「右派から距離をおく日本政府」の必死の情報戦

印象に残った記事。

“Japan distances itself from right-wing statements” Washingotn Post(AP), February 24.
「日本は右派の発言から距離を置く」

ワシントンポストがAP通信配信の記事を掲載したもの。画面には岸田外務大臣が両手で口と鼻を覆った、「苦悩」するかのような表情が大写しになる。

“Japan’s foreign minister is trying to distance his government from recent right-wing comments on World War II, calling them “regrettable” and saying they don’t represent the government’s views.”

外務省がホームページに「仮訳」を出している。上に引用した部分は「日本の外務大臣は,第二次世界大戦に関する最近の右派的な発言は「遺憾である」とし,日本政府の見解と違うと述べて,これらの発言から距離を置こうと試みた」

昨年末の安倍首相の靖国訪問の波紋が表面的に収まったかのように見えていたが、1月25日のNHK籾井会長の発言で、英米の有力メディアの日本に関する議論は一気に厳しくなった。

外務省のこの情報発信は、かなり思い切ったものだ。NHK籾井会長は安倍首相本人あるいはその近い側近の強い意向を受けて就任したと広く信じられており、だからこそ発言への本気の反省の意志は伺われず、辞任する気もないようだ。それどころか、辞表を書かせた理事たちを解任して「お友達」を連れてきかねないとすら想像してしまうような現実感のなさだ。

外相がそれを「右派の発言」として「政府は距離をおく」と明言するのは、籾井会長側からは「安倍総理自身の本心から距離をおく」ものだとねじ込まれかねないものだ。事なかれ主義なら避けるところだろう。

しかし尖閣諸島をめぐるかなり緊迫した状況と、中国が世界中でかなり優勢に対日宣伝戦を展開している現状からは、危機管理上必要なダメージ・コントロールである。ぎりぎりのところでよく頑張ったと思う。

記事はかなりに好意的に書いてくれている。

しかしもちろん一方的に日本の主張を流してはくれない。翌日には同じ欄で同じくAP配信の記事

“China labels Japan a ‘trouble maker’”Washington Post(AP), February 25, 2014.

が掲載されている。

China on Tuesday labeled Japan a “trouble maker” that is damaging regional peace and stability, firing back at earlier criticism from Tokyo over a spike in tensions in northeast Asia.

内容は、中国外務省報道官の反論で、
Foreign Ministry spokeswoman Hua Chunying was responding to comments by Foreign Minister Fumio Kishida that China’s military expansion in the region is a concern, although Kishida stopped short of calling China a threat.

Hua told a regularly scheduled news conference that China’s military posture is purely defensive and Japan is stirring up trouble with its own moves to expand its armed forces and alter its pacifist constitution. She accused Japanese officials of making inflammatory statements aimed at denying or glorifying the country’s militarist past, and said Japan should explain its strategic intentions.

“I think everybody will agree with me that Japan has already become a de facto trouble-maker harming regional peace and stability,” Hua said.

といった中国側の主張が続く。中国側は「日本とナチス・ドイツに対する第二次世界大戦を共に戦った中・米両国の絆」を強調する作戦を近年に強めている。

日中(それに韓も)のグローバルな情報戦で、日本は苦しい立場に立たされている。多くの場合は、日本の政治家、あるいはその取り巻きの、国際世論が作られる構造に関する極端な無知に基づく、不用意な発言によって揚げ足を取られて攻め込まれ傷口を広げている。

「立場」が文字通り「モノを言う」、一方向的なコミュニケーションを一生続けてきて何の不自由も感じてこなかった、日本社会の「成功者」たちは、国際世論を味方につけるための、不利な場での情報発信には、極めて不向きであるようだ。要するに「内弁慶」なのである。

国際世論は大部分は欧米で作られる。この現実はいかんともしがたい。世界はもとより不公平にできている。「そんなの不公平だ」と日本の偉い人たちがへそを曲げてしまえば、いっそう不利になり、不利益は日本国民が蒙る。

国内の議論で権力・上下関係を笠に着て、反対者を怒号で黙らせてきた人たちは、国際的な場で日本の側に支持を集めることがいかに困難かを、思い知る経験がなかったようだ。かつて日本の経済規模が中国を圧倒していた時期に現役世代だったせいもあるだろう。「ゲタ」を履かされていたのである。

今は逆に、中国の成長にあやかりたいという色眼鏡で欧米は見るから、すっかり経済規模を小さくし、成長の幅が小さく「儲からない」日本への点数は過剰に辛くなる。年初から「アベノミクス」の先行きへの不安が浮上した現状では、いっそうそれが加速される。

本来なら欧米という第三者の心象を奪い合う宣伝戦では、日本は圧倒的に有利なはずだった。「戦後」の民主化や人権尊重の実績という政治的な「ファンダメンタルズ」で、中国に引けを取るはずはない。本来は国際宣伝戦で狡猾にここを強調すべきなのであるが、できていない。「戦後レジームからの脱却」を信念とする安倍首相が長期政権を予想されている状況で、阿り、追従して、本来なら自由に活発に発言し警鐘を鳴らすべき学者・知識人すらもが口を閉ざしているのではないかと疑われる事例も散見される。

欧米の有力メディアからは、最近急速に日中は「どっちもどっち」と見られるようになっている。欧米の主要メディアの論調を見ると、日本が欧米と「価値観を共有する自由民主主義国」であることがしばしば忘れられた記述が目立つようになった。

そして実際に、民主主義や人権規範を共有していないのではないかと疑われる人たちがメディアなどの有力なポストに就き、不用意な発言を繰り返すので、こういった海外の論調が日本の現実をまったく反映していないと論じることは難しい。

ましてや自由な立場にいるはずの学者や知識人もが栄達を願って口を閉ざし、そのような人たちが政府でもメディアでも重用されるというのであれば、やはり日本は欧米先進国とは価値を共有していないのである。

安倍首相本人は、第二次政権では「戦後レジームからの脱却」という持論をあからさまに述べることは避けてきたようだ。このことは戦略判断として正しい。威圧を強める中国に対する対抗策はまず、戦後、翻っては近代の国際法秩序を守ってきた日本、それを侵食しようとする中国、という構図を事実に基づいて明確にし、法的・倫理的優越性を確保するところから始まるからだ。

もちろん、オバマ政権の同盟国に対する態度に問題が多いことは確かであり、客観的にみて反米ナショナリストが勢力を伸張させる条件は整っている。しかしあえて日本側から日米同盟の船を揺らすのは愚策だ。まさに中国側の日米離間策に嵌る。

問題は、政権発足後1年で、右派の取り巻きの抑えが利かなくなってきた様子が見られることだ。靖国参拝は、こういった取り巻きに「ゴーサイン」を出した形になったのではないか。

続発する不用意な発言や、それを黙認するかのような政権の対応は、即座に「日本人はやはり民主主義も人権も受け入れていない。そもそも経済発展しただけできちんと近代化していない。戦後秩序も本心では受け入れていない」という欧米メディアの主要論客に拭いがたく染みついた偏見と優越感に基づいた不信感を裏打ちする証拠として記録・記憶されていく。

これらの発言は英語でデータベースに記録され、中国側はいつでもこれを検索して引用して宣伝戦に用いることができるし、第三者もまたこれらの発言を手掛かりに日中関係や日米関係を論じていくだろう。

歯を食いしばって西洋文明を取り入れ近代化に尽くした明治人、そして廃墟の中から屈辱に耐えて経済復興を果たした昭和戦後の先人たちの努力を無にしてはならない。

在米エジプト人研究者の苦衷

前のエントリの続き。閉ざされたエジプト社会の脱線ぶりと、在外エジプト人には鮮烈なギャップがある。

エジプト人の優秀な人はこぞって海外に出るので、特にアメリカで、科学研究の場で出世している人が多い。例えばこの人

興奮したエジプト・メディアの突撃取材を受けて、かなり困っているご様子。「科学研究とは何か」を若い記者に懇々と説いているが、あまり通じていないようだ。

最初の方を若干かいつまんで訳すと・・・

質問「エジプトの新発見をどう見ていますか?」
答え「メディアを通じて知っただけなので、この問題についての私の発言は記者会見とテレビの情報にしか基づかず、国際的な科学研究には基づいていない。科学研究ではこの装置についても実験についても何も知見がないんだ」

質問「どう違うんですか?」
答え「これは科学研究の分野ではすごく重要なことだ。何かを科学上の新発見というためにはね、その発見は定められた発表の仕方とか典拠への参照の仕方とかを備えていないといけない。例えばこのような治療法についてはね、それぞれの病気についての専門の科学研究の分野で受け入れられて発展していかないといけない。まあ一般的に言って、軍が科学研究を奨励してくれることを祝福しますよ。軍と工兵部門が真剣にC型肝炎の治療を支援してくれていることを祝福しますよ。エジプトでは非常に多くの人がこの病気に罹患しているのですから。でも私がいつも望んでいるのは、研究が国際的に認められたやり方に則って行われることなんだ」

質問「どういう意味ですか?」
答え「世界全体で、科学研究はある特定の方法に則らないといけないと合意しているんだ。誰かが理論やアイデアを提示するには、発表して弁護しないといけない。この治療法をどのように適用したかを明らかにしたり、この分野の専門家の典拠を参照したりして、この発見を受け入れてもらえるようにしないといけない。治験者にも典拠を明らかにして、権利を守らないといけない・・・・」〔以下略〕「ターレク・ハサナイン博士『科学の発見について記者会見からは判断できない』」El-Watan紙2月26日より。

・・・延々と科学研究の基本の基本を説いていくのだが、それ自体がエジプト社会の困難さを示す思想テキストとも言え、また在外エジプト人とエジプト本国との越えられないギャップを示す、私にとっては個人的には胸が痛い文章だ。

ただこの文章を読んでいると、背景に政治的には次のような問題があるのが読み取れる。記事の後半部分を訳している時間がないのだが、だんだん次のようなテーマに移っていく。

(1)エジプトではC型肝炎の感染率が極めて高い。
(2)治療薬が外国で開発され、輸入なので高額で庶民には行き渡らない。

記事では明確に言っていないのだが、これらは「保健行政の不全あるいは崩壊」「科学行政の不全あるいは崩壊」ということで、積年の課題だが容易な解決策はない。

これを「軍が解決!」と言ってみたい軍部がいて、それを礼賛してみたいメディアと世論一般があって、変な方向に行ってしまっている、ということなのではないかと思う。

エジプト人の知性の総体からいえば、海外に出て医学研究や製薬技術で先端を行っている人たちはたくさんいる。しかしその成果は輸入という形でしかエジプト人には還元されない。

そうならないように国内の大学や研究機関で優秀な人材を囲い込めればいいのだが、それができていない。誰が悪いのか。とりあえず「アメリカが悪い」ということにしてしまう。そういう面はあるかもしれない。構造的な問題として、「従属論」などの立場から議論しようと思えばできる。

ただ、今回の大発見騒動で分かるように、エジプト側の組織と権力構造はかなりおかしい。優秀な人が機会を求めてアメリカに行ってしまうのも分からないではない(というかよく分かる)。そのあたりにメディアが切り込めない。単に海外でエジプト人は大活躍しているんだ、という話にされてしまう。

当の在外エジプト人は、故郷で叩かれないように慎重に言葉を選んでいる様子が伺われる。「大発見」を頭から否定せずに、軍への礼賛のフレーズを交えたりしてね。まあたとえインタビューでそんなことを言わなくても、記事には書かれてしまうんだろう今のエジプトでは。

エイズとC型肝炎にも勝利したエジプト軍

インターネットの時代になって、怖いのは、どこの国でも、夜郎自大に自国民を威圧してこられたエラいさんの、実態としてはトホホな水準の発言や、それをもてはやす一部の人の行状が、一瞬にして世界中に晒されてしまい、デジタル的に永遠に保存されて複製され、取り返しがつかないこと。

日本でも最近続発していますが、こういった方面で人後に落ちない(?)のはエジプト。

2月22日に、エジプト軍の軍医のかなり偉い人(少将:軍医としては最高レベルでしょう)のイブラーヒーム・アブドルアーティー(Ibrahim Abdel Aaty)が記者会見して、軍の医学研究所が、C型肝炎もエイズも、血液検査もせずに探知し、治癒する技術を開発した、と大々的に発表。エジプト軍は「エイズに打ち勝った」と、軍の公式会見場で声を張り上げ、スィースィー国防相・元帥からもご支援いただいている、と謳い上げるアブドルアーティー将軍の前に、翼賛体制を支持し、ナショナリズムで盛り上がるエジプトの記者たちからは拍手の連続(ビデオは軍政を批判する勢力が字幕をつけてアップしたものです)。

「C-FAST」とかいう機械。棒みたいなもので、患者に触れもせずにC型肝炎とエイズを探知し、治療できるという。もともと爆発物探知機だったものを発展させたのだという。

この発表をエジプト軍としても全面サポート。昨年の7・3クーデタ以来、軍のイメージアップ作戦で重用されているイケメン報道官アハマド・アリー大佐も、公式フェイスブック・ページでこれを称賛し、マンスール暫定大統領、そして最高権力者のスィースィー国防相もこの装置のプレゼンを受けご満悦、というところまで流してしまった。

インフルエンザのH1N1ウイルスにも効くとまで言っているらしい。

Egypt’s military claims AIDS-detecting invention, Ahram Online, 23 February 2014.

しかし、どうみてもこれはオカルト科学の一種だろう。「ダウジング」という分野で、もともとは、特殊な能力を持った人が、なんらかの形状の棒を持って鉱脈や水脈の上を通ると棒が勝手に反応する、というやつ。それが医学にも応用できる、という話になっていたとは知らなかった。

歴史を遡れば「占い棒」として人類史上ずっと、底流で続いてきた信仰の一つの流れだろう。

私はオカルトの分野には個人的にはまったくなんの興味も持ったことがない人間で、詳しくもない。霊感とか幽霊とか感じたことも見たこともない。

が、「エジプトの社会思想におけるオカルト思想の影響」に関しては、「専門家」で「オーソリティ」と言ってもいいと思う(威張れませんが・・・)。

1990年代後半のエジプトの思想・世論を研究した時に、結果として、「ある意味で、一番有力なのは陰謀論とオカルト思想」という厳然とした事実を突き付けられ、こんな本を書くしかなくなってしまいました。

『現代アラブの社会思想 終末論とイスラーム主義』(講談社現代新書、2002年、大佛次郎論壇賞受賞!!)

そのようなわけで、忙しいんだが、エジプトでオカルト思想が、政治的に意味がある水準にまで盛り上がった時には、解説をせざるを得ない(←誰が頼んだのか)。

なお、こういった「科学」に取り組んでいる人は世界中にいて、似たような「発見」が、針が振り切れた科学者から発表されては黙殺される、ということが、時々起こる。

アブドルアーティーさんも、軍の研究所でどうやらすごく長い間これに取り組んできたらしく(本人は「22年間」と言っている)研究所には「先達」もいるらしいということが記者会見の映像から分かる。

そして、格調高き英ガーディアン紙が、これをそれなりに信憑性の高いものとして報じてしまった

“Scientists sceptical about device that ‘remotely detects hepatitis C'” The Guardian, 25 February 2013.

タイトルだと「科学者は懐疑的」となっているが(これはイギリスのデスクがつけたのでしょう)、本文はこの探知機・治療器をかなり信憑性の高いものとして扱ってしまっている。ガマール・シーハー(Gamal Shiha)博士というエジプトの最高水準の肝臓病専門家という人の話も取り上げ、さらにエジプト以外でもいろいろな治験例があってそれなりに検証されているようなことを書いてしまっている。

しかし記事を書いたのは科学記者ではなくて、カイロ特派員。

エジプトの雰囲気に呑まれてしまったのでしょう。エジプトの医学界・科学行政で権威の高い、影響力のある、しばしばメディアに登場する人たちが、軒並み「すごい」と言っているのだろう。特派員が現地の現実を忠実に伝えたら、確かにこういう記事になってもおかしくない。

確かに、エジプトの科学研究の上の方にいる偉い人たちや、それを取り巻く知識人たちが、こんなことを言って盛り上がっていそうなことは、かなり想像できる。言っているだろう。みんながみんなそうではないし、すごく優秀な人はいっぱいいるけど、そういう人はコネがなかったり、偉い人にひざまずいたりできなかったりして偉くなれず、外国に行ってしまう。外国に行けなかった人はひどい生活をして、くすぶっている。

ガーディアンの科学記者たちは大慌てでブログで火消しに走っている。
Scientists are not divided over device that ‘remotely detects hepatitis C’
(C型肝炎の遠隔探知機について、科学者の意見は分かれてないよ)
Hepatitis C detector promises hope and nothing more
(C型肝炎探知機は希望以外の何も約束しない)

もちろん、どんな手法であれ、C型肝炎やエイズが探知したり治療できたりするというのであれば、すばらしいことだ。それがこれまでに想像されていなかったやり方であっても、検証可能な厳正な治験を経て立証されれば、科学の進歩に寄与するはずだ。

ただ、今回の話は、そのような手順を踏んだとは思えない。

そして、出ました!陰謀論。はい、セオリー通りに出てきましたよ。

“AIDS-detecting device’s inventor says was offered $2 billion to ‘forget’ it.” Egypt Independent, 25 February 2014.

ビデオはここから(シュルーク紙のホームページで民間テレビ局バラドの映像をアップしている)

エジプト人、そして偉大なるエジプト軍の優秀さを世界に知らしめて引っ張りだこになったアブドルアーティー少将はテレビ出演して、「20億ドルを提示されたが断った」と語る。単に20億ドルを提示されたというのではなくて、この発明をもみ消そうとする国際陰謀の魔の手にかかりそうになって、エジプトの諜報当局の助けを借りて逃げ延びた、という。だめだこりゃ。

In a TV interview on the privately-owned Sada al-Balad satellite channel on Monday, that he was then offered the money to ‘forget’ about the device. “I told them to note that it was invented by an a Muslim Egyptian Arab scientist, but I was told to take the check and the device will be taken to any country. I said okay and then escaped back to my country. The intelligence service protected me,” he said.

単に阿呆な話、というよりも、軍政のプロパガンダと翼賛メディアのヒステリア、という文脈で出てきた話なので、政治分析の重要な傍証として取り上げる意義のある問題です。

(1)もともとエジプトではこういったオカルト/陰謀論を庶民だけでなく、高等教育を受けた知識層の一定の部分が信じている場合があり、コネ社会なのでそういう人が有力になると誰も止められない。

(2)現在の政治的背景として、軍礼賛とナショナリズムでメディアや知識層が高揚しており、エジプトの山積する難題に対して「軍万能説」を盛んに流している。

というのを前提にして、

(3)根深いオカルト説と、現在の軍政・翼賛化の流れが合致して、以前からこういう説を唱えていた軍医さんに光が当たり、大々的に発表する場が与えられ、広く報じられるに至ったのだろう。

ということが推測される。

エジプトのアラビア語紙では「快挙」と祝賀・礼賛モードなのに対して、政府系でも英語紙は当初から懐疑的に伝えている。本音で「エジプトではよくある話」と思って信じていないのだろう。アラビア語紙の方はひたすら時流に乗る。

逆に、ガーディアンの特派員が現地のヒステリアに呑みこまれているのが面白い。

さすがにエジプト大統領府の科学担当の顧問も、「科学研究の国際的な手順を踏まないといけない」と恐る恐る火消しに出た上で、
“Egypt presidential advisor: Army health devices for virus C & AIDS must comply with int’l standards,” Ahram Online, 25 February 2014.

どうやら軍からもOKが出たらしく「この発表はエジプトの科学にとってのスキャンダルだ」と全面否定に転じた。マンスール暫定大統領もスィスィー国防相も詳細を知らされていなかった。そして「これは外国の新聞がエジプトのイメージを国際的に損なうのに利用される」と危惧している。しかしエジプトの軍政の一面がこのようなものであることはすでに十分広報されてしまった。

“An issue this sensitive, in my personal opinion, could hurt the image of the state,” Heggy said, adding that foreign newspapers could utilise the announcement to harm Egypt’s image internationally.

“Claims of cure for HIV, Hepatitis C are a ‘scandal’: Egypt presidential advisor,” Ahram Online, 26 february 2014.

でも記事を読んでみると、軍医・工兵部門の高官にはこの発明の支持者がかなりいるようだ。

英語紙の記事自体が、国際常識とローカルな権力構造の間で引き割かれて、一貫した文体を見い出せないでいるようだ。

「エジプト軍万能説」を信じている、あるいは信じているふりをするエジプト人は多いし、それを真に受けるエジプト専門家や報道関係者も多いが、実態はこの程度。文民のテクノクラートも内心は辟易しているだろうが、口には出せない。

エジプト研究をしてきた人間としては、「うちのエジプトがご迷惑をおかけしています」と菓子折りを持ってご近所を廻りたい気分です。

MERS(中東呼吸器症候群)はラクダでうつるらしい

100枚(4万字)を超えた論文の詰めで朦朧としていますので、ニュース紹介は手短に。

2月20日 リビアで憲法起草委員会の直接選挙の投票が全国で行われる
2月22日 シリア内戦ではじめて国連安保理決議が可決(安保理決議2139号)。これはシリア内戦にどう影響を与えるのか。かえって激化するという説も強い。
2月24日 エジプトのベブラーウィー内閣が突如総辞職。これが何を意味するのか。

また、より重要かもしれないのは、イエメンで連邦制によって政治危機の打開を図る方向で辛うじて諸勢力が妥協しかけている。

こういった「アラブの春」後の移行期過程の全体像を把握し、逐一発生する事象を自然に理解できるような枠組みを、ずっと考えていて、そろそろ結果を出さねばならない。

そんなわけでこの数か月、連日連夜論文を書いているので、あまりまとまったニュース解説の時間が取れない。

政治の話は脇に置いて、別の意味で重大かもしれないこんなニュースでもご紹介。

“Camels Linked to Spread of Deadly Virus in People,” The New York Times, February 25, 2014.

MERS(Middle East Respiratory Syndrome:中東呼吸器症候群)は2012年頃から、サウジアラビアに渡航した人を中心に、ドバイなどを経由してヨーロッパにも広がり、WHOなども重大な関心をよせてきた。

10年ぐらい前に中国を中心に広がって日本も脅かしたSARS(Severe Acute Respiratory Syndrome:重症急性呼吸器症候群)の中東版のようなイメージ。両方ともコロナウイルスが原因。

感染源はSARSの場合はハクビシンだとかフクロウの一種だとか言われているが、MERSの場合はどこからうつるのか。

これが、中東らしく「ラクダ」がウイルスを運んでいるのではないか、という研究が出た。

感染者はサウジから帰ってきてたいていドバイにいる頃に発症するので、日本からの渡航者にとっても身近にある病気です。

ある日のスケジュール

研究所所属というと、「ヒマなんでしょ?」とよく聞かれる。

確かに、大学だけど研究所、というのは、大学業界の外の人には分かり難いと思う。東京大学・先端科学技術研究センター(通称「先端研」)というのは、大学業界の中では「附置研究所」という枠に入る。附置研究所の形態や存在意義は、分かる人にしか分からない、というか端的に「いらん」と言っている人すら大学業界の中にもいると思う。

附置研究所の中でも先端研はさらに変わっている。最近は附置研究所は存在意義を示すために、大学院での教育を拡大して行ってほとんどいわゆる「学部」(正確には大学院の研究科)同様になっている場合も多い。また「共同利用・共同研究拠点」として全国の大学との共同研究のお世話をする機能を拡張していく場合が大多数だ。しかし先端研はそれも意識して避け、独自の研究と情報発信だけで存在意義を示そうとしている。

最大の違いは、他の学部学科や附置研究所とは違って、あるいは全国の大学の大部分の教員とも違って、「業績が挙がらないとクビになる」制度を取り入れていることだ。何が「業績」かというとこれが曖昧だから、誰からも文句をつけられないように、研究、教育、社会貢献、国際展開のあらゆる方面で業績を挙げ続けていないといけない焦燥感に常に駆られるシステムである。

なので、オーバーワークになる。

例えば、研究成果をできるだけ多様な形で発信して影響力を持つことが一般に奨励されるので、呼ばれれば断らずにあらゆる場所で研究報告・一般講演・講義・コメントなどをする。そういった講演は必ずしも公開されていないので、何をやっているのか一般には分からないかもしれない。

例えば、ある日は大学の外の研究会でこんな報告・討論をしていた

研究会自体はクローズドだったが、ホームページに内容が公開されていたのでご紹介。

非常にエネルギッシュな、昭和の経済政策の最前線にいた(平成も)人とその関係者たちの集まり(なのかな、いやこの日初めて呼んでもらったので全貌は把握していませんが)で、新年会も続いて企画されていたので、熱心に聞いていただき、活発に議論をした。

まとめをみると、さすが、というか、私が目を通して手を入れたわけではないのに、正確に内容を伝えつつ、聞き手の側が興味を持った点を強調して、「勢い」みたいなものも加えて、私がしゃべったよりももっと面白くしている(私の分野だと、講義録や要約が事務局から出てきたとき、意味が大きく取り違えられていて、書き直さないといけないことも多い)。

まあこの日のテーマは中東だけでなく日本や日米関係、東アジア国際関係への影響といった、これまでの日本社会の「メインストリーム」の人たちにとってピンとくる内容だったせいもあるとは思うけど。

しかしこの日は朝7時30分の朝食勉強会(朝食は出なかったけど)に始まり、午前中は職場の会議、昼過ぎから編集者との打ち合わせ、学内で別の学部に出講している授業、そしてこの研究会での報告に走っていって、その後の懇親会(新年会なので本来私はメンバーではないのだが)でもずっと議論をしていた。

なので写真を見ても、もはやふらふら。真冬なのに汗かいて、ネクタイ緩んでます。

そもそも、「ネクタイを締めてスーツを着なくていい」「朝早く通勤列車に乗って行かなくていい」というのが研究者の道を選んだ大きな理由だったと思うのだが、結局、朝まだ暗い時間帯にネクタイ・スーツで電車に乗って出かけて一日中外回りで帰るのは深夜、ということも多くなっている。

どこで道を誤ったのか。

最近は役所の人の方がネクタイ締めていないぐらいだ。でも私は昭和時代に鍛えられた人たちのところに話に行くことが多いので、そういう人は今もびしっとネクタイしているので、こちらがしていかないとまずいでしょう。でも緩んでる。

エジプトのおバカ・ニュース(とロシアへの接近)

今のエジプトの世相を示す、オバカ・ニュース。

Egypt_Obama_Game Over_Feb19_2014_elwatan

エジプトの民間の新聞ワタン(el-Watan)が2月19日にウェブに載せた「商人がスィースィーのロシア訪問に寄せて、ナイル河の上に、オバマはゲーム・オーバーだと書いた」という記事。

マンスーラという、上エジプト(エジプト北部・ナイル河下流のデルタ地帯)の主要都市で、アニース・サイード・アズィーズィーとかいう鉄商人がスィースィーのロシア訪問を祝ってナイル河に錫と発泡スチロール製の艀(はしけ)を浮かべた。長さ65メートルで「オバマはゲームオーバー」と書いてある。

最近のエジプトのアラビア語紙はこんな記事ばかり。

エジプトの新聞は、昨年7月のクーデタ以来、軍礼賛・スィースィー推戴で、おかしくなっている。ずっとエジプトのメディアを見てきましたが、行き詰るとだいたいこうなる。放っておきましょう。

企業家層は軍を支持しているから、派手にキャンペーンをやる。そのキャンペーンが、軍翼賛と、お気楽な反米。「アラブの民衆は反米だ」というイデオロギーがかつてあったが、少なくとも今の現実は、アメリカに依存してきた金持ちが反米っぽいことを言って子供っぽく喜んでいる。

当分この国ダメですね。

スィースィー国防相のロシア訪問で喜んでいるわけです。それでオバマがゲーム・オーバーだと言っているのですが、世界の中心はエジプトだと思っているのですね。

おバカなメッセージを浮かべたこの商人は、「スィースィーのロシア訪問で、エジプトの自由への希求を感じた。アメリカの中東支配の終わりを感じた。そしてエジプトが高貴なる息子たちの手で歴史を書き始めたことを感じた」と大喜びしているのですが、単に「宗主国様」をロシアに乗り換えただけでしょう。

クーデタ直後から、まあそうなるだろうなと思っていましたが(「ロシアへの接近をほのめかして牽制するエジプト首相」『フォーサイト』2013年8月22日)。

しかしここまで臆面もなくやるとは。

2月12日・13日に、スィースィー国防相とファハミー外相がモスクワを訪問。いわゆる2+2というやつだが、別にエジプトがロシアを助けられるわけではない。ロシアは軍用ヘリや対空防衛システムを売り込もうとしている。エジプトは、ぎくしゃくしているアメリカに当てつけをして、無邪気に喜んでいる。昨年11月にロシアの外相・国防相がカイロに来て2+2をやったが、今回はその話の続き。

スィースィー国防相は初の外遊で、大統領選挙に出るという件で盛り上げている最中なので、プーチンもサービスして、スィースィーの立候補を支持すると発言

でもこれでは新しい宗主国様にお墨付きをもらっているだけ、ということが、エジプト人にはわからないのである。世界はエジプト中心に回っていると思っているので。

しかしロシアは冷戦期と違ってタダでくれるわけではない。リップサービスをしながら「ちゃんと払うなら売ってやるよ」という線を崩さない。それで、30億ドル分の兵器を買って、勘定はサウジとUAEに回せないかな、と交渉しているという。誇りも何もない。ピラミッドのラクダ引きみたいに、湾岸の金持ちからチップ恵んでもらって生活する、ということ。

これではかつてのエジプトの外交的影響力など見る影もない。当分エジプトは重視しなくていい、ということでしょう。

しかしアメリカも腰が据わっていないので、ロシアが出てくるならとちょぼちょぼ援助を戻したりして、甘やかしを続けるのではないかと思う。アメリカにとってそれほどの負担ではないし、軍需産業は困っている。エジプトは結局両方からちょっとずつチップをもらえて得した、と言っているうちに、国内問題がもっと悪化する。アメリカもサウジも、もちろんロシアも、エジプト社会が豊かになるほどにはくれるはずがない。

軍政はポピュリズムに走るしかないが、エジプトにはその財源がない。特に積年の課題の食料補助金と燃料補助金は絶対に削れなくなったから、軍事援助をいくらかもらったぐらいではまったく足りない。早晩財政は行き詰ります。

でも「そこで日本には民生支援を~」なんて都合の良い話に載っちゃダメです。一度この国は突き放さないと。でも日本は日本でおだてられるとお金出してしまうんだろうな。で、感謝されない。

エジプトの覚醒は遠そうです。

モンゴルとイスラーム的中国

見本が届いたばかりの、最新の寄稿です。


楊海英『モンゴルとイスラーム的中国』(文春学藝ライブラリー)、2014年2月20日刊(単行本は2007年、風響社より刊行)

ここに「解説」を寄せました(425-430頁)。

イスラーム世界を専門にしているといっても、中国ムスリムは私にとって最も未知の世界。勉強させてもらいました。

中国西北部、モンゴル系やウイグル系のムスリム諸民族を訪ね歩く。「民族」が縦糸、スーフィー教団の系譜が横糸か。

全体を通して導き手となるのは、回族出身で、文革期に内モンゴルで遊牧生活を送った作家・歴史家の張承志。

独特の文体。オリジナルな研究というのは通り一遍の解釈を拒むもので、解説を書くのは大変でした。

タバの観光バス爆破:続報

昨日のエジプト・タバでの観光バス爆破、
(1)「アンサール・バイトル・マクディス(エルサレムの支援者たち)」が犯行声明を出した。観光客に退去を勧告。
(2)内務省が、死者数を、当初の4人から3人(韓国人観光客2名とエジプト人ガイド1名)に修正

とのこと。ネットで見る限り産経新聞はこのニュースをそれなりにおさえていますね。

エジプトの英語紙では、シナイ半島での大規模な観光客を狙ったテロとしては2006年のダハブでの事件以来として「転換点か」とも分析しています

エジプトのアラビア語紙はクーデタ以来ヒステリックですので分析は存在しませんが。

アラブで安全な国がなくなりますね。

取り急ぎ。

エジプト・シナイ半島タバで観光バス爆破

2月16日、エジプトの東部シナイ半島のタバで観光バスが爆破され、少なくとも4人が死亡。

爆破の映像(34秒ぐらいから)

エジプトはシナイ半島を中心に、これまでとは違って、イラクやシリアと(程度の差はあるが)同様の、武装反乱(insurgency)が続く、ある種の内戦状態になっている、という話はしてきたが、今回また一歩進んだ。

これまでの経緯はとりあえずこのあたりから。

「エジプト軍ヘリ撃墜で「地対空ミサイル使用」の恐怖」(1月27日)

「エジプト情勢の今後の見通し」(1月25日)

タバというのはシナイ半島の南部の東端にある町で、イスラエルとの国境のすぐ手前。国境を超えるとイスラエルのエイラート、そしてすぐにヨルダンのアカバがある。

タバは1967年の第3次中東でイスラエルが占領して、1979年のイスラエル・エジプト和平条約の後も最後までイスラエルが保持し続けた町で、1989年に返還された。イスラエルが観光開発したのでホテルなども整っている。

今回のバスは韓国人旅行客の一行のようだ。

モーセがさまよったシナイ半島はキリスト教徒にとっての聖地で、特に韓国人のキリスト教徒の団体旅行はおなじみの光景だ。

エルサレムやベツレヘムなど、イスラエル・パレスチナのキリスト教関連の聖地を巡りながら、エジプトに足を延ばしてシナイ山に登ったり、ふもとの聖カタリナ修道院などを訪れるというのがお決まりのコース。シナイ半島で観光バスを狙ったテロがあったらかなりの確率で韓国人が犠牲になるだろう。

なお、タバでは2004年10月にはタバのヒルトン・リゾート・ホテルが大規模な爆破に遭っている。写真を見ると、今回の爆破の場所も建て直したヒルトン・ホテルのすぐそばのようだ。

シナイ半島は部族問題や低開発や差別など、中央政府の無策がたたって無法地帯化しており、イスラーム主義過激派が勢力を伸ばしている。

現在はシナイ半島のイスラーム主義過激派とエジプト政府がかなりの規模で戦闘中。

今回の事件の新しいところは、これまでは軍や警察の車両や治安部隊の施設などを狙っていたのが、今回は一般人の観光バスが爆破されたこと。意図的に観光バスを狙ったのか、軍の車両などを狙った爆発物に観光バスが触れてしまったのかはまだ断定できない。

エジプトについては、日本では事態の深刻さにピンと来ていない関係者が多いので困る。

シナイ半島は、荒れたカイロを通らずにロシアや西欧から直行便でシャルムシェイクなどの空港に観光客を飛ばせるので、観光客誘致には命綱。

すでに軍用ヘリを落とした地対空ミサイルは導入されてしまっているので飛行機も全く安全とは言えなくなってきた。ここで観光バスがあぶないとなると、いっそう観光収入は望めなくなる。

警察と軍はもっぱら丸腰のムスリム同胞団の弾圧に一生懸命で、その間に、ムスリム同胞団と競合していた過激派組織が急速に活動を活発化している。どう考えても政府は不正なんだから、イスラーム主義過激派に一定の支持が集まるのは誰でも予想できる。

問題は、エジプトの警察にそれを抑え込める能力がないこと。最大の原因は、地元民が、低開発だけでなく、警察の横暴なやり方に怒っていて協力しないから。このあたりはエジプトのメディアはあまり書かないが、誰でも知っていること。

抑え込むどころか、本土に越境攻撃をかけられたり、スエズ運河の重要地帯にしょっちゅう襲撃があったりで、insurgencyの度合いと頻度は日に日に高まっている。

反乱勢力がいるという家を空爆して皆殺しにしたりしているので、おそらくいっそう反発は強まる。

* * *

日本も、ファハミー外相とか、英語を上手にしゃべる渉外担当の人にコロッと騙されて援助を出したりしてはダメですよ。国民の税金です。彼らはお金を取ってくるのが仕事で、どう使うかについては、何を約束しようが、まったく守れません。なぜかというと、お金の使い道に権限など持っていないからです。

こんなこと当たり前だと思っていたのだけど、本当に日本の外交・援助関係者ってそのことを知らないみたいだ。欧米と仲が悪くなったエジプト政府が、日本をちょっとおだてるだけで、舞い上がってしまってカモにされないでね。

あと、現地在住の日本人。彼らが「軍が出てきたら安定する」という話をして、それを信じてしまう程度の報道関係者が多い。現地在住の日本人というのは実際にはほとんどエジプト社会とのつながりがない。たまに接触するエジプト社会というのはそれはもう厳しいから、強権支配でエジプト人を黙らせてほしいと思っている。「軍が出てきて、嫌なエジプト人をぶん殴って黙らせてくれればすっきりする」といった会話で憂さ晴らししているのですね。

ブログなどで「エジ」という呼び方を使っている人には、現地の一般エジプト人に対する差別心・優越意識が強いのでご注意。差別心を持つのは勝手だが、日本のメディアも政府機関も、そういう人たちをけっこう情報源にしている。そこで判断を誤る。「あなた方がエジプトに行き暮れてしまったことは、エジプト人の責任ではありません」と言ってしまいたいんだが、そうするとものすごく悪口言われます。

されどわれらが日々

引き続き体力の限界まで二本の論文を書きながら火曜日にある別の論文の報告会の準備。

というわけで中東情勢解説はお休みして、最近出たインタビューの紹介。
bungeishunju1403.jpg
「アメリカの覇権にはもう期待できない──大国なき後の戦略を作れ」『文藝春秋』2014年3月号(第92巻第4号)、158-166頁。

雑誌全体は、今回の芥川賞発表と、ちょうど150回になる芥川賞の歴史を振り返る号なので、なかなか面白いです。「レガシー・メディア」の面目躍如というべきでしょうか。

村上龍・宮本輝対談を読むと、村上龍(75回・1976年上半期)の方が宮本輝(78回・1977年下半期)よりも受賞が先だというのが今から見ると不思議な感じ。「泥の河」「螢川」を書いている最中の宮本輝が「限りなく透明に近いブルー」を読んで焦った、という話。歴史は一方向的には進みませんね。

両者は友好的・常識人的に対談していますが、最後の方で村上龍が「乱暴に言えば」とことわって、「近代文学の役割とは〔中略〕近代国家が発展するなかで、置き去りにされた少数派の声を代弁したり、個人と共同体の軋轢によって生じる「悲しみ」を描くことだった」と本当に乱暴にまとめてしまって、「レコード大賞」と「紅白歌合戦」と宮本輝的な小説を同列に並べ「近代文学の代表としてまだまだ頑張ってくださいね」と芥川賞選考会の後に声をかけたなんて言い放っています。

ようするに近代文学はもう「オワコン」だが、伝統芸能のように続けてくれる人がいるとありがたい、ということですか。

芥川賞=日本の近代文学の社会的機能のもっとも明確な表出、という意味では、記憶に残る受賞作として柴田翔「されどわれらが日々──」を挙げている人が多いのが興味深い。「作家」としてフルタイムで活動していた時期はほとんどないであろう、端正な独文学者のこの小説は、今この雑誌を読み、執筆を依頼される年代・階層の人生に深く影響を残したのでしょう。柴田翔さん自身のエッセーも載っています。毎回同じことを書いているような気がしますが、やはりいいですね。

小説が歴史を写すというよりは、この小説と柴田さん自身が、日本近代史の欠かせない一部なので、定期的に同じことを回顧するのが御役目のようで、それをいつも通り果しておられます。超秀才の近代西洋文学研究者が、日本のある段階に適用して近代文学を「実作」して、それが成功したという、学者作家の不滅のサクセス・ストーリーで、誰も真似することはできないでしょう。

この方に大いにお世話になったであろう、また憧れ、目標にした時期もあるであろうこの人、今こんなことをしているようで。

近所の商店街の本屋で街歩きガイドのところに平積みになっていたので表紙に衝撃を受けて思わず買ってしまった(汗)。不穏当な発言はありませんでした(安堵)。

柴田翔さんと同じことをやってもできないしやってはいけない、と思い定めるという意味で、その後の方向性に大きな影響を与えたのではないかと思います。

柴田翔先生は、本当に重要なことをして、それ以外では無用に「渦中」にいようとしない、一度当たったスポットライトを二度三度求めて右往左往しない、という生き方を示してくれているという点でも尊敬しています。それも、日本の近代史の一段階を体現するような作品を残してしまったことからくる余裕や責任感に由来するのでしょう。もちろん人間だから焦燥感とか、もしかして嫉妬心とかも一瞬湧くのかもしれませんが、と下世話に想像しますが(すみません)、それを表に出すことは決してない。

* * *

私のインタビューの方は、内容は、中東情勢を見ている人間が日本と東アジア情勢を見たらどう見えるか、というような内容。靖国参拝問題なども、遠ーくからはどう見えるか。

結論は「だから大学院を活用してください」だったりする。

日本は巨大な知の消費国であることは確かでそれは素晴らしいことなのだけれども、二次使用どころか三次使用・四次使用の方ばかり活発で洗練されていて、根本的なアイデア(第一次情報)を生み出しているかというと、そこに社会的関心(時間と労力)も、お金もたいして払われていないというところがある。

大学院は博士課程以上で第一次的な知を生産して、それを真っ先に有効に活用できる人材を修士課程で育成して企業・官庁に循環させる、というのが本来のあり方。

日本の大学は役に立たない、というのは、日本のエラいさんたちが自分が大学に通った(通わなかった)時代を回顧した、まったく現実に合わない認識に基づいている。

東大などは研究と共に、高度の教育機能を果せるような実態はある。なぜかというと教員は入れ替わっているから。大学の人事の流動性が低いと言っても、財界と比べればきちんと定年があるから入れ替わっていますよ。政治家と違って二世が学科を継いだりしないし。

日本の大学を企業や官庁などがもっと有効に使ってくれればいいのにね。社員が20代半ば、30代半ばで一回ずつ修士に一年ずつくるような人事をやっている会社はほとんどないので、国際的にみると個人の力が弱い、視野が狭いという点が否めない。「グローバル人材」というならまず自国の研究・教育機関を活用しないと。社会の側が利用しないなら、大学院ではこれまで通り研究者養成に特化するしかない。だって研究者になりたい人しか来ないんだから。

* * *

仕事でよくご一緒する先生方は、近年盛んにこういった場に出ていって発言してくださっていますので心強いのですが、私は純粋ドメスティック人材として、レガシー・メディア(日本の大学を含め)再興に尽くしていきたいと思います。

最終的に文化の水準というのはその国の言語でどれだけ活気のある議論が成り立っているかで測られると思いますので。

災後の文明

ものすごく重く重要な(私にとって)論文を二本、何が何でも金曜日までに、、ということで昼夜を問わず死力を尽くして完成(ほぼ)に漕ぎ着けましたが、もう頭が動きません。

途上国経済よりも私が低体温になっている感じがします。

外は雪。。

中東問題解説はお休みして、見本が届いた近日発売の共著をご紹介。


御厨貴・飯尾潤(責任編集)『「災後」の文明』阪急コミュニケーションズ、2014年2月

(Kindle版も出てた)

震災後の社会と政治を、政治学・行政学・思想史の研究者が集まって何度も研究会をして、読みやすい「教科書」のようにまとめました。

復興政策を国や自治体から見るだけでなく、社会学や思想史や経済学、国際関係論から見る章もあって多面的になっています。

遠藤乾、柳川範之、梅田百合香、牧原出、堂目卓生、川出良枝、苅部直、牧原出、村井良太、佐藤卓己、武藤秀太郎、伊藤正次・・・目についたまま挙げてみても壮観です。このメンバーが同じ部屋で同じテーマを議論をしたこと自体が信じられません。

*震災後に家族とかコミュニティの絆が高まった、という話があったけれども、それはデータを厳密に見ていくとどうなのか(大竹文雄さん)

*「ソーシャル・ネットワーク元年」としての東日本大震災の後の「リアリティ」はどんなものか?(五野井郁夫さん)

*リスボン地震後の知の変容(川出良枝さん)

といった話が「災後」という枠の中でぶつかり合っています。

時間ができたら他の人の章をじっくり読んでみます。

私は「二つのツナミの間で」(276-286頁)を寄稿しています。私のはたぶん最も短くて、他の章はもっと力作です。

論文を書きすぎて頭が動かないのでそれではまた。

トルコ経済はどうなる(3)「低体温化」どうでしょう

米国でのテーパリング(超金融緩和政策の縮小)がなぜトルコ経済に影響を与えるかというと、私は専門ではないので、関わったお仕事でエコノミストの皆様に教えていただいた話を引き写します。

PHP総合研究所で「グローバル・リスク分析プロジェクト」というのがあるのですが、これに2013年版から参加させてもらっていましたが、2014年版が昨年12月後半にちょうど出たところでした。
cover_PHP_GlobalRisks_2014.jpg
「PHPグローバル・リスク分析」2014年版、2013年12月

無料でPDFがダウンロードできます。

この報告書は2014年に顕在化しかねないリスクを10挙げるという趣向のもの。リスク②で「米国の量的緩和縮小による新興国の低体温化」という項目を挙げてあります。

それによると、

「(前略)2014 年は米国の金融政策動向が、新興国経済の行方を左右するだろう(リスク②)。近年の新興国ブームの背景には先進国、とりわけ米国の緩和マネーの存在があったが、2013 年12 月、連邦公開市場委員会(FOMC)は、2014 年1 月からの量的緩和縮小を決断し、加えて、今後の経済状況が許せば「さらなる慎重な歩み(further measured steps)」により資産購入ペースを縮小するだろうとの見通しを示した。量的緩和策の修正は、新興国から米国にマネーを逆流させることになる可能性が高い。」【6頁】

ということです。そこで新興国が「低体温化」するわけですな。

「2014 年は、2013 年末に開始が決定された米国の量的緩和縮小の影響で、新興国の景気が冷え込む「新興国経済の低体温化」がみられる可能性が高い。」【14頁】

「低体温化」という形容がどれだけ適切かは、今後の展開によって評価されるかな。

どういうメカニズムかというと、

「とりわけ、経常収支が赤字でインフレ傾向の新興国は、経常赤字をファイナンスすることが難しくなる上、通貨下落によりインフレに拍車がかかり、緊縮政策をとらざるをえなくなる。」【6頁】

なんだそうです。

しかも、この緊縮政策が政治的理由で取れなくて、いっそう危機を引き起こす可能性があるという。

「2014 年には4 月にインドネシアで総選挙、7 月に大統領選挙、5 月までにインドで総選挙、8 月にトルコが大統領選挙と重要新興国が選挙を迎えるが、これらの国々はまさにインフレ懸念、貿易収支赤字国でもある。有力新興国のうち、ブラジルでも10 月に大統領選挙が行われる。選挙イヤーにおける政治の不安定性に米国の量的緩和政策の修正が重なると、これらの国々の経済の脆弱性は一気に高まり、しかも適切な経済政策をとることが政治的に難しいかもしれない。」【6頁】

「これらの国々の経済政策は、中央銀行によるインフレ抑制のための金融引締め(金利引上げ)と、選挙対策を意識した経済成長を志向した政策との間で立ち往生する可能性も考えられないではない。」【15頁】

トルコ中央銀行の1月28-29日にかけての大幅利上げは、こういった疑念を払拭するため、というかもはや「立ち往生」していられなくなったのですね。

そして、日本にとっては、

「対中ヘッジに不可欠のパートナーであるインド、インドネシア、ベトナム、そしてインフラ輸出や中東政策における橋頭堡の一つであるトルコといった戦略的重要性の高い新興国が、米国の緩和縮小に脆弱な国々であるという点は2014 年の日本にとって見逃せないポイントである。」【7頁】

なのです。

トルコ内政の混乱に関しては、予想通りというよりも予想をはるかに超えた大立ち回りになってしまっていますが、それについてはまた別の機会で。

ちなみにこのレポートで挙げた10のリスクは次のようなもの。

1. 新南北戦争がもたらす米国経済のジェットコースター化
2. 米国の量的緩和縮小による新興国の低体温化
3. 改革志向のリコノミクスが「倍返し」する中国の社会的矛盾
4. 「手の焼ける隣人」韓国が狂わす朝鮮半島を巡る東アジア戦略バランス
5. 2015 年共同体創設目前で大国に揺さぶられツイストするASEAN 諸国
6. 中央アジア・ロシアへと延びる「不安定のベルト地帯」
7. サウジ「拒否」で加速される中東秩序の液状化
8. 過激派の聖域が増殖するアフリカ大陸「テロのラリー」
9. 米-イラン核合意で揺らぐ核不拡散体制
10. 過剰コンプライアンスが攪乱する民主国家インテリジェンス

1と2が世界経済、3,4,5が東アジア・東南アジア、6,7,8,9が中東を中心に中央アジアやアフリカに及ぶイスラーム世界。

(10はこういうリスク評価などインテリジェンス的な問題に関わっている専門家が感じる職業上の不安、でしょうか。)

なお、リスクの順位付けはしていないので、リスク①がリスク⑩よりも重大だとか可能性が高いとかいったことは意味していません。

念のため、私は執筆者の欄では50音順で筆頭になってしまっていますが、もちろん経済関係の箇所は書いていませんのでご安心ください。中東に関わる部分も、数次にわたる検討会や文案の検討に参加して議論しましたが、それほど大きな貢献をしてはいません。

所属先との関係で名前が出せない人も多いので、実際にはもっと多くの人が関わっています。

中東やイスラーム世界というと危険や動乱や不安定を伴うので、こういったリスクや将来予測についての地域・分野横断的な作業に混ぜてもらうことが多く、勉強させてもらっています。来年も呼んでくれるかな。

しかし「不安定のベルト地帯」と「秩序の液状化」を抱え、「テロのラリー」が始まっていて、それどころか「核の不拡散体制も揺らいでいる」って、中東・イスラーム世界は何なんでしょうか。そんな危険かなあ(自分でリスクを指摘しておいてなんですが)。

テーパリング自体は昨年後半ずっと「やるぞやるぞ」という話になっていたので、このリスク予測プロジェクトのかっこいいエコノミストのおじ様、お姉さまたちからさんざん聞かされており、分かったつもりになっておりましたが、実際にここまではっきり影響が出るとは、実感していませんでした。

まさに12月末というこのレポートの発表予定日あたりに、テーパリングが実施されるかされないか、という話になっており、もしレポートを発表した翌日に実施されたりすると一瞬にして古くなった感じになるのではらはらしましたが、エコノミストの方々は「予定原稿」みたいなものを事前に作っておられて、ちょうどレポート刊行直前に発表されたテーパリング翌月実施の決定に対応して、ささっと直して無事予定通りに最新の情勢を踏まえて刊行いたしました。さすが。

トルコ経済はどうなる(2)テーパリングって何だっけ

経済専門家にとっては初歩中の初歩なようだけど、ここでおさらいしておくと、トルコがその渦中にある問題は、トルコ一国の問題ではなく、米国の金融緩和縮小が途上国にどう及ぶかという問題。

昨年半ばごろから世界経済の時限爆弾というか自爆スイッチのように恐れられてきた、米国が続けてきた超金融緩和政策の見直し、いわゆる「テーパリング(tapering)」が、ブームを超えてバブルのようになっていた新興国経済にどう影響を与えるかということ。

「テーパリング」というのは、昨年から経済関係者によって急に使われるようになった言葉で、蛇口を徐々に占めて水の流れを先細りにしていくようなイメージ。平易な解説は例えばこれ

アメリカも決して金融「引き締め」に回るのではないが、「蛇口を全開にするようにしてマネーを供給してきた超金融緩和政策を、徐々に絞って先細りにしていくよ」という意味で用いられている言葉のようだ。

経済って状況変化によっていろんな言葉が発明されていきますね。

で、このテーパリングで一番打撃を受けるのが、アメリカが不況対策で盛大に提供してきた安いマネーの恩恵にあずかって経済発展してきた、近年羽振りのよかった新興国。

新興国といっても数は多く種類は様々なので、「どこの国がもっとも危ないか」が昨年後半から盛んに議論されてきた。

トルコはめでたく(?)その最有力候補に挙げられていた。

トルコ経済はどうなる(1)深夜の果断な利上げ

1月22日に「トルコはもう三丁目の夕日じゃないよ」と書いてから、トルコ経済はずいぶん動いた。

劇的だったのはトルコ中央銀行が1月28日深夜に緊急の金融政策決定会合を開いて、翌日未明にかけて、直前の予想よりもさらに大きな幅の利上げを行ったこと。

1月末に世界中の新興国に伝染した通貨危機の不安を打ち消すための果断な措置。これが効果をもたらすか、注目されている。

これは単にトルコ一国の経済に関わることではない。世界経済の変化の中で、近年にブーム的な発展を遂げてきた新興国が今後どうなるか、トルコはその試金石と言っていい。新興国相互の影響関係や、日本などに及ぼす影響も深く大きい。

基本的なところをおさえておくと、1月28日-29日のトルコ中央銀行の動きが注目を集めて、ある意味驚かれたのは、「政治的な理由で、トルコはこのような果断な金融政策を採用できないのではないか」と疑念が持たれていたからだ。エルドアン首相は政権維持のために景気の維持にこだわって利上げを渋っており、トルコの中央銀行に独立性があるかどうか疑われていた。

それにもかかわらず、トルコ中央銀行が予想を上回る幅の利上げを行ったことで、新興国に広がる通貨危機への対処能力を市場に対して示した、肯定的な動きと基本的には見るべきだろう。

ただ、それが功を奏するかはいろいろな要素が絡むので予想がつかない。

そして、「ここまでしなければならないということは、よほど危機的な状態なのか」「トルコ中央銀行は事態がコントロール不能になっていることを認めた」「ということはほかの新興国でも」といった憶測を呼んで、かえってパニックを誘発しかねない要因にもなっている。

パニックを誘発して稼ぎたい人もいっぱいいますからね。

そしてエルドアン政権はもっぱら現在の危機を投機筋の陰謀に帰している。陰謀はあるかもしれないが問題はトルコの経済に隙があること。それを中央銀行が塞ごうとしていることは確かだ。

ただそこには当然副作用があって、何よりも、これでもう急成長は見込めない。問題は崩壊するまでいくかということ。

当面は劇的な変化は起っていないようだが、危機を回避したとは到底言えない。トルコの経済発展を支えた欧米や中国などの状況は様変わりしている。トルコ内政やシリア問題・イラン問題など外交も思うようにいっておらず、トルコの「勢力範囲」「経済的後背地」である中東が不安定性を増している。

しかし何よりもトルコそのものの経済的な基礎の脆弱さが、他の新興国と同様に、あぶりだされている。

前のめりの成長と、繁栄を先取りするような生活を享受してきた近年のトルコだが、苦しい段階に来ている。

中東の中で唯一、東アジアの経済発展と若干似たタイプの発展経路をたどってきたトルコは、実は日本や韓国などが抱える問題もかなり共有している。

そんなところも含めてトルコの経済・社会にはこのブログでも注目していこうと思う。

2020年に中東は、イスラーム世界はどうなっている?

出ました。

池内恵「アル=カーイダの夢──2020年、世界カリフ国家構想」『外交』第23号、2014年1月、32-37頁
外交Vol 23

「2020年東京オリンピックに向けて」ということで、「2020年に日本は世界はどうなっているか~」的なおざなりな(失礼)企画がメディアの各所で一巡したように思う。

そんな中で、「2020年の中東と国際秩序」というようなざっくりとしたイメージでの依頼を受けて、それに対して表面的には全く異なるテーマで寄稿したもの。

最近よく議論している、米国の覇権の希薄化による中東秩序の流動化・・・といった話を期待されたのかもしれないけれど、同じ話を何度もやって稼ぐのは私の流儀ではない。

むしろ、グローバルなイスラーム主義勢力の側は、2020年における世界をどのように構想しているのか。これについて、世界の中東専門家の間では話題になっている話を、ぜひ今一度考えてみるべき素材として、紹介した。

元ネタは2005年にヨルダンのジャーナリストで、アル=カーイダに関わったテロリストたちと一緒に政治犯の刑務所に入っていたフアード・フセインという人による調査報道。

『クドゥスル・アラビー』というロンドンのアラビア語紙に長々と連載されたこの分析記事によれば、2005年ごろまでに、ビン・ラーディンより若い「第2世代アル=カーイダ」が現れており、その代表格が、イラクで宗派紛争に火をつけることに「成功」したザルカーウィー。

彼らが思い描く、2020年に実現したい、実現するであろう世界とはどのようなものか。フアード・フセインはこれを詳細に紹介してくれている。

それによれば、2000年から2020年までの間に、グローバルなジハード運動は7つの段階を経て発展すると構想されているという。そして、第4段階の2010年から2013年にかけて、ジハード運動は「復活と権力奪取と変革」の時期に入る、と2005年の時点で予見されていた。

なんと、アル=カーイダの第2世代たちは、2010年から2013年にかけて、次々とアラブ諸国の政権が崩壊する、と見通していたというのである。「諸政権は、正当性と存在意義を徐々に失っていく」。

これは「ノストラダムスの大予言」のような、後になってから「実はこの部分がこれを意味していた」的なことをほじくる話ではなくて、実際に2005年に、世界中で読まれているアラビア語紙に大々的に連載されていて、「アラブの春」以前にも言及・論評・分析の対象になっていた記事の中に書いてあったことであり、私は単に紹介しているだけである。

(なおアラビア語が読めて根気が良ければ、元の記事をインターネット上で無料でダウンロードして読むことも可能です)

それでは2014年以降、2020年までの間に何が起こると、アル=カーイダの若手世代は考えていたのか・・・・

続きはコチラにて。

アマゾンで売り切れていればこちらへ。

ちょっといい話

吉田類の酒場放浪記。オープニングのあの曲、Egyptian Fantasyというんですね。

ニューオーリンズに学会に行った際に、入った店でバンドが弾いていたので検索してみると・・・

ものすごく有名な曲なんでしょうが、名前を知りませんでした。

これからはあの番組を見るのも仕事の一部ということで。

週刊文春中吊り広告によると吉田類「下戸疑惑」らしいですが、ファンタジーなんだからいいじゃないですか。

今日は仕事できませんでした。