁する民族で、それを率いる人物の未来へのヴィジョンは、より強盛な軍事力を持つより富裕な国、というものであり、日本のかつての帝国時代のスローガンによく似ている。」

日本が戦前に戻ってしまうことを本気で心配している人は、日本の外では少ない。それよりも、中国が日本の戦前に似てきていることを、多くの人が心配している。

結びに近く、エコノミスト誌は中国に反語的に問いかけ、忠告とする。

【引用2】
How much better it would be if China sought regional leadership not on the basis of the past, but on how constructive its behaviour is today.
「もし中国が、地域の指導性を過去に基づいて求めるのではなく、今日いかに建設的に振る舞えるかに依拠してくれれば、どんなにか良いだろう。」

理性の言葉とはこのように平明で簡潔なものだ。

【地図】リビア東部ダルナで「イスラーム国」が別のジハード組織によって掃討される

リビアの東部ダルナ(デルナ)で、7月30日、イスラーム系武装勢力「ムジャーヒディーン・シューラー評議会」が、「イスラーム国」勢力を、町の主要部から放逐したとのニュースが入りました。

“Libya officials: Jihadis driving IS from eastern stronghold,” Associated Press, 30 June 2015.

ダルナは元々宗教保守派が強い町ですが、そこに昨年10月「イスラーム国」に地元で呼応する勢力、あるいはイラク・シリアの「イスラーム国」から帰還した勢力などが勢力を増して、「イスラーム国」の支配を確立したと宣言していました。

これに対して、内戦を繰り広げるリビアの武装勢力の一翼をなすイスラーム系武装勢力の動向が注目されてきました。要するに彼らが「イスラーム国」に相乗りして鞍替えしてしまえば、リビアにも「イスラーム国」の領域支配が広がりかねない、ということです。

実際に呼応する勢力は現れて、例えば中部のスルト(スィルト)では「イスラーム国」が活動を活発化させています。しかし「イスラーム国」に対抗するイスラーム系武装勢力の勢力も強く、昨年12月にはアル=カーイダ系の「リビア・イスラーム闘争集団(The Libyan Islamic Fighting Group: LIFG)にかつて加わっていた人物を中心に、ダルナの「アンサール・シャリーア」なども加わって、「ダルナ・ムジャーヒデイーン・シューラー評議会」が結成され、「イスラーム国」に対峙するようになりました。この集団はダルナで優勢に立ち、今年の6月半ば以降、ダルナから「イスラーム国」勢力を追い出しかけています。今回、さらに「イスラーム国」から勢力範囲を奪還したとのことです。

『ニューヨーク・タイムズ』紙がつくってくれた、リビアでの「イスラーム国」の広がり具合の地図。ダルナでの「イスラーム国」を名乗る勢力の劣勢についても記されています。

リビアのイスラーム国NYT_June31_2015Where ISIS is gaining ground in Libya
“Where ISIS Is Gaining Ground in Libya,” The New York Times, Updated June 30, 2015.

【関連記事】
“Western Officials Alarmed as ISIS Expands Territory in Libya,” The New York Times, May 31, 2015.

しかし、「イスラーム国」が駆逐されても、イスラーム法(シャリーア)の施行を掲げるムジャーヒディーン・シューラー評議会が、同様の支配をしないとも限りません。

ちなみに、上記のAPの記事では、それほど親切ではありませんが、単に「イスラーム国」系と非「イスラーム国」系のイスラーム系武装勢力同士が戦っているだけではない、全体構図の一端を伝えてくれています。

例えばこの部分。

Forces loyal to the internationally recognized government based in Libya’s east have meanwhile surrounded Darna and were moving in on it from the south, seeking to drive out all of the jihadis, military officials said.

ダルナのムジャーヒディーン・シューラー評議会がダルナの中心部で「イスラーム国」系勢力を掃討している間に、もう一つの軍勢がダルナをさらに外から包囲していて、南部から侵攻してムジャーヒディーン・シューラー評議会と「イスラーム国」をもろともに掃討しようとしているのですね。なんでしょうかこれは。

その軍勢は「国際的に承認された政府」の国軍であるという。

「internationally recognized government」というのは、東部のトブルク、あるいはバイダー(ベイダ)を拠点とする、2014年6月の選挙で選出された議会を正統性の根拠とする政権を指します。特にエジプトや、UAEやサウジアラビアなど湾岸産油国に支援され、国連や欧米諸国の政府に支持されています。エジプトに支持されたハフタル将軍を3月には国軍最高司令官に任命し、「リビアの尊厳」を旗印に諸勢力を糾合して失地挽回を図っています。

それに対して、西部にある首都トリポリを押さえた政権は、それ2012年7月の選挙結果を受けて召集された国民総会議(GNC)をまだ有効と主張し、西部を中心に国土の大きな部分を統治しつづけています。

各地のイスラーム系武装勢力の多くは、トリポリのGNCと連合して「リビアの夜明け」を旗印に立てた民兵集団を形作っています。ダルナのムジャーヒディーン・シューラー評議会もこの系統で、「イスラーム国」だけでなく東部トブルク政権の国軍やそれと連合する武装勢力と戦ってきました。

というわけで、東部の支配を固めたいトブルク政権系の軍がダルナを包囲している最中に、ダルナの中では、どちらかといえば西部トリポリ政権に近いイスラーム系武装勢力が「イスラーム国」と戦うという、入れ子状のややこしい状況になっています。

東部の中心都市ベンガジでは、トブルク政権の軍が「イスラーム国」の掃討作戦を行っているようです。

リビアの分裂政府と内戦の展開を、初歩的なところから教えてくれる概要は、例えばEconomistのこの記事。地図もあります。

“Libya’s civil war: That it should come to this,” The Economist, 10 January 2015.

リビア地図Economist_Jan10 2015that is should come to this

【寄稿】中東の4つの内戦と波及を概観

中東協力センターニュース7月号表紙

『中東協力センターニュース』7月号(2015年7月21日発行)に分析レポートを寄稿しました。連載「中東 混沌の中の秩序」の第2回です。

池内恵「4つの内戦の構図と波及の方向」《中東 混沌の中の秩序》第2回、『中東協力センターニュース』7月号(2015年7月21日)、12−19頁

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新連載の2回目の今回は、イラク、シリア、リビア、イエメンの内戦の2015年前半の進展、特に過去3ヶ月の動きをまとめました。今年から、4半期に一度の連載といたしました。以前は「ほぼ4ヶ月に1回」というペースでしたので、もう少し定期的にしました。しかしそうすると必ず決まった時に書かないといけないので、仕事が重なっていたり、動きが激しくてまとめる作業が膨大になると、少し大変です。でも「四半期」というペースで書くのは初めてなので、当分続けていこうかと思います。

私の最終段階の校正見落としで、ちょっと誤字脱字があったので、7月29日に修正していただきました。内容面では変わっていません。

ちなみに、7月号にはトルコ大使館勤務(経産省から)の比良井慎司さんによる6月7日のトルコ総選挙の分析「トルコ総選挙とその後の動向」が掲載されており、これを読むと、トルコによる対クルドPKK空爆が、内政上は6月の選挙で躍進して与党AKPの単独過半数を阻止したクルド系政党HDPに対する圧力となりうることが理解できます。

エルドアン大統領が各野党との連立交渉を不調に終わらせ、再選挙でHDPの議会議席を奪って単独過半数の奪還を目指している、という世評は高まる一方ですが、実際にそうなるかどうか、見ていく際の指針になります。

シリア北部の「安全地帯」の詳細と米・トルコの同床異夢

トルコが設定を主張しているシリア北部の「安全地帯」について、先日紹介した『ワシントン・ポスト』紙の地図に続いて、今度は『ニューヨーク・タイムズ』紙の地図を拝借してご紹介。

トルコのシリア北部安全地帯NYT27July2015
Turkey and U.S. Plan to Create Syria ‘Safe Zone’ Free of ISIS, The New York Times, July 27, 2015.

東はジャラーブルスから、西はマーレアまで、アブ=バーブやマンビジュといった「イスラーム国」の拠点を含む。「イスラーム国」の機関紙のタイトルにもなって象徴的な意味を持つ「ダービク」の町も含まれる。

この記事では、トルコと米国で、「合意」したとされる「安全地帯」の性質について、双方の認識は異なっており、同床異夢の「外交的解決」であることが描かれている。「安全地帯」が「イスラーム国」の支配からの保護だけでなくアサド政権の空爆も阻止するものなのか、国連安保理などの公式の裁可を求めるのか、シリアのクルド民兵を支援するのかどうか、などで依然として溝がある。

イラク北部のPKK拠点

トルコは7月24日から26日にかけて、シリア北部の「イスラーム国」支配地域と共に、イラク北部に拠点を築いているトルコのクルド反政府組織PKK(クルド労働者党)の拠点を攻撃しました。

空爆の地点について、概略図を、AFPが作っていました。

トルコのイラク北部PKK空爆AFP26July2015
“Forced to strike IS, Turkey gambles on attacking PKK,” AFP, 27 July 2015.

この地図では、24日から26日にかけてのイラク北部のトルコによる空爆地点を記した上で、26日に生じた、PKKによる報復とみられるトルコのディヤルバクル県リジェでのトルコ軍警察に対する自動車爆弾による攻撃の地点、また7月20日以来の紛争の地点(スルチュ、キリス、ジェイランプナル)や、シリア北部からイラク北部にかけてのクルド人の勢力範囲と重要地点(コバネ、テッル・アブヤド、ハサカ、モースル、アルビール、キルクーク、スィンジャール、テッル・アファル)が、過不足なく記されています。

攻撃対象については色々な地名が出てきていますが、一般的・概括的に言うと、「カンディール山地(Mount Qandil; Kandil, Kandeel)」の各地を空爆しています。カンディール山地とはイラク北部のイランとの国境地帯の山地で、ドフーク県とスレイマーニーヤ県にまたがり、イランのザグロス山脈につながっています。ここにPKKが拠点を築いています。この山脈のイラン側ではイランのクルド反政府組織PJAK(the Party for Freedom and Life in Kurdistan)が活動しているとのことです。カンディール山地でのPKKと関連組織の活動については、次のようなレポートが10年近く前にあります。

“Mount Qandil: A Safe Haven for Kurdish Militants – Part 1,” Terrorism Monitor Volume: 4 Issue: 17, September 21, 2006.

“Mount Qandil: A Safe Haven for Kurdish Militants – Part 2,” Terrorism Monitor Volume: 4 Issue: 18, September 21, 2006.

次のものは、2011年1月にニューヨーク・タイムズに掲載されたルポ。この後「アラブの春」でPKKのことは一時期すっかり忘れられていましたが・・・

“With the P.K.K. in Iraq’s Qandil Mountains,” The New York Times, January 5, 2011.

この時点ではトルコがイラクのクルディスターン地域政府(KRG)を取り込んでPKKをじわじわと追い込んでいっている様子が描かれていました。その後2012年から2013年にかけて、PKKをゆくゆくは武装解除させる見通しが立つほどのトルコにとって有利な和平交渉を開始することができたのですが、いまや状況が変わりました。

クルディスターン地域政府は、トルコのPKKがイラクに越境してきて拠点を築くことを、「客人を歓待する」という曖昧な形で黙認してきました。一緒になってトルコと戦うのではなく、PKKを積極的に匿うわけでもない、ただ、遠い親戚の同胞が逃げてきたから一時的に住まわせている、という姿勢です。

クルディスターン地域政府、特にその大統領のマスウード・バルザーニーが指導し自治区の北部を地盤とするクルディスターン民主党はトルコ政府と関係を強化しており、トルコにとってはイラク北部は経済的な影響圏となっています。トルコに接したエリアを拠点とするクルディスターン民主党にとっては、陸の孤島であるクルド自治区を経済的に成り立たせるにはトルコとの良好な関係が不可欠です。イラク中央政府との関係が常に緊張含みであるクルド地域政府は、トルコから兵糧攻めにあったら持ちません。

ですので、クルディスターン地域政府は、PKKに「用が済んだら帰るように」と告げています。

“‘PKK should evacuate Mount Qandil’: KRG official,”ARA News, July 5, 2015.

でも、強制的に追い出すわけではないので、立ち退かないでしょうね。一時的にトルコやシリアに越境して軍事作戦をやるなどして留守にするにしても。

このPKKの拠点をトルコが攻撃したので、イラクのクルディスターン地域政府は、一応遺憾の意を表明しています。

“Kurds condemn Turkish air strikes inside Iraq,” al-Jazeera English, 26 July 2015.

これがトルコの関係を悪くするほどの強い意志表明なのか、クルド民族意識に配慮してトルコに抗議して見せたのか。真実はまだわかりません。

PKKそのものも、これで2013年以来のトルコとの和平交渉を破棄して、全面的に武装闘争に戻るかというと、そうでもないかもしれません。ただし、しばらくの間はテロを行って力を示し、交渉に戻るにしても強い立場で戻ろうとするので、トルコとPKKの紛争がしばらく続きそうです。

これについて米国は、トルコが自衛の権利を行使してイラクのPKK拠点を攻撃しているものとみなして、原則は黙認していますが、和平に戻ることを要請しています。

西欧諸国は、トルコがPKKと戦うことを苦々しく見ているようです。

このあたりは、ガーディアンの記事が手際よくまとめています。

“Turkey’s peace with Kurds splinters as car bomb kills soldiers,” The Guardian, 26 July 2015.

トルコはPKKと時に激しく対立し軍事行動に出ることが、5年に一回ぐらいはありますから、今回の空爆で、完全に和平が壊れたとは言えないでしょうが、「イスラーム国」の出現でクルド勢力の役割が高まっている中でのトルコの対クルド軍事行動は、これまでとは違った意味を持つようになるかもしれません。

特に、イラクのPKK拠点を攻撃している間は、イラク・クルディスターン地域政府は目をつぶり、米国は消極的に支持し、西欧諸国からも窘められながら黙認されるかもしれませんが、「イスラーム国」の打倒という共通目標に逆行すると

その意味では、シリア北部でのトルコの軍事行動が、対「イスラーム国」ではなく明確に対クルドである、特に対「イスラーム国」で現在もっとも力を発揮しているYPGに対するものであるとはっきりした場合、トルコの欧米との関係も危うくなるでしょう。その点で心配なのが、この記事です。

“Turkey denies targeting Kurdish forces in Syria.” al-Jazeera English, 27 July 2015.

トルコの砲撃が、YPG主導で掌握しているコバニ近辺の村に対して行われている、という報道です。