【地図と解説】イラクとシャームのイスラーム国家(ISIS)の支配領域

6月10日にISISがイラク北部の主要都市モースルを掌握。これは衝撃的ですね。しかも勢力を伸ばして南下し、バグダードに迫る勢いです。

モースルはどこかというと、

iraq_mosul_map_BBC_June10_2014.gif

出典:BBC

ISISの今年に入ってからの勢力伸長を図示した分かりやすい地図がワシントン・ポストに載っていました。

Iraq_ISIS_The Institute for the Study of WarThe Long War JournalThe Washington PostJune 11

出典:ワシントン・ポスト

今年1月には西部アンバール県の県都ラマーディーとファッルージャをISISが制圧していました。スンナ派が圧倒的多数を占めるアンバール県で、各種の抗議行動が生じて中央政府に異議を唱え、武装蜂起(insurgency)が駐留米軍やシーア派主体のマーリキー政権のイラク国軍・治安部隊を脅かすというのは、2003年のイラク戦争以来、断続的に続いてきた現象です。ファッルージャは首都バグダードの西60キロほどですから、首都の西のすぐそばをしばしば武装蜂起が脅かしてきたことになります。

しかし今回は北部の中心都市・イラク第二の都市であるモースルを制圧し、さらに中部のバイジー、ティクリート(サダム・フセインの故郷)をも制圧して、首都に向かって南下している、という点で、これまでと違っています。

ラマーディーとファッルージャはユーフラテス河に沿ってシリア東部につながる地帯ですが、モースルはチグリス河沿いです。地図を見てみると、チグリス川の上流はシリア・トルコそしてイラクの国境三角地帯を通っていくのですね。

そしてモースルはクルド人とアラブ人の混住地域の中にあります。

kurdistan-KRG.jpg

出典:Oil and Gas Investment Bulletin

イラクのクルド人は1991年の湾岸戦争後に、事実上の自治・半独立の立場を確保しました。イラク戦争によるフセイン政権崩壊後は、北部のクルド三県(ドホーク、エルビール、スレイマーニーヤ)には自治政府を持つ「地域」としての地位を与えられ、クルディスターン地域政府を設立するとともに、イラクの大統領職も割り当てられてきました。

しかしクルド人とアラブ人の混住地域は、クルディスターン地域政府の管轄範囲の外に残されています。この地図では赤の点線より北の範囲ですね。歴史的にクルド地域との結びつきの深いキルクークと並んで、北部の最大都市モースルもそのような中間エリアに属しています。クルディスターン地域政府の管轄と中央政府の管轄が競合し、「アラブ対クルド」という民族紛争が潜在的に起こりかねなかった地域に、突如としてイスラーム過激派という第三の勢力が入ってきて、事態をさらに複雑化させた形です。

他にも地図を見てみましょう。

ISISの特徴は、イラクとシリアの双方に活動範囲を伸ばしていることです。(こちらはニューヨーク・タイムズから。キャプチャして縮小したので画像が荒いですね・・・出典元のページを見てください)

Isis_New York Times_June10_2014

出典:ニューヨーク・タイムズ

シリアでのISISの活動をもう少し細かく見てみると、このような状況。

syria_control_Isis_20_09_13.gif

出典:BBC

緑の印がISISがシリアで勢力を伸張させた地点です。黄色の点で示された複雑な紛争にもISISは絡んでいることが多い。

ユーフラテス河沿いに、イラクとの国境のアブー・カマールと、その上流の拠点都市ラッカを制圧していますね。その中間の主要都市デリゾールも包囲しているという報道があります。

それだけではなく、西北部にも進出しています。トルコとの国境で反政府勢力の物資の供給に不可欠の重要性を持つアアザーズを反政府派の自由シリア軍が制圧していました。しかし2013年9月、そこにISISが介入してきて自由シリア軍を攻撃して制圧・支配しました。その後反政府派の間での衝突が激化し、アサド政権は一息つくことになりました。その後アーザーズをめぐってISISはイスラーム主義過激派のヌスラ戦線とも衝突を繰り広げるなど、反政府勢力内部の亀裂をさらに広げました。ISISは反アサドであるのでしょうが、反政府派の足を引っ張る組織として注目されたのはこの時です。

ホムスにも緑の印がついています。ホムスは2011年の紛争の勃発の初期段階から反政府勢力の象徴的な場所となり、政府軍による長期化する包囲が続いていました。ここにISISが浸透してきたことで、「勝利してもイスラーム過激派に支配されるのか」と反政府側にも厭戦気分が広がりました。そこから、ホムスでの局地停戦と5月7日の反政府派撤退につながりました。

このように、ISISはシリアの内戦では、アサド政権側とも反政府側とも言い難く、状況を複雑化させる要素になっています。アサド政権にとっては、「政権が倒れればイスラーム主義過激派が政権を取る」と自らの存在意義を国民と国際社会に印象づけるための格好の宣伝材料になります。

もっとも、アサド政権が自国民を殺害し続け、国際社会がそれを座視しているから、それに憤る人たちがイスラーム教の理念に照らして現状を不正とみなし、ジハードを掲げて国内外から集まってくるという構図が、より正確な認識でしょう。

イラクの内政上は次の二点が重要です。

(1)これまでイラクでは、大きく分けると、シーア派(人口最大)、スンナ派(人口少ないが周辺アラブ諸国では多数派)、クルド人(民族独立の希求強い)の三つの勢力による対立というのが基本構図でした。ところがここに、ISISというスンナ派の急進的な宗教政治思想を掲げた勢力が台頭し、基本構図を揺るがしている。

(2)これまでのイラクのスンナ派の武装勢力は土着の自警団的な武装組織や部族的な紐帯で結束する組織など、基本的にイラクの国境の中、さらに自分たちの居住する地域に問題関心を限定させ、その上で占領軍や意に沿わない中央政府に反乱を繰り広げてきた。ところがISISは国境を越えてシリアとイラクにまたがって活動をしているものとみられる。

単に国境の向こうに行けば中央政府が追ってこないからという「便利さ」からシリアとイラクを行ったり来たりしているだけなのかもしれないが、支配エリアの拡大・支配の長期化があれば、場合によっては「国境の再編」につながりかねない。もちろん国際社会がそれを認めるとは思えませんが、実態として国境がなくなってしまう可能性がある。

すでにイラクはクルド地域の自立化でどんどん国境・国土の一体性が不分明になっていますし、シリアは国土のかなりの部分を中央政府が掌握していない(爆撃とかはしているが)。そこにとどめの一撃となるかもしれません。

また、土着の勢力だけではなく、国際的な要因の流入、つまりグローバル・ジハード的な運動として性質を多分に含むと考えられます。それが将来の国際テロの温床・発信源として危惧されるゆえんです。

昨年を通じて、イラクはイラク戦争後の内戦を経ていったん鎮静化しかけたテロが再び激化し、混乱しましたが、今年になってそれがテロにとどまらず、ISISによる局地的な領域支配に転化しているところが、全体状況の変容をうかがわせるところです。

ISISとはIslamic State in Iraq and Sham(イラクとシャームのイスラーム国家)の略で、ISIL(Islamic State in Iraq and Levant:イラクとレバントのイスラーム国家)と呼ばれることもあります。シャームとは現在のシリア・レバノン・ヨルダンを含む「歴史的シリア」のこと。

もともとはイラク戦争直後から、アブー・ムスアブ・ザルカーウィーを中心に形成されてきましたが、2006年に「イラクのイスラーム国家」を宣言。ザルカーウィーの死後、アブーバクル・バグダーディーが指導者として台頭します。そして2011年のシリアでの反政府抗議行動が内戦と化す中で、2013年にはシリアの「ヌスラ戦線」と一時合併して「イラクとシャームのイスラーム国家」を名乗りました。しかしヌスラ戦線の指導部は当初からこの合併に否定的で、さらにアル=カーイダ中枢の最高指導者のザワーヒリーが合併を否定して、イラクとシリアそれぞれで別に活動するように説教したりと、混乱しました。

ISISはアル=カーイダの影響を受けてはいますが、弱体化したアル=カーイダ中枢の指揮命令系統にあるわけではなく、理念を継承したうえで、米国(あるいはキリスト教・ユダヤ教徒)の支配の打倒を目指す国際テロよりも、イラクとシリアの土着の固有の政治情勢の中で、現地の支配権力(マーリキー政権やアサド政権)に対する武装蜂起(insurgency)を行うことを主とする組織です。

対キリスト教徒・ユダヤ教徒への敵意はありますが、それよりもスンナ派としてシーア派に対する敵愾心が強いのがISISの特徴です。

さらに、シリアやイラクの政権やシーア派に対して敵対的なだけでなく、支配領域においてスンナ派の一般住民にも過酷で宗教的強権支配を行うので、恐れられています。しかしそのような統治こそがイスラーム教の教えだと信じる人も一定数おり、決して「狂信者」と言いうる存在ではありません。行動においては明らかに一方的で粗暴な面がありますが、それが何らかの特殊な教義に基づいているからとはいえません。

ISISは「アル=カーイダ」なのか、というと、これは複雑な問題です。そもそも「アル=カーイダ」は、2001年にビン・ラーディンを中心に国際テロを起こした時代と今では異なる組織になっています。ただし全く別物ではなく、アル=カーイダが広めた思想を通じてアル=カーイダは続いていると言えます。

アル=カーイダが広めた政治思想や、シンボルなどを、ISISは継承していますし、もともとアル=カーイダを名乗っていました。しかしザワーヒリーの指令に従っていないように、組織や戦略・戦術目標は異なり、自立しています。

アル=カーイダ中枢の「組織」「司令部」としての存在はほとんどなくなったが、アル=カーイダが広めたあるタイプのジハード思想は広まり、定着し、各地の状況に応じて新たな指導者が出てきて新たな組織を作っていくということでしょう。