ウクライナ問題(4)法律と地政学の間

 ウクライナ問題でいろいろ斜め読み。

 ウクライナ問題は、現代思想の課題として興味深い。

 日本では「現代思想」というと、ほとんどいったこともないフランスのなにやら小難しい思想家のテキストをこねくり回して意味不明の論文を書くことだと勘違いされてしまって、その結果、大学の語学の先生の飯のタネ以外にはならなくなってしまったが、本当の現代思想はフクヤマとかハンチントンとかだと思う。

 少なくとも数十年たってから振り返ったらそうだよ。フランス現代思想は何らかの理由がそれなりにあって行き詰ったスコラ学として思想史の一コマとしてぐらいは描かれるだろうが、それを再解釈した日本の現代思想などはまったく一行も歴史に残らないだろう。
 
 20世紀末から21世紀にかけての世界はどのような理念によって方向づけられているのか。自由民主主義への収斂か、民族や宗教による分裂とパワーポリティクスの再強化か。

 議論の決着はついていない。
 
 で、ウクライナ問題は、そういった議論を再活発化させている。

 国際政治の問題というだけでなく、そういう思想史的関心からも、ウクライナ問題についての議論を読んでいると面白い。

 そして、実際には国際政治とは、思想・理念を軸にして方向づけられているものでもある。

 国際政治学者のミアシャイマーのいつも通りすっぱりと分かりやすい議論がニューヨーク・タイムズに載っていた。

John J. Mearsheimer, “Getting Ukraine Wrong,” The New York Times, March 13, 2014.

 以下はそのところどころの要約。

 ミアシャイマーは、ウクライナをめぐってロシア・プーチン大統領と対決姿勢を強めたオバマ大統領を批判する。

 「なぜアメリカの政治家のほとんどが、プーチンの立場になって考えられないのか」

 プーチンにとってウクライナは国家の死活的な権益がかかっている。譲れるはずがない。アメリカはロシアと軍事的にも経済的にも決定的に対立できないと分かっているのに、あたかも強く出ればプーチンが引き下がる局面があるかのように対処するから、うまくいかなくなる、という方向の議論。

 ミアシャイマーはオバマがプーチンを評して言った発言を例に挙げて批判する。オバマはプーチンが「異なるタイプの解釈をする異なるタイプの弁護士たちを抱えているようだ」と形容し、その主張に国際法的根拠がないと批判した。

 これに対して、ミアシャイマーは「しかし明らかにロシアの指導者は弁護士と話してなどいない。プーチンはこの紛争を地政学から見ているのであって、法律から見ているのではない」と断じて、一蹴する。

 そして「オバマ氏には、弁護士と会うのをやめて、戦略家のように考えるようになることを助言する」と痛烈だ。

 「弁護士と会う」どころかオバマ自身が弁護士で、弁護士的な発想で政治をやることはすでに知れ渡っている。

 地政学的に見れば状況は極めて単純であるという。

 「西側諸国はロシアに苦痛を与えるオプションがほとんどない。それに対してロシアにはウクライナと西側諸国に対して切れるカードが多くある」

 そして西側諸国が身を切ってロシアに強い制裁を課したところで、「プーチンは退くとは考えられない。死活的な国益がかかっている時、それを守るために国々は進んで多大な苦痛を耐え忍ぶものだ」。

 だから「オバマ氏はロシアとウクライナに対して新しい政策を採用するべきだ」。
 
 その政策とは「ロシアの安全保障上の国益を認め、ウクライナの領土保全を支える」ものだという。

 この政策の実現のためには「米国はグルジアとウクライナはNATOに加盟しないと強調する」必要がある。
 
 そのことは「米国の敗北」ではない。それどころか「米国は、この紛争を終わらせ、ウクライナをロシアとNATOの間の緩衝国として維持することに、深く根差した国益を有する」。

 さらに「ロシアとの良好な関係は米国にとって不可欠だ。なぜならば米国は、イラン、シリア、アフガニスタン、そしていずれは中国に対処するために、ロシアの助けを必要とするからだ」。

 きわめて分かりやすい。

 これでは欧米が主導してきた国際秩序の理念や理想主義が崩壊してしまうのでは?などと思うが、結局のところ、このような政策が採用されそうなことも確かだ。あるいはそうでなければかえって戦争になるか、長期的な制裁の応酬で、世界が疲弊するかもしれない。

 ウクライナをめぐる「現代思想」をこれからも読んでいきたい。

 
 
 
 

リビア政府は領域一円支配を取り戻せるか

 タンカーの行方よりももっと重要なのは、これをきっかけに流動化したリビア内政がどこへ向かうか、ということ。

 リビアの暫定政権を構成する国民全体会議(議会)は、この問題でザイダーン首相を不信任決議して解任。ザイダーン首相には汚職の嫌疑もかけられ、逮捕される前にマルタを経由して西欧に逃亡した模様。

 まあこれだけを見るとよくある「混迷深まる中東情勢」という決まり文句で収まりそうだけど、もう少し考えてみよう。

 まず、この動きが中長期的な混乱の激化のきっかけとなるのか。現象だけ見ていると混乱しているように見えるけれども、むしろこれをきっかけに、国民全体会議に集う各地の勢力が一体性を取戻し、国軍・治安部隊と一体となって全土の掌握を取り戻す方向に行く、という可能性もある。

 後者を匂わせているのがフィナンシャル・タイムズ紙の記事だ。

 “Libyan troops attack oil rebels,” Financial Times, March 11, 2014.
 
 「16か月権力の座にあったザイダーン氏の解任はリビアにさらなる不安定をもたらすかもしれない。しかし、駐トリポリのとある西側の外交官は言う。『重要なのは、議会が合意に達したということだ。これこそが数か月もの間欠けていたことだ。これが政府と議会の実務的な関係を向上させればいいのだが』」

 ザイダーン首相の解任を時期を同じくして、国民全体会議とリビア国軍・治安部隊が協力して、各地の武装勢力の掌握する石油施設の奪還に向かっているという。手始めはシルト。カダフィの故郷ですね。

“Pro-government fighters poised to retake Libyan oil installations,” Finantial Times, March 12, 2014.

 リビアの民兵集団の割拠は問題だが、そもそも各地でそれぞれにカダフィ政権打倒に立ち上がったという3年前の政権崩壊の経緯からいえば、しばらくの間はやむを得ないとも言える。民兵集団は実際に各地で警察の役割を果たしている場合も多い。また、リビア暫定政府側の治安部隊を構成しているのも、もとはこういった民兵集団だった。

“Shadow army takes over Libya’s security,” Finantial Times, July 6, 2012.
 
 不可測性が高く、どの地域を誰が仕切っているかを知らないといけないから、外部の人間にとっては非常にやりにくい状態だが、住んでいる人にとってはそれほど治安は悪くないだろう。
 
 結局は各地の勢力をどう中央の制度に取り込んでいくか、その際の交渉でどのように権限や利益を配分していくかが、リビアの移行期政治の主要なテーマだ。
 
 武器を持っている勢力が無数にあるから、要求を通そうとする時に「手が出る」場面もあるが、意外に抑制的、という印象だ。それほど人が死んでいない。

 これを機会に国軍を一定程度強め、各地の民兵集団を統合していくプロセスが進めば、安定化に向かうかもしれない。

 しかしおそらく問題は単純ではない。ザイダーン首相は「北朝鮮籍タンカー」への攻撃を軍に命じたものの従わなかったと主張している。後任の暫定首相が軍最高司令官のアブドッラー・サニー国防相だというのも気にかかる。軍がサボタージュして首相を追い落とし、行政府の中での権限を強めたという可能性も否定できない。

 しかし軍を直接統制できる人物を首相に置きたいというのは、現在の国民全体会議の意志でもあるだろう。

 いずれにせよ、一度武器が拡散して、各地で民兵集団が組織されたという現実から始めないといけないリビアは、戦国時代並みの割拠状態を近代国民国家に作り替える膨大な作業を行っているということなので、長い目で見ていくべきだろう。