【今日の一枚】(30)中東の国境線を引き直すなら(4)2007年末のゴールドバーグの記事

ロビン・ライトの中東再分割地図の記事がニューヨーク・タイムズ紙に出て議論の軸になると(この人は英語圏で中東に関していつもそのような役割を負うようですが)、例のArmed Forces Journalはじめ、「うちがこの件では元祖だよ」と言い出すようになったのですが、その中で話題なったのは、オバマ大統領とも近く、中東やイスラエルに強いジャーナリストのジェフリー・ゴールドバーグが2014年6月に出した論稿。「イスラーム国」がイラクのモースルを陥落させ、「中東の地図を塗り替える」と息巻いたところで、「うちは2007年にはこのことを予期していました」と「ドヤ顔」です。まあこういうのも「だからアメリカの陰謀だ」という話のネタになってしまうのですが。

中東分割案アトランティック2007
出典:Jeffrey Goldberg, “The New Map of the Middle East:  Why should we fight the inevitable break-up of Iraq?,” The Atlantic,  June 19, 2014.

この地図はアトランティック誌の2008年1・2月号に最初に載ったものでした。

Jeffrey Goldberg, “After Iraq: A report from the new Middle East—and a glimpse of its possible future,” The Atlantic, January/February 2008.

 

【今日の一枚】(29)中東の国境線を引き直すなら(3)米退役軍人作家の奇想

中東再分割の地図としてもっとも有名で、物議を醸したものが、これ。2006年に、米国の退役軍人の作家が、米軍人さん向けの雑誌Armed Forces Journalに載せたもの。民族や宗派に合致するように国境線を引いたら、こうなるよ、と大胆に引き直してみせた。

中東分割案2006Armed Forces Journal出典: Ralph Peters, “Blood borders,” Armed Forces Journal, June 1, 2006.

これは別に米国の政策でもなんでもなくて、ただ仮説として面白半分に書いただけなようだが、軍人さん向けの雑誌に載ったために、「米国の陰謀!」として中東及び世界の陰謀論で使いまわされる結果となった。

ウェブ版の記事には地図が載っていないのだが、話題になりすぎたから隠したというわけでもなく、単に紙媒体からウェブにデータを移行するときに載らなかったみたい。

2013年9月にロビン・ライトがNYTで中東再分割地図を、ネタとはいえ多少本気な感じで提案して話題になった時に、AFJの編集部も、「弊誌ではずっと先にやっていました」と、改めてウェブサイトに地図を載せている。悪びれた様子はない。「米政府の見解とは無関係、言論の自由です」ということなのだろうが、米国がやることはいちいち注目されるので、もう少し配慮がないものか。「イスラーム国は中東分割をたくらむ米国の陰謀」といった議論をする論者には、軍人さん向けの一般誌のお楽しみの記事でも「動かぬ証拠」になってしまいます。

“Peters’ “Blood borders” map,” Armed Forces Journal, October 2, 2013.

【今日の一枚】(28)中東の国境を引き直すなら(2)キング・クレーン報告書

中東を再分割するなら?という思考実験で用いられる地図のその2。1919年のキング・クレーン委員会の報告書で行われた提案。2013年にアトランティック誌が引っ張り出して来て、ちょっと話題になりました。

キングクレーン委員会

出典:“The Middle East That Might Have Been: Nearly a century ago, two Americans led a quixotic mission to get the region’s borders right,” The Atlantic, February 13, 2015.

1916年のサイクス=ピコ協定での植民地分割密約に固執する英仏に対して、民族自決を掲げたキング・クレーン委員会はキングとクレーンの二名を団長とするアメリカ人主体の調査団を送り込みました。

『サイクス=ピコ協定 百年の呪縛』(新潮選書)でも書いたように、実際には1920年のセーブル条約でいったん極端に分割されたオスマン帝国領土を、1923年までに新生トルコ共和国が一定程度奪い返して決着します。

しかし、より現地の民族・宗教・宗派を考慮して線引きすればこうなったかもしれない、というのがキング・クレーン報告書です。

その後人口構成が変わっているので、アルメニアのところなどは現在は全く現実味がありませんが。イスタンブルの国際管理など、現代には考えられないことですが。

【今日の一枚】(27)中東の国境を引き直すなら(1)ロビン・ライトが書いたもの

シリアの分割を考えるときに参照される歴史地図を先日示しましたが、中東全体に国境線を引き直すなら、という思考実験は多く行われています。いくつか紹介しましょう。

一つはこれ。

中東分割地図1(NYT)
出典:Robin Wright, “Imagining a Remapped Middle East,” The New York Times, September 28, 2013.

この地図に付された記事はこれ。筆者は中東ジャーナリストのロビン・ライト。ワシントンの政治家にも近い有力・有名な人なので、アドバルーンか?と噂されたものです。

Robin Wright, “How 5 Countries Could Become 14: Slowly, the map of the Middle East could be redrawn,” The New York Times, September 28, 2013.

【今日の一枚】(26)シリア内戦の地図と言えばInstitute of the Study of War

地図をいろいろ紹介していますが、これらはみな、英語圏の有力メディアやシンクタンクが上手にcartographyを駆使して作ってくれたものを借用しています(出典とURLは明記してあります)。

New York TimesとかEconomistとか、そういった地図を作るのが上手な人を囲い込んで投資しているから上手なのですが、地図を作る人自体は中東については専門ではないので、中東の情報はシンクタンクなどから仕入れてきています。最も多く参照されるのがInstitute of the Study of Warです。

Institute of the Study of Warのウェブサイトを見ると、逐一レポートが公開されていて、その目玉は戦況を描いた地図です。最近のものだと、
“RUSSIAN AIRSTRIKES IN SYRIA: JULY 28 – AUGUST 29 2016,” Aug 30, 2016.
でしょうか。このような地図が掲載されています(地図PDFへのダイレクトリンク)。

シリア内戦地図2016年8月ISW

トルコの支援で国境地帯に辛うじてへばりついている反体制派が黄色いエリアで塗られていたり、ロシアの空爆が、アラド政権が奪還を目指すアレッポに集中的に行われていたり、といったことが分かります。

【今日の一枚】(22)英エコノミストのDaily Chartはやはり秀逸

昨日、英Economistのシリア内戦勢力図が、4月段階のものと8月段階のものを比べてみると、やはり簡にして要を得た、優れたものであることを見てきました。

日々の記事に添えられた地図やグラフがすばらしいのですが、こういったグラフィックを集めたDaily Chartというカテゴリのコーナーはお勧めですね。

拙著『サイクス=ピコ協定 百年の呪縛』は今年5月の100周年に合わせて出し、地図を多く作成して添えておきましたが、Economistも記念日に合わせてDaily Chartに地図を配信していました。

英エコノミストDaily Chart_May_16_2016
“Daily chart: Sykes-Picot 100 years on,” The Economist, 16 May 2016.

英仏だけでなく、より中東に密着したロシアが、この協定に加わっていたことを描いていますね。帝政ロシアはトルコ南東部の、当時アルメニア人やクルド人が多く住んでいた地域に、南コーカサスの勢力範囲を延伸して介入してきた。そして、イスタンブル周辺の戦略的要衝のボスフォラス・ダーダネルス海峡の支配圏も、英仏に対して認めさせた。結局帝政ロシアが翌年の革命で崩壊したので夢と終わったのですが。そうでなければ世界地図は大きく変わっていたでしょう。

サイクス=ピコ協定は、それが何かの原因というよりは、露土戦争と東方問題の「結果」であるという認識があると、現代の中東情勢を見る際にも、現地の地政学的環境を踏まえた視点が定まります。

【寄稿】『中央公論』9月号に宇野重規さんとの対談が

宇野重規範さんとの対談が『中央公論』9月号に掲載されました。

宇野重規・池内恵「宗教と普遍主義の衝突」『中央公論』2016年9月号(8月10日発売)


『中央公論』2016年9月号

テロや難民問題、そしてSNSの時代の民主主義そのものが、欧州に発し世界に広げてきた普遍主義の理念の限界をあらわにしていく、という課題について対談の席を設けていただきました。

お相手は最近『保守主義』(中公新書)が売れている宇野さん。

私自身は、自由主義や人権といった観念の普遍性そのものが捨て去られたり乗り越えられたりしているわけではないが、その適用の限界が見えてきている、そしてグローバル化の中でイスラーム教という別種の根拠を持った普遍主義との間で摩擦が生じている、という点を、日々の事件や事象の中に常に見出していますので、それについて理論的に考えられて、勉強になりました。

私自身は西欧起源の普遍主義は嘘だ!という立場では全くないのですが、自由や人権という理念を無自覚に内在化していることで、逆にイスラーム教の別種の普遍主義の主張が存在して力を持ち、現に世界の人口のかなりの割合を動かしていることに気づけなくなり、適切に対処できなくなる、そしてそここそが、西欧の近代の自由や人権の基礎が綻びるところなのだ、という問題を以前からあちこちで論じていますが、それをまとめて言う機会を、そして言って受け止めてもらうならもっとも適切な相手を得ました(宇野さんにとって私が適切な対談相手だったかはわかりませんが・・・)。

『サイクス=ピコ協定 百年の呪縛』の出版意図についても話したりしています。

対談した頃にNHKのスクープがあって、巻頭特集をそっちで組むために、編集部は忙しかったようですね。。。

縦横にお話できて、誌面に乗りきらないところも多くある、有益な対談でした。

【寄稿】ラマダーン月のテロについて、宗教的背景と論点整理を『中東協力センターニュース』に

2週間ほどブログの更新を休んでおりました。ドイツから南仏にかけて、じっくり考えながら動いておりましたので、ネットの繋がりも悪く、時間もなく。地図シリーズ、毎日更新していたのが途絶えてしまいましたが、そのうち再開します。まずは論文を優先ですね。

その間に出版されていた成果を順次アップしていきます。まずはこの一本。

池内恵「ラマダーン月のテロ続発の思想・戦術的背景」(連載「中東 混沌の中の秩序」第6回)『中東協力センターニュース』2016年7月号、14−22頁

ダイレクトリンクはこちら

イスラーム教の断食月であるラマダーン月は、今年は7月5日に終わりましたが、この時期にテロへの扇動がなされ、実際にテロが相次ぎました。日本での一般的な印象や言説として、「敬虔さが増す断食月になぜテロをやるのか」という議論がありますが、異なる宗教規範の元では、断食が課されているということと異教徒・背教者との戦闘行為への熱が一部で高まることとは矛盾しない場合があります。事件に関する基礎的事実関係を整理しつつ、そのあたりの議論の混乱の解消を試みたもので、ぜひ読んでみてください。

ラマダーン月の終わりとともにテロの連鎖が終わるのではなく、むしろラマダーン月のテロ続発に触発されたのか、7月後半には特にドイツやフランスでテロが続きました。私の西欧滞在中にローン・ウルフ型のテロが西欧でピークに達した感がありました。

【寄稿】イスタンブル・アタチュルク空港のテロについてコメント(毎日新聞)

6月28日にトルコ・イスタンブルのアタチュルク空港で起きた銃撃・自爆テロについて、6月30日の『毎日新聞』朝刊の国際面(8面)にコメントを寄せていました。その後すぐ7月1日にバングラデシュのダッカで日本人が巻き込まれるテロ事件があったので、忘れられてしまいがちですが、重要な事件です。

池内恵「IS包囲網へ加わり、標的に」『毎日新聞』2016年6月30日朝刊

 トルコが過激派組織「イスラム国」(IS)に標的になったとみられる要素は三つある。トルコはISと正面から事を構えるのを避ける傾向があったが、南東部スルチで昨年7月に起きたテロ以降、IS支持勢力への摘発を強め、敵視された。

 6月初旬から米国の支援を受けたクルド主体の武装勢力がトルコ国境近くでIS支配下のシリア北部のマンビジュを攻撃しているが、トルコは表だって反対せず、近辺で連動してISと戦っている。

さらに、ここ数日でエルドアン政権は大きくかじを切った。ロシア軍機墜落事件について露側に謝罪し、不和になっていたイスラエルとの関係改善も進めた。さらに、トルコの支援するムスリム同胞団の政権を倒したエジプトの軍主導の政権にも歩み寄った。

いずれも国内のクルド人勢力を支援しかねない国だ。それでも歩み寄ることで当面の敵をISに絞り、IS包囲網に加わることを明確にした。ISは(トルコの方針転換で)トルコが決定的に敵側に回ったと認識したかもしれない。

【今日の一枚】(20)ヴェルサイユ会議(1919)でのクルド人の国家・領土要求

シリアで、イラクで、そしてもしかすると将来はトルコでも、クルド人の自治や独立要求が強まってくると、そもそもクルド人の国家独立要求の範囲は最大どのあたりまでなの?という関心が沸きます。

国家独立や自治を要求する範囲は、政治状況による、としか言いようがありません。クルド人が住んでいるエリアはありますが、多数派として住んでいる場合と少数派として住んでいる場合が混在しています。時代によって、クルド人の居住範囲は移り変わります。

『サイクス=ピコ協定 百年の呪縛』でも取り上げましたが、第一次世界大戦中と直後が、1つの画期でした。

この時期にクルド人の独立・自治要求が公的に現れ始めました。

最初の国際的な外交舞台での独立・自治要求の範囲を、図示したのがこの地図です。1919年のもの。

クルド人の国家要求範囲1919
Hakan Özoğlu,”Lessons From the Idea, and Rejection, of Kurdistan,” The New York Times, July 5, 2014.

ニューヨーク・タイムズ紙のこのコラムに付された記事は、もともとこのコラムの著者が出した本に掲載された地図に依拠しています。本の中の地図が載っている該当頁を、著者がグーグル・ブックスへのリンクで示してくれているので、それを見てみましょう。

クルド人の領土要求1919シェリーフ・パシャ

地図に付された解説によりますと、1919年のヴェルサイユ講和会議に向けて、クルド人の有力者であるシェリーフ・パシャが、クルド人の独立あるいは自治の領域範囲を地図で示したとのこと。この地図を見てみますと、アルメニア人と領域要求が衝突しないように、アルメニア人が強く領土と主張するヴァン湖のあたりが除外されていたり、地中海岸に到達せず、キリキアのあたりも主張していない。ニューヨーク・タイムズ紙のコラムではこの地図をより見やすく現在の地図の上に被せてくれています。

しかしこれは妥協しすぎだと、別のクルド人有力者が異を唱え、もっと広くガバッとクルド人の領域を主張した地図を示していたようです。イギリスの外交文書館に残っていました。

クルド人領土要求ベディルハーン

こちらの地図では、ヴァン湖も含めており、地中海岸にまで主張する領域が到達しています。

出典はHakan Özoğlu, Kurdish Notables and the Ottoman State: Evolving Identities, Competing Loyalties, and Shifting Boundaries, State University of New York Press, 2004, pp. 39-40.

【今日の一枚】(19)シリア内戦・クルド人勢力(その4)

シリアのクルド人勢力が、シリア内戦と「イスラーム国」に対抗して結束し、米国やロシアの支援を集めていくことで、3つの飛び地が1つにまとまろうとしている。現在はまだ2つに分かれていますが、最近のマンビジュでの戦闘は、それが場合によっては1つになってしまう可能性を示唆しています。

それがトルコやイラクのクルド人勢力や、中央政府を刺激していく。これらの過程は、記録・記憶され、後に検証もされるべきものでしょう。この地図は2015年8月の段階のものです。

シリア北部クルド領域2015年5月・8月の拡大

“Why Turkey Is Fighting the Kurds Who Are Fighting ISIS,” The New York Times, August 12, 2015.

この地図では2015年5月28日から8月初頭の間のシリア北部のクルド人勢力の支配領域の変化が図示されています。2014年以来の「イスラーム国」によるコバネの包囲を撃退した後に、逆にテッル・アブヤドなどを制圧することで、従来のクルド人が多数派を占める領域を超えて、クルド人勢力が支配領域を広げていきます。

それに対してトルコは、トルコ・シリア回廊ともいうべき、アレッポの北方の、ユーフラテス河以西の地域に「安全地帯」という名の、トルコの勢力圏を確保する、と米国に主張して対峙するのです(下記の赤い点線の間の範囲)。

シリア北部クルド人地域へのトルコの勢力圏主張

“Inside Syria: Kurds Roll Back ISIS, but Alliances Are Strained,” The New York Times, August 10, 2015.

【今日の一枚】(18)シリア内戦 クルド人勢力(その3)勢力の拡大

さて、シリア内戦の地図集に戻りましょう。

今日は、「イスラーム国」がシリア北東部で2014年後半に一気に拡大した上で、支配領域を失っていく過程で、クルド人勢力が支配領域を広げていく様子を順に図示した地図を見ておきましょう。

クルド人勢力の台頭2014から2015年
“How Control of Syria Has Shifted,” The New York Times, October 2, 2015.

緑の部分がクルド勢力(拡大するには元記事をクリックしてください)。2014年の1月時点では3つに分断されていたものが、まず2015年1月には真ん中のコバネが「イスラーム国」に包囲、制圧されてほとんど消滅していますが、それが2015年10月の地図ではコバネを取り戻し、東のジャジーラとコバネをつないで、拡大しています。

【今日の一枚】(17)イスタンブル・アタチュルク空港で銃撃・自爆テロ

ここのところシリア内戦や「イスラーム国」、クルド人勢力の台頭などについて、地図を通じて紹介する長期シリーズが続いていますが、今日はトルコ。イスタンブルのアタチュルク空港で28日夜(現地時間)に起きたテロ事件(当日のライブ・アップデート)について地図をまとめておきましょう。(だんだん「一枚」じゃなくなってきたので通しタイトルを今日から変えました)

本来は、シリアやイラクやリビアやイエメンの内戦、イスラーム国の各地での広がりなどを順に紹介しているうちに、「本丸」とも言えるトルコに紛争が波及して・・・という順序を思い描いていたのですが、トルコへの波及が加速していますので、早めにトルコを見ておきましょう。

今回は思いっきり初歩的に、トルコ全体の中のイスタンブルの位置と、イスタンブルの中のアタチュルク空港の位置から。

イスタンブル・アタチュルク空港
“Istanbul Ataturk airport attack: 41 dead and more than 230 hurt,” BBC, 29 June, 2016.

アタチュルク空港はトルコ最大、ヨーロッパ全体でもパリやロンドンに次ぐ規模です。イスタンブルのヨーロッパ側の旧市街から少し西に行ったところにあります。

イスタンブルには国際空港がもう1つ、LCC向けのサビーハ・ギョクチェン空港がアジア側にあります。ここでも昨年12月23日にテロが起きましたし、西欧のジハード志願者がシリアの「イスラーム国」に行くときにこの空港を経由していることが監視カメラの映像で記録されていたりもします。

ここのところイスタンブル中心部や、空港でのテロが周期的に起きています。主要なものはこれら。トルコ南東部で頻発する、クルド民族主義のPKKによる、軍や警察施設を狙ったテロは含まれていません。

2016
7 June, Istanbul: Car bomb kills seven police officers and four civilians. Claimed by Kurdish militant group TAK
19 March, Istanbul: Suicide bomb kills four people in shopping street. IS blamed
13 March, Ankara: Car bomb kills 35. Claimed by TAK
17 February, Ankara: 29 killed in attack on military buses. Claimed by TAK
12 January, Istanbul: 12 Germans killed by Syrian bomber in tourist area

2015
23 December, Istanbul: Bomb kills cleaner at Istanbul’s Sabiha Gokcen airport. Claimed by TAK
10 October, Ankara: More than 100 killed at peace rally outside railway station. Blamed on IS
20 July, Suruc, near Syrian border: 34 people killed in bombing in Kurdish town. IS blamed

それらの位置を地図に図示したものも見ておきましょう。

イスタンブルテロ現場2015•2016

“ISIL ‘key suspect’ in Istanbul’s Ataturk airport attack,” al-Jazeera, 29, June, 2016.

警備の厳しいはずの空港にどのようにして攻撃を仕掛けたのか、拡大してみてみましょう。

イスタンブル・アタチュルク空港テロ現場

“Istanbul Ataturk airport attack: 41 dead and more than 230 hurt,” BBC, 29 June, 2016.

この地図で薄い青緑に塗られているところが空港の建物ですが、ここにタクシーで乗り付けて、銃を乱射しながら警備を突破して建物内に侵入、そのうち一人はアライバルの階まで移動してから、自爆しています。

昨年(2015年)以来、トルコでのテロはイスタンブルに限定されません。政治の首都アンカラと、そして南東部でも。今年3月13日のアンカラ、19日のイスタンブルでのテロを受けてドイツのDWが作ってくれた地図を転載しておきましょう。

トルコのテロ現場2015•2016年
“Turkey blames ‘Islamic State’ for Istanbul suicide bombing,” DW, 20 March, 2016.

トルコで状況を大きく変えたのが、昨年7月20日の、南東部のシリアとの国境の町スルチでのクルド系団体の集会に対して行われたテロ。「イスラーム国」による犯行と見られています。

これによって、トルコ政府は一方で「イスラーム国」との戦いの前線に立つとともに、イスラーム主義過激派を温存してクルド人への対抗勢力にさせた、と疑うクルド系のPKKとも全面対決することになりました。政府とPKKとの間で進められてきた和平交渉は頓挫し、クルド人の拠点としディヤルバクルなどで、軍・治安部隊とPKK、あるいはその過激分派のTAKとの紛争が続きます。PKKは越境してイラク北部にも拠点を置いており、そこにもトルコは空爆を加えています。

アンカラでのテロは、昨年10月10日のものは「イスラーム国」が疑われていますが、今年2月17日、3月13日のギュヴェン公園付近でのものはPKK系のTAKの犯行であることが判明しています。

クルド民族運動のTAKは軍や警察施設・車両を狙うのに対して、「イスラーム国」は観光客など外国人・非ムスリムを狙う傾向があります。またトルコで「イスラーム国」関連と見られるテロでは、これまではいきなり自爆していましたが、今回はまず銃撃してから自爆しています。また、トルコで「イスラーム国」関連と見られるテロでは、「イスラーム国」はほとんどはっきり犯行声明を出さないという特徴があります。これがどうしてなのかは様々な推測が可能になるところです。

アンカラでのテロの場所も図示しておきましょう。

アンカラテロ現場2015•2016
“Turkey caught in overlapping security crises,” BBC, 14 March, 2016.

【今日の一枚】(16)シリア内戦 クルド人勢力の台頭(その2)

昨日に示したように、クルド人勢力が主導して、今年3月には「西クルディスターン」の自治政府設立・シリアの連邦化を宣言するまでになりました。

2013年9月の段階で描かれたこの地図では、クルド人勢力の台頭の兆しと、それに対して、反体制勢力の側でもアラブ人が優勢で、クルド人の民族運動が台頭することを嫌っている様子が見えました。

シリア勢力地図2013年9月26日ロイター
“Arabs battle Syrian Kurds as Assad’s foes fragment,” Reuters, September 27, 2013.

この地図では、反体制派(クルド民族主義的ではないが、クルド人も含む)や、ヌスラ戦線などアル=カーイダ系が優勢のエリアをピンクで塗ってあります。この時点では、現在クルド人勢力が優勢である地域や、クルド人が多くを占める地域も反体制派が優勢なエリアに含まれいます。例えば西のアフリーンで今時点ではYPGではなく他の反体制派が優勢だったり、東のイラク北部との国境エリアでも非クルドの反体制派の優勢の地域があったりします。トルコとの国境のラアス・アインではアル=カーイダ系が優勢でした。

それが、「イスラーム国」が2014年前半に台頭し、反体制派の多くが排除されるか、「イスラーム国」の支配下に入ったことで、かえってクルド人勢力、特にYPGにとって台頭の余地が生まれます。

YPGは反体制勢力とは異なり、アサド政権とも明確には対立せず、同時に米国やロシアとも接近して、現地の同盟勢力としての有用性を示すことで、自治への後ろ盾となってもらうよう働きかけていく。シリア内戦の激化、「イスラーム国」の台頭、それに対する当事者能力を持つ勢力が国際的な信認を高めるという状況を背景に、クルド人の民族主義的な運動が力を得ていくのです。

【今日の一枚】(15)シリア内戦 クルド人勢力の台頭(その1)自治政府宣言

これまでに、シリア内戦について、アサド政権がロシアの空爆に支援されてアレッポ北方で進めた勢力拡大(2016年2月)、米国が支援する新シリア軍による南部のタニフ(タンフ)の制圧と、それに対するロシアの空爆、そして「イスラーム国」が2014年から2015年にかけて伸長する様子を地図で見てきました。

それと並行して、シリア北部のクルド人勢力が台頭してきます。三つの飛び地のうち東の二つ、つまりジャジーラとコバネをつなげ、トルコとの国境地帯に帯状の勢力範囲を確保しようと、ユーフラテス河を越えてマンビジュを攻略にかかる、というのが2016年6月の展開です。

その間の重要な画期といえば、クルド人勢力が今年3月に行った自治政府宣言でしょう。

今年3月17日に、シリアのクルド人勢力が、一方的にシリアの連邦化と、「ロジャヴァ(西クルディスターン)」の自治政府宣言を行いました。

シリア・クルドの自治宣言

“Syria Kurds, regime to press talks after deadly clashes,” Daily Mail (AFP), 23 April 2016.

シリアのクルド人勢力が支配する領域が、コバネから東はテッル・アブヤドなども含むようになり、またユーフラテス川を超えてマンビジュに及ぼうとするところも、細かく見ると描かれています。

また、この地図で、シリアだけでなく、トルコとイラクを含んだ広域の中東地図の中で、クルド人が多く住む地域全体を視野に入れ、その上で、シリアの北部の自治政府を宣言した地域を見てみましょう。すると、シリアでクルド人勢力の自治が確立していけば、やがて将来には、イラクですでに高度な自治を達成しているクルディスターン地域政府(KRG)とつながるのではないか、そして最大のクルド人人口を擁するトルコにも自治要求や分離主義運動が飛び火するのではないか、と危惧される理由が分かります。

地理的には、シリアのクルド人の居住地域は、トルコのクルド人居住地域の延長に見えます。シリアのクルド人が自治や独立に進むと、「本体」というべきトルコ南東部のクルド人地域に自治・独立の動きが進み、紛争が拡大することが危惧されます。

とはいっても、クルド人だからといって政治的に結集するとは限らず、それぞれの国で権利や権限を要求する手段としてクルド人の内外での紐帯を利用しているだけかもしれず、必然的に各国のクルド人勢力が国境を横断して一つの民族国家を目指すとは限りません。今のところは、イラクとシリアではそれぞれの国の中央政府の弱体化に乗じて自治の範囲を拡大しつつ、それぞれの中央政府からより多い権限や資源の分配を求める動きが主であるようです。依然として、既存の主権国家の枠を前提とした政治運動としての色が濃いものです。

しかしもし各国のクルド人勢力が、国境を超えた結集・統合・独立を求めた方が有利になるような環境変化、あるいはそれ以外の選択肢が極めて不利となるような状況が生まれた場合には、話が違ってきます。

【今日の一枚】(10)ロシアがシリア南方タニフを空爆:標的は米・英に支援された反体制派

シリア内戦で米・露は停戦と和平協議を支援すると合意していますが、同時に介入によって対立しています。

今度はシリア南部のイラクとの国境の町タニフ(al-Tanif; タンフ al-Tanf)で、「イスラーム国」と戦っている反体制派を空爆した模様です。

“Russia failed to heed U.S. call to stop targeting Syrian rebels: U.S,” Reuters, June 17, 2016.

ロシアはクラスター爆弾を使った、とも報じられています。

“Images suggest that Russia cluster-bombed U.S.-backed Syrian fighters,” The Washington Post, June 19, 2016.

いったい誰が誰と戦っているんだ?という疑問を感じるよりも先に、そもそもタニフってどこだ?と思う方が大半でしょう。無理もありません。ものすごくマイナーな寒村です。寒村というも語弊があり、気温が摂氏50度ぐらいになる超酷暑の村です。

場所を地図で見てみましょう。

シリア南部Tanfの制圧2015年5月BBC
“Islamic State ‘seizes key Syria-Iraq border crossing’,” BBC, 22 May 2015.

シリアのイラクとの間で、南のイラク・アンバール県との国境には主に二つの検問所がありますが、小さいほうです。大きいほうがユーフラテス河沿いに国境を越えるルート上にありで、シリア側がブーカマール(al-Bukamal; al-Boukamal)、イラク側がカーイム(al-Qa’im)です。

それに対して、ヨルダンとの国境にも近い支線のような街道でイラクの最西端で国境を越える検問所が、シリア側がタニフ、イラク側がワリード(al-Walid; al-Waleed)です。まあめったに通らないところですね。

この地図を載せた記事にあるように、2015年5月にはこのタニフをイスラーム国が支配下に入れています。現在、イラクとシリアの両方で「イスラーム国」の領域支配を縮減させる軍事作戦が進んでいますが、そこで国境検問所は大きな争点になっています。

米国や英国は、ヨルダンでシリアの反政府組織を訓練して「新シリア軍(NSA=New Syrian Army; Jaysh Suriya al-Jadid)」と名付け、今年3月にはヨルダンとの国境に近いタンフに送り込み、「イスラーム国」から奪還したようです。

“Syrian rebels seize Iraq border crossing from Islamic State: monitor,” Reuters, March 4, 2016.

米国はシリア北部での反体制派の育成には失敗しましたが(そもそもやる気が見られない)、シリア南部では比較的成果が出ています。

しかしタニフをめぐってはその後も「イスラーム国」が頻繁に攻勢をかけてかけてきて、NSAは防戦に追われているようです。

ロシアとアサド政権は、「イスラーム国」がタニフを制圧していた時期には関心を示していなかったのですが、米国が支援する反体制派がタニフを制圧したとなると、空爆を行ってきた模様です。

このように、「イスラーム国」は現地の文脈では、どの政治勢力にとっても、第一の敵ではないので、「イスラーム国」にとっての敵同士が争っているうちに、「イスラーム国」の勢力範囲が広がるというメカニズムがあります。

【追記】地図に関するエントリは少し前に書いて自動アップロードの予約をかけておくのですが、予約後の6月21日、タニフのすぐ西の、ヨルダン・シリア国境地帯のルクバーン(Rukban)のシリア側で、ヨルダン軍部隊に対する自動車爆弾によるテロが起こりました。ホットスポットがこの近辺に現れているようです。

ルクバーンの場所はこちら。元来が町もない無人地帯。

ヨルダン・シリア国境ルクバーン

“Jordanian troops killed in bomb attack at Syria border,” BBC, 21 June 2016.

ルクバーンでは、ヨルダンとシリアの緩衝地帯にシリア難民(国内避難民とも言える)が押し寄せて、ヨルダンに入国できずにキャンプを作っている。

ヨルダン・シリア国境ラクバーンの難民キャンプ

“Jordanian troops killed in bomb attack at Syria border,” BBC, 21 June 2016.

右下を斜めに横切る茶色い道路がヨルダンの国境で、それに対して、左上に斜めに横切るのがシリアの国境。その間に無数の薄水色の点や斑点が見えますが、それが難民のキャンプ。シリア・ヨルダンの緩衝地帯で、シリア難民はシリア政府の管理を離れつつ、ヨルダン政府によって難民として入国することを阻止されている、宙ぶらりんの状態です。

関連記事をいくつか。

“Jordan soldiers killed in Syria border bomb attack,” al-Jazeera, 21 June 2016.

池内恵「ヨルダンとシリアの緩衝地帯ルクバーンで自動車爆弾によるテロ」『フォーサイト』2016年6月22日