在米エジプト人研究者の苦衷

前のエントリの続き。閉ざされたエジプト社会の脱線ぶりと、在外エジプト人には鮮烈なギャップがある。

エジプト人の優秀な人はこぞって海外に出るので、特にアメリカで、科学研究の場で出世している人が多い。例えばこの人

興奮したエジプト・メディアの突撃取材を受けて、かなり困っているご様子。「科学研究とは何か」を若い記者に懇々と説いているが、あまり通じていないようだ。

最初の方を若干かいつまんで訳すと・・・

質問「エジプトの新発見をどう見ていますか?」
答え「メディアを通じて知っただけなので、この問題についての私の発言は記者会見とテレビの情報にしか基づかず、国際的な科学研究には基づいていない。科学研究ではこの装置についても実験についても何も知見がないんだ」

質問「どう違うんですか?」
答え「これは科学研究の分野ではすごく重要なことだ。何かを科学上の新発見というためにはね、その発見は定められた発表の仕方とか典拠への参照の仕方とかを備えていないといけない。例えばこのような治療法についてはね、それぞれの病気についての専門の科学研究の分野で受け入れられて発展していかないといけない。まあ一般的に言って、軍が科学研究を奨励してくれることを祝福しますよ。軍と工兵部門が真剣にC型肝炎の治療を支援してくれていることを祝福しますよ。エジプトでは非常に多くの人がこの病気に罹患しているのですから。でも私がいつも望んでいるのは、研究が国際的に認められたやり方に則って行われることなんだ」

質問「どういう意味ですか?」
答え「世界全体で、科学研究はある特定の方法に則らないといけないと合意しているんだ。誰かが理論やアイデアを提示するには、発表して弁護しないといけない。この治療法をどのように適用したかを明らかにしたり、この分野の専門家の典拠を参照したりして、この発見を受け入れてもらえるようにしないといけない。治験者にも典拠を明らかにして、権利を守らないといけない・・・・」〔以下略〕「ターレク・ハサナイン博士『科学の発見について記者会見からは判断できない』」El-Watan紙2月26日より。

・・・延々と科学研究の基本の基本を説いていくのだが、それ自体がエジプト社会の困難さを示す思想テキストとも言え、また在外エジプト人とエジプト本国との越えられないギャップを示す、私にとっては個人的には胸が痛い文章だ。

ただこの文章を読んでいると、背景に政治的には次のような問題があるのが読み取れる。記事の後半部分を訳している時間がないのだが、だんだん次のようなテーマに移っていく。

(1)エジプトではC型肝炎の感染率が極めて高い。
(2)治療薬が外国で開発され、輸入なので高額で庶民には行き渡らない。

記事では明確に言っていないのだが、これらは「保健行政の不全あるいは崩壊」「科学行政の不全あるいは崩壊」ということで、積年の課題だが容易な解決策はない。

これを「軍が解決!」と言ってみたい軍部がいて、それを礼賛してみたいメディアと世論一般があって、変な方向に行ってしまっている、ということなのではないかと思う。

エジプト人の知性の総体からいえば、海外に出て医学研究や製薬技術で先端を行っている人たちはたくさんいる。しかしその成果は輸入という形でしかエジプト人には還元されない。

そうならないように国内の大学や研究機関で優秀な人材を囲い込めればいいのだが、それができていない。誰が悪いのか。とりあえず「アメリカが悪い」ということにしてしまう。そういう面はあるかもしれない。構造的な問題として、「従属論」などの立場から議論しようと思えばできる。

ただ、今回の大発見騒動で分かるように、エジプト側の組織と権力構造はかなりおかしい。優秀な人が機会を求めてアメリカに行ってしまうのも分からないではない(というかよく分かる)。そのあたりにメディアが切り込めない。単に海外でエジプト人は大活躍しているんだ、という話にされてしまう。

当の在外エジプト人は、故郷で叩かれないように慎重に言葉を選んでいる様子が伺われる。「大発見」を頭から否定せずに、軍への礼賛のフレーズを交えたりしてね。まあたとえインタビューでそんなことを言わなくても、記事には書かれてしまうんだろう今のエジプトでは。